加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2017新装版  

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Welcome to "Netizen College" !  last updated: December 1. 2023, next update: January 1, 2024予定(月1回更新予定)

戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」(丸山眞男 )、■震災・原発情報リンク「IMAGINE! イマジン」)、加藤「『国際歴史探偵』の20年」、加藤編『ゾルゲ事件史料集成——太田耐造関係文書』 全10巻(不二出版、2018年7月第1巻所収、加藤解説「ゾルゲ事件研究と『太田耐造文書』」),「大学のグローバル化と日本の社会科学」「20世紀社会主義・革命運動史を21世紀にどう描くか「コミンテルン創立100年、研究回顧50年」.「「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影」,ka「戦前の防疫政策・優生思想と現代」ka「 コミンテルンの伝統と遺産」ka30年前の「日本共産党への手紙」ka岸惠子主演『真珠湾前夜』が可能にした学術的ゾルゲ事件研究ka「ゾルゲ事件についての最新の研究状況」

 情報の海におぼれず、情報の森から離れず、批判的知性のネットワ ークを

キッシンジャーも池田大作も、宮本顕治の亡霊もいなくなった

Welcome to KATO Tetsuro's Global Netizen College! English is here!

2024. 12.1  ● アメリカの元国務長官、ヘンリー・キッシンジャーが亡くなりました。100歳でした。歴代アメリカ大統領のブレーンで、もともとは国際政治学のパワー・ポリティクスの大家、中曽根康弘より年下なのに、中曽根の政治外交師範としても知られました。1971年の電撃訪中で、米中国交回復の立役者となり、20世紀冷戦の枠組みの再編に、大きな役割を果たしました。思えば米中接近は、ベトナム戦争の米敗北、米ドル基軸国際金融の再編、それに中東産油国の自立による石油危機と一緒でした。20世紀の最後の4半世紀は、東欧革命・東西冷戦終焉・ソ連崩壊・EU拡大のなかで、「リベラリズムの勝利」などとされましたが、同時に、西側世界におけるアメリカ一極支配の終焉をともなっていました。来年に迫った米国大統領選の有力候補者、民主党バイデン81歳、共和党トランプ77歳という老人支配が、この国の行く末を暗示しています。

●  湾岸戦争のころ、一時的にソ連崩壊によるアメリカ覇権の再興がいわれましたが、21世紀は、9.11米国同時多発テロから始まり、経済的には中国とアジアが世界の工場になり、BRICSとよばれる新興勢力が台頭し、リーマンショック後は世界の多極化・多層化・多元化が明らかになってきました。欧州内部も多元化しましたが、衰退するアメリカに最後までつきそってきたのは、アジアの経済大国だった日本。アメリカ自身が、トランプ大統領を生み出すまでに分裂を深めたのに、日本は、時々のアメリカの政策に従うだけで、いつの間にやら経済衰退国・政治的従属国・米軍中古武器購入国へと、「喪われた30年」を独走してきました。発展途上とは反対の、衰退途上国になっていました。キッシンジャーは、そのすべてを見てきました。 中国には100回以上訪問し最後まで注目してきましたが、日本に対しては、冷徹でした。ウクライナ戦争が二度目の越冬に入ろうとし、イスラエルのパレスチナ侵攻が泥沼化しようとしているとき、「強いアメリカ」の象徴が、静かに息をひきとりました。地球社会の温暖化・気候変動という、21世紀的問題が噴出しているというのに。

● キッシンジャーの活躍した時代は、地球社会の急速な近代化・工業化・都市化の時代でした。日本はその先頭に立った典型で、一時は高度経済成長と自動車や半導体の生産・輸出で、経済大国を謳歌しました。その時代の日本政治には、自民党の田中角栄や中曽根康弘ばかりでなく、野党を率いるカリスマ的指導者がいました。公明党を創設した創価学会の池田大作、日本共産党の一時代を作った宮本顕治です。田中角栄の『日本列島改造論』が新幹線や高速道路による日本の一体化・平準化を進めたとすれば、池田大作の創価学会や宮本顕治の「大衆的前衛党」は、その近代化に同調しきれない農村出身の労働者や貧困層、環境や健康を気にする中間層、それに学歴競争や対米従属文化に反発する若者たちを拾い上げた面がありました。キッシンジャーと共に亡くなった、創価学会の池田大作は、1960年に創価学会第3代会長に就任し、185万世帯を会員にし、1964年には公明党を結成、公称827万人の信者をかかえて政界にも大きな影響力を持ちました。日本国外にも280万人の会員がいるとされ、池田の中国への友好姿勢は、日中両国政府間の貴重なつなぎとなりました。当初は「人間性社会主義」や「恒久平和主義」を唱え「中道政党」としていましたが、初期の指導者竹入義勝や矢野絢也とは袂を分けて、経済成長の再分配に寄生する現世利益を求めて自民党に接近、21世紀には、自公連立政権が定着しました。しかし、宗教的にも政治的にも後継者にめぐまれず、池田が生きている限りで有効であったそのカリスマ性による政治や選挙への動員力は、初期会員の高齢化や二世問題もあって、これから減退して行くでしょう。

