アソシエ21・ニューズレター』第3号(1999.7)所収

インターネットで社会科学

 

加藤哲郎(一橋大学教員・政治学・在メキシコ)


 「アソシエ21」の前身のひとつである「フォーラム21」の解散にあたって、1989年東欧革命で脚光を浴びた「フォーラム」という組織原理が、20世紀末に日本及び世界でどこまで広がっているかを、インターネットのサーチ・エンジンYahooで調べた数字で挙げた(「フォーラム型運動の21世紀へ」『フォーラム21 ニューズレター』終刊号、1999年3月)。かつて『経済白書』や『国民生活白書』等を購入して使っていた日本の政府統計は、今では官庁のホームページで、その都度最新データを入手できる。おおむね英語版も同時に発表されるから、今メキシコのエル・コレヒオ・デ・メヒコで日本現代史を教えている大学院生たちにも、欧米はもちろんインドやロシアのネットフレンドの質問にも、電子メールでネット情報の所在を教えれば、それで済むようになった。かつて長文の手紙とコピー・ファクスをやりとりしていた頃に比べれば、なんと便利になったことだろう!

 こんなインターネットがらみの研究・教育に入り込んだのは、私の場合、つい2年ほど前にホームページ「加藤哲郎の研究室」<http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.html>を持ってからのことである。それまでもパソコン通信のNiftyserve「思想フォーラム」を覗いたり、この道の大先輩である小倉利丸さん山崎カヲルさんのホームページを時々眺めることはあったが、自分自身が情報発信者になり、その反響に日常的にメールで応えるようになるまでは、やはりパソコンは原稿執筆用ワープロ以上のものではなく、インターネットは趣味の世界に属するものであった。97年夏に開設以来、私の個人ホームページへのアクセス数は、去る6月5日に通算5万ヒットに達した。常連の皆さんが更新のたびに来てくれるのだが、月に約3000人、毎日100人以上が見ている勘定になる。

 その詳しい記録は、実は先約があり、『歴史評論』9月号の「歴史学とインターネット」特集に活字で、同時にネット上の学術マガジン「Academic Resourse Guide」にはリンクつきのHTMLで、「インターネットで歴史探偵──私のホームページ体験記」と題して発表されることになっている。無論それは、私のホームページ上にもアップロードされる。 私のHPでは、著書は別だが、雑誌に発表した活字論文は、原則的に3か月後にはインターネット上で公開している。だから『大原社会問題研究所雑誌』に不定期連載している、河上肇の未発表書簡1922年9月の日本共産党綱領などモスクワで調査し集めてきた旧ソ連秘密文書日本関係史資料の紹介・解読等純学術的な研究も、インターネット上に発表している。ホームページには締切も枚数制限もないから、昨年度歴史学研究会大会報告「戦後日本と「アメリカ」の影」などは、『歴史学研究』98年10月増刊号掲載の短文よりも、写真や図表を入れたネット上の論文の方を完全版としている。『思想』誌本年1月号の「思想の言葉 短い20世紀の脱神話化」執筆にあたっては、本稿と同様に海外からの電子メール寄稿であったこともあり、参考文献の代わりにホームページのURLを入れてもらい、URL引用を学術雑誌上でも「認知」してもらった。

 無論、ホームページからの発信には、インターネット上のジャンク情報の山をかきわけて見いだした、社会科学情報の受信・活用が不可欠である。たとえばアントニオ・グラムシ研究の世界では、アメリカのホームページに世界中の著作・論文が蓄積され、ビブリオ・データベースが逐次更新されている。マルクスレーニントロツキーの論文も、英訳ならネット上で簡単に手に入る。昨年春シカゴのローザ・ルクセンブルグ国際会議出席のさい、ローザの日本語文庫本しか持っていないところで英語のコメントを求められ、窮余の一策でYahooで探したらちゃんと英訳がみつかって、正確に引用することができた。愛媛大学赤間道夫さんHPからは、新版MEGA挫折後の世界のマルクス研究の最前線に入ることができる。今春のトロツキー研究所東京グラムシ会のホームページ発足で、日本語文献検索もずいぶん楽になった。

 私の最近の研究の中心であり、ホームページの目玉である旧ソ連粛清日本人犠牲者探索やヒトラー政権獲得期在独日本人左翼グループの研究でも、無論、モスクワのサハロフ人権センタースタンフォード大学フーバー研究所マンハイム大学社会史研究所などのデータを参考にしている。今春新聞で大きく報道された、1938年3月モスクワで粛清された無実の日本人女性「テルコ・ビリチ=松田照子」の消息探索は、サハロフ人権センターが作成中の旧ソ連粛清犠牲者データベース中の日本人検索リストと、戦前特高資料等から入力した私のホームページの1930年代在ソ連日本人候補者リストをつきあわせ、ホームページ上にそのデータを公表して広く情報提供を求め、それを見たご遺族から私への電子メールで身元が確認されたものであった(日本経済新聞読売新聞2月25日、等)。

 とはいっても、インターネットは、まだ生まれたばかりの研究手段である。活字論文で引照するときのURL表記の様式さえ定まっていない。著作権の問題は事実上野放しのままで、無断使用覚悟で篤志家たちが研究情報を無償提供しているのが実態である。かつてエスペランティストが夢見た多数言語の世界交流は、事実上「英語帝国主義」のもとに収斂してきている。ドイツの友人たちからは、インターネット時代に入って英語論文を書かないと他国と交流できなくなったという嘆きを聞いた。当地メキシコの大学院生たちも、スペイン語だけでは勉強にならず、どうしてもYahooに頼ってアメリカ的バイアスのかかった情報を集めてしまう。つまり、インターネットの基本構造は多極分散型・ネットワーク型になっていても、パソコン・ハードの値段・普及度、インテル・マイクロソフトの市場独占・ソフト支配、電話回線・電話料の国別格差などが相乗し、結局は現実世界のグローバル市場の構造と政府の情報統制・情報操作が投影されざるをえない。まだ創生期であるからこそ、マイノリティの権利と自由を尊重し、盗聴法案のような政府の介入に歯止めをかけておくことが必要であろう。21世紀の学術インフラストラクチュアに確実に組み込まれるであろうインターネットの世界に、アソシエ21の同人たちも進んで介入し、ネットサーフィンで情報を集めるだけではなく、大いに発信してほしいと願う。なお、小論は活字になり次第私のホームページにもアップロードされ、引照した各ホームページに直接リンクできるようにするので、ここでは個々のURL引用は省略した。(E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp) 




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