ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
2006.6.18 政治学関係の皆様へ。7月世界政治学会(IPSA)福岡大会、日本政治学会(JPSA)に合わせて開かれる、7月12日(水)午後、第32回全国政治研究会(九州大学法学部)の案内をアップしました。
2006.6.15 国会は、共謀罪も教育基本法案も国民投票法案も継続審議で先送りしたまま、ポスト小泉の自民党総裁選へ流れ込むようです。それよりすごい勢いで、サッカーのワールドカップが始まり、にわか「愛国」者のプチ・ナショナリズムが、酒場でカフェで家庭で沸騰。もっとも実力通り日本は……、なんて書くとメールが殺到するので、ノーコメント。グローバリゼーションの中で「国を愛する心」を保つには、まずは自分たちの置かれた客観的位置を知ることです。日本はいま、どれだけ世界から注目され、尊敬され、期待されているのでしょうか。一つだけ、ワールドカップ秘話。6月12日の日本ーオーストラリア戦、ドイツの警察は最高警戒体制で臨みました。何しろ会場のカイザースラウテルンは、国外世界最大のアメリカ空軍基地の町、4万人以上の米兵が常駐しています。「米空軍がジーコジャパンを“援護”」なんて記事も出ていますが、実は日本とオーストラリアは、共にイラクへの派兵国で、自衛隊駐屯地サマワを一緒に「防衛」していた国、それも撤退世論の強いオーストラリア軍460人が、「日本の自衛隊の安全確保」のため「警護任務」を継続しています。サマワでは、5月31日にも、豪日軍の車両8台が、爆弾攻撃を受けていました。そこに、6月8日にイラクでアルカイダのアブムサブ・ザルカウィ容疑者を、米軍が空爆で殺害したというニュース、アルカイダは、11日に「指導者ザルカウィの殉教後、直ちに会議を開き、敵を揺るがし眠りを覚ます大規模な攻撃を他勢力と協力して行う」と声明を発表した直後、米豪日への「復讐戦」には、またとない標的だったのです。その日にそこで、何事もなくサッカー試合ができたのは、幸いでした。ブッシュ大統領のイラク電撃訪問は、その翌13日でした。アメリカはその日、チェコに敗れました。かつて1972年ミュンヘン・オリンピック事件の悪夢を体験したドイツの軍隊・警察は、7月9日の決勝戦まで、まだまだ大変でしょう。
小泉首相が任期中に狙った国連安全保障理事会入り、米軍基地再編・移転問題、北朝鮮による日本人拉致問題の今日を見れば、9/11以後に国連中心=国際協調主義との二本柱から離れた、日米同盟優先の片肺外交の結果は、悲惨なものです。国内の「危険社会」の様相は、すっかり定着しました。犯罪も最頂点の ホリエモン=村上ファンド型インサイダー取引と、最底辺の児童殺人・家族殺しに二極格差社会化。中間層には、マンションもエレベータも構造的欠陥だらけという、不気味な不安の蔓延です。7日に東京地裁判決が出て、日本国の政策上の責任は認められたものの、損害賠償は請求期限が切れているという理由で却下されたドミニカ移民の人たちに、この国の政治は、何もできないのでしょうか。その「棄民」政策の、半世紀近い苦難を癒す損害賠償請求額は、原告125名で総額約25億円・一人平均2千万円です。「村上ファンド」の運用資金は4千億円、あの社会保険庁の壮大な無駄遣い「グリーンピア」1個の建設費が100億円、ゼロ金利政策を採り続けた日銀総裁が「村上ファンド」に1000万円預けて儲けた額は、いかばかりでしょうか。本当に「国を愛する」人々は、「身捨つるほどの祖国はありや 」(寺山修司)と問うドミニカからの叫びに、どう応えるのでしょうか。
前回更新はモンゴルから帰国した翌日、主に国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」について書きましたが、本当のモンゴルの魅力は、市場経済化著しいウランバートルよりも、私たちの訪れた古都カラコルムや、壮大な平原で牛や馬や羊の群れと暮らす素朴な人々との交わりにあります。何しろ日本の4倍の国土に、人口は250万人、そのうち100万人近くが都市化の進むウランバートルに集中していますから、ちょっとウランバートルを離れると、そこは悠久の大地です。満点の星が降ってくるようなゲルでの夜は、神秘的です。日本人・ロシア人・中国人の代表団のために作ってくれた羊肉料理は、日本の「ジンギスカン鍋」とは似ても似つかぬ、内臓から骨までを丸ごと煮て使い尽くした、エコロジカル・クッキングでした。地方の子どもたちの遊びは、テレビも携帯電話もなく、岩のぼりに川遊び、かくれんぼに縄跳び、パソコンなしでの蝋燭と木炭ストーブの夜は、久方ぶりの宮沢賢治の世界でした。ただし、ラマ教寺院の仏陀の顔は、眼がパッチリでエキゾチック、東洋(オリエント)と西洋(オクシデント)、ロシア・シベリアとインド・ネパールが、入り交じっています。ノモンハンの痕跡は、明らかに日本人狙いの骨董品商の隊列。私たちの行く先々に、中国やインドから入ったらしい怪しげな品々を持ち込み、例のバザール風の価格なき取引。板垣征四郎の銘入り日本刀が何本も売られているのは愛嬌でしたが、ロシア代表の軍事史専門家ワルタノフ博士は、真面目に値切って記念に購入していました。私はむしろ、地平線の見える草原の石に腰掛けて、柄谷行人『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』の互酬共同体の論理と、見田宗介『社会学入門――人間と社会の未来』(共に岩波新書)の家族論・交響体論を、そこではすぐに届きそうだが、しかし遠ざかりつつあるユートピアとして、感慨深く読んできました。
かつて13世紀に「帝国」を経験したとはいえ、今日の小国であるモンゴル国(外モンゴル)は、ようやく旧ソ連社会主義の衛星国から脱して独立したところで、経済発展のためのグローバル市場への開放を迫られました。そこでの選択肢は、あまりありません。北朝鮮型の閉鎖型自給自足は論外とすれば、国営企業を民営化し、外国から商品や資本を入れて、それでも独立性を保つ方策が必要になります。ロシアと中国という大国のはざまのモンゴルの知恵は、欧米や日本・韓国からも資本を入れて一つの大国に偏り従属しないようにし、それでも土地や資源産業は保護し、何よりも社会主義時代の教訓に学んで、外国の基地を通じた軍事的支配を排除することでした。それが「非核兵器国」として国際社会に認知させるユニークな安全保障政策を生み出しましたが、IMFや世界銀行の圧力で、2002年には土地法が成立し、土地・建物の売買が可能になって、ものすごい勢いでマンションやビルの値上がり・建設ラッシュが始まりました。それは、もともと「所有権」の観念のなかった遊牧社会にも及び、私たちの泊まったのも、素朴なゲル生活を外国人に体験させる、ツーリスト用キャンプの一つです。ある在蒙日本人サイトの報告する「土地法改正により土地の所有が認められてからというもの、土地・建物の売買が激化している昨今のモンゴル。モンゴルのボロアパート物件の方が、バブル崩壊以降暴落が続く東京都心のワンルームマンションよりも高値を呼ぶ、という異常事態がここかしこで起きている。1平米600ドルという高級マンションや60万ドルの一軒家が飛ぶように売れる一方、50ドルにも満たない月給でカツカツ生活する人もいれば、マンホールを棲家にしているおっちゃんも多い。どうなっとるんじゃい、ちかごろのモンゴルよ?」という変貌が、今はいっそう進んでいて、旧ウランバートル市内の高層ビルラッシュと、近郊の電気も水道も井戸もない空き地のゲル・キャンプのスラム化が、印象的でした。日本を含む世界中から、さまざまなNGO・NPOも入っているようですが、韓国資本の都心部進出・商業化の波の中では、ウランバートルはあきらめて、バスで半日以上の遊牧地まで行かないと、「所有権」の観念のない世界の痕跡は、味わえないようです。
弱きもの・小さきものの連帯を、A・ネグリ=M・ハートは<マルチチュード>と概念化するんですが、モンゴルの現実の中で急速に広がっているのは、<帝国>のネットワークの方です。そんな国で、1946年日本国憲法と1998年「モンゴル国の非核地位に関する国連決議」が、土井たか子さんがいうようにうまくリンケージできればいいのですが、普通のモンゴル人にとっての日本は、朝青龍・白鵬のスモウの国であり、トヨタ・ソニーの高値ブランドです。日本国憲法など、聞いたこともありません。しかも、その憲法9条さえ、日本では「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」の中でかまびすしく危ういのに、米軍基地と自衛隊の現実抜きで海外で説明すれば、経済侵略のアリバイ作りになりかねません。7月7日七夕の夜、東京の日本教育会館で、ささやかな護憲・活憲・知憲派市民たちの集いが、開かれます。「平和への結集をめざす市民の風」という、私も441人のよびかけ・賛同人の一人になっている市民ネットワークの、「今こそ市民の風を! 2007年参院選・平和の共同候補を求めて」というシンポジウムです。今日の「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」を考えれば、来年の国政選挙では、何とか議席の3分の1を改憲反対派で占めなければならないのに、共産党・社民党・新社会党のような「小さきもの」たちは、独力では改憲阻止はおろか、議席確保にもほど遠い状態です。でも、モンゴル国が自立の模索の中で「非核地位」を世界に認めさせたように、沖縄の糸数慶子さんが2004年参院選で全野党共闘で当選できたように、「従来のようにバラバラに選挙に挑むならば、改憲の流れを堰き止めることはできませ ん。この危機的な状況を何としても乗り越える知恵と方法の結集が求められます。今、各界やメディアでも、9条改憲反対の平和の共同・選挙協力を求める声が高まっています。政党の事情や、様々な問題があることは承知しておりますが、平和憲法を守りぬくことをあらゆることに優先させてこの難関を切り抜けましょう。今こそ、平 和を愛する広範な人々が手をつなぐべきではないでしょうか」という、しごくもっともな問題を話し合い、実現させようという会です。第1部:「平和共同候補実現のために何が必要か」――上原公子、川田悦子、斉藤貴男、佐高信、湯川れい子、第2部:講談『井戸掘り五平』――神田香織、政党関係参加者紹介、第3部:「平和への結集のために――地域からの発言など」と、すでにプログラムも発表されています。よびかけ人には、さまざまな分野のさまざまな人々が名を連ねていますが、インターネットで、だれでも簡単に、賛同・入会フォームから入会できます。
そんな動きに、共産党がなぜか過敏に反応し、「憲法改悪阻止の運動に障害をもちこむ」と警戒しているそうです。インターネット上で、グーグルで引けば53万件出てくる「平和共同候補」に、自党の「陣地」が脅かされると思いこんでいるんでしょうか。同じくグーグルで6万8000件出てくる「筆坂問題」とやらで、内向きになっているんでしょうか。 「短い20世紀」の遺産の、末期症状です。そんな問題の歴史的起源を、現在発売中の『情況』6月号の特集「国家論の現在」に、「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」で辿ってみました。「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)執筆過程の副産物です。モンゴルでの国際会議報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」と共にご笑覧を。いや私の論文よりも、『情況』6月号の佐藤優さんインタビュー「国家という怪物」、その佐藤優さんの旧ソ連=共産党解体見聞録『自壊する帝国』(新潮社)、『国家の崩壊』(にんげん出版)をまず読んで、何が自分たちの「敵」で、だれが「友」であるのか、限られた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」のなかで、いま何ができるか、何をなすべきかを、一人一人のネチズンが考えてみては。
モンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」は、書物になる際改稿する草稿ですから、どしどしご意見を。『情況』6月号論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、雑誌発売終了後にアップ。単行本論文集の新論文、「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)は残念ながらアップできませんが、講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものですから、そちらの方で。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになります。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、第2弾から、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に続く宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」と宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いています。次回7月1日更新時に、これら長大論文を書く契機にもなった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録予定、乞うご期待! 皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は、リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共に。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、エッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップしてあります。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」に、6月6日特大号に藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べて、「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」と題し発表したものをアップしました。5月2日号の、梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」と共にご笑覧を。2月7日号にジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)、新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を論じた「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」、1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」が入ってますが、『マオ』については、世界でも日本でも、毀誉褒貶の各種書評満載、矢吹晋さん、大沢武彦さんの辛口書評も、あわせてご参照を。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件に続いて、恒例教育センターのなかに、3月に卒業した学部ゼミ学生たちの2005年度卒業学士論文をアップしてあります。
2006.6.1 たった8日間ですが、 モンゴルに行って帰ってくると、悲しい知らせが待っていました。異国の非日常の中で近しい人々の訃報に接すると、何かその体験が、後ろめたいものに思われてきます。1994年のロシア旅行中に山本正美さんが逝った時、2001年にフィンランドで石堂清倫さんの訃報を受けた時がそうでした。出発直前の5月20日に、日本基督教団銀座教会名誉牧師、元東京神学大理事長鵜飼勇牧師の訃報に接しました。ウランバートルでようやく繋がったインターネットで、エッセイスト米原万里さんが5月25日に亡くなられたことを知りました。そして帰国直前に、ついこないだまで元気だった同僚、国際社会学者梶田孝道さんの訃報を受けました。鵜飼勇さんから見せていただいた兄鵜飼宣道氏の貴重な記録は、ようやく一部を現在発売中の「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年」で使ってお送りしたのですが、執筆途上の書物でどのように使うかは、まだ考えあぐねていた所でした。名著『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソヴナの反語法』を書く際に、米原さんは、私の『モスクワで粛清された日本人』を座右に置いて活用してくれました。ドゥマゴ文学賞の『オリガ……』の参考文献には、私の90年代の書物を4冊も挙げていただき、私たちの発掘した勝野金政『ソヴェート滞在記』『凍土地帯』も使ってくれました。昨年お送りした拙著『象徴天皇制の起源』も丁寧に書評していただきました。メールでのやりとりで闘病生活は存じていましたが、まさかこんなに早く「同志」を喪う日がくるとは……。EU研究や国際労働力移動の研究で知られる梶田さんは、私の政治学の処女作『国家論のルネサンス』を、長大な書評でコメントしてくれた理論家でもありました。後に同僚となってからも、共同研究室が一緒で、学び合う仲でした。鵜飼勇さんは83歳でしたが、米原さんは56歳、梶田さんは59歳、あまりに若すぎます。モンゴルはチベット仏教=ラマ教の国、大きな眼がぱっちり開いたシルクロード風の仏像の前で、祈ってきました。心からご冥福をお祈りいたします。合掌!
モンゴルの国際会議の主題は「ノモンハン事件とゾルゲ事件」、1939年5−9月の日本軍とソ連軍の満蒙国境での軍事的衝突を、日本側は「ノモンハン事件」とよび、ロシア・モンゴルでは「ハルハ河戦争」と呼びます。モンゴル国防次官や駐モ日本大使も出席したシンポジウムで、私は「ノモンハン事件=ハルハ河戦争」を、日ソの戦争としてのみならず、戦場になったモンゴルの人々の目線で再考する必要を述べてきました。ソ連がロシアになっても、ロシアの研究では、ノモンハン戦を日本の一貫した反ソ軍事侵攻の頂点として捉え、それをジューコフ将軍指揮下のソ連赤軍が近代兵器を駆使して打ち破ったという見方が支配的です。一方日本では、司馬遼太郎がそうであったように、関東軍の暴走による戦略無き敗戦で、その失敗の教訓が太平洋戦争に生かされなかったことが問題にされます。どちらも軍事的観点が先行し、国際関係上では、1931年満州事変から、32年満州国建国、33年日独国際連盟脱退、36年日独防共協定、37年日中戦争、38年ミュンヘン協定、39年独ソ不可侵条約・第二次世界大戦開戦、40年日独伊三国同盟、41年日ソ中立条約、独ソ戦、日米戦争開戦の文脈で扱われ、独立国モンゴルの入りこむ余地はありません。まるで、日米同盟と米軍基地再編で無視され翻弄される沖縄県民のようです。でもモンゴルは、今年建国800周年、チンギスハーンからフビライの元国で、一度は中国からヨーロッパまで支配する「世界帝国」を経験した国です。1911年に自力で中国から独立し、21年にはソ連赤軍の援助で臨時政府を樹立、24年から人民共和国だった国です。日本側は関東軍が事実上支配する「満州国」と同様、ソ連の傀儡国家として扱いましたが、モンゴルにソ連軍が常駐できるようになったのは、ようやく1936年、日本と満州国に対抗する「ソ連・モンゴル相互援助協定」によってでした。それもモンゴルのゲンドゥン首相以下にとっては苦悩の選択でしたが、協定成立後の37−38年にソ連はモンゴル政府のゲンドゥン元首相以下政府・軍・人民革命党の要人2万6000人を「日本のスパイ」とみなして粛清してスターリンに忠実なチョイバルサン政権を樹立、「ファシストの手先」「反革命」とされたラマ教は、800の寺院の内760が破壊され、37年に11万人いた僧侶は翌年には1100人になっていました。多くのラマ教僧侶も殺されて、ソ連軍のモンゴル常駐が可能になったのです。詳しくは、前回も紹介したマンダフ・アリウンサイハン Ariunsaihan, Mandah 論文「日ソ関係とモンゴル:満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」と、今回の国際会議への私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」を。
私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」には、もう一つの論点があります。それは、ゾルゲの日本から送った情報が、本当にソ連のノモンハン戦勝利に生かされたのだろうかという情報戦に内在する問題です。日本側の白井久也代表団長と私の報告、ロシア側のエレーナ・カタソノワ博士、ワレリー・ワルタノフ戦史研究所元副所長の報告は、期せずして、ノモンハン事件とリヒアルト・ゾルゲの関わりの焦点に、前年38年6月の内務人民委員部(NKVD)極東長官リュシコフ将軍の日本への亡命事件を据えました。ただし私は、このリュシコフ情報のソ連への伝達が、ゾルゲへのソ連赤軍諜報部極東課の懐疑を導き、ノモンハン事件時のゾルゲ情報もソ連では役立てられなかったのではないか、そもそも「大祖国戦争の英雄ゾルゲ」というフルシチョフ政権末期の「名誉回復」そのものが、アメリカのCIAに対抗する旧ソ連の冷戦型情報戦の産物であり一環ではなかったか、と問題提起しました。中国、モンゴルからの報告ではゾルゲ事件はあまり触れられていなかったので、リュシコフ亡命が、ゾルゲ事件研究の新たな論点として浮上しました。リュシコフについては、通常スターリンが関わって大粛清の引き金になったとされるキーロフ暗殺事件や、在ソ連朝鮮人の強制移住問題でもキーパースンとして注目されています。司馬遼太郎や半藤一利にも出てこない現代史の暗部は、まだまだいっぱいありそうです。モンゴル自身は、そんな大国間の戦争と駆け引き、情報戦の草刈り場となった経験を忘れていません。だから1998年には、国連総会に自ら「非核兵器国」となることを提案し、承認されています。近隣を「大国」に囲まれた「小国」の知恵です。
もっともモンゴルは、私にとっても初めての国です。国際会議の副産物もいっぱいありました。出発時に成田で大相撲で優勝したばかりの白鵬関とばったり、ウランバートルでは、韓流スター「夏の香り」「四月の雪」の女優ソン・イジュンさんと、コリアン・レストランで一緒でした。そして地平線の見える大草原の円形移動テント=ゲル生活では、乗馬や星いっぱいの夜空もありましたが、四月どころか五月末の吹雪も体験してきました。広大な草原に人口250万の放牧国家だったモンゴルで、首都ウランバートルに100万近い人々が集中しています。中心の商店街には、韓国製品や中国製品が溢れています。日本企業が強いケータイ電話は、子どもたちも持ってます。1991年の無血革命で人民革命党独裁は終わり、市場経済に入って日本のODAはモンゴル経済に欠かせないのですが、タクシーはヒョンダイ、テレビはサムソンと、表面的にはコリア経済が最先端です。一緒に出席したアリウンサイハン君から、この10年で、モンゴルにも、「自殺」という文化が入ってきたと教えられました。モンゴルの人々が、他人と比較し競争することを覚え、思うような仕事に就けなかったり、人間関係で悩んで自ら生命を絶つようになった、と。日本に帰ったら、昨年の日本の自殺者は3万2552人に増えたとか。草原の国モンゴルにとって、異国の商品が入り、自殺が生まれたことは、果たして「進歩」なのか。柄谷行人『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』と見田宗介『社会学入門――人間と社会の未来』(共に岩波新書)を読みながら、考えこんでしまいました。日本政治も異様ですが、次回に。
今回アップの「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」の他に、単行論文集中に新しい論文二つ。一つは日本語で、「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを、問題提起したものです。この講座そのものが意欲的で、多くのすぐれた問題提起が入っていますから、ぜひともご笑覧とご批判を。もう一つは英語で、Routledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に独日の研究者と共に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s 。ドイツと日本の関係を英語で書くという初めての経験で、編者Christian W. Spangさんとの交流を含め、面白い体験でした。内容は、日本語でも書いたことのない1920−30年代日独文化交流の統計分析や、国崎定洞ら「在独日本人反帝グループ」の海外への紹介を含んでおり、今後日本語で公刊する予定の物語を、英語で先に試論的に発表したものです。関心のある方は、ぜひご笑覧を。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」、第2弾は、社会人の宮内広利さんの寄稿は長大論文シリーズで、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に続く宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」と宮内広利「世界史としてのフランス革命」を一気にアップ。いずれも長文ですが、ズームアップしてご覧下さい。宮内さんからはさらに続稿が届いていますが、皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップ。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」に、5月2日号の、梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)を組み合わせて「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」。発売中の6月6日特大号には、藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べて、「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」が入っています。4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)で、戦時日米科学技術体制を比較し「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」には、恥ずかしながら鶏肉を食べられない自分も登場。2月7日号のジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を論じた「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」、1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」と共にご笑覧を。もっとも『マオ』については、世界でも日本でも、毀誉褒貶の各種書評満載、矢吹晋さん、大沢武彦さんの辛口書評も、あわせてご参照を。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件に続いて、恒例で教育センターのなかに、3月に卒業したその学部ゼミ学生たちの2005年度卒業学士論文をアップ。
