ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
選挙のさいに参考になるサイトは、「情報処理センタ(リンク集)」の●永田町・霞ヶ関方面にまとめてあります。「落選運動」HP、選挙情報専門サイト「Election」、「世界の選挙のしくみ」「各国の選挙と政党」「国政選挙の歴史」「選挙に行こう勢」「SEIRON」、「OVER80」などがあります。「インターネットと選挙関連リンク集」「インターネットで政治に強くなる方法教えます」「サイレント・マジョリティ」「無関心党」「老人党」も覗いてみましょう。「平和への結集」という新しい選挙戦術が、始まりました。もともと国際的な運動ですが、政党単位ではありません。候補者本位です。「平和の実現というビジョンに向かって、所属、組織、団体を超えて多様な人たちがつながり、それぞれが平和を実現する主役になって一番得意なことをやっていく場であり、運動です」とあります。 日本自立プロジェクトや投票率アップ仕掛人プロジェクト、地球平和公共ネットワークなどで議論されています。そこで論点になっているのが、沖縄選挙区をモデルにして全国で「平和統一候補」をつくっていくこと、及び、小泉純一郎の過去のスキャンダルをどのように扱うかという問題。前者は、よく知られていることで、沖縄では、ローカル政党社会大衆党副委員長の糸数慶子さんを全国党の民主党・社会民主党に加え共産党も候補をおろして合流し、自民・公明の与党連合候補と一騎打ちになります。こうしたかたちで、特に選挙区選挙で「平和」を争点軸にし、参院選で小泉内閣を追いつめようという作戦です。後者は、年金未加入問題から派生して、ネット上で話題になっている小泉純一郎のレイプ・スキャンダル。一国の宰相の過去に関わる問題だから徹底追及・大宣伝すべしという声と、いやあらさがしのスキャンダルはうんざり、裁判で事実関係を係争中のプライバシーの問題だから、本筋のイラク自衛隊派遣・多国籍軍参加、年金法・憲法問題の政策論争の方で「平和」を導くべきで、スキャンダルをクローズアップするのはいかがなものかという声が、さまざまなメーリングリストでも、拮抗しているようです。私は平和運動は自衛隊や憲法に力を集中したらという立場ですが、それぞれのグループ・個人がさまざまに争点をつくり、追求していけばいいことです。小泉スキャンダルは、14日の国会でも話題になり質問・答弁がなされていますから、それはそれで議論すればいいでしょう。むしろ心配なのは、参院選の投票率と、社会全体に広がる閉鎖的な「不安」の心情。 かの「自己責任」ムードは続いていて、東京中野区の「君が代」強制批判のPTA会長、辞任に追い込まれるというニュースに暗澹。3月のスペイン総選挙を思い出しましょう。あの時のマシア神父の手紙を再録。政権交代は「恐怖の投票よりも、勇気の投票だった」という点がポイントです。「不安の投票よりも、勇気の投票」で、世論を変えることは可能です。今度は、私たちの番です。
『世界』7月号に、「大義の摩滅した戦争、平和の道徳的攻勢――『アブグレイブの拷問』をめぐる情報戦」を寄稿しました。本HPで展開してきた情報戦の、この一年の総括。4−5月の「ファルージャの虐殺」「アブグレイブの拷問」を、メディアとインターネットはどう伝え、いかに世界の世論を動かしたかを分析しました。『もうひとつの世界は可能だ』――世界社会フォーラムを特徴づける「多様なネットワークによる一つのネットワーク」「多様な運動体による一つの運動」の組織原理を、当初の原稿に、「差異の増殖と解放」と書いたのですが、編集部にもっとやさしくと言われて考え、最終的に「小異を捨てて大同につく」ではなく「差異を尊重して大義につく」と表現しました。日本で使われてきた「統一戦線」とか「革新共同」ではない、「平和への結集」の多様性・重層性のニャアンスを大切にするためです。他者の政治的・宗教的信条との差異を認めるだけではなく、その差異を大切にし、尊重できるような境地、しかもそのうえで、差異を捨てての共通性やアイデンティティを他者に求めるのではなく、大義(justice, a great cause)という価値判断をしての運動上での連帯、政治的アリーナでの接合、などという説明をしなければならないのですが、それを「差異を尊重して大義につく」というかたちにしてみました。もっといい表現があれば、それを使いたいと思います。ぜひ皆さんのご意見を katote@ff.iij4u.or.jp まで! 前回本トップでよびかけた「大正生れの歌・女性編」の歌詞探索の方は、嬉しいことに、探索4日目に、「男性編」をメロディ入りでネット上に紹介してきた「大正っ子」さんからの通報で、わかりました。やはり「なあお前」の対句は「ねえあなた」でした。下に改めて「男性編」と「女性編」の歌詞の対照を掲載。こうした心情が日本国憲法と「戦後民主主義」を支えてきた歴史的重みと、同時にそこに孕まれたジェンダー的問題性を、「平和への結集」「もうひとつの平和」への運動は、尊重しなければならないでしょう。
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2004/6/5 明日6月6日(日)は、全国で自衛隊のイラク派兵反対の行動Action 111が行われます。首都圏は「戦争・報道・知る権利〜「イラク」から見る日本 」午後2:00〜日本教育会館
一ツ橋ホール。もうすぐ発売の『世界』7月号に、「大義の摩滅した戦争、平和の道徳的攻勢――『アブグレイブの拷問』をめぐる情報戦」を寄稿しました。ご笑覧下さい。
2004/6/4 天安門事件15年、自民党改憲案、年金法案強行採決、米国CIA長官「情報戦」敗北で引責辞職、長崎の女児同級生殺人事件、橋田さん・小川さんご遺族記者会見、再びリコール隠し発覚の三菱自動車が謝罪広告かと思ったら、なんとユーザーをバカにした新車一面広告、というシラケた新聞を読んでいたら、下記の「大正生れの歌」を掲げる「大正っ子」ホームページ主宰の「きくやす」様から、「ツエッペリン号」イラスト付きで、待望の知らせ。「大正生れの歌(女性編)」の歌詞が判明しました。「此の歌は、おそらく20年くらい前にキングレコードから発売されたレコードで一躍有名になり、現在でもカラオケで歌われています。男性の方はよく聞きますが、女性の方は珍しい」のだそうです。さすが昭和史全体の体験者、なまじな研究者より、よく観察しています。案の定、「なあお前」の対句は、「ねぇあなた」でした。「大正っ子」のスーパーネチズン「きくやす」様、ありがとうございました。私にとっては、「ブナ林便り」吉田悟郎さん、「日々通信」伊豆利彦さん、「老人党」なだいなださんに続く、強力な高齢者サイトとのリンクです。心から感謝し、メロディ部分は「男性編」にリンクさせていただきます。
「大正生れの歌(男性編)」
これ実は、私が89年に東京都国分寺市元町公民館で連続市民講座の講師をつとめたさいに、出席者から教えてもらったもので、今日では「大正っ子のパソコン操作」という、老人パワーあふれるホームページの中に、MIDIメロディ・3Dアニメ・イラストつきで、4番まで収録されています。ブックレット執筆当時は、まだ私もパソコン覚え立てでファイルを保存せず、便利なインターネットなどこの世になくてわからなかったのですが、再版にあたって調べてみたところ、もともとの作詞作曲は旧制和歌山中学出身の小林朗さんという方で、軍歌風のメロディーは作曲家大野正雄さんが編曲して、1997年に亡くなった水戸黄門俳優西村晃(こう)さんが歌ってキャニオン・レコードから発売されたことがあるようです。その時中古レコードを買っておけばよかったのですが、これだけ反響がおおきくなって、ぜひ知りたいのが、この西村晃さん(実は生前のご住所は国分寺市東元町だったらしく、私の収録したのは、この西村さんのご近所の方からだったようです)のSPレコードのB面に入っていたらしい玉城百合子さん歌の「大正生れの歌(女性編)」の歌詞。どなたかご存じの方がいらっしゃれば、ぜひご教示ください。もう77歳以上であるはずの「大正生れ」世代の、男性のまなざしと女性のまなざしの違いを、分析してみたいのです。ちなみに、男性編の歌詞は、私のブックレットに収録したものが現在流布していて、3番・4番は高度成長の担い手たちの雰囲気が、よく出ています。ただしこの「なあお前」が、女性である夫人によびかけたものか、同期の男たちによびかけたものかも、ぜひ知りたいところ。そのためにも「女性編」――たぶん末尾が「ねえあなた」とでもなっているんでしょう――を知りたいのです。本HPの常連の皆さん、大正生まれのおじいさん・おばあさんに、たずねていただけませんか。知っていなくても、この歌を教えると、喜ばれること請け合いですよ。 katote@ff.iij4u.or.jp までご一報を!
ちなみに、早野透さんの紹介した、故永田正夫さん世代の替え歌「昭和6年生まれの歌」は、
・憲法問題サイトとして絶対オススメと、60万ヒット記念「情報処理センタ(リンク集)」更改で太鼓判を押した、松山大学田村譲教授「たむ・たむページ」に入っている田村教授作らしい辛口版「昭和終わり学生の歌」は、
こんな歴史探偵を始めたのには、いまひとつ理由があります。去る5月29日に、小林正弥さんの平和公共哲学研究会によばれて、「『もうひとつの世界は可能だ』――世界社会フォーラムから学ぶ」について話したさい、世界社会フォーラムを第一インターナショナル、第二インターナショナル、第三インターナショナルという19世紀以来の国際主義運動の流れにおいて、ヴァルター・ベンヤミンに示唆され万国博覧会になぞらえて説明したのですが、どうもこの「インターナショナル」の伝統自体が、若い人たちには、ピンとこないようです。小林一朗さんたちの「World Peace Now」の平和集会等で「イマジン」は歌われても、かつてのソ連国歌「インターナショナル」が歌われることは、なくなったためでしょう。その日本語版作詞者は、私の研究対象在独日本人反帝グループの一人佐野碩と俳優佐々木孝丸、まさに大正デモクラシーからプロレタリア文化運動への転形期でした。インターネットなら、各国語ヴァージョンも聞けます。福沢諭吉も見た1862年ロンドン万博にフランスの労働者750人がドーバー海峡を越えてやってきて始まった第一インター(1864-76年、国際労働者協会)については、マルクスも参加したはずですが、歌を歌った記録はみあたりません。でも、1889年7月14日、フランス革命百周年のパリで開かれた第二インター(国際社会主義会議)開会式では、ラマルセイエーズを歌ったと記録にあります。ちょうどパリ万博の年で、エジソン発明の白熱電球で飾られたエッフェル塔が完成して、帝国主義時代の幕開けを告げていました。
・1919年3月の第三インター(共産主義インター、コミンテルン)創立のさいは、インターナショナルが歌われたと、映画「レッズ」などにも出てきますね。言葉の通じ合わない世界各地から参集した人々が初めて連帯を共有するには、歌が一番だったんでしょうね。
・そして、2001年1月に始まった世界社会フォーラムでは、少なくとも9.11以後は、ジョン・レノン「イマジン」の大合唱が、「帝国」に対する「もうひとつの世界」のシンボルとして定着したようです。歌詞からもメロディーからも、大きな時代の流れが、なんとなくわかりますね。
インド・ムンバイでの第4回世界社会フォーラム成功の立て役者の一人ヴァンダ ナ・シヴァさんは、「生命系民主主義」の提唱者です。「生命系民主主義とは、あらゆる生命形態がこの地球上で生存するための、真の自由である。生命系民主主義とは、この惑星に生きるすべてのものの間で地球資源を平等に分かち合うことを通じて、生命を真に尊敬することである。生命系民主主義とは、毎日の生活でそのような民主主義的原理をたえず力強く表現することである」(フィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』第8章)。つまり、彼女のいう生命系民主主義(living democracy)とは、飢餓問題から遺伝子組み換えまで一貫した究極の民主主義です。ちょうど19世紀にシャルル・フーリエが人間の情念の多様性に即して共同体ファランジェを構想したように、宇宙の存在と生物多様性に即して、参加のあり方を組み替えるものです。先日若くして逝った故保苅実さんの「NOURISHING TERRAINS: アボリジニの大地」にも通じる精神です。ムンバイWSFについては、大手マスコミは無視しましたが、日本から出席した700人とも言われる人々が「地球上にいま起きている問題の見本市」だったとJCJほか多数の報告集会を開き、多くの参加記をネット上に発表しビデオも作られています。その13か国語同時通訳システムも、リナックスがベースで、画期的でした。しかし、シヴァさんにいわせると、いまや世界第二のスーパーパワーと見なされるにいたった世界社会フォーラム自体も、この4年の活動で制度化・中央集権化の危険を孕んでいます。日本の「自然と人間」誌に寄稿した「世界社会フォーラム──持続可能な経済と平和を築く政治を求めて」は必読。「市民運動が巨大な組織を作っても、かえって力を失うだけです。小さな組織、多様な運動こそが市民の力となる」「非暴力の運動こそが私たちの力です」という主張が印象的です。
こんな生物と人間の「差異化と収斂」の大きな流れの中では、ネオコン主導のブッシュ帝国は、アメリカ史にとっても変調。将来は「大量破壊兵器」とか「民主化」と言って戦争を始めながら、敵の大将の持っていた拳銃をホワイトハウスで見せべらかしはしゃいでいた大統領、戦場ビジネスで大もうけをした副大統領のいた最悪コンビの時代として、記憶に残るでしょう。でも、その米国民の6割も認める「イラクのベトナム化」に、17年セミのようにすがる小泉首相の日本政府は、二人の外交官に続いて、またしてもジャーナリスト二人の日本人犠牲者を、出してしまいました。違憲論を離れ、イラク特措法に照らしても、もはや「非戦闘地域」などなくなりつつあるサマワで、いつのまにやら、私たちの望む「撤兵」どころか、「有志連合」が「多国籍軍」と名を変えて永続化しそうです。「日本のシベリア出兵化」です。でも「人道支援限定」なんてレッテルは、ファルージャの虐殺を体験し、アブグレイブの拷問を見たイラクの人々には、効かないでしょう。橋田信介さんのような文字通りの尊い「人道支援」が、自衛隊の軍服のおかげで抹殺されてしまうのですから。ようやく子どもたちと再会した地村富貴恵さんが孤独に耐えた歌は都はるみさんの「♪北の宿から」だったとか。まだまだ大変な曽我ひとみさんの心の支えは、森山良子作詞「♪涙(なだ)そうそう」 だとか。「大正生れの歌」が軍歌調だからといって顔をしかめる「インターナショナル」派の人は、実は自分が同じ軍歌調なのに気づいていないだけで、今日の「護憲・活憲・論憲・加憲・創憲・改憲」の布置状況のなかでは、かけがえのない味方を失うことになるでしょう。私たちの「もうひとつの平和」は、アムネスティ・インターナショナル報告書2004もいうように、「グローバルな価値に対するたたかい」なのです。日本でいえば、喜納昌吉&チャンプラーズの「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、すべての人の心に花を、戦争よりも祭りを」です。最後に、最近書いた論文のために用意し、スペースのために使えなかった歌を一曲。なんと、サザンの桑田君です。もちろんこれもネットから。関心ある方は探索を。
60万ヒット記念で全面改訂・更新した「護憲・活憲・論憲・加憲・創憲・改憲」等「
政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」は、「情報処理センター」「IMAGINE!
