一橋大学教育研究機構『アゴラ』2号(2001/10/1)掲載


教養ってなんだろう? 

社会学部教授 加藤 哲郎

 


 学生向けに草稿を書いたところで、創刊号をもらった。『アゴラ』というこの広場は、誰のためのものだろう? 創刊号を見る限り、どうも「関係者」教員の経験交流の場のようだ。でも「教養」ってなんだろう? 私はシステムよりも、学生の「学び」の姿勢と、それをひきだす教員の問題だと考えている。「教養課程」は、学生の「学び」の意欲がなければ始まらない。だから、あくまで学生向けに書く。

 インターネットの定番サーチ・エンジン「ヤフー・ジャパン」に「教養」と打ち込むと、百件あまりの登録サイトが出てくる。その大部分は、大学の「教養部・教養学部」と、各種学校の「文化、教養」講座である。なぜ「文化」と「教養」はワンセットなのか?

 和英辞典をひくと、「教養」でも「文化」でも、cultureとでてくる。「教養」と「文化」はどう違うかと、『広辞苑』を見ると、「きょう‐よう【教養】1.教え育てること。2.(cultureイギリス・フランス・Bildungドイツ) 単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」とあり、「ぶん‐か【文化】1.文徳で民を教化すること。2.世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。3.(culture) 人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する」と出てくる。

 どうやらヨーロッパ語のculture自体に内在するニュアンスが、日本語の「教養」と「文化」に分かれたみたいだと見当をつけて、今度は英和辞典でcultureをひくと、例えば『ライトハウス英和辞典』(研究社)には、親切なことに、「元来は『耕地』の意」として「agriculture=農業」の参照を求められ、「培い耕すこと」から直接に「(生物・植物を)栽培・培養」する方向へ、比喩的用法で「個人の品性を培うこと、修養、教養」と「社会で培われた考え方、文化」に分化していくことが、きれいに図示されている。そういわれてみると、辞書のcultureの近辺には、cultivation(耕作・修練)があり、cultured pearlは養殖真珠なのだと気づく。念のために、The Concise Oxford Dictionaryで cultureを見ると、「1.tillage of the soil; rearing, 2. improvement by (mental or physical) training; intellctual development; paricular form, stage or type of intellectual development or civilization」とあっり、「栽培→教養→文化」と、人間は自然に働きかけ、知的トレーニングを重ねて文化・文明を築いてきた、教養は文化の主体的側面なんだ、と教えられる。

 だが、「教養」は奥深い。日本語の「教養」は本当にcultureの翻訳語なのか? 漢字の中国の大学に「教養課程」はあるのだろうか? アメリカではなぜliberal arts なのか? 『日本国語大辞典』(小学館)には古代からの用例がある。「孝養」の意では東寺文書からあるらしいが、「教え育てる」は『西国立志伝』、「文化に関する広い知識」は長与善郎が挙げられているから、現在の意味は西欧語の翻訳のようだ。そこで三省堂『一語の辞典』シリーズで「文化」を手にとる。すると日本思想史の文脈では英語のcultureよりドイツ語のKulturのニュアンスが優勢で、1946年の昭和天皇人間宣言にも「教養豊カニ文化ヲ築キ」と出てくる、と知らされる。そこから日本国憲法第25条「健康で文化的な生活」の生存権には「教養を得る権利」が入るのか、などと考えると、「教養」も面白くなる。生存権は、世界憲法史上ではドイツのワイマール憲法「人間たるに値する生活」に発する。しかしGHQ憲法草案にはなく、日本国憲法を制定した国会で社会党の提案で入ったらしい、とわかってくる。日本の大学が敗戦後に「文化国家」をめざし「教養課程」を設けた意味が、伝わってくる。その息吹きを追体験しようと、福澤諭吉らの明治期「文明」思想・「和魂洋才」に対抗して生まれた大正「教養主義」を、阿部次郎や和辻哲郎で味わうのもいいし、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』で「戦後民主主義」に進むのも悪くない。

 どうやら「教養」は、そんなに難しくはなさそうだ。教科書でも教師の言葉でも、文学でもコミックでもいいから、いままで「自然」で当たり前だと思ってきた「何か」に疑問を持ち、辞書やインターネットで調べ、自分のアタマで考えることらしい。クイズに強いのも「教養」の一部だが、奥行きはもっと深そうだ。しかしなぜ「教養」の次が「専門」なのか、などと考え始めたら、いっぱしの「教養人」の卵である。それではクイズ的に「教養」を深めよう。第一問。「文明」とcity の関係は? 第二問。liberal arts にはなぜ「リベラル」の形容詞がついているのか? この「なぜ」なしには、「教養」は始まらない。 


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