ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
■9.11アフガン戦争特集最新情報・論説サイト「IMAGINE! イマジン」、■祈り・癒し系♪ IMAGINE GALLERY、■時系列ではイマジン反戦日誌、■論説は「IMAGINE DATABASE 2001」、英語■Global IMAGINEにリンク!
2002/12/20(追記)韓国大統領選挙は、大接戦の末、若者をネット選挙に動員した盧武鉉候補が当選しました。新時代の始まりです。日本に帰国した拉致被害者5人全員が、自らの意思で北朝鮮バッジを外しました。北朝鮮に戻らぬ選択そのものが、政府決定以前のご自身の決断でした。国立大学通りマンション景観権裁判で、東京地裁は、住民の「景観利益」を認め、20メートル以上の建物撤去を命ずる画期的判決を下しました。 詳しくは、「IMAGINE!
イマジン」へ。そして、よいクリスマスと新年を!
2002/12/15
21世紀の2年目の終わりに、隣国韓国の大統領選挙が燃えています。19日が投票日で、まもなく結果が出ますが、私たちネチズンにとっても見逃せない、熱い選挙が行われています。この選挙戦、日本の新聞やテレビでの報道は少ないですが、インターネットを使えば、臨場感をもって、韓国有権者と同じ興奮を日々味わうことができます。中央日報、東亜日報、朝鮮日報の3大紙は立派な日本語ページを持っています。左派のハンギョレ新聞も読めます。そこで報じられているのが、インターネット選挙の過熱。e-大統領選挙なそうで、「ネットには誹謗・中傷も IT大国・韓国の
大統領選」「特定候補を支持、中傷 やりたい放題」と、ブロードバンド1000万戸の普及を基礎に、情報戦が展開されています。与党候補者は、叩き上げ弁護士の新千年民主党盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が、国民統合21の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表との候補一本化に土壇場で成功し、わずかにリードとか、野党ハンナラ党は裁判官出身の保守エリート李会昌(イ・フェチャン)候補が追い上げています。韓国のメディアを見ていると、第3の候補、新聞記者出身の民主労働党権候補も健闘しているようです。大きな広場での街頭演説会は姿を消し、ネット募金やMLを使った支持獲得合戦が中心、韓国で伝統的な出身地域別支持構造も崩れてきている、といいます。インターネット選挙という意味では、すでに2000年韓国総選挙「落選運動」が、ブッシュ対ゴアのアメリカ大統領選挙と並んで世界の先駆けとなりましたが、ブロードバンドが行き届いた今回の大統領選の行方は、21世紀の情報政治のあり方を占うものとして、世界的にも大きな意味を持ちそうです。
世界的というのは、実はその争点が、アメリカの対イラク戦争切迫というグローバルな問題にリンクし、さらに、私たちにとっても深刻な、北朝鮮核開発・拉致問題の行方をも、動かしかねないからです。これは日本のメディアでも報じられていますが、今年6月の米軍車両による女子中学生二人の轢死事件で、米軍軍事裁判が「無罪」としたため、急速に反米運動が盛り上がっています。連日アメリカ大使館への抗議デモが行われ、星条旗が燃やされている様子は、1995年の沖縄の怒りを想起させます。中でも創意的なのが、インターネットを通じて広まった「ろうそくデモ」、ソウルばかりでなく全国で反米感情が燃え上がり、ブッシュ大統領の直接謝罪を要求し、韓米地位協定( SOFA )改訂を求める運動の起爆剤になりました。与野党両候補とも、SOFA改訂を公約しています。他方、北朝鮮が、日本人拉致犠牲者帰国直後に核開発を認め、友好国中ロを含む国際世論の反発・憂慮にもかかわらず、93-94年「核危機」の再来で、イエメンにミサイルを輸出したり、国際機関の核査察を拒否し核施設封印の撤去を要求する「瀬戸際外交」に出ていることが、韓国大統領選挙に大きな影を落としています。北朝鮮は、一方で韓国の「反米世論」を煽りながら、他方で金大中現大統領の「太陽政策」を継承する与党ノ・ムヒョン候補の支持基盤を掘り崩す、選挙の撹乱要因になっています。そればかりか、イラク攻撃の口実とされたブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言を自ら引き受け、「ならずもの国家」らしくふるまって、次のターゲットにしてくれといわんばかりの暴走ぶりです。いま、北朝鮮で、何がおこっているのでしょうか?
★ 「北朝鮮拉致問題でニューヨークタイムズに意見広告を出そう!」「北朝鮮拉致問題でニューヨークタイムズに意見広告を出そう!」(特設HP、英語サイト)への 募金総額は、現在 13,681,516 円です。 2,390 名 の方々の募金によって、「7人の会」の意見広告が12月23日付け『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されました。北朝鮮の核問題と韓国新大統領の記事が掲載されたページの反対側紙面への掲載です。よびかけ人「7人の会」の一人として、この場を借りて、厚く御礼申し上げます! 当初の目的を達したこの会は、2003年1月10日ごろをめどに会計報告を公表し、横田滋さんらの「家族の会」に剰余金をお渡しした時点で「凍結」いたします。
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おまけに私たちは、「グローバル・ピース・キャンペーン」のような、組織を持ったNGOではありません。それぞれの思いを持つ7人が、意見広告掲載の一点で声をあげ、言いだしっぺの有田芳生さんを中心にしながら、それぞれの持ち味を生かして結束してきた、暫定的ネットワークです。もちろん年内予定の意見広告掲載までは、関係者のメーリングリストと電話・ファクスで意見を調整しあい、たぶん明16日(月)には、意見広告のデザインと広告掲載文が発表されます。英語・ハングルに日本語もちょっぴり入ったものになるはずです。そしてそこには、英文サイトの開設と世界の読者からの拉致被害者情報を求める窓口のアドレスも掲げられます。ひょっとしたら、スペインや北欧・東中欧から、思わぬ手がかりが現れるかもしれません。私たちは、横田めぐみさんをはじめとした金正日による拉致被害の実態が世界に知られ、国際世論の力で、被害者の全員が一日も早く家族のもとに戻れるよう、心から願っています。
でも、蓮池さん夫妻ら5人の拉致被害者帰国から2か月、日朝交渉は膠着したままです。この間のメディアのあり方を危惧し、帰国した拉致被害者をもういちど北朝鮮に連れて行くべきだという意見も、出ています。例えば、日本の「進歩的」ジャーナリストの組織であるJCJ(日本ジャーナリスト会議)サイトのトップには、「編集長から」として「『家族が来なければ帰さない』という要求は無理だ。(1)帰国当時『1週間か10日の一時帰国』と政府も公言、認めていた(2)子供が納得しなければ帰れないのも、引っ越し準備も当然(3)子供は拉致とは無関係、ジェンキンスさんは逮捕の危険、みんな独立した人格だ。唯一の解決策は、日本も北朝鮮も彼らの『居住と国籍選択の自由』を確認しこの家族だけでも自由往来を保証すること。これしかない 」とあります。ここでの「帰る」という言葉には、「子どもたちが日本に帰国する」と「日本人拉致被害者が北朝鮮に帰る」の混濁があります。「この家族だけでも自由往来」という提言には、金正日の北朝鮮国家支配の実態認識の問題と、横田めぐみさんをはじめとした他の拉致被害者の消息追求へのあきらめが、感じられます。金正日は、日本国内のこうした発言に注目し、期待しているようです。ご家族自身の長い地道な努力が、ようやく暗闇のトビラをこじ開け、24年間放置してきた政府と世論を動かして、解決への道を踏みだし始めたばかりだというのに。 なによりも、蓮池さん・地村さんご夫妻、曽我ひとみさんが、自分たちで深く葛藤し、決断して、ここまで来たのに! 在日朝鮮人の皆さんの中でも、さまざまな動きがあるようです。総連機関紙「朝鮮新報」にも、「われわれ在米コリアンは、これらの日本人被害者とその家族に深い同情を寄せている。われわれはこの機を借りて、遺憾と謝罪のしるしとして被害者補償のための基金設立計画を発表する」という朴文在「朝鮮半島の核安保危機 -在米コリアンの視点〈上〉」が掲載されました。拉致問題を自らの問題として深刻に受けとめ、そうしてこそ強制連行や慰安婦問題での個人補償を日本政府に要求する正当性を日本の世論に訴えうる、という考えのようです。私たちの方も、この痛切な訴えを、真剣に受けとめなければなりません。
前回トップでとりあげた、旧ソ連粛清犠牲者「服部サンジ 三重県出身、ハルピン日露協会出身、レニングラード俳優学校卒業後ラドロフ劇場舞台監督、1937年逮捕・38年銃殺」の身元は、未だわかりません。しかし、私の『国境を越えるユートピア』(平凡社ライブラリー)で紹介した日本人粛清犠牲者の一人、寺島儀蔵さんのご親族から、丁寧なお手紙をいただきました。昨年ロシアで亡くなられた寺島さんには、生前幾度かインタビューしましたが、忘れられない言葉があります。94年に東京でお会いしたさい、私が国崎定洞や山本懸蔵の「日本のスパイ」容疑での銃殺から、スターリン粛清の政治的背景を問いただしたのに対し、ラーゲリ生活18年の寺島さんは、「いや私たちは奴隷労働力ですよ」とあっさり答えられました。政治指導者の粛清から研究を始めた私は、虚をつかれましたが、考えてみれば、本当の政治的理由での「人民の敵」摘発は、数の上では小さく、圧倒的多数の犠牲者は、ささいな不平不満や密告で強制収容所に送られ、鉄道建設や運河作りに強制動員されました。それが、戦後のシベリア抑留でも、繰り返されたのです。今回の日本人粛清犠牲者「服部サンジ」を発掘したロシアのNGO「メモリアル」創設者の一人、歴史学者ワレンチン・レベジンスキーも、自らのラーゲリ体験から、「馬鹿げたラーゲリをつくった理由は、ボリシェヴィキがすべての人間を共産主義者に改造するのはムリだと知っていたからかもしれません。暴力革命によってつくりあげたこの体制に批判的であったり、従わなかったりする人物が社会のなかにいては、何かと面倒です。ならばひとくくりにして一般の市民に影響を与えられない場所へ押しこめてしまえ」ということだった、と述べています。当時「労働者の祖国」「社会主義計画経済」ともてはやされたものは、強制収容所をビルトインした「奴隷包摂社会」でした
北朝鮮にも、よく似た事情があります。この間、重村智計さん、高世仁さん、萩原遼さんら言葉の正しい意味でのジャーナリストたちの努力で、北朝鮮「政治犯収容所」の内実が、次々に明るみに出てきました。いったん成立した強制収容所は、存在するだけで、外の「一般の市民」にも影響を与えます。ソルジェニツィン『収容者列島』の一節を思い出します。第4部第3章「打ちのめされた娑婆」は、「娑婆」から隔離された強制収容所が存在することで、その社会に生きる人々はどのような生活を強いられるかを、活写しています。曰く、「娑婆」に蔓延する(1)絶えざる恐怖、(2)定住制度、(3)秘匿性・全面的な相互不信、(4)全面的な無知、(5)密告制度、(6)生存方法としての裏切り、(7)精神的堕落、(8)生きる知恵としての虚偽、(9)無慈悲な残酷さ、(10)奴隷的心理、……(新潮文庫版、第4巻)。かつて「地上の楽園」を夢見て在日朝鮮人とその日本人妻10万人近くが「帰国」したのは、そのような社会だったでしょう。そこに、未だに日本人数十人、韓国人500人を含む数百人の拉致犠牲者が強制的に収容され、残されていると思われます。そして、「娑婆」の飢餓と貧困、「出生成分」という身分差別に絶えかねて、数万数十万の規模で「脱北者」が生まれ、金王朝を見放しています。「1987年、穏城収容所で5000人を大虐殺」という、金日成時代の収容所内抵抗暴動の記録も、昨日、韓国で報じられました。北朝鮮の内部にも、かつてのルーマニアのような、マグマの蓄積が感じられます。新しい年を迎えるにあたって、そのような人々と家族たちの苦悩に、改めて想いをめぐらしたいものです。一日も早い、平和的解決を願って。
長くなったので、あとは「IMAGINE! イマジン」へ。『エコノミスト』11月26日号の「現代資本主義を読み解くブックガイド」(2002年版)は、そのオリジナル長文版を図書館に入れました。図書館の「歴史書の棚」には、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』(めこん)、原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀──グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』(平凡社)、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)に続いて、新たに吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)と、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性──「9.11」と「世直し」68年』(青木書店)を収録しました。年末12月31日号(12月23日発売)『エコノミスト』では、いよいよ今年の真打ち登場で、小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)を、10月に本トップで紹介した下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)と共に、味わいます。石堂清倫『20世紀の意味』書評(『歴史評論』2002年10月号)、「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)などと共に、ぜひご参照下さい。先に刊行した加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)は書物でウェブに公開できませんが、「現代日本社会における『平和』」(『歴史学研究』11月号)は学術論文ですので、雑誌発売3か月後の1月に公開します。
2002/12/6追記 「北朝鮮拉致問題でニューヨークタイムズに意見広告を出そう!」の運動は、皆様の熱いご支援で、当初の目標600万円に対して、1週間で特設HPへのアクセス数6万、1500人以上の方から寄せられた浄財が1千万円、NYT広告掲載のほか、「家族の会」の皆さんへのカンパもできる、多額の募金が集まりました。よびかけ人「意見広告七人の会」の一員として、この場を借りて、厚く御礼申し上げます! 金額以上に感動的なのは、掲示板やメールで寄せられた皆さんの声。在日朝鮮人・韓国人の方も、アメリカ在住の方も、小遣いを貯めて送ってくれた小学5年生も、忘年会を減らして拠金された方も、本当に本当に、ありがとうございました! 皆さんの善意の一つ一つ、涙なしには読めませんでした、心から感謝いたします! なお、これは第一次集計で、引き続き募金は受付中です。
2002/12/1
悲しい報せが、二つ入りました。一つは、20世紀アメリカ・リベラリズムの良心の一人、ジョン・ロールズ教授の訃報です。いまブッシュ大統領が唱える「悪の枢軸に対する報復の正義」とは全く異なる、「人間の自由に対する平等な権利のための正義」を考え抜いた政治哲学者でした。もう一人は、「服部サンジ」、無名の人です。朝日新聞11月27日外信面の「スターリン3万人? 虐殺地 最大規模の埋葬場所発見」という記事中に、「サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)でスパイ容疑で銃殺された日本人、三重県出身のハットリ・サンジという名で、ペテルブルグ・ラドロフ劇場の舞台監督だった。38年に処刑されたとの記録があった。日本でも、特高警察の記録に同一人物と見られる『服部』という日本人がソ連でスパイ容疑で逮捕された可能性もあるとみられていた」とあります。発見したのは、ソ連崩壊後、ロシア政府が旧ソ連の国家犯罪解明に消極的だったため、自らの学問的・思想的良心でスターリン粛清犠牲者の発掘を十年以上続けている歴史学者などのボランティア団体「メモリアル」の人々、フィンランド国境に近い小さな村に「スターリンの虐殺地がある」という村の言い伝えを手がかりに、ロシア軍演習地を発掘したところ、1936-38年期に粛清された3万人以上と見られる犠牲者埋葬地がみつかり、遺骨そのものは特定できないが、その犠牲者名簿中に「服部サンジ」の存在が確認されたというものです。本HPのリピーターの方は、お気づきかもしれません。「情報収集センター」の特別研究室「今年の尋ね人」で、2000年に「1937年9月、レニングラードで粛清されたと推定されるハルピン日露協会出身、舞台監督服部(はっとり)某氏についての情報をお寄せください!」とよびかけ探索し続けてきた、スターリン粛清日本人犠牲者の一人です。私の最新著『国境を越えるユートピア』(平凡社ライブラリー)185頁にも、「犠牲者ナンバー27」として出ています。行方不明になってから、実に65年後の死亡情報確定です。そして、ロシアには、なお数十人の消息不明の日本人犠牲者がいます。
「服部」の名前の「サンジ(参治?)」と「三重県出身」という「メモリアル」のロシア語KGB資料からの調査結果は、今回初めて現れたもので、以下の私の「日本人犠牲者・候補者名簿」収録情報と照合すると、ご遺族に到達することが、できるかもしれません。お心当たりの方は、ぜひ ご一報下さい。
★ レニングラード小劇場の舞台監督服部氏 1937年当時、旧ソ連で演出家土方與志の知人であったレニングラード劇場の舞台監督で、『特高月報』昭和16年7月の「プロット代表として入露せる土方與志の検挙」中の「在露中交際せる日本人」によると、「服部某 ハルピン日露協会出身、チタ領事館に勤めたることあり。レニングラード俳優学校卒業後レニングラード小劇場舞台監督、昭和12(1937)年9月頃、日本スパイの嫌疑により逮捕せらる」とされており、日本人粛清犠牲者の一人であった可能性が高い。 資料の出所は、土方與志の帰国後警察供述調書(土方與志『演出者への道』勁草書房、所収)と『土方梅子自伝』(早川書房)で、これは、2年前に本HPと読売新聞・日経新聞等の協力で身元が判明し、ご遺族に命日・埋葬地をお伝えできた、「テルコ・ビリチ=松田照子」の場合と全く同じである。「テルコ・ビリチ=松田照子」については、この間の調査で土方夫妻の証言が正しかったことが証明されたので、この「服部某」についても、同じ運命にあった可能性がいっそう強くなった(加藤『モスクワで粛清された日本人』、内務省『社会運動の状況 昭和10年 共産主義運動』)。
本日から、「北朝鮮拉致問題でニューヨークタイムズに意見広告を出そう!」の募金サイトを、開設しました。「意見広告七人の会 」の名前で、私も、重村智計さん、高世仁さん、勝谷誠彦さん、日垣隆さん、湯川れい子さん、有田芳生さんと共に、よびかけ人に名を連ねています。なにかブッシュ並みに「悪の枢軸北朝鮮を撃て」風の政治運動だと誤解していらっしゃる方もいるようですが、よびかけ文と、『ニューヨーク・タイムズ』に英語とハングルで掲載予定の文章「アジアの平和と民主主義のためにパートナーシップを!」「人間への愛情と人権の回復を! 金正日国防委員長殿」をじっくりお読み下さい。私たちは、それぞれの想いはありますが、この一致点で共同し、全世界によびかけ、何とか国際世論の支持を得て、第2、第3の「服部サンジ」を出さないようにしたいと願っています。ご賛同できる方は、ぜひ「募金方法」の欄をクリックして、銀行振込ないし郵便払込・振替で、ご協力下さい。最近、「救う会」を騙った詐欺事件も起きているようです。私たちの社会運動は、逐次募金額と進行状況を公開・報告します。また、少なくとも私は、金正日の指令と責任による国家テロである拉致問題を理由とした、在日朝鮮人・韓国人の方々への暴力やいやがらせに、強く反対するものです。拉致被害者も、「地上の楽園」に惹かれて帰国した在日朝鮮人だった方々や日本人妻も、強制連行された朝鮮人の皆さんも、従軍慰安婦にされた人々も、現在北朝鮮で飢えている人々も、みんな被害者です。25年前の横田めぐみさんの拉致事件と、その後のご家族の長い長い悲しみ・苦しみを、『ニューヨーク・タイムズ』紙上で紹介しますが、私たちの運動には、ご両親の横田滋・早紀江ご夫妻からも、メッセージをいただきました。
★ 1週間で特設HPへのアクセス数6万、1800人以上の方から浄財で1千万円突破!
