おまたせしました。本HP開設以来長く予告しながら、ずっと建設中マークがついていた「日本=ポスト・フォード主義国際論争」の第一弾を収録します。このコーナーは、窓社から刊行されている加藤哲郎=ロブ・スティーヴン編『日本的経営はポスト・フォーディズムか』(日英両版)のうち、著作権上の問題のない私の執筆部分を収録して本HP英語版の目玉にするために企図されたものですが、英語オリジナル・ファイルが前のNEC・PCからとりこめなかったため、そのままになっていたものです。このたびスキャナーが稼働し始め、英語の読みとりソフトもうまく行ったため、いよいよ真打ち登場が可能になりました。さしあたりここには、上記の著書にも入っていない、この論争についての私の講演記録を収録して、全体の序論とします。『労働運動研究』第251号(1990年9月号)に発表されたものです。
この間、雑誌『季刊 窓』誌上で「日本的経営は世界に何をもたらすか」というテーマのもと、国際論争を組織している。なぜこの国際論争を始めたかを述ぺれば、私の問題意識と問題の所在を語ることになる。
私は、1986年から88年にかけてアメリカに滞在したが、その時期に、欧米のマルクス主義系の雑誌を見ている中で、日本に関する論文や議論がかなりふえてきていることに気がついた。この点は、私が88年に帰国してから出した『ジャパメリカの時代に──現代日本の社会と国家』(花伝社)という本に書いたことだが、日本的経営についての議論のあり方が、かつて私が知っていた欧米の人たちの議論とはちがってきている、という印象を受けた。
具体的に言うと、企業内組合とか終身雇用側とか年功賃金といった、いわゆる「三種の神器」といわれるシステムが、かつては日本的な遅れないしは古いもの、要するに産業別労働組合をつくれないが故にそうなっていると位置づけられていたものが、いつのまにか、逆に欧米のシステムよりも進んだものだという評価が、あちこちで見られるようになってきたことに、気がついた。
そのなかでもとりわけ私が興昧をもったのは、アメリカの『政治と社会』という進歩的雑誌の中で、1985年にドース、ユルゲンス、マルシュという3人のドイツ人研究者がトヨタを論じた論文であった。トヨタのシステムとフォードのシステムを比較して、トヨタ主義とフォード主義は一体どうちがうのかという議論をして、最終的には、トヨタ主義は搾取が強化されたフォード主義だという、結論については私の考えに近い、かつてはオーソドクスであった見解を述ぺていた。
それに対して、1988年に、マーティン・ケニーとリチャード・フロリダという2人のアメリカ人研究者が、同じ『政治と社会』誌上で、この西ドイツの研究者たちのトヨタ主義の評価を否定して、フジツー主義という概念を出してきた、トヨタ主義に対してフジツー主義という概念を持出すのは、フォード主義段階の基軸産業は自動車だったが、フォード主義の段階を超えたポスト・フォード主義の段階、つまり情報資本主義の段階の基軸産業はむしろ富士通のようなコンピュータ企業になるから、フジツー主義と名付けたとのことである。このフジツー主義という概念を用いて、日本の生産システム全体をフォード主義の時代を超えた新しい一つの時代を画するものだ、という議論を出してきた。そして必ずしも明示的には述べていないが、フジツー主義の中にいる日本の労働者は、小集団活動で経営に参加しているとか、また後のケニー=フロリダの私達への手紙の中ではよりはっきりと、日本の労働者はアメリカの労働者よりもはるかに幸せだ、という議論を展開し始めた。
『政治と社会』誌上での討論以外にも、同様の議論がなされている。たとえば私が『季刊窓』2号に書いた「ポスト・フォード主義か、ウルトラ・フォード主義か──論争の理解のために」の中で紹介しておいたが、イギリス共産党機関誌『マルキシズム・トウデイ』の1988年10月号の特集の中では、モダン・タイムズ(近代)とニュー・タイムズ(新時代)の対比ということで、フォード主義の時代が終っていまやポスト・フォード主義の時代がきている、それはモダン・タイムズに対するボスト・モダン・タイムズである、という。そのフォード主義からポスト・フォード主義へ、モダンからポスト・モダンヘの転換を象徴する生産システムの標語が「フォード主義からトヨタ主義へ」とされており、トヨタ主義が新しい時代の基本的特徴にまつりあげられている。
『マルキシズム・トウデイ』誌上には、モダンからポスト・モダンヘの転換の象徴として「ダウ・ジョーンズから日経インデクスヘ」、つまりダウ・ジョーンズを見るよりも日本経済新聞を見る方が世界経済はよくわかるという話とか、あるいはフォード主義の時代にはイギリスのいわゆる「やつらとわれわれ」と呼ばれる炭鉱労働者に典型的な階級意識に基づいた集団的な運動が適合的であったけれども、情報やコンピュータが入ってくる新しい時代の労働運動は、むしろ消費や選択の自由という問題を自らの運動の中にとりこんで、彼らの言葉で言えば「フレクシブルな個人主義」、いままでのハードな個人主義に基づく連帯から、フレクシブルな個人主義に墓づく連帯への自己変革が必要だ、とされている。そして「フレクシブルな個人主義」がどこにあるのかといえば、それは現代日本にあると示唆されている。