イマジン!」内です。2月に「東京新聞」「朝日新聞」「ジャパン・タイムズ」「中文導報」等で大きく報じられた「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」の全文が、5月10日発売『文藝春秋』6月号に掲載され初公開されました。次回更新で、原資料スキャナー版を含め、全世界に公開する予定です。『週刊 エコノミスト』5月25日号に寄せたクラウス・レゲヴィー著、斉藤寿雄訳『ナチスからの「回心」――ある大学学長の欺瞞の人生』(現代書館)桜井哲夫『戦間期の思想家たち――レヴィ=ストロース・ブルトン・バタイユ』(平凡社新書)と、『週刊読書人』4月23日号掲載米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)が、最新の書評。法政大学『大原社会問題研究所雑誌』4月号掲載遠州尋美さん『グローバル時代をどう生きるか』書評と、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」女子学院中学校「祖父母の戦争体験」編集委員会編『15歳が受け継ぐ平和のバトン――祖父母に聞いた235の戦争体験』(高文研)、鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社)、大門正克・安田常雄・天野正子編『近代社会を生きる』(吉川弘文館)、安丸良夫『現代日本思想論』(岩波書店)以下、屋名池誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ――歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書)、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版)、 安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書)、小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)、山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)、等々もどうぞ。翻訳書ですが、フィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序文世界社会フォーラム記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another
World Is Possible
)』は、「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」の母胎です。「差異の増殖と解放」をもとにした「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」を、ぜひ味わってください。図書館「書評の部屋」には、他にもアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)等々が入っています。「国際歴史探偵」関連は、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8
・10)をもとにした講演記録「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」(『社会主義』2004年2月号掲載)に、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」が入ってます。現代史研究室には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せたネグリ=ハートの大著『帝国
EMPIRE』の批判論文、、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)等もどうぞ。世界社会フォーラム(WSF)系列は、「反ダボス会議のグローバリズム」、「情報戦時代の世界平和運動」、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「国家論」、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」等で。教育センター内の一橋大学関係講義・ゼミ情報は新学期で一新し、今年3月に卒業したゼミナール学生たちの卒業学士論文が、新たに加わりました。イラク戦争と自衛隊派遣が政治的論点になると同時に、ジャンクメールとウィルスが荒れ狂っています。たとえ私の名前のメールでも、件名が不明確で怪しげなファイルが添付されていたら、絶対に開かずにゴミ箱に入れてくださるようお願いします
それにひきかえ、日本政府には、外務大臣がいないのでしょうか。昨日の小泉首相訪朝・金正日首脳会談は、拉致被害者蓮池さん・地村さんのこどもたち5人は取り戻し、平壌宣言を再確認した点は世論も評価しているものの、曽我さんの家族3人は米国軍法会議の壁で、首相自らの説得も空しくおあずけ。未帰還者にはほとんど成果なしの「再調査」約束のみで、横田茂さんら家族会のいうように「予想した範囲の最悪の結果」。核問題でも実質的進展なくNPT復帰も曖昧、せいぜい外務大臣か官房長官が行けばできたこと。年金未加入・自衛隊サマワの苦境から目をそらそうと、首相自身が拙速にでかけた選挙向けパフォーマンスは、会談は通訳付きでたった90分、首相記者会見前に、朝鮮中央通信や朝鮮総連が「成果」を発表する始末。もともと国交のからむトップ交渉は、一度訪問したら、次は訪問を受けるのが常識。それを山崎・平沢の裏取引情報を信じこみ、「政府高官」でよかったものを、飯島秘書官による日本テレビへの言論弾圧までして、切り札の首相が出かけてこの程度では、家族会ならずとも、がっかり。昨年1月、ニューヨークタイムズ意見広告で訴えた内容を、再確認しておきます。本HPトップのブルーリボンは、まだまだはずせません。
意見広告7人の会(重村智計、高世 仁、勝谷誠彦、加藤哲郎、日垣 隆、湯川れい子、有田芳生)
2004/5/15
つぎつぎに明るみに出る、イラク米軍アブグレイブ刑務所の「虐待」写真の数々。インターネット上にも氾濫しています。忌まわしく、おぞましくはありますが、目をそむけてはいけません。「陽気なヤンキーの悪ふざけ」などと、けっして免罪してはなりません。写真の被写体になり訴追された兵士たちの証言からも明らかなように、カメラの側にいる上官の命令に従った、組織的な「拷問」です。拷問場面の撮影自体が、情報戦の一環なのです。刑務所の中ばかりでなく、街頭でも行われています。ファルージャで、ナジャフの検問所で、日常的に行われているのです。戦後占領下に米軍に検閲された日本の新聞は、「大男の仕業」などと、奴隷の言葉で書いていましたが、いまは、世界のネチズンたちのネットワークで、米軍報告書と共に、世界中で目撃できるのです。ネオコン・ウォルフォヴィッツ国防副長官でさえ、捕虜に関するジュネーブ協定違反と認める戦争犯罪であるばかりでなく、アルカイーダ関係容疑者を収容するキューバの米空軍グアンタナモ基地から持ち込まれた、米軍諜報機関やCIAの対ゲリラ尋問マニュアル通りです。まだマスコミ非公開の大量の写真・ビデオを見たリチャード・ダービン米国上院議員(民主党)は、「地獄図だった。上の方の了承なしに、こんなことが起きたとは、信じられない」とコメントしました。 たしかにそれは、想像を絶する「地獄」です。なにしろ兵士は「刑務所を地獄にするように」命じられていたのですから。ただし、刑務所の中だけが、地獄ではありません。虐殺に見舞われたファルージャの街全体が、空爆で「地獄だ、皆壊される」と悲鳴をあげる状態だったのです。無差別空爆による犠牲は、一瞬の死だから許されるのでしょうか。「イラク都市の爆撃を傍観してはならない」 ――あらゆる戦争は、地獄です。正義の戦争も、きれいな戦争もありません。アシスト社長ビル・トッテンさんは、「米国企業のための戦争」と喝破しています。益岡賢さん「拷問について」末尾に引かれた、ダグラス・ラミスさんの言葉。
そんな戦争のさなかに、「非戦闘地域」など、あるはずはありません。自衛隊の駐留するサマワでも、ついに治安を担当するオランダ兵犠牲者が出て、日本の自衛隊イラク派兵の不合理は、白日になってきました。第一「人道支援」のはずが、給水作業さえできずに、ハリネズミのように宿営地にとじこもっています。しかもサマワでは、フランスのNGO(非政府組織)ACTEDが、日本外務省の無償資金協力約4000万円で現地イラク人自身による給水活動を開始します。給水対象は約6万人で、400億円も使った自衛隊の給水目標1万6000人を大幅に上回ります。人道支援目的で派遣された自衛隊が、最重要な任務で、NGOの力に「負ける」というのです。オランダ軍が撤退したら、どうするつもりでしょうか。5月13日の「琉球新報」社説は、「イラク撤退の流れ・自衛隊も検討すべきだ」と主張しました。 でも日本のマスコミは、ついに110人を越えた国民年金未払い議員を求めて、大わらわ。出るわ出るわで、福田官房長官以下7閣僚にとどまらず、年金法案責任者の厚生労働副大臣二人も未納、小泉首相自身が未加入歴。民主党は菅代表詰め腹以下、うじゃうじゃ総退陣で、「創憲」ならぬ「改憲」派小沢一郎が、なんなく「代表」をハイジャック。主務大臣を出した年金負担増・受給減法案の元凶公明党は、なんと神崎・冬柴以下最高幹部が、法案衆院通過後初めて未納を公表する、あきれた醜態。「護憲」の土井たか子以下社民党・共産党からも未納議員が出てきて、強くは追及できず。石原都知事から筑紫・安藤・田原・小宮らテレビ・キャスターまで、永田町の外も総崩れ。ラムズフェルド国防長官を辞めさせられないアメリカ議会も非力ですが、こちら日本の「国権の最高機関」国会は、法案審議中の携帯電話やマンガ読みの話まで出る混迷と、ていたらく。そこに、姑息な小泉首相の22日訪朝決定。拉致被害者家族の無条件帰国、安否不明の被害者救出は当然のことですが、どうも参院選挙向けのパフォーマンスが見え見え。人権問題の政治利用も気になりますが、このポピュリスト首相の政治手法には、敢えて「戦時体制」の雰囲気をつくりだし、挙国一致の「大統領型首相」を演出する、巧妙な情報戦略が見えます。迷走民主党の小沢代表決定と、首相自身の年金未加入、それに訪朝決定のニュースのどれがトップを飾るかを、計算し尽くした動きです。もちろんそれで、オランダ軍の撤兵問題も、いまや不可欠の盟友公明党の政治責任もチャラにして、有事立法を通す魂胆でしょう。ネチズンは、イラクやパレスチナから目を離さず、「護憲・活憲・論憲・加憲・創憲・改憲」の基本的構図を忘れず、「もうひとつの平和」に向かって、憲法第9条を地球憲章に、「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」に署名をの運動を進め、「IMAGINE! イマジン!」や「ブナ林便り」でよびかけが始まった共同声明「ファルージャの虐殺とイラク全土の戦場化のなかで 米軍の武力行使の即時中止と日本政府の戦争支持撤回、自衛隊の撤退を訴えます」のような動きを、自分たちの情報戦として、創出していきましょう。
「戦時体制」とは、平時なら犯罪になる殺人が国家から奨励・強制され、ひとつひとつのかけがえのないいのちが数量化され、顔が見えなくなる時です。5月10日、一人の日本生まれの若者が、地球の裏側のオーストラリア・メルボルンで、天界に召されました。日本学術振興会特別研究員★保苅実君、享年33歳でした。★保苅実君は、新潟県出身、一橋大学経済学部に入学して、私の担当する政治学ゼミナールでも、熱心に勉強しました。そのまま一橋大学大学院に進学し、オーストラリア国立大学で先住民アボリジニの研究で博士号を取得、慶応大学所属の日本学術振興会特別研究員として、本格的な研究者になる矢先でした。私にとっては本カレッジ★客員名誉教授故ロブ・スティーヴンに続く、オーストラリアでの喪失です。昨年8月、オーストラリアでアボリジニの古老から話をきき、メルボルンに戻る途中、突如背中に激痛が走り、倒れて入院、そこから9か月の、いのちの闘いがありました。教育にたずさわるものとして、一番悲しく辛いのは、自分より年下の、未来ある教え子に、先立たれることです。★保苅実君も懸命に、病いと闘いました。その生きる勇気は、感動的なものでした。肉体の衰えを、気力でカバーしました。9か月のあいだに幾度か、私たちに長文の和文・英文の闘病メールをくれました。亡くなる3日前まで、日本語での処女作、『ラディカル・オーラル・ヒストリーー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(御茶の水書房、7月刊行予定、2200円)の校正を続けていました。ガッサン・ハージ著『ホワイト・ネイション―ネオ・ナショナリズム批判 』(平凡社)、デボラ・バード・ローズ著『生命の大地―アボリジニ文化とエコロジー 』(平凡社)など話題の翻訳を手がけ、オーラル・ヒストリーの世界で、若手のリーダーに育ちつつありましたが、単著は初めてでした。「ローカルかつグローバルな歴史に向けて」大きくはばたく直前のことでした。連休明けに、メルボルンの病院から、最期のメッセージが届きました。それが、そのまま、遺言になりました。遺されたものに勇気を与え、生きる喜びを分かち、生きとし生けるものの「つながり」の鎖を、過去から未来へと、イラクやオーストラリアの砂漠まで、つなぎあわせる希望の声でした。合掌!