● 池田大作に対抗し、一時は「共創協定」という相互不可侵協定まで結んだ宮本顕治の共産党は、宮本のカリスマ性によって登用された不破哲三・志位和夫という小粒のリーダーに引き継がれましたが、2007年の宮本顕治の死をまつまでもなく、共産党という党名や民主集中制という組織を共有したソ連・東欧諸国の崩壊と、「友党」であった中国共産党や朝鮮労働党の独裁支配が、日本の民衆にとっての現実的脅威になるにつれて、創価学会よりも先に衰退し、政治的・組織的影響力を喪失していきました。宮本顕治のカリスマ性は、民主集中制というコミンテルン由来の閉鎖的組織によりかろうじて継承されましたが、マルクス解釈学のみの不破哲三や、内部反対派摘発の実務家である志位和夫によっては、もはや有効性をもたなくなり、党員構成も著しく高齢化しました。若者に無視され、「100年史」という作文さえまともにできずに、史実をゆがめる半宗教的セクトになりさがりました。2023年は、「除名」問題や老幹部たちの「赤い貴族」生活で一部の関心をよびましたが、政局では蚊帳の外。現実政治のうえでは、公明党よりも早く、泡沫政党化していくことでしょう。もっとも2世どころか、3世・4世議員だらけになりそうな自民党に将来があるわけではなく、日本政治は、深い混迷期に入っていきそうです。

● 政治の閉鎖性、時代閉塞は、「失われた30年」の社会の閉塞性の反映でもあるでしょう。もともと危険性が知られていた米軍機オスプレイの墜落に、「不時着」と言ったり公式抗議も無視された日本政府、少年たちをむしばんだジャニーズ事務所、少女たちを搾取した宝塚歌劇団、それらを報じることができなかったメディア、東京オリンピックに懲りない大阪万博の公金私消、日大アメリカンフットボール部の薬物汚染、学問の府としての大学を株式会社のようにする国立大学法人法改正案、20世紀末からのツケが、いたるところでほころび、腐敗してきています。2023年は、昨年の心臓病手術・入院の後遺症で、リハビリを重ねながら、少しづつ仕事をしてきました。 コロナに感染したほか、前立腺や肺炎など身体のあちこちに不具合がみつかり、今回更新が遅れたのも、消化器系の内視鏡検査によるものでした。この状態は、おそらく来年も続き、多くの皆さんにご迷惑をかけ、またご無沙汰することになろうと思いますが、よろしくご了解ください。


関東軍軍馬防疫廠100部隊の追加情報が寄せられました

2023.10.1●   9月の更新で、関東軍軍馬防疫廠「100の会」の情報をお寄せください!>と本サイトの読者の皆様によびかけましたが、その数日後に、情報が寄せられました。ただし、本サイトのよびかけに応えたというよりは、前回紹介した、関東軍軍馬防疫廠=100部隊旧隊員の遺言執行者と称する匿名の情報提供の、第二信でした。「旧隊員から遺言を託され」「機会があれば世の中に発表してほしい」といわれていた発信者は、隣人であった元隊員は「温厚、博識、かくしゃくとした紳士」で「戦争は絶対にしてはならない」とも遺言したとのことでした。その元隊員の第一信で驚いたのは、「100の会会員名簿 関東軍軍馬防疫廠<通称満州第100部隊>および関係部隊の在隊者・関係者名簿 平成7年5月末日現在」という「100の会」名簿の表紙コピーで、100部隊の関係者は、戦後も30年以上経った1977年以降、「100の会」という隊友会をつくり、18回以上も年に一度の会合を持ち、1995年段階では生存者497名、物故者179名、戦死者9名、計685名・生死不明372名という旧隊員名簿を作っていたことでした。

