LIVING ROOM 26 (Jan. to June 2009)

 ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。


世界経済危機の中で、日本政治は、

この20年をどう決算するかが問われている!

2009.6.15 6月11日、世界保健機構(WHO)は、ようやく新型インフルエンザ=豚インフルの「フェーズ6=パンデミック」を宣言しました。すでにこれまでの基準からいえば、日本で国内感染が始まった5月中旬にはパンデミックを宣言しておかしくない状況だったのですが、イギリス、日本、中国、それに最大の感染国となったアメリカなどの思惑で先送りにされてきたものが、南半球のオーストラリア、チリなどでの広がりから、「国境閉鎖や国際的な人・モノの移動制限措置を取るべきでない」と注意書きし、患者隔離など「封じ込め策」より早期治療を軸とする感染拡大の「軽減策」をとることを条件に、世界経済危機下の疫病大流行の現状を認めたものです。すでに感染者は、世界77か国3万人近く、その半数は「豚インフル」の母国アメリカですが、GM倒産=事実上の国有化まで追い込まれたアメリカ経済恐慌と世界貿易縮小への危惧が先行して、WHOには、有形無形のさまざまな圧力と陰の駆け引きで先延ばしされてきたのですが、ついに純医学的見地のみならず国際関係上でも、パンデミック=世界的大流行を認めざるをえなくなった、というのが現実です。このパンデミックは、秋の第二波ばかりでなく、数年はかかると見積もられています。グローバル経済恐慌からの世界の脱出口の模索と、「2009インフル」と新たに命名された疫病パンデミックからの脱出は、並行して進められることになりました。

 ところがこの日本では、5月の前半は、世界にも類を見ない、ものものしく大げさな「水際作戦」を展開し、それが結局失敗して、関西から国内感染が広がると、今度は感染者バッシング、マスク売り切り、修学旅行中止の「有事」パニック状態に陥り、そして6月、国内感染そのものはその後も増え続け、いまや23都道府県600人にまで広がったのに、世界的なパンデミック宣言には、5月の狂騒が嘘のような静けさです。これが、国内医療体制が確立し、国民の冷静な反応が定着したというのなら大歓迎ですが、どうも、そうとばかりはいえません。むしろ医師不足や緊急医療体制の不備、特に地方医療の深刻さが浮き彫りになったのに、医療政策の深刻な反省はありません。インターネットばかりでなく、月刊誌などでも今回の「パンデミック政治=新型インフルへのパラノイア的反応」への反省がようやく出てきましたが、どうもこの「ウィルス有事」への「過剰反応」や「自粛」の有り様が、あの2005年総選挙における小泉純一郎の「郵政民営化」さわぎと、その後の安倍・福田・麻生政権を経た世界恐慌突入後の「過去への無関心」と、どこか似ているように感じられます。丸山眞男風にいえば「つぎつぎとなりゆくいきほい」となりますが、熱しやすくさめやすい閉鎖的ナショナリズムが、政府のパフォーマンスとマスコミによる過剰報道・世論誘導で、問題をつきつめて、教訓を反芻する以前に、新たな状況に流され、次のトピックに乗り換え、新たな「有事」型対応へと移りかねない浮遊型政治です。

 民主党の「顔」が小沢一郎から鳩山由紀夫に変わっても、企業献金の政治資金問題の重要性が失われたわけではありません。麻生政権下で総務大臣と日本郵政社長が対立し、大臣が更迭されても、郵政民営化の是非という原点に立ち返る議論は出てきません。「消された年金」の規模と行方があいまいなままで、経済見通しが狂ったもとでの年金法改正案が、近日中に国会通過の「いきほい」です。すべて政局と総選挙対策の言説の中で、積み残された原理的問題が曖昧に処理され、争点が移ろいます。情報戦が、2大政党間の「政権交代」に収斂し、90年代「政治改革」の検証もなされないまま、議員定数削減や世襲制限の行方に争点が矮小化されます。いや最大の争点である経済危機対策でも、社会保障費抑制や非正規雇用の是非は置き去りにされたまま、前回総選挙の「小さな政府」は忘れられたかのように、大型補正予算と消費税引上げが、ワンセットで走りはじめています。そして、ソマリア内戦・無政府状態と「海賊」の意味は論じられないまま、自衛隊の海外活動はなしくずしに拡大されています。グローバル経済恐慌下の今こそ、この20年の政治と経済の総決算が必要とされ、「原点に帰る」ことが重要であるのに


私の中断を余儀なくされた「メキシコ便り」2009年版は、過去ログカレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」図書館アップ。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。

 昨年10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)もよろしく。ウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。


パンデミック政治の中で、日本は、世界に振り向いてもらえるビジョンを選挙の争点にできるか?

2009.6.1(パンデミックの政治学2・感染源はどこにあったか)  ようやく日本でも、神戸・大阪での大がかりな新型インフルエンザ蔓延阻止作戦を経て、その修学旅行への影響、観光産業への打撃の大きさに驚き、季節インフルエンザと同じように、ウィルスといかに共存するかを真摯に取り組む段階に入ったようです。5月28日の国会参院予算委員会では、厚生労働省職員で成田空港の現役検疫官、木村盛世さんの勇気ある証言がありました。政府の当初対策が「厚労省の医系技官の中で、十分な議論や情報収集がされないまま検疫偏重に」なり、北米便を対象に一律に行った機内検疫による「水際対策」に偏りすぎて、「マスクをつけて検疫官が飛び回っている姿は国民にパフォーマンス的な共感を呼ぶ。そういうことに利用されたのではないかと疑っている」と述べました。ご自身のブログでは、「新型インフルエンザの問題は、毎日世界中で報道されています。まさに感染症ワールドカップかWBCといってよいでしょう。その中で我が日本チームは、通常のインフルエンザ並みの新しいインフルエンザに振り回され、バイオテロ並みの装備をして臨んでいます。それだけで無く、カゼと同じような感染の仕方をするこの病気に対して「水際封じこめ」と「感染源追跡調査」などという意味のないことに労力を費やしています」とも発言しています。模擬国連に出席した2人の高校生を出した洗足学園には、100通を越える中傷・いやがらせのメールや電話があった異常な雰囲気も、ようやく報道されるようになりました。外信ではすでに、5月21日の『ニューヨーク・タイムズ』の記事"Spread of Swine Flu Puts Japan in Crisis Mode" は、水際作戦が失敗し、またたくまに関西に広がり、マスク売り切れのパニック状態になった日本を"hygiene-obsessed Japan"," paranoia of foreign diseases"と皮肉っていました。メキシコでは7月に中間選挙があります。日本でもいつ解散・総選挙になってもおかしくない状況ですから、純疫学的に見えるインフルエンザ流行の問題に政治が介入するのは、ある意味では避けられません。私がWTOにおける「フェーズ4/5」設定を踏まえて、なぜ「フェーズ6=パンデミック」宣言が出ないのかを含め、「パンデミックの政治学」とよぶ所以です。

 今年の「パンデミックの政治」の原点ともいうべき問題として、果たして最初の感染はどこからどのように始まったか、という問題が残されています。最近日本の報道では「新型インフルエンザ」とよばれていますが、世界の報道では「Swine Flu =豚インフル」という表現がなお支配的で、A Flu, H1N1 Fluなども使われています。実はこの呼称そのものに、ある種の政治がつきまとっています。「豚インフル」を止めて「新型インフル」と呼ぼうと提唱したのは、アメリカの養豚業者と農務省で、4月30日に米国、メキシコ政府やWHOがそれに従うと、日本のメディアは皆右に習えしましたが、こういう時にはまず、変更の意図、だれの提唱でなぜ名称変更されたのかを疑ってかかるのが、ジャーナリズムの常道です。普通の説明では、もともと豚を媒介に発したとしても、感染そのものはヒトからヒトへ直接うつる普通のインフルエンザになったか、豚との接触や豚肉からうつることはないから、とされます。EU提唱説イスラム圏への宗教的配慮説もあります。でも、本当でしょうか。メキシコでは4月の急速な蔓延時から話題になっていた時点で、私の「2009 メキシコ便り」でも、4月24日段階では、世界的には第一報が「アメリカのカリフォルニアとテキサスで豚インフルエンザと思われる症状が出て、メキシコでも数例出ている」というものだったこと、4月29日に、「CNN英字ニュースでは、今回メキシコの第一号感染者とされるベラクレス州の4歳の少年の家庭のインタビューを、実名・写真入りで報じました。つまり、ようやく世界的対策の出発点にたち戻ったわけです。このインタビューは、米国資本の豚肉会社が経営する大規模な養豚場の近くに住む少年が2月に発症し3月下旬に奇跡的に回復した話から始まり、村びと1800人が3月に似た症状を訴えたという重要な証言で、メキシコ保健相は発端は「4月13日に死亡した(ベラクルス州の南にある)オアハカ州の女性だ」として少年第一感染者説を否定していますが、少年には4月にアメリカの研究機関により豚インフルの陽性反応が出ています。メキシコ側の説明の背後には、アメリカの資本と市場に頼らざるをえないメキシコ政府の苦渋がにじみ出ています」と書いていました。

 今回日本に帰国して感心したのは、「きつこの日記」さんの4月29日号、時差からすればまだアメリカが28日だった段階で、「豚インフル」から「新型インフル」への呼び方変更問題も、メキシコ・ベラクレス州のアメリカ豚肉加工最大手「スミスフィールド・フーズ社」の養豚場感染源問題も、正確にフォローしていました。曰く、<今回の「豚インフルエンザ」は、メキシコで発生してメキシコで多くの人が亡くなってるけど、アメリカの企業の養豚場が発生源とされてるために、アメリカ政府のトム・ビルサック農務長官は、イチ早く「豚インフルエンザ」って名前を使わないようにとニポン政府へ指示したってことなのだ。そして、腰抜けの麻生内閣はと言えば、ご主人さまであるアメリカにシッポを振りつつ、自分たちが癒着してるニポンの大企業にもゴマを摺りつつ、何よりも最優先して「輸入豚肉の安全性」を連呼したってワケだ>と。このコメントは、当時の世界のウェブ上での様々な議論の中でも的確な一つです。豚肉危険説・輸入禁止論は、その後エジプトでの宗教対立がからんだ豚全頭処分問題や、ヒトーヒト感染の広がりで消えていきましたが。このベラクレス米系養豚場感染源説は、現在でもメキシコ保険省は否定しています。在メキシコ日本大使館の公式情報ページは、メキシコ保健省の日々の発表内容を毎日報告している貴重なアーカイフですが、今日では「最も早い発症例は3月11日のメキシコ市の成人男性」とされています。NAFTA (北米自由貿易協定)の影が見えます。

 もっと過激な説は、実は4月24日頃から、世界中のウェブで各種展開されていました。一つは「豚インフル」なら、別に今回が初めてではないことです。Wikipedia にもあります。豚インフルエンザが人へ感染した最初の発見例は、1976年2月にニュージャージー州フォートディクスのアメリカ陸軍訓練基地(Fort Dix)で死亡した19歳の二等兵の検死によるものである。同基地内で発病が疑われたのは数人だったが、500人以上が感染していることが分かった。事態を重く見た保健衛生当局の勧告に従い、フォード大統領は同年10月に全国的な予防接種プログラムを開始した。予防接種の副作用で500人以上がギラン・バレー症候群を発症し30人以上が死亡したため12月16日にプログラムは中止されたが、それまでに約4000万人が予防接種を受けた。結局、この時の感染は基地内にとどまって外部での流行は無く死者は兵士1人だった」。英語版のSwine influenzaには、もっと詳しく出てます。1918年のスペイン風邪の時に、豚の感染が確認されていました。1930年には、初めて豚インフルのウィルスが確認され、1976年の後も、1988年、1998年にもアメリカでは豚を介した感染がありました。とすると、メキシコ・ベラクレス州のアメリカ資本の養豚場には、どこからウィルスがきたかは簡単に推定できます。「メキシコ風邪」ではなく「アメリカ豚風邪」というべきなのです。

 また陰謀説ともいうべき風評も、早くから出ていました。日本では2ちゃんねるで、人為的ウィルス説やオバマ大統領メキシコ訪問時バイオテロ説、タミフル製薬会社有効性証明・販路開拓説などが、5月1日から広がったようですが、私はメキシコで、メキシコ人の友人から 「米軍フォートデトリック生物兵器研究所でウイルス兵器標本が行方不明になり憲兵隊が捜査中 」という生物兵器説ニュースを、4月24日には受信していました。こうした陰謀説の科学的根拠は乏しいですが、4月1日エープリル・フールのG20「対話なき金融バカの日」の後の世界の嫌米世論から生まれた情報戦の一部だと考えると、やはりこのインフルエンザは、世界に9・11に匹敵するインパクトを持ったことになります。確かなことは、このインフルエンザの感染源も感染ルートも、したがって今後の毒性変異の可能性も、確かなワクチンも対処法も、不確かなままなことです。日本では5月31日で13都府県379人にまで広がりました。世界では、冬に入る南半球オーストラリア、チリで感染が急増しつつあり、いまや56か国1万5千人以上、まだまだWTOの「フェイズ6=パンデミック」宣言をめぐる政治は続き、この秋の第二波につながるでしょう。

 忘れてはなりません。新型インフルエンザをめぐる「パンデミックの政治」は、昨年9月リーマン・ブラザーズ破産で明確になった新自由主義の破綻、アメリカ=ドル中心グローバリゼーションの再編成、100年に一度のグローバル金融・経済恐慌のさなかで、人類の生存に関わるさまざまな側面の危機の一つとして現れたものです。米国オバマ大統領の核軍縮宣言と北朝鮮による新たな核実験・ミサイルの危機、中東やアフガニスタンの軍事的緊張も、この大枠のもとで展開されています。今日、明日にも、20世紀世界に君臨した自動車産業の老舗中の老舗、世界一の生産企業だったGMが破産し、事実上の国有化に入ります。世界は大変な勢いで動いています。その中で、経済的打撃の大きさはアメリカ以上で、世界でも群を抜いてマイナスが大きい日本が、景気・福祉・雇用のどの面でも出口は見えません。客観的には半世紀以上を見通した抜本的建て直しが必要な局面です。今年の世界の選挙は、どこでもこうした問題を抱えています。特に中国やインドの動向は、欧米での関心のまとで、今年2月のイスラエル総選挙、5月のインドの「成長と貧困」を一大争点にした総選挙結果には、世界の株式市場も国際政治の専門家も注目し敏感に反応しました。6月12日投票のイラン大統領選挙も、そうした意味を持つでしょう。7月には、「パンデミック政治」で一躍世界に注目され、アメリカ経済に直接影響を持つメキシコの中間選挙があります。日本の総選挙も、遅くても9月までにはあるでしょう。だが、そのこと自体、あまり知られていません。昨年から何度も、もうすぐもうすぐと言ってきたんですから。悲しいことに、世界の眼は、自民党のばらまき補正予算の効果にも、民主党の唱える政権交代にも、懐疑的です。つまり秋以降の政権がどうなっても、日本経済にも政治外交にも大きな変化があるとは期待できず、せいぜいアメリカの国債とドルを支え、アメリカの東アジア政策次第でどんな駐米大使がきてもそれに追随するだろうと、織り込まれているのです。何よりも危機意識そのものが感じられません。危機脱出の構想がみえません。残された数か月で、世界史のなかの日本を措定し直すような抜本的政策構想を争点にする政治が可能でしょうか地球と人類の未来に関わる希望を日本から発信し振り向いてもらえるでしょうか、しばらくメキシコに生活と研究の場を置いて痛感したのは、絶望的なまでに閉塞する日本の惨状でした。2009.5.22(パンデミックの政治学1・感染者差別) 昨日、メキシコ市は、新型インフルエンザ制圧宣言を出しました。その前1週間、一人も新たな感染者が出ませんでした。メキシコ保健省作成の発症日別感染者数のグラフは、4月の20日から27日まで急速に広がり、大統領令による学校休校、レストラン閉鎖、観光地・官公庁閉鎖で28日以降広がりが抑制され、その「ゴーストタウン」化のなかで正常化していったプロセスを、クリアーに示しています。もっとも病院に行けない人、行かないで休養やクスリで直った軽症者もいたはずで、ピーク時は政府の発表より一桁は多かったろうと言われていますが。その代わりメキシコは、外国との航空便や国内交通を制限することはせず、外国人の感染は、国内に留まった人ではほとんどありませんでした。ともあれメキシコは、観光産業を始め大きな経済的打撃を受けましたが、ほぼ完全にあの陽気で騒々しいラテンの町に戻りました。日本政府も本日、メキシコへの渡航自粛や在墨日本人への帰国勧告を停止し、なぜかメキシコ人に対してのみ出されていた入国査証(ビザ)の一時停止措置を解除し、相互にビザなし往来自由の「普通の国」扱いに戻しました。私も急いで帰国し(もちろんメキシコに!)メキシコ大学院大学の仕事を再開したいところですが、5月初めの緊急帰国後、ものものしい機内検疫ばかりでなく、10日間の自宅「停留」を強いられ、メキシコ側の要請で、すべては9月に再渡航して、再開することになりました。ようやく先週から行動自由になったら、今度は日本の感染が急速に広がり、相変わらずマスクをはずせない毎日です。

 皮肉なことに、WHO「フェーズ4」「フェーズ5」段階で、自国民保護のための帰国勧告や水際作戦という国際的には異様な危機管理策・過剰反応をとった日本や中国が、ジュネーブのWHO総会では、イギリスに便乗して「フェーズ6」決定に反対し、経済活動や市民生活へのこれ以上の制約拒否にまわりました。新型インフルの疫学サンプルが増えて、季節インフルに似た弱毒性であることがわかってきたこと、EU諸国もアメリカ同様に大がかりな隔離政策はとらなかったこともありますが、現在アメリカと共に最も感染が広まっている日本が「メキシコ化」し、いざ関西での修学旅行中止など経済・市民生活への影響が深刻になると、帰国勧告も水際対策での外国人ホテル幽閉もなかったかの如くに規制緩和に向かう姿は、また異様です。すでに世界の感染者は45か国1万人以上、日本は世界で4番目の感染大国です。同時に日本は、1−3月GDPマイナス15.2%の世界経済恐慌最前線の国、再入国制限と引き換えに帰国旅費まで出してやっかい払いしている外国人非正規労働者が、母国での感染の新たなキャリアにならなければいいですが。

 実はこの間、自分自身がメキシコからの緊急帰国組で、感染を広げる潜在的可能性があったために、本サイトの「パンデミックの政治学」で書かないできた問題が、二つあります一つは端的に、感染者及び感染の疑いのある者、そしてその所属組織、特に高等学校に対する、驚くべき差別発言、電話やネットでの「生徒名を公表しろ」「謝れ」「(経済的損失を)賠償しろ」「バカヤロー」等の排斥の言説です。メキシコでは、感染ピーク時であっても、入国したメキシコ人を強制隔離した中国政府に対して「人権侵害・人種差別だ」とメキシコ政府自身が抗議する一幕がありましたが、日本では、そうした声がほとんど聞こえないのが、私には恐ろしい光景でした。渡航した外国での感染も、日本での感染も、インフルエンザにかかった人は、疾病被害者です。それが日本では、あたかも犯罪者であるがごとく報じられ、行動の一つひとつが全国に公表され、隔離から日常生活に戻るのが妨害され、模擬国連に生徒を派遣した学校の先生が「地域に迷惑をかけた」と謝らなければならない情景。おそらくすべては、初期の「ガバナンスの失敗」です。メキシコからの感染防止のための大げさな水際作戦機内検疫隔離停留の初期対策で、外国帰り(特にメキシコ帰り!)が「バイ菌」扱いされたところから生まれた、排外ナショナリズム、村八分の雰囲気で、あの1989年昭和天皇死亡時に似た「右向け右」の日本的危機意識自粛ムードであったでしょう。今では、この「水際作戦」も、国内外にインフル恐怖感は増幅させて、感染者を特別な眼で見る雰囲気を強め、科学的にはあまり意味のない、抜け道いっぱいの「対策」だったことが明らかになっていますが。日本における「パンデミックの政治」で考えるべきは、この「有事」における島国閉鎖意識の圧倒的広がりの意味です。もう一つの問題は、メキシコで明るみに出た新型インフルの感染源をめぐる情報戦ですが、この件については、また書く機会があるでしょう。メキシコについて書き綴るうちに、いつのまにか、通算120万アクセスを越えました。リピーターの皆さん、ありがとうございます。


私の中断を余儀なくされた「メキシコ便り」2009年版は、過去ログカレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」図書館アップ。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。

 昨年10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)もよろしく。ウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。

 


平常に戻ったメキシコ、異常状態が続く日本

世界パンデミック政治の中でこの国の行方は?