60万ヒット記念で全面改訂・更新した「護憲・活憲・論憲・加憲・創憲・改憲」等「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」は、そのまま「情報処理センター」「IMAGINE! イマジン!」に。もうひとつ、2月に「東京新聞」「朝日新聞」「ジャパン・タイムズ」「中文導報」等で大きく報じられた「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」の全文が、5月10日発売『文藝春秋』6月号に掲載され初公開されました。これも60万ヒット記念です。発売一か月後に、原資料スキャナー版を含め、全世界に公開する予定です。『週刊読書人』4月23日号掲載米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)と、『週刊 エコノミスト』4月20日号に寄せた女子学院中学校「祖父母の戦争体験」編集委員会編『15歳が受け継ぐ平和のバトン――祖父母に聞いた235の戦争体験』(高文研)、鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社)が、最新の書評。法政大学『大原社会問題研究所雑誌』4月号掲載遠州尋美さん『グローバル時代をどう生きるか』書評と、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」掲載大門正克・安田常雄・天野正子編『近代社会を生きる』(吉川弘文館)、安丸良夫『現代日本思想論』(岩波書店)以下、屋名池誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ――歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書)、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版)、 安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書)、小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)、山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)、等々もどうぞ。翻訳書ですが、フィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』は、「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」の母胎です。「差異の増殖と解放」をもとにした「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」を、ぜひ味わってください。図書館「書評の部屋」には、他にもアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)等々が入っています。「国際歴史探偵」関連は、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)をもとにした講演記録「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」(『社会主義』2004年2月号掲載)に、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」が入ってます。現代史研究室には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せたネグリ=ハートの大著『帝国 EMPIRE』の批判論文、、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)等もどうぞ。世界社会フォーラム(WSF)系列は、「反ダボス会議のグローバリズム」、「情報戦時代の世界平和運動」、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「国家論」、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」等で。教育センター内の一橋大学関係講義・ゼミ情報は新学期で一新し、今年3月に卒業したゼミナール学生たちの卒業学士論文が、新たに加わりました。イラク戦争と自衛隊派遣が政治的論点になると同時に、ジャンクメールとウィルスが荒れ狂っています。たとえ私の名前のメールでも、件名が不明確で怪しげなファイルが添付されていたら、絶対に開かずにゴミ箱に入れてくださるようお願いします
5月3日は、憲法記念日です。イラクの自衛隊派兵地周辺がどんどん「戦闘地帯」になっているのに、4月25日の衆院補選は、3県とも自民・公明与党の勝利。抜本改革にはほど遠い年金法案も、官房長官・経済閣僚以下7人に民主党代表・前代表までの国民年金未払いスキャンダルを残し、公明党主導の国会通過に。次は、「国民保護法」という名の有事立法総仕上げ法案も準備されています。既成事実がどんどん進みますから、若者たちからは「理想は正しいが現実的ではない」などと論憲・改憲意見が強まるのは必至。最新の毎日新聞世論調査では(4月17・18日の「自己責任」の嵐の中での調査、以下、当初のアップに誤りがあったので訂正)、憲法「改正すべきだ」59%・「改正すべきでない」31%、無回答10%、5月1日発表の朝日新聞調査(4月11・12日、「日本人3人拘束、解放か」第一報時調査)では、憲法改正「必要」が初めて過半数をこえ53%・「不要」35%でした。朝日で改正を必要と考える理由は、「新しい権利や制度を盛り込むべきだから」が最多の26%、改憲派の半数は、プライバシー権や環境権など「新しい権利」に目を向けています。続いて「アメリカの押しつけではない憲法をつくりたいから」14%、「第9条に問題があるから」7%、「文章がわかりにくいから」5%の順。朝日は憲法9条についても聞いており、9条改正「必要」31%・「不要」60%と、3年前の前回ほどではありませんが、改正賛成理由が多様化し、改憲意見が多数になっても、なお第9条改正には直ちにつながらない状況は続いています。9条改正派にどのように変えるのがよいかを重ねて聞くと、「自衛隊の役割として国際貢献を明記する」が13%でトップなそうです。毎日新聞調査では、「改正すべきだ」が最も多いのは40代の69%、最も少ないのは70代の45%、男女別では、男性の「改正すべきだ」が58%だったのに対し、女性は61%だった点が注目されます。政党支持別では「改正すべきだ」は自民党支持層の68%、公明党も67%を占め、民主党でも55%と過半数を超えたそうです。自公両党とも反対は20%台にとどまったのに対し、民主党は反対も43%と多く、支持層の間でも意見が割れている、といいます。「改正」賛成者に、憲法9条1項でうたっている「戦争の放棄」を変更する必要はあるかを聞いたところ、「変更して、自衛権を明記すべきだ」50%、「変更する必要はない」45%、9条2項の「戦力不保持」変更の必要性については、「変更して、自衛隊を持つことを明記すべきだ」57%、「変更する必要はない」36%なそうです。改憲賛成者の増加と自衛隊のイラク派遣との関連をみると、派遣賛成者(47%)のうち改憲賛成は74%、反対は19%だったのに対し、派遣反対者(46%)では、改憲反対、賛成派はほぼ同数だったとか。国会の憲法調査会では「賞味期限切れ」が公然と語られ、「論憲」がいよいよ9条にまで浸透して、自衛隊イラク派兵という既成事実が「憲法政治」の焦点にせり上がってきました。経済同友会、日本商工会議所に続いて、財界総本山の日本経団連も改憲提言の委員会設置を決定、日本国憲法の正統性の危機は、深刻です。
しかし、改憲・論憲・護憲のいずれの立場の人にも、よく考えてもらいたい点があります。一つは、いったいちゃんと憲法を読んだうえで、世論調査に答えていますか、ちゃんと賞味したうえで「賞味期限切れ」というのですか、という点です。改憲意見が最も多い40代の人々は、企業戦士の最前線でしょう。中学・高校の教科書以来、憲法に接したことはあるでしょうか。せめて前文・9条を、音読したことはあるでしょうか。第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」や、第27条「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律(労働基準法)でこれを定める」、第28条「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」 を、自分の暮らしや会社に引きつけて味読したことはあるでしょうか。 「労働基準法」や「教育基本法」も、民法や刑法の改正も、もちろん私たちの言論・思想・表現の自由も、男女平等・移動の自由も、この憲法によって保証されていることを、体感したことがあるでしょうか。憲法は、神棚に供えたり、冷凍室に保管するものではありません。使いこなし、味付けして、賞味するものです。 まずは本HP左上常設のロゴをクリックし、音読してみましょう。いま悩んでいる問題と、ふれあう条項はありませんか? 英語版で読むと、もっとわかりやすいかも知れません。、
もう一つ、グローバル化の進む今日、国の最高法規たる憲法の改正は、国内問題にとどまりません。この国がどこからどこへ行くのかを、60億をこえた人類に対して説明する義務と責任が生じる問題だということです。この点では、私の何十カ国かの海外体験からしても、日本研究者以外で日本国憲法を知る人は、ほとんどいません。わずかに第9条がある程度知られていても、「Self-Defence Force=自衛隊」などというややこしいニュアンスを理解してもらうのは容易ではありません。いや日本政府自体が、憲法にもとづく説明責任を果たしてこなかったのです。それどころか、与党の幹事長がワシントンまででかけて「改憲」を叫んでいるのです。ここでも憲法は、生き物です。米国オーバービー博士の提唱する「人類の英知である憲法9条にノーベル平和賞を与え、世界の憲法に」という主張は、決して夢物語ではありません。先日5人の日本人がイラクで人質にとられたとき、「自衛隊を派兵する前に、日本のパスポートに憲法第9条を印刷して、民間人道支援だけでイラクとつながっていたらどうなっていただろう」と書きました。それは、本HPの目玉の一つ「国崎定洞」研究で、旧ソ連秘密資料「国崎定洞ファイル」中に、国崎定洞の1925年ドイツ留学時のパスポートを発見していたからです。そこには、「東京帝国大学助教授 国崎定洞 31年11ヶ月 右は 官命ニ依リ独国ヘ『労農露国及波蘭経由』 赴クニ付通路故障ナク旅行セシメ且必要ノ保護扶助ヲ與ヘラレム事ヲ其筋ノ諸官ニ希望ス 大正15年9月7日 日本帝国外務大臣正3位勲1等男爵 幣原喜重郎」 とありました。「官」丸出しです。現代日本のパスポートはどうでしょう。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」 とあります。こんな味気ない文章でなく、ここに憲法前文が印刷されていれば、せめて「平和国家日本の国民である」と日米両語で書かれていれば、5人が「人道目的」での入国であることは、5人が生命の脅威にさらされ、心ある市民やNGOが寝食を忘れて奮闘し武装民兵勢力を説得するまでもなく、最初のアルジャジーラ・テレビの脅迫シーンで、世界に示せたのです。4月29日に開かれた公共哲学ネットワーク・シンポジウム「平和への結集」では、第二部に登場した<イラク反戦>世代の若者たちから、憲法を世界に向けて発信し活性化する(「活憲」と言ってました)いろいろなアイデアが出されて、頼もしく思いました。まずは防衛庁ではなく「平和省」「平和大臣」をおき、自衛隊を国際災害救助隊やグリーン・ディフェンス・フォースに組み替えて、NGOなどの人道支援と組み合わせて統括する。日本の外交文書や多国籍企業のレターヘッドには、前文や9条を印刷しましょう。今日から25か国になったEUにならって、アジア地域にも地域平和連合をつくり、日本から「アジア非核平和憲章」を提案する。創価学会も後押ししているらしい「地球憲章」に平和憲法の心髄を採り入れるよう提案することも、有意義でしょう。すでにNGOレベルでは、99年ハーグ世界市民平和会議の「公正な世界秩序のための10の基本原則」の第一原則に「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と採用され「非暴力平和隊」に結実し具体化した実績もあります。21世紀に入り、9.11以後の世界であればこそ、マハトマ・ガンジーやキング牧師の思想と組み合わせて、憲法第9条を世界化する条件が生まれているとも、考えられるでしょう。地球上の他の地域の人々と一緒になって、憲法(Constitution)を地球憲章(People's Charter)に構成(constitute)し直すことは、グローバルな立憲主義にもかなうものです。もちろん、地球的規模での民主化――自由の拡張と参加を伴って。せめてそれぐらいの外交努力をしたうえで、その地域版の一国平和憲章に「改正」しても、遅くはないでしょう。ここでも、「プディングの味は食べてみなければわからない The proof of pudding is in the eating. 」です。
そのために、緊急になすべき事があります。かつて1980年代に「経済一流・政治三流」といわれた時代を通り越し、そもそも地球社会での日本国家の賞味期限が危うくなっていることを、深刻に考える必要があります。こちらは「冬のソナタ」ブームで「ヨンジュン様」などと浮かれているあいだに、おとなりの韓国では、先の総選挙で圧勝した新与党ウリ党当選議員を対象とした調査で、驚くべき結果が出ました。「最も重視すべき外交通商相手国として63%が中国を選び、日本を挙げたのはわずか2%に過ぎず、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に強く抗議すべきだと考える当選者が40%に上ったこと」というのです。「外交的問題が生じても日本に強く抗議し、断固たる措置を取るべきだ」とする回答も40%に達しました。日本国債の格付けは、相変わらずG7で最低、ボツワナ水準です。かつて米日欧3極といわれましたが、拡大EUがドルに匹敵するユーロ圏になって「世界の貯金箱」円は沈没、中国経済の台頭で「アジアの盟主」の時代も終わりつつあります。地球社会でのバーゲニング・パワー全体が、弱化しているのです。もちろん一部の多国籍企業は、生き残るでしょう。ここでも要注意。財界総本山の改憲提言を発した日本経団連の責任者は、世界企業ビッグテンに入るグローバル・ブランド「トヨタ」の会長です。自動車市場は、いまや中国が世界第二位です。小泉首相の靖国参拝と同じように、国際的反応を覚悟すべきです。本年1月のムンバイで第4回を迎えた世界社会フォーラムには、いまやノーベル経済学賞受賞者・元世界銀行副総裁スティグリッツのような良識ある経済人も加わって、昨年2月15日の1500万人のイラク開戦反対平和行動を組織できただけでなく、「もう一つのグローバル化」の経済政策を立案し、21世紀にふさわしくない企業の規制や不買運動を組織できる力を備えてきているのですから。地球社会に依存した経済でもっている国であるからこそ、「平和憲法」を積極的に発信し、地球社会に溶け込むべきなのです。前回更新で、米国にとっての「イラクのベトナム化」の始まり、日本政府にとっての「自衛隊派兵のシベリア出兵化」の道、と述べました。ノーム・チョムスキー、イマニュエル・ウォーラーステイン、サミール・アミン、スーザン・ジョージ、ウォルデン・ベロら世界社会フォーラム『もうひとつの世界は可能だ!』でおなじみの世界の知性に、『通産省と日本の奇跡』のチャーマーズ・ジョンソンや多数のイタリア国会議員らも加わって、「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」が4月9日に全世界に発せられました。イラク戦争の国際的・平和的解決とイラク民衆自身の民主主義的自律こそ、今日のイラク戦争の抜本的打開策です。ここから、誰でも署名できます。すでに多くの日本市民が署名に加わっていることを、嬉しく思います。5人の日本人人質早期解放が、自衛隊派兵の追認・小泉政権の延命につながるようでは、この国の民主主義の質が問われます。この署名に多数の著名人が名を連ね、まだ「人質」が続くイタリアでは、イラク撤兵世論がついに7割となりました。
「東京新聞」「朝日新聞」「ジャパン・タイムズ」「中文導報」等で大きく報じられた毛沢東と野坂参三と蒋介石の天皇制をめぐる手紙発見の件は、もうすぐ雑誌論文として発表されます。その発売一か月後に原資料スキャナー版を含め、全世界に公開します。「国際歴史探偵」関連は、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8
・10)をもとにした講演記録「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」(『社会主義』2004年2月号掲載)に、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」が入ってます。現代史研究室には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)もあります。『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せたネグリ=ハートの大著『帝国
EMPIRE』の批判論文、、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)等もどうぞ。世界社会フォーラム(WSF)系列は、「反ダボス会議のグローバリズム」、「情報戦時代の世界平和運動」、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「国家論」、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」等でどうぞ。教育センター内の一橋大学関係講義・ゼミ情報は新学期で一新。イラク戦争と自衛隊派遣が政治的論点になると同時に、ジャンクメールとウィルスが荒れ狂っています。たとえ私の名前のメールでも、件名が不明確で怪しげなファイルが添付されていたら、絶対に開かずにゴミ箱に入れてくださるようお願いします。