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私の主宰する反戦平和サイト「IMAGINE! イマジン」には、「N0 TERRORISM! No REVENGE! NO WAR!」のロゴが掲げられています。長く本ページに掲げてきた「Peace Flower 平和の一輪」は、昨年9.11に触発された韓国のSon. Dug-sooさんが、IMAGINE GALLERYに寄せて送ってきたものです。昨日、カナダ在住の翻訳家川上直子さんは、世界平和を願って「セキュリティという過剰:アメリカ人の危機意識から考える9.11と現在」という力作を、「IMAGINE! イマジン」に寄稿されました。北朝鮮難民の問題では、すでに加藤博さんたちの北朝鮮難民救援基金が「脱北者への人権侵害を裁く国際法廷」を企画していますし、李成和さんたちの[RENK」や萩原遼さんたちの北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会「カルメギ」も精力的に活動しています。中野徹三さんは「国際刑事裁判所設立条約の早期批准を―拉致被害者の救済のために―」と訴えており、殿下こと安田隆之さんは、Regain Our Children Kidnapped By North Korea!のブルーリボン運動を主宰しながら、私たちの「北朝鮮拉致問題でニューヨークタイムズに意見広告を出そう!」の英文作成に、献身的にご尽力いただきました。個人テロであれ、国家テロであれ、それに暴力で報復し、戦争で解決しようとするのは、おそらく被害者・犠牲者をも冒涜し、新たな問題を再生産するだけでしょう。ZNNやATTACを待つまでもなく、いまや平和と人権を守る社会運動は、国境を越えます。アメリカのイラク攻撃に反対して、昨年9.11後に大きな力を発揮したGLOBAL PEACE CAMPAIGNは、再び「戦争の現実をアメリカ市民の皆さんに伝えたい 全面広告 イラク再攻撃にNO!」の運動を始めました。私にとっては、アメリカのイラク攻撃と北朝鮮拉致問題・核疑惑の国際世論による解決は、現局面の世界平和の問題の両輪です。「IMAGINE! イマジン」は、しばらくこの両方を、追いかけ続けます。
前回更新でお知らせしたように、『エコノミスト』11月26日号に、冷戦崩壊後の「現代資本主義を読み解くブックガイド」(2002年版)を発表し、そのオリジナル長文版を図書館に入れました。10年前に書いた「現代資本主義を読み解く――21世紀のためのブックガイド」(1993年版)と読み比べてください。「グローバリゼーションと帝国」が、新しい問題として浮上したことがわかるでしょう。同じ『エコノミスト』の現在発売中12月3日号では、連載「歴史書の棚」で、ちょっとひねって吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)と、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性──「9.11」と「世直し」68年』(青木書店)をとりあげました。図書館収納は次回になりますが、御笑覧下さい。実は今月は、過労死寸前の忙しさで、論文4本に書評3本執筆、ほかに土日は研究会・講演・合宿で、11月末も自宅におらず、早めの更新にしました。ただし大きな収穫は、芹沢光治良の大河小説『人間の運命』全14巻を再読し、この小説が、自分のワイマール期在独日本人反帝グループ研究とさまざまにつながることを確認できたこと。驚いたのは、一高・東大経済学部を経て農商務省に任官し、フランス留学後中央大学で貨幣論を講義しながら小説家に転身した著書芹沢が、20年代在独日本人ベルリン社会科学研究会中心メンバーの有澤広巳と同学年同ゼミ(糸井靖之ゼミ)で、二人とも早逝した糸井助教授に、発足したばかりの東大経済学部に助手として残るよう勧められていたこと(有澤は統計学で、芹沢はフランス経済)。結局有澤が大学に残るが、今度は「洋行」が重なり、しかも同時期に、芹沢の親友菊池勇夫・横田喜三郎は、パリで芹沢と一緒だった後、ベルリンに移って有澤らの社会科学研究会に入り、国崎定洞や千田是也とも交遊する。ところが『人間の運命』では、助手としては有澤の親友大森義太郎が登場し、菊池・横田も準主役級で出てくるが、なぜか有澤広巳らしい人物は出てこないのです。そのほか林芙美子のパリ外遊や勝本清一郎・島崎蓊助の訪独、はてはパリ大学での勝野金政らしい青年との出会いまで出てきて、感激しました。この小説に、ようやく整理を始めた「川村金一郎(1908-99)資料」を重ね合わせると、もう一つの大河小説になりそうです。先に刊行した加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)が、その接着剤になりそうです。カレッジ図書館・「歴史書の棚」には、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』(めこん)、原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀──グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』(平凡社)、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)などを満載、石堂清倫『20世紀の意味』書評(『歴史評論』2002年10月号)、「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)などと共に、ご参照下さい。「現代日本社会における『平和』」(『歴史学研究』11月号)は、学術論文ですので、ウェブ公開は雑誌発売3か月後となります。
2002/11/15 ちょうど25年前の1977年11月15日、新潟から1人の少女が消えました。今ならだれでも知っている、横田めぐみさんです。25年前──私はまだ研究者ではなく、サラリーマンでした。ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕され、王貞治がホームラン世界一記録、巷ではカラオケが流行っていました。パソコン・携帯電話はもちろんなく、ワープロもファクスも使えませんでした。時代は大きく変わりました。しかし季節は、あまり変わりません。長い寒い、冬への入口でした。ご両親・ご家族の心労と嘆きを想えば、私たちの生きていることの意味は、何だろうかと思えてきます。来週18日(月)発売の毎日新聞社『エコノミスト』11月26日号に、冷戦崩壊後の「現代資本主義を読み解くブックガイド」を書きました。10年前に書いた、同題のエッセイ「現代資本主義を読み解く――21世紀のためのブックガイド」の全面バージョンアップです。膨大な数の本に目を通しましたが、次々と現れ消えていく書物と理論の流れを交通整理して、ちょっと空しさも感じました。「失われた10年」の閉塞感ばかりではありません。自分自身も含め、時代を切り拓く、志の大きな思想が見えないのです。いろいろなヒントは出ていますが、「産みの苦しみ」は続いています。その間に、横田めぐみさんは、最も多感で充実した青春時代を味わうはずであったのですが、拉致という暴力で、自らの意思に反して、人間の尊厳を奪われてしまいました。残念ながら、ほとんどの研究者の著作・論文からは、そうした人々の声は聞こえてきません。苦悩の肉声が聞こえてくるのは、この間集中的に再読した『凍土の共和国』(亜紀書房、1984年)に始まる多くの「脱北者」「訪問者」の手記と、少数のすぐれたジャーナリストの著作からです。私はその多くは、学問的にも信憑性があると判断します。そして、よりによってこの日に、帰国滞在中の曽我ひとみさんの内面に立ち入り、その心を土足で踏みにじった『週刊金曜日』の報道と記者会見に、心から怒り、失望し、かつて定期購読者であり執筆者であったことを恥ずかしく思います。編集委員の本多勝一、佐高信、筑紫哲也、落合恵子、椎名誠さんは、あの記者会見の編集主幹氏と同じように、「ジャーナリズム」を捉えているのでしょうか?
前回更新で問題提起した、「いま人権と平和のために北朝鮮を批判し、『拉致』被害者ご家族の皆さんを支援することは、世界平和のためにも、必要なのでは」という論点、すいぶん多くの方々から、長いメールをいただきました。無論、ハッカー攻撃やいやがらせもありましたが、多くは真面目に考えていただいた同感や励ましでした。戦前日本の植民地化や強制連行・従軍慰安婦問題を挙げて、「拉致」を強調すると右派のナショナリズムの風潮に呑みこまれるのではないかという危惧・助言もありました。日朝交渉から国交回復に進んでこそ「拉致」問題も解決できるのではないかという、善意の外交論もありました。5人の被害者をいったん帰国させて家族に会わせることこそ人道的ではないかという意見は予想通りでしたが、北朝鮮の核開発疑惑に言及した意見が少なかったことは、意外でした。アメリカ中間選挙でブッシュ共和党が圧勝し(民主党がまたも「腰抜け」で、ブッシュ実弟知事まで再選……)、国連安保理の対イラク査察決議が出ましたから、もう少し核兵器とリンクさせた意見があるかと思っていたのですが。ただし、少なくとも問題を「政治的」にでなく、「人道的」に扱うべきだという点では、多くの皆さんも一致してきたようです。
問題は、ここからです。何が「人道的」かです。「人間の尊厳(Human Dignity)」という言葉があります。インターネット上では、例えば家庭内の肉体的・精神的暴力(ドメスティック・ヴァイオレンス)の問題や、インドネシア政府による東ティモール住民への圧政の告発に、妊娠中絶に反対するカトリックの立場からも、ネパールのストリート・チュルドレンの寂しい死についても、使われているようです。聖書の「HOMINIS DIGNITATI」が起源ですから、宗教者のサイトに多いのですが、国民救援会など左派の運動でも使われているようです。9.11がらみもありますし、「人間の安全保障」ともつながります。たとえば外務省HPは、「人間の安全保障には、二つの基本的な側面、即ち、恐怖からの自由と欠乏からの自由があります。ある国々は、主に第一の側面に焦点を当てています。こうした国々にとって、人間の安全保障は紛争下において個人の生命と尊厳を守るための行動の思想的基盤となっています」と説明し、タイ日本大使館は「人間の尊厳イニシアティヴ」を進めています。群馬朝鮮問題研究会のハンセン病国家賠償訴訟についての「人間の尊厳をまもって」というサイトでは、「群馬県草津にあるハンセン病の国立療養所栗生楽泉園での黄那さんとの出会い、そして朝鮮民族としての袴りにみちた黄那さんを通して知った共和国とキムイルソン主席との出会いが、チュチェ思想を全国の青年に広める活動へとつき動かした」と訴えています。つまり「チュチェ思想」こそ「人間の尊厳」だといい、「北朝鮮人道支援の会」も、「朝鮮の人々に、民主化運動をはじめ人間の尊厳とは何かを教えてもらった」といいます。他方、韓国中央日報の金尚哲「北人権改善も統一の過程」は、「現在北朝鮮の支配体制が人間の尊厳性と自由人権に関する文明社会の普遍的基準を無視している以上、そういう体制が容認になる事はできない」といいます。改憲派の小林節HP「一刀両断」も、「人間の尊厳」の立場から、北朝鮮を批判しています。いったい、どちらが正しいのでしょうか?