 今回送られてきた第二信によると、1945年8月敗戦時のソ連侵攻、新京(長春)からの撤退時に、細菌戦を直接担当した山口本治第二部六科長・若松有次郎部隊長ら幹部とその家族の第一陣約50人は素早く日本に帰国でき、第三陣の保阪安太郎中佐他一般隊員約700名は実験施設・建物等証拠品を爆破した後、京城経由で遅れて帰国できたが、第二陣として、ほとんどが女性・子どもであった一般隊員家族の一団500名は、北朝鮮の定州でソ連軍に捕まり、性奴隷や幼児の栄養失調死で大変な被害を受けたという100部隊隊員の帰国事情が綴られていました。その第二陣を救い、なんとか引揚させるために、1946年1月には家族を残してきた一般隊員中心の「第100部隊家族援護会」が作られたとのことです。この「家族援護会」が、第一信で1977年に作られたという「100の会」の前身であったようです。

● しかし、『紫陽』という仲間内の会誌を含む第二信の新資料を読むと、どうやら遺言を残した元隊員は、スムーズに帰国できた第一陣の幹部クラスではなく、第三陣の一般隊員だったようです。そして、多くの一般隊員の妻やこどもを含む家族が第二陣に入っていて、北朝鮮に取り残され、女性が強姦されたり幼子が栄養失調で亡くなったりしたようです。「100部隊家族援護会」は、妻子を北朝鮮・定州に残して帰国した一般隊員の、家族をとりもどすための組織で、第一陣で帰国し名目上は代表者になった若松有次郎隊長や、家族とともに早期に帰国した幹部隊員たちへの不平不満や恨み辛みを内包したものだったようです。細菌戦・人体実験に関わったというばかりでなく、旧満蒙開拓団やシベリア抑留者たちの組織に似て、軍隊内部の上下関係や占領軍への態度で分かれた内部矛盾を抱えた隊友会であったようです。そして、私と小河孝教授の共著『731部隊と100部隊』で明らかにした敗戦直後の米国占領軍に対する100部隊人体実験の内部告発者二人は、今回の遺言を残した旧隊員と同様に、北朝鮮で妻とこどもを亡くした若手の一般隊員であり被害者だったようです。

● この資料を遺言で遺した旧隊員は、第二陣の家族を失っていました。GHQの捜査のきっかけとなった若い二人の隊員による(家族と共に第一陣で素早く帰国できた)山口本治・若松隊長等への「内部告発」は、中国大陸で人体実験・細菌戦を強制された悲憤慷慨(「良心の呵責による内部告発」)によるというよりも、家族を捕虜として奪われ喪った帰国時の幹部たちへの私怨によるものではないか、といいたいようです。確かに、第1信でも今度の第2信でも、「家族援護会」「100の会」の中核にいたと思われる旧隊員遺言者の記録中には、人体実験の犠牲になった中国人・ロシア人被害者への謝罪や悔恨の言葉はみられません。自分たちの家族を見捨てた幹部たちへの告発・弾劾はあっても、侵略戦争への反省は乏しいのです。

● 旧隊員の遺言資料によれば、1949年ハバロフスク細菌戦裁判の被告で100部隊隊員であった三友一男が著した歴史的証言『細菌戦の罪』(泰流社、1987年)には、森村誠一『悪魔の飽食』ベストセラーで危うくなった「100の会」としての自己防衛が含まれていたようです。三友一男には、著書の原型となった自伝草稿『青春如春水』及び「紫陽」という旧陸軍獣医部同窓会誌に掲載された文章があり、どうも100部隊細菌戦の中核であった2部6科長・山口本治の「検閲」の手が入り、『青春如春水』には入っていた三友の「人体実験」という草稿の一節が、単行本『細菌戦の罪』ではまるごと削除されたらしいことが示唆されています。また、ハルビンの特務機関とつながる井田清という人物(訂正:陸軍中野学校出身ではありませんでした)が重要な役割を果たしており、その人脈が、戦後は土居明夫の大陸問題研究所につながったらしいことも、見えてきました。 戦後80年たって、ようやくつながった、日本軍国主義の獣医による細菌戦とインテリジェンスの結びつきです。

● 現実政治の方は、悲惨です。岸田首相の内閣改造は、予想通り、無残な結果に終わったようです。内閣支持率は回復どころか、横ばいか下がったかたち、5人の女性閣僚を目玉にしたつもりが、次々に政治資金や事務所・秘書、家族・親族のスキャンダルが噴出です。党の選挙用広告塔にするはずだった「ドリル小渕」も同様で、政策実行どころか、まずは弁明・釈明で大忙し。9月の国連総会での演説は、あまりの空席の多さで、NHKも議場撮影は断念、核廃絶でも東アジア緊張緩和でもなすすべなしだったようです。なによりも、物価高が続き、1ドル=150円の円安です。ここ数年注目されてきたジェンダー・ギャップや報道の自由度ばかりでなく、あらゆる経済指標でこの国の劣化・二流国化が進んでいます。アメリカ大統領選挙では、高齢の民主・共和両候補が、自動車労組のストライキ支持を競っています。ストライキがなくなった日本では、賃金も雇用も保守政権任せで、労組の代表が政権参加や首相官邸にすり寄る始末です。

