ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
2005/6/15 60年前の沖縄戦で、日本側の司令官牛島中将が自決するのが、6月23日です。ネット上の「沖縄戦の経過」には、その直前、6月19日に「牛島司令官最後の軍命を発し指揮を放棄。各参謀任務を受け壕を脱出。司令部付き学徒隊に解散命令、ゲリラ戦に移行」とあります。住民の見殺しです。6月27日「海軍守備隊による連続住民虐殺事件おこる。(久米島、8/18までに五件二十名がスパイ容疑で殺害される)」、そして7月 2日「米軍、琉球作戦終了を宣言」です。「お国のため」とか、「本土防衛のため」といいながら、結局軍隊は住民を守ってくれませんでした。そればかりか、住民の降伏を許さず、米兵に近づく住民を「スパイ」よばわりし、虐殺したのです。戦争の虚しさが、極限で現れました。それから60年、日本の人々は、何を学びえたのでしょうか。ちょうど20年前、戦後40年の1985年に、ドイツのヴァイツゼッカー大統領の行った、有名な演説があります。「荒れ野の40年」として、今ではインターネット上でも読めます。当時の日本の首相は中曽根康弘氏で、その同じ年の自民党サマーセミナー講演で、「国家というのは、日本のような場合、自然的共同体として発生しており、契約国家ではない。勝っても国家、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民。汚辱を捨て、栄光を求めて進むのが国家であり国民の姿である」と述べて、国際的にも物議をかもしたのと、対照的でした。今の若い人々は、知らないかもしれないので、改めてヴァイツゼッカーの声を聞きましょう。
その「勝っても国家、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民」とタンカを切った中曽根康弘氏も、A級戦犯を祀る靖国神社への公式参拝は、一度で辞めました。当時の世論に従ったものでした。その中曽根元首相も、当時の官房長官後藤田正晴氏も、日中・日韓関係がかつてなくこじれても靖国参拝に固執する小泉首相に対して「国益を考えるべき」と中止を求めています。政権与党の神崎公明党委員長さえ、参拝中止を求めました。しかし小泉首相は、ここで頑張るポーズをとれば「近隣諸国の圧力に屈しない、リーダーシップのある首相」と評価され、国内世論の一部の強力な支持を調達できると考えている節があります。政治学で「ポピュリズム」と呼ばれる政治手法で、石原慎太郎東京都知事についても、よくいわれます。「適切に判断する」という言葉を繰り返して、近隣諸国ばかりでなく日本の国民をいらだだせ、より直接的には、郵政民営化法案での難局を「解散もありうる」という国会議員向けの恫喝で乗り切ろうとしているのです。首相の黒子補佐官から再びオモテに浮上した山崎拓発言にご注意。軽量級で外交能力もない武部自民党幹事長発言より、山崎拓ホームページに注目しておきましょう。国連安保理常任理事国入りも案の定絶望的になり、小泉政治は内政・外交とも手詰まりになってきています。こんな時に、ポピュリズムは恐いのです。前回更新時のフィリピン残留日本人の話があっという間にニュースから消え去り、伝統芸能相撲界のお家騒動にメディアが動いたように、戦後60年の年の日本の雰囲気は、ポリュリスト首相とメディアによってあっという間に塗り替えられる危険性を秘めていますから。
日本政府は、昭和天皇が戦後、45年から75年にかけて計8回靖国神社を参拝したことを、「私的参拝」だったとする公式見解をまとめました。国家の「象徴」たる天皇の「私的」行為とはなんでしょう。去る6月1日朝日新聞のスクープ記事を思い出しましょう。昭和天皇が占領期に「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する」などと述べていたことは、従来から知られていましたが、一九五三年以降も「米軍の駐留が引き続き必要」「強大なソ連の軍事力から見て、北海道の脆弱さに懸念をもつ」「世界平和のために米国がその力を使い続けることを希望する」などと発言してきたことが、米国側資料から明らかになってきました。重要なのは、「私的」な会合の場で行われたこうした天皇の発言を、米国側がしっかり記録し、「公的」に書類に残して「公文書館」に保管していたことです。私の「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」が明らかにした、戦時米国の「象徴天皇を利用した日本改造計画」とは、まさにこのような発言をしてくれる「象徴」を残して長く利用することだったのです。ポツダム宣言60周年、ヒロシマ・ナガサキ60周年、ソ連参戦60周年、そして、アジアの民衆にとっての8・15「抗日戦争勝利60周年」が近づいてきました。政府答弁書のような小手先では、日本外交の打開はできないでしょう。経済界でささやかれる、「日米枢軸」対「欧中同盟」というおそろしい新・新冷戦の構図も、ありえないではありません。日本のヴァイツゼッカーは、どこにいるのでしょうか?
CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』昨年12月号掲載「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」をもとにした単行本は、『象徴天皇制の起源』(平凡社新書)として、7月初めに刊行されます。図書館の『エコノミスト』連載書評は、6月14日号の大田昌秀『沖縄戦下の米日心理作戦』(岩波書店)、多川精一『焼跡のグラフィズム』(平凡社新書)が発売されましたが、次回にアップ。5月17日号の有田芳生『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)横堀洋一編『ゲバラ 青春と革命 』(作品社)、4月12日号のエレノア・M・ハドレー『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社)、『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』(和歌山大学歴史学・海津一朗研究室)、3月エリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)、2月黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、等々と共にご笑覧を。昨年11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」は、日露歴史研究センターから、同じく昨年の日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』として、それぞれ立派な報告書が刊行されました。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻の第2回配本第3巻が発売されました。大阪の森宣雄さん・宮崎の国場さんの立派な仕事です。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。3月に卒業した加藤ゼミの学生たちの学士論文を公開中です。
「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」なんてご存じでしょうか。日本軍の「戦陣訓」の一節です。これ、「軍人勅諭」 もひどいですが、具体的なだけに、いっそう悲惨です。「思想戦は、現代戦の重要なる一面なり。皇国に対する不動の信念を以て、敵の宣伝欺瞞を破摧するのみならず、進んで皇道の宣布に勉むべし。流言蜚語は信念の弱きに生ず。惑ふこと勿れ、動ずること勿れ。皇軍の実力を確信し、篤く上官を信頼すべし」なんていうのもあります。これを暗唱され信じたまま、敗戦を知りつつ現地にとどまった兵士は、少なくなかったでしょう。軍法会議で裁かれると言い聞かされてきたら、自死か逃亡しかありません。実際、ちょうど60年前の今ごろ、戦場となった沖縄で生死を分けたのは、米軍の投降宣伝ビラや拡声器の呼びかけを信じたかどうか、信じなくてもどう応じたかだったと、自分自身摩文仁の丘に立てこもった前沖縄県知事・参議院議員大田昌秀さんは、『沖縄戦下の米日心理作戦』(岩波書店)に書いています。沖縄戦では日米軍民24万人、沖縄住民の3分の1が犠牲になりました。ミンダナオ島ならまだ隠れる場所がありました。そのまま現地の住民に溶け込み、ひっそり生きてきた日本兵もいたでしょう。外務省の不手際、マスコミの殺到、日本円に群がる現地の情報ブローカー――今回は大山鳴動に終わりましたが、生存日本兵がいることは大いにありうることです。マスコミには出てこないネット情報、「フジテレビが元日本兵の独占取材を5000万円で買った」とか「ベトナムではその人数は800人と言われている」とか。いずれも大いにありうること。メキシコでは17世紀支倉常長使節団の子孫がいましたし、旧ソ連ではノモンハン事件(ハルハ河戦争)逃亡兵の子孫たちもいましたから。
「戦陣訓」は、「日中戦争の長期化で、軍紀が動揺し始めた昭和16年(1941)1月8日、東条英機陸相が「軍人勅諭」の実践を目的に公布した具体的な行動規範」です。東条英機が明確に責任を持つ文書です。それを裁いた「極東国際軍事裁判は、平和や人道に対する罪を勝手に占領軍が作った一方的な裁判だ。A級戦犯はもう罪人でない」という自民党代議士会での森岡政務官の公言、「中韓の対日批判はいちゃもん」という森前首相、懲りない人々が政治の中枢にいます。「もはや戦後ではない」どころか、「もういちど戦争だ」の勢いで、あのアメリカ政府高官さえ日中韓関係の今後を懸念する状態。無論、日本政府の代表たる小泉首相の靖国参拝正当化、自民党武部幹事長の内政干渉発言が、亀裂を拡大しています。「戦後60年」に必要なのは、まずはこの60年間、日本人とその政府がアジア・太平洋戦争にどう向き合ってきたのかを、逃げないでじっくり振り返ることでしょう。ポツダム宣言60周年も、ヒロシマ・ナガサキ60周年も、ソ連参戦60周年も、もちろん8・15「抗日戦争勝利60周年」もこれからです。そして、ちょうど60年前の6月に激戦中だった沖縄では、辺野古沖の攻防が重大局面です。
そんな最中にも、世界は動いています。あのアントニオ・ネグリでさえ賛成していたEU憲法案が、フランスの国民投票で大差で否決。先日のドイツ・ノルトライン・ウェストファーレン州議会選挙での社会民主党敗北、保守派のCDUメルケル「女性宰相」待望論増大に続いて、EUにとっては深刻な問題です。イラクの戦争はいっそう激化し、近くバグダッドで大掃討作戦になりそうです。せめてA級戦犯分祀だけでも早急に手を打たないと、国連常任理事国との取引どころか、イラクの自衛隊と共にもう一つ世界の笑いものを増やすことになりかねません。
5月15日の以下のネグリとの対話は 、前回途中更新したので、再録。東京日仏学院の衛星中継会議【よりGLOBALに・寄り合いイベント】アントニオ・ネグり「世界のグローバル化とマルチチュード(多様性を維持した民衆)」 に招かれ、かの『帝国』のアントニオ・ネグリさんと3時間の対話。もともとイタリア・フランス思想にはうといのですが、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」と辛口批評を書いてきたため、引っ張り出されたかたち。でも話してみると、元気なおじいちゃんで、『帝国』には出てこなかった論点も聞けて、予想外の収穫。冒頭の問題提起で、自分のアイディアを、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ハイデガーとドイツ思想の流れの中に位置づけ、ほとんど『資本論』第1巻レベルの、特に「労働の変容」の洞察に位置づけるのを聞いて、フランス思想、特にレギュラシオン理論やピエール・ブルデューとの関係で質したら、レギュラシオン理論、特にバンヤミン・コリアやリピエッツには、親近感を持っている様子。ただし、レギュラシオン理論は国民国家段階の「フォード主義」の批判的理論化で、「帝国対マルチチュード」とはポスト・フォード主義段階の定式だといいます。その根拠である「労働の変容」は、当然、ドゥルーズ、ガタリ。イタリア・マルクス主義の話が68年とアウトノミア運動の流れで話されたので、アントニオ・グラムシ評価、特にグラムシの「サバルタン」概念とネグリの「マルチチュード」概念の関係について聞いたところ、「グラムシはレーニン主義者、サバルタンはイタリア南部の階級同盟論」とバッサリ。日本にはネグリと同時期に流入したスピヴァグ風の「サバルタン」は、ネグリの眼中にはなさそうです。福祉国家については、北欧スウェーデン型も含めて「帝国の一部」とこれまたバッサリ、にもかかわらず、アメリカ「帝国主義」との対抗バリアとして、EU憲法には賛成するそうです。ブルデューへの辛辣な批判やフランクフルト学派への否定的評価もあり、オーソドクスなマルクス主義者と話している感じ。「ローマ帝国型」と異なる「中華帝国型」の質問も用意してたのですが、こちらは時間切れ。衛星中継というのは初めてでしたが、大型画像も声もほとんど問題なく話ができる臨場感。積極的に質問する会場の若い皆さんと、三浦信孝さんほか練達の通訳の皆さんのご協力で、けっこう楽しいひとときでした。
CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』昨年12月号掲載の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を大幅に加筆・改訂した単行本は、『象徴天皇制の起源』(平凡社新書)として、何とか7月初めには刊行へ。図書館の『エコノミスト』連載書評は、5月17日号の有田芳生『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)横堀洋一編『ゲバラ 青春と革命 』(作品社)をアップ。4月12日号のエレノア・M・ハドレー『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社)、『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』(和歌山大学歴史学・海津一朗研究室)、3月エリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)、2月黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、等々と共にご笑覧を。昨年11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」は、日露歴史研究センターから記録集に入りました。「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)も、立派な報告書が刊行されました。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻、5月中に第3巻が出ます。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。3月に卒業した加藤ゼミの学生たちの学士論文を公開中。早くも反響がありました。
これ、本当に小泉首相が書いたんでしょうか? 誰かに書かせたとしても、首相はちゃんと目を通したんでしょうか? まずはモスクワでの会議の名称。「第二次世界大戦終了60周年記念式典」とありますが、サンケイ新聞でさえ正しく書き、「読売新聞」社説でさえ「首相は、いったいどのような歴史認識に基づいて、式典に出席するのだろうか」と心配した ように、「対独戦勝六十周年記念式典」です。つまり、「和解」の最大の当事者は、ロシアのプーチンとアメリカのブッシュ大統領ではなく、実はシュレーダー・ドイツ首相と日本の小泉首相だったのです。そこに世界の首脳が一同に会したのに、日本にとっての「和解」の最大当事者である中国・韓国との首脳会談は先方から断られ、世界のカメラの前でのブッシュとの再会・抱擁が、唯一の見せ場だったようです。ドイツ首相は、ロシアとEUの合同首脳会議で「統一欧州」を話し合い、ちゃんと役割を果たしているのに。それに、内容もうさんくさいものです。「この間日本は平和国家として発展するとの決意のもとで、経済大国になっても決して軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力によらず平和的に解決する国であり続けてきました」といってる最中に、イラクのサマワでは、自衛隊駐屯地近くにロケット弾が打ち込まれ、戦争下請け会社の日本人兵士斉藤昭彦さんが銃撃戦で負傷・行方不明。「日米同盟と国際協調を外交の基本」と書いてますが、これ数年前までは「日米同盟と国連中心主義」と言っていたものです。アメリカが国連を尊重して動いていた時はまだ説得力があったのですが、当のアメリカが「国際協調」を捨てて単独行動主義に走り、二本柱が矛盾をきたしました。小泉首相はブッシュ一辺倒に傾いて、二本の柱の高度差で家が傾き、今や倒壊寸前。ブッシュが拒否権付き安全保障理事国増加に難色を示し、国連大使に「国際連合など無いのと同じだ」と10年前に言い放ったネオコン単独行動主義の超タカ派ボルトンを送りこもうとしているのに、何も言えない相変わらずの脳天気。このメールマガジン、英語でも書かれていて、世界のマスコミも注目し読んでます。敗戦60年目の日本国首相の言葉としては、当事者感覚が全く欠如し、世界の人々の心を打つどころか、国内向けの二枚舌かと、あきれられるだけでしょう。
それにしても、斉藤さんの問題で明るみに出た「戦争の民営化」のおぞましさ。請負先は一般に「民間軍事請負業者」(プライベート・ミリタリー・カンパニー=PMC)と呼ばれる傭兵会社です。イラク占領軍側の軍事力としては、14万米兵に次ぐのが、イギリス軍でもオーストラリア軍でもなく、これら戦争下請け会社の傭兵たちで、2万人以上といわれます。直接戦闘には加わらず、米兵の生命を守るための護衛なそうですが、ハート社の日当が6万円=500ドル以上といいますから、驚きです。世界には、一日1ドル以下で暮らす人が12億人います。2ドル以下なら世界人口の46%、約半分です。グローバルな新自由主義のもとでの戦争は、戦争請負会社がいのちを市場に投げ込み、公然と人身売買が行われているようなものです。いや実は、昨年の今ごろホットな話題だった「アブグレイブの捕虜虐待」にも、「戦争請負会社」が関与していました。つい最近も、アフガニスタンの政治犯を収容したキューバのグアンタナモ基地で、コーランをトイレに流すというイスラム教を冒涜する精神的拷問を行われたいう報道。アフガンやパキスタンで死者も出る抗議デモが起こったばかりです。誤報説もありますが、偽情報(disinformation)も情報戦の一部です。このグアンタナモ基地の取調も、拷問・虐待専門の傭兵会社が請け負っているといわれます。もちろん国際法違反や国際世論の非難を避けるために、最も危険でダーティな部分を民間企業にまわしているのです。ついでに言えば、チェイニー副大統領以下自分の関連企業にそうした仕事をまわすホワイトハウスの「戦争ビジネス」が、マイケル・ムーア監督「華氏911」の主題のひとつでした。
こうした時代には、政治の方も、「情報化」するばかりでなく「広告化」してきます。「政治の広告化」です。広告業界がエンターテインメント化してくると、政治もパフォーマンス化してきます。ブッシュや小泉首相の軽薄な言説、空々しいコトバが、メディア効果を狙ってのものであることは、容易にみてとれます。大手広告会社が選挙キャンペーンから首相のファッションまで手がけ、「公けの民営化」が進んでいることも周知の事実です。「公と私」「官と民」の境界・区分が、限りなくグレイになり、曖昧になってくるのです。ですから、受け手の私たちも、気をつけましょう。小泉首相の「戦後60年」とは異なる言説を創造し、広告し、普及していかないと、特に日本語の閉鎖世界では、「政治の広告化」にからめとられます。必要なのは、「広告の政治化」「民営化の論題化」「公私区分問題の公共化」です。そうやって考えると、いっぱい問題がありますね。JR西日本のコーポレイト・ガバナンス、法務省の「保護観察」制度、TBS部長のネットコラム盗作、大阪市役所、いっそ天皇家を民営化したら?、……。何でも民営化すればいいという「広告」に乗ってはいけません。むしろ、公的なものの再定義と公共圏の再構築こそ、問題になっているのです。私たちの一人一人が、「日本の戦後60年」を、世界の人々の心に響くようなかたちで、発信することが求められています。前回更新で述べたように、5・4は中国政府により強権的に抑え込まれましたが、中東ばかりでなく東アジアでも、「反日」「抗日」の火種はいくらでもあります。「対独戦勝60周年」はヨーロッパ中心の「対岸の火事」でやりすごしても、8・15の「抗日戦争勝利60周年」はこれからです。いまは、「沖縄戦60周年」の真っ最中です。ポツダム宣言60周年も、ヒロシマ・ナガサキ60周年も、ソ連参戦60周年もやってきます。2005年とは、そういう年なのです。先日連絡がついた、IMAGINE DATABASE「戦争の記憶」番外編「大正生れの歌」の作者旧制和歌山中学出身の小林朗さんから、またまた暖かいお手紙。首相が靖国神社に行くよりも、小林朗さん世代の「鎮魂譜」の世界を、「戦争を知らない世代」がしっかりと受け止め、耳を傾けるべき年なのです。
実はついさっきまで、東京日仏学院の衛星中継会議【よりGLOBALに・寄り合いイベント】アントニオ・ネグり「世界のグローバル化とマルチチュード(多様性を維持した民衆)」 に招かれ、かの『帝国』のアントニオ・ネグリさんと3時間の対話。もともとイタリア・フランス思想にはうといのですが、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」、「グローバル情報戦時代の戦争と平和――ネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」「グローバリゼーションは福祉国家の終焉か――ネグリ=ハート『帝国』への批判的評注」と辛口批評を書いてきたため、引っ張り出されたかたち。でも話してみると、元気なおじいちゃんで、『帝国』には出てこなかった論点も聞けて、予想外の収穫。冒頭の問題提起で、自分のアイディアを、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ハイデガーとドイツ思想の流れの中に位置づけ、ほとんど『資本論』第1巻レベルの、特に「労働の変容」の洞察に位置づけるのを聞いて、フランス思想、特にレギュラシオン理論やピエール・ブルデューとの関係で質したら、レギュラシオン理論、特にバンヤミン・コリアやリピエッツには、親近感を持っている様子。ただし、レギュラシオン理論は国民国家段階の「フォード主義」の批判的理論化で、「帝国対マルチチュード」とはポスト・フォード主義段階の定式だといいます。その根拠である「労働の変容」は、当然、ドゥルーズ、ガタリ。イタリア・マルクス主義の話が68年とアウトノミア運動の流れで話されたので、アントニオ・グラムシ評価、特にグラムシの「サバルタン」概念とネグリの「マルチチュード」概念の関係について聞いたところ、「グラムシはレーニン主義者、サバルタンはイタリア南部の階級同盟論」とバッサリ。日本にはネグリと同時期に流入したスピヴァグ風の「サバルタン」は、ネグリの眼中にはなさそうです。福祉国家については、北欧スウェーデン型も含めて「帝国の一部」とこれまたバッサリ、にもかかわらず、アメリカ「帝国主義」との対抗バリアとして、EU憲法には賛成するそうです。ブルデューへの辛辣な批判やフランクフルト学派への否定的評価もあり、オーソドクスなマルクス主義者と話している感じ。「ローマ帝国型」と異なる「中華帝国型」の質問も用意してたのですが、こちらは時間切れ。衛星中継というのは初めてでしたが、大型画像も声もほとんど問題なく話ができる臨場感。積極的に質問する会場の若い皆さんと、三浦信孝さんほか練達の通訳の皆さんのご協力で、けっこう楽しいひとときでした。
昨年11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」は、日露歴史研究センターから記録集に入り、新事実満載です。CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』昨年12月号掲載の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を大幅に加筆・改訂した単行本は、何とか7月には刊行。図書館の『エコノミスト』連載書評は、5月17日号の有田芳生『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)と横堀洋一編『ゲバラ 青春と革命 』(作品社)が活字になりましたが、まだ発売中のため、次回アップ。4月12日号のエレノア・M・ハドレー『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社)、『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』(和歌山大学歴史学・海津一朗研究室)、3月エリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)、2月黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、等々と共にご笑覧を。「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)も、立派な報告書が刊行されました。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻、5月中に第3巻が出ます。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。恒例により、3月に卒業した加藤ゼミの学生たちの学士論文を連休中にアップしました。今年も粒ぞろいです。
現代に生きる私たちは、ひょっとしたら、地球ぐるみで「みな戦友」かもしれません。なぜならば、環境汚染から薬害・公害・地震・交通事故・過労死まで、私たちの家族や隣人がいつ生命を奪われるかわからない、高度な「危険社会」(ウルリヒ・ベック)で暮らしているのですから。阪神大震災の被災地、小林朗さんのお住まいの直ぐ近くで、またしても、痛ましい事故がありました。JR西日本福知山線の脱線事故、私のエルゴロジーの観点からすれば、グローバル化の中での日本企業と社会の問題を深く刻印していて、心が痛みます。過密なダイヤ、安全性よりも秒単位の運行時刻優先、ちょっとミスすれば「日勤教育」という名の査問地獄、かつては二人いた運転手が一人になっての緊張――106人のいのちを道連れにした運転手の責任は免れませんが、なにか「過労自殺」のような痛ましさを感じます。オーバーランによる秒単位の遅れよりも、JRの長期的な安全対策の方に遅れがあったのです。当初「置き石」を強調して事故原因の責任逃れ、震災を生き延びて人災で殺された犠牲者を「被災者」とよび、あと5秒遅れれば対向線特急電車との二重衝突の危機だったとか、明らかにコーポレイト・ガバナンスに問題があります。入学したばかりの1年生や就職活動真っ最中の大学生24人や、単身赴任先へ戻ったり、初めての海外旅行に出る前の悲劇、通勤・通学電車ですから明日は我が身です。お悔やみの言葉もありません。お亡くなりになった方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。徹底した事故原因の解明と安全対策の見直し、犠牲者への謝罪と補償を求めたいものです。あのスピードとぐちゃぐちゃな車体です。500人近い負傷者にも、身体的・精神的後遺症が心配です。ゴールデンウィークが始まりましたが、電車ばかりでなく、航空機もバスも不安がいっぱい。政府も「観光立国ニッポン」を不況の脱出口にしたいのならば、市場と企業を規制する抜本的方策を考えるべきでしょう。
