LIVING ROOM  11 (JULY-DEC. 2001)

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。




どなたか白川敏(白髭渡?)『ベルリン紅団』という戦前の小説(?)を知りませんか?

2001/12/15  12月15日午後2ー5時、勝野金政生誕百年記念シンポジウム」が、勝野の母校であった早稲田大学で開かれ、小野梓記念講堂いっぱいの大盛況でした(プログラムと報告要旨・勝野金政著作目録)。前回更新で書いたように、月刊『新潮』10月・12月号に「20世紀における『政治と文学』の神話学」という力作を連載して、勝野金政『赤露脱出記』を文学的に高く評価している山口昌男さんが、大雪の札幌からかけつけました。戦後の勝野の発掘者で、『日本の近代16 日本の内と外』(中央公論新社)で国崎定洞ら在外共産主義者の運動にスポットをあてた、日本史研究の伊藤隆さん、それに国崎定洞の甥の国崎拓治さんも、出席してくださいました。この春ロシアの遺児アランさんと70年後につながった日本人粛清犠牲者健物貞一も早稲田大学の出身で、勝野の一年上で建設者同盟の軍研事件に関わりましたから、ご遺族が岡山から出てこられ、勝野家ご遺族に、貞一の弟松太郎の蔵書中にあったという『赤露脱出記』を手渡しました。私自身は、報告要旨に入れたパリ、ベルリン、モスクワでの勝野金政の周辺に、この間膨大な資料が現れた島崎藤村の3男蓊助の遺稿・遺品から、新たに判明した国崎定洞らベルリン日本人反帝グループの活動を配し、島崎藤村『夜明け前』(1929-35)の世界と日本コミュニズムの関わりを、考えてみました。この日に合わせて、共同研究者藤井一行教授は、勝野金政の戦前・戦後の全著作を収めたCDROMを作成し、「勝野金政の前半生」などを発表してきた藤井さんHP「日露電脳センター」で、公刊を始めました。貴重資料保存の新しい試みです。ぜひご参照ください。

 島崎蓊助関係資料により、これまで私のベルリン日本人反帝グループ関係者一覧に入れていなかった何人かを、新たに探求しなければならなくなりました。本HP情報学研究室所収「政治と情報――旧ソ連秘密文書の場合および現代史研究室所収「モスクワでみつかった河上肇の手紙」で、国崎定洞らとの接点を探求してきた『資本論』翻訳者宮川実の問題が、あっさり判明しました。島崎蓊助のベルリンでの足取りを追跡したところ、1929-30年に蓊助はベルリン大学付属外国人用ドイツ語学校に通っており、1929年12月第62クラス、30年3月第63クラスで小林陽之助(コミンテルン第7回大会日本青年代表)と同級、30年5月第64クラスで井上角太郎(竹久夢二と共に、ナチス政権下でユダヤ人救出活動)と一緒だったばかりでなく、30年8月の第65クラス名簿で宮川実と同級だったことが確認されました。ミュンヘン大学に留学した宮川も、ドイツ語会話はベルリンで勉強していたのです。蓊助のベルリン滞在記によると、勝本清一郎と共に1929年10月にベルリンに到着後、転がり込んだのは千田是也と映画監督衣笠貞之助が一緒に住むアパートでした。蓊助が左翼運動にのめりこんで後、新国劇脚本部樋口十一、女優長岡輝子、美術評論家土方定一がグループと接触したことが記されています。先に日本語新聞「ベルリン週報」との関わりで新たにリストアップした建築家白井晟一、市川清敏に加えて、いよいよ当時の日本の文化運動全体を探求しなければなりません。この間情報提供をお願いしている在独日本人の記念写真の候補者には、これらの人々も入ります。 

 島崎蓊助遺稿からわかった問題で、さしあたり最も重点的に探したいのは、これまで藤森成吉の「転換時代」(『改造』1931年10月)と島崎蓊助「在独日本青年素描」(『改造』1936年2月)のみと思っていたベルリン反帝グループのモデル小説が、どうやらもう一つあったらしいことです。白川敏「ベルリン紅団」というものらしいです。作者の本名はわかっています。村山知義の義弟岡内順三です。1933年に日本に帰国し、特高警察に詳しい供述を残していますから、発表は33年以降でしょうか。ベルリンからの寄稿かもしれません。特高記録には「白髭渡」という別名も出てきます。「ベルリン紅団」が書物のかたちか雑誌掲載かもわかりません。しかし、藤村『夜明け前』執筆開始の頃に出た川端康成の新感覚派時代の作品 『浅草紅団』をもじったものでしょうから、おそらく雑誌掲載でしょう。これまで全く手つかずだった探求ですので、特に戦前文学史・文芸誌に詳しい方々のご協力を求めます。katote@ff.iij4u.or.jp 宛て情報をお寄せ下さい。

 先に速報でお知らせしたように、12月3日、旧ソ連日本人粛清犠牲者の最後の生き残りであった、名著『長い旅の記録  わがラーゲリの20年』(日経、中公文庫)の著者寺島儀蔵さんが、92歳でお亡くなりになりました。昨年末に不幸な事件で亡くなった同僚辻内鏡人さんについては、1周忌に合わせて遺作『現代アメリカの政治文化 』(ミネルヴァ書房)が刊行されました。追悼集『言葉』に寄せた拙稿「含蓄のある理論家」と、追悼会での「送る言葉」を、図書館に入れます。辻内君に続くように1月に世を去られた本田創造先生、4月に親友であった本学名誉客員教授ロブ・スティーヴンの喪失、そして、9月の石堂清倫さんと12月の寺島儀蔵さん、今年も、かけがえのない人々を失いました。

 21世紀の始まりに宣言しましたように、今年も、年賀状は失礼いたします。いただいた分についてのみ、正月明けに、返礼いたします。新種のウィルスが蔓延しておりますので、恒例年賀メールも返事のみに留め、1月1日の本HPトップ更新をもって賀状とさせていただきます。といっても、今年は恒例リンク集更新を始め、大幅バージョンアップは望めません。いうまでもなく、特集情報サイト「IMAGINE! イマジン」に集中させた、米軍によるアフガニスタンのテロ報復戦争です。戦火はパレスチナに伝播し、たとえウサマ・ヴィンラディンが殺されても、テロの背景となった問題そのものは解決しません。それどころか、新たな21世紀の問題が、山のように出てきました。引き続き、世界のニュース・論説を「IMAGINE! イマジン」に、全リンクイマジン反戦日誌に時系列で保存し英文論評は英語ページGlobal Netizen Collegeへ、歌・音楽・詩・絵画・写真・映像などはIMAGINE GALLERYへ収録して、いまや日本でも有数となった、この戦争のデータベースとしておきます。これに関連した一橋大学新聞インタビューをリンク。労働組合の討論紙にはサイード教授等の緊急声明「アメリカの言論の自由を守れ!」の紹介でしたから省略。

11月の日韓シンポジウムで、池明観教授と共に「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク」という基調報告をしましたが、専門誌『日韓教育フォーラム』第11号(2001年11月)に発表されています。しかしこれは、10月中旬執筆でしたので、12月下旬に大幅改訂・バージョンアップして、小林正弥さんらの「公共哲学ネットワーク」の年末大シンポジウム「地球的平和問題――対『テロ』世界戦争をめぐって」12月28-30日、千葉大)での報告「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」にします。毎月恒例となった『エコノミスト』連載「歴史書の棚」、12月11日号は横江公美『Eポリティックス』(文春新書)と山本武利『紙芝居』(吉川弘文館)、インターネットと紙芝居という新旧ニューメディアの対比をご笑覧下さい。『毎日新聞』12月9日書評欄でとりあげられたのは、拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)ではありません。ちょっと恥ずかしい和田誠さんのイラスト入りで、実は松本清張・立花隆らの追求した「この人この3冊 スパイM」の話。このカット、来年のトレードマークにしましょうか。

島崎藤村や勝野金政は後世に名を残すでしょうが、ブッシュ大統領や小泉首相は何を残すのでしょうか? ワイマール末期ベルリン在住日本人の写真に情報をお寄せ下さい!

2001/12/4  百聞は一見に如かず、私がアフガン情報で、「オバハンからの緊急レポート」と共に最も信頼する、「ペシャワールの会中村哲さんの講演会が武蔵野公会堂であり、原稿その他を抛ってでかけてきました。感動しました。まずは開演20分前で満席で、危うく入れなかった会場に。私がなんとか座った通路ばかりか、演壇上にまで聴衆が溢れました。中村医師の話も感動でした。ブッシュも小泉も一言も登場せず、英米を非難するわけでもなく、20年近い現地の医療活動を訥々と語るだけなのですが、マスメディアでは到底得られない説得力があります。アフガニスタンは珊瑚のような国で、それぞれの独立した集落の集まりであること、タリバン政権下でまがりなりにも保たれていた秩序・治安が空爆で壊れ、外国メディアの注目するバザールの賑わいも女性の登場も、9/11以前の日常の部分的回復にすぎず、現在は無政府状態にあること、アフガン庶民にとっての最大の問題は、地球温暖化による干ばつの広がりと食糧不足・飢餓の危機であること、等々。チョムスキーMIT講演のいう「静かなる大量虐殺」と同じ認識ですね。そのうち報告がネット上に現れるでしょうが、ぜひ皆さんも、お近くの中村医師講演会に直接参加して、「アメリカ対タリバン」に矮小化された問題の奥行きを味わってください。帰宅したら訃報。1日に同僚だった故辻内鏡人さん追悼会、2日に石堂清倫さん追悼会を終えたばかりですが、ロシア現地時間12月3日午後9時、旧ソ連日本人粛清犠牲者の最後の生き残りであった寺島儀蔵さんがお亡くなりになったという知らせが、寺島さんの名著『長い旅の記録  わがラーゲリの20年』(日経、中公文庫)誕生のきっかけをつくった、日本経済新聞社毛糠秀樹記者より入りました。享年92歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。これでいよいよ、寺島さんより数年前にラーゲリ生活を体験した日本人、勝野金政の証言が、貴重になってきました。


2001/12/1  歴史の評価というものは、必ず書きかえられるものです。9/11以降のブッシュ大統領や小泉首相の高い支持率は、彼らが21世紀の指導者として名を残すことを意味しません。コロンブスが「新大陸発見者」から「最初の侵略者」に逆転するには500年を要しましたが、20世紀の総括の中には、「偉大な指導者」の虚飾を剥ぐ作業と同時に、埋もれた思想の発掘も含まれています。月刊『新潮』10月・12月号に、山口昌男さんが、「20世紀における『政治と文学』の神話学」という力作を連載しています。スポットを当てられたのが、すでに「雑本のなかにひそむもの」で示唆されていた勝野金政『赤露脱出記』、元片山潜秘書で、旧ソ連のラーゲリ体験者ですが、ソルジェニツィンに40年も先駆けたラーゲリ文学として重要だというのです。私の国崎定洞探求や本HPも言及されていて、ちょっとくすぐったい気分です。勝野は4年間のラーゲリ体験後、1934年に奇跡的に帰国し、多くのドキュメンタリーと小説を残します。芥川賞候補にもなったということで、「この時受賞していれば『赤露脱出記』もソルジェニツィンの『収容者群島』の先駆的作品として或いは記憶にとどめられたかも知れない」と山口氏は記します。「スターリン主義を含むボルシェヴィズムの劣性を勝野のごとく冷静に描き得た人物は当時他にいただろうか」「勝野がこのような文章を書けただけで、帰国後、東京外語大学のロシア語、或いは大阪のそれの教授職に任じられる力の持主であったことを示している。当時の日本は、このように有為な人物を適当な位置につけて生かすというシステムをもっていなかった」とも。この「勝野金政生誕百年記念シンポジウム」が、12月15日午後2ー5時、東京外語大学ではなく、勝野の母校であった早稲田大学ロシア科の皆さんのご尽力で、西早稲田キャンパス小野梓記念講堂で開かれます。私自身もスピーカーの1人ですが、プログラムと報告要旨・勝野金政著作目録ができましたので、アップしておきます。

 今回のシンポジウムに向けて、私の共同研究者藤井一行富山大学名誉教授は、全国の図書館を探索して勝野金政の著作・論文を探しました。日本史研究の伊藤隆教授から、『赤露脱出記』の前に書かれた1934年帰国後最初の著作『ソ聯邦脱出記』が提供されました。山口教授秘蔵の『資料 コミンテルンの歴史と現勢』(1938年)も見せて頂くことになって、勝野の戦前・戦後の労作が網羅され、それをスキャナーして一枚のCDROMに収める試みが進行中です。20世紀の記録は、こうしたデジタル化によって、半永久的に保存できます。山口論文には、去る9月に遺言『20世紀の意味』(平凡社)を残して亡くなった、石堂清倫さんもでてきます。『赤露脱出記』は1934年に日本評論社から刊行されており、「その年に日本評論社の編集部に入った石堂が勝野を知らぬわけがないが、どういう理由か生涯一度も触れたことがない」という一節があります。鋭い指摘です。『赤露脱出記』編集を担当したのは、実は石堂清倫さんでした。二人は戦中・戦後しばらくすれちがいますが、1975年以降旧交を暖め、石堂さんは、戦後信州南木曾で製材業を営んでいた勝野金政を訪ねます。きっかけは、私も関与していた、国崎定洞の粛清死の判明と名誉回復運動の始まりでした。勝野には「国崎定洞君の追悼会に寄せて」と題する未発表遺稿もあります。シンポジウムでは、勝野家長女稲田明子さんから、こうしたいきさつと、勝野金政の未発表大作『白海に怒号する』(遺稿)が発表されます。一度1996年9月20日付『朝日新聞』で報じられていますが、これこそソルジェニツィン級のラーゲリ文学です。

