ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
2010.12.15 初めて、菅首相のリーダーシップの、ほめ言葉を聞きました。ほめたのは、米倉日本経団連会長、首相決済による法人税5%減税を評価してのリップサービスです。もっとも法人税は、もともと利益の出た企業の払うもの(法人所得税)、赤字で払っていない企業が7割とか。世界で最も高い40%といっても、さまざまな減税措置が現在でもあり、実際にはソニーは12%、住友化学は16%という試算も。投資や雇用にまわるよりも、内部留保や借入金返済にまわる可能性の方が大です。おまけに、それを補う財源は担保されておらず、その先に消費税増税が透けて見えます。日中関係の再構築も、朝鮮半島の緊張緩和策も、手つかずのままです。おまけに沖縄には、菅首相の初訪問を前に、仙谷官房長官の普天間基地県内移設「甘受」発言。外交・安全保障の基本政策は、アメリカへの依存以外、見えないままです。いや自民党政権下でさえ減らされてきた米軍への「思いやり予算」が来年度から5年間現行水準維持と決められましたから、自民党以上にアメリカの思うままかもしれません。社会保障も雇用・教育も、後ろ向きの「事業仕分け」のみで、リーダーシップなし。世論調査での内閣支持率20%危険水域突入、民主党支持率の自民党との逆転も、むべなるかなです。
何が失われたのでしょうか。昨年夏総選挙の「政権交代」の熱気は、どこへ消えたのでしょうか。この一年を見れば瞭然です。「国民生活が第一」の選挙スローガンが、全く実感できないままで、国民から見はなされました。舵取りは鳩山由起夫から菅直人に代わっても、羅針盤そのものが見えなくなり、基軸を持たないまま、内憂外患の波間を浮遊しあえいでいる、無惨な政権運営です。「権力を取る」ことに専念し支持を集めた入力が、政府と党との関係、内閣と既存官僚機構の確執のなかで、「権力に振り回される」党内抗争としてアウトプットされる機能不全です。茨城県議選の惨敗は、来年統一地方選挙を控える地方の民主党にとって、「中央の迷走」による出口なき暗雲と映るでしょう。もっとも野党の自民党が、民主党支持率を越えたと言っても、民主党の自滅分で頭一つ越えただけですから、「政界再編」へのきな臭さは、ずるずる残るでしょう。一言で言えば、日本政治全体の劣化・液状化です。そんな1年を振り返って、首相が「これまでは仮免許だった」と脳天気に語り、それを面白おかしく報道するマスコミの末期症状。せめて、そんな総理に権力を委ねた監視者としての怒りと、「無免許・酒気帯び運転」ではなかったかと省察する、ジャーナリスト魂がほしいものです。繰り返します。「国民生活が第一」の初心に戻り、内政・外交の基本を再構築することこそ、いま民主党に求められていることです。
いつのまにやら師走で、今年最後の更新。3月に学部学生講義と大学運営から「解放」された時には、本「ネチズンカレッジ」のバージョンアップや、気ままな国内旅行、文学書再読など夢をふくらませていたのですが、実際には、夏の調査旅行以外は、客員講義や執筆・編集の雑事に追われ、不完全燃焼の「第3の人生」9か月でした。それでも日本経済評論社から、「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』に加え、何とか新著加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」を年内刊行に間に合わせることができ、社会評論社の故栗木安延教授追悼本、合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』を加えれば、4冊を編著として世に出すことができました。『年報 日本現代史』第15号「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」(現代史料出版)や「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、米国、旧ソ連」(『ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集』第26号)など論文も含めれば、まあ「現役」研究者として通用する活動ができた、といえるでしょう。年末にはついに、政府の無策で翻弄され延期されていた、中国再訪もなんとか実現できそうです。年始に本サイトの衣替えができるかどうかが、思案のしどころ。いっとき考えた「ネチズンカレッジ」閉校や日本版「ウィキリーク」への変身はありませんから、まあ来年も、気長におつきあいいただくことをお願いして、皆様よいお年を!
日本経済評論社から新著、加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」が発売されました。そこで私は、『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)掲載、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」ウェブ版の「理論編」にあたる、序章「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」を書いています。8月に掲げた戦争に関連した尋ね人<南洋パラオから引き揚げた大垣出身「島原なみ」さん、その娘「福原南生子」さんの消息をご存じの方は、ご一報を!>には、残念ながら手掛かりある情報提供はありませんでした。「2011年の尋ね人」ページで、引き続き情報提供を求めます。一橋大学退職期に執筆し編纂した書物 は、日本経済評論社の「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』、私は後者に「政治の境界と亡命の政治」を寄稿しています。社会評論社からは、故栗木安延教授の追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』、私は「格差と貧困の情報戦」を寄稿。そして、『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)には、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が、また『葦牙』第36号(2010年7月)に「アメリカニズムと情報戦」、『情況』2010年8・9月、10月号に、私も加わった大型座談会菅孝行・加藤哲郎・太田昌国・由井格「鼎談 佐野碩ーー一左翼演劇人の軌跡と遺訓(上)(下)」が掲載されています。
4月末にロシア大使館で行った講演「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、米国、旧ソ連」の記録は、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集』第26号(2010年6月)に発表されました。「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)の続編=総括編です。入手しにくい雑誌なので、原稿のpdfファイルをアップ。図書館「学術論文データベ ース」には、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)、宮内広利「死の権力と権力の死」(2010.9)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「移動する『疑い』の場所ーー柄谷行人『世界史の構造』を読んで」(2010.10)がアップされています。図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりましたが、10月1日開講秋学期「政治宣伝論」講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
2010.12.1 北朝鮮による韓国延坪島(ヨンピョンド)砲撃は、民間人二人の死者を出し、東アジアの国際環境を一気に緊迫させました。朝鮮総連に近い朝鮮新報には、「ことの発端は北の領海に対する南の砲撃だ。南側は自分の領海だと主張するが、米国が設定した海の軍事境界線を認めていない北側からすれば、砲撃は停戦協定違反であり、事実上の戦争行為だ。今回、北側は警告に止まらず軍事的対応をとった」と北の立場が説明されていますが、かつての朝鮮戦争勃発時と似た、北の軍事的挑発による戦争の危機です。中国の新華社電が、11月23日勃発当初韓国側報道で速報しながら、やがて「論議のある『 北方限界線(NLL)』付近で交戦」となり、さらには「韓国側が先に発砲」と報じる記事まででてきたこと、他方で韓国3大新聞の論調が中国をも批判し軍事的強硬策を政府に求める一触即発の雰囲気なのも気になります。「終戦」ではない「休戦」だったことの意味が、一気に現実に見えてきました。