中国の「反日デモ」は、中国政府が一転弾圧にまわって、もともと5月1日から始まるはずだった日本商品ボイコット運動の行方は未知数。しかし、この間の動きからだけでも、東アジアの不安定で不確かな政治が見えてきます。60年ぶりの台湾国民党主席と中国共産党総書記の会談、画期的です。1919年五・四運動の中国は、ロシア革命の影響を受けた中国民衆の対日蜂起の一環であり、朝鮮では3・1蜂起があり、足元の日本での米騒動が影響を与えていたのです。国民党と共産党は、二度の「国共合作」で抗日戦争を闘った主力であり、日本を倒した後の中国のあり方をめぐって内戦・分裂国家になった両当事者なのです。第三次国共合作は、さしあたりは対話の開始段階ですが、その行方に大きな影響を及ぼすのが「敵の出方」、すなわち、かつて一緒に闘った相手である日本の態度なのです。今回の反日デモの流れを調べてみました。ネット上には雑音(noise)・虚偽情報(disinformation)を含む多くの情報(information)が氾濫していますが、「中国で反日デモ 関連リンク集」などから、冷静にあたってみましょう。いわゆる「反日・愛国」サイトは、中国国内の「愛国者同盟網」「中華九・一八愛国網」「抗日戦争史実維護会」「中聯網」「無忘国恥」など、中国国内に留まりません。「記念抗日同胞受難聯合会」「香港保釣(釣魚島)行動委員会」など香港にも大きなサイトがあります。この香港サイトのリンク集「相關綱站」を辿ると、英語でも南京大虐殺や従軍慰安婦問題、アメリカ、台湾、シンガポールの関連サイトにすぐつながります。アメリカではユダヤ人虐殺のホロコースト記念館にも直結しています。つまり、「反日」というより「抗日」サイトは、インターネット上では、第二次世界大戦中のナチス・ドイツや軍国日本の蛮行を記憶し記録する、巨大なネットワークの一環です。中国政府の1989天安門事件以降の「反日教育」や教科書記述を、今回のデモの要因にあげる説もありますが、それは誘因・拡大要因ではあっても、問題は、もっと根が深いことがわかります。ですから、アメリカの報道では、北京や上海はもちろんですが、香港やニューヨークでも同時にデモがおきたことを重視しています。靖国参拝や教科書、領土問題も挙げられますが、インドでは、日本商品ボイコットに注目し、イラク報道で名を馳せたかのアルジャジーラが、国連常任理事国問題に注目しています。もちろん、中国での動きが、「韓流ブーム」などと浮かれてきた韓国から飛び火したことは、周知の事実です。韓国では「サイバー三国志」などと言われています。そして、発火点になった、5・4日本商品ボイコット運動・国際署名についていえば、出所はアメリカのカリフォルニアからニューヨーク、韓国、中国と流れて、すでに3500万人を越えています。つまり、中国政府のコントロールできないかたちです。それに、中国での日系企業でのストライキは、「反日デモ」に触発されながらも、賃上げや自主的労働組合結成が主要な要求でした。こちらの火種なら、日系企業以外でも、いくらでもあります。ポーランドの自主労組連帯が生まれたときのような、注目すべき動きです。5月4日を何とか力で押さえ込んでも、7月7日は日中戦争の発端となった1937年盧溝橋事件(中国では七七事変という)記念日、8月15日は、日本では「終戦記念日」でも中国・韓国にとっては「独立・解放記念日」で「光復節」、ネット上で一番目立つのは、9月18日、「柳条湖事件記念日」で。日本では「満州事変」と呼ばれる日、10月1日の中国建国記念日「国慶節」、10月3日の韓国「開天節」をやりすごしても、12月8日には、日本の真珠湾攻撃が待っています。つまり、グローバルな地球では、どんなに日本が緻密なダイヤを組み、元号で暦を作っても、相手国にもそれぞれの暦と年表があり、こっちは安全運転のつもりでも、脱線転覆はありうるのです。これもエルゴロジーからすれば、中国4千年の暦や世界地図、韓国のコリアン・カレンダーや「日本海」ならぬ「東海」の地図を尊重しながら、日本的時間・空間感覚をおしつけることなく、紛争の原因をしっかり見究めて、緊張度を低め、粘り強く話し合っていかなければならないのです。
ゴールデンウィークの読み物として、昨年11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演会での私の講演「イラク戦争から見たゾルゲ事件」が、日露歴史研究センター事務局編『現代の情報戦とゾルゲ事件』に、同題のテープ起こし講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」として、書物になりましたからご笑覧を。新事実満載です。これに関連して、「勝野金政WEB記念館」と共に、私の「旧ソ連日本人粛清犠牲者」研究の盟友藤井一行教授の新研究室がオススメ。定年退職後のインターネット上でのお元気な発言は、いまや「「大正っ子」さんや「 ブナ林便り」さん、作田啓一さん、「日々通信」さんに留まらない勢いで、広がっています。CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』昨年12月号掲載の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を大幅に加筆・改訂した単行本は、夏までには刊行できそうです。あまりに大きくなって原ページに悪戦苦闘、残念ながら第二次世界大戦の米国戦意高揚ポスター、米軍対日宣伝ビラ、日本軍の反米ポスター等々を入れるのは断念しました。図書館の『エコノミスト』連載書評は、4月12日号のエレノア・M・ハドレー『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社)、『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』(和歌山大学歴史学・海津一朗研究室)、につづいて、5月9日発売の5月17日号に、有田芳生さんの『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)と横堀洋一さん編『ゲバラ 青春と革命 』(作品社)という異色の組み合わせ、アップは次々回ですが、料理の仕方にご注目を。3月15日号のエリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)、2月黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、昨年12月原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)等々と共にご笑覧を。「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」論文のもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)にも注目。「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などもあります。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。5月に第3巻が出ます。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)、5月には第3巻も出ます。日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの英文国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)も。『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編、第4回ムンバイ大会の記録集 『帝国への挑戦』日本語訳はオススメ。恒例により、3月に卒業した加藤ゼミの学生たちの学士論文をアップ。今年も粒ぞろいです。
このメールに、反発する日本人は多いでしょう。「5月は一つの戦役」という言葉で、すわ日中国交断絶、自衛隊出動と早合点する人もいるでしょう。確かに北京の日本大使館への投石や、上海での日本人学生への暴行は不当で、抗議すべきでしょう。でも、情報政治学的に見れば、このメール自体が、中国社会の今を伝える、有意味な情報です。日本製品ボイコットは、1919年5・4運動以来の、伝統的な抗日解放闘争の形態です。「竹島」問題での韓国民衆の怒りが中国のマグマを呼び起こしたこと、逆に言えば、韓国の民衆動向に詳しい人々が、このよびかけのバックにいることが、うかがえます。メーリングリストやブログの方式以前の、チェインメール方式で数万のデモが全国に起こる状態にあること、1億人になろうという中国のインターネット人口、特に30歳以下層が、1989年天安門事件の頃の「大字報」(壁新聞)方式とは異なるかたちで、アメリカ西海岸やヨーロッパ、香港、シンガポール、日本の華人ネットと結びつきつつあることがうかがえます。実際、日本の国連安保理常任理事国入り反対署名を最初に始めたのは、カルフォルニアの華人サイトだったといわれます。つまり中国政府にとっても、今回の反日デモは諸刃の刃。投石は、いつ自分たちに向かってくるかわからない、不気味な動きなのです。かつて私は、1989年の東欧革命を「テレビ時代のフォーラム・円卓会議革命」と規定して物議を醸しましたが、神浦元彰さんは、<もし中国でこれから政変が起きれば、それは「ネット革命」と呼ばれるだろう。あの天安門事件が起きた時代に、ネットが今のように広まっていれば、中国政府はあれほどの武力弾圧を行えただろうか。北京の騒乱(天安門事件)は全国に伝わり、全国で武力鎮圧が難しい広がりを見せたと思う。そのような視点で見ると、今の中国は明らかに過渡期である。ネットという壁新聞と、大容量通信手段を得た市民が、中国が抱える内部矛盾を告発するネット革命が始まる。反日デモはそのスタートライン程度でしかない>と、問いかけています。
日本の学生たちと、先のメールを素材に話してみたら、問題を、中国内部における経済格差や情報ネットの広がりから見る意見が、多くみられました。でも逆に、その点火剤として、なぜ日本の安保理常任理事国入り問題が使われたかも、重要です。中国政府は、日本の安保理常任理事国入りには反対するが、ドイツが入るのは支持すると、明言しています。その違いは、同じ敗戦60周年でも見逃せません。日本は、国際社会の中で信頼を醸成できていないのです。五十嵐仁さん「転成仁語」4月8ー11日は、「日本の国連安保理常任理事国入りに必要な3つの条件」として、(1)周辺諸国との友好と協力、(2)対米自立、(3)憲法9条の堅持と平和戦略の具体化を挙げています。全く同感ですが、一点の疑問。(3)で<憲法第9条は世界中に広く知られており、世界第2位の経済大国でありながら、非戦・非武装の「平和理念」を掲げる国です>とありますが、残念ながら<憲法第9条は世界中に広く知られており>という認識は、私の体験では逆です。日本研究者の狭い世界ならともかく、学者の世界でも、日本国憲法第9条はそんなに知られていません。日本の非戦・非武装理念を知っている普通の民衆は、世界にはほとんどいません、それは、インド憲法が「社会主義」をうたい、カースト廃止条項があることほどにも、知られていないでしょう。ですから、憲法条項だけではだめです。憲法第9条に沿った「平和の国」としての姿が、世界中の普通の人々にしっかり認知されること、例えばかつてスイスが「中立国」として世界中で広く知られていたような実績作りが、何よりも大切です。残念ながら現実は、日本はアメリカ軍指揮下の軍隊をもつ「懲りない国」と見られており、同じ60年前の敗戦国でも、EUのドイツとは違う風に見えるのです。つまり、歴史認識の問題とは、対中・対韓関係に留まりません。この60年の世界の日本認識と「戦後責任」が問われているのです。丸山真男『自己内対話』(みすず書房)から、今回は短く――「権力が権威として現れる。価値基準が権威から分離しない。被治者根性――政治的支配がすべての価値を吸収する。上からの施策にすべてを期待する。自分の拡充としての帝国主義」1947年ノート抜粋)。
その火に油を注ぐように、訪中前の町村外相からは、対外公館警備に自衛隊派遣という物騒な話。中国現地からの情報も錯綜していて、兜町は敏感に反応して全面安ですが、イトーヨーカ堂北京5号店は無事開店とか、マツダは中国出張自粛とか。そんななかで、現地日本人の情報は貴重。JMMのふるまいよしこさんや、日々是チナヲチ、中国という隣人などのサイトに、広く当たってみましょう。もちろん中国政府の公式サイト人民網は欠かせません。勝谷誠彦さんは、中国政府の外国向け発表と国内向け報道の二枚舌を衝いています。事件の発端になった、北京の秋葉原というよりも、中国のシリコンバレーとよぶべき電気街「中関村」は、北京での私の定点観測地点です。近くに北京大学をはじめ大学・研究所が多く、これまでは、リナックスとウィンドウズのOS競争や、パソコン・ケータイ価格にもっぱら注目してきましたが、今後は、中国政治の動きも中関村からよく見えそうです。日本政治の動きの方は、郵政民営化や年金改革の国会論議からはさっぱり見えません。南の方に眼を移しましょう。福岡では、地震が続いています。まずは福岡2区衆院補選。かの「首相の盟友にして女性の敵」の復活なるか、公明党票の動きが焦点で、憲法改正問題に連動します。無論、宮城2区と共に民主党にとっても正念場。さらに南の沖縄辺野古。マスコミはほとんど報じませんが、防衛施設庁の米軍基地建設が強行されそうです。そして、イラクのサマワ、「日本の支援に失望/サマワの知事が不満表明」。情報戦について、チョムスキーの講演「ドクトリンとビジョン:誰が世界を動かそうとしているのか、そしてどのように」をじっくりと。