こういうものを見ながら、アメリカからの帰国後の1989年夏に、ニュージーランドのアジア学会に招かれて報告することになったさい、ニュージーランド・カンタベリー大学のロブ・スティーヴン(かつて『今日の日本における諸階級』という日本の階級構成について英語で書かれた最も体系的な著書を書いた研究者)と一緒に、ケニー=フロリダ論文を批判する論文を書き、ニュージーランドやオーストラリアで報告するとともに、イギリスやアメリカの友人達にも送った。
これに対して、かつて一橋大学産業経営研究所に留学していた友人でもあるマーティン=ケニー氏から、「お前ら、とんでもないものを書いたな」という反論の手紙がきた。そこで、どうせやるなら公然と論争しようじゃないかということで、ケニー=フロリダ論文と加藤・スティーヴン論文を軸にしながら、欧米・アジアの日本研究者や日本の労働運動に詳しい研究者にコメソトを求めるという形での論争を、『季刊 窓』誌上でいままでに3回行い、あと1回掲載することになっている。
この国際論争の背景には、いろいろな要因がある。いま紹介した左翼の議論の他にも、いくつかのポイソトがある。一つは、日本が経済大国化したことである。とりわけ1985年のプラザ合意以降、世界資本主義のなかで最大の債権国になり、海外援助も世界一、貿易黒字も世界一という日本の経済大国化に伴って、日本資本主義をどのように理解するのかということが、欧米の研究者たちにとっても避けて通れない課題になってきた。この場合の研究者たちは、もちろん左翼の人達もふくむが、リベラリズムや実証主義の立場の人たちが主流で、世界的に日本資本主義の経済成長の秘密に対する関心が高まったということが、一般的にある。
その中で、なぜ日本がこのように大きくなったのかを理解する際に、また日本的経営のいわゆる三種の神器を理解する際に、いわば近代以前あるいはフォード主義以前の古いタイプのものであるという見解(かつてはむしろ支配的であった見解)がある。そういう古いものがあり強搾取で大きくなったのか、それとも、近代的なもの、モダンなものを最大限に吸収して大きくなったのか、あるいはひょっとしたら、アメリカやヨーロヅバにあるモダンなもの以上のものをすでに孕んでいて、いわぱポスト・モダンなものであったが故に大きくなったのかという見方の分岐が、欧米の研究者たちの間に生まれてきた。いわぱ、日本はプリ・モダンであるのか、モダンであるのか、ポスト・モダンであるのかという、欧米のモダニズムを基準にしながら、それとは違うが故にどのように位置付けたらいいのかという議論がなされている。最近では、たとえばあるオーストラリアの社会学者は、ブリ・モダンとモダンとポスト・モダンの三重構造になっているから日本はこのように発展しているのだという議論をしているが、どこに重点を置いて見ていくのかによって、随分見方も違ってくる。
それからもう一つは、それは日本に特殊なものであるのか、あるいは欧米にも適用可能な普遍的なものであるのか、という論点がある。これは当然に、モダンであるのかブリないしポスト・モダンであるのかということと関わってくる。
たとえば最近アメリカで台頭しているファローズの日本封じ込め論とか、ウォルフレンの『日本の権力の謎』に書かれている「日本異質論」がある。これは、日米構造協議のなかでアメリカ側のバイブルになっているもので、要するに日本社会というのは、欧米的な意昧での民主主義とか自由市場を持っていない、従って日本を変えるには、話合いによるのではなくて外圧を徹底的に浴ぴせるしかないという議論である。
この日本異質論のいうように、日本的経営にはらまれているものは特殊に日本的なもので絶対に学びえないものならぱ、これは叩いてしまうしかないが、その中に何らかの普遍的なもの、ないしは欧米の生産規場にも適用可能なものがあるならば、それは学んでいこうという姿勢になってくる。そこでのスタンスのとり方が、欧米の研究者たちの中でも分れている。
それから、ヨーロッパの左翼の場合に切実なのは、オイル・ショック以前の時期、つまりフォード主義の時代に適合的であった従来の労働運動の在り方というものが、いわゆるサッチャリズムの台頭とともに、だんだん労働の側が周辺に追いやられてくる、中間層もむしろ新保守の側にむかっていくという中で、これまでの労働運動の在り方でよかったんだろうかという反省がうまれ、その中から、たとえば企業内労働組合というシステムが、むしろ従来の産業別労働組合よりもフレクシブルなものなのではないかいう議論がでてきた。その関連で、フレクシピリティが日本にあるのではないか、と関心を持ちはじめた。
最後に、ごく最近あらわれてきた流れとして、89年に年東欧革命とのかかわりでの論点がある。ソ連や中国あるいは東欧諸国でとられていた国有化中心の集権的計画経済が失敗した。個々の企業の生産目標まで国家が指標を提供して、一党独裁により命令型計画経済を行っていくというシステムが全体として崩壊していくという過程で、典型的には中国の社会資本主義論と呼ばれる改革派の議論だが、現代資本主義の方が社会主義に近づいているという議論がうまれている。
