LIVING ROOM  12 (JAN.-JUNE 2002)

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。



トップページ中の米国同時多発テロ・アフガン報復戦争関係リンク、ニュースは、「イマジン」に移しました

「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」へようこそ! 「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」丸山真男

特集情報サイト「IMAGINE! イマジン」祈り・癒し系♪ IMAGINE GALLERY時系列ではイマジン反戦日誌にリンク! 

★サイード教授等の署名よびかけ:緊急声明「アメリカの言論の自由を守れ!」

★最新行動情報は、■「Peace Weblog」、■「CHANCE!平和を創るネットワーク」、■「プレマ(PREMA)21ネット」、■「平和フォーラム」、■「反戦・平和アクション」、■「ANTI-WAR」、■「高校生平和ニュース」、■「大学生平和ニュース」へ!

 

9.11アフガン戦争特集最新情報・論説サイト「IMAGINE! イマジン」祈り・癒し系♪ IMAGINE GALLERY時系列ではイマジン反戦日誌論説は「IMAGINE DATABASE 2001」、英語Global IMAGINEにリンク! 

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感動しました! ワールドカップもですが、本HPの執念が実り、30年来探してきた幻の日本語新聞『伯林週報』と、ついにめぐり会いました! 皆様のご協力に、深く感謝いたします!

2002/6/15  6月14日は、本HPにとって記念すべき日となりました。もちろんワールドカップでの日本と韓国の決勝トーナメント進出は、歴史的で喜ばしいことです。特に中田英寿選手の冷静さには感心しましたし、韓国朴選手のゴールもすばらしいものでした。他方でNHKニュースの報道ぶりには、五十嵐仁さん「呟記」も書いていますが、辟易しています。この日、サラリーマン医療費の窓口3割負担が決まり、政府税調の増税答申もありました。瀋陽日本領事館亡命事件での外務省の責任も防衛庁情報請求者リスト問題も福田官房長官核保有合憲発言も有事立法も鈴木宗男逮捕近しもなかったかのように浮かれて、小泉首相の会見はW杯の「よかったねえ、じーんと涙出て」の一言のみ。「ニッポン」コールと日の丸だけは、一日中繰り返されました。この日昼、私は、30年来探してきた資料とご対面しました。本HP情報収集センター特別研究室「尋ね人」で長く情報提供を訴え、この3月には「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)を発表して活字でも探索してきた『伯林週報』現物に、ついに出会うことができました。

 前日夜にいただいたビッグニュースのメールは、専修大学の新井勝紘教授(日本近代史)から。本HPの『伯林週報』カバーの写真に記憶があり、『INTELLIGENCE』も読んで、自分がかつて国立歴史民俗博物館に勤めていた時に古書店から購入し所蔵しているものの一つではないかと思って探していたら、ついに見つかった、というもの。自由民権運動家のアメリカ亡命を追いかけてきた歴史学者ならではの直観で購入・保存していらしたもので、1931年第7号・第8号の現物がみつかりました。さらに、新井教授は、『中管時報』という1931-32年当時の在独日本人社会を知る一級資料をも同時に発見して貸して頂き、私はテレビを横目で睨みながら、その解読に没頭しました。とにかく1972年ドイツ留学時に『革命的アジア』というナチスに反対し日本の満州侵略に抗議するドイツ語雑誌を発掘して以来の貴重な第一次資料発見で、テレビのサポーターの皆さんに負けないくらいの学問的熱狂状態です。今回現物を提供してくれた新井教授、4月に蛯原八郎『海外邦字新聞雑誌史』中の写真を送って頂いた戦後三井物産ドイツ(ハンブルグ駐在員)のOさん、その前に手がかりを伝えてくれた蜷川虎三家の方々のほか、この間の皆様のご協力に、心から感謝致します。

 今回新井教授から見せて頂いた『伯林週報』『中管時報』については、取りあえず暫定目録を作りましたが、ちょうど6月5日から群馬県桐生市大川美術館「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」が始まり、『夜明け前』執筆期の父島崎藤村に反抗し国崎定洞千田是也らの「在独日本人反帝グループ」に飛び込み挫折した、孤独な画家島崎蓊助の心象世界遺稿「絵日記の伝説」から解読している最中でしたので、喜びもひとしおです。蓊助のセピア色の絵を視るさいの貴重な材料が加わったことになります。『伯林週報』は、鈴木東民、与謝野譲、安達鶴太郎、白井晟一らが編集に関わったと思われる1928-34年当時の在独日本人相手の日本語新聞です。今回の現物発見で、蛯原『海外邦字新聞雑誌史』では写真が不鮮明でわからなかった『伯林週報』表紙カバーが読めて、当時の鈴木東民の住所や、発売元が有澤広巳自伝『学問と思想と人間と』に向坂逸郎から紹介された「ベルリンの古本屋」として出てくるシュトライザント書店であることが、わかりました。鈴木と有澤は旧制二高・東大の同級生です。シュトライザントや日本郵船等の『伯林週報』に載せた広告が貴重です。たとえば当時の日本・ドイツ間の船賃や日本食レストランの所在がわかります。国崎定洞のドイツ人妻フリーダ・レートリヒさんが「独逸語会話出張教授 Frieda Redlich」という広告を寄せており、東大医学部助教授を辞した後の国崎の住居や生計の一端がわかります。鈴木東民自身の文章と思われる「英雄身辺雑事」という記事は、権力掌握前のヒトラーの批評として重要なものです。『中管時報』は、1922年創立の在独日本人共同購入組合「中管NAKAKAN」のコマーシャル・ニュースですが、1935年発行の蛯原『海外邦字新聞雑誌史』もノーマークの貴重資料でした。この店を中心に在ベルリン日本人の独逸研究会が組織されており、その参考資料として「独逸共和国政治組織一覧」「独逸プロシヤ邦学校組織図解一覧」など当時を知る貴重なドキュメントが満載されています。ともかく全体が宝の山です。本HPの「国際歴史探偵」としての新しい巨大な成果で、これから本格的解明に入ります。

 前回あやかり出版物の氾濫に苦言を呈したネットロアの御本家、池田香代子さん=ダクラス・ラミスさんの『世界がもし100人の村だったら』が、6月17日(月)夜10時からNHK教育テレビ「ETV2002」でとりあげられます。こちらは本HPの市民外交センターIMAGINE! イマジン」内の『100人の地球村』を含むインターネット上での広がりをテレビが取り上げるもので、作者の池田香代子さん「新世紀にようこそ」池澤夏樹 さんが対談します。たまにはサッカーを離れて、シリアスに考え、同時に「癒し」てくれる番組を覗いてみては。「ササキことケンモツ=健物貞一」探索記に書いた健物貞一遺児アランさんは、カムチャッカ半島に存命中の実母=貞一夫人リ・ボビャさんに会いに行きましたが、89歳のボヒャさんが重病になり、貞一の写真以上の聞き取りは、できないでいるようです。2歳で生き別れとなった息子にようやく会えて、気がゆるんだのでしょうか。一日も早い恢復と健物貞一についての証言を期待します。図書館「書評の部屋」に、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」5月14日号の川上武編著『戦後日本病人史』(農文協)アーチ・ゲッティ、オレグ・V・ナウーモフ編『ソ連極秘資料集 大粛清への道』(大月書店)に続いて、同誌6月11日号掲載の松尾尊よし『戦後日本の出発』(岩波書店)田中秀臣『沈黙と抵抗 ある知識人の生涯 評伝・住谷悦二』(藤原書店)の書評をアップ。本年1月の中国での国際シンポジウム参加記が、『社会体制と法』誌第3号(2002年5月)に「現代世界の社会主義と民主主義──北京大学国際シンポジウムから見えたもの」として公刊されましたが、こちらは近く公刊されるシンポジウム報告とセットで、次回更新以降に政治学研究室に収録します。拙著『20世紀を超えて』(花伝社序論「カルチャーとしての社会主義」、5月発売の国際シンポジウム記録『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)のほか、「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)、ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)等と共に、ご笑覧を!


ワールドカップ中も「地球村有事」は続く、核保有でも有事立法でもなく、平和のための市民外交は「IMAGINE! イマジン」から!

2002/6/1  「世間」はワールドカップ一色です。ソウルでの緒戦はセネガルが前回優勝フランスにスピード勝ちの番狂わせ、予測不能な21世紀にぴったりです。せめてワールドカップ中でも、イスラエルとパレスチナインドとパキスタンが休戦してくれればいいのですが、インドパキスタンも核反撃も辞せずという姿勢で、緊張は続いています。日本は本来宗教紛争に中立を保ってきた経緯もあり、アジアのこうした紛争調停に役割を果たすべき大国だったのですが、外務省はあの体たらくで、防衛庁は情報公開を求めた市民のブラックリスト を作る戦前憲兵隊を髣髴させる時代錯誤、それなのに小泉内閣は、敵軍上陸を想定した「三矢作戦」風有事法制政府に甘くメディアとネチズンを取締る個人情報保護法をごり押しするだけ、ムーディーズの日本国債格付けも、ついに南アフリカ、ギリシャ、イスラエルなみまで下がって、外交イニシアティヴなど期待できそうもありません。できるのはせいぜい「ムネオ」疑惑追及ぐらいでしょうから、と思っていたら、なんと安倍官房副長官・福田官房長官の相次ぐ核保有発言。よりによって印パ紛争の真っ最中に! ワールドカップ中も、本HPの市民外交センターIMAGINE! イマジン」(ほぼ毎日更新)は、休むことはできないようです。 

 ワールドカップ開会式での金大中大統領の挨拶は、「国際社会 (International Society)」ではなく「地球村(Global Village)」と言っていました。そう、例の『100人の地球村』、韓国語版も出ているとか。でもちょっと本屋を覗いて、あきれてしまいました。池田香代子さん=ダクラス・ラミスさんの御本家『世界がもし100人の村だったら』のまわりに、日本語初訳者である中野裕弓さん『100人の村 争わないコミュニケーション』(講談社)ぐらいは許せるにしても、かつて紹介した吉田浩『日本人100人村の仲間たち』(日本文芸社)から古川千勝『100人の村は楽園だった』(さんが出版)水野かおる『日本が100人の村だったら』太田典生『100人のすぐ使える成功術』まで、あやかり出版がいっぱいです。私が本欄で時間軸を入れ、「100年の地球村」「100年の日本村」を提唱したためではないようですが、リチャード・マクドナルド著『世界がもし100年の物語だったら』(夏目書房)にいたるまで、あやかりだらけです。これは、何を意味するのでしょうか? さしあたりは活字出版界の深刻な不況と企画の貧困です。ベストセラーに安易になぞらえれば売れるだろうという、底の浅さが見え透いています。第一、『世界がもし100人の村だったら』自体、もともと昨年9.11以降にインターネット上で広がったネットロアの活字板です。そういえば、いま書店に積んであるチョムスキーサイード坂本龍一も、もともと出自はインターネットでしたね。

 私も昨年秋、9.11直前に『20世紀を超えて──再審される社会主義』花伝社)という論文集を出しました。そのさい出版社からの注文は、ホームページで読める論文だけでは困るから、せめて序論だけでも書き下ろしにしてくれというもの。私は自分の本の読者層とホームページのリピーターは違うから、先にネットに出したかどうかは売れ行きに余り関係ないし、むしろ相乗効果があるはずだと主張したうえで、やむなく注文に従いました。しかし出版後半年もすれば、宣伝力の弱い小出版社の本は、店頭からは消えてしまいます。そこで改めて版元の花伝社に、書き下ろしの序論「カルチャーとしての社会主義──資本主義と民主主義のはざまで」を本HPに掲載することを申し入れました。4月からの大学院講義「アントニオ・グラムシを読む」をテーマにしたこともあり、他の資料と共にリンクできないと、不便でもあるからです。版元も今度は折れてきました。むしろ在庫を減らすため、どんどん宣伝してくれとのこと。そこで本HP政治学研究に改めて収録し、宣伝いたします。『20世紀を超えて序論「カルチャーとしての社会主義」をまずは読んでいただいて、書物のかたちでもという方は、版元花伝社の方に直接ご連絡を、と。

 前回トップでお知らせした群馬県桐生市大川美術館での「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」は、いよいよ6月5日から始まります。1970年ドイツのハンブルグ近郊アルトナの情景を描いたセピア色の絵を中心に、強烈に個性的な展示です。実はこの「描かざる画家」は、30年以上に渡り、164冊の「創作ノート」を残しています。美と表現の本質を哲学的に探求し続け、「視ること」「色」にこだわった画家の、希有な思想的格闘の記録です。「ノート」に頻繁に登場する概念は、「視るということ」「虚と実」「生と死」「瞑想」「無」「絶望」等の実存的で現象学的なそれです。理論的には、メルロ・ポンティ、サルトル、フッサール、日本人では小林秀雄、唐木順三、森有正、晩年には山口昌男、山之内靖などを繰り返しとりあげます。芸術家では、アルベルト・ジャコメッティ、セザンヌ、ゴッホ、カンディンスキ、世阿弥、芭蕉、佐伯祐三等々の芸術と人生を探求し、禅の境地が模索されます。1970年のアルトナ滞在自体が、自分の1929-33年ドイツ遊学の追体験であると共に、サルトル「アルトナの幽閉者」の実存的感覚=「孤独」の美学的体験でした。そこで「視ること」「描くこと」「色」の問題につきあたり、その「眼窩の世界」セピア色へと結実します。その「眼窩の世界」の発見が、同題での自叙伝執筆につながり、1977年に遺稿「絵日記の伝説」へと集約されました。その遺稿は今、ご遺族と私の手で、出版が準備されています。憂鬱なセピア色の秘密は、そこから深く理解できるでしょう。まずは群馬県桐生市大川美術館を訪れて、『夜明け前』執筆期の父島崎藤村に反抗し国崎定洞千田是也らの「在独日本人反帝グループ」に飛び込み挫折した、孤独な画家島崎蓊助の心象世界を、現物でじっくりご鑑賞ください。

 前回特集した「ササキことケンモツ=健物貞一」探索記は、増補して現代史研究室へ。遺児アランさんから、5月に日本から帰国後、カムチャッカ半島に存命中の実母=貞一夫人リ・ボビャさん(1913年生)から入手したと思われる1935年前後モスクワでの貞一の鮮明な写真が届いており、近く新たな健物貞一情報が入ることが期待されます。5月発売の国際シンポジウム記録『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)のほか、図書館「書評の部屋」連載「歴史書の棚」には、『エコノミスト』5月14日号の川上武編著『戦後日本病人史』(農文協)アーチ・ゲッティ、オレグ・V・ナウーモフ編『ソ連極秘資料集 大粛清への道』(大月書店)が収録されました。「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)、ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)等の論文もご笑覧を!