私は、私の考える「人間の尊厳」の立場から、1999年の「北朝鮮民衆のための人権宣言」に加わりました。同じ立場から、9.11以降、「テロにも報復戦争にも反対」なので「IMAGINE! イマジン」を立ち上げ、12月にも始まるかもしれないアメリカのイラク攻撃に反対しています。それは、本トップに掲げる「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」(丸山真男)を受けて、「平和の道徳的優位性」を築くためです。北朝鮮の認めた「拉致」は、戦前日本の強制連行の代償として「道徳的優位性」を持ちうるのでしょうか? 「道徳的優位性」とは、「拉致」という暴力・犯罪で家族と引き裂かれた人々を、もう一度北朝鮮に戻してそこで家族と再会させ、本人たちの意思を決定させることでしょうか? あるいは家族の日本渡航ができない状態で、北朝鮮側からセットされた「家族の声」を、日本にようやく戻った曽我ひとみさんに朝7時半に伝えることなのでしょうか? 私は「道徳的優位性」は、25年間戦い訴え続けてきたご家族と「家族連絡会」の方にある、と思います。日本政府や外務省や拉致議連にではなく、アメリカの世界支配の思惑でもなく。そして、ジャーナリズムの内部でいえば、9月以降突如「世論」に便乗して動き始めた特権的マスコミではなく、この問題の重みを受けとめ、真実を粘り強く追究し続けてきた自立した少数の方々や、地方新聞・小通信社の方にあると思います。「人権宣言」でご一緒した加藤博さんが、著作ではおめにかからなくなったと思っていたら、「北朝鮮難民救援基金」で、命がけで、より深いNGOの実践に入っていらっしゃったのを知り、その無事の釈放を喜び、感激しました。フジテレビや『週刊金曜日』は、時流に乗ってスクープをものしても、その正当性を担保する「道徳的優位性」がありません。筑紫哲也さんの「多事争論」の弁明も、残念ながら、白々しく聞こえました。
私は、同じく「人権宣言」でご一緒したフリー・ジャーナリスト有田芳生さんや高世仁さんらと共に、勝谷誠彦さんや日垣隆さんがすでに予告編を発表している「ニューヨーク・タイムズに意見広告を出そう!」のよびかけ人となります。9.11や改憲問題への政治的立場は、それぞれに異なります。でも「拉致」問題の「人間の尊厳」による全面解決を求める一点で、共同します。その原点は、私も時々寄稿する『エコノミスト』誌巻頭コラム担当日垣隆さんが、予告編の中で、ご自分の処女作が中国残留孤児・帰国者問題の探求にあったことだと述べられているのを読み、偶然の一致ですが、驚きました。私の場合も、理論や政治分析ではありません。『モスクワで粛清された日本人』『20世紀を超えて』や最新著『国境を越えるユートピア』に記したように、研究者になる以前の30年前からささやかに実践してきた「流離の革命家」=元東大医学部助教授国崎定洞のご遺族を助けた「非業の死」の真相解明・交流と、藤井一行さんらと続けてきた、国崎と同じスターリン粛清日本人犠牲者とのここ10年の出会い・関わりです。「アメリカのイラク攻撃反対」のみで、本サイトを覗きにこられた方にはご迷惑かもしれませんが、本「ネチズン・カレッジ」も「イマジン」も、横田めぐみさんらの一日も早い消息判明・帰国・再会を願って、すでに英語「Global Netizen College 」では「Wanted! Information about Missing Japanese in the USSR in the 1930s!」と並べて数日前に開始した、ブルーリボンを掲げます。ちなみに、私が本HPで「北朝鮮」と呼んで、「朝鮮人民民主主義共和国」の正式名称を用いないことへの御意見もいただきましたが、私は、朝鮮総連などが「共和国」と略称していることに、強い違和感を持ちます。政治学者として、とても採用できません。『広辞苑』にもあるように、「共和制」とは、「主権が国民にあり、国民の選んだ代表者たちが合議で政治を行い、国民が直接・間接の選挙で国の元首を選ぶことを原則とする。共和政体」で、「君主制」の反対概念ですから。ルーマニアのチャウシェスク体制など東欧の「人民民主主義」については、『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990年)などで専門的に研究し、その歴史的内実を分析してきましたから、御笑覧ください。
アメリカの対イラク攻撃も、切迫しています。イラクが国連決議による査察を受け入れたため、イマジンで報じたように、12月8日の日米戦争開戦記念日(真珠湾攻撃!)あたりが、次のヤマ場となります。すでにフセイン後の占領「復興」統治は、戦後日本のGHQ支配をモデルにして進める計画があるそうです。悪い冗談としか思えません。その間には、東京大空襲も沖縄戦もヒロシマ・ナガサキもあるのですから。11月は超多忙で、この流れは「イマジン」の方で追います。大学祭休みの調査で、1930年代「在独日本人反帝グループ」の一員として、元毎日新聞記者・岩手日報政治部長の川村金一郎氏(1908-99)を加えることになりました。1929-31年当時、千田是也の助手のような重要な役割を果たしたようで、ご遺族から膨大な資料を見せて頂きました。整理・分析はこれからですが、実は出生地・出身高校まで私と同じで、生前インタビューできなかったかことが、かえすがえすも残念です。折から、当時の生き証人の一人であった、元読売新聞論説委員・東京都立大学教授喜多村浩氏も、去る10月23日に、亡くなりました。享年92歳、ご冥福をお祈りいたします。先に刊行した加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)については、『ユリイカ』10月号川崎賢子さん、『週刊朝日』10月18日号鎌田慧さん、『週刊新潮』10月24日号鶴ヶ谷真一さん、『週刊読書人』10月25日号平岡敏夫さんに続いて、『図書新聞』11月9日号巻頭で、五十殿利治筑波大教授が、「造形的遍歴」と題して大きく取り上げてくれました。さすが名著『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア)の著者らしい鋭い読み込みと深い批評で、我が意を得たり、感謝感激しています。拙稿「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』」(大川美術館ニュース『ガス燈』第53号、7月10日)、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』(『大川美術館・友の会ニュース』2002年8月号)と併せて、ぜひご覧下さい。『歴史学研究』11月号「特集 『対テロ戦争』と歴史認識」の拙稿「現代日本社会における『平和』」は、池田香代子さん=ダグラス・ラミスさんの「100人の地球村」や伊藤美好さん・井上ひろこさんらの「ちいさな声」を素材に、9.11以後の日本の「平和」意識・平和運動の現在を探りました。本HP「IMAGINE! イマジン」活動報告「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」(『エコノミスト』7月2日号)、「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)と共に、ご覧下さい。カレッジ図書館・「歴史書の棚」には、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』(めこん)、原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀──グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』(平凡社)、法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)に加えて、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)と藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)を新たに加えました。秋の夜長には、石堂清倫さんの遺著『20世紀の意味』についてのやや長い書評(『歴史評論』2002年10月号)、「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)もありますので、ぜひチャレンジしてみてください。
11月5日は、アメリカ中間選挙です。ブッシュ大統領は、国連安保理でこの日までに対イラク武力攻撃容認決議をあげようとしたのですが、選挙の争点が「テロとの戦いか、経済政策か」になり、「世論は民主やや優勢」 で、焦っています。国連イラク決議案採決は11月6日以降に延期になりました。しかも選挙のポイントは、「米大統領実弟のフロリダ州知事、再選危ぶまれる」という、9.11以来の「世論」を背景とした「ブッシズム Bushism」にとって深刻な状況です。忘れてはいけません。今でこそ「世界の保安官」顔のブッシュ大統領も、2年前の選挙では、低投票率のギリギリ過半数で世に出た「役者」です。前回オススメしたマイケル・ムーア『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房)の第一章「まさに、アメリカ的クーデター」に、おそるべきことが書かれています。弟が知事であるフロリダ州が民主党ゴア候補との大統領選挙戦天王山になり、開票やり直しのきわどい537票差でブッシュに決まったことは、まだ記憶にあるでしょう。ムーアは、実はこれはクーデターで、本当は9.11にホワイトハウスにゴアがいて、アメリカには報復戦争とは別の道がありえただろう、というのです。その根拠にあげる第一が、フロリダ州法で「元重犯罪人には投票権がない」とあるのに目をつけ、弟知事ルートで、「重犯罪者に似た名前」を含む17万人3千人、フロリダ在住黒人(いうまでもなく民主党基盤)の31%を有権者名簿から抹消した、というのです。もう一つは、父ブッシュ・ルートの在外軍人不在者投票操作で、選挙当日以後にサインされたりした本来は無効な票がどさくさまぎれで入りこみ、不在者軍人票でブッシュは80%を獲得しましたが、フロリダの2490票中無効票の疑いの濃い680票が有効とされた、というのです。ムーアは、それなのに、肝心の「弱虫ゴア」が腰くだけで民主党は敗れた、とするのですが、いずれにせよブッシュは、合衆国史上例のない「正統性なき大統領」だったはずです。それが、9.11で息を吹き返し、いまや「ブッシュ・ドクトリン」で世界を脅かしています。M・ウェーバーのいう「支配の正統性」が、選挙という「合法的支配」のルートばかりでなく、「カリスマ」ないし演出された「疑似カリスマ」により、担保されたかたちです。5日のフロリダ州知事選挙は、その「正統性のバブル」をはぎとるかもしれません。すでに10月27日、アメリカではベトナム戦争以来の規模の反戦運動が展開されました。9.11テロ犠牲者遺族たちのSeptember Eleventh Families for Peaceful Tomorrowsも、平和の輪に加わりました。在日米系企業社長ビル・トッテンさんの「軍事社会主義国」規定は驚きです。核開発を認めた北朝鮮のことかと思ったら、アメリカ合衆国のことです。「国家が全体の利益のために生産や分配を管理する社会体制という、社会主義の定義に米国は当てはまる。そして米国のそれは北欧にみられる社会民主主義ではなく、国家が特定の大企業の利益のために戦争を行うという軍事社会主義国なのである」と。ジョエル・アンドレアス著・きくちゆみさん監訳『戦争中毒』が、その実像をコミカルに描いています。それでも選挙戦で「テロか経済政策か」が争点になるだけ、アメリカの方が健全かも……?
ここ1か月ほど、反戦平和サイト「IMAGINE! イマジン」を運営してきて、気になったことがあります。私は北朝鮮による横田めぐみさんほか日本人拉致事件は、誰もが認める重大な人権侵害犯罪で、隣国での核開発疑惑は、アメリカのイラク攻撃に勝るとも劣らない平和運動のとっての切実な問題と考え、イマジンにどんどんリンクし、連日報道してきました。ところが、他の多くの「反戦平和サイト」は、イラクやパレスチナの問題ではイマジンと共通するのに、北朝鮮の問題を、ほとんどとりあげていないのです。掲示板の類も検索してみると、「左翼系」「反戦系」「良心的知識人系」諸サイトにおける沈黙ないし消極性の理由は、ほぼ二つにしぼられるようです。一つは、「アメリカ同時多発テロへの武力報復に反対するホームページリンク集」トップにある駒込武・中野敏男さんらの「日朝間における真の和解と平和を求める緊急声明」のように、戦前・戦中日本の植民地時代の「強制連行」「従軍慰安婦」等の歴史的犯罪を回顧し、朝鮮学校生徒への暴行・いやがらせを危惧して、日本政府の「ダブル・スタンダード」を問題にするものです。これ自体は貴重な意見で、特に朝鮮学校問題では共感しますが、サイトによっては、植民地支配の謝罪と国交回復こそ「拉致」問題より先行すべきだという主張もあり、掲示板には、拉致は「本質的には正当防衛ないし緊急避難」で「全責任は日帝にあり、朝鮮を非難すべき事柄ではない。日帝に強制連行された朝鮮人(特に性奴隷)の数に比べれば無に等しい被害者数である」などという勇ましい(?!)主張までみられます。いま一つは、横田滋さんを代表とする「被害者家族の会」のバックに「救う会」「拉致議員連盟」があり、そこには狂信的ナショナリストや軍拡派・右翼が含まれているので、「家族の会」の主張に従うことは、結果として扶桑社版教科書普及や有事立法に与し軍拡勢力を利する、という見方のようです。私は、どちらにも疑問を持ちます。
この5月に来日し、スターリン粛清の日本人犠牲者であった実父健物貞一の親族に初めて会って墓参をした、67歳のロシア国籍アラン・ササキさんは、いまモスクワ近郊に家族を残して、カムチャッカ半島ペトロバブロフスクにいます。生母である朝鮮人リ・ボビャさん(1913年生まれ)の消息が、私たちが昨年日本から送り届けた健物貞一の日本での岡山・早稲田大学・アメリカ留学期・旧ソ連入国期の行方不明になるまでの資料と、アランさん自身が1997年にようやくロシア政府に請願して獲得した旧ソ連内務省・秘密警察(KGB)資料をつきあわせて、カムチャッカに89歳で存命中であることが、記憶もなく生き別れになり65年以上たって、来日直前に判明したからです。ソ連側公式資料にあった朝鮮名「シェ・オク・スン」も旧ソ連共産党から与えられた仮の名で、本当の名前は朝鮮名「リ・ボビャ」だったことも、わかりました。5月のアランさん離日のさい、日本のご遺族と私たちは、父健物貞一の旧ソ連での話を、当時の貞一夫人で今は再婚しているリ・ボヒャさんに聞いて、どんな思い出でもいいから日本に伝えてくれ、とお願いしました。アランさんは、いったんモスクワに戻り、6月に短期の予定でカムチャッカに渡りました。そのままもう5か月、実母のもとに滞在しています。娘のリュドミラさん一家に写真と電話・便りはあり、それは、私や岡山健物家に送られてきます。ウラジオストックで働いていた健物貞一をモスクワに呼び寄せたのは、当時のコミンテルン幹部会員・日本共産党代表片山潜であることなどがわかりました。しかし、長い収容所生活と重労働をくぐってきたリ・ボビャさんは、現在重病です。ようやく朝鮮人の母と再会したロシア人アランさんは、70年近い長い長い「空白」を取り戻そうと、そのまま母の病床に付き添っています。この母子の出会いは、本HPでご遺族探索をよびかけ、ジャーナリストの皆さんにも協力してもらって、岡山健物家とつながりました。しかしいったん親族関係が判明してからは、ご遺族の意向を受けて、来日時も取材をいっさいお断りしました。アランさんが来日した際、最終確認をしてくれた町役場の皆さんにだけ、御礼し挨拶しました。健物貞一のご遺族発見は、私の新著『国境を越えるユートピア』(平凡社ライブラリー)に詳しく記した、国崎定洞、勝野金政、須藤政尾、松田照子ら粛清犠牲者ご遺族探索の延長上にあり、その収集記録の副産物でした。
通常60万人、最近のあるロシア側記録では100万人ともいわれる、敗戦時のシベリア抑留日本人捕虜の消息・遺骨探し、墓碑建設には、自ら捕虜で生還者であった山形県鶴岡市の実業家斉藤六郎さんの献身的努力があったことが、よく知られています。いわゆる「中国残留孤児」の肉親探しは、長野県阿智村の山本慈昭住職の勇気と厚生省を動かす運動がなければ始まらなかったことは、NHK「プロジェクトX」でもとりあげられました。私は、北朝鮮の「拉致」問題は、似たような性格を持っていると思っています。肉親を捜す懸命なご家族の声(ボイス)に耳を傾け、手をさしのべる人がいなければ、政治家も政府も動いてはくれません。横田滋さんたちの「家族の会」と支援団体は、時に政治や外務省に絶望しながらも、声をあげつづけ、家族同士で励まし合ってきました。24年間もご家族が、冬の木枯らしのもとでも、それより寒いだろう異国にいるだろう肉親を想って、ビラをまき運動を続けてきました。これは、日本の20世紀に記録を残すべき社会運動の一つであり、人権闘争であると思います。私はかつて『凍土の共和国』(亜紀書房、1984年)に衝撃を受け、主として50年代末から60年代初めの「帰還運動」と「日本人妻」問題に関心を持って、スターリン粛清日本人犠牲者の姿とダブらせながら、小川晴久さん、萩原遼さんらの「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」や「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク[RENK」」に共感し、支援してきました。その過程で、より犯罪的な「拉致」被害者問題にもつきあたり、微力ながら、1999年の「北朝鮮民衆のための人権宣言」に署名したりしてきました。そこには「右派」や「改憲派」の論客・政治家も入っており、「左派」や「反戦派」のなかには、快く思わなかった人もいるようです。いわゆる「戦後革新」の流れを汲む平和運動は、なぜかこの問題を、ほとんどとりあげてきませんでした。それは、スターリン粛清日本人犠牲者の問題に、私の探索に資料提供等で協力してはくれても、自分では動き出さない旧ソ連・東欧専門家の人々と、よく似た心情だったのかもしれません。
横田さんたち「家族の会」の運動が、マスコミや政治の脚光を浴び、政府を動かしたのは、この2か月ほどのことです。でもその深奥の力は、ご家族のいのちとくらしを案ずる24年の社会運動とそれを物心両面で助ける支援の人々でした。そして、人権や平和の運動とは、そうしたものであろうと私は思います。日本が戦前・戦中行った「強制連行」や「従軍慰安婦」についても、今日政治・外交上のイシューになるまでに、多くの日本人の支援するそうした努力と運動がありました。私は問題を粘り強く探求し、被害者・犠牲者支援の社会運動にたずさわってきた方々に、心から敬意を表します。それは、アフガン難民にとっての中村哲医師とペシャワールの会のようなもので、国交回復や有事立法とは、別次元の問題です。政治家・政党やマスコミは、いったんそれがイシューとして浮上すると、あれこれの思惑で利用し動かそうとします。そのさいは、私は、長い苦悩を生き耐えてきたご家族の思いと声を、最大限尊重します。そして、幸いにも「生きる知恵」を持って生還した「拉致」被害者ご本人と、そのこどもたちの再会の問題についていえば、静かに、長い時間をかけて、ご家族とご本人・こどもたちの選んだ最善の道に協力するしかありません。私がいま特に関心を持ち、心を痛めるのは、外交交渉で「死亡」とされた方々を含む数十人の被害者の消息、それを求めるご家族のことです。偽造された「死亡証明書」や、死因・命日・墓地さえわからない犠牲者の慰霊には、いやというほど立ち会ってきましたから。ご家族には、長すぎた残酷な24年です。しかし67年後に生存が確認され再会できた親子もいるのです。イラクでも、湾岸戦争時にフセイン政権下で政治犯とされた人々の家族が、公然とデモをし、政府に調査を要求しました。アメリカでは、9.11テロ犠牲者遺族たちのPeaceful Tomorrow Walk「平和な未来へのグラウンド・ゼロからの行進」を、ワシントン20万人、サンフランシスコ10万人の人々が、包み込んでいます。日本の平和運動は、どうなっているのでしょうか? 無視や、沈黙や、あれこれの外交技術上の評論よりも、生存を信じて探索を続ける人々に耳を傾ける共感と粘り強い支援こそ、いま必要なことではないでしょうか。私はむしろ、5人ないし横田さんのお孫さんの問題で「一段落」したり、「風化」したりすることを、おそれます。
本日から大学祭休みで、調査にでかけます。先に刊行した加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)の延長上での、新たな「在独日本人反帝グループ関係者」ご遺族の資料探索で、ひょっとしたらまた、貴重な発見がでてくるかもしれません。そのためネット環境は悪くなり、「IMAGINE! イマジン」は4日ほど更新できません。先週発売された『歴史学研究』11月号「特集 『対テロ戦争』と歴史認識」に、「現代日本社会における『平和』」という論文を寄稿しています。池田香代子さん=ダグラス・ラミスさんの「100人の地球村」や伊藤美好さん・井上ひろこさんらの「ちいさな声」を素材に、9.11以後の日本の「平和」意識・平和運動の現在を探った学術論文です。私にとっては、上記の「拉致」問題と一続きです。この雑誌ではおそらく初めて、ふんだんにURLを注にいれました。豊下楢彦さん「ウィルソンを纏うマキャヴェッリ」をはじめ力作揃いですから、ぜひ研究職でない方も、本HP所収の「IMAGINE! イマジン」活動報告「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」(『エコノミスト』7月2日号)、「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)などと共に、ご覧下さい。いま発売中の毎日新聞社『エコノミスト』11月5日号では、金子勝さん『長期停滞』(ちくま新書)と藤原帰一さん『デモクラシーの帝国』(岩波新書)を、なぜか「歴史書の棚」で料理しましたから、ご賞味ください。本カレッジ図書館の「歴史書の棚」には、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』(めこん)、原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀──グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』(平凡社)、法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)なども入っています。『ユリイカ』10月号の川崎賢子さん、『週刊朝日』10月18日号の鎌田慧さんに続いて、私たちの『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)の書評を、『週刊新潮』10月24日号で鶴ヶ谷真一さん、『週刊読書人』10月25日号で大御所平岡敏夫さんが、とりあげてくれました。この場を借りて、厚く御礼申しあげます。拙稿「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』」(大川美術館ニュース『ガス燈』第53号、7月10日)、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』(『大川美術館・友の会ニュース』2002年8月号)と併せて、御笑覧下さい。読書の秋の夜長には、石堂清倫さんの遺著『20世紀の意味』についてのやや長い書評(『歴史評論』2002年10月号)、「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)などにも、チャレンジしてみてください。
2002/10/15 本日午後、北朝鮮に拉致されていた5人の方々が帰国します。どんなに苦しかったでしょう。どんなに会いたかったでしょう。5人も、ご家族も。でも、そこから拉致被害者に、北朝鮮糾弾や金正日批判の第一声を期待するのは、酷というものです。四半世紀の、長い長い「空白」があったのですから。前回更新で、「招待所」「特殊機関の学校」「予防院」「現実研究・現実体験」といった北朝鮮用語に、注意を促しておきました。それを具体的にイメージするには、想像力が必要です(最新情報は「IMAGINE! イマジン」で)。帰国を前に、韓国と日本の拉致犠牲者救う会の共同声明が発表されました。「北朝鮮・拉致事件」掲示板に出ています。そこに「北朝鮮金正日政権は反人倫的拉致テロに対し全人類の前に謝罪し拉致被害者を即刻送還せよ 韓国拉致被害者問題の早急な解決のため金大中大統領は被害者家族の面会に応じよ 日韓両国にいる北朝鮮関係者は拉致被害者に関するすべての情報を提供し、被害者救出に積極的に協力せよ 日韓両国NGOは北朝鮮に抑留中の拉致被害者の早急な送還のため今後とも連帯していく」とあります。「全人類への謝罪」──そうした罪をおかした犯罪者・独裁者はこれまでもいましたが、実際に謝罪した例はありません。その罪の裁きそのものに、長い時間がかかります。20世紀に例をとると、ヒトラーとスターリンが双璧で、レーニンや毛沢東、ピノチェットらについては、異論がありうるでしょう。昭和天皇やトルーマンやブッシュを入れると、目をむく人もいるでしょう。でも、確かなことがあります。20世紀に数千万人が、いやおそらく億の単位で、政治と国家の力によって、自己の意思に反して、病気・事故・天災によらずに、生命を奪われました。アウシュヴィッツでも、ブトボの森でも、南京でも、ヒロシマでも。それは、19世紀までの人類の想像力を超えるものでした。アメリカ上下両院は、ブッシュ大統領による対イラク武力行使容認を、賛成多数で決議しました。舞台は、国連安全保障理事会に移っています。「全人類への罪」は、いつ誰がどのようにつぐなうのでしょうか?