2009.5.22(パンデミックの政治学1・感染者差別) 昨日、メキシコ市は、新型インフルエンザ制圧宣言を出しました。その前1週間、一人も新たな感染者が出ませんでした。メキシコ保健省作成の発症日別感染者数のグラフは、4月の20日から27日まで急速に広がり、大統領令による学校休校、レストラン閉鎖、観光地・官公庁閉鎖で28日以降広がりが抑制され、その「ゴーストタウン」化のなかで正常化していったプロセスを、クリアーに示しています。もっとも病院に行けない人、行かないで休養やクスリで直った軽症者もいたはずで、ピーク時は政府の発表より一桁は多かったろうと言われていますが。その代わりメキシコは、外国との航空便や国内交通を制限することはせず、外国人の感染は、国内に留まった人ではほとんどありませんでした。ともあれメキシコは、観光産業を始め大きな経済的打撃を受けましたが、ほぼ完全にあの陽気で騒々しいラテンの町に戻りました。日本政府も本日、メキシコへの渡航自粛や在墨日本人への帰国勧告を停止し、なぜかメキシコ人に対してのみ出されていた入国査証(ビザ)の一時停止措置を解除し、相互にビザなし往来自由の「普通の国」扱いに戻しました。私も急いで帰国し(もちろんメキシコに!)メキシコ大学院大学の仕事を再開したいところですが、5月初めの緊急帰国後、ものものしい機内検疫ばかりでなく、10日間の自宅「停留」を強いられ、メキシコ側の要請で、すべては9月に再渡航して、再開することになりました。ようやく先週から行動自由になったら、今度は日本の感染が急速に広がり、相変わらずマスクをはずせない毎日です。

 皮肉なことに、WHO「フェーズ4」「フェーズ5」段階で、自国民保護のための帰国勧告や水際作戦という国際的には異様な危機管理策・過剰反応をとった日本や中国が、ジュネーブのWHO総会では、イギリスに便乗して「フェーズ6」決定に反対し、経済活動や市民生活へのこれ以上の制約拒否にまわりました。新型インフルの疫学サンプルが増えて、季節インフルに似た弱毒性であることがわかってきたこと、EU諸国もアメリカ同様に大がかりな隔離政策はとらなかったこともありますが、現在アメリカと共に最も感染が広まっている日本が「メキシコ化」し、いざ関西での修学旅行中止など経済・市民生活への影響が深刻になると、帰国勧告も水際対策での外国人ホテル幽閉もなかったかの如くに規制緩和に向かう姿は、また異様です。すでに世界の感染者は45か国1万人以上、日本は世界で4番目の感染大国です。同時に日本は、1−3月GDPマイナス15.2%の世界経済恐慌最前線の国、再入国制限と引き換えに帰国旅費まで出してやっかい払いしている外国人非正規労働者が、母国での感染の新たなキャリアにならなければいいですが。

 実はこの間、自分自身がメキシコからの緊急帰国組で、感染を広げる潜在的可能性があったために、本サイトの「パンデミックの政治学」で書かないできた問題が、二つあります一つは端的に、感染者及び感染の疑いのある者、そしてその所属組織、特に高等学校に対する、驚くべき差別発言、電話やネットでの「生徒名を公表しろ」「謝れ」「(経済的損失を)賠償しろ」「バカヤロー」等の排斥の言説です。メキシコでは、感染ピーク時であっても、入国したメキシコ人を強制隔離した中国政府に対して「人権侵害・人種差別だ」とメキシコ政府自身が抗議する一幕がありましたが、日本では、そうした声がほとんど聞こえないのが、私には恐ろしい光景でした。渡航した外国での感染も、日本での感染も、インフルエンザにかかった人は、疾病被害者です。それが日本では、あたかも犯罪者であるがごとく報じられ、行動の一つひとつが全国に公表され、隔離から日常生活に戻るのが妨害され、模擬国連に生徒を派遣した学校の先生が「地域に迷惑をかけた」と謝らなければならない情景。おそらくすべては、初期の「ガバナンスの失敗」です。メキシコからの感染防止のための大げさな水際作戦機内検疫隔離停留の初期対策で、外国帰り(特にメキシコ帰り!)が「バイ菌」扱いされたところから生まれた、排外ナショナリズム、村八分の雰囲気で、あの1989年昭和天皇死亡時に似た「右向け右」の日本的危機意識自粛ムードであったでしょう。今では、この「水際作戦」も、国内外にインフル恐怖感は増幅させて、感染者を特別な眼で見る雰囲気を強め、科学的にはあまり意味のない、抜け道いっぱいの「対策」だったことが明らかになっていますが。日本における「パンデミックの政治」で考えるべきは、この「有事」における島国閉鎖意識の圧倒的広がりの意味です。もう一つの問題は、メキシコで明るみに出た新型インフルの感染源をめぐる情報戦ですが、この件については、また書く機会があるでしょう。メキシコについて書き綴るうちに、いつのまにか、通算120万アクセスを越えました。リピーターの皆さん、ありがとうございます。


2009.5.17 民主党代表に鳩山由紀夫が選ばれ、再び麻生内閣に代わる民主党政権への期待が強まってきた頃、日本でもついに神戸の高校生から、新型インフルの国内感染が始まりました。それもあっという間に96人発症地の北米大陸(メキシコ、アメリカ、カナダ)を除くと、ヨーロッパのスペイン、イギリスなみの世界有数の感染拡大国になり、アジアでは唯一最大のヒトーヒト感染の広がりで、WHO「フェーズ6」認定の有力な指標となります。神戸大学をはじめ付近の教育機関は一週間休講、関西ではマスクの品切れ続出とか。メキシコで目撃したパンデミック前段階の始まりです。感染ルートが解明される前に続々と感染が広がり、人と物の移動を政府が強権発動でストップし感染の波をくい止めたのが、メキシコの教訓。もはや空港での「水際作戦」や「停留」隔離では済まないでしょう。専門家の話にも、「感染者への差別的な言動が出るのを見るにつけ、まるで伝染病予防法の時代に戻ったかのような印象を受けてしまう。このような反応が出た理由の一つに、毒性の強い新型インフルエンザを想定した対策に引きずられ、過剰ともいえる対策を取っていることが挙げられる。防護服姿での検疫や長期間の隔離などを見ていれば、医者であっても怖くなってしまう。従来のインフルエンザと同様の対策で対処できる」(岩崎恵美子・仙台市副市長)。同感です。今こそメキシコに学ぶべきです。あわてず情報を集め、不要な外出をできるだけさけて、自分自身を防衛しましょう。首都圏への伝播は時間の問題です。でも、毒性は強くありません。冷静に対処しましょう。あまり騒いでパニックになると、感染拡大を理由に外国企業が引き上げたり、留学生が帰国したりして、世界の日本離れは加速されます。
2009.5.15 (メキシコ便り/後日談)
 3月に私がメキシコに出発した頃、日本の世論調査では麻生内閣支持率10%、民主党政権実現はまちがいなく、総選挙の時期だけが問題とされていました。それが突如、小沢民主党代表の秘書が逮捕され西松建設の献金問題が浮上し、世界経済の深刻な危機のもとで、検察の政治介入とか田中角栄型政治の亡霊の復活とか、外国からはわかりにくい新たな論点がでてきました。メキシコ人学生には、野党の金権スキャンダルで日本の次期政権の見通しはわからなくなった、と説明してきました。こんな単純化を敢えてしたのは、自民党より長いメキシコの制度的革命党(PRI)による一党優位政党制には長く金権政治がつきまとい、ようやく野党国民行動党 (PAN) 政権になっても、金権スキャンダルが陰に陽にささやかれているこの国の人々には、日本のくるくる代わる首相の名前や、外国テレビニュースに出ない野党党首の名前よりも、日本政治の仕組みをわかってもらえると考えたからです。事実、二大政党制下の政権交代による変化への国民の過大な期待は、実際に政権交代があった場合には逆に新政権への失望につながりやすい、特に経済危機下では、経済政策の選択肢は財政的に狭く限られるので、新政権への失望は旧政権へのノスタルジアに反転しやすい、といった話を、インドとメキシコと日本を例にとって説明すると、メキシコ人学生たちは、自分の国に引きつけて、なんとなく日本政治に親近感を持つのでした。

 そんな状態が続き、5月初めにメキシコから緊急帰国する頃には、小沢民主党代表居座りによる野党の失点が、政権与党の支持率を3割まで回復させるほどになっていました。そして、ある意味では緊急帰国便より窮屈で不自由な、帰国後10日間の自宅「停留」がようやく終わる頃、ようやく小沢代表が辞意を表明して、局面が転回し始めました。メキシコ人学生にはわかりやすかった、有力政治家と企業献金の関係については、相変わらず不透明なままですが。低空飛行が続く麻生自公連立政権と、第3極のできないまま野党第一党の党内抗争が続き、総選挙もなく代替経済政策の輪郭が見えない日本、株価もGDPも、昨年9月以来の世界グローバル恐慌突入からの出口が見えない以上、この国の世界史的衰退は、もはや既定の事実とされているかの如くです。かろうじて世界第二の名目GDPは確保しているとはいえ、かつて世界の18%まで占めた(94年)その相対的位置は半分の8%にまで下落し、一人当たりGDPではOECD19位まで後退(07年)、昨年9月以降の落ち込み率も世界の中で突出しています。緊急帰国してしばらくぶりで会えた日本人学生たちも可哀想です。いわゆる就活市場は、かつての就職氷河期以上の深刻さのようです。メキシコ人学生たちが希望の星の如く持ち上げてくれた、マンガ・アニメやオタク・コスプレ文化も、秋葉原や渋谷の景気全体の冷え込みの中で生彩がなく、任天堂やユニクロの奮闘くらいでは、トヨタやソニーの深刻な赤字の世界的インパクトへの代替にはなりません。そんな日本の今を考えるために、学術論文データベ ースには、安藤洋さんが「『新憲法世代』を生きてーー若者たちへのメッセージ」第一部/第二部1/の改訂版を寄せてきました。また、宮内広利さんの「世界史の越境に向けてーー柳田国男から吉本隆明まで」を新規アップ。宮内さんは「マルクス<学>の解体」(2006.2)以来8本目の寄稿で、「世界史の最初と最後」(2008.3)に続く力作です。

 日本での「停留」期間中に、5月7日に再開したメキシコ大学院大学の友人・教え子達からは、メキシコ・シティはまたマッチョで陽気な街に戻った、早く戻ってきてほしいという嬉しい便りです。日本のニュースばかり見ている皆さんは、不思議に思うかもしれません。新型インフルエンザはどんどん世界に拡大し、アメリカの感染者数がメキシコを追い越したとはいえ、確かにメキシコはなおダントツ1位の死者数であり、感染者も増え続けているように見えます。しかし実は、メキシコに限っては死者はほとんど4月までの死亡者の検体検査で新型インフルが確認された数が増えているだけであり、感染者数も検体が進んでやっぱり新型インフルだったと確認された数の増加です。在メキシコ日本大使館公式情報は、すでに第42号までほぼ毎日出ていますが、5月13日のコルトバ厚生大臣会見によれば、「(1)現在までに、約9000の検体検査を行った結果、2446名の検体から新型インフルエンザが検出され、うち2386名が生存、60名の死亡が確認された。死亡者は、56.7%が女性、43.3%が男性で、死亡者は感染者全体の2.5%に相当し、死亡者の95%が4月23日以前に発症している。また、感染者の半数以上が0歳ー19歳である。(ロ)50名以上の感染者が確認されている地域は、サン・ルイス・ポトシ州、サカテカス州、イダルゴ州、メキシコ市、ベラクルス州およびタバスコ州である(メキシコ州も感染者は50名以上)。また、バハ・カリフォルニア・スール州およびコアウイラ州については感染者が確認されていない。全国レベルで見ると、全国の89.4%に相当する市では感染者が確認されていない。カンペチェ州、チアパス州、チワワ州、グアナファト州、ゲレロ州、ハリスコ州、ヌエボ・レオン州、オアハカ州、ソノラ州、ユカタン州では、州内の90%の市で感染症例が見られない。これらの感染者未発生市では、通常の社会活動を再開できるとの勧告を各州政府に行っている。(ハ)国内観光地の多くは感染が確認されていない。また、7件の感染者が確認されたカンクン、8件確認のアカプルコ、2件確認のウアトゥルコ等海岸沿いの観光地では、最後に確認された症例はカンクンが4月28日、アカプルコおよびウアトゥルコが4月26日と最近のものではなく、観光客への危険性はないと考えられる」というように、過去データが整備されて日々増大のように見えるだけです。明らかに第一波のピークはすぎて、平穏な日常生活に戻りつつあります。手洗いは励行されているようですが、マスクの数はずっと減っているようです。

 日本で報じられるWHO「フェーズ6=パンデミック」寸前というニュースは、メキシコに発して世界40か国以上に広がり総感染者数が1万人に近づいた状況を示しています。同時にメキシコ国内では、正常化が急速に進み、いわば過去データを検証する余裕ができてきた局面であることはなぜか省略されています。中南米で停止されていたメキシコ便は相次いで再開されています。同時にこの広がりの中で、日本及び中国の新型インフルエンザ対策の特異性も際だってきました。メキシコやアメリカのテレビでは、日本では到着する飛行機に、宇宙服のような防護服を着た役人が機内に入り、最新ハイテクカメラで乗客をチェックし、特に症状が出ていない外国人に対しても宿泊先を申告させ、まわりに感染の疑いのある日本人が出ると空港近くのホテルに事実上軟禁される「停留」という措置がとられる、と報じられているようです。また中国政府のメキシコ人乗客入国阻止・隔離に対しては、人権侵害だとメキシコ政府が抗議し、お互いに特別機を出して自国民を帰国させ、中国渡航自粛を勧めているとのことです。私自身、「フェーズ5」段階で在メキシコ日本大使館と日本の勤務先大学の勧告で緊急帰国しましたが、どうもそんな措置をとっているのは、世界で日本と中国ぐらいのようです。確かに感染真っ盛りの4月末のメキシコでも、滞在する自国民に「帰国勧告」までしているのは、私の知る限り日本ぐらいだったようです。すでに感染者が出ていたアメリカ、カナダ、スペイン人でも、在メキシコ大使館が不要な外出を自粛し連絡網に加わるようよびかける程度で、帰国勧告とかマスクを配るとか在留人数分のタミフルを確保するといった話は、日本関係者以外では聞きませんでした。感染に対する潔癖さ、水際作戦でのウィルス侵入阻止、少しでも感染の疑いのある人への予防的危機管理という点でいえば完璧で見事とも言えますが、他方で海外では、外国人を含む膨大な人々への機内検疫、乗客管理、停留、入国後10日間の保護観察に、異様さを感じているようです。成田のホテルに「停留」されたアメリカ人が、映像でその窮屈な日常を世界に発信しましたが、海外の日本文化研究にしばしばでてくる「ガイジン」や「ウチとソト」の閉鎖的日本イメージを強めないか、心配です。そんな中でのちょっといい話。成田空港近くで隔離治療を受けてきた4人の感染確認者がようやく退院し、機内でその周囲にいた「停留」対象者も、10日間を7日間に短縮して「解放」されました。全日空は、「新型インフルエンザに関する国際航空券特別取り扱いについて」として、4月28日以降、6月30日までのメキシコ、米国(ハワイを除く)、カナダ便について、国際航空券の払い戻し・変更を手数料なしで認めるとのことです。

 ただし、その裏で秘かに展開される「パンデミックの政治」の本筋にも、注目しなければなりません。WHO(世界保健機構)の「フェーズ」設定自体の政治経済との関わりです。もともとWHOのフェーズ分類は、世界の感染症専門家の意見にもとづき、WHO事務局長が決めるものです。その「定義」にもとづく「目標」には、「フェーズ4」で「ワクチン開発を含めた、準備した事前対策を導入する時間を稼ぐため、新型ウイルスを限られた発生地域内に封じ込めを行う。あるいは、拡散を遅らせる。」、「フェーズ5」で「可能であるならパンデミックを回避し、パンデミック対応策を実施する時間を稼ぐため、新型ウイルスの封じ込めを行う。あるいは、拡散を遅らせるための努力を最大限行う」、最後の「フェーズ6」=パンデミック期には、「社会機能を維持させるため、パンデミックの影響(被害)を最小限に抑える。小康状態の間に、次の大流行(第2波)に向けて、これまでの対策の評価、見直し等を行う」とされています。この「封じ込め」に一番有効なのは、当初の感染発見地メキシコと他国との人とモノの流れをできるだけ断ち切り、日本や中国の政府が行ったように国境での「水際作戦」をすべての国が行うことなのは容易に理解できます。ところがこうした純医学的措置は、グローバル恐慌下でもっともおそれられている世界貿易の縮小、自国中心の保護主義台頭に道を拓きかねません。そのため今回の新型インフルエンザの「フェーズ4」段階では、「現時点ではインフルエンザ発生国への渡航禁止や、発生国に対して国境を閉ざすことは勧告しない」とわざわざ但し書きが加えられました。ヒトーヒト感染地域が複数以上に拡大した「フェーズ5」段階でも、世界経済への影響を考えて、敢えて「渡航制限や国境閉鎖は勧告しなかった」とされています。そして現在検討されている「フェーズ6」=パンデミック宣言でさえ、「欧州の感染拡大を受けたパンデミック宣言となれば、貿易や運輸など経済活動への多大な影響は避けられない」ため、WHO関係者は「地続きの欧州は『運命共同体』意識が強く、欧州連合(EU)が一丸となって抵抗している」状態です。これは、メキシコで感染が公表された初期段階で私が現地から報告した、アメリカ・メキシコ国境を封鎖できないNAFTA(北米自由貿易協定)の事情のグローバル版です。つまり、第一に、この20年で飛躍的に進んだ世界の政治経済のグローバリゼーション、地球社会化の流れ、第二に、昨年来のグローバル経済恐慌化で台頭しがちな自国経済保護主義・世界交易の縮小へのおそれ、1929年世界恐慌からブロック経済化・世界戦争への悪夢の再来への警戒、第三に、そこでしわよせを受ける発展途上国、世界経済「周辺」での爆発的疫病蔓延への危惧が、一国レベルでの「封じ込め」を困難にし、むしろウイルス型の早急な特定、感染ルートの解明、新型ワクチン開発の国際的協力を求めているのです。各国の経済的思惑と、専門国際機関への公式・非公式の影響力行使競争をも背後に秘めながら。

私の中断を余儀なくされた「メキシコ便り」2009年版は、過去ログカレッジ日誌」と共に、10年前の渡航時からの時系列に並べ替え写真を入れて、1999-2009メキシコ便り」にまとめておきました。8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」図書館アップ。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。同じく図書館及び教育センターに、恒例で09年3月卒業加藤ゼミナール学士論文を世界に公開しました。


GRACIAS MEXICO!  VIVA MEXICO!  ADIOS MEXICO! 

厄病神に取り憑かれ、パンデミックの元凶にされたメヒコ!

 一日も早い回復・再生を! 

