ある政治学者のホームページ奮戦記――わが家のできるまで、できてから(2015年1月-12月)
ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記、研究室からカレッジへの改装の記録が、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
古い記録は、「図書館特別室3 ネチズン・カレッジ生成記録」として、以下のようになっています。お好きなところへどうぞ。
- ROOM 1 =1997年8-9月分過去ログ
- Room 2 =1997年10-12月
- Room 3 =1998年1-3月
- Room 4=1998年4-6月
- Room 5=1998年7-9月
- 特別室「ベルリン便り」=98年10-12月、99年8-9月、2000年8月
- Room 6=1999年1-4月
- 特別室「メキシコ便り」=1999年5-7月・2000年5月
- Room 7=1999年10-12月
- Room 8=2000年1−6月
- Room 9=2000年7−12月
- Room 10=2001年1−6月
- Room 11=2001年7−12月
- Room 12=2002年1−6月
- Room 13=2002年7−12月
- Room 14=2003年1−6月
- Room15=2003年7-12月
- Room16=2004年1-6月
- Room17=2004年7-12月
- Room18=2005年1-6月
- Room19=2005年7-12月
- Room20=2006年1-6月
- Room21=2006年7-12月
- Room22=2007年1-6月
- Room23=2007年7-12月
- Room24=2008年1-6月
- Room25=2008年7-12月
- Room26=2009年1-6月
- Room27=2009年7-12月
- Room28=2010年1-6月
- Room29=2010年7-12月
- Room30=2011年1-6月
- Room31=2011年7-12月
- Room32=2012年1-6月
- Room33=2012年7-12月
- Room34=2013年1-6月
- Room35=2013年7-12月
- Room36=2014年1-12月
- Room37=2015年1-12月
「貧しい国」ニッポン、世界戦争の足音が聞こえる!
2015.12.10 しばらくぶりの更新です。オーストラリアに行ってきました。日本の旅行社特約ホテルのwifiは、24時間10豪ドル(約1000円)とうたっていましたが、一回切れるとまた10ドルの請求が出る欠陥システム、メールチェック中心の最低限の使用にとどめました。オーストラリアは、かつて本ネチズンカレッジ客員名誉教授故ロブ・スティーヴンのいた国で、1990年代に何度か訪れましたが、ロブが2001年に早逝して以来、その墓参にシドニーに行っただけで、15年ぶりでした。大きな違いは、まずは物価の高さでした。いや正確には、円安による日本円の海外での弱さです。オーストラリア経済が大きく良くなったわけではないですから、日本経済の沈没が実感されます。日本経済の救世主のようにいわれる中国・中産階級の「爆買い」は、何も日本に限られたものではありません。かつて日本の観光客であふれていたオーストラリアのスポットは、中国人でいっぱいでした。もともとチャイナ・タウンのあったシドニーで、ジャパンの存在感は薄くなる一方です。ちょうど1年前に、シドニー中心部でIS関連とみられた人質立て籠もり事件が起きましたが、パリのような厳重な警備はみられません。イスラム諸国からの移民や難民も住み着いて、よく街でもみかけますから、テロへの戦いには、ISへの報復爆撃よりも、日常生活をきっちり守り続けることの方に、意味がありそうです。
日本についての情報は、一日一回Google Newsを覗く程度でしたが、外から見ると、この国の日常生活が根底から覆されるような、市民社会の脆弱性・劣化が目につきます。かつて1990年代に、オーストラリアのロブ・スティーヴンと共に、『日本型経営はポスト・フォード主義か』の国際論争を組織した際、私たちの念頭にあったのは、日本における労働組合・労働者政党の弱さであり、過労死・過労自殺に対する社会的バリケードの欠如でした。その際、一つの鏡にしたのが、オーストラリアの労働党政権と労働者の権利・福祉でした。高度成長からバブル経済期に諸外国からもてはやされた「日本の成功」は、家族や地域社会を犠牲にしての企業社会への奉仕・埋没、自由時間や人権を切り詰めた物質的豊かさ、総じて「ポスト」どころか「ウルトラ」なフォード主義ではないか、と問題提起しました。それからロブの死と同じ時期に、世界経済のグローバル化、日本的経営の終焉と非正規雇用・不安定雇用の激増、それに隣国中国の「世界の工場」化という劇的な変化がありました。家族の崩壊と個人化、地域社会の高齢化と孤立が、いっそう進みました。オーストラリアは、北欧のような福祉大国ではありません。でも最低賃金や健康保険・年金制度などでは、日本よりもはるかに権利が守られており、豊かな自然環境の中で、まだ多文化共生社会が生きています。異国で痛感するのは、日本の「貧しさ」です。米国のみに頼り軍事化する国家、萎縮して偏狭なナショナリズムに染まる社会です。戦争法案強行採決からまだ数ヶ月で、安倍内閣支持率は急速に回復し、40−50%の水準に戻りました。オーストラリアの友人が言うように、異様です。
もっともこれは、日本のみの問題ではなく、グローバル市場経済に浸食され、格差が拡大した、地球社会全体の転換期でしょう。人権宣言発祥の地、自由・平等・友愛のフランスが「対テロ戦争」の名で戦争状態に。かつて「人種のるつぼかサラダボールか」といわれたアメリカで、共和党の大統領選最有力候補がイスラム教徒入国禁止の暴言。いたるところで、社会が壊れています。核兵器も原発も廃絶できぬままで、第3次世界大戦の接近が、体感できるようになりました。シドニーの国際会議で私が報告したのは、10月に日本で講演した「戦争の記憶:ゾルゲ事件、731部隊、シベリア抑留」の英語版。特に731部隊と近代科学技術の問題を、日本が抱える東アジア歴史認識の一つの焦点として、強調してきました。その滞在中に、本サイトについての新たな問題。本トップページほか、主要ページの扉を入れてきた日本のIT・インターネット業界の老舗、IIJ4Uが、来年春には、ホームページ提供事業から撤退するとのことです。シャープの液晶テレビ、東芝の白物家電と似た、旧型ビジネスモデルの再編・縮小のようです。メール・アドレスは、IIJmioをプロバイダーとして引き続きそのまま使えるとのことですが、本サイトの設計も、やり直さなければなりません。次回更新を、12月15日ではなく、2016年1月1日に設定して、データベースを含む大移動に取り組みます。1−3月は、これまでのブックマークでもアクセスできますが、新トップページに飛ぶように、組み替えます。リピーターの皆様には、大変ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご容赦ください。
イラク戦争から始まった、テロの標的となる日本!
2015.11.15 21世紀が始まった年の9月11日、米国で同時多発テロが起こり、世界は、宗教戦争の様相を孕んだ、危機の時代に入りました。そして、パリの「13日の金曜日」の虐殺、サッカー・スタジアムや劇場・レストランなど8カ所での同時多発テロ・無差別自爆殺人で、120人以上の死者。暴力と暴力が応酬する時代が、続いているようです。暗澹たる想い。もっともパリでは1月に風刺画でムハマドを冒涜したとする「シャルリー・エブド」襲撃事件がありました。ロシア人ら224人の生命が奪われたエジプトでの民間航空機墜落事件は、シリアでの空爆に踏み切ったロシアへのISによる報復とする見方が、有力です。「21世紀の民族大移動」といわれる、ドイツなどヨーロッパ諸国への難民流入も、シリア内戦とIS、イスラム教内部の宗教的対立やクルド民族問題などが重層した、複雑な構図です。欧米・ロシアの空爆・掃討作戦で片がつくとは思われません。フランスもロシアも、IS掃討作戦に深くコミットしたことが、報復を呼び起こしたともいえます。米英による無人機ドローンを使ったIS要人攻撃、空爆による民間人被害も、数百万人の難民の国外脱出を増幅しています。
しかし、この「憎しみの連鎖」の始まりは、ある程度特定できます。2001年の米国です。9.11直後から世界で語られたのは、「報復の連鎖を止めよう!」という反戦平和の声でした。ジョン・レノンの「イマジン」が世界中で歌われました。しかしアメリカのブッシュ政権によって、アフガニスタン、イラクへの「対テロ」報復戦争が強行されました。世界社会フォーラムがよびかけた、2003年2月15日のイラク戦争反対の統一行動には、全世界で1500万人もの人々が、街頭に出ました。日本では「100人の地球村」が、ベストセラーになりました。本サイトの「イマジン」コーナーは、9.11への非戦・反戦運動の中で、設けられました。米国のアフガニスタン武力介入は、15年たっても撤退できない泥沼化、そして、あの「大量破壊兵器」を口実にした米国のイラク戦争が、今日のIS=イスラム国誕生の直接の土壌になりました。今日では、CIAの大量破壊兵器情報が誤りであったことが、明らかになっています。多国籍軍で、アメリカと共に中心になったイギリスのブレア首相(当時)は、この10月25日のCNNインタビューで、イラク戦争の誤りを認め、謝罪しました。そのアフガン・イラク戦争の標的とされたアルカイーダ系から派生したイスラム原理主義過激派と、米国に徹底弾圧された旧イラク軍の一部が、今日のISの地域「テロ支配」と「報復戦争」の主力となっている、とみられます。今日の「憎しみの連鎖」は、米国の「対テロ」戦争から始まったものです。それによって、日本と日本人は、米国の従僕と同一視されて、テロの標的となる危険を高めたのです。
日本政府は、いまだに米国のイラク戦争を支持した過去を、全く反省していません。日本の自衛隊の海外派遣は、いうまでもなく、イラクから本格化しました。その延長上で、日米同盟の強化と、今夏の集団的自衛権発動を含む戦争法制定が決められました。20世紀末の湾岸戦争の頃までは、まだ外交青書などで語られて、日米同盟の前提となる柱であった、国連中心主義、国際法と国際組織への貢献は、今では滅多に使われず、後景に退きました。それどころか、南京大虐殺のユネスコ記憶遺産登録を機に、国際社会から敢えて孤立しようとする動きも、強まっています。後藤健二さんらを人質にとられても、安倍首相はわざわざ中東まででかけて、米国の対IS戦争支持を表明し、ISの側からは、標的国の一つにされました。すでにチュニジアやバングラデシュで、日本人の犠牲者が出ています。今回のパリでの日本料理店攻撃(流れ弾?)は、偶然でしょうか。オバマ大統領、プーチン大統領、安倍首相を始め、G20 首脳がトルコに集まる時機に、パリの大虐殺が起こったのは、偶然でしょうか。主催国のトルコ自身が、シリア情勢・クルド問題・IS問題に深く組み込まれ、不安定になっています。安倍首相が、ここで米国に従順に自衛隊派遣や武器輸出など派手なパフォーマンスを採ると、ISとの関係では、日本人の生命の危機が、いっそう高まるでしょう。かつて中東では好意的にみられていた、この極東の狭い非イスラム国には、原発・米軍基地・大劇場・大スタジアム等々、IS自爆テロの広報効果を最大化できる標的が、いくらでもあります。海外在住の日本人も、125万人にのぼります。日本外交に必要なのは、まずは中東情勢を冷静に分析し、隣国韓国や中国との関係を早急に回復して、米国ばかりでなく、国際社会全体の中での安全保障と日本の役割を組み立て直すことでしょう。残念ながら、現在の安倍首相に、それを期待することはできませんが。国家としてイラク戦争を反省できないのは、それが誤りであっても、国策だったからでしょう。
この国は、過去の国策の誤りを、正面から認めようとしません。前回更新でも強調したように、今日のアジア諸国との外交的困難の多くも、その歴史認識に由来します。南京大虐殺、従軍慰安婦、関東軍731部隊の細菌戦・人体実験など、事実関係の基本は歴史的にはっきりしているのに、それをあれこれ口実をみつけて否定しようとします。たとえば南京大虐殺の犠牲者が、仮に中国側の主張する30万人ではなく、4万人ないし2万人だとしても、なぜそれが「大虐殺」とよばれることを好まず、「南京事件」とか「南京戦」と言い換えようとするのでしょうか。虐殺=massacreという表現は、今回の(たった100人!?)のパリのテロでも、いたるところで使われています。言葉の問題ではありません。ようやく日中韓で合意された、「歴史を直視する」ことが、求められているのです。この間、情報収集センター(歴史探偵)の「731部隊二木秀雄の免責と復権」(2015夏版)の延長上で、10月15日に神田・如水会館・新三木会で「戦争の記憶」、10月18日に日本ユーラシア協会で「ゾルゲ事件と731部隊」の公開講演を行いました。このうち新三木会での話のテープ起こし原稿をもとに、講演録「戦争の記憶:ゾルゲ事件、731部隊、シベリア抑留」が、画像付きで臨場感ある記録になりましたので、公開しました。その後、皆さんのご指摘や読み直しで、いくつかの誤りもみつかりましたので、「戦争の記憶:ゾルゲ事件、731部隊、シベリア抑留」を、逐次修正・改訂してゆきます。『週刊読書人』10月9日号に、ロベルト・ユンク『原子力帝国』再刊本(日本経済評論社)の書評を書きましたので、アップ。現代史料出版の加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻は、高価ですが幸い好評で、国内外の大学図書館等に入れていただき、さらに要望があるとのことで、編集中の続編『CIA日本問題ファイル』全2巻の概要を、予告ビラで紹介しておきます。学術論文データベ ースの深草徹「安保法廃止のために」(2015.11)のほか、今年の夏前に公刊された論文集収録の拙稿、「米国の占領政策ーー検閲と宣伝」(波多野・東郷編『歴史問題ハンドブック』岩波現代全書、2015年6月)、「占領期における原爆・原子力言説と検閲」(木村朗・高橋博子編『核時代の神話と虚像』(明石書店、2015年7月)を 研究室に入れましたので、ご笑覧ください。なお、次回更新は、今月末からしばらくオーストラリア滞在のため、12月10日頃の予定です。
「戦争の記憶」が、新たな戦争を招かないように!
2015.11.1 中国が「領海」と主張する南シナ海に、米国はイージス駆逐艦を「派遣」、「航行の自由作戦」と呼ぶのだそうです。安倍首相にとっては、安保法制の予見性・正統性誇示、血湧き肉躍る集団的自衛権行使の現実的機会の到来かもしれませんが、一触即発の 戦争の危機です。沖縄では、日本政府が、沖縄県の異議申し立てを国家権力の力で拒否し、辺野古の米軍新基地「本体工事」を強行的に開始しました。さらに数十年も米軍基地を沖縄県に押しつけ、戦争が始まれば、本土の盾にされるでしょう。70年前の沖縄戦が、そうでした。翁長知事を先頭にした沖縄県民の抵抗、地元『琉球新報』『沖縄タイムス』の確固とした基地撤去の論調は、沖縄県民の琉球処分にまで遡る歴史認識、沖縄戦の記憶に根ざしています。「植民地」「差別」「独立」の言葉が絞り出されるほどに、本土政府への不満と怒り、本土の人々への不信とある種の諦観が、強まっています。本土でも、私たちができることをしなければ! 澤地久枝さんのよびかけた、全国で「アベ政治を許さない」を掲げる運動は、11月3日午後1時の一斉行動から、再開します。学術論文データベ ースに、神戸の弁護士深草徹さんの寄稿「安保法廃止のために」を新たに収録し、本サイトなりの「2015年安保闘争」を、継続していきます。
今日11月1日、ソウルで日中韓3国首脳会談が、3年半ぶりで開かれそうです。2日には、懸案の日韓2国会談も、なんとか設定されました。すでに10月31日に中韓首脳会談が開かれ、歴史認識問題については、両国が日本に対して共闘してくるとのこと。3国の共同声明には、事前の情報戦・諜報戦をもとに、今年3月の3カ国外相会談と同様に、「歴史を直視し、未来に向かう」という一文のみで、合意する方向とか。しかし、その前哨戦と論点整理は、10月にユネスコ記憶遺産をめぐって、すでに展開されていました。ノーベル賞での日本人二人受賞で湧くさなかの10月10日、中国が申請していた「南京事件に関する文書」が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されました。日本の外務省は、「南京事件に関する文書」は「中国の一方的な主張に基づいて申請されたもので、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ」とユネスコを批判し、ユネスコに対する分担金や拠出金の見直しをも辞さない、と報じられました。実際、元プロレスラーの文部科学大臣が、パリのユネスコ総会に乗り込んで、「世界記憶遺産の登録制度の改善を求める演説」をするそうです。その余波で、日本が申請してようやく採択されたシベリア抑留資料「舞鶴への生還」については、ロシア政府が日本に抗議する、というかたちになりました。また、韓国メディアは、中国と韓国が共同で登録申請中の「従軍慰安婦問題」を阻止するための、日本の偏狭な動き、と報じています。
日中韓首脳会談で問題になるのは、直接南京事件や従軍慰安婦問題に言及しない場合でも、日本の「歴史を直視」する姿勢、安倍首相らの歴史認識に、中国・韓国の政府と民衆が、強い疑念を持っているからです。今回ユネスコが記憶遺産(Memory of the World: MOW)に認定したのは、日本語でいつのまにか定着した語法「南京事件」ではなく、もともと世界的に使われてきた「南京大虐殺 Nanjing Massacre」の記録です。日本政府も存在そのものは否定しない史実を、その犠牲者が30万人か2万人かという数字の問題に矮小化したり、従軍慰安婦を「性奴隷」と認めず、「売春婦」と同じだと逃げようとする、その姿勢が問われています。ポツダム宣言すらまともに読んでいないらしい首相の、史実を「直視」できない歴史観、被害者からは抹消し得ない侵略戦争や植民地支配の記憶を否定して、なんとか「美しい国」に仕立て上げようとする、後ろ向きで偏狭なナショナリズム、「未来」どころか、戦前回帰型の「戦う政治家」の世界観が、隣国・周辺国に「脅威」と映っているのです。安倍首相は、過去の侵略や敗戦を認めたくない歴史認識をも、「抑止力」と妄想しているようですが、まずは国際的に共有された20世紀の歴史に、私たち日本国民が真剣に向き合い、自分自身の歴史認識を鍛えていくことが、求められています。
東アジア歴史認識問題の焦点は、今回は、ユネスコ記憶遺産になった南京大虐殺でした。次に記憶遺産になりそうなのが、従軍慰安婦問題です。そして、おそらくその次に問題になるのは、関東軍731部隊の細菌戦・人体実験です。すでに中国政府は、文書資料の記憶遺産ではなく、ハルビン郊外の731部隊跡地を、ユネスコ世界遺産に登録しようと申請しています。ユネスコ世界遺産は、世界遺産条約にもとづき厳格に審査され、保全義務が生じる、人類の共有財産です。日本では、法隆寺に始まり、平泉、富岡製糸場、明治日本産業革命遺産と増やしてきた、あのカテゴリーです。ただし世界遺産には、「負の世界遺産」があり、「人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件」として、ホロコーストのアウシュヴィッツ強制収容所や、スターリン粛清のソロヴェツキー(ソロフキ)諸島などが、すでに登録されています。日本にも、一つだけあります。それが、ほかでもない広島の原爆ドームです。つまり、731部隊が、「マルタ」とよばれた抗日中国人・ロシア人を人体実験の材料にし、ペスト蚤を爆弾にしてまき散らして中国民衆を殺伐した蛮行は、ホロコースト、ヒロシマなみの「人類の負の遺産」として、世界的に確認される可能性が高いのです。ここでも、厳密な被害者数は特定困難ですが、ハルビンには、敗戦時に爆破し「マルタ」を抹殺した建物跡も残っています。博物館があり、物的証拠も多数残されていますから、これについての日本政府の対応が、大きな問題になるでしょう。
この世界遺産問題はあまり意識していませんでしたが、この間、情報収集センター(歴史探偵)の「731部隊二木秀雄の免責と復権」(2015夏版)の延長上で、10月15日に神田・如水会館・新三木会で「戦争の記憶」、10月18日に日本ユーラシア協会で「ゾルゲ事件と731部隊」の公開講演を行いました。このうち新三木会での話のテープ起こし原稿をもとに、講演録「戦争の記憶:ゾルゲ事件、731部隊、シベリア抑留」が、画像付きで臨場感ある、3題話の講談風記録になりましたので、今回更新で公開します。学術書としては、別途執筆中ですが、私なりの20世紀認識が表現されていますので、ご笑覧ください。『週刊読書人』10月9日号に、ロベルト・ユンク『原子力帝国』再刊本(日本経済評論社)の書評を書きましたので、アップ。現代史料出版の加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻は、高価ですが幸い好評で、国内外の大学図書館等に入れていただき、さらに要望があるとのことで、続編『CIA日本問題ファイル』全2巻を編纂中です。予告ビラが早くもできたというので、ご紹介しておきます。
沖縄県民に学び、足元から自己決定権・人権を!
2015.10.15 安保法制が公布されて、第3次安倍内閣が発足しました。自衛隊を海外に派遣できる「一億総活躍社会」が売りなそうですが、なにやらきな臭い陣容です。70歳以上の方なら、「一億総動員」「一億一心」「進め一億火の玉だ」「一億玉砕、本土決戦」を想い出すでしょう。戦後生まれでも、戦争責任を曖昧にする「一億総懺悔」がありました。いやこの一億の7000万人は日本人でしたが、3000万人は朝鮮半島・台湾・南洋諸島の人々で、本当は「敗戦」ではなく、日本の植民地支配から「解放」された民衆でした。政府から「一億」と呼びかけられた時は、要注意です。それを担当する大臣は、安倍首相の側近中の側近ばかり。今度の内閣の公明党議員を除く20人中19人の大臣が、「日本会議国会議員懇談会」「神道政治連盟国会議員懇談会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のいずれかに属する、右翼ナショナリズムの色濃い布陣です。新任の加藤勝信・一億総活躍担当相と林幹雄経済産業相は、3つの議員連盟全てにトリプルで所属している、ウルトラ・ナショナリストです。こんな大臣が、「一億総活躍担当相」は女性活躍・再チャレンジ・拉致問題・国土強靱化・少子化対策男女共同参画担当兼務で、「経産相」は原子力経済被害・原子力損害賠償・廃炉等支援機構担当兼務ですから、原発再稼働も、被災住民への補償の行方も、方向が見えます。ましてや復興大臣の高木毅議員は、原発城下町敦賀出身のゴリゴリの原発推進派です。タレント上がりの環境相、文科相とあわせ、憂鬱な秋です。早くも農林水産大臣に政治献金疑惑です。
中でも見え見えなのは、沖縄県選出島尻安伊子参院議員の沖縄北方相就任。県民の総意を代表する翁長知事による沖縄米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古移設計画への辺野古埋め立て承認取消と、その後の法廷闘争を見越した、補助金バラマキ・懐柔工作の担当です。しかし翁長知事への県民の支持は、盤石です。国は対抗措置として行政不服審査請求を行い、法廷に持ち込まれるでしょう。国会での安保法案強行採決の余韻がさめやらぬ9月21日、翁長知事はジュネーブの国連人権理事会で、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と世界に訴えました。この「自己決定権」はright to self-determination、つまり国連では「民族自決権」として、1945年の51か国での出発から、今日の194 か国まで、アジア・アフリカ・太平洋諸国の独立をうながし、他方で、ソ連邦やユーゴスラビアの崩壊・分裂を促してきた、20世紀の基本理念の一つです。同じ席で、日本政府は辺野古移転は国内問題であり人権侵害はないと反論しましたが、沖縄県民の決意と声は、「独立をも辞さない」ものとして、国際社会に届いたはずです。もともと民主党系基地反対派から自民党に寝返った島尻を担当大臣に抜擢し、沖縄の民意を、カネと役職で分裂させる魂胆で、また、うまくいかなくても簡単に切り捨てることができる、という算段です。
この沖縄県民分断策、1952年サンフランシスコ講和条約・日米安保条約で独立直後の、第4次吉田自由党内閣時の石川県選出林屋亀次郎国務大臣の役回りと、そっくりです。まだ朝鮮戦争が続く1952年秋、石川県金沢市近郊の内灘に米軍の試射場を設ける話が、米軍・日本政府から持ち込まれました。日本で初めての本格的な米軍基地反対運動、いわゆる内灘闘争の始まりです。Wikipediaには、「アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており、静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。これに対して村議会は反対決議を行い、北陸鉄道労組は浅野川線で行われる資材搬入に対してストライキを行うなどの支援を実施した。政府は石川県選出の参議院議員林屋亀次郎を接収担当の国務大臣として説得に当たらせた。1953年の参議院選挙で、接収反対を掲げた井村徳二が林屋を破って当選したが、当時井村は金沢市片町で大和百貨店を経営しており、一方林屋も同市武蔵ヶ辻で同業の丸越百貨店を経営していたことから『武蔵大和の日本海決戦』という言葉で白熱した選挙戦となった」とあります。当時金沢の保守系有力財界人「番町会」の中心にあった林屋亀次郎は、もともと吉田自由党より改進党に近かったのですが、大臣の椅子の誘惑にかられて、吉田首相の誘いに乗りました。大臣就任を祝ってもらうはずのお国入りは、「カネは1年、土地は万年」を掲げる内灘村の漁民・女性や、米軍射撃場反対のデモに取り囲まれました。53年4月の衆参両院選挙が、石川県民の「自己決定権」行使の機会となりました。米軍射撃場誘致反対の漁民や労働組合は、もともと林屋の「番町会」の一員で後輩ながら、改進党系で誘致反対の井村徳二を、参院石川地方区の対立候補に立てました。社会党・共産党も立候補を見送りこれを支持、井村が社長の北陸鉄道労組も反吉田・反林屋で井村を支持しました。結果は、井村21万、林屋19万で、大接戦の末に井村が勝利し、林屋は独立後初めての「現職大臣落選」の記録を残しました。内灘闘争は、この参院選反対派勝利で、全国から労組・学生・知識人が支援に訪れる、戦後初めての本格的基地闘争になり、砂川闘争に受け継がれました。社会学者清水幾太郎が平和運動指導者として名声を獲得し、作家五木寛之が「内灘夫人」に描いた、あの内灘闘争です。闘争は、1957年のアメリカ軍撤収で終息しましたが、現地内灘町には歴史民俗資料館「風と砂の館」があり、今日でも「鉄板道路」や着弾地観測場遺跡などに、試射場時代の面影が残されています。
つまり、内灘闘争における林屋亀次郎の現職国務大臣落選から、島尻沖縄担当相の行く末も見えてきますが、それは、沖縄県民の自己決定権がどこまで貫かれ、沖縄の人々の基本的人権を、本土の私たちがどこまで自分の問題として尊重し守り抜くかにかかっています。国会前だけでなく、全国での支援が必要とされています。と、ここまで読んだリピーターの皆さんは、本HPがこの間「情報収集センター(歴史探偵)」で探求してきた「ゾルゲ事件と731部隊」、「731部隊二木秀雄の免責と復権」(2015夏版)の中に、53年内灘選挙の話があったことに、気づかれたでしょう。そうです。上記の林屋亀次郎・井村徳二の内灘参院決戦に、社会党・共産党さえ基地反対票の分散をおそれて予定候補者を下ろし「愛国統一戦線」を作ったのに、東京から郷里に戻って、(731部隊での軍歴はさすがにオモテに出せなかったために)「金沢医大医学博士・東京の出版社社長」として立候補し、1万2千票で惨敗・落選したのが、元731部隊結核・梅毒班長で雑誌『政界ジープ』発行者の二木秀雄だったのです。詳しくは、情報収集センター(歴史探偵)のpdf「731部隊二木秀雄の免責と復権」(2015夏版)の、当該頁をご覧ください。また、内灘の話は中心にはなりませんが、ご関心の向きは、本日10月15日(木)午後神田・如水会館・新三木会「戦争の記憶」、10月18日(日)午後世田谷区経堂・日本ユーラシア協会「ゾルゲ事件と731部隊」の公開講演で私が問題提起しますので、どうぞご出席ください。
新たなる戦前、歴史認識の深化を!
