ネチズン・カレッジ日誌にようこそ!

ある政治学者のホームページ奮戦記――わが家のできるまで、できてから(2023年1月ー

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記、研究室からカレッジへの改装の記録が、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。

古い記録は、「図書館特別室3 ネチズン・カレッジ生成記録」として、以下のようになっています。お好きなところへどうぞ。

Welcome to KATO Tetsuro's Global Netizen College! English is here

関東軍軍馬防疫廠100部隊の追加情報が寄せられました

2023.10.1●   9月の更新で、関東軍軍馬防疫廠「100の会」の情報をお寄せください!>と本サイトの読者の皆様によびかけましたが、その数日後に、情報が寄せられました。ただし、本サイトのよびかけに応えたというよりは、前回紹介した、関東軍軍馬防疫廠=100部隊旧隊員の遺言執行者と称する匿名の情報提供の、第二信でした。「旧隊員から遺言を託され」「機会があれば世の中に発表してほしい」といわれていた発信者は、隣人であった元隊員は「温厚、博識、かくしゃくとした紳士」で「戦争は絶対にしてはならない」とも遺言したとのことでした。その元隊員の第一信で驚いたのは、「100の会会員名簿 関東軍軍馬防疫廠<通称満州第100部隊>および関係部隊の在隊者・関係者名簿 平成7年5月末日現在」という「100の会」名簿の表紙コピーで、100部隊の関係者は、戦後も30年以上経った1977年以降、「100の会」という隊友会をつくり、18回以上も年に一度の会合を持ち、1995年段階では生存者497名、物故者179名、戦死者9名、計685名・生死不明372名という旧隊員名簿を作っていたことでした。

 今回送られてきた第二信によると、1945年8月敗戦時のソ連侵攻、新京(長春)からの撤退時に、細菌戦を直接担当した山口本治第二部六科長・若松有次郎部隊長ら幹部とその家族の第一陣約50人は素早く日本に帰国でき、第三陣の保阪安太郎中佐他一般隊員約700名は実験施設・建物等証拠品を爆破した後、京城経由で遅れて帰国できたが、第二陣として、ほとんどが女性・子どもであった一般隊員家族の一団500名は、北朝鮮の定州でソ連軍に捕まり、性奴隷や幼児の栄養失調死で大変な被害を受けたという100部隊隊員の帰国事情が綴られていました。その第二陣を救い、なんとか引揚させるために、1946年1月には家族を残してきた一般隊員中心の「第100部隊家族援護会」が作られたとのことです。この「家族援護会」が、第一信で1977年に作られたという「100の会」の前身であったようです。

● しかし、『紫陽』という仲間内の会誌を含む第二信の新資料を読むと、どうやら遺言を残した元隊員は、スムーズに帰国できた第一陣の幹部クラスではなく、第三陣の一般隊員だったようです。そして、多くの一般隊員の妻やこどもを含む家族が第二陣に入っていて、北朝鮮に取り残され、女性が強姦されたり幼子が栄養失調で亡くなったりしたようです。「100部隊家族援護会」は、妻子を北朝鮮・定州に残して帰国した一般隊員の、家族をとりもどすための組織で、第一陣で帰国し名目上は代表者になった若松有次郎隊長や、家族とともに早期に帰国した幹部隊員たちへの不平不満や恨み辛みを内包したものだったようです。細菌戦・人体実験に関わったというばかりでなく、旧満蒙開拓団やシベリア抑留者たちの組織に似て、軍隊内部の上下関係や占領軍への態度で分かれた内部矛盾を抱えた隊友会であったようです。そして、私と小河孝教授の共著『731部隊と100部隊』で明らかにした敗戦直後の米国占領軍に対する100部隊人体実験の内部告発者二人は、今回の遺言を残した旧隊員と同様に、北朝鮮で妻とこどもを亡くした若手の一般隊員であり被害者だったようです。

● この資料を遺言で遺した旧隊員は、第二陣の家族を失っていました。GHQの捜査のきっかけとなった若い二人の隊員による(家族と共に第一陣で素早く帰国できた)山口本治・若松隊長等への「内部告発」は、中国大陸で人体実験・細菌戦を強制された悲憤慷慨(「良心の呵責による内部告発」)によるというよりも、家族を捕虜として奪われ喪った帰国時の幹部たちへの私怨によるものではないか、といいたいようです。確かに、第1信でも今度の第2信でも、「家族援護会」「100の会」の中核にいたと思われる旧隊員遺言者の記録中には、人体実験の犠牲になった中国人・ロシア人被害者への謝罪や悔恨の言葉はみられません。自分たちの家族を見捨てた幹部たちへの告発・弾劾はあっても、侵略戦争への反省は乏しいのです。

● 旧隊員の遺言資料によれば、1949年ハバロフスク細菌戦裁判の被告で100部隊隊員であった三友一男が著した歴史的証言『細菌戦の罪』(泰流社、1987年)には、森村誠一『悪魔の飽食』ベストセラーで危うくなった「100の会」としての自己防衛が含まれていたようです。三友一男には、著書の原型となった自伝草稿『青春如春水』及び「紫陽」という旧陸軍獣医部同窓会誌に掲載された文章があり、どうも100部隊細菌戦の中核であった2部6科長・山口本治の「検閲」の手が入り、『青春如春水』には入っていた三友の「人体実験」という草稿の一節が、単行本『細菌戦の罪』ではまるごと削除されたらしいことが示唆されています。また、ハルビンの特務機関とつながる井田清という人物(訂正:陸軍中野学校出身ではありませんでした)が重要な役割を果たしており、その人脈が、戦後は土居明夫の大陸問題研究所につながったらしいことも、見えてきました。 戦後80年たって、ようやくつながった、日本軍国主義の獣医による細菌戦とインテリジェンスの結びつきです。

● 現実政治の方は、悲惨です。岸田首相の内閣改造は、予想通り、無残な結果に終わったようです。内閣支持率は回復どころか、横ばいか下がったかたち、5人の女性閣僚を目玉にしたつもりが、次々に政治資金や事務所・秘書、家族・親族のスキャンダルが噴出です。党の選挙用広告塔にするはずだった「ドリル小渕」も同様で、政策実行どころか、まずは弁明・釈明で大忙し。9月の国連総会での演説は、あまりの空席の多さで、NHKも議場撮影は断念、核廃絶でも東アジア緊張緩和でもなすすべなしだったようです。なによりも、物価高が続き、1ドル=150円の円安です。ここ数年注目されてきたジェンダー・ギャップや報道の自由度ばかりでなく、あらゆる経済指標でこの国の劣化・二流国化が進んでいます。アメリカ大統領選挙では、高齢の民主・共和両候補が、自動車労組のストライキ支持を競っています。ストライキがなくなった日本では、賃金も雇用も保守政権任せで、労組の代表が政権参加や首相官邸にすり寄る始末です。

● 若者たちが、留学ばかりでなく海外に仕事を求めて帰国せず、文化崩壊を恐れて入り口を規制してきた外国人労働者が、気がつけば日本経済に希望を見いだせず来てくれない状況に入っています。世界の若者にとって、働く場としての魅力が、なくなっているのです。かつて、1980年代のイギリスで、A・ギャンブルの『イギリス衰退100年史』が書かれ、バブル絶頂期の日本でも広く読まれました(みすず書房、1987年)。いまこそ「喪われた30年」を明治以来の「開国」「近代化」過程から真摯に見直す、「日本衰退200年史」が必要です。

関東軍軍馬防疫廠「100の会」の情報をお寄せください

● 2023.9.1   暑い9月です。異常気象は、もはや異常ではありません。常態化しました。西武・そごう労組が、雇用保証を求めてストライキに入りました。大手百貨店では1962年の阪神百貨店以来、61年ぶりの労働基本権の行使とのことです。ストライキという言葉自体が久しく日本の労働運動から消えていましたが、メディアの異常な報道には、いっそうの驚きです。20世紀の日本ばかりでなく、今日のアメリカ・ヨーロッパでも韓国などでもあたりまえの労働者の団体行動権の行使が、「平和な社会」の秩序破壊につながりかねないかのような騒ぎ方です。非正規労働が常態化した21世紀の日本は、敗戦・占領期はもとより、日常の中にストライキもデモも溶け込んでいた高度成長期の社会から、ずいぶん遠くまできてしまったようです。日本政府は、原発デブリの汚染水をALPSで浄化し「処理水」と言い換えて、フクシマ原発事故の世界の記憶をフェイドアウトしようとしましたが、ウクライナ戦争と核危機にも手を打てず、中国や韓国から「核汚染水」と反発されるのは想定外だったとか。 デブリ取り出しの見通しは立たず、廃炉への行程はいっそう困難になっているにもかかわらず。日本の閉塞です。

● 大きな手術と入院で、すべての活動をストップして1年経ちました。術後1年の精密検査が続きましたが、何とか快復に向かっており、リハビリは続ける必要はあるが、徐々に活動に戻っていいという診断です。そこへ、5月の明治大学登戸研究所でのゾルゲ事件研究の現況についての講演記録が、2時間のYouTube 映像になって公開されたとのこと、講演の一部である岸惠子主演『真珠湾前夜』が可能にした学術的ゾルゲ事件研究」 と共に、ご検討ください。同講演でも用いたマシューズ『ゾルゲ伝』の書評が、毎日新聞の岩間陽子さん読売新聞の井上正也さんにより書かれたとのことで、東京新聞・中日新聞での私自身へのインタビュー愛知大学「尾崎・ゾルゲ研究文庫」設立のニュースも報道されました。この夏の私のリハビリの成果として、残しておきます。9月30日の午後、『ゾルゲ伝』の著者マシューズ氏のオンライン参加を含めて、尾崎=ゾルゲ研究会主催『ゾルゲ伝』合評会を予定しています(午後3-6時、拓殖大学茗荷谷キャンパス国際教育会館F館303号室、ka案内・申し込みは、ここをクリック)。

● こうした研究発表の過程で、今夏、二つの体験をしました。一つは、すでに北海道新聞で()()()の連載記事になりましたが、ゾルゲ事件の外国人被告の捜査と訊問を担当した当時の特高警察外事課鈴木富来警部のご遺族から、曾祖父の残した遺稿「ゾルゲ事件の捜査記録」という手記が実家で見つかったので見てほしい、と貴重な証言記録が寄せられました。鈴木警部はゾルゲ事件の被告ブーケリッチを訊問したとのことで、伊藤律を事件発覚の端緒とした戦後米軍ウィロビー報告の政治性を批判し、事件の本質は思想弾圧ではなく国家機密漏洩だったと主張します。渡部富哉さんの『偽りの烙印』や私の平凡社新書『ゾルゲ事件』での伊藤律発覚端緒説の否定を、1980年代に先駆的に認めたもので、「太田耐造関係文書」中の昭和天皇宛「上奏文」の見方とも近いものです。曾祖父が特高警察であった歴史的事実に向き合い、その訊問相手であった被告の遺族に手記への「感想」を求めるという、新世代のジャーナリストによる戦争の追体験記録は、8月の戦争体験継承の、新しい試みです。