アメリカの世論調査で、ブッシュ大統領の支持率は、ついに30%を割り、20%台に落ち込みました。「イラク情勢やガソリン価格の高騰、移民政策への対応から、堅固だった保守層の支持離れも始まっている。支持回復のきっかけとなる材料も見当たらないのが実情で、歴代大統領でも最低水準の支持率に近づきつつある」とは、日本の読売新聞の解説です。ブッシュ陣営から「2002年に民主党支持者の支持がほぼ消え、2003年に無党派層が離れ、今、共和党の核となる支持者を失おうとしている」とは、アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)のカーリン・ボーマン研究員の分析です。秋の中間選挙がどうなるかが見所ですが、日本の小泉首相後継問題がこれにからみます。とはいえ「麻垣康三」が靖国問題での中国・韓国との関係修復を打ち出したとしても、それが「アメリカからの自立」へ向かう兆候はありません。「ブリックスBRICs」台頭下の軍事的一体化「アメリッポン」と経済的一体化「DEN=Dollar+Yen」の方向は共通了解で、むしろ落ち目のホワイトハウスで次期首相候補として認定してもらおうと、後見人に媚びるかたち。アメリカ・ブッシュ政権が靖国を心配すると言っても、それは、いまやアジアの要である米中関係の構築に、地理的に近い日本に「51番目の州」らしい対応をしてほしいということです。1945年の日本の負け方が、どうやら根底にありそうです。ドイツのように徹底的に破壊されず、イタリアのようなパルチザンの抵抗もないまま、原爆を持つ後見人アメリカにすがって「国民統合」を辛うじて残したツケが、冷戦崩壊という世界史の転換点での舵取りに刻印され、9.11以後の世界でひび割れを大きくしているようです。特にあきれたのは、米軍=自衛隊一体化の「アメリッポン」にあわせて、「基地のある地域には迷惑をかけているし、負担をお願いしているので、国家として報いなければならない」という額賀防衛庁長官の「米軍再編対策交付金」構想、これってかつてアメリカが原子力発電を日本に持ち込んで「核アレルギー」を薄めようとした際の日本政府の対応とそっくり。目先の補助金にすがった自治体で、急に学校が立派になったり、公民館ができたり、っていうあのやり方。日本の分権自治は、こんな「補助金」に対して、抵抗力を持続できるでしょうか。経済的には、石油価格高騰・円高ばかりでなく、日本企業の生産拠点の中国進出が峠を越え、ベトナムから南アジアに流れる動きが始まったようです。国内の「格差社会」論争とあわせて、秋の自民党総裁選、来年参院選へ、世界の流れを大きく考えるべき時です。さまざまなレベルで「自立」と「連帯」が必要です。
ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) を発表した余波で、来週からモンゴルに行ってきます。日露歴史研究センター主催、日本モンゴル親善協会、モンゴル日本親善協会後援の第四回ゾルゲ事件国際シンポジウムに出席し報告するため。「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」という報告を準備しましたが、アップは帰国後に。帰国日の関係で、次回更新は6月2日か3日に新興モンゴル・ルポとなります。コンピュータも持っていきますが、ネットカフェを探すよりは、白夜に近い草原の星空を見てこようと思います。私も審査した一橋大学の博士論文、マンダフ・アリウンサイハン Ariunsaihan, Mandah 氏「日ソ関係とモンゴル:満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」を読んで、リヒアルト・ゾルゲ、尾崎秀実のノモンハン事件(モンゴルでは「ハルハ河戦争」といわれる)時の活動と重ねあわせたのですが、日本とソ連の戦争によって失われたものは、日本関東軍の無責任な敗戦と、ソ連軍の予想外の人的被害ばかりではありませんでした。この戦争の前に、日本の「満州国」のような傀儡国家になるのを嫌った、モンゴル政府のゲンドゥン首相以下政府・軍・人民革命党の要人4万人がソ連から「日本のスパイ」とみなされ、粛清されていたのです。ジューコフ首相率いるソ連軍が日本軍を破ったのも、ソ連に忠実なチョイバルサン首相以下の新モンゴル政府が、ソ連・モンゴル相互援助条約にもとづきソ連軍の進駐を可能にしたからでした。「ノモンハン事件=ハルハ河戦争」も、今日のモンゴル民衆の立場から見れば、ずいぶん違った風に見えます。ゾルゲも、ここまでは、見抜けなかったようです。アリウンサイハン氏の結論は、以下のようになります。外国に基地を提供して、首相の首さえすげかえられるような大国依存の傀儡国家は、けっきょく大国間の戦場になった。他人事ではありません。歴史へのこうした「小国」の眼差しを、学んでこようと思います。
単行論文集中の新しい論文二つ。一つは日本語で、「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを、問題提起したものです。この講座そのものが意欲的で、多くのすぐれた問題提起が入っていますから、ぜひともご笑覧とご批判を。もう一つは英語で、Routledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に独日の研究者と共に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s 。ドイツと日本の関係を英語で書くという初めての経験で、編者Christian W. Spangさんとの交流を含め、面白い体験でした。内容は、日本語でも書いたことのない1920−30年代日独文化交流の統計分析や、国崎定洞ら「在独日本人反帝グループ」の海外への紹介を含んでおり、今後日本語で公刊する予定の物語を、英語で先に試論的に発表したものです。関心のある方は、ぜひご笑覧を。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」、第2弾は、社会人の宮内広利さん「マルクス<学>の解体」、さらに宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」を収録中。長文ですが、ズームアップしてご覧下さい。宮内さんからはさらに続稿が届いていますが、皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップ。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」に、5月2日号の、梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)を組み合わせて「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」と題してアップ。4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)で、戦時日米科学技術体制を比較し「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」には、恥ずかしながら鶏肉を食べられない自分も登場。2月7日号のジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を論じた「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」、1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」と共にご笑覧を。もっとも『マオ』については、世界でも日本でも、毀誉褒貶の各種書評満載、矢吹晋さん、大沢武彦さんの辛口書評も、あわせてご参照を。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件に続いて、恒例で教育センターのなかに、3月に卒業したその学部ゼミ学生たちの2005年度卒業学士論文をアップ。
実際、サクラの花のようにパッと現れた「共謀罪」創設法案、連休明けに散るのではなく、むしろそのまま強行採決されそうな勢いです。「相談罪」ともよばれるように、犯罪の実行行為や法律違反がなくても、ただ話し合っただけで逮捕されるというこの法案、戦前の治安維持法や密告奨励の隣組を思わせるアブナイ法案です。東京新聞が挙げている事例をみましょう。▼ケース1 希少生物の生息する森にマンション建設が強行されると分かり、町内会と環境保護NGOが「建設会社ロビーで座り込み運動をしよう」と決めた。この場合、合意したメンバーは実行しなくても「威力業務妨害罪」の共謀罪。▼ケース2 議員選挙の陣営で「アルバイトに金を払って有権者への電話作戦を展開しよう」と決めた。実際に支払わなくても、公職選挙法の「買収罪」の共謀罪となる。▼ケース3 脱税をもくろむ会社社長が顧問税理士に「経費水増しの帳簿操作をしたい」ともちかけた。税理士は、実行するつもりはなかったが、「いいですよ」と言って、その場をやり過ごした。この場合、二人とも「法人税法違反罪」の共謀罪となる。▼ケース4 新商品開発会議でライバル社の売れ筋商品そっくりの品物を販売しようとの意見が出て、出席者は合意した。社長のダメ出しにより、この案はボツとなったが、それでも出席者には「商標法違反罪」の共謀罪が成立する。▼ケース5 ゼネコン社長が国会議員に「来年、五千万円、持って行きます」とわいろ提供を持ちかけた。議員はクリーンな性格で、そのうち断るつもりだったが、場の雰囲気を壊したくないので「ありがとうございます」と頭を下げた。これは「収賄罪」の共謀罪となる(現行法では社長にわいろ申し込み罪が成立するだけ)。――連休後半、憲法記念日もあります。ゴールデンウィークと浮かれてばかりはいられません。インターネット上のブログで「愛国心なんて恐ろしいね」と話し合っただけで、誰かが警察に通告・即逮捕なんて世の中はごめんです。
前回「ブリックスBRICs」台頭下の日米経済一体化=「DEN=Dollar+Yen」という話をしましたが、金融システムより先に、米軍と自衛隊の合体、事実上の集団安全保障体制が生まれつつあります。日米軍事同盟は、新しい段階に入りました。いうまでもなく、米軍再編についての最終合意で、沖縄県も認めていない普天間飛行場の2014年名護市移転完了も、住民投票がノーと答えた岩国市への空母艦載機移転も、地元の頭越しの決定です。「日米の司令部間の連携の象徴となるキャンプ座間(神奈川県)は、米陸軍第1軍団司令部を08年度(米会計年度)までに統合作戦司令部に改編して設置する。陸自の中央即応集団司令部は、12年度までに同居することになった」のですが、神奈川県知事は納得していません。
小泉首相がどんなイニシティヴを果たしたのかも見えません。そしてその費用は3兆円、なんと一人2万5千円、4人家族なら10万円の日本側負担というのです。交渉相手のアメリカの足元では、五月雨式に続くヒスパニック系住民の移民規制法案反対100万人デモばかりでなく、4月29日にはニューヨークで30万人以上がイラク撤兵を求める大きなデモがありました。日本の国民は、こんな状態に、何も言えないのでしょうか。
2006.4.28 「共謀罪」設定、教育基本法案閣議決定、米軍基地再編でアメリカから3兆円の請求書(国民一人当たり2万5千円!)と緊迫していますが、明日から予定の国内調査に出てIT環境が不安定なため、5月1日更新は数日遅れるだろうことを、ご了承下さい。
前回アップの新しい論文が二つ。単行論文集中の一本ですので、本サイトにはアップできません。一つは日本語で、「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを、問題提起したものです。この講座そのものが意欲的で、多くのすぐれた問題提起が入っていますから、ぜひともご笑覧とご批判を。もう一つは英語で、Routledge社の"Japanese-German
Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public
Opinion" (Edited by: Christian W.
Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に独日の研究者と共に寄稿した、Kato
Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural
Relations during the 1920s and Early 1930s
。ドイツと日本の関係を英語で書くという初めての経験で、編者Christian
W. Spangさんとの交流を含め、面白い体験でした。内容は、日本語でも書いたことのない1920−30年代日独文化交流の統計分析や、国崎定洞ら「在独日本人反帝グループ」の海外への紹介を含んでおり、今後日本語で公刊する予定の物語を、英語で先に試論的に発表したものです。関心のある方は、ぜひご笑覧を。新年第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」を入れて始めた図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」の第3弾は、社会人の方からの投稿で、私自身の考えとは異なりますが、十分学術論文として発表する価値があると判断し、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内さんの第2弾宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」に続いて第3弾宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」を審査の上アップ。長文ですが、ズームアップしてご覧下さい。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word
Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12)
」と並べて新規アップ。ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご笑覧下さい。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」は、現在発売中の5月2日号に、話題の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)を組み合わせて「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」と題して書いてますが、次回アップ。4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)で、戦時日米科学技術体制を比較し「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」には、恥ずかしながら鶏肉を食べられない自分も登場。2月7日号のジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を論じた「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」、1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」と共にご笑覧を。もっとも『マオ』については、世界でも日本でも、毀誉褒貶の各種書評満載、矢吹晋さん、大沢武彦さんの辛口書評も、あわせてご参照を。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件は、一橋大学学生用2006ゼミナール案内へ。新学期で教育センターの一橋大学講義・ゼミは全面更新されています。恒例で、3月に卒業した学部ゼミ学生たちの卒業学士論文をアップ。
ブリックスBRICsという言葉も、定着してきました。かつて1980年代に、アジアで韓国・台湾・香港・シンガポールが輸出を中心に急成長を遂げた時、「四昇竜Four Dragons」とかアジア・ニクス(NICs,Newly Industrializing Countries)という言葉がありましたが、今日ではあまり聞かれません。工業化が挫折したわけではありません。日本、ニクスに続いてアセアン諸国にも工業化が広がってニーズ(NIEs, Newly Industrializing Economies)となり、冷戦崩壊後に、アジア全体が「世界の工場」として定着したからです。BRICsとは、ブラジル(B)、ロシア(R)、インド(I)、中国(C)を指します。4カ国で実に地球人口の45%を占めます。いずれも地理的に広大で、資源大国であり、米欧先進国に対抗する政治力・外交力も持っています。ロシアと中国は国連安保理常任理事国、インド、ブラジルは常任理事国の有力候補です。ブラジル以外の3国は核を持ち、ロシアと中国は宇宙大国でもあります。これらの国々が、今日グローバル世界市場で急成長し台頭しており、米ゴールドマン・サックス社は、2050年には経済規模国別で中国が米国を抜いてトップに立ち、1 中国、2 米国、3 インド、4 日本、5 ブラジル、6 ロシアの順になる、と予想しています。現在の国民国家区分を前提し、EUの将来が顧慮されず、日本については超楽観的でBRJICsにされず、アフリカの潜在力が無視されている問題はありますが、「世界は動いている」ことを予感させるに十分です。ブリックスという言葉は生まれたばかりですが、数十年先にそれが語られなくなる頃には、世界の様相は、大きく変わっていることでしょう。歴史は動くのです。
1960年代に、日本が世界史にない高度経済成長を遂げた時、確かに世界はその秘密に注目しましたが、それは、低賃金長時間労働とか、ダンピング輸出とか、アジアの敗戦国が50年代ドイツ、イタリアに続いてなぜ急速に世界市場に復帰し得たかで、何よりも、アメリカの核の傘と援助のもとで、アメリカ市場に頼った結果であることの確認でした。アジア・ニクスが台頭してニーズになった時代は、ヨーロッパがEECからEC、EU(欧州連合)と、着々と米日経済から離れて独自の政治経済圏を構築する時代でした。日本も「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと一時もてはやされましたが、それは、日米貿易摩擦が激化し、日本が新興アジア経済圏の主役となってアメリカを脅かすかもしれないと見られたからです。しかし、冷戦崩壊の頃から、風向きは変わりました。ヨーロッパは15か国から25か国へとEUを拡大していきましたが、日本は、バブル経済の崩壊から「失われた十年」に突入、在日アメリカ大使館サイトの「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく 日本国政府への米国政府要望書」にあるように、アメリカの構造改革・規制緩和要求に唯々諾々と従い、世界の警察官としての米国軍事行動の番犬役をも丸ごと受け入れて、大きな世界史の流れから、取り残されていきました。日本は必死でアメリカを頼り、従順についていこうとしても、アメリカがいつまでも日本を重宝してくれるとは限りません。都合のいい時には「サイフ」として利用されても、役に立たないとなると、国内ヒスパニック住民と同じように、いつ切り捨てられるかわかりません。歴史は情緒では動きません。国際政治は非情です。
昨14日の朝日新聞夕刊「窓」欄に「DEN構想」という小さなコラムが載っています。バブル時代に「ジャパン・バッシング(日本たたき)」の代表格とされたベストセラー『日米逆転』(ダイヤモンド社、1988年)で、日本経済の台頭とアメリカの貿易赤字250億ドルの危機を分析したエコノミスト・プレストウィッツ米経済戦略研究所長が、今度は新刊『東西逆転』(NTT出版)で、中国・インドをはじめアジア経済の台頭とアメリカの8000億ドルにふくれあがった貿易赤字から、迫り来るドル暴落、世界経済危機の可能性を警告しています。プレストウィッツの視点そのものは、日本からアジア全体に広がり、双子の赤字を抱えたアメリカ経済の現状を憂えている点で変わりはありませんが、東西の「東」の中身が変わっています。20年前に最大のライバルとされた日本は、今日膨大な米国債を持つドル依存国ですから、中国・インドの台頭に対して日米共同で対処しなければならない、それには日米経済を一体化して、EUのユーロ(Euro)にも対抗し、ドルと円を合体した「DEN=Dollar+Yen」を作っては、というのです。つまり、日本は「東」でなく「西」としてアメリカと運命を共にせよ、というわけです。 かつて世界的にアジア・ニースの台頭が注目され、プレストウィッツが『日米逆転』を出した1988年、アメリカ留学から帰国して書いた私の時事問題での処女作は、『ジャパメリカの時代に』(花伝社)と題していました。その前にヨーロッパ生活を経てきた私には、アメリカ主流派の「日本たたき」もライシャワーら「親日派」の主張も、どこか親子喧嘩か夫婦喧嘩に見えて、その実感を、「Japan+America=Japamerica」としたものです。当時は「ジャメリカ Jamerica」や「アメリッポン Amerippon」という言葉も現れ、アメリカの雑誌や日経新聞なども使っていました。それが20年を経て、「ブリックスの時代」に入って「DEN」とは、何とも皮肉です。「国際化」から「グローバリゼーション」へと環境も用語も変わったこの20年で、日本は、どこかで舵取りを間違えたようです。
ドルと円を合体した「DEN」の軍事・安全保障版が、米軍世界再編と沖縄の基地移転問題です。普天間基地を名護市の辺野古の海に移転するという沖縄県内たらい回し案は、もともと日米政府間の関係だったはずなのに、沖縄の人々の中に、深い分裂をもたらしてきました。本来沖縄県と同じ「東」のはずの日本政府が、「西」のアメリカ政府の側に立って、最も近い利害関係者である地元住民の意向を無視し、名護市長に滑走路V字型2本を設置する案を認めさせ、沖縄県も追認することになりそうです。次は、在沖縄米軍海兵隊の移転費用の75%を日本に負担させようという、アメリカの虫のいい要求が待っており、ブッシュの忠犬小泉首相はもちろん、次期総理といわれる「麻垣康三」の誰もが、せいぜい負担額を値切るだけで、反対できないでしょう。かつて日本政府も認めたはずの「15年使用期限」もなくなり、沖縄戦と米軍直接占領から出発してようやく「復帰」をかちとったはずの沖縄が、再び「ジャパメリカ=DEN」の最前線基地として「西」に翻弄されようとしています。1本の滑走路は「東」への出撃基地であり、もう1本は、治外法権の「DEN」基地です。これを推進する自民党政府が、政権与党公明党と合意し、今国会成立をめざす教育基本法改正の柱に「国と郷土を愛する態度」を入れようというのですから、笑わせます。これまで「愛国心」の表記について、「国を愛する心をしっかり書き込むべきだ」と主張する自民党と、「国を大切にする」とする公明党の意見が対立していたのですが、その妥協案として「国と郷土を愛する態度」が成立し、今月中には法案になる勢いです。あのメール問題で自滅した民主党が、「新しい顔」にしたのが小澤一郎、基地問題でも教育問題でも「DEN」の力に対抗できそうもありません。「DEN」の凝集力への苛立ち、せいぜいプチ・ナショナリズムのガス抜きでしょう。『国家の品格』とかいう本が、爆発的に売れています。「論理より情緒」と公言する数学者らしい(らしからぬ?)著作にも、「国柄」とか「愛国心」とか頻繁に出てきます。かつて19世紀のドイツに「国家有機体説」というのがありました。国家を生命ある有機体とみなし、その成員たる個人は全体の機能を分担するという話で、国家も「心」を持つから共有せよ、というわけです。これが社会進化論や地政学と結びついた時にどうなったかは、20世紀の人類は十分思い知ったはずでした。日本では家族主義・家父長制・天皇制とも結びつけられ、どんなに大きな犠牲が強いられたことか。歴史は確かに動くのですが、繰り返されることもあるようです。
新しい論文が二つ、書物になりましたが、単行論文集中の一本ですので、本サイトにはアップできません。一つは日本語で、「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを、問題提起したものです。この講座そのものが意欲的で、多くのすぐれた問題提起が入っていますから、ぜひともご笑覧とご批判を。もう一つは英語で、Routledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に独日の研究者と共に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s 。ドイツと日本の関係を英語で書くという初めての経験で、編者Christian W. Spangさんとの交流を含め、面白い体験でした。内容は、日本語でも書いたことのない1920−30年代日独文化交流の統計分析や、国崎定洞ら「在独日本人反帝グループ」の海外への紹介を含んでおり、今後日本語で公刊する予定の物語を、英語で先に試論的に発表したものです。関心のある方は、ぜひご笑覧を。新年第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」を入れて始めた図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」の第3弾は、社会人の方からの投稿で、私自身の考えとは異なりますが、十分学術論文として発表する価値があると判断し、宮内広利「マルクス<学>の解体」をアップしました。宮内さんの第二弾宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」も審査の上アップ。長文ですが、ズームアップしてご覧下さい。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に入れました。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べて新規アップ。ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご笑覧下さい。
