ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
イラク戦争は終わっていません。ラムズフェルド米国防長官は、イラク大量破壊兵器は「いずれ見つかる」となお強気ですが、同時に米軍は「困難で危険な戦争に従事し続けている」ことを認めています。アメリカの「見せしめ戦争」を分析したチョムスキーの「何が起きつつあるのか」は必読。米国防総省は「隣人を見張るためのデータベース」を作成中です。ブッシュのカルフォルニア選挙キャンペーンは、1万人のデモに迎えられました。イギリス議会では、ブッシュの「同志」であるブレア首相の参戦決定の正統性が改めて問題になり、世論調査でブレア「信頼できず」58%、「辞任すべき」も46%、ストロー外相は参戦を根拠づけた2月の報告書は誤りで、「恥ずかしい」ことだったと認めました。日本と共に数少ない米英支持国家だったスペインのアスナール首相も、確証なしに「イラクに大量破壊兵器」と言い続けてきたことが暴露されています。「情報コミュニケーション技術時代の資本主義」と「グローバルな社会問題」を真正面に見据えて、3年がかりで「社会主義」をめざす綱領討議を続けている旧東独民主的社会主義党(PDS)は、ブッシュを裁く国際法廷を提唱しています。なおゲリラ戦争が続き「ベトナム」化するイラクへ武装自衛隊を派遣するための法案審議が、戦力放棄の憲法を持つこの国の国会で、大きな抵抗もなく、始まっています。今こそ情報戦時代の戦争への、新たなイマジネーションと「IMAGINE! イマジン」が必要な時なのに! かつて清水慎三さん・花崎皋平さんらが提唱した「社会的バリケード」づくりが急務です。若い人々の中に、山代夫妻や大竹さんら先達に学んで、非戦平和の志が持続されることを期待します。
山代巴さんは、90歳をこえて健在とのことです。大竹一燈子さんは1914年生まれで、なお凛としています。「ブナ林便り」の吉田悟郎さん、「日々通信 いまを生きる」の伊豆利彦さんも、いまやインターネット平和運動の老人パワーで「持続する志」の象徴です。そこに、73歳のなだいなださんが、「老人党」を旗揚げしました。かの『権威と権力』(岩波新書)で独自の権力論を展開し、『民族という名の宗教』(同)で「社会主義は粗大ゴミか」と鋭く問いかけ、最近は『人間,とりあえず主義』を提唱してきた、反骨の精神科医で作家です。こんな明快なマニフェストを掲げて、インターネット上に「党」を立ち上げました。
自然科学と違って、「人間」の介在する政治学の世界では、だれもが認める「公理」はほとんどありません。アリストテレスの「人間は政治的動物である」から疑ってかからなければならず、「政治」の定義自体が政治学者の数ほど存在します。その中で、例外的に、ほとんどだれもが否定しえない「公理」があります。アストン卿の語った「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」( "power corrupts, and absolute power corrupts absolutely")という命題です。ですから、始めから「権力奪取闘争」「権力ゲーム」から降りて落選運動に徹しようとする老人党のよびかけは、すがすがしく響きます。ぜひとも応援したくなります。
不破綱領案を注意深く読めば、20世紀社会主義を共産主義と社会民主主義の二大潮流の分裂に導いた大論争問題が、しごくあっさりと、クリアーされています。「革命か改良か」「直接行動か議会政策か」という20世紀初頭の一大問題は、言葉の遊びで融合されました。61年綱領の「党と労働者階級の指導する民族民主統一戦線勢力が積極的に国会の議席をしめ、国会外の大衆闘争とむすびついてたたかう」という部分から、1994年改正の現行綱領で「党と労働者階級の指導」が消え、「民族民主統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席をしめ、国会外の大衆闘争とむすびついてたたかう」となっていた部分が、不破草案では「日本共産党と統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席を占め、国会外の運動と結びついてたたかう」と、ついに「大衆闘争」も消えました。その代わり、高齢化した党員・支持者向けのリップサービスで、「民主主義革命」「社会主義革命」は一言ずつ残されましたが、「民主主義革命」は「資本主義の枠内で可能な民主的改革」「民主主義的な変革」といいかえられました。その「民主主義革命=改革」の内容は、61年綱領の「革命の政府」「民族民主統一戦線政府」以前でも成立可能な「民主連合政府」の課題とされてきた「革新3目標」とほとんど同じ内容なようです。つまり「革命」水準の格下げです。「社会主義革命」も、説明部分では「社会主義的変革」「社会主義的改革」とトーンダウンです。英語なら「改革」も「改良」もreformです。事実英語版の説明では「democratic reform」と訳されています。「革命か改良か」という、ベルンシュタインやカウツキーへの批判からレーニンやローザ・ルクセンブルグが死活の問題としたイデオロギーの壁が、ひそやかに消えました。社会運動史・政治思想史上では、重要な問題です。そこで今回更新トップページは、本カレッジのスローガン「批判的知性のネットワーク」のために、五十嵐仁さん「日本共産党綱領改定案への論評 」にならって、いつもより長い政治学講義風になります。以下の問題に関心がある方は、ダウンロードして保存を。なんだ共産党もフツーの政党か、老人党で決まりという人は、ここからすぐさま行動へ!
日本政府も自民党も、アメリカ国務省に抗議した形跡はありません。中曽根康弘氏なら「我が意を得たり」でしょう。老いてなお賢明なナショナリスト不破哲三氏は、これを「アメリカ帝国主義の陰謀」と思ったのでしょうか、なんと「日本は君主制ではない」という命題で、アメリカとの理論闘争を始めました。不破氏の共産党新綱領草案の提案にあたっての報告では、「国家制度というものは、主権がどこにあるかということが、基本的な性格づけの基準であります。その点からいえば、主権在民の原則を明確にしている日本は、国家制度としては、君主制の国には属しません。せまい意味での天皇の性格づけとしても、天皇が君主だとはいえないわけであります」「憲法は、天皇は、国の統治権にはかかわらないことを、厳格に定めているのです。だいたい、国政に関する権能をもたない君主というものは、世界に存在しません。ですから、日本の天皇の地位は、立憲君主制という国ぐににおける君主の地位と、その根本の点で違いがあるのです。立憲君主制というのは、形の上では国王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを、憲法やそれに準じる法律で制限し、事実上国民主権の枠のなかにはめこんでいる、という国家制度です」とイギリスの例を出し、「日本の場合には、天皇には、統治権にかかわる権限、『国政に関する権能』をもたないことが、憲法に明記されています。ここには、いろいろな歴史的な事情から、天皇制が形を変えて存続したが、そのもとで、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化した日本の憲法の特質があります」として、「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」という新綱領草案を根拠づけます。近くイラクまで出ていきそうな自国の軍隊=自衛隊も、当面「活用」するのだそうです。他国=世界に仲間=「同志」を失ったからでしょう。セクハラを理由に、説明責任も果たさず突然国民の前から消えた国会議員(あわてて議員HPのカバーページを消したようですが、Googleで見ると「頭隠して」です)を、書記局長が記者会見で「同志」と呼ぶ感覚ですから。国連・国際法を重視し、日本国憲法に従うのは結構なことです。しかし、「共産党」と名乗り続けるレーゾン・デートル(存立根拠)が崩れたことを、不破氏は、どれだけ自覚しているのでしょうか?
数年前、麻布の外務省外交文書館で、旧ソ連粛清犠牲者「松田照子」を探索した際の、副産物がありました。何しろ手がかりは、サハロフ人権センターで見つけた「テルコ・ビリチ」の名前だけでしたから、手当たり次第に日本側外交資料にあたっていたら、「雑件」という綴りの中に、とんでもない資料が入っていました。今では井上敏夫編『野坂参三予審尋問調書』(五月書房)に収録されている、28年3・15事件逮捕時の「野坂参三検事聴取書」(1928年6月14日付)で、自分の所属する「細胞」の「同志」についてベラベラ喋ったうえ、「私一個ノ個人トシテハ」いわゆる「27年テーゼ」の「『スローガン』ノ内君主制ノ撤廃其他一二ノ事項」に「異論ヲ持ッテ居リマス」というものでした(同書74頁)。その綴りは、福本和夫・荒畑寒村の聴取書と一緒で、福本・荒畑は原則的に自分の考えのみを述べ、他人を売ったりはしていませんでした。野坂は、おそらく天皇制権力からこの「君主制容認」を評価されて、30年に眼病治療を理由に保釈され、31年モスクワに渡って、国崎定洞・山本懸蔵ら在ソ日本人へのスターリン粛清の嵐をも無傷で泳ぎ切り、最近発見されたアメリカ戦時情報局「延安レポート」からも明らかになったように、敗戦前から中国でアメリカ側に自分を売り込み、エマーソンらに自分の天皇観を説いていました(『インテリジェンス』2号)。また、45年末にソ連を密かに訪問して、「天皇の半宗教的役割」を認めさせる方向でソ連共産党とも意見を調整して帰国し、占領期「愛される共産党」の「顔」となりました。実は、今回不破哲三氏の説く天皇論は、44-45年に野坂参三が米ソ両国諜報機関及び毛沢東に伝えた──したがって実際にGHQの「象徴天皇制」存続決定にある種の影響力をもった──日本的に特殊な君主制存続を正統化する論理と、似通っています。
しかしこんなことは、日本共産党が「天皇制打倒」を長く伝統にし、表看板にしてきたからこそ問題になるのです。「君主制」は、単純に「共和制」と区別される概念です。「立憲君主制」はイギリスだけではありません。ヨーロッパでもオランダ、ベルギー、スペイン、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等々に君主制があり、その憲法上の権能、現実の政治的機能は、様々です。ほとんどが高度な民主主義国家です。たとえば「民主的社会主義」を目標に掲げていても、スウェーデン社会民主党2001年綱領には、君主制問題は一言も出てきません。オーストラリア、ニュージーランドではエリザベス女王が形式的に「国家元首」なため「立憲君主制」に分類されますが、オーストラリアの場合、労働党や財界の一部が不在君主は無用と「共和制移行」を掲げて運動し、2000年に国民投票にかけられ、けっきょく君主制存続におちつきました。しかし、日本共産党は、1931年政治テーゼ草案以来、わざわざコミンテルン・テーゼの「君主制」を「天皇制」といいかえて翻訳し、戦後も学界でこの共産党製用語が広く執拗に議論されてきたのは、不破氏がイギリスの女王ほど憲法上の権限がないから旗をおろしても大丈夫だと一生懸命に政治的無害性を証明しようとしているのとは反対に、象徴天皇制に「いろいろな歴史的事情」からなお重要な政治的・社会的機能があり、現に中国・韓国など近隣諸国との関係で「お言葉」が実際に外交的意味を持ち、1989年昭和天皇の死の際にも異様な政治的雰囲気に包まれて、自民党政治家の中には中曽根康弘氏のようにそれを利用しようとする勢力がいるからではないでしょうか? ひょっとしたら、アメリカ政府もそれを警戒して、建国神話にもとづく「立憲君主制」と言っているのかもしれません。政治学者の眼からみると、99年に「赤旗」読者からの質問に答えて出された「日本の象徴天皇制は『君主制』か」という文章の方が、まだしも素直な見方に思われます。もっとも不破氏が新綱領で「君主制廃止」をはずしても、今更「愛される共産党」になれるとは到底考えられず、かつて日本社会党が辿った道を、ずるずる後追いしているようにしか見えません。ちなみに日本社会党は、第二次大戦後の社会主義インターナショナルの中で、世界の社会民主主義内では珍しく、長く「社会主義革命」を掲げた最左派の党でした。
第二次世界大戦後の共産主義と社会民主主義の一大争点は、「階級政党か国民政党か」というものでした。共産主義は、ドイツ社会民主党ゴーデスベルグ綱領(1959年)での「国民政党化」を「階級的裏切り」と批判するあまり、戦後ヨーロッパ社会民主主義の成果である「福祉国家」さえも、「資本主義の枠内での改良で、階級対立の隠蔽」と批判してきました。労働者福祉や男女平等なら現存「社会主義国家」の専売特許とばかり、ソ連・中国や東欧諸国の憲法・労働法の規定や制度を対置しました。その内実と、労働者や女性にとってのバランスシートがどうであったかは、1989年に劇的に証明されました。共産党新綱領草案での「労働者階級」は、戦前の「過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級」と、戦後は「労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯」という文脈で、二度出てくるだけです。現在の日本国内では「労働者・勤労市民・農民・中小企業家」(中小「資本家」でない点に注意)などの「国民諸階層」の一つなそうです。ちょうどE・P・トムソンの不朽の名著『イングランド労働者階級の形成』が、ようやく翻訳された(青弓社)ばかりだというのに! 支配層を含む「国民」概念と、含まないとされた「人民」概念の区別も飛び越えて、「国民」一色です。これでなぜ、社会民主主義を「階級的裏切り」と非難できるのでしょうか? 世界の労働組合組織率を比較してみましょう。日本の24%(1995年、2001年21%)に対して、スウェーデン91%、アイスランド83%、デンマーク80%、フィンランド79%、……。労働組合がなお役割を果たしているのはどんな国か、一目瞭然です。ちなみに前回更新時「参加民主主義」「参加型予算システム」「連帯経済」を紹介したブラジルは、43%です。綱領討論で参考にするようオススメしたスウェーデン社会民主党2001年綱領には、労働者や女性・老人・障害者の人権と生活を守る具体的政策が満載されているだけでなく、「階級という概念は、体制的に基礎づけられた人々の生活条件の格差であり、それは生産のあり方によってつくりだされ、人々の生活全般に影響をおよぼす」とあり、「ある面で資本と労働の間の紛争は先鋭化した。他の面において、資本と労働の境界線はより流動的なものとなり、金融資本に伍する人的資本の力を高めた」と、現代の「新しい階級パターン」の詳しい分析が行われ、「反資本主義政党」と自己規定しています。「階級」を消した共産主義と、所有論レベルからの階級原則と労働運動の歴史から具体的に「反資本主義」を政策化するヨーロッパ社会民主主義と、どちらが働く人々にとって魅力的でしょうか?