 勝野金政の故郷である信州南木曾は、日本近代文学の最高峰島崎藤村『夜明け前』の舞台です。実際文学青年勝野金政が、早稲田からソルボンヌに留学するにあたっては、上京して会った同郷の先輩藤村のアドヴァイスが、重要な役割を果たしました。そのことは、勝野の戦後の著作『藤村文学・人と風土』(木耳社、昭和47年)、『凍土地帯』(吾妻書房、昭和52年)に触れられ、藤村に関するいくつかの未発表遺稿も残されています。山口教授の評する20世紀文学者勝野は、島崎藤村の系譜に属します。勝野は、パリでフランス共産党に入党して国外追放になり、28年にベルリン経由でモスクワに入り、30年秋に突然ソ連秘密警察に逮捕されるまで、片山潜の私設秘書となります。その頃、島崎藤村は再婚して 『夜明け前』連載をはじめ、父に反発してプロレタリア美術運動に傾倒した3男蓊助は、勝野のモスクワ行きを仲介した国崎定洞らのベルリン日本人反帝グループに加わります。前回更新で発表した、島崎蓊助遺品の中にあった1930年頃の在独日本人の記念写真については、残念ながら、まだ情報が寄せられていません。しかし、蓊助氏長男爽助さんと一緒に他の資料をも参照して解読していくと、最後列一番右の人物は、「T.Yamada」=当時ベルリン大学学生の美術評論家山田智三郎らしいと見当がつきました。今回は人物部分だけを引き延ばし、引き続き、この写真についての情報提供を求めます。どんな小さな手がかりでもいいですから、お気づきの点を、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てお寄せ下さい。

 師走です。島崎爽助さんから蓊助・藤村の膨大な資料の山をコピーさせて頂き、その整理と解読で、手一杯です。アフガン戦争は、米海兵隊の本格的地上戦突入にまで広がり、現地からの「オバハンからの緊急レポート」を読むと、まだまだ平和にはほど遠い状況ですが、日本の新聞・テレビだけだと、北部同盟によるカブール制圧で、あたかも「タリバン後」どころか「アフガン後」になったかのような錯覚にとらわれます。しかし、まだまだ本格的に省察できる段階ではありません。アメリカで反戦女子高生 が嫌がらせで退学になり、日本でも小泉首相のタウンミーティングで反戦発言をした学生が逮捕される雰囲気のもとで、チョムスキーインタビューのような勇気ある発言や、中村哲さん東京講演のような現地に根ざした情報に耳を傾け、桜井均さんが「メディアの臨界・世界史の現場に立ち会う」で論じているようなスケールで、9.11以降の世界の異常性に思いを馳せましょう。本HPは、情報サイトイマジン IMAGINE!、記録集イマジン反戦日誌、癒し・祈り・アート系IMAGINE GALLERYをフルに動員して、毎日とはいきませんが、逐次反戦平和の声を集め、提供していきます。

 むしろ目先の深刻な問題は、この1週間猛威をふるっているOutlook/Internet Explorer系新種ウィルス攻勢。MAC/EUDORAのこちらのメールボックスにも否応なく飛び込んできますから、その削除だけでも大変な手間です。必要あって、モバイルノートで新着メールをチェックしようとしたら、ウィルスメール削除以前のダウンロードに膨大な時間がかかり、あきらめました。これってまさか、「報復戦争」の一環? そういえば、ウィルス以外にも、腑に落ちないことが相次いでいます。ある日突然、スピーカーから怪しげな英会話が流れてきました。ホームページ内にも侵入された形跡があります。パスワードを変えました。本HPが広めているサイード教授らの緊急要請「アメリカの言論の自由を守れ!」署名の発信元が、シカゴ大学近辺まではたどりつきましたが、こちらからの現在の署名数や署名の使用法についての問い合わせに対して、返事がありません。署名はともかくとして、資金カンパはやめておいた方がいいでしょう。そのようなものとして、当面窓口は、私のサイトのみに限定します。

 拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)の序章「カルチャーとしての社会主義」が話題になっているようですが、活字本用の書き下ろしですので、本HPには収録しません。「沖縄奄美非合法共産党資料」について、11月17日(土)のシンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」が開かれ、大盛況でした。そのことを、『沖縄タイムス』6月5日号『アソシエ21ニューズレター』9月号の拙稿「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」、共同研究者国場幸太郎さんの『沖縄タイムス』8回連載「『沖縄非合法共産党文書』研究案内ノート」に続いて、『琉球新報』11月23日付け文化欄に書いたのですが、ゲラをチェックできなかったために、「奄美共産党が主導」と不本意な見出しをつけられたうえに、とんでもない誤植まで入ってしまいました。関係者におわび致します(写真参照)図書館の書評ページに、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」に書いた小橋川ディック次郎『ひとめぼれ』(ひとめぼれ刊行会、1999年)と森宣雄『台湾・日本──連鎖するコロニアリズム』(インパクト出版会)の書評、学生向けエッセイ「教養ってなんだろう」を入れてあります。


ワイマール末期ベルリン在住日本人の以下の写真に、情報をお寄せ下さい!

  

Welcome to KATO Tetsuro's Global Netizen College!  English is here!(英語版も反戦モード中) 

 

このページから入った方で、フレームから近道したい方は、このボタンをクリック 

2001/11/15 アフガニスタンの首都カブールは、アメリカの後ろ盾を得た北部同盟によって制圧されました。しかしこの戦争、もともとテロリスト・ビンラディンを逮捕・拘束するのが目的だったはずですから、まだまだ続くでしょう。罪なきアフガンの犠牲者を増やしながら。今回更新のトップは、いったん70年ほどタイムスリップします。右の写真をみていただいて、何でも気がついた方は情報をお寄せ下さい。たぶん1930ー31年頃、場所は、ナチスが台頭しつつあるベルリンのポツダム広場と思われます。

 前回更新でお知らせしたように、「2001年の尋ね人」がらみで、「在独日本人反帝グループ関係者名簿」にある「島崎蓊助」のご子息島崎爽助さんから、貴重な写真を送っていただきました。島崎蓊助(1908-92)とは、作家島崎藤村の3男の画家で、小説『嵐』(新潮文庫)の主人公。ちょうど藤村が『夜明け前』を書いていた頃ドイツに留学し、1929ー32年のベルリン日本人反帝グループの最盛期に、国崎定洞・千田是也・勝本清一郎らの反ナチ・反戦活動に加わっていました。その島崎蓊助が、ベルリンで親しくつきあっていた山脇巌・道子夫妻から譲り受けた写真のひとつが、右の写真で、左端が山脇夫妻であることはわかりますが、その他の日本人・ドイツ人は、全くわかりません。ところどころに、先年亡くなった山脇道子さんによると思われる書き込みがありますが、これも解読できていません。山脇道子自伝『バウハウスと茶の湯』(新潮社、1995年)にも入っていない写真です。故山脇道子さんには、千田是也やバウハウスのことを、一度生前にインタビューしましたが、その時にはこの写真の存在を知りませんでした。この写真には、島崎蓊助は入っておらず、爽助さんのお話しでは、当時の日本大使館関係者等、約500人いた在独日本人の「名士」たちではないか、ともいいます。確かにみんな身綺麗で正装しています。しかし、9月に亡くなられた石堂清倫さんから私が最期に託された資料となった、この2月に本HPに公開した1928年ポツダム宮殿での日本人少壮学者12人の記念写真については、皆様の情報提供とご協力で、有澤広巳・蜷川虎三・平野義太郎ら、ほぼ全員を特定できました。そこでも70年前ですから、みんな記念写真用にすましていましたから、このポツダム広場の写真にも、反帝グループメンバーが入っている可能性はあります。島崎蓊助の写真は、別にあります。1929年に、藤村が息子を託した後見人勝本清一郎と一緒にドイツに発つ時の写真(下左)、千田是也率いるベルリン日本人芸術青年グループの写真(下右)などで、千田自伝『もうひとつの新劇史』(筑摩書房、1975年)所収の別の写真等と照合すると、芸術青年は左から山脇巌、福岡縫太郎、千田是也、島崎蓊助と特定できます。どんな小さな手がかりでもいいですから、お気づきの点を、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てお寄せ下さい。これと似た写真がどこかにあれば、そのお宅のご親族や知り合いが写っている可能性があります。島崎藤村の孫にあたる爽助さんは、本HPを通じて身元がわかった方のご親族に、ぜひ写真をお送りしたいとおっしゃっています。皆様からの情報提供を切にお願い申し上げます。

 9月11日以降の本HPは、「テロにも報復戦争にも反対!」で特設サイトイマジン IMAGINE!を設け、そこから癒し・祈り・アート系IMAGINE GALLERYと、リンク記録集イマジン反戦日誌を独立させて、英語ページGlobal Netizen Collegeも反戦モード一色で更新してきました。その間考えたことは、先日「日韓文化交流シンポジウム」で、池明観教授「哀悼的想起の連帯」と共に基調報告した「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク」として近く本HPにも公表しますが、「生命学ホームページ」に「対米テロ事件報道を相対化するために」を特設して全国センターの役割を果たしてこられた森岡正博さんは、英語版HPInternational Network for Life Studiesに、"How did Japanese Netizens Respond to the World Trade Center Attack?"を発表して、日本の反戦ネットワークの広がりを、世界に紹介しています。北部同盟のカブール制圧で、17日からのラマダン入りを前に、アフガニスタンに平和が訪れたかのような報道、ポスト・タリバンの政権づくりの話が浮上していますが、事はそんなに単純ではありません。もともとタリバン政権が攻撃されたのは、9.11テロの首謀者と目されたオサマ・ビン・ラディンの身柄をアメリカに引き渡さなかったからですが、「ビンラディン氏犯行認める」として流されたビデオ放送も、全文をよく読めば「自供」とまではいえず、イギリス政府発表のビンラディン犯行説の証拠に、もう一つ状況証拠を加えたものです。そのビンラディンの行方は、いまだ不確定です。むしろ田中宇さん「米英で復活する植民地主義 」が警告するこの間の世界政治の動き、なによりも炭疽菌事件の未解決とアメリカン航空機墜落でいっそう強まるであろう、アメリカの言論の自由抑圧が気がかりです。アメリカ国内の動きは、そのヘゲモニーを通じて、世界にグローバル化されますから、アメリカ国内での「理性の声」封殺は、世界の知的探求を窮屈にしかねないのです。イマジン IMAGINE!に収録したデービッド・エーベル「大学関係者はアメリカ国民団結のマイナス面に注目」Michael A. Fletcher「大学では報復攻撃への反対意見を出しにくくなっている」米国立平和研究所で反戦を理由に解雇」、「反戦クラブ」結成計画の米女子高生を停学処分、などのニュースは、小林正弥さん「実践的行動案内──戦時下の『学問的自由』のための声明」が憂慮するように、自由な言論の危機を示しています。ついさっき届いた『ボストン・グローブ』11月13日付け記事によると、全米で40人以上の研究者が「非愛国者」として追放されようとしています。リストには Wesleyan University学長も入っていて、「マッカーシズムの再来」が公然と語られています。日本でも、JCJ「日本ジャーナリズムの退廃」が告発し「アジア経済研究所:政府に配慮? テロリポートを回収・廃棄」と報じられたように、他人事ではありません。「丸腰であることの重要な価値」を説く小田実さんが、慶應義塾大学で「現代思想」を講義できている程度には、アメリカよりまだましなのでしょうが。エドワード・サイード教授等の緊急要請「アメリカの言論の自由を守れ!」に応える署名への皆さんのご協力を、強く訴えます(本HP窓口のほか、佐賀大豊島さん千葉大小林さん大阪府立大森岡さん窓口JPRN窓口ANTI-WAR窓口PREMA21窓口

 国崎定洞・千田是也・島崎蓊助らベルリン日本人反帝グループについては、モスクワの片山潜・野坂参三や日本の河上肇らとのつながりを含めて、拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)にも書きました。その探求過程で、当時映画俳優として訪独した岡田桑三の関係資料を集めたさいの副産物が、福島の金沢幸雄さん宅土蔵に眠っていた「沖縄奄美非合法共産党資料」でした。その解読が、『沖縄タイムス』6月5日号、『アソシエ21ニューズレター』9月号の拙稿「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」と、共同研究者国場幸太郎さんの『沖縄タイムス』8回連載「『沖縄非合法共産党文書』研究案内ノート」に結実し、いよいよ11月17日(土)午前10時ー午後5時、東京(専修大学神田キャンパス1号館201教室)で、シンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」が開かれます。すでに大きな反響をよんでいますが、もちろん公開ですので、関心のある方は、ぜひお越し下さい。社会主義理論学会『会報』第46号に寄せた私の追悼文「石堂さんなら、9/11以後の世界に、どう語りかけただろうか?」が、木村英亮さんの追悼文と共に発表されましたが、「石堂清倫さんを偲ぶ会」は、12月2日(日)、東京国際フォーラム(G402室、午後1時30分-5時)で行われます。12月15日(土)には、元片山潜秘書で旧ソ連のラーゲリ体験者「勝野金政生誕百年記念シンポジウム」も、早稲田大学(午後2-5時、小野梓記念講堂)で開催されます。プログラムと報告要旨・勝野金政著作目録ができましたので、アップしておきます。図書館の書評ページには、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」に、小橋川ディック次郎『ひとめぼれ』(ひとめぼれ刊行会、1999年)と森宣雄『台湾・日本──連鎖するコロニアリズム』(インパクト出版会)の書評を入れました。学生向けエッセイ「教養ってなんだろう」図書館に入れます。


テロにも「顔のないテロ」にも、日本の報復戦争支援にも、反対します! 

★サイード教授等のよびかけ:緊急声明署名「アメリカの言論の自由を守れ!」(佐賀大豊島さん窓口千葉大小林さん窓口)

「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(世界人権宣言第一条)

特集情報サイト「IMAGINE! イマジン」 &祈り・癒し系IMAGINE GALLERY 

★最新行動情報は、■「Peace Weblog」、■「CHANCE!平和を創るネットワーク」「プレマ(PREMA)21ネット」「平和フォーラム」「反戦・平和アクション」「ANTI-WAR」「高校生平和ニュース」「大学生平和ニュース」へ!

サイード教授等の署名よびかけ:緊急声明「アメリカの言論の自由を守れ!」(佐賀大豊島さん千葉大小林さん大阪府立大森岡さん窓口JPRN窓口ANTI-WAR窓口

地球市民百万人署名"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"日本語、現在21万人!)

日本での「とめよう戦争への道!」百万人署名運動(現在7万人!)


