故辻内鏡人さんの不慮の死を悼み、「辻内さん轢殺事件」の真相を究明するページ


12月4日夜8時15-25分、JR中央線国立駅周辺でおこった「一橋大学教授・辻内鏡人さん轢殺事件」についての情報をお寄せ下さい!


★ 2000年12月4日夜8時15ー25分にJR中央線国立駅周辺でおこった「辻内鏡人さん轢殺事件」について、引き続き皆様の情報・証言を集めています。なんでも結構ですから、ぜひ 電子メールkatote@ff.iij4u.or.jpをお寄せ下さい。プライバシーは厳格にお守りします。

★ 皆様の情報提供は、一橋大学歴史共同研究室(電話042-580-8918、ファクス042-580-8919)、及び、電子メールで中野聡さんNAKANO.Satoshi@srv.cc.hit-u.ac.jp)でも受け付けております。中野さん宛で、「追悼メール」も受け付けております。 

★ 一橋大学大学院社会学研究科教授、アメリカ史研究の辻内 鏡人(つじうち・まこと)さんは、2000年12月5日の新聞、NHKテレビ等で大きく報道されたように、12月4日夜、不慮の最期を遂げられました。享年、46歳でした。12月8日にお通夜、9日に告別式が盛大にとりおこなわれましたが、その理不尽な死に至る経緯には、多くの疑問が残されています。

★ それまで公表された初期の新聞報道の多くは、加害者の当初の供述証言にもとづく警察発表を断片的に伝えたもので、中には、あたかも辻内さんの方に「トラブル」の原因があったかのような報道まで、全国に流布されました。その後、12月14日-20日毎晩、有志ボランティアによる国立駅前ビラ配りの活動が行われ、当時の辻内さんの服装や現場付近の地図ビラに掲載して、のべ220人のボランティアが、2万枚近いビラをまき、追悼・激励を含めて百件以上の情報が集まりました。

 この活動の報道を通じて、12月20日付「朝日新聞」多摩版、21日付東京新聞「ニュースの追跡」にみられるように、初期の新聞報道により深く傷つけられた辻内さんの「名誉」も、回復されました。有志代表の中野聡さんHPは、「辻内鏡人さん傷害致死(容疑)事件に関する目撃情報の収集に協力してくださった全ての皆さん、そして辻内さんの死を悼み、その死の真相に関心を抱く全ての皆さんへ」という声明を発表しました。本HPを通じてボランティアに加わってくださった皆様、情報を寄せていただいた皆様に深く感謝すると共に、今後ともご協力・ご支援をお願い申し上げます。ありがとうございました!

加藤哲郎katote@ff.iij4u.or.jp


12月14日-20日毎晩、目撃情報収集のため、のべ220人のボランティアが、2万枚近いビラをまき、百件以上の情報が集まりました! 新聞報道では、辻内さんの名誉も回復されました! この間の皆さんのご協力に、深く感謝いたします!


<公式声明・関連サイト・追悼文・新聞記事等>
 

★ 当初の新聞報道は、各紙各版で、ずいぶんちがいました。名古屋以南では、全く報道されない新聞もありました。5日のNHKやフジテレビのニュース報道は、新聞ほど詳しくありませんでした。そして、事件直後に報道されたすべての事実情報は、加害者の当初供述をもとにした警察発表の断片でした。

★ インターネット上でも、「一橋新聞」で報じられ、アメリカ史の同僚中野聡さんが「弔いメール」を受け付けました。学生から慕われた亡き辻内さんを偲んで、宮崎竜一さんHPのように、喪に服した学生サイトもありました。勤務先の一橋大学社会学研究科は、8日付け読売新聞朝刊多摩地域版にあるように、「警察がきちんとした捜査を行い、同時に正確で詳しい説明を行うよう働きかける」ことを、一橋大学公式ホームページ上の声明を通じて発表しました。

★ その後の有志ボランティアによる国立駅前ビラ配り活動とその報道を通じて、当初の報道から出て来かねない、辻内さんの誤ったイメージは是正され、事件の輪郭が再検証されました。ご協力いただいた報道機関に、感謝いたします。