● もう一つ。これはゾルゲ事件ではなく、昨年小河孝教授と共著で『731部隊と100部隊』を公刊した、100部隊=関東軍軍馬防疫廠についての、読者からの重要な情報提供です。8月の本欄で、明治学院大学の松野誠也さんによる、関東軍防疫給水部=731部隊正式発足時「職員表」の発見の画期的意義を述べましたが、松野さんはその際、関東軍軍馬防疫廠=100部隊についても、1940年本格発足期の「職員表」を発見し、メディアとの記者会見で発表していました。昨夏刊行された私たちの書物は、獣医たちの100部隊を扱った本格的研究書でしたが、それを詳しく読み、松野さんの100部隊「職員表」発見も知った上で、一人の読者が匿名で、発行元の花伝社気付で共著者加藤・小河宛の手紙と資料を送ってきました。もともとある「100部隊元隊員から遺言を託された」という当事者の記録で、いくつかの貴重資料の一部も添えられていました。

● なかでも驚いたのは、「100の会会員名簿 関東軍軍馬防疫廠<通称満州第100部隊>および関係部隊の在隊者・関係者名簿 平成7年5月末日現在」という「100の会」名簿の表紙コピーで、100部隊の関係者は、戦後も30年以上経った1977年以降、「100の会」という隊友会をつくり、18回以上も年に一度の会合を持ち、1995年段階では生存者497名、物故者179名、戦死者9名、計685名・生死不明372名という旧隊員名簿を作っていたのです。関東軍防疫給水部=731部隊の医師たちの隊友会「精魂会」は1955年発足でしたから、獣医師たちの「100の会」1977年発足はずいぶん後ですが、森村誠一『悪魔の飽食』で広く存在が知られるようになる1981年よりは前です。残念ながら、名簿そのものは同封されていませんでしたが、100部隊解明の貴重な資料です。私たちが指摘してきた100部隊第二部6科の人体実験・細菌戦についても、『紫陽』という仲間内の会誌で経験交流してきた模様が綴られた一部が送られてきました。これも貴重で、1000人近い隊員の家族・親族の皆さんのお宅には、まだ現物が残されていると考えられます。「100の会」名簿や「紫陽」を見つけられた方は、ぜひご一報ください(<katote@jcom.home.ne.jp>へどうぞ)。

●「旧隊員から遺言を託され」「機会があれば世の中に発表してほしい」といわれた読者は、隣人であった元隊員は「温厚、博識、かくしゃくとした紳士」で、「このような方が非人道的で残虐な行為をされたのかと思うと、戦争はいかに人を変貌させてしまうのかと改めて戦争の恐ろしさを感じました」と、私たちへの手紙に書いています。旧隊員は「戦争は絶対にしてはならない」とも遺言したとのことです。このようなかたちで、隠されてきた80年前の日本軍の加害体験は、ようやく明らかになってきているのです。政府や厚生省は「資料はない」と否定しますが、中国や朝鮮の被害者遺族は、調査を進め告発を続けています。今回の身元を明かさぬ旧隊員のように、実際に加害に加わった旧軍人の中にも、何らかの形で悪夢を歴史に残そうと、記憶を記録にして家族や隣人に受け継ぐ事例がありうるのです。

● 9月1日は、関東大震災から100年です。多くの朝鮮人や中国人、社会主義者、アナーキストらが憲兵隊や「自警団」によって虐殺されたことは、当時の人々の日記・伝承・文学・学術論文などの中に、数多く見られます。しかし日本政府は、公式の警察記録に残されていないといった理由で、未だに公的調査を行わず、虐殺を認めません。東京都は、1973年に建てられた「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」への慰霊を、小池知事の2017年以降とりやめています。当時は流言飛語ばかりでなく、「3・1独立運動」などで日本の植民地支配が揺らいで「外国人」を恐れている時期でした。そこでの事実関係を共同で解明しないことには、中国や朝鮮の人々との対等・平等な友好関係を築くのは難しいことを、20世紀後半の歴史は幾度も示してきたはずです。東アジアにおける「帝国」日本の植民地支配・戦争の負の遺産、関東大震災の100年を教訓にしながら、加害の歴史をもしっかりと記憶と記録に残して収集し受け継いでいくことが重要です。

 昨年は、獣医学の小河孝教授とコラボした共著『731部隊と100部隊ーー知られざる人獣共通感染症研究部隊』(花伝社)、私が代表をつとめる尾崎=ゾルゲ研究会のシリーズ第一弾、A・フェシュン編・名越健郎・名越洋子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945 赤軍情報本部機密文書』(みすず書房)、2023年に第二弾オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎『ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント』(みすず書房)が刊行されました。

 

「等身大のゾルゲ解明へーー尾崎=ゾルゲ研究会発会主旨」(毎日新聞、2022年2月13日夕刊) 

シリーズ「新資料が語るゾルゲ事件」尾崎=ゾルゲ研究会編(みすず書房)

アンドレイ・フェシュン著、名越健郎・名越陽子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945』(みすず書房)

「蘇るスパイ・ゾルゲ」(『週刊朝日』2022年11月11日号) 

「スパイ事件 公表から80年 ゾルゲにソ連側が不信感 機密文書まとめた資料集邦訳」(毎日新聞夕刊2022年12月14日

「伝説のスパイ ゾルゲの謎に迫る、刑死から78年、書籍続々」(朝日新聞夕刊2023年1月20日)

ka明治大学平和教育登戸研究所資料館 第13回企画展講演会:加藤哲郎「ゾルゲ事件についての最新の研究状況」(2023年5月)

ka岸惠子主演『真珠湾前夜』が可能にした学術的ゾルゲ事件研究」(みすず書房HP、2023年5月18日)

ka<土曜訪問インタビュー>「プーチンの原点は ゾルゲ研究から ウクライ ナ侵攻探る」 加藤哲郎さん(一橋大名誉教授)(中日・東京新聞2023年6月3日)

kaゾルゲ事件研究深化、愛知大文庫開設を計画 寄贈資料すでに1000点(中日新聞7月27日夕刊トップ)

ka<記者がたどる戦争>ゾルゲ事件(北海道新聞2023年8月111213日) 

ka毎日新聞『ゾルゲ伝』書評:岩間陽子「極東と欧州、同時代の歴史が融合」(2023年7月22日)

ka読売新聞『ゾルゲ伝』書評:井上正也「大物スパイ 成功と孤独」(2023年9月1日)

● 『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。日独関係史がらみで、『岩手日報』2022年2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年に収監されていた唯一の日本人でした。片山千代ウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。晩年の島崎藤村について、私の近代日本文学館での講演も参照しながら、信濃毎日新聞がすぐれた連載を掲載しておりますので、ご参照ください・本サイトの更新も、体調との関連でまだまだ不安定ですが、カレッジ日誌(過去ログ) の方から、論文やyou tube 講演記録をご参照ください。

戦争体験の継承」と「新しい戦前」と!

● 2023.8.1    日本の8月は、1945年の敗戦を想起させる一連の日々が続きます。広島・長崎の原爆投下、ポツダム宣言受諾、天皇の玉音放送、戦没者慰霊の流れで「一億総懺悔」にいたる敗戦・被占領体験を、テレビ番組や新聞・雑誌の特集が報じます。どうも8月に「戦争の記憶」を凝集して、あとは経済成長・大国化や日米同盟・象徴天皇制など「戦後平和国家」を謳歌しかねないメディア構造が、1950年代から続いているようです。「戦争体験の継承」は、1995年の「戦後50年」あたりがピークで、その後は体験者が高齢化・死亡して先細りせざるをえないなかで、むしろ「新しい戦前」の方が、若い世代に実感される時代へと移っています。そのネタは、目前で進行するウクライナ戦争から、北朝鮮の核ミサイル、台湾有事、防衛費倍増、大メディアの大本営発表風情報統制、自民党中心で野党も巻き込む翼賛政治化等々、巷に溢れています。21世紀における「戦争体験の継承」から「新しい戦前」への備えは、自然な流れに見えます。宮崎峻監督の「君たちはどう生きるか」は、その流れを架橋し、加速するでしょう。

● 作家の森村誠一さんが、亡くなりました。代表作『人間の条件』は、敗戦・占領下の日本人女性の生き方を一つのベースにしたものでした。下里正樹さんと組んだノンフィクションの『悪魔の飽食』は、4月に亡くなった常石敬一さんの学術研究『消えた細菌戦部隊』と共に1981年に刊行され、関東軍731部隊の人体実験・細菌戦という、日本の「戦争被害」「悲惨さ」だけではなく、東アジア民衆への「加害者責任」を、目に見えるかたちで問題にするものでした。南京大虐殺、従軍慰安婦問題などと共に、以後も「戦争体験」の重層性を、問いかけるものでした。私も、2017年に『「飽食した悪魔」の戦後』という森村さん・常石さん等の研究を追いかけて、隊員たちの戦後の軌跡を追跡する書物を出しましたが、森村さんは、出版社の方に、励ましと謝辞の電話をかけてきたとのことでした。お会いできなかったのが残念です。

● その731部隊研究の世界に、西山勝夫教授らの「留守名簿」公開を補強する、重要な史料の発見がありました。明治学院大学の松野誠也さんによる、関東軍防疫給水部=731部隊正式発足時の「職員表」の発見です。「留守名簿」がおおむね1945年の敗戦時のものだったのに比して、「職員表」は1940年の本格的発足時の記録ですから、その組織構成等を対照することで、人体実験や細菌戦に関わった医師たちの具体的役割が明らかになるでしょう。さらに松野さんは、私と小河孝教授で本格的検討を始めた関東軍軍馬防疫廠=100部隊の「職員表」を見つけたとのことで、まだまだこの問題に関わる若い世代の研究者の活躍の余地があることをも、示してくれました。大いに期待します。