中国のある学者に言わせると、中国にあるのは社会主義という名の封建倒で、日本やスウェーデンにあるのは、社会資本主義といって、資本主義の中でも社会主義的要素を取入れたもので、それは社会主義の入口、一歩手前まできているもの、ということになる。その社会主義的要素とは何かというと、国有化中心のハードな社会主義ではなくて、行政指導中心の市場を残したソフトな討画経済であり、また所得の分配においても、福祉国家という形で相対的に平等な社会を作っているし、あるいは日本やスウェーデンの労働者は、労働過程にも提案制度や労働者持株制度などを用いて自分達の意見を反映させることによって、ソ連や中国の労働者に比べればはるかに権力に近づいている、経営に参加している、という考え方が出てきた。
これは、最近になって非常に強まっており、東欧諸国の研究者たちが日本にきてすぐ学びたがるのも、こういう問題・ノウハウである。いわば先進資本主義国からも現存社会主義国からも、日本の経営の在り方が注目される事態が強まっているということが、私がこういう論争を行わねばならなくなった一つの背景である。
こういう問題は、主として英語で議論が展開されているのだが、欧米の研究者たちは、必ずしも日本研究の専門家でない人も日本に関心を持っており、英語の文献で問題を考えている。その観点から見ると、実は、左翼ないし日本的経営に批判的な側から英語で書かれた日本的経営についての文献というのは、きわめて少ない。たとえぱ鎌田慧の『自動車絶望工場』の英語版がロナルド・ドーアの訳で紹介されたり、オーストラリアの社会学者たち、マコーマックやロス・マウアー、杉本良夫のグルーブなどが一連の仕事を発表しているが、一般的にいうと、青木昌彦とか小池和男の英文文献が非常に便われていて、それにアメリカの日本研究者たちが英語で書いたもの、門田安弘のトヨタ・カンバン・システムについての英訳本などが使われている。批判的な観点から日本的経営について英語で書かれたものは、きわめて少ない。
そういう中で、欧米の左翼の人達が、日本的経営について学ぼうとしても、壁にぶつかる。どうしてもいいことずくめで書いてあるものを読んでしまい、そのようなものだと日本の現実を了解してしまう。フレクシブルな個人主義が日本にあるとか、企業内組合の方が産業別組合より進歩的なんだとかいう考え方がストレートに入っていく、という状況がある。私は日本的経営の専門家ではないのだけれど、せめて彼らの事実認識の面だけでも正す必要があるのではないかと考えて始めたのが、この『季刊 窓』での国際論争である。
次に、論争の内容について説明したい。ケニー=フロリダの主張は、おおむね次のようになっている(『季刊窓』3号、参照)。
彼らは、日本資本主義が世界の人々にとって避けて通ることのできない対象になってきたにもかかわらず、日本資本主義のダイナミズムを解明する理諭的概念的モデルはまだないので、それを作りあげたいという真面目な問題意識から出発している。ケニー=フロリダは、その後の私達に対する手紙の中で、「19世紀にマルクスがイギリス資本主義を分析したような意昧で、現在においては日本資本主義が世界資本主義の典型をなしているのであり、この日本資本主義の秘密を解明することが、現代資本主義を解明することにつながる」という問題意識を述べてきている。
こうした観点から、彼らは日本資本主義のシステムを分析しようとする。その際、フランスから発したいわゆるレギュラシオン理論というマルクス的な経済学の方法を用いて、フォード主義からポスト・フォード主義へというモデルで、日本資本主義のダイナミズムを解明しようとする。
レギェラシオン理論によれば、1920年代アメリカに生れ、戦後全面開花したフォード主義という蓄積体制が危機に陥り、今日新しい蓄積体制が生まれようとしている。レギュラシオニストのいう蓄積体制とは、資本・賃労働関係から発して、金融・通貨システム、国家体制、生産ノルムから消費ノルムまで、そしてある種の人間類型に至るまで、一つの資本主義の段階を画するシステムで、それに照応したレギュラシオン・レジームをもつ。しかしフォード主義という戦後高成長を支えたレギュラシオン・レジームが、1967年ないし73年のオイル・ショックのあたりまでに、その生命力を便い尽くして危機に陥り、新しいシステムに移行しようとしている。それがポスト・フォード主義である。このポスト・フォード主義の典型が日本にあるのではないか、というのがケニー=フロリダの問題意識である。
フォード主義からポスト・フォード主義への指標について、レギュラシオニストたちの理論では、単に労働過程だけではなくて、国家体制から消費のあり方にまで及ぶわけだが、ケニー=フロリダの場合、社会的生産の組織の在り方に注目する。
