LIVING ROOM  9 (JULY-DEC. 2000)

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。


加藤哲郎研究室にようこそ! グレーでグルーミーな世紀末の中に、希望色の光を求めて!

 2000.12.15 いよいよ20世紀最後の更新です。 第二次森内閣発足後の各種世論調査は、案の定、のきなみ「期待せず」。新世紀初代アメリカ大統領は、ようやくブッシュ・ジュニアに決まりましたが、この間の国論分裂の傷は深く、20世紀世界で「勝利」し席巻したはずの「アメリカ型民主主義」の問題点をも露呈してしまいました。日本も世界も、グレーでグルーミーです。そんな状況を学問的に解明したのが、12月2-3日、一橋大学佐野書院で開かれた社会学研究科主催国際シンポジウム「20世紀──その夢と現実」、会場の都合で、本HPでは宣伝しませんでしたが、実は私が準備責任者をつとめ、世界の頭脳が集まりました。ゲストの基調報告は、安丸良夫一橋大学名誉教授"The Twentieth-Century Japanese Experience"、アシス・ナンディー・インド発展途上国社会研究センター所長 "The Twentieth Century: The Ambivalent Homecoming of Homo Psychologicus"で、共にE・ホブズボームを参照しながら、20世紀全体を深く洞察しました。第1セッション 「福祉国家」は、クリストファー・ピアソン・ノッティンガム大学教授、リン・チュンLSE講師、ロビン・ブラックバーン・エセックス大学教授("New Left Review"編集委員)、高田一夫一橋大学教授の4人が報告、宮本太郎立命館大学助教授がコメント、第2セッション「戦争・歴史・文化」はバレンタイン・ダニエル・コロンビア大学教授、レイナルド・イレート・オーストラリア国立大学講師、ハーバート・ビックス一橋大学教授が報告し、油井大三郎東大教授がコメント、 第3セッション「 技術と環境 」について、アンドリュー・フィーンバーク・サンディエゴ州立大学教授、ジョン・ベラミー・フォスター ・オレゴン大学助教授("Monthly Review"編集委員)、御代川貴久夫一橋大学教授が報告し、矢澤修次郎一橋大学教授がコメントして、密度の濃い議論ができました。内容はいずれ公刊予定ですが、"New Left Review"誌のブラックバーン教授が提起した「グレー資本主義」が話題になりました。つまり、もともと労働者・市民の拠出・寄託した巨額な年金資金が、政府機関・多国籍資本により運用され、所有権が曖昧になり国籍も不透明なかたちで、グローバル金融市場の動向を決するまでになった資本主義です。これを「第3の道」への接近と見るか否かは別として、百年を隔てた19世紀末資本主義と対比すれば、大変な変化です。しかし、世界平和や民主主義の行方もグレーです。生活世界における家族や道徳の行く末も、曖昧で不確実です。そんな時には19世紀に立ち返って、カール・マルクスを! 主催者としての結語を、私は、次のマルクスの言葉でしめくくりました。「すべてを疑え!」「学問に王道はない」「問題が問題として生起する時、その問題の解決の物質的諸条件も、すでに与えられているのである 」と。えっ、出典はですって? それは、各自インターネットでお探し下さい。

 実はこの国際会議、実行委員会の準備も外国人ゲストとの連絡も、ほとんど電子メールで済ませました。報告ペーパーの交換も、特別の非公開HPサイトを作り、そこへ世界中からアクセスしてダウンロードしてもらいました。この国際ネットワークは今後も存続させようと、ゲストの方から提案されました。10年前の同じ会議で、私も英文報告者になり、同じセッションのI・ウォーラーステイン教授の郵送ペーパーを待ち、直前まで苦労したことを想起すると、隔世の感です。無論、インターネットの問題も、フィーンバーク報告を中心に、論点になりました。しかしここもグレーで、デジタル・ディバイドから文化帝国主義まで、手放しの楽観論はありませんでした。文部省HPが最新「学校保健統計調査」を発表し、新聞は、百年で17歳男子平均身長13センチ・女子11センチの伸びを、「栄養状態など生活環境の変化」で説明しています。実はこれ、本HP所収の私の1998年歴史学研究会大会全体会報告「戦後日本と『アメリカ』の影」の主題の一つでした。確かにこの百年の日本人の体型変化は、国際比較でみても驚異的です。「体位向上」ですが、下肢だけ伸びて骨折が多くなり、一部運動能力や病気への抵抗力は衰退しました。しかも「体位向上」は、すでに臨界点に達しています。こどもたちが「親より頭ひとつ高い」光景は、21世紀にはみられないでしょう。むしろ、こんなに正確な身体データが百年も国家に管理されている事実に注目し、この「向上」を「異常」と見る、視座転換が必要です。かのレイチェル・カーソン『沈黙の春』(角川文庫)の感性こそ重要です。百年で10センチ以上平均身長が伸びたならば、そこには「栄養状態」に留まらない、巨大な「環境変化」と「身体及び身体感覚」の変容があったはずだ、と考えるべきなのです。そして心身の「適応能力」も臨界点に達しつつあることの意味を、省察すべきです。日本の20世紀は、おそらく人類史的にもきわめてまれな、自然と人間との根源的関係の、したがってまた人間と人間との関係の、変態(メタモルフォーゼ)だったのかもしれないのです。

 「戦後日本と『アメリカ』の影」執筆のさい、体位計測を用いて「生活水準」や「環境変化」を探るこうしたアイディアと手法を、私はエルゴロジーの視点で「過労死」を研究する過程で出会った、J.Komlos ed., Stature, Living Standards, and Economic Development, Chicago UP, 1994 から得ました。そしてこの本から、体位計測史の先駆者であるアメリカ「ニュー・エコノミック・ヒストリー」のリーダー、R・W・フォーゲルの黒人奴隷経済史研究を知りました。黒人奴隷の「価格」が体位に還元され「量化」されて売買された歴史に注目し、その契約書類の膨大な分析から人種差別を実証した、画期的仕事です。専門外なので教えを乞うたのが、勤務先の年下の同僚で、アメリカ史研究のHP「Amstud 」を主宰していた故辻内鏡人さんでした。世紀末には理不尽なことが重なるものです。私は9月にゼミ出身の若い教え子を、10月に親友の奥さんを喪ったばかりなのに、12月4日夜、その辻内鏡人さんが、突如世を去りました。病気ではありません。痛ましい交通事故、それも、加害者が辻内さんと「交通上のトラブル」があって「故意にはねた」と当初供述した事件です。私はちょうど20年前、共通の友人の交通事故死を通じて辻内さんと知り合った事情があり、「事件」直後から、本HPに「辻内さん事件」のコーナーを設け、皆様に12月4日夜8時すぎ、中央線国立駅周辺での「事件」の目撃情報・関連情報を電子メールでお寄せいただくよう訴えてきました。「トラブル」の有力な目撃情報がないため、一橋大学の有志学生・教職員も、「目撃情報を探しています」というビラをまき、捜査に協力して証言を集めるボランティア活動を行いました。グレーな「事件」を解明するための、一筋の光明であり、希望です。加害者はクリスマスに傷害致死容疑で起訴されましたが、このヒューマンな希望が実る方向で、新世紀を迎えたいものです。

 もうひと筋の光も、お伝えしておきましょう。私の20世紀最後の10年の研究活動の柱のひとつで、本HP開設のきっかけとなった、ナチス台頭期ドイツおよび旧ソ連在住日本人の「現代史の謎解き」における、最も有力な生き証人であり、学問的支えであった、評論家石堂清倫さんが、20世紀全体をほぼ体験して96歳になり、21世紀をお元気に迎えられそうなことです。最近永年連れ添った奥様を亡くされ、体調がすぐれないと聞いてお伺いしたら、早速永田鉄山と満州事変の関係から、義兄弟であった山根銀二・根本辰によるマックス・ウェーバー『音楽社会学』の本邦初訳の話、それに島崎藤村の姪こま子の晩年と息子鶏二・蓊助兄弟の「外遊」の話まで、変わらぬ好奇心と鋭い分析で、奔放に話してくれました。故辻内鏡人さんの2倍以上を生きられ、なお注文した新刊本を読まなければとおっしゃるのには、夜のビラまきを控えた私には複雑な感慨でしたが、百年でも二百年でも生きて証言を残してほしいという願いが本当にかないそうな、強靱な生命力・精神力でした。グレーでグルーミーな世紀末ですが、21世紀の希望は、巷間さわがれる「グロバール化」や「IT革命」の方にではなく、案外もっとローカルで身近なところに、小さなオレンジ色で、ころがっているのかもしれません。そんな事情ですので、私自身の本格的な20世紀総括やリンク更新・デジタル論文追加は先送り。その代わり、次回21世紀開幕更新は、本「研究室」を「研究所」か「カレッジ」に改装し、最新論文「20世紀日本における『人民』概念の獲得と喪失」をアップして、「情報の森を抜けて交響の広場へ」と題する執筆中の論文のエッセンスをお贈りすることを、予告しておきます。乞うご期待! 現役学生諸君向けには、2001年度一橋大学加藤ゼミ紹介が入ってます。 


竹久夢二「待てど暮せどこぬ人を 宵待草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな」の「こぬ人」とは誰でしょう?

2000.12.8 「野中」抜きの第二次森内閣が発足しました。自分の体重に加えて元首相を二人もかかえ込めば、ふつうは「重量級」になるはずなんですが、中味はあいかわらずの派閥均衡人事。いくらまわりを化粧直ししても、瀕死の総理そのものは同じですから、「もりあがり」はないまま、21世紀へと突入しそうですね。案の定、あの『読売新聞』世論調査でさえ「森首相に期待せず」75%です。本HPが、「日経新聞・ITニュース」に、なぜか「学術サイトとしては異常な?人気サイトのひとつ」として紹介されました。

 ★ 勤務先の同僚であり、日本におけるアメリカ史研究の定番サイトの一つ「Amstud 」を主宰してこられた†辻内鏡人(つじうち・まこと)さんが、4日夜、不慮の死を遂げられました。「事件」性を帯びた理不尽な最期であるため、一橋大学社会学研究科としても、「警察がきちんとした捜査を行い、同時に正確で詳しい説明を行うよう働きかける」ことを声明しました。のべ千人をこえる皆様のご参列をえて、お通夜・告別式も無事終了しましたので、本HPでは、「辻内さん轢殺事件」の真相解明のコーナーを設けました。特に12月4日夜8時すぎ、中央線国立駅周辺での目撃情報・事件情報電子メールでお寄せ下さいますよう、お願い申し上げます。