● 私の『「飽食した悪魔」の戦後』のなかで、特に自然科学や生物学に関わる研究者の方々から疑問を呈された、一つの論点がありました。それは、戦後米国占領軍がなぜ731部隊の人体実験データと引き換えに石井四郎ら731部隊医師たちの戦争犯罪を免責し極東軍事裁判で裁かなかったのかという文脈で、ニュルンベルグ裁判で問題にされたナチスの人体実験と比較しても日本の細菌戦は米国にとって魅力的な生物兵器開発だったのではないか、と問題提起したのに対して、何人かの善意の読者や講演会参加者が、第二次世界大戦時の日本がドイツよりも「進んだ」軍事技術を持つことなどありえない、と質問し疑問を呈してきたことでした。私は、当時のヒトラーの軍事科学への関心が、フォン・ブラウンによるV2ロケット開発や潜水艦Uボートにあり、軍事予算も科学者動員もそこに集中的に配分されたために、日本軍が「最終兵器」として膨大な予算と人員を費やした生物兵器開発が相対的にナチスのそれを凌駕していた、とエド・レジス『悪魔の生物学』の「ドイツの生物戦プロジェクトはささやかなもので、実際の兵器は一つも製造していなかった。……それとは対照的に、日本は第二次世界大戦が始まるずずっと前から、大規模な細菌戦プログラムに乗りだしていた」を引いておきました(加藤『「飽食した悪魔」の戦後』203−204頁)。

●  最近、ゾルゲ事件の研究に取り組むことで、731部隊研究のこの点を補強する、二つの知見を得ました。一つは、愛知大学・鈴木規夫教授と一緒に翻訳したオーウェン・マシューズ『ゾルゲ伝』のなかで、マシューズが最新のロシア語のインテリジェンス情報を使ったことです。ノモンハン事件時の日本側司令官小松原道太郎中将がソ連側のハニートラップによる情報提供者であったのではないかという、米国インディアナ大学宮広昭教授の所説に関連して、マシューズは、ロシア国防省中央公文書館の小松原道太郎に関係する史料からすると、小松原がノモンハン事件時に日本側情報をソ連に流したという証拠はないが、小松原がハルビン特務機関長であった時代にはソ連情報部にリークしていた可能性があり、「秘密資料には1932年8月、ハルビンで行われた東京参謀本部ロシア課長による、対ソ連兵器としての生物兵器の重要性に関する恐ろしい報告が含まれていた。この報告は非常に憂慮すべきもので、トゥハチャフスキー元帥、スターリンは自ら読んだという」という、まだ731部隊創設以前の、石井四郎が陸軍軍医学校に防疫研究室を作った時点での生物兵器構想の漏洩が、示唆されていたといいます(同訳書269−270頁)。ゾルゲ自身は、1937年にはハルビン郊外の「コレラ、ペスト等の細菌研究所」に注目していた形跡がありますが(加藤『「飽食した悪魔」の戦後』34−35頁)、このマシューズのいう小松原の生物兵器情報がソ連に伝わったとすると、ソ連はアメリカより10年早く(アメリカの日本の生物兵器への注目は1941年)、日本軍の生物兵器開発を危険視し、備えていたことになります。

● もう一つ、ゾルゲ事件は「マスタースパイ」ゾルゲによる1941年独ソ戦情報と日本南進情報をモスクワに伝えて、スターリンによる「大祖国戦争勝利」に導いたという、米国陸軍ウィロビー報告からマシューズの最新著にいたる流れの歴史的評価に関わります。世界の研究者が、ゾルゲと尾崎秀実による日本の御前会議での南進情報のモスクワ通報に注目し、プーチンのウクライナ戦争にあたっても、「大祖国戦争の英雄」ゾルゲを礼賛してインテリジェンスの重要性を強調する文脈で語られてきました。私はフェシュン『ゾルゲ・ファイル』中のゾルゲ諜報団の送電内容と、ゾルゲを「二重スパイ」と疑っていたモスクワ赤軍情報部でのその受容の仕方等からして、戦後の情報戦ではともかく、当時の歴史的事実として果たしてゾルゲ情報がそんなに大きな役割を果たしたのかに疑問を持ってきました。名著『独ソ戦』でゾルゲにほとんど触れなかった大木毅さんの新著『歴史・戦史・現代史』に手がかりを求めたところ、ゾルゲは出てきませんが、日米戦争開戦後の日独同盟のソ連観には「ねじれた対立」があったといいます。つまり「独ソ和平斡旋を望む日本側」の石原完爾をはじめとする勢力と在日ドイツ大使館に対して、他方に「日本の対ソ参戦を慫慂する」リッペントロップと在独日本大使館の大島浩らという、「東京とベルリンが枢軸側の外交をめぐって相争うがごとき様相」があったといいます(同書63頁)。

● これ自体、興味深い論点ですが、大木氏はさらに、尾崎・ゾルゲらが検挙された1941年10月、ベルリンの陸軍軍医学校で731部隊の北条円了が生物戦に関する講演を行い、日本の生物戦準備の進捗を人体実験データをも示唆して報告し、ドイツ側の立ち後れを批判し、ヒトラーが禁止していた「攻撃的生物戦」の実行を促した、というのです。それでヒムラーの生物戦研究所が作られ、1943年にはダハウの強制収容所で日本の技術と標本をも用いて人体実験が行われた、というのです(57−60頁)。私としては我が意を得たりですが、森村誠一さんや常石敬一さんがこうした事実と資料を得ていれば、日本の731部隊・100部隊の歴史的評価にも、いくばくかの論点を加えたことでしょう。「戦争の記憶」をもとにした研究が、「新しい戦前」の問題意識と結びついたとき、これまで自明とされていた史実や当然とされていた解釈がくつがえされる可能性があることを、示しています。731部隊研究の松野誠也さんのように、ゾルゲ事件研究やロシア・ウクライナ関係史についても、「新しい戦前」を意識した若い世代の研究が出てくるよう望みます。

優生学・優生思想との訣別を!

● 2023.7.1  ロシアのネオナチ・プリゴジンによる民間武装集団「ワグネルの反乱」が、世界を揺るがせています。まだまだ謎が多く、深刻な情報戦の様相を呈しています。国防軍内部にも密かに通じ、ウクライナとの戦争での主導権と利権を握ろうとしたようですが、プーチンの「戦争の大義」を否定して怒りを買い、モスクワまで200キロまで迫りながら、急遽「進軍」を停止しました。プーチンと内務省に鎮圧されて粛清される前に、ベラルーシルカシェンコ大統領が仲介して、プリゴジンのベラルーシへの入国が認められ、ルカシェンコはワグネル軍の陣地を準備しているともいいます。もっともプリゴジンの一時帰国説もあり情報は錯綜、プーチン側近として構築した彼のアフリカ、シリアに及ぶ経済的利権の行方も、これからです。

● ベラルーシの独裁者ルカシェンコは、ロシアの戦術核兵器を引き受けたとも公言しており、「反転攻勢」に入ったはずのウクライナの戦争の行方を、いっそう不透明・不安定にしています。ワグネルの北方からのウクライナ侵略・首都攻略、プーチンがプリゴジンに核のボタンを押させるような事態はないだろうといいますが、すでにザボリージャ原発での放射性物質拡散テロ攻撃の可能性も伝えられており、深刻な危険です。西側・NATOに支えられたウクライナ対プーチン独裁のロシアという構図に、ロシア国内の内部矛盾、それにロシア周辺国のプーチンへの距離、さらには「グローバルサウス」という一言では表現できない、中国・インドや中東・アジア・アフリカ・中南米諸国の関与まで、考慮に入れざるをえなくなりました。事実上の第3次世界大戦が始まったとみる評価や、1905年、17年、91年に続くロシア的な「戦争・内乱と革命」の伝統をプリゴジンに期待する向きさえありますが、これらの歴史の審判には、数十年のスパンが必要でしょう。6月4日に民衆の民主化運動を軍事力で押しつぶした天安門事件から34年、習近平の中国の出方が、不気味です。

● 歴史の審判には、100年くらいで評価が覆る事例は、多くみられます。女性の政治参加は、ほぼ100年で世界史的に不可逆的なものになりましたが、人種を考慮した大学入試は違憲だという米国連邦最高裁判決のように、バックラッシュで揺れ動く場合もありえます。人種・民族や性・宗教による差別の世界では、自由と人権思想の発展がなければ、暴力の支配や権力的抑圧が復活する場合があります。本サイトが掲げる、戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」という丸山眞男の論理になぞらえれば、日本の性差別・ジェンダーギャップ指数が世界146カ国中125位と前年から9つもランクを下げたのは、性差別とたたかう「無数の人間の辛抱強い努力」がまだまだ足りず、世界の大勢とかけ離れているからです。

● かつて日本資本主義の畸形性・脆弱性を「インド以下的労働賃金=植民地以下」と評した講座派経済学がありましたが、今日のジェンダーギャップの世界では、日本は「先進国」どころか、カースト制度が色濃く残る127位のインドとほぼ同じで、105位の韓国、107位の中国からも、大きく遅れています。人種差別や性差別が続く大きな理由の一つに、人類の遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問」といわれる優生学、「生産性の高さや障害の有無などによって人間を「優れた人間」と「劣った人間」に区別し、「劣った人間」は社会から排除してもよい、という優生思想の考え方が跋扈した、20世紀の問題があります。優生思想は、遺伝学や進化論ばかりでなく、科学主義や生産力主義とも親和性を持ち、さまざまな宗教やマルクス主義とも容易に結びつきました。「革命」をめざす「前衛」政党の中に、女性を「後衛」とみなすハウスキーパー制度がビルトインされていたのも、20世紀優生思想の広がり・深刻さを示していました。

● しかし、欧米ばかりでなくデンマーク、スウェーデン、フィンランドなど北欧諸国にもあった優生学優生思想が、20世紀の後半以降徐々に克服されてきたことは、ジェンダーギャップの世界で、北欧福祉国家諸国が圧倒的に上位にあり、ナチス優生学を忌まわしい経験として意識的に克服したドイツが第6位であり、「断種法」発祥の地でありながら公民権運動やアファーマティヴ・アクションで克服に取り組んだアメリカが43位であることで、この100年の変化がみられます。逆に言えば、天皇制の長く支配する近代日本は、優生学・優生思想の伝統が根強く、反省がきわめて遅れている国ということになります。ただしそれは、日本経済の「失われた30年」と関係はしますが、同一ではありません。ジェンダーギャップ指数は、ニカラグア7位、ナミビア8位、ルワンダ12位のように、むしろ女性登用が経済発展に寄与する国をも示しているのです。日本は、戦前関東軍731部隊の中国人・ロシア人「マルタ」を使った人体実験・細菌戦や、国内で戦時体制構築に使われた「民族衛生」「国民優生法」の伝統が21世紀にまで持ち越された、特異な女性差別・外国人差別残存国なのです。