日本にいるとほとんど見えてきませんが、世界はいま大きく動いています。イラク戦争についての米国ブッシュ大統領の醜い弁明、「イラクで民族分裂や、宗教虐殺が起きた責任は旧フセイン政権にあり、アメリカの軍事的存在ではない」「旧フセイン政権の支配はイラク情勢の不安定をもたらした」「イラクから軍隊を撤退すれば、イラクはテロリストの天国になる恐れがある」「イラクで連立政権を発足させるのは非常に難しいものの、中東地区で自由のイラクを作ることはアメリカの国家安全にとって非常に重要だ」。イラク国内は内戦模様で、宗派対立で2日間で150人死亡、イラク米軍の誤射は2か月で30人、29日も日本の自衛隊のいるサマワ宿営地近くで爆発音、地元警察によると「迫撃砲弾」だという。支持率低迷・反戦運動高揚でサマワのイギリス軍はオーストラリア軍と共に5−6月に撤退完了を決定、しかし日本の小泉内閣は撤退時期明言できず。飼い主ブッシュの許可が出ないと、忠犬は啼けないということでしょうか。Iraq Body Acountの集計したイラク戦争の市民の犠牲者は最低でも33773人、米英軍のこの3年の死者も2539人、毎日2.29人が命を落としています。イラク戦争3周年の3月20日、イギリスでは1万2千人のデモがありました。でも現局面の特徴は、イラク戦争のみならず、ブレア年金改革反対で地方公共団体職員ら150万人が24時間ストライキ、1000校が休校、フランスの初期雇用契約導入に反対して労組や学生300万人がストライキ・デモ、4月4日にも大規模な抗議行動があります。アメリカの移民規制法強化に反対してロスアンジェルスで50万人デモ、ブッシュの「正義」は足元から揺らいでいます。それなのに、次はイランに標的を定め、むしろ戦域拡大で、誤った情報から始まった戦争の誤りを湖塗しようとしています。これも日本ではほとんど報じられませんが、3月24−29日、パキスタンのカラチでアジア社会フォーラムが開かれました。アタックジャパンや現地の小倉利丸さんらから、報告が寄せられています。秋のバグダッドでのフォーラム開催をめぐって混乱もおきているようですが、アジアでもタイのタクシン首相退陣要求デモをはじめ、民衆が街頭に出ています。世界でこんなに民衆運動が同時的に高揚するのは、イラク戦争開始直前の2003年2ー3月以来です。
そんな中で、格差拡大を8割もの人が実感していながら、 なぜ日本ではデモやストライキがおきないのでしょうか。ネット上でも議論されていますが、どうもトリノ・オリンピック女子フィギュアや野球のWBCへの熱狂、藤原正彦さんの『国家の品格』のベストセラーなどと、関係がありそうです。小泉政権の5年が、北朝鮮の核や拉致問題を利用し、靖国神社参拝や竹島問題で意図的に煽ったプチ・ナショナリズム、プチ帝国気分です。興味深いデータを見つけました。「日本人の好きな国、嫌いな国」の長期データ、私自身の一橋大学学生政治意識調査の結果と似て、核実験や戦争、社会主義崩壊などで揺れ動きますが、アメリカへの近親結婚的好悪、旧ソ連・ロシアに代わる北朝鮮の悪玉化、スイスへの全般的好感、中国・韓国観の好悪の情況反応性などが読みとれます。しかも全体として外国「嫌い」が増えている不気味さ。プチ排外主義が高まっています。かつて19世紀末の帝国主義時代にフランスの法学者デュギーが唱えたように、グローバルな社会連帯主義が、いまこそ必要な時です
読者から壁紙おかしいというご指摘で、急遽昔のものをリバイバル。新自由主義や「構造改革」に関心のある方は、在日アメリカ大使館ウェブサイトの「政策関連文書」「経済・通商関連」「規制改革」の「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく 日本国政府への米国政府要望書」 (2005年12月7日)へ。小泉「構造改革」の秘密を知る実に面白い資料です。新年に、第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」を入れて始めた図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」の第3弾は、社会人の方からの投稿で、私自身の考えとは異なりますが、十分学術論文として発表する価値があると判断し、宮内広利「マルクス<学>の解体」をアップしました。宮内さんからは第二弾宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」の寄稿があり、審査の上アップ。長文細字ですので、ズームアップしてご覧下さい。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に入れました。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べて新規アップ。『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)と、その原型でもある、講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご参照下さい。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」は、現在発売中の4月4日特大号に、立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)と歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)で、戦時日米科学技術体制を比較してみました。アップは次回に。3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」と題してアップ。恥ずかしながら、鶏肉を食べられない自分も登場。2月7日号のジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を論じた「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」、1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」、と共にご笑覧を。もっとも『マオ』については、世界でも日本でも、毀誉褒貶の各種書評満載、矢吹晋さん、大沢武彦さんの辛口書評も、あわせてご参照を。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件は、一橋大学学生用2006ゼミナール案内へ。新学期です。教育センターの一橋大学講義・ゼミを全面更新。
13日朝のWBC日米戦、8回表1死満塁での犠打がタッチアップの判定で大もめ、セーフとした2塁塁審のジャッジを主審がくつがえしてアウトに。京都議定書や国際刑事裁判所設立に加わっていながら、自分の都合に悪いと国際ルールに従わない身勝手な単独行動主義・自国中心主義を思わせる横暴です。韓国朝鮮日報が「厚顔無恥な詐欺」「明らかな誤審」と書いたのも、むべなるかな。もっともこれは、翌日アメリカに大勝した韓国の余裕か。その見出しが秀逸、曰く「45億ウォン軍団が900億ウォン軍団をKO」。 トリノ・オリンピックの余波で、フィギアスケートとカーリングがブームとか。でも冬季スポーツは日本では長期的衰退産業、ワールドカップが始まればマスコミから忘れられるでしょう。前回「日本=選手112名・役員126名・金1 銀0 銅0、 韓国=選手40名・役員29名・金6 銀3 銅2」と書きましたが、バンクーバーの前に、まずは日本スケート連盟の黒い霧を晴らすのが先決でしょう。2016年オリンピック立候補を目指す福岡と東京にも要注意、長野オリンピックも、誘致に失敗した大阪も、環境破壊や誘致接待の税金無駄遣いで、大変なツケを住民に残したんですから。一人の審判よりみんなの眼が正しいなら、世論調査こそ正直なはず。このところのマスコミの世論調査で、民主党の支持率は軒並み数%の低下。かの偽メール問題の曖昧な決着が理由です。15日朝刊の謝罪広告にご注目。でも永田議員・前原代表の責任、メール作成・仲介者の意図等、まだまだ未解決です。その反動で、4点セットでレームダックになるはずだった小泉内閣支持率の方は、ちょっぴり回復。それどころか、まだ参議院があるのに、国会予算審議は4点セット抜き。勢いに乗った自民党は、憲法改正のための国民投票法案と教育基本法改正案も今国会に上程する意向、これがこのまま日本政治の屈折点になるようなら、最大与党民主党の政治責任は重大です。
世論といえば、グローバルな米軍基地再編に伴う米空母艦載機移転を受け入れるかどうかの岩国の住民投票、投票率50%以下なら開票せずという背水の市民運動だったのですが、12日の投票率は58%を越え、賛成5369、反対43433の民意表出、有効投票の87%、全有権者比でも過半数が明確にノーと答えました。ただし、これにもあくどい主審がいて、国家の安全保障は地元住民を越える政府の専権事項だとか言って、日本政府は、ひたすらアメリカの意向にあわせるようです。そもそも岩国基地は、4点セットの一つ防衛施設庁談合の現場なのに、小泉首相の談話は「どこでも住民投票をすれば『反対』ということでしょ。安全保障の難しいところですね」と馬耳東風、いったいどっちを向いているんでしょうか。靖国問題も拉致問題も置き去りにしたまま、小泉首相の任期最後の大仕事は、訪米になりそうです。その米国のイラク戦争を、いま地球市民に世論調査したら、「正しかった」という人は、どれだけいるでしょうか。前提だった「フセイン政権の大量破壊兵器」の欺瞞は完全に暴かれ、「テロリスト支援の独裁政権を倒した」という開き直りも、国際的には完全に破綻しました。それでも強引に選挙を実施し、今月末には新政権が誕生、日本の自衛隊もイギリス・オーストラリア軍と一緒に撤退できるはずだったのですが、イラク国内は、いまや米軍もお手上げの内戦状態、アブグレイブ刑務所は国際世論に押されて事実上の閉鎖、ブッシュが戦後日本に倣うと豪語した「占領=民主化」は、幻になろうとしています。独善的なアメリカ世論さえ今やブッシュ離れで、次期大統領選に女性大統領が生まれるかどうかの方が話題。この点でも、9月退陣を控えた小泉純一郎の強運は、世界的例外です。いや、気まぐれなプチ・ナショナリズムの世論に乗って、うまく余力を残し乗り切るつもりのようです。しかし、改憲世論を主導する読売新聞調査でも「格差広がっている」81%、こちらの世論も無視するのでしょうか。
アメリカ中心のグローバリゼーションに対する地球的規模での世論調査を、ウェブ上でできないか、できるようになるのではないか。ベストセラーの梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んだ人は、そんなイマジネーションを持つでしょう。そこではグーグルをモデルにしたネットワーク型組織の革命性が謳われ、ブログが世界を結んで交流しあい、リナックス型のオープンソースシステムが「不特定多数無限大」の「グーグルの実現する民主主義」を保証し将来の「総表現社会」をもたらすとされています。この「ウェブ上の民主主義」を頼りに、護憲派の「マガジン9条」が、日本国憲法第9条についての新春企画「ヴァーチャル国民投票」をよびかけ、2月1日に締め切りました。総投票数35872票ですから、世論調査としては画期的なサンプル数です。性別・年齢では男性・40歳以下が多いのですが、これはウェブ社会の特性と見なせば、地域別には分散しており、全国全世代調査としての要件をまあ満たしています。500人から2000人程度の電話帳無作為抽出によるマスコミの世論調査より、はるかに信頼度はありそうです。ところが――この調査の結果は、主宰した「マガジン9条」の期待と予想を、大きく裏切るものになりました。詳細は「マガジン9条」ホームページにありますが、まずは35872票のうち同一IPアドレスから10090票が終盤に集中し、企画者側は、これを重複投票ではないが疑問票と考え、有効投票母数を25782票としました。3分の1近くが、無効票となったことになります。この英断は、今後のこの種の世論調査をウェブ上で行うさいに、評価すべき事です。疑問票の多数が、護憲派の集中的アクセスだったことも、正直に述べられています。選択肢が単純な9条賛否の2択でなく、9条改正に3つ、9条擁護に3つの6択にしたのも、「論憲」時代のひとつの見識です。結果は8割が改正賛成でした。私が分析した昨年の主要マスコミ世論調査結果「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」に比しても、突出して改正派が多く出ています。ウェブ利用層、性別・年齢の偏りが作用しているとはいえ、真摯に受けとめるべき数字です。護憲派・活憲派は、ウェブ上では劣勢です。永田町ほどではないにしても、ウェブ世代では周辺化しています。石坂啓(漫画家)、上原公子(国立市市長)、香山リカ(精神科医)、姜尚中(東京大学教授)、佐高信(評論家)、椎名誠(作家)、ピーコ(服飾評論家)、森永卓郎(経済アナリスト)らを発起人とする「マガジン9条」が、自分たちに不利なその結果をちゃんと発表したのは、当然とはいえ、評価すべきことです。かつて最大野党だった日本社会党が、飛鳥田委員長時代、第3者に頼んだ政党イメージ調査で自党に不利な結果を隠して発表せず、物笑いのタネになったことがありました。現在の社民党・共産党も、自派に都合のいい調査結果だけを使う傾向があります。企画者の「反省と感想」も誠実で好感がもてます。ウェブ上での強固な9条護憲派は2割以下という現実、ぜひとも、さまざまな護憲・活憲運動の反省の糧にしてほしいものです。いっそう重要なのは、投票理由を書いた442通の意見の全文掲載。護憲派への厳しい批判も多く、これらのナマの意見こそ、護憲・活憲派にとっての貴重な資料であり、出発点になりうるものです。アントニオ・ネグリ=マイケル・ハートの『マルチチュード』(NHKブックス)をお読みになった方も多いでしょう。前著『<帝国>』(以文社)では曖昧だった、彼らのいう「マルチチュード」の具体像が、生き生きと描かれています。それは『ウェブ進化論』のいう「総表現社会」とよく似ています。世論とは、それがグローバルにフランクに表出された時には、マルチチュードになる爆発力を秘めています。私のエッセイ「群れるマルチチュード」も、ご参考に。