● 若者たちが、留学ばかりでなく海外に仕事を求めて帰国せず、文化崩壊を恐れて入り口を規制してきた外国人労働者が、気がつけば日本経済に希望を見いだせず来てくれない状況に入っています。世界の若者にとって、働く場としての魅力が、なくなっているのです。かつて、1980年代のイギリスで、A・ギャンブルの『イギリス衰退100年史』が書かれ、バブル絶頂期の日本でも広く読まれました(みすず書房、1987年)。いまこそ「喪われた30年」を明治以来の「開国」「近代化」過程から真摯に見直す、「日本衰退200年史」が必要です。

 昨年は、獣医学の小河孝教授とコラボした共著『731部隊と100部隊ーー知られざる人獣共通感染症研究部隊』(花伝社)、私が代表をつとめる尾崎=ゾルゲ研究会のシリーズ第一弾、A・フェシュン編・名越健郎・名越洋子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945 赤軍情報本部機密文書』(みすず書房)、2023年に第二弾オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎『ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント』(みすず書房)が刊行されました。

 

「等身大のゾルゲ解明へーー尾崎=ゾルゲ研究会発会主旨」(毎日新聞、2022年2月13日夕刊) 

シリーズ「新資料が語るゾルゲ事件」尾崎=ゾルゲ研究会編(みすず書房)

アンドレイ・フェシュン著、名越健郎・名越陽子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945』(みすず書房)

「蘇るスパイ・ゾルゲ」(『週刊朝日』2022年11月11日号) 

「スパイ事件 公表から80年 ゾルゲにソ連側が不信感 機密文書まとめた資料集邦訳」(毎日新聞夕刊2022年12月14日

「伝説のスパイ ゾルゲの謎に迫る、刑死から78年、書籍続々」(朝日新聞夕刊2023年1月20日)

ka明治大学平和教育登戸研究所資料館 第13回企画展講演会:加藤哲郎「ゾルゲ事件についての最新の研究状況」(2023年5月)

ka岸惠子主演『真珠湾前夜』が可能にした学術的ゾルゲ事件研究」(みすず書房HP、2023年5月18日)

ka<土曜訪問インタビュー>「プーチンの原点は ゾルゲ研究から ウクライ ナ侵攻探る」 加藤哲郎さん(一橋大名誉教授)(中日・東京新聞2023年6月3日)

kaゾルゲ事件研究深化、愛知大文庫開設を計画 寄贈資料すでに1000点(中日新聞7月27日夕刊トップ)

ka<記者がたどる戦争>ゾルゲ事件(北海道新聞2023年8月111213日) 

ka毎日新聞『ゾルゲ伝』書評:岩間陽子「極東と欧州、同時代の歴史が融合」(2023年7月22日)

ka読売新聞『ゾルゲ伝』書評:井上正也「大物スパイ 成功と孤独」(2023年9月1日)

ka東京新聞「ゾルゲ事件の新証言 自白強要や拷問なかった、元特高警察の男性の生々しい記録が見つかる 戦時中のスパイ捜査

」(2023年9月18日)

● 『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。日独関係史がらみで、『岩手日報』2022年2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年に収監されていた唯一の日本人でした。片山千代ウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。晩年の島崎藤村について、私の近代日本文学館での講演も参照しながら、信濃毎日新聞がすぐれた連載を掲載しておりますので、ご参照ください・本サイトの更新も、体調との関連でまだまだ不安定ですが、カレッジ日誌(過去ログ) の方から、論文やyou tube 講演記録をご参照ください。

 

かと本学には、以下のようなセクションがあります。学びを志す方は、 どちらのドアからでも、ご自由にお入り下さい。

加藤哲郎研究室(学長兼事務員の自己紹介当研究室刊行物一覧、エッセイ等)

新総合カリキュラム(2020年1月、大学院レベルの専修コースに再編しました)

情報学研究室(必修カリキュラム、 リンク集処理センターと歴史探偵収集センターが両輪です)

政治学研究室総合カリキュラム、永久保存版論文・エッセイ多数収録)

現代史研究室総合カリキュラム、日本現代史、旧ソ連秘密資料もあります)


情報収集センター (本学の目玉で特別研究室ka731部隊『「飽食した悪魔」の戦後』特集、「現代史の謎解き」「国際歴史探偵」の宝庫、データベース「旧ソ 連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」「在独日本人反帝グループ関係者名簿 」「旧ソ連秘密資料センター」などが入っています!)