2004/4/18 問題は、解決したわけではありません。しかし、ホッとしました。安田純平さん、渡辺修孝さんが、やはりそのイラク民衆支援の活動が認められ、解放されました。ようやく通常ペースに戻れます。それにしても、政府与党・マスコミの「自己責任」キャンペーンのすさまじさ。この情報戦は、世論にも大きく影響を与えています。イラクに自衛隊だけが残り、一方的な米国経由の情報だけで、ファルージャの虐殺のようなイラク戦争の実相と行方が見えなくなったら、とおそれます。神戸の被災地NGO恊働センターから、メールが送られてきました。<被災地KOBEは、10年前に阪神淡路大震災に遭い、甚大なる被害を被りました。その節は、国内外から多大なるご支援を頂き、ほんとうにありがとうございました。……10年前の「あの時」、延べ130万人のボランティアが被災地KOBEに駆けつけて来られました。おそらくそのほとんどは、余震も含め危険な被災地に、誰かに言われたからではなく、自らの意志で被災地の救援活動のために駆けつけて来てくれました。その時のエネルギーが、その後10年にわたる復興の過程で大きくプラスの影響を与えたことは周知の事実です。よく「自然」災害と「紛争」災害は違うと言われます。もちろん違うことは認識しているつもりです。しかし、内容の差はあるにしろ、どちらもその地の復興(再建)に寄与する活動として重要な位置づけをされるものであることは間違いないことだと言えます。……災害後のボランティアが活動する対象分野は、ほとんど「公」領域にあるものだと理解します。残念ながら、被災地の行政も大打撃を受けたために、普段なら対応できていた筈の多くの公的事業ができなくなり、全国から駆けつけたボランティアに依存したのです。その結果、見事に「支えあい、助け合い」の社会が”いっとき”成立したのです。あの時、私たち被災地の多くの人間は「人間は一人では生きていけない。支えあって、助けあって生きていくのだ。そしてその過程で自立・自律を獲得していくのだ」というようなことを学んだのです。今、与党自民党議員の発言から、国会で「渡航禁止」についての立法措置についての議論が起こっています。この「渡航禁止」の内容は、おそらく「危険なところにはボランティアやNGOは行くな!」というものになるのでしょう。そうなると、今回のようなイラク、あるいはKOBEのような被災地に行くなということになります。一体、10年前に学んだことは何だったのでしょうか? ……10年前のあの時から「たった一人の命も大切に!」と言い続けてきました。今回のイラクの泥沼状態を見て、私たちが大切にしなければならない視点は、星川淳さんも指摘されておられます「誰も殺してはいけない、誰も殺させてはいけない、誰も殺されてはいけない」ということではないでしょうか? 今こそ、NGOとして声をあげなければ、人間の住めない日本になってしまいます。>――強く共感します。
2004/4/17 <幸い3人は無事「解放」されたわけだが、決して何かが「解決」したわけではない。まだ2人の日本人が行方不明になっていることもあるが、それだけではない。拘束されている外国人はほかにも多数いる。殺害のケースもある。米軍のファルージャ攻撃は続き、アメリカはさらに軍隊を増派しようとしている。占領下でのイラク人の生活はそのままで、この後もまた外国人の誘拐は続くだろう。そして、イラク人の死者はさらに増えるだろう。何も解決していない。よく考えれば、実はいまこそ自衛隊は撤退の選択肢を選んで、僕達は自衛隊のイラク撤退をさらに強く求めた方がいいのかもしれない。今回は単にイスラム聖職者協会だけでなく、イラクの人たちに助けられた。3人の人質は解放されたが、実はまだ日本と日本人はある意味で「人質」になっている。次の人質は、僕かもしれないし、あなたかもしれない。それが、アメリカの推し進める「対テロ戦争」の行く末だ。次の犠牲者が出る前に、今度こそ自力で「何かを選択すべき時期」が来たのではないか>――今なおバグダッドに留まり、日本政府や自衛隊とは別の視角からイラク戦争を体感し、報道し続けている、綿井健陽さんの言葉です。3人の解放は、イスラム聖職者協会の仲介で、モスクで行われました。ファルージャの束の間の停戦の最中に、米軍は、またモスクを砲撃しました。「あるイラク人の母親から、ファルージャで殺された米国人の母親たちへの手紙」が「貴女達の兵士が使用した大量破壊兵器、特に劣化ウランのせいで酷く変形して生まれるのを見るために、9ヵ月間赤ん坊を子宮に抱えていなければなりませんでした」と率直に語り、高遠菜穂子さんが「嫌なことされたけど、イラク人のこと嫌いになれない」と述べたことが、どうして非難されなければならないのでしょう? 政府、自民党、公明党からマスコミまで、この国では「自己責任」「自業自得」はては「自作自演」説から「損害賠償請求」まで出てくる始末です。冷静に考えましょう。政府ってなんでしょう? 何のためにあるんでしょう? 主権在民って、どういうことでしょう? 「誰もリスクを冒さなければ私達は前進しないでしょう。日本の市民がよりよい目的のため、身を挺したことをうれしく思う。日本人はそういう行動をした市民を誇りに思うべきです」――誰あろう、アメリカ国務長官パウエルの言葉です(TBS金平茂紀さん会見)。本HPのこの間の連日更新にも、多くの反響をいただきました。でも、安田さん、渡辺さんは、まだ行方不明です。情報戦は続いています。しばらく英語ページGlobal Netizen
College!更新の方を優先致します。
2004/4/16 今井紀明君、高遠菜穂子さん、郡山総一郎さんがようやく解放されました。長い一週間でした。本当に嬉しく、ホッとしました。昨夜拘束されたという安田純平さん、渡辺修孝(のぶたか)さんの安否が心配です。安田さんは、民衆の目線でイラクの「人間の楯」を報道してきたジャーナリスト、私の職場である一橋大学社会学部の卒業生で、昨年12月の西日本新聞では、「自衛隊派遣はサマワのような安全な地域には不必要だ。逆に自衛隊が行くことで、攻撃の標的になり、平和を乱しかねない。これまで起きている自爆テロや軍に対する攻撃には、国際的な影響を計算した政治的意図が感じられるが、日本の自衛隊を襲えばその政治的効果は絶大だ。米兵さえ殺害される中、自衛隊員も派遣されれば殺害される可能性が極めて高い」と述べていました。渡辺さんは、元自衛官でありながら、昨年6月に発足した人権団体「米兵・自衛官人権ホットライン」連絡センターの「憲法に禁じる米占領軍の支援のためのイラクへの自衛隊派兵に反対し、この派兵に人間の良心において反対し、その出動命令を拒否し、行動することを自衛官と家族の呼びかけ、自衛官と家族の人権・生命・生活の問題に取り組む」活動に賛同し、参加してきた青年です。イラク現地からのレポートを寄せていました。3人と同じように、イラク民衆の仲間であることが認められ、早期に解放されればいいのですが。
2004/4/15 ファルージャの攻防が、宗教や部族をこえた反米・反占領の国民的抵抗闘争の様相を示し、日本人3人を含む「外国人人質」12か国40人が強制された「人間の楯」となっています。米国にとっての悪夢「イラクのベトナム化」の始まりです。それに追随する以外に無策の日本政府にとっては、「自衛隊派兵のシベリア出兵化」の道です。ノーム・チョムスキー、イマニュエル・ウォーラーステイン、サミール・アミン、スーザン・ジョージ、ウォルデン・ベロら世界社会フォーラム『もうひとつの世界は可能だ!』でおなじみの世界の知性に加えて、あの『通産省と日本の奇跡』のチャーマーズ・ジョンソンや多数のイタリア国会議員らも加わって、「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」が4月9日に全世界に発せられました。イラク戦争の国際的・平和的解決とイラク民衆自身の民主主義的自律こそ、日本人人質問題の原因にまで及ぶ抜本的打開策です。ここから、誰でも署名できます。日本と同じように市民の人質がとられ、政府軍の撤兵を要求されているイタリアの議員・ネチズンたちの「自己責任」に学んで。
イラクの占領は2年目に突入した。イラク人の要求は日々、明らかになっている。占領の即時停止と、米国が関与しないすべてのイラク人が参加する自由選挙である。
現在の状況では、すべてのイラク人が占領軍の捕虜と化している。彼/彼女らは自由に会うことも集まることもできない。自らの将来を考える権利を否定されている。さらに、米国政府が提案している政治的暫定プロセスは、飼いならされた政権、すなわち、米国の利益と彼らの継続的なイラク駐留を受け入れる政権の樹立が意図されている。
我々、ここに署名する平和を求める活動家、宗教指導者、知識人、学者、著述家、ジャーナリスト、国会議員、労働組合活動家および市民は、占領のない権利、そして自らの歴史の歩みを自ら自由に決定できる権利がイラク人にあることを主張する。
我々は、すべてのイラク人が参加する、かつ占領軍の関与のない自由選挙の呼びかけを支持する。
我々は、2003年パリの欧州社会フォーラムおよび2004年ムンバイの世界社会フォーラム反戦会議で支持されたジャカルタ平和合意の呼びかけ、すなわち、イラク社会のあらゆるセクターが、今後のイラク国家のかたちについて自由に討論し、かつ提案できる、占領軍の関与がない緊急イラク人独立議会の開催呼びかけを支持する。これは新生イラクを作り上げるプロセスの始まりであり、かつ自由選挙、民主主義および主権を目指すきわめて重要な第一歩である。
この議会はイラクにおいて開催されなければならない。しかしながら、この可能性が占領軍によって否定されるなら、準備会議がイラク国外で召集されなければならない。
我々は、我々の支援と出席を通じて、そのような会議の完全無欠性と公開性を守るためのあらゆる努力を保証する。
我々は占領停止を要求し、かつ主権および自決権に関するイラク人の権利を支持する。
自衛隊を派兵する前に、日本のパスポートに憲法第9条を印刷して、民間人道支援だけでイラクとつながっていたらどうなっていただろう、と考えます。4月8日に今井紀明君、高遠菜穂子さん、郡山総一郎さんがイラク武装勢力に拘束されて以来、本HPも臨戦態勢で、連日トップを更新し、来月には60万ヒットです。11日未明の武装勢力の解放声明で、局面は開けたと思われたのですが、イラクの情勢は、甘くはありませんでした。無辜の市民600人もが殺戮される米軍のファルージャ攻略作戦によって、戦闘中の「人質解放」が物理的に難しくなったばかりでなく、日本人と似た立場にある「有志連合」国イタリア国籍の市民をはじめ、多くの外国人が戦乱に巻きこまれてしまいました。その火に油を注ぐのが、14日の米国ブッシュ大統領の1万人占領軍増派、6月30日主権委譲強行突破の演説、イラク戦争は、昨年のフセイン政権対米英軍とは全く異なる様相のもとで、ファルージャから全土に広がろうとしています。シーア派もスンニ派も占領軍に対して蜂起し、国連は本格支援は困難といい、ロシアやフランスなどはイラクにいる全国民の引き揚げを決定し、フィリピン政府もイラク派遣軍撤退を検討、アメリカにより選ばれたイラク統治評議会が統率力を失っているもとでは、イラク特措法のいう「非戦闘地域」などなくなりつつあります。「イラクのベトナム化」を日本で語っているのは、他ならぬ中曽根元首相です。加藤紘一元幹事長も、撤退可能性を示唆しています。北海道で違憲・違法の自衛隊の即時撤退を主張し、今井君救出のために自分が身代わりになっても言いと言っているのは、元自民党郵政大臣箕輪登さんです。箕輪さんがイラクに送ったメッセージに曰く、「私は、元日本政府閣僚の1人でした。私は現在、日本の自衛隊をイラクに派遣するという小泉首相の誤った政治選択に関して裁判所に提訴中です。私は十分に長く生きてきました。私は、あなた方が拘束した3人の日本人の代わりに人質になる覚悟があります。」
そこに、陸上自衛隊派遣部隊が活動するイラク南部サマワで14日、イスラム教シーア派の強硬派指導者ムクタダ・サドル師を支持する学生ら約300人が米国主導の占領統治に反対し、駐留オランダ軍や自衛隊のサマワ撤退を要求するデモをした」「邦人2人、新たに拉致か バグダッド郊外」「イタリア人人質1人が殺害される、伊政府の撤兵拒否で」というニュースも、入ってきました。もはや「自衛隊の人道復興支援」などといわれて納得するイラク人は、ほとんどいないということでしょう。4月9日朝から24時間のわずかのチャンスに、3人の日本人救出の機会を逸し、むしろ武装勢力の態度を硬化させてしまった小泉内閣は、重大な責任を負ったというべきでしょう。その国民的判断は、7月参院選まで待たずとも、世論調査結果にすでに兆候が現れ、埼玉・広島・鹿児島の衆院補選でも可能です。ここで自公連合が全敗すれば、一つの「政局」です。そんな選択は、上記チョムスキーらの「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」、米国オーバービー博士の提唱する「人類の英知である憲法9条にノーベル平和賞を与え、世界の憲法に」という主張と同様に「理想主義」的で、「現実的」でないと思う人もいるでしょう。そんな方はぜひ、丸山真男「『現実主義』の陥穽」の再読を。「現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面で日々造られて行くものなのですが、普通“現実”というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。“現実だから仕方がない”というふうに、現実はいつも、“仕方のない”過去なのです」――そんな時だからこそ、前レバノン大使、つまり外務省高級官僚出身の天木直人さんの緊急提言は、惰性的発想を切り換えリセットし、「主権在民」「もう一つの現実」に近づく上で、傾聴に値します。前上智大学のマシア神父が「テロに打ち勝つ平和運動」で教えてくれたように、つい1か月前に、スペイン国民が「現実」に選んだ道です。
今緊急に行う事は、三人を救済する唯一かつ最善の方法が自衛隊の撤退であるという認識の下に、小泉政権を内閣総辞職にもっていく動きを国民が直ちに行う事です。小泉政権は「自衛隊を撤退しない」と言っているのですから。
その小泉を引き摺り下ろすしかない。答えは自明です。彼は国民の手で選ばれた代理人でしかない。その代理人が国民の生命と安全を軽視するどころか脅かしているのですから、即刻退陣を求めるしかない。第一報を聞いても二時間も酒を飲み続けたという事実一つでも辞職に値します。
繰り返して国民の皆さんに申し上げたい。スローガンを「自衛隊の即時撤退」から「小泉首相の即時退陣要求」に切り替えたほうがよい。それはアルヤジーラを通じて世界に発信するメッセージとして、さらには三人の救済にとっても最善です。彼らが無事なうちに小泉退陣に追い込めば必ず三人は解放されます。小泉退陣の要求を強く求めていきましょう。私はその先頭に立ちたい。
4月11日、公共哲学ネットワークの小林正弥さんらが企画し、吉川勇一さん「デモとパレードとピースウォーク――イラク反戦運動と今後の問題点」や辺見庸・高田健論争等をめぐって、「世代間対話の試み」の公開討論会が開かれました。「べ平連」の吉川勇一さん、「全共闘世代」の天野恵一さんが、「パレード世代」代表Chanceの小林一朗さんに注文し、中間世代の小林正弥さんが政治哲学的に取り持つ構図です。なかなか聞き応えのある、有意義な対話でした。私自身はすでに、前回トップ「デモ」も「パレード」も「ピースウォーク」も包み込んで、 「もうひとつの世界」に近づく、ゆとりと余韻の情報政治を!で旗幟鮮明にしておきましたが、コメントを求められ、戦争そのものの機動戦・陣地戦から情報戦への変化、さらには政治そのものの情報政治化のなかで 今井君、高遠さん、郡山さんの命を守るため、自衛隊の即時撤退を求める緊急ネット署名が48時間で10万人近いネチズンが署名 し、3人を拉致したイラク武装勢力の「解放声明」を引きだすグローバル・ネットワークにつながったこと、しかし世界社会フォーラムのような「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」の力が日本では相対的に弱く、平和運動が世代間・組織間で分裂しているように見えるのは、20世紀日本の社会運動における政党・労働組合・学生運動・市民運動の関係の歴史的問題があるのではないか、と答えておきました。千葉真さんが、「反戦」ではなく「非戦」が大切だとコメントされたのも、私が「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」で述べた考えに通じる、世代間架橋の試みと思われました。WORLD PEACE NOWや吉田悟郎さん「ブナ林便り」で日々の動きを追いながら、喜納昌吉さんの「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、 すべての人の心に花を、戦争よりも祭りを!」を思想的に受け止める必要を感じました。その点で面白いのが、情報戦時代の抵抗様式をサーフィンして公開討論会後にみつけた「Theorie und Praxis(理論と実践)」というなにやらいかめしげなサイト、自ら「<イラク反戦>世代の考え、そして行動するためのメールマガジン」と特徴づけています。そこでの「イラク反戦世代」の自己規定とは、<1.脱−セクト意識=従来の、セクト意識に凝り固まった運動ではダメだと思っている、あるいは「つーか、セクトって何?」という人々。2.反グローバリズム・多文化共生志向=新自由主義的経済のグローバリズムに「ゆがみ」を感じる、あるいは、世界の画一化に違和感を覚える人々。3.エコ&スローへの共感=自分たちがラクすることで、誰かを傷つけることを望まない、あるいは、「持続可能な社会」を構想する人々>なそうで、なかなか考えさせられます。こうした人々が、天木緊急提言を現実に移す運動の中心になれば、日本の情報政治も成熟してくるでしょう。つまり、前回簡単に述べた映画「グッバイ・レーニン」に通じる、差異の自己表現の増殖です。期待しています。
若者たちへの「グローバリズム」教育のあり方を論じた法政大学『大原社会問題研究所雑誌』4月号掲載の遠州尋美さん『グローバル時代をどう生きるか』書評、及び現代史研究に及ぼした『週刊 エコノミスト』3月23日号掲載「歴史書の棚」大門正克・安田常雄・天野正子編『近代社会を生きる』(吉川弘文館)、安丸良夫『現代日本思想論』(岩波書店)を新学期用にアップし、現在発売中の『週刊 エコノミスト』4月20日号では、戦争体験の世代間継承という視点から、女子学院中学校「祖父母の戦争体験」編集委員会編『15歳が受け継ぐ平和のバトン――祖父母に聞いた235の戦争体験』(高文研)及び鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社)を書評しました。私たちが翻訳したフィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』は、上記の「イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ」の母胎です。「差異の増殖と解放」をもとにした「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」を、ぜひ味わってください。図書館「書評の部屋」には、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」短評屋名池誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ――歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版)、 安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書)、小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)、山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)、アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)等々が入っています。