2000.12.1 「加藤紘一の十日間戦争」は、戦火も交えずにコップの中の嵐に終わり、「インターネット政治の始まり」といってもビデオ画像での謝罪程度。野中幹事長が辞めても、森首相は「前進あるのみ」とかで、いよいよ末期症状。アメリカ大統領選挙は、ブッシュが勝利宣言しても訴訟合戦で後を曳き、ペルーもフィリピンも政変というには今ひとつ。日本共産党大会は予想通りの展開でしたが、多段階間接推薦選挙と「民主集中制」が手つかずのため、表面的な看板塗り替えのみで、ネット上の「JCPwatch」「さざ波通信」・「日本共産党資料館」にあるような議論は大会には届かず。次大会で改正という綱領は、新規約と不整合で恥ずかしいのでしょうか、なぜか大会から2週間ほど日本共産党HP上で「綱領」をクリックしても「Not Found 」ばかりで、お蔵入りしていました(ここで指摘したら、また復活したようです)。世紀末は曖昧に終わり、新世紀は後味悪く始まりそうです。エリック・ホブズボームの『極端の時代:短い20世紀』(邦訳『20世紀の歴史』上下・三省堂)は、いまや世界の大学の現代史講義で欠かせない名著ですが、その彼の最新著『歴史家ホブズボ−ムが語る 21世紀の肖像』(三省堂)が、イタリア紙の記者に答えた、ホンネのインタビューになっています。それを踏まえて、この週末は、勤務先で国際シンポジウム「20世紀:その夢と現実」を組織、イギリスの"New Left Review"とアメリカの"Monthly Review"というアングロサクソン左派の2大理論誌から論客がくるほか、インドや中国のラディカルも加わって、面白い議論ができそうです。もっとも最新の"New Left Review"誌第2シリーズ5号(2000/9-10)は、「A Left within the Place of Nothingness」と題する、日本左翼についての浅田彰氏へのインタビュー。天皇制に抗する日本共産党と福本イズム・講座派から始まった日本の左翼は、いまや石原慎太郎・小林よしのり・福田和也に対する大江健三郎・柄谷行人・浅田彰・高橋哲哉といった対抗図式に変わったそうです。国会の演壇からコップの水が飛ぶ映像が世界に中継された国ですから、外国からそうみられても、しょうがないのかもしれません。グルーミーな世紀末です。

 「インターネットで世直し」はまだまだですが、「インターネットで歴史探偵」の方は、捨てたものではありません。この間、本HP「2000年の尋ね人」20世紀の謎の暗室」に収められた現代史研究の方で、いくつかの進展がありました。ワイマール期在独日本人関係では、昨年の岡田桑三氏ご遺族からのメールによって、今年はドイツや沖縄政治史の研究で、貴重な成果がありました。1928-30年にベルリン・パリに留学していた当時京大経済学部助教授(統計学)、戦後の京都府革新知事蜷川虎三氏ご遺族から、最近メールで連絡を受けてお訪ねし、貴重な情報と資料の提供を受けました。中には河上肇の未公開資料や留学時代の手紙・写真・住所録もありました。当時の国崎定洞や岩田義道のアドレスまで入っていて、感激しました。ベルリン反帝グループの生き残り、画家の鳥居敏文さんからは、個展を訪れるたびに聞き取りをしています。そこから、パリ在住の画家を中心とした在独日本人反帝グループの姉妹グループ「パリ・ガスプ」に属していた画家田中忠雄のご遺族と、近くお会いすることになりました。ベルリン大学学生井上角太郎と一緒に反ナチ・ユダヤ人救出運動に関係したのでは、と私が推定する竹久夢二について、待望の本が出ました。関谷定夫『竹久夢二──精神の遍歴』(東洋書林)です。先日東京河上会で「モスクワでみつかった河上肇の手紙」について講演したさい、夢二のアメリカ時代を研究してきた法政大学の袖井林二郎教授から、ご教示されました。関谷さんは、「待てど暮せどこぬ人を 宵待草のやるせなさ こよひは月も出ぬさうな」とうたった夢二の有名な3行詩(1912年初出という)を「冬の時代」に「社会主義の到来を待つ」夢二の心象と読んだ医師安田徳太郎の解釈を紹介し、夢二が生涯一度も元号を使わず、どの絵にも西暦年号を記していることに注目して、キリスト者であり社会主義者であった竹久夢二に焦点をあてています。著者の関谷さんは、著名な聖書学者で、西南学院大学教授を長くつとめたアカデミックな方です。私も手紙を交わしたことがありますが、夢二の数多い女性関係についての記述も学術的で、明治天皇暗殺計画とされた大逆事件(1910年)のさい、夢二が平民社に関わる参考人として警察に留置され、そのショックで妻たまきが流産した話も、キリスト者の立場から暖かく紹介しています。無論、神戸女子大学鶴谷壽教授が発掘・確認した夢二とゾルゲ事件被告宮城與徳とのカルフォルニアでの出会い(『夢二の見たアメリカ』新人物往来社、1997年)も描かれていますし、何よりも、これらの話が、私自身が「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪記」に記し探求してきた、1933年ナチス政権樹立時ベルリンでの夢二のユダヤ人救援活動の思想的根拠とされています。夢二の「もう一つのシンドラーのリスト」に焦点をあわせた、初めての学術書です。ユダヤ人救援活動自体の資料は、私も参照している故藤林伸治さんの回想とNHK岡山の取材の域を出ませんが、夢二を一貫したキリスト教社会主義者として描いた点は、画期的です。夢二の「待てどくらせどこぬ人」は、恋人でも社会主義でもありえますが、国会議場にこなかった加藤紘一でも、ペルーに帰国せず突然辞任したフジモリ大統領にも、なりえます。私たちが20世紀を通じて待ちに待って、ついに現れなかったものは、一体何だったんでしょうか? こんな視点から逆に、21世紀と第3ミレニアムのユートピア・ファンタジーを夢見てみましょう。「やるせなく待つ人」もいない人生なんて、やっぱりやるせないですから。

 今回は、ちょっと変わったサーフィンをしてみましょう。アメリカ大統領選挙がらみでアメリカ憲法を読もうと思ってみつけたのが、International ConstitutionsInternational Constitutional Lawページ、世界の憲法が各国語で読めます。イタリア憲法第11条の不戦条項「Article 11 [Repudiation of War] Italy shall repudiate war as an instrument of offence against the liberty of other peoples and as a means for settling international disputes; it shall agree, on conditions of equality with other states, to such limitations of sovereignty as may be necessary to allow for a legal system that will ensure peace and justice between nations; it shall promote and encourage international organizations having such ends in view.」と、日本国憲法第9条「Article 9(1) Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. (2) In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of aggression of the state will not be recognized.」を英語で比べてみると、なかなかスリリングですよ。そこに埼玉大学の憲法学者三輪隆さんから、国会憲法調査会の向こうを張って「市民と憲法研究者を結ぶ憲法Web」立ち上げのメール。大東文化大瓜生洋一さんの研究室も開店、「研究者のためのパリガイド」が面白いです。しばらく休眠していた明治学院大学加藤秀一さんの「思考する惑星」、「旅する読書日記」が再開されて読ませます。圧巻「優生学とジェンダー」年表は、勤務先サイトに移ったようです。おなじみ大阪府立大森岡正博さんの生命学ホームページ、英語版のInternational Network for Life Studiesを開設して、さらに充実です。森岡さんの開店記念に私も英語版リンクページを作ると公約したのですが、やっぱり冬休みの仕事になりそうです。「ミヒャエル・エンデ館」から入った東京・立川市の「賢治の学校」、エンデと宮沢賢治がつながって、自宅の近くにあったのが妙。何を隠そうこの私、実は岩手・盛岡中学(現盛岡一高)の石川啄木・宮沢賢治の後輩で、学生時代は「非凡なる人のごとくにふるまえる、後のさびしさは何にかたぐへむ」の啄木一辺倒だったのですが、社会生活を経てエルゴロジーに近づいてからは、賢治の方が親しみやすくなりました。ご当地ついでに日清食品「全国ご当地ラーメンコンテスト」、必ず近くの店があり、紹介者が明記してあって、結構アタリです。英語版HPにConcentration Camps in the USSR、一橋大学学生向けに来年度ゼミナール紹介をアップ。日経新聞HPに「ITニュース」がありますが、そこで「IT入門」を連載している信州大学鈴木智弘助教授は、なぜか私の学部ゼミの教え子の新進経営学者、「あなたのIT度チェック」をやってみて、エルゴロジーからまた遠ざかった自分に気づき、唖然。21世紀は、本HPも更新頻度を落としましょうか? 「待てど暮せどこぬ人」を探して……。現役学生諸君向けに、2001年度一橋大学加藤ゼミ紹介が入ってます。


「インターネットで世直し」の第一歩は、「ネチズン世論」をつくること!

2000.11.21 「加藤紘一の十日間戦争」は、土俵にもあがらずに、悲喜劇に終わりました。永田町HPの「加藤紘一・改革の広場」も、敗色濃くなると「メンテナンス作業のため、このページでの投稿の受け付けを一時休止しております」。これでは「インターネットで世直し」はできません。やはり世直しは「世」から。ネチズンは地道に「世論」を再構築しましょう!


2000.11.15 まったく21世紀は、不確実で不確定です。アメリカ大統領選挙はフロリダの帰趨が混沌で未だ決着せず、フィリピンではエストラダ大統領の弾劾裁判、そして日本の政局もK氏=加藤紘一の決起で波乱含み。前回更新で夢想した「インターネットで世直し」のシナリオそのままでは進みませんでしたが、「じっと次期政権が転がり込むのを待っていたK氏も、軌道修正」して森首相に挑戦状、のあたりは大体読み通りです。「四面楚歌の『裸の王様』は、ついにキレて強権発動、『伝家の宝刀』を抜いて解散総選挙。折からのアメリカ大統領選挙共産党大会とも重なり、世紀末の政党大分裂と『世直し』『新しい日本』の大政策論争」という「世直し」シナリオも、だいぶ現実味を帯びてきました。でもこの辺からは、毎度おなじみの自民党内派閥抗争がからみますから、私なんかの予測よりも、森田実さんの「森田総研」や高野孟さんの「東京万華鏡」をご参照ください。かつてのK氏の懐刀、自公連立批判で公明党の集中砲火を浴び落選・沈潜中の白川勝彦HPも「加藤が死ぬか、自民党が死ぬか」と元気を取り戻していますよ。これが「旧来の政党を横断した挙国一致型市民派内閣がクリスマスにようやく成立、21世紀の始まりを『55年体制』の名実共の崩壊で飾る」という私のドリームまでいけるかどうかは、一般ピープルの「世論」が、自民党内少数派K氏に利するかどうかにかかっているとか。注目は、日経新聞の内閣支持率、他紙に比べて森内閣支持率は高かったんですが、これが15%を切ったら赤信号でしょうね。過去の時系列データも入っていますから、竹下・宇野・宮沢内閣末期と比較してごらんなさい。キャスティング・ボートを握る公明党も、「世論」には敏感です。でもネチズンとしては、なんとかインターネットの力で「世論」をつくりたいですね。「加藤紘一・改革の広場」もあるけれど、やはり首相官邸自民党公明党サイトに「やめろメール」を集中するのがいいんじゃないでしょうか。日本のインターネット政治の助走段階の試金石です。

 そんななかで、11月20日からは日本共産党の党大会。リビングルームの10月1日号では「インターネットは民主集中制を超えるでしょう」と同党規約改正案の問題点を指摘したのですが、そのさい紹介した「さざ波通信」に対して、不破・志位指導部側が10月20日の『しんぶん赤旗』で「『さざ波通信』と称するインターネット上のホームページにおける、党攻撃について」と題するナツメロ風言論弾圧を開始、「JCPwatch」「さざ波通信」によると、問い合わせには「エセ党員により運営されている日本共産党の敵対分子」と答えるそうで、投稿したとみなされた党員への「調査」という名の「査問」も始まっているようです。党大会代議員そのものは、半世紀もかわらぬコミンテルン型多段階間接選挙で選ばれたようですから、いつもの満場一致=シャンシャン大会で新規約を採択するでしょうが、面白いのは、その過程で党内討論用「学習党活動版」を全文掲載する「日本共産党資料館」や同党「公認党史の比較」を資料として掲げる「日本共産党を考えるネット」のようなデータベースサイトを産みだしたこと。宮地健一さんの先駆的な「社会主義・共産主義」HPや現代古文書研究会の基本資料集をも参照すると、インターネット上のデータだけで、同党のいう「前衛とは不屈性・先見性で『指導』の意味ではない」とか「わが党に『査問』はない」とかいうごまかしは、きかなくなりますね。もっとも「さざ波通信」への弾圧が、共産党系の「みてはいけないサイト」指定や「かえるネット」等の閉鎖にまでつながる時代錯誤も、ありえないことではありません。そうしたら、いまや毎日更新の巨大HPになった有田芳生さん「今夜もほろ酔い」「共産党大会に思う」で告白=告発しているような「査問」が大規模に進んでいる兆候ですから、宮崎学さん「電脳突破党」で実践してきた盗聴法反対キャンペーンのような、ネチズン運動が必要になります。世界のネチズンが、この10年で獲得してきたネット上の自由と権利を守るために!

