ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
2010.6.10 映画「沈まぬ太陽」を見ました。国策航空会社での企業内差別・労使紛争や520人の犠牲者を出したJAL123便御巣鷹山事故をめぐる人間の劇を描いた山崎豊子原作の第33回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品。渡辺謙演じる主人公のモデルとされる日航労組指導者小倉寛太郎氏の生き様も面白いですが、事故当時JALの客室乗務員で多くの同僚を失い、映画にも出演した青山透子『天空の星たちへ』(マガジンランド)によれば、事故の現実は映画以上にすさまじいものだったようです。そこに紹介されている、事故後10年の1995年8月27日、米軍人コミュニティ向けの新聞『スターズ・アンド・ストライプス』掲載のアントヌッチ中尉の証言が、当時の日本での米海兵隊の役割を述べていました。「当日8月12日の午後6時30分ころ、我々は沖縄から横田に向け飛行中、大島上空にさしかかった。」「(横田司令部から)ちょうど7時過ぎに123便がレーダーから消えた、と伝えてきた。 そして123便を捜索できないかと聞いてきた。 われわれは、あと2時間は飛べる燃料を持っていたので機首を北に向け、捜索に向かった。 」「午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のようなものが見えるのを発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。…山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。」「当機は8時30分まで旋回を続けた。そのとき、海兵隊のヘリコプターが救助に向かっているので方向を知りたがっている、といわれたので、墜落現場までの方位を教え、当機のレーダーで地上から空中までを探してみた。 8時50分までに救援ヘリのライトを視認できた。ヘリは偵察のため降下中だった。 午後9時5分に、煙と炎がひどくてとても着陸できないと海兵隊が連絡してきた。位置を少し移動して二人の乗員をホイスト(ウインチで吊り下げ)で地上に降ろすつもりでいた。 われわれに、司令部に連絡してくれと頼んできた。私が司令部に連絡を取った。 」(しかし司令部からは)「即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様」と命令された。 私は「了解。基地に帰還する」と応答した。 」「われわれの到着から2時間経過した午後9時20分に、最初の日本の飛行機が現れた。 管制から日本の救難機だとの知らせを受けた。 日本側が現場に到着したことで、安心してその場を引き上げた。」「翌日のニュースや新聞を見て、われわれは愕然とした。 ニュースは、日本の捜索隊が墜落地点を発見するのが、いかに困難をきわめたかを伝える報道で溢れていた。事実、まだ事故機残骸に到着していなかった。」ーー実際、日本の救援隊が現場に到着したのは、墜落から12時間後のことで、その間に多くの生命が失われました。米国の海兵隊って、何のために日本にいるんでしょうか?
鳩山首相を戴く「存在の耐えられない軽さ」内閣は終わりました。でも、民主党の党内事情で、鳩山・小沢体制から菅直人・枝野幸男体制に代わっただけで、米国海兵隊の役割や「抑止力」の議論、総じて普天間基地辺野古移転の日米合意への沖縄県民の怒りと本土への問題提起は、突如としてマス・メディアの紙面・画面から消えました。1週間前の政局の焦点は日米合意と「政治とカネ」であったのに、論点は一斉に「小沢対反小沢」に切り替えられ、菅直人が「反小沢」にシフトして民主党代表に選ばれると、「サラリーマン家庭・市民運動出身の政治家」、「財政再建を唱えて消費税引き上げも認める」新首相への期待が連日報じられました。ちょうど郵政民営化選挙の時の小泉首相のように、「小沢支配の排除」で民主党が再生するかのように。世論調査は、軒並みV字型で内閣支持率60%に回復(図の64%は読売新聞)、参院選での投票先=民主党も反転上昇を始めました(毎日新聞)。ご祝儀支持率です。「県外・海外移設」・連立離脱で先週ちょっと上がった福島社民党も、新自由主義を純化して第3党にのし上がった「みんなの党」も、あおりを受けました。何しろ菅内閣の布陣は、一方で普天間問題で鳩山前首相と共に責任を負うべき外相・防衛相は留任なのに、前原グループをはじめとした民主党内新自由主義派登用が目玉になっていますから、争点がチェンジしたかたち。菅新首相自身、日米合意は継承とオバマ大統領との電話会談でも明言してますから、池田香代子さんやきつこの日記さんが述べているように、自らの過去の言説からの「転向」です。無論、沖縄では大きな失望と厳しい評価が出ていますが、「本土」の世論は辺野古移設に「賛成」51%(毎日新聞)と反転しました。その勢いで、米国大使は18日にも沖縄訪問とのニュースも。
もっとも、世論のご祝儀に舞い上がった民主党は、新装カバーがはがれないうちにと、国会での郵政法案、労働者派遣法改正案、インターネット選挙解禁法案等も先送りにし、国会審議は早々と終えて7月11日参院選へ突っ走ろうとする勢い。国民新党との連立合意を舌の根も乾かないうちに変更して亀井金融相を切り捨て、「政治とカネ」の後始末もかなぐりすてて、強引な失地回復をはかっています。早速首相側近ほか新閣僚の事務所費問題などほころびが出ていますが、「透明性」とはほど遠い説明。本来首相交代は総選挙の洗礼を受けてなすべきと言ってきたのは、野党時代の民主党です。わずか2日の党内選挙で一国の運命を変えようとする不遜は、必ずどこかでしっぺ返しを喰うでしょう。誰が仕掛け人と特定できるのはまだ先ですが、どうも大がかりな情報戦の仕掛け、マスコミの世論誘導、アジェンダ(論題)の組み替えが感じられます。ネチズンは、カバーの変化に動揺せず、5月末の自分に立ち返り、沖縄現地の『琉球新報』/『沖縄タイムス』を毎日読み、参院選での自分の立場を措定しましょう。この政局全体の基本的争点は、日米同盟のあり方、政治とカネの問題にあり、経済・財政政策の背後には、民主党の公約「国民生活が第一」の筋が通っているかどうか、雇用・福祉・医療・年金・税制はどうなるかが問題になります。情報戦の中では、私たちのメディア・リテラシーが試されます。5年前の「小泉劇場」から何を学ぶか、一人一人の「市民の質」が問われています。
図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。鳩山内閣から菅内閣に代わったのと、明日から東京を離れ来週定期更新日は北海道・網走で北海道立北方民族博物館「保苅実写真展」に行っていますので、追加書き込みのかたちで臨時更新。来週はまた、別な政局になっているんでしょうか。菅首相が模範と考えているらしい、イギリスの議院内閣制。当のイギリスで、大きく変わりつつあります。(1)5月総選挙で、小選挙区制にもとづく2大政党制は、民意を反映できなくなり、菅首相の言う「第3の道」の労働党政権から、第3党を含む保守・自由連立内閣に代わりました。(2)その13年ぶりの政権交代の大きな原因は、労働党閣僚を含む国会議員経費の使途への国民不審、プールの修理費や高級家具、ペットのえさ代を請求したスキャンダルでした。少女コミックや音楽CDの領収書で事務所経費をごまかそうとする側近に注意。(3)イギリス議会では、今ブレア元首相らを召還して、イラク戦争への参戦を歴史的に検証する超党派の調査委員会が開かれています。6月9日のNHKクローズアップ現代でも取り上げられていました。鳩山・菅首相は、将来の沖縄米軍基地移設日米合意決定の歴史的検証に耐えられるのでしょうか? 冷静に、じっくりと、新政権の中身に注目しましょう。世界は大きく動いています。6月4ー5日釜山でのG20財務相会議、日本は不在のところでギリシャ・ハンガリー危機が話し合われました。25日からは、カナダで先進国首脳サミット。毎年首相が代わるこの国には、顔見せ以上の役柄はまわってこないでしょう。 それでも、オバマ大統領と顔を合わせるのですから、菅首相に何が言えるか、注目しましょう。
2010.6.2
定年退職の恩恵を、初めて味わいました。3月までは一橋大学の会議日で抜けられなかった水曜日、今日は夕方からの都心だけでテレビをつけたまま原稿を書いていたら、突然鳩山首相辞任のニュースが、飛び込んできました。両院議員総会の最中に、AP(なぜかまだ一橋大学のままです)、AFP(早稲田大学になってます)など外国通信社からのインタビュー電話。(1)退任理由にあげた普天間基地移転問題、政治とカネの問題での失政は正しい、ただし遅きに失した。(2)鳩山・小沢ツートップ退任によって、誰が新首相になっても、民主党の参院選敗北の趨勢は変わらないだろう、(3)米国側が鳩山政権日米合意を楯に、辺野古沖移転の実行を新政権に迫る態度は変わらないだろう、ただし米国にとっても鳩山政権の不安定・不人気は織り込み済みで、新政権の態度、7月参院選から沖縄県知事選への日本政治の推移を見守るかたちだろう、と答えておきました。昨日更新の基本線は変わりません。「2010年安保」です。
それで想起したこと、2つ。ティム・ワイナー『CIA秘録』(文藝春秋、2008)の一節。「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」ーーこれは岸内閣のことで、その後の米国情報戦はずっと洗練され、直接買収はみられなくなってきましたが、むしろそれは「日米運命共同体」「核抑止力」イメージで訓育・マインドコントロールされた政治家が政権を担い続けたからで、基本的構図は変わったんだろうか? ということ。第2に、故若泉敬氏のこと。佐藤内閣時の首相密使として日米沖縄返還交渉の「密約」の当事者になった政治学者が、その遺著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994)にあるように、晩年は自分の隠密行動が果たして沖縄の人々に何をもたらしたのかを見つめ続け、自ら「密約」交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪する巡礼行脚を、96年の死の間際まで続けました。鳩山由紀夫に、そうした「沖縄を売った」自責の念はあるのか。生じうるのか。「結果責任」の取り方で、政治家の歴史的評価は定まります。