2001/11/6 いくつかリンク切れを残しながら、しばらく更新できず、失礼しました。韓国独立記念館近くの山奥で開かれた、日本と韓国の教育関係者の文化交流シンポジウムに招かれ、電子メールもつながりませんでした。驚いたのは、成田空港の閑散、ソウルの繁華街でもほとんど日本人観光客と会わなかったこと、航空産業・観光産業は深刻です。もともと日本の歴史教科書問題で開かれたシンポジウムでしたが、当然9月11日以後のテロと戦争の問題が、話題になりました。韓国側基調報告の池明観教授「哀悼的想起の連帯」は、ハンナ・アレントとカール・ヤスパースの往復書簡とヴァルター・ベンヤミンを素材に、歴史はドイツ語のeingedenkが示唆する「哀悼的想起」の一部であり、「科学によって確認されたものさえ、哀悼的想起は修正できる」ので、国境を超えて率直に「各人が各人の真理と思うところを語りあう」なかで「不朽の自由」「無限の正義」のような意味をも逆転できる、とする感銘深いものでした。日本側の私の基調報告は「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク」、つまり本HPイマジン IMAGINE!を含む、日本の9.11以後のインターネット平和運動を素材に、アメリカ、日本、韓国の民衆連帯の新しい存立条件を探ったものでした。韓国側は、日本の「新しい歴史教科書をつくる会」教科書不採択運動を評価してくれましたが、自衛隊の海外派遣には、厳しい批判があいつぎました。両国参加者が一致したのが、若者文化における暴力肯定主義の氾濫が、戦争とテロを受容する温床になっていること、20世紀におけるマハトマ・ガンジーやキング牧師の再評価、私も池教授の「哀悼的想起」の問題提起を受けて、敢えて、戦後韓国のベトナム戦争参戦や徴兵制の問題、ドイツの強制収容所博物館と比較しての韓国独立記念館の展示について、率直な意見を述べてきました。

 韓国側出席者の何人かが、すでに本「ネチズン・カレッジ」の常連さんだったのには、驚きました。会場は修道院を付属するキリスト教団の合宿所で、まわりは紅葉真っ盛り、久しぶりで、夜12時前にぐっすり眠れました。帰国すると、山のような未読メールのなかに、英語ページGlobal Netizen Collegeに感動したという韓国の読者"Peace-Mother"運動のSon. Dug-sooさんから「一輪の平和」のプレゼント、IMAGINE GALLERYに入った日本の若い女性からは 「HPめっちゃ感動しました! ジョン・レノンのイマジンの訳とか、ジーンときます。この記事を見て、あたしも、なにかしてみたくなりました」という嬉しい激励。それではやっぱりイマジン IMAGINE!を更新しなくっちゃと、吉田悟郎さん推薦で、朝日新聞10月27日「天声人語」でも取り上げられたIMAGINE GALLERY所収なかの・ひろみさん訳の詩「100人の地球村」の原作が、今日の環境問題地球化のきっかけをつくったかのローマ・クラブ・レポート『成長の限界』起草者Donella Meadows1941 - 2001)作のWho Lives in the "Global Village?"で、それが1992年ブラジル環境サミットのポスターに採用されて世界に広まった「1000人の地球村」となり、これこそ本来の"New American Dream"であったことを探求した目良誠二郎さん「『100人の地球村』の誕生」編集にとりかかったところに、アメリカの大学院生の方から、エドワード・サイード教授等の緊急署名要請の声明「アメリカの言論の自由を守れ!」が参入、急遽イマジン IMAGINE!に入れて再編集し、各種メーリングリストに送付して、もとのスタイルに戻りました。世界の世論調査では、英国をはじめ反戦世論が台頭中、「草の根ネットワーク」に依拠して、またがんばってみます。  


2001/11/1 丸山真男「復初の説」という一文があります。改訂日米安保条約の強行採決の直後、1960年6月12日に、「復性復初、ものの本質にいつも立ちかえり、事柄の本源にいつも立ちかえる」必要を説き、1945年8月15日の敗戦時の初心から再出発しようと訴えたものです。10月29日に、自衛隊の戦時海外派遣を可能にするテロ対策特別措置法自衛隊法改正が成立しました。日本の憲法研究者130人の緊急声明自由法曹団意見書がいうように、国際テロ対策としては有効性が疑わしく、日本国憲法との関係でも問題の多いものです。そこで「復初」です。まずは日本国憲法を音読してみましょう。前文を全部読むと、小泉首相のような解釈は可能でしょうか? これは占領軍の押しつけだと思う向きは、世界人権宣言(1948年)に立ちかえりましょう。アムネスティ・インターナショナル・ジャパンの新訳では、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(第一条)の精神に。私が「テロにも報復戦争にも反対」と考える根拠の一つは、原理的には、二度と世界戦争をおこすまいと誓ったこの歴史的宣言に、アメリカの報復戦争も、日本の自衛隊派遣も、逆行すると思われるからです。しかも現実の進行は、イギリス政府発表のオサマ・ビンラディン犯行説の証拠ガーディアン紙論評も示唆するように、もっぱら状況証拠の積み重ねで、その捜査中にアメリカのアフガン空爆・地上戦が始まり、テロリスト征伐よりも、自分の意のままにならないタリバン政権を打倒し、北部同盟を中心とした傀儡政権樹立を目的にしているかのような展開です。最新報道では米国とタリバンは過去3年で20回交渉を行っていたそうですから、あの9/11同時多発テロの衝撃自体をも、20世紀の延長で、考え直す必要があるかもしれません。戦争被害者は拡大しています。現地の経験のある黒柳徹子さんが「これ以上、アフガニスタンの子どもたちを苦しめないで!」と訴えるように、国連NGOや赤十字も空爆(誤爆!)され、幼いこどもたちが死んでいます。これこそニューヨークで息子を失ったロドリゲスさんが事件直後に危惧した、「私たちの政府が私たちの息子への追悼を、他の 国の子どもたちや親たちに苦しみを与えることの正当化のために利用」する悪夢ではないでしょうか? アメリカ国内での炭疽菌事件拡大が、もしも報復テロの一環だとしたら、「暴力的な報復」の連鎖です。この戦争の目的と着地点は、いったいどこにあるのでしょうか?

 こんなことを記すのも、現在のテロと戦争の背景を知れば知るほど、二つの想いにとらわれるからです。一つは、「20世紀のアメリカ」です。「ル・モンド・ディプロマティーク」編集総長イニャシオ・ラモネの論説「『敵』の出現」(10月号)には、「ニューヨークのテロ事件に巻き込まれた無実の被害者に同情するのは当然であるにしても、アメリカという国までが(他の国と引き比べて)無実なわけでないことは指摘せざるを得ない。ラテン・アメリカで、アフリカで、中東で、アジアで、アメリカは暴力的で非合法的な、そして多くは謀略的な政治活動に加担してきたではないか? その結果、大量の悲劇が生まれた。多くの人間が死亡し、『行方不明』となり、拷問を受け、投獄され、亡命した。 西側諸国の指導者とメディアが示したアメリカ寄りの態度につられて、手厳しい現実を見逃してはいけない。世界中で、とりわけ発展途上国において、断罪すべき今回のテロ事件に際して最も多く表明された心情は、『彼らに起こったことは悲しい出来事だが、自業自得である』というものだった」という一節があります。「自業自得」──これは、テロの犠牲者や近親者には、あまりにもむごく冷酷な言葉かもしれません。しかし同じ言葉は、実は、10月17日の朝日新聞に、中国の米国通の長老李慎之氏の言葉として、さりげなく報じられていました。「むろんテロはよくないし、江沢民総書記も批判した。だが米国人に同情しつつも、自業自得と考える中国人は多いはずだ」と。

  私は、アメリカで2年生活しました。多くの友人もいます。ですからアメリカ人の悲しみと怒りは、わからないわけではありません。この10年は、旧ソ連のスターリン主義のテロによる日本人粛清犠牲者を追いかけてきましたから、テロの犠牲者の癒しえぬ痛みは、いやというほどわかります。しかし、今回の事件とその後の展開に、アメリカ自身の20世紀の負荷をも、見ないわけにはいかないのです。在日アメリカ企業アシスト社長であるビル・トッテンさんも、「暴力では解決しない」の中で犠牲者に深い哀悼の意を表したうえで、こう述べています。「米国が空爆を行った国名とその年代を以下に列挙します。中国1945-46、韓国1950-53、中国1950-53、グアテマラ1954、インドネシア1958、キューバ 1959-60、グアテマラ1960、コンゴ1964、ペルー1965、ラオス1964-73、ベトナム1961-73、カンボジア1969-70、グアテマラ1967-69、グラナダ1983、リビア1986、エルサルバドル1980年代、ニカラグア1980年代、パナマ1989、イラク1991-99、ボスニア1995、スーダン1998、アフガニスタン1998、ユーゴスラビア1999。米国の空爆によって、数百万人もの罪のない民間人が無情かつ無差別に殺されました。そういった攻撃によって、この世界が良くなったでしょうか。または米国がこの空爆を続ける理由が思いあたりますか? これらの米国の空爆こそ『顔のないテロリズムではないでしょうか。視界にも入らない空中のはるか高いところの爆撃機から、またははるか彼方の艦隊から発射された爆弾が、突然爆発する恐ろしさを想像できますか。この米国が行ってきたもの以上に『顔のないテロ行為』と言えることはないと思います。米国に対してなされた、今回のテロ行為の犠牲者に対するものと同じ思いを、米国のテロ行為によって殺された人々にも向けられることを願っています」と。

 もう一つの想いとは、トッテンさんが末尾で語っていることと、直結します。私たち日本国籍の人間にとって、世界貿易センタービルで亡くなった日本人やアメリカ人と、カブール郊外の貧しい村で倒れた少女とは、世界人権宣言のいう「同胞」になっているでしょうか? 同じ重みを持っているでしょうか? 大河内泰樹さんが、「9月11日の同時多発テロに関してドイツ語活字メディアに掲載された論考」で紹介している、『薔薇の名前』のウンベルト・エーコ「区別は生きている」をはじめ、アルンダティ・ロイウルリヒ・ヴィッケルト イェンス・イェッセンヤン・アスマンらが論争している主題であり、岡真理さんが「なぜ遠いパレスチナ人の死」(朝日新聞東京版10月29日)で問いかけている問題です。世界人権宣言第二条には、「人は皆、人種の色、性別、言語、宗教、政治上やその他の意見、民族的または社会的は出身、財産、生まれその他の身分による、どのような種類の差別も受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由を得ることができる。さらに、その人の所属する国や地域が、独立国か、信託統治地域が、非自治地域か、またはその他主権に何らかの制限があるかどうかにかかわらず、政治上、管轄上または国際上の地位に基づくどのような差別も、受けることはない」とあります。しかし、アメリカの空爆対象であり、いままた私たちの国の自衛隊も支援に向かおうとしている国は、現地に詳しい緒方貞子さんが「世界が見殺しにした国」とよんだ国であり、中村哲医師が「孤立のアフガン」や「アフガンで起きている本当のこと」で難民救援を訴えている国です。ブッシュ大統領が「これは戦争だ!」と述べたさいに、「十字軍」をも唱え、後に撤回したこと、ハンチントンがいかに弁明しても、「文明の衝突」の「文明」概念には、暗黙の序列がつけられていたことを、想起せざるをえません。「21世紀の新しい戦争」の大合唱にもかかわらず、私たちはまだ、「冷戦」的思考の罠のなかに、いるのではないでしょうか? 折から日本の完全失業率5.3%の発表、大手電機会社などが次々と雇用削減・リストラを発表し、毎日7000人が失職しています。不気味なのは、それに対する労働者の抵抗のほとんどないこと。日本最大の労働組合自治労の、底知れぬ腐敗。この国は、20世紀に、何を獲得し、何を失ってしまったのでしょうか?

 ■IMAGINE GALLERYに掲げた、インターネット上から広がった寓話「全世界を100人の村に縮小すると」("A Village of 100 People Representing the World)が、朝日新聞「天声人語」でとりあげられました。IMAGINE GALLERY特選のもう一つ、「 今日もまた、35,615人の子供たちが飢餓で死んだ」も、静かに広がっています。曰く、「犠牲者:35,615(FAO)、場所:この惑星の貧しい諸国で、特集号:なし、新聞論説:なし、共和国大統領のメッセージ:なし、非常召集:なし、連帯の表明:なし、黙祷:なし、犠牲者追悼式:なし、フォーラムの開催:なし、教皇のメッセージ:なし、株式市場:変わらず、ユーロ相場:回復、警戒水準:変わらず、軍隊の移動:なにもなし、犯罪を識別する推測:なにもなし、可能性のある犯罪の委任者:豊かな諸国家」。んなことで、この「ネチズン・カレッジ」も、「テロにも報復戦争にも反対」の毎日更新が、1か月になりました。アメリカは、ビンラディンの行方さえつかむことができず、イスラムのラマダン=断食中も空爆を続けると公言していますから、この戦争は、長期化・泥沼化しそうです。英語版Global Netizen Collegeもすっかり反戦モードになり、「癒し系」と銘打ってはじめた情報収集サイトイマジンIMAGINE!のアクセスも7000を超えて、「癒し・祈り」系ページはIMAGINE GALLERYに分室しました。ちょうど明日から、韓国の天安で、池明観さん(韓日文化交流政策諮問委員会委員長)らと「日韓平和文化ネットワーク形成シンポジウム」があり、私も「9/11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク」という報告をしてきますので、毎日更新は、物理的に不可能になります。そこで、これまで集めたニュースはカレッジ日誌に移して整理し、英文論説は原則としてGlobal Netizen Collegeに直行していただくこととし、イマジンIMAGINE!を問題別・時期別に再構成して、全体をポータルサイト風に、リアレンジしました。本トップには、重要と思われるニュース・論説はこれまで通りリンクしますが、多くはイマジンIMAGINE!の方に、直接入れていきます。その代わり、トップから、「Peace Weblog」、■「CHANCE! 平和を創るネットワーク」、■「プレマ(PREMA)21ネット」、■「平和フォーラム」、■「反戦・平和アクション」、■「ANTI-WAR」の行動サイトへの窓口と共に 日本の高校生はテロ対策特措法をどう受けとめたかに加えて「高校生平和ニュース」日本の大学生400人は対米テロをどう受けとめたかの延長で「大学生平和ニュース」の窓口を設けて、ベトナム戦争世代から、湾岸戦争しかしらない世代への架け橋としました。前回更新トップのタイトル<テロと報復の悪循環は、「平和を愛する道路標識」違反です。HideHikkiも言うように、21世紀が泣きます!>が、当初宇多田ヒカルさんのお名前を間違えていたにもかかわらず、若者たちに好評でしたので(?! 教えてくれた鹿児島のSさん、ありがとう!)。