前回更新でとりあげた「勝野金政WEB記念館」、リンクを充実させて、ちょっぴり洗練されてきました。CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』昨年12月号掲載の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を大幅に加筆・改訂した単行本を、ようやく脱稿しました。残念ながら第二次世界大戦の米国戦意高揚ポスター、米軍対日宣伝ビラ、日本軍の反米ポスター等々を入れるのは断念しましたが。近く本になります。図書館の『エコノミスト』連載書評は、4月12日号のエレノア・M・ハドレー『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社)、『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』(和歌山大学歴史学・海津一朗研究室)、3月15日号のエリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)、2月黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、昨年12月原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)等々と共にご笑覧を。「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」論文のもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)にも注目。昨年11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などもあります。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。5月に第3巻が出ます。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの英文国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)も。『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編、第4回ムンバイ大会の記録集 『帝国への挑戦』日本語訳はオススメ。
しかし、地方政治の条件が大きく変わるこの合併劇や年金問題は、マスコミ・ワイドショーの蚊帳の外。国会論議は放映されても全然盛り上がらず、この2週間のテレビ・新聞は、ライブドアvsフジテレビのマネーゲームで大騒ぎ。結局「白馬の騎士(ホワイトナイト)」になるのかヤフーを持つソフトバンク系列の投資会社SBIが現れて、形勢は「大人の解決」へと二転三転。どっちもどっちですが、こうしたワイドショー経済の陰で、三菱ふそうの呆れた欠陥車作り、NHKの1億6000万円制作費流用、IBMの東京証券取引所撤退、そしてライス国務長官来日に屈したBSE全頭検査抜きの米国牛肉輸入再開の動きなどが、あっさり忘れ去られようとしています。マネーゲーム管理の頂点世界銀行の総裁に、ネオコン・ウォルフォヴィッツがなりそうな話の方が、もっと重要なのですが。例によって、丸山真男「折たく柴の記」の一節から。――「思想がそれ自身目的として、その内在的価値によって尊重される精神が乏しいのが我が国の現状である。思想はつねに何等かの行動の手段として多少とも宣伝的意味を帯びしめられ、従って、独占的、排他的、暴力的性格をもつ。その思想の中の何が真であるかよりも、その思想でもつて何をするかが中心的地位を占める。『思想戦』などといふ言葉はかうした風潮の絶頂に達した頃の表現である。討議によってより高い真理に近づくといふ精神でなく、如何に反対者を沈黙せしめるかといふ精神である。この点に於て過去のマルキシズムも例外でない。……思想の独立のためにわれわれが闘はなければならないのは、単に思想対思想外的暴力ではない。それは、思想内暴力に対しても峻厳な闘争がなされなければならぬ」(昭和20年11月4日、『自己内対話』11-12ページ)。勝野金政は「思想内暴力」の犠牲者でした。いま、東京都や大阪府の学校の卒業式・入学式では、むきだしの「思想外的暴力」が荒れ狂っています。「君が代」不起立で、東京では50人の先生方が処分を受けそうです。3月19・20日の世界の反戦行動はほとんど報じられず、韓国・中国との関係も、めっきり報道の減ったイラク情勢やサマワの自衛隊も、マネーゲームの裏で、深刻になってきています。沖縄の辺野古沖では、米軍基地着工が強行されそうです。。そして、いよいよ自民党の新憲法草案要綱と衆議院憲法調査会の最終報告とが、次回更新前にも出そう。9条改正については「自衛権及び自衛隊について何らかの憲法上の措置をとることを否定しない意見が多かった」となりそうです。
この間多くの皆様から新刊図書をいただいていますが、自分の執筆の方で手一杯で、読むのが遅れ、御礼もできないでいます。この場を借りて、ひとまず御礼申し上げておきます。面白いと思ったのは、有田芳生さんが自分のホームページ『今夜もほろ酔い』で、連日推敲の苦労を語っていた『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)の試み。いわゆる「芸能もの」ジャンルではなく、立派な現代史ドキュメント。「スパイ説 本当の死因 中国政府の罠 天安門事件との繋がり」等々の謎解きと、練りに練ったという文章ももちろんですが、巻末に入れられたCDの記録と歌声に注目。雑誌やIT本ではよくあることですが、一般単行本では珍しい付録の試み。歴史書や教科書・社会科学書だって、図版と音声・リンク集を使えば、いろんなことができそうです。ライブドアも、こうした中味のあるメディアミクスのアイディアを出してくれれば、もうちょっと面白いのですが。例えば世界社会フォーラム(WSF)について、私たちの『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編、第4回ムンバイ大会の記録集 『帝国への挑戦』日本語訳が発売されましたが、もしもそこに第5回ポルトアレグレ大会での写真や記録が自動的に取り込める仕掛けや、チュムスキーやヴァンダナ・シヴァの肉声演説CDが入っていたら、もっと魅力的になったでしょう。硬い書物も、これからは、臨場感を必要とするようになるかもしれません。今年はいくつも書物を作らなければならないので、インターネットと書物の共存できるあり方、いろいろ探っていこうと思います。「国際歴史探偵」で集めた「旧ソ連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」「在独日本人反帝グループ関係者名簿」の活用や、イマジンデータベース「戦争の記憶」と祈り・癒し系♪ IMAGINE GALLERYのメディアミクス等々、いろいろ実験できそうです。
もっともCIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』昨年12月号掲載の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を大幅に加筆・改訂した単行本をようやく脱稿したのですが、次々と新資料が増えてふくらみ予定枚数を大幅に超過、残念ながら第二次世界大戦の米国戦意高揚ポスター、米軍対日宣伝ビラ、日本軍の反米ポスター等々を入れるのは断念しました。というより、真珠湾攻撃から1942年夏までで一冊分を超過し、43-45年の情報戦最盛期の入り口で一区切り。図書館の『エコノミスト』連載書評は、3月15日号のエリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)をアップ。2月黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、昨年12月原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)、11月佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)、加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)等々と共にご笑覧を。「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」は、論文のもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)と併せてご笑覧を。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載されて、Japan Timesほか外電英語ニュースでも議論されています。『文藝春秋』昨年6月号に発表した「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」(より詳しいインターネット版「戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石」)、11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などもあります。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの英文国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)も。はや新学期。教育センター関係を、大幅に更新しました。恒例卒業学士論文新規追加は次回に。
2005/3/15 ちょっとしたハプニングで、半日の更新遅れ。コンテンツは作って和歌山まで出かけたのですが、ホテルの電話が旧式、おまけに携帯電話を持たずに出て、アップできず。更新日にリピートしている皆様には、ご迷惑かけました。千葉の知事選は盛り上がらず、自民党が意外の復調、国会での年金討論も緊張感を欠き低迷する中で、ついに、会期中の現職国会議員が強制わいせつで現行犯逮捕という末期症状の国政。そこに、一筋の光明。「横浜事件」の再審請求が東京高裁で認められた話。検察も特別上告を断念、再審が確定しました。「歴史の重い階段を一つ、しっかりのぼった」というご遺族の言葉は、「戦後六十年も経ったから改憲を」といった支配的流れに抗して、もういちど「戦争の記憶」に立ち返る、手がかりを与えます。再審請求を認めた高裁判決は、3月10日、東京大空襲の60周年の日でした。でも、同じ日の読売新聞社説「東京大空襲、明らかに『戦争犯罪』だった」 は、横浜事件や治安維持法の方には触れず、「東京裁判史観」の方を断罪します。
東京大空襲が非道な無差別絨毯爆撃であったことは疑いありませんが、軍事的敗北のはっきりした戦争を「国体護持」のために引き延ばし、沖縄や都市の民衆を楯に、徒に犠牲を大きくした日本軍部・政府が、免罪されるわけではありません。1964年と言えば、戦犯岸信介の弟佐藤栄作内閣の時期。ご存じでしょうか。日本で唯一のノーベル平和賞受賞者は、佐藤栄作だったことを。この読売社説は、「歴史の重い階段」を、建物そのものと一緒に壊し歪めようとするものです。1964年当時の日本政府が、東京大空襲の責任者ルメイに勲章を贈ったのは、「航空自衛隊の育成に協力した」理由です。つまりは、政府の方が「東京裁判の呪縛」から解き放たれ、読売新聞が年頭社説で願った自衛隊認知・改憲明文化の方向に、一歩も二歩も踏み出したためだったのです。この頃の在日アメリカ大使館の陣容、エドウィン・ライシャワー大使、ジョン・エマーソン政治担当公使、チャールズ・ファーズ文化担当公使・情報部長の陣容に、いま一度注目しておくべきでしょう。この3人は、すべて、1936年に日本に留学中で、2/26事件を目撃しました。その経験から、「ケネディ・ライシャワー路線」の「ほめ殺し」路線で日本に対処し、60年安保で傷ついた日米関係の「融和」をはかっていたのです。東京オリンピックから、一時的不況を経て、高度成長後期に突入する時期です。佐藤栄作のノーベル平和賞受賞理由になった沖縄返還も、実は、基地付き・核容認密約と一緒だったことが、今日では明らかになっています。「いかに強く日本社会の歴史認識をゆがめたか」を言うなら、「東京裁判史観」ばかりでなく、憲法第9条下の自衛隊や日米安保条約のこともいわないと、不公平でしょう。
このニュースをネットで追いかけて、気づいたこと。3年前の2002年夏に、私が「戦争の記憶」データベースを立ち上げた時、戦争体験の継承は、かつての自費出版や「戦後50年=1995年」=阪神大震災と地下鉄サリン事件の年の地方自治体による庶民の体験記録集刊行ブームの延長上で、安価で画像や軍歌も入れられるインターネット上に、無名の人々の戦争体験が現れ始めたことを報告しました。それから3年たった「戦後60年」の今年は、おそらく日米戦争体験を大規模に集めうる、最後のチャンスです。自民党や読売新聞の改憲誘導が成功すれば、「もはや戦後ではない」になるでしょう。幸い日本国憲法が守られても、「戦後70年=2015年」に証言できる人は、著しく減少し、高齢化しているでしょう。しかもブロードバンド化も行き渡りブログ・サイトも広まった今年なら、インターネット上に、子どもたちや孫たちの協力で、安価に恒久的な戦争体験の保存が可能になっています。今年の8月15日に向けて、各地の都市絨毯爆撃、沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキ、ソ連参戦、終戦、引き揚げ、抑留、戦犯追及と、「60周年」が続きます。都市空襲については、すでに3年前に私のデータベースに入れた★リンク集「戦争を語り継ごう」、★日本の戦争責任資料センター」のようなベーシック・ポータル・サイト、「日本空襲と原爆投下」、★「地方都市空襲の進行と被災都市」 、★「 都市空襲」、★「空襲体験記」。大都市だけでも、★「埼玉県平和資料館」、 ★「戦時下の中学生 一番恐ろしいのは機銃掃射」、★「大阪空襲を伝える資料をあつめて」、★大阪大空襲の日「空襲状況報告書」、★「神戸大空襲の記憶」 、★網走空襲、★青森空襲の想い出青森空襲を記録する会、★8月10日一関空襲、★宇都宮空襲の真実、★前橋空襲と戦争中の学校の様子、★狛江市「私の空襲体験」 、★平塚空襲をご存知ですか?、★静岡の空襲・体験画、★超空の要塞 B29の追憶・・・墜落現地を訪ねて、★B29の墜落、★名古屋熱田空襲 、★悲惨だった三重県の空襲、★岐阜空襲を記録する会、★岡山水島大空襲 、★敦賀空襲、★熊本空襲について、★柳原敏昭「米軍資料に見る鹿児島県内の空襲」、★「かくされていた空襲―京都師範学校 学徒動員の記録」 、★防空法制下の庶民生活(水島朝穂「命よりまず「御真影」が気にかかり」)等に加え、東京だけでも、今回検索して「東京大空襲」「東京大空襲」「東京大空襲」「東京大空襲」「東京大空襲・戦災資料センター」「東京大空襲 史上最大の虐殺」「湯の花トンネル」「ランドセル地蔵」「Why 東京大空襲と下北沢」「東京大空種罹災体験記(音声入り)」「東京大空襲」「東京大空襲」「幸田回生: 東京大空襲と三島由紀夫」など、新たなサイトが数多く生まれているのがわかりました。3年前からの移転・リンク切れも沢山ありましたが、インターネット上の戦争体験データベースは、確実に拡大しています。