2010.6.1
今からちょうど50年前の日本は、20世紀最高の政治的高揚の中にありました。いわゆる60年安保闘争です。5月19日深夜、岸信介首相と自民党は、国会に警察官を導入して社会党議員を排除し、改訂安保条約を単独強行採決、以後国会は、連日「安保反対!」「民主主義を守れ!」のデモで包囲されました。5月26日の国会17万人デモから6月4日は全国560万人ゼネスト、地方の八百屋さん、魚屋さんも店を閉めました。6月15日の樺美智子さんが亡くなる全学連の国会突入・警察との衝突、6月19日深夜、33万人が国会包囲する中での新安保条約自然成立、7月15日の岸内閣総辞職、7月19日池田内閣成立まで、「政治の季節」のただ中にありました。1960年5月の岸内閣支持率は12%、それでも岸首相は、デモの最中でも後楽園球場には人がいっぱい入っているからと「声なき声」は支持していると強弁しましたが、それならと「声なき声の会」という市民運動も誕生、結局「裸の王様」になり、辞任に追い込まれました。条約成立後の岸首相辞任理由は、6月19日に沖縄まできていたアイゼンハワー米国大統領の来日を断念せざるをえなかったことでした。今日の日米同盟、米軍基地存続、核兵器持ち込み密約、「アメリカの核の傘」「抑止力」依存への分岐点でした。
5月28日、民主党鳩山首相は、普天間基地返還の移設先に沖縄県「辺野古」を明記した日米共同声明を発表し、そのまま政府対処方針を閣議決定しました。「最低でも県外」「県外・国外」と公言してきた自らの公約への、明らかな違反です。それも5月末までに移転先現地、連立与党、アメリカの3者の合意を作ると繰り返してきたものの、結局日米合意優先で、沖縄民意の無視・裏切りに追い込まれ、連立合意からは福島社民党党首の大臣罷免、連立離脱を招き、結論は14年かけて自民党が作ってきた政権交代前の辺野古沖埋め立て案に戻るというのです。「政治主導」の迷走・空転、国民・沖縄県民への公約違反、日米地位協定そのまま、米軍への「思いやり」予算継続の最悪の愚策です。その裏プロセスはいろいろと報じられていますが、第1に鳩山首相の無定見と不勉強、第2にリーダーシップの欠如と内閣官房の機能不全、第3に民主党全体の国家戦略の欠如が、明らかになりました。60年安保の時のような政府批判の直接行動は少ないように見えますが、それは違います。50年前は、民意表出の回路が労働組合・全学連等の組織であり、国会デモと請願署名など陣地戦でした。テレビもようやく白黒が普及している段階、世論調査も直接戸別訪問・面接アンケート方式で滅多に行われませんでした。
いまや、20世紀の陣地戦・組織戦から、21世紀の情報戦・言説戦への時代です。5月末に各社の世論調査結果が一斉に出ました。沖縄県民11万人大会、徳之島1万5千人住民大会、首相の2度の沖縄訪問を踏まえた、「声なき声」の集積です。5月末内閣支持率は共同19%、時事19%、朝日17%、読売19%、毎日20%、日経22%、サンケイ19%と、全社ほぼ20%以下の政権末期症状です。不支持も6−7割で、昨年政権交代直後が高支持率スタートだっただけに、自民党政権末期の安倍・福田・麻生内閣以上のあからさまな支持急落で、国民の失望と不満が満ちあふれています。政党支持でも、民主党は支持率急落で自民党に追い越されたデータが多く、いわゆる無党派層は完全民主党離れ。参院選での投票先でも民主党忌諱が進み、2人区共倒れはもちろん、小沢幹事長のめざす過半数獲得は夢のまた夢、民主党内でも鳩山総裁への批判が吹き出し、今週中にも辞任がありうる政局。ただしマスコミが報じるのは、選挙と国会対策向けの数合わせ政局。民主党内で「国外」を模索する「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」の存在や主張は、ほとんど報じられません。たとえ衆院絶対過半数をバックに鳩山総理が居座っても、参院選敗北、9月党大会での更迭、内閣総辞職は必至でしょう。また菅副総理、岡田外相らにトップをすげ替えても、普天間移設問題の辺野古強制が残り、日米合意の抜本的見直しを提起できなければ、民主党政権の浮上はないでしょう。
沖縄を代表する新聞『琉球新報』の5月24日社説「辺野古移設表明/実現性ゼロの愚策撤回を 撤去で対米交渉やり直せ」は、鳩山首相の「三つの軽さ」を指摘しています。曰く、「言葉の軽さ」「信念の軽さ」「認識の軽さ」。これが沖縄県民の本土政府評価、鳩山民主党内閣の通信簿であることを示す注目すべき結果は、毎日新聞と琉球新報が合同で5月末に行った沖縄県の世論調査。「辺野古」反対84%、賛成わずか6%、昨年63%だった鳩山内閣支持率も沖縄では8%の一桁まで落ち込み、不支持は78%に及び、日米合意優先で先送りされた「沖縄県民の合意」は、到底ありえません。そればかりか、この8か月の「反面教師」で、沖縄の政治意識は大きく変わりました。政党支持率はなんと社民・自民・民主の順、大きな地殻変動が起こっています。これで、7月参院選、9月名護市議選、11月沖縄県知事選を迎えます。沖縄では、
これが7月参院選の争点になり、国政全体に及べば……。いま、私たちは、「2010年安保」のただ中にあるのです。
沖縄の声が、政府ばかりでなく本土の人々に届かないことに、沖縄の人々は「差別」を感じています。沖縄県民大会では仲井真知事は「日本全国でみれば明らかに不公平で、差別にすら近い」と言及しました。歴史的に見れば、新崎盛暉さんが「構造的沖縄差別」と言うように、もっともなことです。徳之島案とワンセットならいっそう鮮明です。「構造的差別」とはどういうものか? 本土の方は、ぜひ沖縄の「沖縄県平和祈念資料館」「平和の礎」を見に行きましょう。そして、名護市の辺野古の海を、すぐそばの米軍キャンプ、問題の普天間基地と共に、実際に見てみましょう。北の北海道にも、手がかりがあります。網走市の「北海道立北方民族博物館」を 、ぜひ訪れてください。そこで4月29日から6月20日まで、「保苅実写真展 カントリーに呼ばれてーーオーストラリア・アボリジニとラディカル・オーラル・ヒストリー」という豪日交流基金後援の展示会が開かれています。若くして亡くなった我が国オーラル・ヒストリー研究の開拓者、名著『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶ノ水書房)の著者である故・保苅実さんが、オーストラリアの先住民アボリジニの民衆世界に入り込んでとらえた記録が、アイヌやイヌイトなど北方圏のマイノリティの人々と響きあって、「他者との接続可能性、共奏可能性」の問題を提起します。ウェブ上に「沖縄で保苅実を読む」という評論があるように、それはまた、沖縄とアイヌ、アボリジニの心をもつなぐものとなるでしょう。実はこの保苅実さん、私の一橋大学でのゼミナール30年間350人の教え子の中で、私よりも先に天界に逝った3人のうちの一人、3月のゼミ同窓会最終講義のさいも、冒頭でその悔しさを語って哀悼しました。私も6月中旬に、北海道まで足をのばすつもりです。
北海道新聞ホームページのイベント欄に、保苅実写真展の案内が出ていますが、その北海道新聞4月30日付けに、私の談話付きで「80年代まで昭和天皇の情報収集=大統領会見前に対米感情分析−CIA文書」という記事が載りました。もともとは本サイトの「CIA緒方ファイル分析」と一緒に見た、米国国立公文書館日本帝国戦争犯罪記録CIA個人ファイルの一つを、時事通信ワシントン支局が解析したもの。この「裕仁ファイル」を含む日本帝国戦争犯罪記録の全容については、ようやく連休で原稿にすることができました。近く『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)に、「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が掲載されます。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。ついでに最新の「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)も、なかなか手に入らない雑誌に収録された講演記録ですので、アップしました。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
図書館「学術論文データベ ース」に新規投稿論文、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)をアップ。長文でユニークな、マルクス主義批判です。このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」、前回アップした前日本体育大学教授森川貞夫さんほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)と共に、ご参照ください。3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。ただし、一橋大学のxxxxx@srv.hit-u.ac.jpのメールアドレスは、まもなく使えなくなりますので、私への連絡は、E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp をお使いください。一橋大学での研究の方の成果は、日本経済評論社から「政治を問い直す」シリーズ第1巻、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』が、5月末に発売になりました。第2巻、加藤哲郎、今井晋哉、神山伸弘編著『差異のデモクラシー』も6月末刊行の予定 、若手の力作揃いですので、乞うご期待です。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。そちらの講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