 こんな世界と日本の動きをよそに、実はしばらく、電子メールも通じない駆け足の旅に出ていました。ウズベキスタンのタシケント、キルギスのビシュケク、カザフスタンのアルマティという中央アジア3国3都市で、シルクロード見物ならぬ「日本の政治」の講演旅行です。国際交流基金の日本研究巡回セミナーでしたが、なにしろ故秋野豊さん殉職の地での初めての試みとあって、現地の日本大使館員がつきっきりで案内してくれました。「短い20世紀」の一方の雄であった旧ソ連社会主義の残した悲惨なツケを、痛感させられました。「モノカルチュア」という言葉があります。普通これは、植民地・従属国が帝国主義本国への特定の一次産品供給を強いられた経済構造を言います。旧ソ連から独立した中央アジアの現在は、まさにそれです。「社会主義的国際分業」のなかで、東欧諸国の多くはまがりなりにも工業化が進められましたが、旧ソ連内の非ロシア共和国は、もっぱら石油・鉱産物や綿花・農産物のモスクワへの供給地でした。それが91年ソ連解体で政治的には独立したものの、経済的には「国民経済」構築不能な構造が残されたのです。道路などインフラストラクチュアも、大学・学校など研究教育施設も、旧ソ連時代の遺物で、修理もままならぬ荒廃ぶり。でも素材の自然はけっこう緑が多く、近郊農産物・中国製衣料中心のバザールは活気に満ちていました。日本資本は採算見通しがたたず情報収集・調査段階のようですが、トルコやドイツの資本が入って近代的ホテルやショッピングセンターも出現し、外国製のクルマも走ってます。韓国製のクルマが多いと思ったら、旧ソ連時代に北部国境から強制移住させられた朝鮮系住民が数十万に及び、中華料理やインド料理は少ないのに、韓国レストランは花盛りでした。日本と日本語への関心も高いのですが、まだまだ絶対的条件が貧困で、ビシュケクの大きな大学でも日本語蔵書千冊程度、日本語教科書を共同利用している有様です。こうした地域に本や教材を送る日本のNGOはないんでしょうか? 日本との関わりで考えさせられたこと。タシケントで一番立派な石造りの劇場の壁には、「1945年から46年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民がこのアリショル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と日本語のプレートが掲げてあります(写真)。アルマティの科学アカデミー東洋学研究所の建物も、抑留日本人の手で建設されたそうです。いわゆるシベリア抑留の犠牲者たちの足跡は、こんなところまで及んでいました。シベリア抑留より遡って、ノモンハン事件で捕虜になり、そのまま住み着いた日本人の子孫と名乗る人もいるとか。旧ソ連の傷跡のすぐそばに、天皇制日本の傷跡も残っていました。20世紀のナショナルな債務を21世紀に清算するには、現地でボランティアで働く数十人の日本人の献身のみに任せておいていいんでしょうか? 歴史を考えさせられる旅でした。

 前回ここで推奨した『ジェンダー/セクシャリティ』田崎英明さんは、書物を補足するPost-phenomenological Political Theory (=PPhPTh、ポスト現象学的政治理論) のホームページをたちあげていました。同じ『思考のフロンティア』シリーズの最新刊吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店)、権田保之助「民衆娯楽問題」に引照した書き出しがあざやかで、上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタデヴィーズ入門』(ちくま新書)とあわせ読むと、最新の理論状況がわかります。その好き具体例が、山本武利『紙芝居』(吉川弘文館)、ほろ苦い面白さです。悩む大国アメリカのミドルクラスについては、かの『働きすぎのアメリカ人』(窓社)を書いたハーバードの女流経済学者ジュリエット・ショアの話題作『浪費するアメリカ人』(森岡孝二監訳、岩波書店)、21世紀の経済学はかくあるべしです。処方箋の方は、山口定・神野直彦編『2025年 日本の構想』(岩波書店)がオススメ、多くの友人が執筆しているからではありませんが、政府の21世紀日本の構想懇談会」報告書よりも、はるかに説得力がありますよ。12万ヒット記念でフリーダ・カーロマウスパッドをお送りした国忠崇史さんも、ご自分の日本労働者協同組合連合会との解雇闘争のホームページを、近くたちあげるそうです。「読書週間」世論調査によると、月に1冊も本を読まない人が過半数なそうですが、市民運動・活字世界とインターネットの相互補完が、どんどん進んでいますね。2か月前に本HP英語ページで始めた旧東独Herder Instituteのクラスメート探しは、残念ながら未だ手がかりなし。こうなったら、辛抱強く待ちましょう。その代わりに、英語ページの目玉の一つ、Special Joke Lecture,"World Ideologies Explained by Cows"にアメリカから新しい投稿があり、第9版をアップしました。「アメリカ民主主義:あなたは2頭の雌牛を持っている。彼らは大統領選挙投票権を持っている。1頭はブッシュに、1頭はゴアに投票した。ブッシュは勝利宣言。ゴアはもう1頭は実は自分への票だったと抗議した」ですって。「日本の超国家主義」や「ロシア資本主義」も面白いですから、ぜひご笑覧を。


加藤哲郎研究室にようこそ! 12万ヒットありがとうございます! 密室「落とし所」つき政権交代もありうるけど、どうせなら世紀末にふさわしく「インターネット政治」で世直しを!

2000.10.27 10月23日、本HPは12万アクセスを記録しました。ありがとうございます。ジャスト12万のラッキーヒットは、東京都品川区在住の国忠崇史さんでした。金沢大学出身で、日本労働者協同組合連合会職員ですが、幹部の使い込みを指摘したら解雇され係争中とか。いわゆる「民主経営」の労使関係は、JCPWで長く議論されているように、日本で民主主義・社会主義を考えるさいの重要な問題です。がんばってください。HPでの公約通り、メキシコみやげのフリーダ・カーロ美術館特製マウスパッドをお送りしました。ちょうどパラリンピックの最中で、藤井一行さん新訳の岩波文庫版トロツキー『ロシア革命史』第2冊が出ましたが、handicappedであった画家フリーダ・カーロは、晩年のトロツキーの恋人でもありました。巨匠ディエゴ・リベラの妻でありながら、自立した画風と人生を歩みました。12万ヒットといえば、毎日数百人の皆さんがアクセスし、更新毎に数千人の常連の皆さんに見ていただいている勘定です。私の書いた本は、売れてもせいぜい1万部そこそこ、学術書は2−3千部が普通ですから、書物の読者と同じ数のネチズンの皆さんと、月2回定期的にコミュニケートしていることになります。 学術サイトとしてはメジャーな一つとして認知されて、ネチズン冥利につきます。メールで判断する限り、HPの読者層は書物とはずいぶん違うようですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 "Academic Resource Guide"最新号に、「学術出版社のインターネット利用」という面白い報告が出ています。最近何人かの出版編集者と話してみると、皆さん「紙の文化」に危機感を持っています。書物が売れない、小売店も出版社も不景気な話ばかり、取次店も洋書輸入店もリストラ中、国会図書館は戦前の本のデジタル化に踏み切り、文部省の大学院優先・留学生受け入れ方針で博士号はどんどん出されるが、少部数で高価になる若手の博士論文を書物にするのはリスクが大きく大変、等々。確かに自分自身を考えても、90年代になって書物へのつきあい方は、大きく変わりました。必要な本は「アマゾン」紀伊国屋Bookwebで取り寄せますから、小さな本屋さんに足を運ぶことは滅多になくなりました。古本もネット検索で全国の古書店に注文できるようになり、戦前在独日本人の研究や戦後沖縄・奄美復帰運動の研究は、ずいぶん楽になりました。19世紀以来のマルクス主義や社会運動史の史資料も、世界中のアーカイフ・サイトを覗けばおおよその見当がつきますから、海外での調査も効率的になりました。では、本は不要になるのでしょうか?

 実はこの12万ヒット記念更新、明日から中央アジアのウズベキスタン、キルギス、カザフスタンに「日本の政治」の講演旅行に出発するため、いつもより早めです。その出発直前に入手できたのが、岩波『日本史辞典』のCD-ROM版。これが実に、使いがいがあります。『広辞苑』CD-ROMと同じ方式で、「ことといlight」という起動ソフトさえ入っていれば、ハードディスクに簡単にインストールでき、CDを持ち運ぶ必要もありません。全項目全文検索もたちどころにできますから、キーワードを入れると歴史の関連事項を並べて読めます。『広辞苑』と併用すれば、世間の用法と歴史的概念とのつながりも見えてきます。「戦後」とか「情報」とか打ち込んで、感銘を受けています。この『日本史辞典』CD、実は自分自身が編者の一人なので、ここでの宣伝は控えめにしたいところですが、見本を使って思わず嬉しくなりました。値段は8,500円でちょっと高めですが、1万2千円の机上版よりお得。敢えて宣伝しておきます。21世紀の辞事典の世界は、確実にデジタル化していくでしょう。でもその先は、エンサイクロペディア・ブリタニカのような広告付きデジタル商業化の方向に向かうのでしょうか、書物との共存が可能なのでしょうか? この3年間のインターネット経験で確実に言えることは、情報収集はネットやデジタル化で飛躍的に便利になりましたが、「じっくり考えて読む」という仕事には、やはり書物かプリントアウトが必要になること。手元に本がないと、線を引いたり、ノートを取ったり、考えながら学ぶ「読書」はできません。『丸山真男集』の予想外の成功に示されているように、「考えながら読む」ためには「紙の文化」が健在で、不可欠なようです。ですからウェブ書評は今後も続けます。「紙の文化」のサバイバルは、良質の書物の提供に尽きます。以前から本HPお薦めの岩波書店『思考のフロンティア』シリーズ田崎英明さんから新刊『ジェンダー/セクシャリティ』送っていただきました。簡潔ですが「親密公共圏」に迫る力作です。