(2009メキシコ便り・その4、パンデミック政治の中で無事ですが帰国しました)

2009.5.7 (メキシコ便り/緊急帰国報告) 4月の末に在メキシコ日本大使館と日本の所属大学の勧告を受け、緊急帰国することになり、あわただしくメキシコをあとにしました。本当はその週末にも国内ツアーがセットしてありましたが、すべての遺跡・観光施設の閉鎖で中止になりました。レストランばかりでなく、あらゆる商店・ビジネスがストップする中で、日本向け航空便が飛ばなくなる可能性があるという噂が流れ、旅行社に急遽あたったところ、5月1日JAL便にたまたまメキシコ人のキャンセルが出て、感染者急増中のカナダ・バンクーバー経由で、2日夕、成田に着きました。メキシコシティ発朝10時の便ですが、空港検疫も厳しくなったということで、前日遅くまで勤務先のメキシコ大学院大学の教授達と試験採点等善後策を協議したうえ、ほとんど眠らずに出発4時間前の朝6時空港へ。メキシコシティ国際空港には、同じ便で帰国する現地駐在員の家族やこどもたち多数がすでに並んでいて、マスク姿の日本人の長蛇の列、その日から急遽設置されたサーモグラフィーによる体温検査、健康状態の訊問を受けました。

 それから16時間の飛行で、夕刻成田に着くと、今度は機内で日本側のサーモカメラ・チェックと問診票の記入・インタビュー、幸いこの日の便では高熱・咳の「疑いあるもの」は見つからず、1時間ちょっとで成田空港の建物へ。そこでまた空港検疫があり、ようやく解放されて自宅に着くとすでに深夜。インタビューでは、10日間は潜伏期間や機内感染もあって発症の可能性があるから、居住地保健所の指示に従うこと、とのことでした。ところが、成田空港での検疫や問診票にもとづく追跡対象者入力が、ゴールデンウィークと重なり人手が足りないとかで、私の所に保健所から連絡があったのは、ようやく5月6日昼、到着後4日もたってからのことでした。それも「何か症状ありませんか」というおざなりなもので、せっかく電子体温計で毎日チェックした体温データも不要。当初宿泊先のホテルを連絡場所に申告した人もいるでしょうから、4日後には連絡がつかない人もいるでしょう。なにか空港の「水際作戦」に比べて、ちぐはぐな国内での対応です。3日の便でメキシコから帰国した京都の少女が発熱というニュースには緊張。私の乗った便にも、メキシコ日本人学校の生徒たちが、たくさん乗っていました。小さなこどもたちですから、丸々24時間もおとなしくマスクで着席できるはずもなく、おしゃべりしたり、マスクをのどまではずして遊んだりしてましたから、密室航空機内でのウィルス汚染は、大いにありうるものでした。幸い京都の少女は新型インフルエンザではないという診断でしたが。メキシコ現地についてのピントはずれな報道、普通の病院での発熱患者診療拒否という過剰反応、欧州・アジア便を含む一斉空港検疫にくらべてずさんな「追跡調査」等、この国の「パンデミック政治」はまだ試行錯誤のようです。私自身は、時差ぼけは続いていますが、無事です。今回の新型インフルエンザは潜伏期間が6−8日と長いというので、5月12日まで10日間は、外出を自粛し、健康自主管理中です。

 メキシコ外務省から、4月29日に予定されていて延期になった面談を、5月12日に行いたいとメールが来ました。私は日本で政府の監視下にあり、出席できませんと返事しました。発症地メキシコの方では、猛威を振るった新型インフルエンザ感染は下火になり、6日からレストラン他商業活動再開、7日から高校・大学の再開、11日からは小中学校も再開されるそうです。本当は、今日にもメキシコ大学院大学の教え子たちと無事を喜び合えたところですが、残念です。4月末に感染者2000人以上、死者176人とまで報告されたメキシコの実際は、WHO基準の設定とアメリカ、カナダ医療チームの参加で検体検査が進み、5月6日コルドバ厚生大臣会見によれば、「1)3452の検体検査が行われ、うち3079の有効症例のうち1112名の検体から新型インフルエンザを検出。うち1070名の生存、42名の死亡を確認。42名の死亡者の性別分類では、24名が女性、18名が男性、年齢分類では20ー29歳が16名、30ー39歳が9名で、この年齢層がもっとも多くの死亡者が発生。死亡者の地域別分布は、メキシコ市:68%、メキシコ州:12%、サン・ルイス・ポトシ州:7%、トラスカラ州:5%、オアハカ州:3%、チアパス州:3%、イダルゴ州:3%。(2)インフルエンザへの感染発生数は、前年までの傾向とは明らかに異なっている。本年は4月の感染患者数が通年よりも増加しており、同様の傾向は死亡者数の統計にも見られる。2006ー08年に発生したインフルエンザによる死亡者の年齢層の中心は、4歳以下および65歳以上であるのに対し、本年発生している同疾患死亡者の年齢層の中心は15歳ー45歳。(3)新型インフルエンザに感染した患者とその家族は7日間隔離される必要がある。現在当国がとっている様々な行動制限は、15日間感染例が発生しないと確認された時、解除が検討されることになろう。(4)20ー50代の人々は、初期症状が出ても病院にかからず、自己診断で勝手に薬を飲んでしまったこと等が手遅れにつながっている理由と思われる。4月17日以前は、初期症状が出てから病院にかかるまでの日数は7ー9日であったのが、新型インフルエンザ流行の公式発表があった4月17日以降は、この日数が1.5日に短縮している。仮説ではあるが、このような傾向が当初当国で死亡者を多く発生させた一因と考えられる。また、死亡者の多くは、呼吸器疾患を発症しているものの、既に、肝臓や心臓等複数の内臓に疾患を患っていたことが分かっている」ーーようやく本来の医療統計が作られつつあるようですが、メキシコですから、職業や所得階層によっても特徴があるはずです。そこは残念ながら、データがなく分析できません。

大蔵大臣会見では、(1)新型インフルエンザによる国内経済への影響は、GDPの0.3ー0.5%と見積もられ、2009年第2四半期がもっとも影響を受け、その後は回復に向かうと思われる。新型インフルエンザ流行に対応するための次の緊急経済支援を計画。メキシコ市のマクロ経済への影響は、GDPの0.5%の減少により1000万ペソの税収減少が見込まれるも、新税の導入はしない。5月、6月の失業を食い止めるため、雇用主に対しメキシコ社会保険庁(IMSS)の支払を20%削減(2ヶ月で3.5万ペソまでの制限付き)。(2)企業に対しては、2009年の間、法人所得税(ISR)の還付分を従来の年一回から毎月とする。レストラン、ホテル、娯楽産業に対しては、連邦政府が今次事態による損失の25%を補償。航空会社に対しては、4月から6月の間、メキシコ領空通過税を50%割り引く。大型客船会社に対しては、5月から7月まで、港湾使用税を50%割り引く。観光促進基金を設立する。特定の産業に対しては、中銀及び国営投資公社(NAFINSA)と連携の元、特に影響の大きい地域に対して支援を行う」とあります。

 このように、メキシコでは一応沈静化に向かっているのに、世界的には24か国、2100人以上と感染拡大が進み、WHOの「フェーズ6」=パンデミック突入宣言も間近と見られています。メキシコ、アメリカ、カナダのほかに、スペインやイギリスでも感染が増えています。アジアでも香港、韓国で感染が確認され、ゴールデンウィークで多数が海外旅行に出た日本でまだ感染が確認されていないのは、奇跡に近いとさえいえます。メキシコでは、まだ発症源は確定されていません。感染ルートもわかっていません。「豚インフルエンザ」という名前は、いつのまにか「新型」と置き換えられました。60歳以上には重症者がいないから免疫があるのではといった話しもありますが、メキシコの衛生事情、医療事情と貧困を知るものには、そもそも統計がいまひとつ信用できませんし、なによりもNAFTAを通じて日本以上に構造的なアメリカ経済との関係、アメリカへの政治的配慮を考えずにはいられません。そして、もう一つの事情、この強制休暇中に公示され7月投票のメキシコ下院選挙への思惑。現在の国民行動党 (PAN) カルデロン大統領(任期は2012年11月30日まで)は、メキシコ革命後70年以上続いた制度的革命党 (PRI)政権に代わって登場した、もともと万年野党だった政党の代表です。しかし国民の中には、その経済政策にも民主主義についても、政権交代時の期待が大きかっただけに、失望も広がっています。メキシコでは、しばしば自民党長期政権の後の政権交代、自民党復活について聞かれました。メキシコの今年の中間選挙で、かつての支配政党=制度的革命党 (PRI)の復活がいわれているからです。今回のインフルエンザ対策は、やや翳りを見せた政権の、求心力回復の絶好のチャンスともいわれ、4月27日以降急速に進んだ危機管理には、国民行動党 (PAN) のパフォーマンスの側面があります。5月6日からの経済活動再開が、本当に感染拡大を封じ込めたうえでのものであったのかどうか、まだまだメキシコを注視して行かねばなりません。


  
GRACIAS MEXICO!  VIVA MEXICO!  ADIOS MEXICO! 

厄病神に取り憑かれ、パンデミックの元凶にされるメヒコ!

(2009メキシコ便り・その4、パンデミック政治の中で緊急帰国しました)

2009.5.15 そんなわけで、私の「メキシコ便り」2009年版は、中断を余儀なくされました。8月には延期された国際会議開催もあって、再び訪れることになりますが、ひとまず日本からの観察に戻ります。5月1日に更新予定で準備してきたいくつかの文章と、メキシコ渡航のため8年間の連載を終えた『エコノミスト』誌書評「歴史書の棚」の最終版、4月7日号の森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社)吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書)を扱った「『大正生れ』と若者をつなぐ現代史の難しさ 」をアップ。3月10日号の山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー 民間財団が果たした役割 1945−1975年』(ミネルヴァ書房)松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店)、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)などと共に、御笑覧ください。なお、「メキシコ便り」は、過去ログ「カレッジ日誌」と共に、写真入りで1999-2009メキシコ便り」にも収録し、永久保存版とします。

 Hola, Buenas Noches! こんばんは。つい2週間前に、復活祭を祝い祈ったばかりなのに、神は、どうしてこの国に、試練を与え続けるのでしょうか。それでなくてもアメリカ金融経済恐慌の波をもろに受けていたところに、豚インフルエンザという新種の疫病が現れ、100人以上のこの国のかけがいのない生命を奪い、世界から入ってくるなと怖れられています。世界的大流行(パンデミック)にはまだ前段階ですが、メキシコの国内は「パンデミックの政治」です。日本では「黄金週間」の時に、この国はひっそりと厄病神の通り過ぎるのを、ひたすら祈り、待ち続けています。「ああ、哀れなるメヒコ、かくも神より遠く、かくもアメリカに近く」が、こんなにも真実味を帯びて感じられたのは、今回の滞在の成果でしょうか。まだ今月中は滞在する予定ですが、日本政府の政策次第では、いつ帰国命令がくるかわからない、不安定な状況です。ーー4月29日まで書いた「臨時ニュース」は、ここで収めて、以下は、この間書きためた印象記を含め、記録に残しておきます。

 先日370ペソ=2500円出してようやく手に入れた、キャノン・ピクサス・ポータブルプリンターのブラック・インクが、もう切れてしまいました。どうやらよっぽど古い長期在庫品を、おしつけられたようです。それではと、また「メキシコの秋葉原」、アラメダ公園近くの電気街に補充に。すると今回は、入り口近くのプリンター・インク専門店に、めざす原物のCanon 15 Blackの新品を発見、聞くと、なんと220ペソ=1500円、やっぱり慣れない前回は、超高値で不良品を押し付けられたようです。まあ授業料と考えましょう。インフルエンザ騒ぎまでは、地下鉄も禁断の流しタクシーも毎日利用し、最新のメトロバス(大通りの専用軌道を走るラッシュアワーでも大丈夫なバス)にも乗り馴れて、どうやらメヒコ生活も、なんとか板についてきたところでした。大かけ引きを覚悟した電気街での買い物があっさり済んだので、すぐ近くの中華街で食事。ここは、5年前の国際会議で報告の際、もう一人の日本人ゲスト袖井林二郎さんを先輩風を吹かせて案内したところで、健在でした。ただし瀟洒にかざられ、どことなく新しくなっていて、「メキシコの銀座」ソナ・ロッサの高級中華店より、値段も味もリーズナブル。満腹してぶらりと入った、近くのペジャス・アルデス宮殿がまたよかったです。よくクラシック・バレーや民族舞踊ショーのおこなわれる格式高い劇場ですが、昼間は観覧自由・無料ということで中に入れました。

 すると、豪華な劇場の大理石の階段の正面・左右に、デイエゴ・リベラ、シケイロス、オロスコ、タマヨの壁画、幕間用のホールにもこの4巨人の名が冠されて小品も展示、美術館と見まごう贅沢です。特に左壁のデイエゴ・リベラの壁画は、国立宮殿のメキシコ革命史の連作に連なる傑作、なぜかトロツキーも出てきて「万国の労働者、第4インターに団結せよ!」とスペイン語、英語、ロシア語で叫んでいます。正面はシケイロスなんですが、ここでもやもやしていたデイエゴ・リベラとシケイロスの違いが、はっきりわかりました。デイエゴ・リベラは、農民も原住民も、女性やこどもたちもしっかり描き、それも闘争というより仕事と生活の喜怒哀楽が革命画に出てきて、活き活きしています。対するシケイロスも、農民や女性を描かないわけではありませんが、あくまで闘う男性プロレタリアートが中心で、例のこぶしを突き出したイメージです。要するに教条的で定型的、原住民にも上からアジるだけです。この発見(?)に気をよくして、早速ペジャス・アルデス宮殿とはアラメダ公園をはさんでちょうど反対側にあるデイエゴ・リベラ壁画館に直行、晩年の傑作中の傑作、有名な「アラメダ公園の日曜の午後の夢」を再見し、少なくともデイエゴ・リベラについては間違っていないことを確認、シケイロスについても翌日「ポリフォノス・シケイロス」を再び見て、やっぱりと納得。これって、ひょっとして「反共主義」でしょうか? ともかくメヒコなら街頭の壁画、日本の絵巻物みたいにチマチマ秘蔵品なんかにせずに(失礼!)、太陽の光を受けて、誰でもゆったり見れるのがいいです。岡本太郎「明日の神話」も、本当はこっちで見るべきだったのかもしれません。

 こんなデイエゴ・リベラvsシケイロスの構図を考えついたのは、別にシケイロスのトロツキー暗殺への関与の問題だけではありません。スターリンとコミンテルンに忠実なシケイロスと、トロツキーとも超現実主義者アンドレ・ブルトンともつきあった、ひねくれ共産主義者にしてフリーダ・カーロの同伴者、デイエゴ・リベラの絵の魅力の秘密を知りたかったからです。復活祭休みに、中央高原北西部のグアナファトを訪れました。そこは、美しい中世コロニアル都市であると共に、デイエゴ・リベラの生家のあるところです。今はデイエゴ・リベラ博物館になっているリベラの生家は、1732年創設のグアナファト大学のすぐそばで、小高い丘の中腹、その大学の壮麗な美しさは、神秘的ともいえるほどで、日本の大学と学問がいかに脱亜入欧のにわかづくりであったかを、思い知らされます。そしてそこが、1810年、メキシコ独立の指導者ミゲール・イダルゴが「イダルゴの叫び」を発した地域です。その街の中心「イダルゴ市場」には、この地の先住民達の作った織物・陶器・銀細工からサボテン料理、とうもろこし料理がずらり、20歳でパリ留学前の絵を愛する少年リベラが、マヤ遺跡や石壁芸術・先住民文化から、後のメキシコ壁画運動のアイディアを汲み取ったことが、よくわかります。そして街中のいくつもの広場に必ずある教会、それはイエズス会の移植文化であり宗教強制ですが、そこに救いを求めて集うメスティーソ(スペイン系と先住民の混血、メキシコ人口の6割以上を占める)やインディオ(先住民、25%)たちを丘の上から見ながら、リベラは、西欧芸術の形式を学びつつ、メキシコ独自の内容を盛り込んでいったのでしょう。ちょうど、あのメキシコ・シティ北部グアダルーベ寺院で、たくさんの人々がひざまずく聖母「褐色のマリア」のように。そして、メキシコ湾の港町ベラクレスで体感した、あの明るく開放的な庶民的ソカロ(中央広場)の夜。それは、粛清期のソ連から国外追放になり、ヨーロッパでもアメリカでも日本官憲から監視・妨害されながら、後の「メキシコ演劇の父」佐野碩が1939年に辿り着き、亡命に入った地ですが、肌の色が違っても、言葉が通じなくても、異邦人をマリアッチで暖かく迎えてくれる雰囲気を、彷佛させるものでした。アメリカ人のリゾート地になりきったカンクーンやアカプルコとは違って、今でもメキシコ庶民が主人公で、日本の鍋に似たシーフード・スープが最高でした。ヴィバ、メヒコ!です。

 前回「その3」に、アメリカはなぜ日本の「失われた十年」から学ぼうとし、同じ時期のメキシコにおける「ワシントン・コンセンサスの失敗」を正面からとりあげないのだろうか、と書きました。前回は問題を外資導入と金融危機、その後の経済再建策の面から問題にしましたが、実はメキシコの1990年代危機には、アメリカにとっては振り返りたくない、もう一つの側面がありました。この国の南端、グアテマラと接するチャパス州の密林から発し、世界に「反ワシントン・コンセンサス」「反グローバリズム」を広めたサパティスタ解放軍(EZLN)が、1994年危機の中で誕生したことです。1994年1月1日、ちょうどワシントン・コンセンサスの産物であるNAFTA(北米自由貿易協定)出発の日に、チャパスの先住民共同体の権利と自治を求めて、サパティスタ解放軍(EZLN)は武装蜂起しました。日本語版Wikipediaでも、けっこう詳しく書かれています。

 1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に、サパティスタ民族解放軍は、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」として、メキシコ南部のチアパス州ラカンドンにおいて武装蜂起した。NAFTAによって貿易関税が消失し、アメリカ合衆国産の競争力の強いトウモロコシが流れ込むと、メキシコの農業が崩壊することや、農民のさらなる窮乏化が予測されたのである。実際にメキシコでは、NAFTA発効後、多くの農民が自由競争に敗れて失業し、メキシコ市のスラムや北部国境のリオ・ブラーボ川を越えてアメリカ合衆国に流入した。ラカンドンでは、木材のグローバル商業化や、石油やウランの発掘がもくろまれており、当地の先住民を一掃する大規模な強制排除計画が進みつつあった。具体的には、白色警備隊と呼ばれるギャング組織が大規模農園主によって雇われ、暗躍し始めていた。身に迫る脅威を前に、インディオたちはついに、500年の抑圧を経て立ち上がったのである。これに対し、メキシコ政府は武力鎮圧で応じ、チアパス州のインディオ居住区を中心に空爆を行なったため、サパティスタ側に150人近い犠牲者が出た。これを受けて、サパティスタ側は対話路線に転換したが、結果的にそれが奏功し、以後、メキシコ国内外から高い評価と支援を受けることになる。サパティスタ民族解放軍は、先住民に対する構造的な差別を糾弾し、農地改革修正など政府の新自由主義政策に反対、農民の生活向上、民主化の推進を要求し、政府との交渉と中断を何度も繰り返しながらも、今日まで確実にその支持者を増やし続けている。…… 
 サパティスタ運動の方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。サパティスタ運動は、最初のポストモダン的革命運動であると言われているが、それはサパティスタ民族解放軍がインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したために、もはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったというまさにIT時代の革命運動だったからである。たとえば、マニュエル・カステルは、サパティスタを「初の国際ゲリラ」と称している[1]。この点において、コロンビア革命軍やIRA、日本の新左翼集団に代表される武力や脅迫に頼り、一般人をも巻き添えにする事も厭わないテロリズムを犯し、最終的には一般社会からの信用を失った前例とは異なった革新的手法と言える。また、サパティスタ運動はメキシコからの独立や、政権の転覆と政権の奪取を目的とする偏狭な反政府運動ではなく、世界的な新自由主義グローバリゼーションがもたらす構造的な搾取と差別に対して闘うことを目的とした運動であるという意味においても従来にない左翼ゲリラであった。

 つまり「ワシントン・コンセンサスの崩壊」事例をメキシコに求めると、先住民・中間層における反米反グローバリズム、中南米における「解放の神学」から左派政権台頭の問題を、アメリカのエコノミストは考慮に入れざるをえません。新自由主義のシナリオに反して、70年の制度的革命党政権下野によりなんとかNAFTAから離脱せずにゆるやかに景気を回復したメキシコよりも、いったん下野した長年の米国の盟友自民党がすぐに政権に戻って「構造改革」の経済金融政策をかじ取りして金融システムを安定させ、経済成長を持続させた日本の「失われた十年」の経験の方が、昨年来の金融・経済危機からの脱出をはかるアメリカにとっては、とっつきやすいということでしょう。ここでは1999年労働者派遣法改悪による非正規労働者の急増、格差社会化、年金福祉のセーフティネットの貧困と言った日本のドメスティックな問題は、考慮に入れる必要がありません。なぜなら日本では、サパティスタ民族解放軍のような目立った抵抗はおきなかったし、かつての最大野党社会党が自衛隊容認に転換して自衛隊海外派遣まで認めるようになったし、何よりも景気回復期の小泉純一郎政権はブッシュのアフガン・イラク戦争の強力な支援者で、日本での反戦運動はヨーロッパやインド、中南米にくらべればネグリジブルなものでしたから。こんなかたちで、本来1929年世界恐慌までさかのぼるべき、少なくとも1980年頃からの新自由主義政策の構造的破綻と見られるべき今日の米国に発するグローバル経済恐慌が、日本の「失われた十年」とそこからの脱出経験と言う金融システム安定化とその国家資金注入の程度という矮小な政策レベルの問題に収斂され教訓化されようとしているのです。新自由主義の枠内でのケインズ主義への部分的回帰で、とうてい現在の世界恐慌からの出口が見えるものではありません。


GRACIAS MEXICO!  VIVA MEXICO!  ADIOS MEXICO! 

厄病神に取り憑かれ、パンデミックの元凶にされるメヒコ!

 一日も早い回復・再生を! ありがとう! 

(2009メキシコ便り・その4、パンデミック政治の中で無時ですが帰国します)

2009.4.30 (メキシコ便り/臨時ニュース6) WHOの「フェーズ5」警告のもとで、突然ですが、日本に帰国することになりました。残念ですが、やむをえません。こちらでお世話になった皆様、日本から御心配・御激励いただいた方々、たった1週間ですが、本サイトの「パンデミックの政治学」を御愛顧いただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。帰国しても、しばらくは検疫・健康管理等で大変でしょうから、本サイトの再開は、しばらく先になることを、御了解願います。わが愛するメキシコの皆様の、一日も早い病魔からの解放・回復と、これまで以上の発展・再生を祈っています。GRACIAS MEXICO!  VIVA MEXICO!  ADIOS MEXICO!