● こうした観点からすれば、6月19日に立法府・衆議院ホームページのトップに公開された、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律第21条に基づく調査報告」という長いタイトルの文書(旧優生保護法報告書)は、ジェンダーギャップ解消のみならず、出入国管理・難民認定法、外国人技能実習制度等の問題を、「無数の人間の辛抱強い努力」で前向きに改訂していく上で、重要な橋頭堡・ヒントになりうる公文書だと思われます。概要版全体版分割版という丁寧なかたちでダウンロードもできるPDFファイルとして収録されました。プリントアウトすると1400頁にものぼるその内容は、21世紀に入って関東軍731部隊の戦時細菌戦・人体実験を追及し、この3年のコロナ対策やワクチン製造にもその負の遺産の影を見出してきた私の立場からすれば、意味あるものです。概要版だけでも、すべての国民が、とりわけ若い世代の人々が読むべき、画期的なものです。それは、日本の強制不妊手術=「旧優生保護法(旧法、1948〜96年)下で、障害や特定の疾患がある人たちが不妊手術を強いられた問題」について、衆参両院調査室が「立法の経緯や被害の実態」などを3年かけて調査し、3編構成にまとめたものです。

● その第1編は「旧優生保護法の立法過程」、2編は「優生手術の実施状況等」、3編は「諸外国における優生学・優生運動の歴史と断種等施策」です。1編の立法過程では、1938年、内務省から分かれてできたばかりの旧厚生省に「優生課」が設置されるなど、優生思想が国の施策となっていく過程を記述します。「不良な子孫の出生を防止する」目的で1948年に旧優生保護法が成立した際には、「批判的な観点から議論がなされた形跡はなかった」と指摘します。左翼を含む議員立法で、全会一致でした。学校教科書の記述も分析して、1975年の高校保健体育の教科書に「国は国民優生に力を注いでいる」という趣旨の記述があったこと、その上で旧法に対する批判も含めた記述が出てきたのは、82年に施行された高校学習指導要領以降だと説明します。2編からは、官民一体で不妊手術を推進した実態が描かれます。旧厚生省は49年、身体拘束したり、だましたりすることが許されると通知。医療機関や福祉施設への調査では、実際に「他の手術と偽った事例が見られた」としました。一部の自治体は、手術を後押しする運動を展開したり費用の助成をしたり、強制不妊手術を推進しました。手術の背景には「性被害による妊娠のおそれ」「育児が困難とされた」「家族の意向や福祉施設の入所条件とされていた」などのケースがあると記述しています。旧法で認められていたのは、卵管や精管を縛るといった不妊手術でしたが、実際には子宮や睾丸の摘出、放射線照射など、法定外の手術が実施されていました。本人の同意が得られない強制手術の場合、都道府県審査会の決定が必要でしたが、定足数を満たさず開催されたり、書類だけで審査されたりするケースもあったと指摘、結果的に2万4993件の手術が実施されたといいます。ピークは1955年で、強制不妊手術の約75%は女性だったいいます。

● 第3編では、各国の歴史や制度を分析。優生学や優生運動が国際的に広がり、アメリカの一部の州やドイツ、スウェーデンなどで断種が行われていたとしました。旧優生保護法は、20世紀末の1996年に母体保護法に改正され、被害者の一部による司法裁判も進行中とはいえ、立法府である国会が、1948年に超党派の議員立法、与野党全会一致で採択された法律とその運用を、戦前の優生学・優生思想、民族衛生運動にまで遡って問題点を整理したのは、画期的です。ナチスの優生政策などとの国際比較や、ハンセン氏病対策との関連まで含めて批判的に考察したのは、公文書として有意義です。旧満洲国731部隊など植民地医学での問題が触れられていない点、占領軍の関与についての記述が簡単すぎる等の専門的批判は、これから学術的に加えていけばいいでしょう。日本の厚生行政についてのみならず、学校教科書作成、歴史認識の素材としても、活かしてほしいものです。内閣府ホームページによると、公文書とは、「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録であり、国民共有の知的資源」なそうです(公文書管理法)。だが、裁判所が重大少年犯罪の記録を廃棄してきた問題で、最高裁判所は「深く反省」する報告書を出さざるをえませんでした。そんな公文書の世界に、司法でも行政府でもなく、国権の最高機関たる立法府の歴史的文書が加わりました。やや大げさにいえば、立法府による優生学・優生思想との訣別宣言とも読めます。ぜひ出入国管理・難民認定、外国人技能実習制度等に貫いてほしいものです。さまざまな実例が挙げられていますから、各自治体ごとの、これからの調査の指針にもなります。

●同じ公文書でも、行政府である総務庁トップの「マイナンバー制度」の説明はいただけません。「マイナンバー制度は行政の効率化、国民の利便性の向上、公平・公正な社会の実現のための社会基盤です」というキャッチコピーは、この間のあまりにお粗末な執行過程の山積した問題群を知ると、強制不妊手術を国策とした旧優生保護法成立の際も、きっとこんな感じで「不幸なこどもが生まれない運動」へと強引に組織されたのだろうと、見当がつきます。また、その実施過程では、北海道などですべての精神病院に事実上の強制不妊手術「ノルマ」が押しつけられたように、自治体に仕事をおしつけるだけでなく、「先進県」と「後進地域」を競わせ、補助金・助成金の配分で事実上強制したものでしょう。旧優生保護法の場合は、北海道が突出した「モデル自治体」となり、旧731部隊ペスト防疫隊長だった長友浪男が、厚生省公衆衛生局精神衛生課長とし精神障害者への不妊手術を推進し、北海道衛生部長・民生部長・副知事へと出世して、北海道の「不幸な子どもを産まない運動」を推進しました。当時の北海道知事は、旧内務省警察官僚あがりの町村金五、内務省から分かれた厚生官僚の中の優秀な若手として、731部隊軍医少佐出身の長友浪男をスカウトし登用したものでした。「マイナンバー制度」を推進する総務省、デジタル庁、厚生省等にも、その予算執行をめぐる膨大な利権、談合、天下りが隠れていると推測できます。誤登録など次々と問題が起こる基本システムは、富士通によって設計されたそうです。国家に寄生した同じ大企業が、日本の国家安全保障・防衛システムの有力な担い手ともなっています。健康保険証や運転免許証に紐付けされる前に、マイナンバーの「自主返納」運動が起こっているのも、当然の愚策です。ロシアの「ワグネル」騒ぎは、他人事ではありません。

● 本サイト更新中に、悲しい知らせが、ドイツのベルリンから届きました。元東大医学部助教授で、スターリン粛清の日本人犠牲者であった国崎定洞の遺児、タツ子・レートリヒさんが、6月27日、肺炎で死亡したとのことです。1928年生まれですから、享年95歳、コロナも乗り切っての天寿全うでした。1937年末のソ連で「日本のスパイ」として父・国崎定洞が銃殺処刑された後、ドイツ共産党員だった母フリーダ・レートリヒさんと共にモスクワからナチス・ドイツに「難民」として強制送還され、元共産主義者として抑圧され差別されたナチス時代の証言者でした。日本語は全くわからないのに、その顔かたちが父の血を引いて日本人そっくりだったため、戦後の西ベルリンでは別の人種差別を受け、大学にも入れず、苦難の生活をすごしました。1980年に、川上武医師と私が事務局をつとめた「国崎定洞を偲ぶ会」の招待で来日し、かつてナチス台頭期のベルリンで父国崎定洞の「同志」であり、戦後日本の再建を担ってきた千田是也・有沢広巳・鈴木東民・平野義太郎らから初めて亡父の話を聞き、日本の親族と顔をあわせたのが、最初で最後の日本訪問でした。私の「国際歴史探偵の30年」の始まりに存命していた貴重な証言者で、優生思想や国際共産主義の問題点を、その生涯で体現してきた、一人のたくましい女性でした。心から、ご冥福をお祈りいたします。合掌!

政治の構造改革が必要、改憲は不要

● 2023.6.1   ウクライナ戦争と核廃絶をめぐって、日本のリベラル・左派グループの中で、亀裂が生まれているようです。直接にはG7首脳の広島原爆資料館訪問、核軍縮の行方とウクライナ・ゼレンスキー首相来日の評価ですが、ウクライナ戦争のさなかに反プーチンの首脳が集い、そこにゼレンスキーが参入しました。しかも、「グローバルサウス」と称して、オーストラリア、インド、ブラジル、インドネシア、ベトナム、韓国等の首脳も来日しましたから、国際的なデモンストレーション効果は大きかったでしょう。「ヒロシマ」は、もともと原爆被災の平和都市であると共に、宇品・江田島・呉を控える軍港都市でしたから、少なくとも岸田首相の頭の中では、ヒバクシャの話と軍拡の話が矛盾せずに招致したのでしょう。核保有国首脳を原爆資料館に招きながら、核兵器禁止条約には触れずに核抑止力維持をうたう広島ビジョン」をウクライナへの軍事支援強化と共に世界に発し、ヒロシマ現地の中国新聞ICAN/サーロー節子さん等から、「ヒロシマでこれだけしか書けないのか」と失望の声が寄せられました。ヒバクシャの立場からは、当然です。

● ただし、プーチンの侵略に対するウクライナ国民の抵抗に共感して、核保有国の首脳に原爆資料館を見せたことゼレンスキーの反転攻勢への決意を述べさせたことを評価する声もあるのは事実。メディア報道や世論調査では、そちらの方が多数派です。戦争も長期化して、「どっちもどっち論」「即時停戦・和平論」も強まっていますが、私はベトナム戦争ベトナム民衆支援の経験から、ウクライナ民衆の抵抗が続く限りそれを支援し、ロシア国内の反プーチン勢力に注目します。歴史の判断は、まだまだ先になりますが、下斗米伸夫さん塩川伸明さんのようなソ連崩壊後の歴史的考察から、学ぶところ大です。同時に、20世紀冷戦の東側に属していたロシア・中国・北朝鮮の共産党独裁・軍産複合体を「平和勢力」と錯覚してきた日本の左派の世界認識を、根本的に問い直す必要を痛感します。ドイツ在住のT・K生さんが紹介するように、ウクライナ戦争とメルケルへの大十字勲章授与を契機に、第二次世界大戦後のドイツの東方外交全体が問題になり、議論されているように。