読者から壁紙おかしいというご指摘で、急遽昨年版をリバイバル。新自由主義や「構造改革」に関心のある方は、在日アメリカ大使館ウェブサイトの「政策関連文書」「経済・通商関連」「規制改革」の「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく 日本国政府への米国政府要望書」 (2005年12月7日)へ。小泉「構造改革」の秘密を知る実に面白い資料です。新年に、第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」を入れて始めた図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」の第3弾は、社会人の方からの投稿で、私自身の考えとは異なりますが、十分学術論文として発表する価値があると判断し、宮内広利「マルクス<学>の解体」をアップしました。宮内さんからは第二弾も寄稿があって、現在審査中です。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に入れました。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べて新規アップ。『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)と、その原型でもある、講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご参照下さい。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」に、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」と題してアップ。恥ずかしながら、鶏肉を食べられない自分も登場。2月7日号のジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を論じた「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」、1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」、と共にご笑覧を。もっとも『マオ』については、世界でも日本でも、毀誉褒貶の各種書評満載、矢吹晋さん、大沢武彦さんの辛口書評も、あわせてご参照を。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件は、一橋大学学生用2006ゼミナール案内へ。
夏のオリンピックと冬のオリンピックの違いも、気になったところ。アフリカからの選手はチラホラで、日本のテレビでは、日本人と白人以外は滅多に出てきません。もともとスキーやスケートは、北半球の貴族的スポーツから出発し、装具やトレーニングの経済的負担が大きい問題もあります。ですからロシア(金7銀10銅7)やエストニア(金3銀0銅0)の選手が、生活を賭けて頑張るのはよくわかります。冬季オリンピックは、世界的な格差社会の一部でもあるのです。そういえば、イタリアでもトリノは、特別の街です。靴底の貧しい南部と対比される、貴族的な「北」の中心。かつてアントニオ・グラムシやピエロ・ゴベッティがトリノ大学で学び、労働者評議会の自主管理を体験した工業都市。今でもフィアットが本拠をおき、ノルベルト・ボッビオが『光はトリノより』と謳った文化都市でもあります。そこにたった一人の選手が参加したタイでは、タクシン首相の汚職を糾弾する7万人デモから解散・総選挙へ。誰もトリノに行かなかったフィリピンでは、レイテ島地滑りのうえに、ちょうどピープルパワー20周年でアロヨ大統領の辞任を求める民衆運動に非常事態宣言。すぐそばの台湾でも国家統一綱領終了宣言の新しい動き。核開発で緊迫するイランは選手団を送ったようですが、ロシアと結んだ深刻な局面へ。イランに近いシーア派とスンニ派の宗教的対立が激化し、選挙後の新政権作りも、日本のサマワ撤退もままならなくなりそうなイラクでは、国連総会満場一致「オリンピック休戦」決議にもかかわらず、報復合戦で200人以上の死者が出ています。アメリカはイラク戦費1200億ドルを追加投入、サウジアラビアでの石油施設テロの危険は石油価格高騰に直結、ブッシュ大統領支持率も史上最低34%へ。世界は揺れ動いています。
そんな中での民主党永田議員による「堀江送金メール」質問問題、せっかく4点セットが出て、国民の野党への期待が高まっていたのに、とんでもない自爆質問で流れを変えてしまいました。そもそも前回2月15日の更新時は、こんなになるとは全く考えずに野党の「爆弾質問」を期待したのですが、その翌日あたりから怪しげな流れになって、下に22日付けの中間コメント。その後「堀江メール」の胡散臭さは次々に明るみに出て、4点セット本番追及の前に、民主党は党としての統一・信頼を揺るがす大迷走。昨2月28日の永田議員謝罪記者会見、野田国会対策委員長の辞任、鳩山幹事長・前原代表の陳謝でも、まだまだメール事件そのものの真相は解明されていませんし、国会での政府・自民党側の反転攻勢が始まり、国民の信頼回復は大変でしょう。すでに世論調査で、この1週間で支持率5%以上喪失というデータもあります。余裕の小泉首相に同情されるようでは、今国会での再起は困難かもしれません。徹底的に、今回の問題から危機管理の在り方を学び、反省すべきです。情報戦の時代であるからこそ、野党の情報戦の失敗は大きく政治にはねかえるのです。あきれるのは、いかがわしい電子メールをもとにした追及でこんなことになったのに、インターネット情報戦が全然できていないこと。2月28日の党声明で「大きな判断の間違いを犯したことを認め」たはずなのに、それは民主党ホームページの「トピックス」に小さく出ているだけで、24時間たっても、そこから「所属議員」でリンクされた当事者の永田議員HPは「永田議員 衆院予算委 武部自民党幹事長らの参考人招致を要求」を写真入りで得意げに載せてそのまま、責任を取ったはずの野田前国対委員長HPでは、 2/ 21国対委員長記者会見要旨「国内外に重大な関心をもっている口座がある、あくまで国政調査権発動を求めていく」がトップ記事でマーク。鳩山幹事長HP「今日の一言」「今週の予定」や前原代表HPは、1月の新年挨拶から更新なし、菅直人元代表「活動日誌」の「今日の一言=2006-02-28 (Tue)2月も今日で終わり。メール騒動に終止符を打たなくてはならない」や「団塊党準備室」が空しく響く、お粗末なインターネット対応。これでは「ガセネタ」をつかまされ、飛びつくのもむべなるかなです。いっそ上場廃止になるライブドアからでもIT専門家を引き取り活用しては、といいたくなる無惨。皮肉なことに、この問題の最新ニュースがまとめて読めるのは、ライブドアの「トピックス」ページ。ご丁寧に武部自民党幹事長サイトほかが「関連サイト」で、面白いブログも「関連ブログ」で、リンクされています。でも疑惑解明にシュリンクする必要はありません。ちゃんとした準備と節度をもって追及・質問することです。真実は、いつか明らかになります。沖縄返還協定の日米密約のように、当時の社会党横路孝弘議員(現衆議院副議長)が国会で質問し厳しく追及したにもかかわらず日本政府は否定し、逆に社会党への情報提供者を「機密漏洩」で逮捕・起訴・有罪。アメリカ側から公文書がみつかり、当時の日本政府の高官によっても事実として認められたのは、30年以上たったつい最近のことでした。もとよりウェブ上の怪文書・怪情報は、至る所にあります。自衛隊マル秘データさえ飛び交う時代、取り扱いにはくれぐれもご注意。
民主党の名誉のために、同党のすぐれた調査・質問の事例も、紹介しておきましょう。2004年12月、在独日本大使館サイトのドイツ語版「君が代」訳文冒頭が、ドイツ語では「君主よ、汝の支配が千年も、幾千年も続くように」の意味であったため、国会で民主党の質問趣意書のテーマになり、「誤解を招きかねない」として修正されたことがあります。民主党小宮山泰子議員の質問趣意書に、政府は内閣総理大臣小泉純一郎名で正式に答弁し、「政府として、『君が代』の歌詞についての統一的な外国語訳は作成していない」「御指摘を踏まえ、今後速やかに、全在外公館に対して『君が代』の意味についての政府見解を周知徹底するとともに、御指摘の在ドイツ日本国大使館に対しては、適切に対処するよう個別に指導することにより、在外公館における今後の広報活動等に遺漏なきを期する所存である」という回答を引き出し、実際に修正させた経験こそ、今日の迷走民主党が、しっかり学び、受け継ぐべきものです。「日刊ベリタ」で拾ったちょっといいニュース。靖国問題や「反日デモ」で困惑した北京の在中国日本大使館は、「戦後日本のあり方を説明する上で欠かせない文書として、日本国憲法の全文中国語訳を作成して配布」し始めたとのことです。ということは、これまで日本国憲法を現地語で紹介することをしてこなかったからかと気になって、ちょっと調べたら、日本国憲法の外国語訳は、英語・中国語・韓国語訳しかなく、しかも外務省管轄の在外公館は、日の丸・君が代は宣伝しても、平和憲法を現地の民衆の言葉で広報することはしていないようです。「市民立憲フォーラム」サイトで、日本国憲法の中国語訳は在中日本大使館ホームページと台湾総統府ホームページに出ていること、韓国語訳は韓国・国会図書館と伊藤真さんの法学館憲法研究HPの伊藤塾訳があることを知りました。英語版は、もともとGHQ占領下の英語草案もありましたから、本サイトリンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」にも、いくつか入っています。しかし、英中韓以外の言葉では、どうやら日本政府は日本国憲法を外国で現地語で説明・普及することを怠ってきたらしいのです(反証があったらぜひ katote@ff.iij4u.or.jp にメールを)。ドイツ・ベルリンの日本大使館のドイツ語サイトや、フランス・パリの日本大使館フランス語サイトを覗いてみましたが、日本国憲法を現地語で知ってもらおうと努力している形跡はありません。かつての侵略地タイやフィリピンでも、現地の日本大使館HPには、英語版日本国憲法さえ入っていません。その代わりなぜか、日の丸・君が代は必ず入っています。ODA援助情報等は、しっかり発信しています。聖書も『共産党宣言』も、現地の民衆の言葉に翻訳されることで、世界に普及しました。NPO法人「情報公開市民センター」の奮闘で、外務省機密費の使途を全面情報公開すべきという東京地裁判決も出ました。「機密費は、酒や絵画購入費などにも使われている。これらは『公にしないことを前提とする外交活動』にあたらない」と認定し、「本来の使い道以外にも使われていたことになり、支出基準や運用のあいまいさへの疑念をぬぐえない」として、不適切な支出を問題にしています。高価なワインを買うことよりも、現地の人に英語版からでも日本国憲法を現地語に訳してもらい、各国の日本大使館のホームページにかかげ、冊子にして普及していくことこそ、在外公館本来の「適切な仕事」でしょう。グローバルな「 活憲」です。こういうことこそ、民主党は、しっかり調べて、十分準備し、国会で質問すべきなのです。
ちょうど85万ヒットです。新自由主義や「構造改革」に関心のある方は、在日アメリカ大使館ウェブサイトの「政策関連文書」「経済・通商関連」「規制改革」の「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく 日本国政府への米国政府要望書」 (2005年12月7日)へ。小泉「構造改革」の秘密を知る実に面白い資料です。新年に、第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」を入れて始めた図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」に、第3弾です。社会人の方から投稿があり、私自身の考えとは異なりますが、十分学術論文として発表する価値があると判断し、宮内広利「マルクス<学>の解体」をアップしました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお送り下さい。また「学術論文データベース」内論文を、雑誌等に掲載したい方もご連絡を。筆者を紹介致します。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は政治学研究に入れました。リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べて新規アップ。『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)と、その原型でもある、講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご参照下さい。
第5の皇室典範問題は、せっかくですから内閣サイトの有識者会議資料でじっくり勉強を。私の『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)が解明した、なぜアメリカは第二次大戦後に天皇制を残そうとしたのかまでは出てきませんが、天皇制問題を考える、格好の基礎資料満載です。