日本外交がおちこんだセピア色の迷宮、いまこそウェブ市民外交で「国際社会において名誉ある地位」を!

2002/5/15  「ゼピア」という色があります。広辞苑CD版でひくと、「【sepia】有機性顔料の一。イカの墨汁嚢中の黒褐色の液を乾かしてアルカリ液に溶解し、希塩酸で沈殿させて製する。水彩画に用いる。黒褐色」と出てきます。でもGoogleで調べると、「セピア色の昭和」とか「セピア色写真館」とか「あの頃のセピア色の想い出」など「懐旧」のイメージと結びついているようです。最近の歴史学が注目する「記憶」「物語」の世界にぴったりですね。では、右の油絵はいかがでしょうか? 何やら「懐かしさ」では済まない、重い記憶や物語が一杯詰まったセピアのようですね。6月5日から、あの9.11を予見したかのようなゲオルギ・グロスの絵を所蔵する、群馬県桐生市の大川美術館で、「幻の描かざる画家 島崎蓊助遺作展」が始まります。セピア色の絵は、そこに出品される一つ。1970年ドイツのハンブルグ近郊アルトナの情景を描いたもの。そこにはかつてプロレタリア漫画を志した青春も、偉大な父島崎藤村との葛藤も、現地で体験したヒトラー政権成立時の抵抗も、中国戦線で目撃した日本陸軍の末路も、自ら「描かざる画家」と称した戦後の長い苦悩も、つまっているのです。遺作展は9月末までですから、ぜひこの夏、おいでください。

 同じセピア色でも、左の男女の写真は、「懐かしさ」の世界か?  実はこの二人、夫婦でした。1932-38年の短いあいだ、それも二人とも祖国を離れ旧ソ連邦で。白皙の男性は、日本人健物貞一。1923年、早稲田大学を卒業して、アメリカの大学に進学するため渡航する時の写真です。実際に渡ってみると、アメリカ西海岸での学費稼ぎの仕事は、アジア人差別の低賃金労働ばかり。早稲田で建設者同盟に関わり人一倍正義感の強かった青年は、日本人・中国人・朝鮮人・メキシコ人労働者を組織した移民労働運動に加わります。岡山出身のため、アメリカで活躍した同郷の先輩になぞらえて「第二の片山潜」とよばれました。1925年に日本人労働協会を結成、26年『階級戦』を創刊、29年に逮捕され、31年末に国外追放されソ連へ。当時アメリカからソ連に亡命した17人の日本人(いわゆる「アメ亡組」)のリーダーです。他方の秀麗な女性は、朝鮮人で本名リ・ボビャ。コミンテルンの指令で1923年に20歳でソ連に入り解放運動に従事、朝鮮語・ロシア語のほか日本語・英語もできた才媛です。ソ連ではシェ・オクスンと名乗り、ササキと変名し海員組合で活動していた健物貞一とウラジオストックで知り合い結婚、コミンテルン日本共産党代表片山潜(33年没)によばれてモスクワに移り、35年長男アラン、37年長女ジェニーを得ました。しかし、幸せな生活もつかのま、38年4月15日、「日本のスパイ」の汚名で逮捕され、健物はラーゲリへ、1942年9月8日に強制収容所で死亡しています。リ夫人も逮捕されて、一家は生き別れ、ジェニーはまもなく死亡、アランは孤児院に送られて、自分は日本人の子どもらしいということしかわからずに、60年以上を過ごしました。アラン・ササキさんが娘リュドミラさんのすすめで自分のルーツ探しを始めたのが6年前、昨年のちょうど今頃、モスクワ在住の似たような境遇のミハイル・スドーさん(須藤政尾遺児)の紹介で本ホームページで探索、岡山県在住の親族と結びつきました。そして1年後のこの連休、アランさん・リュドミラさん親娘が岡山健物家の招待で来日、ご親族と水入らずの日本訪問・墓参を果たしました。アランさんの初めての外国が、父の祖国日本で、67歳になっていました。その来日直前に判明し、おみやげに持ってきたのが、なんと実母リ・ボビャさんがカムチャッカに存命中で、日本から帰国後5月末には「瞼の母」とも会えることになった、という奇跡的ニュース。写真のリさんは、戦後に朝鮮人の夫と再婚した1958年45歳の時のもの、現在89歳です。アランさんにはカムチャッカに父違いの妹たちもいることが判明、65年ぶりで自分のアイデンティティを取り戻しました。長い長い旅でした。本HPは、インターネットによる市民外交を通じてそのお手伝いができたことを、大きな誇りとします。この1年の、健物貞一に関する皆様の情報提供・資料探索・ロシア語翻訳等のご援助に、健物家の皆様と共に、厚く御礼申し上げます。

 65年ぶりで並んだセピア色の健物貞一夫妻を掲げたのには、わけがあります。あの世界を驚かせた中国瀋陽の日本領事館亡命事件、あの母をつかまえる武装警官のそばで泣きじゃくっていた女の子は、どうなるのでしょうか? あの警官に帽子を拾ってやる副領事の感性は、日本外務省全体の象徴ではないでしょうか? 健物貞一遺児アランさんの訪日にあたって、日本の健物家は、親族と名乗り出たアランさんを日本に招待する計画を半年以上前にたてて、私が相談に乗ってきました。ロシア語・日本語の招待状もその頃発送しました。ところがアランさんがモスクワの日本領事館にヴィザを申請し、日本側は受入準備を整えたのに、なかなか返事が来ません。もちろんアランさんは、日本人の顔かたちをしていますが、ロシア語しか話せません。思いあまって、ちょうど春休みでモスクワに調査に入った日本人大学院生に調べてもらったところ、領事館にはヴィザ申請受付用の日本語マニャアルがあり、私たちが私的に作った招待状では、招待者の実印・印鑑証明書がないなど、日本側申請規格に合わないことがわかりました。その説明が、申請者であるアランさんに、伝わっていなかったのです。もっとも印鑑証明書なんて、外国人にわかりっこありませんが

 あわてて戸籍謄本・印鑑証明や実印招待状を揃えて出し直したところで、今度は理不尽な難問がつきつけられました。招待者の健物家は、アランさんとの親族関係を確認し、墓参させるため招待しました。アランさんの方は、6年前に粛清犠牲者遺児としてようやく入手したロシア内務省の父健物貞一の粛清記録やラーゲリでの死亡証明書を持っています。ところが日本の戸籍では、健物貞一の死亡届は、行方不明になって30年後の1962年に、永年消息を求めてきたご遺族が、あきらめて出しています。当然ロシア側の1942年死亡証明書とは、大きく食い違います。だからこそ、来日するのです。それなのに、外務省がアランさんに要求したのは、公的な「親族証明書」でした。本来日本人健物貞一の保護を1923年以来80年間も放置したためにおこった悲劇であるのに、その後始末を、ようやく日本に親族らしい相手をみつけた孤児院育ちのロシア人に、要求するのです。渡航予定の1か月前で、やむなく私が、いつもは使わない国立大学教員や法学博士の肩書きを使って、分厚い「アラン・ササキ氏が健物貞一の子であると推定される理由書」を作り、実印を押してモスクワにファクスし、ようやくヴィザ申請は受理されました。すべて、領事館用日本語内部マニュアルにそった官僚的手続きで、人権とか異国で無念の死を遂げた日本人の遺児への配慮など、みじんも感じられませんでした。幸い、何とか予定通りに来日したアランさん親娘を迎えた岡山健物家の心暖まるもてなしで、父・祖父の国についてのイメージを、挽回することができましたが。あの北朝鮮亡命者の幼子に、アランさんのような辛い人生は、送らせたくはありません。外務省は、国家威信のためにあるのではありません。国民の安全と保護のためのものです。「専制と隷従、圧迫と偏狭を地 上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」ならば、あの副領事がまずなさなければならなかったのは、幼子を守り、母親と共に保護することだったはずです。外務省の腐敗・堕落は、あの島崎蓊助セピア色の絵のドアの向こう側のように、底が知れません。

 でも、国家を代表しての外交官による外交独占という発想自体が、セピア色かもしれません。NHKの注目企画「変革の世紀」の第一回も、「国家を超える市民パワー──国際政治に挑むNGO」でした。私たちネチズン自身が、すでにインターネットを通しての外交手段を持っているのです。先日、感動的な出会いがありました。英語ページGlobal Netizen College及びGlobal IMAGINEで、昨年9.11以来リンクしている在日外国人の英語平和サイトTokyo Progressiveの主宰者Paul Arensonさんが、私の勤務先で英語の非常勤講師をつとめていることがわかり、メールで連絡をとりあって、初めてのご対面(オフ会)をしました。メールは英語でしたが、ポールさんは在日20年以上、流ちょうな日本語ですっかりうちとけて、ジョーン・バエズからチョムスキーの話まで意気投合、これからも反戦平和のサイトとしてネットで提携していこうと、誓いあいました。ポールさんからは彼らの活字新聞「THE JAPAN OBSERVER: Japan's Alternative Monthly」をもらい、私からは発売されたばかりの国際シンポジウム記録『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)の英語版をプレゼント。もちろん日本語「IMAGINE! イマジン」でも、恒常的にリンクすることにしました。これって、立派な日米市民外交では? ホームページを持つネチズンの皆さん、あんな頼りにならない外務省の出先機関よりも、私たちの一人一人が日本外交の最前線を担う気概をもって、下手でもいいから英語ページをつくり、世界のネチズンと結びつきましょう!

図書館「書評の部屋」の連載「歴史書の棚」は、4月の都留重人『いくつもの岐路を回顧して』(岩波書店)と川上徹『アカ』(筑摩書房)に続いて、『エコノミスト』5月14日号は、川上武編著『戦後日本病人史』(農文協)アーチ・ゲッティ、オレグ・V・ナウーモフ編『ソ連極秘資料集 大粛清への道』(大月書店)。論文の方は、「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)、ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)をどうぞ!


日本国憲法は賞味期限切れ? 「プディングの味は食べてみなければわからない」のでは!

