政治学者のHPなのに政局の分析がない、とご不満の方々に一言。「杉井孝」という大蔵省銀行審議官がどうなるか、注目しておいてください。「次の次の次官」が約束されたやり手ですが、長野証券局長以上の接待疑惑が、ようやく先週から各紙誌にではじめました。田谷・中島問題のさいにも名前が出ながら、しぶとく生き残ってきたワルです。彼の起訴まで行ければ、検察もホンモノと、私も認めましょう。実は、学生時代のクラスメートでした。
今シーズン初めてで最後になるだろう、スキーに行ってきました。卒業する学生たちが夜行バスで出かけた、アルツ磐梯スキー場に新幹線で合流。ちょうど毎晩雪が降って、3日間たっぷりフレッシュスノーと自然を楽しみました。福島県猪苗代町の雄大なスキー場で、若者に人気のスノーボードも全面可、うまくいってるかと民宿のおばさんにきくと、これが不況直撃、大赤字なそうです。もともとバブル時代に企画された第3セクター方式。町長自ら持山を提供し、夏はゴルフと企業研修にも、と皮算用した典型的バブル・リゾート。それが今年の客は昨年の半分以下で、リフトを動かすだけ赤字が大きくなるとのこと。それで良い雪が残ってるのに、3月でクローズ、私たちのスキーのさいも、何本かのコースが閉鎖されていました。民宿のおばさんの景気感覚は鋭い。合宿でくる学生たちのサイフが寂しくなっているのがよくわかるとか。親たちのやりくりが仕送り・小遣い削減に向かったのでしょう。さてこの日本経済、ビッグバンと政府の財政発動でうまく再起できるでしょうか。まあ無理でしょうね。
スキー場にモバイルを持っていってメールチェック、初めて多少の威力を発揮しました。でもあまりにチャチで、ネットサーフィンする気にはなりませんでした。このHPも満杯で、まもなく8000ヒットと新学期を迎えます。そこでいよいよ大改造。基本方針は、ミラーサイトをやめてそちらに論文ファイルを集中し、この入り口サイトをシェイプアップして、少しは再化粧することになりそうです。バックの原色が強すぎるというお叱りや、青空と地球とシャーク(かつお?)は残してくれといったご要望もありますので、アット驚くまではいきませんが、ぐっとリニューアルすることになるでしょう。年度末の次回更新で、加藤ゼミ98年卒論紹介アップロードと共に実行します。乞うご期待。
神田でちょっと手にした『歴史評論』1997年8月号を読んで、びっくりしました。「20世紀の社会主義を考える」という特集なのですが、その中心的論点が、崩壊した旧ソ連は「国家社会主義」だったのか「国家資本主義」だったのか、とか、戦時共産主義からネップのレーニンと強行的集団化のスターリンで本質的違いがある、とか、30年前に「ネオ・マルクス主義」が生まれた当時の議論が、この国の「進歩的」歴史学者の学会では「短い20世紀」の崩壊後に本格的に出てきたらしいことがわかります。そんな人たちは、マルクスやレーニンの言葉をあれこれ解釈するよりも、ロシアの歴史文書館に行ってロシア革命当初からの労働者・農民の状態を虚心に調べてみるべきです。この国の「戦後民主主義」を支えた心情には、どうやら「歴史の単線的発展」への宗教的信条が混じっていたようです。
このHPが満杯というのは先日も書きましたが、今回グラムシを入れたら、ついにバックの青空と雲も落とさなければならなくなりました。春休み中に一大決心して、ミラーサイトと複合しての軽量化を図ります。青空と雲のファンの皆さん、しばらくご容赦を。
話題の書『査問』(筑摩書房)をめぐる、著者川上徹さんと私の公開対談の会が、2月末にありました。出席者がそれぞれに個性的な体験をもった人々で、現在の政治的オリエンテーションもさまざまでしたが、この本の提起した問題は、人間の自由・権利の問題として重要だという点では、一致していました。当時「査問」する側にいた人や、川上さんたちが「粛清」され「辺境化」されたためにその後の運動の「中心」におしあげられた人もいて、戦後日本の社会運動についての、いろいろな証言が飛び交いました。私の感想は、「地獄への道は善意で敷きつけられていた」の再確認。ひとりひとりをとれば真面目で善良な人々が、ある集団・組織に献身し、なにゆえにかくも非人間的な行動をとりえたのだろうか、という20世紀型組織の問題性。共産党ばかりではありません。大企業や官僚制にも通じる問題です。国立のホテルで3人で自殺した中小企業経営者たちの話、どこかでつながっているのでは。
一橋大学加藤ゼミ関係者の皆さん、ゼミ文集『あす(us, tomorrow)』第2号の原稿最終締切を、3月15日まで延ばすそうです。詳しくは合宿所掲示板へ。
先月日本のインターネット利用者が男性88%・高学歴75%という野村総研の調査を紹介しましたが、その後追い調査が出ました。今度は日米に韓国・シンガポールを加えた国際比較で、日本のパソコン所有世帯は33%、シンガポールの58%、アメリカ53%、韓国48%に比して最低でした。これにツンドクの遊休パソコンを考慮すれば、せいぜい20%か? インターネット利用率も日本は9%で、シンガポール29%、アメリカ28%の半分以下、韓国の10%より低いとのことです。「高度情報社会」とやらは、どこにあるのでしょう?