ゼレンスキーヒロシマ演説で印象的だったのは、1945年のヒロシマの惨状を現在のウクライナにたとえて復興を誓い、ロシアの核攻撃以上に、1986年のチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故体験から、「ロシアはわが国最大かつ欧州最大のザポリージャ原発を1年以上にわたって占拠しています。ロシアは世界で唯一、戦車で原発に発砲したテロ国家です。原発を武器や砲弾の貯蔵所として利用した国は他にはありません。ロシアは原発の陰に隠れて、私たちの都市にロケット砲を撃ち込んでいるのです」と述べたこと。おそらく日本の「ヒロシマからフクシマへ」を念頭に置いたものでしょうが、ホストである岸田内閣の原発再稼働・推進、70年超運転政策への強烈な皮肉・批判に聞こえました。英語なら反核 Anti-nuclear は、核兵器も原発も含みます。「原子力の平和利用」こそ、核兵器保有勢力の情報戦の産物でした。忘れてはいけません。旧ソ連のゴルバチョフ時代にチェルノブイリ原発事故が起こり、そこから独裁国家の「グラスノスチ」(情報公開)が始まり、「ペレストロイカ」と「新思考外交」が必要になり、東欧革命から冷戦終焉・ソ連崩壊へと進んだことを。そこから米ソの本格的核軍縮が進み、ウクライナの核兵器も廃絶されたことを。

岸田内閣は、G7外交の「成果」で支持率を回復し、国会解散・総選挙に打って出ると言われました。しかし息子を首相秘書官にした世襲情実人事が裏目に出て、文春砲の前にあえなく更迭です。東京都では自民党と公明党との選挙協力が行き詰まり、長年の連立にも綻びが出てきました。これは、日本政治の構造的危機を予告するかのようです。というのは、もともと「恒久平和の仏法民主主義」を党是としていた公明党が、自民党との連立に踏み切ったのは1999年、冷戦崩壊・グルーバル市場化から新自由主義の21世紀に入ると見通してのことでした。アメリカとの同盟には世俗的利益を見出し、小選挙区での自民党の下駄になってきましたが、アジアの急速な工業化から中国の台頭と日本の停滞、ロシアの大国主義復活、中東・アフリカの不安定等の多極化は、想定外でした。もともとイデオロギー色の薄い中道政党とは言え、自民党内閣の安保防衛・軍拡政策、敵基地先制攻撃や非核3原則放棄にひきづられるのには、戸惑っている支持者が多いでしょう。共産党と同じく支持層の高齢化・世代継承困難が、新時代への対応・政策転換を困難にしている面もあります。

● 首相の限界が見え、子ども・子育て支援の財源問題や拙速なマイナカード普及の初歩的失策が続き、野党の出番なはずですが、4月の統一地方選挙結果は、日本維新の会の躍進、立憲民主党の衰退、日本共産党の惨敗で、野党共闘の行方は見えません。世論調査では、維新の会支持が立憲民主党を上回る、野党第一党の逆転が続いています。与党も野党も流動的で、基本政策の近さで行けば、自民・維新連合ができれば圧勝で、憲法改正でしょう。しかし、6月から食品3500品目・電気料金の物価値上げ、貧困と格差拡大の国民生活救には、打つ手なし。国政一揆が起こっても、おかしくありません。本当に必要なのは、世界の大きな変化を見据え、選挙制度改革やジェンダー平等をも推進する政治の構造変革です。日本国憲法改悪ではありません。

● 5月15日に、明治大学登戸研究所で「ゾルゲ事件についての最新の研究状況」を報告してきました。向ヶ丘遊園近くの丘の上が会場で、まだリハビリ中ですから、急坂と階段をさけてクルマで送迎して貰いましたが、何とか話の方は無事終えることができました。このテーマは2年前に「ヒロシマ連続講座」でも話してyou tube になっていますが、今回は、ちょうど鈴木規夫愛知大学教授との共訳でマシューズ『ゾルゲ伝』(みすず書房)を刊行した直後でしたので、オンラインを合わせ300人近い聴衆の皆様に話した最新の内容のエッセンスを、「岸惠子主演『真珠湾前夜』が可能にした学術的ゾルゲ事件研究」というエッセイにまとめました。みすず書房のホームページに公開されています。ご笑覧ください。

いつのまにやら、世界と日本は…

●2023・5・1 いつのまにやら、インドの人口が中国を追い越したそうです。世界人口は80億人と増え続けていますが、中国は減少に転じ、インドはなお増大して世界一になり、インドネシアやパキスタン、ナイジェリア、ブラジル、バングラデシュが第三位のアメリカに追いつき追い越す勢いです。国連の2050年の予測では、総人口が97億に達し、うち4分の1がアフリカで、ナイジェリアはアメリカを抜き、パキスタン、インドネシアがアメリカに並ぼうとする勢いです。G7などという20世紀に生まれた先進国サミットが生き残っているかどうか、誰も予測できません。

●日本は、かつて1950年には人口8千万人でも、中印米ソに次ぐ第5位の、若々しい国でした。それが高度経済成長の原動力になりました。2000年には1億2700万人で第9位でしたが、2011年以降減少が止まらず、2023年にはメキシコに追い越されて世界11位です。2050年には、辛うじて1億人を保っても、タンザニアやヴェトナムに追い越され、第17位と予測されています。そこに外国人観光客が訪れる観光大国日本を夢想しても、北海道の高級ホテルや豊洲の土地も高層マンションも、「日本」の管理下にある保証はありません。学校教育も地域社会も、流入した非日本人で、変わっていることでしょう。そもそも国境や領土・国民の観念がどのようになっているか、衰退期の日本からは、予測できません。いまや世界秩序の従属変数であり、かつての秩序形成国makerから秩序受容国takerへの転落です。せいぜい、秩序攪乱国shakerの役割を残しているかどうかが本当の問題でしょう。もちろん、私は、それを見届けられません。

●いつのまにやら、プーチンのウクライナ侵略から、14ヶ月もたちました。ウクライナは米欧の武器支援も受けて、持ちこたえています。こんなニュースが流れてきました。ロシアのウクライナ侵攻を巡り、日本維新の会鈴木宗男副代表は4月26日、ロシアとウクライナ「両方に責任がある」と主張し、第二次世界大戦で「日本が戦争を仕掛けたことは事実だが、日本には日本の言い分があったのはではないか」などと述べました。この種の議論は、日本の過去を持ち出さない、より洗練されたかたちで、広く流布しています。素朴な非戦の意思表明、反戦平和の思想、非暴力抵抗の組織化、いずれも大切で、それらを停戦に結びつけたいのでしょう。しかし、現実に侵略されたウクライナの人々の、かつてのホロドモールの体験に裏打ちされた抵抗に、水を差すことはできないでしょう。かつてのベトナム人民支援と同じです。侵略したロシアに、北朝鮮は武器を提供し、中国は国連でも非難の意思を示しません。逆にかつてソ連の実質的支配下にあった中東欧の国々は、ウクライナへの連帯を隠しません。20世紀現存社会主義・共産党独裁支配の産んだ痛苦の体験、深い傷です。日本は実は、中ロ北朝鮮対米国台湾韓国の東アジアの対立の中で、米国に身を売りながら、韓国とも中国とも歴史的な過去の問題を抱え、秩序形成国になれないのです。
● いつのまにやら、5月です。5月1日はメーデーです。労働者の祭りとされてきました。中国では「労働節」で3連休になります。かつてソ連は「労働者の祖国」といわれ、5月1日は大パレードの日で連休でしたが、ロシアになってからは、家族が別荘や旅行で過ごす有給休暇の祝日になりました。共産党が「労働者階級の前衛党」でありえたのは、世界の労働者階級=「プロレタリアート」の実際の状態が可視化され、多様な労働形態の労働者が労働組合に組織されている限りでのことでした。いまや、日本の労働組合の組織率は16.5%と、過去最低です。労働組合加盟者数が1000万人を割って999万人、内パートタイムの組合員数は140万人、推定組織率8.5%とのことです。ナショナルセンターは、連合が683万人、全労連47万人、全労協8万人ですが、三団体とも前年比で減らしています。こんな状態での賃上げは、労働者自身のストライキでは難しく、政府の消費拡大・労働力不足のかけ声と利益を上げ内部留保している企業の正規従業員への恩恵に、頼らざるをえません。国際的に見ると、「社会民主主義の発達したヨーロッパの労働組合組織率が高い。特に、北欧は5〜7割と雇用者の過半数が組合員となっている。米国、韓国、フランスは、1割前後と非常に低くなっている」。つまり日本は、この面でもアメリカ型に近づいているようです。

● この「いつのまにやら」の閉塞は、丸山真男のいう「つぎつぎとなりゆくいきほひ」に似ています。つまり、環境に身を委ねる受動性、主体性の欠如です。そこを突破するのが、本来は政治の役割です。4月の統一地方選挙も、本来そうした機会のはずでした。ところが、その普通選挙の投票率は、歴史的に下がり続けて過去最低を更新し、ピークの1950年代の8ー9割から、いまや5割を割るのが当たり前になっています。これも「いつのまにやら」で、長期の自民党政権と地方支配が続き、野党では維新の会が伸張しても、立憲民主党は役割を果たせず、共産党と社民党は、高齢化もあり衰退の一方です。わずかな希望は、女性の立候補者が増え、議会での占有率もあがったこと。ただし岸田総理は、この結果を内閣信任と受けとめ、防衛政策大転換も出入国管理法・難民認定法改定も、原発再稼働・運転期間延長さえもやり放題。従順な野党が増えて、むしろ翼賛政治に近づく気配です。ネット上に時々現れる、刹那的な個人テロを容認する、危険な心情・心性も不気味です。

● 「いつのまにやら」は、個人のレベルで変えるしかなさそうです。人間ドッグに始まる精密検査の繰り返しで、いのちに関わる病気がみつかり、入院・手術を宣告されて、ちょうど1年がすぎました。この間実は、療養と体力作りのクスリとリハビリだけは意識的に、規則正しく繰り返してきて、ようやく外での講演ができるまでに快復しました。4月15日の早稲田大学での諜報研究会は、往復の歩行は大変でしたが、なんとか70分以上、「731部隊と100部隊」を話すことができました。講演では、初めてChatGPTを使ってみましたが、一般的知識の文章化はともかく、歴史的事象の評価や個別具体的な問題では、フェイク情報のオンパレードでした。現段階では研究用には使えないことが、よくわかりました。 日本の学生や若い官僚には、麻薬になりそうです。

● 引き続き、5月3日には、近代日本文学館での島崎藤村企画展トーク、13日には、明治大学平和教育登戸研究所資料館での講演です。前者はゴールデンウィーク中で、早々と定員が予約で埋まりましたが、5月13日のゾルゲ事件の方は、4月から対面会場もオンラインも定員を増やしたので、まだ余裕があるそうです。ちょうど、鈴木規夫さんとの共訳、マシューズ『ゾルゲ伝』が、みすず書房から発刊されたばかりで、「ゾルゲ事件の最新の研究状況」を話します。登戸研究所館長の山田朗教授が、日本近代史の流れから極めて緻密な議論を展開しyou tubeにも出ていますから、私も後援する尾崎=ゾルゲ研究会の代表として、新しい視角からの問題提起が必要になりました。報告の目玉は、1962年の『現代史資料 ゾルゲ事件』刊行と、1964年のソ連におけるゾルゲ「名誉回復」の経緯。岸惠子主演の映画「真珠湾前夜」宇宙飛行士ガガーリンの来日が大きな意味を持ち、それまでの大衆文化としての「スパイ物語」を、現代史研究の一環に組み替えたようです。乞う、ご期待。