2015.10.1 国会前から夜遅く帰宅した9月19日、「安倍晋三のクーデターに抗議し糾弾する! 本日未明、参議院本会議は自衛隊が海外で米国と共に 活動できる戦争法を可決し、成立させました。これは、戦後70年の日本国の成り立ちと憲法秩序Constitutionを本質的に変えるという意味で、ある種のクーデターです。クーデターには、通常内戦Civil Warを伴います。4月29日に安倍晋三が日本国総理として米国議会で『日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます』と誓約した時から、情報戦としての内戦は、始まっていました。平和主義・立憲主義のConstitutionを守ろうとする社会運動も、大きく盛り上がりました。しかし内閣支持率を20%台に落とすことはできず、立法府で絶対多数を占める政権党の強行採決を食い止めるまでには、いたりませんでした。残念です。このクーデターに抗して、戦争をしない国に戻すことは、容易ではありません」と書いて、本トップを緊急更新しようと思ったのですが、途中でやめました。一つは、ひょっとしたら参院強行採決を機に社会運動がいっそう盛り上がり、国会前に市民が連日おしかけて安倍内閣辞任にまでいたる可能性が、万が一にでもないだろうかと考えて。いま一つは、逆に8割の国民の疑問と6割の今国会採決への反対があっても、安保法制が成立した以上、運動の潮目は変わり、野党や反対勢力の中でさまざまな総括や展望、場合によったら論争や政治責任追究がおこるかもしれない、それを見きわめようと思いました。前者の反対運動の再高揚は、残念ながらありませんでした。後者については、いろいろ議論が起こっているようです。
9月30日は、安保関連法の公布日でした。6ヶ月以内で施行されます。このことを1面トップで報じたのは『東京新聞』30日夕刊でした。反対運動の高揚期に似たような論陣を張っていた『朝日新聞』は、30日朝刊・夕刊とも無視で、10月1日に小さく報道。マスコミは移り気です。安倍首相の方は、参院強行採決・法案成立直後からゴルフに出かけ、次は国際理解を得ようと国連総会へ。日本の新聞・テレビでは、ロシアのプーチン首相と会談とか、韓国朴大統領と立ち話とか、いいとこ取りの前向き外交のように報じられていますが、世界の注目するシリア難民問題、ウクライナ問題、それに米中・米ロ首脳会談関連では出番がなく、安保理事会常任理事国立候補にも、難民支援970億円にも反応なし。さすがに「アメリカとの軍事同盟を強化し世界中にでかけます」とはいえないためか、「日本自身がこの先PKOにもっと幅広く貢献することができるよう、最近、法制度を整えました」と控えめの一般演説。それでも日ロ首脳会談では領土問題の交渉には入れず、朴大統領からは一般演説で暗に安保法制を警戒される始末。もちろん中国習近平主席とはすれちがいの握手もままならず。せっかくアメリカに行ったのに、オバマ大統領には会えずにバイデン副大統領への約束履行報告のみ。つまり、安保法制は、日本の外交力低下・平和国家イメージ衰退につながり、自衛隊を日米軍事同盟の傭兵に差し出すだけのものと、受け止められたようです。海外論評で目についたのは、米国の元CIA東アジア担当で保守系シンクタンク・ヘリテージ財団ブルース・クリングナー上級研究員のコメント(東京新聞9月20日)。アーミテージらジャパン・ハンドラーズとは異なり、安倍の頭をなでてくれるでもなく、中国との衝突をあおりたて、「安保法制は日本からすれば安保政策の歴史的転換であっても、世界的に見れば、哀れなほど小さい変化にすぎない」というクールなもの。確かに米国の世界戦略にとってはささやかな貢ぎ物で、対する中国にとっても、織り込み済みのものだったでしょう。スーダンになるか、中東になるか、中国沿海になるかは米中欧関係次第ですが、日本にとっては「新たなる戦前」の始まりです。10月1日に防衛装備庁発足、軍需生産と武器輸出の方は「新アベノミクス」に組み込まれて、きなくさい発進です。
しかしこの夏には、若者や女性たちや学者たちも国会前に集う、市民の大きな反対運動がありました。終盤にはマスコミがこぞってSEALDsの学生たちをとりあげました。中には「戦後70年、民主主義革命なる」という手放しの礼賛から、「古今東西、警察と合体し、権力と親和的な真の反戦運動などあったためしはない」という辺見庸さんの辛口批評まで、大きな幅があります。本サイトは、衆院特別委で強行採決された7月15日更新から「2015年安保闘争が始まる、民主主義を守れ!」と訴えてきました。いうまでもなく、安保条約改定が衆院本会議で強行採決されてから国民的倒閣運動になった「60年安保」を想起して、「15年安保」の展開を参与観察してきました。後に書かれた歴史書ではなく、当時書かれた井手武三郎編『安保闘争』(三一書房)、日高六郎編『1960年5月19日』(岩波新書)を座右に「15年安保」を見ていると、やはり規模でも歴史的意義でも、「戦後民主主義」と社会運動の後退を、認めざるをえませんでした。それは8月30日の国会前12万人と、60年6月15日33万人というデモ隊の数にとどまりません。運動の爆発的広がりと全国への波及が、「60年安保」は空前絶後のものでした。「15年安保」ではデモの意義が語られますが、「60年安保」には交通ゼネストを含む6月4日の560万人スト、学生の授業放棄、商店の閉店ストがありました。「15年安保」のストライキは、生コン労働者の時限ストくらいでしょうか。よく「60年安保は政党・労組の組織動員で、15年安保は普通の市民が個人として自発的に加わった」といわれますが、それは60年5月19日以前の社会党・総評などの安保改定阻止国民会議、共産党、全学連の前段階の運動についてある程度あてはまっても、5月ー6月のいわゆる「60年安保闘争」には、適切ではないようです。学生たちはクラス討論・寮生活・サークルなど自治活動を通じて、女性たちは職場の労組婦人部・青年部などを通じて問題を議論し、最初にデモに加わる時には、それなりに自発的であり、個人の決断がありました。もちろん日常生活の延長ですから、「母と娘のデモ」も「声なき声の会」も、芸能人や文化人・芸術家のパフォーマンスもありました。「全学連とSEALDs」を論じるときには、なぜ大学に自治会がなくなり、クラス討論が消えて、インターネットやSNSで横断的に結びつかざるをえなかったのかを、考慮する必要があるでしょう。もちろん「民主主義ってなんだ」「立憲主義ってなんだ」を討論し体感する若者たちが現れたことは、2001年9月11日以後のイラク戦争反対行動、2011年3月11日以降の脱原発運動を受け継いだ好ましい事態ですが、これがどこまで血肉化されるのか、沖縄や原発再稼働や日中韓連帯、WSF(世界社会フォーラム)などグローバルな社会運動ネットワークに参画できるかなど、今後への展開・持続性を見て評価すべきでしょう。栗原彬編の新刊『ひとびとの精神史 60年安保』(岩波書店)が、史実に戻って、諸個人の主体的選択・自発的参加に即して「60年安保」を見直し、「15年安保」に辛くも受け継がれた歴史の水脈を掘り起こしています。
政治学者として本サイトは、内閣支持率20%台への世論の転換が反対運動の鍵だと論じてきましたが、残念ながらそれは、実現しませんでした。30%台まで落ちた世論調査はありましたが、法案への疑問・反対増大に比して、内閣支持率・政党支持率は大きく動きませんでした。特に8月14日の戦後70年「安部談話」により一時的に内閣支持率がアップしたとき、「15年安保」の社会運動は、「60年安保」と異なる軌道に入りました。丸山真男の60年「復初の説」に相当したのが、15年憲法調査会における憲法学者3人の集団的自衛権違憲発言にあったとすれば、戦後70年「安部談話」でなぜ内閣支持率が下げ止まり、回復しえたのかを、冷静に考える必要があるでしょう。9月8日に自民党総裁選対立候補なしで安倍首相無投票続投が決まったとき、「60年安保」の祖父岸信介とは異なる、首相交代なしの安部クーデターが決定的になりました。これらの政治力学は、与党・野党・国会外それぞれについて、やがて裏資料も発掘され研究の対象になるでしょうが、それらのアクターの行動原理になった歴史認識、あるいは認識の欠如が問われることになるでしょう。「新たなる戦前」にあっては、戦後70年ばかりでなく、20世紀世界の中でのアジアと日本の動き全体を、深刻に振り返らざるをえません。なにしろ冗長な「安部首相談話」は、「圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と始まるのですから。これを全面的に論じるには一書を必要としますが、日清・日露戦争期に日英同盟、第一次世界大戦から第二次世界大戦期に日独伊枢軸に入って敗戦、被占領から70年をかけて日米同盟を完成してきた軍事・外交上の軌跡を、忘れるわけにはいきません。いや加害者日本人が世代交代して忘れても、侵略された人々の体験は、受け継がれています。「安部談話」の「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」は、問題の核心です。拙著『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』(岩波現代全書)の末尾で、日本人の戦後平和意識に潜む問題点として、@アジアへの戦争責任・加害者意識の欠如、A経済成長に従属した「紛争巻き込まれ拒否意識」、B沖縄の忘却、C現存社会主義への平和勢力幻想、D原爆反対と原発推進を使い分ける二枚舌の「被爆国」、を指摘しました。それらが受け継がれたまま、新たな戦争に入ることをおそれます。
この夏読んだ衝撃の書は、アニー・ジェイコブセン『ナチ科学者を獲得せよ! アメリカ極秘国家プロジェクト ペーパークリップ作戦』(太田出版)。ナチス・ドイツのロケット工学者、核物理学者、医学者、化学者ら1600人以上が、戦犯免責と引き換えに秘かにアメリカに招聘され、戦後のアメリカ核開発、生物化学兵器開発に動員された経緯の、米国国立公文書館ナチ戦争犯罪情報公開法機密解除文書を用いた詳しい記録。それも1945年4−6月、ソ連にドイツの最新鋭武器・科学技術が渡らないように、ドイツ降伏後も戦争を続ける日本を最終的に壊滅するためという口実で英米が独占し、米国世界戦略に協力させられた記録です。ソ連側も同様の狙いで、ドイツ人捕虜の科学者・技術者に、核開発・ミサイル・生物化学兵器製造への協力を強いたことは、メドヴェーデフ兄弟の『知られざるスターリン』(現代思潮新社)に出てきます。本サイトで探求してきた日本の核物理学者・原子力ムラ、731部隊医学者・医師の米国軍事研究への協力の原型は、どうやらドイツ敗戦時の科学技術冷戦開始の副産物だったようです。この問題に関連しては、8月米国での国立公文書館調査で、シベリア抑留日本人に対する米軍CIC(対敵防諜部隊)の調査記録の中に、日本敗戦後に自決した近衛文麿首相の長男「近衛文隆」のファイルをみつけました。近衞文隆は、56年末日ソ国交回復直前まで戦犯として抑留されていましが、恩赦による全員帰国が決まった直後に不審死していました。近衛文隆「病死」の10日前に、731部隊軍医でハバロフスク細菌戦裁判で禁固20年の刑を受けた柄沢十三夫が、同じ収容所で「自殺」していました。この二人の不審死を、米国側記録は、ラストボロフまで呼び出し、関連づけて記録していました。西木正明さんの『夢顔さんによろしく』、工藤美代子さんの『近衛家の7つの謎』、アルハンゲルスキー『プリンス近衞殺人事件』(新潮社)の主題ですが、私の探求してきたゾルゲ事件と731部隊研究、「731部隊二木秀雄の免責と復権」(2015夏版)の延長上で、新しい見方を提示できそうです。10月15日(木)午後神田・如水会館・新三木会、10月18日(日)午後世田谷区経堂・日本ユーラシア協会での講演で、問題提起します。どちらも公開講演会ですから、ご関心の向きはぜひどうぞ。
9月18日は、15年戦争開戦記念日!
2015.9.15 9月18日は、日中15年戦争の始まりとなった「満州事変」が、1931年に起こった日です。関東軍が南満州鉄道を爆破して柳条湖事件をおこし、中国東北部全域への戦争・占領へと拡大、「満州国」建国から国際的孤立、1937年盧溝橋事件から日中戦争に突入しました。中国の人々にとっては、長い抗日戦争の始まりで、国共合作と連合国への参加による第二次大戦勝利まで続く、屈辱の記憶です。よりによってこの時期に、中国民衆の想いを逆なでするように、国民の8割が疑問を持ち、6割が今国会での採決に反対している安全保障法制=戦争法案を、国会でまたも強行採決しようとしています。ホルムズ海峡の機雷除去も、日本人を乗せた米艦の保護も根拠を失って、安倍内閣が集団的自衛権を必要とする根拠は、もっぱら中国と北朝鮮の軍備拡張と海洋防衛に焦点化されてきました。中国との戦争のためという、いつか来た道です。日独同盟から日米同盟に乗り換えての、海外派兵できる国への転身です。無論、憲法違反です。立憲主義への挑戦です 。それを9月18日を前に、圧倒的多数の国民の反対と全国での反対運動を無視して、強行しようというのです。世界平和への挑戦です。
8月30日の12万人集会に続いて、連日国会正門前での抗議行動が続いています。創価学会員が声をあげ、地方でもそれぞれ創意に満ちた若者の行動が行われています。60年安保の30万人には届きませんが、特に若者や女性が声をあげたという点では、画期的です。3・11直後からの原発反対運動の力、官邸前金曜デモや経産省前テント村の持続力、それに沖縄の県知事以下島ぐるみ闘争が下支えし、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の組織力がバックになって、若者たちのSEALDsやママの会が先導体になり広めていきました。you tubeやニコニコ動画には、多くの集会・デモの映像がアップされています。この力は、たとえ参議院で強行採決されても、60日ルールで衆院再可決になっても、自衛隊の海外派兵を容易には許さないバリケードになるでしょう。このところの異常気象、水害や地震や火山噴火は、この国の自然に対する脆弱性、原発のような巨大危険技術で立ち向かうよりも、自然と共存していかに生き抜いていくべきかを再考させます。8月に、福島をまわりました。双葉町の近くまでドライブして出会った、膨大な黒いビニールの山、その除染廃棄物数百個が先週の雨で流され、相当数が行方不明とか。原発汚染水の行方と共に、ほとんど報道がありませんが、気になります。
もうすぐ大学の夏休みも終わりです。筆をおこした単行本完成はなりませんでしたが、その下調べの資料収集の方は、いろいろに進みました。本HP歴史探偵データベースの老舗「旧ソ 連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」で、新たに3名の犠牲者の消息がわかりました。もともと2013年に産経新聞モスクワ支局と共に解読したロシアのNPOメモリアルのリストから見いだされた、日本人5人のうちの3人で、「千葉県出身・富川敬三」「栃木県出身・恩田茂三郎」「鹿児島県出身・前島武夫」でした。昨年東京外語出身の「富川敬三」を官報から見つけてくれた新潟県の匿名希望Sさんのお手柄で、今度は外務省外交史料館の膨大な記録がウェブ上で読めるようになった「アジア歴史資料センター」を詳しく探求して、教えてくれました。3人の本籍地・家族の名前などが、わかりました。詳しくは「旧ソ 連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」の更新版を、ごらんください。8月米国での国立公文書館調査でも、メインのシベリア抑留帰還日本人に対する米軍CIC(対敵防諜部隊)の尋問記録の中に、日本敗戦後に自決した近衛文麿首相の長男「近衛文隆」のファイルをみつけました。近衞文隆は、56年末日ソ国交回復直前まで戦犯として抑留されていましが、恩赦による全員帰国が決まった直後に不審死していました。近衛文隆「病死」の10日前に、731部隊軍医でハバロフスク細菌戦裁判で禁固20年の刑を受けて柄沢十三夫が、同じ収容所で「自殺」していました。この二人の不審死を、米国側記録は、ラストボロフまで呼び出し、関連づけて記録していました。西木正明さんの『夢顔さんによろしく』、工藤美代子さんの『近衛家の7つの謎』の主題ですが、私の探求してきたゾルゲ事件と731部隊研究、「731部隊二木秀雄の免責と復権」の方から、新しい見方を提示できそうです。10月15日に神田・如水会館・新三木会、10月18日に経堂・日本ユーラシア協会での講演で問題提起する準備をしていますので、ご関心の向きはどうぞ。
「戦争反対、憲法守れ! 民主主義ってこれだ!」
2015.8.31 昨30日の夕方、ドイツの友人から、メールが送られてきました。ドイツ最大の週刊誌『Der Spiegel』誌オンライン版が、日本の8月30日の安保法制反対デモを、写真7枚入りで大きく速報しているというのです。「Nein zum Krieg!(戦争反対!)」と明快に目的を記し、国会前12万人で子連れの参加者もいると報じています。イギリスBBCも「日本人は普通大きな声をあげないが、日本の軍事法制改変が12万人の抵抗を呼び起こした」と大きく報じています。海外メディアにとっては、脱原発運動に続く、これぞ「クール・ジャパン」だったようです。この間反対運動に冷たく、安倍政権の代弁が目についたNHK夜7時のニュースも、国会前の車道を埋め尽くした全年齢・全階層の声に押されて、この日は割と客観的に運動をとりあげました。「警視庁の調べで3万人」と付け加えるのはいつもの通りですが。実際は、 SNSやyou tube など映像で、いくらでも追体験できます。 新聞も、大きく報じています。朝日の「安保法案反対、全国で一斉抗議 国会取り囲み廃案訴え」をはじめ、全国350カ所での「戦争反対、憲法守れ、安倍は退陣!」の声を無視できなくなりました。地方新聞を丹念にたどると、その広がりが実感できます。実は8月上・中旬はアメリカで、戦後70年「安倍談話」による内閣支持率回復、原発再稼働、参議院での煮え切らない野党の追及を見てきて、「暑い夏」の「熱い政治」が冷却されないかと危惧していたのですが、どうやら夏休みが終わって、9月決戦に入ったようです。「安倍談話」は国際的にはインパクトは弱く、日本でも多くの批判が出ていますから、オーストラリアのTessa Morris-Suzukiさんの的確なコメントの参照を求めるにとどめておきます。
ひと月ぶりの更新です。実はアメリカから帰国時に、本サイト更新に使ってきたパソコンの内蔵ハードディスクが損傷し、ハードはHDD交換でなんとかなりましたが、本HP関連ファイルを含む全データが消失しました。何とか専門業者に持ち込み、基本データは一週間で復旧できましたが、ソフトを再インストールしても、不具合は続きます。米国では「731部隊二木秀雄の免責と復権」の関連資料を新たに発掘し、帰国後福島・双葉町まで行って「復興」の現実も見てきましたが、今回はとりあえず、8月30日の熱気のみ追加してお伝えし、共有しておきます。
「15年安保」の暑い夏、平和と民主主義を守れ!
2015.8.20 アメリカから帰国しましたが、本サイト更新に使ってきたパソコンに不具合があり、本格的更新ができません。「安倍談話」への国際的反応を打ち込んでおいた草稿も、使えません。次回更新を9月1日に設定して、復旧を急ぎます。リピーターの皆さま、ご容赦
2015.8.1 前回更新では、北陸金沢から「2015年安保闘争が始まる、民主主義を守れ!」と訴え、いくつかのサイトで転載されました。「15年安保」の暑い夏は、全国で始まったようです。昨晩の7.31「安全保障関連法案に反対する学生と学者による共同行動」は、「学者の会」と SEALDsのコラボで、会場に入りきれない熱気、夜の国会前を含めれば、数万人でしょうか。関西や仙台からの学生たちの報告に、励まされました。全国の各大学で、教職員に学生・院生・卒業生もくわわった安保法制反対の運動が起きています。憲法学者ばかりでなく、映画人も、新劇人も、「憲法違反の安保法制廃案、立憲主義をまもれ」の声を発しています。SEALDsの学生たちに刺激されて、ママの会が立ち上がり、札幌から高校生のデモが始まりました。北から南まで、全国で集会やデモが開かれています。「レイバー・ネット」の「イベント・カレンダー」を見れば、8月の予定も目白押しです。地方議会でも次々と意思表示がされています。元自衛隊員も声を発しています。鹿児島では川内原発再稼働反対に結びつき、沖縄では翁長知事が先頭に立って、普天間基地の辺野古移転反対の声が「戦争法案反対」と合流しています。3.11東北大震災・福島原発事故後の脱原発運動の高揚ーーそれはまだ首相官邸前、経産省前テントひろば、全国の原発再稼働反対運動で持続していますーー、9・11以後のイラク戦争反対の世界的な反戦平和運動、さらに遡れば1960年安保闘争、とりわけ衆院強行採決後の、丸山真男や鶴見俊輔が先頭に立った「議会制民主主義を守れ」の運動が、よみがえったかのようです。
その分かりやすい指標が、各種世論調査の結果で、安倍首相の一番気にする読売・日経を含む各社の内閣支持率が軒並み大きく下がり、不支持率より低くなりました。女性の意識変化が特徴的です。安保法案強行採決・今国会成立への反対は更に高く、与党支持者で明党の支持基盤である創価学会の会員が、公然と戦争反対の声を挙げ、国会前のデモにも加わりました。国会では、参議院での審議が始まりました。与党の議員の一部が世論に近づき「造反」すると、参議院での可決成立はもちろんのこと、いわゆる「60日ルール」での衆院再可決も、おぼつかなくなります。安倍首相は、安保法案の「国民の理解が進んでいない」と認め、論理の破綻したホルムズ海峡の機雷掃海から、もともと「日米防衛協力ガイドライン」の本筋である中国・北朝鮮との戦争へと、「集団的自衛権」「武力行使」の主舞台を移してきました。実際は、国民の「理解」がだんだん進み、認識が深まることによって、反対運動が広がっています。オトモダチのアソウ君の救援や、お隣さんの離れの火事のたとえも、ますます「集団的自衛権」の意味を混乱させ、「専守防衛」の再定義を混迷に導きます。いちばんわかりやすい、you tube の「教えてヒゲの隊長」自民党版は、肝心の「あかりちゃん」が「ヒゲの隊長」を見事に論破したパロディ版の方が圧倒的に面白くて出回り、澤地久枝さん発案の「アベ政治を許さない」ポスターと合体して、反対運動の炎に油を注ぐことになりました。首相側近からは、先の「沖縄の新聞をつぶせ」に続いて「法的安定性なんて関係ない」の暴言、いや安倍首相を代弁したホンネの失言。8月の原発再稼働、TPP交渉、沖縄米軍基地、それに首相の戦後70年談話をめぐって、大きな情報戦が、いくつも展開されます。新国立競技場、オリンピック・エンブレムにもクレームで、オリンピック招致や渡米時の「アベ語」の化けの皮も、国内でも国際的にも、はがれてきました。アベノミクスの一環であった労働基準法改正案=残業代ゼロ法案、労働者派遣法改正案の行方にも、暗雲です。内閣支持率30%まで、あと一歩です。文字通りの「暑い、熱い夏」になりそうです。
本HPトップは、2001年9/11以来、「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこ そ、平和の道徳的優越性がある」という丸山眞男の言葉を掲げてきました。安倍首相はまだ、違憲の戦争法案を見限ってはおらず、むしろ強権政治に訴える可能性もあります。60年安保で自衛隊の治安出動を要請した、祖父岸首相のように。私たちはいま「無数の人間の辛抱強い努力」で、辛うじて「平和」を維持している段階にあります。厚木基地騒音訴訟での自衛隊機飛行差し止め2審判決、東電元会長らの検察審査会議決による強制起訴を見ると、日本の司法には、まだ憲法の力が効いているようです。安倍首相が蜜月を演出する日米同盟も、ウィキリークスで明るみに出た盗聴対象が官房長官から日銀に及び、日本側の米国への片想いであることがまたしても発覚。果たして安倍首相はドイツ首相のように抗議できるか、野党はきちんと追及できるか?ーー今年も私は、もうすぐ恒例の海外調査で、日本の外から「暑い夏」を眺めることになります。戦後70年ものの原稿が本になり、岩波書店の『歴史問題ハンドブック』寄稿「米国の占領政策ーー検閲と宣伝」に続いて、これを前提にした、明石書店の木村朗・高橋博子編『核時代の神話と虚像ーー原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史』に寄稿した「占領期における原爆・原子力言説と検閲」が刊行されました。いつかご一緒したいと思っていた小出裕章さんや吉岡斉さんと並んだ、脱原発本です。「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊二木秀雄」は、6月東北・7月石川調査を元に、更新されています。3月末早稲田大学講演でのパワポ原稿「731部隊二木秀雄の免責と復権」もこれにもとづいて、「2015夏版」に増補改訂されています。二木秀雄の「年譜」を入れたほか、ゾルゲ事件との直接的つながり、1953年4月衆参ダブル選挙時の米軍内灘射撃場誘致をめぐる参院石川地方区への二木秀雄の立候補落選、衆院石川一区で当選した辻政信との関係を加えてあります。この面の「国際歴史探偵」が、8月海外調査でどの程度進むかは未知数です。しかし、日本人の歴史認識が問われる8月、私もシベリア抑留研究・731部隊研究で、ささやかでも東アジア歴史像の構築に、力を注ぎたいと思います。次回更新のIT環境は不確かなので、一応帰国後の8月20日としておきます。皆様、いろいろな意味で、良い夏を!