『速度と政治』を論じたのは、フランスの都市思想家ポール・ヴィリリオ(平凡社ライブラリー)。速度術(ドロモロジー)を鍵概念に、政治を「変速機」にたとえ、運動エネルギーの解放と交通の経路を論じました。その伝で行けば、日本の民主党政権の「交通整理」は稚拙。まずは速度の必要な世界経済との連接が弱まり、内向き。アメリカ金融工学に追随して大けがをし、治癒過程はもっぱら中国経済頼り。国内政策での「変速」は、これまた拙速。昨年総選挙でのマニフェストは脇におき、もっぱら7月参院選向けパフォーマンスが先行・暴走し、選挙民が「政権交代=変速機」に期待した「後期高齢者」医療問題も「消された年金」問題も先送り。「いのち」と関わり迅速で緊急の対応を要するB型肝炎感染問題も、7月救済案提示に延期では、選挙対策とのリンクが見え見え。7月参院選11日投票だとすれば、それでも待ったなしです。そのうえ「5月末合意」と大見得切った普天間基地移転問題では、けっきょく「腹案」は国外ウルトラCではなく、とっくにマスコミに見抜かれていた沖縄県再押しつけと徳之島。両地とも反対民意が定まったところに、のこのこ出かけて火に油を注ぎ、期待がおおきかっただけに、失望と反発も倍加。そのうえ今頃になって徳之島に正面から内部分裂策で、迷走そのもの。普天間問題を「雲の上の話」などと言う脳天気な幹部も代えられない醜態で、「変速機」そのものが壊れています。もう一つの支持率急落「黄信号」要因、政治資金問題では、野党時代の自民党追究の言説はどこへやら、限りなくクロに近い灰色の小沢幹事長を抱え、証人喚問を拒否して政治倫理審査会でお茶を濁し続投しようとする逆走。もっとも、鳩山首相自身、すねに傷ありで、拘束力のない政倫審さえ欠席した過去があり、幹事長に強く言えないのは当然か。日本の政治は、この無気力・迷走状態のまま、7月参院選挙に突入してしまうのでしょうか。政治への、深い失望と怨嗟が生まれそうです。イギリスには結局保守党・自民党連立内閣が生まれました。「小選挙区=2大政党制による安定」幻想からも脱して、選挙制度も抜本的に見直すべきでしょう。
沖縄の声が、政府ばかりでなく本土の人々に届かないことに、沖縄の人々は「差別」を感じています。沖縄県民大会では仲井真知事は「日本全国でみれば明らかに不公平で、差別にすら近い」と言及しました。歴史的に見れば、新崎盛暉さんが「構造的沖縄差別」と言うように、もっともなことです。徳之島案とワンセットならいっそう鮮明です。「構造的差別」とはどういうものか? 本土の方は、ぜひ沖縄の「沖縄県平和祈念資料館」「平和の礎」を見に行きましょう。そして、名護市の辺野古の海を、すぐそばの米軍キャンプ、問題の普天間基地と共に、実際に見てみましょう。北の北海道にも、手がかりがあります。網走市の「北海道立北方民族博物館」を 、ぜひ訪れてください。そこで4月29日から6月20日まで、「保苅実写真展 カントリーに呼ばれてーーオーストラリア・アボリジニとラディカル・オーラル・ヒストリー」という豪日交流基金後援の展示会が始まりました。若くして亡くなった我が国オーラル・ヒストリー研究の開拓者、名著『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶ノ水書房)の著者である故・保苅実さんが、オーストラリアの先住民アボリジニの民衆世界に入り込んでとらえた記録が、アイヌやイヌイトなど北方圏のマイノリティの人々と響きあって、「他者との接続可能性、共奏可能性」の問題を提起します。ウェブ上に「沖縄で保苅実を読む」という評論があるように、それはまた、沖縄とアイヌ、アボリジニの心をもつなぐものとなるでしょう。実はこの保苅実さん、私の一橋大学でのゼミナール30年間350人の教え子の中で、私よりも先に天界に逝った3人のうちの一人、3月のゼミ同窓会最終講義のさいも、冒頭でその悔しさを語って哀悼しました。6月には、北海道まで足をのばすつもりです。
北海道新聞ホームページのイベント欄に、保苅実写真展の案内が出ていますが、その北海道新聞4月30日付けに、私の談話付きで「80年代まで昭和天皇の情報収集=大統領会見前に対米感情分析−CIA文書」という記事が載りました。もともとは本サイトの「CIA緒方ファイル分析」と一緒に見た、米国国立公文書館日本帝国戦争犯罪記録CIA個人ファイルの一つを、時事通信ワシントン支局が解析したもの。この「裕仁ファイル」を含む日本帝国戦争犯罪記録の全容については、ようやく連休で原稿にすることができました。近く『年報 日本現代史』(現代史料出版)に掲載されます。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま、当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。ついでに最新の「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)も、なかなか手に入らない雑誌に収録された講演記録ですので、アップしました。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。ただし、一橋大学のxxxxx@srv.hit-u.ac.jpのメールアドレスは、まもなく使えなくなりますので、私への連絡は、E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp をお使いください。一橋大学での研究の方の成果は、日本経済評論社から「政治を問い直す」シリーズ第1巻、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』が、まもなく発売になります。第2巻、加藤哲郎、今井晋哉、神山伸弘編著『差異のデモクラシー』は6月刊行の予定 、若手の力作揃いですので、乞うご期待です。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。そちらの講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。図書館「学術論文データベ ース」には、富山大学名誉教授藤井一行さんの「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)、このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」に続いて、前日本体育大学教授森川貞夫さんからの寄稿で森川ほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)がアップされています。5月22日(土)に東京グラムシ会2010年度総会(明治大学駿河台キャンパス研究棟4階第3会議室)で、午後2時半ー5時、加藤哲郎「アメリカニズムと情報戦」という記念講演を行います。お問い合わせは、東京グラムシ会事務局(電話03-5684-3808, irispubli@jewel.ocn.ne.jp)へ。
2010.5.1 普天間基地移転問題は、いよいよ迷走です。もともと昨年夏の政権交代時には、「東アジア共同体」を含む日本外交と安全保障の基本方向の再検討から入り、地位協定を含む「日米同盟への再定義」が主体的に行われ、そのプロセスで、前政権の遺産としての普天間基地の辺野古沖移転問題も、民主党に変わった米国の新世界戦略も見ながら、改めて検討されるはずでした。過去の核持ち込み・沖縄返還「密約」問題については、不十分ながらもそうしたプロセスに入り、外務省との過去が暴かれました。その副産物として、砂川事件違憲伊達判決時の日米「跳躍上告」検討文書までが出てきました。ところが普天間基地移転問題では、鳩山内閣はボタンを掛け違い、「県外・国外移転」のかけ声は勇ましかったのですが、米国側の土俵に乗って、現行基地機能を維持した軍事技術的移転先捜しを先行させ、あまつさえ5月末までに沖縄・移転先・米国の合意をとりつけるという期限まで区切ってしまいました。地位協定や思いやり予算は「事業仕分け」の範囲外で手つかずのまま、自ら設定したタイムリミットに縛られ、自縄自縛になっています。
その上「政治とカネ」の問題は、民主党小沢幹事長の政治資金規正法違反容疑が、東京地検特捜部がいったん不起訴としたものの、「国民の代表」検察審査会で「起訴相当」の重い議決。直近の世論調査では小沢幹事長は辞めるべきが8割、「小鳩」内閣支持率は軒なみ20%程度、不支持率は過半数をこえます。自民党政権時代でも、これはもう民意を失った末期症状です。5月政変ともなれば、安倍・福田・麻生政権より短命の失格政権となります。「首相の指導力」が問題にされていますが、それ以前に党と政府のぎくしゃくした関係、首相と幹事長の両トップの政治資金の不明朗、そして何よりも選挙の公約であった「国民生活が第一」の不履行がありますから、支持率低下は当然です。「政権交代」への過剰期待が失望に転化したのは予想通りですが、内閣ばかりでなく民主党支持率も急降下しており、「小鳩」=総理と幹事長の差し替えでも信頼が回復できるか、未知数です。もちろんこのまま参議院選挙に突入すれば、民主党の惨敗は必至です。2人区共倒れも続出でしょう。参院選での民主党の唯一の救いは、民主党離れの票が、野党になったが再生できない自民党に行くとは限らないこと。「みんなの党」など新党や公明党にキャスティング・ボードが移って、社民党はお払い箱になり、いっそう保守的な連立政権になる可能性もあります。 二大政党制のモデルとされてきたイギリスの総選挙は、5月6日投票です。労働党ブラウン首相の不人気・失言ばかりでなく、労働・保守2党から自民党を含む3すくみへ、英国初めての本格的ネット選挙であることも注目です。
ただし衆議院は民主党が圧倒的多数を占めていますから、政権と基本政策の行方は、民主党の党内力学で決まります。その方向が、普天間基地移転問題では、徳之島の島ぐるみの反対や沖縄9万人県民大会で示された「国外、県外」の悲願の方に向かうとは限らず、むしろ自民党時代の現行案に戻る政策的後退さえありうるのです。鳩山首相の「最低でも県外」は、「危険除去・負担軽減」へとどんどんトーンダウンしてますが、沖縄県民の方は、米国の海兵隊再編・グアム移転計画と徳之島はじめ国内他候補地の住民の反対をふまえ「国外」の方へと超党派で向かっているのです。4月16日にサイパン島、ロタ島、テニアン島など14の島からなる北マリアナ連邦の上院議会(9議員)は、米国国防総省と日本国政府に対し、米軍普天間飛行場の移設先の最適地として北マリアナを検討するよう求める誘致決議を全会一致で可決しました。30日には下院も決議しましたが、この点での琉球新報・沖縄タイムス等地元紙と日本本土メディアの温度差も気になります。日米安保条約そのものを含めて基本政策から時間をかけて再検討すれば、「米軍基地はいらない」と国家レベルで主張し、主体的に交渉することも可能なのです。