直前のウラン濃縮施設公開を含む、米朝直接交渉を求める北朝鮮の「瀬戸際外交」説、3世代指導者世襲のための「国内向けデモンストレーション」説、中国に保護・後見を迫る「米中対立」誘導説など、それなりの説得力はありますが、いずれにせよ今日の国際関係から逸脱した非合理的行動で、パワーポリティクスからも社会主義からも弁証できない、北朝鮮国家の特異性を示しています。これ以上の軍事的暴発は、なんとしても避けなければなりません。中国政府のいう「6カ国協議の首席代表会合」は、さしあたりの時間稼ぎになるでしょう。ある意味で軍事戦以上に衝撃的なのは、WikiLeaksで突如公開された、各国外交の裏での北朝鮮問題への各種発言。中国政府高官が「朝鮮は韓国の管理下で統一されるべき」と述べたり、韓国政府高官が「日本は朝鮮の分裂状態を望んでいる」と述べたり、国際政治のホンネがかいま見えて、出版物になった日本の「流出『公安テロ情報』全データ」と共に、現代情報戦のすさまじい実態を明るみに出しました。こうした情報戦の分析をふまえない外交や軍事は、21世紀の政治では無力でしょう。アイルランドの財政破綻、日本の沖縄県知事選の最中に、北朝鮮の軍事的示威、それを踏まえた黄海での米韓合同軍事演習が行われたことも、たんなる偶然の一致と言い切れないものがあります。何か大きな世界史の変動が、深部で作用しているのかもしれません。
こんなことを言うのは、一つは、日本経済評論社から新著、加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」が発売されたから。そこで私は、『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)掲載、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」ウェブ版の「理論編」にあたる、序章「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」を書いていて、その仮説にもとづきWikiLeaks時代の国際政治のあり方をどのように考えるか、再考を迫られているからです。いまひとつは、もともと10月3日放映のNHKスペシャル「"核"を求めた日本」で スクープされた、1969年2月日本外務省と西独(当時)外務省との協議で、日本側が将来の核保有に言及し製造工程まで具体的に検討していたことを、外務省が放映後2か月足らずで公式に認め報告書が発表されたことです。というのは、非核3原則を定めた佐藤内閣時代の核兵器保有の検討自体は、1994年金日成晩年の朝鮮半島核危機のさい、朝日新聞1994年11月13日が「核開発可能だが持てぬ 佐藤内閣、68・70年に秘密研究報告書」というスクープがあり、「日本の核政策に関する基礎的研究」という内閣調査室の報告書の内容も報道されましたが、日本政府は一貫してその文書の開示を拒否してきました。ところが今回は、テレビで村田良平元外務次官が遺言風に証言し、当時の西独側エゴン・バール氏もそれを認めた、という映像証言の迫力があり、民主党内閣への政権交代で外務大臣の「政治主導」で直ちに事実調査が行われ報告書が公表されたという側面はありますが、どうも、この間の沖縄等への「核持ち込み密約」の際の元外務省高官による証言と同じように、現実の北朝鮮核危機のもとで過去の既成事実を追認し、むしろ「非核3原則法制化」より「非核3原則見直し」への国民意識醸成を図っているようにも見えるのです。
その傍証が、民主党の北沢防衛大臣のもとで「政治が風穴を開けていかなければならない」というかけ声で進められている「武器輸出三原則の見直し」です。つまり、経済危機・貧困化の閉塞、東アジアの情勢緊迫と民主党の国家戦略欠如・支持率暴落のもとで、自民党政権時代にさえできなかった安全保障政策の基本的転換が「政治主導」の名の下に始まっているのではないかという疑念が、払拭できないのです。沖縄県知事選の結果が、それに拍車をかけなければいいがと懸念されます。本サイト英語版・日本語版でここ数年探求している「崎村茂樹の6つの謎
」について、ドイツの日独関係研究者から、久方ぶりの、しかし重要な情報提供がありました。1943−44年の在独日本大使館員崎村茂樹のスウェーデン亡命、連合国との接触について、なんとナチス宣伝相ゲッペルスの日記に記述があるというのです。44年5月のゲッペルス日記を調べてみたら、その通りでした。詳しくは次回以降に紹介しますが、この間の世界と日本の情報戦にも、どうもどこかの国に、個人とは限りませんが「現代のゲッペルス」が隠れていて、君臨しているような気がします。「物言えば唇寒し秋の風」とは、いつの時代の、どの国のことだったのでしょうか。
この間日本国内では、二つの大きな情報戦上の「事件」がありました。一つは警視庁の内部資料と見られる国際テロ捜査情報がファイル交換ソフトを通じて12か国5200人に流れた問題、そして政府が非公開としてきた尖閣列島沖中国漁船衝突映像の海上保安庁職員によるyou tubeへの投稿事件です。「第2の田母神事件」ともいうべき海上保安庁職員の映像公開がマスコミでは大きく扱われていますが、情報戦の観点から見て重大なのは、前者の国際テロ捜査情報です。それもFBI情報の漏洩など日本政府の脆弱な情報危機管理と国際威信の低下が問題にされていますが、より重視すべきはコンテンツ、つまり警察が国際テロ対策の名で日本中のイスラム寺院(モスク)とイスラム教徒を秘かに監視し、それら個人情報も情報提供者も流出・露呈したことです。いわばWikileaks日本版が実行されたもので、長くグローバルな意味を持つでしょう。海上保安庁職員による衝突映像公開の方は、海上保安官の行動が「義挙か守秘義務違反か」のマスコミ好みの論点とは別に、入り組んだ問題があります。そもそもこの映像は衝突事件の直後にでも公開さるべきではなかったか、編集された映像のほかに衝突後の船長逮捕時の映像もあるのではないかといったコンテンツの問題、日中外交問題・領土問題になっての政府の公開・非公開方針の動揺と首脳会談困難期のタイミング、新聞社やテレビ局ではなく you tubeに直接投稿した公開方法の画期性、「政治優位」を唱えて生まれた民主党政権下の公務員・官僚制掌握のぎくしゃく、等々。ただ忘れてはいけないのは、海上保安官は単なる公務員ではなく、警備・公安業務にあたる特別司法警察官=「制服組」であることです。捜査・逮捕権もありますから、政府の統制に従わずに暴発すれば、戦争の引き金にさえなりかねません。「第2の田母神事件」というのは、そのような主旨です。
本HPの観点からすれば、いずれの事件も、かつて偽メール事件で代表交代まで引き起こした民主党が、いまだに情報戦の新しい時代に適応できていないことを示します。それは、外交政策における基本方向が見えないことと、照応しています。この20年の国際環境の激変のなかで、少子高齢化が進み就職難と貧困がはっきり見える閉塞社会のなかで、まずはグローバルな世界のなかでの日本の位置と役割を見定めることが必要でしょう。私の見解は、近く刊行される、加藤哲郎・丹野清人編『シリーズ21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治』(日本経済評論社)の序章「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」に記しておきました。さしあたりは、その歴史的起源について、前回更新でアップした『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)掲載、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」のウェブ版をご笑覧ください。9月はじめの段階では、今頃北京・上海で国際会議があり、先日信州大学経営大学院グリーンMOT国際シンポジウム基調講演「中国の経済発展と循環型社会構築への課題」の延長上でスワトウ市の電子ゴミのその後を見る予定だったのですが、9月中旬から会議の手続きが中断し、来年に延期されました。図書館「学術論文データベ ース」には、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)、宮内広利「死の権力と権力の死」(2010.9)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「移動する『疑い』の場所ーー柄谷行人『世界史の構造』を読んで」(2010.10)がアップされています。
尖閣問題では中国の指導者世代交代や反政府運動をおそれる国内事情、ロシア大統領の北方領土視察も次期大統領選をにらんだ国内問題と関連づけるのが、日本マスコミの内向き報道のパターンです。それならば、同じ事情は、日本国内にもアメリカにもあることを、見ておくべきでしょう。つまり、現在の民主党菅・仙谷内閣は、党内で「反小沢」を掲げて政権に到達し、外務大臣に前原誠司という強硬な反中国・日米運命共同体論者を配することによって、鳩山「東アジア共同体」から訣別し、2009年政権交代マニフェストの「国民生活が第一」「主体的な外交戦略」は言うに及ばず、2010年参院選マニフェストの「第3の道」「北東アジア地域の非核化」「日米地位協定の改定」からも遠く離れて、国際社会の中で迷走し、翻弄されているのです。日本の官邸と外務大臣・外務省の齟齬、検察司法と官邸外交の関係、中国側のインターネット普及と共産党と軍の関係、地域格差増大と大卒就職の困難などの要因もありますが、ベーシックな問題は、世界の構造変動に連動した米中関係の再編です。つまり、日中関係は、米中関係のアメリカ側カードの一つにされて、円価格が元・ドル関係にリンクされ、レアアースから観光産業まで、中国政府と市場の動きに振り回されています。そのうえ「領土問題」については、アメリカは、決して日本側の主張を全面的に認めることはなく、むしろ対中・対ロ関係での戦略的交渉に利用するでしょう。そのとばっちりで、11月中旬の予定だった私の訪中計画も延期になりました。この意味では、まもなく始まるソウルでのG20サミット、横浜APECでの日中・日ロ首脳会談の有無よりも、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への態度、日米首脳会談、そして月末投票の沖縄県知事選挙が、今後の流れを方向付けるでしょう。日本という国の、大きな岐路です。そんな時に、歴史の教訓を学ぶために、『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)掲載の、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」のウェブ版をどうぞ。