2002/5/1  この国の時間的清涼剤、ゴールデンウィークです。かつてはこの時期に自動車組み立てライン変更など大型生産設備の更新をする会社があったものですが、「失われた十年」で設備投資も冷え込み、ほんもののリラックス時間になってきたようです。本日のメーデーも、その歴史的起源や「メーデー事件」を記憶して加わる人は、どのくらいいるのでしょうか? 連合は、「大型連休がつぶれる」という組合員の声を受けて、来年から4月28日に変更するそうです。でも4月28日は、サンフランシスコ講和条約発効50周年でした。その第3条で「北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、南方諸島(小笠原群島、西ノ島及び火山列島を含む)」を「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」こととし、アメリカは「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」と規定され、沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」として、1960年に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成、本土では「沖縄を返せ」が歌われてきた日です。日本のローカル政党の元祖、沖縄社会大衆党のホームページには、「沖縄戦後政治史と沖縄社会大衆党」 という充実したデータベースが収録されています。せっかく定着した「ゆとり」の時間、記憶を取り戻して「いま」とつなぎ、未来を見通すために考える機会にしたいものです。

 政府と市民のあいだでも、「20世紀の記憶」の奪い合いが始まっています。政府与党内で高まっているのが、4月29日が「みどりの日」ではアースデーかなんかと間違われるから「昭和の日」に変更しようという話。つまり「昭和天皇誕生日」であったことを明示しようという試みです。「みどりの日」は5月4日に移して世論をなだめる方策も織り込み済み。そんならついでに4月30日図書館記念日、5月1日メーデー、2日エンピツ記念日も一緒に祝日にすればいいのに。解せないのは、与党公明党の態度。かつては日本国憲法第9条を党是とし、絶対平和主義の宗教政党として政党政治に登場してきたのに、いまでは「昭和の日」推進はもとより、小泉首相の靖国神社参拝を中国政府に弁明する役回り。「与党」というプディングは、そんなに旨味のあるものなのでしょうか? 小泉内閣のいまを占う新潟・和歌山衆院補選、徳島知事選は、和歌山をのぞいて野党の勝利、全敗なら山崎自民党幹事長退陣のはずだったのですが、女性スキャンダルは先送り。ここでも公明党は「与党」にしがみつくのでしょうか? 選挙向け「小泉人気」など、すっかり賞味期限切れなのに。ワールドカップ前にムネオ問題を片づけなければならず、連休明けにもう一波乱ありそうです。

 5月3日は憲法記念日、こちらの賞味期限はいかがでしょうか? 世論調査結果は、護憲派に深刻です。最近発表されたNHKの10年ぶりの調査では、10年前の憲法改正の「必要あり」35%対「必要なし」42%が、今回58%対23%へと逆転しました。読売新聞の衆議院議員調査でも、7割以上(つまり発議権を持つ国会の3分の2以上)が改憲の必要を述べています。NHKの改憲「必要あり」の理由は、8割が「時代が変わり対応できない」、でもこれは、ちゃんと日本国憲法を味わった上での判断でしょうか? たしかに6割以上が求める首相公選制や拘束力ある国民投票制度は憲法問題ですが、9条改正を求める声は少数派です(NHKで9条改正賛成30%反対52%)。日経新聞や読売新聞の調査では環境問題、地方自治、情報公開などの「新たな権利」要求が強いのですが、これらは現行憲法の平和的生存権・基本的人権・自由権の延長上でも、十分実現可能なものです。それでも「時代が変わり対応できない」というのは、自分たち自身の手で憲法をつくりたい、憲法の明文に要求を書き込みたいという、善意の積極的姿勢かもしれません。私はそういう姿勢は、市民の民主主義の定着として、積極的に評価します。にもかかわらず私は「プディングの味は食べてみなければわからない(The proof of pudding is in the eating)」という古人の教えを、敢えて想起します。日本国憲法は、本当に味わい尽くされたでしょうか、食わず嫌いではなかったでしょうか? 前菜の「前文」もしっかり味わいましたか? 第9条と一緒に食べた付け合わせが悪かったんじゃないですか、と。なぜなら私の海外での経験からいうと、日本の教科書の国民主権・基本的人権・戦争放棄など日本国憲法の原理的内容を知っている人は、学者の世界でさえ(日本研究者以外では)ほとんどいません。平和的生存権や戦争放棄・戦力不保持などを説明して驚かれることこそあれ、反対する人はほとんどいません。むしろ最近になって、オハイオ大学C.M.オーバービー教授「日本国憲法を地球憲法にしてノーベル平和賞を」の主張とか、1999年ハーグの国際平和市民会議で「日本国憲法第9条が定めているように、世界諸国の議会は、政府の行為によって戦争が起こることを禁止する決議を採択すべきである」(ハーグ平和アピール)と評価されたりして、それこそ憲法の枠内で可能な「平和省」の設置のような提唱が出されているのです。インターネット上でも、「The Article 9 Society」とか「第9条の会、オーバー東京」とか、こうした主張がみられますね。

 昨年9.11事件の後、世界的に最もふりかえられ注目された20世紀の思想は、レーニンでもウィルソンでもなく、サルトルでもゴルバチョフでもなく、マハトマ・ガンジーマーティン・ルーサー・キング牧師でした。「We, the Japanese people, desire peace for all time and deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world」を虚心坦懐に英語で味わってみましょう。日本国憲法は、日本では食べ飽きて賞味期限切れにされそうですが、世界のシェフたちには新鮮で、料理しがいのある、新しい食材になりつつあるのです。おまけに日本では、さらに付け合わせの悪い有事法制とか言論規制3法とかが調理されていて、食あたりをおこしそうです。しかし、まだ憲法を持てず、戦火の続くパレスチナの人々から見れば、「Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.」という憲法を持つ人々は、どんなに幸せに見えるでしょうか? 逆に、ナチスのホロコーストによる犠牲で得た地球的同情・道義を、自らのパレスチナ民衆に対するホロコーストで失いつつあるイスラエルは、日本の外務省HPではよくわかりませんが、アメリカCIAホームページに入ると、「正式の憲法なし(no formal constitution)」の国であることがわかります。池澤直樹さん「戦車が町にやってくる」 によると、イスラエルは、「アラブ系の国民の権利を明記したくないというので憲法も持たない国、今もできることなら軍事力で領土を広げたいと考えている国」なそうです。「IMAGINE! イマジンで提携する英和リンク集の在米大山めぐみさんからの最新メールによると、「アメリカでは、反イスラエル的な運動は、完全に黙殺されているようですが、日本は、アメリカに比べて、パレスチナよりの外交政策をとってきたはずですが、今は完全にアメリカ追随になって、中東政策もパレスチナからイスラエルに寄ってきているんでしょうか。アメリカ人と、アフガニスタンの問題について話すとき、一番気を使ったのは、その人の身内に9-11の被害者がいないかどうかということでした。今は、その人がユダヤ人かどうかということをチェックしてからじゃないと、中東問題について話せなくなりました」とのことです。憲法を持たない国憲法を持てない国のあいだに立って、私たちは、どのような憲法で世界と対話し、役割を果たしうるのでしょうか?

 4月14日夜のNHKスペシャル「変革の世紀:国家を超える市民パワー──国際政治に挑むNGO」をごらんになった方も多いでしょう。国家ではなく市民が地球的ルールを創るという話で、「IMAGINE! イマジンでおなじみの「世界社会フォーラム」(ポルトアレグレ)やATTACも出てきましたね。池田香代子ダグラス・ラミスさん『世界がもし100人の村だったら』に時間の流れを加味して、前回「100年の日本村」「100年の地球村」をつくり、人口ピラミッドでいうと、「日本村」は、戦前の「富士山型」から現在の「釣り鐘型」へ半世紀で急速に移行し、「地球村」は100億人へと日本が20世紀に経験した急速な膨張を続けていくのに、その中で「日本村」は1億人へと収縮し、半世紀後の2050年には世界16位と推計される「壺型」超少子高齢社会になろうとしている、と警告しました。この確実にやってくる長期的趨勢からいうと、地球社会に対する日本の貢献とは、「壺型」社会になっても安心・安全にいきがいを得られる、平和的高度福祉公共社会を創造する人類未踏の実験に、今から取り組むことです。その時案外、賞味期限切れかと思った日本国憲法が、輝いてくるかもしれません。少なくとも有事立法とか言論統制で「普通の大国」になるよりも、安全確実でインパクトのある国際貢献です。少子高齢化がらみで、その核心を見いだすとすれば、それは、世界に先駆けた「男女平等参画先進社会」を創ることです。幸い現行憲法には、若きアメリカ女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんがアメリカ憲法にもないのに書き込んだ、男女平等条項があります。20世紀にこの面で超後進国であった日本が、2世代かけて本格的平等社会の実例を創造できれば、それは、地球に生きる半数以上の人々に、巨大な励ましと感銘を与えるでしょう。

 同僚渡辺雅男教授と共に企画・編集した国際シンポジウムの記録が、『20世紀の夢と現実──戦争・文明・福祉』(彩流社)という立派な本になりました。安丸良夫さん、アシス・ナンディ教授の「20世紀とはなんであったか」をはじめ、豪華なメンバーの刺激的報告が収録されています。ホブズボームはもちろんのこと、石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社)とも私の『20世紀を超えて──再審される社会主義』(花伝社)とも異なる20世紀論が展開されていますから、ぜひ手にとってみてください。「ゆとり」を楽しみたい方は、「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)、ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年、ネチズン・カレッジ版)等で知的連休を! 図書館「書評の部屋」の連載「歴史書の棚」は、都留重人『いくつもの岐路を回顧して』(岩波書店)と川上徹『アカ』(筑摩書房)をアップし、『エコノミスト』5月14日号(5月2日発売)では、連休用に、川上武編著『戦後日本病人史』(農文協)アーチ・ゲッティ、オレグ・V・ナウーモフ編『ソ連極秘資料集 大粛清への道』(大月書店)という分厚い大著を紹介しています。私自身の連休は、「現代史の謎解き」がらみで、島崎藤村3男「島崎蓊助遺作展」が、あの9.11を予見したようなゲオルギ・グロスの絵を所蔵する群馬県桐生市の大川美術館で6月5日から始まりますので、その準備と、健物貞一竹久夢二の謎を探求する岡山現地調査です。皆様のびのびと、すがすがしい休日をおすごしください!


自爆と報復の悪循環のなかで「100の地球村」「100年の日本村」を考え、「変革の世紀」への手がかりを! 

2002/4/15  本HP更新作業中に到着したJMM(Japan Mail Media)の冷泉彰彦さん「from 911/USAレポート」最新版「次の季節に」に、印象的な一節が引かれています。曰く、「自爆は避けられぬ死をいさぎよく飾ることであり、憤怒の感情を解放することである」と。イスラエルとパレスチナを見て、なるほどと頷いていてはいけません。この冷泉さんの引用、実は大岡昇平『レイテ戦記』からです。60年ほど前の日本には、国家から強制された「自爆」=国家テロがあったのです。その頃地球には、イスラエルという国家はありませんでした。「世界の警察官」アメリカは、パウエル国務長官を調停に派遣しましたが、停戦させることはできません。9.11と同じ、自爆テロと報復攻撃の悪循環が、凝縮して再現されています。エドワード・サイードがカイロの『Al-Ahram Weekly Online』に寄せた緊急論考「Thinking ahead」は、早速中野真紀子さんHP『RUR55』「この先を考える」として翻訳され、その原文の一節 "we are a people and a society"の訳語をめぐって、吉田悟郎さん「ブナ林便り」が、板垣雄三さんと訳者中野さんと私加藤に質問しての「民族」と「人民」をめぐる歴史的熟考を、特集しています。もっとも、パレスチナが話題にのぼるのは、インターネット上ばかり。日本のマス・メディアの関心は、アフガン復興会議以降、とっくに戦争終結モードです。ワイドショーの焦点は、次々と現れる議員秘書疑惑の方に移り、パレスチナ問題になると途端に視聴率が下がるとか。日本の政治は、現実政治、ワイドショー政治、ネット政治の3層構造のようです。確かに秘書問題も官房機密費問題も重要です。「公金私消」の典型ですから。みずほ銀行の発足時トラブルを、銀行首脳が事前に知っていて見切り発車した件も、この国の金融行政が経営者の個人責任を問わずに問題を先送りしてきたツケです。21世紀に入ったというのに、20世紀の後始末でおおわらわ。もっとも後始末の延長上で、アメリカと一緒に「有事」に供える準備だけは、有事法制言論規制3法と、着々と進んでいますが。

 皆さん、14日夜のNHKスペシャル「変革の世紀:国家を超える市民パワー──国際政治に挑むNGO」をごらんになりましたか? 本HPでおなじみの「世界社会フォーラム」(ポルトアレグロ)やATTACも出てきましたね。池田香代子ダグラス・ラミスさん『世界がもし100人の村だったら』が、120万部近いベストセラーで、韓国版・台湾版も準備されているとのこと、喜ばしいことです。二匹目のドジョウを狙ったあやかり版、吉田浩『日本村100人の仲間たち』も結構な売れ行きとか。インターネット世界が活字出版世界を動かし始めた兆候ですが、この伝では『100人の東京村』とか『100人の○○業界、△△大学、XX社』とかが、出回りそうですね。日本経済伝来の「起業よりも市場シェア拡大競争」ともフィットしてますから。でも、『100人の地球村』が、ネット上で広まった理由を、もう一度ふり返ってみましょう。昨年9月末から10月ですね。つまり「セプテンバー・イレブンス」のもたらした歴史的衝撃・憤怒・不安があったからこそ、「ネットロア」として広まったわけです。ただ現在の統計を100人村に収縮してみるだけならば、イミダス・知恵蔵の類や世界国勢図会など、いくらでもありますね。そこでは何かが欠けています。時間の流れです。「いま」は切り取れますが、「どこから、どこへ?」はみえないのです。イスラエルはどこからきたか、「すべての富のうち、6人が59%を持っていて、みんなアメリカ人です」という地球村がどうして生まれたか、「お年寄りがたくさんいる」日本村がこれからどうなるかは、「100の地球村・日本村」からはみえないのです。