沖縄のそうした声が、政府ばかりでなく本土の人々に届かないことに、沖縄の人々は「差別」を感じ取っています。沖縄県民大会では仲井真知事が「日本全国でみれば明らかに不公平で、差別にすら近い印象を持つ」と言及しました。歴史的に見れば、新崎盛暉さんが「構造的沖縄差別」と言うように、もっともなことです。徳之島案とワンセットならいっそう鮮明です。日本は、ゴールデンウィークです。「構造的差別」とはどういうものか? 本土の方は、ぜひ沖縄の「沖縄県平和祈念資料館」「平和の礎」を見に行きましょう。そして、名護市の辺野古の海を、すぐそばの米軍キャンプ、問題の普天間基地と共に、実際に見てみましょう。南の沖縄では遠すぎてという方は、北の北海道にも手がかりがあります。網走市の「北海道立北方民族博物館」を 、ぜひ訪れてください。そこで4月29日から6月20日まで、「保苅実写真展 カントリーに呼ばれてーーオーストラリア・アボリジニとラディカル・オーラル・ヒストリー」という豪日交流基金後援の展示会が始まりました。若くして亡くなった我が国オーラル・ヒストリー研究の開拓者、名著『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶ノ水書房)の著者である故・保苅実さんが、オーストラリアの先住民アボリジニの民衆世界に入り込んでとらえた記録が、アイヌやイヌイトなど北方圏のマイノリティの人々と響きあって、「他者との接続可能性、共奏可能性」の問題を提起します。ウェブ上に「沖縄で保苅実を読む」という評論があるように、それはまた、沖縄とアイヌ、アボリジニの心をもつなぐものとなるでしょう。実はこの保苅実さん、私の一橋大学でのゼミナール30年間350人の教え子の中で、私よりも先に天界に逝った3人のうちの一人、3月のゼミ同窓会最終講義のさいも、冒頭でその悔しさを語って哀悼しました。6月には、北海道まで足をのばすつもりです。
北海道新聞ホームページのイベント欄に、保苅実写真展の案内が出ていますが、その北海道新聞4月30日付けに、私の談話付きで「80年代まで昭和天皇の情報収集=大統領会見前に対米感情分析−CIA文書」という記事が載ったようです。時事通信配信で、東京新聞4月30日では1面に大きく掲載されたようですが、もともとは本サイトの「 CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析」「CIA緒方ファイル分析」と一緒に見た、米国国立公文書館日本帝国戦争犯罪記録CIA個人ファイルの一つを、時事通信ワシントン支局が解析したもの。この「裕仁ファイル」を含む日本帝国戦争犯罪記録の全容については、ようやく連休前半で原稿にすることができました。近く『年報 日本現代史』(現代史料出版)に掲載されます。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま、当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)を前回アップ。ついでに最新の「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)も、なかなか手に入らない雑誌に収録された講演記録ですので、新規アップしました。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
3月末で一橋大学を退職し、4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりましたが、そちらの方は、早稲田大学ホームページの方でアクセス願います。電子メールも、一橋大学のxxxxx@srv.hit-u.ac.jpのアドレスは、まもなく使えなくなりますので、私への連絡は、E-mail:
katote@ff.iij4u.or.jp をお使いください。研究室明け渡し・蔵書整理の副産物で、本カレッジ学長兼事務員の自己紹介更新と共に、当研究室刊行物一覧に、この30年間の論文の主なものをリストアップできました。また。図書館「学術論文データベ
ース」に、富山大学名誉教授藤井一行さんの「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)、このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」に続いて、前日本体育大学教授森川貞夫さんからの寄稿で森川ほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)をアップしました。予告した公開講演会、4月17日明治大学駿河台校舎・リバティタワーの加藤哲郎「GHQ
vs. CIA
vs.日本共産党ーー米国機密解除文書にみる占領期対日工作」(現代史研究会、ちきゅう座ほか主催)、4月26日の在日ロシア大使館シンポジウム加藤「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、アメリカ、旧ソ連」はどちらも大盛況でした。前者は五十嵐仁さん「転成人語」4月18日に、参加記が出てます。なお、5月は22日(土)に東京グラムシ会2010年度総会(明治大学駿河台キャンパス研究棟4階第3会議室)で、午後2時半ー5時、加藤哲郎「アメリカニズムと情報戦」という記念講演を行います。お問い合わせは、東京グラムシ会事務局(電話03-5684-3808,
irispubli@jewel.ocn.ne.jp)へ。
2010.4.15 米国オバマ大統領が、医療保険制度改革で内憂の一つを片づけ、ようやく昨年ノーベル平和賞の負債である「核なき世界」に取り組みはじめました。最大の核保有国アメリカとロシアが、戦略核弾頭を現行上限の2200発から1550発へと約30%削減。運搬手段も1600から800基・機へ削減する義務を負う新核軍縮条約(START2)で最終合意し、4月8日、チェコの首都プラハで新条約に調印しました。もっとも、核を廃絶するという文字通りの「核なき世界」へは遠いですし、「非核保有国で核拡散防止条約(NPT)を順守する国家に対しては、核攻撃しない」という「消極的安全保証」は、逆に言えば北朝鮮やイランなど「NPTを順守しない国は核攻撃の対象となる」という核兵器使用の可能性をも示したものです。核兵器の実際の脅威がどんなものかは、広島・長崎の原子爆弾投下のみならず、第5福竜丸やビキニやネバダ、セミパラチンスクの核実験場で、スリーマイル島、チェルノヴイリや東海村の原発事故でも、十分明らかになっているというのに。
それでも「核なき世界」へ一歩踏み出したというデモンストレーションが、12−13日にワシントンで開かれた核安保サミット、これも「テロとの戦い」核兵器版で、核拡散防止条約(NPT)の核軍縮、核不拡散、核の平和利用に加え、テロリストからの「核防護」を「4本目の柱」を樹立する狙いといいます。それでもロシアや中国等核保有国と共に、インドやウクライナ等47か国首脳を集め、核問題の重要性を改めて世界に示したことは前向きに考えるべきでしょう。日本が核物質の検知・鑑識技術で最先端にあるとは知りませんでした。これが本当に核廃絶に向かう方向での先端技術ならいいのですが。
しかしこの核安保サミットへの日本の注目は、もっぱらオバマ大統領の首脳会談の相手に日本が選ばれず、鳩山首相の普天間基地移設問題5月決着についての米国大統領への「遅れの弁明」が、夕食会で隣り合わせた10分間の非公式会話(会談とはいえないでしょう)でしかなかったことに集中しました。それもどうやら通訳付き10分間の主題ではなく、アメリカ側はイラン核問題などの話としか発表してません。何よりオバマ大統領は、中国の胡錦濤国家主席との公式会談には予定の1時間を越えて1時間半の時間を割き、人民元切り上げ問題まで立ち入っています。アメリカ側の優先順位ははっきりしています。鳩山首相の「腹案」とかは、聞く耳ももたないということでしょう。その「腹案」も、どうやら「国外」へのウルトラCではなく、沖縄県内に基地機能は残し、徳之島あたりに一部機能を移して「県外」の体裁を整えるという現地の意向を全く無視したもののようです。沖縄では「海兵隊は本当に抑止力なのか」が議論され、北マリアナ・テニアン市長が海兵隊の恒久移設を歓迎するという「国外」の現実的可能性も報告されているのに、鳩山内閣は「思いやり予算」も地位協定もそのままにして、小手先の移転先捜しで暗礁に乗り上げようとしています。改めて鳩山首相の総選挙前に話題になった基本政策「私の政治哲学」を読み直してみましょう。普天間基地移転問題が、果たしてこの「政治哲学」に沿って扱われているか。そこに、首相のリーダーシップの問題があります。もちろん「哲学」には期限はありません。でも「自立」すらできていないのでは。
昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま、当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)を今回アップ。ついでに最新の「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)も、なかなか手に入らない雑誌に収録された講演記録ですので、新規アップしました。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
