LIVING ROOM 27 (July. to Dec. 2009)

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。


師走の日本の冷たい風の中で、何のための政権交代かを改めて考えてみては?

2009.12.15   あっという間に師走の半分がすぎました。ドバイの摩天楼債務危機は、アブダビの100億ドル支援で何とか破綻を先送りしましたが、世界経済の混迷は、越年です。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説も、受賞のきっかけになったプラハの「核なき世界」演説に比べて、アフガニスタンへの増派を決めたばかりで「戦争という手段が、平和を維持する役割を果たす」という弁明の目立つものでした。日本経済の混迷も続いています。日銀短観を待たずとも、ボーナスはカット、正社員にもリストラは及び、年越しは大変。ランチ代が安くなっても、デフレ・スパイラルからの出口はみえません。

 民主党鳩山政権の支持率が、じりじり下がっています。普天間基地移転問題でも、雇用機会の創出でも、年金・医療・教育でも、まだ基本政策は見えません。アメリカのオバマ大統領は、選挙中からグリーン・ニューディールを提唱していました。それでもリーマン・ショックの打撃はあまりに深く、その後始末に追われ続けています。鳩山内閣の「政権交代」は、その意味では自民党の自滅でころがりこんだもので、「チェンジ」の方向はもともと見えませんでした。マニフェスト第一弾で最初の劇場政治の舞台となった八ツ場ダムの問題は、日航再建や事業仕分けに隠れて、いつのまにか新聞紙面から消えました。連立3党の関係、民主党と内閣の関係、各省庁間関係でもぎくしゃくした対応が目立ち、そのうえ首相と党幹事長の政治資金問題で、爆弾を抱えたままです。どうやら国民の中にも、来年夏参院選まで待てない、ストレスがたまってきたようです。日米密約の情報開示や貧困率の数字の発表、消えた年金の回復は、ぜひともやってほしかったことです。でも政治家は学者ではないでしょう。本15日に予算と普天間基地問題の「基本方針 」が出ましたが、2010年度に「約」44兆円以内の国債発行と基地移転問題の3党協議継続とか。情報戦の中で、世論の眼は、出口の見える政治を求めています。

 この間メイン・パソコンの故障、不審な迷惑メールの洪水、職場・自宅のLAN不調が続き、それでなくても忙しい師走を、研究環境回復のための時間にとられました。幸い基本データだけはバックアップできましたが、来年3月の現在の職場の退職を控えて、博士論文審査の山と、迷路のように本が積まれた研究室整理の仕事も、重なっています。年末年始の挨拶は、せめて今年は賀状をと思ってましたが、年内に書くのは難しそうです。昨年行われた中国社会科学院政治学研究所・清華大学人文社会科学学院・一橋大学社会学研究科による日中共同シンポジウムの記録、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』が本になりました(彩流社)。私も「戦後日本の政治意識と価値意識」を報告していますが、紙数の都合で大幅短縮、完全版は別のかたちで発表することもあり、本サイトには来年に。新年更新で学術論文データベ ースに、大型寄稿をアップする予定です。去る7月2日に逝去された医師・医事評論家川上武先生の追悼会が、きたる12月19日(土)午後2時から、日本赤十字看護大学広尾ホールで、医療法人財団健和会・柳原病院の皆さんを中心に「川上武先生に学ぶ集い」として開かれます。私も長く国崎定洞研究を一緒に進めてきた「同志」として、今年最後の講演を行う予定です。今日の医療・医学に関心を持つ皆さんは、ぜひ。


 国崎定洞、千田是也研究の副産物、静岡県舞台芸術センター6月公演、ハイナー・ミュラー原作、ブリギッテ・マリア・マイアー・ミュラー監督の映像インスタレーション『タイタス解剖ーーローマ帝国の落日』の当日配布プログラム『劇場文化』9号に寄せたエッセイ疑心暗鬼の国が生んだ人間のドラマ」をアップ。演出家菅孝行さんが、病床の親友岡村春彦さんの原稿『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)を仕上げる仕事を、メキシコからちょっと助けたさいに頼まれた演劇論で、本論は、図書館書評欄に、『図書新聞』10月10日号掲載、岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)をアップ。先日、東中野のサロン・マグノリア(中野区東中野5−8−3)で芹沢光治良文学愛好会の皆さんに「芹沢光治良『人間の運命』の周辺----<洋行>日本人のネットワーク」を話してきましたから、何やら芸術づいています。先の島崎藤村芹沢光治良に続いて、なぜか小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの文学世界への情報政治学的介入、平川祐弘・牧野陽子編『ハーンの人と周辺』(新曜社、2009年8月)に「ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ」という一文が収録されました。『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)の系列での副産物ですが、ご笑覧を。    

 しばらくリンク切れだった旧ソ連秘密文書解読の盟友藤井一行さんサイトのweb出版の労作、 『粛清されていた邦人日本語教師たち』『野坂竜の逮捕をめぐって』が、新たなサイト「コミンテルンと粛清」で甦りました。その後の藤井さんの研究、「コミンテルンと天皇制ーー片山・野坂は32テーゼの天皇制絶対化に懐疑的だった」「「田中上奏文」は本当に偽 書か?ーー 新発掘史料で「昭和史の謎」を追う」などと共に再リンクしましたので、どうぞ。私自身はこの間のメキシコ体験メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」を新型インフルエンザをめぐる日本型「有事」対応として『一橋新聞』インタビューで、またスペイン語ですが8−9月に中断された仕事再開でまた訪れるメキシコ大学院大学Bulletnin CEAA"Mayo,2009'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表しました。もっともこのスペイン語 エッセイ、もともと本サイト英語版Global Netizen Collegeのトップページの写真入りスペイン語訳です。英語で読みたい方は、English is hereにどうぞ。

私の中断を余儀なくされたメキシコ便り」2009年版は、過去ログ「カレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009「メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版は、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」を図書館に。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。

 昨年10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤『ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)もよろしく。ウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。

 
やっぱり年越し派遣村は必要になる? 事業仕分けの「劇場政治」に要注意!

2009.12.1  ついに師走です。今年は派遣村なしで年越しできるでしょうか。どうも民主党政権になったからといって、貧困率統計がようやく公表されるようになったからといって、安心できる状況にはありません。中東ドバイでは、巨大人工島の摩天楼バブルがはじけそうです。アブダビ政府の支援に期待が集まってますが、もしもはじけると欧州通貨ユーロに大打撃を与え、昨年9月のリーマン・ショックに次ぐ世界金融危機第2弾が懸念されます。1929年恐慌の時も、「暗黒の木曜日」の1年半後にオーストリアの大銀行クレジットアンシュタルトが破綻し、これがドイツに飛び火してナチス台頭の背景になりました。ドルもユーロも危ないということで、投機マネーは相対的にマシなジャパニーズ円に向かい、一時は1ドル=84円。これは日本経済の心臓部=輸出大企業を直撃します。小手先の景気対策ではどうにもなりません。内需拡大以前に、デフレ・スパイラルが進んで、所得減も失業率も記録的になる可能性があります。G8に代わるG20はまだ胎動したばかり。日米同盟や「東アジア共同体」ばかりが世界ではありません。中国、インドはアフリカに向かい、地球人口半分の巨大経済圏ができる可能性さえあります。世界金融経済恐慌からの脱出策は、まだ不透明です。

 そんな中で、マスコミのフォーカスは行政刷新会議の<事業仕分け>に向かいました。鳩山首相、小沢幹事長という民主党の表看板・裏看板が巨額の政治資金疑惑を抱えているのに、税金の使い道を公開で議論する事業仕分けの人気で支持率も何とか6割維持、5割を割りつつある米国オバマ政権より「安定」しているかに見えます。しかしこれは、野に下った自民党があまりにも力が無く、小泉首相時代の「劇場政治」が攻守交代したかたちで、健全な民主政治とはいえません。もっぱら短期の費用対効果の観点での官僚つるし上げですから、「行政のムダ」や「天下り」摘発の効果はあっても、新しい政治を産みだしてはいません。私の提唱する情報政治・情報戦の観点から言うと、脱構築はできても構築にはほど遠い演技の世界です。思考パターンは新自由主義の「小さな政府」「民営化」に近く、長期の国家戦略に関わる科学技術政策・国際交流から障害者や女性・若者に関わる必要施策まで、<仕分け>の血祭りに仕立てられています。何よりも、本来新政府の二本柱とされていた行政刷新と国家戦略の、後者が全く動きのないまま前者が一人歩きし、いのちに関わる施策の緊急性・優先性が見えません。自民党バージョンのOSに代わる新しいオペレーション・システムこそリナックス方式で設計さるべきなのに、旧いOS上でのチャットだけが盛り上がっているかたちです。おまけに「国権の最高機関」である国会での審議と立法は、裏看板の意向か、おざなりで先送り。「劇場政治」が次の演目を看板そのものに向ける時、一度は喝采を挙げた民衆が醒めて無関心に向かうことを危惧します。

 こんなクールな「政権交代」観は、今年の半分をメキシコと関わったことと、無関係ではありません。メキシコでは、2000年大統領選挙で70年ぶりの政権交代を経験しました。その時の期待と熱狂を知り、今日振り返る友人たちの忠告は、「過剰な期待は過剰な失望に通じる」でした。とりわけメキシコには、「ああ哀れなるメヒコ、かくも神より遠く、かくもアメリカに近く」といわれた隣国との関係があり、政権交代時にはNAFTA(北米自由貿易協定)で、いっそう深く対米関係に縛られていました。日本の政権交代も、日米同盟と国際協調の枠組を大きく崩せない以上、国家戦略レベルですら選択肢は限られ、政府と民衆の蜜月は長くはないだろうというのです。沖縄普天間基地の問題では、政権与党の社民党さえ「県外・国外移転」の声が小さくなり、外務省の「核持ち込み密約」資料公開も、「非核3原則」のなしくずし改訂にソフト・ランディングする方向が見え隠れしています。今年のもう一つのメキシコ体験、新型インフルエンザによる緊急帰国で見た日本の情景からも、<事業仕分け>への劇場政治的熱狂に対する違和感を、ぬぐいきれません。「パンデミックの政治学」に記しましたが、あの「水際作戦」や「感染者捜し」の興奮は、何だったのでしょうか。すでに死者も数十人になり、季節性インフルとダブルで期末試験や入学試験の準備に大きな影響を与えていますが、情報戦の主舞台からは去り、長期の保健・医療政策の中での政策転換が求められています。こんな問題を話すと、常に冷静で的確な分析と医学史・医療史の専門的知識で助言してくれた私にとっての大先達、去る7月2日に逝去された医師・医事評論家川上武先生の追悼会が、きたる12月19日(土)午後、日本赤十字看護大学広尾ホールで、医療法人財団健和会・柳原病院の皆さんを中心に「川上武先生に学ぶ集い」として開かれます。私も長く国崎定洞研究を一緒に進めてきた「同志」として、今年最後の講演を行う予定です。今日の医療・医学に関心を持つ皆さんは、ぜひ。


 国崎定洞、千田是也研究の副産物、静岡県舞台芸術センター6月公演、ハイナー・ミュラー原作、ブリギッテ・マリア・マイアー・ミュラー監督の映像インスタレーション『タイタス解剖ーーローマ帝国の落日』の当日配布プログラム『劇場文化』9号に寄せたエッセイ疑心暗鬼の国が生んだ人間のドラマ」を新規アップ。演出家菅孝行さんが、病床の親友岡村春彦さんの原稿『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)を仕上げる仕事を、メキシコからちょっと助けたさいに頼まれた演劇論で、本論は、図書館書評欄に、『図書新聞』10月10日号掲載、岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)をアップ。先日、東中野のサロン・マグノリア(中野区東中野5−8−3)で芹沢光治良文学愛好会の皆さんに「芹沢光治良『人間の運命』の周辺----<洋行>日本人のネットワーク」を話してきましたから、何やら芸術づいています。先の島崎藤村芹沢光治良に続いて、なぜか小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの文学世界への情報政治学的介入、平川祐弘・牧野陽子編『ハーンの人と周辺』(新曜社、2009年8月)にハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ」という一文が収録されました。『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)の系列での副産物ですが、ご笑覧を。    