フォード主義の仕事は、アセンブリー・ラインの中での断片的な仕事であり、労働者は機能的に特化されて単能工としてラインにつく。ラインの性格は、機械化と流れ作菜であり、さらに世界大のジャスト・イン・ヶース(大倉庫での原料や製品の貯蔵)というシステムであった。
それに対して、日本のシステムは、大きく異なる。つまり、職場では小集団活動が行われて、労働者たちと経営者のあいだに、ある種の合意が形成されている。また、ジョブ・ローテイションによって多能工が作り出されている。そのうえ、ラーニング・バイ。ドゥーイングといわれる企業内教育や新入社貝敦育等々によって、一人の労働者が様々な仕事ができるように労働力を配置し、訓練を行っている。これは、ある特定の資格をもって職場に入り、その資格に基づいた仕事だけをやらされるという欧米のシステムとは、非常に異なる。
それから、日本の労働者たちは経営者とともに情報を共有して、非常にフレクシブルな生産のシステムを作りだしている。このインフォメイションのシェアというのがひとつのキータームで、青木昌彦らの議論が取入れられている。労働者と経営者の間だけではなく、親企業と系列・下請の子会社との間でも情報が共有され、そのスムースな惜報の流れによって、生産のシステムが柔軟に構成されている。それがすなわちジャスト・イン・タイムのカンバン・システム、つまり、流通・回転の期間を最小限にとどめて、在庫をミニマムにし、資本の回転をスムースにするもとになっている、と議論を展開している。
このような日本の社会的生産組織はどのようにして作られたのかについて、ケニー=フロリダは、歴史的な分析を行っている。この歴史的な分析においては、敗戦直後の日本の労働運動が企葉内組合や終身雇用制を求めたんだという議論から出発している。つまり占領下の目本の労働運動の産物、資本との階級的な妥協として獲得された成果として位置付ける。年功・基本給・業績の複合賃金についても同様である。これがケニー=フロリダ論文のひとつの特徴である。
この点では、私達加藤=スティーヴンの議論と対立することになる。彼らは1945年から48・48年の時期の目本の労働者階級の闘争を非常に高く評価し、その時期の闘争の成果は今日まで生きている、そこに断絶よりも継続を見るという形で、今日のシステムをとらえている。そして、そこから生れたポスト・フォード主義ないしフジツー主議は、技術革新に対する適応力をもち、下請け・系列企業が大企業に従属するのではなく自主酌・自律的に親会社と結び付いて「構造的フレクシビリティ」を獲得する、という議論を行って、これは欧米の戦後高度成長を支えてきたフォード主義のシステムを超えるものではないか、と問題提起をするわけである。
ケニー=フロリダは、その際、従来の諸説を批判する形で、自説を展開する。まず、西ドイツのドースらの見解を批判する。ドースらは、「トヨタ主義は搾取が強められたフォード主義である」として「強搾取」「工場専制」テーゼを提起するのだが、これに対してケニー=フロリダは、工場がパラダイスでないことは日本もアメリカも同じだが、日本の労働者は実質賃金の上昇等々によって、アメリカの労働者よりもめぐまれているのではないか、と論じている。
それから第二に批判されるのが、『通産省と日本の奇跡』(TBSブリタニカ)という本で日本に紹介されているチャーマーズ・ジヨンソンらの国家主導説である。ジヨンソンの見解は、日本の奇跡は国家が指導してもたらされたという、アメリカ商務省などが1970年頃までもっていた『日本株式会社論』に近い考え方である。これに対して、ケニーらは、それは国家の過大評価であって、統計でみれぱ日本のGNPにしめるパブリック・セクターの割合は小さく、日本は実は小さな政府だったのであり、日本の成功は市場の成功として見られるぺきである、と論じる。市場の中でも国家によっておしつけられたシステムではなくて、国家からは自主的に生産企業の中から作られてきた労働の組織、生産の組織こそが、日本の成功の秘密を解く鍵であるという考え方で、国家中心主義的な考え方をしりぞける。むしろとり入れるのは、青木昌彦や小池和男の日本的産業組織の理諭、ヒュー・パトリックなどの日本の中小企業の活力こそが日本資本主義の発展を支えたのだ、という議論の流れである。
それからもう一つとり入れる議論は、レギュラシオン理論の中の、生産現場における生産ノルムと労働組織の在り方から始まり消費ノルムに至るレギュラシオン様式が、一つの蓄積体制を作りあげる、という考え方である、ただしその際に、彼らは国家の役割を軽硯していて、労働の組織の在り方にもっばら論点を集中していく。
結局、ケニー=フロリダは、フジツー主義、つまりフォード主義を乗りこえた新時代の生産システムを評価した上で、これをさらに補足するかたちで、フジツー主義というのは技術革新と生産を結合したシステムであり、労働者が自主的に経営に参加するシステムであり、ネットワーク型の生産を可能にするシステムであり、「考える労働者」を可能にするシステムであるとする。しかも終身雇用制により長期的内需を創出するシステムであり、さらに少量多品種生産・差異化生産を可能にするシステムであり、海外に出しても十分適応可能な普遍的システム、欧米の生産企業も学ぷべきシステムである、という議論を展開する。