2015年安保闘争が始まる、民主主義を守れ!
2015.7.15 地方出張中ですが、緊急に、抗議の更新・加筆です。安保法制が、衆院特別委で強行採決されました。暴挙です。世論の圧倒的多数は、他国で戦争をするための違憲法案に反対です。与党の支持者でも、この法案には疑問が多く、公明党支持者の過半数も反対とか。無論、憲法学者、学者の会、弁護士会、元法制局長官、元最高裁判事からも反対の声。労働組合も、学生たちも、ママたちも、全国で声をあげ、行動を始めました。安倍首相の置かれている状況は、1960年安保の祖父・岸信介の立場の再来です。60年安保の時も、「安保は重い」といわれました。さまざまな運動団体が野党と共闘してデモや集会を繰り返しましたが、国会前から全国へと爆発的に広がったのは、5月19日の衆院強行採決以後でした。「安保反対」が、「議会制民主主義を守れ」という声と、重なった時でした。
体験者が語っています。元朝日新聞記者の岩垂弘さん。「1957年に発足した岸信介・自民党内閣は日米安保条約の改定を急ぎ、両国間で調印された条約改定案(新安保条約)の承認案件を60年に国会に提出。社会党(社民党の前身)、総評(労働組合のナショナルセンター。すでに解散)、平和団体などによって結成された安保改定阻止国民会議が「改定で日本が戦争に巻き込まれる危険性が増す」と改定阻止運動を起こす。これに対し、自民党は5月19日、衆院本会議で承認案件を単独で強行採決。これを機に「議会制民主主義を守れ」という声が国民の間で急速に高まり、強行採決に抗議する大規模なデモが連日、国会周辺を埋めた。そのデモに加わった人の数は、日本ジャーナリスト会議編集の『主権者の怒り 安保斗争の記録』によれば次のようだった。
5月20日5万、同26日17万、6月4日全国で560万人が統一行動、同11日23万、同15日全国で580万人が統一行動・国会周辺に11万、同16日10万、同18日33万。33万人が国会を取り巻く中で、新安保条約は6月19日午前0時過ぎ、参院で議決を経ないまま自然承認となった。参院自民党は同20日、単独で本会議を開き、新安保関係諸法案を一挙に可決、成立させた。新安保条約はこうして国会を通ったが、岸首相は退陣せざるをえなかった。」すでに世論調査では、安倍首相の支持率が不支持率より低くなる逆転が、各社そろってきました。安倍内閣の暴走の基盤だったアベノミクスの神通力も、弱まりました。格差拡大と非正規雇用を生み出すだけで、生活は厳しくなるばかりです。沖縄米軍基地も、原発再稼働も、国立競技場建設問題も、従軍慰安婦問題も、日中・日韓外交の困難も、根は一つです。主権者である国民をないがしろにして、自分の考えを強引に押し通そうとする、「裸の王様」の独裁です。民主主義の危機です。2015年安保闘争の始まりです。
憲法違反で言論統制に連なる戦争立法は廃案に!
2015.7.1 安保法制の憲法違反についての認識は、広がってきました。どの世論調査でも、今国会では廃案、ないしもっとじっくり討議をという声が、多数を占めています。しかし、安倍首相は強気です。国会会期を9月末まで大幅延長し、8月首相談話の国際焦点化を避けつつ、衆院の与党絶対多数の力で「逆風」を乗り切ろうとしています。7月15日までに衆院特別委で可決できれば、参院の審議が長引いても、衆院で再可決できる60日を確保できるという算段です。その強気の背後の力が、安倍首相にとっては、内閣支持率の40%台保持と、株価と日銀短観にしめされる経済政策・景気対策の「成功」です。もっとも後者も、ある投資サイトによれば、「支持率低下→海外勢の売り又は見送り→株価低迷→支持率下がるの悪循環」を生むそうで、ギリシャ以上の財政赤字と格差拡大、庶民の生活苦のもとで、「政治危機を安倍さんは自ら作っている」のだそうです。そこに、自民党若手議員の驚くべき言論統制のススメ発言が飛び出しました。 安倍首相と政治信条が近い自民党の若手議員が発足させた勉強会「文化芸術懇話会」にゲスト講師として作家の百田尚樹を呼ぶと、前NHK経営委員・百田尚樹は、政府に批判的な沖縄2紙(沖縄タイムス、琉球新報)について「二つの新聞社はつぶさないといけない」と驚くべき暴言、国会議員たちも「(政府に批判的な)マスコミを懲らしめるには、広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連などに働きかけてほしい」と言いたい放題。つまり、反対意見を言論統制で蹴散らして、戦争への道を切り開けという、ファッショ的強行論の鉄砲玉です。
さすがに自民党本部は火消しにまわり、会の責任者の更迭、問題発言の議員に厳重注意。しかし、安倍首相は、国民にではなく、与党公明党に陳謝。もともと百田や問題議員の発言は、安倍首相の考えそのものだからです。それを見越してか、党総務会では責任者の木原青年局長の処分を「重すぎる」という声と軽減案が出て、厳重注意を受けた大西英男衆院議員は、堂々と記者団に、政府の安保関連法案を巡る報道について、「全く事実無根の戦争に導く、徴兵制(につながる)と報道している一部マスコミを懲らしめなければいけない」と再発言。むしろ、右バネというより、ファッショ的言説を特攻隊が公言して全体の雰囲気を右寄りにし、安倍首相の立ち位置を「中道」に見せる情報戦のように見えます。韓国に対する「ヘイトスピーチ」が、完全には同調しないまでも、いつの間にやら反韓・嫌韓世論を定着させてしまった、あの手法です。ですから、このファッシュ的言論統制言説も、憲法と立憲主義を守り戦争法案を廃案に追い込むうえで、ただちに「敵失」と見なすわけには行きません。それが「敵失」になるのは、国会で野党が厳しく追及し、メディアが自らの問題として沖縄のジャーナリズムに連帯して抗議し、何よりも世論が、安倍内閣支持率を40%割り、30%台の黄信号、そして「危険水域」の20%台へと追い込むことができた場合のみです。木原・大西らは、ナチスの党内武闘組織ヒトラーの「親衛隊SS」にあたるものであり、百田尚樹はハインリヒ・ヒムラーになろうとしているのです。
国会での野党のふがいなさは、もどかしい限りですが、幸い世論と市民運動のレベルでは、安保法制の憲法違反の声、廃案にせよという声が高まっています。前回よびかけた「安全保障関連法案に反対する学者の会」への賛同署名は、学者・研究者8千人近く、市民を含め2万人に達しました。昨年から続く「戦争をさせない千人委員会」の全国署名は、165万人になりました。私にとっての大きな希望は、大学生ら若者たちが、動き出したことです。国会前で、渋谷のハチ公前で、SEALDsのよびかけに数千人が応えて集まりました。東京の集会を見た関西の若者たちが、SEALDs KANSAIを立ち上げました。脱原発運動の金曜デモと同じように、野党の院外接着剤の役割も果たしています。この流れが、一回り大きくといわず数周り、数十万の動きになったとき、安倍ファシズムも、凶暴化した親衛隊をオモテに出すことは難しくなり、改めて世論の争点は、安保法案が憲法違反かどうかの正常軌道に戻ります。
昨晩まで、シベリア抑留と「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊二木秀雄」の東北地方調査で、貴重資料と証言が収集できました。その整理はこれからなので、今回更新は、このくらいにしておきます。 この間、いくつかの短文が活字になっています。島崎藤村家の遺品・資料を、日本近代文学館に収めるお手伝いをしたので、『日本近代文学館報』第265号(2015年5月)に「島崎藤村・蓊助資料の寄贈に寄せて」が掲載されました。『図書新聞』6月20日号に、松田武『対米依存の起源--アメリカのソフト・パワー戦略』(岩波現代全書)の書評を寄せています。労働運動研究所の『労働運動研究』誌総目次の単行本化刊行にあたって、「現代史史料としての『労働運動研究』誌 」という、やや長めの推薦文を寄せています。岩波書店の『歴史問題ハンドブック』には「米国の占領政策ーー検閲と宣伝」を寄稿しましたが、これは単行本で発売されたばかりですので、3か月後にアップします。加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻に続いて、主に図書館向けの資料集『近代日本博覧会資料集成 紀元2600年記念日本万国博覧会』を編纂・解説しました。リーフレットができましたので、入れておきます。
ゾルゲ事件関係のファイルが増えてきたので、「情報学研究室」カリキュラムに、情報学研究<専門課程2ーー世界史のなかのゾルゲ事件> をつくりました。それをも下敷きにした新著が、 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)です。正誤表を作りましたので、ご参照ください。チャルマーズ・ジョンソンの新訳『ゾルゲ事件とは何か』(岩波現代文庫)に寄せた「解憲法違反の戦争立法は廃案に! 内閣支持率を30%に!2015.6.15 永田町方面の風向きが、変わってきました。国会議席の絶対多数を後ろ盾に、安倍首相が国会審議の前からアメリカに行って「公約」してきた自衛隊海外派兵の「安保法制」の行方が、にわかに不透明になってきました。きっかけは、衆院特別委員会での法案審議のさなか、6月4日の衆院憲法審査会に参考人として出席した憲法学者三人が、そろって他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を「憲法違反」と明言したこと。もともと安保法制を主題とする委員会ではなく、立憲主義についての意見陳述だったのですが、野党委員の質問に対して、自民党推薦の参考人までが集団的自衛権そのものの違憲性を述べたもの。憲法学界では通説ですし、集団的自衛権の合憲論者は学問的にはほとんどいませんから、いわば学界の常識が、永田町・官邸の非常識をただしただけのこと。とはいえ、これで、昨年の集団的自衛権閣議決定段階での論点に改めて火がつき、戦争法案の細かい事例の質疑を、首相のヤジ、外相・防衛相の迷走答弁で何とか強引に通そうとしていた政府・与党が、会期延長を含むスケジュール変更を余儀なくされ、守勢にまわりました。元首相・衆院議長、歴代自民党幹事長経験者、内閣法制局長官経験者も、憲法違反という点では声をあげました。自民党内からも、不安の声がようやくあがり、マスコミの論調も変わってきました。
醜いのは、海外派兵をなんとか合憲にしようと、砂川事件最高裁判決から集団的自衛権を導こうとするダブルバッジ(代議士兼弁護士)の高村正彦自民党副総裁。「憲法の番人は最高裁判所であり、憲法学者ではない」などと言っていますが、もともと砂川判決をどう読んでも無理筋です。高村副総裁ご本人も、かつて外相時代に集団的自衛権の行使は憲法違反と明言していたことは、ウェブ上で拡散しています。そもそも砂川判決そのものが、米国の司法介入によって生まれた屈辱の最高裁判決でした。ぜひ歴代最高裁判事からも、意見を聞きたいところです。もう一つ醜いのは、結党以来の絶対平和主義と憲法第9条護持を投げ捨てた、公明党の現在。与党のうまみを捨てきれないためか、戦争法案成立に異様なご執心です。かつて公明党に近い『潮』という雑誌は、有名人好きで、護憲と平和主義の主張が売り物だったんですが、さて集団的自衛権合憲を主張する、少数派の極右憲法学者を登場させるのでしょうか。さしあたり、戦場に送られるのは自衛隊員です。創価学会員も多いようです。いのちの尊さを忘れた宗教政党、哀れです。
今日は6・15です。1960年のこの日、安保改定反対の国民的闘争・国会デモの中で、東大生樺美智子さんが犠牲になりました。昨14日の国会前は、2万5千人の集会・デモが「戦争法案廃案」を訴えました。渋谷でも名古屋でも、大きなデモがありました。安保法制を憲法違反とする憲法学者の署名は、200人を越えました。でも、安倍首相には、祖父岸信介のDNAが刷り込まれています。岸首相は、国会周辺のデモを無視して、後楽園球場の「声なき声」を根拠の一つに、安保改定を強行採決し、成立させました。安倍首相は、3・11後の脱原発の声にも耳を傾けず、再稼働を進めようとしています。安倍首相が毎日チェックするのは、株価と世論調査結果とか。それも安保法案そのものへの反対世論過半数は無視して、「強いリーダーシップ」への内閣支持率の方を、気にしているようです。読売新聞やNHKで5割の支持率がある限り、強行突破しても大丈夫、いざとなれば、小泉内閣風の解散・総選挙をちらつかせて正面突破、の作戦のようです。すでに維新の会の抱き込みに、自ら乗り出しています。しかし、これも流動的です。一番新しい日本テレビNNN(読売系列!)の先週末内閣支持率は、これまで最低の41.1パーセントまで、落ち込みました。「支持しない」39.3パーセントを辛うじて上回っていますが、「戦争法案反対、集団的自衛権は違憲」の声がさらに強まれば、黄信号の支持率30パーセント台、不支持率が支持率 を越えるのは、もうすぐです。 なお政局は流動的で、国民の不安が増大しながら、拮抗している状態です。「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください! 」には、更に新しい情報が寄せられましたが、次回に回します。今回は、情報収集センター(歴史探偵)の参照のみをお願いして、平和憲法と立憲主義の危機を憂うる皆さんの、アピールと行動を呼びかけます。さしあたり、国会前での沖縄の女子学生の訴えを聞いて、市民の皆さんも、「安全保障関連法案に反対する学者の会」への賛同署名を!
安倍流「ニュースピーク」を見抜き、もう一度平和憲法の原点に!
2015.6.1 箱根の大涌谷が立入禁止のままで、鹿児島県の口永良部島ではマグマ水蒸気噴火、直後に小笠原沖大地震で全国に大きな揺れ、自然の悠久な営みの前では、今日の科学技術は無力です。そればかりではなく、故ウルリヒ・ベックの提示した「リスク社会」、近代の人類の営み、産業化によって新たに生みだされた危険・リスクの問題が重なっていることに、3・11フクシマ原発事故によって、小笠原沖大地震による交通網の大混乱、高層ビル上の足止め、エレベーター1万3千台の停止で、改めて気づかされます。自然災害への対処でさえ、リスクの増大は明らかなのに、自衛隊の海外派兵でも「リスクは変わらない」と言い張る首相や防衛大臣、戦争という最大のリスクへの国民総動員のための詭弁です。国会での「戦争法案」論議では、「戦後70年」の出発点であるポツダム宣言を「詳らかに読んだことはない」と公言する首相、野党の質問にヤジを飛ばす首相、「兵站」を「後方支援」といいかえ、「武器の使用」と「武力の行使」は違うと言い繕い、果ては「専守防衛」とは「海外派兵」を含むという日本語の混乱、オーウェル『1984』のニュースピーク、「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」のオンパレードです。しかもこれは、言説・情報戦の枠内には留まりません。集団的自衛隊論議の発端となったのは、日本の自衛隊による「尖閣諸島」防衛を米軍が本当に一緒に守ってくれるのかという不安だったようです。しかし安倍内閣の集団的自衛権閣議決定と新日米防衛ガイドラインを得た米国の方は、中国の南シナ海での岩礁埋め立てに対抗して、日本の自衛隊の関与の拡大を求めており、日本政府は応じる方向です。米中の軍事対立に早速日本が組み込まれ、日中戦争の悪夢につながりかねない状況です
そんな国会議員の皆さんに、ぜひとも読んでもらいたいのは、古関彰一さんの新著『平和憲法の深層』(ちくま新書)。「敗戦」を「終戦」に、「占領軍」を「進駐軍」と言い換えるだけでなく、日本国憲法制定時には、多くの新しい言葉と旧い言葉の意味転換がありました。古関さんは、そもそもなぜ日本国憲法が「平和憲法」と呼ばれるのかの原点を探求します。そして、第9条の「戦争の放棄」はGHQ起源で昭和天皇免責・象徴天皇制とのバーターでGHQ草案から入っていたが、「平和」の方は、日本政府案にもGHQ草案にもなく、第25条「生存権」と共に、国会での審議過程で日本側から挿入され、修正されたものであることを解き明かしていきます。第9条のもうひとつのバーターは沖縄で、沖縄米軍基地が永続化されることが、本土の「戦争放棄・戦力放棄」の裏側でした。その過程での鈴木安蔵や憲法研究会案の役割、宮沢俊義ら東京帝大憲法研究委員会での議論、自衛権を認めたとする「芦田修正」の真相など、日本国憲法制定過程について綿密な検証が行われ、いわゆる「押しつけ憲法」論の誤りが、わかりやすく説かれています。これに、天皇側近のさまざまなマッカーサー工作や、GHQ内でのGS-G2関係などを重ねあわせれば、日本国民の関わった日本国憲法の画期性と、現国会で進行中の安全保障論議・憲法討論の没歴史性・軽さが見えてきます。
日本国憲法の制定が、極東軍事裁判での昭和天皇不訴追とワンセットであったことは、私が現在研究中の731石井部隊関係者の証拠隠滅、米軍への細菌戦・人体実験資料提供とバーターでの戦犯免責、極東軍事裁判不訴追確定後の復権過程からも、見えてきます。なにより古関彰一さんの探求した45年8月敗戦から47年5月日本国憲法公布までの出来事の一つ一つの日付が、石井四郎等の天皇制護持のための証拠隠滅、GHQの731部隊追及開始と医師・医学者尋問、G2ウィロビー、有末精三・服部卓四郎ら旧参謀本部情報将校を使っての細菌戦資料提供・免責保証工作の動きと、ダブってきます。私は731部隊の免責・復権には、内藤良一・亀井貫一郎らのG2工作と共に、GHQのPHW(公衆衛生福祉局)サムズ将軍への働きかけ、ABCC 原爆傷害調査団や猛威を振るった戦後感染症対策への、日本側医師・医学者の厚生省を介した動員=協力があったのではないかという仮説を持っています。日本国憲法制定史、象徴天皇制成立史、戦後医療・福祉制度成立史、731部隊医師・旧日本軍情報将校免責史は、有機的につながっていたのではないかと考えています。この点、「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください! 」で、大きな前進がありました。長らく捜してきた石川県のローカル雑誌『輿論』の創刊号(1945年11月10日)が、ついに入手できました。詳しくは、「情報収集センター(歴史探偵)」及び「2015年の尋ね人」の内容を逐次改訂していきますが、『輿論』誌は、案の定、戦後日本における世論調査の開始、GHQへの迎合による天皇制護持、それに広島・長崎原爆についての報道で、貴重で先駆的な歴史的史料でした。引き続き、『輿論』の後継誌『政界ジープ』の、特に1952年−56年期の欠号を捜しています。皆さんのご協力を、お願いします。
平和憲法の危機、戦争立法に反対しよう!
2015.5.15 今回は、敢えて呼びかけます。平和憲法を護れ! 戦争立法に反対しよう!と。訪米で新日米防衛ガイドラインを結んできた安倍首相は、日本国憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という戦後70年間で定着した理想を覆し、第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を、「集団的自衛権」という政府解釈で放棄しようとしています。米国世界戦略への追随を最優先して、第41条「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」を無視し、国会討論以前に安全保障体制の重大な変更を行い、いつでもどこでも「切れ目なく」自衛隊を海外に出し、戦争に加わる方向をめざしています。無論、第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という憲法遵守の条項は、無視されています。
昨日閣議決定された法案には、集団的自衛権の行使を可能にする法改正を一括した「平和安全法制整備法案」、外国軍支援を恒常化する「国際平和支援法案」と、どちらも「平和」の名を冠しています。しかし、内実は「戦争法案」です。ジョージ・オーウェル『1984』のニュースピーク、「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」を想起させます。「存立危機事態」とか「重要影響事態」とか、「事態」が頻出しますが、「事態」への軍事対処が「事変」です。かつて日中戦争を「満州事変」とか「日華事変」とか呼んで、本当は戦争なのに「事変」の名で拡大していった歴史の、性懲りもない繰り返しです。自分の言説・外交で近隣諸国との紛争を拡大しておきながら、「抑止力」と称して、軍事力に頼ろうとしています。詳しくは、神戸の弁護士深草徹さんが、本サイト学術論文データベ ースで50本目の寄稿論文となる深草徹 「戦争立法」の恐るべき真実(2015.5)で解説してくれましたので、急遽緊急でアップします。安倍首相の狙う本丸は、憲法第9条の改定です。「お試し改憲」とか「加憲」に惑わされてはなりません。これまで曲がりなりにも70年の「平和」を作ってきた軍事化への歯止めが、丸ごと取り払われようとしています。丸山眞男「憲法第9条をめぐる若干の考察」(『後衛の位置から』未来社、所収)がいう通り、「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍がおこらぬよう、それを保障することと、人民主権の原則とは密接不可分」であり、「国民的生存権」が危機にさらされようとしています。60年安保の時のような、国民の抵抗運動が必要です
アメリカなど世界で日本研究に携わる187人の歴史研究者が、日本の歴史家を支持する声明「偏見なき清算を」を発表しました。3月シカゴでの米国アジア研究学会でよびかけられたもので、従軍「慰安婦」問題にしぼり、安倍首相への名指しの批判や日米首脳会談の政治的評価は避けていますが、世界の日本研究をリードしてきた主要な学者を、網羅しています。リストには、ジョン・ダワー、エズラ・ヴォーゲル、ロナルド・ドーア、アンドルー・ゴードン、キャロル・グラック、テッサ・モリス・スズキ、等々。声明に加わっていない著名人、ジェラルド・カーチスやケント・カルダーらの名を想い出すことの方が、難しいくらいです。とりまとめにあたったのは、コネティカット大学のアレクシス・ダデン氏とジョージタウン大学のジョーダン・サンド氏とか、学術レベルでこうした声明をまとめあげるのは大変なだけに、日本で現代史研究に携わるものとして、敬意を表します。ちなみに、ジョーダン・サンド氏は、かつて本HP学術論文データベ ースに、「アメリカよりみた『靖国問題』」を寄稿してくれた方です。日本では、国立大学への国旗・国歌要請や学校教員免許の国家試験資格化、教育・研究の大再編も進められようとしています。そんな中で、海外の日本研究者から期待された「日本の歴史家」が、何をなすべきか。沖縄基地問題、原発再稼働、労働法制改悪など、安保体制の大転換に連動する歴史的転換の一つ一つの動きに、「日本の歴史家」の応答が迫られています。
従軍「慰安婦」問題と共に、戦後70年の日本の歴史認識で、海外特に近隣アジア諸国から問われるのは、南京大虐殺、731部隊の人体実験と細菌戦、ヒロシマ・ナガサキ、戦争責任と靖国神社、講和・安保・賠償からフクシマまで、山積しています。私自身は「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください! 」に専念していますが、皆様のご協力で、戦後70年の解読にふさわしい歴史的資料と情報が集まりつつあります。詳しくは「2015年の尋ね人」ページに書き、逐次改訂していきますが、この間情報が集まった以下の諸点を中間報告しておきます。(1)『現代史史料 ゾルゲ事件4』に入っていた、リヒアルト・ゾルゲによるハルビン細菌戦工場建設情報の1937年モスクワ通報の可能性、(2)二木秀雄の731部隊での人体実験と細菌戦への具体的関与、(3)1945年8月帰国時、731部隊の金沢「仮本部」での連絡網・給与支給ネットワーク構築における二木秀雄の役割、(4)二木秀雄の雑誌『輿論』『日本輿論』、初期『政界ジープ』刊行における印刷者「金沢 吉田次作」の役割、吉田印刷の旧陸軍・満州国・辻政信との関わり、(5)『政界ジープ』発行元の、「ジープ社」から「東京トリビューン社」「新ジープ社」「精魂社」「政界ジープ社」への同一住所・名義変更、編集人・発行人の推移、(6)二木秀雄が政界進出をはかった1953年4月参議院石川地方区選挙が、内灘米軍射撃場誘致をめぐる一大論戦のさなかであったことの意味、内灘誘致派林屋亀治郎と反対派で当選した改進党井村徳二の狭間で、泡沫候補として落選した二木秀雄は、衆参同時選挙の衆院金沢一区当選者・辻政信の旧軍人票・東亜同盟票との相乗り・継承を目指したものではなかったか。これらについて、引き続き情報を求めます。データベース「旧ソ 連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」トップの、新たに判明した日本人犠牲者「トミカワ・ケイゾー=たぶん富川敬三」についても、引き続き情報をお寄せください。
日本国憲法も日米安保も、
事実上改訂された!