 IT革命とデジタル化の及ぼす影響でいえば、書物よりも新聞の方が深刻。日本の新聞社では、相変わらず「サツまわり」や「特ダネ・特オチ」が生きているようです。そういえば『サンケイ』の特ダネ、外務省OBが文部省の教科書検定に圧力をかけた件は、他紙にはでていませんね。ニュースの取得だけならば、テレビやネットの方が充実しています。「紙の新聞」のできることは、その背景をじっくり解説し、解き明かすこと。あとはテレビ欄と「社説」ぐらいでしょうか。その新聞世界で、久しぶりに『朝日新聞』『読売新聞』の「社説」の論調が一致しました。「首相のこの軽さよ」(10月22日朝日)と「森首相の不見識を深く憂える」(23日読売)──ソウルでイギリス・ブレア首相にうち明けたという、北朝鮮に対する日本側からの「行方不明者として北京やバンコクに移し、そこにいたことにできないか」という拉致問題解決の提案裏話です。なにしろ前回更新で「もはやお粗末を通り越して、あきれるのみ」と評した直後の「事件」ですから、「空いた口がふさがらない」くらいしか評言はありません。体型もスキャンダルまみれもそっくりの中川官房長官がまず詰め腹を切らされ、自民党内からも退陣論が出てきましたから、「森のなか」内閣は末期症状です。ご本人は外交交渉の「落とし所」を得意げにうち明けてしまったんでしょうが、きっと今頃、自民党か公明党の知恵者が、野中幹事長か青木前官房長官にささやいているでしょう。永田町の(非)論理では、政局打開・政権交代にも「落とし所」がある、「水に落ちた犬」を打たなくても密室謀議で倒すことはできるし、「裸の王様」に「花道」をちらつかせて代えることもできる、と。

 でも、ネチズンの立場からすれば、これでは面白くありません。こんな「インターネットで政権交代」のシナリオは、どうでしょう? 朝日でも毎日でもいいですが、大新聞ニュースサイトのトップに「森喜朗(しんきろう)失言集」「首相の今日の失言」特集欄が登場、読者の要望で読売サンケイHPもこれに追随、ついに日経新聞までが同種の欄を開設して、一部財界人の退陣要求の声も掲載。中川官房長官の愛人問題に続く森首相自身の買春疑惑世界のフェミニスト運動が抗議のよびかけ、怒った市民たちの手で、国内でも韓国「落選運動」なみの「政権交代運動」「バーチャル不信任投票」が盛り上がる。それでも居座る森首相に、駅頭ノートパソコン署名やiモード携帯一発クリック不信任運動から、首相官邸自民党公明党保守党サイトに辞任勧告・抗議メールが殺到、ついに首相官邸サーバーはダウン。じっと次期政権が転がり込むのを待っていたK氏も、軌道修正して自派の閣僚を12月内閣改造前に引きあげるといいだす始末。四面楚歌の「裸の王様」は、ついにキレて強権発動、「伝家の宝刀」を抜いて解散総選挙。折からのアメリカ大統領選挙共産党大会とも重なり、世紀末の政党大分裂と「世直し」「新しい日本」の大政策論争。エルサレムやピョンヤンでの世界的政治変動に東京も駆け込み、旧来の政党を横断した挙国一致型市民派内閣がクリスマスにようやく成立、21世紀の始まりを「55年体制」の名実共の崩壊で飾る、なんていうシナリオは。だれです、どこか地中海の先進国でむかし起こったそうだ、海のない県の知事選挙で最近実際にあったことみたいだ、なんていう人は。よく勉強してますね。でもアメリカ大統領選挙をみても、長野知事選衆院東京21区補選をみても、「インターネット政治」は、確実に領分を広げていますよ。明日から2週間ほど、たぶん電子メールも通じません。帰国後こんな夢が正夢になっていてくれれば、故秋野豊氏の市民外交ルートの近くを巡る私のシルクロード紀行も、実りあるものとなるでしょう。ネチズンの皆さんの奮闘に期待しています! 


金大中のノーベル平和賞はホンモノ、では金正日の運命は? 「エシュロンの陰謀」にご注意を!

2000.10.15  ユーゴスラヴィアのミロシェヴィッチ独裁が、ついに打倒されました。「最後の東欧革命」とか「遅ればせの東欧革命」と評されていますが、この地域の問題では日本の新聞はあまり信用できないので、まずは千田善さんHPの解説を参照。やっぱりコシュトゥニツァ新首相も、頑固なセルビア民族主義者のようです。朝鮮戦争以来のアメリカと北朝鮮の歴史的和解、しかし、北朝鮮の政治体制はどうなるのでしょう? 「国民政党」をめざす日本共産党規約から「人民」が消えそうなので、ヤフーで「人民」を検索してみると、圧倒的に多いのは「朝鮮民主主義人民共和国」「中華人民共和国」の関連サイトです。「現代コリア・オンライン」や「北朝鮮に情報公開を求める市民の会」のほか、北朝鮮寄りの「朝鮮民主主義人民共和国を正しく知るために」「自主の会」HPもあります。でも、高沢皓司『宿命──「よど号」亡命者たちの秘密工作』(新潮文庫)を読了したばかりなので、北朝鮮側情報は、どうしても裏読みしたくなります。いかに金大中韓国大統領のノーベル平和賞受賞が喜ばしいとはいえ、交渉相手の金正日は、ユーゴスラヴィアの映像と重なります。「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)」HPでは、李英和「北朝鮮の民衆を忘れるな!」が、「太陽は独裁者のマントを脱がせることができるか」と問いかけています。私自身、ネット上の北朝鮮政治犯救援・人権サイトを支援し、英文「Concentration Camps in the USSR--- Their Destructive Social Impact」という講演を行ったのは、かつて旧ソ連で膨大な無実の人々の生命を奪った強制収容所が、今日の北朝鮮に存在していると考えざるをえないからでした。最近、沖縄祖国復帰運動との関連で朝鮮戦争勃発の経緯を調べ直しています。朝鮮戦争が朝鮮半島に留まらず、20世紀後半の世界「冷戦」と日本の「高度成長」に大きな影を残したことがわかります。21世紀の行方を占ううえで、朝鮮半島からは目を離せません。

 金大中の歴史的な北朝鮮訪問、アメリカ大統領選挙のテレビ討論や中国朱鎔基首相の日本市民との対話を見るにつけ、日本の政治の今は、色褪せてきます。「国権の最高機関」国会では、野党欠席のままで参院非拘束名簿式導入案が特別委員会を通過、かつての「全国区」の再登場で、何のための「政治改革」だったんでしょうか? 行政のトップ森首相はというと、新聞の動向欄では連日の料亭・宴会通い、ノーベル平和賞直前の金大中大統領来日時の会談は地元石川県支持者の系列ホテル、そこでの記者会見中に居眠りしたり、沖縄普天間基地移転先「15年期限」はアメリカ側から認められたと思いこんで失言したりと、もはやお粗末を通り越して、あきれるのみです。でも、それが対外的には日本国の代表であり、世界第二の経済大国の哀しい世紀末です。それは政治学の責任だ、というお叱りも、ありうるでしょう。10月7−8日名古屋の日本政治学会では、「なんのための政治学?」が論題になりました。答えはでませんでしたが、現代日本の政治学の一つの重要な機能が、学生に対する政治学教育であり、デモクラシーの市民育成であるという点では、共通の理解がありました。しかし、その「民主主義的市民」の内実が、政治学者の価値観・世界観と関わり、一義的には定まりません。「民主主義とはよきリーダーシップの選出」とシュンペーター風に定義してしまうと、あんな首相が生まれたのは、世論が反映されない密室談合政治のせいだ、憲法を改正して首相公選制にしよう、となりかねないのです。正しい認識命題から正しい政策命題が出てくるとは限らないのが、政治です。「政治改革」のなかで小選挙区制が導入されるさいに、民意を忠実に反映する比例代表制では多党が分立し不安定になるが、小選挙区制は死票があっても安定した二大政党制になる、と注釈されました。そんな理論通りに行かないのが政治で、議院内閣制と大統領制のどちらがすぐれているとは、かんたんには言えないのです。そういえば、宮地健一さんHPの情報によると、日本共産党は、規約に続いて、綱領も早期に変える意向のようですね。関心のある方に、謎解きのヒント。まずは同党の現行綱領・規約に「階級」「人民」「民族」「国民」「市民」という言葉が、それぞれ何回ずつ、どんな文脈で出ているか、調べておきましょう。次に、改訂案が発表されたら、それがどう変わったか、チェックしましょう。この党の目指す方向が、見えてきますよ。

 前回、アメリカ国家安全保障局の情報監視システム「エシュロン」について書きました。「ネチズンの敵」と名指ししたためでしょうか、早速報復を受けました(?!)。 一つは、コンピュータ・ウィルスの侵入。マッキントッシュは大丈夫だろうと、フリーソフトDisinfectantを時々使うだけだったのですが、ある日、某所に送った原稿が汚染されているという相手方からのメール。あわててNorton AntiVirusを購入しチェックしたら、Disinfectantの死角であるWord Macroが汚染されて、9月末にWordで作った論文・メモ数本が感染していました。しかもその一つは、10数人に添付ファイルで送付済みのもの。あわてて汚染ファイルの削除とウィルスチェックをお願いし、被害は最小限に留めましたが、これが大学のメインサーバーや出版社サーバーに感染し不特定多数にまわっていたらどうなっただろうと、冷や汗をかきました。ノートン・アンティ・ウィルスで割り出した感染源は、中国某大学某先生からのメール。日本語OSがなくて、Wordソフトで日本語文を添付していたのですが、それを開いた私のコンピュータのWordソフトに入り込み、その後開いたすべてのWord製文章に感染したようです。少数派マック族の悲哀で、絶対多数派ウィンドウズから送られてくる文書を読むためにインストールしたMac版Word が、裏目に出たようです。もう一つは、カミナリ。私の自宅のデジタル環境は、6月に地元CATVのインターネットサービスに加入し、すっかり快適になりました。そのためISDNはほとんど使わなくなったのですが、たまに別室で使うノートパソコンは、ISDN接続です。そのISDNが、数週間前から、いつプロヴァイダーにかけても「話し中」の状態になりました。Nifty の料金値下げで加入者が急増したのだろうかといぶかっていたところ、たまたま旅行先から同じ番号にかけたら簡単につながって、どうやら自宅の配線に問題がありそうだと気づきました。それからが大変。ISDNにつないだ2台のパソコンとTA・モデム・接続ソフト、日常的に使うホームテレフォンと各室の子機、ドアホン、ファクス等のコード・モジュラージャックをつないだりはずしたりでチェックしているうちに、ついに混線して電話もインターネットもつながらない状態になりました。思いあまってNTT113番に電話し、テスターでみてもらったところ、なんと、DSUそばの主電話につないだ1台目TAのデジタルデータ通信ラインが壊れており、アナログ電話機能は問題がないまま、2台目・3台目のパソコンTAが効かなくなっていたのです。実はこの事故、私は日本を離れていて知りませんでしたが、雷雨の多かったこの夏以降、多摩地区では頻繁に起こっているそうです。たまたま我が家の1台目TAはCATV開通以後パソコンからはずしてあったため、気がつくのが遅れたのですが、NTTの技術屋さんの話では、カミナリによるTA故障で、よくあることだとか。あのインドの電力・電話事情でもなんとか通じたパワーブックG3を、あやうく見限るところでした。いや、ウィルス攻撃といい、カミナリ攻撃といい、やっぱり「ネチズンの敵=エシュロンの陰謀」と考えたいですね。皆様もご注意を! 次回更新は、デジタル環境未知数の中央アジア旅行のため、少し早めに渡航前としておきます。


インターネットは「民主集中制」を超えるでしょう、でも「エシュロン」を超えることはできるでしょうか?