 しばらくリンク切れだった旧ソ連秘密文書解読の盟友藤井一行さんサイトのweb出版の労作、 『粛清されていた邦人日本語教師たち』『野坂竜の逮捕をめぐって』が、新たなサイト「コミンテルンと粛清」で甦りました。その後の藤井さんの研究、「コミンテルンと天皇制ーー片山・野坂は32テーゼの天皇制絶対化に懐疑的だった」「「田中上奏文」は本当に偽 書か?ーー 新発掘史料で「昭和史の謎」を追う」などと共に再リンクしましたので、どうぞ。私自身はこの間のメキシコ体験メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学」を新型インフルエンザをめぐる日本型「有事」対応として『一橋新聞』インタビューで、またスペイン語ですが8−9月に中断された仕事再開でまた訪れるメキシコ大学院大学Bulletnin CEAA"Mayo,2009'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表しました。もっともこのスペイン語 エッセイ、もともと本サイト英語版Global Netizen Collegeのトップページの写真入りスペイン語訳です。英語で読みたい方は、English is hereにどうぞ。

私の中断を余儀なくされたメキシコ便り」2009年版は、過去ログ「カレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009「メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版は、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」を図書館に。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。

 昨年10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤『ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)もよろしく。ウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。

 
ゴルバチョフのペレストロイカはベルリンの壁を崩壊させたが、

オバマの太平洋国家宣言は何を突き崩すのか?

2009.11.15  13日夜、赤坂見附のメキシコ大使館に出かけましたが、都心は厳しい警戒態勢でした。この日、米国バラク・オバマ大統領が来日しました。そして翌日去りました。オバマ大統領の演説は、さすがに雄弁です。自身の日本とアジアへの関わりから説き起こし、米国初の「太平洋系大統領」であり「太平洋国家アメリカ」で締めくくっています。気候変動への取り組みと核兵器廃絶への決意が語られ、それが「地球的目標」と明示されています。私が感心したのは、北朝鮮について「日本人の家族に対し、拉致された人たちの行方を完全に明らかにしなければ、近隣諸国との完全な関係正常化もない」、「アウン・サン・スーチーさんを含むすべての政治犯の無条件釈放」と具体的に語り、「女性、子供、移民を搾取する人身売買をやめさせ。この現代の奴隷制という災厄に終止符を打つ」と「すべての人の基本的人権と尊厳を守ること」を宣言したことです。私たち意見広告7人の会の「拉致問題:意見広告ふたたび」ニューヨークタイムズ』『東亜日報』『朝鮮日報』『中央日報』『ル・モンド』紙での意見広告も、多少は効果を持ったようです。アメリカの大統領にとっての「日米同盟50年」の意味づけも、抹茶アイスや小浜市民へのリップサービスを含め、格調高いものです。

 とはいえ、歴代米国大統領の中では地球的課題に敏感で、国際協調・対話を重視する最良の一人といえるにしても、それを迎えたパートナーとしての日本にとって、チャンスを生かした日米会談だったとは言えません。日本の「世界への貢献」として具体的に挙げられたのは、「イラク再建から、ソマリア沖の海賊対処、アフガニスタンやパキスタンへの支援」です。民主党がマニフェスト実行の財源を捻出するため、連日大々的に報じられる「事業仕分け」で何千万円・数億円単位の「無駄遣い」をなくそうとしている最中に、効果についての検証もなしに、アフガニスタンに50億ドル、パキスタンに10億ドル、計6000億円もの大盤振る舞い「支援」が決められました。沖縄県民の悲願で民主党のマニフェスト、鳩山内閣連立合意である普天間基地の県外・国外移転は日本側から強く主張されることなく、オバマ大統領には「両国政府が達した沖縄駐留米軍の再編合意の履行、合同の作業部会を通じて迅速に進むことを合意した」と釘をさされています。鳩山首相の温暖化ガス25%削減への具体的言及も、目玉としてきた「友愛」へのリップサービスもありません。他方で、訪日した米国大統領としては異例の、「米中協力関係の深化」についての長文の言及があります。訪日直前に日程を変更し週末1泊2日であわただしく去る日本より、平日3泊4日でじっくり訪問する中国こそ、このオバマのアジア歴訪の本番であることを、率直に表現しています。こうした率直さは歓迎すべきで、ボールは日本国民に投げられたことを意味します。オバマ演説は「日米同盟50年」のみならず、共和党大統領だったのに「アイゼンハワー元大統領がずっと前に表現した精神に立ち」と言及し、1952年サンフランシスコ講和条約・日米安保条約締結、60年安保改訂までさかのぼって「対等で相互の尊重に基づく関係」を述べました。その背景には中国革命と朝鮮戦争があり、日本は「独立」と引き替えに全土に米軍基地を残し、沖縄は占領されたままでした。それが日本側にとっても「対等・相互尊重」であったのかが、問われているのです。私たちが考えなければならないのは、まさにこの日本現代史を貫く日米関係の意味、それと「東アジア共同体」との関係です。

 オバマ大統領の演説を聞いて、4半世紀前、1985年の旧ソ連ミハエル・ゴルバチョフ書記長の国際社会へのデビューを想い出しました。社会主義経済の行き詰まりの中で「ペレストロイカ(新規まき直し)」を唱え、それを実現するために「グラースノスチ(情報公開)」を宣言し、それを国際社会にも延長して従来の階級闘争史観を改め人類史的課題を優先する「新思考外交」を進めて、周辺東欧諸国への「制限主権論」押しつけをやめて、1989年の「ベルリンの壁」崩壊、中東欧諸国の民主化・自由化、ついにはドイツ統一とソ連崩壊をもたらしました。その冷戦終結への貢献で1990年ノーベル平和賞を受賞しましたが、旧ソ連圏では当時も今日でも評価が分かれ、現ロシアでは、どちらかといえば「売国奴」風のマイナス評価が定着しています。冷戦末期のゴルバチョフ登場は強烈で、「ベルリンの壁」崩壊は、日本でも感動を持って迎えられました。私も『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990年)ほか何冊かの書物で論じ、英語論文「東欧革命の日本的受容」で英訳してくれたAndrew Gordonほか多くの海外の友人を得ました。今日の大学生たちはその頃生まれましたから追体験できませんが、当時を知る人々にとっては、大きな歴史の転換でした。中国では天安門事件で逆流もありましたが、やがて「改革開放・市場経済」へ突き進みました。日本でも、昭和が終わり平成になる変化と重なって、いわゆる「55年体制」は93年から崩壊していきました。

 ベルリンの壁崩壊から20年、日本のメディア報道はあまり活発ではありませんが、ドイツやヨーロッパでは、この20年を振り返るさまざまなイベント・企画が行われています。ドイツでは、「壁」によって隔てられ抑圧されていた「東」の人々が、自由と豊かな暮らしにあこがれて壁を倒したものの、実質的な西ドイツへの併合で、「オッシー」として差別される「心の壁」も残り、今なお経済格差の中でかつてのつつましく貧しいが「平等」であった頃を想い出す「オスタルジア(東へのノスタルジア)」風のテレビ番組が作られ、NHKの衛星テレビなどで放映されています。他方で、一党独裁監視国家の秘密警察「シュタージ」を告発するプログラムも多く、「壁」崩壊を導いたライプチッヒ市民の民主化運動やベルリンでの「壁」監視兵たちの苦悩等も描かれています。また、かつてポーランドの連帯運動から始まり、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアへと広がった東欧連鎖革命、それを受け継いだバルト3国、旧ソ連から脱したウクライナ、グルジアや中央アジア諸国のその後も、これらの多くを吸引し飲み込みいまや27か国で「ヨーロッパ大統領」を持つまでに広がったEU(欧州連合)の問題として、論じられています。つまり、1945年に敗戦国として出発したドイツと日本は、冷戦下では西側同盟の経済大国としての再興で共通していましたが、1989−91年の冷戦崩壊の受け止め方・対応の相違によって、大きく異なるChangeを体験してきました。一言でいえば、日本は、バブル経済下の冷戦崩壊の意味を十分吟味できず、「失われた20年」をアメリカ中心グローバリズムへの没主体的受動的革命でつくろい、ようやく2009年民主党政権成立で、21世紀にふさわしい独立国家としての道を選択する機会に直面しているのです。

 前回更新時、OECD統計「相対的貧困率」の数字が長妻厚労相の指示でついに公表され、日本が15%もの貧困層を抱えるOECD中で4番目の格差社会であることが白日にさらされたことを、当面最優先さるべき緊急の政策課題として示しました。13日、今度はその詳報で、厚生労働省は「日本の一人親世帯の「相対的貧困率」(2007年)が「加盟30か国中で最も高い54・3%に上る」との調査結果を発表しました。つまり、派遣・パートの不安定非正規雇用増大とともに、一人親世帯が日本の貧困率を押し上げている焦点のひとつなのです。「生活第一」を「いのち第一」に読替え、緊急に対処することが必要です。オバマ大統領東京演説の核心も、ヨーロッパ「壁崩壊20年」報道の焦点も、実は昨年9月以来の世界金融経済危機からの脱出の仕方です。前回お伝えした自宅のメインパソコンPOWER MACG4のトラブル修復に手間取ってます。補助のノートパソコンPowerbook G4のメーラーが動かなくなったり、いくつかの重要ファイルがバックアップしていなかったため失われたり。思えば私のパソコンとのつきあいも、NEC98から始めてMACに乗り換え20年、環境条件の方が大きく変化して、日米同盟が自明ではないように、アップル・マッキントッシュのWindowsほかへの優位性は、リナックスも出現して自明ではなくなりましたから、同盟関係を見直す時期かもしれません。しかしマック用のソフトと技能で長くシステムを構築してきたため、抜本転換には大いなる決断とコストが必要です。長い自民党政権のOSを引き継いだ民主党政権の苦労も、わからないでもありません。まだ見習い期間ですから、しばらく見守っていきます。


去る7月2日に逝去された私の国崎定洞研究の「同志」川上武先生のご冥福をお祈りし、図書館川上武先生を偲ぶ(2009.8)」コーナーを設け永久保存。来る12月19日に東京で「しのぶ会」が開かれます。追って詳報。これも国崎定洞、千田是也研究の副産物、静岡県舞台芸術センター6月公演、ハイナー・ミュラー原作、ブリギッテ・マリア・マイアー・ミュラー監督の映像インスタレーション『タイタス解剖ーーローマ帝国の落日』の当日配布プログラム『劇場文化』9号に寄せたエッセイ疑心暗鬼の国が生んだ人間のドラマ」を新規アップ。演出家菅孝行さんが、病床の親友岡村春彦さんの原稿『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)を仕上げる仕事を、メキシコからちょっと助けたさいに頼まれた演劇論、先日、東中野のサロン・マグノリア(中野区東中野5−8−3)で芹沢光治良文学愛好会の皆さんに「芹沢光治良『人間の運命』の周辺----<洋行>日本人のネットワーク」を話してきましたから、何やら芸術づいています。図書館書評欄に、『図書新聞』10月10日号掲載、岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)をアップしました。先の島崎藤村芹沢光治良に続いて、なぜか小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの文学世界への情報政治学的介入、平川祐弘・牧野陽子編『ハーンの人と周辺』(新曜社、2009年8月)にハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ」という一文が収録されました。『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)の系列での副産物ですが、ご笑覧を。    

 しばらくリンク切れだった旧ソ連秘密文書解読の盟友藤井一行さんサイトのweb出版の労作、 『粛清されていた邦人日本語教師たち』『野坂竜の逮捕をめぐって』が、新たなサイト「コミンテルンと粛清」で甦りました。その後の藤井さんの研究、「コミンテルンと天皇制ーー片山・野坂は32テーゼの天皇制絶対化に懐疑的だった」「「田中上奏文」は本当に偽 書か?ーー 新発掘史料で「昭和史の謎」を追う」などと共に再リンクしましたので、どうぞ。私自身はこの間のメキシコ体験メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学)」を新型インフルエンザをめぐる日本型「有事」対応として『一橋新聞』インタビューで、またスペイン語ですが8−9月に中断された仕事再開でまた訪れるメキシコ大学院大学Bulletnin CEAA"Mayo,2009'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表しました。もっともこのスペイン語 エッセイ、もともと本サイト英語版Global Netizen Collegeのトップページの写真入りスペイン語訳です。英語で読みたい方は、English is hereにどうぞ。

私の中断を余儀なくされたメキシコ便り」2009年版は、過去ログ「カレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009「メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版は、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」を図書館に。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。

 昨年10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤『ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)もよろしく。ウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。


政策の優先順位はどう決めるべきか? 今年は派遣村なしで年越しできるように!