歴史の研究と想像力で、5人の方々がおかれていた状況を類推することはできます。でも一人一人の経験は固有です。あれこれ推測するのはやめて、静かに迎えましょう。「癒し」の時間と空間が必要です。最近読んだ本から、想像力を培うものを。T・ガートン・アッシュ『ファイル』(みすず書房)。「秘密警察(シュタージ)とぼくの同時代史」と副題にあるように、かつて崩壊前の東ドイツに歴史の研究で留学したイギリス人の著者が、「壁」の崩壊後、ひょっとしたらと秘密警察シュタージによる自分の監視記録はないかとベルリンで申請したところ、やっぱりあって、自分の指導教官やインタビュー相手が「IM=非公式協力者」として秘密報告を出していた。当時の日記を手がかりに、そのIMたちを訪れ、入手したファイルを示して、なぜ自分をそのように報告したかを問う、……。つい十数年前に、自分が滞在先の「国家」からどのように見られていたかの探索記録です。時間が凍りつきます。米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』(集英社)は、父の仕事で通ったプラハ・ソビエト学校時代の舞踊教師の過去を、当時親友だった同級生との再会の過程で、モスクワの秘密文書館から見つけ知ってしまう話。『モスクワで粛清された日本人』など本HP情報収集センター を参考にしたということで、著者から送って頂きました。時期が時期だけに、女教師の「収容所」生活についての米原さんの精密で強烈な描写と、女優岡田嘉子の秘められた実体験と、北朝鮮「招待所」「予防院」のイメージが重なって、暗澹たる想いになりました。もっとも北朝鮮には、正真正銘の「収容所」が、別にあるのです。気分転換に、口直しで手にしたマイケル・ムーア『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房)。「ジョージ・ブッシュとその仲間たちの隠された素顔、9.11以後の全米ミリオンセラー 我が祖国に向けた愛の鞭」という帯に惹かれて、思わず買ってしまったのですが、なかなかどうしてよく出来ていて、第9章は「巨大でシアワセな牢獄」。世界のどこにも、「青い鳥」などいないようです。かつての「青い鳥」の実相を暴くのは、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)。かつて『ソ連邦共産党史』『ロシア革命史』の類で20世紀を学んだ人にとっては、残酷なまでの歴史の実相でしょう。でも常にナンバーツー止まりだったモロトフを語り部に、最新のロシア史資料・研究をさりげなく配した淡々とした筆致が、かえって効果的。読書の秋です。私自身の新著『国境を越えるユートピア』(平凡社ライブラリー)、加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)も、リストに加えていただきましょう。ネットサーフィンもいいですが、活字の世界には独自の面白さがありますよ。
心からさわやかに喜べるのは、ノーベル賞のダブル受賞、なかでも島津製作所田中耕一さんの化学賞受賞のニュース。作業服での記者会見とかサラリーマン主任の5階級特進とかがワイドショー・ネタですが、真摯に研究内容に注目しましょう。新潟の本間善夫さん「生活環境化学の部屋」が、画像入りのすばらしい解説ページを設けてくれました。田中さんの研究の動機が実母の死にあったこと、実験の失敗から得た成果こそ、貴重です。小柴博士も田中さんも、1980年代後半のアイディアが評価されたものです。あの時代の社会科学は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に踊り、「日本的経営」礼賛に溢れていました。バブルの時代です。プラザ合意後の円高で、お年寄りの年金まで国際統計上は2倍になり、ニューヨークの高層ビルをジャパン・マネーが買い占めている、と騒がれていました。あの時、世界貿易センタービルまで買っていたら……。むしろ、その前の1970年代が、転換期だったでしょう。1970年代までの日本は、アイディアと試行錯誤なくしては前に進めない社会でした。職場ばかりでなく、家庭や地域でも。それがオイルショック後の欧米に先んじた減量経営型経済回復、先進国サミットへのアジア唯一の参加、気がついたら世界一の一人当たりGDP、バブル経済と、どこかで置き忘れてしまったものがあるようです。それは「ベンチャー精神」なんてかっこいいものではなく、むしろ、限られた自然・資源、限られた財政・家計、限られた住居・部屋の中での「生活の知恵」といったもの。たとえば壊れた時計を分解して自分で直したり、実験用具を自分で作ったり、前夜の残り物にちょっと手を加えて翌日の食卓にのせたり、といったささいな事柄です。田中耕一さんのライフ・スタイルには、バブル以前の日本が滲み出ています。「万物の商品化」とは、この時代のI・ウォーラーステイン「世界システム論」のキー概念ですが、それはなお、商品化しえない領域、職人芸の生きる隙間、ようやく獲得した自由時間・空間のありがたみが残されていたからこそ、自分の身体・精神で確証でき、手応えある自己実現につながりえたのかもしれません。今日北朝鮮から帰国する5人の時計は、24年前で止まっています。あの時代の音楽やファッションが「空白」を埋め合わせ、奪われなかった「生きる知恵」が、家族との絆の回復につながればいいのですが。
今月の『エコノミスト』10月8日号「歴史書の棚」は、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』(めこん)と原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀──グラフィズム・プロパガンダ・科学映画』(平凡社)。原田さん・川崎さんの本の出版記念会は、四国松山で日本政治学会(五十嵐仁さんの参加記参照)があって欠席しましたが、山口昌男さんのスピーチなどがあって盛況だったとか。そうです。『映像の世紀』の主人公岡田桑三も、本HP情報収集センターの目玉、「在独日本人反帝グループ関係者名簿」の一人なのです。戦前に詳しい方々には、岡田嘉子の時代の二枚目俳優「山内光」の名の方が、通じるでしょうが。この人の日本人離れした生き方は、必見です。私の書評では、戦後の小田実のスケールに擬してみました。著者の一人川崎賢子さんは、私たちの『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)の書評を、『ユリイカ』10月号に書いてくれました。桐生市大川美術館で開かれていた「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」と重ねて、小気味よく論じています。ルポライターの鎌田慧さんも、『週刊朝日』10月18日号に、名人芸の長い書評を寄せてくれました。お二人に感謝いたします。拙稿「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』」(大川美術館ニュース『ガス燈』第53号、7月10日)、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』(『大川美術館・友の会ニュース』2002年8月号)をも、ついでに御笑覧下さい。図書館には、法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)、『図書新聞』掲載「2002年上半期の収穫」、藤原彰『中国戦線従軍記』(大月書店)、山本武利『ブラック・プロパガンダ』(岩波書店)、倉沢愛子『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書)、澤地久枝『わが人生の案内人』(文春新書)などの書評、石堂清倫さんの遺著『20世紀の意味』について(『歴史評論』2002年10月号)、芝田進午さん追悼文「『ドラマとしての人生』」の完全燃焼」(『芝田進午の世界』桐書房、2002年6月)、栗木安延さん追悼文「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)、平井規之さん追悼文「平井さんの『地獄への道は……』評注」(『平井規之を語る』非売品、2002年8月)なども入っています。読書の秋のご参考に。ついでに「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)にも足を伸ばしてください。「IMAGINE! イマジン」の活動報告「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」(『エコノミスト』7月2日号)、「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)は、小林正弥さんの「公共哲学ネットワーク」の「地球的平和問題 刊行予定」にあるように、9.11一周年を加え、バージョンアップ中です。
すべてが明るみに出たのは、ソ連の崩壊後でした。1992年に、日本共産党は、今度はエリツィンのロシア政府に問い合わせ、国崎定洞の「獄死」とは「スパイ罪での銃殺」と判明しました。おまけに、国崎の命日はそのままでしたが、1962年以来「1942年9月病死」とされてきた元日本共産党モスクワ代表山本懸蔵は「1939年3月10日銃殺」でした。真相を知っていた野坂参三によって、死亡日がごまかされていたのです。女優岡田嘉子と共に「愛の逃避行」でソ連に入った演出家杉本良吉も、59年に「病死」とされていましたが、ソ連国家が崩壊してようやく「銃殺」と認められました。国崎の埋葬地は特定できず、山本・杉本の埋葬地は明らかになりましたが、それは当時何万人もの命が毎日奪われていた処刑場で、とても個々の遺骨や墓が特定できるものではありませんでした。死後も普通の墓地には入れないのです。後に須藤政尾や松田照子の埋葬地が判明して、私も訪れましたが、数万人の遺骨が眠る荒れ放題の草地の上に、犠牲者遺族たちの建てた簡素な慰霊碑と手作りの教会(写真)があるだけでした。その須藤・松田ら数十人の日本人粛清犠牲者の身元は、ロシア政府の発表でも、日本政府の調査でもなく、心あるジャーナリストの皆さんと私や和田春樹さんらごく少数の研究者が、山本懸蔵・国崎定洞・杉本良吉らの公式「死亡証明書」に疑問を持ち、処刑にいたる経過を旧ソ連秘密資料から一つ一つ辿って、ようやく判明したものでした。須藤政尾「名誉回復証明書」の「42年病死」もウソで、KGB資料等から「37年銃殺」と判明しました。杉本良吉「銃殺」の報に号泣した生存者岡田嘉子さえ、真実を墓場まで持っていきました。死後に判ったのは、彼女自身が長く強制収容所に入れられ、ソ連の対日宣伝に強制的に従事させられ、釈放にあたってそのような事実を口外しないことを約束させられていたことでした。これは、旧ソ連の場合です。でも、北朝鮮の場合に、ましてや強制的に拉致された人々が、自由意志で地獄に飛び込んだ岡田嘉子より厚遇されていたとは、残念ながら考えられません。詳しくは拙著『モスクワで粛清された日本人』及び下記新刊『国境を越えるユートピア』をご覧ください。
2002/10/1 かつて、冷戦崩壊から湾岸戦争にいたる時期、ブッシュ現アメリカ大統領の父ジョージ・ブッシュ・シニアは、「新国際秩序」を提唱しました。しかし当時は、「短い20世紀」(ホブズボーム)がようやく終わった時期、一方にフランシス・フクヤマ「歴史の終焉」の倦怠感があり、他方にサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論が現れて、21世紀の方向性など見えませんでした。その頃私は、1989年の東欧革命・ソ連崩壊を、1789年のフランス革命になぞらえて、フランス革命のテルミドールの反動からナポレオンの出現、ヨーロッパ制覇の野望がモスクワ侵攻まで進んで冬将軍に阻まれ、1814年のウィーン会議でようやく安定するまで25年かかったことから、2015年頃までは世界秩序の不安定な激動と再編成が続く、と述べていました(『東欧革命と社会主義』1990年)。最近では、20世紀を中世末期になぞらえ「新しい100年戦争」と読み替える見方もあるようですが、むしろ、1979年のソ連のアフガン侵攻あたりからつないで、西・中央アジアを舞台とした「新しい30年戦争」と見た方が、わかりやすいかもしれません。なにしろ21世紀のブッシュ・ジュニアは「ブッシュ・ドクトリン」を掲げ、シニアが健在なのに「親のかたき」とばかりに、じゃにむにイラクのフセイン政権打倒へと突っ走り、「30年戦争」後の1648年にウェストファリア条約で生まれた国家間秩序への「法と正義」の適用=国際法の根底が、危うくなっているのですから。「ブッシュ・ドクトリン」が、ナポレオン風エピソードに終わるか、近代国民国家システム全体を揺るがす「新しい帝国」の戦略としてまかり通るかは、人類史的な問題といっても過言ではありません。欧米で話題のハート=ネグリ『帝国』は、まだ日本語訳は出ていないようですが、中山元さん「ポリロゴス」中に詳しい紹介「ハート/ネグリの『帝国』を読む」があります。藤原帰一さんから、鮮やかに『帝国』を料理し、自らのレシピに組み込んだ新著『デモクラシーの帝国──アメリカ・戦争・現代世界』(岩波新書)を送って頂きました。「IMAGINE!
イマジン」常連の皆様はもちろん、新学期の学生の皆さんも、ぜひご一読下さい。
「ブッシュ・ドクトリン」そのものについても、しっかり学んでおきましょう。『フォーリン・アフェアーズ』のマイケル・ハーシュ「ジョージ・W・ブッシュの世界像──単独行動主義の思想と限界」によれば、ブッシュは「棍棒を片手に、(静かに話すのではなく)大声でわめきちらし、自分たちの価値については妥協を許さないと公言」し、「テロだけでなく、諸大国が平和に競争できるような世界をつくり上げることに対しても敵対」するものです。核兵器を後ろ盾にした「米国一国覇権」による「先制攻撃主義」とか「単独行動主義」ともよばれます。なにしろ「封じ込め」でも「巻き返し」「抑止」でもなく、軍事力による「先制攻撃」です。「米国と米国人を守るため、テロの脅威を事前に取り除く。国際社会の支援を取り付ける努力は続けるが、必要な場合は先制行動による自衛権行使の単独行動も辞さない。強制力を行使し、国家によるテロ組織への支援も保護も否定する。イスラム社会においては、いかなる国家もテロの温床とならないよう穏健で近代的な政府を支援する」と。この原理でいくと、かつてベトナム戦争を始めた時のような「現地自由勢力の要請」も不要です。軍事力の圧倒的優位と身勝手な価値観を、そのまま「正義の戦争」の口実にしようというのです。時のアメリカ指導者が「ならずもの国家」「テロ国家」と判断すれば、勝手に核兵器を含む軍事的強制で、政府を交代させるというのです。本トップ上段の、丸山真男の言葉を、かみしめましょう。いま、世界は大きな岐路に立っているのです!