2009.4.29(メキシコ便り/臨時ニュース5) 本日、WHOは新型インフルエンザの「フェーズ5」(複数の国で人から人への感染が進んでいる証拠がある)を宣言しました。昨日からメキシコでは、NAFTA(北米自由貿易協定)の同盟国アメリカ合衆国・カナダの医療チームが感染者の検体検査に加わるなどして、強力に新型インフルエンザのメキシコ国内の伝播を抑え込み、国外への広がりを断ち切る方針を固めたようです。昨日のレストラン営業禁止に続いて、今日から全国の観光施設・遺跡の閉鎖措置をとりました。観光産業にとっては大打撃ですが、人の移動を少しでも抑え込むと言う意味では、遅すぎたかもしれません。「メキシコ情報 海外生活ブログ村」の「旅たびMexico」さんサイトに、「本日からメキシコ全土のINAH(国立歴史考古学院)の管轄する遺跡が一時的に閉鎖になりました。世界遺産のテオティワカン、チチェン・イッツァ等、170以上の遺跡に入場観光が出来なくなっています。INAHでは遺跡に先だって管轄する博物館も閉鎖しております。メキシコ観光業の赤字だけで過去1週間で約2億4千万ドルの損失。10日以内には5億ドル以上の損失が予想されています。旅行業に携わるものとしては9・11の時以上の危機です。また、キューバ政府はメキシコからの航空便を一時的に(48時間)運行停止にする決定を下しています。メキシコからのキューバ旅行に影響が出ています。アルゼンチンもメキシコとのフライト運行を一時的にストップしました」とあります。まさに「9・11以上の危機」です。ゴールデンウィークのメキシコ観光ツアーをいち早く中止した日本の観光業者は、胸をなでおろしているでしょう。

世界的広がりは、アメリカ・テキサス州で2歳の赤ちゃんが亡くなったことで、新展開を見せています。メキシコ人のこどもとはいえ、メキシコ以外の国での初めての犠牲者です。そして昨晩のメキシコ「死者159、感染者2498」のおおまかな内訳が示され、日本大使館HPによれば「WHO見解との数合わせ」がされたようです。つまりメキシコ保健省のいい加減な発表に業を煮やしたアメリカ、カナダの強力な介入で、統計がWHO基準に改定されたうえ、アメリカでの乳児死亡、海兵隊員や児童生徒を含むアメリカ91人、カナダ19人の認定感染とあわせて、世界的な「フェーズ5」への急展開の中核地にようやく位置づけられたわけです。ちょうど今日、CNN英字ニュースでは、今回メキシコの第一号感染者とされるベラクレス州の5歳の少年の家庭のインタビューを、実名・写真入りで報じました。つまり、ようやく世界的対策の出発点にたち戻ったわけです。このインタビューは、米国資本の豚肉会社が経営する大規模な養豚場の近くに住む少年が2月に発症し3月下旬に奇跡的に回復した話から始まり、村びと1800人が3月に似た症状を訴えたという重要な証言で、メキシコ保健相は発端は「4月13日に死亡した(ベラクルス州の南にある)オアハカ州の女性だ」として少年第一感染者説を否定していますが、少年には4月にアメリカの研究機関により豚インフルの陽性反応が出ています。メキシコ側の説明の背後には、アメリカの資本と市場に頼らざるをえないメキシコ政府の苦渋がにじみ出ています。死者はまた一人増えて160人、夜には176人に達して、5月1ー5日の連邦政府業務の停止が決定されました。これらの犠牲者、それぞれどんな境遇の、どんな生活をしていたメキシコ人だったのでしょうか。男でしょうか、女でしょうか。統計からは、顔がみえてきません。グローバルな「パンデミックの政治」のはじまりです。例えば「フェーズ5」になったのに、なぜ「渡航制限や国境閉鎖は行うべきでない」とあるのかの裏話。すでに「フェーズ4」決定段階から、世界経済への打撃と各国の思惑が錯綜し綱引きしているようです。

 実は今日も、いつものコースで、地下鉄駅付近まで歩いてきました。頑丈マスクばかりでなく、春ものジャンバーに手袋という完全武装で。地下鉄とバスは動いています。バスの乗客はやや少なめか。昨日閉まっていた理容店が、今日は開いています。カフェ、タコス屋の営業は相変わらず。マスクは通行人でも、確かに増えています。レストランは閉まっていますが、普通の文具店や雑貨屋、インターネットカフェは平常通り。銀行ATMで暴落したペソを補充し、食料補充のため近くのスーパーへ。ものはいいが価格は高いという評判の大型チェーン店ですが、ショッピングカートを取ろうとしたら、マスクをした店員が、取っ手のところを消毒液で丁寧にふいてくれました。日本にもないサービスで、なかなかよく訓練されています。日本ではメキシコで食料不足買いだめ中の報道もあるようですが、商品はたっぷり出ています。価格急騰もありません。いつものミネラル、卵や牛乳、野菜にバナナを補給。オアハカチーズにカップラーメンも入れてレジの行列へ。いつもと変わりません。レジの店員は、ちゃんとビニール製手袋です。この国にしてみれば、慣れないこんなことまでしているのに、なぜ国際社会はこんなにもメキシコを虐めるのか、といった感じでしょう。電話での友人の話では、特にキューバとアルゼンチンの航空機ストップが痛いといいます。キューバ観光は、いまや社会主義キューバのドル箱ですが、アメリカが国交を断っている限り、メキシコ経由のアメリカ人キューバ観光客が、実はメキシコにとっても大変な収入源だったのです。昨28日のニューヨークタイムズに、私たち「意見広告7人の会の、北朝鮮拉致問題での全2面意見広告が載りました。アメリカ政府も全面支援を表明しました。御協力いただいた皆様に、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。


2009.4.28(メキシコ便り/臨時ニュース4)ここのところ、連日の臨時ニュース更新です。2001年9月の米国同時多発テロの際に、「IMAGINE! イマジン」を開設した時以来のことです。何しろ自分自身のいのちと生活にかかわることですから、情報収集も本格的にならざるをえません。英文CNNYAHOO NEWSをまずチェックします。ついで日本語のGoogle News、それから在メキシコ日本大使館公式情報や「メキシコ情報 海外生活ブログ村」、それにメールで皆様から寄せられる数々の公式・非公式情報。あっという間に半日が過ぎます。日本が深夜になるこちらの午後の段階で、公式情報では、疑わしい死者は152人に増えても、その増加率は減ってきており、入院患者も減少傾向にあるといいます。感染者1995人という数字も、昨日より減っています。夜に死者159、感染者2498だが安定化という数字が入りました。ヤマはすぎたのでしょうか。ただし、感染の疑いのある者のいる国は23か国に増え、そのすべてがメキシコ渡航者です。WHOは「フェーズ5」の検討もありうるとのこと。日本大使館はマスク未入手者へのマスク配付を始めました。しかも、メキシコ側統計の信ぴょう性が、気になります。まだ感染源も感染経路も特定されていません。感染検査がこれまで1日15件だったとか、遺族が何のインタビューも検査も受けていないとかで、豚インフルエンザと特定された死亡者の男女別人数さえ発表されていません。英語情報には、犠牲者はもっと多いはずだという病院現場の医師の証言、病院に行ったが無保険で断られた事例も出ています。米国オバマ大統領が16日にメキシコを訪問したさい、この国の誇る国立民族博物館を案内した館長が23日に急死した件で、はじめて実個人名がニュースになりました。ただし館長の急死は豚インフルとは無関係で、オバマ大統領が感染した疑いはないという噂を否定する文脈で。やはり、「ああ、哀れなるメヒコ、かくも神より遠く、かくもアメリカに近く!」なのでしょうか。

 今日も少しだけ、外に出て見ました。人通りは閑散で、心持ちマスク着用が増えてます。それも私と同じ、白くてすきのない防毒マスク風が。ようやく徹底してきたのでしょうか。昨日青空市がたっていた公園のベンチには、まばらな人影、若い男女の抱擁はしょうがありません。子供達も休校に飽きたのか、サッカーコートは2面ともゲーム、マスクをつけたままは二人しかいません。当地のブログのyoutube画像とあまり変わりありません。その近くに、DIEGOという有名な日本食レストランがあり、情報収集を兼ねてランチをとろうとしたのですが、休業中。日本の新聞にメキシコ市のレストラン内食事禁止令とあり合点。でもカフェやタコス屋は開いてましたが。昨晩のWHOフェーズ4」を受けた外務省勧告が効いて、日本企業社員の家族や子供達は、どうやら本格的に帰国を始めた様です。その第一便乗客の言葉「現地ではそれほどの混乱はなく、日本の方が大変なことになっていて今逆にびっくりしている」が、在留邦人の共通の実感でしょう。


 2009.4.27(メキシコ便り/臨時ニュース3) 大統領令から4日目、メキシコでの死者はまた増えて、午後5時現在149人、感染者2000人以上という報道です。世界的広がりも進んで、ついにスペインイギリスと感染はヨーロッパに上陸、WHO(世界保健機構)は、パンデミック前段階の「フェーズ4」と警戒度を高めました。英文タイムのこの記事が、総合的で冷静に問題を解説しています。韓国でもひとり見つかって、「感染力はとてつもないスピードだ」とする専門家の話も。当地夜10時、このWHOフェーズ4」を受けて、日本政府は「新型インフル」宣言、外務省は、28日付「メキシコに対する渡航情報(感染症危険情報)」を出し、日本からの「不要不急の渡航は延期してください」、私達在留邦人には「不要不急の外出は控え、十分な食料・飲料水の備蓄とともに、安全な場所にとどまり、感染防止対策を徹底してください。」「今後、出国制限が行われる可能性又は現地で十分な医療が受けられなくなる可能性がありますので、メキシコからの退避が可能な方は、早めの退避を検討してください」と勧告しています。詳しくは、在メキシコ日本大使館の「インフルエンザの流行について」11(4月27日22:00)。

当地では、学校・大学も役所も休み、この休みは5月5日まで、全国に拡大されました。29日に予定されていた私のメキシコ外務省訪問も、中止になりました。ただ、住民の様子はどうかと、長そでシャツにフィルター付きマスク、ポケットには手袋まで忍ばせて、宿舎の周りに出てみると、確かにいつもの月曜日ほどではありませんが、思ったより人出は多く、商店はほとんど開いていて、地下鉄駅前の露店街も平常通りでした。ただしこの辺は、ダウンタウン・ソカロ(中央広場)と高級住宅街コヨアカンの中間の中高級住宅街、その範囲内での見聞です。月曜は、近所の公園に青空市(ティアンギス)が立つはずなので、籠城生活で自炊となれば新鮮な野菜がほしくなり、ひょっとしたらと出かけました。ちゃんと開いてます。ただ、お客はふだんの半分か、店の人の多くは青い簡易マスク、客の方は、私みたいな完全武装はほとんどなく、ある新聞に書いていた5人にひとりより少ない感じ。マスクをつけていても、この暑さですから、首にかけるだけの人も見られます。ただし、公園のサッカーコートにいつも見られる子供達の姿はなく、タコス屋さんも手持ち無沙汰そうです。新鮮なアスパラガスを買って、もう少し路上観察。接客業のお店の人は、大抵マスクをしています。ただし通行人や交通整理の警察官、ガードマンはあまりつけておらず、緊張感はありません。

 ついでに、地下鉄駅の先まで足を伸ばし、先日騒ぎの前に勤務先の同僚アマウリ教授とロシア料理を食べにいったら閉まっていて、向かいのアラブ・タコス屋に変更した、メキシコでは珍しいロシア料理屋へ。レストランにも休業要請が出されていますが、ランチタイムで、開いていました。客は少ないですが、店員はマスク。数年ぶりの本物ボルシチとビーフ・ストロガノフに挑戦、ボルシチは本場級で最高でしたが、ストロガノフは、メキシコ製ビーフが固くていまひとつでした。ロシア紅茶で仕上げて、まあまあ堪能、日本レストランの半額で、十分ロシアの雰囲気を味わいました。ソリヤンカとピロシキは、キューバ生まれのアマウリ教授と再訪の時のため、メニューのみ確かめて次回に。昼休みのテレビは、いつものバライアテイ番組で、臨時ニュースはありませんでした。昼にはアカプルコ沖で地震もあったはずなのに。外に出た目的の一つは、昨夕戻って2軒のスーパーで売り切れだった、体温計の入手。ロシア料理屋近くのドラッグストアで、ついに見つけました。値段も20ペソ=140円。いや昨日来、インフルエンザでメキシコ・ペソの対ドルレートも株価も5%近く下げているので、もっと安いことになります。つい先日まで、日本にくらべれば世界恐慌の影響がゆるやかに感じられたのですが、豚インフルエンザで、一気に景気後退です。ゆっくりと、割と自動車の少ない大通りを歩いて帰宅、同宿のスペイン人民俗学者サム君と情報交換、つい先日メキシコから帰国したスペイン人学者が本国で感染者と認定されたという私の話に、感染者と似た立場にあるサム君の方がびっくり。

当地には日本人6千人のほかに、多くの中国・韓国・フィリピン系の人々もいます。どうも情報集めに苛立っているのは、ジャパニーズ・ビジネスマンや、英米系のようです。けっきょく昼2時間の観察結果では、マスク着用は10人にひとり程度でしょうか。20ペソの体温計で平温を確認、ただしこれ、日本では電子体温計に駆逐された水銀柱のそれで、見にくいこと限りなし、電子体温計を1本入れてこなかった罰です。確かに日本の新聞では報じられない、メキシコ政府の怠慢はあります。今日の記者会見で、外国人記者から質問された死亡者・感染者の性別・階層別統計について、保健相は「調査中」としか答えられなかったそうです。情報は、下層に行き渡ってはいません。ただし、こんなメキシコ庶民の日常を見て、メキシコ政府はだらしないとかけしからんというのは、先進国の流儀。インフルエンザの恐さをばくぜんと知っていても、医者にかかれない人びと、商売をやめるわけにはいかない人びと、配られたマスクをおもちゃにする路上生活のこどもたちが、たくさんいるのです。このどさくさに、米国GMは北米47工場の34工場への削減、工場従業員4万人近くを解雇する再建案を発表しました。「北米」がみそです。そこにメキシコの工場・メキシコ人は、入っていないでしょうか。


2009.4.26(メキシコ便り/臨時ニュース2)当地の豚インフルエンザは、Google Newsでもトップで、世界経済恐慌以上のホットニュースのようです。まずは、正確な情報を集めなければなりません。WTO(世界保健機構)の緊急事態宣言等の動きは、インターネット上でも、随時報告されています。在メキシコ日本大使館は、メキシコ政府・保健省と日本外務省・厚生労働省の情報の双方を、逐次速報として流し、在墨邦人119番も24時間体制で動いています。午後の情報では、疑いのある死者は81名、感染者数1324名でした。午後9時に、死者は87人に増えました。さらに10時にAP通信は死者103人、感染1614人と報じ、日本大使館も確認しています。ロイターは、カナダやニュージーランドへの広がりをふまえて「パンデミック(世界的大流行)の懸念高まる」と流しました。感染中心地メキシコシティとメキシコ州では、大統領命令による小中高大学、美術館等公共施設の休校・閉鎖措置が、5月5日まで延長されました。6日からの予定の当地の国際シンポジウムがどうなるか、心配です。

「メキシコ市、メキシコ州、サン・ルイス・ポトシ州」となっていた感染区域がどこまで広がったかは、公式発表ではわかりません。さっきまで私のいたモレーロス州では、「死者2人」という報道もありました。そんな時、日本語では、以前も推賞した「メキシコ情報 海外生活ブログ村」が、役に立ちます。アクセストップの「愛的、日日の記録」さん、6位の「メキシコ原色模様」さんらが、現地生活に即した再新情報を伝えています。そこにもありますが、感染者は「メキシコ、モレーロス、オアハカ、アグアスカリエンテス、バハ・カリフォルニア、サンルイス・ポトシ州など」と広がっっている一方、現地の市民生活は、わりと平穏です。航空機と飛行場での国際水際作戦は徹底している様ですが、庶民の国内移動の圧倒的足である長距離バスはまったく規制されていませんし、自動車移動も規制が難しいですから、おそらく今後の広がりは、ある程度避けられないでしょう。特に私の見るところ、米国国境ぞいのバハ・カリフォルニア州ティファナが焦点。米国向け輸出の低賃金工業地帯で国境の行き来は簡単、ここで感染が広がれば、アメリカが強硬封じ込めに乗り出さざるをえないでしょう。すでに日系企業でも日立は現地日本人社員の帰国まで始めたとのことですが。

 メキシコは、本多勝一流に言えば、「メキシコ合州国」です。大統領権力とは独自に、地方政府の権限も大きく、マスクや人ごみ規制を含め、州政府に委ねられています。現に昨日私が見聞した、南部モレーロス州の片田舎の村祭りは、数千人が夜中までソカロにぎっしり、ダンスや花火に興じていました。挨拶の握手もキスも抱擁もいつも通り、露天の豚肉タコスも大繁盛で(調理した豚肉を食べるのはメキシコ保健省も問題ないとしています)、私のような防毒マスク風白マスクの参加者はほとんどなく、薄っぺらの簡易青マスクもほんのチラホラでした。もちろんテレビや新聞の情報は、口コミも含め流れていますが、もともと日本で言えば明治前の自然村にあたる集落ごとの祭りまで規制する力は、州政府にもないようです。また、村人達も、永年の血縁・地縁・友人(アミーゴ!)関係で築いてきた相互扶助連帯ネットワークがあり、そこでアメリカからの世界経済恐慌の波にも抗し、自分達のいのちとくらしを守っている様です。一説では、今回の大統領命令によるインフルエンザ退治は、アメリカから麻薬密貿易取締強化を要請されている中央政府が、南部のサパティスタ解放軍対策を含む、軍隊をも使った治安強化・危機管理の実験として、規制の可能な限界を試しているという、うがった見方もあります。

さっき夕方、長距離バスでメキシコシティに戻ったら、下車口で青い簡易マスクを無料配布中。地下鉄はやめてタクシーで宿舎に戻ったら、日曜5時なのにまことに閑散とした大通り。皆、静かに大波が通り過ぎるのを、ジッと待っているかの様です。そういえば、ドラッグストアとレンタルDVD屋が大はやりとか。なお、幼児・子供や老人の犠牲者が少なく、免疫の強そうな成人に死亡者が集中している点については、こちらでは昨年こどもと老人にはインフルエンザ・ワクチン投与が行われたが、成人は除外されていたからではないかという見方もあります。ただ病原も感染経路もまだまだ未確定です。日本をはじめ、世界各地のアミーゴの皆さんから、多くの問い合わせ・お見舞いのメールをいただきました。この場を借りて、御心配いただいた皆様に、心からお礼申し上げます。皆様、幸い私は無事で、白マスクも籠城食料も確保しましたから、御心配なく。


2009.4.25(メキシコ便り/臨時ニュース1)昨24日、突然勤務先の大学が休講になりました。27日までとなっていますが、もっとのびるかもしれないとのこと。ニューヨークタイムズに大きく出ていると言う友人のメールで、新種のインフルエンザの疑いと知りました。その時、日本語のニュースはまだ、アメリカのカリフォルニアとテキサスで豚インフルエンザと思われる症状が出て、メキシコでも数例出ているようだと言う報道だったのですが、その後、たちまちメキシコの死者68人、発症者1000人へと増えました。それも、私の住むメキシコシティが中心です。ちょうど週末は、南部モレーロス州の農村を見に行く予定だったので、友人の車でシティを離れる途中、大きなスーパーでマスクを買おうとしましたが、どこも売り切れ、休校になった小中学校のこどもたちも、青いマスクが目立ちます。ようやく病院街の専門店で、白いフィルター付き高級マスクを入手。なんとか都心を離れました。今の所、田舎の小さなホテルで書いている私は大丈夫、でも来週からいくつか小旅行を計画中で、どこまで広がるか心配です。美術館も博物館も劇場も休み、恒例の大学対抗サッカーも中止になったとか。しばらくは人ごみをさけ、マスクで防衛し、ちっ居しなければならなくなりそうです。
Hola, Buenas Tardes!

「ワシントン・コンセンサス」の遺したものは?