2009.11.1 アメリカのオバマ大統領は、リーマン・ショックで大崩壊した金融経済体制を引き継いで1年、当初の支持率90%は、当選から1年で50%台まで下がりました。ノーベル平和賞はとれても、経済政策は直ちに効果があがらず、それでも奮闘しているというべきでしょう。何よりも「グリーン・ニューディール」や「核なき世界」を掲げて世界に夢を与える、情報戦のリーダーシップがあります。11月12日には日本にもやってきます。迎える日本の鳩山内閣は、まだ2か月足らず。ようやく国会も始まって、新政権の政策的輪郭が見えてきました。外交では日米同盟優先と東アジア重視の両立の難しさを示しています。アセアン(東南アジア諸国連合、10か国)での鳩山首相は、理念としての東アジア共同体で賛同は得ても、もともとASEANプラス1(中国)かプラス3(中韓日)かが問題になっているところに出かけて、外様の日本がアメリカを加えるべきだと主張するのですから、受け入れられるはずはありません。仏独中心のEEC/ECからEUができていく過程での、小姑イギリス風の役割でも想定しているのでしょうか。インドやオーストラリアをどうしようとするのでしょうか。具体化の方向は見えません。そして、ますます泥沼化するアフガニスタンへのスタンスも、沖縄県民の悲願で連立政権の公約だった普天間基地移転問題でも、外相と防衛相が不安定な発言を繰り返し、腰が定まりません。相手のある外交交渉の難しさと、首相のリーダーシップの欠如が露呈してきたかたちです。

 国内問題なら大丈夫かというと、これもまだまだ政権交代の果実には遠い段階です。それだけ積年の自民党政権のツケは重く、構造改革は大変だということですが、すぐにも着手されるはずだった生活保護の母子加算復活や肝炎患者支援法制定でも、後期高齢者医療制度廃止や障害者自立支援法の改定でも、長妻厚労相はがんばっていますが、なかなか政府の決定にはいたりません。どうやらこの政権には、いくつかのアキレス腱がありそうです。一つは経済財政政策上の制約で、アメリカのオバマ大統領が直面したものと似ていますが、その制約の中でどんな政策を優先し、長期的にどんな社会をめざしていくのかの基本構想が、「友愛」程度しか見えないことです。そのため政策決定の基準が定まらず、大臣・副大臣・政務官たちも手探りで動いています。もう一つは、制度面での議院内閣制の硬直的運用。「小沢ルール」というのだそうですが、イギリスをモデルにしてか、与党と内閣の一元化を、与党の総括質問をしないとか議員立法を許さないとか、極端なまでに進めようとしています。日本国憲法に忠実ならば、「国権の最高機関」としての立法府=国会の本旨から、野党を含む「全国民を代表する」議員を中心にした議論が執行府=内閣・官庁の決定を導くこと、これこそが官僚支配打破・政治家主導の正統性根拠なはずです。そこが曖昧なまま、一方で前政権の尻ぬぐいで予算の無駄遣いカットに奔走し、他方で選挙で公約に掲げたマニフェストの機械的実行を目指して右往左往、党と内閣の間も、各閣僚間の政策調整も、ぎくしゃくした印象を与えています。そこで強力にリーダーシップを発揮すべき鳩山首相も、それを支えるべき小沢幹事長も、共に政治資金についての説明責任を果たしていませんから、「国権」「国民代表」の大義がいま一つ迫力に欠き、せっかく選ばれた新人議員の力も、臨時国会を早々と終えて、本予算と来年参院選挙での安定過半数獲得の方にシフトしているようです。

 政策の優先順位は、選挙の際のマニフェストの順序や、長期的理念(があれば)に接近する政策体系中の重要度だけでは決まりません。国際環境の変動や国民生活上の緊急度も当然に反映されるでしょう。反映すべきでしょう。その観点からすれば、これまで自民党・官僚によって隠されてきたOECD統計「相対的貧困率」の数字が長妻厚労相の指示で公表され、日本が15%もの貧困層を抱えるOECD中で4番目の格差社会であることが、白日にさらされたことが重要。昨年末に大きな社会問題・政策課題として浮上した非正規労働者の雇用と住宅・生活保護を伴う緊急対策が第一に取り組まれるべきです。またそこから労働者派遣法の抜本的改正が、「生活第一」の公約通りに、国会に上程さるべきです。Life is the firstは、「いのち第一」であるべきです。ところがこの点での民主党・内閣の対応が、はっきりしません。最低賃金時給1000円の問題でもそうですが、それでは中小企業の倒産が増えて雇用が確保できないとか、大企業もコスト高で国際競争に勝てないとかいう理由で、どんどん先送りされています。この不況からの脱出を、同一労働同一賃金の職場、時短とワークシェアリングの労働市場、内需拡大による景気回復へと導く強い姿勢が感じられません。菅直人副首相の「国家戦略室」が本来取り組むべき最優先課題で、昨冬の「年越し派遣村」村長湯浅誠さんも助言者(政策参与)になったようですが、早く「局」になって、存在感を示してほしいものです。1年後の鳩山内閣支持率は、どうなっているでしょうか。

 今回更新は、綱渡りの末の滑り込み。この1週間、メインの自宅Power Mac G4がダウン。ようやく重要ファイル、書きかけ原稿だけ救出して、なおシステム再構築の最中です。きっかけはMAC OSX のClassic 環境でNorton Utilities を使ってしまったこと。重要なプログラムが変更され、OSXが立ち上がらなくなってしまいました。それからが大変で、なにしろ月末締め切り原稿まで入っていますから、インターネット上でのトラブル・修復情報を収集し、新しい修復ソフトをアマゾンで買ったり、ノートパソコンとFireWireで結んだりで、何とか立ち上げだけはできるようにしました。そのノートパソコンも、マック特有の液晶不安定が続き、外付けモニターを使っての作業。来年3月末でリアル大学の方は定年退職し、本ネチズンカレッジの方に専念する予定ですが、ハード・ソフト両面でのシステム再組織が必要になりそうです。そんなことで、今回はリンク最小限ですが、ご了承ください


「持続可能な地球」と「核なき世界」を徹底すれば、

ポスト自民党支配のどんな社会が設計できるか?

2009.10.15  今年のノーベル平和賞が、アメリカのオバマ大統領に授与されることになりました。ブッシュ前大統領の単独行動主義から国際協調主義への転換、プラハでの核廃絶発言が評価されたのでしょうが、先物買いです。実績という点ではまだ何もなく、泥沼化するアフガニスタンに派兵を続け、イスラエルの核には何も言えないでいるんですから。アメリカの新聞の辛口批評では、「ガンジーでも受賞してないのに」。日本流にいえば、「あの沖縄密約の佐藤栄作でさえ受賞したんだから」でしょうか。オバマへの期待がそれだけ大きく、平和への希望を与えているとすれば、それはいいことです。ヒロシマ・ナガサキの市長が、2020年までの核廃絶をめざして、オリンピック開催に共同で名乗りを挙げたのも、その初発の効果。核戦争の実相はまだまだ世界では知られておらず、第二次世界大戦での原爆投下がなければ日本は降伏せず本土決戦まで狂信的に戦い続けただろう、というのが世界の一般的理解ですから、情報戦のアナウンス効果はあるでしょう。

 ただし2020年反核オリンピック・イン・ジャパンは、おそらく実現できないでしょう。ノーベル平和賞の直前のオバマは、2016年にシカゴ・オリンピックを誘致すべくコペンハーゲンのIOC総会にでかけて、失敗しました。日本での下馬評は高かったにもかかわらず、1回目の投票で、マドリード、リオデジャネイロ、東京に届かぬ最下位でした。次いで、石原慎太郎東京都知事が大々的に宣伝したが国内では盛り上がらなかった東京が落選し、最後の決選投票で、南米初、南半球としてもメルボルン、シドニーに次ぐ3番目のブラジル・リオデジャネイロに決まりました。ルラ大統領らの天真爛漫な歓喜の様と、石原知事恨み辛みの問題発言が世界に流れました。それでなくてもアジアからは、北京オリンピックが終わったばかりでの立候補、2度目の東京に勝ち目はありませんでした。ヒロシマが候補だったら、また別のアピールの仕方があったでしょうが。5大陸を意味する5輪オリンピックの精神からしても、リオデジャネイロでの開催こそ祝福すべきでしょう。

 同時にアメリカと日本は、変わる世界の空気を読めなかったということです。オリンピックやワールドカップの開催は、グローバリゼーションの進んだ21世紀世界で、20世紀の大国覇権型秩序の行方を占う、一つのバロメーターになってきています。経済力や軍事力だけでは動かない200もの国家・地域が、国威を発揚する情報戦の場です。経済・金融世界のG8からG20への動きは、ドル基軸のアメリカ一極支配の終焉、多極化へのトレンドを引っ張っています。オバマ大統領による国際協調主義への転換、唯一の核使用国としての「核なき世界」への言及は、その希望の方向を暗示したからこそ、ノーベル平和賞なのです。鳩山民主党政権は、国連での温暖化効果ガス25%削減提案で、世界から思わぬ歓迎を受けました。次いで、ヒロシマ・ナガサキと憲法9条をバックに核廃絶への提言ができれば、経済力では影の薄くなった日本の特色ある存在感をアピールできるのですが、残念ながら当面の沖縄普天間基地移転問題でもインド洋給油・アフガニスタン復興支援でも、旧来の自民党政権の外交姿勢の大枠から抜け出してはいません。米軍への「思いやり予算」は無駄遣い予算削減の対象になりませんし、オバマ大統領にアフガンからの「名誉ある撤退」を促す道筋をプレゼントするような多角的協調外交の黒子にもなっていません。「東アジア共同体」の範囲と輪郭も、見えてきません。