そこで、敢えて学問的挑戦。日本の歴史学の総本山(?)、5月の歴史学研究会大会(5月23−24日)で、なぜか雑誌購読のみの周辺会員である私が全体会報告をすることになりました。ただし本HPの目玉「現代史の謎解き」ではありません。今年のテーマは「20世紀における<アメリカ>体験」(仮題)ということで、私はその戦後日本に関連する報告ということです。以前から日本の歴史学、特に「国史」の枠内の「日本史」にはいろいろ疑問を持っているので、このさい本HPを通じて大会報告のドラフトを公開し、対話型で仕上げる実験を試みることにしました。4月末発売の『歴史学研究』5月号に「報告要旨」が掲載され、当日は完成原稿をもとに口頭報告、その後の大会特集号に論文掲載とのことですが、その報告要旨の原稿締切は1月末ですでに提出しましたので、本HPに事前掲載します。著作権の問題があるかもしれませんが、短文ですし、ゲラもまだ出ていませんから、まあ許されるでしょう。「いのち」と「くらし」と「ふれあい」という「世間」風まなざしで「戦後日本と『アメリカ』の影」を論じる予定ですが、意見や助言があったら、どしどしメールをお寄せください。4月には、当日報告のドラフトもアップロードする計画で、3か月のロングラン特別企画にします。よろしく。
もっとも「現代史の謎解き」を中断するわけではありません。前回紹介した『読売新聞』2月5日付け「革命ロシアに消えた日本人たち」に掲載された私の「日本人粛清犠牲者リスト」86人中、「箱守平造(はこもり・へいぞう)」について、モスクワから新資料が届き「1891年11月21日生まれ、茨城県真壁郡河内村大字関舘農民箱守喜三郎次男」であることが判明しました。1915年にペルーに移民し、チリ・アルゼンチン・メキシコを経て1917年にアメリカ・ロスアンジェルスに移住し労働運動に加わったアメリカ共産党日本語部員です。1932年1月の日系移民労働者大量逮捕、いわゆるロングビーチ事件でアメリカ政府から国外追放になり、天皇制日本に帰国すると特高警察に逮捕されるので「労働者の祖国」ソ連に亡命、それなのに1938年に「日本のスパイ」として逮捕され銃殺されました。いわゆる「アメ亡組」の一人です。珍しい姓ですし、戦前の地名ですが出身地が詳しくわかりましたから、某通信社に探索を頼みましたが、ご遺族がみつかるかもしれません。本HPを見た茨城県在住の方でも、情報を寄せていただくと幸いです。「箱守平造」は、大宅賞受賞の小林峻一・加藤昭『闇の男──野坂参三の百年』(文藝春秋)や私の『モスクワで粛清された日本人』(青木書店)に出てきます。そのモスクワでの粛清の模様は、私の共同研究者藤井一行教授のHPで詳しく分析されています。藤井教授のKGB文書解読では、3人の兄弟と姉一人が、当時いたはずです。心当たりの方は、ぜひご参照ください。
川上徹『査問』(筑摩書房)という本をご存知ですか? 四半世紀前に「新日和見主義」というレッテルで、60年代全学連系学生運動の中心的活動家が社会運動の最前線から一斉に姿を消した不可解な事件の、元全学連委員長による証言です。私はちょうどドイツ留学の時期でしたが、多くの友人・知人がそれに関わり、生き方を変えました。いまこの本は「団塊の世代」の静かなベストセラーになっています。その著者川上徹さんと私の対談が、「市民ファーラム21・第40回例会」として、2月28日(土)午後2時から豊島区立生活産業プラザ(池袋駅東口三越裏・豊島公会堂前)第一会議室で開かれます。私が「現代史の謎解き」の視角から、川上さんの話をひきだします。関心のある方はぜひどうぞ(問い合わせ 03-3944-2510 [有]フィールド内)。藤井教授HPの1938年野坂参三夫人龍の「査問」や70年代末の宮地健一・幸子さんご夫妻の体験と重ね合わせると、1本の筋が見えてきますよ。