2015.5.1 安倍首相の訪米、日本のマスコミ報道では、おおむね大成功との評価です。議会演説のパフォーマンスは、スピーチライターの腕で、ハリウッド風のエピソードを散りばめた45分間の英語演説に仕立て上げられました。しかし内実は、深刻な問題を孕んでいます。米国人・ワシントン向けには、パール・ハーバー、バターン行進、硫黄島まで入れて、「日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます」と神妙に「深い悔悟」を表明しました。しかし、アジアについては、「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」と述べたのみで、中国や韓国が注目していた「従軍慰安婦」「侵略」「植民地支配」の「謝罪」はありませんでした。第二次世界大戦とは日米戦争だけで、満州国も日中戦争もなかったかの如くです。米下院のマイク・ホンダ議員は、抗議声明を出しました。オバマ大統領・米議会の歓迎は、「かつての敵、今日の友」が、TPP交渉妥結を明言し、「日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう」と集団的自衛権による日米防衛協力ガイドラインの実行を確約した点にあります。首脳会談では普天間基地の辺野古移転強行も公約しました。沖縄県知事をはじめ沖縄県民の「希望」は無視し、閣議決定も国会審議もない段階での「希望の同盟」への飛躍で、米国以外の国には、「忠犬ポチの自己陶酔」のように映っても仕方がないものです。
しかも、戦後70年の年の安倍首相の「国際公約」は、日本の国家体制そのものの重大な改変を含んでいます。日本国憲法と日米安保条約双方の、事実上の改変です。かつて日本では、9条を持つ憲法体系と日米安保条約は根本的に矛盾するものとされてきました。60年安保改定反対の国民運動があり、自衛隊は憲法違反であるとの批判に「軍隊ではない」「専守防衛」と弁明して、国会でも長く議論され、なんとか両立させてきた時代がありました。安倍内閣はそれを、集団的自衛権の閣議決定・法整備で憲法をまず改訂し、「極東における国際の平和及び安全」のためと明文化された日米安保条約を、今回のガイドラインと首相公約で「世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく」とグローバル化しました。かつての国会討論の焦点であった「極東の範囲」は、あっさり乗り越えられました。日本国憲法と安保条約の双方を改訂することで、世界中で活動する強力な軍隊を持ち、米軍と共に戦争ができる国になりました。サンフランシスコ講和条約、60年安保改定に匹敵する重大な進路変更で、自国の立法府で議論することなしに、米国の世界戦略に従属したかたちです。マスコミも安倍首相自身も大きく報じませんが、米国議会演説の冒頭で紹介された「私の祖父、岸信介」とは、極東国際軍事裁判の「平和に対する罪」=A級戦犯の被告でした。60年安保改定反対の国民運動のさいに、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」とうそぶいて強行採決した政治家です。安倍首相は、当時の反対運動は「戦争にまきこまれる」と言ったが、「日米同盟こそ抑止力になって平和が保たれた」と、祖父の「名誉回復」をはかっています。国際政治学で、東西冷戦を「長い平和」と読み替えた裏読み解釈、現実拝跪・自画自賛による歴史像の修正を思わせます。あたかも沖縄の長期占領も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、なかったかのように。
硫黄島参戦米兵と栗林中将遺族の列席は「歴史的和解」の演出でしょうが、実際の第二次世界大戦の傷跡は、70年たった今日でも、世界中に残っています。2013年4月からこの二年間、本サイト「情報収集センター(歴史探偵)」で消息を求めてきた旧ソ連粛清日本人犠牲者「トミカワ・ケイゾー」の身元が、「官報」を読んだ読者からの情報で、ほぼ判明しました。「情報収集センター」はいま「731部隊二木秀雄の免責と復権」の探索がトップにありますので、データベース「旧ソ 連日本人粛清犠牲者・候補者一覧」の方のトップに入れました。日本人犠牲者「トミカワ・ケイゾー 生年不明/千葉県出身/政治亡命者/極東国立大学の日本語教師/1937年逮捕/1938年4月7日銃殺」と、「本籍東京都文京区大塚窪町二十四番地二、最後の住所北樺太オハ」として「川崎市塚越三丁目三八〇岡田方申立人富川ツナ」さんから1955年に失踪届が出され、56年8月に失踪宣告が確定した「富川敬三」が、ほぼ同一人物と思われます。心当たりのある関係者の方の情報を求めます。今年度メインの「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください! 」の方も、30年来の731部隊研究の専門家の皆様のご協力で、資料と情報が集まりつつあります。731部隊の本拠地があったハルビンでは、新たに436点の新証拠がみつかったとのことです。安倍首相が米国議会演説で回顧する冷戦時代には、もっぱら米国側資料とソ連のハバロフスク裁判資料でしか解明できなかったものが、この20年、被害者の中心である中国側の資料と証言が出てきて、二木秀雄や石川太刀雄が行った人体実験・細菌戦の実相が、ようやく否定できない国際法違反(ジェネーブ協定違反)、捕虜虐待(通例の戦争犯罪=B級戦犯)と「人道に対する罪」(C級戦犯)の事実として、明るみになってきました。南京大虐殺・従軍慰安婦問題に続いて、日本側の「謝罪」や「賠償」が国際的に問題になるのは、これからです。安倍内閣による戦争準備が進む今こそ、特に科学者・研究者は、この問題を「痛切に反省」しなければなりません。
粛々と進められる「いつかきた道
2015.4.15 2週間前に48か国と報告したアジアインフラ投資銀行(AIIB)設立には、けっきょく57か国が加わりました。アメリカ、カナダ、日本の国際的孤立です。安倍政権は、ガバナンスがはっきりしない、日本の分担金が財政負担になる、などと泣き言を言ってますが、大きな外交的失敗です。途上国にとっては、日米主導の古巣アジア開発銀行(ADB)に代わる有力な資金供給源になります。現在の中国経済と日本経済の勢い、アメリカの長期的衰退を考えれば、どちらが魅力的かははっきりしているでしょう。ところが日本のマスコミは、政府の国会答弁のような留意点をあげるばかりで、いま日本がどういう立場におかれているかについての分析的・歴史的報道がありません。TPPの密室交渉についても同様です。そればかりか、自民党が個別のテレビ番組の報道内容について、経営幹部をよんで「事情聴取」するのだそうです。戦前満州侵略で国際連盟脱退、孤立した時期の滝川事件や天皇機関説事件、言論統制と異端排除の「いつかきた道」を想起させます。言論の自由の危機です。
マスコミの報じない日本の国際的孤立は、アベノミクスの行方、格差社会に関わる日本経済の長期的趨勢ばかりではありません。日本がひたすら安全保障を、隣国との友好よりアメリカ軍との一体化にのめりこんでいる時期に、当のアメリカはキューバとの国交回復へ、冷戦時代の遺物の壁が、またひとつ崩れました。落ち目のアメリカは、沖縄米軍基地や自衛隊装備高度化、「思いやり」予算風財政負担を求めて日本を利用することは既定の方針ですが、自らの世界戦略に日本の意見を聞くことはありません。忠犬ポチや貯金箱にはなれても、対等のパートナーになることは、リップサービス以外ではありえません。中国とアメリカは、それぞれの世界戦略と思惑から、EUやBRICS,ASEAN諸国の支持をも取り付け・調達して、連合国(=国連United Nations)の戦勝 70周年の世界再編を試みています。ドイツのメルケル首相が、安倍首相にAIIB参加をよびかけていたというのは、ドイツの脱原発決定と同じように、戦後世界への歴史的・倫理的責任にもとづいてのものでしょう。戦後40年目の1985年に、旧枢軸国の西独ヴァイツゼッカー大統領が世界に発した、「過去に眼を閉ざす者は、未来に 対してもやはり盲目となる」という宣言と東西統一・自主外交の延長上にあります。
ところが1985年の日本は、中曽根内閣とバブル経済のさなかでした。「戦後政治の総決算」を、当時の中曽根首相は、靖国神社参拝と「国家というのは、日本のような場合、自然的共同体として発生しており、契約国家ではない。勝っても国家、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民。汚辱を捨て、栄光を求めて進むのが国家であり国民の姿である」と述べて、国際的に物議をかもしました。慰安婦問題での「河野談話」、戦後50年の「村山談話」は、「ベルリンの壁」開放・冷戦崩壊・ドイツ統一後、日本でのバブル経済破綻後に、いわばドイツより一周遅れで、アジア諸国への「植民地支配と侵略戦争」を抽象的なかたちであれ認め「謝罪」し、旧枢軸国が国際社会での信頼を回復しようとしたものでした。いま安倍内閣のもとで「粛々と」進む、集団的自衛権発動と改憲、大量のプルトニウムを保持しての原発再稼働、米軍基地の沖縄県内での移転強制は、その流れを逆転するバックラッシュです。 「粛々」とは 、翁長沖縄県知事が述べたように、「上から目線」「問答無用」という意味です。海外の声ばかりか、国民の声も、高浜原発再稼働停止の裁判所の仮処分決定も無視されて、「いつかきた道」への逆戻りです。
この間の「731部隊二木秀雄の免責と復権」研究で調べていくと、2年前の13年5月に安倍首相が宮城県松島の航空自衛隊基地を訪問したさい、「ブルーインパルス」の練習機「731」号に乗った写真が「731部隊」細菌戦・人体実験を連想させると世界中で報道された余韻が、今でもウェブでくり返されていることがわかりました。細菌戦被害者を出した中国や韓国の新聞はもとより、英語圏でもたくさん出てきます。日本語メディアではわからない、4月13日京都での731部隊を検証する日本人医師・医学者の会の模様は、翌日には韓国で大きく映像付きで報じられました。前回「もしも731部隊が日中韓歴史認識の大きな争点になったら」と問いかけましたが、すでに細菌戦国家賠償裁判やハルビン731博物館建設を通じて、かなり大きな争点になっているようです。
「二木秀雄」については、その後もさまざまな情報が集まりつつあります。金沢一中(現金沢泉丘高校)、旧制四高の同期生や同窓生の中に、石井四郎、増田知貞、石川太刀雄、岡本耕造ら731部隊の要人が含まれています。京大医学部、金沢医大が、中堅幹部・技師の供給源だったようです。もちろん東大医学部・伝染病研究所、慶応大学医学部等も、当時東大にほぼ匹敵する予算で研究ができた731部隊に、若い研究者を送り込みました。日本の医学・医師を戦争のために動員する巨大プロジェクトでした。結核班長二木秀雄自身の加わった人体実験も、旧ソ連ハバロフスク裁判西俊英証言、中国での秦正氏供述、それに戦犯免責と引き替えでの米軍ヒル報告と、米ソ中3国の資料で裏付けがとれました。西野瑠美子さんの集めた隊員の証言では、もともと梅毒スピロヘータの研究で医学博士となった二木は、従軍慰安婦を使って性病の感染実験を行い、捕虜の「マルタ」におぞましい梅毒実験を強制していました。中国での榊原秀夫の戦犯供述には、「二木は前の企画部長で非常な活動家、相当勢力ある男」と出てきます。「情報収集センター(歴史探偵)」のパワポ原稿は、3月28日報告「731部隊二木秀雄の免責と復権――占領期輿論』『政界ジープ』『医学のとびら』誌から」にバージョンアップされています(時事通信高田記者がコラムにしてくれました)。引き続き、雑誌『輿論』『政界ジープ』表紙カバーと「暫定総目次」を掲げて欠号を捜し、皆様からの情報を求めています。学術論文データベ ースに、宮内広利さんの新稿「死の哲学についてーーバタイユの歴史と供犠をめぐって
2015.4.1 東京は桜の花が真っ盛り。でも、なぜ4月1日が新学期なのでしょうか? 昔、大学入試の結果は合格が「サクラ咲く」、不合格は「サクラ散る」の電報で、受験者に届く時代がありましたが、いまはHPやメールです。サクラの花と関係があるのでしょうか? 調べてみると、明治期には欧化にあわせて、9月新学期が普通でした。富国強兵の国策に沿って、1886年から政府の会計年度、陸軍の入隊日4月1日に軍の学校、師範学校、小学校が合わせられ、大正期に旧制高校や帝国大学にも広がったようです。そういえば、ランドセルも、学生服も、セーラー服も…。軍事化・戦争と日本社会の近代化は、きってもきれない関係で、くらしの中に色濃く刻印されています。政府の沖縄・辺野古への米軍基地建設の差別的・強行的態度、鹿児島・川内原発再稼働への原子力ムラの前のめりは、国会での「八紘一宇」や首相の「わが軍」発言の甘い追及と、無縁ではないでしょう。
小出裕章さんが、長らく勤めてきた京都大学原子炉実験所を、定年退職されました。最後の言葉も、すばらしいものです。「福島の事故から、私たちは何を教訓とすべきなのでしょうか? 私の教訓は単純です。原子力発電所で事故が起きてしまえば、今聞いていただいたようにとてつもない被害が出てしまって、回復すらができない、そういうものだ。そしてそういう被害というものは、社会的に困った人たちに、集中的に加えられていくということを教訓にしなければいけないし、2度と原子力発電所などは、動かしてはいけない…。しかし、原子力マフィアはどういう教訓を得たのかというと、どんなにひどい事故を起こしても、どんなに住民に苦難を加えても、自分たちは決して処罰されないという教訓を学んだ」と。「フクシマのウソ」をずっと報道してきたドイツのZDFテレビが、フクシマ4周年にあたって、安倍首相の原発輸出ビジネスを告発する「原子力エネルギーのカムバック」を放映し、警告しました。チュニジアで開かれた世界社会フォーラム(WSF)でも、日本からの反原発フォーラムのよびかけに、大きな反響があったというニュース。決して忘れてはならない出来事が進行し、戦争への足音が聞こえてくる春です。
中国のよびかけたアジアインフラ投資銀行(AIIB)設立に、アジアの大半の国々、ヨーロッパ諸国、3月末には台湾までが参加して48か国・地域、新自由主義のもとでのアジア経済圏が、大きく再編されようとしています。アジア開発銀行(ADB)67か国・地域を主導してきたと自負する日本政府は、アメリカの顔を伺い、参加を見合わせました。しかしアメリカ自身、最高の同盟国イギリスをはじめオーストラリアまで加わるのを見て、当初の見通しの甘さに気づき、前向きの様子見に変わってきました。「ジャパメリカからチャイメリカへ」のグローバルな流れです。1950年、アメリカが中華人民共和国成立を敵視している間に、イギリスがいち早く承認して朝鮮戦争に突入していった事態を、想起させます。占領下の日本は、アメリカの前線基地にされたばかりでなく、実際には秘かに参戦し、戦死者も出していました。
そして、日本は日米安保で蚊帳の外におかれたまま、1970年代はじめに、寝耳に水の米中接近・ニクソンショックでした。忘れてはなりません。エドワード・スノーデンの暴露した米国の戦略的機密文書によると、米国の信頼する「ファイブ・アイズ(包括的協力国)」に入っているのはイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドだけで、日本は、ドイツなど20か国の「限定的協力国」の一つにすぎず、電話もメールも盗聴される側なのです。そして、経済情報が21世紀インテリジェンス・情報戦の中心になりつつある時代に、左図でAIIBに不参加の国はどのくらい?…。第二次世界大戦前の「満州国」に固執した国際連盟脱退、日独同盟の悲劇をも想起させます。
安倍首相にとっては、尖閣問題や竹島問題で対立する中国主導・韓国参加のAIIBの流れに逆らいたいということでしょうが、もともと今年は、日中韓の歴史認識が世界から注目される「戦後70年」です。「従軍慰安婦」問題を「人身売買」に矮小化した安倍首相の発言、4/29米国議会演説・8/15「首相談話」の中身がクローズアップされていますが、これまでの「侵略」や「植民地支配」に含意されているのは、「慰安婦」や「靖国」問題にとどまりません。「満州事変」に始まる15年戦争の全体、「満州国」から南京大虐殺、重慶無差別爆撃、三光作戦など、敗戦までの全過程が含まれます。去る3月28日の早稲田大学20世紀メディア研究所公開研究会報告「731部隊二木秀雄の免責と復権」から私も発言を始めた、日本の細菌戦・人体実験問題も、調べてみると、中国・韓国側から日本の「歴史認識」を問う大きな争点になっています。本来なら国際法違反の明白な石井四郎らの細菌戦は、占領期にデータを米軍に提供して戦犯訴追をまねがれる密約により、免責されました。天皇戦犯を要求した朝鮮戦争直前のソ連ハバロフスク裁判は、中国内戦・米ソ冷戦下でうやむやにされました。731部隊の本格的研究は、1981年の森村誠一『悪魔の飽食』ベストセラー、常石敬一『消えた細菌戦部隊 関東軍第731部隊』刊行から国際問題化します。ちょうど「侵略」を「進出」と書き換えさせた文部省の教科書検定が韓国・中国の抗議をうけた頃です。
ただし、当時は細菌戦の被害者の証言が少なく、日本国内と欧米での科学者・歴史家・ジャーナリストの探求から事実が発掘されてきました。それが21世紀に入ると、中国や韓国でペスト菌散布や人体実験の資料と証言が大量に出てきて、戦争犯罪を隠蔽してきた日本政府、それに免責でデータを蓄積してきた米国政府の責任も、追及されるようになりました。本サイトで何度か紹介し、私個人は『CIA日本人ファイル』の資料集を編んだ米国国立公文書館(NARA)のIWG機密解除ファイルの目玉の一つが、731部隊・細菌戦関係です。日本のネトウヨ・サイトには、731部隊の犯罪そのものを「つくり話」として否定する議論も散見されますが、これがもしも安倍首相の話として世界に広まり、本格的争点となったらと考えると、恐ろしくなります。
この問題に、二木秀雄という石井四郎側近・結核班長の戦後の軌跡から研究を始めた私の中間報告は、幸い大きな反響がありました。なぜかつい最近、日本語版wikipediaにも「二木秀雄」と、彼が晩年に「総裁」を勤めた「日本イスラム教団」が立項されました。「オウム真理教」のサリンや「イスラム国」関連かもしれません。そこにはいろいろ間違いもありますので、私の方の研究は、3月28日にバージョンアップした当日報告「731部隊二木秀雄の免責と復権――占領期輿論』『政界ジープ』『医学のとびら』誌から」のパワポ原稿を本日更新し、引き続き、雑誌『輿論』『政界ジープ』表紙カバーと「暫定総目次」を掲げて欠号を捜し、皆様からの情報を求め、研究成果を提供していきます
731部隊と原子力ムラは、戦後70年の双生児!
2015.3.26 28日の早稲田大学20世紀メディア研究所公開研究会、最終的に午後2時から、3号館3階304室になったそうです。いずれにしろ私の報告は最後ですので、4時すぎでしょう。
◇ 第91回研究会 :日時 : 3月28日(土)午後2時30分−午後5時 → 午後2時から5時までに変更になりました
・ 場所 : 早稲田大学 早稲田キャンパス 3号館10階 第1-2会議室 → 3号館3階 304教室 に変更になりました
・陳 霖(蘇州大学鳳凰伝媒学院教授):メディア史的叙述の視点ー前坂俊之『太平洋戦争と新聞』から見ると(通訳付 き)・安野 一之(早稲田大学現代政治経済研究所研究協力者):CLO文書に見る宣伝用刊行物没収
・宮杉 浩泰 (明治大学研究・知財戦略機構研究推進員):昭和戦前期陸軍の対ソ連通信諜報活動――島内志剛文書を中心に
・加藤 哲郎 (早稲田大学客員教授):731部隊二木秀雄の免責と復権――占領期輿論』『政界ジープ』『医学のとびら』誌から
2015.3.19 ついに国会では、「八紘一宇」という言葉が、堂々とまかり通るようになりました。福島の現地では、「プラスとはいわない。せめてマイナスをゼロにしてほしい」という漁業者の痛切な叫び、「中通り・浜通り・元通り」という願いを、聞いてきました。下記の3月28日早稲田大学20世紀メディア研究所公開研究会の会場が、2時半から3号館304教室に変更されたとのことですので、お伝えしておきます。
今月28日(土)の午後2時半から開催されます第91回研究会につきまして、「開催場所」が変更になりました。
変更前:早稲田大学 早稲田キャンパス 3号館10階 第1-2会議室
→変更後:早稲田大学 早稲田キャンパス 3号館3階 304教室
2015.3.11 四年目の3・11です。テレビも新聞も、8月の戦争モノのように、震災復興と原発メルトダウン後の福島を伝えています。しかし、現実はそう単色ではないでしょう。ちょうど14日(土)に「2015原発のない福島を! 県民大集会」があるというので、フクシマの現在を見にいってきます。ドイツのメルケル首相が来日、戦後70年の歴史認識でも、脱原発・廃炉から再生可能エネルギーへの転換でも、ドイツから学ぶべきことは多いはずですが、改憲・軍事化・原発再稼働にのめりこむ安倍首相は、聞く耳を持たないようです。3月7日にベルリンでは、フクシマ原発事故4周年の脱原発デモが盛大に行われました。次回更新予定の15日前後はフクシマですので、少し早めの短い更新とし、3月1日号も残しておきます。10日は東京大空襲70周年、スターリン大粛清前のキーロフ暗殺を想起させるロシアの野党指導者暗殺、日本のテレビでは絶対みられないVICE NEWS の映像報道「Japan vs. the Islamic State」なども気になりますが、3・11の歴史的意味を、現地で考えてこようと思います。
3月28日(土)午後2時30分から、早稲田大学3号館10階 第1-2会議室 で、20世紀メディア研究所公開研究会が開かれます。私も「情報収集センター(歴史探偵)」「2015年の尋ね人」で皆様にお願いした「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください! 」について、中間報告します。
「731部隊二木秀雄の免責と復権ーー占領期『輿論』『政界ジープ』『医学のとびら』誌から」と題して、おおまかな内容は、すでにパワポ草稿になっていますから、ご関心の向きは、カラーpdfをダウンロードし、あらかじめご一読ください。当日は限られた時間の報告で、配付資料も縮小した白黒コピーで見にくくなると思いますので。
もっとも、基礎資料となる二木秀雄が敗戦直後の金沢で発行した旬刊『輿論』の創刊号など数号が、全国八方手を尽くしても、見つかりません。二木が上京して1946年8月から56年頃まで刊行した時局雑誌『政界ジープ』についても、プランゲ文庫にも国会図書館にも欠号があり、特に朝鮮戦争から「政界ジープ恐喝事件」廃刊までの50年代のバックナンバーが、「日本の古本屋」等で収集しても、欠号が数多くあります。そこでこれらについては、敢えて本サイトに現時点で収集できた表紙カバーと、判明した「総目次」を掲げ公開して、皆さんの協力を仰ぎます。下記リストの「総目次」に号数だけ掲げて目次の入っていないものが、探索中のものです。お心あたりの方は、katote@ff.iij4u.or.jpまでご連絡ください。
731部隊の戦後についての研究は、昨年11月のゾルゲ・尾崎秀実70周年記念国際シンポジウムから始めたもので、長く取り組んできた専門家の皆さんからすれば、いろいろ問題があるでしょう。その国際シンポジウム記録が、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第42号に掲載されましたので、私の報告と時事通信・高田記者の参加記をアップロードしておきます。その後に、二木秀雄・石川太刀雄ら731部隊に関係した医師・医学者の言説を『輿論』や『政界ジープ』を追って見いだしたものは、3・11直後に始めた日本の原子力発電を推進した物理学者・自然科学者の言説研究で見いだしたものと驚くほど似ており、双生児とも呼ぶべきものでした。直接的関係では、今回報告する731部隊・金沢医大の病理学者石川太刀雄は、米軍原爆傷害調査団(ABCC)の一員で、都築正男・嵯峨根遼吉とほぼ同時期(1945年12月)に原爆についての論文を発表して「原子力主義」の時代到来を告げ、盟友二木秀雄は、『輿論』創刊時から「原子力の平和利用・産業利用」を提唱しています。ヒロシマで被曝の検査だけして治療を行わなかった医師・医学者たちのなかに、中国戦線で人体実験をしていた731 部隊関係者が入っていました。そして、日本軍の原爆開発に協力した核物理学者たちも、国際法違反の細菌戦を推進した医学者たちも、共に実験データ・専門知識を米国に提供することで、戦犯訴追をまねがれました。何よりも、戦争協力から占領軍追随への転身の論理、「純粋な科学研究のため」「いつかは人類に役に立つ」という、身勝手な弁解が共通します。731部隊員の供述記録には「どうせ殺されるマルタの命を、将来の人類のために役立てた」といった開き直りが見えます。
日本に入った占領軍GHQの最初に直面した問題は、感染症の蔓延でした。当時世界最高の死亡率だった結核をはじめ、天然痘、発疹チフス、日本脳炎、性病から米兵を守るために、日本の医師・医学者の動員とウィルス研究、ワクチン開発・投与が必要でした。そこに、当時の日本の医学の最先端にあった731関係者も動員され復権していきます。GHQ公衆衛生福祉局(PHW)と厚生省がそうした「専門家」を登用し、新制大学の医学部に「白い巨塔」が復活していきます。原爆開発関係者の登用は、サンフランシスコ講和後に、「原子力の平和利用」が原子力発電に具体化することで本格化します。指導者には米国留学の道が準備されました。やがて通産省・科学技術庁・財界と結びつき「原子力ムラ」へと増殖し、安全神話を広めていきます。3・11福島第一原発のメルトダウン後、かつての731・ABCCの流れと結びついて、放射能の危険を過小評価し、原発再稼働を推進しています。ひとのいのちよりも科学と技術の進歩、まずはエネルギー供給と経済成長、という科学主義・生産力主義が、731と原子力ムラに共通する発想です。731医学をはじめ、戦争協力の科学を十分反省せずに戦後にひきついだことが、ドイツとは異なる日本の戦後70年に刻印されたようです。
暴力と戦争への疾走は、始まった!