 これらは一見外交・安全保障問題で、鳩山内閣の当面する自民党内政の清算、補正予算削減と次年度予算組み直し、セーフティネット再建と雇用保障、こども手当や高速道路無料化等の政策と無関係に見えます。しかし実は、世界GDPが2位から3位へとなるのを契機に、「失われた20年」からの脱却に、どのような日本社会を構想するのかと大きく関わってきます。つまり、冷戦崩壊後の世界で、これまでのような輸出主導の不況脱出・再成長をめざすのか、内需中心のポスト成長社会を見通すのか、ドル基軸・円安経済を歓迎するのか、円高を国民生活向上とライフスタイル転換に生かす方途を探るのか、地球温暖化への対応を産業構造転換・エネルギー転換まで及ぼすのか、少子高齢化・人口減のもとで労働力をどうするのか、外国人を迎え入れて多民族共生の弱成長社会をめざすのか、日本人労働力を主体にポスト成長の中規模福祉国家をめざすのかーー長期の自民党支配下で作られた経済成長社会が行き詰まったもとで、ポスト冷戦の国際社会がグローバルな金融経済恐慌に突入したもとで、この国の国家と社会をどのような方向に再編するのかが問われています。「持続可能な地球」と「核なき世界」の理想が、その羅針盤になればいいのですが。

 オバマ大統領の来日は11月12・13日に決まりました。鳩山政権の「日米同盟」と「東アジア共同体」の具体化の方向が示されます。ただしオバマ訪日は、別に鳩山首相に会うためではありません。13−15日のシンガポールでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)出席、そして15−18日がアジア歴訪のハイライトとなる中国訪問、18−19日に韓国を訪れ帰国ですから、日本訪問はAPEC・訪中の前座なのです。かつて1950−51年のダレス訪日が、日本との講和交渉でありながら、冷戦初期の米国アジア戦略と朝鮮戦争の文脈の一部であったように。その時期の情報戦を扱った貴重な記録、前回更新で探索した三田和夫『迎えにきたジープ』『赤い広場』(1955年)については、早速何人かの方からご連絡いただき、岡山大学他いくつかの大学図書館に所蔵されていることがわかりました。国会図書館でも書名探索では出てきませんでしたが、「東京秘密情報シリーズ」の方で入っていることがわかりました。ネット上では、松本清張『深層海流』のタネ本ともされている本です。早速取り寄せて、米国側MIS資料<MITA KAZUO>とつきあわせています。ご協力、ありがとうございました。図書館書評欄に、『図書新聞』10月10日号掲載、岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)をアップしました。先の島崎藤村芹沢光治良に続いて、なぜか小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの文学世界への情報政治学的介入、平川祐弘・牧野陽子編『ハーンの人と周辺』(新曜社、2009年8月)に「ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ」という一文が収録されました。『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)の系列での副産物ですが、ご笑覧を。


G8からG20へと移行する世界、生活第一・政治主導を歩み始めた日本?

 

2009.10.6 下記で探索した三田和夫『迎えにきたジープ』『赤い広場』(1955年)、早速何人かの方からご連絡いただき、岡山大学他いくつかの大学図書館に所蔵されていることがわかりました。国会図書館でも書名探索では出てきませんでしたが、「東京秘密情報シリーズ」の方で入っていることがわかりました。ネット上では、松本清張『深層海流』のタネ本ともされている本です。早速取り寄せて、米国側MIS資料<MITA KAZUO>とつきあわせてみます。ご協力、ありがとうございました。
2009.10.1 
鳩山新政権が稼働しはじめました。内政では民主党「マニフェスト」と3党連立政権合意の実行準備、外交では国連総会での3つの演説とG20ピッツバーグ・サミット出席、まずは上々の出発です。選挙前、ニューヨークタイムズ鳩山論文で警戒された日米関係も、米国オバマ政権自身の変化にフィットし、まずは衝突は避けられたようです。ただし、国連気候総会での温暖化効果ガス25%削減提案以外で、鳩山新政権が世界的に大きな脚光を浴びたわけではありません。なにしろグローバル世界恐慌1年目のアメリカは世界の再編期で、世界中からVIP が集っていました。日米首脳会談より米中・米ロ会談が注目され、恒例の米英首脳会談がいったん断られたことが話題になりました。世界のニュースで鳩山首相がクローズアップされたわけではありません。何よりピッツバーグG20で、これからの世界金融・経済の問題はG8ではなくG20で進められることになりました。日本だけはG8中心を主張したようですが、米国も欧州もBRICsを含むG20に重点を移しました。G8にはアジアから日本だけでしたが、G20には中国・韓国・インド・インドネシアも含まれます。来年のアジア初のG20は、韓国開催が決まりました。もともと7か国経済サミットとして1975年に始まった先進国首脳会議=G8が、80年代から政治経済サミットへと移行し、21世紀の10年代からは経済はG20,政治はG8と性格を変えることになります。政治外交・安全保障だけなら国連安全保障理事会もありますから、G8の重みは薄れていくでしょう。冷戦2極体制、ポスト冷戦米国1極(と日本には映った)体制から、本格的多極体制への移行です。そのなかで米中2極とか米欧亞3地域とかいわれますが、さしあたりは米国のブッシュ共和党・ネオコン型一国覇権主義が、オバマ民主党の国際協調主義に転換したところがポイントです。日本新政権の「対等な日米同盟」や「東アジア共同体」が、この基本的傾向を見誤らずに進めばいいのですが。11月オバマ来日ばかりでなく、今月10日の日中韓首脳会談、12月地球温暖化コップ会議が正念場です。とりあえず、核廃絶と地球環境に着手したことは、評価しておきましょう。

 内政は、まだよちよち歩きです。長期の自民党政権のツケが次々に新内閣にまわってきて、マニフェストの実行以前に、政府として相続した負の遺産を払拭しなければなりません。マスコミは二つのダム建設中止と地元住民の反対を大きく取り上げてますが、どうも取材は一方的でいい加減な情報なようです。国土交通省ならJALと航空行政の行方、厚生労働省なら後期高齢者医療保険廃止や年金制度改革、まずは来年度予算概算要求の全面凍結・見直しがポイントです。目玉の国家戦略室や行政刷新会議はまだこれから、もともと基本理念のはっきりしない「非・自民」政権ですから、これから1年の試運転期間中に方向が定まっていくでしょう。その観点からいえば、最大野党自民党の総裁選と新執行部はお寒い限りです。まともな敗北の総括も、保守主義の理念を再定義する論戦もなく、茫然自失状態のまま来年参議院選に向かうのでしょうか。すでに衆院選で敗北した大物政治家たちが参院選候補者リストに載ろうとしているとか。「2大政党制」になるはずだったのが、小選挙区制の民意増幅効果で、来年参院選後は民主党の「一党優位政党制」になりかねません。民主党マニフェストは「衆議院の比例定数を80削減する。参議院については選挙制度の抜本的改革の中で、衆議院に準じて削減する」としていますが、要注意です。むしろ20世紀「政治改革」の目玉とされた小選挙区制の弊害こそ、再検討されるべきです。谷垣自民党がそこまで踏み込む勇気があれば、国会論戦も面白くなるのですが。

7月にCIA「緒方竹虎ファイル」を分析・発表し、毎日新聞1面トップで CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析」と報じられた後、板垣進助『この自由党』やロマン・キム『切腹した参謀たちは生きている』など、1975年頃ロッキード事件発覚時に復刻された1950年代のルポルタージュもの(晩声社の「幻の地下帝国シリーズ」)をアメリカ・メキシコ滞在時に読んできました。この間機密解除された米国国立公文書館(NARA )所蔵FBI及びCIA個人ファイル米国陸軍情報部(MIS)個人ファイル を読んでいくと、これら朝鮮戦争時の日本のジャーナリストたちの作品が、結構歴史の真実に迫っていたことが実感できます。その脈絡でいま探しているのが、当時の読売新聞の花形事件記者「三田和夫」の書いた東京秘密情報シリーズ「迎えにきたジープ」「赤い広場」(1955年)という絶版書物。国会図書館にもなく、アマゾンでも古書サイトでも入手できませんが、この夏米国国立公文書館陸軍情報部(MIS)個人ファイル「三田和夫」をあたってみたところ、この記者の報道は米国の神経を逆撫でしたらしく、GHQ・G2と日本独立後のCIA東京支局にはかなり注目されていたらしく、執筆記事や上記の書物が即英語に翻訳され、8冊ものファイルに収録されていました。数年前までご存命で、「80歳の現役記者」としてメールマガジンまで刊行していたようですが、どうやら正力松太郎や渡邊恒雄とは一味違った、反骨の読売記者だったらしいです。どなたかお持ちの方はご一報を。

 久しぶりの新論文のアップ。だいぶ前に書いたものですが、先般の島崎藤村芹沢光治良に続いて、なぜか小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの文学への情報政治学的介入、平川祐弘・牧野陽子編『ハーンの人と周辺』(新曜社、2009年8月)に「ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ」という一文が収録されました。『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)の系列での副産物ですが、ご笑覧を。崎村茂樹の6つの謎中間報告の後に、いくつかの謎解きができていますが、こちらの方はまた追って。英語版 Global Netizen Collegeで求めている、<Do You Know "Shigeki SAKIMURA", the first Japanese who attempted to join the United Nations in 1943-1944 in Sweden and worked against the Nazi-Japan Axis with W.Brandt, G.Myrdal, B.Kreisky etc. in "Stockholm Little International"?>の情報が、もう少し集まるとある程度まとまるのですが。新学期です。一橋大学の学生諸君には、大学院講義案内(冬学期 月2「政治学」)、社会学部講義案内(冬学期木3「比較政治」)をシラバス付きでアップ。私のリアル大学での最終講義となる予定です。


鳩山新内閣は脱成長・生活安定社会をめざせるか?

核廃絶と地球環境での国際貢献を!

2009.9.19  予告よりやや遅れての更新です。メキシコでのIT環境が悪く、帰路のアメリカでは時間がとれず、予定の更新ができないまま、ほぼ一月ぶりで日本に戻ってきました。リピーターの皆さんにおわびいたします。その間に、8月30日の日本の総選挙で圧勝した民主党は、社会民主党・国民新党と政策協定を結んで連立政権をつくり、鳩山由紀夫を首班とした新内閣を発足しました。鳩山新内閣への各社世論調査支持率は、1993年細川内閣、2001年小泉内閣発足時にならぶ7−8割の高さで、国民の期待は大きいようです。新設国家戦略局(室)と内閣府・財務省の関係、外交・安全保障政策での新機軸など不透明な部分も多いですが、ともかく民主党は「マニフェスト」の公約を次々と実施すると宣言して、船出しました。麻生政権時の補正予算見直しや生活保護世帯の母子加算復活から出発するのはいいことです。労働者派遣法改正や沖縄普天間基地移転問題から新政権の力が試されるでしょう。年金記録の抜本的見直しや外務省「密約」資料の公開がどこまで進むかが、官僚制に対する「政治主導」が果たせるか否かの指標となります。とにかくまだ発足したばかり、まずはお手並み拝見といきましょう。来年夏の参議院選挙までが、いわば「政権交代」の試運転期。小沢幹事長の民主党と鳩山連立内閣の施策のあいだで不協和音がありえ、世論の過大な期待も早急な失望もでてくるでしょうが、取りあえずは「チェンジ」のほどを見守っていきましょう。