○日本近代文学館  https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/14102/

○明治大学登戸研究所 https://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2022/mkmht0000001sl9j.html

曖昧な日本ではなく、普遍性を求めて

●2023・4・1 日本特有の新年度です。本来なら1月1日なり世界標準の9月で区切ればいいものを、1886年に国の会計年度に合わせて公教育は4月入学とし、保守勢力が「ニッポン人にはサクラの季節が切れ目」などと主張して、そのままです。天皇代替わりの元号と同じように、この国を世界の普遍的流れと異なる特殊な時間の流れに乗せる、ナショナリズムの空間的・時間的仕切りです。5月のヒロシマG7サミットのために、岸田首相は米国大統領に続いて急遽ウクライナを訪問するなど、前のめりです。しかし、世界の時間に合わせるには、まずは「失われた30年」で世界から孤立したLGBTQの権利保障を認めるべきですし、新会計年度や4月地方選挙で女性政治家・経営者・官僚を大幅に増やすべきです。何よりも、ヒロシマから核廃絶と原発事故の危険、NBC(核生物化学)兵器の禁止を強く訴えるべきです。それなのに、ウクライナ戦争によるエネルギー逼迫に便乗して、原発再稼働60年超運転承認、ウクライナへのお土産は「必勝しゃもじ」で、G7向けには防衛費倍増でNATO並みに、米国製ミサイル爆買いで敵基地攻撃能力を備え、ちょうど岸田首相のウクライナ訪問時に結束を強めたプーチンのロシアと習近平の中国に対する、あからさまな挑戦状です。東アジアからの調停役どころか、新たな緊張をうみだす、外交なき対米従属をあらわにしてしまいました。なんともちぐはぐな、理念なき首相、漂流する日本です。

● ちぐはぐといえば、本来一斉地方選挙で信任を問うべき旧統一教会と自民党等地方議員の癒着、地方によっては国会議員よりも露骨で、800名もが関係を持ったといわれ、信徒が議員になっているケースもあるといわれます。党中央は「関係を絶つ」と宣言しても、都道府県でバラバラで、自己申告もされないまま、うやむやになりそうです。物価高や生活支援が争点になり消されてしまいそうですが、地方紙やローカル・テレビ局のジャーナリスト魂が問われます。有権者は地元で、しっかり見きわなければなりません。もっとも、立候補者が少なく無投票当選とか、子育て中の女性の立候補が難しいとか、北欧諸国等に比して4年ごとに話題になる、日本の地方議会の貧しい姿もくっきりと。日本が立派な憲法を持ち、米国に追随してきたからといって、民主主義先進国だと思ってはなりません。自由と民主主義とは、かつて丸山真男が述べたように、日々進行する永続革命の課題です。

● ちぐはぐなのは、野党も同じです。国会での立憲民主党による放送法についての総務省内部文書の公開は見事でしたが、その追究の矛先が、政府によるメディア統制・電波停止権の問題よりも、高市早苗元総務大臣の公文書「ねつ造」発言と大臣解任要求に向かい、安保3文書や防衛政策の追求は弱いまま軍拡予算は通過、目くらましもまぶした「異次元の少子化政策」の中身も財源も曖昧なまま、岸田内閣支持率の回復を、許してしまいました。そのうえ議員の中から問題発言、野党共闘もままならず、弱い執行部の目玉政策を欠いた選挙戦で、日本維新の会と得票率を競うことになりそうです。

● 日本共産党も迷走中。コミンテルン日本支部だったよしみで、長く代わらず高齢化した指導幹部たちは、かつて「社会主義」友邦であったロシアや中国への批判はなぜか及び腰、そのプーチン・習近平独裁体制が、共産党が今も固持する「民主集中制」の歴史的遺産であることを、明言できません。党首公選を訴えた熱心なベテラン党員二人を「除名」し、それを報じた大手メディアまで「反共攻撃」だと啖呵を切って敵にまわしてしまって、このSNS・AI時代に、時代錯誤の言論統制と、指導者崇拝の規律引き締めです。もともと社会主義政党の「除名」とは、ブランキ型秘密結社の「裏切り者は死刑」を、マルクスが共産主義者同盟加入にあたり緩和した処分制度でした(加藤『社会主義と組織原理 T』1989年)。トップへの批判的意見を公表すると、命だけは助けてやるといわんばかりの志位和夫執行部の対応は、こんな政党を政権に就けたら恐ろしいと思わせるだけの、内向き組織防衛戦です。選挙で直接住民・市民に接する地域党員や候補者が可哀想です。30年前に有田芳生さんらが編んだ『日本共産党への手紙』 に寄稿した、政治学者としてのの批判点を、そっくりそのまま繰り返しておきます。大塚茂樹さんの新著『「日本左翼史」に挑む』も、参考になります。

● 大江健三郎さんが亡くなりました。88歳でした。ノーベル文学賞は受賞しましたが、文化勲章は辞退しました。そのノーベル賞受賞講演「あいまいな日本の私」は、明らかに先輩の日本人文学賞受賞者、川端康成の記念講演「美しい日本の私」を意識していました。ただし、その論理は明晰で、曖昧ではありませんでした。戦後に「大きい悲惨と苦しみのなかから再出発し」た、「新生に向かう日本人をささえていたのは、民主主義と不戦の誓いであって、それが新しい日本人の根本のモラルでありました。しかもそのモラルを内包する個人と社会は、イノセントな、無傷のものではなく、アジアへの侵略者としての経験にしみをつけられていたのでした。また広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を負う生存者と二世たちが――それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母語とする多くの人びとをふくんでいますが――、われわれのモラルを問いかけているのでもありました」。ですから、東洋的神秘の特殊な美意識を強調した川端に対して、「20世紀がテクノロジーと交通の怪物的な発展のうちに積み重ねた被害を、できるものなら、ひ弱い私みずからの身を以て、鈍痛で受けとめ、とくの世界の周縁にある者として、そこから展望しうる、人類の全体の癒しと和解に、どのようなディーセントかつユマニスト的な貢献がなしうるものかを、探りたい」と宣言しました。本来ならヒロシマG7サミットで、世界の首脳と市民に伝えるべき「遺言」です。

● 1994年の大江健三郎さんは、日本的特殊性よりも「人類普遍の原理」に賭け、それを実践に移していきました。その数年前、1990年の『日本共産党への手紙』のなかで、私は「科学的真理の審問官ではなく、社会的弱者の護民官へ」と題し、政党を社会と国家の架け橋と見なす政治学者として当たり前の立場から、「民主集中制ではなく、党員主権・人権尊重の民主主義」「党内の多様な意見と政綱を持つ潮流の公認と党外への発表の自由、党員同士が基礎組織を離れて水平的・横断的に相互交流する自由、中央指導部の権限をチェックする党内権力分立制度、指導者の任期制や定年制、党内情報公開や財政民主主義、旧除名者の名誉回復と復権」などを提言しました。その私の「手紙」の直前に収録された加藤周一さんの「手紙」は、「自由」の概念を引き合いに出して、「マルクスは『自由』の概念の普遍性を否定したのではなく、特殊化された『自由』の普遍性を快復しようとした」のに、その後のマルクス主義者の多くは、「一般に人間なるものはなく、ただ階級的人間のみがある」という普遍性なき特殊性の立場に執着し、「果たしてマルクス主義を主張する政権のもとでは、個人の自由と基本的人権の極端な抑圧が起こった」と述べていました。普通の政党とは異質な「唯一前衛党」、「民主主義」一般ではなく「民主集中制」に固執する論理に対する戒めでした。

● 私は、病上がりのリハビリを続けながらも、徐々に外出できる体力を回復しつつあります。「戦後民主主義」の先達に学んで、4月15日に早稲田大学で「731部隊・100部隊」5月3日に日本近代文学館で島崎藤村「夜明け前」5月13日に明治大学登戸で「ゾルゲ事件」の報告・講演を再開します。ご関心のある方は、下記のサイトからどうぞ。

○NPO法人インテリジェンス研究所  http://www.npointelligence.com/

○日本近代文学館  https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/14102/

○明治大学登戸研究所 https://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2022/mkmht0000001sl9j.html

● 昨年は、獣医学の小河孝教授とコラボした共著『731部隊と100部隊ーー知られざる人獣共通感染症研究部隊』(花伝社)、私が代表をつとめる尾崎=ゾルゲ研究会のシリーズ第一弾、A・フェシュン編・名越健郎・名越洋子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945 赤軍情報本部機密文書』(みすず書房)が刊行されました。

 

「等身大のゾルゲ解明へーー尾崎=ゾルゲ研究会発会主旨」(毎日新聞、2022年2月13日夕刊) 

シリーズ「新資料が語るゾルゲ事件」尾崎=ゾルゲ研究会編(みすず書房)

アンドレイ・フェシュン著、名越健郎・名越陽子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945』(みすず書房)

「蘇るスパイ・ゾルゲ」(『週刊朝日』2022年11月11日号) 

「スパイ事件 公表から80年 ゾルゲにソ連側が不信感 機密文書まとめた資料集邦訳」(毎日新聞夕刊2022年12月14日

「伝説のスパイ ゾルゲの謎に迫る、刑死から78年、書籍続々」(朝日新聞夕刊2023年1月20日)

● 『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。日独関係史がらみで、『岩手日報』2022年2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年に収監されていた唯一の日本人でした。片山千代ウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。本サイトの更新も、体調との関連でまだまだ不安定ですが、カレッジ日誌(過去ログ) の方から、論文やyou tube 講演記録をご参照ください。

「失われた30年」の重荷

●2023・3・1 「失われた30年」とは、新年の『日経ビジネス』によると、「バブル崩壊後の90年代初頭から現在までの期間を指す。この30年間は高度経済成長期や安定成長期のような成長が見られず、経済の低迷や景気の横ばいが続いている」とのことです。日本経済の世界では長く語られ、いまやGDP世界第3位がまもなくドイツに追い越され、一人あたりGDPではかつての1998年に2位とされていたものが、いまやシンガポール、香港に抜かれ、台湾、韓国にも本年中に追い抜かれそうな現27位といいます。冷戦崩壊後のグローバル経済に対応する1995年の日経連「新時代の日本的経営」以後、非正規雇用が増えていまや3分の1以上(女性では5割以上)になり、それが正社員の賃上げをも抑制し、実質賃金が上がらず、国内消費が増えない停滞を続けてきました。2月27日の「東京新聞」一面の30年前の提言者インタビューは、「円高で賃金が上がり過ぎたから下げるしかなかった。このままでは企業がつぶれるという緊急避難」「今ほど増えるとは思わなかった」と30年後の本音を引き出し、ジャーナリズムの矜恃を示しています。しかし、もう一方の当事者であるはずの労働組合・連合は、「労働組合員のため、賃上げを実現するには政府・与党と連携した方がいい」という既存権力への接近路線です。