9.11一周年の世界は、「ブッシュ・ドクトリン」のもとで、イスラエル・パレスチナ状勢が緊迫し、アメリカの対イラク戦争もまじかという、切迫した状況下にあります。アメリカのメジャーな言論では、オサマ・ヴィンラディンもアフガニスタンも忘れ去られ、ニューヨークのテロル犠牲者追悼がそのままイラク攻撃に直結される短絡です。日本では、これに日朝首脳会談と日本人拉致問題が加わり、客観的には、緊張の度合いを高めています。しかしそれにしては、小泉内閣改造は「お色直し」程度ですし、最大野党民主党は、かつての自民党顔負けのドタバタ劇です。「お色直し」の目玉は、石破防衛庁長官かもしれません。テレビでは拉致議連会長で点数を稼いできましたが、有事立法強硬推進派で、アメリカの対イラク戦争には自衛隊イージス鑑派遣を公言するタカ派です。「IMAGINE! イマジン」にあるように、イラク攻撃については、アラブ諸国の反対はもちろん、ドイツでは総選挙の争点になって対米批判のシュレーダー政権が巻き返し勝利、 フランス大統領も慎重姿勢、イギリスでは35万人の平和デモ、足元のワシントンでも反戦デモがおこり、議会内も大揺れです。現時点の焦点は、国連安保理事会と米国議会です。本トップ及び「IMAGINE! イマジン」にかかげたように、9月24日から毎日10万近くで増えているDon't Attack Iraqなど、インターネット上での署名運動が、昨年9.11直後のように広がっています。なのに日本の政治熱は、いまひとつです。最大野党民主党の党首選では、争点にさえなりませんでした。冷泉彰彦さんの最新レポート「風向きは変わったのか?」をごらんなさい──「いま、アメリカのナショナリズムが『うっぷん』の対象にしているのがカナダです。クレティエン首相は、今回のイラク問題について、ブッシュの政策に真っ向から反対を貫いているのですが、これは流石にアメリカの保守層の癇(かん)にさわったようで、TVでも騒ぎになっています。今週は、カナダのマンレイ副総理兼蔵相がニューヨークの証券取引所に来ていましたが、経済専門局のCNBCのインタビューでもアメリカの外交政策に反対するカナダ政府への非難を浴びせられていました。ただ、マンレイ副総理がインタビューで一歩も引かなかったのは当然でしょう。英連邦から独立してゆく中で、内にはケベック問題を抱えるカナダにとって、国連中心の外交政策は国の基本だからです。そのカナダに対して、『俺の子分なんだから、俺が国連を無視するのに反対するのは許せん』とわがままな隣のガキ大将が脅しても、滑稽なのは脅した方に違いありません」と。骨のある「子分」もいるようです。でもブッシュは本気です。そしてG7におけるもう一人の「子分」、日本の態度が問われています。
内閣改造にあたっての記者会見で、小泉首相は「過去・現在・未来にわたる日米関係基軸」を述べました。小泉純一郎と金正日の日朝ピョンヤン宣言を首相官邸サイトで改めて読んでみると、客観的には「ブッシュ・ドクトリン」の枠内で、日本の外から見れば、10月3ー5日の米朝会談再開の露払いに、アメリカに従順な日本の首相=「子分」が派遣されたことになります。第一、なぜ「総理大臣」が元首でない「国防委員長」と条約を結ばなければならないのでしょうか? 首相以上に「親分」に従順な外務省にとっては、もともと「拉致事件」は優先順位が低かったのですが、「悪の枢軸」でイラクの次の標的にされかねない金正日が、新義州経済特区構想を腹に日本の「援助」を期待して、拉致の事実を認め、被害者の消息情報をもたらしたのです。ところが金正日のシナリオは、狂い始めました。「いのち」を権力維持のコマとしか考えてこなかった独裁者には、被害者のご家族と日本国内の世論の動きが、読めなかったのです。拉致事件には、長い歴史的背景があります。36年間日本の植民地で、1945年に「解放民族」となりながら、連合軍内での米ソの思惑で自立的国家形成ができなかった朝鮮半島、「旧日本人」ゆえに従属的な地位におかれた在日朝鮮人の人々、冷戦下の南北分裂と朝鮮戦争、その「朝鮮特需」で復興した日本経済、1959年から61年にピークに達した北朝鮮帰還運動とその後の帰還者の行方、70年の「よど号事件」等々。こうした金日成・金正日王朝(=封建的君主制社会主義?)形成における日本の役割も、直視しなければなりません。私は、もう一つの筋、スターリン粛清から戦後共産主義国家への「収容所体制」「強制収容社会」波及の観点から、北朝鮮帰還者とその日本人妻の行方を追い、「脱北者」支援の集会で講演したこともあります(英文、Concentration Camps in the USSR-- Their Destructive Social Impact )。金正日の支配体制は、スターリン体制やナチズムと似た「強制収容所国家」であり、「奴隷包摂社会」です。したがって、拉致の全容解明と、生存する被害者の方々の帰還・原状回復、不幸にして命を奪われた日本人の消息追跡と墓所発見までには、長期の粘り強い交渉・現地調査と紆余曲折が必要になるでしょう。
私自身は、新著『国境を越えるユートピア』(平凡社ライブラリー、2002年)で詳しく述べたように、スターリン粛清の日本人犠牲者を発掘・追跡してきたこの10年の間に、ノモンハン事件(ハルハ河戦争)時の日本人捕虜でそのまま現地に残った人々とその遺児、敗戦時の抑留者たち、旧満州地域の残留者・残留孤児まで扱わざるをえなくなりましたが、いずれの場合にも、一つ一つのケースに、それぞれの悲劇と家族のドラマがあり、総じて悲惨でした。その探求の過程では、外務省や厚生省は協力してくれるどころか、今春の健物貞一遺児アランさんの日本人親族訪問のような場合には、官僚的・実務的なモスクワ日本大使館の扱いで、あやうく訪日が不可能になるところでした。日本の戸籍やロシアの旧ソ連粛清記録では確定できない親族関係を確かめるために、健物貞一のご遺族が私費でアランさんを呼び寄せたのに、ロシア政府発行の「親族証明書」を出せ、というのです。やむなく「知人」として私が膨大な「親族推定証明」を書き来日させましたが、日本人遺児アランさんには手続遅延の理由を説明できなかった、苦い思い出です。もちろん官僚でも、個々には被害者とご家族に心から同情し、協力してくれる人はいます。旧ソ連粛清日本人被害者について、職務上知り得た情報と資料を寄せてくれた、外務省のTさんのように。こうした問題では、被害者のご家族と苦しみ・悲しみを共有し、親身になって活動する政治家・支援者がどれだけいるかが、重要になります。私が注目し期待しているのは、「朝鮮新報」編集部をはじめ、朝鮮総連内部から出てきた拉致事実の承認と被害者への謝罪の動きと、今回官邸で被害者ご家族の窓口となった中山恭子さんの内閣官房参与就任です。中山さんは、一昨年ウズベキスタンでお会いしご一緒したさい、大蔵官僚出身でありながら(失礼!)、こうした問題をわが身に引きつけて考えることのできる方と思いました。今晩帰国する調査団から、果たしてどんな「成果」がでてくることやら。「北朝鮮・拉致事件」掲示板、救う会全国協議会ニュースバックナンバー、救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)、朝鮮民主主義研究センターなどを見ると、拉致事件の被害者は、50人は下らず、おそらく100人近くはいると思われます。「会談後、日本人13人“強制退去”」 といった、憂うべき情報も伝わってきています。なによりも韓国には、政府公認でも500人近い拉致被害者がいます。北朝鮮全体では、95年から6年間の行方不明者が250万人といわれます。ようやく「問題が問題として生起した」のですから、一時的なエピソードに終わらせず、世界的なネットワークをつくって、本格的に真相を解明し、被害者を救済していきたいものです。
私が想起したのは、1938年11月17日のソ連共産党中央委員会政治局決定。数百万人の命を奪った粛清最盛期の秘密警察NKVD長官エジョフが、スターリンにより突如解任され、ベリヤが後任に就きました。「人民の敵」摘発の「ゆきすぎ」「ノルマ的割り当て大量逮捕」「粗略な取調と裁判」がエジョフ解任の理由でした。その深層は、同年8月のヒトラーと英仏の宥和政策によるミュンヘン協定に危機感を抱き、孤立を恐れたスターリンが、大量粛清の「ゆきすぎ」の責任をエジョフに負わせて「民主主義国家」英仏との同盟を求め、結局相手にされずに翌39年8月ヒトラーとの独ソ不可侵条約に踏み切ります。それが9月の第二次世界大戦開戦の引き金になり、ソ連の時間稼ぎ=「奇妙な平和」も、2年足らずでヒトラーに裏切られるのですが。ベリヤによって、エジョフの犯罪手法はより洗練され、戦後も世界各地で繰り返されます。ついでにいえば、日独同盟を信じた日本は、38年7月の張鼓峰事件から39年5月のノモンハン事件(ハルハ河戦争)へとエスカレートする時期、独ソ接近の政治力学など全然読めずにいました。そして、エジョフは更迭され「ゆきすぎ」は戒められても、女優岡田嘉子と共に38年正月にソ連に越境した演出家杉本良吉は「日本のスパイ」として39年10月に銃殺され、同じく38年4月に逮捕されていたアメリカ西海岸日系人活動家健物貞一も、釈放されずに42年9月に強制収容所で亡くなりました。貞一の遺児アランが、すべての事情を知り、亡父の親族に会えたのは、拙著『国境を越えるユートピア』に述べたように、60年後の今年の春でした。こうした在露日本人を含む当時の一人一人の命は、国際政治の合従連衡や「国益」の思惑によって翻弄され、スターリン粛清を同時代に本格的に問題にしえたのは、「民主主義国家」アメリカでも、ヨーロッパの左翼知識人でもなく、左翼からは「プラグマティスト」と軽蔑されたアメリカの哲学者・教育学者ジョン・デューイや、片山潜の元秘書としてソ連の強制収容所を体験し奇跡的に日本に生還していた勝野金政ら、勇気ある一握りの人々のみでした。
2002/9/15 東北・沖縄旅行から無事帰ってきましたが、体調がすぐれません。どうやら那覇のホテルのクーラーにやられたようです。台風一過の暑さもすごかったですが、9.11一周年の緊張は、おそらく日本国内では一番強く、実感できました。観光の目玉首里城公園は、守礼門はくぐれたものの、御庭(ウナ)ほか正殿はなぜか「点検保守のため」前後3日間の閉鎖、「安保の丘」から嘉手納基地を覗くと飛行機・ヘリコプターがひっきりなしに離着陸、ふだんはジュゴンの出そうな名護の辺野古浜では、キャンプ・シュワブとのオフリミット境界線に銃を持った米兵が立ちっぱなしでした。沖縄の人々にとっては、9.11の経済的打撃も深刻、修学旅行のキャンセルは20万人に近く、基地と観光に頼る沖縄経済を直撃し、失業率は「本土」の倍になっています。現地の新聞の9.11一周年に大きく載っていたので、気になってネットで調べてみると、日本政府もそれを認めていますが、奈良など関西の修学旅行業界は沖縄のキャンセルがらみでむしろ活気づいているという記事、なんだかこれ、普天間基地の移転先は沖縄の中のたらいまわしで辺野古へ、観光客は本土へで、後味悪いですね。もともと安保条約と米軍基地の存在そのものが問題なのに。
そんなわけで、9.11前後はテレビも新聞もじっくり追っかけることができず、帰ってから、とりあえずのネット情報の整理です。帰宅して、もともとウィルス対策だった、パーソナル・ファイアーウォールのアクセス記録を見て、驚きました。9.11前後は、毎日100件以上の不正アクセスがあり、それも、ウェブ・ファイル書き換えの試みがあったと記録されています。特定の何人かが、意図的にサイトつぶしを狙っているとしか、考えられません。かつて水島朝穂さんHPを破壊した人々と同じかどうかは特定できませんが。新学期も近づき、情報・論説サイト「IMAGINE! イマジン」を一年続けてきましたから、この特設サイトをどうするかも、思案のしどころです。旅の宿で考えたのですが、すでに「IMAGINE! イマジン」だけで毎日200人近くの皆さんが訪れ、延べ6万5千ヒットを越えて、「Peace Weblog」さんの記録する「平和を求めるサイト」では日本最大のポータル・サイトになっているようですから、一年だから閉鎖、というわけにもいきません。毎日更新はやめて、最低週一回はチェックし、何とか続けていこうかと思っています。
もちろん、主たる存続の理由は、テロも戦争もなくなるどころか、アフガニスタン、パレスチナからイラクへと、いっそう大規模に、いっそう危険なかたちで、憎悪と暴力が、増殖されているからです。どうやらこの「新しい戦争」は、21世紀冒頭の10年を特徴づける可能性があります。200年前の世界史でいえば、フランス革命後の大混乱の中から、ナポレオン「皇帝」が登場し、ヨーロッパ中に脅威をふりまき、ウィーン条約まで4半世紀かかりましたね。本日更新の「IMAGINE! イマジン」に入れてありますが、一周年を機に、インターネット上での情報戦として9.11以降をふり返る試みが、いくつかみられます。Kendra Mayfield論文「9.11」を記録にとどめるウェブアーカイブが述べるように、英語世界では、『ザ・セプテンバー11・デジタル・アーカイブ』と『ザ・セプテンバー11・ウェブ・アーカイブ』というよく似た名前の2大データベースサイトがあり、またOne year later: September 11 and the Internetという本格的総括もなされています。もちろん私たちからすれば、Alter Net、Z NET、Independent Media Center、The Nation、Common Dreams News Centerといった反戦平和サイトも重要なのですが、メジャーなメディア論的視角から見ても、9.11は画期的だったようです。曰く、「9月11日の出来事は、インターネット時代になって初の重大事件だった」「歴史上初めて、人類は世界的大事件を、あらゆる種類の媒体やコンピューター技術を介してオンラインで体験したのだ。そこで、この事件のデジタル記録を保存するべく、迅速な行動に出なければと考えた」「われわれが今作っているものは、現在はもちろんのこと、今から10年、20年、50年後にも人々がアクセスできるものだ」──このように考えると、私の「IMAGINE! イマジン」のみならず、この間インターネット上で戦争と平和を考え続けてきた数多くのサイトは、ホームページを公開し更新し続けること自体で、ジャスト・イン・タイムで「記憶を記録する」人類史の壮大な実験に加わっているのです。
One year later: September 11 and the InternetのSummary of findingsに、9.11以降のインターネットの重要な特徴として、"The rise of do-it-yourself journalism" が挙げられています。日本語にすれば「手作りジャーナリズム」でしょうか、日本DIY協会によれば、"do-it-yourself"とは「住まいと暮らしをよりよいものにするために、自らの手で快適な生活空間を創造すること」なそうですから、そのまま「DIYジャーナリズム」でもいいですね。その「DIYジャーナリズム」を通じて、私たちは、テレビや大新聞の情報に接するさいの批判的視角と「自らの手で快適な情報空間を創造する」自由とを、日々獲得してきました。例えば、本日更新の「IMAGINE! イマジン」に、ブッシュ大統領の国連演説ほか一連の好戦的スピーチとブッシュ・小泉日米首脳会談の結果を踏まえた日本政府の対応を入れる際には、「IMAGINE! イマジン」常設リンクの朝日・読売・毎日・日経・共同・NHK・CNN・ロイターなど大マスコミ・通信社ばかりでなく、ネット特有のYahoo News・MSN・US Front Line・日刊ベリタや東亜日報・人民網なども参照した上で、どうやら読売の福田官房長官「イラク戦支援も」という見通しが強そうだと考え、それをイマジンに入れます。解釈が微妙なら、いくつかの情報を併記することもできます。そういうニュースに「ブッシュ政権は米史上最も恐ろしい政府」というノーベル平和賞受賞者ジュディ・ウイリアムズさんの批判を重ね合わせると、日本がいま置かれている、悲喜劇的な世界史的位置が見えてくるのです。あるいは、「給油量は4800万ガロン 米統参議長が日本を評価 」「ユネスコ:米国の復帰表明を歓迎 松浦事務局長」「武力攻撃」有事法案の定義、2段階にといった小さなさりげない記事が、「帝国」アメリカとの関係で、異なる重要な意味を持ってくるのです。
私自身の9.11一周年は、「IMAGINE! イマジン」内に設けた■IMAGINE DATABASE SPECIAL「戦争の記憶」をひとまず完成し、「満州」戦争・日中戦争・アジア太平洋戦争から占領・朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争まで、日本語での「戦争の記憶の記録」の現在を概観できました。そうした作業と併行して、冷泉彰彦さん「『その日』を前にして」・「911を吹き抜けた風」をじっくり読み、坂本龍一さんインタビュー「ヒトは奪い、殺し、『帝国』を成す」や中村哲医師の沖縄平和賞受賞挨拶を考え、アフガン民衆にとって、この一年の事態は「熱いフライパンから逃げて、火のなかに飛 び込む」ようなものだったというRAWA声明「原理主義は全文明社会の敵」に接すると、マスコミ情報からは見えない「手作りの情報空間創造」が実感できるのです。8年ほど前の夏に書いた私の文章に、こんな一節があります。
2002/8/31 日本のヒートアイランドを久しぶりで体験し、クーラーつけっぱなしで、何とか夏のノルマ原稿500枚を仕上げました。ようやく夏休みで、しばらく東北の片田舎の非ネット環境に入るため、予定より早い更新です。次の更新は、9.11を沖縄で過ごした後になります。台風で帰れなくなると、遅れるかもしれません。
前回8.15更新以後、「IMAGINE! イマジン」内に■IMAGINE DATABASE SPECIAL「戦争の記憶」=[815&911 インターネットと戦争の記憶]という小特集コーナーを設け、「戦争の記憶」媒体としてのインターネットの可能性を探ってきましたが、あまりの豊饒な「記憶」の海に驚き、立ちすくんでしまいました。こと日本の「戦争体験」に関する限り、おそらく近所の公立図書館の関係蔵書に匹敵するくらい、全国各地の、無数の無名の人々の「記憶」が収集できます。一番簡単なのはGoogleかYahoo に「戦争体験」や「空襲」と打ち込む手ですが、それを一つ一つ拾って整理していくと、実にさまざまな「日本の戦争」に出会います。理由は二つほどありそうです。一つは、1995年の戦後50年の年などに、「地方公共団体及び地方団体発行戦争関連一覧」にあるように、多くの自治体や地域団体・学校などで、相当広く半世紀前の「戦争体験」の記憶の収集・記録化が行われ、そのよびかけに応えた膨大な証言・手記の一部が、ちょうど阪神大震災ボランティア活動などで効用が知られるようになったインターネット上に、次々とデータベース化されてきたもののようです。もう一つは、「自分史」の流れで、かつて「自費出版」として親族・友人向けに極少部数印刷されてきた市井の自伝・語りの類が、安価で永久保存可能なホームページ上に公開され、アルバムの写真や昔の日記と共に、立派な第一次資料として蓄積されてきたことです。そこには井筒紀久枝 「大陸の花嫁」のように、良質の「戦争文学」と形容しうるような、珠玉の作品も見出すことができます。
もう一つ気がついたのは、かつて「親から子へ」語られるはずだった戦争体験が、いまや「おじいちゃん、おばあちゃんから孫へ」の語りになっていることです。そのために、85才のホームページ「私の世代・戦争・戦後」、「孫に伝える、おじいちゃんおばあちゃんの戦争体験」、「隣のおじいちゃんの戦争体験/中学生への手紙」、「孫たちへの証言」、コンピューターおばあちゃんの会「記憶のままに 私の8月15日」、「おばあちゃん引き揚げ体験記」といった、元気なサイトがたくさんあります。インターネットの特性を生かし、絵画・映像・漫画・音楽・短歌・俳句・詩等を効果的に使った「読ませる」仕掛けも、なかなかのものです。「父の語った戦争、語らなかった戦争」「一兵士の従軍記録〜祖父の戦争を知る」のように、子どもや孫の世代が「記憶の深層」に迫っていく例もあります。もっとも「予科練」ものや「軍歌」サイトなどは、平和のために使われるとは限りませんが。