不破哲三氏の新綱領草案に決定的に欠けているのは、現代資本主義と「新しい階級パターン」の真摯な批判的分析です。草案から「二つの敵」は消えても、「アメリカ帝国主義」「日本独占資本主義」「対米従属的な国家独占資本主義」といった旧ソ連製用語が、61年綱領との継続性のアリバイのためか、抽象的に残されています。その代わり、現代資本主義で決定的意味を持つにいたった生産の場での技術変化も、コンピュータの出現も、情報化もインターネットも、全く出てきません。ですから、世界の現実の方は「機動戦」「陣地戦」から「情報戦」時代に入ったのに、不破氏は、ようやく宮本「敵の出方」風「機動戦」色を払拭して「陣地戦」型に純化しましたが、「情報戦」の歴史的意味がわからないのです。なぜ自分が全精力を注いだ画期的新綱領はあまり注目されず、セクハラ国会議員の辞職だと一面トップ記事になるのか、なぜこんなに「ソフトな柔軟路線」なのに世論調査で「拒否政党率」が高いのか、よく考えた方がいいでしょう。
スウェーデン社会民主党綱領の「新しい階級パターン」「反資本主義」は、「現代の生産テクノロジー」「生産の新しい秩序」「資本の権力」「国際資本の力に対する様々な抵抗力」「貧しい国における多国籍企業の振る舞いに対する消費者の反発」「エコロジカルな持続可能性」の分析から引き出されたものです。そこから「社会生活のあらゆる領域での民主主義」「労働を尊重して生産し、生産結果を公正に分配する、民主主義的経済」「平等性と多様性を保証する福祉政策」の具体的提案の数々が出てきます。「クリーンな福祉」「知識社会」「国際主義」が原則とされ、「今日のグローバル資本主義に対する対抗装置」としての政党と労働組合の役割が出てきます。不破氏がなお「社会主義」への一抹の希望を夢見るらしい中国13億人の「市場経済から社会主義へ」や、具体策を何も示さない「大企業にたいする民主的規制」のプログラムと、どちらが現実と切り結ぶ、実行可能な処方箋でしょうか? 「日本独占資本」がアジア市場でどういう役割を果たしているかも何も語らずに、日本の「大企業・財界」を規制できると思っているのでしょうか? いや実は、不破氏も「ヨーロッパなどで常識になっているルール」「ヨーロッパの主要資本主義諸国などの到達点も踏まえ」て、「ルールなき資本主義」の現状を打破しようと願っているようです。ならばぜひ、そうした「ルール」を、フランス革命以来200年の「自由・平等・友愛」から「自由・公正・連帯」への運動を踏まえて定着させた、ヨーロッパ社会民主主義の諸潮流から真剣に学ぶよう、心からお薦めします。残念ながら、不破氏が暗記しているという「マルクス・エンゲルス全集」や「レーニン全集」は役に立ちませんから、現地に滞在して、じっくりヨーロッパにおける「反資本主義」の運動、「社会的バリケード」を体感してくることです。核廃絶や世界平和のために尽くすのは、結構なことです。ただし、世界第二のGDPの国で「物質的生産力の飛躍的発展」や「巨大に発達した生産力」を目標にして、私たちの地球村(Global Village)を壊すことだけは、やめていただけないでしょうか。
こうして、20世紀に共産主義と社会民主主義をイデオロギー的に分断してきた垣根は、不破哲三氏の新綱領草案により、ほぼ取り払われました。というよりも、社会民主主義を批判して「分派」を作った共産主義が、社会主義インターナショナルの本流の方に、「自己批判」抜きで戻ってきました。日本共産党の場合は、ついに一度も政権に近づくこともなく。共産党新綱領草案の「社会主義・共産主義」の指標は、61年綱領の「国有化」も「計画経済」も「プロレタリア独裁=労働者階級の権力」も削り、マルクス『ゴータ綱領批判』の2段階分配原理も消えましたから、けっきょく「生産手段の社会化」(英訳版では「socialization of the means of production 」)だけのようです。20世紀の社会運動と社会科学から全然学ばずに、言葉だけで見果てぬ夢「社会主義・共産主義」を繰り返すのは、いかがなものでしょうか? ドイツ語では「社会化」は、二様に表現可能です。ロシア革命直後のドイツ革命=ワイマール共和国成立期に、有名な「社会化論争」がありました。有澤広巳『インフレーションと社会化』(日本評論社、1948年)や阿部源一『社会化発展史論』(同文館、1954年)をひもとけば、生産手段の国有化・公有化の所有形態・構造を問題にする共産党(KPD)系のVergesellschaftungと、社会民主党(SPD)系の労働者が経営管理へ主体的に参加するSozialisierungが政治スローガンとして現れ、論争されたことがわかります。例えば株式会社は、それ自体が生産手段のSozialisierungですが、その所有・管理・使用形態までVergesellschaftungされなければ「社会主義」ではない、というのが当時の共産党側の主張でした。つまり、経営内「権力」の問題です。もっともこんな観念遊戯より、「権力」概念そのものの「機動戦=道具的権力」「陣地戦=関係的権力」以後の展開を踏まえ、資本の「情報戦」におけるフーコー=ネグリ風規律統制権力・生権力・ネットワーク権力まで具体的に踏み込み、マルチチュードのエンパワーメント(Empowerment)を構想しなければ、「社会主義・共産主義」など夢のまた夢でしょう。もっぱら軍事的側面での「対米従属」から「主権」を求める党に変身されるのなら、なだいなださんの「老人党」ほど魅力はありませんが、シングルイシューの「平和党」とでも改名なさったらいかがでしょうか。それはそれで、意義はあります。
かつて丸山真男は、名著『現代日本政治の思想と行動』を追補する自著を、『後衛の位置から』と名づけました(未来社、1982年)。「日本の知識人たちが、日本独特の『皇道』神話における粗雑きわまる信条に鼓舞された盲目的な軍国主義ナショナリズムの奔流を、結局は進んで受け入れるにいたり、あるいは少なくとも押しとどめるのにあれほど無力であった、という事態はなぜ生じたのか?」という疑問への、「市民としての社会的責任感に対する実践的応答」です。73歳の不破氏は、丸山のこの問題設定そのものが気に入らないらしく、名指しはしませんが「政治学」的な「反動的俗論」と、宮本時代の丸山真男批判を暗に繰り返しています。しかし丸山の天皇制批判・知識人論は、「批判的社会分析というマルクス主義の方法」を深く学び敬意を払いつつも、「日本の知的世界を水浸しにしているドグマティックな俗流マルクス主義の氾濫に抵抗し、より広く多様なアプローチの発展をはかろうとする試み」でした。そうでなければ、「歴史における逆転しがたいある種の潮流」を識別できなくなるというのが、「前衛」との緊張を保ちつつ、「後衛」に身をおく選択でした。「歴史における逆転しがたいある種の潮流」を、今日見分けることは大変です。21世紀の社会運動で、社会主義インターや世界社会フォーラムがそうなりうるかは、未知数です。しかし、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」のような公理を抽出することはできます。「労働者階級の権力」を求めずに、「反資本主義」に足場をおくことも可能です。本「ネチズン・カレッジ」は「前衛」を求めません。ですから、以上の私の共産党への批判的論評は、法政大学五十嵐仁さん「転成仁語」と同じく、政治学からの学問的感想です。同時に「市民としての社会的責任」の立場からすれば、五十嵐さんとは共産党新綱領草案評価は異なりますが、「大左翼」の今日版、日本版「オリーブの木」が必要だという認識では、期せずして一致しました。いま必要なのは、言葉の上での「社会主義・共産主義」ではなく、「ヨーロッパなどで常識になっているルール」に相当する、日本での「社会的バリケード」の構築なのですから。もっともその時は、「綱領(プログラム)」よりも「宣言(マニフェスト)」の方がいいですね。「さざ波通信」や「JCPウオッチ」でも、百家争鳴の議論が始まったようですが、このさいどなたか、不破草案とは違った第二草案、第三草案をマニフェスト風に作ってくれると、「社会的バリケード」の議論も盛り上がるでしょう。字数制限・締切・検閲一切なしで。「情報コミュニケーション技術時代の資本主義」をめぐって3年がかりの綱領討議を続けている、ドイツ民主的社会主義党(PDS)のように。
ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』に関連して「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評、世界社会フォーラム(WSF)がらみで「反ダボス会議のグローバリズム」エコノミスト』5月13日号)、「IMAGINE! イマジン」をベースにした「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号、インターネット版)、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会、2003年5月、8月アップ予定)をご参照下さい。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)や『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係します。「癒し」の「国際歴史探偵」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)へ。図書館「書評の部屋」には、『エコノミスト』6月3日号のハート=ネグリ『帝国 EMPIRE』(以文社)と鷲巣力『自動販売機の文化史』(集英社新書)に続いて、発売中の7月1日号では、大石嘉一郎・金沢史男編『近代日本都市史研究──地方都市からの再編成』(日本経済評論社)、成田龍一『近代都市空間の文化経験』(岩波書店)、川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館)を扱っていますが、次回にアップ。河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)、茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』、小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)などと共にお楽しみ下さい。図書館エッセイ室に『一橋新聞』インタビュー「学生生活と地方選挙」に関連し、「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)という長大論文をデータベース化しました。小さな町ながら、日本で初めて市民の「景観利益」を認めさせた、ミクロな社会的バリケードづくりの戦後史です。地方史・郷土史好みの方々は、ぜひ御笑覧を。
昨6月14日から、篠田正浩監督の映画『スパイ・ゾルゲ』が一般公開されました。早速封切を見てきましたが、3時間息もつかせぬ出来栄え。上海でゾルゲに尾崎秀実を引き合わせたアグネス・スメドレーの描き方は、私のVirendranath Chattopadhyaya研究からすると違和感が残りますが、マックス・クラウゼンや宮城與徳、ベルジン将軍等については、学ばされるところもありました。映画のゾルゲは、「国際共産主義万歳!」と叫んで絞首台に消え、民衆に引きずりおろされるレーニン像と重なります。6月10日付け朝日新聞政治面で、近く発表される日本共産党綱領改定についてコメントしたところ、早速宮地健一さんHP「共産党・社会主義問題を考える」の「綱領改定をめぐるマスコミ論調」に収録され、「さざ波通信」さんの掲示板では、「ブルジョアマスコミ、評論家」なる、なつかしいレッテルつき御批判をいただきました。こういう問題では、悪名高い共産党の丸山真男批判キャンペーンのように、かつては一言発言すると百倍の反論・批判・罵声が返ってきたために、多くの政治学者が実名での論評を断ってきた歴史があり、私が学問的に研究しているのは戦前だけですが、かつて『日本共産党への手紙』(1990年)で「科学的真理の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に」とオープンに発言してきたので、コメント役がまわってきました。とはいっても、2時間以上話してほんの30行、新聞コメントの常とはいえ、デジカメ顔写真よりも、もっと正確に入れてほしかった点があります。なにしろいまや、大マスコミの野党担当記者でも、20世紀国際共産主義運動史の基礎知識などないに等しく、一般読者には難しいからという理由で、削除された論点が多いのです。
一つは、共産党61年綱領の枠組みであった「資本主義の全般的危機」論。私の記者へのレクチャーの中心は、その「万年危機」の断末魔イメージよりも、理論的核心としての「4大矛盾・3大革命勢力」論だったのですが、紙面には登場しません。「4大矛盾」とは、(1)資本と労働の階級矛盾、(2)帝国主義=抑圧民族と被抑圧民族の民族矛盾、(3)帝国主義国家間の矛盾、(4)資本主義と社会主義の体制間矛盾、というもので、当時の国際共産主義運動が共有する時代認識でした。そこから、(1)資本主義国内での労働者階級の闘争、(2)被抑圧民族の反帝国主義民族解放運動、(3)ソ連・中国など社会主義国家体制が「3大革命勢力」として導かれる、単純にして便利な世界像で、もともとブハーリンのコミンテルン綱領草案(1922年)が起源ですが、スターリン時代に世界に広まり、61年当時の共産党は、これを自明の前提として、日本社会の変革の道をあれこれ議論していました(私の『国家論のルネサンス』や高内俊一『現代日本資本主義論争』にありますが、ネット上でも 、菱山郁朗「構造改革論の思想的意義と現実的課題」、江田三郎「新しい政治をめざして」ぐらいは目を通してほしいものです)。それはたとえば、社会主義国家の核武装を防衛的だとして容認するという、後に日本の反核平和運動に取り返しのつかない分裂までもたらす、基底的発想・認識枠組みになっていたのです。綱領から言葉として「全般的危機」が消えるのは、新聞記事にある通り1985年ですが、「4大矛盾・3大革命勢力」風の世界認識の枠組みは、現綱領にも根強く残されています。私がコメントを求められ参照したのは、6月21日に始まる共産党第7回中央委員会で発表される新綱領草案の起草者といわれる、不破哲三氏の最新の世界認識を示す「世界とアジア――二十一世紀を迎えて」(「しんぶん赤旗」6月4日)という講演。最近の平和運動にも目配りして20世紀をふり返っていますが、その基本的枠組みが「4大矛盾・3大革命勢力」風です。
不破氏の講演は、昨年11月以降の世界平和運動を高く評価していて、それ自体は結構なことですが、それがどのように準備され組織され実現されて、どういう人々がどのように加わったのかは、全く分析されていません。私が「情報戦時代の世界平和運動」や「反ダボス会議のグローバリズム」で論じたATTACも世界社会フォーラムも出てこないばかりか、「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?」や「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」などで論じたWORLD PEACE NOWやグローバル・ピース・キャンペーンなど日本の運動についても、ほとんどわかっていないようです。もう一つは、「ソ連の崩壊は、資本主義から離脱して社会主義へという流れそのものがなくなった、ということではありません。ソ連の失敗からも教訓をくみとって、新しい形で社会主義をめざそうという流れが、一九九〇年代に、中国やベトナムで始まったことは、二十一世紀の世界に大きな影響をおよぼす重要な意義をもちます」という時代錯誤のノスタルジアです(なぜか北朝鮮とキューバは出てきません)。中国の人々自身が今日の状態を「赤い資本主義」と隠然・公然と認めているのに、まだ中国に「市場経済を通じて社会主義へ」の夢を見ているとすれば、その「社会主義」とは、共産党一党独裁以上の意味はないでしょう。不破氏が中国共産党に招待され、歓迎用に演出された「模範工場」「招待所」だけを見せられ幻惑されてのものでしょう。かつての宮本顕治氏のルーマニア・チャウシェスク政権評価に似た、老境の「青い鳥」探しです。「21世紀の『共産党宣言』」と話題のネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』には、いろいろな理論的・政治的問題点があり、私も今回更新に講演記録「マルチチュードは国境を越えるか?」や『エコノミスト』誌書評を収録しましたが、少なくとも不破哲三氏よりは、はるかにリアルに20世紀世界を総括しています。
新聞コメントで、いまひとつ紙幅が足りなかったのは、「党名を変えて社会民主主義政党に変身するしか生き残りの道はないと思う」の部分。その前に「イタリア共産党の左翼民主党に変えたように」がありますから、イタリア型社会民主主義(左翼民主党は、共産主義インター=コミンテルン型伝統から離れ、社会主義インターナショナルに加わった)を勧めたように読めますが、私が説明したのは、本HPの「日本の社会主義運動の現在」と「現代世界の社会主義と民主主義」や宮地健一さんHPの「コミンテルン型共産主義運動の現状:ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り」にあるように、ヨーロッパでは、もともと社会民主主義の左派からロシア革命時に分裂して生まれた共産党が、ソ連崩壊時にほとんどが解散・解党して社会運動の小グループになるか、社会民主主義に復帰していったこと、その中で資本主義圏最大の共産党だったイタリア共産党さえ党名を変更して社会主義インターに加入した、という大きな歴史的流れです。さらにいえば、世界の社会民主主義の緩やかな結合体である社会主義インターは、共産主義インターとは違って、加盟政党のほか、諮問政党やオブザーバー政党もあり、ストックホルム宣言にある「地球的規模の自由・公正・連帯」を共通の目標にしながらも、さまざまな潮流が入っています。もちろん「一国一前衛党」ではなく、一国から複数の政党加盟もあり、ヨーロッパだけでも内部に5つの潮流があります。ブレアのイギリス労働党や「第3の道」も有力な潮流ですが、綱領レベルで私が評価するのは、ドイツ社会民主党の1989年ベルリン綱領、スウェーデン社会民主党の2001年新綱領の路線です(加藤『ソ連崩壊と社会主義』1992年、参照)。生活経済政策研究所から「ヨーロッパ社会民主主義論集」シリーズが刊行されており、最新号では「スウェーデン社会民主党党綱領・行動綱領、ドイツ社会民主党基本価値委員会:自由・公正・連帯」が訳出されていますから、共産党周辺の方々も、ぜひとも綱領討論に活かしてほしいものです。スウェーデン社会民主主義が女性や弱者にやさしいだけではなく意外に「労働者階級」の原理が残っていたり、ドイツSPDがなぜ「平等」といわずに「公正」というのかがわかったりして、参考になるはずです。
もっとも、現代世界でもっとラディカルな流れは、共産党がかつて「人民」には含めず「反共市民主義」と攻撃した新しい社会運動、市民運動・NGO・NPOが中心になり、19世紀にマルクスが「第一インターナショナル」分裂時に切り捨てた「ユートピア社会主義」やアナーキズムの流れをも内部に含みながら、「もう一つの世界は可能だ」を合言葉に、世界社会フォーラムに再結集しつつあります。ひとつだけ、3度のポルトアレグレ世界社会フォーラム大会成功の原動力となった、ブラジル労働党(PTB)がどういう政治を行っているのか、実例を紹介しましょう。ブラジルには共産党から社民党まで多くの左派・労働者政党がありますが、昨年末ルラ新大統領が労働党(PTB)から選出されたほか、ポルトアレグレなど多くの州・自治体で、労働党が与党になっています。私の「IMAGINE! イマジン」から入れる、北沢洋子さんHPの世界社会フォーラム創立大会参加記「2001年1月、ポルトアレグレ― 新しい運動の時代の始まり」からです。
これもレクチャーしたが記事には採用されなかった、私の見る共産党の抱える矛盾は、「さざ波通信」などで議論されている、議会と選挙を意識した政策の現実主義化=右傾化によって、これまで「社会主義革命」を信じて党活動を支えてきた古くからの活動家・支持者が離反することよりも、指導部ばかりか支持層全体が高齢化して、政党としてのリクルートが困難になっていることです。世界社会フォーラムやWORLD PEACE NOWに集って未来についての熱気のこもった討論をしている若者たちを引きつけることができなければ、たとえネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』の世界像まで採り入れて立派な綱領を作っても、先細りしかないでしょう。私が20世紀社会主義の教訓を踏まえて「生き残る道はない」というのは、そういう意味です。
最後にもう一言。旧ソ連崩壊による秘密資料公開で明るみに出たのは、『日本共産党の80年』はなぜか無視していますが、私がモスクワで発見した1922年9月創立綱領が日本共産党の初めての綱領であり、創立当初の日本共産党は、「社会主義を経(縦糸)、民主主義を緯(横糸)」にした1901年「社会民主党宣言」の流れを引く、社会民主主義政党だったことです。私の研究では、1927年にコミンテルンから「27年テーゼ」を強制され、指導部をモスクワの指令で簒奪されるまでの日本共産党は、思想的には社会民主主義でした。そこで、共産党に関心のある皆さんにサービス。旧東ドイツで「社会主義」の旗を守り続けている旧共産党=PDSの綱領論争をご参照下さい。私の「現代世界の社会主義と民主主義」に簡単に紹介しておきましたが、PDSは、広い意味で「社会主義社会」を実現しようという目的を掲げていますが、社会内に多様な意見があり、社会主義へのプロセスについては多様なあり方がありうるという考えから、政党であると共に社会運動としての性格を保証するために、「民主集中制」型の集権的組織を採らず、むしろ党内「分派」を奨励して、討論を活性化しようとしています。党指導部は、2003年中の綱領改正に向けて、2001年に草案を発表しましたが、ただちに2つの対案が出され、現在3つの草案が、党内で論議されています。すでに7つもの党内グループから長大な意見が寄せられ、それらもすべて公開されて、民主的に討論されています。これは、私も出席した中国での国際会議でPDS代表が報告した話ですが、中国共産党の若者たちは眼を輝かせて聞き入り、古参イデオロギー幹部が渋い表情だったのが印象的でした。 その綱領討議は、現在も続いています。インターネット上でオープンに草案が検討され、議論が公開されています。指導部草案の現代世界認識の中核は、「情報コミュニケーション技術時代の資本主義」と「グローバルな社会問題」です。すでに、「さざ波通信」にも綱領改定の手続きについての意見が発表されていますが、日本共産党指導部の皆さんも、せっかく日本の政党としては最大のホームページをもち、これまでの綱領改定についての討論資料も「日本共産党資料館」をはじめ、れんだいこさん「戦前・戦後党史考」、「現代古文書研究会」「国際共産主義趣味ネット」などで公開されているのですから、ぜひとも自ら公開討論ページを設けて、内外のさまざまな声に耳を傾け、北朝鮮や天皇制の問題をも含めて、日本での広義の「社会主義」討論を活性化する役割を、果たしてもらいたいものです。11月に党大会を開くそうですが、性急な上からの決定は、「やはり共産党」という暗いイメージを増幅するだけでしょう。
今回は映画『スパイ・ゾルゲ』と藤田省三『現代史断章』のレーニン論を想い出して、つい「社会主義」論議に熱くなってしまいました。『スパイ・ゾルゲ』では、ジョン・レノンの「IMAGINE! イマジン」が、ある重要な役割を果たしますが、それは映画を見てのお楽しみ。「IMAGINE! イマジン」に関わる嬉しいニュースをもう一つ。アムネスティ・インターナショナル・ジャパン が、オノ・ヨーコさんの後援を得て、「イマジン・キャンペーン」を始めました。滋賀の高校生と先生方の「イマジンを1万人で合唱する実行委員会」の「imagineとは?」キャンペーンと共に、日本の平和運動の新しい持続を感じさせます。もちろん吉田悟郎さん「ブナ林便り」が日々教えてくれるように、イラク戦争の根拠となった大量破壊兵器の未発見はアメリカ議会で大問題になっていますし、ブッシュがエビアン・サミットを中座してまで意気込んだパレスチナ・イスラエル和平も「報復の連鎖再び」で振り出しです。Iraq Body Countとは別に、AP通信も、改めてイラク民衆の被害を集計しました。注目すべきは、過労死・過労自殺急増という厚生労働者発表。認定基準の緩和だけによるものではありません。私が10年前に「過労死とサービス残業の政治経済学 」で指摘した根本問題が、継続していることを示します。過労死110番と共に、大野正和さんのサイトへどうぞ。ATTACでも「労働者の権利は考古学のテーマか?」と論じられているように、いまや「現代資本主義を読み解くブックガイド」で論じたグローバリゼーション問題の一環です。
ネグリ=ハート『帝国 EMPIRE』に関連して、「マルチチュードは国境を越えるか?──政治学から『帝国』を読む」(『情況』2003年6月号)と『エコノミスト』誌書評をアップ。世界社会フォーラム(WSF)がらみでは、「反ダボス会議のグローバリズム」エコノミスト』5月13日号)に続いて、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号)の短縮前の草稿を、インターネット版としてアップ。「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会、2003年5月、8月アップ予定)と共にご参照下さい。「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)や『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)とも関係します。「癒し」の方は、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)、「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)へ。図書館「書評の部屋」には、『エコノミスト』6月3日号のハート=ネグリ『帝国 EMPIRE』(以文社)と鷲巣力『自動販売機の文化史』(集英社新書)をアップ。河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)、茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』、小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)などと共にお楽しみ下さい。図書館エッセイ室に『一橋新聞』インタビュー「学生生活と地方選挙」に関連して、ミクロの政治分析もしている証しに、「ある文教都市の戦後史──東京都国立市の場合」(非公式インターネット版)という長大論文をデータベース化しました。地方史・郷土史好みの方々は、ぜひいちど御笑覧を。
2003/6/6 本日、ついに有事法制が国会を通過・成立しました。the peace-loving peoples of the worldと共に強く抗議し、「IMAGINE! イマジン」に、私も署名した地球平和公共ネットワーク有志アピール「『有事関連法案』に反対する研究者・市民アピール」を掲載します。右の憲法ロゴを改めてクリックし、まだできる反対・抗議行動はイベント・カレンダー・アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動サイト ・反戦運動インフォメ掲示板・NO ユージ VIVA ! 友情へ、日々の非戦平和ニュースは吉田悟郎さん「ブナ林便り」へ。国連イラク査察団のブリクス委員長が「大量破壊兵器はなかった」と最終報告し、ジャック・デリダとユルゲン・ハーバーマスの共同声明「戦争のあとで」がヨーロッパで発表され、エビアン・サミットについても「ウェブログ、G8サミット抗議デモを異なる視点で報道」とあるように、せめてこのグローバル・サイバーポリス=インターネット世界では、「大政翼賛」を阻止する情報戦を続けましょう!