図書館「学術論文データベ ース」に、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)、宮内広利「死の権力と権力の死」(2010.9)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「移動する『疑い』の場所ーー柄谷行人『世界史の構造』を読んで」(2010.10)をアップしました。秋の私の公開講演は、明日10月16日(土)1:00ー5:00 明治大学リバティタワー1136号(13階)で第245回現代史研究会「危機の時代を考える」で「格差と貧困の情報戦」を報告、故栗木安延教授追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』の出版記念を兼ねます。10月30日(土)、長野市の信州大学経営大学院グリーンMOT国際シンポジウムで、昨年電子ゴミ現地調査にもとづく基調講演「中国の経済発展と循環型社会構築への課題」を報告してきました。11月7日(日)は、恒例のゾルゲ・尾崎墓参会で、3時から東京都小金井市多磨霊園北口前大野屋で「新発見資料から見たゾルゲ事件の真相」を昨年に続いて報告します。関心のある方はどうぞ。
被災者たちを励まし、食料備蓄を生き残りのために管理・ルール化し、33人を班に分けて救出に備えた仕事を分担して最後に救出された現場監督のリーダーシップは、危機管理の模範を示すもので、経営学や組織論のモデルになるでしょう。「希望」のドラマを最大限に利用し演出したビニェラ大統領の手腕も、結果責任が伴いましたから、支持率急増も許せるところでしょう。問題は、最後に救出されたウルスアさんが地上第一声で述べた「こういうことが二度と起きないように」という保安・防災上の願いと、事故の原因究明・再発防止策です。すでに損害賠償訴訟も起きているようですが、工業化に必要な天然資源を採掘する鉱山の事故は、世界各地で頻発しています。中国での炭鉱事故による被災死者は急増し一説では年6000人以上、チリの事故の背景に銅の国際価格暴騰による無理な採掘があるのと同様に、先進国のハイテク技術も、レアメタルやレアアースに依拠していることを忘れてはならないでしょう。またハイテク技術の加速度的発達が、電子ゴミなど膨大な廃棄物の中国やインドへの集積をもたらしていることは、昨年1月本サイトでもレポートしました。日本でも、1981年の北炭夕張炭鉱事故は、ガス突出・坑内火災と事故の種類は違いますが、事故発生1週間後に、59名の安否不明者を見殺しにして坑内注水が行われ、最終的に93人の生命が奪われました。当時としては最新の設備を持った新炭鉱でしたが、石油危機後の石炭見直しを断念させ、北炭夕張は倒産、夕張市を「観光都市」に転身せざるをえなくして、かの夕張市財政破綻のきっかけとなりました。当時も論争がありましたが、絶望を希望につなぐ「いのち最優先」は、日本的経営の全盛時代でも貫き得なかったのです。「過労死」という言葉が、ようやく市民権を得た時代でした。
「希望」が必要なのは、今の日本の経済と政治です。北大鈴木章名誉教授、パデュー大根岸英一特別教授のノーベル化学賞ダブル受賞は、確かに「希望」の一つですが、それは1970/80年代の創造的研究でした。鈴木教授が強く訴えているように、長期の財政的支援が必要ですし、根岸教授が憂えているように、若い人々が海外に雄飛する勇気が縮んできては将来が不安です。今回のチリ鉱山事故の「奇跡の生還」に使われた高速掘削機は、アフガニスタンで井戸を掘っていたアメリカ製でした。カプセルを巻き上げた巨大なクレーンは、中国製「神州1号」でした。どちらも日本が得意としてきた分野です。防臭下着や小型カメラは日本製だったといっても、情報戦でのアピールの度合いは違います。ましてや政治の世界では、33人を束ねた冷静なリーダーの勇気や、チリ大統領の現場陣頭指揮が強調されればされるほど、またまた支持率急降下の民主党内閣や、それに対抗軸を出せない野党のふがいなさが際だってきます。10月3日放映のNHKスペシャル「『核』を求めた日本ーー被爆国の知られざる真実」は衝撃的でした。沖縄返還と「非核3原則」でノーベル平和賞を日本人で唯一受賞した佐藤栄作首相の時代に、当時の自民党日本政府・外務省は中国の核実験と反戦平和運動に反発し、密かに独自の核保有を検討し、西ドイツとの外交密議まで行っていたとの話。そういえば、当時の平和運動の中には、「社会主義国の防衛的核」を容認し、原水禁運動を分裂させた勢力がありました。そうした勢力がベトナム戦争反対や70年安保闘争に入っていて、佐藤内閣には脅威だったようです 。西ドイツ政府との核保有密議は1969年2月、なぜか東大安田講堂事件・入試中止の直後でした。「核なき世界」をうたってノーベル平和賞を昨年受賞したオバマ大統領のもとで米国臨海前核実験再開という愚挙、「沖縄返還密約」に加え「核保有密議」が明るみに出た日本政府はそれに抗議できず、その歴史的検証も曖昧なままで、普天間基地辺野古移転の日米合意を継続する国会答弁。「勇気なき政権交代」で「沖縄県民の希望」は無視され、11月沖縄知事選に与党は候補者もたてられない民心離反。20世紀にさかのぼって「希望なき政治」の原因を探り出し、「密約外交」の再発防止が必要なようです。
図書館「学術論文データベ
ース」に、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)、宮内広利「死の権力と権力の死」(2010.9)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの「移動する『疑い』の場所ーー柄谷行人『世界史の構造』を読んで」(2010.10)をアップしました。秋の私の公開講演は、明日10月16日(土)1:00ー5:00
明治大学リバティタワー1136号(13階)で第245回現代史研究会「危機の時代を考える」で「格差と貧困の情報戦」を報告、故栗木安延教授追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』の出版記念を兼ねます。10月30日(土)午後は、長野市の信州大学経営大学院グリーンMOT国際シンポジウムで、昨年電子ゴミ現地調査報告にもとづく基調講演「中国の経済発展と循環型社会構築への課題」、11月7日(日)は恒例のゾルゲ・尾崎墓参会で、3時から東京都小金井市多磨霊園北口前大野屋で「新発見資料から見たゾルゲ事件の真相」を昨年に続いて報告します。それぞれ全く異なるテーマですが、関心のある方はどうぞ。
2010.10.1 夏の調査旅行から帰国して1週間は時差ボケが直らず、昼夜逆転生活。おまけに重い資料を積み込んだスーツケースをかついでのドイツ国内鉄道旅行が効いてか持病の腰痛が再発、しばらく寝たきりのテレビ三昧で、日本という閉ざされた情報空間の「空気」が読めてきました。もちろん日本のマスコミは、尖閣列島沖漁船衝突事件をめぐっての日中関係の悪化、「固有の領土への侵入」「菅政府の弱腰」「検察への政治介入」「中国政府の横暴」を大きく報じています。でも、どうも英語・独語メディアばかり見てきた流れでは違和感。中国で拘束された4人の日本人のうち3人が解放されたのは、「日本の主張を理解した国際世論の圧力」風の解説もありますが、本当でしょうか。