 そこで、人口統計の動員。2000年国勢調査の結果は、総務庁HPで見ることができます。国連など世界統計も、一部は入手できます。しかし「時間」を入れて見るには、国立社会保障・人口問題研究所将来推計の方が厳密です。世界の方は、アメリカ政府統計局の国際データベースが有用です。これらを探索して、「100の日本村」「100の地球村」を作ってみました。すると、おそろしいことがみえてきました。『日本村100人の仲間たち』には、現在の人口を100人とすると、縄文時代は限りなく0人、奈良時代5人、江戸時代10人、明治時代30人とありました。「日本村」は、20世紀に急速に密度が高くなり、65歳以上が現在18人、15年後25人、45年後32人とどんどん高齢化していくのです。総務庁の「2000年10月1日国勢調査結果」では、日本の総人口は1億2692万5843人でした。世界60億の第9位で2.1%です。江戸後期の3000万、明治5年の3500万、昭和10年の7000万から戦後飛躍的に膨張してきました。ところがこれは、2006年が1億2774万でピークになって以降、今度は減少に向かいます。2050年には1億人で、現在の東京・千葉・神奈川分の人口が失われると推計されています。なぜでしょうか? 1970代までは、いわゆる「合計特殊出生率」が、夫婦からこどもが生まれて社会全体の人口を維持できる人口置換水準=2.08以上に維持されていましたが、それが徐々に減少して、1999年には1.34まで落ちこみました。いわゆる少子化です。厚生労働省の「2000年完全生命表」によると、現在平均寿命は男77.72歳、女84.60歳(1947年=男50.6歳、女53.96歳、1975年=男71.23歳、女76.89歳から急伸!)、全死亡者数の年齢別ピークは男84歳(3713人)、女90歳(4478人)まで高齢化(65歳)が進んでおり、これから後期老齢化(75歳以上)へ進みます。これらの歴史的効果を、より正確に、国立社会保障・人口問題研究所の時間軸を加えた推計(中位)で見ると、下の表のようになります。

2000年

2050年

こども(0-14歳)

1851万人・14.6%

2016年=1600万人

1084万人・10.8% 

おとな(15-64歳)

8638万人・68.1%

2030年=7000万人

5389万人・53.6%

おとしより(65歳以上)

2200万人・17.4% 

2018年=3417万人

3586万人・35.7%

従属人口指数

26%(4人で1人扶養)

2030年50%(2人で)

67%(1.5人で1人)

 これは、おそろしい数字です。いわゆる人口ピラミッドでいうと、「日本村」は、戦前の富士山型から現在の釣り鐘型へ半世紀で急速に移行してきましたが、これからさらに急速に、人類未踏の壺型へと移ろうとしているのです。「地球村」の方は、2000年前にようやく現在の「日本村」水準の1億数千万、紀元1000年でも2億5千万(現在のアメリカ程度)、1900年に15億になりましたが、その後急速に膨張し、1950年25億、2000年現在60億、2050年には90-100億人へと推計されています。つまり、「地球村」は日本が20世紀に経験した急速な膨張を続けていくのに、その中の「日本村」は収縮し、2050年には世界16位と推計される壺型1億人超高齢社会になろうとしています。その社会構成の変化の大きさは、20世紀後半の高度成長期に匹敵する、劇的なものとなるでしょう。そこから帰結する構造的問題群と歴史的課題は、小泉内閣の「構造改革」の課題認識とは正反対になりそうですが、その展開は次回以降にしましょう。とりあえずは、問題の深刻さを確認しておきましょう。

 ムネオやマキコのワイドショーを尻目に、こんな問題に首をつっこんだのは、このところ、「IMAGINE! イマジン関連で、9.11、有事立法、憲法問題がらみの講演が続いたため。はじめは「9.11以降日本のインターネット・デモクラシー」『データパル2002最新情報用語資料事典』)や「世界経済フォーラム(ダボス会議)か世界社会フォーラム(ポルトアレグレ)か」と問題提起してきたのですが、最近の「戦後民主主義」型護憲・平和運動の担い手たちは、だいぶ高齢化していて、インターネットやNGOと無縁の聴衆も少なくありません。ですから世界経済フォーラム世界社会フォーラムも知りません(吉田悟郎さんのような若々しい例外もありますが)。そこで、活字世界の水準に立ち戻って、ベストセラー『世界がもし100人の村だったら』をイントロに使って「グローバル化」を説明してから、21世紀の地球的選択肢に近づく技法を、講演・講義用にアレンジしてみました。ただしそれでは「時間の流れ」が入りにくいので、「100の地球村・日本村」を自分で再構成し、オーバーラップしてみた次第。その出来具合は、週刊金曜日「市民運動案内板」にも出ていますが、来週4月20日(土)、「第9条の会・オーバー東京」に招かれて、「『100人の地球村』に地球憲法を!──有事立法の対米貢献か、平和憲法の地球貢献か 」という講演を行いますので(午後1時半〜4時半、東京都・港勤労福祉会館、地下鉄三田駅徒歩1分、500円、連絡先03・5377・5885和田) 、興味のある方はぜひどうぞ。「現代史の謎解き」関連の「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」(『INTELLIGENCE』創刊号、紀伊國屋書店)に続いて、図書館「書評の部屋」の連載「歴史書の棚」に、都留重人『いくつもの岐路を回顧して』(岩波書店)と川上徹『アカ』(筑摩書房)をアップ。新学期恒例で、教育センターの講義・ゼミ案内を更新、今春ゼミ卒業生の学士論文図書館に収納。

 4月22日は、地球環境を考える「アースデー」で、世界各地でさまざまな催しが行われます。日本でもいろいろなイベントがありますが、4月21日(日)の第4回アソシエ21年次大会のテーマは「9.11テロとグローバリゼーション」、武者小路公秀さんらが報告する分科会のあと、ナンシー・フレイザー講演「9.11テロとアメリカ知識人」があります(午後1-6時、東京・中央大学市ヶ谷キャンパス)。4月27日(土)の「同時代史学会」創立大会シンポジウム「サンフランシスコ講和50周年を考える」(報告:豊下楢彦「安保条約の原点と現点」、浅井良夫「『日米経済協力』構想と経済自立」、午後1時、東京・立教大学太刀川記念会館)も面白そうですし、4月29日(月)の社会主義理論学会研究集会(報告:大江泰一郎「社会体制の変動と〈憲法〉」、後藤道夫「〈構造改革〉と開発主義国家」、午後1時―5時、東京・文京シビックセンター)も見逃せませんが、私自身の連休は、「現代史の謎解き」がらみで、健物貞一竹久夢二を探求する岡山現地調査にリザーブしてあります。全部は出られそうもありませんが、皆さんはぜひどうぞ。


新年度です、ワイドショー政治に踊らず、同時代の基本的流れを読んで、骨太の21世紀像と人生設計を!

 

2002/4/1  東京のサクラは前回更新直後に花開き、あっという間に散ってしまいましたが、情報収集センター の目玉「現代史の謎解き」で、またまた大きな成果です。ワイマール期在独日本人反帝グループの鈴木東民が創刊し、長く「尋ね人」欄に掲げてきた当時の在独日本人向け日本語新聞「幻のベルリン週報」が、とうとう現物の片鱗をあらわしました。右の写真は、昭和11(1936)年刊行の蛯原八郎『海外邦字新聞雑誌史』(学而書院)の一節「欧州編・ベルリン」のグラビアページ、戦前ベルリンで発行された『独逸月報』『独逸情報』誌とならんで、左上にうっすらと『伯林週報』というタイトルが読みとれます。拡大してみると「BERLIN SHUHO,No.37, 3(?). Jahrgang, 1 November 1930, Redaktion: T.SUZUKI」と読みとれます。本文の解説には、「昭和3年(1928年)2月25日、週刊『伯林週報』が鈴木東民によって創刊された。菊2倍判、石板刷の数枚を横綴にしたものであった。現在は安達鶴太郎によって継続刊行中とのことである」とあります。鈴木東民は敗戦直後の読売新聞論説委員長で有名な読売争議の指導者、安達鶴太郎は同じ頃時事通信政治部長で、当時のベストセラーである徳田球一・志賀義雄『獄中十八年』や野坂参三『亡命十六年』がなぜ時事通信社から出たかの鍵を握る人物です。実はこの情報、活字メディアを介して寄せられました。3月に紀伊国屋書店からINTELLIGENCEという雑誌が創刊されました。そこに私は、「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」という論説を寄稿しました。本HPを活用しての現代史研究の記録です。その創刊発売と同時に読んでくれた東京のOさんが、論文末尾に付した電子メールアドレスに、『伯林週報』のことが蛯原八郎『海外邦字新聞雑誌史』に出ているという情報を寄せてきて、コピーまで送ってくれたのです。その存在を知ってから、実に30年ぶりのご対面となりました。もっとも表紙の写真だけで、本文を読めるのはいつになるか、まだまだ旅は続きますが。Oさん、ありがとうございます!

 実はもう一つ、朗報がありました。昨年の5月に本HPでご親族を探し当てた旧ソ連粛清犠牲者「ササキことケンモツ=健物貞一」のロシア残留遺児アランさんが、日本のご親族の招待で来日準備を進めていますが、1937年、2歳の時に生き別れになった父健物貞一(写真、ラーゲリで1942年病死)の消息を日本から得たばかりでなく、なんと、同じく強制収容所に送られて行方不明だった実母(つまり貞一の妻)が、カムチャッカ半島に生存しているのを探し当て、67歳にして「瞼の母」とのご対面が実現することになりました。やはり社会主義にあこがれ旧ソ連に入った朝鮮人母シェ・オク・スンさんは、1913年生まれ、90歳近くです。カムチャッカといえば、シベリア抑留で知られるマガダン収容所の先の先。きっと苦難の人生だったのでしょう。すでにアメリカ日系移民史では、大恐慌期のカルフォルニアで「第二の片山潜」といわれアジア系労働運動指導者として知られた健物貞一ですが、70年前の旧ソ連亡命後の軌跡が、ようやく奇跡的に明らかになりつつあります。

 金融の「3月危機」は不良債権取り繕いでうやむやにされたまま、政治の世界では、1週間単位でのワイドショー政治の主役交代です。「マキコとムネオ」が「ムネオとキヨミ」になり、その「キヨミ」のウソが暴かれて議員辞職と思ったら、今度は「自民党のプリンス」だった人の公金私消です。おかげでYKKのもう一角、Y幹事長の女性と統一教会がらみの疑惑はかすんだかたち。朝鮮半島との外交を考えれば、これもきわめて重大な疑惑ですが。「キヨミ」政策秘書疑惑は、社民党の存亡に広がりそうですし、YKKの最後のKの党内パワーも低下して、クリーンなリーダーシップなど期待できそうもありません。そんなところで着々と準備されているのが、有事法制言論規制3法、それに国立大学の独立法人化のような、ワイドショー政治にのりにくい、しかも情報戦の根幹に関わる、問題立法群です。3月31日『読売新聞』読書欄で、言葉に厳しい作家井上ひさしさんが、好評刊行中の『講座 公共哲学』(東大出版会)にふれて、「他者間対話」「モノゴトを考えるための新しい言葉」の意義を述べています。大学は国家のグランドデザインに沿って産業界からの資金獲得と経営・管理に精を出し、言論規制は公権力には甘くメディアや市民の「他者間対話」に向けられる、あげくのはてに、「周辺事態」を含む「有事」には、病院も物資も輸送も「徴用」され「動員」される。そんな方向に、この国は、歩み始めているのです。戦争特集最新情報・論説サイト「IMAGINE! イマジン」は、まだまだやめられません。

 一方的政府情報垂れ流しで、もうすっかりネチズンから見放された「小泉内閣メールマガジン」、久しぶりでメーラーのゴミ箱を覗いて見ると、最後のK=小泉総理の防衛大卒業式式辞は、『論語』を引用する脳天気です。ただし「数字で見る日本」という連載が始まって、この国の人口はあと5年でピークに達し、2050年には1億人まで減少すると述べられています。「構造改革」はこうした問題に応えているでしょうか? 世界史の方は、「カジノ資本主義マフィア国家」のもとでの「世界経済フォーラム(NY)か世界社会フォーラム(ポルトアレグレ)か」に進んでいて、イギリスのブレア労働党政権内から「新帝国主義」発言まで出ているのに、外務省は「ムネオ」に責任転嫁して、ひたすら利権存続のガードがため、せっかく中立を保ってきたイスラエルとパレスチナ憎悪の連鎖にも無力です。池澤夏樹 さんの「新世紀にようこそ」最新版は「プロパガンダと民主主義」アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ 10の法則』(草思社)を紹介しつつ、「戦争・有事」の言説にひそむワナを読み解いています。私の「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年1月)のちょうど裏側の情報学研究です。