平凡社ライブラリーの新刊『精神史的考察』を、編集した首藤憲彦さんから送って頂いたその日に、著者藤田省三さんの訃報に接しました。心から哀悼の意を表します。「戦後の議論の前提」を改めて読み直し、かみしめています。
2003/6/1 エビアンといえば、水です。レマン湖の畔といえば、芹沢光治良ですね。 エビアン・サミットが始まります。今年はG8プラス中国、アメリカのブッシュ大統領は途中で退席して中東へ。「仏には失望したが制裁はしない」と公言して、またも身勝手な単独行動主義です。1975年に始まった先進国首脳サミットは、毎年この季節に、この地球の60億人のあり方を、10人足らずで勝手に取り決めます。1975年とは、アメリカのベトナム戦争完全敗北(解放戦線のサイゴン入城)、沖縄海洋博覧会の年、アメリカは、ニクソン大統領のウォーターゲート事件による辞任で昇格したフォード大統領、日本は、金権政治で辞めた田中角栄のあとで党内基盤の弱い三木武夫首相、73年石油危機で高度経済成長は終わり、狂乱物価に戦後初のマイナス成長、公務員労働者のスト権ストも成果なく労働運動が「冬の時代」に入った年でした。ベストセラーは有吉佐和子『複合汚染』、ニクソン時代のドルショック・変動相場制移行・米中接近、第4次中東戦争から石油ショックで、世界の先行きも暗く不確実でした。二木紘三さんのmidi歌声喫茶で見ると、この年ヒットしたのは、サラリーマン哀歌「およげ! たいやきくん」とともに、荒井由美作詞・作曲「いちご白書をもういちど」。一つの時代の終わりでした。
いいえ、終わりは始まりでもあったはずです。75年11月第一回ランブイエ・サミットを提唱したのは、フランスのジスカールデスタン大統領でした。西ドイツのシュミット首相が協力、米・英・伊・カナダにアジアから日本、それにEUの前身EC委員長が加わりました。イギリスはサッチャーが保守党首になった年ですが、まだ労働党ウィルソン政権、「古い欧州」のジスカールデスタン=シュミット仏独コンビは、ベトナム後遺症で病むアメリカも、カーマニア・ブレジネフの「停滞の時代」ソ連をも巻き込んで、後の東欧革命・旧ソ連崩壊・冷戦終焉につながるヘルシンキ全欧安全保障協力会議を、7月に立ち上げていました。何やらイラク戦争前の国連に、どこか似てますね。日本にとっては「アジア唯一の先進国」と認知されての大国サロン・デビューでした。もっとも発足当初は、もっぱらドル危機・石油危機の資本主義経済秩序再建がテーマで、政治色を強めたのは、アメリカがソ連のアフガニスタン侵攻に報復するモスクワ・オリンピック・ボイコットをよびかけた80年ベネチア・サミット以降のことです。──まだその頃は「東」にソ連・中国「社会主義」があり、「西側サミット」でした。
しかし、冷戦崩壊以降、ロシアも中国もグローバル・サミット=頂上体制に組み込まれました。60億人の地球村の運命を、年に一度10人足らずの族長たちが話し合う、宮廷儀礼になりました。もっとも半年前の1月末には、もう少し広い社交場があります。例のダボス会議=世界経済フォーラム(WEF)で、各国首脳のほか高級官僚・政治家、グロ−バル企業経営者・エコノミストら3000人ほどの「元老院」です。その直前に例年、アメリカ大統領年頭教書がでますから、この大族長の年次方針をめぐって、元老院で方向付けが行われ、サミット宮廷は中間チェックの場です。今年も、米英軍が仏独露中まで無視して始めたイラク戦争の後始末をめぐって談合・手打ちが行われ、日本は例の如く、族長たちのご機嫌伺いよろしく、大族長ブッシュが途中で席を立っても間をもたせるサロンの幇間(たいこもち)に徹するのでしょうか。"Boots on the Ground"と有事立法を神殿に捧げて。
でも、60億の村人にとっては、理不尽な話です。イラク・ボディ・カウント(Iraq Body Count)の集計による民間人犠牲者は、戦闘終了後もクラスター爆弾などで増え続け、最大七千人を突破しました。最新のアムネスティ・インターナショナルの年次報告書は、2001年9月11日の同時多発テロ以降、イスラム教徒を大半とするアラブ人や南アジア国籍の約1200人が米当局により不当に拘束され、アフガニスタンからキューバのグアンタナモ米軍基地に移送・抑留しているアルカイダとタリバーン兵約600人は「法的な手続きもなく、法的な保護も受けていない」と批判しています。5月21日のアルジェリア地震は死者1800人、負傷者8千人近く、SARSの犠牲者は745人、感染者は8千人をこえます。水資源問題を含む、こうした地球的リスクにこそ、グローバル・サミットは真剣に取り組んでほしいものです。エビアン・サミットに向けてNGOの対抗サミットが始まりましたが、世界の底辺民衆からサミットまでの距離は途方もなく遠く、「宮廷」や「元老院」に論題を届ける「民会」は、うまく機能していないのです。──いうまでもなくこれは、ハート=ネグリ『帝国 EMPIRE』の「君主制・貴族制・民主制」混合政体論を、ちょっと現実にあてはめた話。「帝国アメリカ」が国連もサミットも軽視しはじめた今日では、最大の「民会」は、毎年1月末「元老院」=ダボス会議と同時に開かれる世界社会フォーラム(WSF)かもしれません。いずれにせよ「民会」レベルからの市民社会と公共圏の再構築が必要です。
日本で「つぎつぎとなりゆくいきほひ」風に生まれつつある個人情報保護法、有事立法(まだできる反対行動は、イベント・カレンダー・アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動サイト ・反戦運動インフォメ掲示板・NO ユージ VIVA ! 友情へ)、教育基本法改悪、「国民の国防義務」まで明記した自民党改憲要綱案の流れは、世界の「民会」の流れに、逆行するものです。世界人権宣言と国際人権規約を、いまいちど読み直してみましょう。日本国憲法制定後の国際法です。「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない。」( 宣言第1条)、「すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。」( 宣言第22条)、「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する。すべての人民は、互恵の原則に基づく国際的経済協力から生ずる義務及び国際法上の義務に違反しない限り、自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。人民は、いかなる場合にも、その生存のための手段を奪われることはない。」(規約第1条)「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。」(規約第6条)。
去る3月20日のアメリカのイラク空爆が始まった直後に、6年ぶりでインドに入りました。バザールの喧噪、人と牛とラクダとクルマとリクシャが行き交う車道の雑踏は、相変わらずでした。でもグローバリゼーションの波は、古代からポスト・モダンまでが重層的に共存する、この巨大な多文化・多言語・多宗教世界にも、確実に浸透していました。6年前にデリーに初進出したマクドナルドは、ビーフもポークもなくチキンバーガーが目玉ですが、デリー銀座コンノートプレイスだけでも3店に増殖し、繁昌していました。ガンジーやアルンダティ・ロイの国に、デカン高原の古都ハイデラバードから入ったのには、理由がありました。ここで1月初めに「アジア社会フォーラム」が開かれ、来年1月末には、人類史上最大の「民会」=世界社会ファーラム(WSF)第4回大会が初めてブラジル・ポルトアレグレを離れて開かれるからです。いまひとつは、本HP「情報収集センター 」の調査で、20世紀前半インド独立運動の闘士、国際反帝同盟創始者の一人で、アメリカの作家アグネス・スメドレーの夫であったVirendranath Chattopadhyaya の生まれ故郷だったからでした。 チャットの父は、インド人で初めてイギリスの博士号をとったハイデラバード大学教授で、一歳上の姉はSarojini Naidu、ガンジーやネルーと共に独立に貢献したインド国民会議左派の政治家で女性解放運動の先駆者です。なによりも、タゴールの流れを汲む国民的女流詩人「インドのうぐいす」として知られています。6月14日から、篠田正浩監督の映画『スパイ・ゾルゲ』が公開されます。そこに、上海でゾルゲに尾崎秀実を引き合わせるアグネス・スメドレーが登場します。私はアグネスの1920年代インド独立運動支援とベルリンでの チャットとの出会いと別れが、彼女の中国行きにより、ゾルゲと尾崎に結びついたばかりでなく、抗日戦争中の毛沢東とインドでのガンジー・ネルー・サロジニらの独立運動の連帯、ひいては戦後の周恩来・ネルー会談、バンドン宣言までつながるのではないか、というロマンチックな仮説を持っているのですが、ハイデラバードのSarojini Naidu記念館で集めたChattopadhyaya 家資料には、残念ながら、アグネス・スメドレーのものはありませんでした。
そのSarojini Naidu記念館収集資料のコピーが到着し、同時に、「日本の古本屋」で昭和19年刊、阿部保訳『サロジニ・ナイヅー詩集』(高田書院)も入手しました。例えば「破れた翼」は、こんな詩です。
インドにいると、悠久に流れる時間について、考えさせられます。しばらくインターネットが通じなかったので、なおさらでした。日本の弥生時代の始まりが、国立歴史民俗博物館の加速器質量分析により、定説より500年遡ることになりそうとか。インドの尺度では「なるほど」ぐらいでしょうか。『世界思想』30号(2000年春号)の特集「生と永遠」が面白いです。進化生物学の佐倉統さんが「『個』の欲望と『遺伝子』の時間──あるいはヘテロコミュニケーションの可能性」を書いています。「遺伝子は永遠の情報を運び、脳は刹那の情報を運ぶ。生物進化の時間尺度からしたら、1000年なんてほんの一瞬だ。10万年だって全生命史40億年のうちの0.0025%にしかならない。……時間尺度のこのギャップ、いいかえれば遺伝子の時間と脳=ミームの時間のギャップが、さまざまな問題を生みだしている」と。ミームとは「文化情報の自己複製子」で、個人の欲望とは「脳=ミームの時間尺度で測ったときの利益追求」だとか。ちょうどネグリがらみで、柴田寿子さんの力作『スピノザの政治思想──デモクラシーのもう一つの可能性』(未来社、2000年)を再読していたので、印象に残りました。柴田さんの読解からは、スピノザの「欲望」は遺伝子的尺度に見え、性急なネグリが「マルチチュード」に託す「抵抗」や「闘争」を産み出すものなのかどうか、貧困とカーストが目に見えるインドでは、ノーにしてイエスです。つまり、アメリカや日本の時間尺度ではノーで遙か遠くに感じられますが、インドに内在する時間、遺伝子的悠久ではイエスです。「闘争」とか「革命」とよばれるかどうかは別にして。その時、1946年日本国憲法は、1948年世界人権宣言、カースト制撤廃を宣言した1949年インド憲法とほとんど同時で、「古くなった」どころか「新時代を画した」ものとされるかもしれません。それはまた、アリストファネスが「女の平和」を書いてから、インドにサロジニ・ナイドゥが現れるまで2300年かかったように、空間的にもゆったりと、広がっていくことになるのでしょう。
「ヘテロコミュニケーションの可能性」を探って、インド出発前に書いた「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会)、帰国後に書いた「反ダボス会議のグローバリズム」(『エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号「NO WAR ! 立ち上がった世界市民の記録」)、「マルチチュードは国境を越えるか?──ネグリ=ハート『帝国』を政治学から読む」(『情況』2003年6月号)が、公刊されています。「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(『エコノミスト』2002年11月26日号)、「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)の系列ですから、ぜひご参照を。昨年の「国際歴史探偵」の成果、拙著『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)のラインでは、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)と「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)をどうぞ。図書館「書評の部屋」には、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書) 、小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)、河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)、茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』、小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)、白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)に続いて、現在発売中の『エコノミスト』6月3日号に、ハート=ネグリ『帝国 EMPIRE』(以文社)と鷲巣力『自動販売機の文化史』(集英社新書)を書いています。同じく図書館エッセイ室に『一橋新聞』インタビュー「学生生活と地方選挙」。総合カリキュラムや教育センターのほか、恒例、一橋大学社会学部加藤哲郎ゼミナール卒業学士論文が全国公開されています。
前回に続いて「IMAGINE! イマジン」に、●インディメディア・ジャパンIndymedia Japan 、●星川 淳さん@屋久島発 インナーネットソース、●アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動サイト 、●イベント・カレンダー、●反戦運動インフォメ掲示板、●パレスチナ短信、●JVC(日本国際ボランティアセンター)ニュース、●イラク・ボディ・カウント(Iraq Body Count)、●パレスティナ〈人間の楯〉News、●主要紙の論調 などを追加・更新し、久しぶりで祈り・癒し系♪「IMAGINE GALLERY 」のリンクもチェックして、前回挙げた、●ガンジーが遺した言葉「弱者の非暴力と強者の非暴力」、●中澤英雄さん「宇宙飛行士の言葉はなぜインターネット上にないのか 」、●佐川 亜紀 さんの反戦詩、●いわさきちひろ美術館「イラクの子どもたちを戦火にさらさないで」、●演劇人の「女の平和」プロジェクト、●オノ・ヨーコさん「ビジット・イン・ピース・イベント」、●SMAP「世界にひとつだけの花」に加え、●Global Candlelight Vigil for Peace: Sunday, March 16,2003、●広河隆一 HIROPRESS、●Pictures of Destruction and Civilian Victims of the Anglo-American Aggression in Iraq 、●This Is War、●マイケル・ムーア「オスカー賞授賞式での、僕のスピーチに対する反響」「僕はローマ法王に感謝したい」、●信太一郎 よしなしごと 日記のようなもの、●じゅごんの家日誌 2003年 沖縄からの反戦写真報告、●Musicians United to Win without War!、●桑田佳祐「ROCK AND ROLL HERO」、●真島昌利「アメリカ魂」、●平沢進「殺戮への抗議」、●そして音楽が始まる『風に吹かれて』〜ボブ・ディラン、●THE MARCH FOR JUSTICE The " Shock & Awe " Photo Gallery 、●加藤千代「中国の反戦詩1・2・3」、●POLITICAL CARTOONS、●BARING WITNESS 世界各地での平和の人文字、●澤地久枝「私は、絶望したくないの」●映画『スパイ ゾルゲ』、●ボウリング・フォー・コロンバイン、●ビデオ・アクト・反戦プロジェクト、●藤原紀香日記などを追加しました。
更新中に気がついた、新しい動き。IMAGINE GALLERY所載「平和の一輪」の絵を9.11の翌日、2001年9月12日に描いて送ってくれた韓国の読者Son. Dug-sooさんの●Peace Keeper, Peace Motherがヴィバルディ等で、滋賀の高校生と先生方の「イマジンを1万人で合唱する実行委員会」の●「imagineとは?」がジョン・レノンで、それぞれに画像と音楽のすばらしい組み合わせをウェブ上で示してくれたこと、●吉田悟郎さん「ブナ林便り」のイラク戦記録をたどっていくと、この情報戦のなかで、イラクのこどもたち・女性・民衆の側に立った写真の記録が数多く保存されていることです。特に衝撃的なのは、その名もズバリ●「This Is War」というサイト。心臓の弱い人は、ご遠慮下さい。運動面では、これも写真満載の●カリフォルニアの市民団体 BARING WITNESS に寄せられた世界各地での平和の人文字記録、3月16日の世界129か国6400箇所でのキャンドル・サービス●Global Candlelight Vigil for Peaceの壮観、そして、大阪の阪南中央病院労働組合の皆さんが奮闘してつくったらしい●「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動サイト」の充実ぶりです。これらは、かの●社会学の定番サイト「ソキウス」の 野村一夫さんが提唱する「インフォアーツ」の結晶と見るべきでしょう。情報戦時代の、貴重な民衆的抵抗です。
ユニークなのは、●グローバル・ピース・キャンペーンの仕掛け人きくち・ゆみさんたちが始めた●「YES!PEACE! アメリカに平和の大統領を!キャンペーン 日本からアメリカ大統領選挙を応援しよう! デニス・クシニッチ(56歳)をご存知ですか?」という、来年のアメリカ大統領選挙を見通した反ブッシュイズムの運動。アメリカに国防省ではなく「平和省」を作ろうと提唱しているオハイオ州選出の民主党下院議員で、カリフォルニアのバーバラ・リー議員らの仲間なそうです。前回紹介した9.11直後のラムズフェルド国防長官「まったく新しい戦争」と対照しながら、貴重なアメリカ議会内の声に、耳を傾けましょう。もっとも、かのハート=ネグリなら、これぞ正統『帝国 EMPIRE』のフレクシブルな世界支配路線だというかもしれませんが。