3月末で一橋大学を退職し、4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりましたが、そちらの方はまだオリエンテーション1回のみですから、早稲田大学ホームページの方でアクセス願います。電子メールも、一橋大学のxxxxx@srv.hit-u.ac.jpのアドレスは、まもなく使えなくなりますので、私への連絡は、E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp をお使いください。研究室明け渡し・蔵書整理の副産物で、本カレッジ学長兼事務員の自己紹介更新と共に、当研究室刊行物一覧に、この30年間の論文の主なものをリストアップできました。また。図書館「学術論文データベ ース」に、富山大学名誉教授藤井一行さんの「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)、このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」に続いて、前日本体育大学教授森川貞夫さんからの寄稿で森川ほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)をアップしました。公開講演会のお知らせ二つ。4月17日(土)午後1−5時、明治大学駿河台校舎・リバティタワー1001(B1)で、加藤哲郎「GHQ vs. CIA vs.日本共産党ーー米国機密解除文書にみる占領期対日工作」(現代史研究会、ちきゅう座ほか主催)、4月26日(月)午後1−5時、在日ロシア大使館2階大レセプションホール、ゾルゲ・シンポジウムで加藤「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、アメリカ、旧ソ連」を報告(在日ロシア大使館主催、要往復はがき申し込み)。なお、日本大学の長沼宗昭さんから、4月18日(日)午後1時30分ー5時30分、明治大学リバティタワー1階教室でのヤコブ・ラプキン教授来日記念シンポジウム「ホロコーストとイスラエルを考える」の案内がきていますのでお知らせします。
2010.4.1 昨年9月16日、日本で衆議院議員選挙と政権交代があった時期、私はアメリカ合衆国の首都ワシントンDC滞在中で、大きなデモに遭遇しました。オバマ大統領の写真に×印をつけて、「アメリカを社会主義にするな」とか「共産主義反対」とか、おどろおどろしいスローガンが並んでいました。オバマ民主党政権の国民皆保険をめざす医療保険改革に、保守主義・自由主義の立場から反対するデモで、5万人ほどの白人が市内を練り歩きました。その時は、アメリカにおける草の根保守主義と市場原理主義の根強さもさることながら、その政治的意志をホワイトハウスへの大衆デモとプラカードで表現する伝統がしっかり残されていることに、半ばうらやましさを感じました。日本では久しく見ることのなかった、大きなデモだったからです。そうした反対の声に反論し、支持率も5割を切るところまで下げながら、オバマ大統領は何とか議会を説得して、3月30日、医療保険制度改革法が成立しました。下院では賛成219票、反対212票というきわどい票差でしたが、オバマ政権の最重要の内政課題で公約を実現したかたちです。アメリカ民主党にしてみれば、セオドア・ルーズベルト大統領の1912年提案以来、実に100年かかって3200万人以上の人々に医療保険を広げました。直後のアフガニスタン電撃訪問はいただけませんが、それなりに「政権交代」の意義が結実しています。
同じ民主党政権でも、日本の鳩山内閣の方は、国民との関係で危機的です。政治とカネの問題を、首相と党幹事長のトップがかかえたままでは、疑惑議員やスキャンダル大臣の責任追及はできません。政権発足当時の目玉だった脱ダム宣言も後期高齢者保険も年金問題も、棚上げのまま。7月参議院議員選挙を前に、自民党がよく使ったこども手当や高校授業料無償化を優先。国連総会で啖呵を切った温室効果ガス90年比25%削減の具体化は、せいぜいエコポイントの目くらまし程度で「環境立国」にはほど遠く、「東アジア共同体」はとんと聞かなくなり、「日米同盟」一本槍。「日米地位協定の改定」も「米軍再編や在日米軍基地の在り方」の検討も置き去りにしたまま、普天間基地移転の「腹案」なるもので、沖縄県民や鹿児島県徳之島住民を翻弄(愚弄!)しています。党と政府の関係、政策決定の仕組み、官房長官の役割、選挙候補者の選定でもぎくしゃくし、予想通りというべきか、支持率は軒並み30%台へと急落。無策・無気力な自民党の失点で、辛うじて政権を持たせている状況です。この危険水域、実は、前回参院選前の自民党安倍内閣の支持率推移と酷似しています。いや発足時が高かっただけ、内閣支持率崩落のカーブは急です。安倍内閣の売りは「美しい国づくり」でした。鳩山内閣は「友愛」。やはり、1年しか持たないことになるのでしょうか。非正規労働者、社会的弱者、沖縄県民向けの奇策でもない限り、7月参院選前にでも、政局になりそうです。
この3か月、現実世界では大変でした。30年勤務した一橋大学を、昨日定年退職しました。学部や大学院ゼミの教え子たちが集まってくれて、リアルな大学教育現場での仕事をねぎらってくれました。大変だったのは、研究室の明け渡しに伴う蔵書の整理。実は昨年客員教授を勤めたメキシコ大学院大学図書館に20世紀日本政治・経済・文化関係の書物の多くを寄贈する予定ですが、そのための仕分けと段ボール箱詰めで、膨大な時間と体力を費やしました。最後の期末試験採点と修士論文・博士論文の審査も過酷でした。日本の高等教育がこの30年で大きく変貌したことを実感しました。初中等教育における「ゆとり」とは裏腹の、教員も学生も超多忙なシステムになっています。おかげですべての執筆予定論文が1か月以上の遅れ、担当編集者の皆さん、ごめんなさい。この辺の事情と顛末は改めて述べることにして、ともかく本バーチャル・カレッジだけは、卒業も定年もなく続けます。「2008/2005一橋大学学生意識調査結果」や「一橋大学加藤哲郎ゼミナール学士論文集成」は、データベースとして本カレッジ図書館に残しますが、「教育センター」は廃校・閉鎖しました。4月からの早稲田大学大学院政治学研究科客員講義については、早稲田大学ホームページの方から、アクセス願います。私のリアルな教育活動にも関心を持ってご愛顧いただいた皆様、長いことありがとうございました。なお、電子メールも、一橋大学のxxxxx@srv.hit-u.ac.jpのアドレスは、まもなく使えなくなります。私への連絡は、E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp をお使いください。前回「公約」しましたので、公開講演会のお知らせ二つ。4月17日(土)午後1−5時、明治大学駿河台校舎・リバティタワー1001(B1)で、加藤哲郎「GHQ vs. CIA vs.日本共産党ーー米国機密解除文書にみる占領期対日工作」(現代史研究会、ちきゅう座ほか主催)、4月26日(月)午後1−5時、在日ロシア大使館2階大レセプションホール、ゾルゲ・シンポジウムで加藤「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、アメリカ、旧ソ連」を報告(在日ロシア大使館主催、要往復はがき申し込み)。なお、日本大学の長沼宗昭さんから、4月18日(日)午後1時30分ー5時30分、明治大学リバティタワー1階教室でのヤコブ・ラプキン教授来日記念シンポジウム「ホロコーストとイスラエルを考える」の案内がきています。
蔵書整理の副産物で、学長兼事務員の自己紹介更新と共に、当研究室刊行物一覧に、この30年間の論文の主なものをリストアップできました。また、昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま、当カレッジには収録していなかった3本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」(渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』彩流社、2009年11月)、「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」、(『Forum Opinion』No.7,
2009年12月)、「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)に気づきました。近くアップします。図書館「学術論文データベ
ース」に、富山大学名誉教授藤井一行さんの「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」をアップしてあります。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評に続いて、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)をアップしてあります。「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin
CEAA"Mayo,2009に'Politicas
de la pandemia en Mexico y
Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
2010.3.15 このところ、地震が続きます。先日の南米チリで起こったマグニチュード8.8の巨大地震では、何とか日本での津波被害は最小限にとどまりましたが(でも牡蠣やホタテ養殖の漁業者には大被害です)、気象庁の(避難勧告より強い)「避難指示」の対象となった「9都道県53市町村の住民約49万3千人のうち、避難所などへの避難が確認されたのは全体の6.5%にあたる約3万2千人にとどまった」という報に唖然。地震・津波大国のはずなのに、情報が共有されず、歴史が継承されていない悪弊が、こんなところにも現れたかたち。「天災は、忘れた頃にやってくる」「備えあれば、憂いなし」ーー先人の生活の知恵です。震源地だったチリのその後にも注目を。現地の被害総額は300億ドル(2兆7千万円)とか。もし日本の大都市を直撃したら……他人事ではありません。
9日に発表された日米「密約」問題検証の外務省有識者委員会報告書、これこそ、これまでの日本政府による歴史の隠蔽の証明です。外務省のサイトで、外務省・有識者委員会報告書の全文、及びその典拠となった第一次資料の画像版が、すべてpdf ファイルで読めます。政府の資料公開としては、歴史的な充実度です。ただし有識者委員会報告書の「密約」の定義や、これを受けての岡田外相及び外務省の今後への生かし方については、異論があり得るでしょう。マスコミ大手ばかりでなく、各地方新聞も社説で論じていて、久しぶりで日本のメディアの政治的鳥瞰図ができました。鳩山首相は「非核3原則堅持」でお茶をにごすつもりのようですが、たとえばサンケイには事実に即して3原則を見直すべきという意見が出ていますし、沖縄タイムスは「暴かれた国家の嘘」と報じ、広島・長崎では「非核三原則法制化」の声が強く出されています。私も、今こそ法制化の時と思います。3月12日の早稲田大学20世紀メディア研究所公開講演会「占領期日本へのCIAの浸透」、私と共に講演したのが有識者委員会のメンバーであった春名幹男さんで、時局もからみ、大盛会でした。