「20世紀の謎の暗室」へのHP経由のメール情報はこれまで全然なく、あきらめかけていたのですが、『読売新聞』の記事とは別の方からも、希望の灯が見えてきました。実は、勤務先の今年度冬学期「現代政治運動論」の講義で、国崎定洞らベルリン日本人社会科学研究会・反帝グループを「知識人の政治」の問題として扱ったところ、受講生は少なかったものの、大変優秀なレポートが集まりました。このHPと人名辞典だけでアンチョコに書いたらしいものもなかったわけではありませんが、国崎定洞・有澤廣巳・蝋山政道・平野義太郎・千田是也・竹久夢二らについて、よく調べ考え抜いた、面白い答案がありました。「政治学」や「比較政治」で数百人を相手にしているマスプロ講義よりも、時には10人以下という日もありましたが、私もやりがいのある講義でした。興味を持った任意のベルリン・グループ・メンバーについて、自分で経歴を調べ「知識人と政治」について書いてもらう問題でしたが、こうしたミニ卒論風レポートには、それなりに打ち込む学生が多いことも知りました。「最近の学生は」とぐちるよりも、少人数を相手に熱心に講義すればわかってもらえることを、改めて知りました。受講した学生諸君、ありがとう!
2月3日の朝刊を開いて愕然。この欄で使い勝手の問題を指摘してきたモバイルツール富士通INTERTopが、NTTDocomo とタイアップし、"INTERTop for DoCoMo"として売り出されています。一つは価格。1月に定価128,000のINTERTopと2万円のDoCoMoデジタルカードを別々にそろえ10数万円したのに、このタイアップ製品は79,800円と定価の半額。ばかばかしい話ですが、無論どちらの販売店でも、2月にこんな新製品が出るという話はありませんでした。もうひとつは広告。商品説明に9600bpsであることを書いていません。下欄のモニター募集の懸賞に新製品モバイルカード「2896P1」が9600bpsであると書いてあり、ドコモの携帯電話は9600bpsまでであることは周知(PHSなら3倍以上の速さなのに!)だからということでしょうが、新聞1頁全面を使っていながら、製品仕様の説明はほとんどなく「A5ジャストサイズ」とか「安い、速い、簡単」とか口当たりのいいことばかりです。ほとんど読めない小さな字で、この新製品には「ゲーム機能は搭載されていません」とあり、これが半額になる理由のように読めますが、もともとINTERTop付属のゲームは他愛ないものばかりで、別に購入したXIN/XOUT3 のソフトを使ってもMac版「AI将棋」は使えないことを確認したばかりの私には、アタマにくることばかり。消費者は賢くならなければならない、ということでしょうか。この国の消費文化は、ラルフ・ネーダー抜きの「企業主権」が貫かれています。
予期せぬ出来事。本HPの玄関に私の自己紹介があり、そこには生年月日まで入っています。そしたら中学時代の同級生田村久平さんから思いもかけない誕生祝いのメールが届き、岩手県大船渡市のなつかしい同窓生たちの近況もわかりました。ゼミOBからもいくつかのメール。現役ゼミテンは3年生が手作りのケーキを持って自宅におしかけ、卒業論文締切直前の4年生はロシア訪問記を見て防寒具をプレゼントしてくれました。近年になく充実したBirthday となり、HPの効用を見直しました。でも個人情報をここまで公開するのも、辛いものがありますね。いくつかコマーシャル・メールも入るようになりましたし。いずれ制限重量10MBの問題で大改造しなければなりませんから、思い切って匿名HPにでもしましょうか。本HP開設の最大の直接的ねらいであった「現代史の謎解き」情報が、半年でなんの成果もないのが残念です。
モバイルは、やっぱりパソコンとPHSがよさそうです。前回指摘したInterTopの遅さとバッテリーのほか、MAC族にはやはり操作性の問題がありますし、画面が小さいのは論文書きに不適。先日は、都心への外出に持ち出すのを断念しました。その代わり、秋葉原であこがれのPOWER BOOK G3とご対面、3400シリーズと全く同じ外観ですが、確かに速い気がしました。でも、この「究極の速さ」を求めての頻繁なモデル・チェンジが環境問題を深刻にしています。そもそも戦後日本資本主義発展の秘密は、おそらくこの「速さ」であり、私たちの心身は「速さ」にからめとられてきたのではないかと考えると、すぐに飛びつく気にはなりません。むしろ安くなった2400あたりが狙い目かも。ただしXIN/XOUTのソフトによるMAC=DOS変換はよくできています。NTTの値下げが楽しみです。