「東京新聞」「朝日新聞」「ジャパン・タイムズ」「中文導報」等でずいぶん大きく報じられた毛沢東と野坂参三と蒋介石の天皇制をめぐる手紙発見の件は、近く雑誌論文として発表されます。その発売一か月後に原資料スキャナー版を含め、全世界に公開します。「国際歴史探偵」関連は、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8
・10)をもとにした「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」という講演記録(『社会主義』2004年2月号掲載)に、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」が入ってます。現代史研究室には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)もあります。『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せたネグリ=ハートの大著『帝国
EMPIRE』の批判論文、、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)が、けっこう<イラク反戦>世代に読まれているようです。世界社会フォーラム(WSF)系列は、「反ダボス会議のグローバリズム」、「情報戦時代の世界平和運動」、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「国家論」、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」等でどうぞ。新学期です。教育センター内の一橋大学関係講義・ゼミ情報は一新されています。イラク戦争と自衛隊派遣が政治的論点になると同時に、ジャンクメールとウィルスが荒れ狂っています。たとえ私の名前のメールでも、件名が不明確で怪しげなファイルが添付されていたら、絶対に開かずにゴミ箱に入れてくださるようお願いします。
2004/4/13朝 今井君、高遠さん、郡山さんの命を守るため、自衛隊の即時撤退を求める緊急ネット署名は、9日から48時間で10万人近いネチズンが署名しました。そうした市民の力が、グローバル・ネットワークでイラクに伝わり、
3人の24時間以内解放が、実現しそうでした。しかしそれが、日本政府の拙劣な対応、米軍によるファルージャ600人虐殺と武装勢力側の「外国人人質作戦」の拡大のなかで、緊迫した状況が続いています。カナダの首相はすぐに人質家族に電話をかけ、解放のため全力を尽くすと約束しました。NGO関係に流れた「川口外相の声明によるブレーキや技術的問題にも関わらず、大きな障害がない限り、ここ数時間以内に拉致された日本の仲間の三名は解放される」「仲間の三人は元気で、客人として接待されているということです」という情報には疑問も出されていますが、解放が一刻も早く現実になることを願います。静かに待ちましょう。
2004/4/11
早朝3時、いかなるマス・メディアよりも早く、あるメーリングリスト(ML)から、「3人を24時間以内に解放する。日本国民に頼みがある。 日本政府に対して軍を撤退するよう圧力をかけて欲しい」というアルジャジーラに送られた武装集団の声明、及び「もう一つの世界は可能だ」をイラクで実践しているグループからのネットワーク情報が入ってきました。その前に、日本政府が川口外相を使ってアルジャジーラで放映しようとしていたビデオ・メッセージが、「日本国民」の名で3人の非戦平和の活動と自衛隊派遣を一緒くたに「人道支援」として「イラク国民」に訴えようとしていたのに対して、3人の家族などからも強い危惧が表明されていました。幸いそんな日本政府のビデオが現地で放映される前に、この48時間、日本の市民・NGOからあらゆる手だてを使って中東に送られた、3人のこれまでの活動を紹介し、自衛隊撤退を求める日本の市民の存在を示し、家族の声を現地に直接伝える活動が、イスラム教スンニ派指導者と現地の部族長たちを動かし、「解放声明」につながったようです。日本政府の力ではなく、「もう一つの世界」を求めるグローバル・ネットワークの情報戦によるものです。改めて、私たち日本の市民自身の力で、自衛隊の撤退を求める活動が、重要になっています。また、24時間以内に、米英軍がどのような行動をとるかが、気がかりです。
2004/4/8 朝、イラクの自衛隊駐屯地の近くで着弾し、夜、日本人3人が武装グループに拘束され、日本政府は自衛隊の撤退を求められています。情報戦の観点からの、この事態の見方。(1)イラク全土は米軍以下外国軍に対する占領下での民衆の抵抗・戦闘=機動戦と内乱(Civil
War)状態にあります。(2)テレビの同時通訳をきけばわかるように、日本人を人質にした武装グループは、「日本軍(Japanese
Army, troops)の3日以内の撤退」を求めています。戦場では「自衛隊(Self
Defence
Force)」などと、まだろっこくよばれることはありません。日本は、現在のイラクの多くの人々にとって、「占領軍」を派遣した「敵国」です。(3)まだ大きく報じられていませんが、世界的には、アルカイダが「場所を問わず米国人を殺害するよう」呼びかけた情報が、まず流れました。次に、「イラク中部で韓国人拉致か、スペイン人グループも?」のニュースの方が、日本人拘束より先に報道されていました。実際は韓国人牧師等7人、イギリス人行方不明の情報もあります。つまり、「占領軍」全体への攻撃の一環です。したがって、日本政府だけで対応できるものではないでしょう。CNNは、韓国総選挙とも関連しているといいます。占領1年で、ずるずると全面再戦争の危険が迫っています。私の教え子の一人も、ジャーナリストとして、現地に派遣されています。平和を愛するものが、戦地で「敵国人」ゆえに、かけがえのないいのちを狙われる理不尽。私たちは被害者であり、同時に、加害者です。
2004/4/5 [ウィルス警報!] 4月5日午後4−6時の間に、私のメールアドレス宛、及び私のアドレス名でどこか不明のサイトからの、数百通のウィルスメールが流れたようです。当方はマックですし、セキュリティには万全を期していますが、ご迷惑をかけた方々がいらっしゃれば、おわびいたします。非戦平和サイトを狙い打ちしたいやがらせ攻撃の可能性もありますが、たとえ私の名前のメールでも、件名が不明確で怪しげなファイルが添付されていたら、絶対に開かずにゴミ箱に入れてください。
2004/4/1
桜とニューフェースで浮き浮きすべき季節なのに、何となく息苦しい雰囲気です。「
立川自衛隊監視テント村」に対する反戦ビラ配布弾圧事件については、法学者たちの抗議声明をはじめ強い批判と危惧が寄せられてたにもかかわらず、ついに起訴されました。日本共産党員である社会保険庁係長の国家公務員法違反での逮捕や、宮城の労組による公職選挙違反事件有罪と連座制適用の方向も、なぜこの季節にという感じです。『週刊文春』の元首相孫のプライバシー記事掲載問題については、東京地裁が発売前に発売禁止の仮処分を認めましたが、高裁ではなんとか仮処分決定はくつがえされました。ただし最高裁までいきそうです。東京都の公立学校卒業式における君が代起立命令にしたがわなかった教職員171人に対する大量処分にいたっては、あきらかに一つの方向への強制が目に見えています。一つひとつの事件も重要ですが、全体的雰囲気が、自衛隊のイラク派兵や有事法制とワンセットで、重苦しくのしかかってきます。4月1日はエープリルフール、でも私の勤務先を含む国立大学全体が法人化されて、かつてはマイナスイメージだったこともある産学協同の方向へ、一斉に走り出すのは本当です。批判的な知のあり方や、自由な言論・思想・表現活動が、しのびよる何かによって、窮屈になってきました。
3月20日のイラク反戦世界統一行動は、WORLD PEACE NOWや吉田悟郎さん「ブナ林便り」にあるように、日本では冷雨の日比谷野音3万、芝公園3万、全国13万人がパレードするという、上向きの活動になりました。ただし世界的には、ローマや韓国、ニューヨークなどで大きな動きがありましたが、昨年2月15日の巨大なデモンストレーションほどではありませんでした。雨の日比谷公園の演壇近くで寒さにふるえながら、「デモとパレード」について考えていました。確かに私が若い頃に参加した、日韓闘争・ベトナム反戦とか10・21国際反戦デーといった運動には、「権力への抵抗」を意識した熱気がありました。そこでの「権力」は、アメリカ大使館であったり、原子力潜水艦であったり、機動隊であったり、目にみえるものでした。その「権力」が、かつてとは比べものにならないほどマス・メディアや世論調査に媒介され、時にソフトになり、時には粉飾・増殖されて、「恐怖」としてより「不安」として表象されるようになってきたのではないかというのが、さしあたり感じたことでした。そこには無論、世界第二の資本主義国として「帝国」アメリカのパートナーとなった日本社会の世界史的位置の変化が基底にありますが、もうひとつ私の強調してきた、戦争そのものの機動戦・陣地戦から情報戦への変化、さらには政治そのものの情報政治化があるように思われます。「デモではなくパレード、ビラではなくフライヤー」というWORLD PEACE NOW等の若者たちの気分は、かつての社会運動が政党に引き回されたり、セクト間の内ゲバで自滅していった20世紀の軌跡をふまえて、日比谷野音で喜納昌吉さんが「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、 すべての人の心に花を、戦争よりも祭りを!」とライヴで訴えた感性に通じる、情報戦時代の抵抗様式だと思われるのです。ですから私は、「パレード」でかまわないと思いましたし、機動隊に囲まれた赤旗や組合旗だけの「ジグザグデモ」よりも、沿道の人々とのつながりを感じました。
もっともこれは、公共哲学ネットワークの小林正弥さんがいち早く見出したように、今日の平和を求める人々のなかでの、大きな論争点です。本HPでも、辺見庸さんと高田健さんの論争を契機に、安丸良夫さんのピース・ウォーク参加記、 吉川勇一さんの「デモとパレードとピースウォーク――イラク反戦運動と今後の問題点」を紹介してきましたが、小林さんは「平和運動の発展を願う皆様に」という問題提起を、4月11日の公開討論会というかたちで、実践に移されました。実りある対話と討論を期待します。
3・20の世界統一行動が終わり、次の段階を考える時になったと思います。平和運動のあり方をめぐって、最近、『世界』『論座』などで重要な議論がなされています。『世界』3月号では辺見庸氏が「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのかーー閾下のファシズムを撃て」で、「デモだかパレードだか」に怒りの表現が欠けていることについて、「私たちのファシズム」が「パレード」を歪めていると批判しました。これに対しては、『世界』4月号の「読書談話室」で高田健氏が「傍観するか、内在するか」という反論を掲載しておられます。また、『論座』3月号では、吉川勇一氏が「デモとパレードとピースウォーク――イラク反戦運動と今後の問題点」を寄稿され、反戦運動論や、運動内部における議論の少なさを指摘されました。また、天野恵一氏は『インパクショ ン』139 号(今年1月)の鼎談「イラク派兵と『改憲』――反戦運動の課題をめぐって」で、9・11以後に現れてきた若い世代の反戦運動を厳しく批判しつつ、「運動文化の完璧な世代断絶」を指摘しておられます。
こんなことを考えたのは、一つは3月20日の朝、東京駅のステーション・ギャラリーで、「香月泰男展:〈私の〉シベリア、そして〈私の〉地球」を見てから日比谷野音に向かったからです。そこで長く画集で親しみ、初めて実物を目にした「朕」や「黒い太陽」には、感銘を増しこそすれ、驚きませんでしたが、1973年作の「デモ」という作品には、強烈な衝撃を受けました。縦97センチ横193センチというけっこう大きな絵で、タイトル抜きで近くで見ると、何を描いているのか、よくわかりません。でも、少し離れてみると、「デモ」――それも酷寒のシベリアで、勝者によって強制された、動員型デモであることがわかります。それを知って改めて近づいてよく見ると、大きな赤旗のもとに集う黒い抑留者が、一人一人丹念に描かれ、積み上げられているのがわかります。山口県立美術館所蔵のこの絵には、香月泰男自身の解説がついています。「ナホトカで初めて私はインターナショナルを歌わされた。スクラムを組んでラーゲリの中を早暁からねり歩いた。そうすれば早く日本に帰してくれるということだった。―スクラムを組んでデモるなど、ソ連邦にはない。それはソ連の指導者にとって外敵よりも恐るべき力になるからだ」と。文末から、香月は日本でのデモとスクラムには期待したのだと読む人もいるかもしれません。でも、彼が描いた唯一の「デモ」という作品が訴えるものは、やはり違う印象でした。そして、1973年、前年の「あさま山荘」と「連合赤軍事件」を受けて描かれたのではと思い至り、戦慄しました。やはり私としては、スペイン列車テロの深層を探ると同時に、3月21日に特別アップした、実際に政権交代を導きグローバルな平和にも貢献した、スペイン・マシア神父の語りのような方向を、広めていきたいと思います。パレスチナの悲劇がイスラエル・シャロン首相によるホロコーストでいっそう深まり、クラーク証言でブッシュの戦争の「道徳的優越性」がいよいよ喪われてきている時であるだけに。アムネスティ「 日本:平和運動家の逮捕拘禁は、表現の自由の侵害」、 「9.11遺族会のブッシュ大統領への手紙」、チョムスキー「ブッシュ、左翼、イラクそしてイスラエル」、ジョン・ダワー「1931年の満州占領を語り、2003年のイラク占領を展望する」の紹介と共に、東京大学山脇直司さんから転送されてきた以下のメールを再録します。
そんな心境で、若者たちへの「グローバリズム」教育のあり方を論じた法政大学『大原社会問題研究所雑誌』4月号掲載の遠州尋美さん『グローバル時代をどう生きるか』書評、及び現代史研究に及ぼした『週刊 エコノミスト』3月23日号掲載「歴史書の棚」大門正克・安田常雄・天野正子編『近代社会を生きる』(吉川弘文館)、安丸良夫『現代日本思想論』(岩波書店)を、新学期用にアップ。無論、それらは、私たちが翻訳したフィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』の、「差異の増殖と解放」をもとにした「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」に通じます。ほかに図書館「書評の部屋」には、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」短評屋名池誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ――歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書)に、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版)、 安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書)、小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)、山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)等。アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)等は、やや長めに入っています。
共同通信配信で「東京新聞」「朝日新聞」「ジャパン・タイムズ」「中文導報」等でずいぶん大きく報じられた毛沢東と野坂参三と蒋介石の天皇制をめぐる手紙発見の件は、近く雑誌論文として発表しますので、いましばらくご猶予を。そんな「国際歴史探偵」関連は、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)をもとにした「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」という講演記録(『社会主義』2004年2月号掲載)に、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」が入ってます。現代史研究室には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)があります。『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せたネグリ=ハートの大著『帝国 EMPIRE』の批判論文、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)の系列は、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評。世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)等。相変わらず、ジャンクメールとウィルスが、荒れ狂っています。たとえ私の名前のメールでも、件名が不明確で怪しげなファイルが添付されていたら、絶対に開かずにゴミ箱に入れてください。
皆様 東京大学教員の山脇直司です。私の友人であり、長らく上智大学で教え、この2月からマドリードに帰ったマシア神父から、スペインでの3・11以降の一連の動きについて、日本語で感動的なメッセージを頂いたので、転送致します。
2004/3/15
日経新聞13日夕刊に、宇宙物理学の池内了さんが、ジャンクメールについて書いています。どこからかメールアドレスが拾われ、投資案内、ポルノやドラッグの宣伝メールが山のように届き、撃退ソフトやファイアーウォールで対抗してもすり抜けてどんどん入ってくる、その削除が「便利と引き換えの時間の無駄遣い」になっている、と。私のパソコンも、毎朝百通前後のジャンクメールを消すことから始まります。ジャンクメールには、ウィルスがつきものです。膨大なウィルスメールが、ウェブ上で増殖・蔓延しています。当方のあずかり知らぬ所で、私のアドレス名でも、ずいぶん出回りご迷惑をかけているようです。ジャンクメールは英文が多いため、重要な英語メールを、うっかり消してしまうことも多い毎日、アドレス変更しか、対策はないのでしょうか。ヤフーBBの470万人分個人情報流出の被疑者は、右翼団体幹部や元創価学会幹部でした。ソフトバンク社の「お詫び」は、「些少ではございますが、500円相当の金券等を郵送させていただきます」というもの。でも、その500円の手続きのために、またまた電話番号等個人情報を入力しなければならない仕組み。「情報戦」は、日常生活にここまで入り込んでいます。
前回掲げた「 立川自衛隊監視テント村」に対する反戦ビラ配布弾圧事件について、法学者たちの抗議声明をはじめ、強い批判と危惧が寄せられています。月刊誌『世界』3月号の辺見庸論文「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか」について、高田健さんの辺見批判「困難を乗り越える闘いに内在するか、それとも外部から嘲笑するか」や安丸良夫さん『現代日本思想論』のWorld Peace Nowの見方を紹介しましたが、日本の平和運動のあり方をめぐって、だいぶ反響がありました。そのなかでも、3月20日のWorld Peace Nowの東京集会が午後1時日比谷公園野外音楽堂で開かれるのに対して、共産党系の安保破棄中央実行委員会が11時半に芝公園で別の集会をよびかけているのは分裂集会ではないかという声が、複数寄せられました。原水爆禁止運動以来長く続く、日本の平和運動の悲しい現実です。私はもちろん日比谷野音に行きますが、ただ、そのことで、主催者同士がいがみあい、非難の応酬になったりしないことを願います。10万人集まれば、日比谷のピースパレードは、銀座までつながります。11時半に芝公園に組合旗を掲げて参加した人たちが、1時には手作りのポスターを持って個人として日比谷野音にくるような運動が、いま必要なのですから。それに3.20は、日比谷野音が中心ですが、東京ばかりではありません。大阪扇町公園をはじめ、旭川から沖縄まで全国津々浦々で開かれます。みんな赤旗にシュプレヒコールである必要はありません。思い思いに、個性と創意を凝らして。東京なら櫻が開いている可能性大。銀座パレードのあとに、そのいでたちで上野公園にまわりピースの花見パフォ−マンスでも、立派なグローバル・デイ・オブ・アクションです。自分色を出しましょう。辺見さんの苛立ちの根底にある「現場」とのギャップについて、APN(Asia Press Network)の辺見さんも加わった座談会で、綿井健陽さんが代弁しています。
World Peace Nowは、今回「ありうる不測の事態に備えて」という、日本の自衛隊がイラクで重大事件をおこしたさいの行動提起を用意しました。自衛官がイラク現地で戦闘にまきこまれた事態が想定されているようですが、もう一つの「不測の事態」もありえます。それは、スペイン・マドリードの列車同時爆破テロで現実になったような、米軍を支持してイラクに派兵しているがゆえに起こりうる、日本国内でのテロ事件です。9/11の原点は、「憎しみの連鎖を断ち切れ!」でした。不幸にも、アフガニスタンで、イラクで、米国ネオコン・ブッシュ政権は、報復と便乗の武力行使を拡大しました。Iraq Body Countによると、イラクでは市民の犠牲が1万人を越えました。パレスチナでも、戦火は続いています。3月20日は、暴力と憎悪の連鎖をストップするための世界的な行動の日です。したがって3.20は、世界でも日本でも「もうひとつの世界は可能だ」の実験です。「差異の増殖と解放」をもとにした「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」が、日本でどのようにしたら構成しうるかが、試されるのです。今年の地球には、政治の分かれ目が、いっぱいあります。アメリカ大統領選が最大のものですが、ロシアや台湾でまもなく新政権が決まり、韓国の大統領弾劾がらみの総選挙、日本の参議院選挙もあります。中国では私有財産保護を明記した憲法改定案が決まり、スペインの人々は、総選挙の直前なのに、列車テロの翌日、一千百万人が、テロに抗議するため街頭に出ました。スペインのパレードでは、イラク派兵の責任者アスナール首相が先頭に立ちましたが、総選挙の結果は予想をくつがえし、野党の社会労働党に、8年ぶりの逆転勝利をもたらしました。テロや戦争に反対し、平和と安全を求める運動は、どうやら政局・党派抗争の次元を超え、かつ、政権選択にも影響を与えるようです。日本の自衛隊派兵の責任者小泉首相は、肝に銘ずべしです。ヴァンダナ・シヴァの「生命系民主主義」を想い出しましょう。「生命系民主主義は、日常レベルの生命に関わる、生活についての民主主義である。そしてそれは、毎日の生活――私たちが食べる食物、着る服、飲む水――に関わる決定と自由についての民主主義である。それは、たんに三年ないし四、五年に一度の選挙と投票に関わるだけではない。それは、つねに活気に満ちた民主主義である。生命系民主主義は、経済の民主主義と政治の民主主義とを結びつける」のです。
もっといろいろ書きたいのですが、共同通信が第一報を発した敗戦直前の毛沢東と野坂参三と蒋介石の天皇制をめぐる手紙発見の記事は「東京新聞」ばかりでなく全国40数紙にずいぶん大きく報じられたらしく、朝日新聞、ジャパン・タイムズ、中文導報などのその後の報道もあって、さまざまな問い合わせがきています。その解読論文執筆のために、先週ハードに静岡・大阪・神戸と調査旅行をしたためか、ついに風邪でダウン。今回はこのくらいにして、3.20を見てからマイナーチェンジします。3.20に向けては、WORLD PEACE NOWや吉田悟郎さん「ブナ林便り」と共に、私達が翻訳したフィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2500円)を、ぜひご活用下さい。前回、「国際歴史探偵」関連で、「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」という、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)をもとにした講演記録をアップしました。『社会主義』2004年2月号に掲載されて、すでに社会主義協会系サイトのネット上でも公開されていますが、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」も入っています。関心のある方は、ぜひどうぞ。共同通信新聞論評「日本共産党が新綱領採択――現実政治への影響力は疑問」及び朝日新聞他「日本共産党新綱領草案について」は、政治学研究室へ。そこには、『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せているネグリ=ハートの大著『帝国 EMPIRE』を批判的に論じた二つの論文、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)もあります。現代史研究室の「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!」の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室・政治学研究室に収録。ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評。世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」などもぜひ。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)関係では、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)も入っています。
図書館「書評の部屋」に、『エコノミスト』2月24日号に掲載屋名池誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ――歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書)。、現代史研究のアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)は、やや長め。ほかにも『エコノミスト』連載「歴史書の棚」には、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)とジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版)、 安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書)、小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)、山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)等が入ってます。
2004/3/1 懸念していたことが、現実になりました。それも、私の住む近所の「 立川自衛隊監視テント村」の話です。まずは以下の、東京都立川市における反戦市民団体の声明をごらんください。
前回アメリカの「反戦活動家は搭乗拒否」を紹介したばかりでしたが、マスコミが一斉に「サマワ市郊外の宿営地に日の丸とイラク国旗を掲揚」などと報じているあいだに、国内では早くも、こうした非戦・反戦の声の封じ込めが始まっています。いつか来た道です。
イギリスでは、国連事務総長の盗聴問題で騒然、アメリカは明日がスーパー・チューズデーで民主党大統領候補がほぼ決まりブッシュは防戦へ、そして世界中で、3月20日のイラク開戦1周年に向けての反戦の声が高まりつつあります。152カ国13万人が参加したという1月のインド・ムンバイ世界社会フォーラム報告会が、日本でも広がっています。ATTACで、国際法律家協会で、JCJで、私もささやかながら『月刊東京』2月号巻頭言「もうひとつの世界は可能だ、実感した世界の民衆との連帯」で、バーチャル参加記を寄せました。3月末にはFocus on the Global Southのウォルデン・ベローも来日します。私たちの訳した「もうひとつの世界は可能だ」に出てくるNGOオックスファムの日本支部=オックスファム・ジャパンが設立されます。3.20は「グローバルデイ・オブ・アクション」です。そのビラは、「フライヤー=空を駆ける情報」です。
2月26日は、いやな日です。昨年は、私の勤務先の前任者で大先輩であった藤原彰さんを喪いました。今年は、27日未明まで頑張られたようですが、網野善彦さんが、お亡くなりになりました。2.26事件研究の藤原さんとは違って、中世史の網野さんとは、直接の面識はありませんでした。でも、その歴史学は魅力的でした。『無縁・公界・楽』や『「日本」とはなにか』は書評でとりあげたり、ゼミで使ったりしましたが、イマドキの学生たちにも訴える力がありました。私には網野さんの「百姓」論が魅力的でした。百姓とは文字通り百の姓(かばね)、「百姓=水呑=農民」という思い込みを離れれば、漁業も林業も、海人も山人も芸能民も、見えてくることを教えられました。社会科学的意味での「差異の増殖と解放」でした。網野さんの訃報の紹介に、こうありました。「核兵器を持ったことで、人類の青年時代は確実に終わりを告げた。(死が視野に入る)壮年時代に入ったことを自覚しつつ、人類の英知を伝えることが必要だ」と。壮年時代には、何が必要でしょうか。信州南相木村の農村医療の現場に根付いた医師色平哲郎さんから、親友で仏教者のバブ医師(スマナ・バルア氏)の第25回地域と教育の会全国研究集会記念講演「いのちはレントゲンには写らない」が送られてきました。バングラデシュ出身で日本で活動する仏教徒の医師が、中国の教育者の言葉を説いています。含蓄のある講演です。学びのタネは尽きません。
雑誌『世界』3月号で、辺見庸さんは「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか」と嘆かれているようですが、私は世界社会フォーラムの創立から関わってきた北沢洋子さん「世界は地のそこから揺れている」の方に共感します。そして、高田健さんの辺見庸批判「困難を乗り越える闘いに内在するか、それとも外部から嘲笑するか」の方が、現実と正面から向きあっていると思います。辺見庸さんのマスコミへの「怒り」はわかります。1968年頃の「国際反戦デー」などと比較した焦燥感も、わからないではありません。でも、同じ「デモ」ならぬ「パレード」から、別の何かを発見することもできるはずです。安丸良夫さん『現代日本思想論』(岩波書店)には、異様に長い「あとがき」がついています。近世から近代への民衆意識の基底を探ってきた歴史家が、「9.11以後の状況」を体感するために、いや自分の60年安保闘争体験と重ね合わせて、辺見庸さんと同じく、World Peace Nowの集会とデモに迷い込みます。そこで安丸さんが見出したものは、幕末「ええじゃないか」の民衆的伝統であり、縄文「母系巫女舞」の再来でした。だから、安丸さんは書きます。「60年の闘争のさいの安保条約阻止国民会議や全学連のような組織は存在しないから、大動員はできないが、その分、小さな集団や個人が活かされていて、戦争に反対するさまざまの思いや感性が活き活きと表現されていたというのが、私の感想である」と。しかしその後、コンパの席で、辺見さんのように焦燥に駆られた学生から、手厳しく批判されます。「命がけで戦う決意なしにデモに参加したぐらいで自分も反戦運動にかかわったかのように思ったりするのは自己満足ではないか」と。そこから、内省していいます。「私からすれば、ひとつひとつのデモなどが、私たちの批判や憤りのほんのささいな部分的表現でしかありえないのは、あまりにも当然のことなのである。私たちは社会的なものについての自分なりの見方や感受性を、日常的な生き方や生涯の仕事を通して、ゆっくりと媒介的につくりあげ表現していく。それは私たちの身体感覚や人格のようなものにまで具体化されて定着してゆき、そのようにして私たちは何者かになっていく。ゆっくりゆっくりさまざまなやり方で媒介的に……」――おそらく、網野善彦さんも、同じように応えたでしょう。
全く偶然ですが、網野善彦さんが亡くなった夜、網野さんの義兄「中沢護人」(1916-2000年)の生涯を調べていました。先月、共同通信に続いて朝日新聞、ジャパン・タイムズ、中文導報などに大きく報じられた、毛沢東と野坂参三と蒋介石の手紙の謎を解くための、調査の一環です。中沢護人は、第二次世界大戦中の「横浜事件」で逮捕され、拷問を受けた被告の一人です。キリスト教徒で、網野さんの奥様の兄、宗教学者中沢新一さんの叔父でもあります。野坂参三が毛沢東や蒋介石に日本の天皇の「半宗教的性格」を説き、その存廃は「人民投票」で決すべきだと延安で説得していた頃、1944年1月29日に、鉄鋼メーカー日本製鉄(現在の新日鐵の前身)に勤めていたエリート社員中沢護夫は、突如逮捕され、半年間拘留され、すさまじい拷問を受けます。逮捕の理由は、静岡高校時代の親友高木健次郎と森数男が「昭和塾」に関係していたこと、それが細川嘉六「泊事件」の一枚の写真から戦時権力が空想的にでっち上げた「日本共産党再建準備会」につながるとして、芋蔓式に捕まるものです。いわゆる「横浜事件」は、もともと面識もない世界経済調査会、満鉄調査部、昭和塾、中央公論社、改造社、日本評論社、朝日新聞社、岩波書店等々の左翼グループを一網打尽にした巨大フレームアップ、言論弾圧事件ですが、中沢護人や森数男は、その「昭和塾」の末端関係者です。戦時とは危機管理体制であり、国策に従わないもの、従わない可能性のあるものを無限に監視し排除していくシステムであることを、典型的に示す事例です。敗戦と共に「横浜事件」関係資料が隠匿され焼却されていく様は、ちょうど今日のイラク戦争の口実とされた「大量破壊兵器」問題のようです。拷問で4人が獄中で死去し、理不尽な虐待を受けた被告たちの「戦争」は、戦後に始まります。といっても、もともと無関係だったグループが、権力により一つとみなされただけですから、特高警察への「特別公務員暴行傷害罪」での告発(1951年最高裁有罪)も、その後の再審請求も、なかなか足並みがそろいません。ようやく三度目の正直で、昨年再審請求が認められた時には、被告のほとんどが、亡くなっていました。「鉄の歴史家」中沢護人もその一人で、「鋼の時代」(岩波新書)「日本の開明思想」(紀伊国屋書店)などのほか、ライフワークの翻訳「鉄の歴史」(ルードウイッヒ・ベック著、全17冊・索引2冊)を遺しましたが、権力の謝罪は、ついに聞かずに生涯を終えました。オウム真理教裁判の長さが問題になっていますが、「横浜事件」は、まだまだ続いているのです。
今日の情報戦の起源は、やはり20世紀の前半まで遡りそうです。3.20に向けてのWORLD PEACE NOWをはじめとした動きは、吉田悟郎さん「ブナ林便り」に。フィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2500円)は、ぜひ活用して下さい。「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」、「生命系民主主義(Living Democracy)」「差異の増殖と解放」などの考え方は、辺見庸・高田健論争を考える上でも、参考になるでしょう。かの中沢護人は、戦後日本共産党に入党して、幹部の志賀義雄の秘書を一時勤めますが、そこでキリスト教「ヒューマニズム」と「党派性」の葛藤から、党を離れます。ですから「愛される共産党」の野坂参三とも数年間重なりますが、今回の調査は、そのことではありません。どうも「横浜事件」の全体が、「中共諜報団事件」「満鉄調査部事件」と同様に「ゾルゲ・尾崎事件」の延長上にあり、そのことと、野坂参三の戦前海外での活動が、さまざまにクロスしてくるのです。そのため戦後冷戦体制、中国革命、朝鮮戦争、さらにはソ連スターリン主義や米国ルーズベルト政権の性格まで再検討しなければならないものですから、文献・資料の山との格闘、関係者からの聞き取りが続きます。
今回更新の目玉は、「国際歴史探偵」関連で、「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」という、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)をもとにした講演記録です。『社会主義』2004年2月号に掲載されて、すでに社会主義協会系サイトのネット上でも公開されていますが、本邦初公開の資料「1926年の22年綱領日本語文」も入っています。関心のある方は、ぜひどうぞ。共同通信新聞論評「日本共産党が新綱領採択――現実政治への影響力は疑問」及び朝日新聞他「日本共産党新綱領草案について」は、政治学研究室へ。そこには、『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せているネグリ=ハートの大著『帝国 EMPIRE』を批判的に論じた二つの論文、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)もあります。現代史研究室の「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!」の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室・政治学研究室に収録。ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評。世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」などもぜひ。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)関係では、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)も入っています。