一部には、この「密約」公表で、普天間基地移転で緊張する日米関係がさらに悪化するといった、ピントはずれな論評もあります。英語のJapan Today Newsを見ると、アメリカではほとんど注目されなかったようです。 韓国では大きく報じられたようですが、アメリカ側にとっては、とっくにラロック証言やライシャワー証言、公文書の情報公開で、核持ち込みは秘密でも何でもなかったことですし、沖縄密約も、もともと我部政明流大教授らが米国国立公文書館文書から解明してきたものです。ですから「密約」問題は、その事実の歴代自民党政府・外務省による隠蔽と、これからどうするかこそが問題なのです。普天間基地問題も、こうした非対称で日本側が一方的に譲歩し国民に隠すかたちでの交渉にしてはならないことこそ、ポイントです。改めて、鳩山内閣発足時の国民への公約を見てみましょう。3党連立合意には、「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地の在り方についても見直しの方向で臨む」と明記してあります。まだ「日米地位協定の改定」も「米軍再編や在日米軍基地の在り方」も明確にならないところで、普天間基地移転だけが一人歩きし、それも「沖縄県民の負担軽減」と逆の方向に、収斂しようとしているのです。鳩山内閣の責任は重大です。問われているのは、冷戦終焉、9.11以降の世界多極化、リーマンショック以後の世界経済恐慌とBRIC s 台頭をふまえた日米関係のあり方、日本外交の構想力です。
この3月末で、リアルな世界では、30年勤務した一橋大学を退職します。しかし本「ネチズンカレッジ」には、定年も卒業式もありませんから、むしろ教育面では本カレッジを本務とします。長く現役学生の皆さんにご愛顧いただいた「教育センター」は、講義のページは削除され、全面的に改編されます。4月から早稲田大学で週1回客員講義・ゼミを持ちますが、それは大学院生の皆さんとの共同研究活動ですから、別途窓口を設けます。ただし、「2008/2005一橋大学学生意識調査結果」や、この十年日本の大学教育の中で先駆的試みとして評価していただき定着した「一橋大学加藤哲郎ゼミナール学士論文集成」は、データベースとして本カレッジ図書館に残し、3月に卒業する最後の学部ゼミ学生の学士論文も収録します。私のリアルな教育活動にも関心を持ってご愛顧いただいた皆様、長いことアクセスありがとうございました。今後は、市民に公開された講演やシンポジウムのみ、時々ご案内いたします。
『島崎蓊助自伝──父・藤村への 抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)で述べた、島崎蓊助の絵画美術展が、2月22日から、東京銀座ヒロ画廊で開かれていましたが、先日3月13日に終了しました。かつて群馬県大川美術館で開かれた個展の東京版で、「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』(桐生大川美術館『ガス燈』第53号、2002年7月10日号)、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』(桐生『大川美術館・友の会ニュース』第49号、2002年8月)で述べた島崎藤村3男島崎蓊助のセピア色の絵の世界を、本サイトの案内で楽しんでいただいた方もいらっしゃったようです。ありがとうございました。図書館「学術論文データベ ース」に、旧ソ連秘密文書の厳密なロシア語翻訳と分析でおなじみの富山大学名誉教授藤井一行さんの、「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」をアップしました。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評に続いて、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)をアップしてあります。「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
津波TSUNAMIがこんなに気になるのは、実は私自身、50年前の1960年チリ地震津波の体験者・目撃者であるから。記録によると、日本時間1960年5月23日4時11分にマグニチュード8.5(モーメント9.5)の有史以来最大の地震がチリで起こり、首都サンティエゴは壊滅、犠牲者1743名。それが22時間半後の24日未明日本に到来し、最大6メートルの津波で142名の犠牲者とか。そのうち53名が亡くなった岩手県大船渡市に、当時中学生の私は住んでいました。「記録」はこうですが、私の「記憶」には、季節感はありません。いっぱい亡くなったとは覚えていますが、人数は覚えていません。海辺から2キロほど離れた内陸部に住んでいたのに、早朝にもかかわらず津波の高波を目撃した理由は、覚えています。当時中学校の学級新聞の豆記者で、上級生たちが年に一度の修学旅行に早朝の列車で出発するのを取材するため、駅に取材にでかけたところ、汽車が出発できません。それどころか、線路の向こうの海側の田園に、ふだんは見えるはずのない海原が広がり、しかも、高波が押し寄せてくるのです。小高く盛られた線路沿いに、海の方から逃げてくる人々がいて、田圃だったはずの海原に、倒壊した家屋の残骸、障子や畳が流されてきたのを覚えています。今思えば、高波が直接内陸まできたのではなく、たぶん私の住まいの近くの川が、河口から海水が逆流して堤防を越えて氾濫したのでしょうが、生まれて初めて人間の死体をみたのがこの時で、その漂流する遺体だけは鮮明に覚えています。自然が生命を奪うという、素朴な恐怖体験でした。記憶とは曖昧なものですが、半世紀後に似たような事象に遭遇すると、ここだけは鮮明によみがえるのです。
今回の津波をNHKは、プログラムを変更し、一日中報じていました。オリンピックの日本人金メダル取りを延々と放映して(銀は惜しかったが、けっきょく金はゼロ)、政治経済のニュースが小さくなった2週間をいまいましく思っていた私には、英断と映りました。そして、半世紀前と異なり、人的被害なしに終わった津波騒動を、3メートルの予測が1メートルですんだことを含めて、素直に喜んでいます。ところが、チリ地震津波の記憶の再生で、「記憶」と「記録」のとんでもない落差に気がつきました。1960年5月23日といえば、かの60年安保闘争の真っ最中、5月19日の国会で改定安保条約が強行採決され、連日数十万人が国会を包囲し、6月19日の自然成立・岸内閣総辞職にいたる歴史的な時だったはずです。前回紹介した「初心に返れ」、丸山眞男の「復初の説」は、まさにこの時の「戦後民主主義」の合い言葉でした。大船渡の中学に入ったばかりの私は、60年安保の国会デモについても、白黒テレビは家にありませんでしたが、たぶん新聞の大見出しで見ていて、多少の記憶はあります。大学生の兄がデモに参加したという話も、どこかに記憶されています。ところが60年安保とチリ地震津波は、「記憶」の中では全く別世界にあり、今回初めて、ああ一緒だったのかと結びついたのです。一昨年『ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)の「はしがき」に「記録」よりも「記憶」に頼りがちなオーラル・ヒストリーへの疑問を述べておきましたが、それが自分史に即して証明されたかたちです。「記憶」よりも「記録」、占領期の「記録」と「記憶」づくりの情報戦の問題を、米国国立公文書館(NARA 2)のCIA個人ファイルに即して、近く早稲田大学20世紀メディア研究所公開講演会で、下記のように報告します。史実の解明にはやはり第一次資料の「記録」です。でも個人史に即して言えば、「記憶」の曖昧さ・部分性を認めつつ、その強烈なイメージ、鮮明な衝撃も、捨てがたいものがあります。
●早稲田大学20世紀メディア研究所:第53回特別研究会のご案内 ●
実は日本経済には、まだ大津波がくるかどうかはわかりませんが、地震は起こっています。トヨタ自動車のリコール問題です。オリンピック報道の陰に隠れて、日本のマスコミ報道は大きくありませんが、グローバルには、世界一の自動車会社による、アクセルとブレーキという安全運転の根幹に関わる、大事件です。世界のニュースでは、久しぶりに日本人である豊田社長の顔が、1面トップを飾りました。これが単に一企業の問題にとどまらないのは、トヨタ(とソニー)が日本の多国籍企業の顔であるだけでなく、日本製品の信頼性、技術的洗練のシンボルで、そのハイブリッド車、エコカーへの転換が、世界市場における日本企業生き残りの牽引車であったからです。ここでの信頼失墜は、それでなくても「失われた20年」で存在感のなくなった日本経済を、出口なし状況に追い込みかねません。問題は、リコールそのものではありません。軽度であっても技術的問題をいち早く見いだして改善し、顧客・消費者に知らせて部品交換するのは、いいことです。むしろ、そのリコール処理の情報公開と消費者への説明の仕方や広報が、情報戦の時代には決定的です。この点では、豊田社長が身内の販売店主や社員の前で涙を流す映像を繰り返し報じた日本のマスコミも、内向きでドメスティックです。グローバルには、逆効果でしょう。この地震、震源地から遠く離れたところで大津波を起こすことがないか、気がかりです。そういえば、近頃の日本の新聞広告、かつて華やかだったクルマや家電製品の広告が減って、健康食品や通信販売がやたら目立つように感じるのは、私だけでしょうか。広告の主流も、インターネットに移りつつあるようです。