野村総研の調査では、日本のインターネット利用者は男性88%・高学歴75%・平均年齢37歳なそうです。日常マルチメディアへの道は、まだまだですね。もっとも、昔タイプライター屋があったのにいつのまにやらワープロに変わり、卒業論文でも手書きには滅多にお目にかからなくなりました。そんな「進化」の過程なのかもしれません。そんな水準の段階で、モバイルで出先でもどうしても取らなければならない情報とは、いったいどんなものなのでしょうか? どうも外国旅行で威力を発揮するPower Bookとは違って、わがモバイルInterTopは日陰者に終わるような予感がします。唯一のメリットは、A5版700gでカラー液晶という軽さとフットワーク。早く話題のPower Book G3シリーズにも、軽くて小さい高性能MACモデルはできないものかしら?
原稿締切りをいくつもかかえたまま、私たちの職業で最も多忙な試験期に突入したため、新規収録は「現存社会主義の崩壊をどう教えるか」という高校の先生向けの短いエッセイのみ。ゼミ選考用に一橋大学加藤哲郎ゼミのご案内を残します。ゼミOBで国際ワークキャンプNICEを主宰する開沢真一郎君から新年の便り。私の『社会と国家』(岩波書店)終章に紹介した「地域と地球のポップな架け橋」という素敵な卒論を書いて、NGO活動に飛び込んだ若者ですが、NGOにはNGOなりの悩みもあるようです。しかし卒業して5年、今なお地球市民運動の最前線で活躍する姿に、頭がさがります。そのNICEのホームページはここ。まだ2000ヒットなそうですから、皆さん覗いてやってください。寝室内のOBNETは、年賀状により多数のアドレスが修正され更新されています。 東京女子大での最後の講義で「先生のホームページ見ました」と声をかけられました。年賀状にもいくつかそんな書き込みがありました。頻繁な更新を続けられる励みはこれ。今年も皆様のメールをお待ちいたします。よろしく。
更新できない理由がもうひとつ。ドイツの雑誌に頼まれて、久しぶりで外国語の論文を書いています。英文でもいいというので書き始めましたが、なにしろテーマが1930年代ソ連における日本人粛清、特殊なソ連型政治用語の英訳をE. H. Carrを引っぱり出して探したりしながらで、さっぱり筆がすすみません。当分これにかかりきりになると、本HP用論文の編集時間がとれません。しばらく新規収録はご容赦ください。そのため今回は、短いアメリカ滞在記と、ゼミ選考用に一橋大学加藤哲郎ゼミのご案内のみ。ただし、ゼミ関係者専用寝室内のOBNETは、年賀状により多数の卒業生のアドレスが更新されています。
たしか一昨年正月、早稲田大学の伊東孝之教授からもらって以来あこがれていた、「メールで年賀状」の試みを今年は実践したのですが、率直に言って、この日本的習俗の世界では、インターネットは惨敗です。念のため出した郵便の年賀状にはほぼ確実に返事がくるのですが、メールの方は、昨年メールで交信した人及びアドレスを持つゼミ関係者全員に出して、返答率は2割弱の感じ。多くのユーザーがアドレスを職場においており、正月はパソコンから離れているためとも考えられますが、メールへの返事がお年玉つき年賀はがきでくる始末。年賀状の方でもメールアドレスを書いている人は1割以下、ふだんメールで交信している人でも住所・電話・ファクスどまりが圧倒的。つまり、現代日本社会では、電子メールはあくまで略式・非公式の機能的コミュニケーション手段であり、フォーマルな文書としては、認知されていないようです。もっとも外国のメール交信相手からも、クリスマスカードを多数もらいましたから、これは日本以外でもそうなのかもしれません。「情報化社会」の内実は、けっこうカルチュラルです。