日本の有事立法や個人情報保護法は、9.11以後の漠然とした不安──「失われた12年」と「危険社会」ムード──のみで、日本国憲法の原理を変えようとしているのではありません。世論の動きを見ると、拉致問題と核保有宣言で明らかになった北朝鮮金正日体制への具体的危機感が背景にあります。5月7日の「拉致はテロだ! 北朝鮮に拉致された日本人・家族を救出するぞ! 第5回国民大集会(東京国際フォーラム)」は、私は6時すぎに到着して入場できませんでしたが、6000人の入場者の他に1万人以上、有楽町駅であきらめて帰った人たちを含めれば、2万人は集まっていたと思います。イラク戦争に反対してきてテレビ・ニュースで見た左派の人たちの中には、拉致議員連盟や「救う会」事務局の顔触れ、当日の石原東京都知事・石破防衛庁長官・安倍官房副長官らの発言から、東京フォーラムに集った人々こそ、有事立法の立て役者で、日本国憲法改正の水先案内人と思った人も多いでしょう。私の観察では違います。確かに自民党議員に動員されたらしい地方の年輩の集団や日の丸を持った人々もいましたが、圧倒的多数は、心から拉致犠牲者とご家族に同情し、問題の早期解決を願った普通の人々です。若い女性も高校生らしいグループもいました。入場できずにあきらめて帰った人の群れは、残業を断って急いでかけつけたらしいサラリーマン・ウーマンが圧倒的でした。「イラクのように」とか「報復を」という壇上の勇ましい演説に、皆が共感しているとも思えませんでした。むしろ曽我ひとみさんの肉声や「ふるさと」の歌に共感していました。有事立法で自民党と民主党の妥協が成立した直後の14日夜のTVドラマ「北朝鮮拉致 めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」に、有事立法成立のための情報操作を読みとった人もいるかもしれません。私は素直に竹下景子・加藤剛の横田早起江さん・滋さんご夫妻になりきった演技に感動し、涙しました。日本政府や政治家への批判も正当でしたし、なによりも原作の横田早起江さんの手記に忠実でした。
本トップの一番上に、拉致被害者救援の青いリボンと、イラク戦争反対の白いリボンがあります。「IMAGINE! イマジン」には朝鮮問題リンク集が入っています。私は以前から主張しているように、拉致問題・脱北者問題を人権問題として強く主張できない反戦平和運動は、世論の支持が得られないばかりでなく、思想的にも問題だと考えています。そのために数多くのいやがらせ・脅迫メールももらいました。しかし有事立法にも個人情報保護法にも反対で、「ヒロシマ・ピース・サイト」マークと「日本国憲法を読もう」もロゴで入れてあります。私は北朝鮮金正日体制を、かつてのスターリン主義の系譜の国家社会主義のなかでも悪質な独裁・収容所体制であると考え、民衆による解放を望んでいます。しかしアメリカや日本の政府が軍事力で報復し抑え込むのには反対です。この点では、アメリカ大統領候補デニス・クシニッチの「世界の独裁者に対して、彼らを爆弾で黙らせたいという誘惑を抑えて交渉するには忍耐が必要です。大きな力を持ちながら世界でそれを優しく使うには知恵が必要です。そして生存を賭けて、厳しい生活環境や抑圧的な政府のもとで自己のつましい生活を送ろうとしている世界の人々の苦しい状況を理解するには、思いやりが必要です」に共鳴します。すでに国連人権委員会で始まったように、国際刑事裁判所への提訴が準備されているように、国際世論と国際機関の包囲で北朝鮮を国際法・世界人権宣言・国際人権規約の世界に引き入れる包囲網を作るべきだと考えます。アメリカ、日本、韓国、中国、ロシアが重要な当事国であるにしても、国連191か国の大多数に問題を理解して貰う、粘り強い努力が必要だと思います。そしてそれは、日本国憲法の原理にもかなうものです。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。この前文を始め、日本国憲法は、実際に実践して試される以前に、「改憲」や「論憲」の対象とされています。まずは憲法を日々の生活に活かす勇気です。そして、ハート=ネグリ『帝国 EMPIRE』のスピノザ風主体概念「マルチチュード」に学ぶとすれば、一元的超越論的「国民」「人民」「民族」「階級」ではなく、まずはイラク戦争に反対しつつも北朝鮮の核を恐れ、拉致被害者に同情して横田めぐみさんに涙する具体的で多面的な身体・情動を持つ「多衆」(戸坂潤)から出発すべきということではないでしょうか。
前回予告した拙稿「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会)、「反ダボス会議のグローバリズム」(『エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』6月緊急増刊号「NO WAR ! 立ち上がった世界市民の記録」)が、それぞれ発売されました。「マルチチュードは国境を越えるか?──ネグリ=ハート『帝国』を政治学から読む」(『情況』2003年6月号)も、まもなく発売されます。このうち「世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)か、世界社会フォーラム(WSF、ポルトアレグレ)か」を扱った「反ダボス会議のグローバリズム」は、週刊誌で既に次号が出ましたので、今回情報学研究室・政治学研究室にインターネット用オリジナル版を収録しました。月刊誌の「情報戦時代の世界平和運動」「マルチチュードは国境を越えるか?」は1か月後、単行本の「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」は3か月後に本サイトに収録します。論文「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(『エコノミスト』2002年11月26日号)、「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)の系列です。昨年の「国際歴史探偵」の成果、拙著『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)のラインでは、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)と「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)をどうぞ。、図書館「書評の部屋」には、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書) 、小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)、河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)、茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)、『週刊読書人』4月4日号の白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)に続いて、『エコノミスト』4月29日・5月6日合併号掲載の、講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』、小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)を収録。新学期の総合カリキュラムや教育センターはようやく軌道に乗り、恒例の、この3月に卒業した一橋大学社会学部加藤哲郎ゼミナール卒業学士論文が全国公開されました。
2003/5/1 ようやくゴールデンウィーク、あわただしいひと月でした。インド・マレーシアでイラク戦争、SARS蔓延、帰国しても10日は潜伏期間ということで外出控えめ、とはいっても石堂清倫さん偲ぶ会や講演、新学期準備は休むわけにいかず。SARS潜伏期を無事を過ぎても、イラク戦争がらみの原稿書きが続き、ダウン。講義と講演のために、インドで読み残したマイケル・ハート=アントニオ・ネグリ『帝国 EMPIRE』(邦訳、以文社)に取り組み、その面白さに、当面の執筆計画も変更。「グローバル・ネットワーク資本による身体・情動の実質的包摂」「帝国主権対マルチチュード(多衆)」の図式は確かに魅力的だが、「国民国家の終焉」認識、「マルチチュードの脱走(エクソダス)」戦略には異議があります。その「知の再領有」の主張によってか、インターネット上では英語全文が読めるし、無数の書評が溢れています。「マルチチュード」はスピノザ起源ですが、戸坂潤「科学の大衆性」(『イデオロギーの論理学』)の「多衆=烏合の衆」を想い出しました。湾岸戦争からコソボ攻撃の時期に書かれているため、父ブッシュの「世界新秩序」やゴアの「情報ハイウェイ」はよく理解できますが、9.11以降の世界から見ると、違和感が残ります。もっともネグリ自身、「アルカイダがアメリカの経済パワーの主張を攻撃したという事実は、帝国の指導者にとっては内乱の始まりを告げるものです。この書物の構造に関連してまったく新しい事態だったのは、アメリカの反応が、帝国の形成に反対する退行的な逆行だったということです。これは帝国内部での、帝国にたいする逆行で、古い権力構造、古い命令方法、独裁的で実体主義的な主権の考え方と結びついたものです。これはわたしたちがこの書物で分析した帝国の生−権力(バイオ・パワー)の分子的で関係論的な性格に逆らおうとする傾向を示しています」と言っていますから(中山元「哲学クロニクル」 第311号、2002年10月3日)、そこまで要求するのは酷でしょう。「ブッシュ政権がほんとうの障害に直面するとしたら、それは市場からの抵抗でしょう。マーケットは戦争を望んでいないのです」とするのも、気にはかかりますが。
4月29日のNHK衛星放送で、開戦前にアメリカの公共放送WGBH制作のイラクーアメリカ歴史的関係史が放映されました。驚きました。この間のFOX、CNNほか「愛国・勝利」一辺倒の報道に比べ、サダム・フセインをイラン革命への対抗馬としてアメリカが育成してきたことや、父ブッシュの湾岸戦争開始時の激しい反戦運動(この時は、国内の反戦世論を国連安保理の軍事的介入決議の方が押し切った)などを率直に扱い、綿密な後追い取材と客観的構成で、これぞジャーナリズムという重厚さ。サダム・フセインの愛読書がスターリン、それも共産主義抜きの統治術として読んでいたことなど、考えさせる論点もふんだんでした。アメリカのマスコミ報道はマードックのグローバル支配で変わったのでしょうか、それとも草の根ジャーナリストたちの反骨が分厚く残っていて、ただ日本に届かなかっただけなのでしょうか、考えさせられました。そこで、『世界』と『エコノミスト』に戦争がらみの論文を送ったところで、しばし巨大なデータベース化した特別サイト「IMAGINE! イマジン」の再整理。9.11の原点に立ち返って、この1年半の情報戦、平和運動をふり返ってみました。初発のデータベースとしては、中山元さん「哲学クロニカル」が有益で光ります。そこに見出し読み返した『ニューヨーク・タイムズ』2001年9月27日号のラムズフェルド国防長官「まったく新しい戦争」のすごみ、曰く、「変動し発展し続ける浮動的な連合」「銀行員もプログラマーも加わる戦争」「終わりなき持続的な戦争」──ネオコンの執念と実行力に、改めて戦慄しました。
9.11当時、このラムズフェルド構想に正面から対抗しえていたのは、かの「第一次世界内戦の始まり」のポール・ヴィリリオでした。「文明の衝突ではない、少なくともまだ…」のハンチントン、「まだ歴史は終焉したままだ」のフランシス・フクヤマらの弁明に比べ、「予測が実現したのは残念だ」の洞察が光ります。明らかに、ハート=ネグリ『帝国』を意識しています。本年2月15日の世界1500万人統一非戦行動に大きな刺激を与えた、ノーム・チョムスキー「帝国に抗して 」「戦争のない世界」(益岡賢さんHP)も、もちろん読み応えはありますが。わが「IMAGINE! イマジン」のデータベースでは、未だに訪問者の絶えない■祈り・癒し系♪ IMAGINE GALLERYを作ったことを、誇りに思います。アフガン戦争段階の記録なので、まだ、ガンジーが遺した言葉「弱者の非暴力と強者の非暴力」、中澤英雄さん「宇宙飛行士の言葉はなぜインターネット上にないのか 」、佐川 亜紀 さんの反戦詩、いわさきちひろ美術館「イラクの子どもたちを戦火にさらさないで」、演劇人の「女の平和」プロジェクト、オノ・ヨーコさん「ビジット・イン・ピース・イベント」、SMAP「世界にひとつだけの花」などは未収録で、これから整理しなければなりませんが。今回更新はやや殺風景ですから、韓国の読者Son. Dug-sooさん("Peace-Mother")が9.11の翌日描いて送ってくれたIMAGINE GALLERY所載「平和の一輪」の絵を久しぶりにどうぞ。私にとっての「世界にひとつだけの花」です。
本サイトが昨年初めから主張してきた「世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)か、世界社会フォーラム(WSF、ポルトアレグレ)か」の視点は、依然有効なようです。先日インドからの帰路、マレーシアで手に入れた W.F.Fisher & T.Ponniah eds., Another World is Possible: Popular Alternatives to Globalization at the World Social Forum, Zed Books,2003.4という出たばかりの本『もう一つの世界は可能だ』が、WEFに対抗するWSFの代替案を「トービン税」から「グローバル市民社会」まで具体的レベルで政策にしていて、すこぶる役に立ちます。そこにハート=ネグリが──たぶん『帝国』以来初めて──、連名で序文を寄せています。「ポルトアレグレの世界社会フォーラムは、すでに一つの神話、われわれの政治的羅針盤を定義づける積極的神話の一つとなった。それは、新しい民主主義的コスモポリタリズムであり、新しい国境を越えた反資本主義であり、新しい知的ノマド(遊牧民)主義であり、マルチチュードの偉大な運動である」と。ブッシュは明日「戦闘終結宣言」とか。機動戦が終わり、陣地戦でイラクが占領されても、情報戦は続きます。クラスター爆弾によるイラクのこどもたちの犠牲の広がりも、「戦争広告代理店」の暗躍の足跡も、大量破壊兵器の有無も、暫定政府への国連の関与も石油利権の行方も、すべて隠されたままです。戦争の正統性は、これから問われるのです。日本のマスコミは、北朝鮮と景気対策に焦点を移していくでしょう。せめてこの間飛躍的に力を強めたネチズンのネットワークは、来年1月の世界社会フォーラム・インド総会に向けて、9.11以後の世界を見つめ続けましょう。アフガニスタンにも、イラクにも、東アジアにも、「 平和のイマジネーション」のまなざしを保ち続けて。
「IMAGINE! イマジン」は窓口のみ整理して、非戦ポータルサイトとして残しました。毎日の論説・ニュース・行動情報は、■WORLD PEACE NOW、■「反戦・平和アクション」、■「ブナ林便り」、■グローバル・ピース・キャンペーン、■「ANTI-WAR」、■イラQ、■「Peace Weblog」、■「CHANCE!平和を創るネットワーク」、■「プレマ(PREMA)21ネット」、■アメリカ同時多発テロへの武力報復に反対するホームページリンク集 「考えよう」 「送ろう」 「集まろう」、■とめよう戦争への道!百万人署名運動などへどうぞ。昨年の「国際歴史探偵」の成果、拙著『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)のラインでは、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)と「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」(20世紀メディア研究会『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号)をどうぞ。論文「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(『エコノミスト』2002年11月26日号)の系列は、「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社)に続いて、「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」(公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学──「反テロ」世界戦争に抗して』(東京大学出版会)が発売され、まもなく「反ダボス会議のグローバリズム」(『エコノミスト』5月13日号)、「情報戦時代の世界平和運動──非戦平和のインフォアーツ」(『世界』6月臨時増刊号)が発表されます。図書館「書評の部屋」には、小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社) 、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書) 、小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)に加えて、『エコノミスト』4月1日号の河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)と茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)、『週刊読書人』4月4日号の白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)が入り、現在発売中の『エコノミスト』4月29日・5月6日合併号では講談社版『日本の歴史』第25巻『日本はどこへ行くのか』、小林正弥編『丸山真男論──主体的営為、ファシズム、市民社会』(東京大学出版会)を論じています(次回アップ予定)。新学期の総合カリキュラムや教育センターは、逐次更新されています。恒例の、この3月に卒業した一橋大学社会学部加藤哲郎ゼミナール卒業学士論文も、ゴールデンウィーク中に全国公開します。