このさい、「国際歴史探偵」を自称する本サイトから、よびかけましょう。丸山真男が『自己内対話』1945年10月29日に「我国はポツダム宣言の受諾によって、デモクラシーへの道は唯一の国家的進路となったが、いはゆる『デモクラシーの危機』を世界的に招来せしめた諸要因の探求を忘れてはならぬ。19世紀的自由民主政の途をそのまま歩み、デモクラシーの危機への道を驀進することの愚なるはいふ迄もない」として「デモクラティック・スピリット」の重要性を説いたひそみにならって(9-10頁)、あるいは前回更新で紹介したガンジーの詩の一節、「民主主義とは、人々が羊のように振舞う状態のことではない。民主主義の下では個人の意見の自由と行動とは、油断なく保護されている」を実現するために、このさい憲法改正への態度や自衛隊イラク派遣の賛否、老人党や世界社会フォーラムに賛成するかどうかは問いませんから、「戦後60年」にあたって、戦争体験を持つ方々は、大きく声をあげましょう。戦後に生まれたご家族や周囲のネチズンは、それを助けましょう。「大正生れの歌」のような軍歌や戦闘帽の素材でもいいですから、インターネット上に戦争の記録と記憶をしっかり残していきましょう、戦時中のアルバムや日記を、このさいデジカメで撮って公開し、想い出を記しましょう、と。もちろんこの動きは、日本に留まるものではありません。海外の日系人のサイトでも同じ方向がみられますし、アメリカ人が、第二次世界大戦の米国戦意高揚ポスターばかりでなく、米軍対日宣伝ビラ、日本軍の反米ポスターを膨大に集めて画像で再現したホームページも、生まれています。この運動に共感し、イマジンデータベース「戦争の記憶」をリンクし広めてくれるサイトを募ります。
というわけで、今回は、ライブドアvsフジテレビの時事コメントはお休み。実はいまCIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』12月号掲載の私の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を大幅に加筆・改訂した単行本を、ようやく脱稿したところ。おまけに更新日15日は、春休みの講演・調査旅行で、紀州和歌山あたりの予定。図書館の『エコノミスト』連載書評は、3月15日号にエリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)と中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)を書きましたが、発売されたばかりですので次回アップ。2月15日号黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)、1月の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、昨年12月原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)、11月佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)、加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)等々と共にご笑覧を。世界社会フォーラム(WSF)について、『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編 『帝国への挑戦』日本語訳が発売されました!(ジャイ・セン+アニタ・アナンド+アルトゥーロ・エスコバル+ピーター・ウォーターマン編、武藤一羊+小倉利丸+戸田清+大屋定晴監訳、3,200円、作品社)、135か国から15万5千人が集った第5回フォーラム参加記を参照して、ぜひどうぞ! 「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」論文のもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)もご笑覧を。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載されて、Japan Timesほか外電英語ニュースでも議論されています。『文藝春秋』昨年6月号に発表した「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」(より詳しいインターネット版「戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石」)、11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などが、すべて関連してます。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。英文ですが、日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)も。次回4月1日更新は、はや新学期。教育センター関係を、大幅更新します。
2005/3/1 「歴史的=事物的理解を機構からはじめるか精神からはじめるか。資本主義といふのは機構であると同時に精神である。資本主義精神から離れた資本主義機構といふものは存在しない。さうした『客観的』機構とは実のところ素材、盲目的素材にすぎない。その素材に一定の意味を与へ、形態づける、formenするのは精神だ」(丸山真男「折たく柴の記」昭和18年6月8日『自己内対話』みすず書房、6頁)。ライブドア対フジテレビのニッポン放送株をめぐる攻防戦。自らの足元の問題を隠したいNHKまでが大々的に報道して、法廷闘争の場へ。一見アメリカ式のM&A(企業買い占め)作戦を進めるライブドアが「新しい資本主義」、新株予約権発行という姑息な手段で「フジ=サンケイ・グループ」への新興IT企業の影響力を排除しようとするフジテレビが「古い資本主義」にみえます。ライブドア堀江社長の若さと、フジテレビ日枝会長の世代差も、資本主義の新旧世代激突に見えます。お笑いなのは、自民党政治家や財界・業界幹部の右往左往。この十年進めてきた「グローバリゼーション」という名の新自由主義の道は、外資を含む資本流動性を高める規制緩和・市場至上主義であり、日本型従業員資本主義からアメリカ型株主中心資本主義への転換であったのに、いざそれが、右派イデオロギーの総本山フジ=サンケイグループに対する、外資をバックにしたIT成金の株買い占めになったら、株主中心主義の弊害や政府による規制強化という御都合主義をいいだすのですから。身勝手です。丸山真男が統制経済下の戦時に洞察したように、問題は「資本主義の精神」です。そして既得権益の保護も、新規参入の奨励も、どちらも「資本主義の精神」の産物です。
1980年代末のバブル経済絶頂の頃、日本の社会運動研究の中で、ちょっとした話題になったトピックがあります。ちょうど労働組合の「連合」ができた頃、日本の労働組合の組合員数と個人株主数が、ちょうど1千万人程度で同じだというのです。いうまでもなく、労働組合員数の方は組織率が減ってきて1千万人まで凋落、それに対して個人投資家は、バブルで増えてきて1千万人。それも、普通の労働者が労働組合員であると共に株式投資もやって「資本家」にもなった、という話でした。これは、アメリカなら然りで、成人の50%6200万人が株式市場の動きで日々の生活が左右されるのですが、日本については、誇大広告だったようです。インターネット上で調べると、あるサイトでは「日本では個人投資家は 実数で50万人に満たない」とあり、日本では「ヘッジファンド等の投機資金(バクチのお金)」が株価を左右している、といいます。別のサイトでは、「日本の個人投資家は、総数でいくと300万人くらい。東京証券取引所の売買のシェアでいくと、今、大体全体の20%くらいが個人投資家の売買シェアです」とありますが、これでも1千万にはほど遠く、庶民生活には無縁な話です。つまり、ライブドア対フジテレビに関わるのは、ほんの一握りの人々で、大多数の庶民にとっては、どちらが筆頭株主になっても、大企業間の株式持ち合いで成り立つ日本型資本主義に、大きな変化はない仕組みです。にもかかわらず、マスコミが大騒ぎし、政治家や財界人もあれこれ言うのは、株買い占めによる企業支配の対象が、テレビ・ラジオ・インターネットという情報戦に関わる領域だからでしょう。マスコミ各社にとっては、他人事ではなく、政治家の言論圧力以上に絶対的な資本の言論支配がありうることを、知っているからでしょう。世界には実例があり、マードックの買い占めたFOXテレビが、CNNの向こうを張って、9/11以降のアメリカ世論に及ぼした影響力は、はかり知れません。1996年にマードックがソフトバンクと組んでテレビ朝日を買おうとした話は、まだ生きているようです。フジテレビ経営陣が労働組合と一緒に「ライブドア・ノー」を言ってるのも、皮肉な話。ライブドアの堀江さんは「民間放送で唯一起点時間に君が代を演奏」しているニッポン放送を、どのようにグレードアップ?するつもりなのでしょうか。その狙いがいまひとつ見えません。財界マスコミ対策の産物ニッポン放送に限らず、フジ=サンケイ・グループの歴史をじっくり調べれば、「資本」というものの怖さがわかります。そういえば、作家の辻井喬こと堤清二さんは、『父の肖像』で今話題の堤康次郎を描く前、『風の生涯』で描いたのが水野成夫、つまりフジ=サンケイグループの元祖でした。「今日の日本資本主義」を知るために、五十嵐仁さん「転成仁語」2/26「なんと過酷な働き方なのか」をぜひ参照。「勤務状況も、予想以上にひどいものです。民間と公務の男女総計では、6時38分に起床し、7時35分に自宅を出て8時18分に職場に着いています。職場を出るのは19時で、帰宅が19時51分、就寝時間が23時58分です」「中堅サラリーマンである大卒・非現業労働者の在社時間は、事務営業系で11時間17分、技・専門職では11時間47分にも上ります」とあります。
私の身近なライブドアは、実はメーラーのユードラ。もともとマックで出発した時から、ウィルスいっぱいのアウトルックを嫌ってユードラ一筋で来たのですが、いつのまにやら堀江さんに買い占められていました。ライブドアHPに「ミニ知識:Eudoraの由来って?」というコラムがあり、「Eudoraは、1988年にマッキントッシュ用電子メールソフトとして開発されました。開発者は、その新しいメールソフトにふさわしい名前を日夜探していたそうです。その時です、ふと自分の好きな「Why I Live at the P.O.」という短編小説の題名が思い浮かんだのでした。そして彼は、大好きな小説の作者であった『Eudora Welty』 さんの名前を、この新しいメールソフトの名前にすることを決意したそうです。こうして「Eudora」は世にうまれてきたのです。「Why I Live at the P.O.」は、Weltyさんの「A Curtain of Green and other stories (Harcourt Brace &Co.)」という作品集の中に収められています。Welty さんの小説はおかしくて・・悲しくて・・そしてとても魅力的だそうです。Eudoraとは、そんな優しさを受け継いながら世界の2000万人以上のユーザに愛されてきたメールソフトなのです」なんて、うまい殺し文句があります。でも、このライブドア版ユードラの売りの「迷惑メール防止機能」、あまりうまく機能しません。自動判定がどうにもいい加減で、判定率を高めると、大切な仕事のメールがスパム欄に入れられ、判定率を落とすと、出会い系・アダルト・ドラッグ・マネーゲームとあらゆる種類の屑メールがそのまま受信欄へ。結局、手作業で毎朝数百通をゴミ箱に送る無駄はなくなりません。先日テレビでも特集してましたが、このスパムメール対策こそ、ぜひとも法的規制を含めて政府・業界に取り組んでもらいたいところ。私事になりますが、メールを出先で読むために携帯電話を買って使ってきたのですが、携帯は電話一本にし、パソコンから携帯に転送してメールを見るのを辞めました。先日NTTドコモの請求書を眺めて気がついたのですが、ほとんど発信では使ったことがないのに、パケット料が毎月数万円。遅ればせながら、携帯は受信しただけで課金され、転送したメールの99%にあたるスパンメール代が、自動的に払わされていることに気づきました。宝物のホンモノメール数通を出先で見るためだけに、数百の迷惑メールとつきあわされるのも、ばかげた話。きっぱり転送をやめたら、わが携帯の静かなこと、ノートパソコンを使えば、メールにも不自由しません。HPを開いているとスパム攻撃は必然ですから、ご同病でお悩みの方、試してみたら。
1月末の第5回世界社会フォーラム(WSF)の参加記が、ネット上にも集まってきました。何しろ135か国から15万5千人といいますから、参加者でも全容をつかむのは、大変だったようです。それでも世界の底流は、確実にわかります。「反戦総会での行動の呼び掛け」から。
ついでにガンジーの詩からも一言。「民主主義とは、人々が羊のように振舞う状態のことではない。民主主義の下では個人の意見の自由と行動とは、油断なく保護されている」。