● 「失われた」のは、日本経済だけではありません。そもそも「短い20世紀」を支配した東西冷戦、米ソ対立の一方(現存した社会主義)が自壊し、世界秩序が漂流したのです。日本は、それまでの日米安保と国連中心主義の2本足外交から、日米同盟一本へと舵をきりました。しかし、世界の方は、ソ連の崩壊で一時的に米国一国制覇にみえたものの、中国の台頭とアジア・中南米の工業化、中近東世界とアフリカ大陸での各国利害の対立の中で多様化・多極化しました。インターネット・SNSやICT革命、気候変動・温暖化から顕在化した地球的・人類的危機のなかで、既存の世界秩序では対応しきれない混沌が続きました。そこには、天災・自然災害や疫病の広がりも作用し、「失われた30年」には、2001年の米国同時多発テロとアフガニスタン・イラク戦争、2011年の日本の東日本大震災・福島原発事故と核エネルギー見直し、2020年からの世界的COVID19パンデミックと22年ロシアのウクライナ侵略戦争勃発、というある種の節目があり、その都度、リーマンショックに象徴された米国の衰退とBRICSの台頭、中国・インドの大国化、そしてロシアの再大国化へのバックラッシュを産みました。核戦争・第3次世界大戦への可能性を孕むこの過程で、米国追随一本の日本は、世界の「中心」から「半周辺」へと衰退し、存在感を喪失していきました。

● 世界的な「失われた30年」の中で、日本は、国民経済ばかりでなく「失われた政治」でも、典型国の一つになりました。ソ連・中東欧の現存した社会主義を崩壊させ、中近東・中南米・アフリカへと広がった民主化の波の中で、世界の「民主主義のかたち」も多様化し、かつての君主制か共和制か、独裁・一党制か多党制か、大統領制か議院内閣制か、一院制か二院制かといった制度的ちがいだけでは解けなくなりました。集権と分権、権力分立をどの程度徹底するか、国家暴力・軍隊や治安警察の政治性、権威主義的支配への歯止めの有無と強弱、世論やポピュリズムへの敏感性sensitivityと傷つきやすさvulnerability、市民社会の成熟度と中間団体の組織性・独立性、歴史的伝統とナショナリズムを包み込む政治文化等々、20世紀にはロバート・ダールの「ポリアーキー」概念縦軸に公的異議申し立て・政治競争=「自由化」、横軸に選挙権・政治参加の広がり=「包括性」)で了解されてきた「デモクラシー」そのものが、再審されています。それはおそらく、20世紀を通じて「包括性」=普通選挙権・政治参加の広がりが当たり前になってきたもとで、改めて「自由・平等」の歴史的意味が問われているからでしょう。

● 日本政治が「失われた30年」の典型であるのは、そこでの「包括性」は男女平等自由な普通選挙権、18歳選挙権など世界水準に達してきたのに、1990年代の「政治改革」で政権交代を促進するとされた小選挙区制導入、政党交付金制度などの制度改革が裏目に出て、いわゆる「55年体制」とは異なるかたちでの自民党の長期支配、世襲政治化、世界に比してミゼラブルな女性議員比率、等々を招いたことです。しかも、その政治の内容が、日米同盟一辺倒の外交・安全保障、自衛隊増強と海外派兵、核兵器禁止条約への背反、福島原発事故を忘れたような核エネルギー再稼働・増強、国家安全保障の名での治安・インテリジェンス権力強化と情報管理、等々、およそ20世紀の日本国憲法の理念、いわゆる「戦後民主主義」の運用とはかけ離れた、実質的改憲の進行です。それが、世界に比しての「遅れ」なのは、各国で進む「包括性」政治参加の実質化、つまり女性やマイノリティの人権確認・権利拡大が弱く、「自由化」に照らすと、国会審議の形骸化、司法の憲法審査の回避、執行権力の肥大化と個人権力化、メディアの権力監視機能の衰弱が目立つからです。

● もちろん、国民生活のうえでも、少子・高齢化・人口減と貧富の格差拡大、中間層の分解と両極化、医療・社会保障・公教育領域の負荷拡大と財政圧迫、科学技術と大学への財政支出・投資減退、農業の衰退と食糧自給率低下、製造表の海外流出と都市化・過疎化の様相変化、外国人労働力の低賃金限定利用とインバウンド観光業による円安サービス業依存、そしてアニメとゲーム以外は輸出できないデジタル技術革新・文化の停滞ーー総じて「豊かさ」や「進歩」を実感できない長期の時代閉塞です。国家も国民も羅針盤を失い、その日暮らしの惰性が続きました。2010年代の「アベノミクス」は、「3本の矢」の情報戦とゼロ金利・円安政策のみが生きてきましたが、衰退の惰性を深刻にするだけでした。頻発する地震や豪雨災害、緊迫する朝鮮半島や香港・台湾情勢は、沖縄に集中する米軍基地の機能変化をもたらしましたが、むしろ、皇室と自衛隊の存在意義と役割増大の「国民」的容認に作用しました。日本国憲法改正も、その方向性は見えないまま、世論の上では、賛成が多数派になりました。

● 政党政治は、市民社会の社会関係・コミュニケーションの凝集であるとともに、社会と国家の架け橋で、国家の作用を社会に持ち込みます。日本政治の「失われた30年」は、いうまでもなく、政党再編と政治家の世代交代をも伴いました。1990年代に日本社会党が消滅し、小選挙区制のもとでの自民党は、統一教会や日本会議の力をも借りながら、公明党との連立政権で延命してきました。一時的な民主党中心政権が大震災・津波・原発事故に直面して崩壊した経験が、その後の、より権威主義的な安倍晋三長期政権に道を拓きました。1990年代の反自民野党は、民主党ほか幾度も分裂・競合・統合を繰り返し、今日の立憲民主党、維新の会、国民民主党、共産党などの林立状態をもたらしました。小選挙区制に即した野党共闘もないわけではありませんでしたが、自公連立の改憲連合が両院で増大しました。それどころか、改憲派は野党の維新の会、国民民主党を含み、立憲民主党の中にも勢力を持っています。

● 日本共産党はこの間明文改憲に反対してきましたが、「失われた30年」は、この党内部にも日米安保、自衛隊、天皇制などの基本政策をめぐって、20世紀冷戦時代とは異なる潮流・グループを生みだしているようです。世界の流れと社会の多様化、選挙区制等単位地域の流動性からすれば、それは当然です。ドイツの社会民主党緑の党赤・緑連合もありました)や左翼党のように、内部にいくつもの政綱・政策・地域主義をかかげた潮流・派閥があって絶えずオープンに議論している方が、「包括性」を高めた「国民代表」の流動化した政治のなかでは、活性化できるのです。「日本政治の失われた30年」の一角にある日本共産党の内部でも、そうした論争が始まったようです。すでに30年前に政治学者として問題の所在を示したことのある私としては、まるで20世紀の映画を巻き戻して見ている感じです。ハンガリー在住の盛田常夫さんと同じように、世界から見れば周回遅れの「20世紀社会主義の自己崩壊と共産党の自滅」を、静かに確かめる境地です。あるいは、マルクスやウェーバーのいう「アジア的停滞」の解読の一助になるでしょう。昨年の大病から徐々に快復し、先日の検査結果は良好で、リハビリ「経過観察」で、3度目の手術・入院は、5月の次の検査まで延期になりました。下記のゾルゲ事件関係から、少しづつ仕事に戻ります。

● 昨年は、獣医学の小河孝教授とコラボした共著『731部隊と100部隊ーー知られざる人獣共通感染症研究部隊』(花伝社)、私が代表をつとめる尾崎=ゾルゲ研究会のシリーズ第一弾、A・フェシュン編・名越健郎・名越洋子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945 赤軍情報本部機密文書』(みすず書房)が刊行されました。

 

「等身大のゾルゲ解明へーー尾崎=ゾルゲ研究会発会主旨」(毎日新聞、2022年2月13日夕刊) 

シリーズ「新資料が語るゾルゲ事件」尾崎=ゾルゲ研究会編(みすず書房)

アンドレイ・フェシュン著、名越健郎・名越陽子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945』(みすず書房)

「蘇るスパイ・ゾルゲ」(『週刊朝日』2022年11月11日号) 

「スパイ事件 公表から80年 ゾルゲにソ連側が不信感 機密文書まとめた資料集邦訳」(毎日新聞夕刊2022年12月14日

「伝説のスパイ ゾルゲの謎に迫る、刑死から78年、書籍続々」(朝日新聞夕刊2023年1月20日)

● 『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。日独関係史がらみで、『岩手日報』2022年2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年収監されていた唯一の日本人でした。片山千代ウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。本サイトの更新も、体調との関連でまだまだ不安定ですが、カレッジ日誌(過去ログ) の方から、論文やyou tube 講演記録をご参照ください。

所得倍増でも資産倍増でもなく、軍備倍増に邁進する岸田宏池会内閣!