昨年末までロシアに滞在中でしたので、メールで連絡のつく方々には、以下の賀状をもって、年頭の挨拶に代えさせていただきます。
ところが煩悩が強く、達磨が足りなかったのでしょうか、夏にインターネットのホームページを開設したところ、別のかたちの忙しさのサイクルに入りました。月に数回の更新をこころがけ、すでに5千人以上の皆様にアクセスいただき、多くの新しい友人を得ましたが、この夜行性ライフスタイルをいかにすべきかが、私の今年の課題です。
そんなことを考えながら、年末モスクワに行ってきました。ちょうど60年前の1937年12月に、国崎定洞が無実の罪で処刑され、南京侵略で湧く日本から岡田嘉子・杉本良吉が新天地を夢見て越境し、裏切られた地です。零下30度のロシアのクリスマスは、経済状態は安定し、モノも豊かになっていましたが、市場(バザール資本主義)に乗り換えたニューリッチと、時代に取り残された人々との落差が、大きくなっていました。1月1日からデノミで、1ドル=6000ルーブルが6ルーブルになりますが、年金生活者の月収は7万ー20万ルーブル=12−33ドル程度とのことでした。大学教授は、生産労働重視の「計画経済」時代からもともと低賃金で、一般労働者の平均賃金100万ルーブル(約170ドル)の現在でも、40−60万ルーブル(70−100ドル)とのことでした。
クリスマスの朝、レーニン廟前の広場で、100人ほどの共産党とおぼしき老人たちが集会を開いていましたが、掲げるポスターは、レーニンでさえなく、スターリンでした。ニューリッチの若者たちは、ふりむきもせず、向かいのグム百貨店のシャネルの店で、恋人へのプレゼントをあつらえていました。もっともロシアのクリスマスは、1月7日ですが。
国崎定洞ほか、罪なき日本人数十人も銃殺されたはずの、モスクワ郊外ブトボの刑場は、旧KGB関係者の別荘に囲まれた、荒涼たる雪原でした。そこに、手作り木造の小さな教会があり、キリスト教徒であるがゆえに処刑された、聖職者たちを祀っていました。何枚ものプレートに延々と続く、氏名のわかっている犠牲者の処刑日は、国崎定洞と同じ1937年12月10日が多いのに気づきました。教会のなかには、誰かが80年以上秘蔵し祈っていたらしい古ぼけたイコン──おそらく父須藤政尾もここで処刑されたにちがいないという、遺児須藤ミノル(ミハイル)さんとともに、赤い蝋燭に、灯をともしてきました。杉本良吉の眠るドムスコイ墓地の、無名戦士の墓には、何本もの蝋燭が燃えていました。
スドー・ミハイルさんと共に、ロシア人の友人ガーリャさん宅で、日本から運んだモチを入れた、特製ボルシチのクリスマス──この人たちの夢を21世紀に受け継ぐとはどういうことなのか、今年も考え続けていきたいと思います。皆様にとって、1998年が、良いお年でありますように。
パーティ用政治学特別講義 "World Ideologies Explained By Cows"は、かつてのアネクドート先進国ロシアでも、大好評でした。ただし、もうひとつの持参した日本みやげ「ホカロン」は、無駄でした。冬の外出時は完全防寒服ですが、室内はセントラルヒーティングで暑すぎるぐらいがロシア流、実際のところ、ほとんど不要でした。アエロフロートも、6年前とは見違えるほどの快適さ、日本語放送つきで機内食もなかなかの味、機種も最新式エアバスでした。新生ロシアは、日本の観光客を待っています。今でも日本では散見する「レーニンは正しかったが、スターリンが社会主義を歪めた」という人は、ぜひモスクワに行くべきです。今なら行列なしで見れる、あの気の毒なレーニンの遺体は、「短い20世紀」の政治責任を問われて、21世紀までドル稼ぎの終身強制労働刑に処されているようですから。
新年ですが、ロシア旅行のために、新規の更新は、できませんでした。次回1月10日頃に、予告しているいくつかの論文を、新規収録する予定です。ただし寝室のOB-NETのみは、年賀状代わりに随時更新中です。乞う、ご期待!