これに対して、私とスティーヴンの論文(『季刊 窓』4号に翻訳が掲載されている)は、「なぜ日本的経営が労働者にとって進歩的なオルタナティヴといえるのか」「なぜ日本的システムが慈悲深くみえるのか」とケニー=フロリダを批判し、いくつかの論点をとりだして、いわば論争的にポスト・フォード主義という形で日本資本主義を新しい時代の典型としてとりあげる議論を批判したものである。
一つは、日本的システムが戦後危機のもとでの日本の階級闘争によって獲得されたものであるという考え方に対する、歴史的な批判である。むしろ戦後労働運動の敗北ののちに、1950年代以降、日本生産性本部や日経連の支持をも受けながらアメリカから導入されてきたものが、日本的経営のシステムの原型であって、占領期の労働運動と1950年代以降の日本的経営のシステムとを短絡的に結びつけるのはまちがいではないか、と批判した。
もう一点は、ケニー=フロリダはフォード主義の特徴と一般的に言われているものから外れるものを、すぺてポスト・フォード主義と呼んでいる、欧米になくて日本にあるものは新しいシステムであり、ポスト・フォード主義だと呼んでいるが、非西欧的なものが必ずしも西欧的なものより進歩的だとはかぎらない、非西欧的なものないしフォード主義でないものをすぺてポスト・フォード主義と呼ぷのは、方法論的に誤りではないか、と指摘した。
さらに、ケニー=フロリダは、日本語をほとんど読めないので、彼らが依拠する資料は英語文献である。日本の左翼や進歩的な人々が英語で論文を書く習慣がないということもあって、彼らの典拠が日本的経営を礼賛している英語文献に著しく傾いているために批判的な視点を導き出せないという欠陥があるのではないか、という批判を行った。
その上で、フォード主義とポスト・フォード主義の指標を、下表のごとく7点でまとめあげ、それぞれの論点に対する批判を行う、という形をとった。
フォード主義 |
ポスト・フォード主義 |
生産・部品・職務の規格化 |
断片的市場向け多品種少量生産 |
非熟練単能工による大量生産システム |
新技術柔軟生産のための多能工 |
テイラー主義的階層的経営 |
多能工の労働過程統制で経営は非階層化 |
厳格に区分された職務給 |
職務区分消失で属人的賃金、柔軟労働力 |
ケインズ主義国家市場の大量消費 |
多需要に応じたジャスト・イン・タイム |
単調で不安定な労働者の職場からの抵抗 |
雇用安定で抵抗・ストライキ終焉 |
労働者の抵抗と生産性鈍化による危機 |
生産性向上と危機の終焉 |
これらは、私とスティーヴンが、レギュラシオン理論ないしフォード主義とポスト・フォード主義を論じた様々な文献から抽出した諸特徴で、ケニー=フロリダがそれらの特徴を典型的に論じている。これらのすぺてを、ここで詳しく紹介するわけにはいかないが、私とスティーヴンは、これらを一つ一つ反論していった。
まず「規格化から多様化かへ」という論点に対しては、輸出型大量生産が石油危機克服にあたって日本資本主義の基盤にあったもので、その後、中流資産家たちの中でのブランド志向とか輸入商品に対する購買力の高まりなどはあるけれども、生産システムの問題として大量生産大量消費から少量多品種生産へという移行がすでに完了したと言えるのかは疑問である。つまり、少量多品種生産といわれるものも、大量生産システムのいわぱ改良によって作られたもので、大量生産システムの時代が終ったという段階的規定を行うのはおかしい。
次に、フォード主義が単能非熟練の労働であったのに対して、日本型の労働は多能工化したマルチ熟練であるという考え方に対しても、それは日本と欧米の労働市場の在り方の違い、つまり資格を習得してから企業に入り転職が自由という在り方と、終身雇用型で企業内で訓練を行う在り方という違いは見ることができるにしても、それは熟練か非熟練かという技能の違いに結びついているのだろうか、という形で間題を提起した。
とくにケニー=フロリダが多能工化の根拠として、日本の教育を高く評価するのに対して、むしろ日本の教育が作りだしてきたものは、あらゆる企業の要請に応ずるような自己犠性の精神であって、欧米の教育が養成しているような社会に出てから必要になる技能なり技術なりの修得ではない、とした。
それから、テーラー型の階層が崩れて、労働者統制に近い経営が行われているという見方に対して、次のように批判した。ジョブ・ローテイション等々によって、労働者がいろいろな職場を回れるというのは、ある意昧では労働者の抵抗力の喪失である。熟練は、個々の労働者にとっては、その技能を便わなければ生産が進まないということで、労働組合運動が経営に対して抵抗するさいの基盤になっていたが、すぺての労働力がどこにでも配置できるようになると、労働者は抵抗できなくなる。