そして、翌日には露わになった略奪・放火、食糧・医薬品不足、ついには病院や国立博物館までが破壊されました。もしも略奪対象がホワイトハウスなら、せいぜい成金趣味の家具や絵画で済むでしょう。でもイラク国立博物館にあったのは、人類の共有財産、地球遺産です。古代アッシリアの象牙板も、ハムラビ法典やピタゴラスの定理の銘板も、奪われてしまいました。ラムズフェルドによれば「自由というのは、まあ乱雑なもんだ、自由になった人々は、間違いを犯す自由もあるからね。まあ、彼らは犯罪を犯す自由も手に入れたわけだ」と。天に唾するものです。そして、フセイン銅像崩壊映像によって隠されたもの。Iraq Body Countに記されたMin1373・Max1626のイラク市民の死体数、実際には5千人ともいわれるその一人一人の家族や友人の悲しみ・嘆き、空爆で両腕と家族を奪われた12歳の少年のその後、短期に集中的に投下されたトマホークやバンカーバスターの破壊度、戦車戦で確実に使われた劣化ウランの後遺症、アメリカ市民権を求めて従軍し味方に「誤爆」された兵士のトラウマ、バグダットのバザール(市場)爆撃の真相、アルジャジーラやロイター記者を撃った真実報道狙撃の銃口、独裁者サダム・フセインの行方、大量破壊兵器が使われた兆候、そもそも戦争の大義名分であった化学兵器・生物兵器の有無、「地球村」世論と国連加盟国の圧倒的多数が反対していた事実、人類史上空前の宣戦布告前の非戦行動、世界59か国1004カ所でアリストファネス「女の平和」が朗読された理由、次は「シリアの民主化」と公言するネオコンの狂気とイスラエルとのつながり、エジプト大統領が述べた「この戦争は百人の新たなオサマ・ビンラディンを産み出すだろう」という警告、そして、ローマ法王の祈り──「平和実現のために働くということは、絶えず継続すべき課題です。最近の劇的な世界情勢はこのことを如実に物語っています。今、私の思いは、多くの人々が戦争に巻き込まれ苦しんでいるイラクに特別に向かいます。中でも、特に様々な町で厳しい状況の下に置かれている一般市民たちのことを考えています。神がいち早くこの戦争を終わらせ、赦しと愛と平和の新しい時代を到来させて下さるよう、心から願っています」、神はアメリカ人だけのものではないこと。
暫定政府もイラク復興も、これからです。本HPに9.11以降ずっと掲げ続けている丸山真男の言葉、「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」は、今こそ生きてきます。村上龍さん主宰JMM4月10日付け「パリは燃えているか」で、若い友人大中一彌さんも引用してくれました。仏独露首脳は国連と国際法の再構築にとりかかりました。世界の非戦平和の運動も、日本の「WORLD PEACE NOW」のパレードも、続いています。18日夕は神田神保町、19日は代々木公園、24日国会前という具合に。9.11直前に出した拙著『20世紀を超えて』(花伝社、2001年)の序論「カルチャーとしての社会主義」のなかで、アントニオ・グラムシが第一次世界大戦に見出した「機動戦から陣地戦へ」になぞらえて、湾岸戦争以降の戦争を「陣地戦から情報戦へ」と位置づけました。イラク戦争の「機動戦」局面は終わりました。米英軍によるイラク国土の実効的支配=占領で「陣地戦」もまもなく終わるでしょう。しかしこの戦争──有田芳生さんは前CIA長官の「第4次世界大戦」説を紹介していますが、本サイトは前回ポール・ヴィリリオに依拠して「第一次世界内戦」と名づけた──の「情報戦」はまだまだ続きます。なぜなら情報戦は、言説と正統性の奪い合いです。米英の占領が「正義の戦争」「解放戦争」と世界の世論から信認されるまで、情報戦は続きます。軍事力では圧倒的な米英も、武力行使の手続きと信義では、穴だらけです。「戦争がうまくいっておめでとう」などと脳天気に祝福するのは、日本の財務大臣くらいです。国連でも国際機関でも、道理と承認を求める闘争は続き、オサマ・ビンラディンやサダム・フセインの亡霊がブッシュにつきまとうでしょう。
統一地方選挙前半戦は、低投票率のもとで石原東京都知事に300万票、バグダッド陥落でも東証株価はバブル以来最安値を更新──この国は、漂流しています。本15日は、北朝鮮拉致事件被害者帰国から半年目、情報戦には、シリアと北朝鮮が加わります。来年のアメリカ大統領選に向けて、狂気のネオコンはどんなカードを切ってくるのか、地球村の内戦は、目を離せません。拉致問題からロシア革命史研究へと波及した藤井一行教授と和田春樹教授のインターネット上での論争、学問の厳しさを教えられます。誤報、虚報、威嚇、悪罵が飛び交うインターネット世界で、信頼できるもの。世界をかけめぐった13歳の少女シャルロットの言葉=「私たちは明日、生きることができないかどうか分からなければ、怖いです。私たちが殺されてり、傷つけられたり、未来を奪われようとするならば、怒りを感じます。私たちが望むのは両親が明日も生きていることだけなんて悲しくなります」、「IMAGINE! イマジン」の停止した戦時中も、80歳をこえて日々の平和の声を記録し保存してくれた吉田悟郎さん「ブナ林だより」の気概、そして、「第一次世界内戦」下にインドを訪れ再発見したマハトマ・ガンジーとタゴールの偉大──「暴力は対抗的な暴力によって一掃されない。それは、一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。けれども私は、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている」「汝が声誰も聞かずば、一人歩め、一人歩め」と。今回は更新期間は短かったので、4月5日分を次回まで残します。図書館の書評の部屋に、『エコノミスト』4月1日号の河上荘吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)と茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)、『週刊読書人』4月4日号の白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)のみ追加します。
★日本の研究者1530人緊急アピール!Urgent Protest Statement: Opposing the Attack on Iraq and Japan's Support Again from 1,473Concerned Scholars in Japan!(研究者は訴える「私たち研究者は対イラク戦争と日本の加担に再び反対します」2003年3月19日)
★ U.S. PLANS FOR WAR AND OCCUPATION IN IRAQ ARE A HISTORICAL MISTAKE:An Urgent Appeal from Students of the Allied Occupation of Japan(米日占領史研究者のイラク攻撃反対声明)
2003/4/5 インド、マレーシアの旅から帰ってきました。まずはクアラルンプールの高級経済紙『ニュー・ストレイツ・タイムズ』4月2日朝刊のトップ記事「文民が検問所で殺された、アラブの怒りの火に油を注いでいる、イラク民衆が侵攻を歓迎するだろうという希望は吹き飛ばされた!」から。写真説明に「バビロンの虐殺:米英軍のヘリコプターの爆撃で、母と6人の子どもを含む15人の家族の生命を奪われたラザク・アル・カファジさんの号泣」とあります。質素な木棺に無雑作に入れられた母子にも、ちゃんと名前があったはずです。むごい現実です。これがマレーシアの、いわば日経新聞トップです。ロイター配信ですが、日本の報道には入っていないようなのでスキャン。隣のサブ見出しは「ヨーロッパではコカコーラ抜きメニュー、アメリカ製品のボイコットへ」とドイツやフランスのレストランからコカコーラやマーボロが消えた話。インドの有力紙『ザ・タイムズ・オブ・インディア』3月27日のトップも「バグダッドのバザールが爆撃された」でした。バザール──アラブ諸国や南アジア、東南・中央アジアに住む人々にとって、その生活になじんだ場所が爆撃されたことの意味は瞭然です。イスラム教徒の多いハイデラバードやクアラルンプールはもちろん、ヒンドゥー教徒の多いデリーでも、連日の反戦ラリーでした。中国でも、ついに官製でない反戦デモがあったそうです。ヨーロッパばかりではありません。アジアでも、非戦・非暴力の平和、ブッシュとネオコンの横暴を許すな! の運動は燃え上がっています。
出発時に42万ヒットでしたから、米英軍のイラク攻撃開始から2週間余で、1万3千人の皆様にアクセスいただいたことになります。ありがたいことです。けれどもインドのIT環境はままならず、1週間ほど電子メールも開けなかったため、膨大なメールをいただきながら返事ができず、プロヴァイダーのメールボックスが溢れて返送される始末で、大変ご迷惑をおかけしました。もちろん例によっての平和サイト攻撃・いやがらせメールやコマーシャル・ベースのジャンクメールも多数でしたが、貴重な世界からの情報もいただきました。例えばイギリス在住33年のクランプ妙子さんから送られてきた、 国際イラク難民同盟英国支部、 女性の権利を守る中近東センター、イラク及びクルドの女性権利擁護委員会の共同声明。朝日新聞に投稿したが、採用されなかったとのことです。
「国際イラク難民同盟(英国支部)、女性の権利を守る中近東センター、イラク及びクルドの女性の権利擁護委員会などの共同声明がメールに飛び込んできました。アメリカやイギリスの政府が唱える「戦争はイラク人の自由と解放のため」という「驕りの声」ではなく、イラクおよびクルド人の内からの「真の叫び」を聞いてほしいと切に願って、彼等の声明を日本語に翻訳しました。イギリス政府は、国民大半の反戦の願いを無視して、戦争を開始しました。しかし、多くの人々の「良心の声」を沈黙させることはできません。反戦デモは毎日、イギリス各地で繰り広げられています。
道理なき戦争です。始めは9.11同時テロへの報復、オサマ・ビンラディンの検挙と彼等をかばうタリバン政権の打倒、それが「アフガニスタンの解放」と称されて「悪の枢軸」退治へ、そのためイラクの大量破壊兵器査察を口実に国連の手による査察と武装解除へ、しかし国連が思うように動かぬと見ると米英軍単独での「サダム・フセイン政権打倒」への武力攻撃、さらには「中東の民主化」までが戦争口実に。しかし、いざ侵攻してみると、イラク民衆の蜂起も米英軍歓迎の星条旗もありませんでした。反サダムといわれたシーア教徒さえモスクを死守しようと抵抗し、すでに無数の名前と家族を持つ文民が犠牲になりました。たとえハイテク兵器を駆使し、バグダット市街戦でフセイン政権を倒しても、行く末は見えています。米軍に「解放」されたはずのアフガニスタンがどうなっているかは、今なお現地で難民を助ける中村哲医師・ペシャワール会や「オバハンからの気まぐれ通信」の近況報告を見ればわかります。イラクはチグリス・ユーフラテス文明発祥の地で、バグダッドは600万の大都会です。残されるのは、無数の犠牲者、肉親を奪われたこどもたちと、飢餓と難民、そして幾世代へと残る劣化ウラン弾の悲惨、人類史の貴重な遺跡破壊、環境汚染、……。
悲しいかなヒンドゥー語もウルドゥー語もベンガル語も解せぬ身で、インターネット接続もできない環境では、開戦からの戦況はCNNとNBCと現地の英字新聞だけが頼りでした。時々入るBBCはそれなりに「客観的」でしたが、いやというほど、この戦争の「情報戦」たるゆえんを思い知らされました。上記の写真のような現実は、米英軍に「従軍」したテレビカメラからは見えてきません。インドでもマレーシアでも、日本政府が米英武力侵攻を支持していることは知られていました。しかし日本の世論の7割は反対し、30年ぶりの非戦平和の運動が起こっていることは、ほとんど知られていませんでした。国際会議でも、バザールでも、タクシーの運転手さんにも、弁明を余儀なくされました。そんな時の簡便な武器が、グローバルに通じる「IMAGINE! イマジン」と、「The Only One Flower in the World: Not for the Number One, but for the Only One」つまり「世界に一つだけの花」としての日本国憲法の話。かの9.11直後に韓国の読者Son. Dug-sooさん"Peace-Mother"から頂いたIMAGINE GALLERY所載「平和の一輪」の絵を配ってまわりました。私たちにできる「情報戦」です。もっともクアラルンプールや成田の空港では、生物化学兵器ならぬ「SARS」(新型急性肺炎)こそ人類的「衝撃と恐怖」、異様なマスクの列でした。そのうちウィルスはテロリストが広めたという類の情報操作さえ出て来かねません。こちらにも要注意。
まだ帰国したばかりで、日本の新聞・雑誌は読んでいません。ネットサーフィンも統一地方選挙のチェックもこれからです。ただ、ガンジーやアルンダティ・ロイの国インドで、しばしネット環境から隔離され瞑想できたおかげで、旅に携行した分厚いアントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『帝国』邦訳本(以文社)ばかりでなく、この間ご恵贈いただいて、まだ御礼もしていない小林正弥さん『非戦の哲学』(ちくま新書)、同編著『丸山真男論』(東京大学出版会)、山口定さん他『新しい公共性』(有斐閣)、笹倉秀夫さん『丸山真男の思想世界』(みすず書房)、山室信一さん『ユーラシアの岸辺から』(岩波書店)、松田博さん『グラムシ研究の新展開』(御茶の水書房)、田畑稔さん他『アソシエーション革命へ』(社会評論社)、石川捷治・平井一臣さん編『終わらない20世紀』(法律文化社)などに共通する問題設定と現実と格闘する知の方向性に気づきました。丸山真男が日本思想史の古層に見出した「つぎつぎとなりゆくいきほひ」は宿命論ではないこと、新たな現実を直視することこそ「現実主義」なる「なりゆきへの迎合」を超えて、アソシエーショナルな公共性の構築に連なること、そして、ほかならぬアジアと日本でも「公共民」への胎動が始まっていること、に。そして、得心できました。あの『速度と政治』(平凡社ライブラリー)のポール・ヴィリリオが「第一次世界内戦」と名づけた眼前の戦争に対して、ブッシュに魂を売って「つぎつぎとなりゆくいきほひ」に身を委ねた日本政府に抗して、グローバルな非戦平和と非暴力抵抗「情報戦」の新たなかたちが、確実に、世界と日本のすみずみで広がり、根づいていることを。
以下の本サイト案内は、ほぼ前回のままです。9.11以来1年半ほぼ毎日更新してきた情報リンクサイト■「IMAGINE! イマジン」はイラク開戦と共にストップしたままですが、再開の仕方はなお思案中です。連日の最新情報は、■WORLD PEACE NOW、■「反戦・平和アクション」、■「ブナ林便り」、■グローバル・ピース・キャンペーン、■「ANTI-WAR」、■イラQ、■「Peace Weblog」、■「CHANCE!平和を創るネットワーク」、■「プレマ(PREMA)21ネット」、■アメリカ同時多発テロへの武力報復に反対するホームページリンク集 「考えよう」 「送ろう」 「集まろう」、■とめよう戦争への道!百万人署名運動、■ヤフーニュース反戦運動、■神浦元彰「最新軍事情報解説」などイマジンリンク集から直接サーフィンしてください。昨年出した『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー、2002年)の延長上で、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)に続き、20世紀メディア研究会発行、紀伊国屋発行『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号に拙稿「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」が公刊されました。いうまでもなく本HPの目玉情報収集センターの最新の成果であり、昨年創刊号掲載「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」の後日談です。論文「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(『エコノミスト』2002年11月26日号)の系列では、同じく最近刊行された「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社、2003年、所収)を収録します。図書館には、川上武編『戦後日本病人史』、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国──アメリカ・戦争・現代世界』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性──「9.11」と「世直し」68年』(青木書店)、小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社) 、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)等々に続いて、『エコノミスト』3月4日号「歴史書の棚」掲載の姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書) および小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)の書評を加えました。現在発売中の『エコノミスト』4月1日号では河上壮吾『河上肇と左京──兄弟はどう生きたか』(かもがわ出版)と茅原健『民本主義の論客 茅原崋山伝』(不二出版)を、『週刊読書人』4月4日号では白井久也編著『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』(社会評論社)を、やや玄人向けに論じています。これらは次回更新でアップです。新学期の総合カリキュラムや教育センターは、逐次更新していきます。
★日本の研究者1530人緊急アピール!Urgent Protest Statement: Opposing the Attack on Iraq and Japan's Support Again from 1,473Concerned Scholars in Japan!(研究者は訴える「私たち研究者は対イラク戦争と日本の加担に再び反対します」2003年3月19日)