2015.3.1 2月の後半は他の月より短いとはいえ、それだけではないようです。もうすぐ4年目の3・11が巡ってくると言うのに、福島原発の方は、また高濃度汚染水の海への垂れ流しで、時間が止まったまま。それに対して、東京の永田町・霞ヶ関界隈では、異様なスピードで時間が進みます。安倍内閣の改憲・軍事化への疾走テンポです。米軍と警察の暴力が、沖縄では辺野古の反対運動リーダーを治外法権の刑事特別法違反で逮捕、経産省前の脱原発テント村にはテント撤去の地裁判決で仮処分執行の危機、こどもたちの世界では「イスラム国」のテロル映像を真似たような、おぞましい事件も。安倍内閣は、早速自衛隊の海外派兵事由を「邦人救出」へとエスカレート、特措法を恒久法に変えていつでも世界中に出て行く構え、世界的に暴力が横行するもとで、日本の参戦への道が次々としかれていきます。自衛隊における文官統制の破棄も、改憲への具体的行程も、迫ってきました。さすがに自民党の中からも、河野洋平元衆院議長の「今は保守政治というより右翼政治」発言をはじめ、野中広務、山崎拓、古賀誠、福田康夫らの長老も、苦言を呈しています。ちなみに河野「右翼」発言を報じたニューヨーク・タイムズの英語は「ultra right(極右)」、前回紹介した右の風刺画の延長上で、「『right』だけでは弱すぎ、ニュアンスが伝わらないと考えた」とのことです。納得できます。
国会では、閣僚の政治資金の問題で野党攻勢のようにも見えますが、日本の将来に関わる基本路線についての討論は、まだ聞こえてきません。「戦後70年談話」についての有識者会議・北岡伸一座長代理が、与党自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」講演で、「歴史問題を口実に安全保障政策で横車をおしてくる国が2つ、3つある」「日本はとても信頼されている国だ。しかし、海外の日本研究者は多くが、朝日新聞や岩波書店などが『日本の良識』だと勘違いしている。政府を批判するだけで責任ある言論だといえるのだろうか」と述べたそうです。河野洋平と、北岡伸一と、どちらが「日本の良識」でしょうか。北岡氏は同業者ながら、迷惑です。「謝罪という言葉が談話の主になるのは変だ。もっと謝罪しろとあまりに行きすぎると日本国内の反韓、反中意識を高め、かえって和解を難しくする」と奇妙な論理を使っていますが、「70年談話」の中身がそうなるということでしょう。恐ろしいことです。
歴史認識は、戦後70年における私の研究テーマの一つです。「情報収集センター(歴史探偵)」「2015年の尋ね人」で皆様にお願いした「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください! 」は、金沢の丸山さんからご教示いただいた敗戦直後金沢の地方雑誌『輿論』(『政界ジープ』の前身)と、731事件研究の方からの1945年8−9月金沢「仮本部」設置の話を重ね合わせて、その両方に関わる二木秀雄・石川太刀雄を軸に戦後の軌跡を辿り、私たちの歴史認識の、大きな欠落部分が見えてきました。医師・医学者たちの戦争協力と、その「反省」のあり方の問題です。詳しくは、3月28日(土)午後2時30分早稲田大学3号館10階 第1-2会議室 での20世紀メディア研究所公開研究会で、「731部隊二木秀雄の免責と復権ーー占領期『輿論』『政界ジープ』『医学のとびら』誌から」と題して中間報告する予定ですが、戦後も早い時期から、石井四郎以下731部隊関係者は秘かに連絡網を作り、国際法違反の細菌戦・人体実験の形跡を隠し、やがて米軍G2ウィロビー将軍・亀井貫一郎らを通して「純科学的実験だった」と弁明しながらGHQの調査に協力し、ついには人体実験データを戦犯免責と取引し、東京裁判中にはほぼ「免責」を米国側と合意(鎌倉会議)していたことがわかりました。昭和天皇の免責、原爆製造の理研・仁科芳雄らの免責と、パラレルです。二木秀雄は、731部隊結核班長であるばかりでなく、関東軍と協力して細菌戦戦略・戦術を立案する企画課長を兼ねた石井四郎の側近でした。実際に人体実験をした証言・記録もみつかりました。おぞましいことに、結核の生体実験ばかりでなく、西野瑠美子さんによると、梅毒・性病の専門家でその生体実験もしていました。これが戦後1949年の厚生省・文部省・労働省後援「性生活展」主催、『政界ジープ』の「受胎調節」特集に連なります。二木秀雄は、731部隊と従軍慰安婦問題を結ぶキーパースンでした。1945−46年金沢の『輿論』誌は、天皇制の世論調査についても、731部隊石川太刀雄の原爆についての本格的論考についてもきわめて注目すべき、貴重で先駆的な雑誌でした。それが二木秀雄の上京でジープ社創設、1946年8月『政界ジープ』誌発刊につながるのですが、それは左派のライバル誌1946年3月『真相』誌と共に、「カストリ雑誌」とは規定しがたい重要な戦後政治資料、時局雑誌でした。初期は尾崎行雄・長谷川如是閑・鈴木安蔵・高倉テルらが民主化の論調を作っていました。…この辺を28日報告の予告編として、次回は「免責から復権へ」つまり、二木秀雄のジープ社による厚生省医務局編『とびら』『医学のとびら』刊行、内藤良一との日本ブラッドバンク創設、そして朝鮮戦争期の細菌戦復活までの概略を紹介しましょう。乞う、ご期待!
いま、沖縄では、川内では?
2015.2.15 フランスで、デンマークで、風刺画がテロのきっかけになり、憎悪と対立を増幅しています。米国のNEW YORK TIMES 2月8日 に、一つの風刺画が掲載されました。イスラム教徒が敬愛するムハンマドではないし、いくつかの日本語サイトに既に転載されていますから、ここに出しておきましょう。注釈は短く、「Could ISIS Push Japan to Depart From Pacifism?(イスラム国は日本を平和主義から離脱させることができるか)」「After the killing of Japanese journalist Kenji Goto, President Shinzo Abe called for revenge.(日本人ジャーナリスト・ケンジ・ゴトーが殺されて、シンゾー・アベ首相はリベンジをよびかけた)」。風刺画の中に、「憲法改正」が書き込まれています。現在の日本の政治状況への、強烈な皮肉です。海外の日本に関心を持つ人々が毎日覗く英語の日本ニュースサイト「JAPAN TODAY」には、前回紹介したNYT1月29日記事「U.S. Textbook Skews History, Prime Minister of Japan Says」、つまり「日本の安倍首相が、アメリカの歴史教科書の慰安婦に関する「誤った」記述を批判し訂正すべきことを積極的に発信する意欲を示した」ニュースに対する、大きな反響が出ています。「Japan's global PR message could misfire with focus on wartime past」、つまり日本のグローバルPRキャンペーンは、巨額の予算を使いながら、ソフトパワーとして失敗したというもので、124人のコメントも寄せられています。オバマ大統領が中国と日本の首脳招待を同時に発表したニュースと重なり、首相に近い作家曾野綾子のアパルトヘイト容認発言も飛び出して、世界の注目を集めています。フクシマ原発事故についての世界の風刺画も加えて見ると、不吉な「戦後70年」の滑り出しです。
もっとも安倍首相ご本人には、国内の反対意見も海外からの批判も、「雑音」としてしか聞こえないようです。12日の国会での首相の施政方針演説は、岩倉具視ほか先人の言葉を散りばめながら、「戦後以来の大改革」を声高に叫ぶ、勇ましいものでした。「戦後70年」とありますから、日本国憲法制定を軸に、秘密警察廃止・労働組合奨励・婦人解放・教育自由化・経済民主化の5大指令、財閥解体や農地改革の歴史的評価が出てくるかと思ったら、戦後1600万人の農業人口が8分の1に減った話くらいで、「戦後」の内実抜きに「女性が輝く社会」「憲法改正に向けた国民的な議論」に前のめりです。「戦後70年談話」の中身が思いやられます。この間、安倍内閣によって、世界に通用しない日本語の書き換えが進められました。平和学において戦争・紛争の根拠となる貧困や差別、構造的暴力をなくすヨハン・ガルトゥングの概念を換骨奪胎した「積極的平和主義」、「武器輸出3原則」を骨抜きにした「防衛装備移転3原則」、そして「政府開発援助(ODA)大綱」にこっそり他国軍への援助を盛り込んで名を変えた「開発協力大綱」。これらこそどうやら、「戦後以来の大改革」の内実であり、進行方向のようです。「イスラム国」の日本人人質2名殺害事件にあたっての日本政府の動きは、その後のTBS「報道特集」の検証や「世に倦む日日」さんサイトの問題提起に照らしても、前回論じた2人の渡航理由、総選挙前の11月からの地下での外務省の動き・解放交渉など、謎は深まるばかりですが、特定秘密保護法の名のもとに、闇に葬り去られようとしています。マスメディアやネトウヨサイトで、やたら「国益」や「国策」が使われるようになったのも、「いつか来た道」の言説回帰です。海外からは、「日本帝国主義」という反響が、こだましてきそうです。
そんな時であればこそ、マスコミからは見放された沖縄・辺野古の動き、鹿児島・川内原発の動きを、自分で意識的に追いかけないと、状況に流されてしまいます。沖縄なら琉球新報、沖縄タイムスの地元二大紙ががんばっていますから「お気に入り」に入れ、川内から高浜へと2焦点化した原発再稼働については「たんぽぽ舎」や「再稼働阻止全国ネットワーク」を毎日覗いて、東京や大阪の人々は「明日は我が身」とイメージしましょう。中央政府の独断専行で、辺野古ではサンゴが破壊され、川内では火山噴火リスクが切り詰められて、地域の人々のくらしといのちが削られようとしています。『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)から出発して、「情報収集センター(歴史探偵)」「2015年の尋ね人」ページに移した「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」には、その後も多くの情報が寄せられています。中国大陸での731部隊の細菌戦・人体実験、戦後金沢で進められた幹部たちの史料隠蔽・口裏あわせ、河辺虎四郎・有末精三・服部卓四郎に亀井貫一郎を加えたGHQ・G2ウィロビー将軍に対する免責工作、帝銀事件・シベリア抑留との関係、さらには朝鮮戦争と日本再軍備に便乗した血液ビジネスへの参入、厚生省・医薬産業・医療機器メーカーとの癒着、雑誌『医学のとびら』を創刊しての医学界での復権・支配の構図、等々も見えてきました。「2015年の尋ね人」の記述は、必要最小限の加筆・修正で、ヴァージョン・アップしておきました。学術論文データベ ースに、常連宮内広利さんの「歴史と神話の起源ーー起源までとどく歴史観を求めて」(2015.2)を新たにアップ。
私たちはいま、戦前なのか、戦中なのか
2015.2.1 数日前に、ドイツ人の友人から、メールでアメリカの新聞記事が送られてきました。ニューヨーク・タイムズ1月29日の記事で、「U.S. Textbook Skews History, Prime Minister of Japan Says」、つまり日本の安倍首相が、アメリカの歴史教科書の偏向を批判したという長文の記事です。東洋経済オンラインの「The New York Times」にはまだ出ていません。特約があるはずの朝日新聞も報じません。ようやくライブドアーニュースに、「安倍首相、米教科書の慰安婦に関する「誤った」記述を批判、訂正すべきことを積極的に発信する意欲示す―米紙」という短い紹介記事をみつけました。
ーー「ニューヨーク・タイムズは29日、安倍首相が米国の高校で使用されている教科書で、第二次世界大戦中の日本軍と慰安婦に関して誤った記述がされているとして批判したと報じた。安倍首相が29日の衆院予算員会で発言したもので、米出版社マグロウヒルが出版している教科書の慰安婦に関する記述を目にしてがくぜんとしたと述べ、「訂正すべきことは訂正すべきだと発言してこなかった結果、米国でこのような教科書が使われている」と語ったと報じている。安倍首相は、第二次世界大戦における日本に関して誤って捉えられている点を積極的に正していく姿勢を示したと伝えている。問題となっている教科書の中では、第二次世界大戦中に、日本軍が約20万人の14〜20歳の女性を連行し、慰安婦として徴用したといった記述がされており、日本の外務省が今月、マグロウヒルに訂正を要請したが、マグロウヒルは「歴史的事実に基づいた記述である」として、訂正を拒否したことも伝えている」ーー
というものですが、これは国会での首相の公式発言であり、NYTの原文を見る限り、かつて韓国や中国から批判され、その後のアジア外交の大きな障害となった「歴史教科書問題」の最新日米版です。しかしこうした問題が、「イスラム国」の日本人人質・殺害問題が大々的に報じられる日本のマスコミの中では、ニュースにもなりません。NYTは1月16日にコネチカット大学アレクシス・ダデン(Alexis Dudden)教授の「予期される日本の形」を掲載していましたが、これは産経新聞・古森義久客員特派員の眼鏡をくぐって、「米国人歴史学者がNYタイムズ上で日本悪玉論を大展開 安倍政権の対外政策を「膨張主義」と断定」という米国リベラル派批判記事になっています。
「イスラム国」を名乗るテロリスト集団は、人質のジャーナリスト後藤健二氏を、ついに殺害しました。残虐です。残念です。そのさいのビデオ・メッセージには、「日本政府よ。邪悪な有志連合を構成する愚かな同盟諸国のように、お前たちはまだ、我々がアラーの加護により、権威と力を持ったカリフ国家であることを理解していない。軍すべてがお前たちの血に飢えている。安倍(首相)よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって、このナイフは健二だけを殺害するのではなく、お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう」となっているそうです。まったく不当な、殺人者・テロリストの論理ですが、どうもそこには、現在の国際社会における日本の位置と、日本の国内政治についての海外イメージをも測っての、狡猾で計算高い情報戦が、垣間見えます。残念なことに、後藤健二氏の死によって、この事件を将来事実に基づいて冷静に理解する貴重な機会と証言の一部を、永遠に失いました。この事件については、すでにWikipedia日本語版の新しい項目「イスラム国日本人拘束事件」が立ち上がっていますが、未完成のままで、別のタイトルになりそうです。あまりに謎が多く、名付けそのものが難しそうです。例えば、(1)昨年8月「イスラム国」に入り捕まって、今回最初に犠牲となった日本人、「民間軍事会社PMC JAPAN」湯川はるな氏についての情報不足。彼は、何のために、誰を頼って、どこから資金を調達して、何をしようとしていたのか? ウェブ上には様々な情報が写真入りで飛び交い、逆に公式メディアには、ほとんど情報がありません。(2)後藤氏の10月入国目的についても、はっきりしません。この一週間の後藤氏を英雄扱いした報道は、いわゆるスクープ狙いでなく、戦地のこどもたちや女性・老人たちの姿を伝える後藤氏のジャーナリスト報道を讃えており、それは確かに貴重なのですが、それならなぜ、10月の後藤氏は、目的を湯川氏の救済にしぼって出かけなければならなかったのでしょうか? たんに友人であり、湯川氏の以前の活動に同行したことがあったからという理由で、「自己責任」を強調して危険の中に飛び込んでいくほどの、ジャーナリストとしての使命があったのでしょうか?
(3)日本政府は、11月初めには後藤さんが拉致された事実をつかんでいたようです。後藤氏の夫人は、外務省の外郭機関勤務で、「イスラム国」の拉致グループとはやくから交信し、身代金要求と釈放交渉のルートも、昨年から開かれていたようです。しかし、そうした事実は、この間の2億ドルという法外な身代金要求が、「イスラム国」側から映像で一方的に流されるまで、まったく秘匿されてきました。しかも、最終局面では、夫人の音声によるメッセージを流せという、奇妙な要求まで出てきました。不可解な情報戦です。(4)2億ドルという公開映像での二人についての身代金要求は、明らかに、安倍首相の中東訪問のまっ最中に、1月17日にエジプトで安倍首相が「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と述べた金額に呼応したものでしょう。19日には、イスラエルと日本の国旗の前で、イスラエル・ネタニアフ首相と関係強化をうたったとたんに、「イスラム国」はこれらを「十字軍に加わった」とみなして、最初の要求を出してきました。孫崎享・元駐イラン大使が「安倍外交が『イスラム国』のテロを誘発したと述べる根拠です。外務省は、すでに後藤夫人に届いた要求を知り、二人の解放をめざして早くから対策事務所まで設置していたといいますから、相手側には挑発と受け止められたでしょう。情報戦のミスです。(5)問題を、そもそもの始まりから見ることも必要です。9・11以後のアメリカの中東政策、直接にはイラク戦争が「イスラム国」を産んだことは、よく知られています。今日の NHKスペシャルによると、米軍収容所内でのスンニ派原理主義者と旧フセイン軍幹部の結びつきのようです。こうした問題の重層と錯綜のうえに、今回の事件は、日本と「イスラム国」との関係では、始まったばかりです。後藤氏殺害メッセージの末尾は、「イスラム国」の日本に対する宣戦布告です。
ドイツ人の友人から、もう一つのメールが届きました。元ドイツ大統領ワイツゼッカーの死のニュースです。1985年の敗戦40周年演説「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」は、日本でもよく知られ、繰り返し読まれてきました。上記の安倍首相による日米教科書問題の提起は、世界では「過去に目を閉ざす」方向として、受け止められています。「マスコミに載らない海外記事」のトップには、「人質問題を再軍備推進に利用する日本政府」という記事が出ています。『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)から出発して、「情報収集センター(歴史探偵)」「2015年の尋ね人」ページに移した「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」には、その後も多くの情報が寄せられ、日本で「目を閉ざして」きた歴史的問題の一つ、中国大陸での731部隊の細菌戦・人体実験、その幹部たちの史料隠蔽、GHQに対する免責工作、さらには朝鮮戦争と日本再軍備に便乗した血液ビジネスへの参入、厚生省との癒着、医学界での復権・支配の構図も、見えてきました。「2015年の尋ね人」の記述は、必要最小限の加筆・修正で、ヴァージョン・アップしておきました。戦後70年になって、再びドイツと日本の歴史認識が、世界から注目されます。ワイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説のさい、当時の日本の首相は中曽根康弘で、「戦後政治の総決算」を唱え、靖国神社に公式参拝しました。特にワイツゼッカー演説と対比されたのが、同年自民党軽井沢セミナーでの中曽根首相の発言「国家というのは、日本のような場合、自然的共同体として発生しており、契約国家ではない。勝っても国家、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民。汚辱を捨て、栄光を求めて進むのが国家であり国民の姿である」という、国家主義的戦後40年演説でした。バブル経済のさなかで、翌年には、日本人の知的水準はアメリカより高いという黒人差別発言まで飛び出し、米国からも批判されました。冷戦末期の中曽根内閣期と、21世紀に入った現在の国際環境は違いますが、私たちはいま、戦前にあるのでしょうか、もはや戦中なのでしょうか? 安倍首相が、「自然的共同体」を自称する「イスラム国家」の宣戦布告にどのように応えるかで、私たちは、中曽根風「国民」にされかねないのです。
いま改めて「100人の地球村」を読み直す
2015.1.15 フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」の風刺漫画家らに対するイスラム系テロ組織の銃撃に発する、新年のフランスでの連続テロ事件とヨーロッパの反テロ集会・デモは、難しい問題を孕んでいます。イスラム教徒全体を敵と見なしかねない、「文明の衝突」風の言説も見られます。かつて、9・11同時多発テロの後のアメリカでも見られた、愛国主義的・排外主義的熱狂も気がかりです。日本からは遠い国の出来事のように見えても、従軍慰安婦問題を報じた元朝日新聞記者への個人攻撃や脅迫、インターネットを格好の動員手段としたヘイトスピーチの横行、「死ね」とか「出て行け」「売国奴」といったレッテル貼りは同じです。2001年の9・11の後に世界で繰り広げられた非戦平和の運動については、本HP「イマジン」に、たくさんの記録が保存されています。当時の運動のスローガン「No Terrorism, No Revenge, No War!」「Killing More is not the Answer」を、改めて掲げておきます。
9・11直後の日本で、燎原の火のように広がった一篇の詩がありました。本HPにその経過が記録されている「100人の地球村」です。
IMAGINE! もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には──
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です
70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有していますこの「100人の地球村」の描く状況は、2015年の今も、ほとんど変わっていません。グローバリズムのもとで格差は拡大し、富の独占も続いています。一つだけ大きく変わった点が、最後の1行です。現在地球中でパソコン・インターネットの世帯普及率は40%、携帯電話・スマホまで含めると、100%に達しています。コミュニケーション手段だけは、21世紀に急速に広がったのです。だからこそ富を独占してきた米国は、NSA/CIAの世界通信情報監視システム「バウンドレス・インフォーマント」「プリズム」や「エシュロン」を用いて世界の隅々まで日常的に監視・盗聴し、他方、「イスラム国」の方は、SNSやyou tubeを用いて世界中の矛盾・軋轢・不満の情念を動員しようとしています。20世紀の終わりに本カレッジが「機動戦・陣地戦から情報戦へ」というテーゼを打ち出した時には、軍事力・経済力から知力・交渉力へと政治・外交舞台の基軸が平和的に転移することを想定し、期待していました。しかし、情報戦も戦争の一種で、武力・財力と結びつき人命をも奪いうるという方が、現実の進行だったようです。 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)から出発して、「情報収集センター(歴史探偵)」「2015年の尋ね人」ページに移した「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」に、皆さんから多くの情報が集まっていますが、どうやら軍部・財界と知の世界の結びつきは、占領軍によって「解放」され、本格的な「言論・出版・学問の自由」を得た70年前の敗戦直後から、始まっていたようです。1946年8月東京で創刊の『政界ジープ』には、前身がありました。1945年11月石川県金沢市で創刊された旬刊『輿論』、その後継誌月刊『日本輿論』で、731部隊の人体実験資料を米軍からも隠匿して金沢医大で保管し、戦犯免責の交渉材料とした石川太刀雄が、いち早く原爆の解説を書いていました。東京に移った731残党の社主「二木秀雄」の右腕となり編集を受け持った、ジープ社常務取締役・編集局長「久保俊広」は、なんと陸軍中野学校出身で、二代目社長でした。二人は「戦後最大の恐喝事件」とされた「政界ジープ事件」で検挙され、刑を受けた後、奇妙な歩みを見せます。731部隊同窓会幹事長・日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)創設者の一人であった医師二木秀雄は、第一次石油危機時の1975年に、新宿歌舞伎町の病院の患者を組織し「日本イスラム教団」を作って中東産油国の利権に食い込みます。中野学校出身の久保俊広は出版界に巣くって大物総会屋に成り上がるようです。私の戦後70年の歴史の見直しは、宗教まで利用して日本の経済成長の陰で便乗し生き残った、こうした医者・科学者・知識人、旧軍人・政治家の軌跡を追いかけることから始めます。
2015年は、第二次世界戦争終結70周年を考える年に! 2015.1.1 2015年になりました。2011年3・11以来の習いですが、今年も松飾りはつけません。英語版に、A Happy & Peaceful New Year! のみ、入れておきます。総選挙与党圧勝の結果、あまり変わり映えのしない第三次安倍内閣が成立し、憲法改正への長期政権の構えが、明確になりました。原発再稼働、沖縄普天間基地辺野古移転などと共に、総選挙で争点にならず、世論調査では批判意見が多い政策が、次々と実行に移されそうです。肝心のアベノミクスによる景気回復については、希望的観測がたまにあっても、悲観的見通しが圧倒的です。OECDの2014年12月報告は、新自由主義のもとでのトリクルダウン理論は根拠がなかったことを実証的に述べており、輸出大企業の円安誘導による景気浮揚策・富の再分配効果そのものが、破綻しつつあります。より長期には、ようやく邦訳も出たピケティ『21世紀の資本』の資産・所得ベースから見た格差拡大も、明らかです。そして、外交における日米の集団的安全保障・特定秘密保護法体制、隣国中国・韓国との緊張、歴史認識での深い溝、国際的に見れば、日本の孤立は異様で、「右傾化政策が本格化」と評されています。新年は、第二次世界大戦終結70年、世界から注目されます。 私自身の2014年は、前年末の岩波現代全書『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』刊行に続いて、春に 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)を上梓し、11月の「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」国際シンポジウムまで、様々な反響と情報が集まりました。平行して、これまでの資料収集の旅を「『国際歴史探偵』の20年ーー世界の歴史資料館から」という講演記録(法政大学『大原社会問題研究所雑誌』2014年8月号)にまとめ、合わせて加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻(現代史料出版)を編纂しました。大部で高価ですから、ぜひ図書館等にリクエストしてご利用下さい。個人的にもっとも苦労し、安堵したのは、メキシコ大学院大学田中道子教授と共に編纂してきた、スペイン語での日本近現代政治資料集"Política y pensamiento político en Japón 1926-2012"(メキシコ大学院大学出版局、2014)の刊行。もともと私以前に同大学客員教授を勤めた故高畠通敏教授が、1926ー1982年までのスペイン語訳資料集を田中教授と共に編纂し、1987年に2分冊で刊行していたのですが、私が高畠教授の遺志を継ぎ、1983ー2012年までの日本政治の公式決定・政策文書・重要資料を適宜加えて増補し、田中教授以下10人ほどのチームでスペイン語に訳したものです。旧版と合本したので、1000頁になりました。予定より遅れて、2011年東日本大震災・福島原発事故関係の資料を加えることができたのが、ある意味では怪我の功名で、ラテンアメリカで日本に関心を持つ人々の基本教材になるはずです。今年2015年には、メキシコでの田中教授とのもう一つの仕事、『佐野碩と世界演劇』についての論集も、菅孝行さんの編で、書物になる予定です。12月に掲げた「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」は、「2015年の尋ね人」ページに移し、引き続き情報を求めます。 11月に中国・海南島の三亜学院で「ジャパメリカからチャイメリカへ」を講演してきたさい、Yahoo は使えるのにGoogleは使えず、そればかりかGmailが届かないのに気がつきました。早稲田大学大学院の学生たちに、中間レポート試験の問題を中国から出題したつもりだったのですが、帰国後に聞いたら何人かの学生に届いておらず、あわてて試験問題を再送したのですが、その不通の学生たちのアドレスが、GoogleのGmailでした。これが年末に「中国でGmailが使用不能に」という、ロイター発の大きなニュースになって、世界をかけめぐりました。ただ、中国人留学生に聞くと、ずいぶん前からそうで、いろいろ迂回しての交信方法もあるのだそうです。Great Firewall (GFW)という中国政府の広域検閲システムの一環とも言われますが、エドワード・スノーデンが明らかにした米国NSA/CIAの世界通信情報監視システム「バウンドレス・インフォーマント」「プリズム」に比べれば、中国サイバーポリスの人海戦術はささやかなもので、いつかは息切れするでしょう。なにしろ米国NSAは、Microsoft、Yahoo!、Google、Facebook、PalTalk、YouTube、Skype、AOL、Appleなどの巨大IT企業に協力させ、ビッグデータ情報を、丸ごととっていたのですから。第二次世界大戦終結70周年の2015年も、この20世紀大国アメリカと、新興帝国中国との競争的関係を軸に、世界は動くでしょう。日本の私たちも、米国との関係、中国との関係を、改めて深く考え直す機会です。新しい年が、平和で希望がありますように!