 日本の新聞や週刊誌を読むのはこれからですが、メキシコでもアメリカでも話題になったのは、鳩山由紀夫と小沢一郎の関係、それに日米同盟と日中関係の行方でした。鳩山由紀夫の祖父鳩山一郎が保守合同=自民党発足時の首相だったこと、日ソ国交回復・国連加盟の立役者だったことは、あまり知られていません。日本の戦後の首相として比較的知られているのは、日本研究の大学院生でも、吉田茂、田中角栄、中曽根康弘、それに21世紀の小泉純一郎ぐらいのものです。したがって、鳩山と小沢を結ぶものとしての田中角栄、経世会の話をすると、ある程度納得してもらえます。外交的にも日米同盟一辺倒ではなく、日中国交回復を果たし、第一次石油危機に際して中東諸国との「アブラ取り外交」を展開しましたから。要するにプラグマティックで現実主義的だったと言うと、知日派アメリカ人などは安心します。しかし、時代背景が違います。アメリカもオバマ大統領に変わり、ブッシュ=小泉蜜月時代とは違います。自民党のあまりの対米追随、「思いやり予算」のような税金投入に日本国民は自尊心を傷つけられ、失望し、チャンジを望んだという話は、特にメキシコの学者や学生には共感されます。自分たちも70年以上の制度的革命党(PRI)政権を体験し、ようやく21世紀に政権交代を果たしたのですから。ただし自民党大敗後の日本はどんな国をめざすのかという点は、説明を要します。ちょうどリーマン・ショックから一年、世界は金融経済恐慌から立ち直っておらず、輸出減や失業は日本もメキシコも共通して世界でも深い痛手ですから。私は個人的意見として、少子高齢化・人口減の大きなトレンドをもとに、脱成長・生活安定の開放系社会という選択肢がありえ、それは核軍縮・平和や地球生態系保護で国際貢献するものだと、述べておきました。ちょうど鳩山新首相が温室効果ガス25%削減の目標を表明したところで、ある程度は理解してもらえました。しかし、核廃絶と憲法第9条維持の方向については、新政権の見通しは不透明です。まもなく国連総会、鳩山・オバマ会談、日ソ・日中韓首脳会談も予定されています。グローバル社会での試練はこれからです。オバマ大統領の秋の訪日時に、ぜひヒロシマかナガサキを見てもらいたいものです。

 メキシコでは「グローバル危機下の日本」「社会科学におけるインターネット利用」の二つの公開講演のほか、連日国際会議・講義・公式懇談が続き、インフルエンザ沈静後の建国記念日を迎えた人々の動きを十分味わうことはできませんでした。何しろインフルエンザによる緊急帰国で中断した5月1か月分の仕事を2週間に凝縮したハードなスケジュールで、シティの中心ソカロ(革命広場)を訪れたのも一度だけ。5月に行く予定だった南部チャパス州の訪問も断念しました。その往路・復路に設定したワシントンの国立公文書館(NARA)資料収集も、土日は使えず中途半端で、昨年収集資料の補充調査にとどまらざるをえませんでした。それでもいくつか新たな収穫がありましたが、それはまたじっくり資料を解読してから。往路に林博史さん(関東学院大学)、復路に有馬哲夫さん(早稲田大学)らNARA常連の皆さんとお会いしましたが、一昨年・昨年に比べ、心持ち日本人・韓国人の研究者は少ない印象でした。こんなところにも、世界経済恐慌の波は、影を落としているようです。


日本の総選挙結果を当然のものと受け止める世界、 今こそ核廃絶と地球環境での発信を!

2009.9.1 8月30日の日本の総選挙結果を、米国ワシントンDCで知りました。予想通りの民主党の圧勝で308議席、比例区2議席は候補者が足りず自公に譲ったようですから、310議席分の得票です。自民党の119、公明党の21は文字どおりの完敗、当地の『ワシントン・ポスト』紙は「自民党への罰」と報じています。投票率が70%に達しなかったのは残念ですが、まずは日本でもようやくまともな政治のチェンジ。以下は、AFP通信の求めに応じた私のコメント、しばらく日本を離れ、ネット情報頼りで作った暫定的なもので、どこまで報じられたかも定かでないですが。

 民主党の地滑り的勝利だが、むしろ自民・公明の失点によるオウンゴールに近い。この4年間の首相の相次ぐ交代とリーダーシップの欠如、特に昨年来の麻生内閣の経済危機・生活危機に対する無策に国民が審判を下し、チェンジを求めた。小泉政権時代の新自由主義・市場原理主義は否定されたといっていいだろう。
 長い自民党支配の終焉という意味では、一過性ではなく構造的である。世界のほとんどの国では政権交代が当たり前で、東西冷戦時代に一党支配の続いたイタリア、インド、メキシコなどでも冷戦崩壊後は旧来の支配政党が選挙で敗れ、政権交代が起こっていた。この意味では日本もようやく20年遅れで、ポスト冷戦政治の時代に入った。ただし民主党の大勝は小選挙区制のおかげであり、マニフェストの個々の政策が支持されたかどうか、自民党に代わるどのような理念が支持されたかは定かでない。鳩山代表、小沢代行、岡田幹事長ら民主党幹部は田中角栄の影響下で活動を始めた政治家で、角栄の娘の田中真紀子元外相も今回選挙の直前に民主党に入った。この意味では自民党の中の旧田中派の流れが政権を奪取したと見ることも可能で、アメリカの共和党対民主党、イギリスの保守党対労働党、ヨーロッパの保守派・自由主義派・社会民主主義派など政治理念にもとづく政権交代とは異なる。二大政党制として定着するかどうかは、今後の民主党政権の動向と共に、大敗した自民党がどういう総括をするかにかかっている。
 内政でのチェンジへの国民の期待が大きいだけに、経済危機で財政的余裕のないなかで、個々の政策の優先順位をどのようにするかが問題になるだろう。また外交・安全保障の問題では民主党内にも様々なグループがあり、大きな変化は難しいだろう。深刻な経済危機、世界の多極化と隣国中国の台頭のもとで、日本の国家戦略をどのように作っていくかの国民的議論が必要になる。
 核廃絶や環境政策で日本から世界に発信する姿勢を示せるかどうか、注目している。まずはインフルエンザ対策で自民党政権との違いを示せるかどうか、組閣のテンポとメンバーが注目される。民主党勝利の立て役者は田中角栄チュルドレンの小沢一郎だったが、小沢氏を入閣させるか、党運営の柱にするのか、その処遇の仕方で、かつて田中角栄についていわれた「闇将軍」のような印象を与えるのはよくない。

 日本では海外での反響も報道されているようですが、米国の首都ワシントンから見る限り、率直に言って、注目度が高いとはいえません。アメリカではエドワード・ケネディ上院議員の死去・葬儀と重なり、新聞では一面にはなく、普通の外信欄。テレビはCNNをつけっぱなしにしていましたが、日本の選挙報道は大勢が判明した日本時間日曜深夜の短い事実報道のみ、あとは「ケネディ王朝を偲ぶ」報道一色でした。ウェブの新聞電子版等ではコメントも出てますが、総じて織り込み済みの結果で、東アジアの国の通常の政権交代扱い。民主党の勝利よりも自民党失政の結果という分析、鳩山由紀夫新首相よりも勝利を演出した小沢一郎への注目、小沢の主著『日本改造計画』が読み返され、対米関係では警戒しつつも大きな変化はないだろうという論調が見られます。私の上記コメントも、それを意識したもの。「日本政治のお手並み拝見」という醒めたまなざしです。とはいえ、日本国民にとっては、ようやく訪れたCHANGEの機会。有効に活用したいものです。まずは国内の福祉・年金ニューディールが先決ですが、核廃絶や地球環境の問題で、新日本政府ならではのメッセージを発したいところ。鳩山由紀夫新首相の英文「日本の新しい道」が8月26日のヘラルド・トリビューン、ニューヨーク・タイムズに発表されています。「市場原理主義の失敗」の批判はその通りですが、対置する理念が「友愛」では、いまひとつインパクトに欠けます。21世紀の日本の骨格づくりは、これからです。

 9月は再びメキシコです。アメリカからメキシコへの移動の機中で、加藤聖文さん『「大日本帝国」崩壊』(中公新書)が面白く読めました。かつて書評した佐藤卓巳さんの『8月15日の神話』ものとはまた違った視角で、東アジア・東南アジアの日本「敗戦」と被支配諸民族解放のあり方を丁寧に描いています。アメリカの前、総選挙公示の頃見てきた韓国済州島の旧日本軍基地跡の意味が、よくわかりました。メキシコに入って大ピンチ。4月まで本サイト更新でも普通に使っていた宿舎のメキシコ大学院大学ゲストハウスの無線ランが、メインサーバーが新機種に更新されたのはいいのですが、設置位置が建物の反対側になったため、自分の部屋までウェーブが届かず、一階応接室でなければ使えない状態。その電波が届く部屋をようやくみつけて、今回の更新。メールの授受も同様に大変なので、しばらく日本の皆様には御迷惑をかけます。上記鳩山由紀夫英文論文等もGoogleで検索すれば出てきますが、今回はリンク無しで悪しからず。代わりに前回分をそのまま残します。


8/15と総選挙の夏を、高い投票率で、平和国家日本再構築への出発点に!

 2009.8.15   今年もまた8/15がめぐってきました。終戦記念日、丸山眞男の命日、本「ネチズンカレッジ」の開学12周年記念日でもあります。すでに国会は解散し、選挙運動は真っ盛り。各党も全国遊説、マニフェスト討論中。総選挙の公示は8月18日、8月30日開票です。久しぶりで、この国の将来のかたちを決める選挙です。現在のグルーバル世界恐慌のなかで、核廃絶や地球生態系の問題、国際金融システムや世界の人権問題に、日本から何を発信できるかを、見きわめて投票しましょう。64年前の今ごろ、ヒロシマ・ナガサキは繰り返されてはならない、日本は平和国家にならなければならない、と決意して出発したはずなのに、いつのまにやら「普通の国」という名で、自衛隊は大きくなり、防衛省ができ、海外派遣も遠い中東まで進んで、軍事的国際貢献こそ日本の進むべき道とする意見まで現れてきました。そのうえ、敗戦・占領の産物である米軍基地はそのまま存続し、アメリカの「核の傘」を8月6日のヒロシマでの記者会見で総理大臣が全面肯定し、沖縄にはそれらの矛盾が集中しています。

この間元外務省高官が、米国政府とのあいだの密約の存在を認めていますが、その狙いは歴史的事実を情報公開しようという単純な情報公開、真摯な反省ではないようです。どうやら、相次ぐ外務省高官の発言は、「非核三原則」を見直し、米国の核兵器持ち込みを既成事実として認めさせ「二原則」にしようというもののようです。麻生総理の最期の仕事は、私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告を受けることでした。そこには集団的自衛権行使を禁じてきた憲法解釈を見直すこと、装備品の国際的な共同開発・生産に日本が参加するため「武器輸出三原則」の早急な緩和が唱われています。武器使用基準の緩和を含むPKO参加五原則の見直しや、自衛隊海外派遣を随時可能にする恒久法(一般法)制定も入っています。選挙でのマニフェストの争点は、自民党の「日米同盟強化」対民主党の「対等な日米同盟」となっていますが、「日米同盟強化」がこのような内容であるならば、きわめて危険な方向といわざるをえません。

 7月25日(土)の20世紀メディア研究所:第51回特別研究会「CIAと緒方竹虎」は、そんな状況に一石を投じることができたようです。翌7月26日毎日新聞1面トップ・2面解説の「CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代・米公文書分析、「彼を首相にすれば、日本は米国の利害で動かせる」」という大きな記事になり、何人もの方からメールや電話で問い合わせがあり、ジャーナリズムからの取材がありました。私たちの報告は、朝鮮戦争下でサンフランシスコ講和条約と一緒に日米安全保障条約が締結された「独立」、保守合同で自由民主党が結成された今日の政治体制の形成期に、米国の世界戦略とCIAの政治工作が深く関わっていたことを、米国国立公文書館(NARA )所蔵機密解除資料CIA個人ファイルで実証したものです。それが、自民党一党優位政党制が今回総選挙で最終的に終わろうとしている政局と、二重写しになるからでしょう。何しろ登場人物も、現政局の主人公の祖父たち、吉田茂対鳩山一郎ですから。以下の毎日新聞1面トップ記事と私の前回解説は、8/15 と「政権交代」が争点の総選挙にあたって、じっくり政策選択していただくヒントになると思われますので下に再録。なお、CIA個人ファイルの意味については、一緒に公開された「児玉誉志夫ファイル」を使ったドイツ国営テレビ08年「戦後の日本・欧州の視点」シリーズの一部「児玉機関と笹川良一」がYou Tubeに出ていますので、ご参照下さい。本更新後、私は再びメキシコでの客員講義へ旅立たちます。韓国・米国をまわって、9月20日頃まで日本を離れます。IT環境がうまくいけば、日本の総選挙結果は9月に「メキシコ便り」09年版再開でコメントできますが、更新できない場合もありえますので、ご了承ください。