 いつのまにやら22万ヒットですが、この間の本カレッジの本来的収穫は、情報収集センターがしっかり機能して、英文Global Netizen College経由で、"Wanted! A Memorandum on the Life of Mr. Virendranath Chattopadhyaya"について、ヴィレンドラナートの妹でインド独立期の国民詩人であるSarojini Naiduの研究家、Dr. Edward Marxさんから情報提供があったこと。それに、「2001年の尋ね人」がらみで、「在独日本人反帝グループ関係者名簿」にある「島崎蓊助」のご子息島崎爽助さんからメールをいただき、近く「島崎蓊助」の在独時関係資料を見せて頂くことになりそうなこと。いうまでもなく、「名簿」にあるように、島崎蓊助(1908-92)とは、作家島崎藤村の3男の画家で、小説『嵐』(新潮文庫)の主人公。1929ー32年のベルリン日本人反帝グループの最盛期に、国崎定洞・千田是也・勝本清一郎らの反ナチ・反戦活動に加わりました。藤村の孫にあたる爽助さんのお話しでは、近く父蓊助の回顧展を開くため古い資料を整理し始めたら、若き千田是也・勝本清一郎と一緒の写真などが出てきたそうで、私にとっては、ぞくぞくするような宝の山の発見です。しかも、こうした史資料探索では、思わぬ副産物があります。2年前の「Tokyo Cinema on the web」を介した岡田桑三資料の探索の副産物が、福島の金沢幸雄さん宅土蔵に眠っていた「沖縄奄美非合法共産党資料」発見のきっかけとなり、それが『沖縄タイムス』6月5日号、『アソシエ21ニューズレター』9月号の拙稿「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」と、共同研究者国場幸太郎さんの『沖縄タイムス』8回連載「『沖縄非合法共産党文書』研究案内ノート」に結実し、来る11月17日(土)午前10時ー午後5時、東京(専修大学神田キャンパス1号館201教室)でのシンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」につながりました。もちろん公開ですので、ご関心のある方は、ぜひどうぞ。

 9月末出版の拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)は、直前に亡くなられた石堂清倫さんの御霊前にささげましたが、社会主義理論学会『会報』第46号に寄せた私の追悼文「石堂さんなら、9/11以後の世界に、どう語りかけただろうか?」が、木村英亮さんの追悼文と共に、活字より先に社会主義理論学会HPに発表されました。「石堂清倫さんを偲ぶ会」は、12月2日(日)、東京国際フォーラム(G402室、午後1時30分-5時)で行われます。インターネット上での石堂さんの人と思想の追悼は、宮地健一さんの「共産党・社会主義問題を考える」サイトに「追悼 石堂清倫さん」の特別室が設けられていますから、そちらもご参照下さい。ほかにこの間、辻内鏡人さん芝田進午さんの追悼文を書いているのですが、それらは書物に活字化される予定ですので、出版されてから、図書館に入れます。図書館の書評ページには、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」に、10月16日号の今川英子『林芙美子 巴里の恋』(中央公論新社)、長縄光男・沢田和彦編『異郷に生きる 来日ロシア人の軌跡』(成文社)に続いて、11月5日発売の11月13日号には、小橋川ディック次郎『ひとめぼれ』(ひとめぼれ刊行会、1999年)と森宣雄『台湾・日本──連鎖するコロニアリズム』(インパクト出版会)の書評が掲載されます。小橋川次郎さんは、戦前アメリカ西海岸日系労働運動指導者で旧ソ連粛清犠牲者である健物貞一を知る、数少ない生き残りの一人です。夏にアメリカで、お会いしました。森さんは、「11/17沖縄シンポジウム」の若手講師の一人です。11月10日(土)には、社会主義理論学会「葦牙」、東京唯物論研究会などの共催で、「ソ連崩壊から10年  社会主義の可能性を考える」シンポジウムが開かれます(午後1時、世田谷駒沢大学駒沢キャンパス9号館、4時全体会1号館)。12月15日(土)には、元片山潜秘書で旧ソ連のラーゲリ体験者「勝野金政生誕百年記念シンポジウム」も、早稲田大学(午後2-5時、小野梓記念講堂)で開催される予定です。 


テロにも報復戦争にも日本の戦争支援にも、反対します!

テロと報復の悪循環は、「平和を愛する道路標識」違反です。HideHikkiも言うように、21世紀が泣きます!

2001/10/19 読者から質問があったので一言。イマジンIMAGINE!にいくつも入れている、マイクロソフト社のMSNジャーナルは、自社のInternet Explorer(IE)なら簡単に読めますが、Netscapeだと青地に青で読めないという、ひどく姑息なビジネスになっています。ネチズンとしては当然、リナックス方式のオープンシステムを要求しますが、内容が読めないのでは、しょうがありませんから、当面IEMSNジャーナル収録論文にはIEマークを付します。エクスプローラーで読んで下さい。狭量なビル・ゲーツに抗議!  同じく読者から、ぜひともイマジンIMAGINE!へ収録してほしいと、メールで送られてきた貴重な記録は、映画『カンダハール』タリバン政権下の女性を描いたモフセン・マフマルバフ監督「アフガン・レポート」の日本語訳、こちらも「ユードラ」では開封できず、マイクロソフトの「アウトルック」で送り直してもらったら、なんとかマックでも開きました。読んだらすばらしい文学的ドキュメントなので、いったんイマジンIMAGINE!にもIMAGINE GALLERYにも入れたのですが、カルチュラル・スタディーズの「ISLANDS」HP「アフガン関連テキスト情報」を発信する浜邦彦さんからメール、現代企画室からモフセン・マフマルバフ(武井みゆき・渡部良子訳)『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない,恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』として11月中旬発売予定とのこと(予価1,500円)。あわてて現代企画室の太田昌国さんに問い合わせたら、やはり版権との関係で、日本語訳掲載は断念せざるをえなくなりました。大変すばらしい内容ですので、外国語の読める方はMAKHMALBAF FILM HOUSEから、"The Budhha was not demolished in Afghanistan, it collapsed out of shame"ペルシャ語英語またはフランス語でぜひお読み下さい。英語版は、イメージ写真入りコピー(第一部第二部)も出まわっているようです。日本語の方は、現代企画室の完訳版を、もう少々お待ち下さい。


2001/10/15 本HPは、通例、月2回の更新です。それが、9月11日以来、ほとんど毎日更新で、テロにも報復戦争にも反対する世界の情報を集め、イマジンIMAGINE!IMAGINE GALLERYをフル稼働して、発信しています。毎日発信は、昨年12月の辻内鏡人さん交通轢殺事件のさいの、目撃情報収集活動以来のことです。その辻内さんの事件、公判の方は加害者が「故意」を否定し難航していますが、大変嬉しいニュースがあります。辻内鏡人さんの遺児千織さんが、先頃行われた津田塾大学主催高校生エッセーコンテストで、最優秀賞に選ばれました。受賞作品は「キング牧師への手紙」、亡父辻内鏡人さんの遺著『キング牧師』(岩波ジュニア新書)をしっかり読んで、「暴力を排し、正義を愛し、差別や偏見を許さない心」の大切さを説いたものです。10月14日付朝日新聞多摩版に「キング師の正義愛する心、亡き父から私にも」と題して、大きく報道されました。その中で、千織さんは、米国同時テロ・軍事報復について問われ、同じく最愛の家族を理不尽に奪われた一人として、健気に答えています。「どんな理由であってもテロは許されないし、大切な人を亡くした人たちの気持ちもわかります。でも、報復の繰り返しでは何も始まりません」と。

 辻内千織さんの想いは、ニューヨーク貿易センタービルで息子を失ったロドリゲスさんハイジャックで一人娘デオラ・ボドリーさんを失ったご両親の願いペンタゴンで夫を亡くした妻アンバー・アマンドソンさんの訴えにも、相通じるものです。きくちゆみさんが始めたGLOBAL PEACE CAMPAIGNが、わずか2週間で目標1250万円の募金を達成し、『ニューヨーク・タイムズ』に掲載した意見広告「アメリカは世界を平和と公正に導くことができるか?」にも、「私たちに、さらに多くの無実のいのちを奪う権利があるのでしょうか。それはまたひとつのテロではないでしょうか。私たちは、襲った者たちのレベル以上の、高い見地に立てるでしょうか」という、理性の問いかけが入っています。それは、本HPの基本的立場=「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある」(丸山真男『自己内対話』)の、当事者たちによる痛切な言い換えであり、世界史教育の吉田悟郎さんHP「ブナ林便り」にある「日本の高校生はアフガン攻撃をどう受けとめたか」をよく読めばわかるように、日本の若者たちの多くの願いです。ヒロシマの高校生山崎文可さんの「平和を愛する道路標識」がいち早く世界に発信しているメッセージであり、 ローマに住むサッカーのHideこと中田英寿さんが「復しゅうは正当なことではないということを忘れてはならない。米国は話し合いより、爆撃を選んだ。相手が僕の同国人を殺したから相手の国の人を殺す──そんなことをやっていたら、いったいどうなってしまうのだろう」と語り、ニューヨーク在住の歌手Hikkiこと宇多田ヒカルさんが、「生きてます」といいつつ「21世紀が泣いてる」と感じとったものです。IMAGINE GALLERYには、まんじろんさんの非暴力の祈り"Sol Tierra Y Viento"音楽と映像と詩の総合芸術です!)や坂本龍一さんの"Non Violence"「祈りの瓦礫」(ローマ字名をクリック!)など、9月11日以後の世界に対する、詩人や芸術家のとぎすました感性を、たくさん入れてあります。右の写真は、アフガニスタンの山岳少数民族ハザラ人の子供( Photo by Ilkka Uimonen)

 しかし、世界の現実は、私たちの「報復戦争ではなく正義と平和を!」の願いに反して、10月7日(これまで日本時間で8日としてきましたが、アメリカではなく、アフガニスタンの現地時間に合わせて、7日とします)に米英軍の空爆が始まり、ハンチントンの『文明の衝突』を想起させる、殺伐たる景観を示し始めました。同時多発テロは、ビンラーデン率いるテロリストの仕業かもしれません。アメリカの新たな恐怖、炭そ菌も、ひょっとしたら、関係あるのかもしれません。テロに対する国際的取り決めづくりは、国連ばかりではなく、国際刑事裁判所設立への動きがあり、国際刑事裁判所問題日本ネットワークも加わり、急ピッチで進められています。ニューヨーク在住日本人「mook's homepage」さんの10月11日付日記によると、アメリカでもようやく“Why They Hate Us?"Newsweek最新号の特集タイトル)と内省する雰囲気が出てきたようです。イマジン IMAGINE!からCommon Dreams News Centerを覗くと、"Minneapolis Star Tribune"10月13日号には、Kenneth Zapp,"The Naivete in Asking 'Why Do They Hate Us So Much?'"が掲載されています。イスラム世界がよくわかるQ&A100などで事件の背景を探り、保坂修司さん「オサマ・ビンラーデンのつくりかた」田中宇さんの国際ニュース解説を読んでいくと、テレビや新聞では報道されない「もう一つの真実」が見えてきます。Z NETThe NationIndependent Media Centerからは、「もう一つのアメリカの声」も聞こえてきます。新世紀の危機は、知性の試練の時です。中山元さん「哲学クロニカル」9/11テロ事件特集に、世界中の知性の応答が集合し日本語訳されました。政治家は、「そのとき誰が何を語ったか」で、節操を試されます。日本でも、作家宮内勝典さんの 「海亀通信」の深い思索や、政治学者小林正弥さんの「黙示録的世界の『戦争』を超えて」のような新しい公共哲学が、生まれつつあります。

 多くの憲法研究者弁護士たちの論理的な批判、前国連難民高等弁務官緒方貞子さんやアフガニスタン現地で長く医療ボランティアにたずさわってきた「ペシャワールの会」中村哲医師らの危惧にもかかわらず、小泉内閣は、テロ対策特別措置法案自衛隊法一部改正案を通過させようとしています。井上澄夫さんの逐条批判も出ていますが、 ネチズンにとっても深刻です。14日の朝日新聞が「自衛隊法改正案に、国家秘密法案の内容盛る」とようやく伝えたように。自衛隊法第96条の防衛秘密との関連で、秘匿義務違反を「共謀し、教唆し、又は煽(せん)動した者は、三年以下の懲役」に処すると、こっそり廃案になった国家機密法案の内容が盛り込まれています。 例えば私が、インターネット上で自衛隊員に情報提供をよびかけ、アフガンやパキスタン現地の情報を間接的にでもメールで送ってもらった場合、どうなるのでしょうか? すでにアメリカでは、「メディアの戦争への行進」の雰囲気のなかで、An angry Bush trying to plug leaks to mediaと大統領が言論統制をちらつかせたり、韓国映画「シュリ」がテロに配慮し米国での上映延期になったり、NY市立大の教授発言に「非米的」と批判が集中する事件が起きています。戦争は、思想・言論の自由の敵です。私たちは、「朝鮮半島とアジアの平和に脅威となる日本の再武装を警戒する」という韓国全国553団体による戦争反対の共同声明に、真摯に耳を傾けるべきでしょう。私自身の基本的立場は、発売中の拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)を、ご笑覧ください。 

 この間、10月6日(土)に「芝田進午さんを偲ぶ会」、12日(金)に「全国政治研究会」、13・14日に日本政治学会と多忙をきわめましたが、何とか毎日トップに最新ニュースを入れ、イマジンIMAGINE!を更新してきました。その原動力になったのは、皆さんからの情報提供と、励ましの言葉。北海道ハワイの宗教者の方から、暖かいメールをいただきました。アメリカやヨーロッパ・沖縄在住の方、お医者さんに看護婦さんに入院闘病中の方、学校の先生方や高校生・大学生の方、弁護士さんや同業の研究者、もちろん戦争を危惧するサラリーマンや主婦の方々も。皆さんのメールがなければ、息がきれていたでしょう。幸いこの間、続々と生まれた無数のネチズン活動の一つの結節点として、数多くの新たなサイトとリンクし、ネットワークをつくることができました。メールの携帯電話への転送が容量を超えて、返送されたものも多かったようで、大変ご迷惑をおかけしました(転送は解除しました)。

 実際「全米同時多発テロとインターネット」や「文化人、ネットで懸念語る」が示唆しているように、9月11日以後の日本のインターネット政治は、ようやく韓国総選挙「落選運動」時のような、本格的開花期を迎えたように思われます。その直感的指標は、1ヵ月足らずで2218万円の募金を達成し、10月9日のジョン・レノンの誕生日にNY Timesに平和の全面広告を実現したGLOBAL PEACE CAMPAIGNの成功、世界で70万人の署名を集め、20ヵ国語に翻訳して世界各国指導者に送付したシカゴ大学平和嘆願署名や現在も進めている地球市民百万人署名"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"(現在20万人)に、アメリカ人・カナダ人に交じって日本人の署名が多く、それもちゃんと英語でメッセージが書き込まれていること、日本のこどもたちのサイト"KID'S PEACE"の誕生、そして、本HPトップにロゴを掲げる"Stop the bloody chain...!"キャンペーンのように、数百社が企業名を掲げて戦争反対の意思を表明する平和的企業サイトが現れたことです。アシスト社長ビル・トッテンさん「暴力では解決しない」も、感動的なものです。1年前の加藤紘一政変や、春の自民党総裁選小泉首相勝手連サイトが1ヵ月で政治資金百万円を集めてさわがれた時期とは、比較になりません。さっぱり双方向型にならずにジリ貧の「小泉内閣メールマガジン」を、少なくとも影響力と実際の行動に結びつける点では、ネットワーク・シチズンが、のり超えたかもしれません。

 今月後半は、このインターネット・デモクラシー考察の原稿を2本、それをひっさげて来月初めには、韓国の草の根ネットと交流の予定です。『エコノミスト』10月16日号「歴史書の棚」今川英子『林芙美子 巴里の恋』(中央公論新社)、長縄光男・沢田和彦編『異郷に生きる 来日ロシア人の軌跡』(成文社)を入れました。『沖縄タイムス』6月5日号文化欄に掲載され、『アソシエ21ニューズレター』9月号に再録された拙稿「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」と、共同研究者国場幸太郎さんの『沖縄タイムス』8回連載「『沖縄非合法共産党文書』研究案内ノート」(拙稿「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について」『大原社会問題研究所雑誌』2001年4月・5月号、上PDF版・下PDF版の解説)をもとにして、来る11月17日(土)午前10時ー午後5時、東京(専修大学神田キャンパス1号館201教室)でのシンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」が具体化しています。12月15日(土)の元片山潜秘書で旧ソ連のラーゲリ体験者「勝野金政生誕百年記念シンポジウム」も準備中です。詳しくは、本HPで、またお知らせいたします


 

10/8 米英軍のアフガン報復攻撃開始に反対します!