ゾルゲ事件関係のファイルが増えてきたので、「情報学研究室」カリキュラムに、情報学研究<専門課程2ーー世界史のなかのゾルゲ事件> をつくりました。それをも下敷きにした新著が、 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)です。正誤表を作りましたので、ご参照ください。チャルマーズ・ジョンソンの新訳『ゾルゲ事件とは何か』(岩波現代文庫)に寄せた「解説」、上海国際シンポジウム報告「国際情報戦としてのゾルゲ事件」(『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』38号、2013年12月刊)なども活字になっています。講演記録で読みやすい「『国際歴史探偵』の20年ーー世界の歴史資料館から」(法政大学『大原社会問題研究所雑誌』2014年8月号)も、私の「国際歴史探偵 」の原点である国崎定洞研究の到達点「国崎定洞ーー亡命知識人の悲劇」(安田常雄他編『東アジアの知識人』第4巻、有志舎)と共に、ぜひご笑覧ください。東京大学出版会から工藤章・田嶋信雄編『戦後日独関係史』が刊行され、私も井関正久・中央大学教授と共著で「戦後日本の知識人とドイツ」を寄稿しています。現代史料出版からは加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻を編纂し、発売されました。概要は、「機密解除文書が明かす戦後日本の真の姿:GHQ文書」(『週刊 新発見 日本の歴史』44号、2014年5月18日)に書き解説していますが、大部で高価ですから、ぜひ図書館等にリクエストしてご利用下さい。
この間の原爆・原発研究を踏まえた岩波現代全書『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』では、(1)労働力を摩滅・破壊する放射線被曝労働の不可避、(2)絶対安全はありえない巨大なリスクを持つ装置産業で、人間の完全制御はありえない、(3)10万年後も残される「未来への暴力」としての核廃棄物、をあげて「核と人類は共存できない」と主張しました。地震列島の日本国民全体が当事者であるのみならず、地球と文明そのものが危機にさらされている、という意味です。その観点から20世紀日本の平和運動・社会主義を見直し、「原子力は、日本の社会主義のアキレス腱だった」と結論づけました。私の脱原発宣言本で、いろいろご意見もあろうかと思いますが、ご笑覧ください。日本ペンクラブでのシンポジウム「島崎藤村と日本ペンクラブ』の報告が活字になっています(『P.E.N.』2014年2月号)。平凡社創業100年記念『こころ』19号特集「私の思い出の1冊」(2014年6月)に寄せた「「私の思い出の1冊・石堂清倫『20世紀の意味』」と共に、アップしておきました。2014年春の勝野金政(かつの・きんまさ)の生涯をロシアに伝えるために、人類学者の故山口昌男さんにならって「日本のソルジェニツィン」としてロシアの人々に紹介し、再評価するモスクワ・ソルジェニツィン・センターでの講演会は、現地でそれなりの関心を惹き、日本の共同通信やロシアの日本語放送「ロシアの声」、それに東京新聞がとりあげてくれました。
学術論文データベ ースには、神戸の弁護士深草徹さんの連続寄稿、「世界に通用しない特定秘密保護法(改訂版) 」、「集団的自衛権を考えるーー北岡伸一批判」(2013.11),「アメリカと比べてこんなにひどい特定秘密保護法」(2013.12) ,「特定秘密保護法廃止のために―問題点をえぐる5本のメス」(2014.1),「立憲主義を守るために秘密保護法が必要との謬論を駁す」,「核燃料サイクルから撤退を」(2014.2),「戦前秘密保全法制から学ぶ」(2014.2),「砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す」(2014.4)、「今、再び特定秘密保護法を考える」(2014.6)、「安保法制懇報告書を読む」(2014.6) などが入っています。宮内広利さんの「柳田國男と折口信夫 〜民俗学の原像をもとめて〜 」(2014.5)、「親鸞における信と不信〜『歎異抄』を読む〜」(2014.9)に続いて「竹内好論ーーナショナリズムと奴隷の論理」(2014.12) 、佐々木洋さん「核開発年表改訂最新版」(2014.9)も、DBにアップされています。日本経済評論社の加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」序論「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」を詳述した講演記録「アメリカニズムと情報戦」(『葦牙』第36号)は、本サイト運営の方法論を示すものです。早稲田大学大学院政治学研究科2014年度大学院講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
第二次世界戦争終結70周年の年に、日本の戦争国家化の足音が聞こえる!
2014.12.15 総選挙結果を聞きながらの更新です。憂鬱な結果です。投票率は、戦後総選挙史上最低の52.66パーセント、案の定、師走の不意打ち選挙に、特定政党につながらない国民の足は、投票所に向かいませんでした。街に出ても、静かな選挙戦でした。ウェブ上での盛り上がりも、感じられません。こうなると、組織政党の出番です。強固な地方組織を持つ自民党、公明党、それに政権批判票をかき集めた共産党の勝利です。自民党はほぼ横ばいとはいえ、公明党を合わせた議席は3分の2、野党当選者にも改憲志向が強いですから、憲法改正発議に十分な議席です。マスコミの争点を「アベノミクス」の是非へと誘導し、消費税10%も、沖縄基地問題も、原発再稼働も、外交・安全保障も争点にならないよう仕組まれた選挙でしたから、ある意味では予想通りです。でも、その結果は、国民生活にも国際社会の中での日本にも、重大な結果をもたらすでしょう。来年は統一地方選挙がありますが、2016年参院選で与党3分の2を許すと、いよいよ改憲への暴走が始まることになります。沖縄選挙区での自民党全敗、米軍基地反対・オール沖縄の勝利が、わずかな希望です。安倍首相は、「強いリーダーシップ」が「信任」されて、4年間のフリーハンドを得たという認識でしょう。憂鬱な開票速報を聞きながら、ドイツの1932年を想い出していました。世界恐慌下の6月総選挙で、ナチ党が社会民主党ほか中間政党を抜いて前回比123議席増230議席の第一党になり、共産党も12議席増89議席と躍進しましたが、パーペン内閣は政局をまとめることができず、11月に再度の解散・総選挙でした。ナチ党は若干議席を減らしましたが第一党を確保、共産党が社民党の凋落分を得てさらに議席を伸ばしましたが、けっきょくヒンデンブルク大統領は33年1月アドルフ・ヒトラーを首相に任命、直後から他党とユダヤ人を弾圧、ワイマール共和国の民主制にもとづいて、ワイマール憲法は停止され、民主主義は死にました。日本の2014年12月総選挙には、ナチス成立期のような熱狂はありませんでしたが、向かっている方向は似ています。忍び寄るファシズム、排外主義・軍国主義化です。これが、杞憂に終わればいいのですが。
この選挙で、自民党は、特定秘密保護法を実施に移したばかりでなく、徹底した情報戦略を採りました。争点をアベノミクスによる景気回復一本にしぼり、直接関係するTPPや消費税、非正規雇用・格差、年金・社会保障さえ、議論を避けました。テレビ局に対しては「公平中立・公正」報道の「お願い」を出して圧力をかけ、「朝まで生テレビ」に批評家出席はなし。もっと恐ろしいのは、NHKの国際放送用に作られたコピー厳禁の内部通達「オレンジブック」での英語表記の統一。「性奴隷」はもとより「従軍慰安婦」の表現もやめて「「those referred to as comfort women [慰安婦と呼ばれる人々]」とせよ、英語圏で普通に使われる「the Nanjing Massacre [南京大虐殺]」は使用不可で「the Nanjing Incident [南京事件]」に統一する、というもの。ほとんどジョージ・オーウェル『1984』「ニュー・スピーク」の世界です。しかも、日本のマスコミはこれを報じることができず、イギリス『The Times』紙の記事によって、公共放送の「取扱注意」内部文書の存在を、英文報道の写真により知らされる屈辱。イギリスBBCでは日本の好感度が5位まで下がっているというのに、日本の選挙後のマスコミは安倍首相のホンネ「改憲訴えたい」の報道ラッシュ。安倍内閣の言論統制・情報誘導は、「電通」の力をも使って、ここまで来ています。これも、「いつかきた道」です。
ただし来たる2015年は、第二次世界大戦終結70周年、世界中で日独伊枢軸の敗北と「連合国=国連(The United Nations)」の勝利が振り返られます。そこで、安倍内閣の右傾化・排外主義路線が、問題にならないはずがありません。領土問題も靖国神社も性奴隷も、1945年時点に遡って、ドイツやイタリアの70年後との比較で、世界から注視されます。あのノーベル平和賞授与式でのマララさんの力強い演説に、日本はどう応えるかが問われます。もとより、どの国の戦後も、一本道ではありません。下記に公開し、情報提供を求めている占領期の雑誌『政界ジープ』について、皆さんからの情報と、バックナンバーが集まりつつありますが、1946年夏の創刊時の『政界ジープ』は、意外にも尾崎行雄・長谷川如是閑の路線で、共産党・社会党幹部も寄稿しており、「勤労大衆のための唯一の政界案内誌」の宣伝文句通りでした。占領軍には忠実ですが、初期はGS=民政局の路線です。48年8月「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」あたりからは、G2系=731部隊免責「右派ゴシップ雑誌」にな り、1950年朝鮮戦争勃発、日本ブラッドバンク創業時が二木秀雄=ジープ社のピークです。1955年には、総会屋風恐喝雑誌として二木秀雄らが逮捕され(政界ジープ事件)、消えていきます。占領政策全体に忠実に(GS→G2)右旋回するのが、731部隊残党の流れのようです。改めて「逆コース」を含む、70年の軌跡を学びましょう。次回更新は、その戦後70周年の正月です。皆様、よいお年を。
占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について、情報をお寄せください!
11月8日のゾルゲ事件国際シンポで、即興で私のペーパー「戦後ゾルゲ団、第二のゾルゲ事件 の謀略?」に加えた口頭報告が、思わぬ反響をよんでいます。簡単には、時事通信高田記者がコラムにしてくれましたが、ゾルゲ事件と731細菌戦部隊の接点という、国際会議開催直前に見つけた論点。幸い今年は、昨年の上海に続いて東京での会議だったので、日本語である程度話せましたが、舌足らずもあったので、本サイトでは久方ぶりの「尋ね人」「国際歴史探偵」情報提供のよびかけです。占領期の右派カストリ雑誌『政界ジープ』とその発行元ジープ社社長で、731部隊残党の医師「二木(ふたき)秀雄」について、皆さんからの情報提供をお願いします。その経緯と理由は、拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の延長上のもので、以下に、関係者・研究者の皆さんにメールでお願いした探索依頼を、本サイト用にアレンジして載せておきます。
11月8日の「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」国際シンポジウムの翌9日、多磨霊園でゾルゲ・尾崎墓前祭がありました。そこにリヒアルト・ゾルゲとゾルゲ団の墓碑、尾崎秀実家の墓があり、中国、ロシア、オーストラリアからの参加者も含めて、没後70周年の慰霊をしめやかに行いました。その帰路、多磨霊園のなかに、前日の私の報告で紹介した陸軍防疫給水部731部隊関係者の供養塔もあるというので、参加者と共に、捜してみました。手がかりはネット情報で「懇心平等万霊供養塔」としかなかったのですが、見つけることができました。何も書いていない731関係者供養塔の前 には、「JAP 731」という赤ペンキの落書と共に、誰かが最近備えたらしい花も、いっぱい 飾ってありました。残存731部隊医学関係者が、現在でも保守しているのでしょうか。
加藤の報告ペーパーにもなかった731部隊を出したのは、国際会議1週間前に、ある事実が確認できたからです。拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)では、プランゲ文庫をもとにしたNPO法人インテリジェンス研究所の占領期雑誌・新聞データベース「20世紀メディア情報データベース」の検索から、ゾルゲらを「スパイ」と名指す記事・論文が現れるの は、1949年2月の米国陸軍省ウィロビー報告以降のことで、それ以前の1945−48年は、尾崎秀実 『愛情は降 る星の如く』がベストセラーになり「愛国者」「反ファッショ戦士」のイメージが支配的だった 、と書いています(32−34頁)。これ自体は間違いでなかったのですが、 今回の報告 にあたって、かつて渡部富哉さんから借りた渡部収集ゾルゲ事件記事・論文スクラップのコピーを眺めてみると、『政界ジープ』1948年10 月特集号の表紙 が、右の写真の毒々しい「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」となっていることに気がつき ました。ウィロビー報告以前では、唯一です。プランゲ文庫の見落としかと思って、山本武利教授監修のデータベースに再度 当たってみると、『政界ジープ』誌そのものは1946年8月創刊号か ら 49 年末の検閲解除まで特集号を含め全部収録されているのに、この48年10月特 集号だけが抜き取られて入っていないことがわかりました。この号が「ゾルゲ事 件特集号」 のため、占領期GHQ・G2歴史課米国側代表者で検閲コレクションの収集者ゴードン・プランゲ博士自身が、自分のゾルゲ本『ゾルゲ・東京を狙え』(原書房、1985年、もともと『リーダイス・ダイジェスト』1967年1月号の論文、翻訳者 千早正隆もG2歴史課)を書くために私的に抜き 取り、公的コレクションに戻 さなかったのだろうと、一応考えています。
そこで、占領期右派カストリ雑誌『政界ジープ』と、発行するジープ社を調べ、社主で政界記事も書いている医師「二木(ふたき)秀雄」に行き着き ま した。当時競合する、佐和慶太郎の左翼カストリ雑誌『真相』は占領軍プレスコードによる検閲だらけで、以前早稲田大学20世紀メディア研究所の研究会で、検閲研究の資料として使ったことがあったのですが、『政界ジープ』は、ス キャンダル報道満載なのに、ほとんどGHQ・CCDの検閲を無条件でパスしています。しか も『政界ジープ』には、片山・芦田内閣批判、昭和電工 事件など、当時のGHQ・G2ウィロビー将軍らの意向と情報提供を受けたらしい記事が出ています。 そこで今度は「二木秀雄」をweb等で調べ、@金澤医大・陸軍医学校出身731部隊結核班(二木班)班長、A戦後医師をしながら『政界ジープ』を46年 8月から刊 行・ ジープ社社長、B朝鮮戦争が始まり、1950年11月に731部隊の残党内藤良一・宮本光一と共に 日本ブラッドバンク設立(731部隊長北野政次らが加わり、64年株式会社ミドリ十字になり薬 害エイズをおこす)、朝鮮戦争時米軍負傷兵輸血等で巨額の利益、C二木秀雄は1953年参院選石川選挙区に無所属で立候補・落選、50年に731関係者同窓会「精魂会 」を結成して代表者となり、55年に多磨霊園の「懇心平等万霊供養 塔」(英語ではUnit 731 Memorial)を建立する、D1956年19件6960万円の暴露記事を使った「戦後最大の恐喝事件」 = 『政界ジープ』事件で二木も逮捕・廃刊、元記者たちからはトップ 屋・総会屋も輩出、E1970年代に二木秀雄は新宿繁華街 に24時間診療のロイヤル・クリニックを開きイスラム教に入信、戦前からあ る日本 ムスリム協会に対抗する大乗「日本イスラム教団」を設立、患者中心に 最高時自称5万人教徒で「一世を風靡」、石油危機後の中東石油利権狙いとも、 新宿の暴力団とつながる 夜の女の駆け込み寺とも解せますが、1992年二木秀雄の死 で自然消滅したようです。二木秀雄の墓も、多磨霊園にあり、上記経歴のほぼすべてが、事実として確認されました。
なぜ、検閲だらけの左翼雑誌『真相』とは違って、右翼の『政界ジープ』にはGHQの検閲がほとんどなく、49年2月ウィロビー報告以前の占領軍による事件の内偵中に、政論も書く二木秀雄が日本 で最初にゾルゲ事件を「赤色スパイ事件」と名付けたかを調べるため、別の調査方法も使ってみました。ゾルゲの「東京妻」に擬された石井花子『人間ゾルゲ』角川文庫版183 頁に、「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相という小冊子」のこと が 書かれており、内容はそれまでの報道と大差ないが「ゾルゲの処刑のことや死後の消息がは じめて書かれてあった」と出てきます。まさしく『政界ジープ』48年10月特集号のことです。これがそのまま、篠田正浩監督の映画 『スパイ・ゾルゲ』の花子回想シーンに、小道具として使われているとの情報もいただきました。そこで国会図書館サーチで、版元ジープ社刊行物を検索すると、400件余の出版物があります。その「出版年」 で調べると、雑誌のほか1946年は『連合国の日本管理方策』 『政党系図』 など9点、47年二木秀雄著『政界ニューフェース』など4点、48年1点、49年2点と、単行本の数はわずかです。ところが1950年に突然397点に急増、51年28点で以後単行本はありません。主力の雑誌『政界ジープ』も55年までで、恐喝事件で会社も消えます。当時のGHQによる 出版用紙の統制から考えると、異様な動きです。1950年=朝鮮戦争、日本ブラッドバンク設立、731同窓会「精魂会」結成時に、何らかのGHQとの取引で資金を獲得した可能性大です。二木秀雄は確かに医者ですが、1949−50年に厚生省医務局の雑誌『医学のとびら』を刊行して、厚生省とも結びつきました。出版内容では、大量の単行本を出した50年には、二木秀雄著『素粒子堂雑記』、アメリカ宣伝・G2広報に近い『これがアメリカ』『アメリカ留 学ノート』『労働とデモクラシー』『アメリカの味』、コロンビア大学同窓会名で 『闘うアメリカ』(坂西志保・ 鵜飼信成ら)『青年の国アメリカ』『恐慌とアメリカ』、反共本『マルクス主義の運命』『私は毛沢東の女秘書でした』『アメリカにおける共産主義者 の陰謀』などが刊行されます。このほか200点ほどの古典文学や『暴力なき革命への道』などの解説本、「ダイジェスト・シリーズ」が出ており、『リーダース・ダイジェス ト』にあやかったものでしょうが、占領期のハウツー本・ウィキペディア風です。いずれ にせよ、朝鮮戦争・再軍備の1950年に、二木秀雄とジープ社に巨額の資金が流れたようです。
「悪魔の飽食」731石井部隊の方から調べると、結核班長・二木秀雄の歩みは、石井四郎よりも内藤良一の近くで重なりそうです。敗戦当初、731部隊の人体実験標本は、中国から金澤医大に移して、隠匿されました。1946−47年に、石井四郎の生存が米軍に発覚し、ソ連と極東軍事裁判でも日本の生物兵器開発が問題になってきた時、細菌戦資料の米軍への独占的提供と引き替えに、石井四郎以下日本の医学界731関係者を免罪する、大きな「司法取引」が行われました。工作の中心は、731側の窓口で英語ができる内藤良一で、戦時風船爆弾に関わった亀井貫一 郎、元参謀本部の有末精三 (GHQ・G2歴史課)、服部卓四郎(同)らを介して、GHQ・G2ウィロビー、CIS ポール・ラッシュ、サンダース軍医中佐らに働きかけ、資料と情報を提供して、石井部隊全体の戦犯訴追が免除されました。二木秀雄 『政界ジープ』は、ちょうどその頃創刊されています。もしも二木秀雄が内藤の配下で、プランゲ博士、有末精三・服部卓四郎・河辺虎四郎・荒木光子らのG2歴史課が財源・情報源だったとすると、1950年再軍備期の 日本ブラッドバンク創業・ジープ社の飛躍を含めて、上述した『政界ジープ』の特徴が了解できますが、まだまだ仮説の域です(二木秀雄個人はあまり出てきませんが、森村誠一『悪魔の飽食』、常石敬一『標的イシイ』『医学者たちの組織犯罪』、太田昌克『731免責の系譜』、青木冨貴子『731』等、参照)。なお、私の手元には、米国国立公文書館NARAのHPで現物がダウンロードできる米軍日本生物戦資料のほかに、 青木冨貴子さん『731』が使ったMIS亀井貫一郎ファイル、石井四郎のCIA及びMISファイ ル、CIA福見秀雄ファイル等があります。こ の問題を学術的に追及していきたいという方がいらっしゃれば、 katote@ff.iij4u.or.jp までご連絡ください。また上記に関する資料・証言等お持ちでしたら、ご一報下さい。
ゾルゲ事件関係のファイルが増えてきたので、「情報学研究室」カリキュラムに、情報学研究<専門課程2ーー世界史のなかのゾルゲ事件> をつくりました。それをも下敷きにした新著が、 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)です。正誤表を作りましたので、ご参照ください。チャルマーズ・ジョンソンの新訳『ゾルゲ事件とは何か』(岩波現代文庫)に寄せた「解説」、それに昨年9月上海での国際シンポジウム報告「国際情報戦としてのゾルゲ事件」(『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』38号、2013年12月刊も活字になっています。法政大学『大原社会問題研究所雑誌』8月号に、「『国際歴史探偵』の20年ーー世界の歴史資料館から」を発表しています。講演記録で読みやすいですし、『大原雑誌』はデジタルで読める日本では最先端の雑誌ですから、ぜひご参照ください。もっともその講演記録で、イギリス国立公文書館の略称を、「TNA(The National Archives)」ではなく「BA(British Archives)」 と表記してしまいました。訂正したpdfファイルを入れておきましたので、こちらからどうぞ。私の「国際歴史探偵 」の原点である国崎定洞研究の到達点「国崎定洞ーー亡命知識人の悲劇」(安田常雄他編『東アジアの知識人』第4巻、有志舎)と共に、ぜひご笑覧ください。東京大学出版会から工藤章・田嶋信雄編『戦後日独関係史』が刊行され、私も井関正久・中央大学教授と共著で「戦後日本の知識人とドイツ」を寄稿しています。ご笑覧ください。現代史料出版からは加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻を編纂して、第一期6巻セットが発売されました。概要は、「機密解除文書が明かす戦後日本の真の姿:GHQ文書」(『週刊 新発見 日本の歴史』44号、2014年5月18日)に書き解説していますが、大部で高価ですから、ぜひ図書館等にリクエストしてご利用下さい。
この間の原爆・原発研究を踏まえて、岩波現代全書『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』が発売中です。『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』では、(1)労働力を摩滅・破壊する放射線被曝労働の不可避、(2)絶対安全はありえない巨大なリスクを持つ装置産業で、人間の完全制御はありえない、(3)10万年後も残される「未来への暴力」としての核廃棄物、をあげて「核と人類は共存できない」と主張しました。地震列島の日本国民全体が当事者であるのみならず、地球と文明そのものが危機にさらされている、という意味です。その観点から20世紀日本の平和運動・社会主義を見直し、「原子力は、日本の社会主義のアキレス腱だった」と結論づけました。私の脱原発宣言本で、いろいろご意見もあろうかと思いますが、ご笑覧ください。日本ペンクラブでのシンポジウム「島崎藤村と日本ペンクラブ』の報告が活字になっていますので、『P.E.N.』2月号の発言要旨を、NPO現代の理論・社会フォーラム『ニューズレター』6月号の富田武さんの『シベリア抑留者の戦後』(人文書院)書評、平凡社創業100年記念『こころ』19号特集「私の思い出の1冊」(6月)に寄せた「「私の思い出の1冊・石堂清倫『20世紀の意味』」と共に、アップしておきました。
勝野金政(かつの・きんまさ)の生涯をロシアに伝えるために、彼が日本帰国後1930年代に書き残した『赤露脱出記』『ソヴェト・ロシヤ今日の生活』『二十世紀の黎明』『ソヴェート滞在記』などの記録文学を、人類学者の故山口昌男さんにならって「日本のソルジェニツィン」としてロシアの人々に紹介し、再評価するモスクワ・ソルジェニツィン・センターでの講演会は、現地でそれなりの関心を惹き、日本の共同通信やロシアの日本語放送「ロシアの声」、それに東京新聞がとりあげてくれました。2013年3月から5月まで、早稲田大学演劇博物館で『佐野碩と世界演劇―日本・ロシア・メキシコ “芸術は民衆のものだ”―』展が開かれました。そのオープニングの国際シンポジウムで「1930年代の世界と佐野碩」を講演しました。一昨年桑野塾講演「亡命者佐野碩ーー震災後の東京からベルリン、モスクワへ」の増補改訂版です。プロレタリア演劇に関心のある方、佐野碩の作詞した労働歌「インターナショナル」をお聞きになりたい方は、どうぞpdfファイルのyou tube でお楽しみを。学術論文データベ ースには、神戸の深草徹さんの連続寄稿、「世界に通用しない特定秘密保護法(改訂版) 」、「集団的自衛権を考えるーー北岡伸一批判」(2013.11),「アメリカと比べてこんなにひどい特定秘密保護法」(2013.12) ,「特定秘密保護法廃止のために―問題点をえぐる5本のメス」(2014.1),「立憲主義を守るために秘密保護法が必要との謬論を駁す」,「核燃料サイクルから撤退を」(2014.2),「戦前秘密保全法制から学ぶ」(2014.2),「砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す」(2014.4)、「今、再び特定秘密保護法を考える」(2014.6)、「安保法制懇報告書を読む」(2014.6) などが入っています。宮内広利さんの「柳田國男と折口信夫 〜民俗学の原像をもとめて〜 」(2014.5)、「親鸞における信と不信〜『歎異抄』を読む〜」(2014.9)に続いて「竹内好論ーーナショナリズムと奴隷の論理」(2014.12) 、佐々木洋さん「核開発年表改訂最新版」(2014.9)も、DBにアップされています。日本経済評論社の加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」序論「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」を詳述した講演記録「アメリカニズムと情報戦」(『葦牙』第36号)は、本サイト運営の方法論を示すものです。早稲田大学大学院政治学研究科2014年度大学院講義・ゼミ関係は、秋学期が始まりましたが、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
師走の総選挙では、安倍内閣全体の政策評価と審判を!