労働者が多能工化し提案制度などで参加することによって経営に口を出すというシステムは、必ずしも経営への抵抗にはなりえない。おまけに終身雇用制がそれを支えているというが、それが保障されているのは、大企業の男性正社員本工のみで、多く見積もっても日本の労働人口の3分の1、大体2割位というのが適当である。それはごく一部なのであって、日本の労働者の圧倒的都分は、三種の神器のメリットとよばれているものを受けてはいない。
さらに、日本の初任給は低くできている。欧米の同一労働同一賃金とちがって、日本の賃金が年功型になっているのは、実は若年層の賃金がむしろ天引きされていると考えた方がよい。要するに、ある程度の年齢に達しなけれぱ、家族を含む労働力を再生産できるような賃金は支払われていない、と考えるぺきではないか。
多能工化ないし経営参加というが、実際には何ら経営への抵抗力をもたなかった。オイル・ショック後の「滅量経営」期に大量解雇・配転が行われ、またこの時期から単身赴任が激増したことを考えれば、ケニー=ーフロリダがほめたたえる多能工化や労働者参加は、何ら資本に対する抵抗には結びついていない。
QCサークルは連帯のシステムではなくて、生産性向上を行うための「組織された競争」というぺきものではないのか。賃金が職務にではなく、属人的に支払われているというのも、誰のためのフレクシビリティかという観点から見なければいけない。ボーナス側度は、企業に忠実な労働者に多くを支払い、そうではない労働者の賃金を天引きするという形の労働者の分断支配の仕組みになっている。
さらに日本の賃金システムは、企業規模別にみても、男女別にみても、著しい格差をかかえている。そういう問題をぬきにして、日本のシステムが進歩的であるとか、世界の労働者が迎えなければならない新しいシステムであると考えることは適当でない。日本的経営のシステムは、経営側の分割支配のシステムとして考えなければならない。
それから、ジャスト・イン・タイムのシステムについても、下請・系列企業の親企業に対する従属のシステムであって、事実、オイル・ショックの時期、またその後であっても、子会社は低賃金・便い捨て労働力のプールにされているし、労働組合さえ親会社・子会社関係の中で支配・従属関係をもつという形で支配されている。コストを最小限にするというジャスト・イン・タイムのシステムは、実は労働者や子会社にとってのフレクシピリティではなくて、親会社や経営者にとってのフレクシピリティである。
従って、日本型のシステムが世界に導入されることによって危機がなくなるという考え方も間違っている。日本の中でも日本的経営のメリットを受けている労働者は、ごく一部にすぎないし、最近でいえば、地価高騰によつて所得の大小よりも資産の大小によって大きな分極化が起っている。さらに、企業の海外進出によって、長期的に見れぱ国内工業の空洞化の恐れもある。日本資本主義が危機を知らない資本主義であるかのように考えることは誤りである。
さらに、ケニー=フロリダは、欧米に輸出された日本的経営があたかもうまくいっているように書いているけれども、われわれは、イギリス・ニッサンやニュージーランドのニッサン、アメリカのニッサン・テネシーの例をあげて、日本的経営は必ずしも好意的に迎えられているわけではないと指摘した。
結論的にいうと、欧米の企業が、これからジャバナイゼーション、っまり日本的経営を取入れていくということは、欧米のこれまでの労働運動を弱体化させていくという意味で、世界の労働者階汲にとっての反動的な発展につながるものである。つまり、日本的経営を取入れるということは、世界の労働運動の敗北につながるものではないか、という警告を発した。
さらに、日本的経営が世界に広がっていくということは、ちょうどフォード主義システムが現在第三世界に広がっているのと同じように、欧米に日本型システムが入って先進国の労働者階級の労働条件が全般的に悪化するということを意昧するのであるから、国際的に日本型システムの広がりを食い止めていく必要がある。しいて言うならぱ、日本的システムというのは、いまアジアやラテン・アメリカに輸出されている周辺的なフォード主義、欧米フォード主義の団体交渉による高賃金にもとづいて大量生産大量消費を保障していくようなシステムとはちがって、もっばら低賃金ないしは劣悪な労働条件に依拠してフォード主義的な製品を輸出していくシステムの、いわぱ歴史的な原型であり、「プレ・フォード主義」ないしは「ウルトラ・フォード主義」と呼ぶぺきではないか、とわれわれは結論づけたのである。
このような議論に対して、世界各地から様々な反応があった(最後に掲載した論争関運文献一覧参照)。すでにその一部は『窓』誌上に紹介されている。私とスティーヴンとケニー=フロリダが手紙で論争しているだけではなくて、アメリカ、イギリス、アルゼンチン、フランス、韓国等々から多数のコメントがよせられた。『窓』5号で平田清明さんをはじめ数名の日本の研究者に総括的なコメントをやっていただき、ひとまずこの論争を終りにしたいと考えている。