「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」(丸山真男) 

特集情報サイト「IMAGINE! イマジン」&IMAGINE GALLERY 

★最新行動情報は、■「CHANCE!平和を創るネットワーク」「プレマ(PREMA)21ネット」「反戦・平和アクション」「ANTI-WAR」へ!

地球市民百万人署名"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"日本語、現在20万6千人)

「平和と非暴力の世紀」を創る無名市民の会 「軍事的報復措置に反対し、対話の力による解決を!」署名(現在8017名)

日本での共同署名「米国のテロ報復戦争に反対し、日本政府の戦争支持の撤回を求める」(現在2428名)

カナダから始まった「ノーモア・ヴァイオレンス!」署名(現在1万4千人) 


2001/10/11 「イマジン」が大きくなってきたので、「情報を集める」「考える」「行動する」IMAGINE!サイトと、歌・詩・写真・映像等の祈り・癒し系サイトを分割しIMAGINE GALLERYを設けました。
2001/10/8 未明、ついに米国ブッシュ大統領は、アフガン空爆に踏み切りました。「40か国の政府の支援を受けている」と言っています。しかし、カブール市民を巻き込み、大量の難民をうみだすこの報復「戦争」を、テロリストに対する「自衛の措置」などと言えるのでしょうか? 
「イマジン」を通して、テロにも報復にも反対してきた当サイトは、アメリカ政府の武力行使に強く抗議します! 本サイトでトップに掲げてきたシカゴ大学の平和嘆願署名(日本語)は、6日までに約70万人分を集め、20ヵ国語に翻訳されて世界各国の指導者に送付されました(本HPから署名された方、ありがとうございました!)。千葉のネチズンきくちゆみさんが始めたGLOBAL PEACE CAMPAIGNは、わずか2週間で目標1250万円の募金を達成し、10/9の NY Timesに平和の全面広告を予約し、支払い済みでしたが、戦争開始の紙面構成で延期される可能性もあります。累計2000万円近くに達し、パキスタンや日本の新聞での第2弾を準備中だったのに。「情報を集める」「考える」「行動する」の3段階で構成し、「イマジンからimagineする」ために特別オープンした本HP内「イマジン」も、反戦・行動モードに切り換えていきます。この間結びついた数ある「イマジン」リンクの中から、機動性の高い「CHANCE!平和を創るネットワーク」「プレマ(PREMA)21ネット」「反戦平和アクション」「ANTI-WAR」サイトを、トップに移します。テロと報復の連鎖が新たな犠牲者を産み出さないように、と祈ります!
2001/10/1  あの『オリエンタリズム』の
エドワード・サイードが、嘆いています。9月11日以来「気が滅入るのは、世界でアメリカがどんな役割を果たしているのかを理解するために、ほとんど時間が費やされていないということだ」と。アメリカ同時多発テロの勃発と報復戦争の危機によって、世界の様相は激変です。中国江沢民総書記引退報道も、朝鮮南北会談も、外務省機密費問題も、失業率5%も、新宿歌舞伎町ビル火災の原因も、どこかへ行ってしまったようです。夏休み最後の2週間は、久しぶりで毎日更新の「報復戦争ではなく正義と平和を!」のネチズン運動となりました。おかげでアクセス数も急増、「街に「イマジン」流れ、痛みかみしめる米国民」のニュースを受けて、癒し祈り系特集反戦ページ「イマジン」をオープンしました。今後もトップにニュースを入れていきますが、まだ名前のない「戦争」についての追跡は、♪「イマジン」♪に「情報を集める」「考える」「行動する」の特別リンクページを設けましたので、そちらからサーフィンにおでかけください。一部は20万ヒット記念更新リンク集=「情報処理センター」にも入れてあります。それにしても、日本の報道は偏っています。9月29日に全米で行われた平和行進は、日本のニュースサイトで拾うことはできませんでした。英文Yahoo Newsでさえ、写真特集を組んでいるというのに(後で田口裕史さんが、朝日毎日等の記事を拾ってくれました)。本日入手した韓国全国553団体による戦争反対の共同声明には、「朝鮮半島とアジアの平和に脅威となる日本の再武装を警戒する」という一節が入っています。

 本HPの基本的立場は、9月11日から明瞭です。丸山真男『自己内対話』の「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある」を受けて、無差別テロにいきどおり、犠牲者の方々のご冥福を祈りつつ、アメリカの報復戦争や、それに乗じた日本の自衛隊派遣には、強く反対します。グレーンバーグ「変貌するテロリズム――テロの歴史」が述べる如く、テロと戦争は区別すべきですし、報復は「勝者のない戦争」になり、「『戦争』はアメリカをもっと不幸にする」と考えます。坂本龍一さんのいうように、「報復しないのが真の勇気」ということもありうるのです。ハンチントンのいう「文明の衝突」にしてはならないと考え、ローマ法王や多くのノーベル平和賞受賞者たちと共に、「暴力によらず平和を」と訴えます。

 この立場は、夏休み前に仕上げた、私なりの20世紀の総括、9月25日発売の拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』において、基本的に確立していました(注文は花伝社へ、有田芳生さん『酔醒漫録』10/1で早速コメントしてくれました、多謝!)。丸山真男のいう「民主主義の永久革命」の意味を、「あらゆる紛争の非暴力的解決、信頼と寛容の政治の復元」の位相で考え、「戦争の時代としての20世紀」の内実を、アントニオ・グラムシのいう「機動戦」「陣地戦」から「情報戦」への流れとして捉え直し、グラムシ・ヘゲモニー論の限界を、「軍事技術の政治術への読み替え」に見出したものです。丸山は、先の「平和の道徳的優越性」に続けて、こう述べていました。「革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、『戦争』の言葉で『革命』を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである」と。それは、左翼の「革命」にはもちろん、「イスラム革命」にも「IT革命」にさえ、あてはまるものです。ニューヨークで息子を失ったロドリゲスさんのブッシュ大統領宛手紙「私たちの息子の名において戦争をしないで」 には、この丸山の言葉と、ほとんど同じ意味の一節があります。「私たちの息子は、11日の世界貿易センターへの攻撃の犠牲者の1人です。この攻撃に対するあなたの反応は、 私たちの息子の死を悲しむ私たちを癒すものではありません。それは私たちに悲しみ の追いうちをかけるものです。それは私たちの政府が私たちの息子への追悼を、他の 国の子どもたちや親たちに苦しみを与えることの正当化のために利用しているという感情を、私たちに起こさせます。今は私たちを癒すために空虚なジェスチャー を示す時ではありません。徒党のような行動を取るべき時ではありません。私たちは あなたがテロリズムに対する平和的で理性的な解決策への道筋について考えることを 要請します。それは私たちを、非人道的なテロリストのレベルに貶めることがない解 決策でなければなりません」と。

 小さなニュースでも、社会構造の不可逆的変化を示唆するものがあります。東京八王子市で、市の広報を、これまで毎月新聞折り込みで配布していたものを、新聞を購読していない世帯が1割あることが判明し、コンビニエンスストアにもおくことにしたとか。そんな黄昏時の活字文化に斬り込んだ新著『20世紀を超えて──再審される社会主義』ご注文は、花伝社ホームページからお願いします。報復戦争反対、自衛隊派遣特別法反対のネチズン運動・集会等のお知らせは、「イマジン」ページの「プレマ21ネット」や「北米同時多発テロを平和へのチャンスに」何ができるだろう?リスト「反戦平和アクション」などに入ってます。東京でも、10月6日(土)には宗教や国籍や人種を超えた「平和と祈りのコンサート」が、10月7日(日)には、「テロも報復もNO!平和な世界を! 戦争協力をしたくない女たちのリレートーク」や「テロにも報復戦争にも反対!!市民緊急行動集会」が開かれます。私関連では、10月6日(土)に「芝田進午さんを偲ぶ会」、10月12日(金)に「全国政治研究会」がありますが。『エコノミスト』9月18日号「歴史書の棚」では、北澤一利『「健康」の日本史』(平凡社新書)と藤野豊『強制された健康』(吉川弘文館)をとりあげましたが、10月16日号(8日発売)では、今川英子『林芙美子 巴里の恋』(中央公論新社)、長縄光男・沢田和彦編『異郷に生きる 来日ロシア人の軌跡』(成文社)を読みます。『沖縄タイムス』6月5日号文化欄に掲載され、『アソシエ21ニューズレター』9月号に再録された「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」をめぐって、共同研究者の国場幸太郎さんが、『沖縄タイムス』に「『沖縄非合法共産党文書』研究案内ノート」を8回にわたって連載しました。もともと『大原社会問題研究所雑誌』2001年4月・5月号に私が発表した「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について」(上PDF版・下PDF版)に発したものですが、11月17日(土)午前10時ー午後5時、東京(専修大学神田キャンパス1号館201教室)で、シンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」が開かれることになりました。当時の沖縄・奄美の抵抗運動体験者が一同に会します。12月15日(土)には、早稲田大学で、元片山潜秘書で旧ソ連のラーゲリ体験者「勝野金政生誕百年記念シンポジウム」も予定されています。どちらも私の研究がきっかけになった集まりで、私も講演しますが、ありがたいことです。詳しくは、また本HPでお知らせいたします。この忙しい最中に、なぜか「マックPower Book G3修理/G4購入顛末記を改訂。


20万アクセス、ありがとうございます!

9月11日は、「21世紀型戦争の始まり」なのでしょうか、「戦争の20世紀のツケ」なのでしょうか?

ジョン・レノン「イマジン」 

「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある。」(丸山真男) 

シカゴ大学の平和嘆願署名サイトで「報復ではなく正義を!」(日本語現在64万人

地球市民百万人署名"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"日本語、現在19万6千人)

あなたでもできるGLOBAL PEACE CAMPAIGN「アメリカの新聞に平和の全面広告を出そう!」(現在931万円

カナダで始まった「暴力はもうごめんだ(ノーモア・ヴァイオレンス)!」署名(現在1万2千人)

  

Welcome to KATO Tetsuro's Netizen College!  English is here! 

このページから入った方で、フレームから近道したい方は、このボタンをクリック 



2001.9.27日本からも多くの署名が寄せられ、たぶん20万人をこえていたであろう地球市民署名"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"日本語)が、再びつながらなくなりました。夜に復旧しましたが、不安定です。ジョン・レノン「イマジン」が、アメリカでは癒しの調べになっているようです。
2001.9.21 本トップページに窓口を設け、20日午後に15万人突破までは確認した地球市民百万人署名"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"(ブッシュ大統領宛嘆願書)が、午後4時前、突如クローズされました。「報復よりも平和と正義を!」という運動に対する「エシュロン」の妨害でしょうか? CIAの陰謀でしょうか? 昨日から猛威をふるうウィルス「ニムダ」の仕業でしょうか? あるいは世界中から署名が集中してサーバーがダウンし、プロバイダーが閉鎖したのでしょうか? 幸い一時的閉鎖で3時間ほどで復活しましたが、日本から世界への声を確保し広げるために、これもメールで回ってきた 「シカゴ大学の平和嘆願署名」の窓口を、併せて開設します。こちらの趣意書はやや長いものですが、核兵器を使用しないことを含め戦争回避を訴えるブッシュ大統領への嘆願書です。私は、252,175番目の署名者になりました。21世紀の入口で、インターネット・デモクラシーが試されています。日本からも声があがりました。神戸元気村と結んだグローバル・ピースキャンペーン「アメリカの新聞に平和の全面広告を出そう!」を紹介しておきます。
2001.9.17  戦争が近づいています。緊急事態に対し、地球市民百万人署名
"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!"(ブッシュ大統領宛嘆願書) への入口を、本トップページに張りました。まだ8万人ですが、アメリカのネチズンも数多く署名し、さまざまな声を寄せています。「報復よりも平和を!」に賛同くださる方は、ぜひ署名し、友人・知人にまわしてください。これからしばらく、不定期で更新していきます。