一つは、尖閣列島は「日本固有の領土」で、それは国際法上も確立されたもの、だから中国人船員逮捕も「国内法に従い粛々と司法の手で」進めてきたという日本での話。ヨーロッパでのニュースでは、当初から「領土紛争」として扱われていました。試みに、Googleに英語でSENKAKUと打ち込んで出てくるニューヨーク・タイムズの記事。必ず「Senkaku/Diaoyu Islands」と、日本側呼称と中国側呼称を併記してます。英独のテレビでも同じでした。より詳しいのは、英語版wikipediaのSENKAKU ISLANDSの項目。もちろん1895年以来の日本の主張も書いていますが、それには中国・台湾のDiaoyu Islandsについての主張が併論されています。つまり当事国以外にとっては、紛争・係争がある限り「領土問題」であり、日本の主張が世界で認められているという前提で国際関係に立ち入ると、「日本海」と「東海」、「竹島」と「独島」、千島列島と同じような、国際政治の力学にさらされることになります。もちろん中国が台湾を自国の一部とみなし、ソ連やベトナムと領土をめぐる戦争まで踏み込み、周辺諸国とさまざまな紛争を抱えていることも、世界的には常識です。けれども、それらは平和的交渉で解決されることが望まれるだけで、実際には第3国にとっての地政学的距離や外交的・経済的利害によって動かされます。中国がいまや日本をしのぐGNP大国であり、ヨーロッパ経済にとっても危機脱出のための重要なパートナーであることや、3代世襲を世界に表明した北朝鮮と同じように一党独裁の「社会主義」を名乗る国であることも、当然顧慮されます。他方で、日本がドイツと同じく第二次世界戦争の敗戦国でありながら、EUの一員となったドイツとは異なり、戦後の近隣諸国との関係で多くの紛争を抱えていることもよく知られています。つまり、日本が「固有の領土」を強調すればするほど、ヤルタ会談・サンフランシスコ講話・沖縄返還からさかのぼり、日中戦争・「満州事変」・朝鮮植民地化から日露・日清戦争、台湾出兵・琉球処分にいたる日本の過去への国際的再点検が始まり、日本政府の歴史認識が試されることになります。世界からは「領土問題」として見られているという点を直視しないと、具体的問題での外交処理も難しくなるでしょう。つい先日中国から帰国した友人の話では、日本に詳しい中国知識人は、ウェブで全文がすぐ読める井上清『「尖閣」列島ーー釣魚諸島の史的解明』(初版1972/再刊1996)を参照し引用しているとのこと。かつての著名な歴史学者の著書で、「戦後歴史学」の責任も問われているのです。
もう一つ、気になったのは、日本の外務大臣が強調する、アメリカ政府の「尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象になる」という言明。クリントン国務長官の話で、アメリカ軍が尖閣列島を守ってくれる、沖縄海兵隊が「抑止力」、だから普天間基地辺野古移転日米合意を堅持し「思いやり予算」も今まで通りで、とエスカレートしていますが、実際には、クローリー国務次官補の言う「対話の促進および問題が速やかに解決されることを希望する」という部分が主眼で、むしろ「尖閣諸島の領有権についての米国の立場は示さない」という態度であったと考えられます。つまりPeace
Philosophy Centreが詳しく解明しているように、「施政権」が日本にある限り日米安保の対象とするが、「主権=領土」の問題には立ち入らないと言明されたことになります。この点に踏み込んだ、ウェブ上の岩上安身による孫崎亨長時間インタビューは秀逸。日米安保は2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」の戦略的合意で実質的に変質したという、孫崎『日米同盟の正体』(講談社現代新書)の延長上で、たとえ安保条約の適用範囲でも、尖閣列島で軍事紛争が起きても第一義的に日本の防衛に任され米軍は出動せず、戦争まで拡大すると今度は米国議会の承認を必要とする事案となる、と説得的に論じています。確かに外務省ホームページの訳文でも、「日本は、弾道ミサイル攻撃やゲリラ、特殊部隊による攻撃、島嶼部への侵略といった、新たな脅威や多様な事態への対処を含めて、自らを防衛し、周辺事態に対応する」とあります。尖閣列島は「島嶼部」です。ここでも米国にとっての中国と日本の戦略的重要性がポイントで、菅首相や前原外相が頼りにするほどにはアメリカは守ってくれない、というわけです。11月沖縄知事選に向けて、現職仲井真知事が再選出馬にあたって普天間「県外移転」を正式に表明しました。第二次菅内閣は、発足したばかりで外憂内患、四面楚歌です。不規則更新でしたので、前回分はそのまま残します。
8月に掲げた戦争に関連した尋ね人<南洋パラオから引き揚げた大垣出身「島原なみ」さん、その娘「福原南生子」さんの消息をご存じの方は、ご一報を!>には、残念ながら情報提供はありませんでした。「2010年の尋ね人」ページで、引き続き情報提供を求めます。一橋大学退職期に執筆し編纂した書物が、次々に刊行されています。日本経済評論社からは、「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』、私は後者に「政治の境界と亡命の政治」を寄稿しています。社会評論社からは、故栗木安延教授の追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』、私は「格差と貧困の情報戦」を寄稿。そして『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)には、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が、また『葦牙』第36号(2010年7月)に「アメリカニズムと情報戦」、『情況』2010年8・9月、10月号に、私も加わった大型座談会菅孝行・加藤哲郎・太田昌国・由井格「鼎談 佐野碩ーー一左翼演劇人の軌跡と遺訓(上)(下)」が掲載されています。
4月末にロシア大使館で行った講演「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、米国、旧ソ連」の記録は、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集』第26号(2010年6月)に発表されました。「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)の続編=総括編です。入手しにくい雑誌なので、原稿のpdfファイルをアップ。図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、などとともに、ご笑覧ください。
図書館「学術論文データベ ース」に、甘田幸弘さん「唯物史観反証理論」(2010.6)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの新稿「死の権力と権力の死」(2010.9)をアップしました。宮内広利さん「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」、前日本体育大学教授森川貞夫さんほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)と共に、ご参照ください。3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。10月1日開講秋学期「政治宣伝論」講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
2010.9.23 世界全体の生態系も崩れてきていますが、今夏の日本の異常気象は、度を超えています。それを東京のヒートアイランド現象が、加速しています。それらを避けて、8月はアメリカで半分を過ごし、9月はイギリスとドイツに滞在していました。ロンドンもベルリンももう初冬の気配、冬物コートや皮ジャンバーが当たり前の中で、一着だけ持っていった秋物ブレザーと長袖が欠かせませんでした。でも猛暑よりは快適。おかげで調査やインタビュー、資料収集は順調に進みました。帰国した途端に、また夏に逆戻り、そして今日はヨーロッパなみの冷雨。時差ボケの体調にこたえます。
今年の国連総会は、21世紀の疾病、飢餓、貧困撲滅をめざす「ミレニアム開発目標」首脳会合から始まりました。一般に南北問題とよばれ、先進国はGNPの0.7%を途上国へのODAに拠出することが約されました。日本はかつて「ODA大国」といわれたこともありましたが、今や先進国平均0.31%にも届かぬ0.18%の最低率国の一つ。菅首相は、ニューヨークで5年間85億ドル拠出の「菅コミットメント」を約しましたが、昨年の鳩山首相のCO2排出25%削減ほどのインパクトはありません。おまけに演説順がオバマ米国大統領の直後で、各国代表は次々に退出、日本語の「最少不幸社会」は、翻訳不可能だったようです。もっとも貧困撲滅は、いまや途上国だけの問題ではありません。アメリカでもヨーロッパでも、失業、格差拡大、貧困層増大は深刻です。今夏ヨーロッパのTV、新聞で目立ったのは、フランス国会のブルカ禁止法採択、スウェーデン総選挙での移民排斥を唱える右翼政党(なんと「民主党」という名前です)の20議席獲得、大都市ではホームレスをよく見かけました。日本のニュースはインターネット頼りで、出国時に大々的に報じられていた民主党代表選は、欧米メディアはほとんど無視、わずかに最終日の菅首相続投決定をCNNは「消費税引き上げをとなえる現職KANが『闇将軍』OZAWAを退けた」とトップで報じましたが、それも円高への政府介入があるかどうかの経済ネタの一部で、普天間基地問題も雇用問題も素通りです。なにしろ毎年首相が変わってますから、せっかく欧米にもわかりやすい<KAN>という名前もほとんど覚えられず「Who is KAN?」、その後は日中「領土問題」での対立が外信の片隅でみられる程度でした。要するに、存在感の喪失です。インターネットで見る限り、菅首相続投へのマスコミの露骨な誘導が目立ちました。つい最近の大阪地検特捜部のFDデータ書き換え事件、本当に民主党代表戦の後に情報入手した朝日新聞のスクープなんでしょうか?