 いよいよ新学期、恒例により、教育センターの講義・ゼミ案内を更新すると共に、図書館には、この3月に卒業した学生たちの学士論文を入れました。この不景気のもとでも、大学生の生活費は、携帯電話とパソコンが必需品になり増加気味とか。ネット上での大学生用卒論指導サービスはいよいよ過熱して、全国から卒業論文を集めてデータベース化する「卒論サポート・ポータルサイト」が現れ、そこでは卒論1本千円のダウンロード・ビジネスまで生まれたようです。しかし私のゼミナールの学生たちには、むしろ、自分の4年間の勉強を誰に読まれてもおかしくないようにまとめ、「世間人」ならぬ「社会人」になる第一歩として公開するよう、勧めてきました。もちろん水準はいろいろですが、皆せいいっぱい400字100枚以上を書いています。「イマドキの学生は」と嘆く前に、暖かく読んであげてください。最近の卒論テーマには「自分探し」の内向きが増えましたが、こんな学生気質の変化も、一つの歴史です。4月27日(土)午後1時、東京の立教大学太刀川記念会館で、一つの学会が産声をあげます。「同時代史学会」といって、1945年以後の日本の歴史を、世界とアジアのなかで本格的に位置づけていこうという専門学会です。創立大会のシンポジウム「サンフランシスコ講和50周年を考える」では、豊下楢彦(関西学院大学)「安保条約の原点と現点」、浅井良夫(成城大学)「『日米経済協力』構想と経済自立」などの報告と討論が行われます。私も発起人の一人ですが、現代史に関心のある方は、ぜひどうぞ。今こそ20世紀後半を読み解いて、この国の新世紀と自分の人生設計を、問い直す時です。

 神奈川県立近代文学館(横浜市・港の見える公演)の「収蔵コレクション展 藤森成吉文庫」は4月21日まで。入試が終わってようやくでかけてきましたが、この特別展に限らず、日本近代文学の基本的流れがつかめる、なかなかの展示でした。現代史研究「共同性・社会化の模索──1950年代社会論」(2001年度歴史学研究会現代史部会大会報告批判、『歴史学研究』第757号、2001年12月)「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)、『講座 公共哲学 5 国家と人間と公共性』(東京大学出版会、2002年)の拙稿「人民」及び「20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失」(立命館大学『政策科学』2001年3月)もご笑覧を。図書館「書評の部屋」の連載「歴史書の棚」は、アンドルー・ゴードン編『歴史としての戦後日本』上・下(みすず書房)と鹿野政直『日本の近代思想』(岩波新書)に続いて、4月1日発売『エコノミスト』4月9日号は、都留重人『いくつもの岐路を回顧して』(岩波書店)と川上徹『アカ』(筑摩書房)です。次回アップしますが、雑誌の方もよろしく。


マフィア官庁に成り下がった外務省のルーツは? 何事も歴史的TRAJECT0RY[軌跡]と PATH-DEPENDENCY[経路依存性]を忘れずに!

2002/3/15  9.11から半年たちましたが、アフガンでの米軍空爆は続いています。なぜかオサマ・ビンラディン情報はほとんど聞かれなくなりましたが、イスラエルとパレスチナの殺し合いは、泥沼化しています。アメリカは着々とイラクへの攻撃を準備し、核兵器使用準備毒入り食料供給の話まで出ていて、来月はフランスの大統領選挙です。世界は激動が続いているのに、日本は20世紀の後始末に右往左往。鈴木宗男疑惑は、ミニミニ角栄の尻尾切りになりそうで、ほくそんでいるのは、プーチンと日本の外務省か? マフィアまがいのムネオ疑獄の陰で、外務省機密費問題やODA疑惑、NGO参加問題が曖昧にされる可能性大です。そんなとき、ワイドショーでの新疑惑追求もいいですが、じっくり日本の外交を振り返ってみましょう。手軽なところで、有斐閣PR誌『書斎の窓』3月号の稲津馨さん「外務省」。「府省の系譜」という中央官庁の手堅い法制史ですが、多くを教えられます。世紀末の中央省庁統廃合で、なぜか外務省は、ほとんど影響を受けませんでした。それは、明治国家の「外国交際」事始めに由来し、いまや悪名高い「外交官試験」も、もともと華族に独占されていたものを、平民に開いたものなそうです。こういう基礎的研究を踏まえない「外務省改革」は、結局は対症療法に終わるか、第二・第三のムネオを生むだけでしょう。TRAJECTORY[軌跡]とPATH-DEPENDENCY[経路依存性]が重要なゆえんです。国会の方も、問題は構造です。いわゆる「政治改革」が選挙区いじりに終わって、企業献金に手をつけなかったツケが、加藤紘一と鈴木宗男という一見対照的な政治家を、自民党一、二の政治資金集めに走らせ、共にとかげの尻尾にされようとしているのですから。政治学の同学、法政大学五十嵐仁さんが、諸国探検記を終えてようやく日本に帰国し、「呟記」という政治コラムを再開しました。本欄と共に御贔屓に。

 前回・前々回と、「カジノ資本主義マフィア国家」のもとでの「世界経済フォーラム(NY)か世界社会フォーラム(ポルトアレグロ)か」と書きましたが、世界社会フォーラム世界の社会運動の呼びかけ」にも入っていた、国際投機抑制の「トービン税」の提唱者ジェームズ・トービン教授が亡くなりました。批判的知性にとっては、ピエール・ブルデューに続く、大きな喪失です。日本でも、社会主義運動研究家で私も書評を書き、研究上で色々お世話になった専修大学栗木安延教授が、永眠されました。心からご冥福をお祈りします。

 英語版Global Netizen Collegeの目玉の一つSpecial Joke Lecture,"World Ideologies Explained by Cows"に、前回のアメリカの常連"Lono"さんからの "ENRONOMICS"に続いて、同じくアメリカからと思われる "Jacob & Lisa"さんからの新投稿。アメリカで遺伝子組み換えイネまで作っている遺伝子組み換え食品会社大手モンサント社にまつわる"MONSANTO DEMOCRACY"というもので、 「カジノ資本主義」アメリカ型を皮肉っています。

 Monsanto Democracy

You have two cows. You inject them both with hormones. They don't calve, but the female produces a lot of milk. It tastes funny. You can't sell it because Tesco's wants organic milk. The cows die far earlier than predicted. You buy two more cows from the company ... every year.
 
銀行・不動産・スーパーと青息吐息の日本には、違ったネタがありそうです。もっとも「マフィア国家」の方なら、ムネオ・ネタが無数にありますね。どなたか日本語でも、作ってみませんか?

 情報学研究に入れた9.11以後の日本のインターネット平和運動をまとめた論文「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年1月)は、「公共哲学ネットワーク」の年末シンポジウム「地球的平和問題――対『テロ』世界戦争をめぐって」への私の報告「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」で肉付け、リンクを加えたネチズン・カレッジ版で、「IMAGINE! イマジン」と一体です。現代史研究に入ったのは、「共同性・社会化の模索──1950年代社会論」(2001年度歴史学研究会現代史部会大会報告批判、『歴史学研究』第757号、2001年12月)「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)

 情報収集センター「現代史の謎解き」がらみで 、後者「新発見の河上肇書簡をめぐって」に関心のある方に、耳寄りな話し。神奈川県立近代文学館(横浜市・港の見える公演)で、3月9日から4月21日まで、「収蔵コレクション展 藤森成吉文庫」が開かれています。私の「在独日本人反帝グループ関係者名簿」にある国崎定洞・千田是也グループの有力メンバーで、「何が彼女をそうさせた」で戦前プロレタリア作家同盟(ナルプ)委員長だった、藤森成吉の自筆資料等が公開されています。ご遺族からご案内いただき、ようやく入試も終わったので、私もでかけてきます。先にグロスの「ゴールデン・シティ」を所蔵しているとご紹介した群馬県桐生市大川美術館では、6月5日から9月29日のロングランで、同じく反帝グループメンバーの「描かざる幻の画家 島崎蓊助遺作展」が開かれます。本欄で紹介してきたように、この展覧会に向けて、ご遺族が土蔵を整理し見つけたのが、私の現代史研究にとってこの上ない史料となる島崎藤村3男蓊助の日記と自叙伝、この発見については、3月末紀伊国屋書店から刊行される雑誌『インテリジェンス』創刊号で触れておりますのでご笑覧を。

 『講座 公共哲学 5 国家と人間と公共性』(東京大学出版会、2002年)の私の論文「人民」については、「20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失」(立命館大学『政策科学』2001年3月)をもご参照を。図書館「書評の部屋」には、『週刊 エコノミスト』誌2002年2月12日号「歴史書の棚」の高田里恵子『文学部をめぐる病い──教養主義・ナチス・旧制高校』(松籟社)と竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像 』(中公叢書)に続いて、3月12日号のアンドルー・ゴードン編『歴史としての戦後日本』上・下(みすず書房)と鹿野政直『日本の近代思想』(岩波新書)をアップしました。どちらも力作のオススメ本です。ちなみに4月は、都留重人『いくつもの岐路を回顧して』(岩波書店)と『査問』(ちくま文庫)でおなじみの川上徹さんの新著『アカ』(筑摩書房)を一緒に入れます。料理の仕方は、新学期4月1日発売の『エコノミスト』4月9日号をお楽しみに。


世界経済フォーラムか、世界社会フォーラムか?(Part 2)──「カジノ資本主義」と「マフィア国家」の危うさ

情報の海におぼれず、情報の森から離れず、批判的知性のネットワークを!

2002/3/1 英語版Global Netizen Collegeの目玉の一つSpecial Joke Lecture,"World Ideologies Explained by Cows"に、久しぶりで投稿がありました。アメリカの常連Lonoさんからの "ENRONOMICS"というもので、アメリカのエンロン社疑獄を皮肉ったものです。

"You have two imaginary cows. You bribe 300 congressmen to enact legislation declaring imaginary cows real. You make $5 billion selling imaginary milk futures. When the milk futures go sour, you award all the corporate executives with enormous bonuses and flee to Cayman Islands. Your employees, shareholders and creditors get trampled. By real cows".

 イマジンでもおなじみの田中宇さんの「国際ニュース解説」が「エンロンが仕掛けた『自由化』という名の金権政治 」 「エンロンが示したアメリカ型経済の欠陥 」で鋭く分析しているように、政治資金を広くばらまき、「電力の自由化」でカルフォルニアの電力不足を仕掛けたエネルギー巨大企業エンロン社が、実は粉飾決算の無責任経営で、トップは自社株売却で倒産前に莫大な利益を持ち逃げし、一般社員たちは「401K」で自社株に頼っていたため退職後の年金も失ってしまったという、あくどい事件です。ブッシュ政権は、この事件から国民の眼をそらすためにも、2002年を「戦争の年」と宣言し、非論理でヨーロッパの同盟国からも批判されている「悪の枢軸」論でイラク・イラン・北朝鮮を「外敵」に仕立て上げ、アフガン、フィリピンに続いてグルジアコロンビアにも特殊部隊を展開しようとしているのです。

 サッチャーリズムから四半世紀、ソ連崩壊から十年たって、社会科学の世界にも、新自由主義とグローバリズムの時代を捉える新しい用語が定着してきました。エンロンが跋扈したグローバルな資本主義は「カジノ資本主義(Casino Capitalism)」であり、そこで多国籍企業や特定集団と癒着した政府は「マフィア国家(Mafioso State)」です。通俗的に響きますが、前者はスーザン・ストレンジの命名であり、後者も旧ソ連・東欧国家を中心にチャールズ・ティリーらにより使われています。2月28日『朝日新聞』夕刊のスクープは、「米、小泉改革に懸念示す 大統領が訪日前に極秘親書」というもの。ブッシュの親書は、1月17日付けで銀行の不良債権処理を迫った日本経済への処方箋でした。2月初めのニューヨーク世界経済フォーラムに竹中経済担当相らが出かけて何を学んできたか、ブッシュ訪日にあわせた「デフレ対策」がどんなシナリオのもとで作られたかが、透けてきました。もっとも日本の政局は、「マキコとムネオ」のハプニングもあり、アメリカ式グローバル・スタンダードにあわせる「構造改革」は進まぬまま、サラリーマンの医療費3割負担だけが先行決定、「アジアのアルゼンチン」と酷評されながらも、ひたすら親分アメリカを信じて、「カジノ資本主義」の渦中に飛び込もうとしています。お隣の韓国では、ソルトレイク・オリンピックがらみで対米感情が悪化し、米国の対テロ戦争についても7割の世論が「反対」を表明したというのに。