2000.10.1  シドニー・オリンピックは終わりました。女子マラソン高橋尚子さん金メダルの朝、研究会合宿で滞在した日光中禅寺湖畔のホテルのチェックアウトを遅らせてテレビに首っ引き、やっぱり感動しました。ゴールした後の笑顔が、いきいき輝いています。さわやかな朝でした。20世紀を「女性の世紀」と位置づける議論があります。アボリジニの最終聖火ランナー、キャシー・フリーマンさんも金メダル。別に日本のメダルが女性上位というだけでなく、今大会の主役は、女性たちでした(野球とソフトボールの非対称!)。ジェンダーとマイノリティの視点から振り返ると、20世紀が「戦争の世紀」という負の遺産だけではなかったことに、思い至ります。オリンピック期間中は、シドニー在住の日本人鈴木学さんの「Manachan's World :シドニー日記」を時々覗きながら観戦しました。現地の歴史や風土にあわせてテレビを見ると、面白さも倍増します。インターネット上には、そんなご当地サイトが、無数にあります。バングラデシュの延末謙一さん、旧ユーゴスラヴィアの千田善さんHPは、私のリンク案内にも入れてあります。大野彰得さんの「駐在員のみたドイツ統一・旧東独」は、私が英語サイトで始めたドイツ語学校同級会のよびかけ作成のさいに、大変有益でした。小熊英二さんの『インド日記』は活字になって(新曜社)ネット上から消えましたが、小森田秋夫さんの「ポーランド法の話題」や五十嵐仁さんの「アメリカ便り」は、ひそかに愛読しています。今月下旬から中央アジアのカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンを訪れることになり、ベーシックな情報は外務省の「ワールド・ジャンプ」やジャイカの「任国情報」でわかるとしても、もっと身近な生活情報・旅行情報はないかと探したら、ちゃんとありました。石橋のりさんの「世界放浪日記」には、この3国の「リアルタイム世界旅行記」がしっかり入っています。うれしいことに、電源ソケットやモジュラー・ジャックの接続情報もあります。下手なガイドブックよりも最新確実な情報が、今ではインターネットで簡単に入手できるのです。私の「ベルリン便り」「メキシコ便り」も、そんなかたちで使われていたら、ネチズン冥利に尽きますね。

 インターネット上でも、日本共産党の規約改定案が話題になっています。なにしろ「前衛党」をやめて「国民政党」になりたい、というのです。すでに「JCPwatch」「さざ波通信」では、ホットな議論が展開されています。宮地健一さん宮崎学さん五十嵐仁さんらは、それぞれの立場から、ご自分の見解をHPに発表しています。共産党支持者の「かえるネット」「レッド・ホット・チリ・パーティ」でも討論されていますから、世紀末にふさわしい「事件」だったのでしょう。2年前に「インターネットは民主集中制を超える」と『朝日新聞』で予言した(?)私としては、このネット上での百家争鳴は、我が意を得たりです。今回も某テレビ局やいくつかの新聞社に追いかけられましたが、大学院入試と9月締切原稿の真っ最中で、コメントはお断りしました。でも畏友有田芳生さんも「時代を読む眼」ご自分の見解を発表するそうですから、ちょっぴりふれておきましょう。私は旧ソ連秘密資料を含めて、戦前のコミンテルンと日本共産党の歴史を研究してきました。ネット上の「早稲田1950年」「私記・琉大が燃えた日」を貴重な歴史の証言と考え、川上徹さん高野孟さん宮地健一さんらの「査問」体験記を、憤りをもって読みました。ですから同党の規約改定自体は、来るべきものがようやく来た、と感じます。「前衛党」削除や「名誉議長」廃止は、私自身の10年前の提言「科学的真理の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に」と重なります。でも、その提起の仕方も、基本的内容も、討議のやり方も、いただけません。不破委員長や志位書記局長は、1年前から検討を始めたそうです。ちょうど「さざ波通信」が生まれた頃です。やがて日本共産党の巨大HPには、「『さざ波通信』なるものは、わが党といっさい関係ありません」という、奇妙な断り書きが現れました。それなのに、この9月に規約改定が提起されることは、中央委員も、名前が変わるであろう機関誌『前衛』編集長氏さえ、知らなかったそうです(不破氏によれば、「前衛」とは「先見性」という意味なんだそうですが!)。「民主集中制」の「下級は上級にしたがい」とか「全党の利益を個人の利益の上におき、だれでも党の上に個人をおいてはならない」はなくなるそうです。でも「分派はつくらない」は残りますし、「党の決定に反する意見を勝手に発表することはしない」といった包括的権利制限規定はむしろ改悪です。「権利」に先行していた「義務」は「権利と義務」と改められましたが、内容は相変わらず「義務」優先です。「国民政党」になって規約から消えるのは、実は「人民」という言葉です。「党は、創立以来の『国民が主人公』の信条に立ち」などという表現は、「わが党に査問はありません」という選挙ビラと同じくらい、不誠実で「人民」を愚弄するものです。戦前の共産党文献をひもとけばすぐにわかるように、「国民が主人公」などと言ったことはなく、「査問」はいくらでもありました。なによりも、党役員や大会代議員の選出方法が基本的に変わらず、自らの20世紀の歴史をきちんとふりかえることなく、21世紀選挙向けの、言葉の表層でのリップサービスだけが先行しています。

 リップサービスにも節度は必要でしょう。同じ中央委員会での報告中に、「自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりないが、これが一定期間存在することはさけられないという立場」にたち「必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を、国民の安全のために活用することは当然である」という論理と、「違憲の政党助成金をわが党が受け取るということは、国民への背信行為になります」という弁明が同居しているのには、笑っちゃいます。上の二枚舌の文章、どちらも共産党HPからのペーストですが、「必要にせまられた場合」にはやっぱり政党助成金も受けとりたいとしか、読めませんよね。おまけに前大会時「3千字以内」だった党内討論が「2千字以内」に切りつめられ、しかも「事実と道理にもとづかない誹謗・中傷・悪罵に類するものは掲載しません」と批判的意見の事前検閲を公言しています。幹部が密室で1年かけて作った案を、一般党員は1月討論したら「ハイ、おしまい」ですから、行きつく先はみえています。党のアイデンティティに関わる問題なのに、なぜ1年かけてでも討論しないのでしょうか? 日本の政党で一番立派なホームページがあるのに、なぜネット上に討論欄を設けないのでしょうか?  あの「スターリンの長女」といわれたフランス共産党でさえ、90年代にまず「民主集中制」を放棄し、党の歴史や理論は広く学者の審判に委ね、「汚れた過去」の記録を自らネット上に公開し、「分派」や「反党分子」として追われた人々を「名誉回復」し「復帰」をよびかけたというのに(もっとも戻った人は、ほとんどいなかったようですが)。「私はあなたの主張に反対である、しかしあなたの主張を抑圧しようとするものに対しては断固としてたたかう」──これが、言論の自由の原点です。私は『さざ波通信』とは時代認識も政治的意見も異にし、むしろ批判的な立場ですが、そうしたネット上の自由を抑圧しようとする試みに対しては、断固として反対します。皆さん、「エシュロン」って知っていますか? Infoseekで検索すればたちまち悪魔の相貌があらわれる、グローバルな「ネチズンの敵」です。日本の三沢基地も組み込まれているという、アメリカ国家安全保障局の人工衛星経由の情報監視システムで、世界中の電話・ファクス、インターネット・電子メールの盗聴が行われています。こうした「巨悪」と真面目にたたかう限りでは、私は逆に、共産党とも自民党とも一緒に行動します。わが英文サイトで始めた ライプチヒ大学ヘルダー・インスティテュートのクラス会のよびかけには、私にもドイツのヤシム君にも、未だ返事来たらずです。ひょっとしたらエシュロンの網にかかり、どこかでクラスメートの誰かが監視されているのかも。まあそれでも、21世紀のネチズンシップと自由の前進を信じましょう。20世紀が「国民国家と戦争の世紀」であったと共に、「女性とマイノリティの世紀」でもあったように!


インターネットと携帯電話の時代の「危機管理」って何でしょう?

    2000.9.15 夏休みも終わりに近づき、ゼミナールの学生20数人と一緒に、沖縄に行って来ました。3泊4日往復航空券・ホテル・レンタカー付き3万2千円という、大学生協斡旋超格安団体パック旅行です。この1年で3度目の沖縄行ですが、信じられない安さに何かがあるんでは、と案じていたら、案の定、さんざんでした。羽田出発は何とかなりましたが、夕方の便で、到着日は現地で夜しか使えません。薄暗くなって着いた那覇空港のカウンターで、ホテルへはレンタカー6台を連ねて勝手に行ってくれ、とのこと。免許とりたてを含む運転手6人を急いで調達し、なんとか市内の安ホテルへ。ところがバウチャーに書かれたホテルでは、予約が入っていないといわれ、あわてて東京の旅行代理店と連絡つけて、何とか部屋の空いているそのホテルに20数人を詰め込み。ただしそこは1泊のみで、翌日からは別のホテルへ移ってくれという話。夜9時にソーキそばで遅い夕食、10時に何とか入室したものの全員ぐったりで、基地問題の勉強会どころではありません。しかも、翌日午後からは台風14号で沖縄中がマヒするだろうという暗雲立ちこめる話。あわてて予定を組み替え、普天間・嘉手納基地視察、名護のサミット会場と辺野古のキャンプ・シュワプ訪問を2日目に入れて、学生たちと基地問題の実体験。台風の歩みが遅れて、なんとか2日目は強風程度でもったものの、3日目は風速40メートルの暴風雨で、一日中ホテルにカンヅメ。移ったホテルは国際通り歓楽街からも遠く、電話は旧式交換器でインターネットも電子メールもままならず。近くの首里城見学もできぬまま、携帯電話のみが大活躍。特別学習会を入れてもヒマをもてあました学生たちは、「台風体験」と称して外出しましたが、近くのコンビニまで歩くのがやっと。私も外に出たら、あっという間に眼鏡が暴風で数十メートル飛ばされ、学生諸君の人海作戦で何とかみつけだしたものの傷だらけ。食事も沖縄まできてホテルから一歩も出られず、中華料理のバイキングという情けない顛末。けっきょく夜の部だけが盛り上がり、「平和の礎」も「ひめゆりの塔」も見られぬまま、4日目昼の便でなんとか帰京へ。前日航空便が全面ストップだったため、パック旅行券で帰れるかとひやひやしましたが、ほうほうの体で全員無事東京に戻りました。