日中間の対立といっても、焦点は中国に当てられています。日本での報道では、中国人観光客キャンセルによる観光産業への打撃が大きく報じられていますが、いまや世界のどこでも中国人観光客は重要な顧客です。ニューヨークでもロンドンでもベルリンでも、大きな買い物袋をかかえた団体客が目立ちます。日本にとっての最大の顧客は、日本にだけ目を向けているわけではないのです。ただ、かつての「満州事変」記念日近くで中国漁船が尖閣諸島沖で衝突・拿捕されたため、中国国内の反日感情も高まり、政府間交渉がストップし、レアアース輸出禁止にまで至っている深刻な事態です。菅内閣の対応は、外交的には無策です。というより、「小沢降ろし」に成功した後の内閣改造によっても、菅首相及び民主党政権の方向性が見えません。名護市議選で普天間基地移転に反対する市長支持派が多数を占め、11月沖縄知事選では現職仲井真知事まで「県外移転」を公約しようというのに、菅内閣は鳩山前首相退陣のもととなった「日米合意」にすがりついたままです。財政再建も雇用促進も、具体策は出ていません。円高への介入も、欧米からは協力を得られず、効果はすぐ消えていきます。各種世論調査での内閣支持率回復も、「政治とカネ」を抱えた小沢前幹事長への忌諱と自民党の凋落に助けられた消極的なものです。いわば情報戦でのマスコミ頼りと、国内での反対勢力の声が弱いので、辛うじて政権を保持している様相です。
その点、同じ経済金融危機、高失業・貧困問題を抱えていても、ヨーロッパでは目に見える政府への批判があります。すでに5月総選挙で長期の労働党政権を下野させ、保守党と第3党自由民主党の連立内閣となったイギリスでは、ちょうど私の滞在した9月上旬にロンドン地下鉄のストライキが続き、旅程は大きな変更を余儀なくされました。しかし一般市民もマスコミも慣れたもので、代替交通手段を使って、日常生活を続けています。9月18日のベルリンでは、メルケル政権の脱原発政策見直しに抗議する10万人集会・デモと遭遇し、ドイツ社会運動の伝統の底力を見せつけられました。日本では久しく見ることのない光景です。かつての「68年世代」が、日本ではようやく政権に到達して、対米従属・新自由主義に親和的な政策を惰性的に採っている時、ヨーロッパでは「68年世代」が持続的に追究してきた福祉や環境政策の延長上で、世代と党派を超えた社会運動が継承されていました。「68年世代」の一人として、彼我の違いがうまれた根拠を、深刻に反省しなければなりません。そういえば、脱原発延期への抗議だけではなく、ベルリン郊外には大きな風力発電地帯が出現し、タクシーにも「天然ガス車」と大書きしたエコ政策の進展も目立ちました。夏の研究成果との関連で言えば、日本の戦争体験、戦後体験の国民的継承の仕方、アメリカ的「近代化論」に代わる冷戦期の歴史像の提示と「近代の超克」の探求のあり方に、大きな問題があったと考えざるを得ません。政局は遠くで眺めながら、改めてこの国の世界史的近代のあり方を問い直す旅でした。
それにしても、そもそも政権与党となった民主党は、ここで代表選挙をすべきだったのでしょうか。参院選敗北の責任なら、選挙直後でもよかったはずです。普天間問題でのつまづきで鳩山・小沢体制が崩壊したのは、つい6月のことです。その時の争点、沖縄県民の意志と乖離した普天間基地の辺野古移転問題は、民主党代表選公示の直前に、V字とI字の二つの具体案が沖縄県に示されました。いずれにせよ、かつての自民党合意案の微調整で、「政権交代」が沖縄県民に何ももたらさなかったことを示すものです。11月の沖縄県知事選で大きな争点になるのは必至ですが、もしも民主党代表選に何らかの意味をもたせるとすれば、菅・小沢の両候補者は、米国と国際社会に対する態度、「核なき世界」への日本のなすべき道、そして地位協定を含む沖縄米軍基地をどうするかについて、はっきりした態度を示してほしいものです。5月の日米合意よりも、今やなつかしい「政権交代」時の鳩山前首相が国民に示した政権公約、「友愛」原理、「東アジア共同体」、温暖化効果ガス25%削減、普天間基地「県外・国外移設」に立ち返り、現時点の両氏は、どういう政策で米国とどのように交渉し、沖縄県民にどのように向き合うのかを明らかにすべきです。
折からアメリカのイラク戦闘「終結宣言」が出され、駐留米軍の撤退が始まりました。オバマ政権の2年前の公約で、かつてブッシュ大統領時代に、日本の戦後占領をモデルとして始められた、米軍イラク占領の無惨な失敗を物語るものです。かつての自民党小泉政権は、米国のイラク戦争を無条件で支持しました。民主党は、アフガン・イラク戦争を、現時点でどう総括するのでしょうか。中国や北朝鮮に対してどう向き合うのでしょうか。首相の座に直結するのに、国民には投票権のない党内リーダー選びですから、小沢候補のかつての「普通の国」や、菅首相のかつての米軍基地政策はどうなったかも、問いただすべきでしょう。もちろん所得格差を示す「ジニ係数」は過去最大、日本のマスコミは、当面の円高・景気・雇用対策や財政再建・消費税問題で二人の違いを出すよう誘導するでしょう。しかし、そもそも民主党は党綱領を持たないマニフェスト政党です。マスコミは、二人の多数派工作をワイドショー風に追いかけるよりも、むしろ代表選報道を通じて、国民に対してこの党の基本政策が浮かび上がるよう、追究すべきです。せっかくですから、二人の首相候補の歴史観や世界観の違いを浮き彫りにしてほしいものです。
8月に掲げた戦争に関連した尋ね人<南洋パラオから引き揚げた大垣出身「島原なみ」さん、その娘「福原南生子」さんの消息をご存じの方は、ご一報を!>には、残念ながら情報提供はありませんでした。「2010年の尋ね人」ページで、引き続き情報提供を求めます。一橋大学退職期に執筆し編纂した書物が、次々に刊行されています。日本経済評論社からは、「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』、私は後者に「政治の境界と亡命の政治」を寄稿しています。社会評論社からは、故栗木安延教授の追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』、私は「格差と貧困の情報戦」を寄稿。そして『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)には、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が、また『葦牙』第36号(2010年7月)に「アメリカニズムと情報戦」、『情況』2010年8・9月に私も加わった大型座談会菅孝行・加藤哲郎・太田昌国・由井格「鼎談 佐野碩ーー一左翼演劇人の軌跡と遺訓(上)」が掲載されています。
4月末にロシア大使館で行った講演「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、米国、旧ソ連」の記録は、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集』第26号(2010年6月)に発表されました。「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)の続編=総括編です。入手しにくい雑誌なので、原稿のpdfファイルをアップ。図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、などとともに、ご笑覧ください。
図書館「学術論文データベ ース」に、甘田幸弘さん「唯物史観反証理論」(2010.6)に続いて、このコーナーの常連宮内広利さんの新稿「死の権力と権力の死」(2010.9)をアップしました。宮内広利さん「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」、前日本体育大学教授森川貞夫さんほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)と共に、ご参照ください。3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。10月1日開講秋学期「政治宣伝論」講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