2001.9.15  アメリカ東部時間9月11日朝、東アジアの深夜、私は韓国滞在中で、翌朝ソウルから板門店を見に行く予定でした。突然衛星放送に現れた恐ろしい画像。つい先日も訪れたばかりの「強いアメリカ」の象徴、ニューヨーク世界貿易センタービルとワシントンのペンタゴンが燃えているではありませんか! 最新情報をとろうとインターネットに向かったら、さっきまで通じていたコンピュサーブ経由もグリック経由も接続できません。韓国IT普及の最前線PCカフェのAOL経由もつながりません。衛星テレビのABC特番をつけっぱなしで仮眠したら、案の定、翌朝の板門店視察は突如中止、近くの統一展望台までしかいけない旅になりました。38度線には完全武装の兵士がズラリ、前日まで許された写真撮影も禁止されました。ホテルで入手した英字新聞には「第2のパールハーバー」「第3次世界戦争」の見出し、日本の状況は全くわかりません。幸い完全ストップのユナイティド航空便ではなく、大韓航空なのでなんとか帰国できましたが、仁川空港も成田空港も異様に厳しいチェックで、21世紀のとば口での世界的緊張を、思い知らされました。

 でもこの同時多発ハイジャック・テロルは、ブッシュ大統領のいう「21世紀の最初の戦争」なのでしょうか? むしろ「戦争の20世紀」の積み残しのツケが、まわってきたものではないでしょうか? イスラム原理主義グループの犯行とする見方が有力ですが、もともとイスラエル・パレスチナ紛争も、アフガニスタン・パキスタンの貧困問題も、「冷戦」時代に起源を持ち、アメリカ多国籍企業中心のグローバル経済化が、影を落としています。サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』は、「冷戦」崩壊後もアメリカが「世界の警察官」の役割を維持する格好の口実を与えてきたことを、忘れてはなりません。もちろん自爆テロリストは、卑劣な方法で無数の民間人の生命を巻き込み、世界を計り知れない恐怖に陥れました。彼らのハイジャックは、典型的な20世紀後半の犯罪手法です。それに湾岸戦争型のハイテク情報戦術が、組み込まれています。標的となった貿易センタービルはウォール街の象徴ですし、ペンタゴンはアメリカ軍の中枢です。例の世界的盗聴・諜報装置エシュロンの裏をかいて、テロリストが攪乱情報を流していたという情報もあります。ブッシュの「21世紀型戦争」も、父ブッシュが指揮した湾岸戦争の延長で、多国籍軍をさらに広げたNATO、ANZUSを含む軍隊・武器を、ロシア・中国・パキスタンに加えアラブ諸国の了解まで取り付けて、犯人居住地及びその保護国に送り込もうとするものです。日本でも有事立法・集団的自衛権論議が急浮上しています。スケールは大きいですが、戦争のかたちは、湾岸戦争以後のアメリカが、地域紛争にとってきた手法です。

 アメリカから緊急電子メールで、9月11日の「戦争抵抗者連盟(War Resisters League)の声明」が送られてきました。

「わたしたちは、軍拡と報復によってではなく、軍縮、国際協力、社会正義によって安全が保障されるような世界をめざすべきである。わたしたちは、きょう起きたような、何千人もの一般市民をターゲットにする攻撃をいかなる留保もなしに非難する。しかしながら、このような悲劇は、米国の政策が他国の一般市民に対して与えているインパクトを想起させるものである。わたしたちはまた、米国に住むアラブ系の人々へ敵意を向けることを非難し、あらゆる形態の偏見に反対してきた米国人のよき伝統を思い起こすよう求める。わたしたちはひとつの世界である。わたしたちは、不安と恐怖におびえて暮らすのか、それとも暴力に代わる平和的なオルタナティヴと世界の資源のより公正な分配をめざすのか。わたしたちは失われた多くの人々を悼む。が、わたしたちの心が求めているのは、復讐ではなく和解である」(君島東彦訳)。
 
 悲しみに沈むアメリカ市民の中にも、こうした人々はいるのです。テロルを根絶する闘いに、「報復・復讐」は、恒久的効果はありません。それがエスカレートして泥沼化すれば、犯罪者がかえって「聖戦の英雄」となり、ベトナム戦争や旧ソ連のアフガニスタン戦争の二の舞です。"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!" の緊急百万人署名メールもまわってきました。私は、54,302人目の署名者となりました。

 実はこの問題、今月末発売の久しぶりの拙著、『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)で強調した「民主主義の永久革命」と関わります。20世紀を「戦争と革命の時代」とホブスボーム風に総括してみると、その「戦争」自体が、アントニオ・グラムシのいう「機動戦」「陣地戦」から「情報戦」へと移行してきました。それに対する抵抗も、インターネットや携帯電話を駆使したネットワーク型になってきました。「政治の延長としての戦争」が「戦争の延長としての政治」を産みだし、政治のかたちも大きく変貌してきました。しかし21世紀の課題は、「戦争」そのものを超えて、紛争の非暴力的解決、信頼と寛容の政治を復元することではないでしょうか? そのための原理的考察を、グラムシ、ベンヤミンから丸山真男・インド憲法まで動員して、論じたものです。さる9月1日に97歳で永眠された石堂清倫さんの遺言『20世紀の意味』(平凡社)を強く意識して書き下ろしを加え、その御霊前に捧げる本です。ちょうど見本が届きましたが、本カレッジに収録した論文も、活字用に大幅加筆し整序してありますから、ぜひご笑覧下さい。石堂さんが亡くなった10日後に新たな「戦争」が勃発したのでは、20世紀の先人たちの遺訓に答えたことにはなりません。新著に引用した、丸山真男の言葉を用いるならば、

戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある。革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、『戦争』の言葉で『革命』を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである」(「春曙帖」『自己内対話』90頁)。
 

この意味を深く味わいながら、私たちネチズンは、ネットで「戦争」への最新の外電ニュースMSN朝日新聞の同時テロ特集中東諸国の反応山本芳幸さんの「カブール・ノート」「プレマ21」の戦争に反対する声、「ネットワーク地球村」のピースメール・キャンペーン、JCA=NETChanceの反報復キャンペーン、「北米同時多発テロを平和へのチャンスに」何ができるだろうリストピースネットニュース」を聞き、英語の読める方はYahoo NewsCNNばかりでなくIndependent Media CenterPeace Protest NetAlter NetCommon Dreams News CenterAmerican Friends ServiceConcerned Students for Peace and Justiceなど「アメリカのもう一つの声」をもおいかけながら、21世紀にふさわしい"CALL FOR PEACE AND JUSTICE, NOT REVENGE!" の問題解決を、最後まで模索すべきではないでしょうか? 「イマジン」をかみしめて。 


 2001.9.16 9月15日の更新直後、本「ネチズン・カレッジ」は、あっさり20万ヒットを越えました。ジャスト20万ヒットをゲットしたのは、愛知県在住の野村誠さんでした。公約通り、野村さんには、今夏オーストラリア・シドニーのアボリジニ美術館で仕入れた特製マウスパッド(写真右)に加え、私の新著『20世紀を超えて──再審される社会主義』(注文は花伝社へ)をお送りいたします。12万ヒットでフリーダ・カーロ・マウスパッドをさしあげた国忠崇史さんが、その後ご自分のサイト「小さな査問の話──鹿児島事件と私」を立ち上げられたように、20万ヒットの野村さんも、インターネット・デモクラシーの輪に加わっていただければ、ちょっといい話ですね。最近は、市民の集会も、インターネットのホームページから予告されるようになりました。10月6日(土)に「芝田進午さんを偲ぶ会」、10月12日(金)に「全国政治研究会」が開かれます。『エコノミスト』9月18日号「歴史書の棚」では、北澤一利『「健康」の日本史』(平凡社新書)藤野豊『強制された健康』(吉川弘文館)をとりあげました。『沖縄タイムス』6月5日号文化欄に掲載された「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」が、『アソシエ21ニューズレター』9月号に再録されました。この問題で11月17日に東京でシンポジウムが開かれるそうです。


不況と靖国と犯罪だけが話題の日本! 亡き石堂清倫さんのご冥福をお祈り致します。

2001.9.3 3週間ほど世界をまわって、帰ってきました。途中でインターネットもメールも通じなくなり、ご迷惑をおかけしました。失業率5%突破、株価は1万円割れ寸前、時々みるCNNや各国の新聞記事では、日本経済の不況の深刻さと小泉首相の靖国参拝がとりあげられている程度。昨年と比べても、日本が世界から取り残され、孤立していることを、実感しました。たとえばフィンランドの全国紙のほとんど唯一の日本マターは新宿のホームレスのルポルタージュ、ニューズウィークの特集はアジアから非難される小泉首相靖国参拝、CNNで久しぶりで大きく取り上げられたニュースは新宿歌舞伎町の44人死亡火災、という具合。ナショナリズムの強まる不況犯罪大国というイメージが、広がっています。帰国して日本語新聞を読むと、案の定、郵政族議員の選挙違反、凶悪犯罪の日常化、何やら末期症状の趣です。歌舞伎町の細長いペンシルビルに深夜に多くの客が詰め込まれ、狭い階段にもモノがいっぱい、一酸化炭素から逃げる避難窓さえなかったというのは、この国の悲しいサガの象徴のようです。

 そんな思いにさせるのは、経済的には停滞していても、はるかに豊かに感じられたドイツや北欧の人々の生活。湖畔のバーベキューやキノコ狩りを楽しんできましたが、貨幣に換算できない自然の豊かさ、時間の豊かさがあります。そもそも休暇の長さが違います。写真で私が持っているのは、ゴルフではありません。薪割りの斧です。庭の白樺の木を切って、その皮を燃やしてソーセージや野菜を焼き、薪にして冬に備えるのです。もちろんそんな生活には、人間の力が必要です。一つは環境保護とリサイクル。フィンランドのゴミの仕分けは、ドイツ以上。スーパーマーケットに設置された、あらゆるビンを一挙に仕分けしてリサイクルに回すシステムには、驚きました。高福祉高負担ですが、老人たちもゆったりしています。ドイツの普通の中流家庭の家では、ちょっとしたサッカー場のような庭でこどもたちがリスやカエルとたわむれ、石灯籠の日本庭園から見上げると満天の星、そこで飲むビールの味も格別でした。時間と空間と人間関係の豊かさ、これこそ、20世紀の日本で私たちが獲得できなかったものではないでしょうか?

 ちょうど帰国直前に、石堂清倫さんの訃報。享年97歳。つい先日『20世紀の意味』(平凡社)を送っていただいたばかりで、その「返歌」を『20世紀を超えて──再審される社会主義』(花伝社)という久しぶりの拙著でお届けするつもりだったのに、かえすがえすも残念です。心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り致します。石堂さんから激励され、助言を受けつつ進めてきた「現代史の謎解き」では、いくつかの成果。オーストラリアでは、本カレッジ名誉客員教授ロブ・スティーヴンのお墓参りだけでしたが、アメリカでは、日系移民労働運動指導者健物貞一について、当時を知るサンフランシスコの小橋川次郎さんらのお話しをうかがうことができ、英文『日系アメリカ人歴史百科』の記述などいくつかの手がかりをみつけ、ロシアに住む遺児アランさん、岡山のご遺族にお届けする、材料を収集することができました。飛行機の中で読んだ新刊『林芙美子 巴里の恋』(今川英子編、中央公論新社)は、ドイツ・ナチズム台頭の直前、パリで林芙美子が恋した相手を、建築家白井晟一と特定し、画期的。その白井が、「2001年の尋ね人」中のワイマール末期在独日本語新聞「ベルリン週報」(または「ベルリン通信」)の関係者と見られることから、私の在独日本人反帝グループ関係者名簿」に新たな一頁を加えることになりそうです。「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」の「ヤマサキ・キヨシ」「木村治三郎=カタオカケンタロウ」についての情報が寄せられなかったのは残念ですが。また来週から韓国に出かけますので、次回更新も不規則になるかもしれません。先日予告したとおり、今月中であろう本HPのジャスト20万ヒットを打った方には、オーストラリア・シドニーのアボリジニ美術館特製マウスパッド(写真右)をさしあげます。

 
人は、何のために祈るのでしょうか? 人の霊を「マツル」とは、どんなことなのでしょうか?

 

旧ソ連で1929年入露、41年に銃殺された「木村治三郎=カタオカケンタロウ」とその友人「石川四郎」について、情報をお寄せ下さい!

2001.9.1 いま、北欧フィンランドの森の中。オーストラリア、アメリカと順調だったネット環境がヨーロッパでなぜかつながらなくなり、ようやく復旧しましたが不安定なため、本格的更新は帰国後にさせていただきます。と、ここまで書いてアップしたところに、悲しいニュースが、飛び込んできました。石堂清倫さんが、亡くなられたとのことです。享年97歳。つい先日『20世紀の意味』(平凡社)を送っていただいたばかりだったのに、誠に誠に残念です。心から、深い哀悼の意を表します。合掌!