私たちの訳した『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編 『帝国への挑戦』日本語訳が発売されました!(ジャイ・セン+アニタ・アナンド+アルトゥーロ・エスコバル+ピーター・ウォーターマン編、武藤一羊+小倉利丸+戸田清+大屋定晴監訳、3,200円、作品社)、ぜひどうぞ! CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』12月号掲載の私の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」インターネット版を改訂中、近く書物になる予定です。そのもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)と共にご笑覧を。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載されて、Japan Timesほか外電英語ニュースでも議論されています。『文藝春秋』昨年6月号に発表した「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」(より詳しいインターネット版「戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石」)、11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などが、すべて関連してます。『エコノミスト』連載書評は、2月15日号黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)と山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)を新規アップ。1月18日号の平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、昨年12月14日号原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)、11月16日号佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)、加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)等々と共にご笑覧を。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。英文ですが、日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)も。
たとえば1月末のイラク国民会議選挙。ようやく開票集計結果が出て、シーア派「イラク連合」48%、「クルド同盟」26%とか。次は組閣がいつで誰が首相かの話題に移りそうです。でも投票率58%って、どれだけ信憑性あるんでしょうか。少なくとも日本のマスコミにとっては、「大本営発表」です。米国ブッシュ大統領が「イラク国民がテロリストの脅しを拒絶し、民主主義と自由に向けた道筋をつけたことを祝福」というニュース、5年前の大統領選挙を想起し、重ね合わせた人は、どれだけいるでしょうか。情報戦時代の政治は、「速度の政治」です。いったん事実として流された情報の後追いは、流行りません。争点が次々に移り、問題の焦点がすり変えられていきます。テレビ番組の事前検閲・自主規制問題が、取材方法や取材費着服疑惑に。それもやがて飽きられ、ラグビー戦実況や視聴率へとうつろう軽さ。国会の論戦も、よく似たパフォーマンスになっています。
たとえば「ブナ林便り」さんに入っている「サマーワの日本軍基地迫撃砲攻撃で複数の死傷者」という話。ベイルートのニュースを読むと、大手メディアは黙殺だからといって、いちがいに無視もできない、おちつきの悪さ。「イラク抵抗勢力は12日午後1時、サマーワの日本軍基地に迫撃砲で攻撃を敢行した。同市の本紙通信員が目撃者と抵抗勢力筋から聞いたところでは、攻撃後厚い煙が昇り基地内で爆発した轟音が聞こえた。また複数の米軍機が基地周辺の上空を旋回し、イラク警察が基地に向かった。通信員は攻撃による被害を掴めなかったが、複数の情報筋は、複数の日本人死傷者が出たと断言した」――どなたか検証してほしいものです。
たとえば地球の温暖化。地震や津波ばかりでなく、どうもこの頃おかしい感じ。ようやく見つけた小さなニュース。「気象庁は、2004年の日本の年平均地上気温が統計を開始した1898年以降で2番目に高い値となったことを発表しました。また世界の年平均地上気温は、統計を開始した1880年以降で4番目に高い値となりました。1990年代以降高温となる年が頻出していますが、こうした上昇傾向は数十〜百年規模でも確認されており、気象庁は原因として地球温暖化が考えられるとしています」――でもさらに調べると、驚きます。「1880年以降で4番目」というので、まあ長期循環のサイクル内かと思ったら、なんと「1998年、2002年、2003年に次いで4番目」です。ここ数年急速に上昇し、異常が正常に変態しているのです。そこに「中国、世界第3の自動車生産国に」という威勢のいいニュースを重ね合わせると、京都議定書がようやく明日16日から発効という話も、あの時ヨーロッパ諸国がどう主張し、日本は議長国として何をしたのかを、改めて考えざるをえないはずなのに。すべてが変調!
そして、予想はしていたとはいえ、ポルトアレグレの世界社会フォーラムへの、日本マスメディアの徹底した無視・無関心。第5回会議は、またまたふくれあがって、世界135ヵ国から15万5千人参加というのに、ATTAC JAPANやレイバーネットからしか、地球のざわめき・うごめきは伝わってきません。そこで今回は、WSFの最新写真のそばに、ヴァンダナ・シヴァの国インド大使館提供のガンジーの詩を添えて、非暴力のプロテスト。『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』の合い言葉と共に、姉妹編 『帝国への挑戦』もネチズンに届くように祈って!
私たちの訳した『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編日本語訳 『帝国への挑戦』が発売されました!(ジャイ・セン+アニタ・アナンド+アルトゥーロ・エスコバル+ピーター・ウォーターマン編、武藤一羊+小倉利丸+戸田清+大屋定晴監訳、3,200円、作品社)、ぜひ! CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局、OSS)資料に挑戦した『世界』12月号掲載の私の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」は、インターネット版をアップ改訂中。そのもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)と共にご笑覧を。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載されて、Japan Timesほか外電英語ニュースでも議論されています。『文藝春秋』昨年6月号に発表した「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」(より詳しいインターネット版「戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石」)、11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などが、すべて関連してます。『エコノミスト』連載書評1月18日号平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)とミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)、12月14日号の原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)、11月16日号の佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)、加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)等々と共にご笑覧を。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。高価ですが、図書館等にぜひ(不二出版)。英文ですが、日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)も。
その10日前、米国のブッシュ大統領は、二期目の就任演説で、「世界の圧政に終止符を打つ」と述べました。「圧政からの自由」――これ第二次世界戦争期のF・ルーズベルト大統領「四つの自由」からかと思ったら、その格調低い演説の種本が判明、イスラエルの右派政治家ナタン・シャランスキー無任所相が著した「民主主義擁護論」という本。この人旧ソ連の反体制派活動家で「世界には自由社会と恐怖社会があり、その中間はない」と主張しているそうです。政治学者として一言すれば、現実は正反対。世界のすべての社会は、ある程度の自由とある程度の恐怖の共存する社会で、100%の自由社会も100%の恐怖社会も存在しません。権力の3代目世襲を示唆したという金正日の北朝鮮でさえ、「完全な恐怖社会」ではありえず、だからこそ拉致犠牲者の人権を訴え、「帰還事業」の歴史的意味まで遡って脱北者を支援し、自由と人権の機能する余地を広げることが大切なのです。
昨日某民放テレビ局から電話、「ダボス会議」について教えてくれ、といいます。どうやらインターネットで探索し、私の「反ダボス会議のグローバリズム」がヒットしたためのようです。確かに1月26-30日、スイスの山中で、第35回世界経済フォーラム=ダボス会議が開かれました。96か国2000人の世界のVIPが集まって、今年の世界経済と景気の行方を占いました。大統領就任儀式のアメリカ政府はともかく、イギリスのブレア、ドイツのシュレーダー、フランスのシラク首相はそろい踏みでした。最近日本の影は薄くなり、中国や韓国からの発言も話題を呼びました。特にグローバル資本主義勝者たちの中心的関心が中国となり、ドイツのシュレーダー首相が年金受給開始を70歳に引きあげる考えを示したことは、日本の将来にとって重要です。ところが某テレビ局の知りたいのは、ハリウッド女優シャロン・ストーンがビル・ゲイツの前で発言して、あっという間にタンザニアへの1億円の寄付を集めた話、「ほかにどんな芸能人が参加しているんですか」が、聞きたかったポイントらしいです。それはロック歌手のボノが貧困撲滅を訴え、シャロン・ストーンのそばにはリチャード・ギアもいましたが、彼らはもともとエイズ・ワクチン開発など社会活動に熱心な俳優たち、日本の「芸能ネタ」ではありません。
ジャーナリズムの本来の仕事は、たんなる事実の報道ではありません。問題の本質に迫り、真実に近づくことです。日本で長く無視されてきたがゆえに報道さるべきは、ダボスの世界経済フォーラム(WEF)に対抗して、毎年この時期に開かれる、労働者・農民・地球市民・NGO・NPOの世界社会フォーラム(WSF)です。5年目の今年は、インドのムンバイからブラジルのポルトアレグレに会場を戻して、「もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )」を合い言葉に、世界中から122か国8万人が集まりました。日本からは50人ほどなようです。シャロン・ストーンのWEF会場にいたブラジルのルラ大統領は、もともと第5回世界社会フォーラムに参加し、開幕を宣言してからダボスにかけつけたのですが、某テレビ局は、もちろんWSFには関心なし。マスコミは全く報道しませんが、私の「IMAGINE! イマジン」関係の非戦平和メーリングリストでは、ポルトアレグレから連日中味の濃いニュースが流されました。日本語サイトでも、ATTAC JAPANやレイバーネットには、ほぼ毎日情報が寄せられています。たとえばWEFと同じテーマの「貧困撲滅」分科会では、1億円の寄付がその場で集まることはありませんが、長期的見通しでの民衆的解決策が提示されています。曰く、
昨年ヴァンダナ・シヴァが危惧したとおり、WSFも曲がり角にさしかかっています。ブラジルでのルラ大統領批判や、「祝祭と商業化の光と影」も報じられていますが、2年後の2007年のWSF をアフリカで開くことが確認され、2006年のWSF については、1ヶ所ではなく各地域ごとテーマごとなどで開催する方向が確認されました。現地の写真もいっぱいアップされていますから、ぜひサーフィンを。私たちの翻訳したフィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』や、ピースボートのPDFファイル「世界社会フォーラムがわかる12のポイント」を参考にして。今回はもう一つ、丸山真男の言葉――「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。テーマは改憲問題」――これ「1956年の手帖」からですが(丸山真男『自己内対話』みすず書房、45頁)、ほとんど最近のマスコミにあてはまります。もともと従軍慰安婦ドキュメント放映をめぐる政治家の圧力とNHKの自主規制体質の問題が、NHK対朝日新聞という巨大マスコミ同士の泥試合に戯画化され、報道の自由の危機に高見の見物を決め込んだ世界最大の商業紙は、年頭から熱心に改憲世論づくり。情報戦時代のメディア・リテラシーは、切実です。スマトラ島沖地震、インド洋巨大津波犠牲者は30万人突破、「救援をめぐる政治」やインドネシアのアチェ独立問題との関わりが、どの程度後追いされマスコミで報じられるか、長期的にウォッチしましょう。「戦争の記憶」データベースに、番外として好評の「大正生れの歌」「100人の地球村」を追加しました。「もうひとつの世界」のための、「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」である世界社会フォーラムなら、「100人の地球村」を包摂できます。拙稿「反ダボス会議のグローバリズム」のほか、WSFについて書いてきた、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「情報戦時代の世界平和運動」、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網」、「グローバル情報戦時代の戦争と平和」、「大義の摩滅した戦争、平和の道徳的攻勢――『アブグレイブの拷問』をめぐる情報戦」、「グローバルな世界と<私たち>の従軍」(『従軍のポリティクス』青弓社)等々をご参照下さい。なお、2004ムンバイ世界社会フォーラムで発売された『もうひとつの世界は可能だ!』の姉妹編の日本語訳 『帝国への挑戦』が発売されました!(ジャイ・セン+アニタ・アナンド+アルトゥーロ・エスコバル+ピーター・ウォーターマン編、武藤一羊+小倉利丸+戸田清+大屋定晴監訳、3,200円、作品社)。こちらもぜひ。戦争の最新情報は、「ブナ林便り」さんや「IMAGINE! イマジン」へ。
CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局)資料に挑戦した『世界』12月号掲載の私の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」は、岩波書店の了承を得て、インターネット版を新春アップしました。そのもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)という報告と共に、ご笑覧を。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載されて、Japan Timesほか外電英語ニュースでも議論されています。『エコノミスト』連載書評1月18日号は、ネット上でも話題の問題作平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)とミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)を新規アップ。12月14日号の原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)、11月16日号の佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)、加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)等々と共にご笑覧を。『文藝春秋』昨年6月号に発表した「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」(より詳しいインターネット版「戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石」)や11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などは、すべて「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」と関連しています。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。高価ですが、図書館等にぜひ入れてほしいと思います(不二出版)。英文ですが、日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)もどうぞ。
2005/1/15 「Organizatonはその組織を担ってゐる人々が、行動の各瞬間に恰もはじめて新しい問題に対する如くに決断しつつ組織を動かしてゐる限り、進歩的であり生命がある。組織が主体から分離して客観化し、その中の人が組織に身を委ねて慣習的に、無意識的に組織によって規定された仕方で行為する様になると、その組織は凝固し、生に対して阻害的に作用する。官僚組織はその典型だ!」――どこかの大企業社長の年頭訓辞ではありません。「構造改革」を掲げる小泉純一郎氏には、こんな気の利いた言い回しは期待できません。かの首相の得意技は「人生いろいろ」風ワンフレーズです。これは、年頭に「イデアールなものこそ最もレアールである」「他人のつくった型に入り込むのでなく、自分で自分の思考の型をつくって行くこと」と紹介した丸山真男「折たく柴の記」(『自己内対話』みすず書房)の、昭和18年6月2日の一節、つまり、日米戦争さ中の若き政治学者の洞察です。でも社会保険庁ばかりではなく、企業といい、官庁といい、大学といい、こんな「組織の動脈硬化」に心当たりある方々、多いのではないでしょうか。日本の公共放送であるNHKの不祥事の数々、ついに勇気あるプロデユーサーが内部告発で巨大に制度化した「組織」の内実を暴いて見せました。「政治家の圧力」の有無という事実関係も当然大問題ですが、放映前日に幹部がみたうえ内容を修正したというNHK内部の「自主規制」体質も気になります。報道メディアの自殺行為ですから。20世紀日本における最高の知的巨人と私が考える丸山真男の「折たく柴の記」――「戦後」60年の今年は、毎回更新毎に、「戦争の記憶」の一つとして、参照していきたいと思います。
「宇宙船地球号〔Spaceship Earth〕」にとって「ノアの箱船」「ポンペイの消滅」「タイタニック」に匹敵するスマトラ島沖地震、インド洋巨大津波の惨禍、犠牲者は16万人を突破し、行方不明者を会わせると20万人に迫る勢いです。その死者の半数がこどもたちという報道、痛ましいことです。そして、家族を失い生き残ったこどもたちには人身売買という懸念もでています。「対岸の火事」ではありません。いま世界の人身売買の一つのセンターが日本で、米国国務省の2004人身売買報告書でも「第二階層監視リスト」に入れられています。津波の被災地には、世界中から支援がおこなわれ、巨額の義捐金も集まっていますが、被害の大きな所ほど肝心の水・食糧や医師・看護師が届けられない状態が続いています。もはや「非戦闘地域」どころか迫撃弾・ロケット弾を連日受けているサマワの自衛隊派遣と違って、インドネシアへの自衛隊災害派遣については、あまり反対意見は聞こえません。実際現地の自衛隊員は、誠心誠意災害救助を行っているようです。ぜひ多くのこどもたちを、救ってほしいものです。でもそれを奇貨とした政治も、うごめいています。パウエル国務長官と1万2000人の兵士をいち早く送った米国ブッシュ大統領は、「イスラム世界での米国のイメージが改善=津波救援活動で」と自画自賛しています。日本の政治家にも、自衛隊の海外活動を国土防衛と並ぶ「本来任務」に格上げし国連決議抜きで恒常化すること、イラク派兵の正当化に用いること、さらには、憲法第9条改正のチャンスとして利用しようとする人々がいます。警戒の目を向け、歯止めをかけなければなりません。
世界一の発行部数を持つ読売新聞の連載社説は、この年頭から「『戦後』を超えて」と題して、改憲世論をリードしようとしています、NHKのような巨大「組織」メディアがそこに近づいているとすれば、私たち自身のメディア・リテラシーを磨き、鍛えなければなりません。今年も1月下旬にスイスのダボスで「世界経済フォーラム」が開かれるのに対抗して、ブラジルのポルトアレグレでは、第5回世界社会フォーラムが開かれます。ここ数年、私が最も注目し、期待してきたグローバルな社会運動です。「もうひとつの世界」のための、「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」です。拙稿「反ダボス会議のグローバリズム」以来、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」、「情報戦時代の世界平和運動」、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網」、「グローバル情報戦時代の戦争と平和」、「大義の摩滅した戦争、平和の道徳的攻勢――『アブグレイブの拷問』をめぐる情報戦」、「グローバルな世界と<私たち>の従軍」(『従軍のポリティクス』青弓社)等々で、繰り返しその意義を説いてきました。その詳しい内容は、私たちの翻訳したフィッシャー=ポニア編集、ネグリ=ハート序文『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』(日本経済評論社、2003年)を読んでいただきたいのですが、ピースボートの皆さんが「世界社会フォーラムがわかる12のポイント」という素敵な日本語パンフレットを作りました。PDFファイルですが、ぜひご参照下さい、イラク戦争の方は、「ブナ林便り」さんや新生「IMAGINE! イマジン」で。
でも、本格的なメディア・リテラシーを学ぶには、第二次世界大戦中の情報戦を振り返るのが一番です。この時代、ナチス・ドイツにゲッペルスの「宣伝省」があり、旧ソ連はスターリン主義の「アジテーション」で対抗し、イギリスは「政治戦」とよび、アメリカは「心理戦」と名付けていたようです。もちろん日本の「内閣情報局」も、これら大国の手法を学んでいましたが、どちらかといえば特高警察・大本営発表型の内向きの思想検閲・情報統制で乗り切ろうとしたため、情報戦プロパーでも敗退しました。前沖縄県知事大田昌秀さんの『沖縄戦下の米日心理作戦』(岩波書店)は、この問題に正面から取り組んでいます。そこで大田さんも注目し詳しく紹介している、アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社)、読んだ方も多いでしょうが、改めて参照してみましょう。曰く、
もちろんネット上でも、情報戦の歴史は学べます。東京大学アメリカ太平洋地域研究センターの特別室や、鳥飼行博さんの研究室に、当時のアメリカの戦争ポスターが公開されています。大田さんの本は米国「戦時情報局」OWIの「ホワイト・プロパガンダ」が中心で、そこに戦略・戦術を与え「ブラック・プロパガンダ」まで立案・実行したCIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局)については、あまり触れられていません。そこに挑戦した『世界』12月号掲載の私の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」は、岩波書店の了承を得て、インターネット版を新春アップしました。そのもとになった「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)という報告と共に、ご笑覧を。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載されて、Japan Timesほか外電英語ニュースでも議論されています。今年最初の『エコノミスト』連載書評は、発売中の1月18日号に、ネット上でも話題の問題作平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)と、ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)を発表、次回アップします。12月14日号の書評原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)、11月16日号の佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)、加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)はアップ済み。『文藝春秋』昨年6月号に発表した「野坂参三・毛沢東・蒋介石」往復書簡」(より詳しいインターネット版「戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石」)や11月ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念会での「イラク戦争から見たゾルゲ事件」、「反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向」(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月)、『週刊読書人』4月23日号米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)書評、『図書新聞』10月9日号くらせ・みきお編著『小林多喜二を売った男――スパイ三舩留吉と特高警察』(白順社)書評などは、すべて「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」と関連しています。「現代史研究」に入っている「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(下)を基礎に、「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」「消し去ることのできない歴史の記憶」などで展開した1950年代沖縄の解放運動原資料を網羅した、国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻が発売中です。高価ですが、太田さんの沖縄戦研究の後の時代の情報戦原資料ですので、図書館等にぜひ入れてほしいと思います(不二出版)。書評は他にも、立花隆『シベリア鎮魂歌──香月泰男の世界』(文藝春秋)、保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー──オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(御茶の水書房)、中野徹三・藤井一行編著『拉致・国家・人権――北朝鮮独裁体制を国際法廷の場へ』(大村書店)、坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)、リチャード・オルドリッチ著・会田弘継訳『日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争』(光文社)、小泉和子『洋裁の時代――日本人の衣服革命』(農文協)、法政大学大原社会問題研究所編、梅田俊英・高橋彦博・横関至著『協調会の研究』(柏書房)、などが図書館に。英文ですが、日本の憲法政治を扱った昨年11月メキシコでの国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)もどうぞ。
2005/1/8 本サイトトップは、おかげさまで、 昨晩70万アクセスを記録しました。大きくなるとサイト攻撃やスパムメールが増えるのが悩みのタネですが、おそらく社会科学/政治学の学術サイト、毎日ではなく月2回更新サイトとしては、異様に多いヒット数でしょう。日頃の皆様のご愛顧に、心より感謝致します。予告していた通り、記念にリンク集「情報処理センター――政治学が楽しくなる、インターネット宇宙の流し方」をチェックし、リンク切れサイトを削除、URL変更を修正した上、いくつかのリンクを新規に追加し、ヴァージョン・アップしました。同時に、こちらも20万ヒットを越えた非戦平和サイト「IMAGINE!