ロナルド・ドーアさんからは、大変興昧深く読んだけれども、あまりにも価値判断が先行しているようにおもわれますのでコメソトは控えますという丁寧な返事とともに、最近書いた論文のコピーが送られてきた。オーストラリァやイギリスの研究者からも、自分は日本のスペシャリストではないのでコメントは差控えるが、加藤・スティーヴンを支持するとか、ヶ二−=フロリダに賛成するとかいう意見が寄せられている。
このような国際論争を組織してみての感想だが、一つは、論争の初期に私達もやや政治酌になって、日本的経営を評価するのは馬鹿らしいことであるとか驚くぺきことであるとかいう調子で批判したりしたのに対して、自分達は真面目に日本資本主義を分析したいために論文を書いたのに、お前たちは政治的に評価するのか、それは日本の左翼の悪しき伝統である、とケニー=フロリダから批判された。この点では、たしかに私達も舌足らずであったと反省している。しかし、理論的な内容については、私たちは納得したわけではない。
その他に論争の感想を述ぺれば、私たちもケニー=フロリダも、実は方法論的には、いわゆるレギュラシオン理論のトータルな枠組みから言うと、周辺的な部分で議論していたところがある。ケニー=フロリダで言えば、もっぱら労働組繊の技術的な編成の仕方に論点が集中しており、それが全社会的な規模でどのような蓄積体制に総括されるのかという点が弱かった。それから私とスティーヴンの場合には、共同論文のむずかしさで、たとえぱ「プレ・フォード主義」というのはもともとスティーヴンの規定で、私の方は「ウルトラ・フォード主義」であった。これをいわば折衷的に結ぴつけたということもあって、方法的な一貫性がなく、事実的な証拠をあげてケニー=フロリダの理論的な問題提起に反論するという形になって、議論がすれちがっていた面がある。そういう点では、方法論的にはどちらも舌足らずだったといえる。
その上で、具体的な論点にかかわると、一つは、日本的経営システムの歴史的起源をどこに見るかという問題がある、日本的経営が戦後改革期の労働者の獲得物であるのか、それとも運動の敗北の上に築かれた資本の攻勢による産物であるのか、この点をはっきりさせることが、特に、ケニー=フロリダが依拠しているアメリカのアンドリュー・ゴードンの非常に実証的な日本労働史の大著があらわれているので、切実な課題になっている。
それから、そもそもフォード主義かポスト・フォード主義かという議論を、欧米か日本かという形でやっていたのは、ある意昧ではおかしいことであった、日本には一体フォード主義時代があったのかどうかを歴史酌に議論しなげれぱならなかったわけで、それは、私たちもケニー=フロリダも十分にはとらえていなかった論点である。つまり、「日本のフォード主義時代の特殊性」の解明である。
戦後資本主義の高度成長期がフォード主義と一般的にくくりうるとすれば、日本資本主義の特殊性があって、その上に日本的なフォード主義がでてくるはずだが、歴史的順序と空間的な配置の関係について、私達もケニー=フロリダも、必ずしも理論的な展開を行ってこなかった。この点については、最近フランス・レギュラシオン学派のポワイエが、東京のある国際会議での報告ぺーパーで「フォード主義の様々な類型」という問題設定を行い、モデル化している。『窓』3号の中で紹介しておいたが、「アメリカと日本の労働者のどちらがましか」という比較を行うことよりも、戦後高度成長期の日本の資本主義、アメリカの資本主義、欧米の資本主義、その中での経営のシステム、それからオイル・シヨック以降の新しい在り方、ないしはそこにあらわれてきている新時代の萌芽、という形で問題を設定していった方が正しかったのではないだろうか。
そういう風に考えると、ポスト・フォード主義とは何かについて、レギュラシオン理諭の発展が求められている、フォード主義という概念は、もともとグラムシの「アメリカニズムとフォード主義」という論文からきているのだが、その延長線上で、ポスト・フォード主義とは何かについて、私たちやケニー=フロリタが整理したのとは異なった形で、全社会的規棋での指標を明確化していく必要があるのではないか。
最後に、ケニー=フロリダが言うように、理代資本主義の最先端に日本資本主義があるというのは正しいのか、それが正しいとしてもいかなる意味での最先端であるのかが、重要である。しぱしばスウェーデン・モデルも世界資本主義の最先端といわれる。こちらの方こそ労働者参加という意味では最先端であるかもしれない。日本資本主義が現代資本主義の最先端といわれるのは、明らかに効率と生産性向上、それから、しいていえばフレクシピリティという観点からの議論であって、「いかなる意味で日本資本主義が現代資本主義の最先端であるのか」を明確にする必要があると思われる。
1 ケニー=フロリダ「大量生産を超えて」(『季刊窓』誌3号所収)
2 加藤=スティーヴン「日本資本主義はポスト・フォード主義か?」(4号所収)
3 解説 加藤「ポスト・フオード主義か、ウルトラ・フォード主義か?」(2号所収)
4 第1の手紙 加藤(日本)「『日本的経営』神話からの脱却を」(同)
5 第2の手紙 スティーヴン(ニュージーランド)「語られなければならないことは何か」(同)