2014.12 あっという間に師走です。「中国のハワイ」海南島で、中国風リゾート開発の豪快な展開、6千万人といわれる富裕層の豪勢な別荘保有、消費漁りに驚いて帰ってくると、日本の国会は、解散していました。かといって、総選挙の熱気が感じられるわけではありません。消費税上げの先送りなら、なにもこの時期にとなりますが、アベノミクスを目くらましに、集団的自衛権も特定秘密保護法も沖縄も原発再稼働も、さらには憲法改正まで、一度に白紙委任を取り付けようという魂胆ですから、見逃すわけにはいきません。アベノミクスのからくりと国民生活の実情・格差を十分見極めたうえで、安倍政権そのものへの評価と判定を、下すべきです。共同世論調査では、ついに内閣不支持率が支持率を上回り、安倍内閣の安保政策も不支持多数、景気がよくなった「実感はない」が実に84%なそうですから、小選挙区で野党がしっかり政策・候補者調整できれば、政権批判票を集中できるのですが。
12月10日は、ノーベル賞授賞式。以前から予告していたのですが、ノーベル賞選考経過については、決定から50年たったものから、推薦者・対抗最終候補者・評価と受賞理由についての資料公開がストックホルムで進んでいて、日本でもいくつかの研究が現れています。この力学を「ノーベル賞の政治学」風にまとめて工夫すれば、村上春樹の文学賞も、日本国憲法9条の平和賞も、誰がどう推薦し、どういう運動をしていけばいいかが見えてくるはずです。文学賞については西野由希子さんの、平和賞については吉武信彦さんの研究がありますが、あくまで歴史の問題ですから想像力が必要です。例えば戦前1939・40年に、なぜ中国抗日戦争下で胡適・林悟堂が続いて最終候補に残ったのかを、考えることができるでしょう。当時の世界的な文学者たちの中で、日本のアジア侵略がいかに野蛮なものと映ったか、反ファシズム・言論の自由擁護がいかに強かったのかがわかります。時節柄、タイムリーな宮内広利さん「竹内好論ーーナショナリズムと奴隷の論理」(2014.12)を、学術論文データベ ースにアップしました。
下記の『政界ジープ』と731部隊の情報探し、ゾルゲ事件とは直接関わりませんが、いくつかの重要な情報提供を受けました。びっくりしたのは、大橋義輝『毒婦伝説ーー高橋お伝とエリート軍医たち』(共栄書房)という本に登場する、731残党二木秀雄の振る舞い。石井四郎の京大恩師である奇人清野謙次も出てきて、医学者たちの異常で猟奇的な世界が、731部隊ばかりでなく、免責された戦後日本の医学界の中にも、脈々と生き残ってきたようです。二木秀雄については、晩年のイスラム教入信の経緯が、ぜひ知りたいものです。そういう次第で、下記の情報提供のお願い、今年いっぱいトップページに掲げ続けることにします。
占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について、情報をお寄せください!
2014.11.14 明日は、 一年ぶりの上海です。北京の日中首脳会談が何とかぎこちなく成立し、永田町には安倍首相のご都合主義的解散風。政治は一寸先は闇といいますが、野党の準備が整わないうちに総選挙で勝てば、消費税ばかりでなく外交安全保障、エネルギー政策を含む与党のすべての政策は追認され、内閣支持率が40%前後に落ちた政権の求心力を回復できるだろう、という思惑が見え見えです。折から、九州電力川内原発再稼働から始めて、関西電力高浜原発は40年を越えても動かす方向、廃炉を含む原発費用は総括原価方式撤廃後も電気料金に上乗せすることまで立案済みで、安倍内閣が長期化すれば、日本が再び原発大国になりそう。16日投開票の沖縄知事選の結果如何にかかわらず、衆院選という国政選挙で押させこみ、来年4月の統一地方選挙に備える算段でしょう。社会運動に対しては、京大私服警官立入事件に機動隊導入で応え、かつての東大ポポロ事件最高裁判決にならって、大学の自治・学問の自由侵害を合理化し、特定秘密保護法施行の手はずを整えています。
私の方は、ちょうど11月初旬の「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」国際シンポジウムで中国の現代史研究者の皆さんと交流し、中旬に中国海南島訪問・客員講義を控えて、日中ばかりでなく、米中・中韓などAPECとASEANの全体の進行が気になりました。案の定、中国と米国の首脳会談は特別待遇で長時間、「米中蜜月時代」を印象づけました。中国での私の講義テーマは「ジャパメリカからチャイメリカへ」と決まっていましたので、目先の国際関係ではなく、20世紀から21世紀の世界の長期展望の中で、日中学術交流の可能性を探ってこようと思います。
11月8日のゾルゲ事件国際シンポで、即興で私のペーパー「戦後ゾルゲ団、第二のゾルゲ事件 の謀略?」に加えた口頭報告が、思わぬ反響をよんでいます。簡単には、時事通信高田記者がコラムにしてくれましたが、ゾルゲ事件と731細菌戦部隊の接点という、国際会議開催直前に見つけた論点。幸い今年は、昨年の上海に続いて東京での会議だったので、日本語である程度話せましたが、舌足らずもあったので、本サイトでは久方ぶりの「尋ね人」「国際歴史探偵」情報提供のよびかけです。占領期の右派カストリ雑誌『政界ジープ』とその発行元ジープ社社長で、731部隊残党の医師「二木(ふたき)秀雄」について、皆さんからの情報提供をお願いします。その経緯と理由は、拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の延長上のもので、以下に、関係者・研究者の皆さんにメールでお願いした探索依頼を、本サイト用にアレンジして載せることで、中国出発前の早めの更新としておきます。
11月8日の「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」国際シンポジウムの翌9日、多磨霊園でゾルゲ・尾崎墓前祭がありました。そこにリヒアルト・ゾルゲとゾルゲ団の墓碑、尾崎秀実家の墓があり、中国、ロシア、オーストラリアからの参加者も含めて、没後70周年の慰霊をしめやかに行いました。その帰路、多磨霊園のなかに、前日の私の報告で紹介した陸軍防疫給水部731部隊関係者の供養塔もあるというので、参加者と共に、捜してみました。手がかりはネット情報で「懇心平等万霊供養塔」としかなかったのですが、見つけることができました。何も書いていない731関係者供養塔の前 には、「JAP 731」という赤ペンキの落書と共に、誰かが最近備えたらしい花も、いっぱい 飾ってありました。残存731部隊医学関係者が、現在でも保守しているのでしょうか。
加藤の報告ペーパーにもなかった731部隊を出したのは、国際会議1週間前に、ある事実が確認できたからです。拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)では、プランゲ文庫をもとにしたNPO法人インテリジェンス研究所の占領期雑誌・新聞データベース「20世紀メディア情報データベース」の検索から、ゾルゲらを「スパイ」と名指す記事・論文が現れるの は、1949年2月の米国陸軍省ウィロビー報告以降のことで、それ以前の1945−48年は、尾崎秀実 『愛情は降 る星の如く』がベストセラーになり「愛国者」「反ファッショ戦士」のイメージが支配的だった 、と書いています(32−34頁)。これ自体は間違いでなかったのですが、 今回の報告 にあたって、かつて渡部富哉さんから借りた渡部収集ゾルゲ事件記事・論文スクラップのコピーを眺めてみると、『政界ジープ』1948年10 月特集号の表紙 が、右の写真の毒々しい「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」となっていることに気がつき ました。ウィロビー報告以前では、唯一です。プランゲ文庫の見落としかと思って、山本武利教授監修のデータベースに再度 当たってみると、『政界ジープ』誌そのものは1946年8月創刊号か ら 49 年末の検閲解除まで特集号を含め全部収録されているのに、この48年10月特 集号だけが抜き取られて入っていないことがわかりました。この号が「ゾルゲ事 件特集号」 のため、占領期GHQ・G2歴史課米国側代表者で検閲コレクションの収集者ゴードン・プランゲ博士自身が、自分のゾルゲ本『ゾルゲ・東京を狙え』(原書房、1985年、もともと『リーダイス・ダイジェスト』1967年1月号の論文、翻訳者 千早正隆もG2歴史課)を書くために私的に抜き 取り、公的コレクションに戻 さなかったのだろうと、一応考えています。
そこで、占領期右派カストリ雑誌『政界ジープ』と、発行するジープ社を調べ、社主で政界記事も書いている医師「二木(ふたき)秀雄」に行き着き ま した。当時競合する、佐和慶太郎の左翼カストリ雑誌『真相』は占領軍プレスコードによる検閲だらけで、以前早稲田大学20世紀メディア研究所の研究会で、検閲研究の資料として使ったことがあったのですが、『政界ジープ』は、ス キャンダル報道満載なのに、ほとんどGHQ・CCDの検閲を無条件でパスしています。しか も『政界ジープ』には、片山・芦田内閣批判、昭和電工 事件など、当時のGHQ・G2ウィロビー将軍らの意向と情報提供を受けたらしい記事が出ています。 そこで今度は「二木秀雄」をweb等で調べ、@金澤医大・陸軍医学校出身731部隊結核班(二木班)班長、A戦後医師をしながら『政界ジープ』を46年 8月から刊 行・ ジープ社社長、B朝鮮戦争が始まり、1950年11月に731部隊の残党内藤良一・宮本光一と共に 日本ブラッドバンク設立(731部隊長北野政次らが加わり、64年株式会社ミドリ十字になり薬 害エイズをおこす)、朝鮮戦争時米軍負傷兵輸血等で巨額の利益、C二木秀雄は1953年参院選石川選挙区に無所属で立候補・落選、50年に731関係者同窓会「精魂会 」を結成して代表者となり、55年に多磨霊園の「懇心平等万霊供養 塔」(英語ではUnit 731 Memorial)を建立する、D1956年19件6960万円の暴露記事を使った「戦後最大の恐喝事件」 = 『政界ジープ』事件で二木も逮捕・廃刊、元記者たちからはトップ 屋・総会屋も輩出、E1970年代に二木秀雄は新宿繁華街 に24時間診療のロイヤル・クリニックを開きイスラム教に入信、戦前からあ る日本 ムスリム協会に対抗する大乗「日本イスラム教団」を設立、患者中心に 最高時自称5万人教徒で「一世を風靡」、石油危機後の中東石油利権狙いとも、 新宿の暴力団とつながる 夜の女の駆け込み寺とも解せますが、1992年二木秀雄の死 で自然消滅したようです。二木秀雄の墓も、多磨霊園にあり、上記経歴のほぼすべてが、事実として確認されました。
なぜ、検閲だらけの左翼雑誌『真相』とは違って、右翼の『政界ジープ』にはGHQの検閲がほとんどなく、49年2月ウィロビー報告以前の占領軍による事件の内偵中に、政論も書く二木秀雄が日本 で最初にゾルゲ事件を「赤色スパイ事件」と名付けたかを調べるため、別の調査方法も使ってみました。ゾルゲの「東京妻」に擬された石井花子『人間ゾルゲ』角川文庫版183 頁に、「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相という小冊子」のこと が 書かれており、内容はそれまでの報道と大差ないが「ゾルゲの処刑のことや死後の消息がは じめて書かれてあった」と出てきます。まさしく『政界ジープ』48年10月特集号のことです。これがそのまま、篠田正浩監督の映画 『スパイ・ゾルゲ』の花子回想シーンに、小道具として使われているとの情報もいただきました。そこで国会図書館サーチで、版元ジープ社刊行物を検索すると、400件余の出版物があります。その「出版年」 で調べると、雑誌のほか1946年は『連合国の日本管理方策』 『政党系図』 など9点、47年二木秀雄著『政界ニューフェース』など4点、48年1点、49年2点と、単行本の数はわずかです。ところが1950年に突然397点に急増、51年28点で以後単行本はありません。主力の雑誌『政界ジープ』も55年までで、恐喝事件で会社も消えます。当時のGHQによる 出版用紙の統制から考えると、異様な動きです。1950年=朝鮮戦争、日本ブラッドバンク設立、731同窓会「精魂会」結成時に、何らかのGHQとの取引で資金を獲得した可能性大です。二木秀雄は確かに医者ですが、1949−50年に厚生省医務局の雑誌『医学のとびら』を刊行して、厚生省とも結びつきました。出版内容では、大量の単行本を出した50年には、二木秀雄著『素粒子堂雑記』、アメリカ宣伝・G2広報に近い『これがアメリカ』『アメリカ留 学ノート』『労働とデモクラシー』『アメリカの味』、コロンビア大学同窓会名で 『闘うアメリカ』(坂西志保・ 鵜飼信成ら)『青年の国アメリカ』『恐慌とアメリカ』、反共本『マルクス主義の運命』『私は毛沢東の女秘書でした』『アメリカにおける共産主義者 の陰謀』などが刊行されます。このほか200点ほどの古典文学や『暴力なき革命への道』などの解説本、「ダイジェスト・シリーズ」が出ており、『リーダース・ダイジェス ト』にあやかったものでしょうが、占領期のハウツー本・ウィキペディア風です。いずれ にせよ、朝鮮戦争・再軍備の1950年に、二木秀雄とジープ社に巨額の資金が流れたようです。
「悪魔の飽食」731石井部隊の方から調べると、結核班長・二木秀雄の歩みは、石井四郎よりも内藤良一の近くで重なりそうです。敗戦当初、731部隊の人体実験標本は、中国から金澤医大に移して、隠匿されました。1946−47年に、石井四郎の生存が米軍に発覚し、ソ連と極東軍事裁判でも日本の生物兵器開発が問題になってきた時、細菌戦資料の米軍への独占的提供と引き替えに、石井四郎以下日本の医学界731関係者を免罪する、大きな「司法取引」が行われました。工作の中心は、731側の窓口で英語ができる内藤良一で、戦時風船爆弾に関わった亀井貫一 郎、元参謀本部の有末精三 (GHQ・G2歴史課)、服部卓四郎(同)らを介して、GHQ・G2ウィロビー、CIS ポール・ラッシュ、サンダース軍医中佐らに働きかけ、資料と情報を提供して、石井部隊全体の戦犯訴追が免除されました。二木秀雄 『政界ジープ』は、ちょうどその頃創刊されています。もしも二木秀雄が内藤の配下で、プランゲ博士、有末精三・服部卓四郎・河辺虎四郎・荒木光子らのG2歴史課が財源・情報源だったとすると、1950年再軍備期の 日本ブラッドバンク創業・ジープ社の飛躍を含めて、上述した『政界ジープ』の特徴が了解できますが、まだまだ仮説の域です(二木秀雄個人はあまり出てきませんが、森村誠一『悪魔の飽食』、常石敬一『標的イシイ』『医学者たちの組織犯罪』、太田昌克『731免責の系譜』、青木冨貴子『731』等、参照)。なお、私の手元には、米国国立公文書館NARAのHPで現物がダウンロードできる米軍日本生物戦資料のほかに、 青木冨貴子さん『731』が使ったMIS亀井貫一郎ファイル、石井四郎のCIA及びMISファイ ル、CIA福見秀雄ファイル等があります。こ の問題を学術的に追及していきたいという方がいらっしゃれば、 katote@ff.iij4u.or.jp までご連絡ください。また上記に関する資料・証言等お持ちでしたら、ご一報下さい。
敗戦70年に向けて、どんな歴史認識を構築するのか?
2014.11.1 私たち日本人の集合的記憶・歴史認識が、いま世界から問われています。来年2015年は1945年の第二次世界大戦終結70年、日本の敗戦後70年、米英ロシア戦勝70年、中国・朝鮮半島・東南アジア解放70年ですから、 当然ながら、ナチズムから脱したドイツとともに、日本の戦後70年の軌跡が、国際社会で改めて問われます。そこで、靖国神社に参拝した首相や閣僚、集団的自衛権を認め特定秘密保護法を施行する政府、国民の税金を私消する政治家、従軍慰安婦問題の存在そのものを認めない一部マスコミ、男女平等は世界142か国中104位、ヘイトスピーチと呼ばれる他民族蔑視・迫害が横行している社会が注目され、いったい日本はどこに向かおうとしているかが、インターネットにまで広がった、グローバルな言論世界で論じられるのです。来年の8月前後が日本の戦後70年を問い直すピークになるでしょうが、そこでは広島・長崎原爆投下70年ばかりでなく、日本経済の「失われた20年」、2011年3月11日以後の自然災害や核エネルギーへの態度も、改めて問われます。福島の汚染水処理・廃炉工程も定かでないのに、鹿児島県川内原発を突破口に原発再稼働・プルトニウム蓄積へと向かう日本を、世界はどのように見るのでしょうか? 私たち自身の歴史認識を、しっかり鍛えなければなりません。読書の秋は、歴史を学ぶ秋です かと敗戦前年の1944年11月7日に、いわゆるゾルゲ事件でリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実が東京で死刑に処されて70周年、前回もお知らせしましたが、11月8日(土)午後1−5時、明治大学リバティータワー地下1階1001教室で、「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」と題する国際シンポジウムが開かれます。昨年の上海に続く、日露歴史研究センター主催の第8回国際シンポジウムで、コーディネーターは日露歴史研究センター代表・白井久也さん、パネリストに、ゾルゲ・尾崎秀実の上海時代を初めて旧ソ連第一次資料で本格的に解明したロシアのミハイル・アレクセーエフ・ロシア軍事史公文書館員、上海時代を中国側資料から論じる上海復旦大学・蔵志軍教授、それに、日本側から社会運動資料センター・渡部富哉さん、作家でゾルゲ事件の小説執筆中の小中陽太郎さん、それに今春『ゾルゲ事件』(平凡社新書)を公刊した私です。そこに、蔵教授ら中国側代表団が、昨年上海シンポの記録をまとめた、中国で初めての本格的学術研究論文集・蘇智良編『佐爾格:在中国的秘密指令』(上海社会科学院出版社、2014年7月)を持ってきました。蔵教授の報告予定日本語草稿では、今日の中国ではゾルゲは「中国革命に貢献した赤色情報員」「永遠に記念される世界反ファシズム戦争の英雄」と評価されているそうです。旧ソ連がゾルゲを「大祖国戦争の英雄」として歴史的実在を認めたのは、ちょうど中ソ論争の真っ最中の1964年で、毛沢東時代にはゾルゲが全く無視され黙殺されていたのに比すると、大きな変化です。尾崎秀実の中国論についても、中国側からの再評価が始まりそうです。私の報告も、戦後日本で「スパイ・ゾルゲ」イメージがいかにスパイ防止法・国家機密法制定に利用されてきたかを示して、敗戦直後の「ゾルゲ、尾崎の反戦平和活動」のイメージを、敢えて再提示しようかと考えています。拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の続編の話となりますが、ご関心のある方はぜひどうぞ。
かと メキシコから嬉しい便り。この10年ほど客員講義や国際会議報告に出かけるたびに編纂に加わり助言してきた、スペイン語の日本現代政治資料集が、ようやく刊行されました。メキシコ大学院大学田中道子教授が総監督で、1000頁近い大著です(メキシコ大学院大学出版局、2014)。もともと私以前に同大学客員教授を勤めた故高畠通敏教授が1926ー1982年までのスペイン語訳資料集を田中教授と共に編纂し、1987年に2分冊で刊行していたのですが、私が高畠教授の遺志を継ぎ、1983ー2012年までの日本政治の公式決定・政策文書・重要資料を適宜加えて増補し、田中教授以下10人ほどのチームでスペイン語に訳したもので、旧版と合本したので1000頁になりました。予定より遅れて2011年東日本大震災・福島原発事故関係の資料を加えることができたのが、ある意味では怪我の功名で、ラテンアメリカで日本に関心を持つ人々の基本教材になるはずです。私としても、大きな仕事を一つ成し遂げた達成感があります。ただし、民主党野田内閣の時期までなので、高木仁三郎の遺言や脱原発運動の資料は入れることができましたが、安倍内閣になっての急速な右傾化・軍事化の関係資料は収録されていません。高畠教授の旧版から日本国憲法9条や非核3原則、日中・日韓友好関係など、平和国家としての日本の戦後を浮き彫りにするように資料を編纂してきたのですが、そうした歴史認識に相反する最近の日本政治の動向のニュースを、日本に関心を持つスペイン語圏の皆さんがどう解釈し、行動に移すのか、気懸かりです。なお、次回更新予定の11月15日は、中国・上海にいる予定です。最近中国政府のインターネット規制が強まっているというので、ホテルのIT環境次第では、遅れる可能性があります。その際は、ご海容ください。
国家機密保護は、誰のため、何のため?
2014.10.15 前回トップは、「自然に対する驕りは、いのちの倍返しを受ける」でした。御嶽山噴火に続いて、2週続けて大きな台風到来です。東日本大震災で津波に襲われた宮城県石巻市、岩手県釜石市にも非情の雨、仮設住宅住まいで被害を受けた方もいるようです。その雨で、福島第一原発の井戸では、過去最高のセシウム濃度の地下水が検出されました。地震も続いています。こんな国が、太陽光・地熱など再生エネルギーの普及を電力会社が妨害し、原子力発電所を再稼働させる方向を許していいのか、改めて議論する必要があります。読書の秋です。この夏読んだ原発関連書。雑誌『NONUKE VOICE』創刊号は秀逸です。今中哲二、小出裕章さんの発言はもちろんですが、たんぽぽ舎や経産省テントひろばの報告など、脱原発運動の現状報告も貴重です。小倉志郎『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(彩流社)は、現場を知るエンジニアならでの具体的な話が満載で、「科学」と「技術」の関係を改めて考えさせられます。歴史分析では、中嶋久人『戦後史のなかの福島原発』(大月書店)、私の『日本の社会主義ー原爆反対・原発推進の論理』(岩波書店)とはやや異なる地域開発の視点からですが、3・11の衝撃を受けて、狭い意味での「専門研究」を中断して真摯に問題に取り組んだ学問的勇気に敬服し、共感します。
特定秘密保護法が、いよいよ12月10日に施行されます。「運用基準」は、またしても閣議決定。パブリックコメント2万3800件から「報道・取材の自由、知る権利」を一応踏まえたかたちになってはいますが、「国際社会の平和と安全の確保」など「特定秘密」の範囲は抽象的で「特定」されていません。実際の運用をチェックする管理官は、内閣府の身内です。憲法上の「集団的自衛権」すら、閣議決定後に日米防衛ガイドライン改訂に具体化し、海外での参戦に向かっているのですから、「自衛隊の訓練・演習」以下自衛隊の動きが全55項目中19項目を占める「指定対象」公文書は国家機密、「国民の知らぬ間に参戦」さえありえます。ここは、新聞・テレビなどマス・メディアの踏ん張りどころですが、その日本のメディアが萎縮し、権力監視機能を衰退させつつあります。9月の朝日新聞社長会見以来、「朝日バッシング」は新聞・週刊誌から月刊誌におよび、安倍内閣の右傾化を報じる海外のメディアから、憂慮されています。慰安婦問題を報じた元朝日新聞記者の勤務する大学にまで、脅迫状がきて辞任に追い込まれ、言論の自由は危機に瀕しています。日本弁護士連合会や日本ペンクラブは、特定秘密保護法施行に直ちに声明を出しましたが、日本新聞協会は、韓国政府の産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴には抗議声明を発しても、自国の異常な言論状況には沈黙です。私たちはすでに、危機の中にあります。
11月8日(土)午後1−5時、明治大学リバティータワー地下1階1001教室で、「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」と題する国際シンポジウムが開かれます。昨年の上海に続く、日露歴史研究センター主催の第8回国際シンポジウムで、コーディネーターは日露歴史研究センター代表・白井久也さん、パネリストに、ゾルゲ・尾崎秀実の上海時代を初めて旧ソ連第一次資料で本格的に解明したロシアのミハイル・アレクセーエフ・ロシア軍事史公文書館員、上海時代を中国側資料から論じる上海復旦大学・蔵志軍教授、それに、日本側から社会運動資料センター・渡部富哉さん、作家でゾルゲ事件の小説執筆中の小中陽太郎さん、それに今春『ゾルゲ事件』(平凡社新書)を公刊した私です。このほかにも、中国・ロシア・オーストラリアから、セルビアからはブランコ・ブーケリッチ遺児・山崎洋さんも、来日するとのことです。そこに報告する、シベリア抑留帰還者とゾルゲ事件元被告の「第二のゾルゲ事件」「戦後ゾルゲ団」の問題を準備していて見いだしたのが、サンフランシスコ講和条約による独立直後、1953年国会での「スパイ防止法」論議でした。ちょうど米ソ冷戦さなか、熱戦・朝鮮戦争中で、米軍による鹿地亘監禁事件などがおこっていた時期です。どうやら日米安保条約で独立国日本に基地を残した米軍は、ソ連の対日スパイ組織、シベリア抑留帰還者のなかに送り込んだエージェントを警戒し、日本国憲法中心の民主化された法体系に、早くも不満を持っていたようです。当時はレッドパージされたりした、日本のジャーナリストたちも果敢にたたかい、「スパイ防止法」制定を許さなかったのですが、まもなく施行される特定秘密保護法は、60年後の日米支配層による悲願達成の意味を持ちます。集団的自衛権行使とワンセットで使われる可能性大です。そんな歴史に学ぶためにも、ご関心の向きはぜひご出席ください。長くなったので、「ノーベル賞の政治学」の話題は次回に。
自然に対する驕りは、いのちへの倍返しを招く!