2001.8.13 いつもの夏のように、今年も海外に出ますので、早めの更新です。8月15日は、真冬のオーストラリアで迎えます。小泉首相は、靖国神社の「英霊」にこだわり、13日に前倒しで、参拝を強行しました。アジア諸国との摩擦はさけられませんし、「植民地支配と侵略」を認めた首相談話の内容とも、論理的に矛盾します。靖国神社は、たんなる民間信仰の場ではなく、近代日本の「富国強兵」と結びついた、特別の神社だからです。私の方は、去る4月に亡くなった親友、本カレッジ名誉客員教授ロブ・スティーヴンのお墓参りです。ついでにシドニーで、丸山真男にも祈りをささげ、「戦争の時代」であった20世紀の悲劇を、二度と繰り返さないように、願ってくるつもりです。そうです。8月15日は、丸山真男没後5周年、したがって、本HP開設4周年です。4年間で20万人弱、平均して年5万人の方々が、本HPを訪れてくれた勘定になります。もっとも実際は、カレッジ日誌を見ていただけばわかるように、ここ2年ほどでコンスタントに大きくなり、月6千人ほどの方々が、繰り返しアクセスしてくれています。ありがたいことです。その原動力が、情報収集センターにある「2001年の尋ね人」と、「在独日本人反帝グループ関係者名簿」及び「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」による「現代史の謎解き」。最近は、図書館『週刊エコノミスト』連載「歴史書の棚」の書評もあって、gooなどいくつかのサーチ・エンジンでは、「政治学」ではなく「歴史学」に分類されているようです。もっともアクセス頻度・重要度順で検索されるgoogleでも、ちゃんと本カレッジは上位に現れますから、これから会う世界の友人たちには、一応「日本の政治学のビッグサイト」「ヤフーで唯一の政治学クールサイト」と、大見得を切っておきます。飛行機に持ち込む本は、最新刊『林芙美子 巴里の恋』(今川英子編、中央公論新社)。

 その図書館歴史書の棚」の今月は、石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社)内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版)。どちらも本トップで取り上げた本ですが、先月のジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上下(岩波書店)と共に、ぜひお盆休みに、読んでみて下さい。絶対損はしないと請け負います。ついでに、井上敏夫編『野坂参三予審訊問調書──ある政治的人間の闘争と妥協の記録』(五月書房)の書評も、図書館に入れました。こちらは「徳田球一記念の会会報」という、何やらいかめしい名前のミニコミ紙に書いたもので、まあ好事家向けです。もっとも「会報」も、今度で第72号なそうですから、トッキュー(徳球)は、熱烈なファンを残したんですね。野坂参三や宮本顕治では、死後にファンクラブはできないでしょう。首相の「靖国参拝」の問題点は、安丸良夫さんや井上ひさしさんが、見事に論じていますが(『朝日新聞』夕刊8月8日・9日)、20世紀には、左翼の側にも、青山墓地内に「解放運動無名戦士の墓」がありました。ここに「合祀」されているのは、日本国民救援会により「解放戦士」と認定された人ばかりみたいですから、死んでも「階級闘争」は続くんですね。21世紀には、やっぱり政治の世界にも、沖縄の「平和の礎」や埼玉県越生町の「世界無名戦士の墓」のようなスピリットが、必要なんじゃないでしょうか?  京都大学日本現代史永井和さんHPの、「映像で見る占領期の日本」は、56年前のこの季節を、追体験させてくれます。

 こんなことを考えるのも、97歳の石堂清倫さん渾身の力作『20世紀の意味』中の「『転向』再論」を感激して読み、かつて訪れた、モスクワ中心部の片山潜らが祀られた「クレムリンの壁」と、旧ソ連粛清日本人犠牲者須藤政尾ら数万人が銃殺・埋葬された郊外「ブトヴォの森」(左、「松田照子探索記」参照)の、コントラストを想い出したから。飛行機嫌いの世襲独裁者、シベリア鉄道でやってきた金正日を迎えるために、レーニン廟が急遽整備され、エルミタージュ美術館も特別開館されたようですが、多くのロシアの民衆にとっては、迷惑なことだったでしょう。5月に本HPを通じて身元が判明した健物貞一の遺児アランさんが、自分の日本人の父の名を知ったのは、1997年でした。ちょうど岡山で、長く日本で兄の消息を求めてきた、貞一実弟松太郎さんが亡くなった頃です。埋葬地は、極北の地マガダンとわかりましたが、アランさんは、未だにそこを訪れることはできません。訪れても、父の埋葬場所を特定することは出来ません。そんな人々の「霊」は、モスクワの旧KGB本部前広場の片隅に、小さなシベリアの石片を並べた慰霊碑があって、静かに祀られているだけです。あまりにも数が多く、墓碑銘もありません。しかし「ブトヴォの森」の小さな木造の教会と同じように、遺族の花束はたえません。だれにでも、家族はいました。だれでもが持つ、家族や親族・友人の「親密圏」からこそ、祈りは生まれるのです。そして「親密圏」は、どんなに「公共圏」が広がっても、個人に委ねられるべき「生」の究極の証しです。それなのに、1941年に世を去った「木村治三郎=カタオカケンタロウ」には、未だにその証しさえ、みつかっていません。

 アランさんが60歳を過ぎて初めて知った、アメリカで「第二の片山潜」とよばれた亡父健物貞一の足跡を求めて、私は、岡山のご遺族からお預かりした1920年代西海岸からの手紙とセピア色の写真(右)を手がかりに、来週、サンフランシスコを訪れます。本HPのジャスト20万ヒットを打った方にさしあげる予定のエスニック・マウスパッドは、たぶんその後、ヨーロッパでみつけます。次回更新は、IT先進国フィンランドの森の中からの予定ですが、ひょっとすると、モデムがつながらないかもしれません。そのさいは、9月上旬までずれこみます。清く貧しく生きた、無名の人々の鎮魂の旅ですので、ご海容下さい。


夏マツリは終わった、ヒロシマ・ナガサキ・靖国・丸山真男を考える時です!

旧ソ連で1929年入露、41年に銃殺された「木村治三郎=カタオカケンタロウ」とその友人「石川四郎」について、情報をお寄せ下さい!

2001.8.1 日本の政治を「マツリゴトの構造」まで遡って論じたのは、丸山真男。敗戦記念日で、本HP開設記念日で、丸山真男の命日でもある8月15日が、近づいてきました。21世紀最初の参議院選挙というオマツリは、外野の太鼓・囃子は賑やかでしたが、前宣伝ほどではない投票率56.44%。日曜夜の開票にかり出された市町村自治体労働者の方々はお気の毒。非拘束名簿式比例選挙のややこしさのおかげで徹夜組が続出、しかも、月曜朝からは通常勤務。ご苦労様です。拘束名簿式に戻す、いっそ電子投票へ、という声もあるようですが、まずは自筆記名式投票をやめて、政党・候補者名簿チェック式にしたらどうでしょう。識字率の低い途上国の投票用紙は、たいていシンボルマーク併記のチェック式です。アメリカ大統領選挙の投票読みとり機械のいい加減さは、ブッシュ大統領誕生時のフロリダ騒動で、世界に知られました。でもチェック式は世界のほとんどの国で採用されていますし、くずし字まで読む日本の機械技術なら、アメリカみたいな醜態はないでしょう。マツリの儀式性・秘教性にこだわっているのは、「前例」にしばられた総務省の元自治官僚だけのこと。インターネット選挙によっても公選法改正を迫られていますから、いっそのこと投票方式も一緒に変えたら。どこかで一台300万円の読みとり機械更新の皮算用が始まりそうですが。

 参院選結果は、東京都議選に続いて、予想通りの「小泉旋風」で自民党圧勝。でも、低投票率もあって、一時取りざたされた2500万ー3000万票のラインには達しません。比例区2100万票ですから「地滑り」までは行かず、「改革」の大合唱も「骨太の方針」の中味は明らかにならないままで、案の定、東証株価は最安値を更新。なにしろ自民党当選者の中核は橋本派族議員。靖国神社参拝問題では、与党公明党とも閣内田中外相とも、波乱含み。90%の頂点をきわめた支持率は、もはや下降するしかありません。「ワイドショー政治」の宿命です。公明党は、地区割り候補者名投票が効いて完勝、でも自民党との選挙協力は「報われぬ献身」だったようです。扇党首をようやく当選させた保守党は、風前の灯。民主党は、野党第一党の格好はついたものの、決定打なし。社民・共産は大敗。野党のなかで、安保・防衛政策が強硬な小沢自由党だけ健闘したのも不気味。タレント候補が多かった割には、政党投票が多かった比例区。全体の流れは、矛盾をはらみ曖昧です。こんな時は、丸山真男に学んで、政治の長期的・本質的流れを読みましょう。テレビの政党広告もそうでしたが、日本の政党政治も、どうやら大統領型=党首象徴型に近づいてきたようです。いいかえれば、政党の組織戦が、首相候補たる党首のイメージ戦になってきています。アントニオ・グラムシ流にいえば、「機動戦から陣地戦へ」の20世紀段階から、「陣地戦から情報戦へ」の移行期です。機動戦の時代をなつかしんでいる政党には、右であれ、左であれ、未来はないでしょう。

 グラムシといえば、石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社)が刊行されました。97歳の現役革命家による渾身の評論集で、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上下(岩波書店)と共に、マツリの後のこの季節にこそ、熟読玩味すべき好著。特に親友中野重治に即して戦前社会主義運動の問題を論じた「『転向』再論」は必読です。私自身の読後感は、『エコノミスト』8月14日号「歴史書の棚」でとりあげます。一緒にとりあげる内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版)は、前回トップの「木村治三郎=カタオカケンタロウ」探索のきっかけをつくってくれた本です。「木村治三郎=カタオカケンタロウ」とその友人「石川四郎」についての探索データは、「カレッジ日誌」ばかりでなく、旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」の方にも入れましたが、残念ながら、今のところ、まだ情報提供はありません。大島幹雄さんの「月刊 デラシネ通信」と連携して進めている「2001年の尋ね人=ヤマサキ・キヨシ」とともに、引き続き、情報提供を求めます。「情報収集センターの「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」では、新たに、梶重樹「レニングラード東洋大学の日本人たち」早稲田ロシア文学会『ロシア文化研究』4号(1997)によって、「丘文夫」と「吉川文夫」の項を更新しました。片山潜の協力者であったレニングラード東洋学研究所日本語教師「丘文夫(本名」については、1933年結核による病死が確認されましたが、その職を受け継いだクートベ出身の「吉川文夫」が、1937年レニングラード東洋学研究者粛清の発端であったことがわかり、1937年11月4日に、レニングラード大学の日本研究者ニコライ・ネフスキー、その妻萬谷イソと共に銃殺されたことが、判明しました。これで、ソ連側・日本側双方の資料から文書記録で確認された旧ソ連粛清犠牲者は、34人となりました。実はこの「丘文夫・吉川文夫」の最新情報は、34人の犠牲者の一人である「勝野金政のご遺族から、寄せられたものです。自分の父の運命に想いをいたしながら、同じ運命を歩んだ他の日本人にも共感して、知らせてくれました。ありがたいことです。

 5月に本HPを通じて身元が判明した「健物貞一」のご遺族からも、このたび膨大な自筆手紙・写真等発見の報が、寄せられました。「国際歴史探偵」冥利に尽きます。夏休みは、これらに取り組みます。皆さんも、ヒロシマ、ナガサキ、靖国神社を振り返り、ついでにぜひ丸山真男と石堂清倫を読んで、「戦争の世紀」「20世紀の意味」をじっくり考えましょう。8月15日までに、全国の中学歴史教科書の採択も決まります。本HP図書館には、最新の『週刊 エコノミスト』誌連載「歴史書の棚」、アンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』網野善彦『歴史を考えるヒント』ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上下鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』書評、「田口富久治『戦後日本政治学史』を読む──私的断想」川上徹『査問』ちくま文庫版解説「査問の背景」が入ってます。まもなく19万ヒット、前回予告したように、たぶん9月の世界旅行中になるだろう本HPのジャスト20万ヒットを打った方に、12万ヒットのさいのフリーダ・カーロもの(左)のような、エスニック・マウスパッドをさしあげます。

 
ネチズンは、熟慮の一票を! 旧ソ連で1929年入露、41年に銃殺された「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」とその友人「石川四郎」について、情報をお寄せ下さい!

 2001.7.15鳴り物入りで始まった「小泉内閣メールマガジン」も、4号ともなるとマンネリ気味。「骨太の方針」の中味が聞けるかと思ったら、閣僚の軽いエッセイの一方的送付のみ。読者の意見への公開応答は、未だに一つもありません。ただし、211万登録者の内訳は、発表されました。男性68%・女性32%はまずまずとして、年齢分布が意外に広いのに注目。30歳以下は30%にすぎず、50代以上も18%います。職業・地域分布も平均的で、海外在住者も3万人近く。これなら十分、世論調査に使えるデータです。それならいっそう、双方向対話の応答があるべきです。私の「ネットデモクラシー」論の主張の基本は、変わりありません。おまけに参議院選挙の公示で、公職選挙法で「文書図画頒布」の一種と解釈された候補者サイトは、選挙中は更新もできず。ネチズンの最も必要な立法府選挙の情報はえられず、行政府である内閣メルマガは、選挙中も与党の政策を口当たりよく垂れ流し。どうみても不公平です。『毎日新聞』『読売新聞』『中日新聞』などで、この間この問題を、コメントしておきました。日本における本格的なインターネット選挙は、まずは公職選挙法の規制緩和から、始めるべきでしょう。ネチズンは、小泉内閣の「骨太の方針=今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」をじっくり検討して、自分たちにどのような「痛み」が求められるかを、しっかり見きわめましょう。次回更新は、参院選結果が出てからですが、くれぐれも「ブーム」や「タレント」に流された軽挙妄動は戒めて、熟慮の一票を!

 東京の梅雨は、ほとんど雨なしで開けたとか。これも異常です。地球環境が20世紀に強いられた負荷を感じます。「京都議定書」の問題は、こんなかたちで身近に迫っているのに、ホスト国だった日本政府のアメリカ合衆国ブッシュ政権に対する優柔不断は、どこからくるのでしょうか? 前回予告しましたが、『週刊 エコノミスト』誌連載「歴史書の棚」に、アンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』網野善彦『歴史を考えるヒント』に続いて、7月10日号では、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上下鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』をとりあげました。ダワーの本を読むと、「京都議定書」や沖縄米兵レイプ事件での、アメリカ合衆国に対する日本政府の煮え切らない態度の原型が、1945年の敗戦直後から、「国体護持」=昭和天皇不訴追という、当時の保守勢力の至上命題との関わりで始まっていたことが、追体験できます。キョウコ・イノウエ『マッカーサーの日本国憲法』(桐原書店)で、日本国憲法の英語草案と現行憲法の日本語文をくらべてみただけでも、「歴史の重み」が感得できます。先日、学生のゼミナールで、K・ウォルフレン『日本権力構造の謎』(ハヤカワ文庫)をテキストに使ったところ、小泉内閣のかかげる「構造改革」と敗戦「戦後改革」のどちらが本質的な「改革」かが、論点になりました。1980年頃に生まれた現在の大学生にとって、「戦後改革」は実感できません。だから、ウォルフレンの「頂点のないピラミッド」論や「1940年体制」論に乗って、戦前・戦後の断絶よりも連続を重視する議論も強く、小泉内閣はこの「ザ・システム」に挑戦しているんだ、という学生も出てきます。こんな議論を聞くと、例の「新しい歴史教科書をつくる会」がらみで日韓関係が深刻になっていますが、おおむね断絶説に立つ既存の日本史教科書も、どれだけ子供たちに「戦後民主主義」の息吹きを伝えてこれたのか、不安になります。もちろん私自身は、本HP所収「戦後日本半世紀の軌跡」「戦後冷戦と日米安保のエルゴロジー」や「戦後日本と『アメリカ』の影」に書いたように、きっぱりと断絶説に立ちます。