(2009メキシコ便り・その3)

2009.4.15(メキシコ便り/その3) Hola, Buenas Tardes!  暑い日が続きます。それでなくとも空気が薄い、標高2200メートルの地。チャプルテペック城の上り坂は、疲れました。ぐったりです。メキシコ・シティの見ものといえば、ソカロの国立宮殿に、テオティワカンの太陽のピラミッド、それにチャプルテペック公園の国立人類学博物館が定番です。人類学博物館は何度か訪ねたので、今回は、同じ公園内の丘の上のお城を目指しました。革命期に倒された独裁者ディアス大統領公邸で、日本で言えば皇居の本丸、現在は国立歴史博物館になっています。そのお城の石垣自体は公園内の平地なのですが、建物が広大で、入り口までの500メートルほどが、結構きつい坂道でした。しかし、ようやくのぼり切ったところからの景観は抜群、人口2000万都市の全容が、ほぼ郊外まで一望できます。教師に連れられた子供達のグループも多く、圧巻のシケイロス描く革命壁画の前で、熱心にメモを取っています。実はこれまでここを訪れなかったのは、シケイロスというとトロツキー暗殺団の画家というイメージがあって、何となく敬遠していたのですが、やはり政治は政治、芸術は芸術で割り切った方がよさそうです。確かにロシア・リアリズム風の迫力があります。あとで中心街ポリフォルムにある公園内の壁画(ポリフォルム・シケイロス)も見ましたが、なるほどデイエゴ・リベラオロスコとは違った味わいがあります。もっとも蜂起した民衆や先住民・農民の一人一人の描き方は、やっぱり国立宮殿のデイエゴ・リベラの壁画の方が、活き活きとしていて個性的です。

こちらにくる前に、わざわざ渋谷駅まででかけて、井の頭線改札口に近いホールに架けられた岡本太郎の「明日の神話」を見てきましたが、日本では「巨大壁画」と称される岡本太郎の傑作も、こちらなら普通の町並みの街路・学校・公園に溶け込んだ、より庶民的な味わいで鑑賞できるんだろうな、などと考えつつ坂を下り、さらに公園内の近代美術館、ルフィーナ・タマヨ博物館まで足をのばしました。美術館内の展示になると、確かにデイエゴ・リベラの妻フリーダ・カーロ、それにタマヨの絵が光ってきます。中に一枚、Luis Nishizawa という日系二世と思われる画家の力強い絵があって、思わず900ペソもする画集を購入、あとで調べると、英語版Wikipediaにも出てくる有名な画家で、メキシコ自治大学(UNAM)でも教えていたようです。演劇の佐野碩といい、この西沢教授といい、バイオリンの黒沼ユリ子さんといい、芸術の世界で活躍する日本人・日系人がいたからこそ、この国の「親日」は長続きしているのでしょう。ちょうどイースター(復活祭)休みに入って、メキシコ湾の港町ベラクレスと中央高原のコロニアル都市グアナファトをまわってきましたが、この話はいずれまた。

 ワシントン・コンセンサスという言葉があります。ワシントンDC所在のシンクタンク国際経済研究所(IIE)の研究員で国際経済学者のジョン・ウィリアムソン(John Williamson)が、ちょうど20年前、1989年に発表した論文の中で定式化した経済用語で、Wikipedia日本語版では、「この用語は元来、80年代を通じて先進諸国の金融機関と国際通貨基金(IMF)、世界銀行を動揺させた途上国累積債務問題との取り組みにおいて、「最大公約数」(ウィリアムソン)と呼べる以下の10項目の政策を抽出し、列記したものであった。(1)財政赤字の是正、(2)補助金カットなど財政支出の変更、(3)税制改革、(4)金利の自由化、(5)競争力ある為替レート、(6)貿易の自由化、(7)直接投資の受け入れ促進、(8)国営企業の民営化、(9)規制緩和、(10)所有権法の確立」とでてきます。ただし英語版では、より詳細に、この言葉がいかに新自由主義グローバリズムの合い言葉になり、IMFや世界銀行、アメリカ財務省によって広められ、ソロスやスティグリッツにより批判され修正されても生き残ってきたかも書かれています。現在進行形の世界恐慌を、こちらで集中的に勉強しようと、日本から金子勝/アンドリュー・デヴィッド『世界金融危機』、本山美彦『金融権力』、水野和夫『金融大崩壊』、浜矩子『グローバル恐慌』をもってきたので、イースター休みにまとめて読みました。いずれもブックレットや新書とはいえ、それぞれに現在の金融経済恐慌に肉迫する力作ですが、ワシントン・コンセンサスは、本山さんの本の冒頭に、今日の金融システム危機を導いた元凶としてでてきます。

少し調べると、そもそもこうしたアイディアの起源が、1980年代のラテン・アメリカ債務危機に対する世界金融資本の立て直し策として生まれ、メキシコは、「ワシントン.コンセンサスの優等生」としてNAFTA(北米自由貿易協定)推進、投資自由化、国有企業民営化の最先端を突っ走り、1994年のペソ切り下げにいたった実験国であったことがわかります。ウェブ上のある論文には、その「ペソ切り下げの帰結とは、1930年代の大恐慌以来、最悪の経済不況である。政府と民間金融部門の失策によって、甚だしいコストがもたらされた。1995年だけで百万人以上が職を失い、多くの銀行が技術的に破産状態に陥り(政府の介入以外に生き延びる道はない)、国内総生産は1年で8%も下落した。影響は中南米やアジアにも及び、何十億ドルもの資金がこれらの新興市場から引き上げられた。この結果、1995年2月、米国財務省が異例の緊急融資パッケージを発表する。当初発表された金額は400億ドルで、これは一国に供与された額としては前例のないものである。1996年を通じて実際に供給されたのは、米国財務省の125億ドル、IMFの170億ドル、世銀とIDBの40億ドル、商業銀行の10億ドル弱である。国内外を問わず、テソボンドの購入者の大半は損をしなかった。資金をドルで取り戻せたからである。実際、メキシコの金持ち投資家たちは、切り下げ直前の数週間の間にペソを使ってテソボンドを買いまくり、巨額の儲けを手にした。テソボンドのペソ建ての価値は、切り下げ後に倍増している。つまり、米国財務省とIMFによる救済パッケージは、テソボンドの買い戻し資金として使われ、メキシコ人富裕層へのさらなる富の移転に利用されたわけだ。メキシコ企業の株式に投資した外国人投資家は、株価の下落によって巨額の損失を被った。ニューヨークの機関投資家たちは、通貨切り下げを無責任な政策として非難する。だが、彼らも1990年から93年にかけてペソがドルに固定されていたおかげで、証券市場で巨額の富を手にしていたのだった。3月のコロシオ暗殺で切り下げの可能性が高まると、機関投資家たちは金融政策の継続を主張し、結果として切り下げリスクとそのインパクトをさらに強めたのである。これまでのところ、金融破綻の最大の敗者は国内の納税者である。米国・IMFの220億ドルの融資に加えて、従来の債務1000億ドルの返済、さらにメキシコ商業銀行への政府の債務400億ドルの返済義務を背負わされている」とあります。つまり97年アジア金融危機以前に、スティグリッツのいう「ポスト・ワシントン・コンセンサス」への軌道修正を余儀無くされる実験が、この国では、国民生活を犠牲にして行なわれてきました。そして、「米経済誌『フォーブス』の富裕者リストに掲載されたメキシコ人12人の資産は同国のGNPの4.9%に相当する」「公式統計によると、メキシコの貧困の75%は地方で発生したものであり、居住者1億人の半数は貧困の状況にひんしている。世銀報告によると、メキシコ人口の最貧20%の所得は全体の3.8%、最富20%の所得は全体の20%を占める」という社会を作ってしまったのです。毎年1月の世界社会フォーラム(WSF)で、ブラジルやラテン・アメリカの人々が執拗にワシントン・コンセンサスを問題にしてきたのは、このことだったのです。

 そのワシントン・コンセンサスは、今日の世界恐慌のもとで、批判のまとになっています。1月の世界の政財官指導者が一同に会したダボス会議、世界経済フォーラム(WEF)においてさえ、「崩れる米国主導の自由化至上主義、多難な1年が世界を宗旨変えさせた?」と、「規制は少なく、国境をまたがるモノとカネの流れは自由であればあるほど良いとする考え方」は崩壊し、「冷戦後世界を率いる米国の主導理念だったこの合意が、いまや疑いの対象となった。ワシントン・コンセンサスの優等生だったメキシコの前大統領が、自らの事跡を全否定する勢いの論文を米誌に投稿した。「それが『コンセンサス』崩壊の象徴である」と、メキシコからの参加者がさかんに注意を喚起した」とのことです。まさに世界は「星雲状態」に入っているのです。ところが4月1日のロンドン金融サミット、G8からG20に拡大された世界の指導者の対応は、特にドル基軸を守りたい米英、ユーロの制度化をはかりたい独仏、独自の主導権を狙う中露などの思惑が交錯し、表面上での国際協力はつくろえたものの、会議は踊っているようです。4月1日のエープリル・フールに開かれたものですから、わが日本のお固い日経ビジネスでさえ、過剰警備で罪のない市民一人の命が奪われた「対話なき『金融バカの日(Financial Fools' Day)』の悲劇」「協調『演出』の裏側:台頭する保護主義・反資本主義」と報じられています。タイでのASEAN首脳会議流会も、国内対立と結びついたこの「星雲状態」の流れで理解できます。

ところが英語版News on Japanを見ると、どうやらアメリカの眼は、メキシコの経験を深刻に反省し、ワシントン・コンセンサスそのものを見直すことよりも、メキシコと同じ90年代に「失われた十年」を経験し、なんとか回復軌道に乗せたことになっている、日本の経験に向けられている様です。Foreign Policy 4月4日配信のThink Again: Japan's Lost DecadeHerald Tribune 4月7日のJapan's 'lost decade' can serve as example, with some caveatsNews Week4月9日の Is The U.S. Turning Japanese?、とたて続けに重要記事が出ています。無論、米国オバマ大統領の就任初会見でのコメント「日本が一九九〇年代の景気後退期に迅速に行動せず「失われた十年」と呼ばれる長期不況に陥った」に対応するものですが、それがどの程度に妥当するかを巡って、新自由主義堅持派と、ノーベル経済学賞受賞者クルッグマン教授らの論争になってます。特に国家の危機管理と政治のリーダシップを巡っては、小泉純一郎内閣の経済政策評価が、国際的論争の焦点です。もっともエイプリル・フール風のノスタルジックな皮肉は、日本の政治にも向けられています。News Week 4月13日発信は、「日本の失われた指導者Japan's Lost Leaders」。この重要な危機の中で、支持率低迷の麻生自公内閣と金銭スキャンダル渦中の小沢民主党が、戦略なき景気対策を競いあっている政局を皮肉っています。笑い事ではありません。今こそ、日本の「失われた十年」の実相を、世界に知らせなければ。


 Hola, Buenas Tardes!

文明は文化を平準化し、文化はマイノリティを駆逐する?

(2009メキシコ便り・その2)

2009.4.1(メキシコ便り/その2) Hola, Buenas Tardes! こんにちわ、メキシコから第2信です。前回お伝えした今が満開の紫の花は、「ジャカランダ(ハカランダ)」というのだそうです。トロツキーの終の棲家の近くにも、いっぱい咲いていました。日本でいえば、春を告げるサクラです。ようやく、メキシコ(メヒコ)風生活に慣れてきました。10年前の滞在記「メキシコ便り」には書いていませんから、その時の入国はスムーズだったようですが、今回は日本大使館、領事館、メキシコ外務省、移民局、銀行口座開設等々の窓口での手続きがやたら多く、サインが一つ足りないとか、写真は眼鏡なしでなければいけないとか、ささいな無駄足もあって、そのたびに相手ののスペイン語に対して英語での交渉。やっと入り口関係はなんとか完了しましたが、出口の帰国日程・航空券の問題は残されており、プチ官僚主義との憂鬱な闘争は続きます。もっとも赴任先のメキシコ大学院大学(El Colegio de Mexico, エル・コレヒオ・デ・メヒコ)の方はスムーズで、講義は無線ランにデル・パソコンをつないで、大型スクリーンにプロジェクターなしで、日本語サイト・サーフィンもパワーポイント授業もでき、受講生への参考文献指示も、メーリングリストにURLを書いて一発、10年前にパスポート写真持参で3日間かかった身分証明書(ID)作りも、デジタルカメラの前にすわってパチリ、3分で出来上がりました。

 IT環境は、飛躍的に良くなっています。といっても、ネットカフェは多いのですが、一般家庭へのパソコン普及率は、世界平均に近い10%以下らしく、携帯電話(セルフォン)普及も、6割程度のようです。先日地下鉄に乗っていて、日本ではおなじみの携帯チャカチャカが、この国ではほとんど見られないのに気付きました。わずかに一度、隣に座った白人中年女性が、こっそりハンドバッグから取り出して画面を確認しすぐしまってましたから、まだまだ子供に持たせるという世界には遠いようです。ウェブ上のあるレポートでは、「メキシコ政府は、"携帯電話ユーザーの全国規模での登録に着手し、利用者すべての指紋を採取する方針"です。"携帯電話を使ってゆすり行為や誘拐の身代金の交渉を行う犯罪"があまりにも多く、"通話やメッセージを携帯電話の所有者と適合させる"必要に迫られているからです。同国では、"現在8000万台の携帯電話が使われているが、その大半はプリペイド方式"であり、"身分証明なしで店舗で購入"できてしまうので、誘拐や麻薬売買の連絡などに使われやすいからということです。これに伴い、利用者は、もし携帯電話をなくしたり盗まれた場合には、すぐに報告しなければいけません。きちんと報告をしないと、盗まれた携帯が犯罪に使われた場合には、その責任を問われることになるからです。また、誰かに貸与する場合も同様に報告が必要です」とあり、流しタクシーや麻薬取り締まり同様、治安維持との関係のようです。こんな問題を、メキシコの学生や友人たちと議論するさい、日本語ウェブの「社会実情データ図録」が、大変役に立っています。先週の講義では、日本女性の就労構造、M字型カーブで盛り上がりました。

 10年前の地下鉄車内では、ギター片手の生演奏やマリアッチ・ライブを、まだみかけました。それがいまや、CDプレイヤーをナップサックに入れてボリュームをあげるだけの物乞いビジネスに変わっていて、興醒めです。ソカロ周辺に行けば、まだマヤ・アステカ文明の名残りを彷佛とさせる、原住民の音楽や踊りの大道芸に出会えますが。世界中どこでもそうですが、周辺=原住民やマイノリティの権利が認められる一方、それが市場に組み込まれ、サービス産業末端で「伝統」を売るショービジネスとしてしか生き残れなくなってきているのが、気になります。ちょうど、20世紀後半に先進国で広がったエコロジー思想が、グローバルには「エコ・ビジネス」「エコ・ツアー」に変身し、定着したように。10年前も紹介したこの国の存在と有り様を解く名言、「ああ、哀れなるメヒコ、かくも神より遠く、かくもアメリカに近く!」が、今回もしみじみと感じられます。

 久しぶりで公用のない土曜日、サン・アンヘルの土曜美術市に行ってきました。無名の画家たちが、自分の作品を路上に展示し、即売しています。中には画家がバイオリンをひいて、絵と音楽をコラボするコーナーもあります。公園の中央の舞台では、野外音楽会も開かれます。野外音楽堂舞台の石造りの背面に、大きな白い布が垂らされました。その布の前には、大きなペンキの缶が五つほど。脇にヤマハのドラムセットもありますが、まだ演奏は始まっていません。すると、一人の若者が、大きな刷毛を持って舞台に上がり、いきなりペンキで絵を描きはじめました。器用です。たちまち音楽堂の舞台全体がキャンバスに変身して、大きな老人の姿が、原色で鮮やかに描かれていきます。その時間約20分、たちまち今日のレゲエ・コンサートのバックが、手作りで完成しました。まさに、ライブのペインティングです。伝統の壁画芸術とエスニック音楽は、一つになっています。周りの小道のにわか画廊に、所狭しとかかげられた絵の中には、フリーダ・カーロ風幻想画もあれば、ピカソ風アブストラクトも、ベラスコ風の風景画も、アステカ風刺繍画もあります。すごいと思う額入りの大きな絵は、さすがに高くて数千ペソ、今回は見合わせです。額なしのペイントやスケッチのいいものを見つけ、その場で交渉です。はじめの1枚は気に入って、言い値で500ペソ=3500円払ってしまいましたが、ポケットにカシオ計算機を入れてきたのを思い出し、2枚目からは、万国共通の、言い値の半額からの価格駆け引き。帰国時の荷造りも考えて、小品数枚をゲットしました。隣で売ってる民芸品や彫刻は、今回はパス。まだ2か月はあります。10年前はメキシコ国内旅行にせっせと出かけましたが、今回はしばらくシティーにおちついて、この週末の愉しみを、じっくり味わうことにします。

 数日前、ウェブからの講義用教材作りに熱中していて、持参したキャノン・ピクサス・ポータブルプリンターのインクが、切れてしまいました。予備も持ってきたのですが、それもおしまいです。久しくレーザープリンターばかり使ってきたので、インクジェットの部品の不便さに、思いいたりませんでした。途方にくれて、キャノンの現地法人電話番号まで調べたのですが、ふと記憶が蘇って、確かソカロの革命広場の近くに「メキシコの秋葉原」があったはずだと、気がつきました。幸い講義は午後からなので、思い立ったらいざで、地下鉄を使いメルカード(市場)探し。インクの空き箱を持って、中華街近くを聞き歩き、ついにみつけました。なつかしい「メキシコ秋葉原」、といっても、現在のオタク、コスプレの麻生首相御用達「アキバ」ではなく、大きなビルに小さな電気機器店がぎっしり入った、「昔ながらの秋葉原」風パソコン通りです。でも、こちらのプリンターは、HPとエプソンが圧倒的に強いらしく、肝心のキャノンの15番は、店頭に見当たりません。ようやくある店で見かけたらカラー用のみで、切れたブラックがありません。すると、近くにいたあんちゃん風若者が、大丈夫おれがみつけてやるといって、手許に商品もないのに、いきなりスペイン語で価格交渉です。メモ用紙に500ペソ=3500円ときたので、さすがに高すぎると値切り、370ペソ=2500円まで落としてシー=イエスの合意。5分待ってろと消えた若者は、どこかの店でみつけたらしく、しっかりキャノンの15番ブラックの箱をみつけて、持ってきました。本当は2箱ほしかったのですが、ともかく中身が気になるので購入、早速宿舎に戻って付け替えると、ばっちり動きます。値段も日本のウェブ上で1500円とありますから、輸入品価格としてはまあまあかと納得。総じてパソコン関係は、国際価格が平準化されていて、安くはなりません。日本製品は特に、米国・韓国・中国製とくらべて、割高な感じです。でも、後顧の憂いなくプリントできそうで満足。ついでに、マックの専門店も一つみつけました。これで、IT関係は一安心です。今週も2度ほどあった短時間の停電と、ブロードバンドとはいえyou tubeまで見るには遅すぎる無線LANを除けば。

 ここまで書いた価格は、すべて1ペソ=7円換算、実はこれが、メキシコ経済の苦境を物語っています。10年前のメキシコ便り」を読むと、1ペソ=15円換算だったようです。円とメキシコ・ペソの直接兌換はほとんどありませんから、間に、米ドルが入ります。円がドルに対して強くなり、ペソがドルに対して恒常的に弱いために、日本人には割安に感じられるのです。実際この国はインフレ気味で、昨年リーマン・ショック以前から、物価は上がり気味でした。地下鉄の1回初乗り全区間2ペソ据え置きは、庶民向け公共料金のためで、例えば前回10ペソのトロツキー博物館入場料は、今回35ペソと3.5倍です。大型スーパーの肉や生鮮食料品、特に医療費や観光客向け商品は、相当高くなっているそうです。そこに、隣国アメリカの金融経済恐慌。NAFTA(北米自由貿易協定)による対米依存度が高いだけ、メキシコ経済を直撃します。まだ外国企業の撤退や首きり・失業の問題は調べていませんが、いずれボディブローが効いてくるでしょう。

 英文News on Japanを見ると、日本政治の混迷もさることながら、英語世界の眼は、日本経済の退潮・沈没を、かたずをのんで見守っているようです。千葉県知事選挙での民主党敗退はとりあげられず、北朝鮮ミサイルへの迎撃はImpossible Missionだとする記事は、あまり大きくありません。「日本の若者の80%以上が自国の歴史と文化に誇りを持っている」というサーベイ報道も、「経済混迷による内向き志向」のナショナリズムと解釈されています。日墨交流400周年の年に、私のまわりの「知日派」メキシコ人たちが憂慮しているのも、それです。トヨタやソニーについての個別情報を、よく聞かれます。世界が協力して地球恐慌に対処しなければならない時に、震源地アメリカに次ぐ経済力を持ちながら、世界への声は聞こえず、ひたすら内向するように見える日本。サン・アンヘルやネット・サーフィンで息抜きしながらも、憂鬱な日々が続きそうです。


Hola, Buenos Dias!

メキシコから見える日本は、地球恐慌最前線!