6 第3の手紙 ケニー=フロリダ(アメリカ)「日本的システムこそポスト・フォード主義の最先端である」(同)
7 第4の手紙 加藤=スティーヴン「『日本的経営』は進歩的でも不可避でもない」(3号所収)
8 第5の手紙 ケニー=フロリダ「『大量生産を超えて』をめぐる論争への回答」(5号所収)
9 コメント A・ゴードン(アメリカ)「歴史に裏うちされた弁証法的分析」(3号所収)
10 コメント J・クランプ(イギリス)「右翼対左翼? あるいは資本主義対社会主義」(同)
11 コメント L・マルティーノ(アルゼンチン)「先導的であることの意昧」(同)
12 コメント 伊藤誠(日本)「日本型フォーディズムの一般性と特殊性」(同)
13 コメント R・スン・ジュン(韓国)「驚きの声をあげすぎないこと」(同)
14 コメント 高橋祐吉(日本)「進む果てしなく論争」(同)
15 コメント A・リピエッツ=D・ルボルニュ(フランス)「ポスト・フオード主義に関する謬見と未解決の論争」(4号所収)
16 コメント B・エクレストン(イギリス)「階級的和解か、それとも強側された選択か?」(同)
17 コメント K・&J・ウィリアムズ(イギリス)「日本的経営論争へのノート」(5号所収)
18 コメント S・ウッド(イギリス)「コメント」(同)
19 コメント B・コリア(フランス)「プレ・フォード主義でもポスト・フォード主義でもなく──労働過程管理の創造的で新しい方法」(同)
20 コメント B・テイラー(イギリス)「ケニー=フロリダ対加藤=スティーヴンの論争」(同)
21 総括コメント 平田清明(日本)(同)
<参考文献> 山田鋭夫「レギュラシオン理論の紹介と検討」(『情況』1号、1990・7)海老塚明「日本型『資本主義』とレギュラシオン」(『情況』2号、1990・8)
<参考資料> 『経済白書』にみる日本的経営論の特徴と間題点
1990年度の『経済白書』が発表され、その中心テーマとして日本的経営がとりあげられていることが話題になっている。『経済白書』の第2章は「技術開発と日本経済の対応力」と題され、そこでブラザ合意以降の急激な円高にもかかわらず高い成長率を持続した日本経済の「強さ」の秘密はどこにあるかと問い、それは日本企業が環境の激変に柔軟に対応する力を持っていたからであり、その背景にはそれを可能にする技術的対応力があり、さらにそうした技術的対応力を生み出す「企業内におけるシステム」(日本的経営を白書はこのように呼ぷ)があったからだと論ずる。
「企業内システム」としては、日本企業の情報システムがすぐれていることが強調され、アメリカ企業がPOS、VAN、LANなどの機械系情報ネットワークを中心にしているのに対し、日本企業ではインフォーマルな「横」の情報の流れが重視されていることなど、人間系情報ネットワークが柔軟に多角的に活用されている点に特徴があり、これによって技術開発において営業や製造の現場からの情報が生かされる割合が高くなり、その結果、より適確に市場ニーズが反映させた製品開発が可能になり、さらに開発期間も欧米企業に比べ、3割程度短くなっていると分析する。
さらに日本企業の対応力に富む技術開発力を支えているのが、日本的雇用慣行(いわゆる日本的経営の三種の神器)であるとし、この雇用慣行が新技術導入に対するフレキシビリティを生みだし、また長期的視野に立った教育訓練や研究開発投資を可能にすると、日本の企業システムの優秀性を最大限に賛美する。そして『白書』は、これら日本企業のすぐれた組繊及び行動様式は、世界的にも日本以外の優秀な企業もとり入れており、日本的特珠性ではなく普遍性を持っていると胸をはるのである。
以上が今年度『経済白書』が展開する日本的経営論のポイソトである。このような『白書』の展開は、日米構造協議を強く意識したもので、日米構造協議でアメリカ側のパックにある「日本異質論」に全面的に反論し、日本の企業システムが世界的な普遍性をもつことを、今井賢一、小池和男など日本経営学の最新の「成果」を全面的にとり入れて論証しようとしたものである。
『白書』が展開したこのような日本的経営全面育定・賛美論は、『白書』への多くのコメントが指摘しているように、あまりにもいいことずくめであり、日本的経営の弱点や問題性への言及が完全に欠落していることを強く感しさせる。
本誌特集の中で加藤哲郎氏をはじめ多くの方が指摘しているように、日本的雇用慣行のメリットを享受しているのは、日本の労働者の中の少数部分にしかすぎず、日本的経営の影の部分に存在する多くの中小・下請企業の劣悪な労働が、日本の大企業システムを支えている点を隠して、日本システムの普遍性を強調しても説得力はもたない。
また日本企業の技術開発期問が欧米企菜より3割短いと言っても、日本企業で技術開発に携わる技術者たちは、欧米の同種技術者よりも3割以上長い時間働いている現実を見れば、「誰にとって」すぐれたシステムなのかを考えざるをえない。
「労働と生活の人間化」という視点が完全に欠落した『白書』の日本的経営論は、「日本異質論」への反論として成功しているとは決して言えないであろう。(田辺和彦)