2014.10.1 ようやく国会が始まりました。政府の集団的自衛権閣議決定も、川内原発再稼働の原子力規制委員会「安全」審査も、沖縄の普天間基地辺野古移転も、国権の最高機関たる国会などなきがごとくに、安倍首相により進められてきました。内閣改造は、女性閣僚を増やしたといっても、安倍首相の右翼的言説に輪をかけたナショナリストの面々がならび、「お友達内閣」の骨格は変わりません。物価高・生活苦のなかでの消費税増税への不満、原発再稼働反対の多数派世論、武器輸出ばかりでなく自衛隊の海外での参戦さえ近づく不安がありながら、野党のふがいなさが、政治へのあきらめ・無力感を産み出しています。「朝日たたき」が、元記者勤務先への脅迫状にさえ結びつき、各地の自治体で、憲法を守る集会や脱原発展示が、「政治的」という理由で、開けなくなっています。ウクライナの不安定ばかりでなく、アメリカの対「イスラム国」シリア爆撃が始まり、中国・韓国との関係が冷えきった安倍内閣の姿勢からすると、戦争が、現実の問題として迫ってきます。
そんな世界の中での、一抹の希望。スコットランド独立をめぐって、過半数までは届かなかったが自決・自治の力を世界に示した、イギリスでの住民投票の経験、そして、いま眼前で進む、普通・平等・自由選挙への、香港市民の願いと運動。前者は、スペインでのカタルーニャやバスクの住民投票へと飛び火し、後者は、かつて四半世紀前の天安門前広場を想起させる、「アンブレラ・レボルーション(雨傘革命)」へと展開しています。福島や沖縄の人々は、身につまらせる思いで、注目していることでしょう。自分たちの問題を自分たちで決めること、自分たちの代表は自分たちで選ぶこと。これが、民主主義の原点です。福島知事選は10月26日投票、沖縄知事選は11月16日投票です。
木曽の名山、御嶽山が突然の噴火、水蒸気爆発ということですが、多くの犠牲者が出ています。この夏の広島土砂災害をはじめ、各地の集中豪雨は異常でした。地球全体の地殻変動・異常気象を前に、私たちが「科学」と信じてきたものには、あまりにも空白と隙間が多く、自然に対しては無力であることを、改めて思い知らされます。2011年3月11日から「もう3年半」なのか、「まだ3年半」なのか。汚染水をたれ流し除染も進まないのに「収束」や「アンダーコントロール」と公言する政府や東京電力にとっては「もう」なのでしょうが、故郷を奪われ、今なお仮設住宅に住む人々、放射能の内部被曝をおそれる人々にとっては、「まだまだ」です。「世界一安全」と称する原発再稼働を急ぎ、原発輸出のセールスに精出す安倍内閣にとっては「もう」でも、毎週金曜日に首相官邸前や全国で「再稼働反対」を訴え続ける人々にとっては「まだ」です。
自然に対する人間の驕りは、どこかで必ず、しっぺ返しに遭います。グローバリズムや新自由主義経済も、大きなひずみを抱えています。夏に創刊された雑誌『NONUKES VOICE』は、ピケティの『21世紀の資本論』 や、先日亡くなられた宇沢弘文さんの名著『自動車の社会的費用』などとは違った意味で、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という田中正造の言葉を思い起させます。小出裕章さん、今中哲二さんの、謙虚な科学的解説が、心に響きます。福島の 木田節子さん「騙され続けた私たち」や、大飯原発福井地裁判決要旨の全文掲載に、考えさせられます。経産省前テント村やたんぽぽ舎、川内原発からの報告に、勇気を与えられます。桜島の噴煙を見ながら、避難計画もできないのに川内原発再稼働が強行されそうな近隣住民は、御嶽山の噴火を、どんな想いで、受け止めたのでしょうか。
9月27日から、早稲田大学エクステンションセンター中野校で、オープンカレッジ「検閲と危機の時代 ― 戦中・戦後占領期から現代まで」が、毎週土曜日全10回で開かれます。山本武利名誉教授や土屋礼子教授らが占領期のメディア検閲を中心に歴史的に検証し、私も10月11日に原爆・原子力言説と検閲の問題を話します。まだ定員に余裕があるそうですから、権力とジャーナリズムの関係に関心のある方はぜひどうぞ。誤報や誤記は、書物の場合でも避けられません。3月刊行の『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の正誤表を作りましたので、ご参照ください。法政大学『大原社会問題研究所雑誌』の最新8月号に、「『国際歴史探偵』の20年ーー世界の歴史資料館から」を発表しています。講演記録で読みやすいですし、『大原雑誌』はデジタルで読める日本では最先端の雑誌ですから、ぜひご参照ください。もっともその講演記録で、イギリス国立公文書館の略称を、「TNA(The National Archives)」ではなく「BA(British Archives)」 と表記してしまいました。訂正したpdfファイルを入れておきましたので、こちらからどうぞ。学術論文データベ ースに、常連宮内広利さんの新稿宮内広利「親鸞における信と不信〜『歎異抄』を読む〜」(2014.9)をアップ。あわせて佐々木洋さんの「核開発年表」(2014.9)を最新版にバージョンアップしました。東京大学出版会から工藤章・田嶋信雄編『戦後日独関係史』が刊行され、私も井関正久・中央大学教授と共著で「戦後日本の知識人とドイツ」を寄稿しています。ご笑覧ください。現代史料出版からは加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻を編纂して、第一期6巻セットが発売されました。概要は、「機密解除文書が明かす戦後日本の真の姿:GHQ文書」(『週刊 新発見 日本の歴史』44号、2014年5月18日)に書き解説していますが、大部で高価ですから、ぜひ図書館等にリクエストしてご利用下さい。前回お知らせした「第二のゾルゲ事件」については、資料整理中ですが、11月8日(土)午後に予定されているゾルゲ・尾崎処刑70周年記念国際シンポジウム(明治大学)で中間報告するつもりです。乞うご期待。
2013年は、春に「社会民主主義の国際連帯と生命力ーー1944年ストックホルムの 記録から」(田中浩編『リベラル・デモクラシーとソーシャル・デモクラシー 』未来社)と加藤哲郎・井川充雄編『原子力と冷戦ーー日本とアジアの原発導入』(花伝社)に「日本における『原子力の平和利用』の出発」を発表しました。秋の加藤・鳥山・森・国場編『戦後初期沖縄解放運動資料集』のDVD版刊行を期に、森宣雄・鳥山淳編『「島ぐるみ闘争」はどう準備されたのかーー沖縄が目指す<あま世>への道』(不二出版)が単行本として刊行され、私も「金澤幸雄さんと金澤資料について」を寄稿し、12月23日(月)には沖縄・那覇市で出版記念シンポジウムが開かれました。『図書新聞』11月2日号に書いた村田忠禧『日中領土問題の起源』の書評をアップ。私が米国国立公文書館(NARA)で集めてきた日本戦犯資料を使って、心あるジャーナリストの皆さんが、意味ある現代史の再発掘・再検討を進めてくれました。ゾルゲ事件での伊藤律「革命を売る男」説の誤りをただす松本清張の『日本の黒い霧』の改訂については、その後も多くの報道がありますが、『東京新聞』5月28日に決定版解説記事が大きく出ました。沖縄での米軍対敵諜報部隊CICについては、『朝日新聞』西部版5月5日の「人権無視、いつの世まで」という記事で使っていただいたようです。ゾルゲ事件関係のファイルが増えてきたので、「情報学研究室」カリキュラムに、情報学研究<専門課程2ーー世界史のなかのゾルゲ事件> をつくりました。それをも下敷きにした新著が、 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)です。チャルマーズ・ジョンソンの新訳『ゾルゲ事件とは何か』(岩波現代文庫)に寄せた「解説」、及び『歴史学研究』12月号掲載中の震災特設部会「大会報告批判」、それに9月上海での国際シンポジウム報告「国際情報戦としてのゾルゲ事件」(『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』38号、2013年12月刊)が活字になり、年末には、この間の原爆・原発研究を踏まえて、岩波現代全書『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』が発売になりました。『日本の社会主義ーー原爆反対・原発推進の論理』では、(1)労働力を摩滅・破壊する放射線被曝労働の不可避、(2)絶対安全はありえない巨大なリスクを持つ装置産業で、人間の完全制御はありえない、(3)10万年後も残される「未来への暴力」としての核廃棄物、をあげて「核と人類は共存できない」と主張しました。地震列島の日本国民全体が当事者であるのみならず、地球と文明そのものが危機にさらされている、という意味です。その観点から20世紀日本の平和運動・社会主義を見直し、「原子力は、日本の社会主義のアキレス腱だった」と結論づけました。私の脱原発宣言本で、いろいろご意見もあろうかと思いますが、ご笑覧ください。日本ペンクラブでのシンポジウム「島崎藤村と日本ペンクラブ』の報告が活字になっていますので、『P.E.N.』2月号の発言要旨を、NPO現代の理論・社会フォーラム『ニューズレター』6月号の富田武さんの『シベリア抑留者の戦後』(人文書院)書評、平凡社創業100年記念『こころ』19号特集「私の思い出の1冊」(6月)に寄せた「「私の思い出の1冊・石堂清倫『20世紀の意味』」と共にアップしておきました。
勝野金政(かつの・きんまさ)の生涯をロシアに伝えるためで、彼が日本帰国後1930年代に書き残した『赤露脱出記』『ソヴェト・ロシヤ今日の生活』『二十世紀の黎明』『ソヴェート滞在記』などの記録文学を、人類学者の故山口昌男さんにならって「日本のソルジェニツィン」としてロシアの人々に紹介し、再評価するモスクワ・ソルジェニツィン・センターでの講演会は、現地でそれなりの関心を惹き、日本の共同通信やロシアの日本語放送「ロシアの声」、それに東京新聞がとりあげてくれました。2013年3月から5月まで、早稲田大学演劇博物館で『佐野碩と世界演劇―日本・ロシア・メキシコ “芸術は民衆のものだ”―』展が開かれました。そのオープニングの国際シンポジウムで「1930年代の世界と佐野碩」を講演しました。一昨年桑野塾講演「亡命者佐野碩ーー震災後の東京からベルリン、モスクワへ」の増補改訂版です。プロレタリア演劇に関心のある方、佐野碩の作詞した労働歌「インターナショナル」をお聞きになりたい方は、どうぞpdfファイルのyou tube でお楽しみを。学術論文データベ ースには、神戸の深草徹さんの連続寄稿、「世界に通用しない特定秘密保護法(改訂版) 」、「集団的自衛権を考えるーー北岡伸一批判」(2013.11),「アメリカと比べてこんなにひどい特定秘密保護法」(2013.12) ,「特定秘密保護法廃止のために―問題点をえぐる5本のメス」(2014.1),「立憲主義を守るために秘密保護法が必要との謬論を駁す」,「核燃料サイクルから撤退を」(2014.2),「戦前秘密保全法制から学ぶ」(2014.2),「砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す」(2014.4)、「今、再び特定秘密保護法を考える」(2014.6)、「安保法制懇報告書を読む」(2014.6) などが入っています。宮内広利さんの「柳田國男と折口信夫 〜民俗学の原像をもとめて〜 」(2014.5)に続いて「親鸞における信と不信〜『歎異抄』を読む〜」(2014.9) 、佐々木洋さん「核開発年表改訂最新版」(2014.9)も、DBにアップされています。私の「国際歴史探偵 」の原点である国崎定洞研究の到達点「国崎定洞ーー亡命知識人の悲劇」(安田常雄他編『東アジアの知識人』第4巻、有志舎)と共に、ぜひご笑覧ください。 。日本経済評論社の加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」序論「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」を詳述した講演記録「アメリカニズムと情報戦」(『葦牙』第36号)は、本サイト運営の方法論を示すものです。早稲田大学大学院政治学研究科2014年度大学院講義・ゼミ関係は、秋学期が始まりますが、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
ジャーナリズムは、真実の報道と権力の監視を!
2014.9.15 大学の夏休みも、もうわずかです。アメリカから戻って取り組んだ800ページの大著が、鳥居英晴『国策通信社「同盟」の興亡ーー通信記者と戦争』(花伝社)、直接にはベルリン反帝グループの安達鶴太郎や 戦時在独日本大使館員崎村茂樹の戦時スウェーデン亡命についての手がかりを得るためで、その点では新たな情報は得られませんでしたが、戦時アジア・中国での同盟通信社とその特派員・記者たちの戦争協力の生態学になっていて、魅き込まれました。ちょうど武器やアヘン貿易を扱う商社の世界に陸軍御用達「昭和通商」という幻の巨大商社があったように、戦後は共同通信と時事通信に分かれた国策通信社「同盟通信」が、いかに外務省と軍部の宣伝戦の尖兵としてアジア・太平洋戦争遂行の一翼を担ったかが、詳細に描かれています。ジャーナリズムというよりは、国家の宣伝戦の一機関、アルチュセールの言う「国家イデオロギー装置」の機能を果たしたことが、よく分かりました。著者自身が共同通信の元記者ということで、その意味では見事な自己切開です。一読をお勧めします。
朝日新聞社が、5月の福島第一原発事故の政府調査検証委員会「吉田昌郎調書」報道について、2011年3月15日朝に東電社員650名が「待機命令違反で撤退した」という内容が誤りであったとして、社長が記者会見して謝罪し、記事を取り消しました。あわせて、過去の「従軍慰安婦」報道についても、当初依拠した 「吉田清治証言」は虚偽であったこと、そのことを認めた8月5日・6日の検証報道について、池上彰氏が「訂正が遅すぎた、記事を取り消しながら謝罪がない」とコメントした 連載コラム「新聞ななめ読み」の掲載を見合わせ、それが明るみに出て1週間後に掲載したことについても、記者会見と紙面で認め、謝罪しました。戦後日本のメディア史のなかでも、異例な事態になりました。新聞やテレビの誤報は、朝日新聞以外でもよくあることです。記事取り消しや謝罪も、珍しいことではありません。ただし、社長の記者会見や辞任にいたり、それをマスコミ他社が大きく報じることは、きわめて稀です。池上氏の紙面批評も、当然掲載すべき内容だったでしょう。朝日新聞社の右往左往が招いた失態で、「朝日の911」だったことは明らかです。しかし、そこから他紙誌ばかりでなく、政治家や政府高官までがここぞと「朝日バッシング」にまわり、一斉に従軍慰安婦問題はなかったとか、「河野談話」見直しへと進んでいる風潮には、違和感を禁じ得ません。鳥居氏の同盟通信史や山本武利『朝日新聞の中国侵略』(文藝春秋、2011年)が検証した、メディアの「いつかきた道」を想起します。
つまり、福島原発311事故のさい、政府や東京電力がどのように対処したかを示す「吉田調書」以下の調査記録は、本来すみやかに公開され、福島での放射能・汚染水対策、被災者救済・補償政策、原子力規制委員会の規制内容にも生かさるべきでした。それが非公開であるがゆえに、「吉田調書」の一部を恣意的に使った朝日の記事が「スクープ」として、一面トップになりました。政府が今回公開した「調書」類からうかびあがるのは、原発事故制御の困難、政府と電力会社の無責任な関係と情報隠し、一歩あやまれば東日本壊滅にいたった問題の深刻さ、「安全神話」ゆえにネグレクトされてきた事故対応・危機管理の稚拙な体制です。もしも朝日新聞が「吉田調書」全文を入手していたのなら、その「スクープ」狙いの解読の甘さ、本質的問題を回避した報道こそ、批判され検証さるべきでしょう。全情報を持って管理していたのは政府です。産経新聞ほか他社が「吉田調書」をどこからか入手し、朝日「スクープ」に疑問を提示したときから、朝日の稚拙な対応に乗じた、原発再稼働と原発輸出に向かう政府の周到な情報戦略が透けてみえます。「吉田調書」と当時の菅首相以下民主党政権幹部の当事者証言は政府の手で開示されましたが、東京電力の清水社長・勝俣会長らの記録は未公開です。国会調査委員会にも、まだ非公開の証言が多数あります。特定秘密保護法や集団的自衛権問題で政府批判の論陣を張るメディアを狙い撃ちした、「朝日たたき」の情報戦とも考えられます。
「従軍慰安婦」問題でも同様で、より深刻です。朝日新聞が「吉田証言」の信憑性が危うくなった時点で誤りを認めて検証し、被害者証言や記録文書の方から組み立て直しておけば、問題提起そのものの先駆性を失うことなく、日本のみならずほとんどの帝国主義国家が戦争の中で繰り返してきた民族差別、女性蔑視、人間の尊厳と人権への抑圧を、告発し続けることができたでしょう。それを何十年も放置して、安倍内閣が再び戦争に道を拓き、嫌韓嫌中ナショナリズムが高まってきたこの8月に、朝日の執行部は、なぜか「従軍慰安婦」問題での検証記事を作りました。権力への迎合・屈服ではなかったかが、疑われます。いうまでもなく、ジャーナリズムの使命は、真実の報道とともに、権力への監視です。それが今回の事態で、内閣改造をしたばかりの安倍首相に、御祝儀相場以上の支持率回復を与え、「朝日は世界に向けてしっかり説明しなければならない」と公言させることになりました。稲田自民党政調会長は、「日本の名誉回復」を声高に発言しています。同じ人物が、高市総務相と同じく、日本のネオナチ団体の党首とツーショット写真に収まっていたことが、イギリス『ガーディアン』紙などで報じられました。ヨーロッパなら直ちに公職辞任にいたる「事件」ですが、政治の右傾化と「朝日バッシング」のなかで、日本では問題にされません。日本のジャーナリズムの全体が、「いつかきた道」を本格的に検証することこそ、いま求められています。
9月25日から早稲田大学大学院の秋学期が始まり、私の政治学研究科講義・ゼミも26日から再開です。政経学部の3号館改築が完成し、教室が変わっていることに注意。早稲田大学ホームページからご確認ください。9月27日から、早稲田大学エクステンションセンター中野校で、オープンカレッジ「検閲と危機の時代 ― 戦中・戦後占領期から現代まで」が、毎週土曜日全10回で開かれます。山本武利名誉教授や土屋礼子教授らが占領期のメディア検閲を中心に歴史的に検証し、私も10月11日に原爆・原子力言説と検閲の問題を話します。まだ定員に余裕があるそうですから、権力とジャーナリズムの関係に関心のある方はぜひどうぞ。誤報や誤記は、書物の場合でも避けられません。3月刊行の『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の正誤表を作りましたので、ご参照ください。法政大学『大原社会問題研究所雑誌』の最新8月号に、「『国際歴史探偵』の20年ーー世界の歴史資料館から」を発表しています。講演記録で読みやすいですし、『大原雑誌』はデジタルで読める日本では最先端の雑誌ですから、ぜひご参照ください。もっともその講演記録で、イギリス国立公文書館の略称を、「TNA(The National Archives)」ではなく「BA(British Archives)」 と表記してしまいました。訂正したpdfファイルを入れておきましたので、こちらからどうぞ。学術論文データベ ースに、常連宮内広利さんの新稿宮内広利「親鸞における信と不信〜『歎異抄』を読む〜」(2014.9)をアップ。あわせて佐々木洋さんの「核開発年表」(2014.9)を最新版にバージョンアップしました。東京大学出版会から工藤章・田嶋信雄編『戦後日独関係史』が刊行され、私も井関正久・中央大学教授と共著で「戦後日本の知識人とドイツ」を寄稿しています。ご笑覧ください。現代史料出版からは加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻を編纂して、第一期6巻セットが発売されました。概要は、「機密解除文書が明かす戦後日本の真の姿:GHQ文書」(『週刊 新発見 日本の歴史』44号、2014年5月18日)に書き解説していますが、大部で高価ですから、ぜひ図書館等にリクエストしてご利用下さい。前回お知らせした「第二のゾルゲ事件」については、資料整理中ですが、11月8日(土)午後に予定されているゾルゲ・尾崎処刑70周年記念国際シンポジウム(明治大学)で中間報告するつもりです。乞うご期待。
国際社会からの孤立は、いつかきた道!
2014.9.1 ひと月ぶりの更新です。しばらくアメリカ合衆国に滞在しました。ワシントンDCでの学術調査です。 10年も定点観測を続けていると、米国や日本の変化も実感できます。かつての勢いはありませんが、アメリカはなお安定した大国で、世界からエリートも底辺労働者も集まってきます。アジア系の人々は増えました。でも日本の姿は、影が薄くなりました。自動車は日本製が多いですが、テレビは韓国製が増えて、衣料品からiPhoneまで中国製商品があふれています。テレビや新聞で日本が話題になることは滅多にありません。もっともインターネットやSNSが普及して、自国に関心がある人々は自国語メディアで情報が得られますから、マスコミとウェブの棲み分けが進んでいるということでしょう。第一次世界大戦100年、クリミア・ウクライナやガザの戦火の中では、アジアそのものが後景に退きます。話題のフランス書の英訳700頁の大著、トマ・ピケティ『21世紀の資本論』が書店に平積みされるベストセラーで、駅の売店でも売られているのは、アメリカ社会の健全さの証しでしょうか、危機の現れでしょうか。もっとも電子ブックなら半額ですから、私は重い荷物はやめて、Kindle版にしました。政治や外交の世界では、ケント・カルダー『ワシントンの中のアジア』(中央公論新社)が述べる通り、中国・韓国のプレゼンスが高まる中で、日本の存在感は小さくなりました。この趨勢は、巻き返し困難でしょう。 日本のニュースは、日本語ウェブで、簡単に手に入ります。FacebookからTwitterまで、若者の動きも手に取るようにわかりますから、外国にいる感じはしません。もっとも、アメリカのホテルのネットは遅く、you tubeやdaily motion には、イライラしましたが。集団的自衛権問題のその後から、沖縄辺野古沖での新基地建設着工の企て、安倍内閣改造の動きまで、一応追いかけられましたが、外にいることで気になった情報が二つ。一つは、国際的にも科学者たちの中でも決着がついたはずのSTAP細胞問題。これがなぜか、政府や理研ばかりでなく、テレビのワイドショーやウェブでも「あるかないか」と論じられ続ける文化。これを曖昧にしておくことが、それでなくても地盤沈下した、日本の科学技術の国際的信頼性喪失につながることが、なぜか自覚されていません。もう一つは、内戦続くシリアに潜入し「イスラム国」に拘束された「民間軍事会社」湯川遥菜なる人物の行方と、そのメディア報道、ウェブ上では、本人のブログ、田母神俊雄とのツーショットをはじめ、単なる「軍事オタク」ではなく、どこからか資金を得て戦場に入った諜報工作員の色彩濃厚ですが、なぜかマスコミでは、イラク戦争時の日本人ジャーナリストのようには、詳しく報じません。政府の対応も、問題を小さくするためかよく見えず、解放交渉や身代金があるはずですが、あまり報じられません。日本の一部勢力が、安倍内閣の特定秘密保護法、国家安全保障局成立、集団的自衛権閣議決定や武器輸出3原則放棄に 励まされて、すでに遠い中東の戦場でも蠢動を始めたことが、隠されようとしているかに見えます。 戦争は、こんなかたちで近づいています。
そして、安倍首相以上に「軍事オタク」である石破現自民党幹事長が、安全保障法制担当相がらみで8月政局の焦点になり、結局別のかたちで入閣して、安倍内閣の長期化を支えることになりそうです。かつて、3・11福島原発事故後に。「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという『核の潜在的抑止力』になっている」「逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる」と公言した人物が、どうやら、ポスト安倍の最有力候補になり、原発再稼働から核保有永続化への道を、推進することになりそうです。これも、国際社会の趨勢を無視した、日本への厳しい眼に対する挑戦です。
かつて中国では政治的理由から本サイトがブロックされ、今春サイバー攻撃を受けて、不正アクセス・ページ改ざんがあったと、イギリスの友人から連絡を受け、あわててリンクの一部を削除し、セキュリティを強化しました。アメリカからはどうかとチェックしたら、本サイトの方は、なんとか問題なくつながり、不正リンクも見つかりませんでした。ところが今度は、メールが数日間、つながらなくなりました。どこかから、私のアドレスを騙って数千通の大量の迷惑メールが送られ、帰国してプロバイダーに問い合わせると、送信のみ一時停止にしたといいます。ホームページでメルアドを公開していると、よくあることなそうですが、スパム(迷惑メール)送信業者に、悪用されたようです。既に対策をとりセキュリティを追加しましたが、私の名で悪質・迷惑メールが届いた皆様には、深くおわび申し上げます。法政大学『大原社会問題研究所雑誌』の最新8月号で、「『国際歴史探偵』の20年ーー世界の歴史資料館から」を、発表しています。講演記録で読みやすいですし、『大原雑誌』はデジタルで読める日本では最先端の雑誌ですから、ぜひご参照ください。もっともその講演記録で、イギリス国立公文書館の略称を、「TNA(The National Archives)」ではなく「BA(British Archives)」 と表記してしまいました。訂正したpdfファイルを入れておきましたので、こちらからどうぞ。今夏の米国国立公文書館調査から、3月刊 『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の延長上で解明すべき、新たな戦後冷戦期の問題が、出てきました。シベリア抑留帰還者に対する米軍尋問・対ソ諜報のなかから、1953年に「第二のゾルゲ事件」「戦後ゾルゲ諜報団」が、米国陸軍情報部によってフレームアップされ、「スパイ防止法」創設の根拠にされかけた形跡があり、いわゆるラストボロフ事件に、つながりそうです。東京大学出版会から工藤章・田嶋信雄編『戦後日独関係史』が刊行され、私も井関正久・中央大学教授と共著で「戦後日本の知識人とドイツ」を寄稿しています。ご笑覧ください。現代史料出版から、加藤哲郎編集・解説『CIA日本人ファイル』全12巻を編纂して、第一期6巻セットが発売されました。ぜひ図書館等にリクエストして、ご利用下さい。「第二のゾルゲ事件」は、まだ資料が未整理で解読できていませんから、今後の本サイトのお楽しみに。