イマジン」を整理し、イラク戦争と北朝鮮問題に特化したポータルサイトへと軽量化。祈り・癒し系♪
IMAGINE
GALLERY、英文データベースGlobal
IMAGINEのほかは、過去データをすべてIMAGINE
DATABASE「戦争の記憶」に一本化しました。危惧していた通り、巨大津波の犠牲者は15万人を突破、各国の救援・支援活動も、グローバルに広がりました。日本人の行方不明者も数百人いることがようやく明らかになってきましたが、実はアメリカ人も5千名が行方不明で、ひょっとしたら9.11の犠牲者を上回るかもしれません。だから素早くパウエル国務長官が現地に飛び、なしくずしですが救援資金を増やし、1万2千人もの軍隊を派遣して、イスラム系の多い「不安定の弧(arc
of
instability)」での威信を回復しようとしています。日本政府も、最近中国中心に傾いているASEAN諸国に存在感を示そうと、無償5億ドル支援と金額をはりましたが、NGOに比べて人的支援の立ち上げが遅れ、アメリカの様子をうかがいながら、自衛隊の派遣を決めました。またもやアメリカ中心の「有志連合」にのりそうだったのですが、被災国もEU諸国も国連中心の救援活動を望み、一応国際協調の動きにのるようです。森田実さんはそこに国際協調主義・国連中心主義回復の希望を見ようとしていますが、9/11以後の動きを12/26が反転させうるかは未知数です。アメリカは、非常事態宣言下の月末国民議会選挙実施さえ危うくなってきたイラク占領の泥沼化=ベトナム化から世界の目を逸らそうとし、日本政府には、自衛隊「国際貢献」のデモンストレーションのほか、国連安保理常任理事国入りの思惑があります。被災現地からの報告ではJMM最新号「カオラックのひとたち」、ブッシュ政権の第二ラウンドを展望するには、
ノーム・チョムスキー「冷戦と大学:米国の知識人はどのように生きてきたか、今後はどのように生きるべきか」、古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』(岩波新書)がオススメ。もうひとつの世界のための救援活動も、「国境なき医師団」「ピースウィンズ・ジャパン」「ワールド・ビジョン・ジャパン」ほか、世界中で進められています。この「津波救援をめぐる国際政治」にもご注意。今後とも、ご贔屓よろしくお願いします。
2005/1/1
あけましておめでとうございます、といいつつ、気の晴れない新年です。「戦後」という表現がなお意味を持つとすれば、戦後60年です。つまり、第二次世界大戦終結までに生まれた人々は、60歳以上となる年です。「戦争の記憶」はますます遠のきます。でもイラクを見れば、いまは「戦時」です。日本の自衛隊は「従軍」しています。「つぎつぎになりゆくいきほひ」で軍事化の進むこの国は、「戦前」といった方が、わかりやすいかもしれません。そこに、「ノアの箱船」「ポンペイの消滅」に匹敵する、人類史的災禍が起きました。スマトラ島沖地震から発した、インド洋の巨大津波です。英語でも「TSUNAMI」と表現するように、この領域では、日本こそ、自然との共存の難しさを知るエキスパートの国です。私自身にとっても津波は、忌まわしい想い出と結びついています。中学生の時、岩手県大船渡市で、生まれて初めて「遺体」を見たのが、1960年5月、チリ地震津波の時でした。地球の反対側で起こった地震によって、何の前触れもなく、突如海から大波が押し寄せ、あっという間に近所の50名以上の生命が奪われ、数百の家が壊され流されました。巨木や畳と一緒に、大人の遺体が浮かんでいました。思えば日米安保条約改定の国会強行採決の直後、空前の国会包囲デモが行われている真っ最中だったはずですが、東北の片田舎の中学生の記憶には、60年安保闘争はなく、津波の悲惨のみが鮮明に残っています。「宇宙船地球号」のタイタニック体験です。今回インド洋沿岸の災害犠牲者は12万人以上、負傷者30万人、感染症の危険500万人とか、亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、一生その記憶を背負っていくだろう残された人々への緊急援助と心のケアに、日本からできるかぎりのことを進めることが、本当の国際貢献です。
「宇宙船地球号〔Spaceship Earth〕」という表現は、「現代のレオナルド・ダ・ビンチ」といわれた建築家バックミンスター・フラーの1963年の著作によるとも、アメリカの経済学者で平和学者ケネス・ボールディングの1966年の論文によるとも、いわれています。地球生態系の地殻変動の結果としての巨大地震・津波がもたらした今回の大災害は、まさに「宇宙船地球号」の問題とよぶにふさわしいものでした。年末にNHKの「地球大進化 46億年・人類への旅」をまとめて見ました。原始惑星の衝突のなかから生まれた地球が、巨大噴火や低酸素環境のもとで姿を変え、生命の大量絶滅を繰り返しながら、今日の人類による地球支配をもたらした物語です。それはそのまま盛者必衰の必然性につながります。つまり、人類大量絶滅への道が始まっており、文明化による二酸化炭素放出で、確実にそのテンポは早まっているというのです。スマトラの巨大地震は、そのような地球の「健康」な動きの一つであり、「宇宙船地球号」への警鐘なのです。国連を中心に、直ちに世界中から医師や救援隊が派遣されています。軍隊も多いですが、「敵」を殺すためではなく、人命救助・被災地救援の「地球防衛軍」です。悲しいことですが、このような時に、いやこのような時にのみ、「宇宙船地球号」や「ガイア」の意味が実感されるのです。この人類史の尺度から見れば、ようやく「国際化からグローバリゼーションへ」の時代に入った経済や政治は、実に卑小な世界に映ります。
「宇宙船地球号」から見れば、2001年9月11日以後の地球は、自然環境破壊では足りずに「共食い」を再開していっそう絶滅へのテンポを早めた、懲りない面々の饗宴=内戦状態です。イラクでは、今月末に選挙が予定されています。無論、米国占領軍と傀儡政権による選挙の強行で、イラクには多数の反対があります。年末も戦闘はやまず、むしろ激化しています。サマワの自衛隊は、ハリネズミのように塹壕にこもり、ブッシュ=小泉同盟のアリバイづくりのためにいるだけ。年末30日にも迫撃砲5発が近くで見つかりました。その一方で航空自衛隊は米軍1300名を輸送したといいますから、これはもうイラクの民衆にとって、完璧に米国占領軍の一部です。パレスチナやウクライナも不安定で、地球内戦はやみません。内部に反政府武装勢力をかかえるインドネシアやスリランカでは、津波被災の処理をめぐって新たな紛争が起こりかねません。こうした地域ではボールディング夫妻の唱えた「宇宙船地球号」そのものが、「共産主義」のようなユートピアの表明にすぎず、理想は幻想・夢想に見えてきます。60年前の1945年、後の東大教授で政治学者丸山真男は、「折たく柴の記」と題する日誌風ノートをしたためていました(『自己内対話』所収)。ヒロシマで被爆して敗戦を迎えた後の11月4日のノート末尾に、「イデアールなものこそ最もレアールである」と記しました。後に「ある自由主義者への手紙」で展開されるテーゼです。本サイトが9/11以来掲げ続ける「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」の前提です。理想を掲げ求め続けることが、いかにして政治的にリアリズムでありうるのか。日本の憲法政治を扱った、昨年11月メキシコでの国際会議報告Economic Restructuring and the Constitutional Politics in Japan,(Paper presented to the 40 aniversario del Centro de Estudios de Asia y Africa de El Colegio de Mexico, Foro Cultural Mexico-Japon, Mexico City, Noviembre 10-17, 2004)を新春アップ。「戦後」60年は、憲法第9条を持つ日本の平和勢力にとって、正念場です。
同じ丸山真男「折たく柴の記」に、まだ大日本帝国憲法が生きていた1945年10月29日に、「我が国デモクラシーの諸問題」について、「もし天皇から一切の実質的政治参与を取りのぞいた場合、天皇のレーゾン・デートルはどこにあるか。結局それは国民の情的結合のシンボルとしてしか考へられない」と書いています。女帝の皇位継承問題をめぐって、皇室典範の改正が、政府内で検討が始まりました。2005年は、天皇制の問題を改めて考える年になるでしょう。共同通信配信記事が『東京新聞』『日経新聞』『サンケイ新聞』『京都新聞』ほか全国各紙に掲載され、Japan Timesほか外電英語ニュースでも報じられた雑誌『世界』12月号掲載の私の論文「1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」を、岩波書店の了承を得て、インターネット版として新春アップしました。実はこの新資料、もともと昨年夏の日韓国際会議の準備過程で見つけたもので、「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」(第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告、2004年8月21日)という奇妙なタイトルの報告(今回一緒にアップ)のなかで、一度使ってみたものです。米国OSSとは、CIAの前身Office of Strategic Services(戦略情報局)で、東アジアOSSとは、Open Source SoftwareというIT用語、つまり掛詞です。ところがそこで紹介した、太平洋戦争開戦直後の米国「日本プラン」や対朝鮮「オリビア・プラン」が、会議に出席した日本側の中村政則・渡辺治・吉田裕さんら著名な天皇制研究者、韓国側ソウル大白忠鉉・李泰鎮・金容徳教授等から、日本でも韓国でも知られていない新資料のようだと聞いて、本格的に解読し始めたもの。最近改めて付属資料にもあたり、どうも1942年4月には米国軍・国務省が対日戦で「天皇を平和のシンボルとして利用する」方向を打ち出していたことまで、つきとめました。丸山真男のいう「国民の情的結合のシンボル」としての見方は、1931年の新渡戸稲造の書物にも、1942年当時の米国日本研究者・日本通の議論にも現れ、また、当時のソ連共産党や亡命日本人共産主義者野坂参三らにも共有されていたようです。そうすると、日本の敗戦を遅らせ、東京大空襲・沖縄戦からヒロシマ・ナガサキの原爆、旧ソ連抑留・中国残留孤児と犠牲者を重ねた「国体護持」とは何であったのか、またそのような意味での「天皇制」とは何であるのかが、改めて問題になります。今年は、こうした問題にも、一石を投じていく予定です。
丸山真男「折たく柴の記」11月4日の「デモクラシーの精神的構造」では、「まづ人間一人一人が独立の人間になること」「他人を独立の人格として尊重すること」とあり、その日のノート末尾に「イデアールなものこそ最もレアールである」という先の一文がでてきます。理想を現実のものとする条件が、「デモクラシーの精神」であり、「他人のつくった型に入り込むのでなく、自分で自分の思考の型をつくって行くこと」「間違ってゐると思ふことには、まっすぐにノーといふこと」「人間の内面的独立性の認識の上に立ってゐること」とされています。この60年で、私たちの「思考の型」がどれだけ自立しえたのか? 2005年は、政治・経済・社会・文化の全流域で、試される年です。今回更新冒頭のマンガは、「ブナ林便り」さんから入って拝借したArab News (サウジアラビア・リヤド)のアムジャド・ラスミ作。2004年から2005年の間に大きな断層があるのですが、この断層の乗りこえ方が、地球的規模で試されるのです。願わくば、よりいっそうの地球内戦激化や憲法改正・天皇元首化の方向ではなく、「デモクラシーの精神」定着と平和構築の方向で、地球の地殻変動に向き合いたいものです。前回更新のさい述べた丸山真男のいう執拗低音「つぎつぎになりゆくいきほひ」との対比で述べれば、「思考の型」における「つぎつぎになりゆくいきほひ」との断絶こそ、求められているのです。どの断層を埋める思考は、1月26ー31日、ブラジルのポルトアレグレ市で開かれる第5回世界社会フォーラムに求めることができます。昨年、単行本『従軍のポリティクス』(青弓社)所収「グローバルな世界と<私たち>の従軍」や姉妹サイト「IMAGINE! イマジン」、フィッシャー=ポニア編、ネグリ=ハート序文世界社会フォーラム記録集『もうひとつの世界は可能だ!(Another World Is Possible )』で展開してきた、「差異の増殖と解放」をもとにした「多様な運動体によるひとつの運動」「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」の構築です。今年は、「テーマ領域 」として、「地球と人々の共有財を守り、保障すること:商品化と超国家的管理のオルタナティヴとして/ 人々の主権経済(sovereign economies):ネオリベラル資本主義に抗して/平和、脱軍事化と「戦争、自由貿易と債務」に抗する闘争/自律的な思考、奪われたものの奪還(reappropriation)、知識と技術の社会的共有(socialisation)/多様性、多元性とアイディンティティを守ること/社会的闘争と民主的なオルタナティヴ:ネオリベラルな支配に抗して/倫理、世界観(cosmovision)と精神性:抵抗と新しい世界のための挑戦/コミュニケーション、カウンターヘゲモニーの実践、権利とオルタナティヴ/アートと創造:人々の抵抗文化を構築し、編み上げること/公正で平等主義的な世界のための人権と尊厳/国際的民主的秩序と人々の統合の構築のために」が設定され、「横断軸」として、「社会解放と闘争の社会的次元/家父長的資本主義への闘争/人種主義への闘争」が挙げられています。厳冬スイス・ダボスの「世界経済フォーラム」に抗して、『もうひとつの世界」への熱い討論を期待します。