図書館「書評の部屋」に、『エコノミスト』1月27日号掲載の小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)と山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)に続いて、2月24日号に掲載した屋名池誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ――歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書)をアップしました。、現代史研究のアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)は、やや長め。ほかにも『エコノミスト』連載「歴史書の棚」には、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)とジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版)、 安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書) 等が入ってます。
もっともこんなサイトが必要なのも、情報戦時代のなせるわざ。マスコミ報道の方は、自衛隊イラク派遣に反対する具体的な行動や声は小さく、ついに陸海空と出そろいイラクの戦地に赴いた自衛隊員と家族の声は大きく報道して、いつのまにやら、既成事実容認の「世論」を創り出しています。憲法改正「世論」も、同じ勢いでつくられようとしています。アフガニスタンに踏みとどまるペシャワールの会中村哲医師が、久しぶりに日本に戻り発した重い言葉――「子供のとき戦火をくぐった大人たちが語る平和の尊さが、今足元から崩れ落ちる実態だ」「私たちが過去を裁いたその秤で、遠からずして私たちが裁かれる日がくるだろう。国家的暴力を正当化するどんな言葉も空疎に響く。『平和国家・日本』への憧れは、しょせん夢だったのだろうか。私たちはいったい何を守るために、遠い国々へ武力を発動するのか。私たちは、次の世代へ何を残そうとするのか、真剣に思い巡らす時代にあることを知るべきである。」――この国でも、フランスでベストセラーになった「茶色の朝」が、他人事ではなくなってきました。吉田悟郎さん「ブナ林便り」に紹介されているように、1月のインド・ムンバイ世界社会フォーラム報告会が各地で開かれています。152カ国13万人が参加したという報告もあります。そこで訴えられたのは、3月20日、イラク開戦一周年の世界的な統一行動。昨年の開戦前2/15行動は、世界で1500万人でした。もはや戦争の正統性を失った今年は、どれだけの世界の良心が集うのでしょうか。昨年は先進国で最も貧弱だった日本の平和勢力の「多様な運動体によるひとつの運動」も、今年はすでにWORLD PEACE NOWをはじめ準備に動き出していますが、3月20日に向けて、どのように花開くでしょうか。
今月は学部の入学試験、期末試験、ゼミ学生の卒業論文、大学院入試、修士論文、博士論文審査と、山のような答案を読まなければなりません。おまけに4月から国立大学の法人化で、システム転換に伴う雑事が無数にまわってきます。なんとか東京国立近代美術館の「ヨハネス・イッテン――造形芸術への道」は駆け足でも見て感動することができましたが、和歌山大学で開かれている「反戦平和の信念を貫いた女性 北林トモ展」の方は、日程がとれずに断念。映画「スパイ・ゾルゲ」のDVDで代替しようかと思ったら、篠田正浩監督の映画はストーリーが単純化されていて、宮城与徳はでてきますが、北林トモは登場しません。私の最近の研究では、「ゾルゲ事件」とよばれるものは、リヒアルト・ゾルゲと尾崎秀実を核とした旧ソ連の日本情報を得るためのスパイ活動とされていますが、少なくとも中国大陸における中西功・西里竜夫らの「中共諜報団事件」と有機的に結びついていますし(渡部富哉論文、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』社会評論社)、満鉄調査部での大量検挙につながっていました。つまり、当時の日本の侵略に対する中国民衆の抗日運動と連帯し支援する世界的活動の一環でした。アグネス・スメドレー、エドガー・スノー、ニム・ウェールズらジャーナリストの活動も、大きくは、この期の世界的情報戦の中にありました。さる12日、共同通信を通じて全国に流された、「天皇制廃止難しい」毛主席の書簡、太平洋戦争末期野坂参三氏あて、蒋介石氏の返電も発見という、私が毛沢東と蒋介石・野坂参三の1943-45年期の未発表の手紙類をみつけたという記事も、第二次世界大戦後の中国と日本をどうするかという、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチルをはじめとした連合軍指導者たちの思惑と駆け引きの中にありました。中国の国共合作・抗日統一戦線は内紛を含んだものでした。アメリカの政策担当者内部においても、軍と国務省の対立、中国を重視するグループと日本を重視するグループ、重慶の蒋介石国民党をあくまで支持しようという保守的グループと延安の毛沢東や野坂参三を重視しようとするリベラル派等の複雑な対立がありました。ちょうど、今日のブッシュ政権内においても、ラムズフェルド国防長官らネオコンとよばれるウルトラ・タカ派と、国連の枠組みをより重視しようとするパウエル国務長官らの流れがあるように。全体が「お国のために」に流れる時代には、差異が重要です。差異を保つことが、力になります。日本の自民党内にさえ、自衛隊のイラク派遣に反対して欠席した有力議員がいました。公明党の議員たちはともかく、創価学会の中には憲法第9条こそ平和の礎と願っている人々が数多くいます。「帝国」が、個人情報まで精査し選別しようとするのなら、私たちの方も、国籍や党籍によってではなく、現に進行する戦争と軍隊の動きに対する具体的態度で政治家を評価し、差異を保ちつつネットワークをつくり、結びつこうではありませんか。
フィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2500円)から、これまで「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」、「生命系民主主義(Living Democracy)」などの考え方を紹介してきましたが、こんな時期ですから、今回は、「差異の解放」「多様性を保存した統一」の中から浮かび上がる、「世界社会フォーラム内部の5つの論点」を紹介しましょう。フィッシャー=ポニアの序論に整理されています。
もっとも、すぐに続きます。「こうした差異にもかかわらず、さまざまな運動は、いくつかの合意点で、統一されている.そのひとつは、共通の敵を認識していることである。多くの記録文書が主張していることは、企業資本主義(新自由主義的グローバル化)の拡大が、問題を引き起こしているということである。また、企業支配は、北の世界で最も強力な諸国家が、南の経済的政治的エリートと共同することによって、グローバルな空間を横断して編成されている、という認識である。同時に、企業資本主義の拡大は、政治的、経済的、文化的、人種的、ジェンダー的、性的、エコロジー的、そして認識論的差異の抑圧と結びついて、起こっているのである。……現存する形態でのグローバル化の、決定的な特徴は、伝統的で抑圧的な社会階層秩序を再生産し、再接合し、混合する能力をもつことである。新自由主義的グローバル化は、たんなる世界の経済的支配ばかりではなく、差異を垂直的な形態にまとめあげ、公衆に平等主義的で対等な条件に基づく多様性を想像することを禁じる、差異の一枚岩的思考を、押しつけるものでもあるのだ。資本主義、帝国主義、単一文化主義、家父長制、白人優越主義や、生物多様性に対する支配は、現存する形態のグローバル化の下で合体し、二〇〇二年世界社会フォーラム大会の記録文書に描かれているような運動にとっての、最も重要な挑戦を構成するのである.現代のグローバル化において、鍵となる装置は、WTO、北米自由貿易協定(NAFTA)その他の地域貿易協定、そして企業の民営化戦略、G8諸国、世界銀行やIMFによって推進される、自由貿易協定や政策である。それらは、くりかえし運動全体の中の、さまざまなネットワークの戦略的抵抗の鍵となるものと、みなされる。なぜなら、そもそもこうした協定や政策、プロセスが、民主的な説明責任を免れているからである」と。
今週の共同通信ニュース「天皇制廃止難しい」毛主席の書簡、太平洋戦争末期野坂参三氏あて、蒋介石氏の返電も発見(「東京新聞」ほか2004年2月12日) は、前回紹介した共同通信新聞論評「日本共産党が新綱領採択――現実政治への影響力は疑問」及び朝日新聞他「日本共産党新綱領草案について」と共に、政治学研究室へ。そこには、『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せているネグリ=ハートの大著『帝国 EMPIRE』を批判的に論じた二つの論文、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)も入っています。現代史研究室の「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!」の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室・政治学研究室に収録。ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評。世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」などがもぜひ。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)では、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)もあります。
図書館「書評の部屋」に『エコノミスト』1月27日号掲載の小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)と山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)を、12月の安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書) に続き収録。時事通信社『世界週報』12月2日号掲載松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、現代史研究のアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)は、やや長め。ほかにも『エコノミスト』連載「歴史書の棚」には、半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)とジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版) 等が入ってます。「国際歴史探偵」は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)に続いて、「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」という、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)をもとにした講演記録が『社会主義』2004年2月号に掲載され、新たな旧ソ連秘密資料も紹介しましたが、HP収録は3月の更新までお待ち下さい。
アカデミー賞ノミネートなら、ドキュメンタリー映画部門でノミネートされた" THE FOG OF WAR"(戦争の霧)にも注目すべきでしょう。このオスカーのドキュメンタリー賞、昨年は マイケル・ムーアが受賞し、マイケル・ムーアには イラクの米軍兵士たちから手紙が届いています。" THE FOG OF WAR"は、ベトナム戦争期に米国防長官をつとめた ロバート・マクナマラの長時間インタビューと当時の記録映像をオーバーラップしたもので、マクナマラは最近、ベトナム戦争のみならず日本への原爆投下も誤りだったと、言い切っています。「20世紀には1億6千万人が戦争犠牲になった」と内省する当事者マクナマラは、この境地にいたるまでに長年かかりましたが、ブッシュ大統領の任命したイラク「大量破壊兵器」調査団 デーヴィッド・ケイ調査団長は、イラクには大量破壊兵器も生物化学兵器もなかったと明言しました。ブッシュ曰く、「 私も事実を知りたい」。久保田弘信さんイラク日記や綿井健陽さんのウェブジャーナルに明らかなように、イラクが「戦争状態にない」という政策立案の前提も、フィクションでした。治安は大丈夫と安全を保障したサマーワの評議会は、解散しました。でも、小泉内閣はすでに進軍ラッパで、国会も強行採決の正面突破です。それにしても、日本のマスコミは、だらしがありません。この21世紀日本の重大な岐路にあたって、イラク派兵問題よりも、民主党古賀潤一郎議員の学歴詐称疑惑の方に大々的に紙面を割く始末。もちろん選挙での有権者へのウソは、問題外です。ウソの上塗りは、議員辞職が当然です。でも、ニュースには、将来の人々にとっての歴史的資料としての意味があります。報道されたことよりも、報道されないことの方が重要であることも、ありうるのです。今回もちょっとした経験、1月17日の日本共産党党大会での新綱領採択にあたって、いくつかの新聞社・通信社からコメントを求められました。原案が出た昨年6月に、朝日新聞でコメントしてあったからです。でもその時本欄に書きましたが、談話だと2時間話して30行、真意が伝わらない場合があります(テレビだともっとひどいです)。ですから今回は、評論としてちゃんと書いてほしいという共同通信社を選び、予定稿をメールで送り、「中央委員会・大会で満場一致」という草稿を「大会では代議員一人が反対したが、ほぼ満場一致」と携帯電話で連絡してもらい修正してゴーサインとしました。「山陽新聞」ほかに掲載された私の「日本共産党が新綱領採択――現実政治への影響力は疑問」の内容は、一応言いたいことは言い切っています。詳しい分析「日本共産党新綱領草案について」は、もう半年も本HP上で公開してありますから。ところが予想外のことが二つ。共同通信配信のニュース解説なら、東京新聞・中日新聞はじめ全国の地方紙に掲載されることが多いのですが、今回は、共産党大会も新綱領も世論の関心がなかったためか、ニュース報道そのもののスペースが小さく、解説まで入れた掲載紙が少なかったこと。こちらは「なるほど」で、まあ異議はありません。興味のある方は本HP版で読んでいただけばいいですから。
もう一つは重大。そもそも談話でなく評論で発表した最大の理由は、「新綱領採択」文中に「新綱領にはコンピュータもインターネットも出てこない」ばかりでなく、「折から自衛隊のイラク派遣が始まり、インドのムンバイでは『もうひとつの世界は可能だ』を合い言葉に、世界の市民運動・NGOなど非戦平和勢力、現状批判勢力が集って第4回世界社会フォーラムが開かれている。そうした新しいグローバル・ネットワークに合流する視野を、現在の共産党は持っていない」という一節を入れて、ムンバイの世界社会フォーラムの方に、読者の眼を向けたかったからです。ところが肝心のムンバイ世界社会フォーラムの報道が、写真やポスターだけでも十分イメージわくし、 13の言語での画期的なIT通訳システムも機能したというのに、日本のマスコミは全くな無関心で、 共同通信配信の「反グローバル化の波拡大 印のフォーラムに12万人5千人」だけか。皮肉なことに、「合流する視野」まではありませんが、共産党の「しんぶん赤旗」が、インドに記者を送って報道してくれました。もちろんムンバイ世界社会フォーラムは132か国から12万人が参加して大成功、日本からも350人が加わって、世界の新しいトレンドを実感してきました。これは、今日日本の大マスコミの視野狭窄を象徴する出来事として、記録に残すべきです。別に年末に出した私たちの翻訳、フィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2500円)の宣伝のため(だけ)ではありません。吉田悟郎さん「ブナ林便り」が連日報じたように、ヨーロッパ、南北アメリカが中心だった世界社会フォーラムの運動がアジアに広がった、画期的集会だったのです。インターネット上では、すでに参加記を含む多くの報道が飛び交っています。いいだしっぺの一つであるフランス『ル・モンド・ディプロマティーク』が論じるように、開催地のムンバイ(旧ボンベイ)そのものが、現代世界の縮図だったのです。それを無視してスキャンダル捜しに奔走するマスコミ。この国は、どこかが病んでいるようです。そういえば五十嵐仁さん「転成仁語」も述べていましたが、ちょうど10年前の今ごろは、「政治改革」の真っ最中、小選挙区制を導入すれば政治腐敗と決別できると旗をふった私たちの同業者――政治学者――がいました。その10年後の検証もマスコミの重要な役割な筈ですが、ほとんど報道なし。わずかに載った当時の旗振り役の評論も、つっこみ不足。この調子では、参院選から浮上するはずの憲法改正問題でも、日本のマスコミはどの程度節操を保つやら。歴史に学ばないものは、歴史によりしっぺ返しを受けるでしょう。