『島崎蓊助自伝──父・藤村への 抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)で述べた、島崎蓊助の絵画美術展が、2月22日から、東京銀座ヒロ画廊で開かれています。早速行ってきましたが、かつて群馬県大川美術館で開かれた個展の東京版で、「島崎蓊助のセピア色と『絵日記の伝説』(桐生大川美術館『ガス燈』第53号、2002年7月10日号)、「島崎蓊助と竹久夢二──ナチス体験の交錯』(桐生『大川美術館・友の会ニュース』第49号、2002年8月)で述べた島崎藤村3男島崎蓊助のセピア色の絵の世界を楽しめます。3月13日までですから、ぜひご一覧を。「学術論文データベ ース」に、旧ソ連秘密文書の厳密なロシア語翻訳と分析でおなじみの富山大学名誉教授藤井一行さんの、「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」をアップしました。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評に続いて、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)をアップ。「メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」(メキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表)などとともに、ご笑覧ください。
2010.2.15 歴史は繰り返しません。しかし歴史に学ぶことは、意味あるものです。20年前、ベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国が次々に「テレビ時代の連鎖的フォーラム型革命」に見舞われ、冷戦が終わってソ連も解体しつつあった頃、私はその激動をフランス革命になぞらえていました。1989年は、ちょうどフランス革命200周年で、1917年のロシア革命に始まった現存社会主義体制に対する民衆の反抗は、フランス革命の「自由、平等、友愛」を再現したように見えました。ただしそれは、人権宣言や共和制のルネサンスを考えてのことではありません。逆でした。革命後の新たな世界史の方向は、およそ25年は続く再編期を経て生まれてくる新たな秩序を見なければ見通しにくい、と考えたからです。I・ウォーラーステインの「覇権の循環」テーゼからしても、四半世紀は過渡的状況です。つまり、1789年のフランス革命が、バスチーユの襲撃からジェコバン独裁、バブーフの陰謀を経てナポレオンの登場に至り、対外戦争が繰り返されナポレオンが敗れて1814年のウィーン会議でヨーロッパの新秩序ができるまで、四半世紀かかったことになぞらえ、フランス革命に匹敵するソ連・東欧社会主義終焉後の新秩序は、2014年頃まで定まらず不安定だろう、という心覚えでした。まだインターネットも携帯電話もない頃でしたが、その後の湾岸戦争やコソボ、9.11とイラン・アフガン戦争は新秩序の産みの苦しみで、ナポレオンに擬しうるアメリカ・ネオコン・グローバリズムは、やはり10年ほどで勢いを失い、「諸国民の自由解放」が、多極化というかたちで見えてきました。
歴史は繰り返しません。しかし2008年リーマン・ショックに始まる世界金融・経済危機は、G5・G7・G8からG20への「列国会議」のアクターを増やしたものの、いまだに出口は見えません。本サイトはこの辺を、1929年の世界大恐慌になぞらえて、F・L・アレン『オンリー・イエスタディ 1920年代・アメリカ』(ちくま文庫)とガルブレイスの『大暴落』に学び、2008年11月1日更新のさい、
と指摘しました。ただし震源地アメリカの大統領は、ちょうど恐慌勃発時が大統領選挙と重なり、ニューディールのF・ルーズベルト登場まで3年かかった29年恐慌時とは異なり、オバマ新大統領のグリーン・ニューディール提唱が可能になりました。けれども29年恐慌がいったん収まったかに見えたのが、31年5月オーストリア中央銀行の破綻からドイツに波及し、日本の満州侵略のみならずヒトラーのナチス独裁を導くにいたるような恐慌の連鎖が、最近のドバイの摩天楼危機、ギリシャの国家財政破綻には、見え隠れしています。つまり、29年恐慌の世界への波及はじわじわと数年かかり、世界恐慌前水準の回復には10年かかり、各国でケインズ主義的需要創出が行われても、ファシズムと戦争が脱出口にされた経験は、しっかり学んでおかなければなりません。現在は、世界恐慌という観点からしても、なお流動的な10年単位の過渡期なのです。
そんな時に、この国は、一方で民主党による政権交代を経験したが混迷が続き、他方で日本経済の牽引者で「失われた20年」期でさえ<希望の星>だったトヨタ自動車が、世界的なリコールの嵐に直面しています。これは、どんなタイム・スパンで、理解すべきでしょうか。起訴を免がれた民主党小沢幹事長の金権疑惑を田中角栄・金丸信になぞらえたり、保守合同期の自民党首相鳩山一郎内閣の日ソ国交回復を現鳩山由紀夫内閣の普天間基地問題をめぐる対米外交に重ね合わせたり、そもそも政権交代といってもかつての自民党の派閥領袖による政権たらいまわしと同じではと嘆いたり、いろんな学び方があるでしょう。でも歴史は繰り返さないのですが、現在に強く刻印されています。環境条件と変数は変わりますが、選択肢はそんなに多くはありません。そんな時の基本は「初心に返れ」、丸山眞男の言葉では「復初の説」。企業なら顧客の目線で考え、政府なら国民主権を忘れず、政治家なら有権者の信託に戻ることです。最近の民主党政権は、原点からのブレが目立ちます。マスコミだけが世論ではありません。検察が常に正義というわけでもありません。でも、政権に送り込んだ3000万票に込められた想いには、たえず立ち返ってもらいたいものです。
日本の鳩山首相は、自分自身と小沢民主党幹事長の政治資金疑惑がいっこうに下火にならず、世論調査でも支持率を不支持率が上回るところまで落ち込んできているのに、なぜかガンジーを使い「いのちを、守りたい」をリフレインする演出過剰の施政方針演説。「友愛」よりはましな理念で、有言実行を伴えばいいんですが、11億円を母から贈与された「労働なき富」を抱えていては、言葉が庶民に届きません。むしろ、来年度予算と米軍基地問題がポイントなのに、こちらは先送りで今年の見通しは不透明。民主党内からは、ついに小沢幹事長の責任を問う声が出てきて、早速ウォール・ストリート・ジャーナル も大きく報じていますから、波乱含みです。今年の行方がらみで、ネチズンが注目すべきは、むしろグーグルと中国政府の「インターネットの自由」をめぐる紛争、および日中歴史研究報告書が対立点を併記して公表され、それを報じたNHKニュースが中国では一時放送が中断された問題。報告書の全文は、外務省ホームページに出ていますが、「東アジア共同体」への遠い道のりを予感させます。日中歴史研究報告書では、本サイトが「学術論文データベ ース」で取り上げたばかりの「田中上奏文」問題も争点になったようです。
大学教員の繁忙期で、膨大な博士論文・修士論文・学士論文の山と格闘中。そこにまもなく期末試験答案も加わります。それに3月末勤務先の退職をひかえ、研究室の蔵書の山とも格闘中。2列につめこんでいた書棚を整理したら、長く探していてみつからなかった本がでてきたり、論文に必要で2冊買ってしまった本が100冊以上出てきたり。一冊一冊に思い出と愛着はありますが、これらの大部分はメキシコ大学院大学図書館に寄贈し、ラテンアメリカで日本に関心を持つ学生たちに使ってもらうことにしました。文献リストの入力も引き受けるとのことで寄贈を決めたのですが、英仏伊スペイン語原本の本の翻訳はいらない、独露語原本の日本語訳ならぜひほしいという注文がついたので、結局一冊一冊を吟味し、若手研究者の友人や大学院生には専門に応じて優先譲渡する仕分けが必要になりました。3月まで精神労働と肉体労働の双方で、ハードワークが続きます。4月以降の解放される日々を夢見て、今はひたすら残務処理の毎日。更新もとどこおりがちですが、諸般の事情お酌み取りのうえ、ご容赦を。その代わり、とっておきのニュース。『島崎蓊助自伝──父・藤村への 抵抗と回帰』(島崎爽助と共編、平凡社、2002年)で述べた、島崎蓊助の絵画美術展が、2月22日から、東京銀座ヒロ画廊で開かれます。かつて群馬県大川美術館で開かれた個展の東京版です。セピア色の絵の世界を、ぜひご覧ください。
普天間基地問題先送りを弁明するためのハワイ日米外相会談、普天間問題だけではなく、中国の位置づけが論題になったようです。岡田外相が「日本が米国から離れ中国に近づいているとの見方」にわざわざ反論しているのですから、ずれがあったのでしょう。あって当然です。「東アジア共同体」にアメリカがどう関与するかは、日中関係がどう進むかと密接にリンクします。そのさい、アメリカへの「対等なパートナーシップ」が、ただ軸足を変え中国に近づくということでは、意味がないでしょう。私たちネチズンにとって見逃せない、グーグルが中国から撤退し、検閲つき自主規制をやめるというニュース、21世紀のグローバル社会を考えるうえでも深刻です。自主規制してまで中国市場に進出したグーグルにも問題を感じますが、数十万人ともいうサイバーポリス(電網警察)を使ってインターネット検閲を強める中国の対応は、地球の趨勢に逆行するものです。本サイトが60年前の毛沢東暗殺未遂事件を日本語・英語で追い続けて、相変わらず検閲の対象になっている(中国では見られない)こともさることながら、チベット問題から労働争議まで、「世界の工場」になりながら、世界の眼から「工場見学」を許さない中国政府のあり方は、深刻です。自立した外交には、自分自身の立脚点と哲学が必要です。