2003/3/15 「その場の雰囲気」で戦争への態度を決めるそうです。日本の小泉首相です。イギリスのブレア首相でさえ、国民との対話は続けているのに! 長い討論の末、国連決議なしのイラク攻撃への反対を決めた勇気あるアメリカの自治体があります。9.11最大の被害者、ニューヨーク市民800万の多様な声を代表するNY市議会です。すでに自治体レベルではシカゴ、ロスアンジェルスなど全米140以上で反戦決議がでています。日本でも200を越える地方議会決議があります。世界は大きく揺れ動いています。もともと砂嵐のくる前にとブッシュが設定した1月末、2月末、3月初め、3月17日の開戦計画は、次々に修正・後退を余儀なくされ、いつしか熱風・砂嵐の季節になりました。フランス、ドイツ、ロシア、中国の査察継続の主張も、もちろん大きな力です。でもその背後の世論の力こそ、イギリス、スペイン政府を動揺させ、中間派6カ国を経済援助・ODAの誘惑に負けずに踏みとどまらせ、ブッシュとその取り巻きの「道義なき戦争」を止めてきたグローバルなうねりです。前回更新で掲げた右のブッシュ・メモ、すべての準備は整った、ただし「REASON」だけがない、となってます。「Reason」──「理由・動機」であると共に、「理性・道理」です。
小さな国でも、存在感のある主張はできます。例えばマレーシア。冷戦崩壊後しばらく停滞していた非同盟諸国会議の声を議長国としてまとめ、「平和のための結集」を提案しました。「平和のための結集」とは、国連安保理が常任理事国の間で合意をつくれず、平和への脅威や侵略行為に対して行動できないときに、「総会が肩代わりする」もので、15の安保理理事国のうち9カ国の賛成か、国連加盟国の過半数の賛成で行使できる方策で、1956年のスエズ動乱の際に行使された例があります。活動の始まった国際刑事裁判所を活用して、サダム・フセインや金正日ばかりでなく、ブッシュを訴追しようという動きもあります。「国連中心主義と日米同盟」を二本柱に掲げてきた日本政府の役回りは、ブッシュの単独行動主義・先制攻撃主義に追随する間に、完全に道義を失い、この世界史の大舞台で、セリフのほとんどない卑小なものとなりました。20世紀に作られた「アメリカの投票機械」「顔の見えない経済大国」の国際イメージを、またしても追認してしまいました。「裸の王様」に「王様は裸だ」といえない(丸山真男的意味での)「忠誠」なき番犬です。アメリカ在住の冷泉彰彦さんは心配しています。「アメリカ社会の深層では本当に戦争回避の期待が増しています」「アメリカにリベラルな政権が出来、その新政権が中韓やEUとの協調を大事にグローバル経済の再建を図ろうとしたとしたら、日本は完全に切り捨てられます。道義上も、軍事上も、経済上も、世界の主要国から置いて行かれるに違いありません」と。
オノ・ヨーコさんの反戦広告を待つまでもなく、「IMAGINE! イマジン」が世界で甦っています。インターネット上に膨大に掲げられた3月8日の日本の記録を見ると、ようやく老若男女が、立ち上がりました。パレードで、ウォークで、ミュージックやポエムで、人文字で、コミックで、表現方法は多様です。こんなの軟弱でデモにならない、60年安保や68年の怒れる学生たちのように勇壮に、という不満の声もあるようです。「○○政治決戦・○○社共統一行動・組合動員国会デモ」に慣れた、団塊世代以上に多いようです。でも前回「世界同時反戦デモは多様」で、「裸の女性の人文字 」「コード・ピンク」「白いリボン・キャンペーン」「バーチャル・デモ」「新聞意見広告 」「水曜日に白を着よう! キャンペーン」「40日間ハンガーストライキ 」「ダイ・イン」「基地侵入」「ベッドシーツ・プロテスター」「非暴力ボイコット 」「人間の盾」「女の平和プロジェクト」「コンサート」「ピースウォーク」「キャンドルデモ」等々と紹介したように、2月15日に1300万人を街頭に導いたヨーロッパやアメリカの運動をみても、同じです。時代が変わったのです。機動戦でも陣地戦でもなく、情報戦が政治の主舞台になったのです。テレビと携帯電話とインターネットの時代に、政治の領域が広がり、集会や行進のもち方・あり方が変わり、インターネット上での在宅サイバー・デモまで、非戦平和のイマジネーションが広がったのです。
実は本日の更新が夜になったのは、昼の日比谷野外音楽堂の集会に出た上で書くことにしたため。もう一つ、9.11以来ほぼ毎日更新し、累計12万ヒットを越えた「IMAGINE! イマジン」が3月20日頃でストップし、本「ネチズン・カレッジ」の次回更新も、たぶん4月5日以降になるためです。この決定的な時期に、インドとマレーシアに行ってきますので、2週間ほど更新はありません。「IMAGINE! イマジン」は、どんな反戦・非戦の動きでも報道し、データベースにしてきましたから、3.15日比谷野音の集会も、イベントとして入れました。主催者発表で1万人なそうですが、私が見た限りで、2時頃、5千人いたでしょうか? 開会直後に会場に着いてもゆうゆう中に入れて、30分ほど座って次の研究会のため退席しましたが、残念ながら、危惧していた通りでした。というのは、この3・15集会、よびかけ人には作家や芸能人もいますが、事務局が「平和と労働センター」で、政党色の強いものでした。野音会場入口で渡されたのは、「労働組合・市民団体・平和女性団体・地方・個人」と整然と分けた座席指定で、やたら労組や団体名だけの旗が目立ちます。反戦プラカードやカラフルな衣装もないではありませんが、赤・青・緑の団体旗に圧倒されています。壇上には共産党国会議員がいて、なだいなださんや羽田澄子さんの話は面白かったのですが、なにやら時局演説会か都知事選決起集会の雰囲気です。参加者の年齢層が高く、若い人や「個人」は参加しにくいだろうなあ、というのが現場での率直な印象。
次の会場に向かう途中、地下鉄霞ヶ関駅の片隅で、コートの下にピエロの衣装をつけた青年が、所在なげに一人で楽器の練習をしていました。彼がちゃんと集会に溶け込み、夕方の銀座パレードで「個人」のなかに入っていてくれればいいのですが……。先週3月8日の集会とは違って、若さや熱気が感じられませんでした。「ネットワーク型情報戦」に乗り遅れた「組織動員型陣地戦」の限界です。デジタル写真はとりましたが、省略いたします。3.8「WORLD PEACE NOW もう戦争はいらない」の続きは、来週3月21日(金)13時 芝公園23号地になります。世界に合流するのは、むしろ16日夜7時、ニュージーランドに始まり地球を一周する、非戦のキャンドル集会でしょう。先ほど入ったMoveOnの緊急メールでは、世界108か国3700箇所でキャンドルをかかげた「Global Vigil for Peace' March 16」が開かれます。日本でも、札幌大通り公園、東京原宿神宮入り口、池袋西口公園 東京芸術劇場正面、小平西武北口入り口、府中、堺市、岐阜市、札幌、京都、美濃、鎌倉、奈良、大館、富山、函館、甲府、久留米市、佐賀、山口などで予定されています。世界に比べればまだまだですが、せいいっぱい行動しましょう。私自身は新宿で研究会報告ですが、まにあえば原宿明治神宮前に行きます。
インドへは、ハイデラバードから入ります。ご存じの方も多いでしょうが、今年初めに「アジア社会フォーラム」が開かれ、来年1月末に「世界社会ファーラム(WSF)」総会が初めてブラジル・ポルトアレグレを離れ開かれる、インド最大のイスラム都市です。実は情報収集センター 「在独日本人反帝グループ関係者名簿」中の唯一の非漢字名でインド独立運動家Virendranath Chattopadhyaya が、ハイデラバードの名家の出身で、国内でガンジーらの独立運動に加わった実妹の女流詩人Sarojini Naiduの記念館等、 チャット研究の基礎資料がそこにあるのです。すでに英語サイトGlobal Netizen Collegeを通じて幾度か連絡をとってきましたが、ようやく現地を訪れることができます。こちらの成果は乞うご期待ですが、デリーの国際会議では、二つの日印比較を用いて、英語の話をしてきます。一つは、日本の1946年憲法とインドの1949年憲法の比較。日本国憲法の恒久平和主義と戦力放棄、インド憲法のカースト差別廃絶・多文化共生と自然との共存、どちらも素晴らしい理想をかかげ、半世紀たちますが、残念ながら現実は、憲法とはほど遠い部分があります。そこで、憲法を現実に合わせるのか、現実の方を憲法の理想に近づけるのかという選択に、両国の民衆は直面している、という話。もう一つは、先日「IMAGINE! イマジン」に入れた、中澤英雄さん「宇宙飛行士の言葉はなぜインターネット上にないのか 」に触発されて、1986年宇宙船チャレンジャー号事故で逝った日系宇宙飛行士エリソン鬼塚さんと、去る2月1日にコロンビアに乗りこんで事故に遭遇したインド系女性宇宙飛行士Kalpana Chawla さんを並べ、彼らが宇宙から地球を見て何を想い、エスニシティ・国籍の違いを越えて何を言い残そうとしたか、という話。宇宙船コロンビアのクルーの目覚ましには、ジョン・レノン♪IMAGINEが使われていました。爆発の数日前、NASAの指令室には、こんなメッセージが送られていました。
当初の予定では、とっくに戦争が始まっているか、国連査察の長期延長で危機が遠のいているはずだったんですが、とにかくイラクに近いガンジーやアルンダティ・ロイの国で、♪IMAGINEと非暴力抵抗の力を体感してきます。
昨年出した書物『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー、2002年)の延長上で、「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)に続き、20世紀メディア研究会発行、紀伊国屋発行『INTELLIGENCE(インテリジェンス)』第2号に拙稿「幻の日本語新聞『伯林週報』『中管時報』発見記」が公刊されました。いうまでもなく本HPの目玉情報収集センターの最新の成果であり、昨年創刊号掲載「幻の日本語新聞『ベルリン週報』を求めて ――サイバー・メヂィアによるクラシック・メディア探索記」の後日談です。論文「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(『エコノミスト』2002年11月26日号)の系列では、同じく最近刊行された「国家論」(『AERAMOOK 新版 政治学がわかる』朝日新聞社、2003年、所収)を収録します。図書館には、川上武編『戦後日本病人史』、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国──アメリカ・戦争・現代世界』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性──「9.11」と「世直し」68年』(青木書店)、小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社) 、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)等々に続いて、『エコノミスト』3月4日号「歴史書の棚」掲載の姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書) および小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)の書評を加えました。次の更新は新学期、学びのリフレッシュにどうぞ。
日本の小泉首相は、この世界的な動きに「誤ったメッセージを送るおそれがある」と述べました。つまり英米の武力行使に反対することが、イラクのフセイン政権支持を意味しかねないというのです。こうした冷戦型思考こそが、いま問われています。1300万人のほとんどの人々は、フセイン独裁に賛成しているわけではありません。国連による査察の継続と武力によらない問題解決を願っていました。むしろアメリカ・ブッシュ政権の強硬姿勢の背後に、石油利権の確保や湾岸戦争時の大統領=父ブッシュの復讐戦の気配を感じとったのです。より本質的には、国際社会のなかでのアメリカの身勝手な単独行動主義、「帝国」の様相を見出したのです。1月末の第3回世界社会ファーラム(WSF)におけるインドの作家アルンダティ・ロイの演説「帝国との対決」は、いいます。「もっともばかげた嘘は、アメリカ政府はイラクを民主主義化するために本腰をいれているというものでしょう。圧制から、またはイデオロギー的な腐敗から解放するために、国民を殺戮すると言うのは、アメリカ政府が昔から楽しんできた一種のスポーツのようなものです。中南米の国民は、そのことをほかの誰よりも知っているはずです。」「サダム・フセインが過酷な独裁者であり、人殺しであることを知らない人はいないでしょう(フセインの最悪の蛮行は、アメリカとイギリスの政府の支援を受けて行われたのです)。フセインがいなくなれば、イラク国民が楽になるのは明らかなことです。しかしそういうなら、ブッシュ氏がいなくなれば、世界のすべてがもっと楽になると言わざるをえません。実際のところ、ブッシュはフセインよりもさらに危険な人物なのです。」(中山元「哲学クロニカル」より)
ロイは、さらに続けます。「わたしたちは記憶を研ぎ澄ますことができます。わたしたちは歴史から学ぶことができるのです。世論が耳をつんざくような轟きになるまで、世論を構築し続けることができます。イラクとの戦争を、アメリカ政府がいかに非道な行為を重ねているかを暴くためのショーウィンドウにすることができます。わたしたちはジョージ・ブッシュとトニー・ブレアが、そしてその同盟国が、臆病な子供殺しであり、飲み水に毒を投じる者であり、小心な長距離爆撃機のような者であることを暴くことができます。わたしたちは市民的な不服従を、無数の方法で新たに発明し直すことができます。だれもが、あらゆる方法で、足に刺さった棘のような存在になることができるのです。」「わたしたちの戦略は、帝国に対決するだけでなく、帝国を占領するものであるべきでしょう。帝国が呼吸する酸素を奪うのです。帝国の面目をつぶすのです。帝国を嘲笑するのです−−わたしたちの芸術と音楽と文学によって、わたしたちの頑固さと歓びと卓越と仮借なさによって、わたしたちが自分の物語を語る能力によって」「忘れないようにしましょう。わたしたちは多数であり、彼らは少数なのです。わたしたちが彼らを必要とするよりも、彼らがわたしたちを必要としているのです。新たな世界はたんに可能であるだけではなく、すぐそこまで来ているのです。しめやかな日には、わたしにはその息吹が聞こえます。」──「帝国を嘲笑」したアートを二つ、「北朝鮮拉致問題ニューヨークタイムズ意見広告」でご一緒した有田芳生さんHPから借用しておきました。
では、ブッシュに対する批判は、仏独両国政府を中心とした国連安全保障理事会の査察継続派諸国に依拠すればいいのでしょうか。ロイはいいます。「帝国とはアメリカ合衆国とヨーロッパの同盟国、世界銀行や国際通貨基金(IMF)、世界貿易機構(WTO)、そして多国籍企業を意味するのでしょうか、それとももっと別のものが考えられているのでしょうか。帝国は多くの国で、自分の分身を育て上げています。そしてナショナリズム、宗教的な頑迷さ、ファシズム、そしてもちろんテロリズムなど、危険な副産物を生み出しています。これらのすべてが、企業のグローバリゼーションのプロジェクトと手に手を携えて進んでいるのです」。アントニオ・ネグリと一緒に『帝国』を書いたマイケル・ハートは、より率直です。「反米主義は、アメリカ合衆国について過度に統一された均質な考え方を作りだし、アメリカ国内に存在する広範な異議申し立て運動をみえなくする傾向がある。しかし問題はこれだけではない。わたしたちの政治的な対抗案は、大国と権力ブロックに依拠したものとなるという考え方を作り出すことこそが問題なのだ。この反米主義はたとえば、ヨーロッパのリーダー諸国が、わたしたちの主要な政治的な道筋を代表するものであり、好戦的で一国中心主義的なアメリカにかわる道徳的で多国籍的な代案であるという印象を作り出してしまう。反戦運動の反米主義は、わたしたちの政治的な想像力の地平を閉ざしてしまい、わたしたちは世界を二極的に(あるいはさらにまずいことに、ナショナリズム的に)みることしかできなくなってしまう」「反戦運動よりもグローバリゼーションに抗議する運動のほうがはるかにすぐれている。グローバリゼーション抗議運動は、今日の資本主義的なグローバリゼーションを支配する力、すなわち支配的な国民国家と、国際通貨基金、世界貿易機構、大手の企業などの複雑さと複数主義的な性格を認識しているだけではない。平等と自由に基づいて、国境と地域的な境界を越えた複数の相互的な活動によって、資本主義的なグローバリゼーションに代わる民主主義的なグローバリゼーションを想像しているのである」「わたしたちはこの戦争に反対しなければならない。しかしこれを超える視線をもつ必要があるし、狭い政治の論理の〈罠〉にひきずりこまれるのは避けねばならない。戦争に反対しながらもわたしたちは、グローバリゼーション抗議運動が作り出してきた拡張的な政治ビジョンと、開かれた地平を維持しなければならない」と(「避けるべき〈罠〉」、中山元「哲学クロニカル」より)。本サイトが注目してきたポルトアレグレに始まる世界社会ファーラム(WSF)運動の重要性は、この新しい地平を実際に切り開いてきたことにあります。
2月15日に表現された社会運動の新しいかたちは、ロイのいう「わたしたちの芸術と音楽と文学」、ハートのいう「境界を越えた複数の相互的な活動」──イマジネーションの多元的解放と情報のグローバルな共有で特徴づけられます。確かにヨーロッパに比べて日本の運動は動員力はありませんが、「自分の物語を語る能力」においては、同様の創意性が現れてきています。矢部裕子さんの紹介する「世界同時反戦デモは多様」に曰く、「裸の女性の人文字 」「コード・ピンク」「白いリボン・キャンペーン」「バーチャル・デモ」「新聞意見広告 」「水曜日に白を着よう! キャンペーン」「40日間ハンガーストライキ 」「ダイ・イン」「基地侵入」「ベッドシーツ・プロテスター」「非暴力ボイコット 」「人間の盾」「女の平和プロジェクト」等々、もちろんコミックやコンサート、ピースウォーク、キャンドルデモ等々もあり、日本でも急速に広まっています。その情報共有・伝達手段として、インターネットは巨大な力を発揮しています。私自身も、2月27日朝日新聞に発表された意見広告「研究者1522名は訴える 米国の対イラク先制攻撃に反対します。日本のイラク攻撃加担に反対します」に名を連ね、賛同者募集中の公共哲学ネットワークHP『イラク非戦声明――「反テロ」世界戦争から「いのちと平和」を守るために』のよびかけ人の一人となっています。次の節目は3月8日です(WORLD PEACE NOW 3.8 もう戦争はいらない!)。日本政府は7日の安保理追加報告直後に米英のイラク攻撃支持表明を出しそうです。アメリカの「バーチャル・デモ」が50万人の力で成功したように、すっかり世界と日本の世論から孤立したブッシュ追随の首相官邸に抗議メールを寄せ、国会議員や与党にもみられる「ためらい」にゆさぶりをかけ、広島市長の勇気やすでに112自治体に達した地方議会決議をさらに増やして、世界の非戦平和運動に合流しましょう!