私がつい最近刊行した、加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)も、中国への従軍体験記を含みます。島崎藤村の末子である画家と、名取洋之助、草野心平、高見順、岡本太郎、会田綱雄ら戦地で出会った多くの芸術家たちとの交流も、第一級の証言です。群馬県桐生市大川美術館で、9月末日まで開催中の「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」には、自筆原稿も展示されています。「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』」(大川美術館ニュース『ガス燈』第53号、7月10日)や、つい最近書いた拙稿「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』(『大川美術館・友の会ニュース』2002年8月号)も参考にして、ぜひご覧下さい。この後者の原稿に、「現代史の謎解き」に入れましたがまだ応答のない<竹久夢二の2枚の「ベルリンの公園にて」について、どなたか情報をお寄せ下さい!>の内容を盛り込みました。『蓊助自伝』については、多くの皆様から心温まるお手紙やメールをいただきました。伝統と現代、ナチスとユダヤ人問題、プロレタリア美術と戦争、鑑賞と表現、粛清と「転向」、親子の葛藤と運命、などセピア色の絵にふさわしい重いテーマも含んでいますが、まずは『夜明け前』執筆期の文豪島崎藤村に反抗した末子蓊助の葛藤する生き様の記録として、読み物風にお楽しみ下さい。一緒に平凡社から出る予定だった原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀』の刊行は、9月にずれこみました。実は9月には、私の『国境を越えるユートピア』も、平凡社ライブラリーで刊行されます。有田芳生さんの解説付きです。あわせて味読してください。
「IMAGINE! イマジン」で追い続けてきたように、9.11はもうすぐ一周年です。しかし「反テロ」という名の戦争の雰囲気は、ニューヨークとアフガニスタンから、イスラエル・パレスチナやグルジア、フィリピン、新彊へと広がり、アメリカの イラク攻撃が近づいています。吉田正弘「ブッシュ政権の露骨な戦争挑発行為と対イラク侵攻計画」が指摘するように、ブッシュ大統領の計画は、半端じゃありません。自分勝手な「正義」を掲げて、独立国の政権転覆を狙うものです。イギリスを除くEU諸国も、ロシア、中国、アラブ諸国、トルコ、パキスタンの政府まで反対し、イスラエルと共に対米協調を優先するブレア首相のイギリスでさえ足元の世論の78%が反対、キッシンジャー、イ−グルバ−ガ−、ベーカーの歴代国務長官が慎重論を唱えているのに、核兵器までちらつかせ、国際刑事裁判所を妨害し、環境サミットに欠席し、今更ながら「米国はなぜ嫌われる? 米国務省が9月に討論会」までして地球社会に背を向け、イラク制圧に邁進しています。そこに、アーミテージの来日。米国務副長官がイラク攻撃で日本に協力を要請し、「対イラク」連携強化、日米戦略対話で一致、米国務副長官、イラク攻撃の「決定には日本とも協議」と「イエス」を迫られているのが、日本のいまです。小林正弥さんが「今なおファシズムの世紀なのか?」と問うのも、むべなるかなです。冷静に一年を振りかえってみましょう。9.11テロの犠牲者は2819人とNY市当局は修正し発表しました。対するアフガニスタンの犠牲者は市民4000人、兵士を加えると1万人はくだらないといいます。もちろん、その一人一人に、家族や友人や恋人がいるのです。改めて、今年の「広島平和宣言」「長崎平和宣言」を読み直してみましょう。「正義の戦争」なんて、ありうるのでしょうか? ちょっと嬉しいニュースは、今年の第1回沖縄平和賞が「ペシャワールの会」の中村哲医師に決まったこと。この夏「戦争の記憶」を辿って見出したのは、「平和の営みは地域から」という、当たり前のことでした。そして、私の足元にもありました。インターネットでも読める東京都「国立市平和都市宣言」(2000年6月)。文案は、市民から募集したものなそうです。
東京電力の原発ひび割れ隠し・虚偽報告は深刻、そのうち「それでも大事故がなかったから安全だった」という論理になるのでしょうか? 毎日新聞のヨハネスブルグ環境サミット報告「環境サミット:原発めぐる議論はなし 10年前とは隔世の感」に注目、もはや原発は前世紀の遺物として扱われているのです。まもなく長野県知事選挙の投票、地域からの政治の地殻変動がどこまで進んでいるか、見きわめましょう。小泉首相の北朝鮮訪問、カギは27日の小泉・アーミテージ会談にありそうです。「イラク」では、何が話し合われたのでしょうか? 本年1月の北京大学国際シンポジウム関連で、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)が入っていますが、日本共産党の不破議長が中国に招待されて「国際共産主義運動の現状と見通し」を話し合い慰め合っている姿は、異様です。私も書きましたが、田中宇さん「中国を混乱させる首脳人事」が「中国では、しだいに権力闘争が激しくなっている一方で、WTO加盟や市場経済が浸透した影響などで、もともと共産党が最も救おうとしていた貧しい農民や労働者が見捨てられ、いっそう貧しくなっている」と明快に述べ、「中国政府と反体制派、ネットをめぐる攻防は続く」と報じられている現実を、果たしてどれだけ感じとったのでしょうか? ついでにベトナム、キューバ、北朝鮮も見た上で、ぜひ「社会主義の現状と見通し」を語ってほしいものです。
図書館「書評の部屋」に、法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)、『図書新聞』掲載「2002年上半期の収穫」、藤原彰『中国戦線従軍記』(大月書店)、山本武利『ブラック・プロパガンダ』(岩波書店)に続き、次回更新で『エコノミスト』9月10日号(9月2日発売)の倉沢愛子『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書)、澤地久枝『わが人生の案内人』(文春新書)、それに、本8月31日が一周忌の石堂清倫さん追悼『20世紀の意味』書評(『歴史評論』9月号、9月10日発売)の収録を予告しておきます。図書館内芝田進午さん追悼文「『ドラマとしての人生』」の完全燃焼」(『芝田進午の世界』桐書房、2002年6月)、栗木安延さん追悼文「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)、平井規之さん追悼文「平井さんの『地獄への道は……』評注」(『平井規之を語る』非売品、2002年8月)と共に、合掌! 「IMAGINE! イマジン」の活動報告「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」(『エコノミスト』7月2日号)、「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)、春に出た編著『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)などもよろしく。10月5日・6日の日本政治学会に合わせて、10月4日(金)午後2-6時、愛媛大学での第28回全国政治研究会案内をアップしてあります。
2002/8/15 久しぶりの、日本での8・15です。正確に言えば、本HPには1997年8月15日に立ち上げて以来の「カレッジ日誌」があり、自分自身の記憶をも呼び起こしてくれるのですが、5年前にカウンターを入れて出発し、最初にリンクしたのが「市民のための丸山真男ホームページ」さん、つまり前年8.15に没した丸山真男追悼の意味を持っていました。しかし翌98年の8月15日はスペインのバルセロナ、99年と2000年はベルリン、昨01年はオーストラリアのシドニーにいたので、日本でこの時期更新するのは、初めてなのです。暑いのと、山と抱えた活字の宿題を毎日30枚のペースでこなすのに閉口していますが、気晴らしは、インターネット。せっかくですので、冷泉彰彦さん「911と815」にも刺激され、「IMAGINE! イマジン」内に■IMAGINE DATABASE SPECIAL「戦争の記憶」=[815&911 インターネットと戦争の記憶]という小特集コーナーを設けて、「戦争の記憶」媒体としてのインターネットの可能性を探ってみました。実は、きっかけはもう一つ。こちらは専門の現代史研究「在独日本人反帝グループ」がらみで、ワイマール民主主義体験を持った関係者の戦時中の動きを調べていたところ、「大東亜戦争秘話 陸軍の経済謀略戦 秋丸機関の全貌」中に有澤広巳「軍国主義の旗の下に」を見つけたことでした。
ネットサーフィンしてみて、驚きました。無数の戦争体験がインターネット上に溢れているのです。まずは、リンク集「戦争を語り継ごう」、「日本の戦争責任資料センター」、林博史さん「日本の現代史と戦争責任についてのホームページ」を出発点にしました。8.15の確認のため検索した「ポツダム宣言(米、英、支三國宣言)、「終戦詔書」は、すぐ出てきました。「昭和20年日本」や北原勝雄「八月十五日」から広げていこうと、満州とシベリアを追っかけただけで、膨大な手記・証言・絵画の類がみつかりました。『ある家族の満州引き揚げ物語』−ひまわりの歌、「1945年 叔父が樺太で戦死」、「曠野を流浪って八年 終戦後の旧満州残留放浪記」、画集「きらめく北斗星の下に」(司馬遼太郎序)、佐々木芳勝「流転の旅路 −シベリア抑留記」、「照雲のシベリア抑留日記」、青木和雄「シベリア大陸列車の旅」、クララの園「シベリア抑留について」、「シベリア、私の捕虜記」、川越史郎「抑留生活のあと、日本を捨て、家を捨ててソ連に残ったが……、理想は音をたてて崩れてしまった」、宮地健一「『異国の丘』とソ連・日本共産党」、筒井宗吉「異国の丘 〜シベリア抑留惨酷の記憶」、ステファン・コスティク「ウクライナ人捕虜から見た日本人捕虜」など、いずれも力作です。50年で著作権終了もあるのではと、おなじみ青空文庫に入ったら、ありました。8月6日に間に合わせようと、原民喜プロジェクトの皆さんのご尽力で、あの「夏の花」3部作が、ネット上で全文読めます。13日の読売新聞で「私の八月十五日」が紹介されていたのであたったら、あるわあるわ、「私の8月15日」、「語り継ごう戦争体験」、「戦争体験」、「父の終戦と生い立ちの記」(敗戦歌集)など盛り沢山、途中で埼玉県平和資料館「企画展の記録」、「20世紀の空白埋める史料」、「2002年 丸木美術館 ひろしま忌」、「A-Bomb WWW Museum」、「20世紀 にっぽん人の記憶」などを読み漁っているうちに、いまやインターネットが、かつての自費出版やテープレコーダーに代わる、戦争と平和の<記憶>のメジャーなデータベースになっていることがわかりました。「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」、「歴史記録映像」、「先生たちの戦争体験集」(1)・(2)、「戦争体験者のライフヒストリー」、小田敦巳『一兵士の戦争体験──ビルマ戦線 生死の境』、「隣のおじいちゃんの戦争体験」、藻谷研介「私の戦争体験-最も衝撃的な部分」、「DIG 戦争体験を掘り起こす会」、「戦争体験記の館」、「インターネット戦争資料展」、と実に多彩です。宮田勝喜「二度と起こしてはならない 私の戦争体験ーインパール作戦」、絵鳩 毅「侵略戦争−体験と反省」、西川勢津子「女性科学者の戦争体験」、田村恵子「女性の戦争体験 ラバウルの日本軍従軍看護婦」、といった佳作を読みふけっているところで、今日は時間切れ。「平和教育はいま」には、こどもたちの「生の証言はリアルで、震え上がるほど恐ろしかった」といった反応も出ています。歴史学や平和教育は、これらを有効に活用しているのでしょうか? しばらくGoogleをも活用して、9.11頃まで、ほぼ毎日更新の「IMAGINE! イマジン」の方に、 [815&911 小特集 インターネットと戦争の記憶]を収録していきます。ご愛顧ください。
あまり知られていませんが、20世紀日本最良の思想家丸山真男は、1945年8月広島で敗戦を迎え、96年8月15日に亡くなりました。寂しいことに、インターネットの学術的可能性を示した先駆であった「市民のための丸山真男ホームページ」は、21世紀に入って更新されずに、静かにたたずんでいます。岡本真さんの「丸山真男没後資料目録」も、2年前までのようです。しかし関西学院大学富田宏治さんの『無・天・雑・録』や、千葉大学小林正弥さんの「公共哲学ネットワーク」は、丸山真男の精神を現代に生かそうと、奮闘されています。私の「IMAGINE! イマジン」も、丸山の「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」に導かれています。9.11以後の世界に、丸山は古くなったどころか、新しい刺激を与えてくれるのではないでしょうか? そんなことを思わせる重厚な労作に、活字世界で、二つ出会いました。一つは新刊、大隅和雄・平石直昭編『思想史家 丸山真男論』(ぺりかん社)中の水林彪さん「原型(古層)論と古代政治思想論」、もう一つは、最新の文芸誌『葦牙(あしかび)』第28号巻頭田口富久治さん「丸山眞男の『古層論』と加藤周一の『土着世界観』」。アプローチは異なりますが、共に丸山真男の「古層論」に、正面から取り組んでいます。自分自身の研究史を、丸山に照らして内省しています。水林さんは、丸山が「次々に成りゆく勢ひ」という古層論に向かった背景には「歴史を超えた何ものかへの帰依なしには、個人が不条理な周囲の動向に抗して立ちつづけられない、そして、不条理の絶えない現代社会においては、そのような歴史を超えた何ものかへの帰依が必要である、しかし、この国には、不幸なことに、そのような普遍的超越的価値への帰依という精神が伝統的にきわめて弱い、という思い」があった、といいます。そしてそれは、宿命論ではなく、かえって「原型(古層)的伝統を克服する第一歩は、原型(古層)それ自体の全面的解明にある」という精神だと言います。丸山の「古代からの持続的な契機の理解なしには、近代も現代も把握できない」とは、このような意味だというのです。たしかに「戦争のない世界」や「非暴力・寛容・自己統治の政治」を構想するには、人類史のスケールで日本列島史の始源にまで遡る必要がありそうです。NHKスペシャル「海上自衛隊はこうして生まれた− 全容を明かす機密文章 −」や農水省による日本ハム調査報告を横目で見ながら読むと、重い問いかけです。ぜひ書物の方で、じっくりお読み下さい。そのような思想的営為が、丸山真男追悼には、ふさわしいでしょう。
田口さんの丸山真男と加藤周一の比較論の入った『葦牙』28号には、珍しく(失礼!)小説も載り、田口論文ほか、力作が揃っています。川端香男里「文学から見たロシア革命とソ連崩壊」、横手一彦「石堂清倫さんに一九四〇年代前後を聞く」、栗栖継訳・解説「 ヨシュカ・バクソヴァーの証言:フチーク逮捕の周辺 」など、じっくり考えさせる論考が並んでいます。これらと一緒なのは気が引けますが、目次にあるように、私の「日本の社会主義運動の現在」も入っています。本年初めの北京大学国際シンポジウム報告で、「世界の社会主義180年」と「日本共産党80年」を重ねあわせた、日本の「社会主義」の今日的ジレンマの分析です。シンポジウム出席記「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、それらの前提である「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)と一緒に、御笑覧下さい。ようやく完成して昨日見本が届いたのが、「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』」(大川美術館ニュース『ガス燈』第53号、7月10日)等で予告してきた、加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)です。下旬には、一緒に平凡社から出る原田健一・川崎賢子著『岡田桑三と映像の世紀』と共に、書店に並ぶでしょう。なんとか、9月末日まで開催中の「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」(群馬県桐生市大川美術館)に、間に合わせることができました。これも、伝統と現代、ナチスとユダヤ人問題、プロレタリア美術と戦争、鑑賞と表現、粛清と「転向」、親子の葛藤と運命、など絵のセピア色にふさわしい重いテーマも含んでいますが、まずは『夜明け前』執筆期の文豪島崎藤村に反抗し回帰した末子蓊助の生き様の記録として、読み物風にお楽しみ下さい。
前回NHK新日曜美術館「独逸、夢のかなたへ──知られざる竹久夢二」放映にあわせて、華々しく打ち出した「竹久夢二の2枚の『ベルリンの公園にて』について、どなたか情報をお寄せ下さい!」──残念ながら、こちらの情報提供はありませんでした。やむなく情報収集センター の「現代史の謎解き」に入れて、長期戦に入りますが、もう一回だけ、トップでもよびかけてみましょう。もっとも「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号)にあるように、30年かけてついに現物とのご対面が実現した、『伯林週報』探索のようなケースもありますから、まあ、気長に歴史探偵していきます。問題の所在は、大きくは、関谷定夫『竹久夢ニ 精神の遍歴』(東洋書林、2000年)に描かれ、私の「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪」 のきっかけとなった、1933年ナチス政権樹立期、竹久夢二のユダヤ人救出地下運動への関わりです。より具体的には、夢二のベルリンでの師ヨハネス・イッテンご遺族もご存じなかったのですが、夢二の「ベルリンの公園」と題する水彩ペン画に関わる謎です。
郵政省の絵葉書になった左側の絵が有名で、多くの夢二画集に収めてあり、今回NHK「新日曜美術館」でも放映されました。1983年に、夢二の生まれ故郷岡山の夢二郷土美術館が、画商から購入したものです。全く同じ構図で、昭和天皇侍従長徳川義寛がベルリンから持ち帰り、1982年10月13日に寄贈した「ベルリンの小公園」という、右の絵も実在します。どちらも現在は、夢二郷土美術館所蔵です。同一構図でありながら、モデルの服装、ベンチに座る人々、それに署名の位置とこどもの玩具の有無が異なり、芝生の花のかたちからは、季節の違いを感じさせます。ベルリン西部「ウィッテルスバッヒャー・プラッツ」のスケッチで、小川晶子『夢二の四季』(東方出版、2002年)では、左の「公園」は「夏」の作品とされていますから、右の「小公園」は、「春」か「秋」でしょうか? 徳川義寛は、夢二がヒトラー政権成立を目撃した1933年当時、ベルリン大学で美学を学んでいたので、芸術作品として譲り受けたのでしょうか? それとも、夢二から油絵をもらった今井茂郎、神田襄太郎ら当時の日本大使館員と同じように、ベルリンで夢二に経済的に援助した見返りだったのでしょうか? 私の政治学的推論によれば、1932年10月-33年9月在独の竹久夢二(帰国して翌34年病死)は、徳川義寛をはじめ、当時知り合ったベルリン大学の日本人学生たちに、この姉妹画を分け与えたのではないか、と考えられます。当時のベルリン大学在籍日本人正規学生約10名の中には、私の「在独日本人反帝グループ関係者名簿」にあるように、国崎定洞の影響下にあった左翼学生が数人入っています。バウハウスに影響を受けた夢二の榛名山産業美術研究所構想と1931-33年「洋行」の有力支援者の一人であった島崎藤村の3男島崎蓊助も、ベルリン大学付属外国人向けドイツ語学校に通い、夢二と3か月ほどドイツ滞在が重なります。32年大晦日に離独する蓊助が夢二の絵をドイツから持ち帰った形跡はありませんが、私が集めた「在独日本人反帝グループ」関係者の聞き取りでは、名古屋の百貨店主御曹司で反ナチ「革命的アジア人協会」の活動家であった八木誠三の未亡人と、当時ユダヤ人の恋人を持ちベルリン大学内のユダヤ人地下学生運動に加わっていた井上角太郎のご遺族は、「竹久夢二らしい絵を持っていた」と証言しています。八木・井上は、当時徳川義寛の同級生で、姉妹画を持ち帰った可能性があります。特に井上角太郎は、当時の夢二の在独スポンサーであったベルリン日本商務官事務所(今井茂郎ら)の通訳を、アルバイトとしていました。徳川義寛が右の「小公園」を夢二からもらい持ち帰ったとすれば、左の「ベルリンの公園」の方は、どんなかたちで日本に戻ってきたのでしょうか? 二枚の絵はどういう関係なのでしょうか? どなたか、晩年の竹久夢二に詳しい方の、ご教示を期待します。情報があれば、ぜひメールでお寄せ下さい!