●2023・2・1  新年早々、ついにコロナ感染を体験しました。正月に家族が集まったさいに、ウィルスが残っていたようです。PCR検査陽性後の1週間、自宅自室蟄居の不便な生活を余儀なくされました。ただし38度5分の熱が出てPCR検査を受けた以上には進行せず、重症化はしませんでした。発熱外来でコロナ用の薬を勧められましたが、昨年の手術・入院後大量の薬品を摂取していますから、副作用を恐れて断りました。コロナ用の発熱外来は大変な混みようで、おくすり手帳の提示は求められませんでした。どうやら感染症対策と基礎疾患医療は、別なものとして扱われているようです。5回のワクチン接種が重症化予防に効いたのかどうかはわかりません。ワクチンが感染予防に無力だったことはわかりました。病院の様子からすると、現在の第8波は、この3年間で最も感染が広がり、入院病棟は逼迫しているようでしたが、発熱ぐらいでは入院できないこともよくわかりました。陽性判明後、スマホによる保健所への体温・酸素飽和度申告、病院からの症状チェックの電話はありましたが、「症状が悪化したら救急車を呼んでください」という対応で、救急車をよんでもたらい回しになる状況は自治体マターで、病院側チェックの範囲外のようでした。

● 3年前から、日本における新型コロナウィルス感染症の進展を追いかけてきました。コロナ禍前に戦時関東軍731部隊の人体実験・細菌戦を書物にしていた関係で、日本の感染症対策が731部隊の影をひきづってきたことを本サイトで問題にし、『パンデミックの政治学』(2020年)、『731部隊と100部隊』(小河孝との共著、2022年)などにまとめてきました。コロナ感染の実体験は今回が初めてですが、昨年は半年以上を2回の入院・手術・リハビリですごし、日本の医学と医療の問題を、いやでも考えざるをえませんでした。欧米で支配的だったロックダウン・国家補償方式でも、一部地域で採られた集団免疫獲得のための不作為とも違い、「ダイヤモンド・プリンセス号」以降のクラスター潰し中心の日本の初動対策は、端的に言って、安倍晋三による談合・汚職がらみの東京オリンピック開催のためのスケジュール合わせでした。そして、アメリカの国家非常事態宣言解除に追随でしょうか、5月8日を目処に感染症2類相当からインフレエンザ並みの5類に変更するという対策解除です。5月の広島G7サミットをマスクなしで成功させたいという岸田文雄の願望から出た、またしても科学と医療を政治に従属させた決定のようにみえます。つまりパンデミックの入り口から出口まで、日本ではワクチン以外の有効な対策がないまま、感染者数・死者数の正確な統計も作れぬまま、年末年始に世界一の感染を記録し、高水準の死亡率を保った状態で、パンデミックの舞台そのものから退出しようというのです。基礎疾患を持つ高齢者にとっては、不快かつ不安です。

● 安倍晋三が銃撃された後の2022年後半、戦後日本政治の宿痾というべき自民党と旧統一教会の奇怪な癒着が明らかになり、安倍国葬を強行した岸田内閣の支持率は低下し続けました。その統一教会との関係断絶も曖昧にしたまま、5月19−21日のG7ヒロシマサミットを政権浮揚・反転攻勢のターゲットに設定しています。COVID19感染症の2類相当から5類への転換、ゼロコロナを諦めウィズコロナで人獣共通感染症に対処しようとしています。インバウンド需要再興など経済再建を最優先し、医療弱者切り捨てになるでしょう。そればかりか、ウクライナ戦争の継続、米中対立激化を見据えて、日本の安全保障戦略の大転換、原発依存エネルギー政策への切り替えも、世界にアピールしようとしています。今日の岸田派は、池田勇人・大平正芳・宮澤喜一ら財務省OB・自民党宏池会の流れを汲むハト派なはずで、それがイデオロギー色の強い安倍派=清和会に対抗し反転する振り子理論で、自民党の派閥政治はバランスを保つはずでした。ところが21世紀の長い清和会支配の中で、どうやら宏池会はハト派=軽武装・平和経済色を失ってしまったようです。池田内閣の所得倍増計画や宮澤内閣の資産倍増計画の継承のはずが、なんと敵基地攻撃を「反撃」と言い換えて、防衛費をNATO並みのGDP2%に倍増しようという「軍備倍増計画」を目玉にしようとしています。憲法も国会・弱小野党も無視されて、すべては行政府の閣議決定です。本来世界に核廃絶をアピールすべきヒロシマ・サミットが、日米同盟強化と世界第3位の軍事大国化への示威機会です。小選挙区制を導入した1990年代「政治改革」の歴史的帰結です。

● 昨年療養中に書いたka「 コミンテルンの伝統と遺産」が活字になりました。東京唯物論研究会の『唯物論』誌96号(2022年12月)の特集「歴史的存在としての『共産主義』運動」への寄稿ですが、もともと『初期社会主義研究』第29号(2021年)に寄稿した「コミンテルン創立100年、研究回顧50年」の基本内容の再使用で、「はじめに」「おわりに」のみ書き加えたものです。その理由も書いてありますが、同時期に「日本共産党100年」に関連した出版企画が相次ぎ、二度の入院・手術中だったのでお断りし、早くに頼まれていた『唯物論』誌のみに寄稿したものです。その「日本共産党100年」ものは、中北浩爾さんの労作をはじめいくつか刊行され、党首公選制を主張したり、基本政策の変更を求める動きも見られ、かつての討論サイト「さざ波通信」も復活したとか。20年前は「インターネットは民主集中制を超える」と述べたことがありますが、状況はあまり変わっていないようです。博物館入りした党名や高齢化した指導部人事ばかりでなく、なぜ日本の実質賃金は上がらず韓国以下なのか、中国をどう見るのか等、安倍=岸田政治に対抗する本格的なオルタナティヴの構築へと、議論を開いてほしいものです。

● 昨年は、獣医学の小河孝教授とコラボした共著『731部隊と100部隊ーー知られざる人獣共通感染症研究部隊』(花伝社)、私が代表をつとめる尾崎=ゾルゲ研究会のシリーズ第一弾、A・フェシュン編・名越健郎・名越洋子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945 赤軍情報本部機密文書』(みすず書房)が刊行されました。

 

「等身大のゾルゲ解明へーー尾崎=ゾルゲ研究会発会主旨」(毎日新聞、2022年2月13日夕刊) 

シリーズ「新資料が語るゾルゲ事件」尾崎=ゾルゲ研究会編(みすず書房)

アンドレイ・フェシュン著、名越健郎・名越陽子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945』(みすず書房)

「蘇るスパイ・ゾルゲ」(『週刊朝日』2022年11月11日号) 

「スパイ事件 公表から80年 ゾルゲにソ連側が不信感 機密文書まとめた資料集邦訳」(毎日新聞夕刊2022年12月14日

「伝説のスパイ ゾルゲの謎に迫る、刑死から78年、書籍続々」(朝日新聞夕刊2023年1月20日)

● 『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。日独関係史がらみで、『岩手日報』2022年2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年収監されていた唯一の日本人でした。片山千代ウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。本サイトの更新も、体調との関連でまだまだ不安定ですが、カレッジ日誌(過去ログ) の方から、論文やyou tube 講演記録をご参照ください。

今年も安倍晋三の亡霊が、岸田文雄を走らせるのか

●2023.1・1   2022年は、2月にプーチンのウクライナ侵略戦争が始まり、世界が新冷戦とよぶべき分断に引き込まれました。コロナ・パンデミックはすでに3年、中国の遅ればせなゼロ・コロナからウィズ・コロナへの転換によって、世界が再び人獣共通感染症の危機にさらされかねません。第一次世界大戦の末期に、「スペイン風邪」が5億人感染・1億人死亡の災禍をもたらしたように。COVID19は、すでに6億6千万人に感染し、668万人の死者を出して、なお進行中です。そこに戦争が重なって、生態系破壊・気候変動も深刻になります。プーチンは、生物化学兵器・核兵器の使用さえ示唆しています。世界的なインフレ、食糧・エネルギー危機は、それらの複合的帰結です。

● 日本の危機は、世界的危機の一環であると共に、21世紀に入っての長期停滞と重なります。深刻な、歴史的退潮期にあります。それをもたらした唯一ではないが決定的な政治家が、安倍晋三でした。アベノミクスと命名した金融操作中心の経済政策、大企業には減税で内部留保をためこませながら庶民には貧困と生活苦を強いてきた中間層解体と格差拡大、独裁者や権威主義者に取り入り外遊は多かったが成果の上がらなかったパフォーマンス外交、そして、創価学会と統一教会など宗教右翼の協力を得た選挙での自民党・公明党改憲勢力の連続勝利、その長期権力を恣意的に用いた日米同盟一辺倒の軍事化・安保法制から教育改悪・学術体制形骸化、総じて日本の政治経済社会の脆弱化・国際競争力喪失を推進してきました。憲政史上最長の首相を退いた後も、権勢をふるい続けました。

● 昨年夏の統一教会信者子弟による安倍晋三銃殺は、安倍政治を清算させるどころか、もともと安倍独裁のスタイルから距離をおいて政権に就いた岸田文雄を、亡霊となった安倍の政策的悲願の実行者・駆動者に変身させました。安倍晋三の国葬を国会にもはからずに決定・実行した上で、原発依存のエネルギー政策、NATO並みの日米防衛体制構築に、踏み切りました。「戦後民主主義」も「3・11体験」も清算する暴挙です。国会では統一教会問題や失言・失点だらけの大臣・政務官更迭で野党に押され、支持率は最低まで落ち込みながら、原発再稼働・継続と防衛費倍増の歴史的転換は、年末の閣議決定でした。行政府の長でありながら立法権者としてふるまった安倍晋三にならってか、「国民の声」は聞かず、安倍の亡霊とアメリカの「神の声」に導かれて疾走し、この国と庶民の生活を、奈落の底に突き落とそうとしています。歴史の逆走です。何とか食いとめたいものです。

● イタリアもドイツも日本も、何やらキナ臭い新年です。自分自身が後期高齢者となり、昨年は、生まれて初めての大手術を体験し、入退院を繰り返してきました。研究も執筆もままならず、ウクライナ戦争にも岸田政治にも、十分な発言をできずにきました。外出制限と書庫使用禁止で、図書館通いも文献研究もできませんでした。長期療養とリハビリで、徐々に日常生活を取り戻しつつありますが、まだまだ本調子には遠く、自分の体調と重ね合わせて、日本の政治経済への憂鬱な見通しを、体感せざるをえません。ただし、世界全体に目配りすれば、希望につながる芽が見出される時があります。2023年は、体力回復をはかりながら、若い世代に期待し、そうした希望への道を探求していきます。

  

 

https://www.msz.co.jp/book/detail/09514/

https://www.msz.co.jp/news/topics/09514/ 清水亮太郎「ゾルゲ神話を越えて」

「蘇るスパイ・ゾルゲ」(『週刊朝日』2022年11月11日号) 

スパイ事件 公表から80年 ゾルゲにソ連側が不信感 機密文書まとめた資料集邦訳(毎日新聞夕刊2022年12月14日

● 昨年は、獣医学の小河孝教授とコラボした共著『731部隊と100部隊ーー知られざる人獣共通感染症研究部隊』(花伝社)、私が代表をつとめる尾崎=ゾルゲ研究会のシリーズ第一弾、A・フェシュン編・名越健郎・名越洋子訳『ゾルゲ・ファイル 1941−1945 赤軍情報本部機密文書』(みすず書房)が刊行されました。『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。日独関係史がらみで、『岩手日報』2022年2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年収監されていた唯一の日本人でした。片山千代ウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。本サイトの更新も、体調との関連でまだまだ不安定ですが、カレッジ日誌(過去ログ) の方から、論文やyou tube 講演記録をご参照ください.