2月26日、悲しい報せを受けました。日本現代史の藤原彰さんの訃報でした。享年80歳。『軍事史』や『昭和史』でよく知られていますが、私にとっては勤務先の大先輩で、政治学のスタッフに招いてくれた恩師です。一緒に新潟の田中角栄越山会調査に行って、帰りに藤原さん行きつけの石打のスキー宿で将棋を指しました。その時聞いた中国戦線での体験を、昨年『中国戦線従軍記』(大月書店)にまとめられ、南京事件や教科書問題でも第一線に立っておられました。もともと国家の理論研究から出発した私が、最近『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー、2002年)など現代史研究に入り込んできたことも、暖かく受けとめてくれました。「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」(『国文学 解釈と鑑賞』第68巻3号、2003年3月)を読んでいただく前に逝かれたのが、返すがえすも残念です。奇しくも藤原さんのデビュー作は、2.26事件の研究でした。心からご冥福をお祈りいたします。論文「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(『エコノミスト』2002年11月26日号)のほか、図書館に、川上武編『戦後日本病人史』、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国──アメリカ・戦争・現代世界』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性──「9.11」と「世直し」68年』(青木書店)、小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社) 、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)等の書評が入っています。現在発売中の『エコノミスト』3月4日号「歴史書の棚」には姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書)と小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)の短評、『アエラムック 新版 政治学がわかる』(朝日新聞社)に拙稿「国家論──地球とローカルの狭間」が発表されましたが、HP収録は次回更新時とします。
2003/2/15「私たちはいま、多くの点で歴史上前例のない状況に置かれています。 不吉な時代ですが、同時に希望に満ちてもいます。 史上もっとも強力な国家が、声高にそしてきっぱりと、世界を力で支配する意図を表明しています。 というのも、その国家にとって武力が、他に抜きんでて優れた点だからです。 」「このドクトリンは全面的に新しいというわけではなく、また、米国固有のものでもありません。 けれども、ここまで鉄面皮な傲慢さで主張されたことはありません。 少なくとも、私たちが覚えているような人物の口からは。 」「『 帝国に抗する』方法は、別の世界を造ることです。 暴力と征服、憎悪と恐怖に基づくのではない世界を。 私たちがここにいるのはそのためです。 そして、それが単なる絵空事ではないという希望をWSF(世界社会フォーラム)は与えてくれます」「WSFでは、集中的な議論の対象となっている話題の範囲はとても広く、本当に驚くほど広いのですが、2つの主要なテーマを認めることができると思います。 一つは世界的正義と資本主義後の生活です。あるいは、もっと簡単に、生活と言ってもよいかも知れません。 というのも、現在の国家資本主義体制のもとで人類がどれだけ生き延びられるかはあまり明らかではないからです。 第二のテーマはそれと関係しています。戦争と平和で、特に、ワシントンとロンドンがほとんど二国のみで絶望的なまでにやりたがっているイラクでの戦争です。世界経済フォーラムの主なテーマは『信頼の構築』でした。それには理由があります。 「世界の主人」たち ──華やかかりし日々にこれらの人々は自分たちを好んでそう呼んだのですが──は、深刻な危機にいると気づいているのです。 これらの人々は、指導者への信頼がひどく低下しているという調査結果を公表しました。 明らかに多数の人々の信頼を得ているのはNGOの指導者たちだけで、その次にくるのが国連と精神的/宗教的指導者たち、それから西欧の指導者と経済マネージャがきて、その下に企業の経営責任者たちがきて、さらにそこからかなり下の底辺に、米国の指導者たちが来ます。」
長く引用したのは、先月末、ブラジル・ポルトアレグレの第3回世界社会ファーラム(WSF)で行われた、ノーム・チョムスキーの講演「帝国に抗して」です。ブラジルの世界社会ファーラム(WSF)には、世界156か国から非政府組織(NGO)、政治家、知識人、一般市民など5717団体10万人が結集しました。他方、スイス・ダボスの第33回世界経済フォーラム(WEF)には、世界の多国籍企業・銀行経営者、大国政治家・高級官僚千数百人が集まりましたが、開催地スイスの大統領が開会式で米国のイラク単独攻撃に反対を表明し、イラク情勢には企業経営者から懸念の声が相次ぐなど、メインテーマの「信頼回復」にはほど遠い社交場でした。チョムスキーは、ベトナム戦争時に比べて、さらに述べます。ケネディ政権のベトナム介入開始時「抗議はまったく存在しませんでした。 有意義なレベルに抗議が達したのは、数年後でした。 そのときには、占領軍に何十万人もの米軍兵士が参加し、絨毯爆撃によって人口密集地域が破壊され、攻撃はインドシナ全域に広がっていました。 エリート知識人の抗議行動は、基本的に、『功利主義的観点』からのものにとどまっていました。 戦争は『ミス』であり、米国にとって費用がかかりすぎるというのです。 それとは対称的に、1960年代後半には、大多数の人々は、戦争が『ミス』ではなく、『基本的に悪いことで不道徳』だからという理由で反対していました。 この数値は最近まで同様でした。今日、1960年代とは大きく異なり、大規模で熱心で原則的な大衆的抗議行動が米国中で起こっています。 戦争が公式に開始されていないのにです。 これは、攻撃や残虐行為を許容しない意思がこの年月に前進したことを示しています。 多くの変化の一つです。そして、世界中に見られることです。 ポルトアレグレで起きていることの背景の一部はこれです。そして、ダボスの陰鬱さの理由もここにあります。」
チョムスキーが言う通り、私たちは、戦争が開始される以前に戦争に反対し、武力によらない問題解決を国際的に展開する、人類史上初めての壮大な規模の実験に入りました。国連も重要です。しかし国連だけが政治舞台ではありません。「社会」はいまやグローバルに広がっています。本日2月15日が、「地球社会」からの「非戦平和」のグローバルな意思表示の日です。南極からアイスランドのレイキャビクまで350以上の町や市でデモが行われる予定で、「15日の反戦デモ、史上空前の規模に=400都市で1000万人」とも見積もられています。ブッシュの盟友ブレアのお膝元、ロンドンのハイドパークには50万人が集まるでしょう。米90都市がイラク攻撃に反対を決議しました。「 ローマでも100万人規模のデモが予定され、スペイン各都市でも約60の反戦デモが行われる。パリでは、1991年の湾岸戦争に参加した退役軍人たちが棺を担いで反戦デモを先導する。また、アテネ、ダブリン、モスクワ、プラハ、ブリュッセル、アムステルダム、ウィーン、ブダペスト、ソフィア、ストックホルム、ワルシャワなどでもデモが行われる。米国ではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、サンフランシスコで行われる。アジアでもジャカルタ、クアラルンプール、バンコクなどで反戦デモが予定されている」とAFP=時事は伝えています。国連安全保障理事会で、常任理事国のフランスの平和解決のよびかけに、ロシアと中国も同調し、非常任理事国ながら議長国ドイツ首相がフランスと同盟を組んで米英に対抗していることは、ご存じの通りです。イタリア・スペインはイギリス同様ブッシュを支持していますが、足元では激しい反戦・非戦の世論と運動にさらされています。イラクに近いアラブ諸国のみならず、東南アジアも、イラク戦争反対の流れに合流しつつあります。「タイ国軍:米との合同軍事演習中止も 米単独の対イラク攻撃で 」「中国:イラク攻撃情報で市民が食糧品店に殺到 組織的なデマか」と、アジアにまで及ぶ深刻な危機が見えています。「文明の衝突」ではありません。ローマ法王庁はバグダッドに特使を送ってミサに出席、平和を訴えています。ノーベル賞受賞者41人も反戦宣言を出しました。
姿の見えない大国が、一つだけあります。そう、日本です。いや世界からは見えています。ブッシュの後ろに小さく隠れて、「米英国連決議案を支持」「対イラク新決議作成へ日本も協力する考え」「安保理決議に向け非常任国説得へ」を表明し、与党公明党が「政府の対イラク「攻撃支持」容認 新決議なくても」と述べている恥ずかしい状態が。ニューヨークの日本領事館がつくった「在留邦人の皆様へ」と題する「お知らせ」には、「米国史上最大規模の集会・デモが計画されているとのことですので、マンハッタンにお住まいの方、あるいはお出かけの方は十分ご注意下さい」と述べています。世論調査では、国際世論と同じく7ー8割が反対しています(共同通信調査78.7%)。80の地方議会が平和的解決求める決議・意見書を出しています。喜納昌吉さんは「すべての武器を楽器に」を掲げてイラクで15日に熱唱します。市民の中に覚悟の「人間の盾」となり、 攻撃抑止狙いイラクへ向かった若者もいます。でもヨーロッパや英米の平和運動に比べれば、世界の流れから取り残されている感は否めません。「日本はどうするか?日本人として何をするか?」が一人一人に問われています。「日本の運動主体の責任」が、平和を求める人々にのしかかっています。「Global Netizen College」「IMAGINE! イマジン」を主宰しているため、ここ数日世界各地の方々から日本の2.15はどうなっているんだという問い合わせが届いています。もちろん日本でも多くの集会・デモ・パフォーマンスがあります。社会科学者の中でも、意見広告「社会科学研究者は訴える。米国の対イラク先制攻撃に反対します。日本のイラク攻撃加担に反対します」の運動が広がっています。ピューリツアー賞受賞のJ・ダワー、H・ビクスを含む日米の占領史研究者は、ブッシュがイラク復興を戦後日本の占領にならってやりたいと暴言したのに対して、緊急アピール"U.S. PLANS FOR WAR AND OCCUPATION IN IRAQ ARE A HISTORICAL MISTAKE:An Urgent Appeal from Students of the Allied Occupation of Japan"を発しました。全文は本HP英語版Global Netizen Collegeにも掲げてあります。こうした声を目に見えるかたちにし、世界社会フォーラム(WSF)「世界の社会運動団体のよびかけ」に示されたグローバルな平和の流れに合流していくことが、いま緊急に求められています。事態は切迫しています。日々の動きは「IMAGINE! イマジン」や吉田悟郎さん「ブナ林便り」、「アメリカ同時多発テロへの武力報復に反対するホームページリンク集 「考えよう」 「送ろう」 「集まろう」などで追いかけてください。
今回更新の目玉は、自信作のアップです。といっても、政治学でも現代史でもなく、なんと「芹沢光治良と友人たち──親友菊池勇夫と『洋行』の周辺」という伝統ある文学誌『国文学 解釈と鑑賞、特集 芹沢光治良』(第68巻3号、2003年3月)への寄稿論文。雑誌は出たばかりですが、何しろ初めて書く文芸評論(?)ということで力が入り、芹沢光治良『人間の運命』を「洋行」の視点から読み返し、膨大な草稿ができてそのエッセンスだけを雑誌論文にしました。今回アップするのは、その直前に作られた、それでも雑誌掲載の2倍近い長さのインターネット特別版です。無論、昨年書物にした『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)、『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー、2002年)の延長上にありますが、相手は何しろ「大河小説」ですので、林芙美子の「洋行」や勝野金政と芹沢光治良のパリ大学の出会いを配して、ちょっぴり歴史小説風にしました。ぜひ御笑覧のうえ、ご意見・ご感想をmailで。
『歴史学研究』第769号(2002年11月号)の特集「『対テロ戦争』と歴史認識」に掲載した「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」にも、いくつか反響がきています。今回トップを「反戦」でなく「非戦」にしたゆえんを述べています。図書館には、『東京大学新聞』に書いた川上武編『戦後日本病人史』(農文協)書評と共に、『エコノミスト』誌11月26日号に掲載した「現代資本主義を読み解くブックガイド」も入ってます。ネット特別版で、グローバリズム研究入門です。『エコノミスト』誌連載「歴史書の棚」には、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国──アメリカ・戦争・現代世界』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性──「9.11」と「世直し」68年』(青木書店)に続いて、年末号の小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社) 、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)、それに『エコノミスト』2月4日号掲載の加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書) 、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)書評を入れました。次号はちょっとひねって、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書)と小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会)を、B・アンダーソン、A・スミス、A・ゲルナー、E・ホブズボームらの民族論とE・H・カーやG・イッガース『二〇世紀の歴史学』の歴史論の接点で扱ってみました。2月24日発売の『エコノミスト』3月4日号です。乞うご期待!
この国連決議抜きイラク攻撃を示唆したブッシュ教書演説に、まずは自国の野党民主党が批判し、ケネディ上院議員はイラク開戦に新たな議会決議を要求しました。英国など欧州8首脳連名が米支援を訴えましたが、EUの中枢=「古くさい欧州」フランスとドイツは加わらず、欧州議会はイラクへの一方的な軍事行動に反対を決議しました。安全保障理事会常任理事国のフランスにロシアと中国が同調し、非常任理事国で2月の議長国であるドイツが査察の延長に傾き、ブッシュが「強く支持する」と述べたIAEA事務局長は「イラクは重大な違反を犯していない」「さらに4〜5カ月の査察が必要」と述べていますから、国連での強行突破は難しくなっています。もちろん国際世論は、1.18「イラク攻撃反対 世界の大勢に 30カ国以上で行動」と報じられたように大勢は戦争反対で、ブッシュやブレアの足元でも、戦争回避の声が強まっています。インターネットで世界に広がる「対イラク戦争反対」の声は、ベトナム反戦運動以来の高揚で、チョムスキーによれば、「宣戦布告前に、ここまで真剣なデモ・抗議行動が起きているのは始めて」です。
こうした国家間の動きはマスコミでも報じられましたが、前回本HPが注意を促したスイス・ダボスの第33回世界経済フォーラム(WEF)と、これに対抗するブラジル・ポルトアレグレの世界社会フォーラム(WSF)については、案の定、日本のマスコミでは、ほとんどとりあげられませんでした。世界の多国籍企業・銀行経営者、大国政治家・高級官僚千数百人の集まる場である世界経済フォーラム年次総会(WEFダボス会議)では、開催地スイスの大統領が開会式で米国のイラク単独攻撃に反対を表明、これに対してパウエル米国務長官が「単独武力行使辞さず」とブッシュ政権内国際協調派らしからぬ圧力をかけましたが、イラク情勢には企業経営者から懸念の声が相次ぎ、マレーシアのマハティール首相はアメリカを強烈に批判、メインテーマの「信頼回復」も日本経済再生も、曖昧なままでした。会場周辺では「雪玉投げ、米国旗燃やす ダボスWEFでNGOらがデモ」と報じられました。グローバリゼーションVIPたちの社交の場に終わったようです。
対するブラジルの第3回世界社会ファーラム(WSF)は、世界156か国から非政府組織(NGO)、政治家、知識人、一般市民など5717団体10万人が結集、開催国ブラジルのルラ新大統領は、世界経済フォーラムダボス会議出発直前に「スイスに行って、もう1つの世界は可能であることを証明してくる」と述べました。「市民の手でジャーナリズムの変革を」と「ルモンド・ディプロマティーク」ラモネ編集長が講演、「英国は米国の番犬」とチョムスキーが演説、ボランティアの若者たちはキャンプ生活で「もうひとつの世界」を訴え、開会日に10万人、閉会式で4万人が「イラク戦争反対」「グローバリズム反対」のデモを繰り広げました。ユニークだったのは「国連は、米国の影響力から解放されるべき」だとして、ニューヨークの国連本部を移転しようという提案、その国連アナン事務総長が世界社会フォーラムWSFにメッセージを寄せ、「グローバリズムを世界から排除し、社会フォーラムが掲げる正当な世界を求めるべき」「米国の対イラク攻撃を阻止するよう国連が全力を尽くす」と決意を述べました。ブッシュこそ「裸の王様」で、年頭教書のいう「人類の希望」「正義」は、世界社会フォーラムの側にこそあることを、世界中に示したのです。早速昨年11月9日のフィレンツェ「ヨーロッパ社会フォーラム」100万人反戦デモ、インターネットで世界に広がった世界30か国以上、全米100万の参加の1.18『対イラク戦争反対』運動に続いて、2月15日に次の平和世界行動を提起、来年の「アジア社会フォーラム」開催地だったインドでの第4回世界社会フォーラムまで、「もうひとつの世界は可能だ」の持続的フォーラム運動が展開していきます。「日刊ベリタ」が第一報を流し、「レイバーネット」が現地速報を始めましたが、「ヤパーナ社会フォーラム」「ATTAC JAPAN」等での、日本人参加者(約50人?)による詳しい報告が期待されます。本HPでは、引き続き、ついに10万ヒットを突破した「IMAGINE! イマジン」で追いかけていきます。
実は「フォーラム型社会運動」とは、私が1989年「ベルリンの壁」崩壊時東欧諸国の政治過程から、当時の東欧政権党=共産主義政党の「民主集中制」に代わる新しい社会運動の組織類型として抽出し、日本の正統的左翼の皆さんから集中的に批判された『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990年)の中心的論点の一つです。私への批判の代表格であった志位和夫さんは、その功績によってか、日本共産党書記局長・委員長へと「出世」なさいました。その「フォーラム型組織」「フォーラムによる革命」がようやく全世界で普遍的意義を帯びてきた時に、志位氏率いる「民主集中制」型組織の『日本共産党の80年』が刊行されましたが、『70年』に比してぐっとうすっぺらになった、寂しい政治文書です。大逆事件や丸山真男批判と一緒に、私や藤井一行さんへの批判も姿を消しました。私の研究「1922年9月の日本共産党綱領」を受けてか、創立時初代委員長が堺利彦という記述は消えましたが、戦前「第一次共産党モスクワ報告書」「非常時共産党の真実」や戦後「沖縄奄美非合法共産党資料」等の研究成果は反映されていません。もちろんアクチャルな問題での日本共産党、在日朝鮮人運動と北朝鮮の関係史も沈黙と弁明だらけ。全体として政治的かつ中途半端で、学術研究にはとても使えません。まあこちらは、じっくりマイペースで、資料と史実を追いかけていきます。
1月にリンク集情報処理センター「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」を全面更新し、情報収集センターの特別研究室を更新して「2003年の尋ね人」に、1937年レニングラードで粛清された三重県出身の舞台監督「服部サンジ」を加えました。情報学研究と現代史研究の双方に、『歴史学研究』第769号(2002年11月号)の特集「『対テロ戦争』と歴史認識」に掲載した「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」を入れてあります。この論文は、「IMAGINE! イマジン」での活動体験をふまえ、インターネットのURLをふんだんに引用し、特にネットロア『100人の地球村』の流れ方、市民平和サイト「GLOBAL PEACE CAMPAIGN」と「Io ちいさな声:それぞれの思いを伝えあいませんか」の活動に注目し、戦後日本の平和意識に潜む「反戦」と「非戦」の関係性を分析したものです。主として社会運動分析である「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」の姉妹編ですので、ぜひご参照下さい。昨年末『朝日新聞』書評欄「今年の3冊」で、文藝評論家の種村季弘さんからベストワンと評価していただいた加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)、同じく『論座』1月号「今年の収穫3冊」で歴史学者成田龍一さんに「20世紀を、国家・批判の歩みのなかから理論的・具体的に考察」したと取り上げていただいた拙著『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)も、もちろんオススメです。『東京大学新聞』に書いた川上武編『戦後日本病人史』(農文協)書評は図書館に。同じく図書館「歴史書の棚」には、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性』(青木書店)、小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)の書評を収録、現在発売中の『エコノミスト』2月4日号では、加藤秀俊『暮らしの世相史』(中公新書)と吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)を採り上げていますので御笑覧を。