イマジンIMAGINE!(3.11FUKUSHIMA後更新)、■Global IMAGINE、■IMAGINE GALLERY、■「戦争の記憶」 (番外ka大正生れの歌(2018年版) 」「100人の地球村 」)

特別研究室731部隊研究・『「飽食した悪魔」の戦後』特集:「2019年の尋ね人」=731部隊結核班長「二木秀雄」、元北海道副知事「長友浪男」について、情報をお寄せください! ( 戦医研論文、「731部隊と旧優生保護法強制不妊手術を結ぶ優生思想(you tube)」


 

学術論文データベ ース図書館 (書評の部屋、エッセイ集カレッジ日誌(過去ログ) 、「98-06ベルリン便り」99-12 メキシコ便り」「パンデミックの政治学2009」、竹久 夢二探訪記」もあります) 


国際交流センター (Global Netizen College only in English
客員教授ボブ・ジェソップ研究室 (イギリスの国家論者Bob Jessopの Homepageと直結、最新論文をダウンロードできます)
† 客員名誉教授故ロブ・スティーヴン研究 室(オーストラリア・ニューサウスウェールズ大学、「日本 =ポスト・フォード主義国際論争」の私の共著者、2001年4月18日永眠。遺稿"Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism"
† For the Eternal Memories of Prof. Mikhail Masaovich Sudo, Dr. Jasim Uddin Ahmed , and Mr. Allan Sadaminovich Sasaki(2011年1月、本カレッジの発展に多大の貢献をした、須藤政尾遺児ミハイル・スドー教授、ヤシム・アハメッド博士、健物貞一遺児アラン・ササキさん追悼ページ)、 

 

 Since Aug.15,1997で、2020年1月に大幅改訂しました。開設以来の、ちょっと嬉しく恥ずかしい話。WWW上の学術サイトを紹介するメール マガジン"Academic Resource Guide"第3号「Guide & Review」で、本HPが学術研究に有用な「定番」サイトに選ばれました。ありがたく また光栄なことで、今後も「定番」の名に恥じないよう、充実・更新に励みます。同 サイトは、学術研究HPの総合ガイドになっていますから、ぜひ一度お試しを! 「Yahoo Japan」では「社会科学/政 治学」で注目クールサイトに登録され、特別室「テル コ・ビリチ探索記」が「今日のオススメ」に、「IMAGINE! イマジン」が「今週のオススメ」に入りました。「LYCOS JAPAN」では「政治 学・政治思想」のベストサイトにされていましたが、いつのまにか検索サイトごと「Infoseek」に買収され、「学び・政治思想 」でオススメ・マークを頂いたようです。『エコノミスト』では、 なぜか「イ ンターネットで政治学」の「プロ」にされましたが、河合塾の「研究者インフォー メーション 政治学」では「もっとも充実した政治学関係HP」、早稲田塾の「Good Professor」では、「グローバ ル・シチズンのための情報政治学を発信」という評価をいただきました。「日経新聞・I Tニュース」では「学術 サイトとしては異常な?人気サイトのひとつ」として、「リクルート進学ネッ ト」にも顔を出し、「インターネットで時空を超える大学教員」なんて紹介されました。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに 入る』で、元勤務先一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学 」のゼミ単位東日本代表に選ばれ「堅実・純粋な感 性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナール として紹介されました。「 ナレッジステーション 」には、「政治学 ・おすすめ本」を寄せています。早稲田大学客員教授の時に、共同通信配信全国地方紙掲載「こんにち話」で「国際歴史探偵 」と認定していただき、法政大学大原社会問題研究所で「『国際歴史探偵』の20年」を話させていただきました。その後、中部大学「アリーナ」誌で、なぜスターリン批判に入ったかの1970年代の話とモスクワ日本人粛清に関わるアメリカ共産党日本人部の話を、その延長上で「等身大のゾルゲ事件研究」について、毎日新聞東京新聞のインタビューに答えています。恥ずかしながら、ありがとうございました。

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学長 加 藤 哲 郎  Dr. Kato Tetsuro     

E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp