LIVING ROOM  15 (July to December 2003)

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。



サダム・フセイン拘束で、「イラクのベトナム化」は避けられる?

ブッシュホンによる大義名分なき自衛隊派遣を「くさび型争点」にして、

「多様な運動体によるひとつの運動」のアーチを「対等の連鎖」で組み、

1月世界社会フォーラム「もうひとつの世界は可能だ!」の成功へ!

2003/12/20  かねて予告していたフィッシャー=ポニア編集ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!Another World Is Possible』の翻訳が、なんとかクリスマスに間に合い、完成しました(日本経済評論社、2500円)。1月16−21日のインド・ムンバイ(旧ボンベイ)での第4回世界社会フォーラムWSFへの、強力な武器です。わたしの「監修者あとがき」も、紹介ページに入れましたので、ぜひともご参照のうえ、新年への活力に! よいお年をお迎え下さい!


2003/12/15  更新を始めたら、バグダッド周辺で警察署爆破10人死亡の報と共に、サダム・フセイン拘束"We got him!"の第一報が入ってきました。フセイン捕捉の記者会見は、地下へのスパイダーホールと白ヒゲの変装写真、アメリカ諜報機関の周到な探索成果の発表と驚喜する数人の記者の歓声で、演出されていました。すでに戦闘終結宣言から半年以上、明らかに情報戦狙いです。勝谷誠彦さんが忠臣蔵の吉良上野介、オウム真理教の麻原逮捕となぞらえるのももっとも。これから彼は、いったい誰によって、どんな法廷で、いかなる罪で、裁かれるのでしょうか? もういちど、「ベトナム化」しつつあるこの戦争の大義を振り返る、いい機会です。私の「イマジンIMAGINE吉田悟郎さん「ブナ林便り」を読み直し、イラク・ボディ・アカウント」「イラク戦争被害の記録」「CNNの月別犠牲者数」「ワシントン・ポスト の米軍犠牲者欄」等をチェックして、「イラク戦争のコスト Cost of the War in Iraq」を考えてみましょう。フセインはアメリカに連行されるのでしょうか? 自白で「大量破壊兵器」は出てくるのでしょうか? 報復の連鎖は、断ち切れるのでしょうか? アメリカ大統領選には影響するでしょうが、元独裁者の逮捕で、イラクの反米抵抗が終わることはなさそうです。

 日本の小泉首相の決断は、その数日前でした。憲法前文の恣意的引用まで動員しての自衛隊イラク派遣は、連日失業者のデモが行われ、劣化ウラン弾の高レベル放射能が検出されたサマワ周辺で、実行されようとしています。派遣部隊宿営地は24時間カメラで監視され、映像は日本に送られて、東京から守るのだそうです。そこに自衛隊が向かうことは、日本の大きな選択です。改めて日本国憲法を、じっくり読んでみましょう。本トップ左上のロゴは、伊達に入っているわけではありません。こんな時にクリックして、調べるためのものです。

[前文] 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
 
 小泉首相が引用したのは、この後半の青字部分のみでした。しかも、第9条があります。
 
第9条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 小泉首相の説明は、相変わらずのブッシュホン。今日15日の記者会見は、フセイン逮捕でまた気勢があがり、狂喜乱舞でしょうか。しかし「テロに屈するな」のかけ声だけは勇ましいのですが、大義名分はがたがたです。ブッシュ大統領の足下では、CIAが昨年10月の段階で1月一般教書演説に盛り込まれた「イラクのウラン購入計画」という情報の誤りを指摘していたことが、明るみに出ました。「米国の協力者はすべて標的」という国連広報官の現地分析は正確でしょう。ブッシュは、それを逆手に取り、イラク復興事業の元請け入札を親米61カ国に限定し、独仏露などを閉め出すと、露骨な利益誘導。これには、国連も中国もEUもWTO違反だと反発、おまけに、チェイニー副大統領系列のエネルギー会社ハリバートンが国防総省にクウェートからイラクへ運ぶガソリン代金を66億円も水増し請求していたことが発覚、ブッシュホンの、「納税者の金を使う復興事業の契約に、米国人は生命の危険を冒した国家が参加するのが妥当だと考える」という説明は、尻抜けです。インドのように、改めてきっぱりとアメリカの派兵要請を断った国もあるのに、日本は、外交官二人の死を出した上に、イラクの反米武装勢力相手ではあまり役立たないであろう重装備で、戦地に向かおうとしています。イギリスの盟友ブレア政権は、BBCのイラク報道に圧力をかけていますが、小泉首相も、「政府批判ばかりしないで」とマスコミに責任転嫁。確かに、NHKが大きく報じた小泉首相と会見して支援を要請したというイラク民主化グループ代表リカービ氏が、実は11月の欧州社会フォーラムに出席した人物で、自衛隊派遣に反対だったこと、サマワの「自衛隊歓迎」の横断幕のアラビア語が「日本人歓迎」であったことなどは、インターネットを通じて明るみに出たものです。そして、ジュネーブで開かれた世界情報サミットでは、「米国によるネット支配」が大きな論点に浮上しました。インターネットが巨像中国社会を大きく変えつつありますが、その中国を含むネット世界がどう管理されるかは、私たちネチズンにとっても、他人事ではないのです。

 そんな師走に、オススメ2冊。一冊は、意外に思う向きもあるかもしれませんが、前フランス大使小倉和夫さんの『吉田茂の自問――敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』(藤原書店)。1951年の日本の岐路、サンフランシスコ講話条約締結にあたって、当時の宰相吉田茂が密かに若手外交官たちに依頼し、満州事変から敗戦処理にいたる日本外交の軌跡に孕まれた問題を、率直に調査させた記録。満州事変から日中戦争・アジア太平洋戦争へのエスカレート、国際連盟や軍縮連盟からの脱退を「軍部の暴走」の責任に留めることなく、ありえたぎりぎりの国際協調・平和外交のあり方、誤りは誤りとはっきり認める自己切開を、当事者からの聞き取りを含めて率直に記した記録。それを解説する小倉和夫さんは、外交官でありながら、中国人革命家の西欧体験を『パリの周恩来』(中央公論社)という実証密度の高い歴史書で描いた学究肌の人。秘密報告書「日本外交の過誤」そのものも面白いのですが、それへの現代的コメントが考えさせられます。例えば「日華事変」の不拡大方針が、なし崩し的に放棄されて、日中全面戦争に向かう局面での「海外派兵の意味」の一節。

 軍が内地にいる間は、いかに軍の独走とか統制の乱れとか云っても、部隊が一存で戦闘行為を行うことは(クーデターのような政治的行動は別として)あり得ない。しかしいったん兵が海外に派遣され、在留邦人の保護、日本の権益の保護に携わることになると、事態の急変や相手の挑発によって、「自衛のために」戦闘行為に走ることはとめられない。
 
 小倉さんは、これを「名分の立たない中国政策」との関連で述べています。「米英主導の国際秩序は、果たして真に公平なものであるのか、その秩序を守る側に日本が立つとすれば、その反対側にいるのは果たしてテロ集団と『悪の枢軸』だけなのか」と問いかけながら。

 もう一冊は、いよいよ年内発売が決まり、日本経済評論社HPにも予告が出た、フィッシャー=ポニア編集ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!Another World Is Possible1月16−21日のインド・ムンバイ(旧ボンベイ)での第4回世界社会フォーラムWSFに、なんとか間にあいました。そこで、スーザン・ジョージが、ウォルデン・ベロが、対外債務に苦しめられる人々が、エコロジーの環境団体が、テロに反対する平和団体が、インドのキリスト教会が、イラクで活躍するNGOが、青年たちが、女性たちが、共通に述べる合い言葉「Another World is Possible」が、「差異の解放」「多様性の増殖」を含意し、「多様な運動体によるひとつの運動(a movement of movements)」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク(a network of networks)」により構築されることは、前回述べましたが、もうひとつのキーワード、ヴァンダナ・シヴァの「生命系民主主義」については新年にまわして、今回は、フィッシャー=ポニアのいう「対等の連鎖」と、その焦点となる「くさび型争点」について紹介しておきましょう。

「対等の連鎖」とは、「多様な運動体によるひとつの運動(a movement of movements)」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク(a network of networks)」の連帯原理です。世界社会フォーラムで言えば、前回紹介した「世界社会フォーラム原則憲章」、インターネットでいえば、リナックス型OSシステムの参加・利用規程、プロヴァイダー=ネットワーク協議会の倫理綱領のようなものです。

 世界を横断するさまざまな運動の多様な目標を、たがいに縫い合わせる共通のビジョン……、新自由主義に対する実行可能なオルタナティブは、さまざまな社会運動のオルタナティブが合体した場合にのみ、立ち上げることができる。……こうした合体をひき起こすためには、オルタナティブの哲学的・政治的論理の差異(たとえば社会主義、無政府主義、環境主義、フェミニズム、土着性や多文化主義)に、「対等の連鎖」を、かけなければならなくなる。対等の連鎖とは、ひとつの新しい考え方であり、運動の多様性を認めつつ、さまざまな運動の根本的な目的が、相似性を持ち、原則や政策、手続きをアーチ状に覆うことを介して実現することができるという認識をもたらすような、ひとつの対抗的ヘゲモニーの言説である。対等の連鎖は、さまざまなオルタナティブの中のひとつが、すべての運動が直面する挑戦を解決する力があり、すべての運動が求めるような新しい社会を創出することができる、ということを示したときに生じる。たとえば、歴史的に見れば、社会主義は、左翼の多様な利害のなかで、対等の連鎖を確立した、共通の言説であった。〔他方〕新自由主義は、過去三〇年の間に、新古典派経済理論、リバタリアニズム、社会的保守主義を結集させることによって、政治的右派を一体化する役割を、演じたのである。

 その「対等の連鎖」のアーチが具体的に結びつく結節点が、イギリスの著名な国際難民救援NGOオックスファムの述べる「くさび型争点」です。オックスファムによると、それは「社会運動の掲げる急進的な目標と、現在なしうることの差を埋める戦略」であり、「多様な運動体によるひとつの運動(a movement of movements)」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク(a network of networks)」の結び目です。

 重要な問題は、TRIPs(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)の広範な改革ないし廃止を求めて運動するべきか、それとも、たとえば医薬品の特許認可や植物の遺伝学的資源の特許認可、あるいは生物形態の特許認可といった、個別の領域において変化をもたらすことに、焦点を当てるべきか、ということである。
 オックスファムは、「くさび」の問題と呼んでいるものに、キャンペーン活動の焦点をおいてきた。くさびとなる問題によって、グローバルな政策によってもたらされる問題を、広範な公衆が容易に理解することができるような形で、具体的に素描することができる。ひとたび人々が、ある政策の根本的問題を、そして人間への衝撃を理解するならば、彼らは、より広範な政策転換へ向けて運動するように促されるだろう、というのがこの考えである。たとえば、医薬品の特許権とその入手機会という問題は、TRIPsの改革への「くさび」となる問題である。特許認可された高額なエイズ治療薬に対して代金を支払うことのできる貧困国は存在しないという事実は、この問題を、特に劇的に描き出すことになったのだった。
  「くさび戦略」により、各組織は、具体的で手の届く短期的な変化に集中することが可能となる。一方で、長期にわたる根本的な世論変化のために、活動することもできるようになる。その戦術は、本書に書かれている他の方法と相俟って、対立する課題を調和へと導く道を提供することになるかもしれない。

 現代の日本で言えば、イラクへの自衛隊派遣が「くさび型争点」になりうるか、日本国憲法の小泉首相が無視した部分が「対等の連鎖」のアーチになりうるかが問われているのです。さしずめ、日本ペンクラブの「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」あたりが結び目でしょうか。World Peace Nowの運動も、自衛官の駆け込み寺「Trans-Pacific GI/SDF Rights Hotline 米兵・自衛官人権ホットライン」も、イラク派兵反対署名運動も、市民の意見広告運動も、北海道の自治体の決議も、公共哲学ネットワークも、この争点ではアーチが可能です。そして、世界では、1月のインドのムンバイ世界フォーラム、「もうひとつの世界は可能だのアーチがかけられ、3月20日のイラク開戦1周年が、全世界の反戦平和・反新自由主義プロジェクトの「くさび型争点」への集中日になろうとしています。今年 2月15日の人類史上空前の世界1500万人のイラク戦争反対統一行動のように。

 実はこの間、情報収集センター 2003年の尋ね人で新たな進展が見られ、特に「竹久夢二探訪」は、本HPを見た一通のメールから貴重な発見があったのですが、これも来年にまわしましょう。現代史研究「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファンに「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室政治学研究室に収録。ここには、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)に続く、学術論文グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)は、新年に収録予定「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、正月休みにじっくり御笑覧を。

 図書館「書評の部屋」の『エコノミスト』11月25日号掲載、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)太田昌国『「拉致」異論』(太田出版) 。時事通信社『世界週報』12月2日号掲載松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)の書評第二弾は前回更新。現代史研究アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)情報学関連野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)とあわせて、やや長めのご笑覧を。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)ジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)永山正昭『星星之火』(みすず書房)藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)等が入ってます。「国際歴史探偵」には、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)をどうぞ。

 

「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」によって、

「ベトナム化」するイラクへの自衛隊派遣に反対し、

1月ムンバイ世界社会フォーラム「もうひとつの世界は可能だ!」の方へ!

2003/12/1  イラク戦争は続いています。というより、泥沼化しています。遂に、日本人の犠牲者が出ました。外務省奧克彦参事官と井ノ上正盛書記官の二人が襲撃され、イラク人運転手と共に死亡しました。奥参事官は、ご存じの方も多いでしょう。外務省ホームページにしては珍しく「人間の顔」が見える、あの「イラク便り」の発信者でした。私も時々覗いていました。11月11日の「おしん!おしん!おしん!」などは、情報戦資料としても有益で、田中宇さん久保田弘信さんの「イラク日記」と共に、貴重な現地からの声でした。残念です。哀悼! でも、国際ニュースの中では、来るべきものが来たという感があります。本欄で幾度もリンクしてきた「イラク・ボディ・アカウント」の犠牲者数は、もうすぐ1万人です。「イラク戦争被害の記録」報道日誌を見れば、「占領」したはずの米英軍自身が、「復興」どころか、ゲリラ戦争の最前線なことがわかります。CNNの月別犠牲者ワシントン・ポスト 紙HP米軍犠牲者欄のニューフェースは、もう日常化しました。そのため「イラク戦争のコスト Cost of the War in Iraq」もうなぎ登り、さっき覗いたら877億ドルで、天文学的数字です。イタリア軍司令部で17人の犠牲者が出たのは、つい2週間前でした。11月30日のCNN英語ニュースでは、スペイン情報機関員7人がおそわれたニュースの方が、日本人外交官2人米軍兵士2人よりも大きく、、4カ所で13人ワンセットの、待ち伏せ攻撃だったようです。12月1日には、これが週末同時多発ゲリラ戦争で、韓国人・コロンビア人を含む15人犠牲米軍の応戦でイラク人54人死亡、と修正されました。イギリスBBCは「日本の自衛隊派遣計画は非現実的に」と報道、World Peace Nowは抗議の外務省前座り込み開始、日本政府は、いま立ち止まって考えないと、この泥沼に足をすくわれます。相手は、テロリストだけではありません。理不尽に国土を蹂躙され、家族を奪われた人々の、抵抗・報復戦争のさなかなのです。この「報復の連鎖」を断ち切ることこそが、求められているのです。

 これはひょっとしたら、二日前の電撃作戦ニュースへの、応答ではないでしょうか。そうです。ネオコンの操り人形ブッシュ大統領が、 突然イラクに現れ、2時間半の感謝祭の夕食を兵士と共にとって、風の如く帰国しました。そういえばサダム・フセインも、突然テレビ・クルーと共に街に現れて、群衆と握手していましたっけ。典型的な情報戦です。わずか1週間前に、盟友ブレア政権下の英国ロンドン・トラファルガー広場では、20万人の反戦デモによって包囲され、ブッシュ像が引きづり下ろされていたのですから。JMM の在米作家冷泉彰彦さん『from 911/USAレポート』「電撃訪問と国論の分裂」が、「カリスマの不在」という視角から、鋭く解析しています。情報戦の中では、案外この手の子供だましが、手強いのです。

 TV映像では、まるで日本の学校の給食当番のように、行列した兵士たちに食事を盛りつけて渡しながら、本当に子供のように笑っているブッシュ大統領の顔を延々と紹介していました。私は見てはいけないものを見たような気がしました。合衆国大統領が人の国に「隠密」で現れて、その国の一般の人たちには一切何も言わず、いや「テロ」を恐れて訪問をひた隠しにして自軍の兵士を中心に2時間半「楽しく」過ごしただけで帰ってくる、そのことのおぞましさを思うと胸が悪くなります。まして、人の国に行くのに、自分の国の行事を祝い自分の国の食事をするのが主目的なのです。異文化に対する尊敬心の欠落も、ここまで行けば人格の欠陥と言われても仕方がないでしょう。
 けれども、怒りを感じながら私は同時に途方もない悲しさも感じていました。ブッシュを支持する層は、この「給食当番パフォーマンス」を見て喜ぶに違いありません。ともすれば困難な状況で、前線兵士は士気を低下させがちと伝えられています。合衆国大統領が危険を冒して飛んできて兵士たちと感謝祭のディナーを共にしてくれる、そんな庶民的な行動力のある大統領は、やっぱりエリートぶった偽善者のリベラルよりずっと素晴らしい、そう思う層が確実に存在します。ブッシュの「隠密フライト」と「給食当番」は、そんな支持層へのメッセージであって、反対派からは批判されることなど平気、そんな「ふてぶてしさ」も感じられます
 確かに「ブッシュ支持」と「反ブッシュ」の対立は過熱するばかりです。勿論、所得層による対立、地域格差を反映した対立という構図も残っています。ですが、リベラルという立場と草の根保守の情念、この二つの対立は各世代にわたって修復不可能な分裂になっていると言って良いのでしょう。それは「カリスマの崩壊」ということです。その背景には「複雑な世の中である現代に、理想的なカリスマなどあるわけがない」という心理があります。「あるわけがない」という心理は「完璧なカリスマには、何か裏があると思え」とか「指導者の醜悪な面を隠すより暴くべきだ」という心理に重なって行きます。そうした「偶像破壊」をやり続けた結果、嘘で固めた聖人君子などよりは、多少欠陥があった方が「人間味があって良い」という直感が社会を支配していきました。そんな「人間くさい弱さ」を見せるカリスマ像は、現実世界でも、映画やTVの世界でも主流になって行きました。
 ブッシュ大統領への支持は、政治的にはクリントンとは正反対ですが、心理的には似通っていると言えます。無教養で、高潔でも何でもない「二世」が取り巻きに囲まれて曲がりなりにも大統領職を維持している、そんな構図は誰もが知っています。ですが、支持者には、そんな「弱さ」が支持されるのです。笑えない安っぽいジョークを支持するのではなくても、無理をしてそんなジョークを言い続ける「ジョージ」をどうしても憎めない、そんな心理と言っても良いのでしょう。他愛ない「給食当番」パフォーマンスが成立するのは、そんな心理の延長です。そこまでは、マスメディアが発達した、いわゆる「大衆社会」の現象として説明ができます。ですが、今回のアメリカの「分裂」が明らかにしたのは、そんな「脱カリスマの人間味」という「のんき」な話ではありません。それは「欠点を抱えた人間味」は支持者には好感を持たれるが、政策的に支持できない人には激しい憎悪を抱かせるということなのです。 

 ちなみに、アメリカ大統領の米軍戦地訪問は、1969年のニクソン大統領南ベトナム訪問以来とか。それから、南部傀儡政権下でもベトナム民衆の抵抗が強まり、73年の和平協定まで3年余でした。アメリカは、中国を承認して中ソ対立を煽ったり、日本に沖縄施政権を返還して反戦世論を懐柔しようとしたりしましたが、けっきょく全面的に敗北し、深い傷跡を残しました。経済もドル危機にニクソン・ショックで、結局第4次中東戦争が産油国の「資源主権」の主張をもたらし、73年秋石油危機で、第二次大戦後資本主義の黄金時代=高度成長が終わりました。遂に公務員の犠牲者を出した日本政府は、米国政府と国民に、率直に進言すべきです。ブッシュとネオコンの道は、「ベトナム化」への道ですよ、と。当初10万人が目標であったロンドン の11.18ブッシュシズム抗議行動が、倍以上にふくれあがったのは、その数日前までパリで開かれていた第二回ヨーロッパ社会フォーラムでのよびかけの結果です。昨年も、似たような流れでした。秋のフィレンツェでのヨーロッパ社会フォーラムで反グローバリズム運動と非戦平和の運動が結びつき、年頭アジア社会フォーラム、中東社会フォーラムなど地域フォーラムの積み上げが、2003年1月末ブラジル・ポルトアレグレに総結集し、そこでの「世界のさまざまな運動体によるひとつのよびかけ」が、 2月15日の人類史上空前の世界1500万人のイラク戦争反対統一行動を可能にしたのです。それも、戦争そのものが始まる以前に。国連での仏独露中など、アメリカ単独行動主義への不同意をもたらすグローバル世論の圧力をも伴って。2004年も1月中旬に、今度はポルトアレグレではなくインドのムンバイに世界の心ある活動家・知識人・NGO・労働者が集まります1月16−21日の第4回世界社会フォーラムWSFです。ヨーロッパ社会フォーラムでは、来年3月20日のイラク開戦1周年を、全世界の反戦平和・新自由主義グローバリズム反対の統一行動日にすると、提案されています。日本政府がブッシュの顔色ばかり見て自衛隊イラク派遣を強行すると、国際世論の冬から春の盛り上がりと真っ向から衝突するばかりではなく、予告されているように、「東京」を標的にしたテロや、イラクでの更なる犠牲者を出すことになるでしょう。11月総選挙で投票しなかった40%の人々の沈黙のツケが、早くも回ってきました。もっともお金の方のツケは、日本政府は世界でダントツの50億ドル(5500億円)拠出、人当たり5000円の支払いを約束してしまっているのです。

 この春のイラク戦争反対運動、そして大量破壊兵器もサダム・フセインもオサマ・ビンラディンもみつからぬまま泥沼化する戦争へのグローバルな抵抗運動は、「多様な運動体によるひとつの運動(a movement of movements)」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク(a network of networks)」と特徴づけられます。これ、実は、前回更新で翻訳中と予告したフィッシャー=ポニア編集ネグリ=ハート序文の世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!Another World Is Possible日本経済評論社、近刊)のキーワードです。1月のムンバイに向けて、世界で語られている合い言葉「Another World is Possible」には、スーザン・ジョージが、ウォルデン・ベロが、対外債務に苦しめられる人々が、エコロジーの環境団体が、テロに反対する平和団体が、インドのキリスト教会が、イラクで活躍するNGOが、青年たちも、女性たちも、集っていました。政治的には、市民運動も労働運動も環境運動もフェミニズムの運動も、社会主義者も、アナーキストもアイデンティティ活動家(先住民運動や少数者運動、文化運動など)も、加わっています。すべての権力を足下から構築するというローカル主義者もいれば、やはり国家権力が重要だという社会民主主義者も、いやグローバルな金融取引へのトービン税をWTO・世界銀行・IMF体制に突きつけるべきだというグローバル主義者もいます。パリの第2回ヨーロッパ社会フォーラムでも、エネルギーの権利を主張するフランスの労働組合指導者と、環境権を掲げて原発に反対するエコロジストとの間で、激しい応酬があったそうです。そういう多様な考えを、相互に認め合い、むしろ「差異の解放」を奨励し「多様性の増殖」を掲げているところに、19世紀・20世紀の社会運動にはなかった、世界社会フォーラムの21世紀的特徴があります。インターネット上では、「ヤパーナ社会フォーラム」の別処珠樹・安濃一樹訳で親しまれてきた、「世界社会フォーラム原則憲章」の、私たちの訳文の一節。

一、 世界社会フォーラムは、新自由主義、資本主義やあらゆる形態の帝国主義に反対し、人類のあいだの、ならびに人間と地球のあいだを豊かに結びつける、グローバル社会を建設するために行動する市民社会のグループや運動体による、思慮深い考察、思想の民主的な討議、さまざまな提案の作成、経験の自由な交換、ならびに効果的な活動を行うためにつながりあうための、開かれた集いの場である。
五、 世界社会フォーラムは、世界すべての国々の、市民社会の団体や運動が集い、つながり合うものだが、世界の市民社会を代表することは意図していない。
六、 世界社会フォーラムの諸会合が、世界社会フォーラム全体を代表して審議を行うことはない。したがって、何人も、フォーラムのいかなる会合を代表する、またその参加者すべての要求であるかのように自らの立場を表明する権限をもっていない。フォーラムの参加者は、投票であれ拍手による承認であれ、すべてのあるいは大多数の参加者がかかわることになる行動について、ならびにフォーラム全体としての確立した立場であると認識させることを目的とした提起や宣言について、全体としての採決を求めてはならない。したがって、本フォーラムは、会合の参加者によって争われる権力の場ではないし、また、それに参加する諸団体や運動による相互関係や行動についての唯一の方向性が設定されることはない。
八、 世界社会フォーラムは、分権的な方法にもとづく、多元的で多様な、非宗教的、非政府的、そして非党派的なものであり、もうひとつの世界をつくるために、ローカルから国際的なレベルまでの具体的な行動に従事する諸団体や運動を、相互に関係づけるものである。
九、 世界社会フォーラムは、ジェンダーや民族、文化、世代や身体的能力の多様性と同じように、参加することを決めた諸団体や運動の活動や関わり方の多元性と多様性に対して、常にひらかれたフォーラムであり、彼らが従うべきことは、この原則憲章に定められる。党派の代表や軍事組織は、このフォーラムに参加してはならない。この憲章の約束を受け入れた政府の指導者や立法府の議員は、個人の資格で招かれるだろう。
十、 世界社会フォーラムは、経済や開発、歴史についての、すべての全体主義的・還元主義的な考え方、そして国家による社会統制の手段としての暴力の使用に反対する。またフォーラムは、人権の尊重、真の民主主義の実践、参加民主主義、民衆・民族・ジェンダーや人びとのあいだでの平等と連帯のなかでの平和的交流を支持し、あらゆるかたちの支配・統制、そしてある人間がそれ以外の人間に服従させられることのすべてを非難する。
十一、 討議のためのフォーラムであるとともに、世界社会フォーラムは、資本による支配のメカニズムと手法について、またそのような支配に抵抗し克服するための手段と行動について、そして、国際的・一国的規模での人種差別、性差別・環境破壊を伴いながら資本主義的グローバル化のプロセスにおいて作り出されている排除や社会的不平等の問題を解決するためのオルタナティブな提案について、熟慮を促し、その熟慮の成果をわかりやすく伝える、思想運動である。
十二、 経験交流の枠組みであるとともに、世界社会フォーラムは、参加している諸団体や運動間の理解や相互認識を奨励する。また、それらの運動間の交流、とりわけ現在と将来の世代のために、民衆の要求をみたし自然を尊重することを中心に据えた経済活動や政治行動のために社会が作り上げているすべてのものを、重視する。
十三、 相互が関係する状況をつくるために、世界社会フォーラムは、社会の諸団体や運動の、新しい一国的な、そして国際的なつながりを強化し、作り出すことに努める。それは、公的また私的な生活において、世界が経験している人間性喪失のプロセスと国家により行使される暴力に対する、非暴力的抵抗の力を増大させ、こうした運動や諸団体の活動によってもたらされる人間らしい政策を、強化することになるからである。
十四、 世界社会フォーラムは、参加団体や運動の行動が、自らの行動をローカルのレベルからナショナルのレベルに定め、地球市民権の問題として国際的文脈への積極的な参加に努めることを、また、彼らが連帯にもとづく新しい社会の建設において経験している変革を導く諸実践をグローバルな課題にしていくことを、促進するプロセスである。

 前回のパレスチナ民衆への「アパルトヘイトの壁」「悪魔の壁」に続いて、日本の新聞にはほとんど載っていない、インターネットならではの気になるニュース。アフガニスタンでは、タリバン政権崩壊後、なぜか「ケシの栽培面積、昨年の二倍、テロリストの資金源に」。本当にテロリストの資金でしょうか。イラクに軍隊を派遣している新生東欧の親米優等生ポーランドでも派兵反対世論67%にイギリスでは詩人ベンジャミン・ゼファニアが、エリザベス女王からの英帝国勲章(OBM)の授与を拒否、イラクにおける戦争と大英帝国の名のもとの「長年にわたる残虐行為」に対して抗議しました。同じくエリザベス女王を元首とするオーストラリアで最大野党労働党党首の辞任、理由は総選挙3連敗で「自信喪失」とか。党首が落選したり、選挙違反でつかまりそうな国よりは、いさぎよいですね。そして、日本では、井上ひさしさん会長の日本ペンクラブが「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」日本における「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」は、やはりいま、この問題に集中すべきです。

 そもそもイラク戦争はアメリカが世界の世論を無視し、国連安保理の同意を得ずに強行した無法な戦争である。戦争の「大義名分」にされた大量破壊兵器も見つかっていない。しかも、現在イラクは米英軍の占領下にあり、どこもかしこも戦場である。そのイラクへ自衛隊を派遣することは、イラクの「復興支援」にはならず、米英軍の占領統治を「軍事支援」することにほかならない。イラク人から自衛隊は米英軍の一翼を担う部隊と見なされ、必ずやイラクの武装勢力から攻撃されることになるだろう。
 いまや政治家ひとりひとりの良心が痛切に問われている。小泉政権や国会議員諸氏は、そういう事態が起こるのを知りながら、あえて日本自衛隊の若者たちをイラクの戦場へ派遣し、血を流させるつもりなのか? われわれは、イラクの復興と統治は米英軍によらず、国連の支援の下、イラク国民自身の手によってなされるべきであると考える。
 暴力とテロの応酬からは、決して平和は生まれない。日本政府は自衛隊をイラクに派遣して、火に油を注ぐよりも、真に友人であるならば、アメリカ政府を説得してその矛を収めさせ、暴力とテロの連鎖を断ち切るように訴えるべきである。ベトナム戦争のように泥沼化する前に、アメリカは早急にイラクから軍隊を撤退させ、国連主導の復興に譲って、即時、イラク国民に主権を返すよう説得すべきではないか。
 敗戦後、われわれ日本国民は、他人の不幸の上に自らの幸福を作らない、二度と再び若者を戦場に送らない、と誓ってこれまで歩んできた。日本が敗戦により平和を得てから半世紀以上、日本の軍隊を海外に派兵することなく、武力を使って他国を侵略せずに今日まで来たことを、われわれは誇りに思う。
 日本ペンクラブは、小泉政権と政府与党が国民を二度と再び戦争に駆り立てないことを国民に誓い、イラクへの自衛隊の派遣を取り止めるよう、強く要求する。

 かつてブッシュ大統領の弟が中国江沢民前主席の息子の半導体会社の顧問就任というニュースがありましたが、これがどうも女性問題をきっかけに、キナ臭い火種でスキャンダル化しつつあります。そんな悪魔のブッシュイズムに魂を売った小泉政権の自衛隊イラク派遣は、憲法問題に直結します。年内ともいわれるイラク派遣自衛隊の中心部隊であるといわれる陸上自衛隊第2師団が、公式ホームページを開設しました。これは、イラクを占領した米軍兵士たちがそうしているように、戦地の兵士と母国の家族や友人を結ぶ癒し系サイト、つまりはインターネットの軍事利用につながる可能性があります。掲載してはくれないでしょうが、誰かは読むでしょうから、同サイトのe-mail欄に、どんどんメールを送りましょう。抗議メールや打撃的批判ばかりでなく、真摯に戦争の危険と人間の尊厳、自分たちがなぜ中東までいかなければならないのかを考えてもらうように。できれば鶴見俊輔、小田実、色川大吉、ダグラス・ラミスさんらがよびかけて作られた自衛官の駆け込み寺「Trans-Pacific GI/SDF Rights Hotline 米兵・自衛官人権ホットライン」があることも、書き添えて。政治的には、いまこそ11月総選挙で一人勝ちした公明党に投票したであろう創価学会信徒の皆さんに、しっかり訴えましょう。あなたは本当に、海外に出て戦争する軍隊に賛成するんですか、と。創価学会初代会長牧口常三郎の体験をどういかすのですか、と。海外では、「宗教戦争」かと誤解されますよ、と。欧州連合(EU)のヨーロッパヨーロッパ憲法論議が要注意です。「憲法(Constitution)」の今日的意味を考えるために。日々の情報は、イマジンIMAGINE!吉田悟郎さん「ブナ林便り」から集め、2004年ムンバイ世界社会フォーラムからまた飛躍する、グローバルな非戦平和の運動に合流しましょう!

 現代史研究には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファンに「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室政治学研究室に収録。ここには、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)に続く、学術論文グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)は、新年に収録予定「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。

 図書館「書評の部屋」に、恒例『エコノミスト』11月25日号掲載、古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』(アピアランス工房)太田昌国『「拉致」異論』(太田出版) 。時事通信社『世界週報』12月2日号掲載松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)の書評第二弾。同じ本の2回書評は心苦しいですが、実はこれ『エコノミスト』の短評を読んだ著者と出版社からのたつての依頼に応えたもの。現代史研究アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)情報学関連野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)とあわせて、やや長めをご笑覧を。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)ジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)永山正昭『星星之火』(みすず書房)藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインからやや離れ、今夏アメリカで収集した資料をもとに、ゾルゲ事件と野坂参三に真正面から取り組んだ、膨大な書き下ろしを執筆中ですが、フィッシャー=ポニア編もうひとつの世界は可能だ!』翻訳の仕事(日本経済評論社、近刊)がほぼ終わり、いよいよ再開予定


「ベルリンの壁」の愚を繰り返すガザの「悪魔の壁」、戦乱続くイラク、

1月ムンバイ世界社会フォーラムに向けて、

政府を変えられなかった日本から、「もうひとつの世界は可能だ!」のよびかけに

どう答えることができるか、考えていきましょう!

2003/11/15 11月9日、世界史的に見れば、14年前に「ベルリンの壁」が崩れた日、日本の総選挙結果が出ました。「壁」は動きませんでした。ちょぴり揺らぎはしましたが。過半数割れした自民党は、「みそぎ」を済ませた加藤紘一元幹事長らを翌日加えてあっさり240議席に、いまや不可欠の盟友となった池田創価学会、もとい神崎公明党と組んで、絶対過半数で政権を維持。管民主党は、「マニフェスト」片手に議席を増やしましたが、テレビ局の出口調査で投票終了直後200議席突破の気分になったのは束の間、40議席増の176議席でした。与党の保守新党は、熊谷代表以下落選の惨敗で溶解、あっという間に自民党に合流。けっきょく誰が見てもの勝利は、いまや自民党と双生児になった公明党のみでした。共産党9・社民党6は、予想通りの無惨な結果で、社民党土井委員長は辞任しました。「朝日」「毎日」「読売」「日経」「産経」「共同」など新聞・通信社系サイトには、出口調査結果などをもとに、さまざまな投票行動の分析が載っています。公明党の選挙協力が自民党を救ったのは明らかで、これがなければ自民党は87議席に半減という分析もあります。自民党支持層も半分以上が公明党に投票したとは驚き。女性の敵山崎副総裁の落選は当然にしても、自民党内は森派の一人勝ちというのが不気味、またぞろ「神の国」の亡霊が現れそうです。インターネットのオンライン投票ではダントツだった民主党は、無党派層の半数を獲得したようで、地方にも浸透しています。わりを食ったのが、風前の灯の社民党と、4連敗の敗因を分析できない共産党、民主党40議席増のうち23議席は社共の減少分ですから、与党から奪い取ったのは17、自由党との合併効果はいまイチだったようです。いっそのこと、全選挙区泡沫立候補で供託金6億円以上を没収された共産党が、候補者を立てずに野党民主党・社民党候補を支持していれば、民主党プラス42、社民党プラス2、公明党マイナス8、保守新党マイナス2で、与野党逆転が実現していたという主婦の試算もあります。

 インターネット政治の醍醐味は、選挙運動そのもの、投票による「えらぶ楽しみ、落とす楽しみ」ももちろんですが、選挙後もデータをもとに楽しめる点にあるのかもしれません。「選挙でGO!には、選挙前の当落予想の的中率比較が載っています。これがどうも、投票日午後8時発表の出口調査結果による予想よりも正確だったりする不思議、「不在者投票」もようやく威力を発揮してきたようです。でも、深刻なのは戦後二番目に低い投票率=選挙区59・86%(男59・68%、女60・03%)、これがあと5ポイントといわず3ポイントあがっても、別なドラマが展開していたでしょう。「選挙情報専門サイトElection」「選挙でGO!」「SEIRON」はもとより、「OVER80」「選挙に行こう勢」「サイレント・マジョリティ」「無関心党」「老人党」等の奮闘にもかかわらず、潜在的ネチズン層は、シチズンになりきれなかったようです。40%の有権者の無作為によって、税金から総額317億円の政党助成金が支出されます。女性当選者は社共敗退で34人と微減、これって世界で132位とかの超後進国。やっぱり「21世紀は女の世紀、議席半分いただきます」がちゃんと活動して、投票率を上げるべきでしたね。そのためにも、この国の「公職選挙法」による異常な「べからず選挙」が気になりました。たとえば「選挙でGO!」の当落予想ページは、選挙期間中は消されていました。もともとこの国の選挙法の歴史では、西欧にならった1889年帝国憲法下の衆議院議員選挙法では、選挙人資格は直接国税15円以上男子の制限選挙だったものの、選挙運動規制はありませんでした。ところが、1900年治安警察法以来自由な政治活動が抑圧され、1925年男子普通選挙実現の際は、治安維持法制定とワンセットでした。悪名高い戸別訪問禁止規定は、この1925年選挙法の産物です。「投票売買の腐敗行為を醸成」しないようにというのが理由ですが、現在にいたるまで他の先進国・民主主義国には例を見ない、きわめて日本的な自由選挙制限です。最高裁判所は1969年合憲としたものの、すでに下級審では5度も違憲判決が出ていて、国際法上でも自由権規約違反の疑い濃厚です。つまり、有権者も候補者も選挙運動を野放しにすれば票の売買が行われるというシチズン性悪説にもとづくもので、主権者への信頼という民主主義の根本原理が、この国では欠落しています。1945年の敗戦と女性への普通選挙権拡大時が、選挙民主化のチャンスだったのですが、GHQの介入をおそれた日本政府のあわただしい改訂で、戸別訪問禁止は不問に付され、逆に、統制経済下の紙不足を理由に「選挙運動の文書図画」規制が、1947年選挙法で加わりました。今回もネチズンを悩ませた、総務省解釈による「候補者ホームページの選挙期間中更新禁止」は、実に、この半世紀以上前の紙不足を理由にして制定された条項にもとづき、ホームページを「文書図画」の一種と拡大解釈した石頭官僚主義の産物です。自民党の反対論に曰く、「インターネットを使えないお年寄りの支持者が多い党には著しく不利になる」ですって。、なだいなださん老人党」の掲示板で、ぜひ怒りの声をあげてほしいですね。それともこっそり、自民党・公明党さんに教えましょうか。いまや「お年寄りの支持者が多い党」というのは泡沫政党化した社民党・共産党の方で、今回総選挙についての私のゼミの学生の試算では、選挙関係サイトは前回2000年総選挙以後倍以上に増加し、公開ホームページを持つ候補者の当選率が663人中273人=41.33%だったのに対し、ホームページを持たない候補の当選はたったの7%だったのですよ。抜本的公選法改正が望ましいですが、せめて総務省の「IT時代の選挙運動に関する研究会」報告書にそった「IT選挙の解禁」程度は、来年参院選前にぜひ実行してほしいですね。 

 でも、政策選挙マニフェスト効果もイマイチで、世界では例外的な政党制である英米型「二大政党制」を夢見て、けっきょく政権交代を果たせなかった日本の総選挙の間に、世界はまた大きく動きました。「壁」がくずれるどころか、新たな「悪魔の壁」がつくられています。イスラエルは、パレスチナ民衆の 「テロから自衛する」という理由で、和平への対話を拒否し、ベルリンの壁よりも高いアパルトヘイトの隔離壁」が、作られつつあります。ラファの難民キャンプは、ブルドーザーで全家屋を破壊され、がれきの山の中で、子どもたちが家族を捜しています。ムハンメドさんの「弟の死」と題した文章は、いま、世界で大きな反響を呼んでいます。「ベルリンの壁」崩壊記念日の11月9日に、世界中の人権団体が抗議行動を行いました。

 心のない世界。大多数の人は感情を失っている。人間の意味を忘れ去っている。価値も規範も、もうどこにもない。僕の弟は、世界が沈黙しているさなか、冷酷に殺された。弟が家にいた時、イスラエル軍のブルドーザーと戦車が一帯にやってきて攻撃を始め、家々を壊しはじめた。あたりの様子は一変した。選ぶ道はふたつ。家もろとも押しつぶされて瓦礫の下敷きになって死ぬか、家から逃げ出して砲撃と銃撃を浴びて死ぬか。銃撃は、子供にも女性にもお年寄りにも見境なく向けられる。誰もがターゲットになる。
 弟のフッサームは17歳、高校生だった。フッサームは、瓦礫の下敷きになって死ぬのは選ばず、とにかく家から出て、身を隠せる場所か、どこか安全な場所を見つけようとした。家から出た途端、悪意に満ちた7発の銃弾が襲いかかった(年端もいかない子供たちを銃撃するイスラエルを支援している国々の銃弾……病院の医師が話してくれたところでは、フッサームが受けた銃弾はすべてアメリカ製だった)。イスラエル兵が7発のアメリカ製の銃弾をフッサームに撃ち込んだ時、ウェダード・アル・アジュラーミーという33歳の女性が、フッサームを助けて病院に運ぼうと走り寄った。だが、イスラエル兵は、そんな彼女にも銃弾を浴びせた。こうして、ふたりとも地面に倒れた。 

 2001年9.11後のバックラッシュ発祥の地アフガニスタンでは、現地人に協力して潅漑工事中の日本NGOに対して、米軍ヘリが機銃掃射を浴びせました。おそわれたのは、あの「誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする中村哲医師らのペシャワール会です。拉致問題を含む6カ国協議への動きも、水面下で続いていたようです。そんなところに、例の米軍女性兵士ジェシカ・リンチさんの英雄物語が、軍の情報操作で作られたことが暴かれ米国世論も変化戦乱続くイラク現地では、イタリア軍司令部が狙われ25人死亡の報告、小泉内閣が自衛隊派遣を予定していた南部「非戦闘地域」から、100キロと離れていません。イラクへの派兵、いよいよ本格化する憲法改正問題への試金石です。いっそ今や与党の要、公明党に抗議を集中しましょうか。自衛隊員には、創価学会員も多いはずですから。寺島隆吉=美紀子さん訳で、ノーム・チョムスキーのエッセイ「イラク戦争と民主主義への軽蔑」、11月2日開かれた東京大学駒場教員有志と公共哲学ネットワークCHANCE共催緊急シンポジウム「日本外交と「反テロ」世界戦争 ──天木直人前レバノン大使を迎えて」における天木直人前レバノン大使の報告は、司会者下村健一さんの「眼のツケドコロ」でどうぞ。しみじみと味わい、考えましょう。

. そんななかで、11月12ー15日、今年もヨーロッパ社会フォーラムが、パリで開催されました。来年は初めてブラジル・ポルトアレグレを離れ、1月16−21日にインドのムンバイ(旧ボンベイ)で開かれる第4回世界社会フォーラム(WSF)の、前哨戦です。18日からロンドン訪問のブッシュ米大統領は、反戦デモに迎えられるでしょう。1月は毎年公務が重なる時期で、来年もムンバイには行けませんが、11月2日の東京プレフォーラム200人近い盛況だったと聞いて、私なりのささやかなコミットメント。世界社会フォーラム(WSF)記録集『もうひとつの世界は可能だ!Another World Is Possible )の翻訳中です。いま、この合い言葉「Another World is Possible」をGoogleで打ち込むと、地球上の至る所で、実にさまざまなサイトが、このスローガンを、掲げています。スーザン・ジョージが、ウォルデン・ベロが、対外債務に苦しめられる人々が、エコロジーの環境団体が、テロに反対する平和団体が、インドのキリスト教会が、イラクで活躍するNGOが、青年たちも、女性たちも、この一つの言葉に未来を託して活動しています。私が、この運動に共鳴する大学院生の皆さんと一緒に日本語に翻訳したのは、かの『帝国 EMPIRE』ネグリ=ハートが序文を寄せた、フィッシャー=ポニア編集の2002年フォーラム報告・記録集。目次は、ここをクリック。現代新自由主義のグローバリズムと、それに立ち向かうグローバルな社会運動の、21世紀版百科全書です。年内には刊行予定(日本経済評論社)ですので、ぜひお読み下さい。そのエッセンスというべき、ヴァンダナ・シヴァの言葉を予告編
 
 グローバル化のプロジェクトが展開するとともに、その哲学的・政治的・エコロジー的・経済的なレベルで、破綻が露わになっている。支配的な世界秩序の破綻は、社会、生態系システム、そして経済の行き詰まりと崩壊をともなう。社会、生態系、政治、経済を、持続不可能に至らしめつつある。
 グローバル化の哲学的・倫理的破綻は、私たちの生活のあらゆる側面を商品化し、私たちのアイデンティティをグローバル市場の中のたんなる消費者に変えていくことを、土台としている。私たちの生産者としての能力、私たちの共同体の一員としてのアイデンティティ、私たちの自然や文化遺産の管理人としての役割は、すべて消し去られるか、破壊されようとしている。市場と消費主義は、肥大化した。与え分かち合うという私たちの力は、萎縮してしまった。しかしながら、人間の精神は、私たちの人間らしさを無用とするような世界観に支配されることを、拒むのである。――ヴァンダナ・シヴァ

 イマジンIMAGINE!のリンク切れは、整理されています。現代史研究には、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』29号、2003年10月)、地方史ファンに「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!の中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室政治学研究室に収録。ここには、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)に続く、学術論文グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)は、新年に収録予定「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。

 図書館「書評の部屋」には、アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)現代史研究牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)は本格書評。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)ジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)に、永山正昭『星星之火』(みすず書房)藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインからやや離れ、今夏アメリカで収集した資料をもとに、ゾルゲ事件と野坂参三に真正面から取り組んだ、膨大な書き下ろしを執筆中ですが、フィッシャー=ポニア編もうひとつの世界は可能だ!』翻訳の仕事(日本経済評論社、近刊)で中断中

 

ウェブには、政治情報溢れても、日本のネット選挙は、未だ駆けだし

でもそれで、年金や憲法の行方が決まるなら、やっぱり投票して、落とす楽しみ(詠み人知らず)

 世界史的にみれば、僅差でブッシュJr.=ネオコン政権を産み出したあの2000年アメリカ大統領選挙と、対象者86人中59人を落選させた韓国総選挙落選運動を画期に、「インターネット選挙」の時代に入りました。2001年9.11以後の地球内内戦を推進力にして、世界の政治と選挙の舞台は、E-ポリティクスとかインターネット・デモクラシーとよばれる新段階に突入しました。私風に言えば、現代政治の機動報陣地戦段階から情報戦時代への深化です。そのもとでの21世紀最初の日本の総選挙が、すでに開始され、11月9日に投票日を迎えます。そこで今回は、インターネットで選挙を楽しむ法

 まずは政治って、選挙って、なんでしょう。「おさんぽ政治学」や「選挙るおもしろいじゃん! 政治ってを見渡して、ネチズンはシチズンでもあることを、思い出しましょう。少し本格的に、「世界の選挙のしくみ」「各国の選挙と政党」「国政選挙の歴史」などを知ると、日本という世界第二の経済力を持つ国が、政治は三流どころか四流で、 国際社会でアメリカの投票機械と揶揄される根拠も、見えてくるはずです。管轄官庁は「総務省」ですが、「選挙制度いろいろ」や「公職選挙法」も、チェックしておきましょう。11月9日に旅行やデートを計画しているあなたにも、ちゃんと権利はあります。「不在者投票」は、明日にでもできるのです。海外にいたって、「在外選挙情報室」でみればわかるように、一票を投じることができます。アメリカ・ロサンゼルス領事館の「在外選挙」案内を、のぞいてみましょう。でもそれなら、日本に長く定住し税金も払っている外国籍の人たちにも、投票権を与えるべきでしょう。日本の「選挙制度改革」は、遅々としか進みません。でもインターネットなら、「ピースナウ・コリア・ジャパン」の皆さんのように、「日本と、東アジアの未来の為に」と、拉致問題や核問題など自分たちにとっての争点を設定して、日本人有権者に政治選択を問いかけることはできます。北海道選挙管理委員会「選挙GOGO!」(写真)のように、最近は選挙管理委員会の投票よびかけも、洗練してきました。もっとも若い男性だけ、というのが気になりますが。「21世紀は女の世紀、議席半分いただきます」は、今回は動いてないようです。「選挙に行こう勢」のように投票そのものをよびかける民間サイトもあります。先日の埼玉参議院補選は、27.52%の記録的低投票率に救われて、自民党辛勝でしたが、「OVER80」は、投票率80パーセント以上をめざす市民運動。実際先進国でも、昨年のドイツは79%ですから、不可能ではありません。80%の投票率になったら、日本の選挙の場合、まちがいなく大きな地殻変動です。だから「選挙情報専門サイトElectionの投票率向上委員会は、賞品までつけて「投票率アップ大作戦」を展開しています。この辺までわかってくれば、「君も今日から選挙博士」です。

 では、ネチズンとしての選挙作法。実はこの面では、日本は先進国とはいえません。「IT選挙の実際」は、「公職選挙法」によって厳しく規制されていて、選挙中は、候補者ホームページの更新さえできません。日本における「IT政治の現段階」は、「ネット選挙運動、解禁めど立たず 政党、根強い反対論」という状態で、せっかく政治家のホームページを比較・採点する「開け電網政治の時代」があり、「ネットは選挙をどう変えるか」「選挙と政治における可能性」が追及されているのに、ようやく総務省の「IT時代の選挙運動に関する研究会」報告書で、メリット・デメリットが検討されている状態です。したがって今回の総選挙では、アメリカのような「ビジネスとしてのIT選挙」が始まり、韓国のような「落選運動」もありますが、インターネットだけで政治を大きく動かすことは困難です。シチズンとしては、どうしても投票所に行かねばなりません。その投票様式も、「電子投票」が検討され地方選挙などで一部始まりましたが、「選挙結果の操作も可能? 電子投票システムの危ういセキュリティ」という問題点もあり、今回もまた、各テレビ局の開票速報が、特別番組で視聴率競争でしょう。「政治におけるインターネット活用に関するリンク集 」(私の「小泉内閣とインターネット政治」もばっちり)で、しっかり可能性を認識し、慶応大学の卒業論文「選挙活動における議員のインターネット利用の有効性と問題点――ホームページを中心に」などで、現時点でのインターネット選挙の限界をも学んでおきましょう。無党派「サイレント・マジョリティ」の出方が決定的です。そうすれば、「選挙が10倍楽しくなるリンク集」から入って、いよいよ政党や候補者の品定めです。

選挙情報一般は、「朝日」「毎日」「読売」「日経」「産経」「共同」など新聞社系サイトでいくらでも採れますが、ネチズンとしての流儀は、「選挙情報専門サイトElection」、「選挙でGO!」、ヤフー「選挙」、「SEIRON」あたりを「お気に入り」に入れて、幅広い情報をあつめたいものです。「NHKの立候補者紹介」や「テレビ朝日」の特集サイトもあって、基礎的情報蒐集には事欠きません。これらから政党サイトにも簡単に入れますが、今総選挙の目玉は、各党の政策構想を網羅した「マニフェスト」での政党選びとか。「マニフェスト選挙」と既に名付けられています。各党政策比較は、お手軽な「東京新聞マニフェスト比較表」や本格版「マニフェ・ドットコム」はじめ、色んなバージョンが、色んなサイトに出ていますが、やはり直接各政党HPに入って、全体の政策体系の中での位置づけ・優先順位を確かめることが大切です。景気対策でいいこと言ってても、年金政策とのリンクが杜撰だったり、北朝鮮拉致問題や自衛隊イラク派兵が、憲法改正に直結していたりしますから。口当たりのいいマニフェストの文言よりも、「市民センタイ」のようなサイトで、前回衆院選から3年4ヶ月の主要政党の法案賛否」(超オススメ!)を確かめましょう。たとえマスコミでは争点になっていなくとも、「戦争を好きになれないあなたのための選挙ガイド」や「イラク攻撃議員アンケート」は、この間非戦平和運動で大きな力を発揮してきた、ネチズンとしての選択に重要です。「支持政党鑑定」のような他力本願は、あまりお勧めできません。自分なりに争点を設定して、じっくり比較検討しましょう。新生民主党には自由党が合流したばかりですから、「自由党と民主党のマニフェスト比較」も要チェックですし、「共産党の4連続惨敗となるか」のような、一票の政治的有効性の判断も必要です。そんな時には、「落選運動」の「2003年衆議院議員選挙候補者鑑定団」の基礎データをじっくり読み直し、なだいなださん老人党」の掲示板を参照しましょう。そうそう、最高裁判所9判事の国民審査への権利行使も忘れないこと。

 有権者にとっての「踊る大選挙戦」の醍醐味は、「えらぶ楽しみ、落とす楽しみ」です。現職首相が1月に「 公約なんて守らなくてもはたいしたことない」といっていたこと、自民党現幹事長が5月に早稲田で「 憲法上は原子爆弾だって違憲じゃない」と述べたご当人であること、自民党前幹事長が「副総裁」として立候補し、今回当選すれば2005年自民党結党50周年記念改憲案の起草責任者になるはずなことを忘れないようにしましょう、と前回書きました。 候補者レベルなら、「議員さんのことを調べよう」「政態観察」「ザ・議員」「候補者鑑定団」「全衆院議員公設秘書調査」「族議員100人リスト」「鈴木宗男事務所から資金提供を受けた議員一覧」などで、自分の選挙区の候補者を詳しくチェックしましょう。インターネット・テレビ局「無党派の声・テレビや首相にまけてたまるか」によると、2世・3世がうじゃうじゃダーティな「みそぎ選挙」組も続々です。おひまならば「ヤフー掲示板・選挙」や「議員・選挙2ちゃんねる」での評判まで、確かめましょう。もっとも「名無しさん」の世界は、ライバル候補の誹謗中傷など裏情報戦に使われていたりしますから、要注意。ネチズンの圧倒的多数派である無党派サイレント・マジョリティ」や「無関心党」の役割は、つきつめれば、二卓です。えらぶ楽しみで、相対評価の「政権交代ドットコム」に突き進むか、それとも落とす楽しみで、自律自存の「落選運動」に徹するかにあります。公開討論会を組織する「リンカーン・フォーラム」や、政治の言葉をチェックする「言論NPO」は、そうした判断に役立つでしょう。20歳以下の君には、NPOのユース「模擬投票」が始まってますし、「選挙でGO!」には、週刊誌を含む当落予想一覧表が、公示前ぎりぎりまで出ていました。「選挙博士」としては、これを機会に「蒲島郁夫研究室2003年衆議院選挙特集」「選挙統計リソース」「選挙ポスターの研究」のような選挙そのものの政治学的研究も、活用してほしいところです。

 選挙には出ない、立派な人々もいます。ここ何回か、南相木村診療所長色平哲郎さん個性的なホームページ信州の農村医療の現場から」と「金持ちより心持ちになろう」という「風のひと、土のひと」の活動を紹介しました。あの外務省の反骨の人、天木直人前レバノン大使は、11月2日(日)に、東京大学駒場教員有志と公共哲学ネットワークCHANCE共催緊急シンポジウム「日本外交と「反テロ」世界戦争 ──天木直人前レバノン大使を迎えて」2時、東京大学駒場キャンパス900番教室)で講演します。2004年1月にインドで開かれる世界社会フォーラム(WSF)の2004東京プレフォーラム「もう一つの世界を!」(1時、文京区民センター)と重なりますが、ぜひ聞きたいところです。、藤井道路公団前総裁には、例の「死人の出るかもしれない話」イニシャルでなく実名を、ぜひ選挙中でも、明らかにしてほしいものです。11月7・8日には日本平和学会設立30周年記念特別講演会・秋季大会「グローバル化時代の戦争と平和―アジア・中東の紛争構造と和解・共生の条件」が開かれます。

 久しぶりで、イマジンIMAGINE!のリンク切れを整理しました。現代史研究の追加は、「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』第29号、2003年10月)。昨年の今頃行った、記念講演の活字化です。地方史ファン向けに「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)もあります。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室政治学研究室に収録。ここには、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)に続く、学術論文グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(日本平和学会『世界政府の展望(平和研究第28号)』、2003年11月)は、3か月後に収録予定「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。

 図書館「書評の部屋」には、アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)を新規アップ。全3冊1700ページを1000字にまとめるのに、苦労しました。情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)現代史研究牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)は本格書評。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)ジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)に続き、10月28日号掲載永山正昭『星星之火』(みすず書房)藤田省三『精神史的考察』(平凡社ライブラリー)を新規収録「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインからやや離れ、今夏アメリカで収集した資料をもとに、ゾルゲ事件と野坂参三に真正面から取り組んだ、膨大な書き下ろしを執筆中ですが、翻訳書の仕事て中断中。この件は、総選挙終了後に。

 
忘れないようにしましょう、11月9日を! 忘れの時代の総選挙だからこそ、過去の検証を忘れずに!

2003/10/15 星川淳さんのメルマガ「屋久島発 インナーネットソース 」59号に、印象的な詩が掲載されています。題して「ワールド・シティズン《世界市民》――失望なんてするものか」by David Sylvian(星川淳訳)――「ここで何が起こったんだ? 蝶は羽根を失った 空気が濃すぎて息苦しい 飲み水には何かが入っている /陽は昇る 陽は昇るけれど、きみは独りぼっち 目的も見失い 流れのままに101号線の迷路へまぎれこむ /空から降り注ぐニュース 何もかも 今日は明るいものばかり そう思えないのはきみだけさ /ワールド・シティズン ワールド・シティズン……」――まだまだ続きますが、坂本龍一さんの曲がついてCDになるというので、楽しみ。気になったのは、「空から降り注ぐニュース 何もかも 今日は明るいものばかり そう思えないのはきみだけさ」の一節。私たちの生きている21世紀は、新聞・雑誌ばかりでなく、テレビにファクスに携帯電話にインターネット、とても整理しきれない膨大な情報がいやでも舞い込んできて、あっという間に通り過ぎていきます。空間がグローバルに広がっただけ、時間の凝集性もすさまじいものがあります。私たちの経験する一年の情報環境は、おそらく戦前日本人の「人生50年」を超えるでしょう。それだけジャンク情報、ノイズ(雑音)やディスインフォメーション(誤報)も多く、一週間前のことさえ、忘れてしまいがちです。情報戦の時代には、自分の知りたい情報をしっかりつかんで、「忘れない」こと自体が、大きな抵抗であり、自律の拠点です。

 同じ星川さんのメルマガから、忘れてはならないならないニュース――「国際刑事裁判所を敵視するアメリカ」。軍事援助のカットであっても、相手の国の民衆にとっては切実です。

 クリントン時代に国際刑事裁判所(ICC)の開設を支持したにもかかわらず、ブッシュ政権になって署名を取り消したアメリカは、ICCの正式設立にともなって米軍人保護法を制定し、ICC条約に加盟する国からは軍事援助を引き揚げるし、戦争犯罪容疑で捕まった米兵の身柄奪還には武力行使も辞さないと宣言。ICC条約加盟国と、米兵を例外扱いにする個別の2国間協定を結ぶ交渉を進めてきましたが、さる10月1日、この2国間協定を拒否した32の友好国に対し、2004年度は合計3000万ドルの軍事援助を打ち切ると発表しました
  NATO加盟国や日本、韓国、イスラエルなどの同盟国は例外扱いされるものの、アフリカのマリ、ナミビア、南ア、タンザニア、ケニア、そしてエストニア、ラトビア、リトアニア、スロベニア、スロバキア、セルビア、ブルガリアを含む中欧・東欧諸国の多くが2国間協定を拒否したと伝えられます。ICC条約にはメキシコ、コスタリカ、コロンビアをはじめ、ボリビアを除く中南米の大半も加盟しているいっぽう、アメリカの軍事援助に頼らざるをえない国もあって、パナマ、ホンジュラス、ニカラグアがICC条約と対米2国間協定の苦しい両立を選択。このほか、モーリシャス、ドミニカ共和国、ナウル、マーシャル諸島など島嶼国や、中央アジアのアフガニスタン、タジキスタン、東欧のアルバニア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、ルーマニア、ナイジェリアを含むアフリカの一部が2国間協定に応じました。
  しかし、ブルガリアやスロバキアなどイラク合同軍に派兵している国でも、2国間協定を拒否して軍事援助を削られる例があります。また、ドラッグ撲滅でアメリカに協力するエクアドルやペルーも、アフリカの平和維持活動に貢献する南アも、同じ理由で多額の援助を失います。国際刑事裁判所は、テロや戦争犯罪の防止にもっとも有効な枠組みと期待されるのに……(And justice for all? By Jim Lobe )

 そして、星川さんの注=「日本もクリントン時代はICC開設を後押ししていましたが、ブッシュ政権が背中を向けると右へ習えで、まだICC条約を批准すらしていません。」

 衆議院が解散しました。まもなく総選挙です。投票日は、11月9日――忘れないようにしましょう。1989年に、「ベルリンの壁」が崩壊した日です。あの時は、世界の民主化への希望が、あふれていました。忘れないようにしましょう。北朝鮮から 拉致被害者5人の皆さんが帰国して、一年たちました。あのときの曽我ひとみさんの言葉――「私は夢を見ているようです……人々の心、山、川、谷、みんな温かく、美しく見えます」、そのときひとみさんは、お母さんがどうしていないのかを知らなかったのです。忘れないようにしましょう。イランのバグダッドが米軍支配下に入ったのは 4月9日、その頃のブッシュ大統領 支持率は70%、2年前の今頃、9.11直後のアフガニスタン攻撃時は 史上最高の90%、そしてまもなく訪日する 今は5割、来年の再選はおぼつかないことを。忘れないようにしましょう。それなのに、9.11テロのために作られた時限立法「テロ対策特措法」をほとんど審議もなく延長した国会から、今総選挙に多数が立候補していることを。イラクでは 戦費は膨れあがり、戦闘は続いていることを。忘れないようにしましょう。 前回2000年総選挙時の失業率は4.8%、 今総選挙にあたって5%以上。アメリカなら、まちがいなく政権交代です。忘れないようにしましょう。支持率回復して マニフェストまで作った小泉首相。この1月には 「公約なんて守らなくてもはたいしたことない」といっていたことを。支持率回復の原動力、安倍幹事長、5月に早稲田で 「憲法上は原子爆弾だって違憲じゃない」と述べたご当人であることを。忘れないようにしましょう。「副総裁」の名でしっかり立候補する女性の敵 前幹事長、今回当選すれば2005年の自民党結党50周年記念改憲案の起草責任者になるはずなことを。忘れないようにしましょう。 「次の総選挙インターネット選挙」と 公職選挙法改正をうたっていた政党があったことを。そして今回は? 調べてみましょう。 マニフェストは出ましたが、 IT選挙の今の方は? 

 前回更新で、南相木村診療所長色平哲郎さん個性的なホームページ信州の農村医療の現場から」と「金持ちより心持ちになろう」という「風のひと、土のひと」の活動を紹介しました。あの外務省にさえ、天木直人前レバノン大使のような反骨の人がいました。政官業癒着の権化藤井道路公団総裁にも、ぜひ「死人の出るかもしれない話」を、公開聴聞会で明らかにしてほしいものです。戦争の続くアメリカにも、「抵抗の誓い」を日本語でよびかける人々がいます。それなのになぜか、いざ選挙で私たちが投票できる相手は、限られています。インターネット・テレビ局「無党派の声・テレビや首相にまけてたまるか」によると、2世・3世がうじゃうじゃダーティな「みそぎ」組も続々出てきそうです。すでに「落選運動」の皆さんは、「2003年衆議院議員選挙候補者鑑定団」をたちあげました。基礎データはすぐに読めます。なだいなださん老人党」のパワーは、掲示板で盛り上がっています。埼玉県川越市の伝統ある地方紙に発する「行政調査新聞」というネット新聞、「演出されたイラク戦争」や「共産党筆阪議員辞職問題の真相究明」など、なかなか読ませます。そして、小林正弥さんら公共哲学ネットワークの皆さん、「地球平和公共ネットワーク」も立ち上げて、「反テロ」世界戦争に抗する包括的非戦声明――日本参戦・開戦加担反対と平和の訴えなど、活発に発言しています。デモクラシーをマーケットになぞらえたのは、かのシュンペーターでした。有権者=市民とは、生産者=政治家の提供する商品=政策を、選挙という競争=市場で、品質・価格・デザインを品定めして、一票を投じる民主主義の消費者なのだ、と。わかりやすい説明です。でも、それでいいのでしょうか? 情報戦の時代には、市民が等しく情報を共有する完全競争などありえません。需要と供給が均衡する前に、戦争や憲法改悪がありうるのです。投票だけが、政治ではありません。「ベルリンの壁」崩壊は、ライブリーな民主主義の宴でしたし、「落選運動」も「老人党」も、デモクラシーの最先端での意思表明です。忘れの時代には、政治に関心を持ち、情報を得ること自体が、デモクラシーの一部で、市民参加です忘れないこと、気にし続けること、こだわること、調べることも、参加です。11月9日は、21世紀日本の最初の総選挙です。

 秋には、いろいろなイベントがあります。美術展もいっぱい。夏のフリーダ・カーロ展宇都宮の「ヨハネス・イッテン展」を見逃したので、京都近代美術館まで出掛けたいのですが、なんとも時間がとれません。島崎蓊助の遺作展が、昨夏の群馬・大川美術館に続き、四国・愛媛県玉川近代美術館(徳生記念館)で開かれているのですが、残念。イッテンと合わせて見ると、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯」につながるのですが。やむをえず、以下は、前回更新の続き。「TK生」であったことを明らかにし話題の池明観さん〔翰林大学日本学研究所長〕講演会「T・K生の時代と<いま>―東アジアの平和と共存への道」が、22日(水)午後6時、日本教育会館で開かれます。翌週29日(水)午後6時弁護士会館502では、 木村晋介さんら人権派弁護士の皆さん横田滋さん、櫻井よしこさん、姜哲煥さん、荒木和博さんをよんでのシンポジウム 「北朝鮮による人権侵害・拉致と強制収容所を考える」どちらもちょっぴりお手伝いしましたので宣伝。11月2日(日)には、2004年1月にインドで開かれる世界社会フォーラム(WSF)の2004東京プレフォーラム「もう一つの世界を!」(1時、文京区民センター)と、東京大学駒場教員有志と公共哲学ネットワークCHANCE共催緊急シンポジウム「日本外交と「反テロ」世界戦争 ──天木直人前レバノン大使を迎えて」2時、東京大学駒場キャンパス900番教室)。11月7・8日には日本平和学会設立30周年記念特別講演会・秋季大会「グローバル化時代の戦争と平和―アジア・中東の紛争構造と和解・共生の条件」が開かれます。"Academic Resource Guideの「イベント・カレンダー」にあるように、IT・情報学関係の研究会・シンポジウムも目白押しです。私自身も、10月25日(土)午後20世紀メディア研究会で、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」という、ゾルゲ事件がらみの渋い報告を行います。いま、

 現代史研究に久しぶりで追加。「21世紀から『戦後史』研究を考える」(『静岡県近代史研究』第29号、2003年10月)を収録。昨年の今頃行った、記念講演の活字化です。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室政治学研究室に収録。ここには、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)に続く、学術論文グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(『平和研究』第28号、2003年10月)は、3か月後に収録予定「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。

 図書館「書評の部屋」には、アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)を新規アップ。全3冊1700ページを1000字にまとめるのに、苦労しました。情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)現代史研究牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)は本格書評。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』ハート=ネグリ『帝国』、鷲巣力『自動販売機の文化史』、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』、成田龍一『近代都市空間の文化経験』、川本三郎『林芙美子の昭和』伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』に、9月30日号掲載の松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)ジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインからやや離れ、今夏アメリカで収集した資料をもとに、ゾルゲ事件と野坂参三に真正面から取り組んだ、膨大な書き下ろしを執筆中ですが、翻訳書の仕事が入って中断。地方史ファン向けに「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)、新学期の学生向けに早稲田塾「Good Professor」「グローバル・シチズンのための情報政治学を発信」学部大学院講義案内更新されています。50万ヒット以後も順調、皆様よろしくご愛顧願います。


 「仮装議会」の目くらまし人事・内閣に惑わされず、ネチズンは「有権者議会」に非戦平和の市民代表を!

 

2003/10/1 9月28日、教え子の結婚式のため都心へ。余裕をもって出たのですが、国立駅でびっくり。早朝には通常ダイヤに戻るはずだった工事がまだ終わらず、JR中央線が止まったままです。振り替え輸送も何も、情報開示が決定的に不足です。いつ動き出すかどころか、どうなってるかが駅員にもわからないらしい様子。あわててタクシーを拾い府中へ、ふだん乗ったことのない京王線から都心の式場への乗り換えルートがわからず、ターミナルでうろうろ。ぎりぎりで開宴に間に合いましたが、まったく不愉快でした。ちょうど報道関係者同士の挙式で、今夏はアメリカで大停電、日本に帰ったら大地震と、科学技術過信故に予測できないトラブルに翻弄される文明を見てきたので、新郎新婦には「知のペシミズム、意志のオプティミズム」をプレゼント。アントニオ・グラムシの言葉で、意味はもっと深いのですが、敢えてJR東日本の非力・無策にも触れました。深い方の意味は、野崎六助さんのエッセイ「アフマドのために」の中に、うまく嵌め込まれています。そう、「彼らのテロリズム、我らのテロリズム」を遺し、99年に逝ったアフマドに続いて、アフマドに一書を捧げたエドワード・サイードが亡くなったのです。パレスチナとイスラエルの先が見えないこの時期に。野崎さんのいう「希望の源たる思索」が今こそ必要な時に。創風社という出版社から、『反戦アンデパンダン詩集 2003年 詩人たちは 呼びかけ合う』を送っていただきました。昔出版労連でご一緒した社長の千田さんからでしょうか、IMAGINE GALLERYで紹介した佐川亜紀さんからでしょうか、ありがとうございます。その中の李承淳(イ・スンスン)「地球が泣いている」の一節――「地球がしくしく泣く 泣き声が聞こえる 涙は 燃え上がる油田の火の手で 乾き果てている もう 泣き続けられなくなり こっそりとユーフラテス川深く 涙を隠す」――合掌!

 夏の終わりに、「意志のオプティミズム」の塊りみたいな、面白い人に出会いました。長野県ですが、群馬・山梨の県境近くにある千曲川の源流川上村に、「国際歴史探偵」ゾルゲ事件、野坂参三がらみの第一級資料があり、資料を所蔵している由井格さんのお宅に、田中真人さん松村高夫さん伊藤晃さんら研究仲間と共に訪れました。調査も一段落したところで、山の珍味満載の宴に現れた、入道然とした青年医師が色平哲郎さん若月俊一さんの佐久病院を経て、現在南相木村診療所長、地に足をついた医療・文化・国際連帯の活動を、精力的に繰り広げています。個性的なホームページ「信州の農村医療の現場から」を持ち、私の国崎定洞研究の共著者川上武さんにも学んだとのことで、すがすがしい青年でした。『風と土のカルテ−色平哲郎の軌跡』で紹介されたユニークな経歴を持ち、著書『源流の発想』で、佐久文化賞を受賞したばかりです。医療ビジネスが横行し、医の倫理が問われる時代に、「金持ちより心持ちになろう」とよびかけ、医と知の原点からの献身で、村人の信頼を集めています。いただいた名刺に、「風のひと、土のひと」とありました。久しぶりで、スケールの大きい野人型地球人に会って感激、日本も、まだまだ見捨てたものではありません。

 総選挙を前に、インターネットの特性を生かした、面白いサイトを見つけました。「イマジンIMAGINE!で幾度も紹介した「イラク・ボディ・アカウント」「イラク戦争被害の記録」に続いて、「イラク戦争のコスト Cost of the War in Iraq」という英語ページがオープンです。刻々と動きます。10月1日現在769億ドルの費用が、どんどん膨らんでいきます。それで何軒の家ができるか、子供達のヘルスケアがどれだけできるか、何人の公立学校教員が雇えるか、いくら学生たちに奨学金が出せるかと、具体的数字で表示されます。もちろん来年のアメリカ大統領選挙を意識したものでしょうが、民主党指名候補のラリーにクラーク将軍も加わって、アメリカではちゃんと、イラク戦争が争点になりそうです。もっとも財政負担・失業率がらみで、占領反対デモの始まったイギリスみたいに、戦争の原点であった大量破壊兵器の有無まで立ちかえる議論には、なりそうもありませんが。それらに比べて、ため息がでるのが、前回チョムスキー・インタビューからご紹介した「仮装議会」=自民党総裁選から生まれた小泉改造内閣に浮かれる、この国の姿。党の顔に40代の安倍幹事長、内閣にも若手多数登用と、メディア受けを狙っていますが、すでに走り出した11月総選挙=「有権者選挙」向け厚化粧であることは明々白々。世論調査ではイメージアップしたようですが、小沢自由党を合併した管民主党との間で、道路公団や郵政民営化が主要争点になってしまうと、当面のテロ対策特措法も、年内の自衛隊イラク派兵も、有権者の選択から隠されてしまいかねません。女性醜聞で選挙の顔に向かないため「副総裁」に棚上げされた山崎前幹事長の「特命」が、自民党結党50周年(2005年)までに憲法改正案を作ることであることも、忘れてはなりません。それまで次の総選挙はないでしょうから、無党派ネチズンの役割は重大です。「落選運動」なだいなださん老人党」のような活動に注目し、「仮装議会」の目くらましの裏の情報戦・政治力学を読み取り、「有権者議会」を非戦平和の市民のものにしていきましょう。日本の外務省がイラク戦争に反対した天木直人前レバノン大使をに「退職」に追い込んださせたニュース、ご存じですか。右のGIロゴをクリックすると、面白いサイトに入ります。曰く「抵抗の誓い」、日本語も入ってます。抵抗は、グローバルで、永遠です。

 10月は、面白い会が目白押しです。3日の第29回全国政治研究会は、柴田寿子さん(東京大学)「スピノザと現代――マルチチュードとデモクラシーをめぐって」と鈴木規夫さん(愛知大学)「<宗教>――イラク戦後の語り方をめぐって」ワールド・ピース・ナウ風組み合わせ、翌4日・5日は日本政治学会、12日にアジア太平洋資料センター(PARC)30周年記念公開シンポジウム「もう一つの世界は可能だ−反グローバリズムとオールタナティブ」までお知らせしましたが、かの「TK生」であったことを明らかにし、「東京新聞インタビュー」でも話題の池明観さん〔翰林大学日本学研究所長〕講演会「T・K生の時代と<いま>―東アジアの平和と共存への道」が、22日(水)午後6時、日本教育会館で開かれます。翌週29日(水)午後6時弁護士会館502では、人権派弁護士の皆さんが横田滋さん、櫻井よしこさん、姜哲煥さん、荒木和博さんをよんでのシンポジウム「北朝鮮による人権侵害・拉致と強制収容所を考える」。どちらもちょっぴりお手伝いしましたので、前宣伝。11月7・8日には日本平和学会設立30周年記念特別講演会・秋季大会「グローバル化時代の戦争と平和―アジア・中東の紛争構造と和解・共生の条件」が開かれます。"Academic Resource Guideの「イベント・カレンダー」にあるように、IT・情報学関係の研究会・シンポジウムも目白押し。そうそう私自身も、10月25日(土)午後、20世紀メディア研究会で、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」という、ゾルゲ事件がらみの渋い報告を行います。いま、この領域では、加藤秀俊さんの「わが人生は30ギガ 著作データベース公開てんまつ記」 [pdf] が必読です。

 「2003年の尋ね人」に掲げたスターリン粛清日本人犠牲者「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ、本籍地 北海道函館市台場町37 戸主宗吉3男、明治42=1909年12月20日生、前住所 函館市東雲町225番地、実兄 函館市入舟町4 木村久雄、友人 函館市幸町6 米沢豊国1929年10月初旬、石川四郎と共に入露」探索、いよいよマスコミまで網を広げます。お心当たりの方は、加藤哲郎katote@ff.iij4u.or.jp まで。非戦平和運動「イマジンIMAGINE!中間総括「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)の系列は、情報学研究室政治学研究室に収録。ここには、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月増刊号)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)に続いて、学術論文のグローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」(『一橋論叢』130巻4号、2003年10月)グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」(『平和研究』第28号、2003年10月)も近く収録予定「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。

 図書館「書評の部屋」には、情報学関連の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)現代史研究牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)に加え、『エコノミスト』10月14日号に、全1700頁の大作アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』(全3冊、草思社)の書評を出します。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』ハート=ネグリ『帝国』、鷲巣力『自動販売機の文化史』、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』、成田龍一『近代都市空間の文化経験』、川本三郎『林芙美子の昭和』伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』、五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』に、9月30日号掲載の松野仁貞『毛沢東を超えたかった女』(新潮社)ジル・A・フレイザー著、森岡孝二監訳『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)を追加。「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインからやや離れ、今夏アメリカで収集した資料をもとに、ゾルゲ事件と野坂参三に真正面から取り組んだ、膨大な書き下ろしを執筆中です。地方史ファン向けに「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)、新学期の学生向けに早稲田塾「Good Professor」「グローバル・シチズンのための情報政治学を発信」学部大学院講義案内更新。50万ヒット以後も、よろしくご愛顧願います。


みなさんに励まされて50万ヒット、ありがとうございます!

 「仮装議会」ではなく「有権者議会」で情報戦を! 

「北海道函館市出身 1909年生 元船員 木村治三郎」をご存じの方はいらっしゃいませんか?

2003/9/15 あの忌まわしい時代への転換点、9・11の2周年に、本サイトは、奇しくも50万ヒットを記録しました。いわゆる学術サイトではきわめて珍しいようですから、日頃の皆様のご愛顧・ご支援に深く感謝し、襟を正して情報政治学の発信を続けたいと思います。予想通りといいますか、残念ながらと申しましょうか、ジャスト50万アクセスをヒットした方に、記念品として右のモリモリ女性像マウス、実は第二次世界大戦参戦時のアメリカ合衆国の愛国ポスターで、9・11以後のアメリカン・スピリットの変容を象徴するワシントン・グッズを用意したのですが、どなたも名乗り出ませんでした。本サイト愛好者の健全な精神の証しでしょう。もっとも記念品が「愛国婦人会ポスター」や「靖国グッズ」だったら、別のかたちのナショナリズム測定の材料になったかもしれませんが。おなじみ冷泉彰彦さんの 『from 911/USAレポート』 第109回、アメリカ9・11二周年レポート「風の止んだ空へ」が、わずかに希望のもてるニュースを紹介しています。ブッシュ大統領の支持率も、イラク戦争の「ベトナム化」でいまや52%、過半数割れは時間の問題の「風前の灯」のようですが。

 前夜のマンハッタンでは、ブロードウェイからグラウンド・ゼロまで、約3000人という規模でのロウソクを灯した追悼パレードが行われた。これは、「ピースフル・トゥモロー」という911遺族による団体の主催で、911の犠牲を報復に転化し、アフガン、イラクと拡大してきた戦火への抗議を行うものだ。この3000人という規模は予想を大きく上回るもので、昨日9月10日には各メディアは取り上げていたし、海外では大きく伝えられたところもあったようだ。だが、911の当日、新聞からもTVからも全て、この「ピースフル・トゥモローの追悼パレード」のニュースは排除されていた。特に「NYタイムス」はパレードの直後から深夜までは自社のインターネット・サイトに写真入りの記事を出していたのに、翌朝の新聞では一切扱わないという不自然さだ。
 この「ピースフル・トゥモロー」は911直後から活動を始めて徐々にメンバーを増やしてきている。この二周年に向けてのメッセージは「911への答えがどうして報復なのだ。サダムの息子の遺体が確認されたからといって、私達遺族が喜ぶとでも思っているのか」(遺族のスー・ローゼンバウムさん)に代表される「報復反対」の姿勢で一貫している。インターネットのサイトには、故キング牧師の「暗黒をもって暗黒を放逐することはできない」という言葉を掲げているのが印象的だ。

 寺島隆男さんのサイトに翻訳された、『アントソフィア』誌上のチョムスキー・インタビュー「国家支配と知識人」に、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』への「正直に言って、それは読むのがとても難しいものでした。私は部分的にしか理解できません」という感想と共に、「仮装議会」というユニークな見方が登場します。情報戦時代の新自由主義的グローバリズムのもとでの、デモクラシーの陥穽を突いています。

 「仮想議会」virtual senateは、投資家と金融業者から成り立っています。彼らは、経済の根元を堀崩す資本流出・通貨攻撃・その他の方法によって社会経済政策を効果的に決定することができます。それは過去30年間、新自由主義の枠組みによって与えられてきたものです。
 現在それをブラジルで見ることができます。「仮想議会」は次のような保障を望んでいます。すなわちカルドーソ内閣が新自由主義政策を変えないという保証です。この政策によって外国の投資家と国内のエリートが大きな利益を得ているからです。国際的投資家、高利貸し、銀行、IMF、国内の富裕層などは、対立候補ルーラが選挙で勝利するかもしれないと認識するとすぐに、彼らは通貨に対する攻撃や資本流出そして他の方法で反撃を行いました。これは国を締め付け大多数の人々の意思が実行に移されるのを防ぐためでした。
 ルーラが基本的に国際的新自由主義の体制からはずれることができないだろうという確信を彼らが再び持った時、彼らは緊張を和らげルーラを歓迎しました。彼らが表現しているように、ルーラはブラジルを安全な状態にすると人々を安心させました。言語の特別な使い方には二つの側面があるのです。もしブラジルを財政投資家にとって安全なものにしておくとしても、それはブラジルをブラジル人にとって安全なものにすることになるのでしょうか。
 政府はエコノミストが言うところの「二重の選挙区」つまり有権者と仮想議会と向き合っているのです。ルーラ大統領候補はブラジルを人々にとって安全にすると国民に約束しましたが、IMFはブラジルを自分自身の選挙区つまり「仮想議会」にとって安全にしておきたがっています。お金がブラジルに入ってくるよう、選挙の直後にIMFは行動するでしょう。ただしこれは、ルーラ候補が債権者に従う限り、ということです。
 これが金融自由化その他の施策の効果です。だからこそ、ひとつの国の社会経済政策を決める支配的な力として「仮想議会」を設立したのです。そのことは人々が自分の国によってなされる決定を自分で支配できないことを意味しています。資本自由化のひとつの結果はかなり明瞭で、民主主義を破壊するのです。

 この国も自民党総裁選、つまりは次期首相を決める「仮装議会」の真っ最中、「人々が自分の国によってなされる決定を自分で支配できない」状況は、労働者党のルラ大統領がIMFと格闘するブラジル以上のようです。なにしろ候補者すべてが、帝国「ブッシュイズム」に抵抗するどころか、同調と協力を競い合っているのですから。ついには首都東京都知事の個人テロ容認発言さえ、選挙戦応援演説で飛び出して、この国の「失われた10年」の深刻さを、浮き彫りにしています。かつてアメリカの街頭でよくみかけたMissing Children、こどもたちの誘拐や家出・失踪も頻発しているというのに。吉田悟郎さん「ブナ林便り」で教えられた日経新聞の最新ニュースは、「生活保護世帯、87万世帯で過去最多更新」、「半数を占める高齢者世帯の受給が増え続けているうえ、離婚の増加に伴い母子世帯も5年間で1.4倍になった。中年や若年層が中心の「その他」世帯も同1.7倍に急増、リストラや就職難の影響が出た。支給額の急増に、厚生労働省は半世紀ぶりに制度の見直しを検討し始めた。厚労省によると、1カ月単位で平均すると、昨年度の受給世帯数は87万931世帯。前年度を8.2%、約6万5000世帯上回り、過去最多を更新した。増加は10年連続。受給者数は約124万人で国民の約100人に1人がもらっていることになる」という深刻な話。アメリカ大統領選は、外交政策よりも失業率で決まるというのは、クロウト筋の常識。でもこの国の「仮装議会」は、「構造改革」の名で弱者置き去りです。「二重の選挙区」の「仮装議会」選挙は小泉再選で決まりのようですが、もう一つの「有権者議会」選挙の日程は、10月10日解散、11月9日総選挙となりそうです。それまで2か月足らずの内閣改造・大臣ポストに、例によってマスコミはあれこれ大騒ぎするでしょうが、われらインターネット・シチズン=ネチズンは、「失われた十年」と小泉内閣下の戦争協力・有事体制、失業率・自殺率、階層分化と社会不安を秤りにかけて国会議員をチェックし、「落選運動」なだいなださん老人党」のような活動に注目しましょう。「仮装議会」に抵抗しうるまたとない機会なのですから。

 50万ヒット記念で、本来情報処理センターのリンク集「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」や非戦平和リンク「イマジンIMAGINE!」「IMAGINE GALLERYを更新すべきなのですが、夏休みにアメリカで集めた「国際歴史探偵」の史資料がエキサイティングで、ゾルゲ事件や野坂参三、第二次世界大戦中・戦後の米中関係に関する壮大な謎解きに取り組んでいるため、リンク切れチェックをする余裕がありません。残念だったのは、「2003年の尋ね人」である、スターリン粛清の日本人犠牲者「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」についての新たな情報に、前回呼びかけ以後反応がなかったこと。本籍地までわかったので、99年の「テルコ・ビリチ=松田照子」探索、一昨年の「ササキこと健物貞一」探索のように、スムーズにご遺族発見に結びつくと思っていたのですが、甘かったようです。何を隠そう、このインターネット経由ボランティア活動が、私の北朝鮮「拉致問題」「脱北者問題」へのスタンスの原点です。もう一度「カタオカ・ケンタロウこと木村治三郎」の情報をまとめます。お心当たりの方はぜひkatote@ff.iij4u.or.jp までご一報下さい日本の外務省外交史料館資料(1930・31年)によると、「元船員 木村治三郎=本籍地 北海道函館市台場町37 戸主宗吉3男、明治42=1909年12月20日生、前住所 函館市東雲町225番地、実兄 函館市入舟町4 木村久雄、友人 函館市幸町6 米沢豊国1929年10月初旬、石川四郎と共に入露」です。尋ね人にあるように、同行した「石川四郎」は「明治39(1906)年12月16日生、本籍東京府三河島町字町屋264戸主長吉4男、出生地栃木県河内郡瑞穂村大字下桑島、宇都宮市立下野中学校2年退学、労働総同盟で活動、1929年10月初旬木村と共に函館港内停泊中の露国貨物船に潜入密航、ジャパニーズコミュニストと称し入露希望浦塩上陸」しかし、「1931年に山本懸蔵の指示で日本に帰国、日本海員組合刷新会を組織しようとして特高警察に逮捕され、31年中に予審手続中止で釈放された」ようです。ところが一緒に入露した木村の方は、「浦塩邦人主義者グループに加入し居たるも本人が思想的に共産主義と相容れざるものあるを認め右グループより脱退し一時反革命運動を企図し居る31年6月頃、経済状況視察の為ウラル方面に赴きたる由なるが約3か月前より浦塩ゲペウ(GPU)に拘禁せられたり」とあり、1931年にウラジオストックで逮捕され、強制収容所送りとなった模様です。「木村治三郎」のその後の消息は、内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版、2001年)に、1935-38年にソロフキ強制収容所で一緒だったロシア人チルコフの回想録中で、ラーゲリで理髪師をつとめていた「カタオカ」という印象深い囚人仲間として現れ、その別名が「ジサブロウ・キムラ」で、「元日本軍将校でスパイ」とされてラーゲリに入れられたとあります。私の「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」中の『ソ連共産党中央委員会通報』1990年11月号の銃殺者リスト中の、「カタオカ=別名タナカ・シマキチ、キムラ・ジサブロー、1909年生まれで41年に粛清された日本人犠牲者」と合致します。顔写真も見つかりました。経歴として1920年代にアナーキスト、(日本共産党ではなく)社会民衆党活動家だったとあるので、あこがれて入った旧ソ連では、当時の汎太平洋労働組合書記局指導者山本懸蔵から「スパイ」と疑われたものと推定できます。「社会ファシズム論」最盛期で、汎太平洋労働組合書記局全体が、諜報組織化していました。おそらく「木村治三郎」のご家族・ご親族は、1929年以降の消息を、未だにご存じないはずです。もしも心当たりの方がありましたら、加藤哲郎katote@ff.iij4u.or.jp までご連絡下さい。「木村治三郎」が29年に行方不明になって以後の、詳しい関連資料をお届けいたします。

 これは明るいニュース。日本政治学会の公式ホームページが、ついにオープンしました。もっとも老舗の世界政治学会アメリカ政治学会ヨーロッパ政治学会などに比べれば遅きに失し、定番学術サイトウォーッチャー「Academic Resource Guide(ARG)」さんからは、「ようやく公開にこぎつけたようだが、あまりの貧弱さに正直あぜんとする。1日も早くもう少しまともなものにできないだろうか」と激励 (酷評?)される程度のものですが。それでも10月4日・5日の学会プログラムが見られることは、情報公開としては一大進歩です。毎年これに合わせて前日金曜日に開かれてきた全国政治研究会も、今年の第29回全国政治研究会(10月3日、法政大学市ヶ谷校舎)から、メール案内中心に改めて、この時期だけ本HPに居候している暫定ホームページを全国公開です。非会員の皆さんももちろん出席できますから、ぜひご一読・ご参加を。世界社会フォーラムWSF)に共鳴する、10月12日のアジア太平洋資料センター(PARC)30周年記念公開シンポジウム「もう一つの世界は可能だ−反グローバリズムとオールタナティブ」にもぜひどうぞ。

 本サイト50万ヒットに合わせたように、早稲田塾「Good Professor」には、「グローバル・シチズンのための情報政治学を発信」というインタビューが掲載されました。非戦平和運動イマジンIMAGINE!中間総括の決定版、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)は、情報学研究室政治学研究室に収録。図書館「書評の部屋」には長めの書評、情報学関連の、『大原社会問題研究所雑誌』8月号の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)と、現代史研究の『図書新聞』7月26日号の牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)があります。『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)、ハート=ネグリ『帝国』(以文社)、鷲巣力『自動販売機の文化史』、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)、成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)、川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』(新宿書房)太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』(影書房)に、9月2日号の半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)と五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』(小学館)を追加収録。「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」の系列では、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)及び『エコノミスト』誌書評、マルチチュードの世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)等もあります。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインで、今日も30枚以上執筆、苦吟中です。

「北海道函館市出身 1909年生 元船員 木村治三郎」のご遺族・ご親族を、ご存じの方はいらっしゃいませんか? 日本の市民と政府の力で、ワシントンに「ヒロシマ平和博物館」を!

2003/9/1 猛暑の日本を離れて、少しは涼しいアメリカで夏を過ごしたつもりだったんですが、今年の異常気象はヨーロッパが猛暑、日本は冷夏だったとか、肩すかしです。主に滞在したのは首都ワシントンだったのですが、「戦時中の影」は、いたるところに感じられました。前回更新でニューヨークからトロントに及ぶ大停電を速報しましたが、政府の「これはテロではない」の声明に応えて、なんとも従順に堪え忍ぶ5000万人の人々、改めてアメリカの「秩序意識」の高まりを思い知らされました。ふだんでも辻々にパトカーが目立ちますし、停電の時はボランティアで交通整理をする市民が続々現れ、略奪・暴動などおこりそうもない「集団主義?」の雰囲気。あの陽気でハッピーなアメリカ人が……と思うのは、20世紀へのノスタルジアでしょうか? もっとも大停電は、今夏ロンドンでも、ヘルシンキでも。危機管理システムの方が、成熟したのかもしれません。とはいえ、右の写真は、アメリカで最新の「We Can Do It!」グッズ第二次世界大戦中の愛国ポスターで、ナツメロ風写真集・CDからハンカチ・トランプまでが9.11以降に復活、ダレス空港のおみやげ屋に山積みされています。写真はマウスパッドですが、もうすぐ本HPも50万ヒットです。ジャスト50万アクセスをストライクした方に、この勇ましいパッド、さしあげましょう。もっともゲットした方が、こんな好戦的なのいやだといっていただければ、台湾国立故宮美術館の優雅な中華風マウスパッドの方をお送り致します。

 ワシントンでは、「国際歴史探偵」「2003年の尋ね人」の世界に沈潜し、日本では読めないアメリカ国務省・FBI・CIA等々の解禁文書とマイクロフィルムに取り組みました。愕然とする発見が、いくつかありました。この春のインド・ハイデラバードでのインド独立運動家Virendranath Chattopadhyaya 関係の調査の延長で、作家アグネス・スメドレーの足跡を追いかけていくと、ゾルゲ事件や野坂参三についても、新しい事実がみつかりました。そして、これらアメリカ側資料からの新知見を裏付けるために、日本の国立公文書館や外務省外交史料館で集めた資料を再チェックしたところ、スメドレーの前夫チャットパディアVirendranath Chattopadhyaya について、なんと、当時の在カルカッタ総領事吉田丹一郎から宇垣一成外務大臣宛1938年6月4日付けで、「チャットパディアは、第一次大戦中ドイツで反英運動をし、戦後に国際反帝同盟書記となり、1932年ソ連に入国してレニングラード東洋語学校インド語教授となっていたが、最近モスクワではソ連政府に捕まったという未確認情報あり」と打電していたことがわかりました。当時延安にいた前妻スメドレー(篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」とは違って、彼女が生涯愛し続けたのはチャットパディアのみ、というのが私の解釈)も、戦後にチャットの友人であるインド首相ネルーがソヴェト政府に照会してもわからなかったチャットの逮捕=粛清を、日本政府が秘かに追い、動向をつかんでいたわけで、この情報は、マッキノン夫妻『アグネス・スメドレー 炎の生涯』(筑摩書房、1993年)の記述「38年に失踪、40年処刑」とも合致します。ただし最新の研究では、38年逮捕直後に銃殺の模様です。戦前日本の外務省・特高外事警察の諜報活動は、おそらく、スメドレーの関係する中国抗日運動がチャットパディアの国際反帝運動・インド独立運動と結びつくのを恐れたためで、当時のソ連や英米と比べても、そんなに見劣りするものではなかったようです。

 もうひとつ、大きな副産物がありました、現在「2003年の尋ね人」にかかげている、スターリン粛清の日本人犠牲者「木村治三郎=カタオカ・ケンタロウ」について、新たな情報が出てきました。日本の外務省外交史料館資料(1930・31年)から、「元船員 木村治三郎=本籍地 北海道函館市台場町37 戸主宗吉3男、明治42=1909年12月20日生、前住所 函館市東雲町225番地、実兄 函館市入舟町4 木村久雄、友人 函館市幸町6 米沢豊国1929年10月初旬、石川四郎と共に入露」と分かりました。尋ね人にあるように、同行した「石川四郎」は「明治39(1906)年12月16日生、本籍東京府三河島町字町屋264戸主長吉4男、出生地栃木県河内郡瑞穂村大字下桑島、宇都宮市立下野中学校2年退学、労働総同盟で活動、1929年10月初旬木村と共に函館港内停泊中の露国貨物船に潜入密航、ジャパニーズコミュニストと称し入露希望浦塩上陸」しかし、「1931年に山本懸蔵の指示で日本に帰国、日本海員組合刷新会を組織しようとして特高警察に逮捕され、31年中に予審手続中止で釈放された」ようです。ところが一緒に入露した木村の方は、「浦塩邦人主義者グループに加入し居たるも本人が思想的に共産主義と相容れざるものあるを認め右グループより脱退し一時反革命運動を企図し居る31年6月頃、経済状況視察の為ウラル方面に赴きたる由なるが約3か月前より浦塩ゲペウ(GPU)に拘禁せられたり」とあり、1931年にウラジオストックで逮捕され、強制収容所送りとなった模様です。「木村治三郎」のその後の消息は、内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版、2001年)に、1935-38年にソロフキ強制収容所で一緒だったロシア人チルコフの回想録中で、ラーゲリで理髪師をつとめていた「カタオカ」という印象深い囚人仲間として現れ、その別名が「ジサブロウ・キムラ」で、「元日本軍将校でスパイ」とされてラーゲリに入れられたとあります。私の「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」中の『ソ連共産党中央委員会通報』1990年11月号の銃殺者リスト中の、「カタオカ=別名タナカ・シマキチ、キムラ・ジサブロー、1909年生まれで41年に粛清された日本人犠牲者」と合致します。今回の資料で顔写真も見つかりました。経歴として1920年代にアナーキスト、(日本共産党ではなく)社会民衆党活動家だったとあるので、あこがれて入った旧ソ連では、当時の汎太平洋労働組合書記局指導者山本懸蔵から「スパイ」と疑われたものと推定できます。「社会ファシズム論」最盛期で、汎太平洋労働組合書記局全体が、諜報組織化していました。おそらく「木村治三郎」のご家族・ご親族は、1929年以降の消息を、未だにご存じないはずです。もしも心当たりの方がありましたら、加藤哲郎katote@ff.iij4u.or.jp までご連絡下さい。「木村治三郎」が29年に行方不明になって以後の、詳しい関連資料をお届けいたします。

 ワシントンDCでの唯一の観光は、かつて幾度か見たスミソニアン博物館再訪ではなく、現地で合流し情報交換した法政大学袖井林二郎教授ご夫妻に勧められた、「ホロコースト博物館」見学。たまたま滞米中で一緒になった、ゼミの教え子M君と一緒に訪れましたが、これがなかなかの内容と迫力、ナチスのユダヤ人虐殺を、史資料と映像で鋭く告発しています。でも他方では、容量アップした吉田悟郎さん「ブナ林便り」が毎日伝えているように、イラク・バグダードでの国連事務所爆破、ナジャフのモスク爆弾テロイスラエル軍とハマスの憎しみの連鎖再開と、新しい戦争の悲劇が続きました。「ホロコースト博物館」の展示はたしかにすばらしいものでしたが、背後に在米ユダヤ系資本の強力な力が感じられます。かつて1995年に、議会や軍人会の圧力で中止されたスミソニアン博物館の原爆被害展は、近く別館で、ヒロシマに原爆を投下した「エノラ・ゲイ号」のみの展示となって復活するそうです。原爆被害展どころか、核兵器の力誇示展になりそうです。北朝鮮の核をめぐる6か国協議は、ともかく枠組みとテーブルがつくられたものの、金正日の「核実験開始」宣言まで飛び出したようで、拉致問題解決を含む合意への道は、険しそうです。拉致問題で多少の独自性が出てきたとはいえ、国際舞台での日本外交の力は、あまりに無力です。もしもフランス風の独自の影響力をめざすのなら、ワシントンDCに「唯一の被爆国日本政府」の力で「ヒロシマ平和博物館」を作るくらいの構想力を持たなければ、「大量破壊兵器廃絶」への国際貢献は難しいでしょう。もちろん市民外交と政府の力を一つにして。

アメリカのリベラルな学者やNGO活動家、韓国・中国の民主的学生・活動家と話すとわかりますが、実は、私たちが自明と思いがちな1945年8月原爆投下の過ちと悲惨の経験は、戦後の反核平和運動の広がりを経ても、浸透してはいません。今日の核戦争・核拡散には反対しても、歴史的には「日本軍が国体護持・本土玉砕を叫んでいたもとでは、原爆使用はやむをえなかった」と語る人が、圧倒的に多いのです。今回のアメリカでの調査では、日本敗戦前のルーズベルト大統領死亡期、日本の天皇制存続決定と原爆投下決定がどうからみあっていたかをも、資料的に探求してきました。よく知られているように、象徴天皇制を残した中途半端な日本国憲法の背後には、アメリカ政府内での「中国派」と「日本派」の熾烈なヘゲモニー闘争があり、「受動的革命」があったのです。そこには、アメリカ政府内の天皇制評価の分岐のみならず、蒋介石・毛沢東の評価、野坂参三グループの画策、スターリンの戦後アジア政策もからんでいました。もっともワシントンの今日からすれば、「ホロコースト博物館」と並ぶのは「共産主義=全体主義博物館」の方が先で、「ヒロシマ原爆被害展示・平和博物館」まで進むには、数多くの障害が避けられないでしょうが。まずは国際司法裁判所や国連軍縮会議で、改めて核兵器の違法性を訴え、再審することが必要でしょう。

 早稲田塾の「Good Professor」に、「グローバル・シチズンのための情報政治学を発信」というインタビューが掲載されました。なだいなださん老人党」の広がりや「日本共産党新綱領草案について」の話題は、今回はスキップ。世界社会フォーラムWSF)については、10月12日のアジア太平洋資料センター(PARC)30周年記念公開シンポジウム「もう一つの世界は可能だ−反グローバリズムとオールタナティブに注目。その前週10月3日(金)には、恒例第29回全国政治研究会が開催されますので、関心のある日本政治学会会員・大学院生の方々は、ご注目を。非戦平和運動イマジンIMAGINE!中間総括の決定版、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』東京大学出版会、2003年5月)、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)は、情報学研究室政治学研究室に収録。図書館「書評の部屋」には、情報学関連の長めの書評、『大原社会問題研究所雑誌』8月号の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)と、現代史研究の『図書新聞』7月26日号の牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)があります。もちろん、『エコノミスト』連載「歴史書の棚」は、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)、ハート=ネグリ『帝国』(以文社)、鷲巣力『自動販売機の文化史』、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)、成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)、川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』(新宿書房)太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』(影書房)と盛りだくさん。 現在発売中の9月2日号には、半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)と五十嵐仁『戦後政治の実像 舞台裏で何が決められたのか』(小学館)が入っていて、次回更新で収録されます。

「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」の関連では、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)及び『エコノミスト』誌書評、マルチチュードの世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)等も参照。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので、じっくり御笑覧を。「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインで、10月以降に今回調査の成果が出てくる予定です


敗戦58年、本HP6周年です。対イラク戦争中のアメリカからみると、日本は遠い「平和」の国?
過ちを繰り返さないために「哀悼的想起」を!

2003/8/16アメリカの8.15は、突然の大停電パニック、つまり下のグロスの絵が真っ黒になった感じ。私のいるワシントンDCはなんでもありませんが、ニューヨーク、デトロイトからカナダのトロント、オタワまで、ブラックアウトで大混乱です。ブッシュ大統領の第一声は「これはテロではない」と動揺を鎮めること、でも新聞・テレビでは「Exodus recalles images of 9/11」「The city that likes to think of itself as the most powerful in the world found itself without power」つまり、裸の王様であることを思い知らされた、という調子です。おまけに今日16日は、新型コンピュータ・ウィルスが一斉に動き出す日。「ヒューマン・セキュリティ」とは何かを改めて考え、他山の石にすべきでしょう。


2003/8/15 今年も、8月15日がめぐってきました。日本のニュースをインターネットで見るともうすぐ、時差を忘れていて、更新遅れるところでした。当地はまだ14日朝、敗戦58年、本HP開設6周年、丸山真男7回忌の憂鬱な異常気象の夏は、アメリカ合衆国の首都ワシントンDCで迎えました。当地のCNNによると、バクダッド攻略後のイラクでの米軍死亡者数は、バグダッド進軍までの死亡者数を越えたそうです。つまり戦争はまだ続き、犠牲者は増え続けています。したがって米国は戦時中です。それは、一昨年9.11から続いています。その直前にも米国にいましたから、2年前との雰囲気の違いに戸惑います。新聞でもテレビでも、次は携帯電話爆弾だ、いややっぱり飛行機が危ないと、なお続く恐怖と不安が繰り返されています。とはいっても、ニューヨークの「グラウンド・ゼロ」はすっかり観光地となり、新しいモニュメントの建設が始まっています。アパートの数十戸で星条旗を掲げているのは、1−2軒というところ。しかし人々の心象風景には、かつてグロスが9.11を予見していたかのように描いたニューヨークの絵のような姿が、定着したように見えます。空港のチェックも厳しく長かったですが、毎日通う国立公文書館(NARA)や議会図書館(LC)でも、入り口の警備は厳重そのもの。かつて訪れたロシアの公文書館よりも、厳しいのに驚きます。そして、毎日通勤する職員を始め、すべての人たちが従順にこれに従い、黙々と待っている長い列……。

 こういう時には、こちらも郷に従うしかありません。むしろ、悲劇を忘れられないこの国の人々にならって、私たち自身の悲劇を想い起こすことの方が、生産的かもしれません。なにしろ当地のマスコミに日本が登場することは、ほとんどありません。松井もイチローも出てきません。かつて日本のバブル経済がウォール街の「ブラック・マンデー」を救ったことなどなかったかのように、遠い国です。私は当時はケンブリッジにいたので、この国で戦後日本資本主義の高成長や「過労死」の問題を本格的に考えさせられたものでしたが。いま、戦時のアメリカにいるからこそ、日本の「長い平和」の意味が、透けてきます。たとえば丸山真男に、「復初の説」という一文がありました。改訂日米安保条約の強行採決の直後、1960年6月12日に、「復性復初、ものの本質にいつも立ちかえり、事柄の本源にいつも立ちかえる」必要を説き、1945年8月15日の敗戦時の初心から再出発しようと訴えたものでした。一昨年秋韓国で開かれた、日韓草の根文化交流シンポジウムの一シーンを、想い出しました。日本側の私の基調報告は「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク」、つまり本HPイマジン IMAGINE!の体験をもとにして、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』東京大学出版会、2003年5月)の原型となったものでしたが、韓国側の基調報告、池明観教授の「哀悼的想起の連帯」は、ハンナ・アレントとカール・ヤスパースの往復書簡とヴァルター・ベンヤミンを素材に、歴史はドイツ語のEingedenkeが示唆する「哀悼的想起」の一部であり、「科学によって確認されたものさえ、哀悼的想起は修正できる」ので、国境を超えて率直に「各人が各人の真理と思うところを語りあう」なかで「不朽の自由」「無限の正義」のような意味をも変えることができる、と説く感動的なものでした。その池明観教授が、実はかの「TK生」であったことを自ら明かしたのは、つい先日のことでした。20世紀の歴史には、「哀悼的想起」のなかで見えてくる真実が、まだまだたくさんあります。私の当地での研究もその一環、「現代史の謎解き」を仕上げるため、アメリカ国務省、FBI、CIAなどの記録の山と格闘しています。こちらの成果は帰国後に報告することにして、今回はIT環境も悪いため、以下は、前回更新を残したマイナーチェンジのみにとどめます。


 ちょうど10年前、1993年の夏を思い出しましょう。7月の総選挙で羽田・小沢の新生党と日本新党・さきがけなど新党が躍進、宮沢首相が退陣を表明し、自民は河野洋平を総裁に選出、8月6日のヒロシマ原爆記念日に土井たか子が史上初の女性衆議院議長に就任、ナガサキ原爆記念日の9日に、細川日本新党代表を首相とする非自民連立内閣が成立しました。いわゆる「55年体制」の崩壊です。翌10日の記者会見で、細川首相は先の戦争を「侵略戦争」と明言、8・15戦没者追悼式ではアジア近隣諸国の犠牲者に哀悼の意を表しました。当時の内閣支持率は75%、旗印は「政治改革」でした。それから10年、「政党再編」は新党が次々に生まれ消えてゆきましたが、「政治改革」は進まず、危険な方向に歩み出しています。東欧革命・冷戦崩壊・ソ連解体の波が数年後に日本に及んだ93年政変になぞらえれば、2001年9.11以降のバックラッシュの波が、日本政治に構造変化をもたらすことになります。自衛隊の海外派遣・有事立法・イラク派兵の流れは、日本国憲法の枠組みを大きく踏み出し、「帝国」アメリカの同盟軍として、世界のマルチチュードに対峙する方向に向かっています。歴史におけるイフは禁物で、過去がそのまま繰り返されることはありません。冷戦崩壊から55体制崩壊の激動のさいにも、地球環境サミットやヨーロッパ連合(EU)結成への動きと共に、湾岸戦争やユーゴスラヴィア内戦や中国・インドの市場開放が見られました。秩序が壊れ、混沌とした状況の中から、何が新しい秩序の起動力になるかは、長いタイムスパンで、壊れた秩序そのものを歴史的に位置づけてみないと、なかなか見えてきません。丸山真男風にいえば、「制度」と「状況」の関係です。私は、1989年の東欧革命の意味を、ちょうど200年前のフランス革命の衝撃になぞらえて以来(『東欧革命と社会主義』花伝社、1990年)、ときどき世界史年表と地図を眺めて、現在の意味を反芻します。1789年の革命・人権宣言から92年の王制廃止・共和制宣言、ロベスピエールの恐怖政治・バブーフの陰謀と続く国内の混乱を、96-98年のイタリア・エジプト遠征で収拾したのはナポレオンでした。ナポレオンが統領になるのが99年、1804年にナポレオン法典が作られ、皇帝になります。そこから中東欧への拡張と戦争が続き、12年のロシア遠征で冬将軍に敗れ、ようやくヨーロッパの混乱は、1814年、革命四半世紀後のウィーン条約で、神聖同盟の秩序がつくられました。しかも、その後もナポレオンの百日天下やギリシャ独立戦争があり、次の1848年革命までのサイクルに入りました。こんな目で見れば、2003年は、四半世紀の過渡期のサイクルのなかの折り返し点、まだまだこれから何でもありだな、と思えてきます。激動の時代には、世界地図も、大きく書き換えられました。

 世界史の200年まで遡らなくとも、日本の「失われた十年」は、日露戦争後の100年、第二次大戦後60年ぐらいのスケールで考えたいものです。バブル崩壊後の日本経済も深刻ですが、政治の世界の「失われた十年」も切実です。この10年の流れは、自ら渦中にあった伊藤惇夫『政党崩壊──永田町の失われた十年』(新潮新書)、インターネット政治学の産物である五十嵐仁戦後政治の実像──舞台裏で何が決められたか』(小学館)が、詳しく報告しています。伊藤さんの本の冒頭にでてくる「新党」の名前、どのぐらい覚えているでしょうか。曰く、日本新党、新党さきがけ、新生党、新党みらい、自由党(柿沢弘治らの)、新進党、民主党、太陽党、フロムファイブ、自由党、改革クラブ、新党平和、黎明クラブ、新党友愛、国民の声、保守党、保守新党、……。五十嵐さんの本は、敗戦直後から論じていますので、J・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)や半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)と併せて読むと、面白いです。この国の基本的かたちやトップの決まり方が、支配層内部のどろどろした権力抗争で決まってきた事例がいやというほど出てきますが、同時にそれを許してきた有権者と市民の問題、権力抗争そのものにマス・メディアと世論が深く関与してきたことがわかります。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」の戦後日本編です。自民党総裁選・解散総選挙、自由党の民主党への合流、社民党・共産党の孤立とスキャンダル(そういえば93年総選挙も、共産党が野坂参三除名後で、社会党は山花・赤松体制で惨敗でした)の状況的構図ばかりでなく、ロングタームの趨勢を見きわめる夏休みにしたいものです。

 東アジアの問題にも、ようやく新しい動きが出てきました。北朝鮮が、米日韓中にロシアを加えた6か国協議を受入れ、拉致問題についても、被害者家族の帰国を打診してきたという報道です。タイの日本大使館には、「脱北者」10人が日本亡命を求めて駆け込みました。私は拉致問題と共に、「脱北者」問題こそ、人道的解決のカギだと考えています。こうした動きも、6か国の関わった朝鮮戦争休戦50周年の歴史の中で、地図上の国境線を固定せずに、考えてみたくなります。去る7月20日、「拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い」が開かれました。横田滋さん・早起江さんご夫妻、有本明弘さんのほか、在日コリアンの皆さんの発言にも、心を打たれます。法政大学高柳俊男さんの「結びのことば」に、こんな一節がありました。

私たちが考えたいのは、では在日コリアンの人権の向上のために闘ってきた人々なりその陣営は、拉致問題や北朝鮮における数々の人権抑圧の問題を本当に真剣に考え、取り組んできたのかということです。私たちは他者を批判する前に、あるいは他者を批判すると同時に、自分たちの側の問題性や弱点を見つめ、それを反省するような主体でありたいと思います。…… 国家の一構成員であることを意識しつつも、同時に国家や民族に過度に縛られたり、それを全面的に背負うことなく、ライターの姜信子さん風にいえば「越境」(境や枠を越える)や「漂泊」(固定した1つの立場に安住しないでただよう)の思想をもって物事に対していくことも、また重要かと考えます。

 話題なだいなださん老人党」や、いよいよ党内討論も始まった「日本共産党新綱領草案について」の話題からしばらく離れ、世界社会フォーラムWSF)の動きを横目でみながら、「国際歴史探偵」「2003年の尋ね人」の世界に沈潜しています。「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版を執筆し、8・15記念「戦争の記憶」をデータベース化した昨夏のようなわけにはいかず、月末まで日本を離れています。そこで、久しくお待たせのわが非戦平和運動イマジンIMAGINE!中間総括の決定版、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』東京大学出版会、2003年5月)を、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)と共に、情報学研究室政治学研究室に収録しました。図書館「書評の部屋」にも、情報学関連の長めの書評、『大原社会問題研究所雑誌』8月号の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)と、現代史研究の『図書新聞』7月26日号の牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)を一挙公開、これに『エコノミスト』連載「歴史書の棚」7月29日号の伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』(新宿書房)太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』(影書房)も新規収録で加わります。じっくり過去を振り返り、考える夏にしたいものです。

 「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」は、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)及び『エコノミスト』誌書評、マルチチュードの世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)の延長上にあります。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますのでじっくり御笑覧を。「国際歴史探偵」の方では、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインで、この夏も新しい発見があるでしょう。図書館「書評の部屋」には、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)、ハート=ネグリ『帝国』(以文社)、鷲巣力『自動販売機の文化史』、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)、成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)、川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)なども入っています。ごゆっくり、どうぞ。


歴史は繰り返さない、しかし「いま」を軌道づける。「失われた10年」で失われたものを、想起する夏に!

2003/8/1 憂鬱な夏です。かの「イラク・ボデー・アカウント」では、毎日死者が増えつづけています。7月31日現在、ミニマム6095、マキシマム7796、すでに湾岸戦争を大きく上回りました。日本語でも「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名」サイトが「イラク戦争被害の記録」を連載し、開戦以来の犠牲者数の増加をグラフで表示しています。 田中宇さんの「戦争のボリュームコントロール」「アメリカの属国になったイギリス」は必読。そんな戦場に、「戦闘地帯には入らない」自衛隊を派遣するという無謀な法が国会を通過し、秋には「派兵」が始まろうとしています。ちょうど10年前、1993年の夏を思い出しましょう。7月の総選挙で羽田・小沢の新生党と日本新党・さきがけなど新党が躍進、宮沢首相が退陣を表明し、自民は河野洋平を総裁に選出、8月6日のヒロシマ原爆記念日に土井たか子が史上初の女性衆議院議長に就任、ナガサキ原爆記念日の9日に、細川日本新党代表を首相とする非自民連立内閣が成立しました。いわゆる「55年体制」の崩壊です。翌10日の記者会見で、細川首相は先の戦争を「侵略戦争」と明言、8・15戦没者追悼式ではアジア近隣諸国の犠牲者に哀悼の意を表しました。当時の内閣支持率は75%、旗印は「政治改革」でした。

 それから10年、「政党再編」は新党が次々に生まれ消えてゆきましたが、「政治改革」は進まず、危険な方向に歩み出しています。東欧革命・冷戦崩壊・ソ連解体の波が数年後に日本に及んだ93年政変になぞらえれば、2001年9.11以降のバックラッシュの波が、日本政治に構造変化をもたらすことになります。自衛隊の海外派遣・有事立法・イラク派兵の流れは、日本国憲法の枠組みを大きく踏み出し、「帝国」アメリカの同盟軍として、世界のマルチチュードに対峙する方向に向かっています。歴史におけるイフは禁物で、過去がそのまま繰り返されることはありません。冷戦崩壊から55体制崩壊の激動のさいにも、地球環境サミットやヨーロッパ連合(EU)結成への動きと共に、湾岸戦争やユーゴスラヴィア内戦や中国・インドの市場開放が見られました。秩序が壊れ、混沌とした状況の中から、何が新しい秩序の起動力になるかは、長いタイムスパンで、壊れた秩序そのものを歴史的に位置づけてみないと、なかなか見えてきません。丸山真男風にいえば、「制度」と「状況」の関係です。私は、1989年の東欧革命の意味を、ちょうど200年前のフランス革命の衝撃になぞらえて以来(『東欧革命と社会主義』花伝社、1990年)、ときどき世界史年表と地図を眺めて、現在の意味を反芻します。1789年の革命・人権宣言から92年の王制廃止・共和制宣言、ロベスピエールの恐怖政治・バブーフの陰謀と続く国内の混乱を、96-98年のイタリア・エジプト遠征で収拾したのはナポレオンでした。ナポレオンが統領になるのが99年、1804年にナポレオン法典が作られ、皇帝になります。そこから中東欧への拡張と戦争が続き、12年のロシア遠征で冬将軍に敗れ、ようやくヨーロッパの混乱は、1814年、革命四半世紀後のウィーン条約で、神聖同盟の秩序がつくられました。しかも、その後もナポレオンの百日天下やギリシャ独立戦争があり、次の1848年革命までのサイクルに入りました。こんな目で見れば、2003年は、四半世紀の過渡期のサイクルのなかの折り返し点、まだまだこれから何でもありだな、と思えてきます。激動の時代には、世界地図も、大きく書き換えられました。

 世界史の200年まで遡らなくとも、日本の「失われた十年」は、日露戦争後の100年、第二次大戦後60年ぐらいのスケールで考えたいものです。バブル崩壊後の日本経済も深刻ですが、政治の世界の「失われた十年」も切実です。この10年の流れは、自ら渦中にあった伊藤惇夫『政党崩壊──永田町の失われた十年』(新潮新書)、インターネット政治学の産物である五十嵐仁戦後政治の実像──舞台裏で何が決められたか』(小学館)が、詳しく報告しています。伊藤さんの本の冒頭にでてくる「新党」の名前、どのぐらい覚えているでしょうか。曰く、日本新党、新党さきがけ、新生党、新党みらい、自由党(柿沢弘治らの)、新進党、民主党、太陽党、フロムファイブ、自由党、改革クラブ、新党平和、黎明クラブ、新党友愛、国民の声、保守党、保守新党、……。五十嵐さんの本は、敗戦直後から論じていますので、J・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)や半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)と併せて読むと、面白いです。この国の基本的かたちやトップの決まり方が、支配層内部のどろどろした権力抗争で決まってきた事例がいやというほど出てきますが、同時にそれを許してきた有権者と市民の問題、権力抗争そのものにマス・メディアと世論が深く関与してきたことがわかります。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」の戦後日本編です。自民党総裁選・解散総選挙、自由党の民主党への合流、社民党・共産党の孤立とスキャンダル(そういえば93年総選挙も、共産党が野坂参三除名後で、社会党は山花・赤松体制で惨敗でした)の状況的構図ばかりでなく、ロングタームの趨勢を見きわめる夏休みにしたいものです。

 東アジアの問題にも、ようやく新しい動きが出てきました。北朝鮮が、米日韓中にロシアを加えた6か国協議を受入れ、拉致問題についても、被害者家族の帰国を打診してきたという報道です。タイの日本大使館には、「脱北者」10人が日本亡命を求めて駆け込みました。私は拉致問題と共に、「脱北者」問題こそ、人道的解決のカギだと考えています。こうした動きも、6か国の関わった朝鮮戦争休戦50周年の歴史の中で、地図上の国境線を固定せずに、考えてみたくなります。去る7月20日、「拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い」が開かれました。横田滋さん・早起江さんご夫妻、有本明弘さんのほか、在日コリアンの皆さんの発言にも、心を打たれます。法政大学高柳俊男さんの「結びのことば」に、こんな一節がありました。

私たちが考えたいのは、では在日コリアンの人権の向上のために闘ってきた人々なりその陣営は、拉致問題や北朝鮮における数々の人権抑圧の問題を本当に真剣に考え、取り組んできたのかということです。私たちは他者を批判する前に、あるいは他者を批判すると同時に、自分たちの側の問題性や弱点を見つめ、それを反省するような主体でありたいと思います。…… 国家の一構成員であることを意識しつつも、同時に国家や民族に過度に縛られたり、それを全面的に背負うことなく、ライターの姜信子さん風にいえば「越境」(境や枠を越える)や「漂泊」(固定した1つの立場に安住しないでただよう)の思想をもって物事に対していくことも、また重要かと考えます。

 実は、今回更新を済ませたら、私の夏休みはアメリカへ、15日の次回更新が可能かどうかは、現地のIT環境次第です。そこで、話題なだいなださん老人党」や、いよいよ党内討論も始まった「日本共産党新綱領草案について」の話題からしばらく離れ、世界社会フォーラムWSF)の動きを横目でみながら、「国際歴史探偵」「2003年の尋ね人」の世界に沈潜します。「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版を執筆し、8・15記念「戦争の記憶」をデータベース化した昨夏のようなわけにはいかず、月末まで日本を離れます。そこで、久しくお待たせのわが非戦平和運動イマジンIMAGINE!中間総括の決定版、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』東京大学出版会、2003年5月)を、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」(『葦牙』29号、2003年7月)と共に、情報学研究室政治学研究室に収録しました。図書館「書評の部屋」にも、情報学関連の長めの書評、『大原社会問題研究所雑誌』8月号の野村一夫『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書)と、現代史研究の『図書新聞』7月26日号の牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)を一挙公開、これに『エコノミスト』連載「歴史書の棚」7月29日号の伊井一郎『女剣一代──聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』(新宿書房)太田哲男・高村宏・本村四郎・鷲山恭彦編『治安維持法下に生きて──高沖陽造の証言』(影書房)も新規収録で加わります。じっくり過去を振り返り、考える夏にしたいものです。

 「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」は、ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』関連の「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)及び『エコノミスト』誌書評、マルチチュードの世界社会フォーラム(WSF)がらみの「反ダボス会議のグローバリズム」(エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)の延長上にあります。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますのでじっくり御笑覧を。「国際歴史探偵」の方では、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)のラインで、この夏も新しい発見があるでしょう。図書館「書評の部屋」には、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)、ハート=ネグリ『帝国』(以文社)、鷲巣力『自動販売機の文化史』、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)、成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)、川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)なども入っています。ごゆっくり、どうぞ。


職場で地域で学校で進行する「不安社会」化──
なだいなださん老人党ばかりでなく、「中衛」「後衛」のネットワークで「社会的バリケード」を!

2003/7/15  あの世界世論を二分した戦争は、いったい何だったんでしょうか? イラクでは「占領への抵抗」が続いています。大統領年頭教書の「イラクのウラン購入計画」はCIAの情報操作だったようです。「大量破壊兵器」などなかったことがわかってきて、仏独は復興派兵拒否ブッシュ大統領支持率も59%まで急落、イラクのアメリカ兵の士気も弛緩しているようです。でも、社会全体には「帝国」の影一人1丁の銃器で相互に監視しあい、入国審査には生体情報を採用とか。7月4日はアメリカ独立記念日でした。シェルドン・リッチマン「どうなってるんだ、アメリカ?」はいいます。

 アメリカ人は、従順と自己満足の状態にすっかり教育されてしまった。イラクがいつでもわれわれを攻撃できると大統領が言えば、それを信じる。大統領がイラクの9/11関与をほのめかせば、そのとおり世論調査に回答する。大統領が「大量破壊兵器」のお題目を十分なだけ繰り返すと、それらの兵器がもう見つかっただけでなく、米軍に対して使用されたと思い込む。何を信じるのか。大統領? それとも自分の眼?ひょっとして、証拠? 証拠を必要としているアメリカ人なんているのだろうか。大統領がそう言った。そんな風に言った。そうほのめかした。なんだって構わないのだ。こんな状態で、いったい、われわれは7月4日の独立記念日を祝えるのか?

 そんな国から、9.11以降、冷静な米国情報を日本語で発信してきた冷泉彰彦さん『from 911/USAレポート』が 第100回を迎え、ペリー来航以来150年の日米関係を振り返っています。「政府間関係としての日米関係は最悪の軍事同盟と言わざるを得ませんが、経済や文化に関わる民間同士の二国間交流としては豊かで可能性に富んだ関係だと考えられます」という結論を導くまでの、その思考の軌跡に注目。

 奇怪な歴史です。とても友好関係にある二カ国が協力して世界平和に貢献している図ではありません。アメリカが好きで駐留しているのなら「ただ乗り論」などはワガママでしょうし、日本が頼んで米軍に来てもらっているのならイヤイヤながら「思いやり」というのはおかしな話と言えます。複雑な国際社会のマキャベリズムと様々な既得権益の中で、意義を誰もすっきりとは説明のできない巨大な既成事実、正に常軌を逸した「同盟」に他なりません。
 世論の側の受け止め方も分裂し不安定な状況が続いています。その中心にあるのが日本の非武装中立論でしょう。戦争の災厄に懲りた日本の世論には、極端な非暴力主義が残っています。とりわけ殺されるだけでなく殺す側と断罪されて名誉を剥奪されたトラウマは色濃いものがあります。その中心には反米ナショナリズムがあっても、絶対非武装という「人類共通の理念」を強くかぶせてバランスを取っているのが、この非武装中立論でしょう。

 これを、加藤典洋さん風に「ねじれ」という言葉で規定することの是非はともあれ、考えさせられます。

 この「同盟」がいっそうグロテスクなのは、世界から見れば、日本も、「危険社会」アメリカ並みに病んだ「不安社会」になりつつあるからです。この夏は世界全体が異常気象に見舞われていますが、外交政策・地球環境政策はアメリカの単独行動主義に従うだけです。かつてなら政権を揺るがす自民党政治家の重大な前時代的問題発言が相次いでも、なぜか小泉内閣は安泰です。世界最先端のカメラつき携帯電話が新しい奇妙な犯罪を産み、街頭監視カメラがそれを摘発します。先日クレジットカード会社から電話、マレーシアから水道光熱費の請求があったか本当に使ったか、というもの。4月の旅行中に使った番号が盗まれていたらしく、全く心当たりのない話。ただちに現行番号を無効にしてカードの作り直しになりました。平均寿命女性85・23歳、男性78・32歳の国が、高齢者には厳しい「携帯電話依存社会」になって、こどもたちの世界が深刻です。沖縄の中学生殺人事件で、地元紙『琉球新報』は、「さまよう少年たち」という連載を始めました。「北谷町で起きた中二殺害遺棄事件は、加害者も中高校生で、しかも遺体を埋めるという隠ぺい工作も行っており、県民に衝撃を与えた。…… 事件の背景には、親に十分にかまってもらえない少年らの心の闇が潜んでいる。加害者の中学二年生は、唯一の保護者である母親も一週間に一度、しかも昼間しか家に帰らなかったという。家に大人がいないことから、グループのたまり場となった。 街を徘徊し、せびった金で食事をすることも幾度となくあったという。食べるために、生きるために街を徘徊せざるを得ない『飢えた』生活だった」と。そして被害者の方は、「弱い子は地域で見守るという気持ちを、口に出さなくてもみんな共有していた」地域に住み、「小さいころからエイサーが得意」「素直ではきはきした子」で、「加害者の一人の家でよく寝泊まりしていたが、六月に入り自宅から登校を始めた。結果的に、加害者グループとの関係を完全に断ち切る前に、事件に巻き込まれた」といいます。地域の力は、残念ながら、事件勃発を防げませんでした。そして、家庭崩壊・地域崩壊だけではないようです。 身体・情動のあり方全体が、狂ってきたようです。『長崎新聞』は、中学1年生が男児を殺害した事件を、「12歳の衝撃」という連載で闇に迫っています。「両親と三人暮らし。成績は非常に優秀でクラスでトップクラス。体育は苦手で部活動はしていない。親との行動が多く、母親と一緒に買い物する姿がよく見られた」その少年が、「自分が分からなくなった」、そして「キレた」と。この国の「社会的バリケード」が──音を立てて崩れると言うよりは──徐々に腐食し、ボロボロになり、液状化して、溶解しつつあるようです。かつてはあった歯止めが、利かなくなっているのです。ちょうど日本国憲法第9条が、違憲の日陰者だった自衛隊を政府の解釈改憲で認知し、災害復興や震災救援ならと社会が放置している内に、いまや世界第二の軍事力となって、「国防軍」や核武装が公然と語られ、平和維持の国際貢献活動のつもりで海外に派遣し始めたら、米兵と一緒にイラクの戦場に出没することになりそうな所まできているように。

 「社会的バリケード」は、一朝一夕で築けるものではありません。社会的バリケードは、政府や企業によってではなく、労働者や市民が自らの力で創るセーフティネットです。6月に亡くなった藤田省三なら、路地裏の隠れん坊やガキ大将を挙げるでしょうが、いまなら地域の祭やこども会でしょうか。でも、町内会や地域自治会組織が、そのままバリケードになるわけではありません。E・P・トムソン『イングランド労働者階級の形成』は、なつかしい本です。長く手元にあったのは、アメリカ・ボストンの古本屋で10ドルで買ったペーパーバック版ですが、原書刊行から40年たって、遂に日本語訳が出ました(青弓社)。市橋秀夫さん・芳賀健一さんの訳本は近年の翻訳の金字塔で、1358頁で2万円、本当にご苦労様でした。簡単に大学院生に買わせることができない値段なのは残念ですが、これでハーバード大学A・ゴードンさんが、常々翻訳大国日本の不思議として挙げていた名著の不在が、ようやく解消しました。その序文に曰く、「階級という表現で私が理解しているのは、経験という未加工の素材ならびに意識の双方における、異質で一見したところ関連のない、多くの出来事を統合する歴史的現象である。……階級という概念は、歴史的な関係という内容を含んでいる。ほかのいかなる関係もそうだが、階級はある流動状態なのであって、どこか一定の時点で停止させ、その構造を細分化しようとすると分析できなくなってしまう」。そこで子細に語られる、ユートピアを求める職人たち、ラッダイトに加わる織布工、モラル・エコノミーの残るコミュニティを、現代日本に求めることは難しいでしょう。だが、「人々が経験を同じくする結果、自分たちの利害のアイデンティティを、自分たち同士で、また自分たちとは異なる利害をもつほかの人々に対抗するかたちで感じとってはっきり表明するときに、階級は生じる」というトムソン的意味での「関係性」は、失われてはいません。前回、「前衛」を名乗ってきた日本共産党の新綱領草案との関わりで、丸山真男の「後衛」概念を紹介しましたが、「社会的左翼」を主張し、職場と地域における「社会的バリケード」づくりに尽くしてきた故清水慎三は、「対抗社会形成」における「中衛」を提唱しました(清水慎三・花崎皋平『社会的左翼の可能性──労働運動と住民運動』新地平社、1985年)。リストラと過労死・過労自殺が続く職場でも、凶悪犯罪が増え老人の孤独死が見過ごされる地域でも、学びとふれあいを喪失しつつある学校でも、今こそ「中衛」たちの関係性のつながりを、再構築しなければなりません。前回注目したなだいなださんの「老人党」は、「中衛」「後衛」たち開かれたサロンになりつつあるようです。

 前々回・前回とコメントした「日本共産党新綱領草案について」は、五十嵐仁さんにならって、一つのファイルにまとめました。セクハラ・飲酒問題でのちぐはぐな対応には早々と幕引きして、同党内でも公開討論が始まるようですから、まあじっくり観察させてもらいましょう。ただ、アストン卿の語った「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」の公理に照らして、見過ごせない論点を、二つだけ追加。一つは、不破哲三氏の提案報告中で「日本の帝国主義復活」という言葉を削った理由として示された、「アジア諸国が、日本の対外活動について警戒の目を向けているのも、日本の大企業の経済活動ではなく、軍国主義の復活につながる日本の対外活動であります。大企業・財界の対外的な経済進出にたいしては、そのなかの問題点について、個々の批判はあっても、対外進出そのものについての批判や告発はありません。これは、偶然ではありません。現在の世界の政治・経済の情勢のもとでは、独占資本主義国からの資本の輸出、即“経済的帝国主義”とはいえない状況が展開しているわけです」という認識。なるほど中国共産党やマレーシア政府の高官ならそういうでしょうし、日本で政権の隅っこにでも入るには大企業・財界との連携は欠かせないのでしょうが、それなら「共産党」などと名乗るのはやめなさい、といいたいですね。アジアのマルチチュードサバルタンが、びっくりしてしまいます。もう一つは、「質問・意見に答える」での「社会主義・共産主義」と「国家の死滅」についての、「社会主義・共産主義の社会でも、社会を維持してゆくためには、一定のルールが必要」で「共同社会が成熟して、強制力をもった国家の後ろだてがなくても、社会的ルールがまもられるような社会に発展する、ルールが社会に定着して、みんなの良識でそれがまもられる、そういう段階にすすめば、国家はだんだん死滅してゆくだろう」という見通しの話。そこで挙げられた実例が、なんと「いったいそんな社会が可能だろうか。私は、その一つの実例として、日本共産党という“社会”をあげてみたい、と思います。これは、四十万人からなる小さい規模ですが、ともかく一つの“社会”を構成しています。そして、規約という形で、この“社会”のルールを決めています。そこには、指導機関とか規律委員会などの組織はありますが、国家にあたるもの、物理的な強制力をもった権力はいっさいありません。この“社会”でルールがまもられているのは、この“社会”の構成員が、自主的な規律を自覚的な形で身につけているからです。ルール違反があれば、処分をうけますが、その処分も、強制力で押しつけるものではありません。強制力をぬきにして、ルールが自治的なやり方で、まもられているのです」──つまり、将来社会は共産党の党内ルールである「民主集中制」が「社会化」したものなそうです。ソ連共産党が1936年スターリン憲法に「党の指導的役割」を書き込み、1977年ブレジネフ憲法「民主集中制」「全人民国家」の国家原理にした論理とそっくりで、魅力がないどころか、ぞっとしますね。

 ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』に関連して、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評、マルチチュードの世界社会フォーラム(WSF)については、「反ダボス会議のグローバリズム」エコノミスト』5月13日号)に続いて、『葦牙』第29号(2003年7月)に「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網──インドで世界社会フォーラムを考える」を発表しましたが、これは8月にアップ。情報戦の「IMAGINE! イマジン」がらみでは、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、そして9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会、2003年5月)はいよいよ次回アップ。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係しますので乞うご期待。この夏も海外で続く「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)へ。図書館「書評の部屋」には、河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)、ハート=ネグリ『帝国』(以文社)、鷲巣力『自動販売機の文化史』に続いて、『エコノミスト』7月1日号掲載の大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)、成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)をアップ。図書館エッセイ室の『一橋新聞』インタビュー「学生生活と地方選挙」に関連してアップした、「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)という長大論文をデータベースは、小さな町ながら日本で初めて市民の「景観利益」を認めさせた、ミクロな社会的バリケードづくりの戦後史です。夏休みにゆっくりどうぞ。 


「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」──だからいま、
なだいなださん老人党にエールを!

共産党新綱領草案発表を機に、マルチチュードの「社会的バリケード」の討論と構築を!

2003/7/1  勤務先の近所に、ゾルゲ尾崎秀実グループに関わった久津見房子の長女、大竹一燈子さんが住んでいます。先日、石堂清倫さんの追悼会で久しぶりにお会いした際、ビデオのダビングを頼まれました。先年ロシアで没した『長い旅の記録』(中公文庫)の寺島儀蔵さん関係のテレビ番組です。大竹さんは、旧ソ連で長いラーゲリ生活を送り生還した晩年の寺島さんと、親しくしていました。岡田嘉子・杉本良吉関係の映像も加えてダビングしたビデオをお持ちすると、大変喜ばれて、いつもの凛とした調子で、彫刻家高田博厚戦後の陰の部分を、詳しく話してくれました。大竹さんには、『母と私──久津見房子との日々』(築地書館、1988年)という著書があります。山代巴に勧められて書いた母の追憶で、山代巴が序文を書いています。山代巴は、1944年、和歌山刑務所で北林トモ、久津見房子と会っていました。篠田正浩監督の映画『スパイ・ゾルゲ』にあわせて、ゾルゲ尾崎秀実の獄中手記が岩波文庫に入りましたが、牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集』(平凡社)は、ゾルゲ事件検挙の一年前、1940年にいわゆる「京浜地方日本共産党再建グループ」として治安維持法で検挙された、山代吉宗・巴夫妻の感動的な獄中闘争記録です。吉宗は、45年敗戦の年に獄死しました。

 イラク戦争は終わっていません。ラムズフェルド米国防長官は、イラク大量破壊兵器は「いずれ見つかる」となお強気ですが、同時に米軍は「困難で危険な戦争に従事し続けている」ことを認めています。アメリカの「見せしめ戦争」を分析したチョムスキーの「何が起きつつあるのか」は必読。米国防総省は「隣人を見張るためのデータベース」を作成中です。ブッシュのカルフォルニア選挙キャンペーンは、1万人のデモに迎えられました。イギリス議会では、ブッシュの「同志」であるブレア首相の参戦決定の正統性が改めて問題になり、世論調査でブレア「信頼できず」58%、「辞任すべき」も46%ストロー外相は参戦を根拠づけた2月の報告書は誤りで、「恥ずかしい」ことだったと認めました。日本と共に数少ない米英支持国家だったスペインのアスナール首相も、確証なしに「イラクに大量破壊兵器」と言い続けてきたことが暴露されています。「情報コミュニケーション技術時代の資本主義」と「グローバルな社会問題」を真正面に見据えて、3年がかりで「社会主義」をめざす綱領討議を続けている旧東独民主的社会主義党(PDS)は、ブッシュを裁く国際法廷を提唱しています。なおゲリラ戦争が続き「ベトナム」化するイラク武装自衛隊を派遣するための法案審議が、戦力放棄の憲法を持つこの国の国会で、大きな抵抗もなく、始まっています。今こそ情報戦時代の戦争への、新たなイマジネーション「IMAGINE! イマジン」が必要な時なのに! かつて清水慎三さん・花崎皋平さんらが提唱した「社会的バリケード」づくりが急務です。若い人々の中に、山代夫妻大竹さんら先達に学んで、非戦平和の志が持続されることを期待します。

 山代巴さんは、90歳をこえて健在とのことです。大竹一燈子さんは1914年生まれで、なお凛としています。「ブナ林便り」の吉田悟郎さん、「日々通信 いまを生きる」の伊豆利彦さんも、いまやインターネット平和運動の老人パワーで「持続する志」の象徴です。そこに、73歳のなだいなださんが、「老人党を旗揚げしました。かの『権威と権力』(岩波新書)で独自の権力論を展開し、『民族という名の宗教』(同)で「社会主義は粗大ゴミか」と鋭く問いかけ、最近は『人間,とりあえず主義』を提唱してきた、反骨の精神科医で作家です。こんな明快なマニフェストを掲げて、インターネット上に「党」を立ち上げました。

 「最近の政治家の言動を見ていて、老人は馬鹿にされていると思いませんか。ついこの間も、医者に行ったら、診察料が値上げされていました。処方箋を持って薬局に行ったら、今月から薬代をいただくようになりましたと、1000円とられました。
 老人の収入は年金が主です。ぼくにはその年金もありませんが。ぼくのことはどうでもよろしい。年金は増えない。医療費で取られる分は、別のところで切り詰めねばならない。こんな重大なことを、与党は、選挙の前に発表して、賛否を問わずに、多数をとったとたん、やってしまう。老人は馬鹿にされてます。老人ばかりではないが。これでいいですか?
 こういうことを得々と口にしている政治家には、次回は絶対に票を入れない。それだけではまだ不十分。票を入れるな、入れるのは馬鹿だ、と周りの老人たちに説明してやりましょう。かれらは銀行のまわしものです。銀行から献金を受けている男がこんなことをいうのです。銀行から献金を受けている政治家のリストを作ってもらいたい。
 サラリーマンも健康保険医療費、3割負担させられるという話。あなた方だって馬鹿にされとるのとちがいますか。将来の老人党として、加わったらどうでしょう。」

 自然科学と違って、「人間」の介在する政治学の世界では、だれもが認める「公理」はほとんどありません。アリストテレスの「人間は政治的動物である」から疑ってかからなければならず、「政治」の定義自体が政治学者の数ほど存在します。その中で、例外的に、ほとんどだれもが否定しえない「公理」があります。アストン卿の語った権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」( "power corrupts, and absolute power corrupts absolutely")という命題です。ですから、始めから「権力奪取闘争」「権力ゲーム」から降りて落選運動に徹しようとする老人党のよびかけは、すがすがしく響きます。ぜひとも応援したくなります。

 「老人のよいところは、権力欲のないところです老人の代表を国会に、などと馬鹿なことはいわない。だが、老人を馬鹿にするような法案に賛成したものを、必ず落すために、力をあわせるのはいいでしょう。
 われわれの話に耳を傾ける、そういう政治家がいたら、選挙のときには、かれあるいは彼女に投票しましょう。当落線上の候補者は、われわれの票で当落が決まる。こうなればわれわれを無視できない。候補者が、自分の公約をわれわれに示せば、投票する約束をしてもいい。
 ま、ざっと、こういうわけで仲間を募集します 一緒にやろうと思う人はどうぞ
 老人党はインターネット上の政党です。ヴァーチャル(仮想)政党です。党員になるのは簡単。名乗ればいいのです。党費も要らなければ、手続きも要らない。日常会話の中で、周りの人に自分は老人党だと名乗ってください。とりあえずの行動としては、新聞、テレビ、雑誌、あるいは政党、のホームページに投書欄があったら投書しましょう。そのときに肩書きを「老人党員」とするようお願いします。ヴァーチャルな政党ですから、たとえばの話、土井たか子だって、野中さんだって、志井さんだって入って悪いことはない。このホームページを見て愕然として、わたしも入れてくれ、でいいのです。
 怒っているなら率直に怒っていると書いてください。文章に自信がもてなくてもいいのです。率直がいい。全部同調できない人は、「二分の一老人党です」でもかまいません。ただ、これ以上老人は馬鹿にされ続けないぞ、という点で一致すれば、老人党です。
 
 しかしまだ、権力に執着する生臭い老人たちもいます。大正7(1918)年生まれの中曽根康弘元首相などは、憲法改正による「国防軍」作りと教育基本法を改正する「愛国心」醸成に奔走しています。さわやかな社会主義者なだいなださん老人党結成に比して、42年ぶりという日本共産党の新綱領草案は、「党の顔」のセクハラ辞任劇と共に発表されて、予想通りの「老人臭い」内容でした。まずは、短くなりました。61年綱領の宮本顕治色を消して、老人党のなださんと同じ73歳の起草者不破哲三氏の路線に純化させたためです。第4章の政策部分(「行動綱領」)に、これから党内討論で出てくるさまざまな意見を誘導し、アイヌ政策や個別要求を「民主的に」盛り込んでいく作戦でしょう。日本の他党とも比較できるような、政策の具体化は結構なことです。マスコミ報道は、日米安保・自衛隊と天皇制の当面の容認に「現実主義」を見ていますが、これはこの間の政策転換の事後承認で、連立政権入りや世論受けを狙ったものでしょう。『共産党宣言』以来の社会主義政党(政党論の書物では「階級政党」「イデオロギー政党」に分類されます)の綱領(=イデオロギー的基礎)という文書の性格からすると、問題は、別のところにあります

 不破綱領案を注意深く読めば、20世紀社会主義共産主義社会民主主義の二大潮流の分裂に導いた大論争問題が、しごくあっさりと、クリアーされています。「革命か改良か」「直接行動か議会政策か」という20世紀初頭の一大問題は、言葉の遊びで融合されました。61年綱領の「党と労働者階級の指導する民族民主統一戦線勢力が積極的に国会の議席をしめ、国会外の大衆闘争とむすびついてたたかう」という部分から、1994年改正の現行綱領「党と労働者階級の指導」が消え、「民族民主統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席をしめ、国会外の大衆闘争とむすびついてたたかう」となっていた部分が、不破草案では「日本共産党と統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席を占め、国会外の運動と結びついてたたかう」と、ついに「大衆闘争」も消えました。その代わり、高齢化した党員・支持者向けのリップサービスで、「民主主義革命」「社会主義革命」は一言ずつ残されましたが、「民主主義革命」は「資本主義の枠内で可能な民主的改革」「民主主義的な変革」といいかえられました。その「民主主義革命=改革」の内容は、61年綱領の「革命の政府」「民族民主統一戦線政府」以前でも成立可能な「民主連合政府」の課題とされてきた「革新3目標」とほとんど同じ内容なようです。つまり「革命」水準の格下げです。「社会主義革命」も、説明部分では「社会主義的変革」「社会主義的改革」とトーンダウンです。英語なら「改革」も「改良」もreformです。事実英語版の説明では「democratic reform」と訳されています。「革命か改良か」という、ベルンシュタインやカウツキーへの批判からレーニンやローザ・ルクセンブルグが死活の問題としたイデオロギーの壁が、ひそやかに消えました。社会運動史・政治思想史上では、重要な問題です。そこで今回更新トップページは、本カレッジのスローガン「批判的知性のネットワーク」のために、五十嵐仁さん「日本共産党綱領改定案への論評 」にならって、いつもより長い政治学講義風になります。以下の問題に関心がある方は、ダウンロードして保存を。なんだ共産党もフツーの政党か、老人党で決まりという人は、ここからすぐさま行動へ! 

 19世紀にはなお多様な可能性を孕んでいた「社会主義」を、第一次世界大戦とロシア革命を機に共産主義と社会民主主義とに分裂させ、労働者階級が多数を占めたワイマール・ドイツで1933年国家社会主義(Nationalsozialismus)=ナチスのヒトラー政権成立を許した対立点の一つは、「国際主義か愛国主義か」でした。第一次世界大戦勃発時にドイツ社会民主党主流派は、植民地保有国なのに自国の軍事公債に賛成し、マルクスの「万国の労働者団結せよ!」に背いて、ナショナリズムの側につきました。社会民主主義のすべてがそうなったわけではありませんが、レーニンらはこれを「社会愛国主義」「社会排外主義」として、「プロレタリア国際主義」を文字通りに体現する世界単一党=共産主義インターナショナル(コミンテルン、1919-43)を結成しました。日本共産党をも一支部とするコミンテルンは、社会主義ソ連を「労働者の祖国」とし、「国際主義」を体現しました。だからこそリヒアルト・ゾルゲは、「祖国」ドイツを捨てて、「国際共産主義万歳!」の情報戦に生命を賭したのです。日本の外務省ホームページのなかで、「各国・地域情勢」のページは、各国政治経済の歴史・現況がコンパクトにまとめられ、海外旅行の事前調査には便利です。これ実は、アメリカ国務省ホームページCountries and Regions中のCountry Informationとそっくりです。そのJapanについての2003年4月更新アメリカ合衆国政府公式見解を見ると、「日本の歴史」の冒頭に、いきなり神武天皇の建国神話が出てきます(Traditional Japanese legend maintains that Japan was founded in 600 BC by the Emperor Jimmu, a direct descendant of the sun goddess and ancestor of the present ruling imperial family. )。現代日本の政治類型は「立憲君主制」( Constitutional monarchy with a parliamentary government)と明記されており、CIAホームページ情報にもとづいてか、「国家元首chief of state=天皇 Emperor Akihito」が、堂々と小泉首相の前におかれています。外からみると、きっとそうなんでしょう。

 日本政府も自民党も、アメリカ国務省に抗議した形跡はありません。中曽根康弘氏なら「我が意を得たり」でしょう。老いてなお賢明なナショナリスト不破哲三氏は、これを「アメリカ帝国主義の陰謀」と思ったのでしょうか、なんと「日本は君主制ではない」という命題で、アメリカとの理論闘争を始めました。不破氏の共産党新綱領草案の提案にあたっての報告では、「国家制度というものは、主権がどこにあるかということが、基本的な性格づけの基準であります。その点からいえば、主権在民の原則を明確にしている日本は、国家制度としては、君主制の国には属しません。せまい意味での天皇の性格づけとしても、天皇が君主だとはいえないわけであります」「憲法は、天皇は、国の統治権にはかかわらないことを、厳格に定めているのです。だいたい、国政に関する権能をもたない君主というものは、世界に存在しません。ですから、日本の天皇の地位は、立憲君主制という国ぐににおける君主の地位と、その根本の点で違いがあるのです。立憲君主制というのは、形の上では国王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを、憲法やそれに準じる法律で制限し、事実上国民主権の枠のなかにはめこんでいる、という国家制度です」とイギリスの例を出し、「日本の場合には、天皇には、統治権にかかわる権限、『国政に関する権能』をもたないことが、憲法に明記されています。ここには、いろいろな歴史的な事情から、天皇制が形を変えて存続したが、そのもとで、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化した日本の憲法の特質があります」として、「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」という新綱領草案を根拠づけます。近くイラクまで出ていきそうな自国の軍隊=自衛隊も、当面「活用」するのだそうです。他国=世界に仲間=「同志」を失ったからでしょう。セクハラを理由に、説明責任も果たさず突然国民の前から消えた国会議員(あわてて議員HPのカバーページを消したようですが、Googleで見ると「頭隠して」です)を、書記局長が記者会見で「同志」と呼ぶ感覚ですから。国連・国際法を重視し、日本国憲法に従うのは結構なことです。しかし、「共産党」と名乗り続けるレーゾン・デートル(存立根拠)が崩れたことを、不破氏は、どれだけ自覚しているのでしょうか? 

 数年前、麻布の外務省外交文書館で、旧ソ連粛清犠牲者「松田照子」を探索した際の、副産物がありました。何しろ手がかりは、サハロフ人権センターで見つけた「テルコ・ビリチ」の名前だけでしたから、手当たり次第に日本側外交資料にあたっていたら、「雑件」という綴りの中に、とんでもない資料が入っていました。今では井上敏夫編『野坂参三予審尋問調書』(五月書房)に収録されている、28年3・15事件逮捕時の「野坂参三検事聴取書」(1928年6月14日付)で、自分の所属する「細胞」の「同志」についてベラベラ喋ったうえ、「私一個ノ個人トシテハ」いわゆる「27年テーゼ」の「『スローガン』ノ内君主制ノ撤廃其他一二ノ事項」に「異論ヲ持ッテ居リマス」というものでした(同書74頁)。その綴りは、福本和夫・荒畑寒村の聴取書と一緒で、福本・荒畑は原則的に自分の考えのみを述べ、他人を売ったりはしていませんでした。野坂は、おそらく天皇制権力からこの「君主制容認」を評価されて、30年に眼病治療を理由に保釈され、31年モスクワに渡って、国崎定洞・山本懸蔵ら在ソ日本人へのスターリン粛清の嵐をも無傷で泳ぎ切り、最近発見されたアメリカ戦時情報局「延安レポート」からも明らかになったように、敗戦前から中国でアメリカ側に自分を売り込み、エマーソンらに自分の天皇観を説いていました(『インテリジェンス』2号)。また、45年末にソ連を密かに訪問して、「天皇の半宗教的役割」を認めさせる方向でソ連共産党とも意見を調整して帰国し、占領期「愛される共産党」の「顔」となりました。実は、今回不破哲三氏の説く天皇論は、44-45年に野坂参三が米ソ両国諜報機関及び毛沢東に伝えた──したがって実際にGHQの「象徴天皇制」存続決定にある種の影響力をもった──日本的に特殊な君主制存続を正統化する論理と、似通っています。

 しかしこんなことは、日本共産党が「天皇制打倒」を長く伝統にし、表看板にしてきたからこそ問題になるのです。「君主制」は、単純に「共和制」と区別される概念です。「立憲君主制」はイギリスだけではありません。ヨーロッパでもオランダ、ベルギー、スペイン、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等々に君主制があり、その憲法上の権能、現実の政治的機能は、様々です。ほとんどが高度な民主主義国家です。たとえば「民主的社会主義」を目標に掲げていても、スウェーデン社会民主党2001年綱領には、君主制問題は一言も出てきません。オーストラリア、ニュージーランドではエリザベス女王が形式的に「国家元首」なため「立憲君主制」に分類されますが、オーストラリアの場合、労働党や財界の一部が不在君主は無用と「共和制移行」を掲げて運動し、2000年に国民投票にかけられ、けっきょく君主制存続におちつきました。しかし、日本共産党は、1931年政治テーゼ草案以来、わざわざコミンテルン・テーゼの「君主制」を「天皇制」といいかえて翻訳し、戦後も学界でこの共産党製用語が広く執拗に議論されてきたのは、不破氏がイギリスの女王ほど憲法上の権限がないから旗をおろしても大丈夫だと一生懸命に政治的無害性を証明しようとしているのとは反対に象徴天皇制に「いろいろな歴史的事情」からなお重要な政治的・社会的機能があり、現に中国・韓国など近隣諸国との関係で「お言葉」が実際に外交的意味を持ち、1989年昭和天皇の死の際にも異様な政治的雰囲気に包まれて、自民党政治家の中には中曽根康弘氏のようにそれを利用しようとする勢力がいるからではないでしょうか? ひょっとしたら、アメリカ政府もそれを警戒して、建国神話にもとづく「立憲君主制」と言っているのかもしれません。政治学者の眼からみると、99年に「赤旗」読者からの質問に答えて出された「日本の象徴天皇制は『君主制』か」という文章の方が、まだしも素直な見方に思われます。もっとも不破氏が新綱領で「君主制廃止」をはずしても、今更「愛される共産党」になれるとは到底考えられず、かつて日本社会党が辿った道を、ずるずる後追いしているようにしか見えません。ちなみに日本社会党は、第二次大戦後の社会主義インターナショナルの中で、世界の社会民主主義内では珍しく、長く「社会主義革命」を掲げた最左派の党でした。

 第二次世界大戦後の共産主義と社会民主主義の一大争点は、「階級政党か国民政党か」というものでした。共産主義は、ドイツ社会民主党ゴーデスベルグ綱領(1959年)での「国民政党化」を「階級的裏切り」と批判するあまり、戦後ヨーロッパ社会民主主義の成果である「福祉国家」さえも、「資本主義の枠内での改良で、階級対立の隠蔽」と批判してきました。労働者福祉や男女平等なら現存「社会主義国家」の専売特許とばかり、ソ連・中国や東欧諸国の憲法・労働法の規定や制度を対置しました。その内実と、労働者や女性にとってのバランスシートがどうであったかは、1989年に劇的に証明されました。共産党新綱領草案での「労働者階級」は、戦前の「過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級」と、戦後は「労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯」という文脈で、二度出てくるだけです。現在の日本国内では「労働者・勤労市民・農民・中小企業家」(中小「資本家」でない点に注意)などの「国民諸階層」の一つなそうです。ちょうどE・P・トムソンの不朽の名著『イングランド労働者階級の形成』が、ようやく翻訳された(青弓社)ばかりだというのに! 支配層を含む「国民」概念と、含まないとされた「人民」概念の区別も飛び越えて、「国民」一色です。これでなぜ、社会民主主義を「階級的裏切り」と非難できるのでしょうか? 世界の労働組合組織率を比較してみましょう。日本の24%(1995年、2001年21%)に対して、スウェーデン91%、アイスランド83%、デンマーク80%、フィンランド79%、……。労働組合がなお役割を果たしているのはどんな国か、一目瞭然です。ちなみに前回更新時「参加民主主義」「参加型予算システム」「連帯経済」を紹介したブラジルは、43%です。綱領討論で参考にするようオススメしたスウェーデン社会民主党2001年綱領には、労働者や女性・老人・障害者の人権と生活を守る具体的政策が満載されているだけでなく、「階級という概念は、体制的に基礎づけられた人々の生活条件の格差であり、それは生産のあり方によってつくりだされ、人々の生活全般に影響をおよぼす」とあり、「ある面で資本と労働の間の紛争は先鋭化した。他の面において、資本と労働の境界線はより流動的なものとなり、金融資本に伍する人的資本の力を高めた」と、現代の「新しい階級パターン」の詳しい分析が行われ、「反資本主義政党」と自己規定しています。「階級」を消した共産主義と、所有論レベルからの階級原則と労働運動の歴史から具体的に「反資本主義」を政策化するヨーロッパ社会民主主義と、どちらが働く人々にとって魅力的でしょうか? 

 不破哲三氏の新綱領草案決定的に欠けているのは、現代資本主義と「新しい階級パターン」の真摯な批判的分析です。草案から「二つの敵」は消えても、「アメリカ帝国主義」「日本独占資本主義」「対米従属的な国家独占資本主義」といった旧ソ連製用語が、61年綱領との継続性のアリバイのためか、抽象的に残されています。その代わり、現代資本主義で決定的意味を持つにいたった生産の場での技術変化も、コンピュータの出現も、情報化インターネットも、全く出てきません。ですから、世界の現実の方は「機動戦」「陣地戦」から「情報戦」時代に入ったのに、不破氏は、ようやく宮本「敵の出方」風「機動戦」色を払拭して「陣地戦」型に純化しましたが、「情報戦」の歴史的意味がわからないのです。なぜ自分が全精力を注いだ画期的新綱領はあまり注目されず、セクハラ国会議員の辞職だと一面トップ記事になるのか、なぜこんなに「ソフトな柔軟路線」なのに世論調査で「拒否政党率」が高いのか、よく考えた方がいいでしょう。

 スウェーデン社会民主党綱領の「新しい階級パターン」「反資本主義」は、「現代の生産テクノロジー」「生産の新しい秩序」「資本の権力」「国際資本の力に対する様々な抵抗力」「貧しい国における多国籍企業の振る舞いに対する消費者の反発」「エコロジカルな持続可能性」の分析から引き出されたものです。そこから「社会生活のあらゆる領域での民主主義」「労働を尊重して生産し、生産結果を公正に分配する、民主主義的経済」「平等性と多様性を保証する福祉政策」の具体的提案の数々が出てきます。「クリーンな福祉」「知識社会」「国際主義」が原則とされ、「今日のグローバル資本主義に対する対抗装置」としての政党と労働組合の役割が出てきます。不破氏がなお「社会主義」への一抹の希望を夢見るらしい中国13億人の「市場経済から社会主義へ」や、具体策を何も示さない「大企業にたいする民主的規制」のプログラムと、どちらが現実と切り結ぶ、実行可能な処方箋でしょうか? 「日本独占資本」がアジア市場でどういう役割を果たしているかも何も語らずに、日本の「大企業・財界」を規制できると思っているのでしょうか? いや実は、不破氏も「ヨーロッパなどで常識になっているルール」「ヨーロッパの主要資本主義諸国などの到達点も踏まえ」て、「ルールなき資本主義」の現状を打破しようと願っているようです。ならばぜひ、そうした「ルール」を、フランス革命以来200年の「自由・平等・友愛」から「自由・公正・連帯」への運動を踏まえて定着させた、ヨーロッパ社会民主主義の諸潮流から真剣に学ぶよう、心からお薦めします。残念ながら、不破氏が暗記しているという「マルクス・エンゲルス全集」や「レーニン全集」は役に立ちませんから、現地に滞在して、じっくりヨーロッパにおける「反資本主義」の運動、「社会的バリケード」を体感してくることです。核廃絶や世界平和のために尽くすのは、結構なことです。ただし、世界第二のGDPの国で「物質的生産力の飛躍的発展」や「巨大に発達した生産力」を目標にして、私たちの地球村(Global Village)を壊すことだけは、やめていただけないでしょうか。

 こうして、20世紀に共産主義と社会民主主義をイデオロギー的に分断してきた垣根は、不破哲三氏の新綱領草案により、ほぼ取り払われました。というよりも、社会民主主義を批判して「分派」を作った共産主義が、社会主義インターナショナルの本流の方に、「自己批判」抜きで戻ってきました。日本共産党の場合は、ついに一度も政権に近づくこともなく。共産党新綱領草案「社会主義・共産主義」の指標は、61年綱領の「国有化」も「計画経済」も「プロレタリア独裁=労働者階級の権力」も削り、マルクス『ゴータ綱領批判』の2段階分配原理も消えましたから、けっきょく「生産手段の社会化」英訳版では「socialization of the means of production 」)だけのようです。20世紀の社会運動と社会科学から全然学ばずに、言葉だけで見果てぬ夢「社会主義・共産主義」を繰り返すのは、いかがなものでしょうか? ドイツ語では「社会化」は、二様に表現可能です。ロシア革命直後のドイツ革命=ワイマール共和国成立期に、有名な「社会化論争」がありました。有澤広巳『インフレーションと社会化』(日本評論社、1948年)や阿部源一『社会化発展史論』(同文館、1954年)をひもとけば、生産手段の国有化・公有化の所有形態・構造を問題にする共産党(KPD)系のVergesellschaftungと、社会民主党(SPD)系の労働者が経営管理へ主体的に参加するSozialisierungが政治スローガンとして現れ、論争されたことがわかります。例えば株式会社は、それ自体が生産手段のSozialisierungですが、その所有・管理・使用形態までVergesellschaftungされなければ「社会主義」ではない、というのが当時の共産党側の主張でした。つまり、経営内「権力」の問題です。もっともこんな観念遊戯より、「権力」概念そのものの「機動戦=道具的権力」「陣地戦=関係的権力」以後の展開を踏まえ、資本の「情報戦」におけるフーコーネグリ規律統制権力生権力ネットワーク権力まで具体的に踏み込み、マルチチュードエンパワーメント(Empowerment)を構想しなければ、「社会主義・共産主義」など夢のまた夢でしょう。もっぱら軍事的側面での「対米従属」から「主権」を求める党に変身されるのなら、なだいなださんの「老人党」ほど魅力はありませんが、シングルイシューの「平和党」とでも改名なさったらいかがでしょうか。それはそれで、意義はあります。

 かつて丸山真男は、名著『現代日本政治の思想と行動』を追補する自著を、『後衛の位置から』と名づけました(未来社、1982年)。「日本の知識人たちが、日本独特の『皇道』神話における粗雑きわまる信条に鼓舞された盲目的な軍国主義ナショナリズムの奔流を、結局は進んで受け入れるにいたり、あるいは少なくとも押しとどめるのにあれほど無力であった、という事態はなぜ生じたのか?」という疑問への、「市民としての社会的責任感に対する実践的応答」です。共産党HP上に残る1994年第20回大会の綱領改定報告で、不破哲三氏は、丸山のこの問題設定そのものが気に入らなかったらしく、「政治学」的な「反動的俗論」丸山真男を批判していました。しかし丸山の天皇制批判・知識人論は、「批判的社会分析というマルクス主義の方法」を深く学び敬意を払いつつも、「日本の知的世界を水浸しにしているドグマティックな俗流マルクス主義の氾濫に抵抗し、より広く多様なアプローチの発展をはかろうとする試み」でした。そうでなければ、「歴史における逆転しがたいある種の潮流」を識別できなくなるというのが、「前衛」との緊張を保ちつつ、「後衛」に身をおく選択でした。「歴史における逆転しがたいある種の潮流」を、今日見分けることは大変です。21世紀の社会運動で、社会主義インター世界社会フォーラムがそうなりうるかは、未知数です。しかし、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」のような公理を抽出することはできます。「労働者階級の権力」を求めずに、「反資本主義」に足場をおくことも可能です。本「ネチズン・カレッジ」は「前衛」を求めません。ですから、以上の私の共産党への批判的論評は、法政大学五十嵐仁さん「転成仁語」と同じく、政治学からの学問的感想です。同時に「市民としての社会的責任」の立場からすれば、五十嵐さんとは共産党新綱領草案評価は異なりますが、「大左翼」の今日版、日本版「オリーブの木」が必要だという認識では、期せずして一致しました。いま必要なのは、言葉の上での「社会主義・共産主義」ではなく、「ヨーロッパなどで常識になっているルール」に相当する、日本での「社会的バリケード」の構築なのですから。もっともその時は、「綱領(プログラム)」よりも「宣言(マニフェスト)」の方がいいですね。「さざ波通信」「JCPウオッチ」でも、百家争鳴の議論が始まったようですが、このさいどなたか、不破草案とは違った第二草案、第三草案をマニフェスト風に作ってくれると、「社会的バリケード」の議論も盛り上がるでしょう。字数制限・締切・検閲一切なしで。「情報コミュニケーション技術時代の資本主義」をめぐって3年がかりの綱領討議を続けている、ドイツ民主的社会主義党(PDS)のように。

 ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』に関連して「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評世界社会フォーラム(WSF)がらみで「反ダボス会議のグローバリズム」エコノミスト』5月13日号)、「IMAGINE! イマジン」をベースにした「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会、2003年5月、8月アップ予定)をご参照下さい。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係します。「癒し」の「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)へ。図書館「書評の部屋」には、『エコノミスト』6月3日号のハート=ネグリ『帝国 EMPIRE』(以文社)と鷲巣力『自動販売機の文化史』(集英社新書)に続いて、発売中の7月1日号では、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)を扱っていますが、次回にアップ。河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)などと共にお楽しみ下さい。図書館エッセイ室に『一橋新聞』インタビュー「学生生活と地方選挙」に関連し、「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)という長大論文をデータベース化しました。小さな町ながら、日本で初めて市民の「景観利益」を認めさせた、ミクロな社会的バリケードづくりの戦後史です。地方史・郷土史好みの方々は、ぜひ御笑覧を。



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