機中で読んだ、野村一夫さんの新著『インフォアーツ論──ネットワーク的知性とは何か』(洋泉社新書)は、大変刺激的でした。野村さんは、ご存じのように、國學院大學経済学部教授であると共に、社会学サイトの定番「ソキウス」主宰者で、日本の人文・社会科学学術データベースサイト最先端の法政大学大原社会問題研究所HPOISR.ORGの制作者です。「インフォテックからインフォアーツへ──ネットの運命を握るのは眼識ある市民たちなのだ!」と帯にあるように、現在のインターネット世界を「大公開時代」と名づけ、1996年頃までの、比較的少数の専門家・研究者である先住民のみが交信していたウェブ世界に、大量のふつうの人々が爆発的に参入してきて、「ネチズン」の先住民文化が片隅に追いやられるようになった、といいます。つまり爆発的普及の段階では、「ネット市民=ネチズン」や「シチズンシップ=ネチズンシップ」の実体が大きく変わってきた、というのです。何やら松下圭一が「市民社会から大衆社会へ」を説いた時のような問題提起です。そこでのキーワードが「自己言及性」「自己主題化」で、だれでも自由に発言する空間自体は飛躍的に広がったが、「自己言及の快感」は「論争の泥沼化」「知の格闘技」をも産み出し、ルールを守らない無法者が声高に跋扈する「銭湯的民主主義」「共有地の悲劇」も生まれてきている、というのです。野村さんがこう述べる背景には、2003年から始まる高校「情報科」の授業マニュアルが、古めかしい理工系情報工学の流れで作られ、インターネット時代の社会学・政治学・倫理学が反映されていない、という危機感があります。つまり、情報工学的文化である「インフォテック」に対して、ネットワーク時代に対応した知恵とわざと哲学である「インフォアーツ」が必要だ、という主張です。
読み応えがありました。常連の皆さんはご存じの通り、本サイトはもともと「現代史の謎解き」を目玉にした市民サイトとして始まり、「市民のための丸山真男ホームページ」と論争したりしながら、「デジタル・カレッジの夢」「情報の森を抜けて、交響の丘へ!」を唱えて21世紀に「ネチズン・カレッジ」に衣替えした、先住民型サイトでした。それがいつしか学術サイトとしてはメジャーになり、2001年9月11日以降は平和サイト■イマジンIMAGINE!も特設して社会的発言を続けるうちに、不正アクセス、ウイルス攻撃、いやがらせ・脅迫メールや迷惑メールも、膨大に受けるようになりました。無論、それなりの防御策を講じましたが、昨年末に有田芳生さんに誘われ「意見広告7人の会」の「北朝鮮拉致問題でのニューヨークタイムズへの意見広告」(特設HP、英語サイト)の実践活動に取り組んだ頃から、アクセス数も増えましたが、不正アクセスも猛烈でした。それ以上に考えさせられたのが、「意見広告」の掲示板の流れです。「意見広告」運動自体は、なにしろ1か月余りで21万アクセス、最終的に2,473 名の方々から13,965,888 円もの浄財を集めたのですから、大成功でした。きちんと公認会計士浅見さんによる会計報告もして、本15日午後2時半から開かれる早大法学部公開授業「日本人拉致問題の解決へ向けて」の席上で、「7人の会」の有田芳生さん、重村智計さん、高世仁さん、勝谷誠彦さん、日垣隆さんらが贈呈式に臨み、12月23日付けニューヨークタイムズに「意見広告 THIS IS A FACT!」を掲載して余った剰余金744万円を「家族の会」の横田滋・早紀江さんご夫妻、有本嘉代子さんにお渡しします。折から北朝鮮の核開発が世界の焦点になってきて、拉致問題についての英語圏の報道も、飛躍的に増えました。何より掲示板に寄せられた圧倒的多数の声は、拉致被害者とご家族の四半世紀の苦悩に心から同情・共感し、私たちのよびかけにさわやかに応えた、感動的なものでした。ご協力ありがとうございました。
にもかかわらず、わずか1週間で当初目標の600万円を大きく越える募金が集まった頃から、掲示板が荒れ始め、「7人の会」の湯川れい子さんを個人攻撃する投稿から、募金の趣旨や使途を疑う声・流言、掲載された広告の意義・効果を貶める冷笑、果ては別件での個人的恨みから有田芳生さんを誹謗中傷する攻撃まで現れました。無論、善意の建設的提案や批判もあり、「無法者」には心ある人々が掲示板上で反論もしてくれましたが、ごく一部の「自己言及の快感」に酔った人々が掲示板を一時占拠しての「泥沼化」症状も、残念ながら見られました。これらについては、「7人の会」の有田芳生さん、勝谷誠彦さん、それに英文作成など裏方ボランティアで大活躍した殿下こと安田さんらがその都度「日記」に書いてきたので、ご存じの方も多いでしょう。「7人の会」と事務局・管理人のメーリングリストで、北朝鮮に関わる専門的問題は重村智計さん、高世仁さんが分担処理し、私たちは募金の達成、広告文作成・掲載、募金者名簿・会計報告作成等をすべてボランティアでこなしてきたのですが、一番厄介で時間を割かれたのが、実はこの「掲示板荒らし」への統一的対応でした。サイト管理人Aさんが敏速・的確に処理して、最終的には、1月10日の閉鎖日近くには善意の参加者の皆さんのすがすがしい声が戻ってきましたが、野村さんのいう「ネットのマス・メディア化」「沈黙のらせん」「ネット世論の大きな振幅での激しい極論化」を、身をもって体験しました。そのため意見広告「掲示板荒らし」の中心人物であった救う会「北朝鮮・拉致事件」掲示板関係者が「救う会」内でも批判され、勝谷さん提案で7人が合意した運動記録の単行本化の企画も「雑音」が入って取りやめになりました。「意見広告掲示板」を「荒らし」から守るため奮闘された一人である藤井一行さんが、「7人の会」の初心を受け継いだ独立の新掲示板「北朝鮮問題について考える」を、「意見広告掲示板」管理人さんと一緒に立ち上げたのも、この経験にもとづいてのものです。野村さんのいう「リアルとバーチャルの境界の喪失」が、韓国大統領選挙とは異なる文脈で、実感されました。「2チャンネル化」は、ネチズン運動の中にも浸透してきているのです。今年の理論的課題は、野村さんらに学び、こうした「大公開時代」の現実を踏まえて、「情報政治学」の土台をつくることに設定しました。
現実政治の方は、イラクも北朝鮮も不透明で、引き続き「IMAGINE! イマジン」で追いかけていきます。日本では余り注目されていませんが、この1月23ー28日が、世界の戦争と平和の動向を占う、一つの重要な鍵になります。国際原子力機関(IAEA)のイラク大量破壊兵器査察報告書が1月27日に提出されますが、それが直ちに米英のイラク攻撃につながるのではないかという危惧は、EU、アラブ諸国、中ロからローマ法王、世界からアメリカ国内へも浸透した慎重論、非戦・反戦の声に押され、やや遠ざかりつつあります。この前後に、重要な世界的会議が二つあります。かたや第33回となる「世界経済フォーラム(WEF)」、通称「ダボス会議」で、昨年は9.11がらみで敢えてニューヨークで開かれましたが、今年は例年通り、スイス山中ダボスです。こなた「世界社会フォーラム(WSF)」、まだ3回目ですが、昨年ブラジルのポルトアレグレでは、世界50か国から6万人もの反戦平和・反グローバリゼーション勢力が集まりました。昨年私は、やはり北京から帰国直後の本サイトで、「世界経済フォーラム(ダボス会議)か世界社会フォーラム(ポルトアレグレ)か」と問題提起しましたから、おぼえていらっしゃる方もいるでしょう。かたやWEFは、世界の多国籍企業・銀行経営者、大国政治家・高級官僚の集まる場で、今年のテーマはなんと「Building Trust」、アメリカ・グローバリズムもブッシュ・ドクトリンも世界からさまざまに反発されて、失われた「信頼」を取り戻すためのトップリーダー会議になります。一昨年は森首相がでかけて日本経済の「失われた10年からの脱出」を述べましたがほとんど「信頼」されず、昨年は蔵相・経済相らがでかけて「ハードランディング」をアドバイスされてきた、例の会議です。他方、WSFの方は、「もう一つの世界が可能だ」 を合言葉に新しい世界をめざす運動で、もともとATTACなどのよびかけで、経済のグローバリゼーションに民衆の立場から対案を出すために始まったのですが、昨年は9.11がらみで、反戦平和のNGO・NPO・市民運動、知識人、政治家も世界中から勢揃いしました。昨年11月9日に100万人の反戦デモを成功させたフィレンツェでの「ヨーロッパ社会フォーラム」、インドで新年に開かれた「アジア社会フォーラム」など地域フォーラムも開催されたうえで、再びポルトアレグレに集います。昨年はWEFとWSFの双方に閣僚・政府代表を送ったフランス、ドイツ政府などは、どういう対応を見せるでしょうか? テーマが「社会変革の戦略」と設定されていますから、注目です。日本のウェブサイトでは、「ヤパーナ社会フォーラム」に膨大なリンク集があり、「ATTAC JAPAN」「レイバーネット」それに別処珠樹さん 「学びと環境のひろば 」などが、系統的に「世界社会フォーラム」を紹介しています。もちろん本カレッジも、「イマジンIMAGINE!」を通じて、逐次報道していきます。『エコノミスト』昨年11月26日号に書いた「現代資本主義を読み解くブックガイド」にも紹介していますから、ご参照ください。
新春にリンク集情報処理センター「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」を全面更新しました。今回更新の目玉は、情報収集センターの特別研究室を更新して「2003年の尋ね人」に、1937年レニングラードで粛清された三重県出身の舞台監督「服部サンジ」を加え、改めて情報提供を求めたことと、『歴史学研究』第769号(2002年11月号)の特集「『対テロ戦争』と歴史認識」に掲載した「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」の収録です。後者はいわゆる学術論文ですが、「IMAGINE! イマジン」での活動体験をふまえ、インターネットのURLをふんだんに引用し、特にネットロア『100人の地球村』の流れ方、市民平和サイト「GLOBAL PEACE CAMPAIGN」と「Io ちいさな声:それぞれの思いを伝えあいませんか」の活動に注目し、戦後日本の平和意識に潜む「反戦」と「非戦」の関係性を分析したものです。主として社会運動としての分析である「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?──インターネット・デモクラシーのゆくえ」の姉妹編ですので、ぜひご参照下さい。昨年末29日の『朝日新聞』書評欄「今年の3冊」で、文藝評論家の種村季弘さんからベストワンと評価していただいた、昨秋出版の加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)、同じく『論座』1月号の「今年の収穫3冊」で歴史学者成田龍一さんに「20世紀を、国家・批判の歩みのなかから理論的・具体的に考察」したと取り上げていただいた、拙著『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)も、もちろん本カレッジの研究の産物で、オススメです。『東京大学新聞』に書いた川上武編『戦後日本病人史』(農文協)書評は図書館に。同じく図書館の「歴史書の棚」には、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性』(青木書店)に続いて、『エコノミスト』12月31日号掲載、話題の小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)と下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)書評が収録されました。今年も「大公開時代」の情報の海に、先住民の「ネチズンシップ」をもって斬り込み、知的ネットワークの小島を守りたいと思いますので、よろしく!
憂鬱な新年で、「A Happy New Year!」と掲げる気分になれず、トップには、昨年末に皆様にご協力頂き、2,390 名 の方々からの 13,681,516 円にのぼる浄財で、12月23日に実現した「意見広告7人の会」の「北朝鮮拉致問題でのニューヨークタイムズへの意見広告」(特設HP、英語サイト)に対して、湯川れい子さん経由でニューヨークのオノ・ヨーコさんから寄せられたメッセージ[From Happy Xmas (War is over) Lyrics by John Lennon & Yoko Ono]を、IMAGINE!とダブらせて、そのまま掲げておきます。できるだけ速やかに、「War is over」が必ず来るように!
昨年の今頃は、ネットロア『100人の地球村』が、活字世界に浸透し始めていました。国連のイラク査察の進行をチェックしようと、国連オンラインを訪れたら、もう国連加盟191か国の2003年の分担金比率が載っていました。面白い構図が見えてきます。アメリカの22%が突出しています。でもアメリカだけの組織ではありません。日本の19.5%は肉迫しています。 両国で40%ですから、日米同盟は国連の巨大スポンサーです。3位はドイツ9.7%、日本同様に高額分担国ですが、常任理事国ではありません。4位のフランス6.4%、5位のイギリス5.5%が常任理事国、以下イタリア5.0%、カナダ2.5%、スペイン2.5%、ブラジル2.3%と続き、10位にアジアから韓国1.8%が入ります。オランダ1.7%やオーストラリア1.6%より多いのです。常任理事国の中国は1.5%、ロシアは1.2%です。1%以上の国は、あとはアルゼンチン、メキシコ、ベルギー、スウェーデンのみで、スイスは昨年9月に加盟したばかりで載っていません。これら先進国の拠出が、残りの180近い国を含む国連の活動を支えています。産油国イラク0.1%は中進国レベルですが、北朝鮮0.009%はアフリカ最貧国並み、韓国の200分の1です。面白いことに気づきました。日本と韓国の分担金を合計するとちょうどアメリカ並み、出資額に応じた株式会社方式なら「帝国」アメリカと同等の発言権を持ちます。韓国と北朝鮮のこの国連分担金の差は、金正日にとっては、どんな気分でしょうか?
もともと年末の第4回日韓平和教育シンポジウム出席のために調べ始めたので、ついでにいろいろな指標を採ってみました。EIJS(ヨーロッパ日本研究機構)サイト中に、超便利な「世界なんでもランキング」があります。政治・経済・社会・文化の各指標で、OECD及びアジアのランキングが簡単にわかります。CIAデータからですが、人口100万人当たりマクドナルド店舗数(日本5位、韓国24位)とか、企業の効率性世界ランキング(日本は25位で韓国20位より下)とかも見られます。国別・指標別をクロスさせることもでき、いろいろ考えさせられます。日本はGDPこそアメリカに次ぐ第2位ですが、経済指標の世界一は物価指数のみで、あとの世界一は平均余命、65歳以上人口比率、電力消費量、胃ガン死亡者比率、平均入院日数、タマゴ供給量といったあたりです。韓国はGDPこそ世界第10位ですが、人口密度と15-64歳(つまり労働人口)比率、工業生産の対GDP比、コメ消費量などが世界一で、2001年経済成長率3%も7位と上昇気流です(日本はマイナス)。もちろん先日の大統領選挙で威力を発揮したように、インターネットや携帯電話の普及率でも日本より上位です。でも、日本と似たところがあります。15歳児の数学と科学のリテラシーが韓国・日本で1・2位なのは、受験戦争がらみですが、まあ誇っていいでしょう。アメリカ留学に必要なTOEFL受験者比率は韓国2位・日本3位と共に高いのですが、点数の方は日本・韓国と下から1・2位です。どうも似たようなアメリカ留学熱で、韓国反米運動がどれだけ持続できるか、心配になってきます。男女の賃金格差が韓国・日本と不名誉な1・2位で、外国人労働者比率もOECDで日本最下位、韓国ブービー、閉鎖的な差別的労働市場のようです。
それでも韓国の2000年GDPは4616億ドル、日本の10分の1とはいえ世界10位です。インドネシア、タイ、マレーシアなどアセアン10か国のトータルに匹敵します。つまり韓国は、もはや高度に発達した資本主義国・対外投資国で、日本と韓国の経済力の合計は、EU全体に迫ります。一昨年訪問したウズベキスタンでは、バザールでは旧宗主国ロシアと新興中国・トルコの商品が入っていましたが、製造業では、ドイツと並んで韓国資本が自動車など基幹産業で優位に立ち、日本企業やアメリカ資本をはるかに引き離した状態でした。旧ソ連時代に強制移住させられた朝鮮人の方々が、韓国企業の海外投資の呼び水になったのです。今年正月を過ごす中国では、北京空港から市街への高速道路で目立つのが、韓国企業の広告です。最近ではかつての派兵先ベトナムにも、韓国資本が入っているようです。とすると、日韓民衆連帯は、これまで多かった二国間の「過去の植民地支配と侵略戦争の清算」風対話だけでいいのでしょうか、もっと現代的な「地球村」全体に目配りしたあり方が必要なのではないかと、盧武鉉候補を当選させて意気揚々とやってきた韓国の平和運動の皆さんに、敢えて問題提起してみました。それは、過去を忘却することではありません。2国間の歴史的過去をも、「地球村」全体の20世紀の歩みに照らして、再検討しようと思うからです。9月以降の日本の市民に衝撃を与えた人権侵害=「人道に対する罪」としての「拉致」の問題を、北朝鮮との「太陽政策」継続を選んだ韓国の市民との間で、率直に話し合う必要を感じたからです。
国連オンラインには、2002年7月1日に発効した国際刑事裁判所のサイトもあります。NGO国際刑事裁判所問題日本ネットワークによると、国際刑事裁判所(The International Criminal Court =ICC)は「戦争犯罪、人道に対する罪そしてジェノサイド(大量殺戮)と呼ばれる国際人道法を犯した個人を裁くための常設裁判所です。管轄権が国家に制限されているハーグの国際司法裁判所と異なり、国際刑事裁判所は個人を起訴する権限を持つ」ものです。すでに76か国が批准していますが、残念ながら日本も韓国もアメリカも、批准していません。韓国は設立条約署名138か国の一つですが、未批准です。もともとクリントン政権下で設立を提唱したアメリカは、設立条約にいったん署名しながら、昨年5月に撤回し、国際世論から非難されました。日本は「国内法の整備がなされていない」ことを理由に、署名も批准もしていません。恥ずかしいことです。「人道に対する罪(crime against humanity)」は、20世紀国際法の発展の中で、生まれたものです。「犯罪成立要素」には「強制移送」もあり、いわゆる「強制連行」や「従軍慰安婦」が、そして「拉致」も、当然に含まれます。「人道に対する罪」は、ナチスのホロコーストまでは、イマジンされるだけの存在でした。いまでは現実の力です。こうした国際的ルールと国際世論を有効に活用することこそ、いま、北朝鮮の核開発と「拉致」被害に直面して、日本や韓国の政府に求められているものではないでしょうか。何よりも、拉致被害者の皆さんが、一日も早くご家族のもとに還ることができるように!
新春の最大の更新は、リンク集情報処理センター「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」です。前回30万ヒットでしたから、半年で8万ヒット増えたことになります。昨年秋に出版した加藤哲郎・島崎爽助編『島崎蓊助自伝──父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社)は、年末29日の『朝日新聞』書評欄「今年の3冊」で、文藝評論家の種村季弘さんから、ベストワンと評価していただきました。並行して作った拙著『国境を越えるユートピア──国民国家のエルゴロジー』(平凡社ライブラリー)も、『論座』1月号の「今年の収穫3冊」で、歴史学者成田龍一さんに「20世紀を、国家・批判の歩みのなかから理論的・具体的に考察」したものとして、取り上げていただきました。ありがとうございました。『エコノミスト』11月26日号の「現代資本主義を読み解くブックガイド」(2002年版)のオリジナル長文版に続いて、『東京大学新聞』に書いた川上武編『戦後日本病人史』(農文協)書評を入れた図書館内には、「歴史書の棚」にタイン・ティン『ベトナム革命の素顔』(めこん)、原田健一・川崎賢子著『岡田桑三 映像の世紀』(平凡社)、金子勝『長期停滞』(ちくま新書)、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)、吉見俊哉編著『1930年代のメディアと身体』(青弓社)、加藤周一・凡人会『テロリズムと日常性』(青木書店)に続いて、『エコノミスト』12月31日号の小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)、下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』(講談社メチエ)も入ります。石堂清倫『20世紀の意味』書評(『歴史評論』2002年10月号)、「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)、「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』28号、2002年7月)、「カルチャーとしての社会主義」(『20世紀を超えて』序論、花伝社)などと共に、ご参照下さい。「現代日本社会における『平和』」(『歴史学研究』11月号)は、学術論文ですので、1月15日更新時に公開します。2003年もよろしく。