(2009メキシコ便り・その1)

2009.3.23(メキシコ便り/その1) 暑い日ざしのもと、コヨアカンを散策してきました。地下鉄の駅には狼のマーク、そう、かつてはコヨーテの出る村だったのです。それが今では、人口2000万の世界最大都市の中心に近い高級住宅街、この国の近代化・都市化は、もはや発展途上国ではなく中進国、ウォーラーステインの世界システム論でいえば、すでに周辺から脱却し、中心への飛躍をめざす半周辺の有力国家です。2004年にも一度国際会議で来てますから、5年ぶりになるでしょうか。コヨアカン巡りの定番コース、地下鉄駅前のデパートを通り抜けて、大きな植物園の緑を楽しみながら、フリーダ・カーロ美術館とレオン・トロツキー博物館をゆったりとまわりました。デパートには世界最先端のブランドショップが並び、マクドナルドもスターバックスもすっかり定着、紫色の花のなる木は何というのでしょうか、日本なら桜並木にあたる満開ぶりです。

 21世紀に入ってフリーダ・カーロの名声はすっかり定着、美術館にはアメリカ人らしい観光客の列、入場料45ペソはちょっぴり値上げしたようですが、5年前1ペソ=15円換算だったのが対ドルペソ安と円高で1ペソ=7円まで半減してますから、日本円をも持つ身には割安な感じ。あの顔や身体に釘やチェーンを打ち付けたフリーダ・カーロの幻想世界がたっぷり味わえます。寝室にかざられたマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東の写真もそのまま、夫のディエゴ・リベラの壁画の方が芸術的には迫力がありますが、この美術館では脇役です。でも静かな庭のたたずまいもそのままで、あわただしかった日本からの脱出と、時差ぼけのなかでの当地での入国・滞在手続き、赴任先エル・コレヒオ・メヒコ(メキシコ大学院大学)の客員講義もしばし忘れ、「短い20世紀」をぼんやりふりかえる余裕も出てきました。

 そこから5ブロックほど石畳を歩くと、かのレオン・トロツキーが暗殺された砦のような石の館、カーサに着きます。今回が5度目のメキシコで、毎回定点観測してますが、以前より訪問客が増えたようです。教師に引率された小学生のグループにも会いましたから、昨年9月以降の劇的なグローバル世界恐慌突入が、トロツキーの亡霊を蘇らせたのかもしれません。スターリンの刺客の凶器に倒れたトロツキーの墓標のそばに、真っ紅なデイゴの花、すっかり整備されて、おみやげグッズも多彩になっていました。以前は、ここでは受付の老女以外に女性博物館員はみられなかったのですが、今回は、ジーンズ姿の若い女性が庭に水をまいていました。訪問客にも、女性が目立ちます。フリーダ・カーロの人気によって、フリーダとディエゴ・リベラの夫婦仲に水をさした「フリーダの愛人」の役回りが、トロツキー復権に一役買っているのでしょうか。今年1月からの訪問客サイン帳があり、サインしながら覗くと、日本人は私が3人目、アメリカとブラジルなど南米諸国の訪問客が多い様です。かつての「アメリカの裏庭」南米は、今や反米左派政権の林立する合衆国の泣きどころ、NAFTAを通じてアメリカ経済に縛られたメキシコは、南からの左派の波ともつきあわなければなりません。どこかアジアでの中国台頭に悩まされながら、対米運命共同体から逃れられない日本と似てます。残念ながら日本には、亡命者トロツキーを受け入れたような度量の伝統がなく、したがって、世界中から巡礼者をひきつけるような博物館もありません。強いていえば、広島・長崎の原爆慰霊碑と、沖縄の平和の碑でしょうか。

  さらに東に500メートルほど歩くと、なつかしい店がありました。ちょうど10年前に、今回と同じコレヒオの客員講義で滞在し、大学ゲストハウスでの自炊でずいぶんお世話になった、オリエンタル・ショップが健在でした。ここメキシコシティには、日系企業の進出に伴う日本人滞在者が増えて、寿司バーを含む日本食レストランが一説では60軒もあり、日本食専門のスーパーも数軒あるそうですが、このなつかしい店は、中国系・韓国系商品が多く国籍不明、日本系は片隅です。それでもウナギの蒲焼きの冷凍食品や鯖の味噌煮の缶詰め、インスタントラーメン・みそスープにカリフォルニア巻き寿司セットをみつけ早速購入、タコスやトルティージャに飽きても、これでひと安心です。もっとも、寿司やトーフ、醤油や味の素なら、大きな現地スーパーでどこでも売ってます。今回重宝しているのが、日本でもお馴染みの、レンジでチンのごはんパック、近くのスーパーで、簡単に手に入ります。10年前はカリフォルニア米「錦」や「富士」を買ってきて、ゲストハウスの薄鍋で苦労して炊いたのですが、今回は、電気釜も黒焦げのおそれもいりません。ひとり分が3分で、あっという間です。これで19世紀末・20世紀初頭のカリフォルニア日系移民や当地メキシコ榎本移民の苦労が、また忘れられていくだろうなと感じつつ、大使館の滞在心得やガイドブックには絶対乗ってはいけないとある、禁断の流しのタクシー=リブレLibre を調達。メーターを落としてくれないので、いくらかかるかとおそるおそる100ペソ札を出したら、ちゃんと50ペソ=350円のおつりをくれました。もっともメーターなら、たぶん20ペソ=140円くらいでしょうが。

 こんな冒険に役に立っているのが、Google Mapと、現地在住日本人の充実したブログです。「海外ブログ村、メキシコ情報人気ランキング」まであって、数々の生活情報・観光情報が載っています。そこにアドレスがあれば、それをGoogle Mapに打ち込んで、最新の地図が簡単に出てきます。縮尺を工夫して広域・精密の2枚の地図を、ポータブル・プリンターでプリントアウトして持ち歩けば、全くスペイン語の分からない身でも、運転手に見せて、ちゃんと目的地に到達できます。もっとも、料金交渉の技はまだまだですし、流しタクシー=リブレの本当の危険は強盗や殺人ですから、夜の移動には、シティオSitio=ブース待ち無線タクシーが欠かせません。この国の最大の危険は、経済危機と反比例で広がる麻薬売買の巣窟・対米密輸中継地になりつつあること、近く米国クリントン国務長官がやってくるのも、麻薬撲滅の共同行動を強め、国境地帯の治安を維持するためです。日本では芸能界や学生に広まりつつあるドラッグ問題、中南米では、深刻な外交・内政問題です。

 ゲストハウスの自室には、テレビもラジオもありません。2階のロビーにあるテレビもスペイン語のみですから、敢えて見る気にもなりません。世界情報の入手手段はインターネットだけと割り切ると、10年前にはなかった無線LANのありがたみも、ひとしおです。日本のニュースは、日本語のGoogle Newsと 英語のNews on Japanでサーフィンします。日本版Google Newsをこちらから見ると、灰色の民主党小沢代表の続投とか、麻生首相の「株をやると田舎では怪しい」発言とか、藤原紀香の離婚騒動とか、恥ずかしくなるニュースばかりが、大きく報じられています。私が現代日本論を講じるコレヒオの大学院生たちは、ほとんどが日本研究専攻でも、日本語はあまり読めません。ですから講義の配付資料は、News on Japanの英語ニュースから手に入れます。すると、世界から見る日本への関心が、よくわかります。インターネットカフェで寝泊まりする派遣切り失業者企業城下町トヨタ市の様変わり上野公園のホームレスのなかでの古参組と新参者の対立、はてはJapanese Women hunt for Husbands as Refuge from Deepening Slump という、前年比マイナス12.1%の深刻な経済恐慌突入で不安定雇用女性の結婚願望が高まり婚姻率が上がったという少子高齢社会のアイロニーな統計分析とか、深刻な日本社会の現実を鋭く抽出したレポートが満載です。アメリカに発した世界恐慌を、日本の「失われた10年」のグローバル版に見立てて、将来を予測する記事も出てきます。ここメキシコでもアメリカからの打撃は深刻ですが、アメリカとほとんど一体化した日本の政治経済こそ、世界恐慌の行方を占う実験場と見られているようです。

本サイトもこれまで、20世紀を大きく規定した1929年恐慌になぞらえ、今日の危機を「世界恐慌」と呼んできましたが、当地から眺めるグローバルな危機の広がりと、浜矩子さん『グローバル恐慌 金融暴走時代の果てに』(岩波新書)の、タイトルというよりも、卓抜な「円=隠れ基軸通貨」説にならって、これからは「地球恐慌」とよぼうと思います。そこで4月に頼まれた、客員講義とは別の公開講演会の与えられたタイトル「Contemporary Japan in Crisis」に、Global と?マークをつけて、「Contemporary Japan in Global Crisis?」としてみました。つまり、深刻な地球的規模での危機=恐慌下にあり、客観的には沈没・破綻状態にあるのに、なぜか世界に無関心で、政治家も経済界もマスメディアも千年一日の内向き景気対策、表面的には庶民の日常も、かつての「豊かな国」と変わらないように見える日本、それはなぜなのか、という謎解きです。遠くから望遠鏡で見るだけ、日本にいては見えにくい問題が、発見できます。

 実は、日本から持ってきた愛機MAC Powerbook G4 =17 インチの調子が、よくありません。こちらの110ボルトの電圧が不安定で、うまく適応できないようです。なにしろ本サイト「メキシコ便り」にあるように、かつて前身機種G3が壊れた国です。せっかく持ってきたポータブルプリンター、デジタルカメラも、10年前より便利な無線LAN環境も、本機がダメになれば、ただのお荷物です。まだメキシコの秋葉原=パソコン電気メルカドには行ってません。マックを直せる店を、早く見つけておかなければ。これが、今回不定期に2009メキシコ便り第一弾をアップロードした大きな理由です。秋葉原といえば、カタカナのアキハバラにちなんだ当地のコスプレ祭りは今年大盛況で、ANIME EXPO 2009には数千人が集まったとか。いまや、日本の最強の輸出産業で、当地の大学院生たちも、「オタク文化」に強い関心を示しています。麻生内閣誕生も、その後の失言・支持率急落も、このマンガ風文脈で理解されている哀しさ。これをどのように料理すべきか。しばらく悩みが続きそうです。 


2009.3.15   メキシコに着きました。昼は25度、半袖で十分です。標高2200メートルにある人口2000万人の世界都市の空は、10年前、5年前にくらべて、少し青空がのぞくようになっていました。これが経済危機の思わざる所産でなければいいのですが。心配していたIT事情も改善、10年前にNifty のローミングサービスにダイヤルアップ接続していた同じ宿舎ですが、今度はワイアレスLANで一発接続のネットサーフィンができます。日本との時差は15時間遅れ、4月1日まで待たなくても、メキシコ便り2009年版をお送りできそうです。でもまだ街は見てませんし、時差ぼけがひどいので、レポートは後日。日本とアジアの政治は、しばらく望遠鏡でのぞくこととします。

2009.3.12  意見広告7人の会「拉致問題:ニューヨークタイムズに意見広告ふたたび」の運動は、2月25日によびかけを始め、4月下旬の広告掲載をめざしたのですが、3月9日には目標の650万円を突破し、その後も続々と善意の醵金が寄せられています。この恐慌というべき不景気の中で、無為無策のまま泥沼化する政治への批判と、定額給付金の使途の一つと考えていただいた方が、多いようです。ありがたいことです。皆様のご協力に感謝致します。


世界も日本も、すでに恐慌? 政治の役割は、まずは生命を守り、生存を保障すること!

 

2009.3.15   メキシコに着きました。昼は25度、半袖で十分です。標高2200メートルにある人口2000万人の世界都市の空は、10年前、5年前にくらべて、少し青空がのぞくようになっていました。これが経済危機の思わざる所産でなければいいのですが。心配していたIT事情も改善、10年前にNifty のローミングサービスにダイヤルアップ接続していた同じ宿舎ですが、今度はワイアレスLANで一発接続のネットサーフィンができます。日本との時差は15時間遅れ、4月1日まで待たなくても、メキシコ便り2009年版をお送りできそうです。でもまだ街は見てませんし、時差ぼけがひどいので、レポートは後日。日本とアジアの政治は、しばらく望遠鏡でのぞくこととします。

2009.3.12  意見広告7人の会「拉致問題:ニューヨークタイムズに意見広告ふたたび」の運動は、2月25日によびかけを始め、4月下旬の広告掲載をめざしたのですが、3月9日には目標の650万円を突破し、その後も続々と善意の醵金が寄せられています。この恐慌というべき不景気の中で、無為無策のまま泥沼化する政治への批判と、定額給付金の使途の一つと考えていただいた方が、多いようです。ありがたいことです。皆様のご協力に感謝致します。


2009.3.1  低空飛行を続ける無気力内閣のもとで、景気回復はもちろん、危機緩和・失業者救済にもあまり役にたちそうもない、21年度予算案が衆議院を通過し、国民の多くが効果なしと認める、定額給付金ばらまき支給が決まりました。一人1万2000円を何に使うか 、お迷いの方もおられるでしょう。そんな時局に、かつて2002年にニューヨークタイムズ読者向けの客観的な拉致問題の説明と金正日氏あての日本人の要求を掲載する運動をよびかけた7人、有田芳生(ジャーナリスト)、勝谷 誠彦(コラムニスト)、重村 智計(早稲田大学大学院教授)、高世 仁(ジャーナリスト)、日垣 隆(作家・ジャーナリスト) 、湯川れい子(音楽評論家)の各氏に、本ネチズンカレッジ主宰の加藤哲郎も加わり、オバマ大統領の誕生したアメリカ市民に向けて、再びニューヨークタイムズ意見広告掲載の運動を行うことにしました。それぞれの政治信条や立場は異なりますが、拉致問題を現代世界の重要な人権問題ととらえ、ご家族と共にその早期解決を願う一点で共同し、多くのボランティアの専門家・篤志家の方々に支えられながら再結集し、「日本国民の皆様へ」のよびかけを発表しました。7年前の前回は、1か月で1400万円近い募金をいただき、2002年12月23日付ニューヨークタイムズに"THIS IS A FACT" という意見広告を掲載し、横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者の問題を世界に広める上で、貢献することができました。予定を上回る金額で、剰余金を「家族会」に寄せることもできました。今回は、目標約650万円ですが、2月25日の記者会見発表の後3日間で、すでに160万円余の善意が寄せられています。私たちはインターネット上でのみ活動し、ボランティアの税理士浅見哲さんの厳正な管理のもとで、皆さんの拠金を確実に拉致問題解決に役立てます。意見広告7人の会「拉致問題:ニューヨークタイムズに意見広告ふたたび」のよびかけを吟味していただいたうえ、皆様の暖かい支援をお願い申し上げます。本サイトには、拉致被害者救援の青いリボンと共に、護憲反戦平和の白いリボンも掲げられています。いや定額給付金1万2000円は、拉致問題ではなく、憲法擁護に使いたいという向きは、5月3日の憲法記念日に「非武装・不戦の憲法を変えさせない」意見広告を企画している、吉川勇一さんらの市民意見広告運動へどうぞ。

 本来政治と政府が力を尽くすべき、国民の生命と生存を守る仕事が、いま世界中のいたるところで、おろそかにされています。昨年来の地球的規模での金融崩壊・生産収縮のもとで、それまでもアメリカ式グローバリゼーションに翻弄され差別されてきた社会的弱者が、生存そのものの危機にさらされています。1月末に世界の金融家・資本家・政治指導者がスイスのダボスに集い、世界経済フォーラム(WEF)で金融危機への対症療法を議論している時、 ブラジルのアマゾン河口ベレンに集った世界社会フォーラム(WSF)の模様が、日本語でも流れてきました。女性集会の宣言は格調高いもので、2010年はGlobal Week of Actionでダボスに対抗することが決められたようです。登録データによると世界142か国の6000団体13万3000人が参加したといいますから、まだまだがんばっています。今年は新自由主義の破綻のもとで「CAPITALISTに代わるSOCIAL」が強調されたとか。ただし6000団体中4000団体が中南米なそうですから、世界地図では炎の上がり具合が地域別に異なるようです。世界金融危機は、確実に生産縮小・貿易収縮を伴う世界恐慌へと向かっています。これからの10年の地球は、海図なき航海を続けるでしょう。経済が混迷をきわめる今こそ、政治の真価が問われます。経済の保護主義と同様に、政治の内向、ナショナリズムの高まり、排外主義の流れが現れるでしょう。戦争に突破口を求める国も出てくる可能性があります。先が読みにくいからこそ、歴史に深く学ぶ必要があります。さしあたり、1929年世界恐慌や1973年石油危機のあとの日本に何が起こったかを、じっくり考え直すことです。恐慌の時代は、過去のあらゆる思想や幻想がるつぼに投げ込まれ、攪乱される時です。社会科学の出番です。

『エコノミスト』誌 連載書評「歴史書の棚」に、2月10日号の加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)『20世紀の自画像』(ちくま新書)及び草森紳一『不許可写真』(文春新書)を入れました。今回の更新の後、しばらくメキシコに滞在するため、8年間続いた『エコノミスト』誌 連載書評「歴史書の棚」も、筒井清忠さんにバトンタッチします。長い間の読者の皆様のご愛顧、ありがとうございました。本サイトもしばらく更新できず、次回更新予定の4月1日がエープリル・フールになるかどうかは、現地のIT環境次第になります。したがって、前回までの記録も、削除はせずに、本ページに残しておきます。


2009.2.18 トップ見出しだけ変えたまま更新遅れて、リピーターの皆さんには、ご迷惑おかけしました。風邪気味に腰痛、というと、今日ようやく辞表を出した世界の恥さらしの経済大国財務金融大臣と似ていますが、こちらはアルコール入りではありません。すでに内閣支持率も10%を割り、どうにもあきれ果てる酩酊・迷走内閣ですが、これが日本政治の現実です。「経済一流・政治は三流」が、かつては世界政治の中で存在感のない日本を形容するアイロニーだったのですが、経済の方も、トヨタが転け、日本経団連会長も黒い霧の中ですから、世界の新聞・テレビを飾ったG7日本代表の醜態画像は、象徴的で、致命的です。同席していた日本のマスコミは、記者クラブと番記者生活に慣れ、ジャーナリストになる機会を失いました。折からGDPも年率13%近いマイナスへ。世界経済も破局状況ですが、日本はもう恐慌です。

 憂鬱です。というのは、来月からしばらく日本を離れ、メキシコ大学院大学の客員講義です。10年前にも担当し、本サイトで結構アクセスの多い「メキシコ便り」を綴った地ですが、その遠い国で、なお日本に関心を持ってくれている中南米の学生たちに、日本の魅力を、英語で語ってこなければなりません。すでにメキシコの別の大学からも、日本の経済危機についての講演依頼がきています。「ハケンギリ」という日本語を、教えなければなりません。「ゴックン」なんていうのも、質問があるかもしれません。せめて政治と経済の貧困を補おうと、コミックやアニメの「文化」、それに「年越し派遣村」をはじめとした「社会」運動を紹介してこようと思います。かつて鶴見俊輔や大江健三郎など錚々たる人々が勤めた仕事、幸いテキーラは好きではありませんので、6月まで外から、この国をしっかり観察してくるつもりです。

アメリカのオバマ新政権も、ヨーロッパ各国政府も、BRICs新興大国も、深刻な経済危機に直面しています。この危機の深度=震度を、どのような歴史的スパンで測るべきか。9・11以後や冷戦崩壊以降の長さでは、測りかねます。1945年や1929年以来という測り方は、オーソドクスですが、おそらくそれでも足りません。今や流行らない1917年を世界史の転換点に採るくくりも、「恐慌・戦争・革命」の発想の枠内にあります。私がインドやメキシコを愛するのは、そこに住んで居るだけで、もっと長い、文明史的省察の機会を与えてくれるからです。産業革命と市民革命、つまり近代とよばれる時代の意味を、ある種の異化作用により考えさせてくれます。そういえば今年の冬の日本も異常気象です。ロンドンの雪と、日本の夏日と、オーストラリアの大火災と、それぞれ別個に見える現象が、どこかでつながっているはずです。しかもそれは、人類が手を加えた自然の、文明への逆襲ばかりではありません。1月に見た世界の電子ゴミの中国やインドへの集積・集中、つい最近起こった宇宙での人工衛星の衝突まで伴っているのです。

無論、どんなにグローバリゼーションが進んでも、世界には、文明以前の地域と生活が膨大に残っています。いや文明以前の輝く「文化」や「共生」の痕跡も、実際に見られます。そんなレポートを、本サイトを通して日本へ送り続けることができるかどうか、アルコール中毒ならぬインターネット中毒の世界から離脱しての時間も、再体験したいところです。おそらく次回更新以降、本サイトのあり方も変わります。「ネチズンカレッジ」をどうすべきか、現地の環境次第で、無理はしないつもりです。2001年以来9年間続けてきた、『エコノミスト』誌 連載書評「歴史書の棚」も、これを機会に、代わってもらう予定です。あと一年で、勤務先の大学での教育義務からも「解放」されます。残された時間と空間の使い方を考える、いい機会です。現代日本の政治の空白と貧困も、ある種の「浄化」と「クリスタル」の好機かもしれません。ようやく地球は、21世紀らしくなってきました。


2009.2.15 試験採点真っ最中で、体調も思わしくなく、更新を延期します。世界の大きな動きを見るにつけ、現代日本の政治の空白には、あきれ悲しくなります。年金問題の全貌も明らかにならないうちに、一人の貴重な「高貴」高齢者が亡くなりました。「大正生れの歌の作者小林朗さん、心より哀悼の意を表します。医療や介護の現場も待ったなしの状況、一人の若くて優秀な政治学者が、難病との闘いの末に、亡くなりました。スピノザ研究の柴田寿子さん、早すぎる死です。合掌!