7月26日毎日新聞記事のイントロは、以下のようなものでした。

1955年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治工作を行っていた実態が25日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。山本武利早稲田大教授(メディア史)と加藤哲郎一橋大大学院教授(政治学)、吉田則昭立教大兼任講師(メディア史)が、05年に機密解除された米公文書館の緒方ファイル全5冊約1000ページを、約1年かけて分析した。」
 ただ、当日私が配布した1952年12月のアレン・ダレスCIA副長官、マーフィー米国大使ら米国側と吉田茂首相、緒方竹虎副首相、村井順内閣調査室長、岡崎勝男外相の公式会見の日付が、私のレジメに「12月27日午後」とあったため、毎日新聞記事でもそのように誤記されています。ただしくは、日本時間12月26日午後で、米国時間ならまだクリスマスの25日、正確には「12月26日会見、27日付け報告書」と紹介すべきでした。有力新聞の1面トップ記事に記された事実関係ですので、ここで訂正しておきます。またその私の報告の全容を、典拠資料と共に、当日配付資料をもとにpdfファイルにして公開します。すでに英文 "The Daily Mainichi" July 27, 2009で世界に流され、ウェブ上では毎日新聞記事をもとに数十のサイトブログでとりあげられているので、典拠を明確にしておくためです。また日本語サイトのいくつかで「緒方はCIAのスパイ」と受けとめられ、米国のピューリッツアー賞受賞歴史学者ハーバード・ビックスさんからも、なぜ私が毎日新聞トップ記事の末尾で「当時のCIAは秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではない」とコメントしたのかと問い合わせがきていますので、この点に答えておきます。pdfファイルでは、こうした「常識」を作った松本清張や吉原公一郎の推理の誤りも、指摘しています。
 当日の私の報告のポイントは、緒方竹虎とCIA の1952年11月5日に始まる接触は、第4次吉田内閣の官房長官になったばかりの緒方が、内閣調査室を管轄する日本政府の閣僚として、そのパートナーである米国側の国家機関中央情報局(CIA)東京支局に連絡し日本政府の招待として公式に始まったこと、12月26日アレン・ダレス来日時の会談も、翌53年2月からCIA長官になるアレン・ダレス副長官の表敬訪問とはいえ、11月大統領選挙での民主党トルーマン政権から翌年1月共和党アイゼンハワー政権でアレンの兄ジョン・ダレスは国務長官就任が内定しており、国務省系列の駐日大使が日本の総理・副総理・外相に紹介した両国政府間の公式のもので、当時の読売新聞「人の動き」欄にも報道されていること、確かに報告書ではASCHAM=Allen Dullesの暗号名が使われているが、これはCIA 内部の報告・連絡文書では通常であること、もう一つ紹介した53年9月24日の手紙もCIA長官アレン・ダレス名で日本国首相吉田茂、副首相緒方竹虎宛てに出された公式親書であること、緒方の日本版CIA 構想も既存の国家機関である内閣調査室の拡充・改組案でありそのモデルを米国国家機関であるCIAに求めたこと、などです。
 要するに、緒方竹虎は吉田首相のもとで政府担当者としてCIA に接触したのであり、それがCIA 側の政治工作の格好のターゲットとされたにせよ、緒方自身はあくまで秘密も陰謀もなく政府間協議として接していること、敗戦・占領から独立したばかりの日本政府にとって、CIAとはそのようなあこがれの超大国の有力国家機関であったことです。なおビックスさんの質問につけ加えられていた「日本では当時のCIAが中南米やイランで行っていた陰謀・諜報活動はなかったのか」について言えば、それはもちろんありました。その特殊工作については、CIA個人ファイル中では、服部卓四郎ファイルや児玉誉志夫ファイルに詳しく出てきます。12月26日会見報告書に(   )と消されて出てくる鹿地亘事件は、その特殊工作の一部です。しかしながら、私たちが明らかにしたのは、そういう特殊工作・陰謀工作とは別に、正規の政府機関を通じてもCIAは日本政府と結びついていたこと、日本の首相を指名したりおしつけたりすることはないが、米国にとって好ましい人物をターゲットにし、選挙や党内抗争で後押し誘導する政治工作があったことです。あとは資料そのものから、皆さんでご判断下さい。E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp に、さまざまなご意見・情報提供を期待します。


総選挙の夏に、自民党誕生の秘密が見えてきた?

政策選択と高い投票率こそ、民主主義再生の鍵!

★謹んで、川上武先生のご冥福をお祈り致します。

2009.8.1 国会は解散し、各党のマニフェストが発表されました。公示は8月18日、30日開票です。政策比較をする時間はたっぷり。テレビ討論も、幾度か開かれるでしょう。最低賃金や年金をどうするかは大きな争点ですが、教育や福祉の基本的考え方、医療や消費税もしっかりチェックしましょう。そのうえで、ぜひ考えてほしいのは、この国の将来のかたちです。それは外交や安全保障に関わりますが、現在のグルーバル世界恐慌のなかでは、核廃絶や地球生態系の問題、国際金融システムや世界の人権問題に、日本から何を発信しようとしているかを、見きわめて投票しましょう。というのは、今年中に中国のGDPは日本を追い越し、米国と中国とのG2体制ができるでしょう。ヨーロッパはそれに欧州連合(EU)のかたちで対抗し、インド、ロシア、ブラジル等も旧来のシステムを大きく攪乱しています。日本は、外交・安全保障は米国、経済・貿易は中国に大きく依存したまま、一人当たり国民所得でも、労働者の賃金でも生産性でも、女性の社会進出や政治代表でも、地球社会の中での存在感を失ってきているからです。日本の外からはどんどん顔の見えない閉鎖的な国になっています。政治への関心を持続し、高い投票率で、日本の民主主義の健在を示したいものです。

 もともと今日の世界システムは、アメリカ主導の新自由主義グローバリズムに席巻されながら、20年前の冷戦崩壊に対するさまざまな国家の政治体制・経済体制の試行錯誤を含む再構築の所産です。しかし日本は、1952年の独立・日米安保と経済主義的大国化路線をほとんど変えないまま、「失われた20年」を過ごしてきました。そのツケが、昨年来の金融・経済危機で一気に吹き出したところで、ようやく国民の選択の機会がやってきたのですが、政党から提示される選択肢の方はきわめて内向き・ドメスティックで、米国や中国にどんなスタンスをとるかは争点になりにくくなっています。さし迫る生活不安の深刻さと、長い政党政治への不信が、メディアや世論の眼も内向きにしています。そのために、自民党の長期政権はどのようにして生まれ、どのように解体しようとしているのか、地球環境の変化の中で「政権交代」とは何を意味するのかが、見えにくくなっています。8月は戦争と平和を考える時、8月6日(木) 午後10時00分〜10時49分、NHK総合テレビ放映NHKスペシャル「核は大地に刻まれていた〜“死の灰”消えぬ脅威〜」、必見です。

 そんな状況に一石を投じうるかどうかは、皆さんの判断と選択の問題ですが、前回予告した7月25日(土)の20世紀メディア研究所:第51回特別研究会「CIAと緒方竹虎」は予想外の盛況で、会場の早稲田大学現代政治経済研究所会議室がいっぱいになりました。共同研究者の早稲田大山本武利さん、立教大吉田則昭さんと共に、私も総論「CIA個人ファイル の中の緒方竹虎ファイル」、各論「アレン・ダレスの52年末来日とその帰結」を報告したのですが、多数のメディア関係者・研究者が長時間出席してくださり、私たちのサンフランシスコ講和条約・日米安保条約締結から保守合同・自由民主党結成にいたる時期米国国立公文書館(NARA )所蔵機密解除資料CIA個人ファイル研究の中間報告に、耳を傾けていただきました。前日24日金曜に、緒方竹虎と関係が深い朝日新聞が、なぜか公開予告された私たちの研究発表には触れずに、「日本版CIA」50年代に構想 緒方竹虎が米側と接触」というあまり目立たない記事を出したのは、自分たちもワシントンで「緒方ファイル」を見たよ、というアリバイでしょうか。ウェブ上では2007 年1月からNARA目録に出てますから、朝日新聞が自社の名誉にかけても解読するのは当然です。その割りには、あまりポイントがおさえられていなかったようです。私たちが入手後1年かけた学術的解読成果の方は、7月26日毎日新聞1面トップ・2面解説の「CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代・米公文書分析、「彼を首相にすれば、日本は米国の利害で動かせる」」という大きな記事になりました。こちらの方は、私たちの当日配布した研究報告や資料紹介を、十分反映していました。

1955年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治工作を行っていた実態が25日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。山本武利早稲田大教授(メディア史)と加藤哲郎一橋大大学院教授(政治学)、吉田則昭立教大兼任講師(メディア史)が、05年に機密解除された米公文書館の緒方ファイル全5冊約1000ページを、約1年かけて分析した。
 ただ1点、当日私が配布した1952年12月のアレン・ダレスCIA副長官、マーフィー米国大使ら米国側と吉田茂首相、緒方竹虎副首相、村井順内閣調査室長、岡崎勝男外相の公式会見の日付が、私のレジメに「12月27日午後」とあったため、毎日新聞記事でもそのように誤記されています。ただしくは、日本時間12月26日午後で、米国時間ならまだクリスマスの25日、正確には「12月26日会見、27日付け報告書」と紹介すべきでした。有力新聞の1面トップ記事に記された事実関係ですので、ここで訂正しておきます。またその私の報告の全容を、典拠資料と共に、当日配付資料をもとにpdfファイルにして公開します。すでに英文 "The Daily Mainichi" July 27, 2009で世界に流され、ウェブ上では毎日新聞記事をもとに数十のサイトブログでとりあげられているので、典拠を明確にしておくためです。また日本語サイトのいくつかで「緒方はCIAのスパイ」と受けとめられ、米国のピューリッツアー賞受賞歴史学者ハーバード・ビックスさんからも、なぜ私が毎日新聞トップ記事の末尾で「当時のCIAは秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではない」とコメントしたのかと問い合わせがきていますので、この点に答えておきます。pdfファイルでは、こうした「常識」を作った松本清張や吉原公一郎の推理の誤りも、指摘しています。
 当日の私の報告のポイントは、緒方竹虎とCIA の1952年11月5日に始まる接触は、第4次吉田内閣の官房長官になったばかりの緒方が、内閣調査室を管轄する日本政府の閣僚として、そのパートナーである米国側の国家機関中央情報局(CIA)東京支局に連絡し日本政府の招待として公式に始まったこと、12月26日アレン・ダレス来日時の会談も、翌53年2月からCIA長官になるアレン・ダレス副長官の表敬訪問とはいえ、11月大統領選挙での民主党トルーマン政権から翌年1月共和党アイゼンハワー政権でアレンの兄ジョン・ダレスは国務長官就任が内定しており、国務省系列の駐日大使が日本の総理・副総理・外相に紹介した両国政府間の公式のもので、当時の読売新聞「人の動き」欄にも報道されていること、確かに報告書ではASCHAM=Allen Dullesの暗号名が使われているが、これはCIA 内部の報告・連絡文書では通常であること、もう一つ紹介した53年9月24日の手紙もCIA長官アレン・ダレス名で日本国首相吉田茂、副首相緒方竹虎宛てに出された公式親書であること、緒方の日本版CIA 構想も既存の国家機関である内閣調査室の拡充・改組案でありそのモデルを米国国家機関であるCIAに求めたこと、などです。
 要するに、緒方竹虎は吉田首相のもとで政府担当者としてCIA に接触したのであり、それがCIA 側の政治工作の格好のターゲットとされたにせよ、緒方自身はあくまで秘密も陰謀もなく政府間協議として接していること、敗戦・占領から独立したばかりの日本政府にとって、CIAとはそのようなあこがれの超大国の有力国家機関であったことです。なおビックスさんの質問につけ加えられていた「日本では当時のCIAが中南米やイランで行っていた陰謀・諜報活動はなかったのか」について言えば、それはもちろんありました。その特殊工作については、CIA個人ファイル中では、服部卓四郎ファイルや児玉誉志夫ファイルに詳しく出てきます。12月26日会見報告書に(   )と消されて出てくる鹿地亘事件は、その特殊工作の一部です。しかしながら、私たちが明らかにしたのは、そういう特殊工作・陰謀工作とは別に、正規の政府機関を通じてもCIAは日本政府と結びついていたこと、日本の首相を指名したりおしつけたりすることはないが、米国にとって好ましい人物をターゲットにし、選挙や党内抗争で後押し誘導する政治工作があったことです。あとは資料そのものから、皆さんでご判断下さい。E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp に、さまざまなご意見・情報提供を期待します。