あすから大学入試センター試験、期末試験、院入試等も重なる最多忙期です。1月下旬の3つのイベント紹介を、年始に続いて繰り返して今回は本務に専念。第一は、アメリカ・ワシントンでの米国大統領の年頭一般教書演説。今年のオバマ大統領は、一昨年リーマンショック以来の恐慌からの回復をどのように語り、医療保険改革をどう進めると説くのでしょうか。先物買いの期待でノーベル平和賞を与えられた「核なき世界」への道と、アフガニスタンへの増派を、どうやって両立させようとするのでしょうか。外交面で中国は言及されるでしょうが、日本や北朝鮮について一言でも語られるでしょうか。こんな観点で、アメリカの2010年を見通しましょう。第二は、月末スイスでの世界経済フォーラム(World Economic Forum,WEF)、世界の政財官トップが集ってグローバルな世界秩序を話し合う、通称ダボス会議です。今年のテーマは「Improve the State of the World: Rethink, Redesign, Rebuild」、はたして世界の多国籍企業トップから、グリーン・ニューディールへの方向性を訴える「再デザイン」の勇気は出てくるでしょうか。第3は、ダボス会議に対抗する世界の弱者・貧者のネットワークである世界社会フォーラム(World Social Forum,WSF)です。21世紀に入ってブラジル、インド、アフリカと会場を移して世界の市民運動・社会運動・NGO/NPOが一同に会してきましたが、こうした祝祭型の運動はイラク戦争時には効果がありましたが10年で限界も見えてきて、今年は「グローバル・アクション/モビライゼーション・イヤー」と銘打ち、さまざまな地域でさまざまな形のアピールをローカルに繰り広げる「多様な運動による一つの運動」方式が採られ、2011 年のダカール(セネガル)世界フォーラムへと合流します。ブラジル・ポルトアレグレで1月24-28日に開かれる「世界社会フォーラムの10年」でどのような議論が行われるかが、24日東京で開かれる首都圏社会フォーラムや大阪フォーラムとともに、注目です。
本ネチズンカレッジ学長兼用務員の方は、実は正月なし。バーチャルなネチズンカレッジには定年などありませんが、リアルの世界の勤務先の方は、本年3月定年退職です。30年間集めた蔵書を、3月末までに研究室から引き上げなければならず、一部は自宅書庫へ、一部は若い友人たちに、残りの大部分は某国の某大学図書館へ寄贈し日本を学ぶ異国の学生たちに読んでもらうために、仕分けを始めました。ところが迷路のように積んだ本の整理は大変で、まだ室内仕分け空間を作るための試運転の段階で、持病の腰痛が再発し年末は病院通い。段ボールはやめてキャリアバックで少しづつ運ぶ方針に転換し、悪戦苦闘を続けます。同時に試験答案の採点と、学士論文・修士論文の指導も繁忙期。今年はそれに加えて博士論文審査が異様に多く、さまざまなテーマをかけもちで専門的チェックも。しかし犬丸義一さんの幻の卒論『満州事変原因論』のように、半世紀後に学術的意味が見いだされることもありますから、手抜きはできません。そんなわけで、今年のおせちは関係文献に囲まれての缶詰状態、印刷物の賀状も例によって失礼しますので、ご容赦ください。ただ一つの新規アップは、昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」のみで、本サイト新年恒例の情報処理センター(リンク集)更新は、4月以降に延期させていただきます。
静岡県舞台芸術センター昨年6月公演、ハイナー・ミュラー原作、ブリギッテ・マリア・マイアー・ミュラー監督の映像インスタレーション『タイタス解剖ーーローマ帝国の落日』の当日配布プログラム『劇場文化』9号に寄せたエッセイ「疑心暗鬼の国が生んだ人間のドラマ」は、もともと演出家菅孝行さんが病床の親友岡村春彦さんの原稿『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)を仕上げる仕事を、メキシコからちょっと助けたさいに頼まれた演劇論でした。本論は、『図書新聞』10月10日号掲載、岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)の書評で。昨年は、芹沢光治良文学愛好会の皆さんに「芹沢光治良『人間の運命』の周辺----<洋行>日本人のネットワーク」を話したり、平川祐弘・牧野陽子編『ハーンの人と周辺』(新曜社、2009年8月)に「ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ」で小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの世界へ介入したりと、何やら芸術づいていました。 本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤『ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店、2008年)や『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)の系列での副産物ですがご笑覧を。
しばらくリンク切れだった旧ソ連秘密文書解読の盟友藤井一行さんサイトのweb出版の労作、 『粛清されていた邦人日本語教師たち』『野坂竜の逮捕をめぐって』が、新たなサイト「コミンテルンと粛清」で甦りました。その後の藤井さんの研究、「コミンテルンと天皇制ーー片山・野坂は32テーゼの天皇制絶対化に懐疑的だった」「「田中上奏文」は本当に偽 書か?ーー 新発掘史料で「昭和史の謎」を追う」などと共に再リンクしましてあります。私自身のこの間のメキシコ体験「メキシコ便り」の副産物は、「パンデミックの政治学」。新型インフルエンザをめぐる日本型「有事」対応として『一橋新聞』インタビューで、またスペイン語ですが8−9月に中断された仕事再開でまた訪れるメキシコ大学院大学のBulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表しました。もっともこのスペイン語 エッセイ、もともと本サイト英語版Global Netizen Collegeのトップページの写真入りスペイン語訳です。英語で読みたい方は、English is hereにどうぞ。本年もよろしくお願い申し上げます。
21世紀に入って本サイトは、その年の世界の行方を占う定点観測をおすすめしてきました。1月下旬の3つのイベントを見る方法です。一つはアメリカ・ワシントンでの米国大統領の年頭一般教書演説。今年のオバマ大統領は、一昨年リーマンショック以来の恐慌からの回復をどのように語り、医療保険改革をどう進めると説くのでしょうか。先物買いの期待でノーベル平和賞を与えられた「核なき世界」への道と、アフガニスタンへの増派を、どうやって両立させようとするのでしょうか。外交面で中国は言及されるでしょうが、日本や北朝鮮について一言でも語られるでしょうか。こんな観点で、アメリカの2010年を見通しましょう。第二は、月末スイスでの世界経済フォーラム(World Economic Forum,WEF)、世界の政財官トップが集ってグローバルな世界秩序を話し合う、通称ダボス会議です。今年のテーマは「Improve the State of the World: Rethink, Redesign, Rebuild」、はたして世界の多国籍企業トップから、グリーン・ニューディールへの方向性を訴える「再デザイン」の勇気は出てくるでしょうか。第3は、ダボス会議に対抗する世界の弱者・貧者のネットワークである世界社会フォーラム(World Social Forum,WSF)です。21世紀に入ってブラジル、インド、アフリカと会場を移して世界の市民運動・社会運動・NGO/NPOが一同に会してきましたが、こうした祝祭型の運動はイラク戦争時には効果がありましたが10年で限界も見えてきて、今年は「グローバル・アクション/モビライゼーション・イヤー」と銘打ち、さまざまな地域でさまざまな形のアピールをローカルに繰り広げる「多様な運動による一つの運動」方式が採られ、2011 年のダカール(セネガル)世界フォーラムへと合流します。ブラジル・ポルトアレグレで1月24-28日に開かれる「世界社会フォーラムの10年」でどのような議論が行われるかが、24日東京で開かれる首都圏社会フォーラムや大阪フォーラムとともに、注目です。
新年に当たって、本ネチズンカレッジ「学術論文データベ ース」に大型寄稿です。本サイトでは旧ソ連秘密文書の厳密なロシア語翻訳と分析でおなじみの富山大学名誉教授藤井一行さんが、藤井一行「『田中上奏文』研究:検証の旅」(2010.1.1リンク)と藤井一行「歴史学研究会と『田中上奏文』ーー犬丸義一氏の幻の卒論『満州事変原因論』の先駆性」(2010.1.1リンク)の2本を寄稿。藤井教授専門のトロツキーの日本論での言及から入って、日本史学では偽書とされているが、世界的には日本帝国主義の戦争計画のドキュメントとされている、いわゆる「田中上奏文(田中メモランダム)」についての、各国語版原テキストの比較検討と歴史考証を行った労作です。前者には<「田中上奏文」の真偽を検証するとともに、「大東亜戦争」の 源流という位置づけで「東方会議」/「田中上奏文」をとらえなおそうとした野心的な考究です>、後者には<「『田中上奏文」 =偽書説を検証するーーテキスト研究から見えてくるもの』という論考を『歴史学研究』に投稿したところ、ボツになりました。審査報告はまったく納得できないものでした。本稿は、同編集委員会のボツ理由を吟味したものです。あわせて、歴史学研究会の生みの親のひとりでもある犬丸義一氏の「田中上奏文」研究における先駆的役割にも光をあてるとともに、私の仕事が氏の仕事を継承する意味をもつものであることに論及しました>と、ご本人からコメントいただいています。藤井さんと犬丸さんという両大家の組み合わせの妙も含めて、じっくりご賞味ください。
本ネチズンカレッジ学長兼用務員の方は、実は正月なし。バーチャルなネチズンカレッジには定年などありませんが、リアルの世界の勤務先の方は、本年3月定年退職です。30年間集めた蔵書を、3月末までに研究室から引き上げなければならず、一部は自宅書庫へ、一部は若い友人たちに、残りの大部分は某国の某大学図書館へ寄贈し日本を学ぶ異国の学生たちに読んでもらうために、仕分けを始めました。ところが迷路のように積んだ本の整理は大変で、まだ室内仕分け空間を作るための試運転の段階で、持病の腰痛が再発し年末は病院通い。段ボールはやめてキャリアバックで少しづつ運ぶ方針に転換し、悪戦苦闘を続けます。同時に試験答案の採点と、学士論文・修士論文の指導も繁忙期。今年はそれに加えて博士論文審査が異様に多く、さまざまなテーマをかけもちで専門的チェックも。しかし犬丸義一さんの幻の卒論『満州事変原因論』のように、半世紀後に学術的意味が見いだされることもありますから、手抜きはできません。そんなわけで、今年のおせちは関係文献に囲まれての缶詰状態、印刷物の賀状も例によって失礼しますので、ご容赦ください。ただ一つの新規アップは、昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」のみで、本サイト新年恒例の情報処理センター(リンク集)更新は、4月以降に延期させていただきます。