2009.2.1  麻生首相が、国会日程の合間をぬって、スイスのダボスに、つまり世界経済フォーラムWEF、ダボス会議)に出席しました。この首相には珍しく、誰の入れ知恵でしょうか、フランスの哲学者アランの言葉を引き、「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と述べました。それならついでに、イタリアの思想家グラムシの好んだロマン・ロランの言葉がほしかったところです。曰く、「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」。いや、日本の知性丸山眞男の引くロベスピエールの方がよかったかもしれません。曰く、「オムレツをつくるには、まず卵を壊さなければならない」ーーこんなことを書くのは、ビル・ゲイツが「創造的資本主義」を唱えた昨年1月のダボス会議とは一変した世界経済フォーラムの雰囲気。朝日新聞1月31日は「ダボスに漂う『悲壮感』」と報じています。アメリカのクリントン元大統領は、自分自身の任期中の所業は棚に上げて、「経済危機の元凶は米国、中国の助け必要」と告白、イスラエルのガザ爆撃問題ではトルコのエルドアン首相がイスラエルのペレス大統領を激しく批判し退場して、世界の支配者間の亀裂も表に出ました。ドイツのメルケル首相が国連に安全保障理事会なみの力を持つ経済理事会を作るよう提言しましたが、これは、日本と同じく、第二次世界大戦枢軸国故に国連安保理常任理事国になれない大国ドイツのしたたかな計算でしょうか。空疎な麻生演説とは違って、こちらはG20諸国からの反響を得たようです。ダボスの大方の雰囲気は、全般的「悲壮感」のなかで、「優秀な経済チームを率いるオバマ大統領」に希望を見出し期待するもののようです。

 他方、うすら寒いダボスに対抗する、真夏の南国ブラジルでの世界社会フォーラムWSF) については、今年は珍しく、「しんぶん赤旗」ばかりでなく、日本経済新聞が報じました。曰く、「南米で「反ダボス会議」 チャベス・ベネズエラ大統領ら気勢」。南米5か国の大統領がいっせいに資本主義を批判する場となり、東京でも連帯して「サヨナラ新自由主義、つくりだそう「もう一つの世界」を」の集会が開かれています(WSF2009 in TOKYO)。おそろしいことに、日本語版グーグルから「世界社会フォーラム」を検索し、日本時間1月31日深夜にトップスリーサイトにアクセスしようとしたところ、「「警告- このウェブサイトにアクセスすると、コンピュータに損害が生じる可能性があります」と出ました。どこからの政治的妨害かと思ったら、グーグル社の人為的ミスだったようです。世界恐慌の足音が近づいてくるなかで、世界的規模での情報戦が始まっています。世界経済フォーラムWEF、ダボス会議)も、世界社会フォーラムWSF)も、2月1日まで開かれています。どんな決議が出るかに注目しましょう。

 二つのフォーラムに先立つ、その年の世界情勢定点観測三大地点のもう一つ、アメリカ・ワシントンでのオバマ大統領就任演説は、日本を含む世界で同時中継され、直ちに各国語に訳され、熱烈歓迎されました。前任者ブッシュ大統領や日本の麻生首相施政方針演説と比べると確かにむべなるかなですが、アメリカと世界の現実を直視すれば、過剰期待といわざるをえません。"Change"も"Yes,We can"もなく、これまでに比べればアメリカ大統領という職責に即した真摯な決意表明でしたが、イラク戦争やイスラエルへの肩入れ自己批判があるわけでもなくグリーン・ニューディール政策の具体像が出されたわけでもなく、むしろこれからの具体的危機脱出策で評価さるべきでしょう。中国でも珍しく同時中継されたそうですが、「先人たちが、ファシズムや共産主義に対し、ミサイルや戦車だけでなく、強固な同盟と揺るぎない信念を持って対峙(たいじ)したことを思いだしてほしい」と述べた途端にプツリと切れたとか。翌日の『人民日報』でも、この部分は検閲されカットされたそうです。そういえば、今年は天安門事件20周年。日本にもオバマ大統領への過剰期待ばかりでなく、クリントンと同様に中国市場拡大に日本企業の危機脱出を夢見る経営者もいるようですが、先月見てきた中国の経済危機・失業増大は深刻。オバマ頼りも中国頼みもせいぜい癒しの夢見で、救世主はいません。今こそ、丸山眞男風に言えば、「復初」の時です。茨木のり子風には「倚りかからず」。日本国憲法には、生存権や労働権、第9条をはじめ、この国が立ち返るべき多くの拠点があります。前回の中国春節(旧正月)見聞記を、下に再録しておきます。ちなみに5重のセキュリティをかけてMacで制作する本ネチズンカレッジのトップページにも、悪質なサイト攻撃があり、一部リンクが書き換えられていました。どこからでしょうか。読者の指摘でペガサスを修正。『エコノミスト』誌 連載書評「歴史書の棚」12月9日号に発表したジョン・K・ガルブレイス『大暴落 1929』(日経BPクラシックス) F・L・アレン『オンリー・イエスタディ 1920年代・アメリカ』(ちくま文庫)に続いて、1月13日号掲載、石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社)とティム・ワイナー『CIA秘録 その誕生から今日まで』上下(文藝春秋)の「アジア分析の方法を持たず、CIAに頼った米国の失敗」をアップ。繁忙の試験期ですので、あとは前回更新をマイナーチェンジ。

今年は新年早々、中国に行ってきました。円高便乗の観光旅行ではありません。勤務先の東アジア環境研究プロジェクトの一員として、広東州汕頭(スワトウ)市の現地調査です。この町全体は、中国政府の認定する「環境モデル都市」になっています。香港や深釧が近く、外資系企業も入ってる「経済特区」の港湾都市ですが、どちらかといえば重化学工業ではなく刺繍工房や玩具作りが中心で、むしろ海産物や繊維製品の物流で人口500万人が生計を立てています。市街地はごくありふれた小都市で、工場の煤煙がないだけ深釧などより環境にやさしいようにも見えます。中でも協力してくれた汕頭大学法学院のある町はずれの汕頭大学キャンパスは、広くて緑に囲まれ、大きな池にダムまである風光明媚なところです。台湾南部と緯度が同じですから気温も20度以上、ネットで見る東京の雪が信じられない暖かさです。中国政府が認定した「環境モデル都市」とは、ここで空気や水の汚染度、ゴミ処理や緑地確保が基準をクリアしているということのようです。ただし中国全土44のモデル都市の中で、スワトウは唯一、いくつかの指標で問題があるとして政府から指定取り消しのおそれのある「イエローカード」が出されています。それもそのはず、スワトウ市には、もう一つの顔があります。市街地から50キロ、クルマで1時間ほど北西にある郊外の貴嶼(グイユGuiyu)村で、中国ばかりでなく世界中からパソコン、携帯電話、電化製品、プラスチックなどが持ち込まれ、「19世紀のテクノロジーで21世紀のごみを処理 」といわれるように、劣悪な環境のもとで解体・リサイクル・廃棄が行われている「パソコンの墓場」「電子ゴミの終着駅」です。

貴嶼(グイユGuiyu)村に近づいたことは、すぐに分かりました。鼻をつく臭いと汚れた空気、昼から立ち上る黒煙です。どうやらプラスチックごみを野焼きしているようです。しかし村の中心の電気街は、どうやらリサイクル電化製品やカバーをはがした銅線の売買が行われているらしく、それなりの活気があります。そのまた中心に、大きな電子製品市場があり、ちょうど秋葉原の駅前のように、大きなビルの各階に一坪ほどの小さな店がぎっしり入り、半導体チップやパソコン部品の中古市場になっています。ただしこちらは、世界経済危機に直撃されて閑散、客足は全くなく、それぞれの店の若い店主が、手持ちぶさたにパソコン・ゲームに熱中しています。そのすぐ裏にまわると、商品になる前の二次解体・三次解体の工場があり、大きな布袋にハードディスク、ビニール線、マウス等々に分類された解体部品が山積みされ、リサイクル可能な部品・重金属が手作業で仕分けされています。路上では、農村からの出稼ぎらしい女性労働者が、1日3元(約46円)の労賃で、原始的な手作り機器でビニール線のビニールを剥がし、内部の銅線だけを器用に巻き取っています。日本でも電話線が盗まれる奇妙な窃盗が横行しましたが、香港経由で、昔から密輸基地として栄えてきたスワトウ周辺の港に持ち込まれたもののようです。しかし一番危険な第一次解体、壊れたパソコンや携帯電話そのものが持ち込まれる村落がみつかりません。通訳を兼ねて案内してくれた汕頭大学法学院の助教授が色々聞いても、誰も知らないといいます。どうやら「労働人口の80%は電子部品ゴミ解体業に従事している」この貴嶼鎮では、2002年にアメリカの環境NGOバーゼル・アクション・ネットワーク(BAN)の報道で世界に悪名を馳せた経験にならって、外部者には非協力、恥部は隠すと申し合わせているようです。それでもようやく聞き出してみつけた第一次解体の集落は、市場から20キロ、クルマで20分余で、聞きしにまさる悲惨な光景でした。狭い道の両側に屋内解体工場が密集し、パソコンの本体から部品、キーボードやマウスが路上にあふれ出ています。中の工場を覗こうとすると戸を閉めますが、暗く狭い土間で、薄いビニール手袋一枚の手作業で解体し部品を取り出しているようです。工場の裏は川で、中心にはどす暗い水面にゴミが散乱する池、危険物質が流入し汚染されているのは明白です。近くで遊ぶ子ども達は裸足。時々現れる立派な3階建ての家は、電子ゴミビジネスで大もうけした親方・手配師の住処のようです。暴漢におそわれた外国のTVチームもあったようですが、こちらは知らずにデジカメを撮り続けました。30分もするとぐったり。すさまじい体験でした。あとでネットで調べると、「処理の過程で放出される化学物質により、廃棄物処理に関わる労働者だけでなく、地域住民の多くに皮膚・神経・呼吸器・消化器系の症状が出ている」「貴嶼鎮の住民は10人の内、9人が皮膚、神経、呼吸および消化系統の病に罹っている」のも、むべなるかなでした。中国「調和社会」の実現は、まだまだ遠い先の話です。

貴嶼(グイユGuiyu)村の電子ゴミは、『危害の輸出:アジアで処分されるハイテクごみ』 というDVDにもなっています。「千葉県市原市の日本人業者は、毎月コンテナ10台分の廃品を中国天津へ輸出していることを明らかにした。多くの中国港は同類の密輸コンテナを受け入れており、1つのコンテナに対して70万円が支払われ、諸費用を控除しても、47万円の純利益が得られるという。急激な経済発展にある中国は現在、大量の鋼、プラスチック、紙およびその他の工業原料を必要としているため、このような中間業者にとって利益率の高いビジネスになっている」現実。 IT革命は、新自由主義グローバリゼーションと並行していました。「中国やインドの貧しい農村や大都市の郊外に、壊れたパソコンなどの電子ゴミがあふれている」というのが、その帰結です。この意味では、日本の私たちも加害者です。経済危機と不況・リストラ・派遣切りの省力化は、地球上のどこかにそのしわ寄せを集中させ、いっそう悲惨な労働環境を作り出すのです。こうした視点を失い、自国の危機からの脱出のみで動くと、しっぺ返しを受けます。1929年恐慌の時代と現代金融・経済危機の違いの一つは、このアメリカから発するグローバルな危機の連鎖が、世界市場に参入した発展途上の国々に集中的に影響し、もともと奴隷工場風の悲惨な労働環境にあった人々からも仕事を奪い、生きる術をも奪いかねないことです。20世紀型ケインズ主義の再現ではなく、21世紀型グローバル・ケインズ主義が必要なゆえんです。実際、旧正月(春節)目前の中国への経済危機の直撃は、深刻な様相を呈してきています。工場の倒産も、失業する農民工(出稼ぎ労働者)の数も、日本より二桁多くなりそうです。ストライキや暴動も、ますます増えるでしょう。昨年3月の旅行で「『社会主義』中国という隣人」に書いた中国資本主義の貧富格差は、ますます大きくなっています。

『社会主義』中国という隣人」に書いた本「ネチズンカレッジ」有田芳生さん「酔醒漫録」世に倦む日日さんのサイトの検閲は、まだ続いていました。外国人用ホテルからばかりでなく、大学内の普通のパソコンからも、つながりませんでした。そればかりか、昨年12月の中国知識人303人民主化声明08憲章」を取り上げた日本語・中国語サイトは、軒並み検閲され閲覧不能になっていました。この12日に「中国国営テレビは洗脳放送だ」とする22人の声明が出され、言論統制はいっそう厳しくなりました。その一方で、昨年見られなかったウィキペディア中国語版は見ることができ、空港の書店には『プレイボーイ』まがいの中国語ヌード雑誌が堂々と売られていました。「低俗情報」の除去という口実で、民主化を求める政治サイトが検閲されているのです。それでもCNNのイスラエルによるガザ爆撃、日本からのニュース、湯浅誠さん宇都宮健児弁護士ら「反貧困ネットワーク」の「年越し派遣村」の献身的活動は、見ることができました。この創意と工夫に満ちた新しい社会運動は、陰鬱な日本の新年の一つの希望です。でも、外国から見る日本の政治は、支持率20%を切った麻生内閣が政権にしがみつき、国民の多くが景気浮揚効果なし=不要と認め反対する低額=定額給付金を国会で強行採決する、寄る辺なき空白状態。日本国憲法第25条の生存権が、今こそ指針になるべきなのに、寒風のもとで寝床さえない失業者を救えない「低福祉・高負担」の棄民国家。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」ーーこの憲法の宣言こそ、新時代の「グリーン・ニューディール 」のような政策的才覚を持たない政府・与党が、まずは立ち返るべき原点です。そのうえで、労働基準法参照され労働者派遣法見直されるべきです。今国会の焦点は、まずは製造業での派遣労働禁止でなければなりません。日本の立憲主義、法治主義、民主主義は、今試されているというべきです。この国を、民主主義の墓場にするわけにはいきません。

 新自由主義グローバリゼーション崩壊後の世界を長期的に見通そうと経済書をひもとくと、スティグリッツクルーグマンも面白いですし、左派ならネグリ=ハートハーヴェイもありますが、結局はマルクスケインズポランニーあたりまで戻らざるをえないんではないでしょうか。というよりも、まだ世界恐慌は始まったばかりで、『エコノミスト』誌12月9日号に発表したジョン・K・ガルブレイス『大暴落 1929』(日経BPクラシックス)F・L・アレン『オンリー・イエスタディ 1920年代・アメリカ』(ちくま文庫) の書評で述べたように、まずは1929年大恐慌の歴史的経緯と原因・結果に学び、20世紀的条件と現代に通じるものとの腑分けが必要なようです。違いの一つが、ソ連型社会主義の崩壊で、図書館所収の「現代資本主義を読み解く――21世紀のためのブックガイド」(1993年版)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(2002年版)で述べたような交通整理を再びしなければなりません。また、日本については労働政策と雇用の問題が切実で、五十嵐仁さん『労働再規制』(ちくま新書)にあるような1995年 日経連新時代の日本的経営」以来の労使関係の変容を再整理し、湯浅誠さん『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)にあるような貧困・格差の実態、反貧困雇用保障を求めてのさまざまな試みを、反貧困ネットワークの「おとなりさん」リンク、「派遣労働ネットワーク」、「助け合いネット」、「日本労働弁護団リンク集」などから徹底的に拾い集める必要があります。この危機は、少なくとも数年は続きます。その徹底した解剖の中から、ケインズシュンペーターポランニーミュルダールハイエク丸山眞男らが20世紀に試みたような、新しい理論が生まれてくるでしょう。本サイトもその方向で、当面持論のエルゴロジーと、かつて佐和隆光さんらが唱えたグローバル・ケインズ主義をベースにしながら、長期の情報戦に突入です。


さし迫る破局へ、羅針盤なき世界、

船長が次々に溺れ、政治空白長き日本!

2009.2.18 トップ見出しだけ変えたまま更新遅れて、リピーターの皆さんには、ご迷惑おかけしました。風邪気味に腰痛、というと、今日ようやく辞表を出した世界の恥さらしの経済大国財務金融大臣と似ていますが、こちらはアルコール入りではありません。すでに内閣支持率も10%を割り、どうにもあきれ果てる酩酊・迷走内閣ですが、これが日本政治の現実です。「経済一流・政治は三流」が、かつては世界政治の中で存在感のない日本を形容するアイロニーだったのですが、経済の方も、トヨタが転け、日本経団連会長も黒い霧の中ですから、世界の新聞・テレビを飾ったG7日本代表の醜態画像は、象徴的で、致命的です。同席していた日本のマスコミは、記者クラブと番記者生活に慣れ、ジャーナリストになる機会を失いました。折からGDPも年率13%近いマイナスへ。世界経済も破局状況ですが、日本はもう恐慌です。

 憂鬱です。というのは、来月からしばらく日本を離れ、メキシコ大学院大学の客員講義です。10年前にも担当し、本サイトで結構アクセスの多い「メキシコ便り」を綴った地ですが、その遠い国で、なお日本に関心を持ってくれている中南米の学生たちに、日本の魅力を、英語で語ってこなければなりません。すでにメキシコの別の大学からも、日本の経済危機についての講演依頼がきています。「ハケンギリ」という日本語を、教えなければなりません。「ゴックン」なんていうのも、質問があるかもしれません。せめて政治と経済の貧困を補おうと、コミックやアニメの「文化」、それに「年越し派遣村」をはじめとした「社会」運動を紹介してこようと思います。かつて鶴見俊輔や大江健三郎など錚々たる人々が勤めた仕事、幸いテキーラは好きではありませんので、6月まで外から、この国をしっかり観察してくるつもりです。

アメリカのオバマ新政権も、ヨーロッパ各国政府も、BRICs新興大国も、深刻な経済危機に直面しています。この危機の深度=震度を、どのような歴史的スパンで測るべきか。9・11以後や冷戦崩壊以降の長さでは、測りかねます。1945年や1929年以来という測り方は、オーソドクスですが、おそらくそれでも足りません。今や流行らない1917年を世界史の転換点に採るくくりも、「恐慌・戦争・革命」の発想の枠内にあります。私がインドやメキシコを愛するのは、そこに住んで居るだけで、もっと長い、文明史的省察の機会を与えてくれるからです。産業革命と市民革命、つまり近代とよばれる時代の意味を、ある種の異化作用により考えさせてくれます。そういえば今年の冬の日本も異常気象です。ロンドンの雪と、日本の夏日と、オーストラリアの大火災と、それぞれ別個に見える現象が、どこかでつながっているはずです。しかもそれは、人類が手を加えた自然の、文明への逆襲ばかりではありません。1月に見た世界の電子ゴミの中国やインドへの集積・集中、つい最近起こった宇宙での人工衛星の衝突まで伴っているのです。

無論、どんなにグローバリゼーションが進んでも、世界には、文明以前の地域と生活が膨大に残っています。いや文明以前の輝く「文化」や「共生」の痕跡も、実際に見られます。そんなレポートを、本サイトを通して日本へ送り続けることができるかどうか、アルコール中毒ならぬインターネット中毒の世界から離脱しての時間も、再体験したいところです。おそらく次回更新以降、本サイトのあり方も変わります。「ネチズンカレッジ」をどうすべきか、現地の環境次第で、無理はしないつもりです。2001年以来9年間続けてきた、『エコノミスト』誌 連載書評「歴史書の棚」も、これを機会に、代わってもらう予定です。あと一年で、勤務先の大学での教育義務からも「解放」されます。残された時間と空間の使い方を考える、いい機会です。現代日本の政治の空白と貧困も、ある種の「浄化」と「クリスタル」の好機かもしれません。ようやく地球は、21世紀らしくなってきました。


オバマ頼りではなく、中国頼みでもなく、

日本国憲法に即した経済と政治の再建を!