 もっとも「プラス思考」を働かせれば、これもいい体験。台風と集中豪雨は、名古屋をはじめ「本土」も同じでした。沖縄現地の人々にいわせれば、9月中旬はこんなもので、台風がくるのも年中行事のひとつ。一回離れてまた戻ってくる「迷走台風」なんていうのもあるそうで、鉄道のない沖縄では、公共交通のバスが止まればすべてはお休み。公立学校は二日間臨時休校で、首里城もみやげもの屋も、ドアをしっかり打ち付けて閉まっていました。自然の脅威に歯向かうのではなく、しっかりつきあいながら飼い慣らす、自然流のんびり型「危機管理」です。この時期の3万円パック旅行は、こんなリスクを先刻ご承知の本土観光産業のアイディアで、シーズンオフで空き部屋の出る沖縄のホテルとタイアップした、マネーゲームでしょう。うまくいけばラッキーですが、運が悪いと空港泊キャンセル待ちになるギャンブル旅行です。そんな現実を、「本土」の若者たちがちょっぴり味わえたのですから、まあ、良しとしておきましょう。

 そういえば、夏のヨーロッパでも、こんな体験がありました。ベルリンからケルンの友人ヤシム君宅に飛んだ時、ベルリン空港で乗り込んだマシーンが整備不良で突然フライトがキャンセル、ケルン空港に迎えにきているはずのヤシム君にも連絡できず、次のケルン便は4時間後ということで、やきもきしました。ルフトハンザは素早く、定刻1時間後出発のデュッセルドルフ行きに急ぎの乗客を振替え、デュッセルドルフ空港からケルン空港へ自社バス40分で移送する対策をとりました。遅延を2時間程度にとどめる「危機管理」です。空港放送でメッセージも送れるということで、出迎えのヤシム君にも延着を伝言。デュッセルドルフ便は予定通りのフライト、ここまでは完璧の「危機管理」でした。マニュアルが狂いだしたのは、デュッセルドルフ空港からケルン空港への移送バスの中。当初はフライト・キャンセルの補充ですから、両空港間はアウトバーンで直行し遅延は2時間以内で済ませる、と断言していた「危機管理」担当乗務員氏が、携帯電話で刻々本社と連絡をとっていた一人のエリート・ビジネスマン氏の途中下車要求に耐えかねて、アウトバーンからいったん降りてケルン中央駅で希望する乗客を降ろすことを、認めてしまったのです。いったん一人の要求に応じてしまうと、次の角でおろしてくれとか、我が社の契約に重大な影響があるから○○通りのビルにもまわってくれという要求が相次ぎ、おまけに一般道路の夕刻ラッシュアワーにぶつかって身動きできなくなり、けっきょくデュッセルドルフ空港からケルン空港まで40分の予定が3時間半もかかって、延着は5時間以上となりました。ベルリンでじっくり待って、次のケルン便に乗った方が早かった結末でした。ヤシム君はケルン空港で辛抱強く待っていてくれましたが、その間ルフトハンザから延着伝言は届いたものの、その後は何時に到着という連絡は全然なかったとのことで、二人で「ドイツ人は融通がきかない」などと憤慨したものでした。

ところが、後で冷静に分析してみると、ここでの「危機管理」の問題点は「融通がきかない」ではなく、むしろ空港間移送バスの乗務員が「融通をきかせて」マニュアルからはずれた途中下車を認めたこと、そうせざるをえなかったのは、携帯電話を持ったエリート・ビジネスマン乗客氏の刻々変わる企業情報にもとづく要求に乗務員氏が動揺し屈服してしまったことだった、と気づきました。他の多くの乗客は、いったんケルン空港まで行ってケルン市内に自分で出る方策を認めていたのですから、この情報過多のエリート・ビジネスマン氏には、航空会社がタクシーでも世話しておけばよかったのです。携帯電話(ドイツでは「ハンディ」と英語風に呼んでいました)やインターネットの普及が、こんなかたちで「危機管理」のあり方を変えてしまった一例です。日本の格安団体パック旅行の、レンタカー6台で初めての空港から勝手に動けというポリシーも、どうやら運転免許と携帯電話が個人に行き渡った社会を前提とした、ナウイ新ビジネスのようです。ただし、「危機管理」マニュアルの方は、ルフトハンザと同じく旧型で、琉球の離島では孤立組、那覇空港では空港泊・キャンセル待ち組がいっぱい出たようですが。

 10万ヒットも111,111ヒットも通知はありませんでしたので、記念品は12万ヒットの方にリザーヴしておきます。本HP英語ページで、新しい試みを始めました。ヤシム君とケルン郊外で打ち合わせた、旧東ドイツの ライプチヒ大学ヘルダー・インスティテュートのクラス会を、インターネットを通じて呼びかける壮大な(無謀な?)計画。もともと本HPの「2000年の尋ね人」を、英語ページでも"Wanted! Information about Missing Japanese in the USSR in the 1930s!"というかたちで進めていることをヤシム君に話したら、それなら同窓会のよびかけをインターネットを通じてできないだろうか、というアイディアになって具体化したもの。なにしろ時は28年前、所は今は亡き旧東独国家での出会いで、ちゃんとした名簿もなく、たまたま寮の部屋が同じだった日本人とバングラデシュ人が、うろおぼえで記憶している友人たちへの呼びかけです。しかも相手は、旧ソ連や旧ユーゴスラヴィア、東欧諸国やインドネシアなど、その後に歴史の激動を経験した国々の人たち、手がかりといえば、古いアルバムに残された、当時は最先端だった日本製カメラで撮ったスナップ写真程度、はたして世界のどこからか、何らかの反応は、現れるでしょうか? 乞う、ご期待!?


開設3周年の加藤哲郎研究室にようこそ! 「労働は人間を自由にする(ARBEIT MACHT FREI)」って、本当でしょうか?

2000.9.1  今年も、ドイツで夏を過ごしました。暑いのはヨーロッパも同じでしたが、あのバカンスの雰囲気は、独特です。大学に行っても、教授も秘書もみな休暇中。図書館はわずかな時間開きますが、それも担当係員が休暇に入ればおしまい。でもだれも文句などいいません。みんな、ゆったり休むのです。定点観測地フンボルト大学のゲストハウスを離れ、ケルン郊外の友人ヤシム・アハメッド君宅を訪れて、しばしの休養。彼は心臓を悪くして失業中、カローラ夫人は保険会社で働く普通の労働者ですが、長期休暇中。でも、優雅な生活です。ドイツでは平均的な郊外労働者住宅ですが、日本風には百坪以上の広い庭に池があって、大きながま蛙が棲んでいます。日本なら錦鯉を泳がせる、そんな池です。同じ大きさのお隣りでは、10メートルプールとミニゴルフコースにしています。こちらは盆栽と家庭菜園とリンゴの木々と花々で、間にベンチが三つほど。デッキチェアに寝そべって、のんびり本を読みます。ヤシム君の故郷バングラデシュの悠久の音楽が、バックグラウンドに流れます。夜はもちろん、ホームパーティです。失業中の主夫ヤシム君の、カレー料理の出番です。こちらは日本から持参したテンプラ粉でチャレンジ。材料など買う必要はありません。庭のナスにピーマンにポテトにニンジンで充分。ビールもワインも地元特産です。ゆっくりビールを傾けて、失業者のヤシム君に「日本なら億万長者(Millionaer) の暮らしだぜ」と冷やかすと、「それは日本がクレージーで、マネー中毒なのさ」ときり返される。旧知のドイツ人外交官氏が、日本に出張した時驚いた「ラッシュアワー」と、総理大臣の名前で朝8時からの公式パーティに招待され着るものと飲みものに苦労した「ワーカホーリック」見聞記を挿入。ドイツの通勤電車なら自転車も乳母車も車椅子もOKですから、女性たちが深くうなずきます。全くその通りです。夜空には星がいっぱい。近所のあちこちで親しい友人を呼んでのパーティがあるらしく、遠くの方からはダンスミュージックも。ローソクのランプで清談。夜もずーと長い感じ。

 かつて20世紀に共に「勤勉」といわれ、世紀の前半に同盟を組んで世界制覇をもくろみ敗れたドイツと日本、それが世紀の後半で、どうしてこんなにもライフスタイルが違ってしまったんでしょうか? こんな感想を持ったのも、ケルンに飛ぶ直前に、ベルリン郊外ザクセンハウゼンの強制収容所跡を訪ねていたから。1936−45年に、ユダヤ人や反ナチ活動家20万人を収容していた、ホロコースト遺跡です。その入口の標語は、アウシュヴィッツもブーヘンヴァルトも同じで、「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由にする)でした。「労働を通じての人間の自由」──それが死に至る館に掲げられたのは皮肉ですが、ナチスの正式党名は国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)、「労働」は柱の一つでした。事実、ナチ時代のドイツ経済はワイマール期を上回る成長を見せて、後に「ナチズムの近代化効果」という問題になります。ナチスと敵対し、「プロレタリア独裁」を掲げた旧ソ連も同じでした。「労働者こそ主人公」とされ、「労働英雄」をつくるスタハーノフ運動や「土曜労働」奨励、さらには「人民の敵」を鉄道・運河建設に強制動員する「収容所列島」が集権的計画経済にビルトインされていました。猿が人間になるにあたっては「労働の役割」こそ決定的だった、資本主義の「疎外された労働」は社会主義では克服され「労働が喜びになる」というイデオロギーをも伴って。ザクセンハウゼン収容所は、戦後も存続されました。1945年から50年まで、ここは、ソ連軍に占領された旧東独地区であったため、ナチスのユダヤ人収容所が、そのまま旧ソ連に反対したり社会主義・共産主義の批判をした約6万人の「政治犯」を収容し、1万2千人の命を奪ったのです。入口の「ARBEIT MACHT FREI」は、そのまま掲げ続けられました。「労働」は、本当に人間を自由にするのでしょうか? そもそも「労働」は、本当に人間の本質で、不可欠の社会的紐帯なのでしょうか? ナチスのホロコーストと、旧東独社会主義の経験をくぐって、ドイツの民衆は「ナイン(ノー)」という回答を、実践的に見出したように思われます。「滅私奉公」が「天皇」から「会社」へと乗り移り、いまなお「IT革命による(バブル?)景気回復」を夢見る日本とはちがって。

 こんな「ARBEIT MACHT FREI」への本質的異議申し立てを述べた、ドミニク・メーダ『労働社会の終焉』(法政大学出版局)の書評を、ドイツ出発直前に書き、『エコノミスト』9月5日号に発表しました。ザクセンハウゼン訪問と、ヤシム君宅滞在は、それを裏付けるものとなりました。ちょうどフランクフルト社会研究所留学中の住沢博紀さん(日本女子大学)から、住沢・堀越栄子編『21世紀の仕事とくらし』(第一書林)を送っていただきましたが、住沢さんは「19世紀(階級国家)=所有と労働」「20世紀(国民国家としての大衆国家)=生産と消費」「21世紀(グローバル市民社会)=情報革命と共生」と整理しています。「労働」への距離は微妙に違いますが、メーダと共通する視角です。ドイツでも「情報革命」が進み、インターネットのつながり具合は、毎年確実に良くなっています。ヤシム君宅のISDNから、3つの国籍をもつ4人で集まって、私の英語版ホームページに入りました。ヤシム君が面白がって英語版ヤフーで「Tetsuro KATO」と打ち込んだら、同姓同名の化学者の英文論文も含めて、700近いサイトが表示されました。開設3年で、いつのまにやら世界中からリンクされたらしく、特に英文「過労死」論文「ワーカホーリズム」批判の引証が目立ちます。いくつか入って見ると、なんとILO(国際労働機構)の公式サイトに、ロブ・スティーヴンとの共著『日本資本主義はポスト・フォード主義か?』が「労働」研究参考文献として挙げられ、そこから派生して「労働ストレス」国際研究ネットに組み込まれたらしいのです。「Carl Webb's Revolutionary Japan Web Page」なんていう日本の左翼サイト紹介にも使われているらしく、赤面。本HPの著作・論文一覧にも入っていない、東京のある講演会で昔話した内容が、「Concentration Camps in the USSR--- Their Destructive Social Impact」という立派な英文論文に訳されて、ネット上に存在したりします。ネットサーフィンも、ドイツで試みると、スケールが大きくなります。日本に詳しくない友人たちに、英語のオキナワ関連サイトを紹介しておきました。