2010.8.18 アメリカも暑かったですが、日本はそれ以上のべとべとした暑さで、時差ぼけ解消もままならず、異常な夏です。2週間ほどアメリカの国立公文書館に通いつめて帰国したばかり、『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)に掲載された、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」の前後の時期のGHQ/G2,OSS/CIA,MIS/CIC, FBIなどの機密解除記録を集めてきました。その間、前回更新で公開探索に踏み切った「南洋パラオから引き揚げた大垣出身「島原なみ」さん、その娘「福原南生子」さんの消息をご存じの方は、ご一報を!」には、残念ながら情報提供はありませんでした。もう一度だけ本トップに掲げ、次回更新以降、「2010年の尋ね人」のページに移します。ただ、ゾルゲ事件のキーパースンの一人である鬼頭銀一とその妻だった「島原なみ」、娘「福原南生子」の直接情報はアメリカでもみつかりませんでしたが、周辺情報ではいくつか収穫がありました。今回は米国国立公文書館(NARA 2)の戦略情報局OSS個人ファイル、中央情報局CIA個人ファイル、陸軍情報部(MIS)個人ファイルから、それぞれの問題別ファイルや連邦捜査局FBI関係のファイルにも探索を広げたのですが、たとえばGHQ/G2のウィロビー将軍とFBIフーバー長官とのマッカーシズム開始、朝鮮戦争勃発期の連携など、戦後初期情報戦の米国政府機関内での力関係と提携・対立関係が見えてきたのが収穫です。また、個人ファイル関係でも、「2010年の尋ね人」ページの「日独同盟に風穴をあけた日本人 <崎村茂樹>」「上海におけるゾルゲ、尾崎秀実の周辺」のヒントとなるいくつかの資料が、新たにみつかりました。これらについてはこれから本格的に解読し、講演や論文・著書で発表していきます。
ワシントンDCでの米国国立公文書館訪問は、21世紀に入って恒例で、日本の政治経済の存在感の衰退と中国のプレゼンス増大が印象的でしたが、久しぶりで訪れたニューヨークの印象はそれを確証するものでした。私がニューヨークを訪問するさい、密かに定点観測の素材にしているのが、タイムズ・スクウェアーの高層ビル街の企業広告塔のスポンサー。かつて1980年代から90年代、ここは日本の大企業の自動車・家電広告でいっぱいで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「経済大国ニッポン」を実感できる場所でした。それが世紀の変わり目あたりから日本企業が次々に撤退し、韓国やヨーロッパ系企業の巨大広告がみられるようになってきました。今夏は東芝とソニーは辛うじて確認できましたが、20世紀の写真と比べると衰退は瞭然です。寿司バーが増えたりブックオフが進出したりはありますが、その辺もチャイナタウンの長い伝統をもつ中国系の増殖にはかないません。わずかに数年前にロックフェラーセンターからブライアント・パークそばに移転した紀伊国屋書店2階のアニメ・コミック・コーナーの隆盛が、辛うじての日本文化の発信でしょうか。自動車や家電からマンガや村上春樹への日本イメージのシフトは、ある意味では私の提唱する機動戦・陣地戦から情報戦へ、ジョゼフ・ナイのいうハード・パワーからソフト・パワーへの、世界史の流れに即したものかもしれません。日本の政局は9月民主党代表選への党内政治。それよりこの夏は、じっくり戦争と平和の問題を考えましょう。
この点で、往きの飛行機でようやく読み上げた村上春樹『1Q84』第3巻よりも面白かったのは、井上ひさしの遺作となった『一週間』の方。戦争責任・シベリア抑留・レーニン主義といった重いテーマを、しっかり史実を踏まえたうえで、井上流の悲喜劇にまとめあげています。すでにウェブ上にも大江健三郎の書評や丸谷才一の追悼文をはじめ多くの文章が入っています。小説ですから、今夏の最大の読み物とだけ言って、オススメしておきましょう。ちょうど一緒に持っていった白井久也『検証 シベリア抑留』(平凡社新書)は背景理解に絶好の良書でしたし、米国国立公文書館(NARA 2)の陸軍情報部(MIS)個人ファイルの氏名が特定できなかった日本人ファイルの多くがシベリア引揚者のもので、舞鶴港に帰国したとたんに、今度はアメリカ占領軍によるソ連抑留時代についての厳しい尋問を受け、その後も監視を受けていたことがわかりました。8月8日のNHK特集で、いわゆる「民主化運動」の内実など「引き裂かれた歳月ーー証言記録 シベリア抑留」が放映されたそうですが、井上ひさしの『一週間』と私の集めてきた陸軍情報部(MIS)「シベリア抑留者ファイル」は、その意味を深めるのに使えそうです。もっともその資料を読み解く前に、9月はまたヨーロッパに3週間です。次回更新は9月はじめの予定ですが、やはり不規則になります。IMAGINE DATABASE「戦争の記憶」の最新版を夏休みに作る予定も、延期するしかなさそうです。ご了承ください。
敢えてのっけからメルアドをかかげたのは、本サイト久しぶりの、「尋ね人」のため。かつて旧ソ連在住日本人粛清犠牲者やワイマール期在独日本人関係者の発掘で本ウェブサイトは大きな威力を発揮し、10人以上の旧ソ連粛清犠牲者ご遺族に命日や埋葬地をお伝えするボランティア活動の土台を築きましたが、今回は、日本の侵略戦争の犠牲者である、ある母と娘の探求です。右の写真は、1936年に神戸で結婚したばかりの夫婦のものです。男性は鬼頭銀一、1903年、三重県鈴鹿市生まれ、1925年アメリカに渡り、敬虔なキリスト教徒としてコロラド州デンバー大学に学びました。在学中に社会学のチャーリントン教授の影響を受け社会問題にめざめ、アメリカの労働運動に接近しました。同級生に後の野坂参三のカルフォルニア滞在時代の助手、ジョー小出がいました。本サイトの長い読者の方ならば、私の2004年夏のアメリカがコロラド州デンバーだったことを覚えていらっしゃるかもしれません。鬼頭銀一は、英語と理論に優れていて1927年にアメリカ共産党に入党、28年にはニューヨークのアメリカ共産党本部で、米国共産党日本人部の最高指導者である初代の全国書記に抜擢されました。でも別に恐ろしい「アカ」ではなく、写真にあるように、知的な好青年でした。
その鬼頭銀一は、どうやら1929年にはアメリカを離れ、ベトナム経由中国の上海に入ったようです。当時上海には、世界中から、中国革命を支援するコミンテルン(共産主義インターナショナル)系列の活動家たちが集まっていました。本来なら歴史的に名を残すはずだったのが、ここで鬼頭銀一が、当時上海でアジアでの情報戦にたずさわり始めたリヒアルト・ゾルゲと、当時朝日新聞記者の尾崎秀実を引き合わせたこと。1941年検挙後の尾崎の供述を読めばそう出てきますが、一緒に検挙されたゾルゲが「有名なアメリカ共産党員鬼頭銀一」との関係を否定し、尾崎と会ったのはアグネス・スメドレーの紹介だったと強く主張したため、日本の検察当局はゾルゲの供述に合わせて尾崎の供述を変更させ、判決文は、スメドレーを仲介人にして、鬼頭銀一の名は入りませんでした。しかし、同じく被告の水野成の判決文には鬼頭銀一が出てきますし、最近、鬼頭銀一のアメリカ共産党での活動を明示する資料がモスクワでみつかり、ゾルゲと尾崎の出会いは、したがって後のゾルゲ事件の発端は、鬼頭銀一の上海での汎太平洋労働組合を拠点にした活動であったことが、ほぼ証明されました。
ただし鬼頭銀一は、31年9月満州事変勃発時に上海の日本領事館警察に捕まり、日本に送還されて、友人の日本人治安維持法違反容疑者木俣豊次の逃亡幇助の罪で32年末まで市ヶ谷拘置所に収監されていました。執行猶予付きで出所した鬼頭銀一は、33年1月から37年9月まで、国際港神戸にゴム製品販売「鬼頭商会」を開業、その間32年に上海から帰国し大阪朝日新聞に勤めた尾崎秀実と頻繁に会い、まだゾルゲが日本に入る以前から、「尾崎・鬼頭グループ」を作っていました。これまでのゾルゲ事件研究では、尾崎はゾルゲの協力者、したがって「ソ連のスパイ」とされるが、尾崎や鬼頭は、ゾルゲ諜報団とは別個に、日本の中国侵略に反対し、日中民衆の連帯を模索する活動を続けていました。ただし鬼頭銀一は、34年9月の尾崎秀実東京転勤後、「ゾルゲ・尾崎グループ」に加わった形跡はありません。ソルゲ事件における鬼頭銀一の重要性については、一度講演「イラク戦争からみたゾルゲ事件」で述べたことがあります。