★ 朝日新聞東京新聞でのボランティア活動報道後、いくつかのテレビ局から取材の申し込みがありましたが、「有志」としての情報収集と名誉回復は基本的に達成されましたので、学生やご遺族の紹介等は、お断りいたしました。本HPも「真相解明・名誉回復」から「辻内さん追悼・ご遺族支援」へとモードを転換し、今は亡き辻内鏡人さんの人となりと学問的業績を偲び、安らかに眠っていただきたいと思います。  


<一橋大学社会学研究科公式声明>

★ 12月26日付一橋大学社会学研究科科長・評議員名「辻内さん轢殺事件についての続報」

★ 12月12日付一橋大学社会学研究科科長・評議員名「辻内さんの事故についての経過報告」 

★ 12月7日付一橋大学社会学研究科科長・事務長名「辻内鏡人さんが亡くなられたことについてのお知らせとお願い」



12/26 以下は、加害者傷害致死容疑で起訴の新聞報道を受けた、中野聡さんホームページの報告です。

[2000.12.26] 12月26日付け朝刊各紙(多摩版)の報道(加藤哲郎HPで公開中)で、辻内さん轢殺事件の 起訴状の概要が明らかになりました。ふつう起訴状は被害者の家族にさえ明らかにされないのですが、重要事件の場合は、その概要が報道関係者に対して説明されるようです。各紙を総合すると、容疑者は「4日午後8時25分頃、国分寺市富士本1丁目の市道で軽トラックを運転中、辻内さんが自転車に乗っているのを見つけ」、「時速約20キロから30キロに加速させ、前を走る辻内さんの自転車に衝突」、「辻内さんを路上に転倒させた上ひいて」、約1時間半後に死亡させた、というのが傷害致死罪の起訴状の主な内容のようです。起訴状に動機がふれられていないことについて、地検八王子支部は「法廷で明らかにしていきたい」としているそうです。
上記のように起訴状が指摘する犯行の内容は、加害者が車を加速させて追突したうえ、さらに辻内さんをひいているという点で非常に悪質であり、怒りを感じざるを得ません。取り急ぎ、ご報告にて。
12/25  以下は、中野聡さんホームページに発表された、加害者の傷害致死容疑で起訴の報告です。
[2000.12.25] 辻内鏡人さん轢殺事件の加害者が傷害致死の容疑で起訴されました。とはいっても、事件の真相がこれで私たちに対して明らかにされたわけではありません。公判が始まるのは2ヶ月ほど先のことになるでしょう。私たちとしては引き続き事件に関連する情報を広く市民の皆さんから募るとともに、今後、公判で事実が明らかにされるであろうことに期待し、また今後の捜査・裁判そして報道の行方を見守り、必要が生じればいつでも毅然とした対応をとりたいと思います。取り急ぎ、ご報告にて。

★ 「有志」代表中野聡さんHP12月20日付「辻内鏡人さん傷害致死(容疑)事件に関する目撃情報の収集に協力してくださった全ての皆さん、そして辻内さんの死を悼み、その死の真相に関心を抱く全ての皆さんへ!」(その英訳は、English statememt on the incident of Prof. Tsujiuchi


★ 故辻内鏡人さん主宰アメリカ史研究ホームページ「Amstud 」

★ アメリカ史研究中野聡さんホームページ(「追悼メール」も受け付けます、2001年より「追悼・辻内鏡人 1954-2000」開設)

★ 辻内鏡人さん目撃情報収集ビラまきボランティアの記録(2000年12月14-20日) 


★ 「独立行政法人反対首都圏ネットワーク」岩崎稔さん追悼文

★ "Academic Resource Guide" 岡本真さん追悼文(2000.12.17編集日誌)

★ 加藤哲郎「私的追悼 『愛すべき好漢』辻内鏡人君と松井坦君のこと」(ver.2)