 歴史観の争いは、「神々の闘争」のように見えても、資料と史実に依拠する限り、ある程度の決着はできます。「歴史の審判」は、長い目でみれば、確実にやってきます。「任那日本府」問題のように、日韓歴史学のあいだで、相互了解しうる史実は多いのです。そこに敢えて「神話」を持ち込みナショナリズムを高唱する「つくる会」のねらいは、「記憶・物語」の構築主義的性格を逆手にとりながら、ヒストリーをストーリーに、「起源」を「来歴」に読み替えようとするところにあります。最近出た内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版)は、旧ソ連の強制収容所(ラーゲリ)の起源を、最北端白海のロシア正教修道院に求め、イワン雷帝時代の分離派教徒流刑の頃からの修道院=監獄の歩みをたどります。流刑地であると共に、ツアーリ専制に対する抵抗の拠点となり、ロシア革命直前の1916年には、日露戦争で日本軍の捕虜であった「旅順から来た修道士たち」を中心に、修道士の内部告発による修道院長解任・新院長選挙が行われた記録もあります。それが、レーニン極秘指令の「黒百人組」粛清・教会財産没収の対象となり、1921-23年にかけて8千人以上の聖職者が処刑され、「クロンシュタットの反乱」水兵を含む政治囚・「反革命分子」の拷問・処刑場になっていく流れ、「矯正・教育」が「強制労働」に転換されるメカニズムが、克明に描かれます。驚いたことに、1925年、アメリカ・ニューヨークで、このソロフキ政治囚への自由侵害・虐殺事件を訴える「ロシアの囚人からの手紙」が出版されていました。しかもそこには、アインシュタイン、ハロルド・ラスキ、トーマス・マン、ロマン・ロラン、ラッセル、H・G・ウェルズら、当代一流の知識人が感想を寄せていました。そこで確固としたソ連批判を貫いたトーマス・マン、政治囚に冷淡だったロマン・ロラン、中途半端で煮え切らなかったハロルド・ラスキ等々の態度の分岐をみると、「歴史観」が試されるのは、「神話」や「来歴」によってではなく、眼前で進む「現在」への判断であることを、教えられます。書かれている史実そのものも、夏休み怪談風ですが、じっくり考えると、恐ろしい20世紀の一断面です。

 私にとっての内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版)の収穫は、白海ラーゲリを体験した二人の日本人の話。一人は『長い旅の記録』(中公文庫)の寺島儀蔵さんで既知でしたが、もう一人は私の「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」に「『ソ連共産党中央委員会通報』1990年11月号の銃殺者リストに、別名タナカ・シマキチ、キムラ・ジサブローとある。1909年生まれで、41年に粛清された日本人犠牲者」とあるものの、全く手がかりなしだったカタオカ・ケンタロウの話でした。著者内田さんの調査では、1935-38年にソロフキ収容所で一緒だったロシア人チルコフの回想録に、「カタオカ」は印象深い囚人仲間として出てくるそうで、「元将校でスパイ」とされてラーゲリに入れられ、ラーゲリでは理髪師をつとめていたとか。さらに、チルコフ回想には、収容所長から「カタオカ」が自分の他の日本名についてきかれる場面があり、そこで「ジサブロウ・キムラ」「テバシ・カメキチ」「カスギ」と出てきます。このうち「キムラ」は、やはり私の「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」にある「木村治三郎(きむら じさぶろう)1929年ウラジオストックから入ソ、日本側警察資料である『思想月報』第33号(昭和12年3月)では、石川四郎と共に上海より浦塩に渡り入露、宣伝員となるも35年6月現在政治犯として入獄中、とある。別名カタオカ・ケンタローと同一人物で、1941年に銃殺された可能性がある」としてきたものです。つまり、「カタオカ」と「キムラ」が同一人物であった可能性を推定してきましたが、その通りだったようです。

ここに出てくる「石川四郎」は、31年に山本懸蔵の指示で日本に帰国、日本海員組合刷新会を組織しようとして特高警察に逮捕された活動家です。「カタオカ」も海員組合で活動したと推定されます。そこで内務省警保局『昭和6年中に於ける外事警察概要・露国関係』の「国際海員倶楽部宣伝員名簿」にあたると、木村の方は出身地の記載がなく、「本年(1931)春卒業、浦塩邦人主義者グループに加入し居たるも本人が思想的に共産主義と相容れざるものあるを認め右グループより脱退し一時反革命運動を企図し居る6月頃、経済状況視察の為ウラル方面に赴きたる由なるが約3か月前より浦塩ゲペウ(GPU)に拘禁せられたり」とあり1931年にウラジオストックで逮捕されたらしいことがわかるだけです。しかし、すでに日本で逮捕された「石川四郎」については、「明治39(1906)年12月16日生、本籍東京府三河島町字町屋264戸主長吉4男出生地栃木県河内郡瑞穂村大字下桑島、宇都宮市立下野中学校2年退学、労働総同盟で活動、昭和4(1929)年10月初旬上記木村と共に函館港内停泊中の露国貨物船に潜入密航、ジャパニーズコミュニストと称し入露希望浦塩上陸」と重要なてがかりがあります。『思想月報』では石川は昭和6年中に予審手続中止で釈放されたようですから、こちらの方から「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」につながる可能性があります。内田さんは、私のリストも『ソ連共産党中央委員会通報』もみていないため、カタオカ・ケンタロウについて、「この日本人の本名だったのか疑わしいと言えるし、確かめようがない」と書いていますが、どちらが本名かは確定できませんが、これで複数以上の資料から「木村=カタオカ」の実在が確認できました。ロシア正教弾圧から入って内田さんが発掘した白海ラーゲリの日本人体験者は、この本では寺島・カタオカの二人だけですが、私と藤井一行教授の共同研究では、勝野金政や永井二一らも、白海バルト運河の建設に強制動員されていました。内田義雄さんとは早速コンタクトをとりましたが、本HPではさしあたり、この「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」を、新たな「尋ね人」に加え、情報を求めることにします。先日のアメリカ西海岸日系労働運動指導者健物貞一のケースのように、うまく日本のご遺族までつながればいいのですが。健物貞一については、英語版HP「国際交流センター」で、1923-32年のサンフランシスコ時代の軌跡の探索・情報収集を始めました。

 前回図書館にアップした、「田口富久治『戦後日本政治学史』を読む──私的断想」、及び『週刊 エコノミスト』誌連載「歴史書の棚」のアンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』網野善彦『歴史を考えるヒント』、上述ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上下鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』に加え、ちくま文庫に先頃収録され発売された川上徹『査問』に寄せた私の解説「査問の背景」を、図書館入れました。次回更新から夏休みで、今年も世界一周の予定ですから、定期読者の皆様には、ご不便をかけるかもしれません。それも、今年こそマックPower Book G4で動こうと思っていた矢先に、電源アダプタの過熱発火のおそれというリコールで、Power Book G3修理顛末記の久しぶりの更新ですから。敗戦記念日8月15日は本HP開設4周年にあたり、丸山真男の命日でもあって、その頃20万ヒットも近いことでしょう。昨年12万ヒット記念で、フリーダ・カーロ美術館特製マウスパッドをさしあげた国忠崇史さんは、その後、ご自分の立派なサイト「小さな査問の話──鹿児島事件と私」を立ち上げられました。そうした展開を期待して、本HPのジャスト20万ヒットを打った方には、地球のどこかで新たに入手予定の、エスニック・マウスパッドをさしあげることを、予告しておきます。

 
小泉メルマガ」返事きたらず。都議選の風邪が参院選にも伝染したら、日本の大学教育はどうなる?

2001.7.1「小泉内閣メールマガジン」二百万部突破とか。私も『週刊 エコノミスト』(6月26日号)「ネットデモクラシー」論で論じた上に、自分自身でも首相官邸に「メルマガ」費1億円の費目明細を公開するよう「読者の声」を出したのですが、返事はありません。このままでは「メルマガ」は、「変人官報」の一方的垂れ流しになりそうで、ネチズンとしては、抗議の声をあげなければなりません。都議選は「小泉旋風」に乗って与党自民・公明の完勝、流れに抗した共産・社民の惨敗、月末世論調査はなお8割支持をキープ、「ワイドショー内閣」もすっかり定着して、この風がそのまま参議院選挙まで続きそうです。でも、たまたま「カゼ」と打ち込んだら「風」より先に「風邪」がでてきたので考えたのですが、小泉首相の「痛みを伴う構造改革」の「痛み」を、8割の国民は、どの程度実感できているのでしょうか? そもそも「メルマガ」も「タウンミーティング」も竹中経済財政担当相のアイディアなそうで、慶應大学竹中ゼミ学生の命名という説もあります。閣議決定された「骨太の方針=今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」がそのまま実行されると、どうなるのでしょうか? 大骨はともかく、小骨に立ち入ってみると、すでに不良債権処理による失業者については、政府の当初10-20万人の失業を「5年間で530万人の雇用機会の創出」で吸収という試算は、建設業界だけでも数十万人失業が常識ですから、あまりにも小さな見積もりだ、などと疑問が出ています。

 この「骨太の方針」で、日本の大学教育・研究は、根本的な変容を受けます。閣議決定は、国立大学再編を目玉の一つにしています。「グローバル化した時代における経済成長の源泉は、労働力人口ではなく、『知識/知恵』である。『知識/知恵』は、技術革新と『創造的破壊』を通して、効率性の低い部門から効率性や社会的ニーズの高い成長部門へヒトと資本を移動することにより、経済成長を生み出す」という時代認識に立ち、「医療、介護、福祉、教育など従来主として公的ないしは非営利の主体によって供給されてきた分野に競争原理を導入する。国際競争力のある大学づくりを目指し、民営化を含め、国立大学に民間的発想の経営手法を導入する」と明記しています。「知的資産倍増プログラム」と銘打ち、 「 大学教育に対する公的支援については、機関補助に世界最高水準の大学を作るための競争という観点を反映させる。また、個人支援を重視する方向で、公的支援全体を見直す中で、教育を受ける意欲と能力がある人が確実にこれを受けられるよう、奨学金の充実や教育を受ける個人の自助努力を支援する施策を検討する。民間からの教育研究資金の流入を活発化するため、大学が受ける寄附金・大学が行う受託研究の充実のための環境整備について、税制面での対応を含め検討する。また、社会人に対する自己啓発の支援を充実する」と述べ、「経済社会が大きく変貌し、ITを始め、技術革新も急速な進展を見せるなか、労働力には、柔軟で質の高い技術、能力が備わっている必要がある。このため、教育全般について、そのあり方を検討する必要がある。特に国立大学については、法人化して、自主性を高めるとともに、大学運営に外部専門家の参加を得、民営化を含め民間的発想の経営手法を導入し国際競争力のある大学を目指す。他方、学生・社会人に対しては、奨学金の充実や教育を受ける個人の自助努力を支援する施策について検討する」 としていることからも伺えます。むきだしの産学協同です。自然科学の応用部門はともかく、基礎科学や社会人文科学はどうなるんでしょうか? 文学や哲学は21世紀に不要なんでしょうか? 地域の人材を供給してきた地方国立大学は、統廃合の中心的対象です。

 この閣議決定の線で、すでに文部科学省は、突っ走り始めています。文部省高等教育局長の経歴を持つ遠山文部科学相は、経済財政諮問会議に「大学(国立大学)の構造改革の方針」を提案しました。日本の国立大学が、かつてない勢いで自主改革に取り組み、学生への教育改革にも立ち向かいつつある時に、突然出されたこの「遠山プラン」は、「国立大学の再編・統合を大胆に進める、民間的発想の経営手法を導入する、 大学に第三者評価による競争原理を導入する 」という3本柱で、「スクラップ・アンド・ビルドで活性化、新しい『国立大学法人』に早期移行、国公私『トップ30 』を世界最高水準に育成」がキャッチフレーズです。経済財政諮問会議で、遠山大臣は「平成15 年には形を見せたいと考えており、方向性について今年度内に明確にし、来年度は、一つでも二つでも国立大学の再編に取り組みたい」と答えています。これは、かつての政府税調会長加藤寛千葉商科大学長が小泉首相に直接苦言を呈したように、「ばかげている。日本の教育が悪くなる」政策です。詳しくは「国立大学独立行政法人化の諸問題ホームページ」に、多くの第一線科学者の危惧が寄せられていますから、それをご参照下さい。新潟大学渡辺勇一さんの「科学を金もうけの道具としかみなさない愚行で日本の科学は衰退する:科学史に照らして」 は、加藤寛氏の苦言を、科学者の言葉で語ったものです。「百年の計」を、見誤っているのです。そして、私たち国立大学に働くものも、次代を担う学生たちも、取り返しのつかない「痛み」を負うことになりかねません。「サステイナブル・ディヴェロップメント」の「持続しうる」とは、次の世代に誇りを持って受け継ぎうるという意味だったのに。

 「小泉旋風」は、「改革」スローガンから大学政策に具体化されると、こんな「悪性インフルエンザ」になってきます。かつて、サッチャーリズムを「権威主義的ポピュリズム」と規定したスチュアート・ホールに対して、本学客員教授ボブ・ジェソップらは、ホールの提起したサッチャーの「自由の復権」「個人の責任」「法と秩序」といったポピュリスト的言説の重要性を認めながらも、その社会科学的分析は、「国民の再生」のような口当たりのいい抽象的スローガンに留まっていては不十分で、「国民の常識」「選挙イデオロギー」から「政治的論題・政策」「ヘゲモニー・プロジェクト」「蓄積戦略」にいたるそれぞれのレベルで具体化されねばならず、その「ヘゲモニー・プロジェクト」の内実は、「一つの国民の再生」どころか「二つの国民への分断」戦略である、と喝破しました。サッチャーリズムが「小さな政府」をいいながら、福祉はカットしても軍事・警察予算を増やして「小さく強い国家」になってしまったように、小泉首相のナショナリズムにも、注意が必要です。靖国神社の後には、防衛庁の省昇格も、有事立法も、本命憲法改正も控えています。アメリカに行って「京都議定書」批准を説得できるのならともかく、ミサイル防衛構想に「理解を示す」だけなら、かつて私の命名した冷戦期「ジャパメリカ」か「アメリッポン」の追認に終わるだけです。ネチズンはまず、「骨太の方針」が自分の生活にどう関わるかを、見きわめるべきでしょう。

 図書館に、エッセイ風書評「田口富久治『戦後日本政治学史』を読む──私的断想」をアップ。実は二本目で、玄人向け『週刊読書人』書評とは調理法を変えて、文芸誌『葦牙(あしかび)』27号に寄稿したもの。『週刊 エコノミスト』誌連載「歴史書の棚」のコーナーを設け、アンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』網野善彦『歴史を考えるヒント』の書評をアップしましたが、7月10日号では、今一押しのジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(上下・岩波書店)をコメントします。 全国の無党派ネチズンの皆さん、せめてこの本を読んで「戦後日本の来歴」を考え、「落選運動」HPで要注意候補をチェックしてから、参院選挙を考えましょう!




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