1937年9月、鬼頭銀一は、神戸の店をたたんで南洋パラオ群島のペリリュー島に渡り、海軍基地建設中のペリリューに日用雑貨品店を開きます。そして7か月後の38年5月24日、店に出入りしていた30歳くらいの男から缶詰のゆで小豆を勧められ、食してまもなく苦悶し死亡します。日本の実家に伝えられたのは「謀殺の疑いあるも、糾明の術はなかった」ーーそれが日本の特高警察・憲兵隊による謀殺か、当時粛清最盛期のスターリンの刺客による暗殺か、非政治的・個人的な怨恨によるものか、あるいはたんなる食中毒か、今日でも不明のままです。その事情を一番よく知るのが、写真右の、ペリリュー島で一緒に暮らしていた妻なみです。1907年岐阜県大垣市生まれで、結婚前は三橋(みつはし)なみ、35年に鬼頭銀一と結婚し36年に長男誕生、38年4月、つまり鬼頭銀一「謀殺」事件直前に長女南生子(なおこ)が生まれたばかりでした。事件後、長男は日本の鬼頭家に引き取られましたが、妻なみと生誕1か月で父を失った南生子は、そのままパラオにとどまったといいます。海軍基地が完成したペリリュー島は、太平洋戦争の激戦の舞台でした。1944年の米軍との戦争は、1万500名の日本兵中、生き残りがわずか34名という悲惨な玉砕でしたから、なみ・南生子母娘は、パラオ本島に移っていたと思われます。
日本の敗戦後、母娘は、いったん亡夫の実家、三重県鈴鹿市の鬼頭家に引き揚げてきます。しかし夫のいない実家で姑ともうまくいかず、長男は鬼頭家に残したまま、なみは娘南生子と共に鈴鹿を離れ、行方不明となります。いつの時点かはっきりしませんが、再婚して「島原なみ」となり、遅くとも1950年以降は「島原なみ」として日本で生きてきたと思われます。その後1970年代に、東京都世田谷区経堂駅前のアパートに、南生子も結婚して「福原南生子」となり、1男1女の母として夫とともに「島原なみ」と同居していたという情報はありますが、そこもすぐ行方不明となり、以後消息はありません。大垣出身「島原なみ」は、1907年生まれですから、もう生きてはいないでしょう。しかし「福原南生子」さんは、1938年、名前のように南の島の生まれですから、まだご存命の可能性が高いです。二人の子供もいたとのことですから、日本のどこかで、ひょっとしたら亡父鬼頭銀一の行方を捜しているかもしれません。手掛かりは以上にすぎませんが、どなたか「岐阜県大垣市出身島原(三橋・鬼頭)なみ」さん(写真右)、「南洋パラオ生まれの福原(鬼頭・島原)南生子」さんについて、何らかの消息・情報をお持ちの方は、私の方にご一報ください。実のお兄さんはご存命で、連絡がついています。
この間、一橋大学退職期に執筆し編纂した書物が、次々に刊行されています。日本経済評論社からは、「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』、私は後者に「政治の境界と亡命の政治」を寄稿しています。社会評論社からは、故栗木安延教授の追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』、私は「格差と貧困の情報戦」を寄稿。そして『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)には、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が掲載されています。4月末にロシア大使館で行った講演「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、米国、旧ソ連」の記録が、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集』第26号(2010年6月)に発表されました。「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)の続編=総括編です。入手しにくい雑誌なので、原稿のpdfファイルをアップ。図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、などとともに、ご笑覧ください。
図書館「学術論文データベ ース」には、新規投稿論文、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)をアップしてあります。長文でユニークな、マルクス主義批判です。このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」、前日本体育大学教授森川貞夫さんほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)と共に、ご参照ください。3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。そちらの9月末開講秋学期講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
このことは、1人区での圧勝による谷垣自民党の議席上での比較優位も、国民の自民党政権復活への期待ではなく、民主党への失望、オウンゴールによる消極的選択で、国民は自民党時代へのノスタルジアを民意で示したわけではない、ということです。政権党を中心とした永田町政治の総体への批判を、民主党へのお灸や、みんなの党の若さへの期待や、20世紀型伝統野党への失望で示したということでしょう。旧い政治は終わったが、新しい政治の芽は見えない、過渡期の漂流です。マスコミの論調は、菅首相の消費税発言のブレが民主党惨敗の要因で、しかも自民党が勝利したから消費税10%そのものはむしろ民意の多数派であり、今こそ「大連立」的与野党合意で財政再建へ、という誘導です。特に朝日新聞の紙面は露骨で、自分たちで論題設定した消費税引き上げこそ日本政治の緊急の課題で、それが参院選の最大争点で、その点での決断力・指導力の不足こそ菅内閣への支持率低下の理由だと、記者座談会から選挙後の世論調査まで動員して主張しています。2010年上半期の情報政治は、全体として頻繁な世論調査によるマスコミの政局誘導が目立ちました。
でも、冷静に振り返ってみましょう。今回の選挙で「政治とカネ」は争点でなかったんでしょうか。雇用や年金や医療での怒りや失望・願望の民意は、どのような投票行動で表現されたのでしょうか。何より沖縄では、民主党が候補をたてられず、社共が分裂して自民党に議席を与え、国外・県外移設を主張しつつも民主党の比例代表候補だった喜納昌吉候補は落選しました。投票率も全国最低で、いわば深い絶望の民意が表出されました。この論題での審判は、11月沖縄知事選に先送りされたのです。民主党に必要なのは、丸山眞男風に言えば、「復初の説」です。「政権交代」の原点に立ち返り、自らの存在根拠を問い直すことです。そのための夏休みならば、9月の代表選まで落選した大臣まで留任させ、内閣・執行部が居座ることも、就任1か月では、やむをえないでしょう。政治は結果責任です。基本政策を練り直し、民意をくみ取る政治のあり方を熟慮して参院選総括をしっかり示すのであれば、国民から2か月の執行猶予が与えられたとでも言い逃れるしかないでしょう。そのような意味での貴重なモラトリアムを、姑息な永田町内小連立やマスコミ主導の大連立騒ぎで浪費されないよう願います。
この間、一橋大学退職期に執筆し編纂した書物が、次々に刊行されています。日本経済評論社からは、「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』、私は後者に「政治の境界と亡命の政治」を寄稿しています。社会評論社からは、故栗木安延教授の追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』、私は「格差と貧困の情報戦」を寄稿。そして『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)には、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が掲載されています。4月末にロシア大使館で行った講演「ゾルゲ事件の3つの物語ーー日本、米国、旧ソ連」の記録が、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集』第26号(2010年6月)に発表されました。「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)の続編=総括編です。入手しにくい雑誌なので原稿のpdfファイルをアップ。図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、などとともに、ご笑覧ください。
図書館「学術論文データベ ース」には、新規投稿論文、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)をアップしてあります。長文でユニークな、マルクス主義批判です。このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」、前日本体育大学教授森川貞夫さんほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)と共に、ご参照ください。3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。そちらの講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。
この情報戦オペレーションは、ある程度成功しているようです。野党第一党自民党の攻撃を、自民党の言う10%消費税を入れてかわしましたから。自民党は地方区でせりあいそうですが、かつての政権党の勢いはなし。菅内閣は国民新党との連立公約の郵政法案にはどうやら乗り気でないらしく、みんなの党に色目を使ったりしています。でも恐ろしいのは、選挙結果次第で生まれる民主・自民大連立のシナリオ。トロント・サミットの日米首脳会談で日米同盟強化と普天間基地の辺野古沖移転を再確認し、経済政策でも消費税増税・法人税減税の足並みが2大政党でそろいますから、その先には憲法改正もありえます。他方で、「国民生活が第一」の雇用・年金・社会保障・医療改革は先送りになり、沖縄県民の怒りは「自己決定権」の方へと向かい11月知事選に。「政治とカネ」も「官僚優位」もうやむやで自民党時代への逆戻りです。この悪夢のシナリオに乗らないためには、菅内閣とマスコミの世論操作に乗らないで、自分の争点をはっきりさせることです。特に民主党支持者は、昨年「政権交代」「チェンジ」を望んだ初心に立ち返り、その期待がかなえられたか、かなえられるかを、しっかり判断すべきでしょう。マスコミのトロント・サミット報道も選挙戦向けです。G8首脳写真の首相の立ち位置とか、日本は例外的に2013年財政赤字半減義務からまねがれたとかでていますが、株価も為替もすばやく反応しています。ポイントは、G8とG20が同時に開かれ、本来政治サミットなはずのG8でギリシャ財政破綻など財政政策が先進国内部の対立点だったこと、したがってG8の存続意義が弱まり、G20もかつての先進国対途上国の構図より重層化し、世界恐慌からの共通の脱出口を見いだせずに終わったことです。日本は国情を認められて例外が認められたというより、存在感がないので勝手にやってくれといわれたようなものです。中台経済協定が結ばれ、朝鮮半島も動いています。あの政権交代時の「東アジア共同体」はどうなったのでしょうか。「日米対等のパートナーシップ」はどこへ行ったのでしょうか。1か月前の争点を忘れないために、沖縄県選挙区では政権与党が候補者さえ出せない異常な選挙を記録するために、5月末の政局直前まで存続した両院の超党派国会議員181名の動きを、記憶にとどめておきましょう。もっとも、参院選各党タレント候補の過剰露出になるはずだったワイドショーは、相撲界の黒い霧とサッカー・ワールドカップでの日本善戦報道で仕分けされ、政治報道そのものが沈静化しています。あと10日、いわゆる無党派層の投票率と投票行動が次の政局への動きを決するでしょう。次回更新で結果をコメントします。
前回更新は、北海道・網走での北海道立北方民族博物館「保苅実写真展」を訪れる旅行で、変則となりました。北方民族博物館の展示、アイヌばかりでなくイヌイットの生活に即したすばらしいもので、オーストラリアのアボリジニを追った故保苅実さんの世界と共振する理由がよくわかりました。そこに沖縄の自己決定権の話がつながれば、いま日本列島が抱える歴史的問題の重さが理解できます。ちょうど朝鮮戦争から60年、安保闘争から50年です。写真展に大きく掲げられていた、故保苅実君の言葉が響きます。「世界で何が起こっているのかを知りたいならば、人はじっととどまって、世界に注意を向けなければならない。」この間、一橋大学退職期に執筆し編纂した書物が、次々に刊行されています。日本経済評論社からは、「政治を問い直す」シリーズ2部作、加藤哲郎、小野一、田中ひかる、堀江孝司編著『国民国家の境界』と加藤哲郎・今井晋哉・神山伸弘編『差異のデモクラシー』、私は後者に「政治の境界と亡命の政治」を寄稿しています。社会評論社からは、故栗木安延教授の追悼で編んだ合澤清・加藤哲郎・日山紀彦編『危機の時代を観る』、私は「格差と貧困の情報戦」を寄稿。そして『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)には、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」が掲載されています。図書館に、『週刊 読書人』5月28日号掲載、西川正雄『歴史学の醍醐味』(日本経済評論社)の書評をアップ。昨年メキシコ滞在以後に発表されたまま当カレッジには収録していなかった2本の論文、「戦後日本の政治意識と価値意識」、渡辺雅男編『中国の格差、日本の格差』(彩流社、2009年11月)及び「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」(『Forum Opinion』No.7, 2009年12月)がアップされています。ついでに「ゾルゲ事件の新資料ーー米国陸軍情報部(MIS)『木元伝一ファイル』から」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第25号、2010年3月)も、なかなか手に入らない雑誌に収録された講演記録ですので、アップしました。『初期社会主義研究』第21号(2009年3月)に発表された、山内昭人さんほか初期コミンテルンと東アジア研究会編『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版)の長文書評も、図書館収録を忘れていましたのでアップ。昨年末12月19日に行われた医師・医事評論家川上武先生の追悼会「川上武先生に学ぶ集い」で行った私の追悼講演「『抵抗の医学者・流離の革命家』国崎定洞を追いかけて」、『図書新聞』09年10月10日号掲載岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)書評、同じく『図書新聞』1月30日号掲載の楊国光『ゾルゲ 上海ニ潜入スーー日本の大陸侵略と情報戦』(社会評論社)、などとともに、ご笑覧ください。
図書館「学術論文データベ ース」には、新規投稿論文、甘田幸弘「唯物史観反証理論」(2010.6)をアップ。長文でユニークな、マルクス主義批判です。このコーナーの常連宮内広利さんの「歴史・国家の跨ぎと媒介ーーネグリとドゥルーズの時間」、前回アップした前日本体育大学教授森川貞夫さんほか「『スポーツと平和』をめぐる実践的・理論的課題」(日本体育大学紀要掲載論文)と共に、ご参照ください。3月末で一橋大学を退職しましたが、その最後の教育成果の発表。一橋大学加藤ゼミ学士論文集成に、恒例により2010年3月卒業生学士論文がアップされました。このページのみ、データベースとして残します。ただし、一橋大学のxxxxx@srv.hit-u.ac.jpのメールアドレスは使えませんので、私への連絡は、E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp をお使いください。一橋大学での研究の方の成果は、日本経済評論社から「政治を問い直す」シリーズ第1巻、が、5月末に発売になりました。第2巻、加藤哲郎、今井晋哉、神山伸弘編著『差異のデモクラシー』も6月末刊行の予定 、若手の力作揃いですので、乞うご期待です。4月1日から早稲田大学大学院政治学研究科客員教授になりました。そちらの講義・ゼミ関係は、早稲田大学ホームページからアクセス願います。