★ 毎日新聞12月26日多摩版「一橋大学の交通死亡事故 容疑者を起訴、地検八王子支部」

★ 東京新聞12月26日多摩版「大学教授を故意にはねた男、傷害致死罪で起訴、地検八王子支部」

★ 朝日新聞12月26日多摩版「一橋大教授交通死 運転手を起訴、地検支部」

★ 読売新聞12月26日多摩版「トラック運転手を傷害致死罪で起訴、一橋大教授死亡事件」

★ イ・ヨンスク「eメール時評 少年たちだけではない」(朝日新聞2000年12月24日)

★ 東京新聞12月21日朝刊「ニュースの追跡:一橋大教授の交通死亡『事件』、寒風の中同僚らビラ配り。真相究明へ独自の目撃者捜し、ネットでも呼び掛け『加害者供述中心の報道では不公正』」 

★ 朝日新聞12月20日朝刊多摩地域版「事件の真相知りたい、教え子らビラ配り、目撃者なく容疑者の供述も不自然」 

★ 毎日新聞12月17日朝刊多摩地域版「目撃情報寄せて、国分寺・教授交通事故死、同僚ら呼びかけ」

★ 読売新聞12月16日朝刊多摩地域版「一橋大教授死亡で情報提供呼びかけ」

★ 読売新聞12月10日朝刊多摩地域版「期待の学者だったのに、はねられ死亡した一橋大教授、500人参列し告別式」

★ 読売新聞12月8日朝刊多摩地域版「大学側 真相究明訴え」

★ 読売新聞12月7日朝刊多摩地域版「容疑者を送検」

★ 東京新聞12月6日朝刊「兄貴分のような先生だったのに」

★ 毎日新聞12月6日朝刊「一橋大学教授死亡事故で運転手追求」

★ 産経新聞12月6日朝刊「故辻内鏡人氏の通夜・告別式」

★ 読売新聞12月6日多摩地域版「一橋大教授傷害致死、自転車で追われた?」

★ 毎日新聞12月5日夕刊3版「故意に衝突?運転手逮捕」(多摩八王子版)

★ 訃報通知 一橋大学教授の辻内鏡人氏死去(朝日6日)、辻内鏡人氏=一橋大教授 (読売6日)、故辻内鏡人氏の告別式(共同通信ニュース6日)

 辻内 鏡人氏(つじうち・まこと=一橋大学教授・アメリカ史)は、4日午後9時51分、交通事故による血胸圧迫のため東京都府中市内の病院で死去、46歳。葬儀・告別式は9日午前10時30分から東京都国分寺市西恋ケ窪1の39の5の東福寺むさしの斎場で。喪主は妻衣子(きぬこ)さん(朝日)。


<「事件」の初期報道> 

 「朝日コム」速報(朝日新聞5日も同じ) 自転車の一橋大教授、軽トラックにぶつかられ死亡

 4日午後8時25分ごろ、東京都国分寺市富士本1丁目の市道で、小平市小川町1丁目、一橋大学教授辻内鏡人(まこと)さん(46)が乗った自転車に軽トラックが衝突、辻内さんは病院に運ばれたが、胸を強く打って1時間半後に死亡した。警視庁小金井署は、軽トラックを運転していた立川市若葉町2丁目、運転手 容疑者(44)を傷害致死の疑いで現行犯逮捕した。
  調べによると、容疑者がJR国立駅付近を走行中、自転車に乗った辻内さんが助手席のドアをたたくなどしたためスピードを出して数百メートル逃げた。辻内さんが追いかけてきて右から追い抜き、軽トラックを止めようと左へハンドルを切ったところへ、車をぶつけたという。同署でトラブルの詳しい原因などを調べている。
  辻内さんは、一橋大社会学部の教授で、アメリカの歴史や社会、思想などの研究をしていた。共著に『キング牧師』がある。(asahi com. 12月5日午前01:49)

★ 一橋大教授死亡:交通上のトラブルで故意にはねた運転手を逮捕 (毎日新聞HP2000年12月5日朝8時改訂版)