 しかし世界社会フォーラムのポルトアレグロ声明「世界の社会運動の呼びかけ」がいうように、「労働者を犠牲にした多国籍企業エンロンの崩壊は、カジノ経済の破産と政財界の腐敗を世に知らしめた。この多国籍企業は、途上国における欺瞞的なプロジェクトを推進し、人々をその土地から追い出し、水と電気の価格の急騰を作りだしてきた。米国政府は、大企業の利益を擁護するために、地球温暖化防止に関する協議、対弾道ミサイル協定、『生物多様性会議』、国連のレイシズムと不寛容に関する会議、武器供給削減の話合い、などから傲慢にも脱退した。米国中心主義(ユニラテラリズム)が、グローバルな諸問題の多国間での解決の試みを再び困難にしている」のであり、ブッシュにとっては小泉は、いわば頼りになる従順な子分です。「対テロ貢献:米国防総省が26カ国に謝意表明、日本の名前なし」は、ペンタゴン的常識の表出で、韓国やウズベキスタンは始めから入っていましたから、「除外は単純ミス」とリップサービス付きで訂正されても、アメリカにとって軍事的には、せいぜい27番目の国にすぎないのです。それでも「有事法制」を作って経済政策の破綻をつくろいボスのご機嫌をうかがう様子は、「純情」とでも評すべきでしょうか? もっとも日本外交を直接に担う外務省の全体が「伏魔殿」で、「ムネオハウス」風マフィア国家になりさがっていたようですから、日米非対称同盟の悲喜劇も笑えません。グローバルなカジノ資本主義は、もともと酪農家の協同組合から出発した雪印やスターゼンを今日の醜態に導いたように、エンロン風腐敗企業とアフィア国家をも、世界中につくりだすのです。『SAPIO』3月13日号の小林よしのり「さらば『新しい教科書をつくる会』」に注目しましょう。よしりんは、アメリカを批判できない西尾幹二らと、完全に決別したようです。「カジノ資本主義」下の「マフィア国家」の清算には、世界社会フォーラムのいう「もう一つのグローバリズム」の道のほかに、原理主義的ナショナリズムへとつきすすむ「いつかきた道」もありえますから、石原慎太郎の動きと共に、要注意です。

 大学入試の真っ最中で十分な手当ができないので、前回トップを下に一部残して、ヴァージョンアップに留めます。ただし、9.11以後の日本のインターネット平和運動をまとめた論文「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」『データパル2002最新情報用語資料事典』、小学館、2002年1月)を、「公共哲学ネットワーク」の年末シンポジウム「地球的平和問題――対『テロ』世界戦争をめぐって」への私の報告「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」で肉付け、リンクを加えて、ネチズン・カレッジ版にしましたので、ご笑覧を! もともとは「日韓平和文化ネットワーク形成シンポジウム」基調報告「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク──アメリカ、日本、韓国関係の再編」(2001年11月2-5日、韓国天安市、『日韓教育フォーラム』第11号、2001年11月、所収)で始めた情報学研究です。現代史研究には、「共同性・社会化の模索──1950年代社会論」(2001年度歴史学研究会現代史部会大会報告批判、『歴史学研究』第757号、2001年12月)「新発見の河上肇書簡をめぐって──国崎定洞と河上肇」(公開シンポジウム「コミンテルンと河上肇」報告、『東京河上会会報』74号、2002年1月)を新たに入れました。『講座 公共哲学 5 国家と人間と公共性』(東京大学出版会、2002年)が刊行され、私も「人民」を寄稿していますが、すでに書き下ろしで発表した20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失」(立命館大学『政策科学』2001年3月)と内容の重なる口述報告テープ起こし版ですので、HPには収録しません。図書館「書評の部屋」に、『週刊 エコノミスト』誌2002年2月12日号「歴史書の棚」でとりあげた高田里恵子『文学部をめぐる病い──教養主義・ナチス・旧制高校』(松籟社)と竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像 』(中公叢書)をアップ。

世界経済フォーラムか、世界社会フォーラムか、21世紀の情報戦を突き抜けるイマジネーションとは?

 


2002/2/15  芸術家の想像力(Imagination)とは、途方もないものです。右の油絵(クリックするとカラー)は、ドイツからナチスに追われてニューヨークに亡命した画家ゲオルギ・グロス(1893-1959)の1940年頃の作品「ゴールデンシティ」。この60年前の絵、実は、現在日本にあります。群馬県桐生市の大川美術館所蔵品です。大川美術館ニュース『ガス燈』第51号(2002年1月10日)に、大川栄二館長が、9.11の朝、ニューヨークの映像を観てすぐに想い出した、と書いています。それも「文明の偽善と大都市が生み出す資本主義の底を美しく暴いた」絵として。

 そのニューヨークで、多国籍企業のトップや世界のVIPたちが一同に会する世界経済フォーラム(ダボス会議、WEF)が開かれていた頃、ブラジル・ポルトアレグロには、ノム・チョムスキー、リゴベルタ・メンチューほか150か国8万人が参加して、第2回世界社会フォーラム(WSF2)が開かれていました。中心団体であるATTAC(アタック、Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens=市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)ホームページによると、「『もう一つの世界は可能だ(Another world is possible)』をメインスローガンに、第2回世界社会フォーラム(WSF2)が1月 31日から2月5日までの期間、ブラジル南部の都市ポルトアレグレ市で開催された。このフォーラムは、世界経済フォーラム(WEF、通称ダボス会議)に対抗して昨年より同じ時期に開催されてきた。WEFが世界の経済・政治エリートたちの、つまり経済のグローバリゼーションを推進する側のフォーラムであるなら、WSFは反グローバリゼーションを闘うNGO、労働組合、農民団体などのフォーラムである」とあります。フランスは両方のフォーラムに閣僚を送り、ドイツの与党SPDも、ニューヨークにもポルトアレグレにもでかけたようです。『毎日新聞』2月14日付け「世界フォーラム 人間の顔をするか地球化」もご一読を!

 前回更新で、1月末中国・北京大学での「冷戦後世界の社会主義運動」シンポジウム参加記を書きました。何人かの方から、もっと詳しくとメールをいただきました。実は私の報告「日本の社会主義運動の現在」も、詳細参加記「現代世界の社会主義と民主主義」も、活字雑誌への寄稿が決まっており、掲載まではHPに公開できません。どうしてもごらんになりたい方には、目的がはっきりしていれば、ワード・ファイルでお送りします。katote@ff.iij4u.or.jp までメールをどうぞ。でも世界社会フォーラムの声明「世界の社会運動の呼びかけ〜新自由主義・戦争と軍国主義に抗し平和と社会正義を求めて〜」を読んで、考えさせられました。これこそ21世紀の『共産党宣言』ではないか、と。こちらは「社会主義運動」ではなく社会運動」です。「万国の労働者、団結せよ!」の同質的結合ではなく、「我々は多様である。女性と男性、壮年と青年、原住民、地方と都市、労働者と失業者、ホームレス、高齢者、学生、移民、専門家、様々な信条・皮膚の色・性的志向の人々からなる」とうたいます。でも、「この多様性は、我々の強さであり、同時に我々の統一の前提でもある。我々は、富の集中と貧困・不平等の拡大、そして地球の破壊に対して闘う決意のもとに団結した、グローバルな連帯運動である」といいます。そして、『もう一つの世界は可能だ(Another world is possible)』と宣言します。「我々は、オルタナティヴな体制を作り、それらを促進するための創造的な方法を実践している。我々は、人々の要求と願いを犠牲に資本と家父長的支配層の利益を特権化している、暴力と人種・性差別が支配する体制に対する闘いの中から、巨大な同盟を築きつつある」と。正確を期して厳密にいうと、「反グローバリズム」ではありません。「もう一つのグローバリズム」であり、『共産党宣言』の「プロレタリア国際主義」を超えています。

 『共産党宣言』にも、「1、土地所有の収奪および地代の国家支出への使用、2、強度の累進税、3、相続権の廃止、4、すべての亡命者および反逆者の財産の没収、5、国家資本および排他的独占をもつ国家的銀行による、信用の国家への集中、6、すべての運輸制度の国家の手への集中、7、国有工場、生産用具の増加、共同の計画による耕地の開墾および改良、8、万人に対する同等の労働義務、とくに耕作のための産業軍の創設、9、農業および工場の経営の統合、都市と農村の対立の漸次的除去をめざすこと、10、すべての児童の公的かつ無償の教育、こんにちの形態での児童の工場労働の除去、教育と物質的生産との結合」という、19世紀半ばの「もっとも進んだ国々」で革命が達成されたさいの10項目の要求がありました。「世界の社会運動の呼びかけ」には、「我々は、社会的公正・権利と自由の擁護・生活の質の向上・平等・尊厳・そして平和に向けた大衆的な諸活動を通じて、我々全体の運動を強化する。我々は以下の要求のために闘う」として、「もう一つの世界」の8項目要求が掲げられています。曰く、

1、民主主義:人々は、政府の決定に関して知り、批判をする権利を持っている。とりわけ政府の国際機関での行動について、それが重要である。政府は、人々に説明する責任がある。我々は、選挙と参加民主主義の世界中での実現を擁護すると同時に、国家と社会の民主化、独裁政権との闘いの重要性を強調する。
2、債務の廃止
3、投機活動への規制:我々は、トービン税のような移動資本課税、租税回避地帯(タックスヘイブン)の廃止を求める。
4、情報への権利
5、女性の権利、暴力・貧困・搾取からの解放
6、反戦・反軍国主義、基地や内政干渉への闘い、暴力の構造的連鎖への闘い。我々は紛争に対し、非暴力の交渉による解決を求める。すべての人民は、市民社会の独立セクターが参加する国際的仲裁を求める権利を持っている。
7、青年の権利、無料の公共教育へのアクセス、社会的自律を実現する権利、徴兵制廃止
8、 すべての人民の自決権、とりわけ先住民の権利

 『朝日新聞』2月12日「地球儀」欄によると、現代中国共産党のキャッチフレーズは、昨年7月の江沢民主席党創立80周年記念演説で使われた「与時偵進(時と共に進む)」で、「マルクス主義も時と共に進む」から、私企業経営者を共産党に加え、アメリカと一緒に「国際テロリズムとの闘争」に加わって新彊ウイグル地区の民族運動を弾圧するのだそうです。こんな「改革開放社会主義」よりも、「もう一つの世界」の8項目要求の方が、よっぽど『共産党宣言』の精神とイマジネーションを受け継いでいるのではないでしょうか? マハトマ・ガンジーマーティン・キング牧師の「非暴力の交渉による紛争解決」の思想をも組み込んで。拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)の結論も、アントニオ・グラムシの機動戦・陣地戦論を超えた「情報戦」政治論と共に、「仮想敵を持たない、非暴力・寛容・自己統治の政治」の提唱でした。詳しくは同書と共に、今月発売の小学館『データパル 2002』巻頭特集に寄せた小論「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?」をご覧下さい。私のイマジネーション喚起薬、平和ニュース・論説「IMAGINE! イマジン」に、全リンクイマジン反戦日誌に時系列で保存し、論説は「IMAGINE DATABASE 2001をデータベース保存、英文論評は英語ページGlobal IMAGINEを独立させて、歌・音楽・詩・絵画・写真・映像などは祈り・癒し系■IMAGINE GALLERYに入れてあります。「IMAGINE! イマジン」の道標となった丸山真男の言葉「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある」に続くのは、「革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、『戦争』の言葉で『革命』を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである」という一文です(『自己内対話』90頁)。

 これもイマジネーションの世界。前回更新で、インターネット発の活字ベストセラー、池田香代子=ダグラス・ラミス『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)にふれ、私のサイト「IMAGINE! イマジン」所収の目良誠二郎さん「『100人の地球村』の誕生」森岡正博さんホームページ内「100人の地球村」「つぎはぎだらけの思想をあなたはどう読んだのか」の参照を求め、81歳になった「スーパーおじいさん」吉田悟郎さんの「ブナ林便り」に載った「100人の小泉村」というあやかりバージョンを紹介して「100人の日本村」のススメを書いたところ、なんと、吉田浩『日本人100人村の仲間たち』(日本文芸社)という書物が現れてたちまち版を重ね、『ダカーポ』2月20日号でも「日本がもし1000人の町だったら」を特集しています。例の「チーズ」と「バター」の著作権紛争から連想して、眉唾かと思いつつ手にとったら、どちらもなかなかの出来です。「日本村は世界でも1位、2位を争う金持ち村です、村人たちは1年間に513兆円も稼ぎます。でもみんな<うさぎ小屋>や<ねずみ小屋>に住んでいるので、だれもお金持ちだという実感はありません」なんて、ちょっと芸術的イマジネーション不足ですが、自分自身の想像力を駆使してこの国を考える手がかりにはなります。某国営放送局から、ブッシュ=小泉日米首謀会談へのコメント求められましたが、お断りしました。私のイマジネーションでは、ブッシュは日本にくるのではなく、中国に行くついでに日本に立ち寄り、軍事と経済のサイド・ビジネスをしていくだけですから。もっとも、エンロンのツケがまわりまわって、私たちのくらしには、医療費3割自己負担や「デフレ退治」という名のしわ寄せが、またやってくるでしょうが。水島朝穂さん緊急直言「小泉流緊急事態法制の危なさ」に注目を! 25万ヒット記念で、リンク集「情報処理センター: 政治学が楽しくなる、インターネット宇宙の流し方」を全面チェック・更新情報収集センター」内「特別研究室「2002年の尋ね人」では、「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」と白川敏(白髭渡?)こと岡内順三の『ベルリン紅団』を探索中。図書館「書評の部屋」には、1月15日号掲載の譚ろ美『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』(草思社)に続いて、発売中の『週刊 エコノミスト』誌2002年2月12日号「歴史書の棚」でとりあげた、高田里恵子『文学部をめぐる病い──教養主義・ナチス・旧制高校』(松籟社)竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像 』(中公叢書)を次回アップします。


世界は変わる、中国も変わった、しかし、日本政治の貧困は……?