いや、やっぱり政界や金融市場よりは、オリンピックの方が、はるかに透明でフェアーです。世界中のあらゆるアスリートの、健闘を祈りましょう。トリノ・オリンピックの開会式をごらんになったでしょうか。ニュースでは省略されましたが、ライブで見た人は、オノ・ヨーコの平和メッセージとピーター・ガブリエルがうたうJohn Lennonの「イマジン」を聞いたでしょう。五輪旗を運んだのは、ソフィア・ローレン、ノーベル平和賞受賞のワンガリ・マータイらオリンピック史上初めての女性ばかり8人、これらすべてはトリノのオリンピック組織委員会の演出で、2001年9/11直後に「イマジン」放送禁止が問題になったどこかの国や、未だに女性女系天皇はけしからんとさわいでいるどこかの国とは、大違いです。これが21世紀ヨーロッパの常識です。そういえば、テレビ同時中継で出てこなかったのは、国連総会で満場一致で決められたトリノ「オリンピック休戦」の話と開会式場にアメリカのブッシュ夫人、イギリスのブレア夫人がいたこと。ブッシュ=ブレアと「イマジン」じゃ、せっかくの「平和」のテーマに合わなかったんでしょうね。そのブッシュ大統領の懐刀チェイニー副大統領が、猟銃で友人を「誤射」=殺人未遂という話し、その公表が遅れた話しも出てきて、明らかに政権の末期症状。イラクでは、どんなに多数のイラク市民が「誤射」されたのでしょうか。こなたイギリスのブレア政権も、イラクからの撤兵を控えて、イギリス軍兵士によるイラク人少年虐待問題が浮上、こちらも支持率低迷で末期症状です。日本で小泉純一郎首相がまだ5割の支持率を維持しているのは、イラク占領・派兵同盟国のなかでは例外的高さ。もっとも、ダーティーでない代わりが、みつからないだけでしょうが。安倍官房長官には、知る人ぞ知るウェブ上の「疑惑相関図」で、ライブドアとヒューザー小嶋社長が結びつく「安晋会」のダブル疑惑、「小さくても強い政府」の麻生外務大臣には、同盟国の有力紙『ニューヨーク・タイムズ』が、社説でキツーイ靖国外交批判です。
昨年ブラジル・ポルトアレグレ大会で、2006年は世界各地でリージョナルな大会を開く実験を決めた世界社会フォーラム、前回お知らせしたカラカス大会の参加報告が入ってきました。在日アメリカ大使館ウェブサイトの「政策関連文書」「経済・通商関連」「規制改革」の「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく 日本国政府への米国政府要望書」 (2005年12月7日)は、小泉「構造改革」の秘密を知る実に面白い資料です。新年に、第一弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」を入れて始めた図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」に、ある社会人の方から投稿がありました。審査中ですので、しばらくお待ち下さい。ご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文を、政治学研究にアップしますのでリンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共にぜひ。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、昨年末のエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べて新規アップ。『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の原型でもある、講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご参照下さい。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」は、2月7日号の、ジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店)を、「米・日・沖縄関係の深層に宿る人種主義的偏見のまなざし」として新たに収録。1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」、および「満州国という魔物と女たちが見た魑魅魍魎」と題した12月6日号の佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)と由井格・由井りょう子編『革命に生きる 数奇なる女性・水野津太――時代の証言』(五月書房)、「20世紀のどこかで、労働の意味が変わった」と題した11月8日号のロナルド・ドーア著・石塚雅彦訳『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)及び稲葉振一郎『「資本」論 取引する身体/ 取引される身体』(ちくま新書)、等もどうぞ。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件は、一橋大学学生用2006ゼミナール案内へ。
世界社会フォーラムの方は、昨年のブラジル・ポルトアレグレ大会で、2006年は世界各地でリージョナルな大会を開く実験を決めました。2006年フォーラムは、1カ所ではなく、4カ所で開かれます。カラカスのアメリカ大陸フォーラム、マリ・パマコのアフリカ大陸フォーラムは1月に開かれたようですが、アタックWSFのサイトにあるように、南アジアのカラチ大会はパキスタン地震のため3月23−28日、東アジアのタイ・バンコック大会は10月21−22日開催になりました。つまり今年は、世界中から十万人以上が集まる祝祭型から、「ポリセントリック(多中心的)」にフォーラムしよう、ということになったのです。2001年以来のWSF運動の試練の一局面であり、同時に運動の成熟を示すものでしょう。相変わらず日本のマスコミは、WEFは追いかけても、WSFは無視していますが、世界社会フォーラムは健在です。
アメリカ主導の新自由主義グローバリゼーションと、「もう一つの世界は可能だ!」の対抗は、中東をはじめ世界中で続いていますが、日本国内ではこれが、「規制緩和」のひずみが次々に発現する一方、自由な言論・思想表現活動への「規制強化」と一緒に進んでいます。街に出れば監視カメラ、大学内でビラを撒こうとすると検挙、インターネットへの規制も強まっています。上野千鶴子さんへの「ジェンダー・バッシング」もその一環です。規制すべき市場のルールについて政府が何もせず、介入すべきでない市民社会の内部は、なぜか窮屈になっています。「規制緩和=小さな政府」論の不思議です。その秘密が、よく分かるサイトがあります。在日アメリカ大使館です。トップの「政策関連文書」から入って、「経済・通商関連」に入ると、いきなり「日米経済関係 今までで最高の状態」と出てきて、そこの「規制改革」をクリックすると、「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく 日本国政府への米国政府要望書」 (2005年12月7日)が出てきます。その、なぜか日米戦争開戦記念日に日本側に手交されたアメリカ政府の日本への「規制緩和要望書」が、おそろしく細かく、品目も具体的です。50頁にものぼる膨大な文書ですが、アメリカのホンネがよくわかります。2001年の小泉=ブッシュ会談以来の全文書を見ると、郵政民営化や携帯電話規格、栄養補助食品販売から外国人弁護士の市場開放まで、実に事細かに「市場の規制緩和」を具体的に要求しています。小泉内閣の軌跡と、この「規制緩和要望書」各年版を重ね合わせると、何のことはない、日本の「小泉劇場」で「改革」と絶叫されたものは、ほとんどホワイトハウスのシナリオから生まれたのではと思われてきます。「改革」Tシャツを着たライブドア3兄弟は、その舞台のセリフの下手な役者であったようです。他方で、この「政策関連文書」サイトには、「安全保障関連」「テロとの戦い」「イラク関連」文書も入ってます。こちらもブッシュ大統領「京都で自由と民主主義を語る」以下、ブッシュイズム分析の材料満載ですが、どうも、こちらの延長上からは「市民社会への規制強化」が出てくるようです。とにかく日本語で読めますから、ぜひ一度じっくり在日アメリカ大使館サイトを探検してください。まともな日本のネチズンなら、はじめ面白く、やがて背筋が寒くなるでしょう。要するに、アメリカに忠実な「小さな政府」の正体とは、麻生外相のいう「小さくても強い政府」でした。福祉や市民サービスは削っても、警察力や軍事力は大きくなる仕組みのようです。
この麻生太郎氏、なんと「天皇の靖国参拝実現を」と公言してはばからない、トンデモ外務大臣です。マンガが好きだといいますから、小林よしのりを愛読しての世界外交でしょうか。せめて私の『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)ぐらい、読んでほしいものです。この件は、在日アメリカ大使館HPにはなく、CIAホームページのThe World Factbook JAPANまで立ち入らないと、解けませんから。なぜアメリカが天皇制を残したのか、なぜ麻生氏の祖父吉田茂が宰相になれたのかが、アメリカが参戦するにあたって緻密に作られた戦後世界構想から、わかるはずです。この麻生発言といい、建築基準法違反をずうずうしく認めた東横イン社長といい、この国の言論空間の弛緩し緊張感を欠いた独善と閉鎖性、いやグローバルに広がった情報戦の意味を感知できない政治家や経営者の無神経が目立ちます。『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の原型でもある、講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) も、ご参照下さい。「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」の問題は、現在発売中の日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号に、「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文を寄せました。2月号が出たら、アップしましょう。新年に図書館内に新しいコーナーとして立ち上げた「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」、第一弾の周初氏「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」は入りましたが、今のところ、他の方からの申請はありません。「ネチズン・カレッジ」図書館に入れたい論文あったら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお送り下さい。図書館「特別室2 」には、エッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」も。『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)の「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」、および「満州国という魔物と女たちが見た魑魅魍魎」と題した12月6日号の佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)と由井格・由井りょう子編『革命に生きる 数奇なる女性・水野津太――時代の証言』(五月書房)、「20世紀のどこかで、労働の意味が変わった」と題した11月8日号のロナルド・ドーア著・石塚雅彦訳『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)及び稲葉振一郎『「資本」論 取引する身体/ 取引される身体』(ちくま新書)、等もどうぞ。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)もご笑覧下さい。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介された件は、一橋大学学生用2006ゼミナール案内へ。
でも、私が求められて挨拶したのは、「横断左翼」「縦断左翼」だけでいいのか、という問題。新年のHP更新を「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」コーナー改訂として述べたように、「戦後民主主義」や労働運動・市民運動の土台であった日本国憲法そのものが危うくなっているのですから、「左翼」が「サヨク」と揶揄され、「護憲」が「時代遅れ」と受けとめられている状況には、「左翼」の枠を越えた「横断平和運動」「縦断活憲運動」が必要ではないか、と敢えて大先輩たちの前で述べました。それは、主人公の樋口篤三さんが、まさに私心なくさまざまな党派・運動を献身的に橋渡しし、私たち戦争を知らない世代に対しても、年齢を感じさせない笑顔と澄んだ眼で、率直に自分たちの経験を、回顧談としてではなく、今必要な社会運動のアートとして語りかけてきたのに、応えたものでした。もう一つ、理由がありました。「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」コーナーをつくるために、松山大学田村譲教授「たむ・たむページ」の「憲法関連のページ」と、改憲派ですが充実した「民間憲法臨調」の「憲法に関する基本資料」を詳しくチェックし、後者所収の昨2005年の憲法問題主要世論調査を調べていて、確かに国会レベルでは昨年9・11総選挙後の衆議院議員の8割が改憲を容認し、自民党創立50周年の新憲法草案も出ていまや国民投票法案が焦点になってきていますが、国民世論と情報戦レベルでの「改憲劇場」は、まだ幕が開いたばかりではないか、と思ったからです。例えば、昨年の大きな世論調査8つを通じて、確かに憲法改正は6ー7割が賛成、2−3割が反対と改憲世論が多いのですが、その理由はおおむね「制定時と時代が変わったから」「一度も改正されていないから」という消極的理由です。「新たな権利や義務などを盛り込む必要」は少数で、「時代に合わない」理由も、解釈改憲の中で自衛隊が大きくなって「現実と合わない」からという「言行一致の現実主義」を求めるパターンが多数派です。しかも、世論調査で憲法第9条に限定して改正の必要を問うと、賛成3割、反対6割と全般的改憲調査と正反対の結果が出ています。しかも9条改憲意見の1−2割は、自衛隊の現実に合わせて9条を変える改憲ではなく、憲法ではっきりと自衛隊を含む戦力を持たないと明記せよという絶対平和主義の改憲意見です。ですから自民党憲法草案でいえば、現行9条1項(戦争放棄)をそのままにしつつ、2項に「自衛軍」、3項に「国際平和活動」を加え「第二章 安全保障」とまとめていますが、絶対平和主義改憲論は、現行「第二章 戦争の放棄」を明確にするために2項の「戦力放棄」を自衛隊解散も含めて「戦争と戦力の放棄」として明確にしようというものです。