 4日午後8時25分ごろ、東京都国分寺市富士本1の市道で、自転車に乗っていた小平市小川町1、一橋大社会学部教授、辻内鏡人(つじないまこと)さん(46)が、立川市若葉町2、運転手、容疑者(44)の軽貨物自動車にはねられ、辻内さんは胸を強く打って間もなく死亡した。小金井署は、交通上のトラブルで故意にはねて死なせたとして、容疑者を傷害致死容疑で現行犯逮捕した。
 容疑者の供述などによると、自転車に乗った辻内さんが、20キロ前後で走っていた容疑者の車が停車するたびに助手席の窓やフロントガラスを手でたたいたため、「けがをさせてもやむを得ないと思った」という。辻内さんはアメリカ研究が専攻。

★12月5日、毎日HP第1報(午前01:42)

 4日午後8時25分ごろ、東京都国分寺市の市道で、自転車に乗っていた小平市の一橋大社会学部教授、辻内鏡人さんが、立川市の運転手、 容疑者(44)の軽貨物自動車にはねられ、辻内さんは間もなく死亡。小金井署は、交通上のトラブルで故意にはねて死なせたとして、容疑者を傷害致死容疑で現行犯逮捕した。

★ 時事通信配信 2000年12月5日(火) 午前1時40分  自転車の一橋大教授死なせる=車ぶつけた運転手逮捕−東京(時事通信)

 4日午後8時25分ごろ、東京都国分寺市富士本の市道で、小平市小川町、一橋大学社会学部教授辻内鏡人(まこと)さん(46)が乗った自転車に軽貨物自動車が衝突、辻内さんは病院に運ばれたが、間もなく死亡した。小金井署は、傷害致死の現行犯で車を運転していた立川市若葉町、運転手 容疑者(44)を逮捕した。
 調べによると、軽貨物自動車は配達の途中、一方通行の道路を逆走。辻内さんの自転車も同じ方向に走っていた。容疑者は「助手席のドアやフロントのガラスを手でたたかれた。いったんやり過ごしたが、自転車が右側から前に出ようとしたので、けがをさせてもしょうがないと思ってぶつけた」と供述している。[時事通信社 2000年12月 5日 01:40 ]



<本コーナーはなぜ設けられたか?> 

★ 私は、辻内さんの同僚であり友人の一人ですが、実は、職場の同僚になる以前の、ちょうど20年前の1980年11月、今回の「事件」と酷似した、共通の友人であった松井坦さんの不幸な交通「事故」死を通じて辻内さんと知り合い、数年間一緒に真相解明に努力し、20年間一緒にご遺族のその後を支援してきた者です。20年後の不幸な偶然のめぐりあわせに、特別の感慨があります(別項「私的追悼」参照)。そこで、小金井警察署の捜査や一橋大学社会学研究科の調査を尊重しつつ、それとは別に、大学公式サイトとは一切関係ない本個人サイトを使って、私個人の責任で、独自に真相解明に取り組むことを決意しました。個人の力に限界があることは、十分承知しています。しかし、一人の人間の尊厳を奪った「事件」の真相に迫らずに済ますのは、辻内さんと私をつないでくれた、故松井坦さんの遺志にそむくものだと考えました。

★ そこで、9日まで「事件」の資料紹介と辻内さん葬儀を案内し、多くの辻内さんを知る皆様にアクセスいただき、追悼メールを寄せていただいた本コーナーを、「辻内鏡人さん轢殺事件」の真相解明を主としたページにそのまま移行させ、20世紀が終わる大晦日の更新まで、より広く情報を収集したいと思います。皆様のご協力・ご支援をお願いいたします。ご遺族への支援については、これからいろいろな試みがなされるでしょうから、本コーナーではそれを紹介し、側面から支えていく予定です。なお、12月8日までに皆様から私によせられた追悼メールは、本ページのコピーと共に、告別式の朝に、喪主辻内衣子さんにお渡ししておきました。

★ お断りとご注意東京新聞12月21日「ニュースの追跡」でも紹介された、「加藤哲郎の研究室」内のコーナーは、2000年12月31日をもって終了いたしました。2001年からは、辻内さんと親しかった方々のためのデータベースサイトとし、かつ、同僚中野聡さんHP内にオープンした「追悼・辻内鏡人 1954-2000」コーナーとも相互リンクされています。

★ 改めて、故辻内鏡人さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。


いま一番お得なページ!since Dec.22, 2000

教育センターTOPに戻る

ホームページTOPに戻る