本カレッジ客員教授ロブ・スティーヴン博士(オーストラリア・ニューサウスウエールズ大学・前政治学部長)は、去る2001年4月18日、シドニーにて永眠されました。改めて、深く哀悼の意を表します
★ 本カレッジ客員教授、オーストラリア・ニューサウスウエールズ大学・前政治学部長ロブ・スティーヴン博士は、本年初めにガンがみつかり、闘病してきましたが、万策尽くしても私たちの願いはかなわず、去る4月18日、永眠いたしました。享年56歳。謹んで深い哀悼の意を表します。ちょうど台湾・東海大学でのレギュラシオン理論国際会議で、闘病中に送られてきたロブの最期の遺言"Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism"を、私の論文'Japanese Regulation and Governance in Restructuring: Ten Years after the 'Post-fordist Japan' Debate'中に用いて、ロベール・ボワイエ、ボブ・ジェソップらの前で、発表してきたばかりでした。22日に、二人の共通の教え子であるRowena Wardさんから送られてきた訃報を以下に掲げ、本HPは、一週間の喪に服します。弔辞は、Global Netizen College「国際交流センター」に。合掌!
★ 私にとっては、彼の処女作『現代日本の諸階級』(ケンブリッジ大学出版会、1983年、英文)への批判的書評(拙著『ジャパメリカの時代に』花伝社、1988年所収)を書いて以来20年近くの親友、ニュージーランド・オーストラリア・日本と相互に往き来し、我が家に最も長く滞在した外国人でした。彼はもともと南アフリカ生まれ、生涯をアパルトヘイトとのたたかいに捧げた活動家でもありました。処女作では、差別の問題を女性やマイノリティの問題にまで広げ、1980年当時日本で流布していた大橋隆憲氏の階級構成表に対する「もう一つの階級社会像」を示しました。大橋氏のもとに留学して学び、同じ国勢調査資料をもとにしながら、男女別階級構成表をつくって日本社会の女性差別を明示し、大企業の企業内労働組合役員から経営人事担当役員・社長へのプロモーション・ルートを指摘して「労働者階級」内部の「階級的位置と階級的立場のズレ」(N・プーランザス)を精査し、衝撃的でした。高度経済成長の延長上で「新中間階級論」に酔っていた日本の学界では無視されましたが、今また『論争・中流崩壊』(中央公論編集部編、中公新書)が静かなベストセラーになっていますから、戦後日本の階級社会を外国人として初めて実証的・包括的に論じたロブの方法と業績は、改めて振り返る価値があります。バブル経済絶頂期に、私と一緒に『国際論争 日本的経営はポスト・フォード主義か?』(窓社、1993年)を組織しましたが、日本的経営を、あたかも無矛盾的な労働者の理想郷であるかのように説くアメリカのケニー=フロリダ論文を批判するにあたって、ロブが、私の草稿中から最も重要で強調すべきだと言ったのは、熊沢誠さん作成の日本の労働力における格差構造の図でした。この構造、男性正社員の「C」が狭くなるかたちで今日まで続き、リストラ・デジタル化で格差を広げているはずです。
★ そのロブから「末期癌が見つかった」というショッキングな電子メールが届いたのは、2月の初めでした。ちょうど私は、4月のレギュラシオン理論の「東アジアの経済発展」国際会議に招待されて、かつての『国際論争』の十年後の総括の準備に入ったところでした。そこから二人三脚の報告づくりが始まりました。ロブは「あと4週間しかない」といいながら、最期の力をふりしぼって、彼の遺言ともいうべき草稿"Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism"を送ってきました。私は、直ちにこれを本カレッジ「国際交流センター」に掲載して、世界からのコメントを求めると同時に、ロブの問題提起を含めた自分自身の草稿"Japanese Regulation and Governance in Restructuring: Ten Years after the 'Post-fordist Japan' Debate"を、他の全ての仕事を一時中断して書き上げ、電送しました。車椅子生活に入り、パソコンも片腕でしか打てなくなったロブは、「自分の生涯で一番感激した論文だ」と書いてくれましたが、もはや私の英文チェックまでできる余力はありませんでした。私は、かつての『国際論争』のコメンテーターの一人で、たまたま一橋大学に滞在中の友人ジョン・クランプ教授(イギリス・スターリング大学)に事情を話し、ロブと私の論文を英語で仕上げてもらいました。それにお見舞いの花を添えて再び送ったのは3月末、ロブからは「ありがとう。僕の病気のことはみんなに話してもいいよ」という、短い覚悟の返事がありました。
★ 当初の「余命あと4週間」が8週間以上持ったので、ひょっとしたら夏休みまで生き延びてくれるのではという希望を抱いて、4月中旬の台湾の会議に出かけました。台湾では、李登輝ビザ問題の真っ最中で現地の研究者から多くの質問を受け、韓国の学者たちには教科書問題の説明をしなければなりませんでしたが、日本国憲法を日本的レギュラシオンの制度的焦点として扱った私のペーパーは概ね好評で、特に、一緒に日本について報告したR・ボワイエ教授からは、「自分の日本経済分析をよく補ってくれた」と握手を求められました。私が報告中で、ロブ・スティーヴンの余命いくばくもない病気に言及したときは、もう一人の本カレッジ客員教授ボブ・ジェソップはじめ世界からの参加者が息をのみ、心から同情してくれました。実はこの時、ロブは、すでに前日に、息を引き取っていました。そのことを知ったのは、帰国後の4月22日、共通の教え子であるUNSW院生ロウィーナ・ウォードさんからの、悲しいメールによってでした。葬儀は23日で、もはや間に合いませんでした。連休中に花を捧げるだけのシドニー往復を追求しましたが、切符がとれず断念しました。ヴァネッサ夫人にお悔やみを述べ、いずれ英語の書物となる私のペーパーは、故ロブ・スティーヴンに捧げることを約しました。お墓参りは、夏休みまで待たなければなりません。残念無念です。心から哀悼の意を表し、本学名誉客員教授として、今後も業績を本HPに収録していきます。合掌!
Visiting Professor Emeritus from "Global Netizen College"
Dear Friends,
It is my deep grief that I have to inform you the death of our Visiting Professor Dr. Rob Steven. I have just received the sad news from our common student Rowena Ward. She said,
I have sent my mail to his wife, Dr. Vanessa Farrer<v.farrer@unsw.edu.au>. It says,
Japan and the New World Order: Global Investments, Trade and Finance (London: Macmillan, 1996).
An International Debate: Is Japanese Management Post-Fordism? ed. and trans. with Kato Tetsuro (Tokyo: Madosha, 1992).
Japan's New Imperialism (London: Macmillan, 1990).
Classes in Contemporary Japan (Cambridge: Cambridge University Press, 1983).