[川上武先生を偲ぶ(2009.8)] 去る7月2日に、科学技術論から出発した医師にして医事評論家、日本の社会医学史病人史を開拓・牽引してきた川上武先生が、お亡くなりになりました。私にとっては、国崎定洞研究の40年近い師であり、かけがえのない「同志」でした。国崎定洞がまだ「忘れられた医学者」であった頃、川上先生は、小宮義孝・曽田長宗ら東大医学部・社会衛生学関係者の聞き取りの中から、『国崎定洞ーー抵抗の医学者』(勁草書房、1970年)を世に出しました。学生運動の中でそれを読み刺激を受けた私は、旧東独留学中に国崎関係の資料を発掘し、折から西ベルリンで国崎定洞夫人フリーダさん、遺児タツコさんの存命を確認した鈴木東民夫妻、有澤広巳・千田是也らベルリン時代の旧友達と石堂清倫を助け、川上先生が事務局長・私が事務局員の「国崎定洞をしのぶ会」をつくりました。1975年の2度の「しのぶ会」をもとに、国崎の『流離の革命家』『社会衛生学から革命へ』の側面を一緒に洗い出し、旧ソ連政府や共産党を動かし国崎の「スパイ」の汚名を払拭して「名誉回復」を果たし、80年には遺児タツコさんを日本に招いて国崎家や亡父の旧友たちと引き合わせました。そして、ソ連が崩壊して現れたモスクワでの国崎の粛清死の真相を踏まえて、94年には医学史研究会と共に「生誕百年の集い」を開き、川上・加藤共著の決定版伝記『人間 国崎定洞』を作りました(いずれも勁草書房)。

 この川上先生との2人3脚の中で、私自身の政治学者としての歩みも大きく転換しました。鳥の眼と理論で世界を斬る政論家から、一人一人の患者にしっかり聴診器をあてて病歴と治癒の道を探る虫の眼の観察者、カルテと第一次資料をつみあげる現代史研究へと重心を移してきました。昨年秋上梓した加藤ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)は、川上先生との協働の総仕上げ・総決算で、先生は長い草稿に眼を通してくれたばかりでなく、その完成を自分の仕事のように喜んでくれました。すでに眼や耳が不自由になり、闘病中だったもかかわらず、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日等へ暖かい書評を寄せて頂きました。その間、国崎定洞を直接知る人々は一人また一人と世を去り、天国の国崎へと合流していきましたが、川上先生は、ベルリンに住む遺児タツコさんに、日本の絵やカレンダーを送り続け、身よりのないタツコさんにとっては、幼い頃の父の想い出とつながる、優しい日本人の象徴でした。私がベルリンに出かけてタツコさんと会うたびに、彼女が真っ先に口にするのは、「ヴィー・イスト・ドクトル川上」、川上先生はお元気かという問いでした。私の説明するややこしい父の死の真相や旧ソ連の話よりも、川上先生が診たてて送った富士山や日光の写真の方が癒しになっていることは、彼女の部屋中にはられた旧いカレンダーや絵葉書が雄弁に物語っていました。川上先生は、やっぱり医者でした。科学的な知の裏付けをもち、病いを生む社会をも診断し、何よりも患者の立場に立って病気を治す名医でした。この3月メキシコに旅立つ前に、電話でお話ししたのが、最期になりました。ここに深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。合掌!

(図書館川上武先生を偲ぶ(2009.8)」コーナーを設け、永久保存とします)

 これも国崎定洞、千田是也研究の副産物、静岡県舞台芸術センター6月公演、ハイナー・ミュラー原作、ブリギッテ・マリア・マイアー・ミュラー監督の映像インスタレーション『タイタス解剖ーーローマ帝国の落日』の当日配布プログラム『劇場文化』9号に寄せたエッセイ疑心暗鬼の国が生んだ人間のドラマ」を新規アップ。演出家菅孝行さんが、病床の親友岡村春彦さんの原稿『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)を仕上げる仕事を、メキシコからちょっと助けたさいに頼まれた演劇論、先日、東中野のサロン・マグノリア(中野区東中野5−8−3)で芹沢光治良文学愛好会の皆さんに「芹沢光治良『人間の運命』の周辺----<洋行>日本人のネットワーク」を話してきましたから、何やら芸術づいています。     
 しばらくリンク切れだった旧ソ連秘密文書解読の盟友藤井一行さんサイトのweb出版の労作、 『粛清されていた邦人日本語教師たち』『野坂竜の逮捕をめぐって』が、新たなサイト「コミンテルンと粛清」で甦りました。その後の藤井さんの研究、「コミンテルンと天皇制ーー片山・野坂は32テーゼの天皇制絶対化に懐疑的だった」「「田中上奏文」は本当に偽 書か?ーー 新発掘史料で「昭和史の謎」を追う」などと共に再リンクしましたので、どうぞ。私自身はこの間のメキシコ体験メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学)」を新型インフルエンザをめぐる日本型「有事」対応として『一橋新聞』インタビューで、またスペイン語ですが8−9月に中断された仕事再開でまた訪れるメキシコ大学院大学Bulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表しました。もっともこのスペイン語 エッセイ、もともと本サイト英語版Global Netizen Collegeのトップページの写真入りスペイン語訳です。英語で読みたい方は、English is hereにどうぞ。

私の中断を余儀なくされた「メキシコ便り」2009年版は、過去ログ「カレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009「メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」を図書館にアップ。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。

 昨年10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤『ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)もよろしく。ウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。

 

 

 

 

 


ようやく解散・総選挙、政治への関心を持続し、 世界史的再編の波に応える高い投票率を!

★謹んで、川上武先生のご冥福をお祈り致します。

2009.7.15  麻生太郎首相が、ようやく7月21日解散、8月30日総選挙という政治日程を明らかにしました。この間の地方選挙での連戦連敗、東京都議選での惨敗を受けて、残されたぎりぎりの解散権を行使しようというわけです。お盆をはさんで少しほとぼりをさまし、都議選でも全員当選の盟友公明党の助けを借りて、なんとかダメージを少な目に、「惜敗」を迎えようと言うことでしょう。でも古賀選挙対策委員長の「敵前逃亡」以下、自分の議席もあぶない執行部中枢・元幹事長クラスが蠢いていますから、まだまだ自民党内のコップの嵐は続くでしょう。「追い込まれ解散」とか、「やけくそ解散」とか、マスコミはまた劇場を設定して「政権交代」の争点に誘導しようとするでしょう。しかし、残念ながら世界からは、民主制なら当たり前の「政権交代」程度では、あまり注目されることはないでしょう。世界はとっくに大再編期に入ったのに、日本政治は無為無策の「失われた20年」「グローバル恐慌下で顔の見えない空白の1年」でしかありませんでしたから。この国の存在意義そのものが問われているのですから。各党の政策、マニフェスト、それも世界に何を発信しようとしているかを、注意深く見分けましょう。

 自民党は、まるで、白黒フィルムを逆にまわしているようです。1955年の保守合同=自民党結成までの大分裂状態に逆戻りです。それも「吉田のあとは誰か、鳩山か」をめぐる群雄割拠が50年代前半ですから、役者の小粒化、3世政治家のひ弱さが目立ちます。でも、解散から総選挙まで40日間あるとすれば、それは国民にとっては朗報です。じっくり政党と候補者を品定めし、暑い季節ですが、8月30日にはイベントや予定を入れないで、3人もの首相を選挙もなしに変えられたまま、派遣切りで生活を直撃され、仕事も年金も奪われてきた恨み辛みを、断固とした1票に託しましょう。高い投票率こそが、国政選挙を動かします。実は、決定的原因は定かでありませんが、20世紀を通じて明らかになった、民主主義理論の難しい問題があります。制度としての民主主義、男女平等自由普通選挙権は、この100年で確実に広がり、女性も社会的弱者も、EUのように外国人にも、選挙権を付与する政治体制が当たり前になったのですが、選挙での投票率、とりわけいわゆる先進国での政党選挙を通じた有権者の参加率は、長期的・傾向的に下がってきたのです。つまり政治参加の権利は広く認められたのに、その権利を政党政治と国政選挙を通じて行使しようとする人の割合は、もちろん国毎、戦時平時、時のクリティカルな争点でちがいますが、全般的に低下しているといわれます。

有権者が広がると一人一人の1票の価値が相対的に減ること、政党制の限界(政党衰退論)、都市化と若者の政治離れ、選挙制度の問題など、さまざまな説明変数はありますが、どうも複合効果のようです。政治参加を国政選挙での1票に託すことの問題性は早くから指摘され、利益集団・NGO/NPO の役割、地方分権と身の丈のライブリー政治・社会運動による補完など、20世紀を通じて試みられてきました。コーポラティズムや審議会・オンブズマンによる非議会代表の活性化、参加民主主義ばかりでなく闘技型民主主義や熟議型民主主義も提唱されてきました。それでもなお、アメリカ大統領選挙でも日本の国政選挙でも、時々今回の都議選のような一時的投票率上昇で政治変動をもたらしますが、選挙制導入や時代の変わり目の高揚は失われ、低迷する国が多いのです。今回の総選挙は、あの2005年小泉劇場政治の67%を維持する、さらには越えることができるかどうか。高投票率で選ばれた政権は基盤が強くなり、思い切った政策転換も可能になります。8月総選挙は、1902年桂太郎内閣成立時以来、その頃は国税10円以上納付の25歳以上男性のみに投票権の制限選挙で、投票率88%でした。せめて20世紀後半でも時々みられた70%の投票率が記録されれば、日本は大きく変わります。皆さん、今から熟考し、8月末の決断を!