前回全面更新した「リンク集=情報処理センター」の使い勝手は、いかがでしょうか? 「政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」と銘打っていますので、長野県知事選挙関連の「ヤスキチ」、「K嬢の長野県政ウォッチング日記」、「長野県政を監視する」も入れましたから、ぜひご活用を。 図書館「書評の部屋」に、8月6日号『エコノミスト』「歴史書の棚」で8.15向けに選定した藤原彰『中国戦線従軍記』(大月書店)と山本武利『ブラック・プロパガンダ』(岩波書店)を入れました。7月9日号掲載の法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)、『図書新聞』掲載「2002年上半期の収穫」と共に、ぜひご参照下さい。同じく図書館に、芝田進午さん追悼文「『ドラマとしての人生』」の完全燃焼」(『芝田進午の世界』桐書房、2002年6月)、栗木安延さん追悼文「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)に続けて、昨年8月に亡くなったアメリカ経済研究の平井規之さん追悼文「平井さんの『地獄への道は……』評注」(『平井規之を語る』非売品、2002年8月)を新規に入れました。「IMAGINE! イマジン」の活動報告である「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」(『エコノミスト』7月2日号)、「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)、春に出た編著『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)などと共に、御贔屓に。10月の第28回全国政治研究会案内を暫定アップ。
2002/8/1 前回更新直後、7月17日に本HPは30万ヒットを記録しました。皆様の日頃のご愛顧に、厚く御礼申し上げます。記念にトップをちょっと模様替えし、9.11に際して韓国の読者Son. Dug-sooさん"Peace-Mother"から「 イマジン」にメールで送られたきた「平和の一輪」を入れました。クリックすると、♪ IMAGINE GALLERYに入ります。ジャスト30万を打った兵庫県の「ろんりーかんがるー」さんには、記念品として拙著『20世紀を超えて』と台湾国立故宮博物院特製マウスパッドを進呈致しました。一区切りなので、恒例により、リンク集=「情報処理センター」の全面更改。約500のサイトをチェックし、リンク切れをカットし、アドレス変更を修正、新規に50サイトほどを追加しました。といっても、新規サイトの多くは、昨年9.11以後の「IMAGINE! イマジン」平和運動で知り合った連携サイトです。「政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」という本リンク集の主旨にそって、重要な恒常的サイトのみ、重複掲載しました。8月は、日本では戦争をふり返る月、でも アフガニスタンやパレスチナのことを忘れてはいけません。「戦争のない世界」「非暴力・寛容・自己統治の政治」へのイマジネーションを持続しましょう!
日本の平均寿命は、今年も女性が84.93歳、男性78.07歳で男女とも長寿世界一なそうです。今回のリンク集更新で特筆すべきは、1921年生まれの世界史家吉田悟郎さん= 「ブナ林便り」、1926年生まれの日本文学史家伊豆利彦さん= 「日々通信」の「ネチズンシップ」コーナー新規収録。最近の活字出版界のベストセラーを見ると、石原慎太郎「老いてこそ人生」、日野原重明「生きかた上手」と、なぜか「老い方」もの、それも石原「老いには、目を据えて立ち向かえ」、日野原「何事もとらえかた次第」といった精神主義が流行です。それならまず、NHK『趣味悠々 中高年のためのパソコン講座 とってもやさしい! 』でもお読みになって、パソコンに向かいましょう。そして、吉田悟郎さんや伊豆利彦さんのように、ご自分のホームページをお持ちなさい、というのが本「ネチズン・カレッジ」の夏のおススメ。リアルワールドでは80歳をこえる吉田悟郎さんの「ブナ林便り」は、サイバースペースでは何と若々しいことか! いまや平和情報ポータルでは、私の「IMAGINE! イマジン」の強力なライバルになりつつあり、夜型の「イマジン」に比べ、「ブナ林便り」は毎早朝サーフィンをなさるようで、時々特ダネを抜かれています。おかげでこちらまで若返り、「アルジャジーラ・オンライン」の政治漫画等、けっこう楽しませてもらってます。少子高齢化社会日本で、熟年パワーの活用は重要です。1927年生まれの文芸評論家栗原幸夫さん「ホイのホイ」もお元気ですし、闘病中の吉川勇一さんも健筆をふるっています。それらに刺激されて、「馬から車へ、スマトラ従軍記」、「戦争体験記の館」、「定年後に読む資本論」、「川勝秋雄の定年後のマイライフ」みたいなサイトがいっぱいネット上にできれば、厚生労働省にとっても、現代史研究にとっても、喜ばしいことです。『週刊金曜日』7月26日号が「今なぜ盛ん? 50年代の学生運動の回顧と検証」(岩垂弘・高橋彦博)という特集を組んでいますが、そこに紹介された「WASEDA 1950」だって、ネットで全文が読めますよ。先輩たちのパワーに負けてはいられません。若い皆さんもぜひ、夏休みにご自分のホームページ立ち上げを!
かく言う私も、「老い」たわけではありませんが、トップに「花一輪」を入れたように、最近は美術づいてます。7月7日のNHK教育テレビ「新日曜美術館」で取り上げられた、群馬県桐生市大川美術館で開催中の「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」(9月末まで)はもちろん一押しで、「エルベ川」などメインのセピア色の絵も、戦争末期の中国従軍スケッチも、様々にイメージの広がるすばらしい作品です。ぜひ夏休みに桐生を訪れ、ご覧下さい。作者の画家島崎蓊助は、『夜明け前』執筆期の父島崎藤村に反抗して、国崎定洞や千田是也らの「在独日本人反帝グループ」に飛び込み挫折した体験を持ちます。そのため大川美術館ニュース『ガス燈』第53号(2002年7月10日号)に、「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』」という美術評論(まがい)まで、書いてしまいました。8月末には、平凡社から、加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』が刊行されます。同時に平凡社から出る岡田桑三評伝、原田健一・川崎賢子著『岡田桑三と映像の世紀』と共に、ぜひご一読を。7月21日の「新日曜美術館」では、本HP「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪記」(いつのまにやら「Yumeji りんく」にも入ってました)もちょっぴりお手伝いして、「独逸、夢のかなたへ──知られざる竹久夢二」が放映されました。『平民新聞』の挿絵画家から出発した「社会派」夢二の再評価は新鮮で、ドイツで書いた油絵「水竹居」に焦点を当て、美輪明宏さんの夢二談義も秀逸でした。もっとも当日、私は群馬高崎哲学堂の「よろこばしき知識」の皆さんのお招きで、「井上房一郎『洋行』の周辺──勝野金政から島崎蓊助まで」と題した芸術がらみの講演でした。そこでお会いした旧知の工芸家水原徳言さんと、思わぬ芸術談義。ブルーノ・タウトの高弟であった水原さんと、タウト、井上房一郎、勝野金政が協力した銀座「ミラテス」の話や、写真家名取洋之助、建築家山口文象らとのつながりの話も愉快でしたが、実は水原さん、晩年の夢二の愛した伊香保・榛名山と高崎が近いものですから、夢二の世界にも大変詳しかったのです。朝のNHKに出てきたナチスの政権獲得時ドイツで竹久夢二が東洋画を教えていたヨハネス・イッテンのイッテン・シューレについてもよくご存じなばかりでなく、なんと、夢二のイッテン・シューレの教え子で、パリに逃れたユダヤ人画家エヴァ・プラウドさんが、1935年頃来日してタウトに会いに来た際、一緒に同席したというのです。そこで夢二の話は出なかったそうですが、同じくナチスに追われ東洋を愛したユダヤ人芸術家二人が、日本で初めて会ったという話に感激。90歳をこえた水原さんに、エヴァ・プラウドの夢二についての手紙と資料が、法政大学大原社会問題研究所「藤林伸治資料」にあることをお知らせし、すっかり意気投合しました。おかげで講演の方もスムーズに行き、地元の熱心な皆さんと遅くまで語り合うことができました。
NHK「独逸、夢のかなたへ──知られざる竹久夢二」は、美術番組としては大変良くできていましたが、実は担当ディレクターに取材をお願いして、結局わからずじまいで放映できなかった問題がありました。私の「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪記」 のきっかけとなった、1933年竹久夢二のユダヤ人救出地下運動への関わりです。関谷定夫『竹久夢ニ 精神の遍歴』(東洋書林、2000年)にも描かれ、イッテンの息子さんがスイスで夢二の絵を今なお保存していることまでは私が調査し、今回NHKがその水墨画等10数点を画像に収めてくれましたが、イッテン家ご遺族からは、ユダヤ人救出問題での証言はとれなかったそうです。夢二の知られざる活動が、美術の師イッテンのルートではなく、当時の在独日本大使館員やベルリン大学日本人留学生が関わったルートであったからでしょう。この線で、最近気になるのが、夢二の「ベルリンの公園」と題する水彩ペン画に関わる謎。郵政省の絵葉書になった左側の絵が有名で、多くの夢二画集に収めてあり、今回NHK「新日曜美術館」でも放映されましたが、実は、全く同じ構図の「ベルリンの小公園」という、右の絵も実在します(比較しやすいように並べました)。どちらも現在は夢二の生まれ故郷岡山の夢二郷土美術館所蔵ですが、左側の「公園」は、かつて昭和天皇侍従長徳川義寛の「寄贈」とされていました。ところが先日旧ソ連日本人粛清犠牲者の健物貞一遺児アランさんがロシアから来日して、岡山のご親族と対面したさいに、夢二郷土美術館を訪れ確かめたところ、これまで徳川義寛寄贈とされていた「ベルリンの公園」は、1983年に画商から購入したもので、徳川義寛が1982年に寄贈したのは、「公園」と全く同じ構図で同じく紙にペンと水彩で描いた「ベルリンの小公園」という右側の絵であったことがわかりました。徳川義寛が昭和57年10月13日に絵を持参し寄贈したさいの徳川氏自筆のメモをみせてもらったところ、徳川義寛は、その絵を「公園にて」と名付けており、自分がベルリン大学入学後1933年に夢二から記念にもらったものだと解説し、これがベルリン西部「ウィッテルスバッヒャー・プラッツ」のスケッチで、中央に「子どもが曳いている玩具」があり「右上隅のYume 1933 Berlin」と署名がある、と書いています。ところが、数年前まで徳川義寛寄贈とされてきた左の「公園」には、子どもの後ろ姿はありますが「玩具」がなく、また署名は右下です。右の「小公園」の方には、確かに「玩具」が入っており、署名も右上です。左の「公園」よりややこぶりの、徳川氏がベルリンから持ち帰った右の「小公園」は、数ある夢二の画集でも、栗田勇編『竹久夢二 愛と詩の旅人』(山陽新聞社、昭和58年)149頁にタイトルも解説もなく掲載されているくらいで、私の見た他の画集では、最新の『竹久夢二 名品百選』(そごう美術館)をはじめ、もっぱら画商経由の左側の「公園」のみが掲載されています。
2枚の「公園にて」の絵は、姉妹画で、芸術的価値も同等な感じです。むしろ同一構図でありながら、モデルの服装、ベンチに座る人々、それに署名の位置とこどもの玩具の有無が異なり、芝生の花のかたちからは季節の違いを感じさせます。最新の小川晶子『夢二の四季』(東方出版、2002年)では、左の「公園」は「夏」の作品とされていますが、すると右の「小公園」は「春」か「秋」でしょうか? 徳川義寛はベルリン大学で美学を学んでいたので、芸術作品として譲り受けたのでしょうか? それとも夢二から油絵をもらった今井茂郎、神田襄太郎ら当時の日本大使館員と同じように、ベルリンで夢二に経済的援助をした見返りの謝礼でしょうか? ちなみに、神田襄太郎は東大で新人会蝋山政道らに近く、福本和夫にベルリンでドイツ語を教えたといいます(石堂清倫『わが友中野重治』平凡社、2002年、187頁)……。ここからは、私の政治学的推論です。1932年10月-33年9月在独の竹久夢二(帰国して翌34年病死)は、徳川義寛をはじめ、当時知り合ったベルリン大学の日本人学生たちに、この姉妹画を分け与えたのではないでしょうか? 当時のベルリン大学在籍日本人正規学生約10名の中には、私の「在独日本人反帝グループ関係者名簿」にあるように、国崎定洞の影響下にあった左翼学生が数人入っています。バウハウスに影響を受けた夢二の榛名山産業美術研究所構想と1931-33年「洋行」の有力支援者の一人であった島崎藤村の、3男島崎蓊助も、ベルリン大学付属外国人向けドイツ語学校に通い、夢二と3か月ほどドイツ滞在が重なります。32年末に離独する蓊助が夢二の絵をドイツから持ち帰った形跡はありませんが、私が集めた「在独日本人反帝グループ」関係者の聞き取りでは、名古屋の百貨店主の息子で反ナチ「革命的アジア人協会」の活動家であった八木誠三の未亡人と、当時ユダヤ人の恋人を持ちベルリン大学内のユダヤ人地下学生運動に加わっていた井上角太郎のご遺族は、「竹久夢二の絵を持っていた」と証言しています。八木・井上は、当時徳川義寛の同級生で、姉妹画を持ち帰った可能性があります。特に井上角太郎は、当時の夢二の在独スポンサーであったベルリン日本商務官事務所(今井茂郎ら)の通訳をアルバイトとしていました。徳川義寛が右の「小公園」を夢二からもらい持ち帰ったとすれば、左の「ベルリンの公園」の方は、どんなかたちで日本に戻ってきたのでしょうか? どなたか、晩年の竹久夢二に詳しい方の、ご教示を期待します。情報があれば、ぜひメールを!