さらに重要だと思われたのは、昨年3月NHK調査の次の項目です。「あなたは、日本国憲法を読んだことがありますか」=「よく読んでいる」2.7%、「たまに読んでいる」 5.9%、「何度か読んだことがある」19.1%、「一度は読んだことがある」28.7%に対し、「読んだことがない」が42.8%です。つまり、「読んだことがない」のに「護憲か論憲か改憲か」と問われて、「なんとなく、時代に合わないから、改憲」と答えている人が最大多数なのです。もう一つ、5月の朝日新聞調査の「あなたは、『改憲』という言葉にどんなイメージを持っていますか」の答え。「現実的」29%、「未来志向」28%、「自主独立」14%、「軍拡」10%、「復古的」8%、つまり「改憲」は「現実的」で「未来志向」というイメージが定着していて、護憲派が「改憲=軍拡・復古的」と反対している論理と、情報戦におけるイメージ・ギャップがあることです。これは、大変危険な兆候でもあります。戦前、満州侵略の始まる頃、左翼の人々が反戦や天皇制打倒を叫んでいるときに、そうした運動を孤立・自滅に追いやったものは、いうまでもなく治安維持法による弾圧ですが、それと共に「天皇をただなんとなく国民的誇りとする」民衆の心性がありました。それを放置したまま勇ましいスローガンを叫んでも、左翼運動は民衆から孤立し、中国大陸へと侵略の既成事実を広げていく軍部・右翼の「昭和維新」「新体制」運動に対抗できませんでした。つまり、世論の「改憲」を「なんとなく未来志向」と受けとめる感覚は、時代閉塞のもとでの民衆の不満や不安、「改革」「変化」への希望を汲み上げた改憲派の雰囲気作り=情報戦での優位を意味し、まずはこの人々に憲法や立憲主義を知ってもらうことが重要なのです。わが「ネチズン・カレッジ」が主張するように、「知憲」といって、まずは日本国憲法を読んで知ることが一番大切で、「あなたはまだ憲法を知らない」という前提で、インターネットで憲法を学び、その実態を知ることが、国民的レベルで必要とされている局面なのです。日本国憲法については、「日本国憲法を読もう」をはじめ、いくつかのサイトに全文が出ています。虚心に音読して、制定直後の文部省教科書「あたらしい憲法のはなし」や大学の憲法講義を聞いてみましょう。「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」のどこにつくかの判断は、その後で考えましょう。長くなりましたから、「改憲=現実的」であるかどうかは、次回にまわしましょう。
新年の図書館内に、新しいコーナーを立ち上げました。「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」で、カリキュラムに入っている私の論文ではなく、全世界に眠っていて、活字論文になっていない(あるいはさまざまな事情で活字にできない)学術的な論文を、本カレッジ図書館に納本して、インターネット上で公開するものです。その第一弾として、先日中国旅行のさいに上海を案内してくれた周初氏(写真右)の論文「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)を、私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」と共に公開しました。「ネチズン・カレッジ」にkatote@ff.iij4u.or.jp 宛て、Word Fileかpdfファイルでお寄せせください。ただし、著作権は、原著者にあり、論文についての学術的責任は著者にあります。著作権料はお支払いできません。当該論文を学術論文として認め本サイトで公開するかどうかの採否は、本カレッジの方で判断させていただきます。新年のアップは、図書館「特別室2 」にエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」。昨年出した単著は、『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)、今春社会主義理論学会で山泉進さんと一緒に行った講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)等と共に、改憲問題・皇室典範問題との関わりで、思わぬアクチュアリティを持ってきました。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)が、ついに完結しました。論文は、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) 、講演記録「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)。図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、正月発売中の1月3日号ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)、青木冨喜子『731』(新潮社)を、「現代中国のルーツを探るとマオも細菌戦も見えてくる」と題して新たにアップ。「満州国という魔物と女たちが見た魑魅魍魎」と題した12月6日号の佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)と由井格・由井りょう子編『革命に生きる 数奇なる女性・水野津太――時代の証言』(五月書房)、「20世紀のどこかで、労働の意味が変わった」と題した11月8日号のロナルド・ドーア著・石塚雅彦訳『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)及び稲葉振一郎『「資本」論 取引する身体/ 取引される身体』(ちくま新書)と、「現代史の連鎖視点と非戦という平和思想の原点」の10月18日号山室信一『日露戦争の世紀 連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書)、及び梅森直之編著『帝国を撃て 平民社百年シンポジウム』(論創社)等をどうぞ。教育関係で恥ずかしながら、昨年末発売の朝日新聞社のアエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして出ています。確かに50人以上のゼミ卒業生がマスコミに入ってますし、大学の学生集めも競争・広告の時代ですから、スキャナー版でアップ。一橋大学の学部学生用には、2006ゼミナール案内もアップされています。
国際的孤立を強めるブッシュのアメリカにひたすら擦り寄って、一緒に「裸の王様」になりつつあるのが、昨年9・11総選挙で国内的には圧勝した日本の小泉純一郎政権です。こちらの情報操作の効果は、まだ続いています。もっとも昨年国連で安全保障理事会入りを工作しましたが、アジアのほとんどの国々に拒否されました。小泉首相の靖国神社参拝で、隣国中国・韓国との関係は決定的に悪化しました。なぜでしょうか。60年前の歴史を振り返ってみましょう。日本は「戦後60年」でしたが、日本に侵略された国には「戦後」はありませんでした。日本の敗戦がアジアの国々の解放につながるはずだったのに、日本が支配下においた国々では、ようやく独立と自治の戦争・内戦の始まりだったのです。しかも、アメリカとソ連という、その後の「冷戦」の東西覇権国が、それぞれの思惑でアジアの解放に介入しました。日本は、日米安保とアメリカの核の傘の下で、サンフランシスコ講和・高度経済成長と「順風満帆」の道を歩んで、朝鮮戦争もベトナム戦争も「対岸の火事」にし、むしろ経済復興・開発の糧にしましたが、アジアの人々に接するときには、そうした「他者の眼」での歴史過程を知らないと、前へ進めないのです。今日では国立公文書館に「アジア歴史センター」が設けられていますが、インターネットだけでも、そうした歴史をある程度学べます。中国について中国情報局の年表や地図があり、革命史の仮想体験旅行もできます。台湾や旧「満州」、チベット、延辺朝鮮族にはそれぞれの歴史があります。朝鮮半島については、年表や人名辞典はもちろん、専門研究サイトも数多くありますが、大阪産業大学藤永壮教授の「朝鮮近現代史講義ノート」が壮観です。ベトナムについても、インドシナ戦争からの歴史がさまざまに学べます。フィリピンやインドネシアももちろん、近年大きく変わったインドについても、20世紀の基礎知識を踏まえて接したいものです。
そして、何よりも、自国の歴史をしっかり学ぶこと。本ネチズン・カレッジ「現代史研究」にも色々入ってますが、まずは京都大学永井和教授の「日本現代史序説講義ノート」あたりから、じっくり学んでほしいものです。私も戦後の通史を書いてますが、そこで浮かび上がる今日的問題が、日本国憲法の行方。今年の本サイトの基軸にします。9・11小泉劇場の演出者たちは、2006年はこの問題で、新しいアリーナ(政治舞台)――国民投票法――を設定するでしょう。本サイト新年恒例の「情報処理センター」=「 政治学が楽しくなるインターネット宇宙の流し方」(リンク集)更新は、今回「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と「知憲」を加えてチェックし直したコーナーを設けました。前回「カレッジ日誌」で主張した活憲「公共社会」形成のためにご活用を!
学術論文データベース以外の新年のアップは、図書館「特別室2 」にエッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」。昨年出した単著は、『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)、今春社会主義理論学会で山泉進さんと一緒に行った講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)等と共に、改憲問題・皇室典範問題との関わりで、思わぬアクチュアリティを持ってきました。国場幸太郎さんたちとの4年がかりの共同研究、1950年代沖縄の解放運動第一次資料(総目次)を網羅した『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 (不二出版)が、ついに完結しました。論文は、日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』、旧ソ連の日本人共産主義運動指導者残留孤児物語「ヴィクトーリア手記の教えるもの」(『山本正美治安維持法裁判陳述集』解説、新泉社、2005年7月刊)、ゾルゲ・尾崎秀実没後60周年記念講演録「イラク戦争から見たゾルゲ事件」(日露歴史研究センター) に続いて、前回新たに講演記録をアップ。「グローバリゼーションと情報」(『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005)という論文のウェブ版です。図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、正月発売中の1月3日号に、ユン・チアン=ジョン・ハリディ『マオ:誰も知らなかった毛沢東』(土屋京子訳、講談社)と青木冨喜子『731』(新潮社)の書評が掲載されていますが、次回アップ。「満州国という魔物と女たちが見た魑魅魍魎」と題した12月6日号の佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)と由井格・由井りょう子編『革命に生きる 数奇なる女性・水野津太――時代の証言』(五月書房)、「20世紀のどこかで、労働の意味が変わった」と題した11月8日号のロナルド・ドーア著・石塚雅彦訳『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)及び稲葉振一郎『「資本」論 取引する身体/ 取引される身体』(ちくま新書)と、「現代史の連鎖視点と非戦という平和思想の原点」の10月18日号山室信一『日露戦争の世紀 連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書)、及び梅森直之編著『帝国を撃て 平民社百年シンポジウム』(論創社)等をどうぞ。教育関係で恥ずかしながら、昨年末発売の朝日新聞社のアエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ、西日本代表の関西大学山口ゼミと共に、「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして出ています。確かに50人以上のゼミ卒業生がマスコミに入ってますし、大学の学生集めも競争・広告の時代ですから、スキャナー版でこっそりアップ。一橋大学の学部学生用には、2006ゼミナール案内もアップ。