情報の海におぼれず、情報の森から離れず、批判的知性のネットワークを!

2002/2/4 おまたせしました。25万ヒット記念で、リンク集「情報処理センター: 政治学が楽しくなる、インターネット宇宙の流し方」を全面チェック・更新しました。


2002/2/1 前回更新後、遅ればせながら、本HPの定番中の定番情報収集センター内の特別研究室「2002年の尋ね人」を更新してヴァージョン・アップし、今年の尋ね人を、「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」と白川敏(白髭渡?)こと岡内順三の『ベルリン紅団』に改めて、中国・北京に旅立ちました。北京大学国際関係学院主催の国際シンポジウム「冷戦後世界の社会主義運動」に招かれ、拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)をもとに、「日本の社会主義運動の現在」を報告してきました。外国人ゲストは、私とロシアの歴史家ロイ・メドヴェーデフ博士と、ドイツからベルント・インマ氏の3人のみ、中国語を英語通訳付きで聞く会議でしたが、それでも中国の「社会主義市場経済」の進行は、実感することができました。中国訪問は冷戦崩壊後3回目ですが、これまでは上海を見てから北京に入っていたので、どうしても上海に比しての北京の経済的遅れやインフラの未整備が気になりました。今回は初めての北京直行で、数年前に比してぐっと綺麗になり、高層ビルが立ち並ぶ近代都市に変身していました。空港には「WTO加盟万歳」の旗がはためき、市内には「2008年北京オリンピックを成功させよう」の巨大な横断幕。かつて目立った毛沢東の写真は本屋や骨董品店の片隅に並ぶばかりで、この国の「テイクオフ」をひしひしと感じます。昔見た万里の長城や故宮はパスして、北京大学の研究者たちと理論的に交流し、大学近くの「北京の秋葉原」こと中関村で、中国のデジタル事情を見てきました。国産の最新パソコンが10社以上から出ており、OSにリナックスが採用されているのが印象的でした。IBMや東芝はWindowsXPを搭載して1割方高く、ソニーのノートパソコンは超高値の花、国産デスクトップで日本円15ー20万円ですから、庶民の平均月収の5倍以上、「ニューリッチ」でなければとても手はでません。にもかかわらず、パソコン売り場は平日朝でも若い男女で熱気ムンムン、インターネットカフェも大盛況で、この国の底知れぬ潜在力を示しているようでした。残念だったのは。この巨大な北京の秋葉原に、アップル・コンピュータを扱う店が一つもなかったこと。インドやメキシコでも経験したことですが、マックはやはり、グローバライゼーションに乗り遅れているようです。

 メインの国際会議の方は、中国側の出席者が北京大学はじめ有力大学の国際関係研究者のほか、社会科学院・中央党学校イデオロギー幹部等100人近くが出席。私のペーパーは「日本の既存社会主義運動に未来はない」という観点からの報告だったので、はじめは緊張していたのですが、共産党一党支配の続く中国の政治も、大きく変わりつつあるようです。かの『歴史の審判』(石堂清倫訳『共産主義とは何か』三一書房)のメドヴェーデフ博士(写真左)をよんで「ソ連崩壊の要因」を研究し始めたこと自体画期的ですが、「社会主義」といっても旧来の国際共産主義運動はもっぱら「失政の教訓」として扱われ、もともと「社会主義と市場経済」を結びつけてきたヨーロッパ社会民主主義の経験、緑の党などを真摯に研究する姿勢が、印象的でした。私の報告は、「社会主義」概念をフランス革命期まで遡って再検討し、「インターネット時代の情報戦」と日本の社会運動に即した「市民運動・NGO・NPOの重要性」を指摘して、特に若手研究者からは大歓迎されました。古参イデオロギー幹部が「レーニンやローザ・ルクセンブルグも社会主義と民主主義の結合の重要性を述べていた」という類の旧来型説明で市場経済化から民主化への共産党主導での「秩序ある移行」を語るのに対し、文化大革命も知らない若い世代が、民主主義の指標は自由選挙と複数政党制だとか、共産党の指導を前提するならば党内「分派」や言論の自由を認めなければ民主主義とはいえない、と率直に語っているのが、新鮮でした。ただし、「市場経済」が「民主化」を自動的にもたらすような楽観論も目立ち、私は「20世紀日本の教訓」として、市場経済のもとで工業化・都市化が進むことは階層的・地域的格差の拡大を意味し、政治的民主主義にとってはむしろ新たな困難な課題をもたらすこと、中国が共産党指導下で工業化に成功しても、それは「社会主義の威信回復」につながるものではなく、先進資本主義国ではむしろ、ソ連と同じ「社会主義から資本主義へ」の開発独裁型近代化と受けとめられるだけであり、むしろ環境・生態系保護や社会的弱者救済・労働者福祉で特色を示さなければ西欧社会民主主義への合流も難しいこと、を率直に述べました。ドイツPDS(旧東独地域の民主社会主義党)のインマさんの報告も、私の報告と共通する点が多く、特に「なぜPDSはSPD(社会民主党)に合流しようとしないのか」という質問に、PDSは政党であると同時に社会運動でもあろうとしており、それを保証するために「民主集中制」型の集権的組織を採らず、むしろ党内「分派」を奨励して活性化しようとしている、と述べた時には、若い研究者は眼を輝かせ、古参イデオロギー幹部は渋い表情で、中国でも不可避になった世代の断絶が印象的でした。メドヴェーデフ博士には、名著『歴史の審判』は日本でもいまだに読み継がれているが、その翻訳者であった石堂清倫さんが亡くなったことを、お知らせしました。

 私の報告の柱の一つである「インターネット時代の情報戦」「市民運動・NGO・NPOによる市場経済の暴走への社会的制御」に関連して、北京大学の若手研究者たちからは、ホームページの効用やNGOの政治的意味について、熱心な質問を受けました。そこに入ってきたのが、日本の外務省がアフガニスタン復興会議に自民党鈴木宗男議員の圧力でNGO代表を参加させず、そのことが国会で田中真紀子外相と野上外務省事務次官の答弁不一致になり、小泉首相が3人もろとも「喧嘩両成敗」風に辞めさせたというニュース。国際社会で、こんな恥ずかしいことはありません。「真紀子おろし」のシナリオが自民党橋本派幹部・森前首相らによりつくられ、問題の根源が外務省機密費疑惑に発し、官僚とつるんだ鈴木議員のNGO排除にあることは明白なのに、小泉内閣メールマガジンの弁明は、全然説得力がありません。鈴木議員のNGOとのやりとりも公開されましたが、私が恐ろしいと思ったのは、鈴木議員の「政府を批判する者が政府主催の会議に参加するのはどういうことか」というテレビ・インタビューでの答え。こんな古典的国家主義の感性が、自民党にはまだまだ残っているのですね。中国共産党とほとんど同じです。緒方貞子さんに後任外相を断られ、川口環境相の横滑りでお茶をにごしましたが、これで小泉内閣支持率は、確実に下がるでしょう(「読売」では女性中心に30%下落し47%!)。それでも、「有事法制」推進対策本部を設置し、着々と鈴木議員好みの政治の方向が準備されていますから、要注意。去る1月21日に、一昨年末の辻内鏡人さん轢死(傷害致死)事件の判決公判がありました。被告の故意が認められて懲役7年を判決、しかし、轢死の背景となった事件の真相はいまだ「藪の中」で、しかも被告側は控訴しました。轢死事件でもテロ事件でも、事件には背景があります。マスコミの皆さんには、「影の外相」といわれる鈴木氏の、ODAとからんだ「外務族」利権構造を、本格的に追及してほしいものです。

 池田香代子さん=ダグラス・ラミスさんの『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)は86万部突破とか。私のサイト「IMAGINE! イマジン」所収の目良誠二郎さん「『100人の地球村』の誕生」に加え、森岡正博さんホームページ内「100人の地球村」に「つぎはぎだらけの思想をあなたはどう読んだのか」というユニークな論評が発表されました。吉田悟郎さん「ブナ林便り」には「100人の小泉村」というあやかりバージョンが紹介されていますが、吉田さんからの指示で、特別室 高校生平和ニュース」の教育調査データを一部改訂。英語版Global Netizen College所収のWanted! A Memorandum on the Life of Mr. Virendranath Chattopadhyaya について、北京滞在中に 、チャットパディアの妹 Mrinalini Chattopadhyayaについての重要な情報提供。マハトマ・ガンジーとサロジニ・ナイーダの書簡集を編んだMRINALINI V. SARABHAIさんからで、早速Family of Chattopadhyaya欄に追加しました。デービッド・ワステール「ペンタゴンは今回の戦争が少なくともあと6年続くと考えている」が予測していたように、1月末恒例の米大統領 一般教書でブッシュ氏は「テロ勝利・本土防衛・経済回復」を目標とし、北朝鮮・イラン・イラクを名指したうえで、国防予算の大幅増額を公約しました。本HPは、今年も平和運動モードを維持し、世界の最新の戦争と平和のニュース・論説「IMAGINE! イマジン」につなぎ、全リンクイマジン反戦日誌に時系列で保存し、論説は「IMAGINE DATABASE 2001をデータベース保存、英文論評は英語ページGlobal IMAGINEを独立させて、歌・音楽・詩・絵画・写真・映像などは祈り・癒し系■IMAGINE GALLERYに残します。こうした9.11以降のインターネット上での平和運動を素材として書いた小論「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?」が、今月発売の小学館最新情報用語資料事典『データパル 2002』巻頭特集に掲載されます。やがて電子ブック閲覧室「私の仕事部屋」から読めるようになるようです。ぜひご笑覧を。実はここのデータを使うと、「100人の日本村」の修正バージョンがいっぱい作れます。「図書館の「書評の部屋」に『週刊 エコノミスト』誌2002年1月15日号「歴史書の棚」掲載譚ろ美『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』(草思社)を収録、現代史研究室には、『新潮』2月号山口昌男論文に紹介された勝野金政生誕100周年記念シンポジウム関連資料を一括収録。「沖縄奄美非合法共産党資料」についてのシンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」の報告が、『琉球新報』11月23日付け文化欄に書いた原稿が、同紙文化部の手でなぜか奇妙な削除・改竄を受けましたので、それに対する抗議・訂正を含めた一文「消し去ることのできない歴史の記憶──占領期領期沖縄・奄美非合法抵抗運動のシンポジウムから」(『アソシエ21ニューズレター』第32号、2001年12月号)は、現代史研究室に。

情報戦の時代のネチズンは、情報の海におぼれず、情報の森から離れず、批判的知性のネットワークを!

2002/1/22 遅ればせながら、本HPの定番中の定番情報収集センター内の特別研究室「2002年の尋ね人」を更新してヴァージョン・アップ。今年の尋ね人は、「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」と白川敏(白髭渡?)こと岡内順三の『ベルリン紅団』とします。
2002/1/15 正月休みぐらいは研究や教育と離れて、気ままに小説でも読みたかったのですが、けっきょく研究がらみの島崎藤村再読にとられて、推理小説は読めずテレビの松本清張もので代替、川西政明『昭和文学史』は上巻途中で時間切れ、川上弘美『センセイの鞄』のみが唯一の安らぎでした。評判通りのよくできた小説、文体に感心しました。 それでも小説的面白さで読めた研究資料が、ネットの
「日本の古本屋」で何気なく注文し入手した、恒石重嗣『大東亜戦争秘録──心理作戦の回想』という本(東宣出版、1978年)。「まえがき」によると自費出版だったようですが、中島健蔵が「序」を寄せていて、林達夫と共に関わった東方社での戦時宣伝グラフ雑誌「フロント」出版のいきさつを語り、参謀本部恒石中佐との出逢いを回想しています。「本書の著者は、はえぬきの軍人であり、わたくしは逆にはえぬきの文人である。戦争がなかったら、全く対照的な人生の行路をたどったであろう」とわざわざ中島がことわっているのがうさんくさくて、しっかり読んでいくと、私の研究に関連する勝野金政岡田桑三が登場するばかりでなく、戦時下の軍宣伝機関の全体像や謀略的心理戦の具体的作戦、大本営発表の仕方から東京ローズを使った謀略放送まで、直接立案者でなければ知り得ない裏話が満載です。