8月は国会も夏枯れ、日本の時局政治の焦点は長野県知事選挙か。リンク集に「ヤスキチ」、「K嬢の長野県政ウォッチング日記」、それをチェックする「長野県政を監視する」サイトを入れました。図書館「書評の部屋」に、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」7月9日号掲載法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)と西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)に加え、『図書新聞』掲載「2002年上半期の収穫」を収録しましたが、現在発売中の『エコノミスト』8月6日号では、8.15を前にした読書のオススメとして、藤原彰『中国戦線従軍記』(大月書店)と山本武利『ブラック・プロパガンダ』(岩波書店)を取り上げています。同じく図書館の芝田進午さん追悼文「『ドラマとしての人生』」の完全燃焼」(『芝田進午の世界』桐書房、2002年6月)、栗木安延さん追悼文「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)、「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」(『エコノミスト』7月2日号)、『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)、ついに『伯林週報』の現物とご対面した「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店、探索記を加えて増補)、「IMAGINE! イマジン」の活動報告「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)などと共に、ご笑覧ください。
2002/7/17 17日午後5時、本HPは30万ヒットを記録しました。皆様の日頃のご愛顧に、厚く御礼申し上げます。ジャスト30万を打った兵庫県の「ろんりーかんがるー」さんには、約束通り記念品として拙著『20世紀を超えて』と台湾国立故宮博物院特製マウスパッド(左)を進呈致します。折しも、下に臨時ニュースでお伝えしたように、アメリカ合衆国のZ NETの皆さんは、マスコミ報道のアメリカン帝国「CNN」に対抗して、世界民衆のAlternative Media「ZNN」(日本語版など10か国語もカバーし、チョムスキー・コーナーまであります!)を立ち上げました。本HPでも「IMAGINE! イマジン」を中心に、連帯して行きたいと思います。
ただしネット上には、雑音(noise)も偽情報(disinformation)も流されています。15日更新時に入れた「アジア国際通信」HP「『パンとサーカス』とワールドカップ」
で報じられた「静かに葬り去られたワールドカップ韓国・イタリア戦審判モレノ氏 (Byron
Moreno)惨殺事件」情報は、その後、多くの皆様のご協力を得て検証したところ、なぜか中国語サイトのみに情報があり、そのうち一橋大学の中国人留学生許君がみつけて解読した6月28日付中国「北京青年報」の「ワールドカップ韓国組織委員会、本報記者に証言:『裁判[審判]殺害』は虚言」という記事=「本報記者鄭媛の報道によると、昨日ワールドカップ韓国組織委員会は本報記者に、インターネット上に流れている今大会のイタリア対韓国戦の主審を務めたエクアドル主審モレノ氏がイタリア黒手党の銃撃を受けて死んだというニュースは虚言であると証言した。記者がワールドカップ韓国組織委員会にこのニュースについて証言を求めたところ、韓国組織委員会新聞宣伝局の責任者は端然とそれを否定した。『そのようなことは起こっていない。それは事実ではない』と」からして、本「ネチズン・カレッジ」はdisinformationと判断しました。ご協力いただいた皆様に感謝し、訂正しておきます。またこの間、本HPに毎日数十件の不正アクセスがあり、先日水島朝穂さんHPが破壊されたように、何者かのターゲットにされているようです。今のところFirewallで撃退していますが、特に「IMAGINE!
イマジン」と連帯する平和サイトの皆様、くれぐれもご注意下さい!
2002/7/15 イギリスの『エコノミスト』誌は、「小泉首相を見限るべき時」と、日本経済を診断したそうです。私も毎日新聞社の『エコノミスト』7月2日号に、拙稿「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」を発表し、「小泉メルマガ」の失効宣告を出しました。原題は「インターネットから政治が見える、政治が変わるーー情報政治学のススメ」というもので、情報学研究室に、オリジナルを入れてあります。かつて「論壇」という「知の世界」が私たちの現状分析や認識枠組に刺激を与えた時代がありましたが、今ではインターネット上で、新しい視角や枠組が世界中からクリック一つで得られるようになり、しかもそれをネチズン同士で語り合い、共有していく公共の広場(フォーラム)・舞台(アリーナ)ができました。OS風にいえば、「アカデミック・リナックス」です。昨年9.11以来、ほぼ毎日「IMAGINE! イマジン」を更新・発信してきて、池澤夏樹 さん「新世紀にようこそ」、冷泉彰彦さん「from 911/USAレポート」、小林正弥さん「公共哲学ネットワーク」などから、大きな知的刺激を受けてきました。その流れで、先日出会った益岡賢さんHP所収のノム・チョムスキー ・「戦争のない世界」は、感動的でした。その認識は、簡明です。
詳しくは英語原文をも参照して、ぜひ読んでいただきたいのですが、私が感動したのは、この1月末以来「世界経済フォーラムか世界社会フォーラムか」としてきた本HPの認識枠組が、チョムスキーと一致したからだけではありません。重い「対テロ戦争」の状況に、想像力を駆使して「戦争のない世界」を対置し、それを情報戦の中で読み解く、その手法の鮮やかさです。
もう削除された有田芳生さんのコメントが看破していたように、『20世紀を超えて』で私が言いたかったことは、「カルチャーとしての社会主義」末尾の「21世紀の市民は、『すべてを疑え』の精神で、資本との情報戦のなかで自己の言説を研磨するばかりでなく、『仮想敵』をもたない『非暴力・寛容・自己統治』の政治にも、習熟しなければならない」に尽きます。そのために石堂清倫と丸山真男をベースに、グラムシとベンヤミンで味付けし、プラトン、アリストテレスもアレント、ハーバーマスもほとんど使わずに「非暴力・寛容・自己統治の政治」の復権を主張しました。五十嵐さんにコメントされてふり返ってみると、こうした構想の背景にあったのは、『20世紀を超えて』後半の20世紀社会主義運動の歴史的分析と、昨夏執筆時に石堂『20世紀の意味』と共に座右において読んでいた埴谷雄高『幻視のなかの政治』(未来社、2001年)でした。グラムシを「超える」ことよりも、埴谷の「政治の裸かにされた原理は、敵を殺せ、の一語に尽きる」というテーゼから受けた衝撃でした。それが誤っているからではありません。旧ソ連のスターリン粛清やナチスに反対して異国で社会主義運動に加わった人々の運命を追いかけていくと、この埴谷雄高の権力論が、あまたの政治学者・思想家の言説よりはるかに深く、「現存した20世紀」にあてはまったからです。同時に、だからこそ、この埴谷のテーゼを「超え」なければ、「21世紀の政治」そのものが「殺されてしまう」と考えたのです。そこで指針としたのが、石堂さんの遺言と、本HP上部に掲げ続けている「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」という丸山真男の言説でした。ちなみに「カルチャーとしての社会主義」にあるように、丸山のこの言葉は、「革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、『戦争』の言葉で『革命』を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである」(『自己内対話』90頁)と続きます。チョムスキー 「戦争のない世界」に通じる、こうした境地に至ったことが、もう10か月も毎日「イマジン」を発信し続ける内発的力になっています。もうすぐ本「カレッジ」は30万ヒット、「イマジン」は独自のポータルサイトとして6万近いアクセスをいただきましたから、9.11までは続けていくつもりです。ジャスト30万アクセスをヒットした方には、画面をコピーしてメールでお知らせいただけば、この『20世紀を超えて』ほか、ささやかな記念品をさしあげます。
先ほど到着したメルマガ【アジア国際通信:「パンとサーカス」とワールドカップ (02/07/14)】に、恐ろしいニュースが入ってきました。「エクアドル国営テレビが、6月23日午後8時のニュース番組で、イタリア対韓国戦で主審をつとめたエクアドルのモレノ氏が、同日の午後6時ごろ同国の首都キトで銃撃され死亡したと報じ、凄惨な現場を放映した。……エクアドルでは、イタリア・マフィアの報復だと信じられている」というものです 。[この「静かに葬り去られたワールドカップ審判モレノ氏 (Byron Moreno)惨殺事件」情報、すごい反響でしたが、日体大の森川貞夫教授から、二つの中国語サイトに写真入りで載っているが他にはみあたらないという情報が寄せられ、一橋大学留学生許さんから6月28日付中国「北京青年報」の「ワールドカップ韓国組織委員会、本報記者に証言:『裁判[審判]殺害』は虚言」という記事=「本報記者鄭媛の報道によると、昨日ワールドカップ韓国組織委員会は本報記者に、インターネット上流れている今大会のイタリア対韓国戦の主審を務めたエクアドル主審モレノ氏がイタリア黒手党の銃撃を受けて死んだというニュースは虚言であると証言した」が寄せられましたので、本HPは偽情報(disinformation)と判断しました] 。
しかし、スポーツの世界にまで「敵を殺せ」の情報戦が入ってきた時代に、政治学は、何ができるのでしょうか? 今回の長いトップを彩っているのは、去る7月7日のNHK教育テレビ「新・日曜美術館」でも取り上げられた、「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」の出品作です。6月から9月末まで、群馬県桐生市大川美術館で開かれていますが、その戦争末期の中国スケッチ(上右)も、1970年にハンブルグ・アルトナで描いたセピア色の絵も、桐生を訪れて視るたびに、違ったメメージで問いかけてきます。島崎蓊助の前半生の自叙伝「絵日記の伝説」が、ご子息爽助さんと私の編集で加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』と題し8月に平凡社から刊行される関係で、とうとう大川美術館ニュース『ガス燈』第53号(2002年7月10日号)に、「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』という美術評論まがいまで書いてしまいました。実際、不思議な絵です。たとえば「エルベ川」を描いた下の絵は、はじめはもっぱら、『夜明け前』執筆期の父島崎藤村に反抗して、国崎定洞や千田是也らの「在独日本人反帝グループ」に飛び込み挫折した孤独な蓊助の心象世界と理解されたのですが、6月5日のオープンのさいに、大川栄二館長や詩人宗左近さんらと一緒に眺めていると、なにやらその逆光が、悠久の宇宙に通じるように見えてきて、驚きました。7月に改めてご子息爽助さんご一家と共に視ると、インターネット画像では見えないアクセントの赤が浮かび上がって、落ち着いた印象で語りかけてきます。芸術世界の美は、単眼では見えません。視るものとの真剣勝負で、こちらも複眼をもたないと対話できないことを痛感しました。「対テロ戦争」と「戦争のない世界」、「情報戦政治」と「仮想敵を持たない政治」──何か相通じるものはないでしょうか?
NHK教育テレビ「新・日曜美術館」は、7月は「ドイツ・美の旅」シリーズ、すでに放映された7日の第1回「生まれ変わるベルリン」では、ゲオルギ・グロスの絵が印象的で、アートシーンでは、上記「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」が取り上げられました。14日の「ドレスデン・豪胆王の秘蔵コレクション」もすばらしかったですが、美術工芸品にスポットをあてたため、ラファエロの壁画等、美の都ドレスデンの全体像を見られなかったのが残念です。7月21日(日)には、本HP「ドイツ・スイスでの竹久夢二 」もちょっぴりお手伝いして、「独逸、夢のかなたへ──知られざる竹久夢二」が、45分間の特集で放映されます。美輪明宏さんの夢二談義も楽しみ、ぜひご覧下さい。もっとも私は、この日午後1時30分から群馬高崎哲学堂:「よろこばしき知識」の皆さんのお招きで、「井上房一郎『洋行』の周辺──勝野金政から島崎蓊助まで」と題し、またまた芸術がらみの講演会です。ビデオにしっかりとらねばなりません。最近テレビ制作への協力が続き、本職の「イマジン」がらみの方では、6月のETV2002「100人の地球村からのメッセージ」に続いて、8月15日敗戦記念日のNHKスペシャル「いま 対話のとき〜NY─カイロ─東京 若者たちのオープントーク」(仮) にも、ちょっぴりお手伝いしました。NHKスペシャル「変革の世紀」に見られるように、今やテレビもインターネットとのメディア・ミックスです。ディレクターの皆さんが、本「ネチズン・カレッジ」を見て、メールで相談してきます。情報戦の時代には、こうしたさまざまなメディアの重層する、多次元な政治と文化が展開するのでしょう。
図書館「書評の部屋」に、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」7月9日号掲載法政大学大原社会問題研究所編『ポスターの社会史』(ひつじ書房)と西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会)を、大藪龍介『国家と民主主義』書評に続いてアップ。図書館の芝田進午さん追悼文「『ドラマとしての人生』」の完全燃焼」(『芝田進午の世界』桐書房、2002年6月)、栗木安延さん追悼文「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)、『エコノミスト』7月2日号の前掲拙稿「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」、国際シンポジウム記録『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)、ついに『伯林週報』の現物とご対面した「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店、探索記を加えて増補)、「IMAGINE! イマジン」の活動報告「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」(『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)などと共に、ご参照ください。
でも、このワールドカップ資本主義論の弱点は、冷泉彰彦さんが冷静に分析してきた「アメリカで見るワールド・カップ」の謎を、うまく説明できないこと。カナダの山中にこもった先進国首脳サミットでは、G7にロシアが加わりG8になるという新時代を迎えましたが、ブッシュのサッカー談義は、聞こえてきませんでしたね。つまり、しばしば「グローバル・スタンダード」は「アメリカン・スタンダード」だと私も批判してきましたが、ワールドカップはどうも、USA中心ではない「ヨーロッパ・南米・スタンダード」のようです(もっとも底辺のサッカー人口はUSAが世界一とか)。と思っていたら、これも辛口評論でおなじみの在日アメリカ企業社長ビル・トッテンさんの新作「グローバル・スタンダード」を読んで、ガツーン! 曰く、
とすると、小泉首相の「構造改革」も、継続審議か廃案か の有事法案も、幻の「グローバル・スタンダード」にふりまわされた日本の悲劇となりそう。じっさい、在米経済学者霍見芳浩さんも「日本はアメリカをまねるな」と叫んでいます。「IMAGINE! イマジン」関連でずっと主張してきましたが、祭の宴のあとで放心しないで、改めて「9.11以後日本のインターネット・デモクラシー」の原点に立ち戻り、「世界経済フォーラム(ダボス会議)か世界社会フォーラム(ポルトアレグレ)か」と、問い直す必要がありそうです。そのための格好の素材。前回予告した『世界がもし100人の村だったら』の池田香代子さんと「新世紀にようこそ」の池澤夏樹 さんの「ETV2002」対談、けっこう面白かったですね。でもそこで、『100人の地球村』が日本の若者が先進国に住んでてよかったねという「癒し」にも使われていると、池田さんが発言してましたね。そこで、『世界がもし100人の村だったら』のパート2、結構資料が充実していて、ネットロアというよりも、中学生百科という感じ。もう少し本格的にという人は、ブレアのブレーン=A・ギデンスの『暴走する世界』(ダイヤモンド社)とATTACの『反グローバリゼーションと民衆運動』(つげ書房新社)を一緒に読みましょう。祭りは終わりました。宴のあとは、マツリゴトの方へどうぞ。
前回トップでお知らせした、本HP情報収集センター、特別研究室「尋ね人」での30年来の探索の結晶、『伯林週報』の現物発見のニュースは、ドイツにも伝わって、ベルリン日独センターの桑原節子さんほかから祝福のメールがありました。1931年第7号・第8号の現物を提供して頂いた専修大学の新井勝紘教授(日本近代史)、「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)で探索の幅を広げてくれた山本武利教授(早稲田大学)ほか20世紀メディア研究所の皆さんに、厚く御礼申し上げます。続いての嬉しいニュースは、6月5日から群馬県桐生市大川美術館で開かれている「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」に併行して、その中国スケッチ(上右)やセピア色の絵を視るさいの重要資料である島崎蓊助の前半生の自叙伝「絵日記の伝説」の出版が決まったこと。蓊助のいくつかのエッセイと合わせ、加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』と題して、近く平凡社から刊行されます。『夜明け前』執筆期の父島崎藤村に反抗して、国崎定洞や千田是也らの「在独日本人反帝グループ」に飛び込み、挫折した、孤独な画家島崎蓊助の心象世界が読みとれます。7月8日から毎週日曜朝9時・夜8時のNHK教育テレビ「新・日曜美術館」は「ドイツ・美の旅」シリーズ、7日(日)のアートシーンで「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」が、7月21日には「ドイツ・スイスでの竹久夢二」が特集で、とりあげられる予定です。ぜひご覧下さい。
今回は新規アップロードが目白押し。図書館「書評の部屋」には。、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」6月11日号掲載松尾尊よし『戦後日本の出発』(岩波書店)と田中秀臣『沈黙と抵抗 ある知識人の生涯 評伝・住谷悦二』(藤原書店)に続いて、福岡の大藪龍介さんが自分のホームページ「マルクス主義のパラダイム転換をめざして」にファイル化してくれた、私の大藪龍介『国家と民主主義』書評をリンク。同じく図書館には、芝田進午さん追悼文「『ドラマとしての人生』」の完全燃焼」(『芝田進午の世界』桐書房、2002年6月)と栗木安延さん追悼文「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)をアップ。前者はまだ本が送られてきませんが、一緒に昨秋追悼会に出席した有田芳生さん「今夜もほろ酔い」に有田さんの追悼文「芝田さんと未来へのベクトル」が掲載されたため、一緒に本に収録されているはずの私の追悼文もここにアップします。後者は第104回社会政策学会への私の報告者(栗木さんのピンチヒッターでした)としての参加記を兼ねていますから、現代史研究室にも収録します。あわせて五十嵐仁さん「呟記」内の、私の報告への批判を含む「社会政策学会第104回大会への感想」を、ぜひご参照ください。当日の報告の一部は『社会体制と法』誌第3号(2002年5月)に「現代世界の社会主義と民主主義──北京大学国際シンポジウムから見えたもの」としてすでに発表されていますが、近く北京大学本報告である「日本の社会主義運動の現在」も『葦牙』第28号(2002年7月)に発表されますので、両者を公刊後にアップします。