 今夏の旅では、『大原社会問題研究所雑誌』5月号に発表した「『非常時共産党』の真実──1931年のコミンテルン宛報告書」とも関連して、「竹久夢二探訪記」にある「在独日本人反帝グループ」の井上角太郎探求で、大きな進展がありました。私の『モスクワで粛清された日本人』267頁以下に、1934年夏にロンドンからモスクワに入って野坂参三宛の手紙を国崎定洞に渡そうとしてKGBの監視記録に残された「イノウエ夫妻」が出てきます。その有力候補としていた北海道出身の「井上角太郎」は、ナチスの政権獲得当時ベルリン大学経済学部学生で、スイス国籍ユダヤ人の恋人ヘレーネと共にロンドンに亡命した後も、ドイツでのユダヤ人自身による反ナチ地下抵抗運動を助けていました。また国崎定洞ら在独日本人の反ナチ反戦グループに友人を持ち、竹久夢二のユダヤ人救出活動を通訳として助けた可能性の一番高い人物です。この井上角太郎・ヘレーヌ夫妻の長女エヴァさんにお会いし、ウィーン在住のヘレーヌ夫人の実兄(やはりユダヤ人反ナチ闘士で、現在90歳で健在)の証言として、井上角太郎・ヘレーヌ夫妻が「確かに1934年夏モスクワを訪問した」こと、その後も長くユダヤ人の反ナチ抵抗運動にたずさわっていたことを、確認できました(写真は1950年代ニューヨークから日本訪問時の井上角太郎一家)。経済学志望の井上角太郎にベルリン大学留学を勧めたのは「当時の日本の有力な経済学者」なそうで、これは井上についての証言を残したベルリン大学での友人、故小林義雄専修大学教授のケースに照らして、国崎定洞の親友有澤広巳(当時東大経済学部助教授)である可能性が強まりました。残念ながら竹久夢二との直接的つながりは見いだせませんでしたが、夢二の1931−33年欧米滞在時のスケッチ画集をエヴァさんに渡して、井上夫妻の周辺に夢二の絵がないかどうか、探索を頼んできました。歴史の結び目が、またひとつ解けました。しかしそこから、新たな謎が生まれます。「国際歴史探偵」の旅は、まだまだ続きそうです。


開設3周年の加藤哲郎研究室にようこそ! 日本の敗戦記念日・丸山真男忌は、21世紀都市ベルリンで迎えました。エキサイティングです!

2000.8.15 本HP開設3周年の今回更新は、ベルリンで迎えました。1945年日本の敗戦記念日であり、1996年丸山真男の没した日でもあります。昨日入った方は、予定日に更新されていなかった、とおっしゃるかもしれません。それは、日本時間だからです。ヒロシマの原爆投下は、日本時間では1945年8月6日朝8時でしたが、ヨーロッパもアメリカも、まだ8月5日でした。古代から現代にいたる戦争の歴史を統計的に解いた研究が、戦争は春の種蒔きから秋の収穫の間、6−8月期に始まることが多いと法則化したところ、いやそれはわが国では真冬だと、オーストラリアの研究者がコメントしたことがありました。こんな地球上での時差や季節のズレが、歴史感覚のズレにつながることもあるようです。私はいま、日本の各新聞の8月16日付け朝刊ニュースをインターネットで覗いた上で、ベルリン時間の8月15日夜に更新中です。ウェブニュースの限りでは、終戦記念日の諸行事よりも、南北朝鮮離散家族の涙の対面や高校生殺人事件の記事が多いようです。日本の敗戦記念日が、朝鮮半島や在日朝鮮人の人々にとっては解放記念日であること、日本でも、沖縄の人々の記念日は6月で、それは敗戦と解放の入り交じったものであったことが、想起されます。記念するとは、記憶すること、想起することであり、同時に、忘れること、抽象化し象徴化することでも、ありえます。本HPでは、「初心に帰る」を3周年記念のモットーとしたいと思いますが、「インターネットで歴史探偵」に書いたように、本HPの出発も、想い起こせば単純なものでした。それが「20世紀の謎の暗室――1930年代ドイツ・ソ連在住日本人についての情報をお寄せ下さい!」のコーナーを設け、そこに研究情報が集まるようになってから、飛躍的に機能と内容を充実させることができました。この流れを大切にするとともに、3年間にアクセスいただいた、のべ10万人以上の方々に、改めて御礼申し上げます。

  政治の時間の流れを味わうには、1990年代日本の政党再編のようなチマチマした変化もありますが、やはりここベルリンでの「ベルリンの壁」崩壊後の政治空間の変容は、こたえられません。ドイツ統一帝国以来の国会議事堂が、1933年ヒトラー政権獲得直後に放火され、他政党弾圧・一党独裁確立の契機となりました。ナチス総統官邸近くのそれが、第二次世界大戦の敗戦のさいに廃墟となり、荒れ果てた残骸のまま、戦後東西分裂・1961年「ベルリンの壁」敷設により冷戦・民族分裂の無惨な象徴となりました。それが、89年東欧革命・91年統一で、再び国民統合の象徴として再建されました。この国会議事堂再建を核として、旧西側の立法・外交機能もボンからベルリンに移され、かつての「壁」周辺の広大な荒れ地が、公共空間に生まれ変わりました。その政治中枢の空間再編に伴い、今年オープンしたソニービルをはじめとしたポツダム広場やフリードリヒ・シュトラーセのグローバル・ビジネス空間が、再配置されました。他方で、旧東のウンターデンリンデン通りや旧西のベルリン・フィルハーモニーは、文化的伝統を保存したまま化粧直しし、現代美術館など新しい機能をも加えて、ドイツの「中心」が確実に再確立されました。まだまだ再開発・建設中が多いのですが、20世紀とは異なる21世紀の姿が、ここでは確実に具現しつつあります。本HP特別室1998・99「ベルリン便り」の延長上で、定点観測3年目の印象を加えると、フェーリエン(バカンス)真っ最中の8月滞在は初めてであることもありますが、ベルリンの時間の流れは、東京やニューヨークに比べると、はるかにゆったりしています。ブランデンブルグ門近くの壮大な都市再開発は、単年度予算主義の東京なら1年で完全な変身を遂げるところでしょうが、しっかりした土台の建設からはじまり、いくつかの中核機能の建設と周辺整理で、年ごとに徐々に具体的姿を現し、しかも完成にはほど遠いままです。昨年工事中に見た時は、銀座4丁目ソニービルを大きくしただけではと思ったポツダム広場のソニーは、周辺ビルを加えて巨大なドームでおおった広場のなかに身をおいて完成した姿を見ると、ベルリン都市計画のスケールの大きさと周到な計算を実感させる、脱日本でグローカルな世界企業ビルに変身していました。そうです。これは、丸山真男も耽読したヘーゲルの世界です。「ベルリンの壁」崩壊後の世界が、フランシス・フクヤマ風「歴史の終わり」でも、ハンチントン風の「文明の衝突」でもなく、新しい理念を具現化する第3ミレニアム的な「概念の自己展開」ともなりうることを、ベルリン統合の10年は示しているように思われます。無論それは、建築技術や都市計画のハードばかりではありません。原発廃止・渓流再生のエコロジカルな景観創出や、女性の社会進出という、ソフトの新理念をも伴っています。また、ヘーゲル的な相互承認による市民社会創出が、概念的「計画」通りに進むわけではなく、旧東地域の格差や外国人労働者問題を内包しつつ、ネオ・ナチの若者や猥雑なアメリカ風文化のアナーキーな逆流表出をも伴いながら、公論の対象となり、目に見えるかたちで、進行しているのです。いずれにせよベルリンは、あと10年は、エキサイティングな「21世紀の実験都市」であり続けるでしょう。

 旅行中で不便なデジタル環境にありますので、3周年更新は、最小限にしました。リンク集「ネットサーフィンの階段――政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」のバージョンアップが好評で、自他薦リンクやデザイン一新のご意見も寄せられていますが、帰国後にさせていただきます。ただし「沖縄から世界へ」過労死と地域通貨のコーナーには、マイナーチェンジをほどこしてあります。ジャーナリスト有田芳生さんのホームページ「今夜もほろ酔い」を本欄でコメントしたら、有田さんから全文引用しての過分な評価とエール交換をいただきました。『大原社会問題研究所雑誌』5月号の「『非常時共産党』の真実──1931年のコミンテルン宛報告書」に大きな反響があり、「竹久夢二探訪記」にもある「在独日本人反帝グループ」の井上角太郎探求では、ウィーン在住の90歳のユダヤ人反ナチ闘士(井上角太郎の義兄)から重要な証言をいただいたのですが、これも帰国後にまわします。本HP第4年目も、皆様よろしくお願い申し上げます。


800億円の宴の後のフリータイムは、休んで、癒して、学びましょう!