 その職業的筆致は、「特攻作戦の精神的効果」として、「一身をなげうって、一死もって国に報ぜんとする若き戦士達のこの楠公式戦法は、日本軍独特のものであり、これが敵に与えた精神的脅威は物質的損害をはるかに上回って、けだし甚大なるものがあった」「沖縄戦における米軍の精神病患者は実に2万6千名に達している。それは連日連夜続行されたわが特攻のため約40日以上の間、瞬間も精神的緊張をゆるめることができなかったのに加えて、特攻機を迎撃するために行われた激しい銃砲声や照明のため神経細胞が犯されて半狂乱になったものである」と冷徹に分析します。この作戦を「開戦初頭から計画し十分なる準備」をしていれば、太平洋戦争の帰趨も違ったかもしれないと論じ、映画「ホタル」風の特攻機に乗った青年の心を汲んだり、爆撃される米兵の家族に思いを馳せるといった一切の感傷を排し、事務文書風に「心理戦」を回顧します。オサマ・ビンラディンやタリバンについての書物や、イスラム原理主義のハウツー解説本よりも、はるかに現代的状況解明のヒントになります。「テロリズムとのたたかい」なる現在進行形の戦争の大きな部分が、直接的戦闘・空爆自体よりも、そこにまとわりつくイメージをめぐる心理戦・情報戦によって構成されていることを、教えてくれます。恒石参謀ら参謀本部第8課が立案した東方社の「フロント」が、当時の日本の最先端写真技術を用いた芸術性の高いものであったことは、よく知られています。この恒石回想にカラー写真で収められた日本軍の戦時宣伝ビラ・伝単も、すこぶる洗練されたものです。20世紀後半の戦争は、こうした心理戦・情報戦を継承し、増幅したものでしょう。いま、私たちが、カブールの女性たちがブルカを脱いで自由を謳歌し始めたと信じたり、フィリピンのテロリスト撲滅作戦に米軍特殊部隊が加わるのはやむをえないと思わされているのは、こうした情報戦の一環かもしれません。もちろん、東南アジアで英語で演説する小泉首相を「カッコイイ」と感じとる感性も。情報戦の技術的手段・手法は、テレビもインターネットも加わって、60年前よりはるかに洗練されているのですから。

 そんな時代に必要とされるのは、情報の海におぼれることでも、情報の森から逃げることでもありません。ジャンクやコマーシャルに溢れる大海の中から、自分にとって有用な信頼できる情報源をみつけだし、「あらゆる情報を疑え」の精神で、発信された情報の意図・内容・効果を批判的に見分ける知性をみがき、オープンな情報の「公共圏」への参加と共に、対面交通も可能な「親密圏」のネットワークも確保し、情報社会のネチズンになっていくしかありません。池田香代子さん=ダグラス・ラミスさんの『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)が、ベストセラーの仲間入りをしたそうです。昨年10月頃、日本中のメーリングリスト上で行き交っていた、あの現代風フォークロアです。新聞・テレビはすっかりポスト反テロ戦争風ですが、ブッシュ大統領は2002年を「戦争の年」と言い続けていることを、忘れてはいけません。フィリピンでは「第二段階」が始動しました。マレーシア、シンガポール、インドネシア等から「テロ撲滅戦争」のニュースが多くなったのは、偶然でしょうか? ソマリヤ、イラク、北朝鮮等への拡大もささやかれています。イスラエル・パレスチナ、インド・パキスタンの紛争は、9.11以後にいっそう緊張し、暴力をエスカレートしました。本HPは、引き続き、世界の最新の戦争と平和のニュース・論説「IMAGINE! イマジン」につなぎ、全リンクイマジン反戦日誌に時系列で保存し論説は「IMAGINE DATABASE 2001をデータベース保存、英文論評は英語ページGlobal IMAGINEを独立させて、歌・音楽・詩・絵画・写真・映像などは祈り・癒し系■IMAGINE GALLERYに残します。

 図書館(書評の部屋)に、『週刊 エコノミスト』誌「歴史書の棚」2002年1月15日号掲載の譚ろ美『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』(草思社)をアップ。現代史研究室には、発売中の『新潮』山口昌男論文にも書かれている、年末の勝野金政生誕100周年記念シンポジウム関連資料を、一括収録しました。その直前、私の発見した「沖縄奄美非合法共産党資料」についてのシンポジウム「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」の報告が、『琉球新報』11月23日付け文化欄に書いた原稿が、ゲラをチェックできなかったためか、別の理由か、同紙文化部の手でなぜか奇妙な削除・改竄を受けましたので、それに対する抗議・訂正を含めた一文「消し去ることのできない歴史の記憶──占領期領期沖縄・奄美非合法抵抗運動のシンポジウムから」『アソシエ21ニューズレター』第32号、2001年12月号)を、現代史研究室にアップ。毎日新聞に書いた「この人この3冊 スパイM」への和田誠さんのイラストは、本トップ末尾でパーソナル・ロゴになりました。1月末、中国北京大学国際関係学院の国際シンポジウムに、ロシアのロイ・メドヴェーデフと共に招かれて、拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』注文は花伝社へ)の骨子を報告してきます。北京訪問は3度目ですが、ノートパソコン持参は初めてなので、次回2月1日更新が可能かどうかは、未知数です。遅れた場合はご了承下さい。


A HAPPY NEW YEAR FOR "LOVE & PEACE!"  IMAGINE ALL THE PEOPLE SHARING ALL THE WORLD! 

2002/1/1   新年ですが、あまりにあわただしく、「おめでとう」という気分にはなれません。年末30日まで、千葉大学で小林正弥さんら「公共哲学ネットワーク」のシンポジウム「地球的平和問題――対『テロ』世界戦争をめぐって」に出席してきました。その前1週間も資料探索・調査の旅行でネット環境が悪く、特集情報サイト「IMAGINE! イマジン」も更新できず、失礼しました。ヨーロッパやアジアの友人たちからはクリスマス・カードやメールをもらいましたが、アメリカの友人と「メリー・クリスマス」を祝うのは、はばかられます。もちろん、アフガニスタンでは、今日も地雷や飢餓で、何人ものこどもたちが死んでいるのですから。恒例「情報処理センター=政治学リンク集」更新や新規論文アップは見送って、引き続き、世界のニュース・論説「IMAGINE! イマジン」に、全リンクイマジン反戦日誌に時系列で保存し論説は「IMAGINE DATABASE 2001にデータベース保存、英文論評は英語ページGlobal IMAGINEを独立させ、新年は、歌・音楽・詩・絵画・写真・映像など■IMAGINE GALLERYの祈りで迎えたいと思います。

 21世紀の初めの年に、どのくらいのいのちが、生存の希望と意志がありながら、奪われたのでしょうか? 戦争、テロ、殺人、飢餓、事故、そして、追いつめられての自死……。「戦争と革命」の前世紀の負債は、「新しい戦争」によって、償われるよりも累積されたようです。昨年末に力を注いだ勝野金政生誕百年記念シンポジウム勝野の全著作のCD-ROM化による学術的遺産発掘の試みが、早稲田大学奥島総長からメッセージが寄せられたほか、12月14日信濃毎日新聞、12月27日朝日新聞夕刊論説「窓」欄や12月31日長野新聞で、大きく取り上げられました。20世紀の初めの年に生まれ、第一次世界大戦直後にパリで青春を謳歌し、モスクワで片山潜の秘書になったことから、無実の罪で強制収容所の地獄を体験し九死に一生を得て帰国、かつての「同志」たちに見捨てられた勝野金政が、前半生を文学でふりかえり、故郷の信州に帰って実業家となり、家族に恵まれた後半生を終えるにあたって遺した言葉は、「トルストイのヒューマニズムとジャン・ジョレス(第一次大戦勃発時に暗殺されたフランスの平和主義的社会主義者)のインターナショナリズム」こそ自分の人生の導きの糸だった、というものでした。「人間尊重と開かれた平和」──21世紀の入口で、改めてこれを想起し強調しなければならないところに、残された世代の憂鬱・非力があります。

 確かに日本の20世紀後半は、「戦火に巻き込まれない」という意味で「平和」であり、「豊かな社会」を作ったという意味で「進歩」でした。しかし、その「平和と進歩」は、「閉ざされた平和」ではなかったでしょうか? ヒロシマ・ナガサキの原爆、焼け跡・闇市の敗戦体験から出発して、それまでの朝鮮の植民地支配、中国・アジアへの侵略・加害者体験を十分反省できなかったという意味で。「守るべき平和」が、高度経済成長の産物である「豊かさ」に、収斂してきたという意味でも。朝鮮戦争やベトナム戦争を「対岸の火事」と受けとめ、むしろそれを飛躍台に、経済発展と海外進出を果たしてきたという意味でも。その「安全」の実体は、アメリカの核の傘と「戦力」ではないと称する自衛隊に依拠したものであったわけですから。日本国憲法前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地 上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあります。いわゆる戦後革新・護憲派の第9条理解も、前段の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」しての「内向きの平和」に集中してきて、後段の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」については、必ずしも熱心ではなかったのではないでしょうか。

 ここから、自衛隊の海外派遣・憲法改正でアメリカ主導の「世界の警察官」の一員に加わる道があり、小泉内閣はこの数か月、急速にこの方向に向かっていますが、もう一つの道も、ありえます。それは、日本国憲法の恒久平和主義・国際平和主義を進んで地球社会に及ぼし、「戦争放棄・戦力放棄」国家として世界に認知させ、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地 上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」において「名誉ある地位」を求める道です。ヒューマニズムとインターナショナリズムを体現する、「新しい国家のかたち」です。残念ながら、21世紀の1年目に、その道は、か細いものになりました。しかし、まだ99年あります。2年目は、「この国のかたち」を、「普通の国」となってアジア諸国との摩擦をいっそう強める方向から、なんとかアフガン難民支援やNGO・NPOの平和の力で、世界の「恐怖と欠乏」克服に貢献する方向に切り換えたいものです。

 そのような方向への歩みは、実は9月11日以降の日本と世界に、萌芽的にせよ生まれつつあるのではないかというのが、「公共哲学ネットワーク」の年末シンポジウム「地球的平和問題――対『テロ』世界戦争をめぐって」への私の報告「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」の主旨でした。近日発売の『データパル 2002』(小学館)に発表される内容を含むため、著作権の関係で詳しく述べることはできませんが、「IMAGINE! イマジン」で追跡してきたこの間の日本のインターネット民主主義は、日本政治の深部で大きなうねりを創りだした、と思われます。たった1か月で2500万円を集め『ニューヨークタイムズ』等に意見広告を出した、きくち・ゆみさんらの「GLOBAL PEACE CAMPAIGN」、中村哲医師の講演会とネットワークがかみあって、1か月で2億5千万円のアフガニスタン難民支援を達成したペシャワールの会いのちの基金」の感動的活動、インターネット上で旋風のように広がった現代のフォークロア『100人の地球村』が、池田香代子さん=ダグラス・ラミスさんの『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)となって、すでに30万部に迫り出版界を席巻する勢い、等々に、私は注目します。理論的にも、小林正弥さん「黙示録的世界の『戦争』を超えて」のような新しい試みを生みだし、アメリカにも「市民の市民による市民のためのメディア」を掲げるCUGI(Citizens United Global Interest=クギ)というフレッシュなネチズン・グループが生まれました。インターネットに発するこうした動きが、やがては永田町・霞ヶ関も無視しえなくなるだろうと信じて、2002年も「IMAGINE! イマジン」イマジン反戦日誌IMAGINE DATABASE 2001Global IMAGINEIMAGINE GALLERYを大きくしていこうと思います。この点では、本年も、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

 年末の島崎藤村3男蓊助の資料調査から、いろいろ新しい事実がわかり、新たな検討課題が出てきました。特別研究室「2001年の尋ね人」は、とうとう1937年旧ソ連で粛清されたサーカス団員「ヤマサキ・キヨシ」についても、ワイマール末期在独日本語新聞「ベルリン週報」についても、直接的成果はなしに終わりました。もっとも「ヤマサキ・キヨシ」については、一緒に提携して進めてきた大島幹雄さんの月刊 デラシネ通信」KGB「ヤマサキキヨシ・ファイル」等資料が全面公開され、「ベルリン週報」についても、名前が「ベルリン通信」であった可能性、建築家白井晟一(1905-83)が編集に加わっていた可能性の高いことがわかり、研究そのものは、大きく進展しました。そこで、「2002年の尋ね人」として、この間トップで情報提供をお願いしている、1930年頃ベルリン・ポツダム広場での在独日本人の記念写真に入っている人々の候補者や、前回トップにかかげた村山知義の義弟岡内順三作と推定される白川敏(または白髭渡)「ベルリン紅団」という小説(?)に差し替えるべきなのですが、今回は、準備の余裕がありません。正月に島崎蓊助資料をじっくり読み込んだうえで、改めて情報収集センター を改訂し、集中的探索に入ります。まだまだ「戦時態勢下」ですので、ご了承下さい。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、12月11日号の横江公美『Eポリティックス』(文春新書)と山本武利『紙芝居』(吉川弘文館)に続いて、新年早々発売の1月15日号で、譚ろ美『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)とトルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』(草思社)を取り上げます。『毎日新聞』12月9日書評欄の和田誠さんによるイラスト入り記事、新年にしてはあまりに殺風景な更新ですから、右に掲げて、ご挨拶といたします。これをもって年賀状に代えさせていただき、新春年賀メールも失礼して、2002年に花開く予定の「島崎蓊助資料」解読に専念いたします。

 




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