2009.2.1  麻生首相が、国会日程の合間をぬって、スイスのダボスに、つまり世界経済フォーラムWEF、ダボス会議)に出席しました。この首相には珍しく、誰の入れ知恵でしょうか、フランスの哲学者アランの言葉を引き、「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と述べました。それならついでに、イタリアの思想家グラムシの好んだロマン・ロランの言葉がほしかったところです。曰く、「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」。いや、日本の知性丸山眞男の引くロベスピエールの方がよかったかもしれません。曰く、「オムレツをつくるには、まず卵を壊さなければならない」ーーこんなことを書くのは、ビル・ゲイツが「創造的資本主義」を唱えた昨年1月のダボス会議とは一変した世界経済フォーラムの雰囲気。朝日新聞1月31日は「ダボスに漂う『悲壮感』」と報じています。アメリカのクリントン元大統領は、自分自身の任期中の所業は棚に上げて、「経済危機の元凶は米国、中国の助け必要」と告白、イスラエルのガザ爆撃問題ではトルコのエルドアン首相がイスラエルのペレス大統領を激しく批判し退場して、世界の支配者間の亀裂も表に出ました。ドイツのメルケル首相が国連に安全保障理事会なみの力を持つ経済理事会を作るよう提言しましたが、これは、日本と同じく、第二次世界大戦枢軸国故に国連安保理常任理事国になれない大国ドイツのしたたかな計算でしょうか。空疎な麻生演説とは違って、こちらはG20諸国からの反響を得たようです。ダボスの大方の雰囲気は、全般的「悲壮感」のなかで、「優秀な経済チームを率いるオバマ大統領」に希望を見出し期待するもののようです。

 他方、うすら寒いダボスに対抗する、真夏の南国ブラジルでの世界社会フォーラムWSF) については、今年は珍しく、「しんぶん赤旗」ばかりでなく、日本経済新聞が報じました。曰く、「南米で「反ダボス会議」 チャベス・ベネズエラ大統領ら気勢」。南米5か国の大統領がいっせいに資本主義を批判する場となり、東京でも連帯して「サヨナラ新自由主義、つくりだそう「もう一つの世界」を」の集会が開かれています(WSF2009 in TOKYO)。おそろしいことに、日本語版グーグルから「世界社会フォーラム」を検索し、日本時間1月31日深夜にトップスリーサイトにアクセスしようとしたところ、「「警告- このウェブサイトにアクセスすると、コンピュータに損害が生じる可能性があります」と出ました。どこからの政治的妨害かと思ったら、グーグル社の人為的ミスだったようです。世界恐慌の足音が近づいてくるなかで、世界的規模での情報戦が始まっています。世界経済フォーラムWEF、ダボス会議)も、世界社会フォーラムWSF)も、2月1日まで開かれています。どんな決議が出るかに注目しましょう。

 二つのフォーラムに先立つ、その年の世界情勢定点観測三大地点のもう一つ、アメリカ・ワシントンでのオバマ大統領就任演説は、日本を含む世界で同時中継され、直ちに各国語に訳され、熱烈歓迎されました。前任者ブッシュ大統領や日本の麻生首相施政方針演説と比べると確かにむべなるかなですが、アメリカと世界の現実を直視すれば、過剰期待といわざるをえません。"Change"も"Yes,We can"もなく、これまでに比べればアメリカ大統領という職責に即した真摯な決意表明でしたが、イラク戦争やイスラエルへの肩入れ自己批判があるわけでもなくグリーン・ニューディール政策の具体像が出されたわけでもなく、むしろこれからの具体的危機脱出策で評価さるべきでしょう。中国でも珍しく同時中継されたそうですが、「先人たちが、ファシズムや共産主義に対し、ミサイルや戦車だけでなく、強固な同盟と揺るぎない信念を持って対峙(たいじ)したことを思いだしてほしい」と述べた途端にプツリと切れたとか。翌日の『人民日報』でも、この部分は検閲されカットされたそうです。そういえば、今年は天安門事件20周年。日本にもオバマ大統領への過剰期待ばかりでなく、クリントンと同様に中国市場拡大に日本企業の危機脱出を夢見る経営者もいるようですが、先月見てきた中国の経済危機・失業増大は深刻。オバマ頼りも中国頼みもせいぜい癒しの夢見で、救世主はいません。今こそ、丸山眞男風に言えば、「復初」の時です。茨木のり子風には「倚りかからず」。日本国憲法には、生存権や労働権、第9条をはじめ、この国が立ち返るべき多くの拠点があります。前回の中国春節(旧正月)見聞記を、下に再録しておきます。ちなみに5重のセキュリティをかけてMacで制作する本ネチズンカレッジのトップページにも、悪質なサイト攻撃があり、一部リンクが書き換えられていました。どこからでしょうか。読者の指摘でペガサスを修正。『エコノミスト』誌 連載書評「歴史書の棚」12月9日号に発表したジョン・K・ガルブレイス『大暴落 1929』(日経BPクラシックス)F・L・アレン『オンリー・イエスタディ 1920年代・アメリカ』(ちくま文庫)に続いて、1月13日号掲載、石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社)とティム・ワイナー『CIA秘録 その誕生から今日まで』上下(文藝春秋)の「アジア分析の方法を持たず、CIAに頼った米国の失敗」をアップ。繁忙の試験期ですので、あとは前回更新をマイナーチェンジ。


中国汕頭市貴嶼村は世界のパソコンの墓場、

憲法の生存権が機能しない日本は民主政治 の墓場?

2009.1.15  今年は新年早々、中国に行ってきました。円高便乗の観光旅行ではありません。勤務先の東アジア環境研究プロジェクトの一員として、広東州汕頭(スワトウ)市の現地調査です。この町全体は、中国政府の認定する「環境モデル都市」になっています。香港や深釧が近く、外資系企業も入ってる「経済特区」の港湾都市ですが、どちらかといえば重化学工業ではなく刺繍工房や玩具作りが中心で、むしろ海産物や繊維製品の物流で人口500万人が生計を立てています。市街地はごくありふれた小都市で、工場の煤煙がないだけ深釧などより環境にやさしいようにも見えます。中でも協力してくれた汕頭大学法学院のある町はずれの汕頭大学キャンパスは、広くて緑に囲まれ、大きな池にダムまである風光明媚なところです。台湾南部と緯度が同じですから気温も20度以上、ネットで見る東京の雪が信じられない暖かさです。中国政府が認定した「環境モデル都市」とは、ここで空気や水の汚染度、ゴミ処理や緑地確保が基準をクリアしているということのようです。ただし中国全土44のモデル都市の中で、スワトウは唯一、いくつかの指標で問題があるとして政府から指定取り消しのおそれのある「イエローカード」が出されています。それもそのはず、スワトウ市には、もう一つの顔があります。市街地から50キロ、クルマで1時間ほど北西にある郊外の貴嶼(グイユGuiyu)村で、中国ばかりでなく世界中からパソコン、携帯電話、電化製品、プラスチックなどが持ち込まれ、「19世紀のテクノロジーで21世紀のごみを処理 」といわれるように、劣悪な環境のもとで解体・リサイクル・廃棄が行われている「パソコンの墓場」「電子ゴミの終着駅」です。

貴嶼(グイユGuiyu)村に近づいたことは、すぐに分かりました。鼻をつく臭いと汚れた空気、昼から立ち上る黒煙です。どうやらプラスチックごみを野焼きしているようです。しかし村の中心の電気街は、どうやらリサイクル電化製品やカバーをはがした銅線の売買が行われているらしく、それなりの活気があります。そのまた中心に、大きな電子製品市場があり、ちょうど秋葉原の駅前のように、大きなビルの各階に一坪ほどの小さな店がぎっしり入り、半導体チップやパソコン部品の中古市場になっています。ただしこちらは、世界経済危機に直撃されて閑散、客足は全くなく、それぞれの店の若い店主が、手持ちぶさたにパソコン・ゲームに熱中しています。そのすぐ裏にまわると、商品になる前の二次解体・三次解体の工場があり、大きな布袋にハードディスク、ビニール線、マウス等々に分類された解体部品が山積みされ、リサイクル可能な部品・重金属が手作業で仕分けされています。路上では、農村からの出稼ぎらしい女性労働者が、1日3元(約46円)の労賃で、原始的な手作り機器でビニール線のビニールを剥がし、内部の銅線だけを器用に巻き取っています。日本でも電話線が盗まれる奇妙な窃盗が横行しましたが、香港経由で、昔から密輸基地として栄えてきたスワトウ周辺の港に持ち込まれたもののようです。しかし一番危険な第一次解体、壊れたパソコンや携帯電話そのものが持ち込まれる村落がみつかりません。通訳を兼ねて案内してくれた汕頭大学法学院の助教授が色々聞いても、誰も知らないといいます。どうやら「労働人口の80%は電子部品ゴミ解体業に従事している」この貴嶼鎮では、2002年にアメリカの環境NGOバーゼル・アクション・ネットワーク(BAN)の報道で世界に悪名を馳せた経験にならって、外部者には非協力、恥部は隠すと申し合わせているようです。それでもようやく聞き出してみつけた第一次解体の集落は、市場から20キロ、クルマで20分余で、聞きしにまさる悲惨な光景でした。狭い道の両側に屋内解体工場が密集し、パソコンの本体から部品、キーボードやマウスが路上にあふれ出ています。中の工場を覗こうとすると戸を閉めますが、暗く狭い土間で、薄いビニール手袋一枚の手作業で解体し部品を取り出しているようです。工場の裏は川で、中心にはどす暗い水面にゴミが散乱する池、危険物質が流入し汚染されているのは明白です。近くで遊ぶ子ども達は裸足。時々現れる立派な3階建ての家は、電子ゴミビジネスで大もうけした親方・手配師の住処のようです。暴漢におそわれた外国のTVチームもあったようですが、こちらは知らずにデジカメを撮り続けました。30分もするとぐったり。すさまじい体験でした。あとでネットで調べると、「処理の過程で放出される化学物質により、廃棄物処理に関わる労働者だけでなく、地域住民の多くに皮膚・神経・呼吸器・消化器系の症状が出ている」「貴嶼鎮の住民は10人の内、9人が皮膚、神経、呼吸および消化系統の病に罹っている」のも、むべなるかなでした。中国「調和社会」の実現は、まだまだ遠い先の話です。

貴嶼(グイユGuiyu)村の電子ゴミは、『危害の輸出:アジアで処分されるハイテクごみ』 というDVDにもなっています。「千葉県市原市の日本人業者は、毎月コンテナ10台分の廃品を中国天津へ輸出していることを明らかにした。多くの中国港は同類の密輸コンテナを受け入れており、1つのコンテナに対して70万円が支払われ、諸費用を控除しても、47万円の純利益が得られるという。急激な経済発展にある中国は現在、大量の鋼、プラスチック、紙およびその他の工業原料を必要としているため、このような中間業者にとって利益率の高いビジネスになっている」現実。 IT革命は、新自由主義グローバリゼーションと並行していました。「中国やインドの貧しい農村や大都市の郊外に、壊れたパソコンなどの電子ゴミがあふれている」というのが、その帰結です。この意味では、日本の私たちも加害者です。経済危機と不況・リストラ・派遣切りの省力化は、地球上のどこかにそのしわ寄せを集中させ、いっそう悲惨な労働環境を作り出すのです。こうした視点を失い、自国の危機からの脱出のみで動くと、しっぺ返しを受けます。1929年恐慌の時代と現代金融・経済危機の違いの一つは、このアメリカから発するグローバルな危機の連鎖が、世界市場に参入した発展途上の国々に集中的に影響し、もともと奴隷工場風の悲惨な労働環境にあった人々からも仕事を奪い、生きる術をも奪いかねないことです。20世紀型ケインズ主義の再現ではなく、21世紀型グローバル・ケインズ主義が必要なゆえんです。実際、旧正月(春節)目前の中国への経済危機の直撃は、深刻な様相を呈してきています。工場の倒産も、失業する農民工(出稼ぎ労働者)の数も、日本より二桁多くなりそうです。ストライキや暴動も、ますます増えるでしょう。昨年3月の旅行で「『社会主義』中国という隣人」に書いた中国資本主義の貧富格差は、ますます大きくなっています。

『社会主義』中国という隣人」に書いた本「ネチズンカレッジ」有田芳生さん「酔醒漫録」世に倦む日日さんのサイトの検閲は、まだ続いていました。外国人用ホテルからばかりでなく、大学内の普通のパソコンからも、つながりませんでした。そればかりか、昨年12月の中国知識人303人民主化声明08憲章」を取り上げた日本語・中国語サイトは、軒並み検閲され閲覧不能になっていました。この12日に「中国国営テレビは洗脳放送だ」とする22人の声明が出され、言論統制はいっそう厳しくなりました。その一方で、昨年見られなかったウィキペディア中国語版は見ることができ、空港の書店には『プレイボーイ』まがいの中国語ヌード雑誌が堂々と売られていました。「低俗情報」の除去という口実で、民主化を求める政治サイトが検閲されているのです。それでもCNNのイスラエルによるガザ爆撃、日本からのニュース、湯浅誠さん宇都宮健児弁護士ら「反貧困ネットワーク」の「年越し派遣村」の献身的活動は、見ることができました。この創意と工夫に満ちた新しい社会運動は、陰鬱な日本の新年の一つの希望です。でも、外国から見る日本の政治は、支持率20%を切った麻生内閣が政権にしがみつき、国民の多くが景気浮揚効果なし=不要と認め反対する低額=定額給付金を国会で強行採決する、寄る辺なき空白状態。日本国憲法第25条の生存権が、今こそ指針になるべきなのに、寒風のもとで寝床さえない失業者を救えない「低福祉・高負担」の棄民国家。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」ーーこの憲法の宣言こそ、新時代の「グリーン・ニューディール 」のような政策的才覚を持たない政府・与党が、まずは立ち返るべき原点です。そのうえで、労働基準法参照され労働者派遣法見直されるべきです。今国会の焦点は、まずは製造業での派遣労働禁止でなければなりません。日本の立憲主義、法治主義、民主主義は、今試されているというべきです。この国を、民主主義の墓場にするわけにはいきません。20日がオバマ米国新大統領の就任式、1月27日から2月1日にブラジルのBelem - Paraで開かれる世界社会フォーラムWSF) 、1月28日から2月1日までスイスのダボスに世界の大企業・金融トップ、政治家・エコノミストが集い危機への世界的施策を話し合う世界経済フォーラムWEF、ダボス会議)、に注目しましょう。


世界の曲がり角で、漂流する日本の政治経済、

エルゴロジーとグローバル・ケインズ主義の方へ!

 

2009.1.1  陰鬱な新年です。昨年母が亡くなりましたので、賀状も年賀メールも失礼いたします。本サイトの化粧も、リサイクルの松飾りと壁紙のみにさせていただきます。昨年9月のリーマン・ブラザース破綻に発した世界金融危機は、またたくまに世界経済危機へと展開しました。日本では株価暴落・円高輸出企業赤字ばかりでなく、「派遣切り」「雇い止め」「内定取り消し」の嵐です。湯浅誠さんら「反貧困ネットワーク」の「年越し派遣村」の献身的活動がひときわ光ります。年末で大きく報道されてはいませんが、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)への年末の空爆は、すでに死者370人以上、「ハマスとの全面戦争」=宗教戦争の様相を呈しています。まもなく任期満了の米国ブッシュ大統領はイスラエルを擁護、経済危機にも政治危機にも対処できない最悪の大統領としての汚名だけを残して、退陣しようとしています。それでもバラク・オバマの次期大統領就任目前のアメリカは、まだ将来に希望を持てるでしょう。世界第二の経済力を持つ日本の方は、首相はいるのに無為無策で、ほとんど政治の空白状態のまま、深刻な経済危機雇用危機の年越しを迎えています。不安な新年です。

百年に一度といわれる世界経済危機を読み解くため、久しぶりで現代資本主義論を漁っています。金子勝さん水野和夫さんらの著作で、この間の危機のメカニズムと長期的困難はわかりますが、危機からの脱出口が見えません。反貧困雇用保障を求めての世界的運動の展望が拓けてきません。アメリカ型グローバリゼーション、新自由主義の破綻は多くの論者が一致しますが、オバマ新大統領の「グリーン・ニューディール」は、どこまで現実的なのでしょうか。中国経済は本当に脱出の牽引力になるのでしょうか。民主化を求める08憲章」こそ本筋ではないでしょうか。こうした行方を占う鍵は、本サイトが例年この時期に主張しているように、1月末の三つのイベントに注目することです。第一は世界経済フォーラムWEF、ダボス会議)。1月28日から2月1日までスイスのダボスに世界の大企業・金融トップ、政治家・エコノミストが集い危機への世界的施策を話し合います。第二はそれに対抗する世界社会フォーラムWSF) 、民衆の社会運動の世界フォーラムで、昨年は総会は開かず世界各地で1月26日に統一行動を行いましたが、今年はブラジルのBelem - Paraで1月27日から2月1日に開かれます。第三が、米国大統領の年頭教書ですが、今年は1月20日がオバマ大統領の就任演説になります。すでにハリウッド・スターらが多額の寄付、バス予約1万台とか。ちなみにマスコミの騒いだ福井県小浜市には招待状も来ず、出席断念というニュースも。この3つのイベントを見ることによる、2009年の世界の短期的見通しは見えてくるでしょう。

 新自由主義グローバリゼーション崩壊後の世界を長期的に見通そうと経済書をひもとくと、スティグリッツクルーグマンも面白いですし、左派ならネグリ=ハートハーヴェイもありますが、結局はマルクスケインズポランニーあたりまで戻らざるをえないんではないでしょうか。というよりも、まだ世界恐慌は始まったばかりで、『エコノミスト』誌12月9日号に発表したジョン・K・ガルブレイス『大暴落 1929』(日経BPクラシックス)F・L・アレン『オンリー・イエスタディ 1920年代・アメリカ』(ちくま文庫) の書評で述べたように、まずは1929年大恐慌の歴史的経緯と原因・結果に学び、20世紀的条件と現代に通じるものとの腑分けが必要なようです。違いの一つが、ソ連型社会主義の崩壊で、図書館所収の「現代資本主義を読み解く――21世紀のためのブックガイド」(1993年版)、「現代資本主義を読み解くブックガイド」(2002年版)で述べたような交通整理を再びしなければなりません。また、日本については労働政策と雇用の問題が切実で、五十嵐仁さん『労働再規制』(ちくま新書)にあるような1995年 日経連新時代の日本的経営」以来の労使関係の変容を再整理し、湯浅誠さん『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)にあるような貧困・格差の実態、反貧困雇用保障を求めてのさまざまな試みを、反貧困ネットワークの「おとなりさん」リンク、「派遣労働ネットワーク」、「助け合いネット」、「日本労働弁護団リンク集」などから徹底的に拾い集める必要があります。この危機は、少なくとも数年は続きます。その徹底した解剖の中から、ケインズシュンペーターポランニーミュルダールハイエク丸山眞男らが20世紀に試みたような、新しい理論が生まれてくるでしょう。本サイトもその方向で、当面持論のエルゴロジーと、かつて佐和隆光さんらが唱えたグローバル・ケインズ主義をベースにしながら、長期の情報戦に突入します。

 昨年の私自身の締めくくりは、10月に公刊した本サイト「国際歴史探偵」の成果を駆使した「在独日本人反帝グループ」についての集大成、加藤ワイマール期ベルリンの日本人ーー洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)でした。すでにウェブ上では、ACADEMIC RESOURCE GUIDEさん千葉海浜日記さんクマのデラシネ日記さん京都グラムシ工房さん学問空間さん芹沢光治良文学愛好会さんらがコメントしています。活字の世界でも、『読売新聞』11月16日に 佐藤卓巳さんの、『週刊朝日』12月5日に鎌田慧さんの、『日本経済新聞』12月14日池田浩士さんの、共同通信配信で『高知新聞』11月16日、『神戸新聞』『山形新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『山陰中央新報』11月23日、『新潟日報』『愛媛新聞』11月30日、『信濃毎日新聞』12月21日などに川上武さんの、『西日本新聞』12月28日「本の森」に今川英子さんの、『週刊読書人』新年1月16日号に平井正さんの、書評が出ています。雑誌では『季刊 唯物論研究』第106号(2008年11月)に松田博さんの長文書評が、『改革者』12月号に短文紹介が、掲載されています。5000円の高価な本で、なかなか書店では見かけないでしょうが、岩波書店ホームページ目次・序章をpdfでたち読みできる専用ページから、またはアマゾンなどを通して、ご注文いただければ幸いです。この危機の時代を迎えて、80年前のドイツで世界大恐慌・大量失業・国内対立激化からヒトラー政権成立を目撃した当時の在独日本人知識人・文化人の生き方の中から、何かを汲み取って頂けるでしょう。

新年恒例で、情報処理センター(リンク集 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」、9.11以降平和情報リンク「IMAGINE! イマジン」を更新しました。情報処理センター ●研究リソース・ツールの項に、昨年夏の調査の中心米国国立公文書館(NARA 2)機密解除されたFBI/CIA個人ファイル米国陸軍情報部(MIS)作成個人ファイルの案内を増補しました。高貴(noble)高齢者の皆さんからの投稿で昨年秋から盛り上がった大正生れの歌ページも大幅増補。1月20日のオバマ大統領就任は決まりましたが、本サイト学術論文データベ ースには、北欧スウェーデン在住M・ポアチャさんの寄稿「オバマで世界は変わるのかーー2008米大統領選の行方」(2008.10)に続いて、安藤洋さん寄稿「『新憲法世代』を生きてーー若者たちへのメッセージ」をアップしました。第一部の自伝部分が、「戦争の記憶」の印象深い記述になっています。私の占領期沖縄・奄美社会運動史研究の「同志」であり、かけがえのない証言者であり、『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻(不二出版)の共編著者であった国場幸太郎さんのご逝去については、沖縄タイムス10月25日付けの訃報27日の琉球新報コラム「金口木舌」、同日琉球新報の新崎盛暉さん追悼文、30日沖縄タイムスの新川明さん追悼文がありますが、本サイト独自の国場幸太郎さん追悼文を、金澤幸雄さん追悼と併せて、図書館戦後初期沖縄解放運動資料集』解説ページに、金澤幸雄さんと国場幸太郎さんを偲ぶ」として入れました。田中真人さん西川正雄さん筑紫哲也さん上田耕一郎さん加藤周一さん片島紀男さんなど、昨年も惜しい人々が逝きました。


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