 実は私自身、8月30日では日本にいません。4−5月の本サイトでお騒がせした豚インフルエンザ緊急帰国時「パンデミックの政治学」の延長戦で、たぶんアメリカです。本来5−6月に果たすはずだったメキシコ大学院大学客員教授の積み残しの仕事を再開し、ただし3週間に短縮して、9月の連休頃に帰国する予定です。その前に、韓国にも行かねばなりません。そんな時には、例の期日前投票制度があります。2003年から設けられ、こちらは順調に定着し、投票率を高める役割を果たしています。ただし「公示日または告示日の翌日から投票日の前日までの期間に、選挙人名簿に登録されている市区町村と同じ市区町村において投票することができる」制度で、公示日前には行使できません。今夏なら8月18日が公示になりそう。長期旅行計画中の皆様はご注意を! 私の国崎定洞研究の師である川上武先生を失った衝撃は大きく、まだ信じられません。次回の更新までに気持ちを整理し、追悼文にしようと思います。川上先生との共同研究の産物、加藤ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)の流れで、7月17日(金)午後4時半から、東中野のサロン・マグノリア(中野区東中野5−8−3)で、芹沢光治良文学愛好会の皆さんに「芹沢光治良『人間の運命』の周辺----<洋行>日本人のネットワーク」を講演します。7月25日(土)午後2時から早稲田大学1号館2階現代政治経済研究所会議室で、共同研究者の早稲田大山本武利さん、立教大吉田則昭さんと共に、20世紀メディア研究所:第51回特別研究会「CIAと緒方竹虎」を開催し、報告します。昨年の米国国立公文書館(NARA 2)機密解除資料CIA個人ファイル研究の中間報告ですが、CIA個人ファイルの伏せ字やコードネーム・暗号を解読して行くと、朝鮮戦争と保守合同=自由民主党の成立に関わる、新事実が次々と出てきました。25日の公開研究会は、マスコミの皆さんへの記者発表を兼ねています。私にとっては、拙著『象徴天皇制の起源 アメ リカの心理戦「日本計画」』(平凡 社新書、2005年)、『情報戦と現代史ーー日本国憲法へのもうひとつの道』(花伝社 ,2007)研究の延長上で、「崎村茂樹の6つの謎 」についての中間報告を補足するものです。戦後史・冷戦史にご関心のある方はどうぞ。



四半世紀は続く世界史的再編に日本から応える道、 「意見広告7人の会」最後の挑戦にご協力を!

★謹んで、川上武先生のご冥福をお祈り致します。

2009.7.9  悲しいお知らせです。科学技術論から出発した医師にして医事評論家、日本の社会医学史病人史を開拓・牽引してきた川上武先生が、お亡くなりになりました。私にとっては、人間国崎定洞研究の40年近い師であり、かけがえのない「同志」でした。昨年秋上梓した加藤ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店に、闘病中にもかかわらず共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日等への書評を書いて頂き、メキシコに旅立つ前に電話でお話ししたのが、最期になりました。ここに、深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。合掌!

★訃報:川上武さん83歳=医事評論家、医師

 川上武さん83歳(かわかみ・たけし=医事評論家、医師)2日、多臓器不全のため死去。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会を後日開く。喪主は妻喜美(きみ)さん。著書に「日本の医者−現代医療構造の分析」「戦後日本病人史」など。毎日新聞 2009年7月9日 12時52分)


2009.7.4  東京都議選が公示されました。ほとんど解散総選挙の代理戦の様相です。その直前の麻生首相の鳴り物入りの自民党役員・内閣改造の話が腰砕けに終わっただけ、政治への不満が地方選挙に持ち込まれる構図です。投票率50%を越えれば無党派層の「風」が読めます。7人の会の「意見広告ふたたび」、皆様の募金による最後の挑戦=『ル・モンド』紙掲載をめざして、今回はデジタルチラシを作りましたので、ご活用下さい。7月7日の七夕までには、最後の第3次目標も達成できそうな勢いです。皆様のご協力をお願いします。しばらくリンク切れだった旧ソ連秘密文書解読の盟友藤井一行さんサイトのweb出版の労作、 『粛清されていた邦人日本語教師たち』『野坂竜の逮捕をめぐって』が、新たなサイト「コミンテルンと粛清」で甦りました。その後の藤井さんの研究、「コミンテルンと天皇制ーー片山・野坂は32テーゼの天皇制絶対化に懐疑的だった」「「田中上奏文」は本当に偽 書か?ーー 新発掘史料で「昭和史の謎」を追う」などと共に再リンクしましたので、どうぞ。私自身はこの間のメキシコ体験メキシコ便り」の副産物「パンデミックの政治学)」を新型インフルエンザをめぐる日本型「有事」対応として『一橋新聞』インタビューで、またスペイン語ですが8−9月に中断された仕事再開でまた訪れるメキシコ大学院大学Bulletnin CEAA"Mayo,2009に'Politicas de la pandemia en Mexico y Japanとして発表しました。もっともこのスペイン語 エッセイ、もともと本サイト英語版Global Netizen Collegeのトップページの写真入りスペイン語訳です。英語で読みたい方は、English is hereにどうぞ。 
2009.7.1
今年ももう、半年がすぎました。6月末はいろいろな社会経済指標の中間集約の時期、景気は下止まりなどといいますが、失業率は5.2%に拡大、完全失業者が347万人、有効求人倍率は過去最低の0.44倍へと深刻です。政府の09年労働経済白書が6月30日に発表され、「02年からの景気回復で企業は非正規労働者を活用し賃金を抑制。所得格差が拡大し、すそ野の広い消費には障害」と、昨年の「年越し派遣村」をくぐった今ごろになって、ようやく認めています。その前日に発表された、1969年から41年間続く日本生産性本部の新入社員「働くことの意識調査」は、長期のサンプル数の多い調査で、若者の意識を見るさい信頼できます。仕事への考え方では、<昨年秋以降の経済環境の悪化を背景に、「リストラ不安」(39.8%→46.1%)と「会社の倒産・破綻の不安」(22.1%→27.7%)が前年より増加した。><「デートか残業か」では「残業」(82.8%)が「デート」(16.6%)を大きく上回り過去最高の開きとなった。男女別に見ると「残業派」が男性78.6%、女性88.4%と、女性のほうが仕事を優先する傾向が強い。><将来の共働き志向は女性のほうがかなり強く、男性38.9%に対して女性は63.1%と過去最高であった>等々、将来の日本経済と社会を見通す、興味深いデータが出ています。総じて、若者と女性の力を活用できなければ日本経済の深刻な危機からの脱出は困難な状況を示しているのに、パートの有効求人倍率さえ0.74と、仕事の奪い合いになっています。地方は全国平均より深刻です。生活保護の母子加算はうち切られたまま、製造業での派遣労働禁止への改正の動きは進みません。

 政府の危機対策は、ほとんど効果をあげていません。いや政府そのものが体をなさず、本格的な経済危機にふさわしい政治の議論も政策提起もありません。バブル経済崩壊後の日本の「失われた10年」は世界でよく知られていますが、そこに政治の「失われた10年」が加算されて、世界では、日本が世界史の舞台から凋落する「失われた20年」が語られています。いうまでもなく、1989年の東欧革命・冷戦崩壊後の舵取りを誤った国、という意味です。共産党独裁を倒して民主化・自由化というグローバル市場経済に組み込まれた東欧諸国は、確かに苦難の道を歩みましたが、ヨーロッパの新しい秩序、欧州連合の流れに乗って、一歩一歩前に進んできました。レーニン主義を捨てたロシアも、それを教訓に天安門広場の民衆を弾圧して資本主義への参入を大胆に進めた中国も、いまや世界恐慌脱出の救世主にさえ祭り上げられるブリックス(BRICs)の一角で、20年間の収支決算は衰退する日本に追いつき追い越す勢いです。「12歳の子供」段階から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「世界最強の同盟関係」などとおだてられて、アメリカにひたすら追随してきた日本だけが、その「パクス・アメリカーナの終焉」に最後まで付き合って、一緒に沈没しようとしています。この辺の構図を、東京大学から関西学院大学に移った神野直彦さんが、『情況』という左翼誌7月号に登場し、わかりやすく説いています(「所得再分配国家の終焉」)。同号の湯浅誠さん「社会活動家を増やせ」も自らの体験を踏まえて政治と学問の関係を問い直す貴重な提言です。ただし私は、「ベルリンの壁」が崩壊し東西冷戦が終焉した20年前に、次の世界秩序は4半世紀後まで再編が続く、と言ってきました(『東欧革命と社会主義』花伝社、1990年)。1889年のフランス革命後の世界が、ロベスピエールやナポレオンの出現を経ながら1814年のウィーン会議まで激動した歴史になぞらえたもので、2015年頃まで世界の構造的再編は続くでしょう。これ実は、ウォーラーステインのいう世界資本主義の「ヘゲモニーの循環=25年単位の4期100年」と「中心・半周辺・周辺」構造の変動をこっそり応用した仮説だったのですが、どうやら2008年世界恐慌がオーバーラップすることによって、ドル基軸世界からの脱出口をめぐる、新たな世界史の創造の問題として現実化しそうです。残念ながらというべきか、日本は「中心」から再び「半周辺」に向かいつつあり、かつてのスペイン、ポルトガルやオランダの歩んだ道に学ぶべきかも知れません。その大きな流れの興亡に比べると、自民党内の麻生下ろしも、民主党のいう政権交代も、国の舵取りの方向が見えないままの、過渡期のエピソードになりそうです。今必要なのは「御一新」で、半世紀後に「明治維新」と呼ばれるようになったような規模の、新社会の設計と実行なのに。

 新しい徴候は、湯浅誠さんらの反貧困ネットワークの活躍ばかりでなく、小泉純一郎元首相の地元横須賀市の市長選結果にとどまらず、さまざまなかたちで現れています。元自民党幹事長野中広務氏が6月27日の日本共産党『しんぶん赤旗』に登場して驚かれているようですが、社会における政治志向の地殻変動がまずあって、政権交代や霞ヶ関・永田町の変化につながったり、つながらなかったりするのです。3月からのメキシコ滞在で、今回はあまり動けませんでしたが、有田芳生・勝谷誠彦・重村智計・高世仁・日垣隆・湯川れい子さんに私も加わった意見広告7人の会の「拉致問題:ニューヨークタイムズに意見広告ふたたび」の運動、正直のところ皆、前回2002年のような盛り上がりは難しいと覚悟して始めたのですが、勝谷さんの定額給付金とつなげるアイディアや、湯川さんのいざという時の決断の吸引力もあって、なんと1720万円もの浄財を皆様から集めることができました。当初は記者会見をしてもほとんどマスコミは取り上げてくれませんでしたが、『ニューヨークタイムズ』広告費用はアッという間に集まり、4月14日号に掲載。残余金をどうするかの討論や、文案を練ったりのMLを経て、朝鮮戦争勃発日の6月25日には韓国三大紙東亜日報』『朝鮮日報』『中央日報』に同時掲載することができました。この場を借りて、ご協力いただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。この韓国3大紙への意見広告は、反響も大きく、私も20年前の韓国人の教え子や、全国の友人からたくさんの激励の手紙やメールをもらいました。有田芳生さんHP「酔醒漫録」6月26日にあるように、サンケイ新聞が全文を転載してくれたほか、日本や韓国のマスコミも、大きく報じてくれました。その間も拠金を寄せてくれる皆様が続き、「7人の会」は最後の試みとしてもう一つ、フランス『ル・モンド』紙への掲載を、めざすことにしました。広告文の内容は、その都度「7人の会」で討論し、今度はヨーロッパ向けのよびかけになります。あと費用は50万円ほどで、掲載可能になります。今度は記者会見はなしで、それぞれのサイトから訴えることにしました。「意見広告ふたたび」の「最後の挑戦、『ル・モンド』紙に!」を読んでいただき、生活費に厳しくくい込むことのないように少額でかまいませんから、皆様への最後のご協力を、心からお願い申し上げます。この運動も、表に出ているのは私たち「7人」ですが、実は、それを支える多くのボランティアのスタッフの皆さんがいます。世界の広告会社との交渉から、基金の管理と出納、広告文翻訳から写真のレイアウトまで、本当に頭が下がります。こういう人々が動き出していること、そして拠金を寄せてくださる多くの人々とつながっていること、それが、上記の世界史的転換期に、日本からも何らか貢献できている確かな手応えです。本サイト読者の皆様にも、改めて私たち「7人の会」の最後の挑戦」へのご協力を訴えます!


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