2000.8.1 昨年ケルン・サミット費用の百倍、800億円かけた九州・沖縄サミットは、終わりました。警備費用が半分近くで沖縄人口の60人に一人が警官になり、30億円近くかけたプレス・センターは使途なく取り壊しとか、イギリスの新聞報道通り、「宴会サミット」だったようです。かつて返還後の75-76年沖縄海洋博がそうであったように、長期的経済効果も疑問です。目玉のクリントンは、心は中東和平で遅刻・早退ながら、なんとか「平和の礎」まで来ました。しかし演説の基調は、沖縄米軍基地の重要性の再確認でした。稲嶺知事や岸本名護市長の「苦渋の選択」の産物である普天間代替基地「使用期限15年」は、日米首脳会談で話題にさえされませんでした。森首相の「失言」こそありませんでしたが、議長というよりホストに徹して影は薄く、首相就任時に「イットってなあに?」と聞いたという首相に「IT革命」の深みがわかるわけもなく、ロシアのプーチン大統領に「電子メール・ホットライン」を提案されてうなずくだけ。サミット期間中米軍演習中止で静かだったのと、首相がNGO代表に公式に会ったぐらいが、せめてものおみやげでしょうか。沖縄県名護市がどのように「総括」するか、気がかりです。前回オススメした「もう一つのサミット」はそれなりの成果を挙げ、嘉手納基地を2万7千人の「人間の鎖」が取り囲んだのですが、もともと世界の関心がサミット・セレモニーにはなかったためか、外国マスコミの扱いは、あまり大きくありませんでした。喜納昌吉&チャンプラーズ公式サイトのトップにある「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争よりも祭りを、そして、すべての人の心に花を!」になぞらえれば、「楽器」と「祭り」はある程度活躍しましたが、「花」は咲かずに終わったようです。この間お世話になったサイトを中心に、リンク集「ネットサーフィンの階段――政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」に、「沖縄から世界へ」のコーナーを加えました。

 ウタゲの後にも、中尾前建設大臣の汚職拡大、久世金融再生委員長の更迭と、もっと銀行業界に近い相沢元大蔵事務次官就任(80歳の宮沢蔵相とコンビで81歳の金融政策!)で、政治とマネーにまつわる話が続々です。暑い夏でもありますし、まずは体力を回復して、心身を癒し、原理的思索にふけりましょう。20世紀末であり、21世紀・第3ミレニアムのとば口であり、一人数百万円の借金を背負った国民であることを意識して。たとえばドミニク・メーダ『労働社会の終焉』(法政大学出版局)は、「経済学に挑む政治哲学」と副題されているように、労働が人間の本質であるとする常識を「19世紀的神話」として拒否し、経済を中心とした社会的紐帯の限界を説き、「社会生活の目標について考え討議し決定に参加する」政治=公共性の復興を強く訴えます。無論、ハンナ・アレントの系譜ですが、歴史的叙述と時間軸がしっかりしていて、20世紀の常識にどっぶり浸かった思考には、刺激的清涼剤になります。アラン・コルバン『レジャーの誕生』も翻訳が出るようですから(藤原書店)、一緒に読みたいものです。小熊英二さんの『インド日記──牛とコンピュータの国から』が本になりました(新曜社)。本HP常連の皆さんならご存じのように、ご自分の音楽サイト「弦と蛇腹の夜」に滞在中から連載されていたもので (出版に伴いHPでは読めなくなりましたが)、いち早くリンクした私の名前も、なぜか登場します。たまたまインドに渡った事情と下宿が一緒だったためですが、こちらの方は、水平的軸での知的清涼剤、つまり身体の置き場とまなざしの空間軸を移動させることによって、既成の<日本人>的思考から脱却させてくれます。アクチュアルに迫りたいなら、ピエール・ブルデューの『メディア批判』(藤原書店)、「ジャーナリズム」や「コミュニケーション」の観念を脱構築して、テレビの「見せることによって隠す」権力性を、小気味よくあばき出します。マスコミ関係者・志望者は必読。訳者の櫻本陽一さん(高崎経済大講師)から書店経由で送っていただいたのですが、このHPでよびかけてご本人と連絡がつき、ようやく御礼ができました。

 こうした原理的思考の革新は、私にとっては「過労死の政治経済学と「エルゴロジー」研究の延長上にあります。そこでたどりついたのが、ミヒャエル・エンデの世界。インターネット上には、「会社地獄」という企業社会告発・告白サイトがあります。日本的「会社」こそ、エンデ『モモ』の「時間泥棒」だったことが、よくわかります。「ミヒャエル・エンデ館」に入って『エンデの遺言』を読むと、過労死社会・労働中心社会の対極に、根源的に「お金」の意味を問う、新しい経済・金融システムが構想されています。エンデが注目した「ローカルマネー」「エコマネー」とか「LETS」ともいわれる「地域通貨」については、サーチエンジンODINで検索すると、271件も出てきます。たとえば八ヶ岳の「風の森」や「Miguelの哲学広場」をみるだけでも、イメージがわきますね。エンデには、ルドルフ・シュタイナーの思想が色濃く投影していますが、NPO推進委員会の報告では、やや学問的に、世界恐慌期のシルビア・ゲゼルの理論を、エコマネーの起源としています。海外の経験を学ぶには、さしあたり大阪大学大学院上杉志朗さんの「海外における地域通貨の類型」あたりがいいでしょう。「エコマネー・ネットワーク」代表加藤敏春さんの『エコマネー』(日本経済評論社)がスタンダードですが、北海道大学経済学部西部忠さんHPの理論とリンク集も参考になります。大阪学院大学経済学部岡村幸一さんの「エコマネーの世界」は、参考文献はすべてインターネットからという面白い卒業論文で、全文をネット上で読めます。これらサイトを編集して「過労死」と合体させ、リンク集「ネットサーフィンの階段」にも、まとめて収録しました。

 7月に開店したジャーナリスト有田芳生さんのホームページ「今夜もほろ酔い」が、ものすごい勢いでアクセス数を増やしています。なにしろテレビでの知名度に加え、目玉の「酔醒漫録」が毎日更新で、デジタル写真とオススメ飲み屋の案内・電話番号入り、HPのデザインもスマートで、ファンや左党にはこたえられないでしょう。かつて一緒にアルコール抜きの「左党」を張った友人としては、強力なライバル出現です。もっとも有田さんはオウムのほか都はるみ・テレサ・テンの世界、私は旧ソ連秘密資料解読国際歴史探偵など独自の世界を持っていますから、あくまで共存共栄の相互リンクで進みましょう。その旧ソ連秘密資料の部屋に、『大原社会問題研究所雑誌』5月号に発表した「『非常時共産党』の真実──1931年のコミンテルン宛報告書」を入れて、バージョン・アップしました。「スパイM」時代の党勢報告書や暗号連絡文の写真も入れましたから、活字論文より迫力ありますよ。前回収録した「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪記」(『平出修研究』第32号、2000年6月)の延長で、今夏も「ベルリン便り」続編の旅に出ます。次回8月15日更新は、敗戦記念日であり、丸山真男の命日であり、本HPの3周年記念日です。トップページのみの更新ですが、定点観測地ベルリン・フンボルト大学ゲストハウスからとなりますので、ご期待下さい。


加藤哲郎研究室にようこそ! 10万ヒット記念でリンクを大幅拡充しました、サミットの沖縄に改めて注目を!

2000.7.15 10万アクセスのラッキーヒットはお便りなかったので、記念品のメキシコ・フリーダ・カーロ美術館特製マウスパッドは、「111,111アクセス」さんにキープしておきます。本HPのメインマシーンは、ケーブルテレビJーCOMとの接続で、すこぶる快調なのですが、モバイル用のパワーブックG3は、ついにハードディスク・クラッシュ。すべてのデータが破壊されて、ソフトをすべて再インストール・再設定。それでもHDの大容量化・価格破壊はすさまじく、2GBのHDがクラッシュしたおかげで、たった3万円で、18GBの内蔵HDが蘇りました。その2台を駆使して、高速光ファイバー経由のネットサーフィン、本HPの目玉の一つである「どこでもドア」風リンク集「ネットサーフィンの階段――政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」を全面改定しました。使い勝手はイマイチかもしれませんが、ユニークサイト訪問にご利用下さい。

 すっかり寡黙になった森喜朗首相のもとで、いよいよ沖縄サミットです。雪印やそごうの問題で、中尾栄一前建設相の汚職問題が薄らいでいますが、沖縄はいま公共事業にどっぷり浸かっています。サミット振興策と称して膨大な税金がつぎこまれ、本土のゼネコンと結んだ地元土建業者により、沖縄の民意が分断されました。中尾氏・森首相・石原慎太郎東京都知事らの「青嵐会」は、もとはといえば田中角栄の日中国交回復に反発して生まれた若手台湾派の自民党内反乱でしたが、いまや彼らが、田中角栄型利権政治の推進者です。沖縄では、サミット直前に米兵の少女暴行やひき逃げ事件があり、基地への怒りは内攻し燃えたぎっているのですが、日米安保条約とヤマトンチューのおしつけた米軍基地75%沖縄集中という現実が、普天間基地の辺野古移転という島内分断をもたらしたのです。アムロの歌や琉球舞踊もいいですが、「基地ノー、ヘルプ・ジュゴン」「名護平和電脳組」「オールタナティヴNGOサミット」「沖縄ピープルズ・サミット」など、「もう一つのサミット」に注目しましょう。沖縄在住の比嘉政隆さんから教わったのですが、「田中宇の国際ニュース解説」にある「沖縄の歴史から考える」には、かつて中国明朝時代の文献で「大琉球」とよばれた沖縄と「小琉球」とよばれた台湾の、今日まで続くつながりが語られています。『朝日新聞』7月11日の見開き2面を使った沖縄サミット特集は秀逸で、外岡秀俊さんの文章は、「戦略の島」であると共に「非武の島」であった沖縄に注目しています。この特集に紹介された、1956年夏「島ぐるみ闘争」時の「第二次琉大事件」の当事者嶺井政和さんの回想録「私記・琉大が燃えた日」を、偶然ネット上でみつけました。抑えた筆致ですが、感動的な文章です。英語サイト「Okinawa: The American Years, 1945-1972」からは、戦後沖縄史についてのアメリカ側からの証言が得られ、沖縄情報センター沖縄タイムスの「特集」ページ、高野孟さん東京万華鏡「沖縄関連サイト」に入ると、現在の問題点がうかびあがります。 かの喜納昌吉&チャンプラーズ公式サイトに入ると、こんな言葉がトップに現れます。「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争よりも祭りを、そして、すべての人の心に花を!」。もっとも沖縄の悠久な時間感覚からみれば、「アメリカ世」も「日本世」も、しょせんはうたかたの、仮の姿かもしれません。この夏私は、沖縄現代史を雄大に描いた国場幸太郎「現代世界史の中の沖縄」(『現代思想』6月号)に刺激されて、国場さんと共に、「島ぐるみ闘争」期沖縄の民衆運動資料に取り組みます。

 夏休みの読書のオススメに、『世界 別冊 この本を読もう』の山之内靖さんとの対談では、「社会主義」関係でマルクスグラムシを挙げました。岩波文庫で、藤井一行さん新訳のトロツキー『ロシア革命史』の第1巻が出ました。長い夏には、こうした古典にもぜひ挑戦してほしいですね。『週刊読書人』に星野智『現代権力論の構図』書評を書いたばかりですが、もう一冊この領域で、杉田敦さんの『権力』(岩波書店「思考のフロンティア」シリーズ)を挙げておきます。コンパクトですがなかなかの力作、M・フーコー以降の権力論が何を問題にしているかが、よくわかります。基地沖縄に応用すると、いろいろ見えない権力関係が見えてきますよ。同じシリーズ金子勝『市場』と一緒にどうぞ。10万ヒット記念に、『週刊金曜日』6月23日号「『神の国・国体護持』の政治家を21世紀『日本の顔』にするのか」「ロングビーチ事件」(『沖縄を知る事典』日外アソシエーツ、2000年5月)「高度経済成長は何を変えたか」(『別冊歴史読本 日本史研究最前線』、2000年5月)に続いて、『平出修研究』第32号(2000年6月)に発表された「ドイツ・スイスでの竹久夢二探訪記」をアップ。これ、実は本HPの特別室1998・99「ベルリン便り」中の夢二探求日誌をまとめたもの。平出修研究会の小原耕一さんが「こよいは月もでぬそうな──俳優米倉斉加年の夢二譚を聴いて」を同誌に発表するにあたってぜひ、と口説かれたもの。竹久夢二の社会活動については文献が少ないですから、確かに私の趣味と研究の間の探求も多少は意味があるかも。この夏も、ナチス政権獲得期にドイツでユダヤ人救出にたずさわった夢二の足跡を追いかけてきます。





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