もう少し遡れば、30年前のマスコミ記事には、「油上の楼閣」という言葉が踊っていました。1973年秋の中東産油国の資源主権の発動に発する第一次オイル・ショックは、日本では中東の情報不足もあり、トイレットペーパー不足のパニックや、便乗値上げの「モノ隠し」を生み出しました。加藤『現代日本のリズムとストレス――エルゴロジーの政治学序説』(花伝社、1996年)に書きましたが、30年前の冬の東京・大阪環状線の電車暖房は電力不足で止められ、新聞は減ページ、NHKは夜11時で放映をうち切ったのです。いま、イラクに陸上自衛隊を派遣し、サモアの郊外に日の丸を掲げるためだけの「砂上の楼閣」が作られようとするとき、「油上の楼閣」の経験こそ、真剣に省みられるべきです。なぜなら、GNP年10%の人類史上未踏の高度経済成長を謳歌してきた日本の民衆が、実はそれが中東の安価な石油があってこその「油上の楼閣」であったことに気づき、アラブ諸国とイスラエルの対立にコミットしないできたからこそ、アメリカのイスラエル支援を知りながら、田中角栄はアラブ諸国に特使を送り、いち早く石油供給を確保して、相対的に早期に「安定成長」に移行することができました。戦後日本でほとんど唯一の、「自主外交」の経験です。そして、75年からの先進国首脳サミットには、アジアから唯一の大国として加わり、国際社会のパワーとして認知されたのです。もっとも、あくまで「世界のサイフ」としての日本であり、田中首相は、そのおこぼれを公金私消していたわけですが。さらに遡って100年前、1904年の2月4日の御前会議でロシアとの外交交渉打ち切りを決定、2月10日が日露戦争開戦でした。12月に戦時大本営条例が改正され、連合艦隊が編成されていたことまで、イラクの「砂上の楼閣」構築期にそっくりです。ぜひ本ネチズン・カレッジのリンク集「情報処理センター」から、スクリーバ「歴史年表」か歴史データベースに入って、100年前の年表を、じっくりごらんください。日本帝国主義の本格的成立期であり、幸徳秋水・内村鑑三が非戦の論陣を張り、竹久夢二が「平民新聞」の反戦挿絵でデビューする時代です。もう一度繰り返しましょう。歴史に学ばないものは、歴史によりしっぺ返しを受けるのです。歴史に学んでのオルタナティヴのカギは、やはり「もうひとつの世界は可能だ!」の方向。「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」を、「生命系民主主義(Living Democracy)」にもとづき織り上げることです。
石油ショックの30年前と違い、現在は情報過剰の時代です。インターネットのスパムメールが荒れ狂い、私のメールアドレス名でのウィルスも、横行しているようです。もちろん、私自身のパソコンは、幾重ものファイアーウォールでセキュリティを確保していますが、どなたか交信したことのある方の、アウトルックが感染したようです(当方はユードラ)。本当は、東京国立近代美術館で始まった「ヨハネス・イッテン――造形芸術への道」、和歌山市での画期的な「反戦平和の信念を貫いた女性 北林トモ展」、現代史研究の中で見いだした「ジョー小出」のことも書きたかったのですが、なにしろ日本政治の岐路と大学教員にとっての超多忙入試期が重なっていますので、今回はここまで。『もうひとつの世界は可能だ』については、小倉利丸さんがいち早く書評を書いてくれましたし、世界社会フォーラム日本連絡会MLで紹介され、『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)の池田香代子さんには、1月18日のNHK・BS2「週刊ブックレビュー」で取り上げていただきました。この場を借りて御礼と連帯のエールを送ります。特別研究室「2004年の尋ね人」は、竹久夢二の二枚の「ベルリンの公園にて」と題する絵の謎解き、情報処理センター=リンク集「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」は全面更新して改定されています。非戦平和ポータル■イマジンIMAGINE!も、使いやすさを考えて模様替えしました。『もうひとつの世界は可能だ!』に序文を寄せているネグリ=ハートの大著『帝国 EMPIRE』を批判的に論じた二つの論文、「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)を、新春にアップしました。現代史研究室の「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファン向け「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!」の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室・政治学研究室に収録。ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評。世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」などがもぜひ。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)では、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)もあります。
図書館「書評の部屋」に『エコノミスト』1月27日号掲載の小倉和夫『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)と山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』(日本経済評論社)を、先月の安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書) に続き収録。時事通信社『世界週報』12月2日号掲載松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)、現代史研究のアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)は、やや長め。ほかにも『エコノミスト』連載「歴史書の棚」には、半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)とジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版) 等が入ってます。「国際歴史探偵」は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)に続いて、「20世紀日本の社会主義と第一次共産党」という、「1922年9月の日本共産党綱領」(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)および「第一次共産党のモスクワ報告書」(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)をもとにした講演記録が『社会主義』2004年2月号に掲載され、新たな旧ソ連秘密資料も紹介しましたが、発売されたばかりですので、HP収録は3月までお待ち下さい。
無論、明治34年のこと、社会民主党は、直ちに禁止されました。世直しはすぐにはできませんでしたが、幸徳秋水・堺利彦らは、日露戦争にも非戦を貫きました。前回紹介した竹久夢二の青春は、彼らの思想に共鳴してのものでした。それは、大逆事件と15年戦争で中断されましたが、大正デモクラシーから戦後民主主義へと、受け継がれてゆきました。そしてそれは、百年を経て、地球大の広がりを持つ「貧富の懸隔」への抵抗運動に合流し、「Another World is Possible」の合い言葉のもとに、明日1月16日から、インドのムンバイに、世界中から10万人近くが集い、問題を洗いざらいさらけだし、語り合おうとしています。世界社会フォーラム(WSF、ムンバイ会議)です。そこでは、前回詳しく紹介したように、インドの「貧富の懸隔」の現実から生まれたヴァンダナ・シヴァのいう「生命系民主主義(Living Democracy)」が、花開くことでしょう。本サイトのお年玉であるフィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2500円)には、「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」にふさわしく、さまざまな新しい「経済の趨勢」の洞察、「平和主義の勝利」のヒントとなる考え方が、織り込まれています。フランス革命以来の世界の解放思想である「社会主義を経とし、民主主義を緯として」紡ぎ出されたものです。その一つで、「世界女性行進」ネットワークが第二回世界社会フォーラムに提出した報告「女性に対する暴力――『来るべき世界』が行動すべきこと」には、おそらくマルクス=エンゲルス『共産党宣言』や「社会民主党宣言」よりも、もちろん民主党のマニフェストや日本共産党の綱領よりも、鋭く革命的な洞察が含まれています。「その他の形をとった暴力の重要性を否定しないが、私たちは、女性に対する暴力の原因と帰結が徹頭徹尾理解されれば、平等と他者への尊敬を基盤とした、もう一つの世界を構築するオルタナティブのための、土台が整えられると信じている」と。以下は、そのエッセンス。そういえば、この経済大国は、 女性の政治的・社会的地位に関する限り、先進国でダントツの最下位であり、多くの発展途上国以下なのでした。
図書館「書評の部屋」に『エコノミスト』12月23日号掲載安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書) を収録。時事通信社『世界週報』12月2日号掲載松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)の書評は、現代史研究のアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、情報学関連野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)と共にやや長め。ほかにも『エコノミスト』連載「歴史書の棚」には、半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)とジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版) 等が入ってます。「国際歴史探偵」は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)をどうぞ。以上、今回は、新年早々の調査旅行疲れで、マイナーチェンジ。
2004/1/1 新しい年です。ちょうど百年前、1904-05年の日露戦争の頃は、日本の排外主義的ナショナリズムの高揚期であり、同時に日本の社会運動の黎明期でした。「日比谷焼き討ち事件」や幸徳秋水・内村鑑三らの非戦論はよく知られていますが、この頃、幸徳秋水・堺利彦らの「平民社」に加わり、雑司ヶ谷で同居していた荒畑寒村の推挙で堺利彦の雑誌「直言」1905年6月18日号に、赤十字のマークのついた白衣の骸骨と並んで丸髷の若い女性が泣いているコマ絵風刺画「勝利の悲哀」を描いた、20歳の青年がいました。後の画家竹久夢二(1884ー1934年)です。当時の夢二は、「平民新聞」などに反戦コマ絵のほか「三年ぶり 手のない父に抱かれて寝」「演習が 来てはすみれを踏むでゆき」「山賊に 踏みにじられし女郎花」などの川柳・詩をも発表していました。きわめつけはズバリ、「人はみな 死ねば命がないものを」。こんな若き夢二を、同志だった荒畑寒村は、後に『寒村自伝』でおとしめます。
竹久夢二は1884年生まれで1934年没、今年が生誕120周年・没後70年です。この「終生もちつづけた」かどうかの焦点が、1931-33年、帰国後1年で亡くなる夢二の初めての「洋行」=アメリカ・ヨーロッパ滞在の評価です。美術史の通説では、すでに落ち目だった夢二は、何ら成果なく病気になって帰国し、そのまま失意のうちに没したことになっています。しかし、この時期に外国で書かれた夢二の絵、たとえばアメリカで坂井米夫に託された「青山河」や、ドイツで書かれ日独の戦乱と敗北を経ても保存された「水竹居」こそが、晩年の夢二の到達点で、最高傑作であり、それは、ゾルゲ事件の宮城与徳を含むアメリカ西海岸日本人左翼との交流や、ベルリン・イッテン・シューレでのユダヤ人画学生たちとの交流、さらにはナチス政権獲得後の夢二のユダヤ人救出活動にも裏付けられていた、というのが私の「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪記」の立場。すでに袖井林二郎さん、鶴谷壽さん、関谷定夫さんらが、それぞれの視角から著書を出されていますが、私の夢二研究も、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』に書いたように、ナチス政権樹立をベルリンで目撃した夢二の思想と行動に関心があります。すでに幾度か書いた、夢二と「在独日本人反帝グループ」とのつながりを、最近の調査で、別の角度からの傍証を得ました。それは、ユダヤ人建築家ブルーノ・タウトのナチスを逃れての来日に関わるもので、タウトを日本に招き世話をしたのが、グロピウスのもとで学んだ反帝グループの建築家山口文象、高崎哲学堂創始者井上房一郎、それに、井上のパリ大学時代の親友でソ連で片山潜の秘書だったのにスパイ容疑のラーゲリ生活を体験した「日本のソルジェニツィン」勝野金政らであることは、当時井上のもとで実質的にタウトの一番弟子だった水原徳言さんから聞いていましたが、関谷定夫さんの研究によれば、竹久夢二も高崎への仲介で一役買っていたというのです。そういえば、夢二の榛名山産業美術研究所構想の設立趣意書には、島崎藤村・有島生馬・藤島武二らと共に井上房一郎の名が並んでいます。また、ベルリン・ウィーンで夢二のユダヤ人救出活動を直接に助けたとされる外交官神田(こうだ)譲太郎も、調べれば調べるほど面白い人物です。藤林伸治さんや関谷定夫さんの夢二のユダヤ人救出劇にでてくる当時のウィーン日本大使館員神田譲太郎が東大新人会出身であることは、故石堂清倫さんから聞いて承知していましたが、その石堂さんが残した遺稿「ルカーチと福本和夫の道」が『季刊 唯物論研究』第86号(2003年11月)に発表され、ドイツに留学した福本和夫にコルシュやルカーチを紹介したのが、当時ベルリン大使館で働き始めた外交官神田譲太郎であったこと、それゆえ福本帰国後の種本ルカーチ不在の「福本イズム」隆盛に神田は「道義的責任」を感じていたことが書かれています。それだけではありません。そうした旧帝大左派ネットワークが、1960年安保闘争のさい、同級生の岸信介首相に辞任勧告決議案をつきつけようと集まったというのです。
2004年の始まりに当たって、竹久夢二や神田譲太郎を取り上げるのは、20世紀の稀覯本『夢二外遊記』をようやく手に入れたこともありますが、ベトナム化するイラク戦争、自衛隊のイラク派遣、自民党の憲法改正案、また1月に巡ってくる世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)と世界社会フォーラム(WSF、ムンバイ会議)の対抗といった、きな臭い流れに抗するためです。長田幹雄編『夢二外遊記』がすごいのは、限定200部ナンバー付き(私の入手したのは第15番)という好事家向けということだけではありません。その奥付が「昭和20年8月25日印刷・9月1日発行」という敗戦直後であればこそ夢二を世に出したいという長田の執念の産物であるからです。「岩波新書」命名者、「広辞苑」編集者長田幹雄の面目です。与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」を男性の眼から描いたのが、夢二「宵待草」だったのです。日独関係が要であった時代の外交官神田譲太郎のユダヤ人支援の勇気は、後の杉原千畝、今日の天木直人前レバノン大使を彷彿させますし、60年安保時の神田譲太郎の岸首相辞職勧告は、前回紹介した前フランス大使小倉和夫さんの『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)の提言に通じます。ですから私自身は竹久夢二を追いかけながらも、毎月1万数千人が訪れる本サイトのお年玉はフィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2500円)。1月16−21日のインド・ムンバイ(旧ボンベイ)での第4回世界社会フォーラム(WSF)への、強力な武器です。わたしの「監修者あとがき」も、紹介ページに入れましたので、ぜひともご参照のうえ、新年の活力にしてください! もちろん、「イマジンIMAGINE」や吉田悟郎さん「ブナ林便り」を読み直し、「イラク・ボディ・アカウント」「イラク戦争被害の記録」「CNNの月別犠牲者数」「ワシントン・ポスト の米軍犠牲者欄」等をチェックして、「イラク戦争のコスト Cost of the War in Iraq」も忘れずに。
『もうひとつの世界は可能だ!』(日本経済評論社HP参照)が、スーザン・ジョージ、ウォルデン・ベロ、対外債務に苦しめられる人々、エコロジー、テロに反対する平和、インドのキリスト教会、イラクで活躍するNGO、青年たち、女性たちの合い言葉「Another World is Possible」に由来するものであり、それが「差異の解放」「多様性の増殖」を含意し、「多様な運動体によるひとつの運動(a movement of movements)」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク(a network of networks)」により構築されることは、前回も述べました。新年にあたって、もうひとつのキーワード、インドの現実から生まれたヴァンダナ・シヴァの「生命系民主主義(Living Democracy)」について、紹介しておきます。前回のフィッシャー=ポニア「対等の連鎖」「くさび型争点」のベースになる原理的見方です。
図書館「書評の部屋」に『エコノミスト』12月23日号掲載安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書)、上田浩二・荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書) を新規収録。時事通信社『世界週報』12月2日号掲載松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)の書評は、現代史研究のアラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)、情報学関連野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)と共にやや長め。ほかにも『エコノミスト』連載「歴史書の棚」には、半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』、松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)とジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)、永山正昭『星星之火』(みすず書房)、藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)、、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)、太田昌国『「拉致」異論』(太田出版) 等が入ってます。「国際歴史探偵」は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)をどうぞ。今年もご贔屓に。