LIVING ROOM 1(August, September 1997)


9/29ついに2000ヒットです! 試行版のカウンター設置が8月15日、本格版起上げ が8月26日でしたから、1日平均50人の皆様が見てくれていることになります。メールからだけではわかりませんが、おそらく加藤ゼミの関係者、政治学に限定されない大学関係者・研究者のみなさん、それに意外とマスコミ関係者の方々が多いようです。どなた様も、本当にありがとうございました。みなさんがいることが、更新のはげみです。

 栄光の2000ヒットは、アメリカからでした。ワシントンDC在住の永井(松崎)裕子さんで、加藤ゼミ卒業生であり、某社ワシントン特派員夫人であり、研究心旺盛なヤングママです。実は加藤ゼミ卒業生にはマスコミ関係者が異様に(?)多く、数年前には週刊誌でも取り上げられました。そのためジャーナリスト志望の学生が毎年入り再生産されています。つまり加藤ゼミ関係者の一部はマスコミ関係者でもありうるので、上記の顧客区分は正確ではありません。これを政治学では「重複メンバーシップoverlapped membership」 といって、生産関係のうえでの労働者階級の一員が、会社で一般職女性を部下にもつ男性管理者であったり、地域で無党派市民で将棋同好会員であったり、家庭で子煩悩だが家事は一切しない暴君であったり、街では経済大国のブランド消費者であったり、ナベツネ・ジャイアンツのファンであったりして、時々にアイデンティティと行動動機を使い分け、マルクス『共産党宣言』の「階級闘争の必然性」を揺るがし見通しを狂わせた、当のものです。経済決定論・基底体制還元主義では見えない、政治学や社会学の存立根拠でもあります。

 こんな話をするのも、先週私のまわりで起きたパパラッチ風マスコミ攻勢のため。共産党宮本議長退陣で、朝日・毎日・読売・時事・共同通信……に追いかけられ、いくつかコメントを出しました。テレビはテレ朝で月曜夕方6時のニュースのインタビューに応じたら、30分の話から20秒ほどどうでもいいとこだけ放映され、テリー伊藤氏のコメントと並べられたので、留守電に入っていた金曜ニュースステーションからのプロポーズは無視しました。ところが時事通信のコメントを書きながら当夜のニュースステーションを眺めていたら、畏友川人博弁護士も登場しての「過労死自殺」の特集。しっかり取材されていて内容もよく、そちらの方なら出てもよかったのですが。同じテレ朝でも、定時ニュース、ニュースステーション、ザ・スクープとそれぞれ番組担当者から連絡があり、横の連係は全くないようでした。読売も日刊紙とThis is Yomiuri が別々の取材で、こちらはコメントを使い分けました。写真はこのHPから髭つきをダウンロードしてくれればいいのに、郵送で至急送れといってきたりします。E-mail, Internetを使いこなす記者は半分ぐらい、まだまだマスコミは携帯電話・社用ワープロ・ファクスで済むようです。こちらは、その辺を社会学的に考察。大学院入試中なのに、おさわがせの1週間でした。

 ではなぜ共産党大会・宮本議長退陣で私のコメントなのか? 別に社会主義やコミンテルンを研究した専門書を出し、このHPに「宮本氏への公開質問状」を先週uploadしたからではありません。答えは7年前の1990年に遡ります。いまはオウム追究で有名で日テレ午後のワイドショーでも活躍中のジャーナリスト有田芳生さんに頼まれ執筆した『日本共産党への手紙』中の私の一文(だけ?)を、記者たちは読んでいるのです。そこで私は、ちょうど『東欧革命と社会主義』を出したばかりでしたから、日本共産党も民主集中制をやめて宮本顕治氏をトップからはずさないと、ソ連や東欧の共産党と同じ運命になるよ、と忠告・提言したのです。そしたら共産党から猛反撃を受けて、志位さんとかいう頭の硬い若年寄は、私を批判した長大論文を『赤旗』に書いて大出世なさいました。『東欧革命』は理論書で8千部でしたが、『手紙』は当時たしか3万部以上出ましたから、おそらく政治部デスクあたりがそれを覚えていて、若い記者に読ませたのでしょう。

 今度の共産党大会前は、私の見解はあの手紙に書いた通りで今も変わらないからそれを使ってください、と逃げてきましたが、当の論敵宮本顕治氏の辞意表明で、やむなく一言語らねばならなくなりました。喜ばしいことですが、残念です。宮本氏が存命中にトップを退くことができたこと、それで現代史の謎杉本良吉・岡田嘉子越境の証言・回想録を残してくれる条件が生まれたことは喜ばしいのですが、宮本氏という理論的ライバルがいなくなることは、私の「ポスト・マルクス主義」にとって反面教師を失うことになりますから、ちょっぴり寂しいのです。こんなことをHPに書くと、共産党がまた「加藤哲郎の反共攻撃」などと紙ツブテをくれそうですが、私は『赤旗』は読んでいませんから、批判はぜひ日本共産党ホームページ上でお願いします。21世紀のインターネットの世界ではたして「民主集中制」が可能か否か、ぜひ論争したいものです。

 というわけで、今回の更新は特別サービス。7年前の『日本共産党への手紙』所収の私の一文「科学的社会主義の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に」草稿を、「一太郎ファイル」から甦らせます。興味のある方は、刊行された本との異同もご研究ください。現時点のコメントは、時事通信が本日全国の地方紙に配信する論評「ひとつの時代の終わり」をジャスト・イン・タイムで収録し、関連資料を扱いにします。というのは、雑誌・週刊誌執筆はエルゴロジーの立場からすべてお断りし、談話とインタビューは記者のまとめたものをファクスでチェックしただけですが、この時事通信の小論のみは、短文だったので自分自身で執筆したからです。これも草稿で、新聞掲載よりやや長く書いています。「今月の尋ね人」更新は、10月4・5日日本政治学会後の次回にまわします。共産党問題では、宮地健一さんの専門的HPもご参照ください。有田芳生さんから新著『「神の国」の崩壊――統一協会報道全記録』 (教育史料出版会)を送っていただきました。川上武さんの『21世紀の社会保障改革』(けい草書房)、金子勝さんの『市場と制度の経済学』(東大出版会)とともに、宣伝しておきます。


9/22 新学期目前で、夏休み締切原稿をいくつか残したまま、学生と箱根でゼミ合宿。ゼミ恒例の「ウインク・キラー」ゲームの腕も落ちてきて、そろそろ息切れを痛感、5日毎のHP更新もしんどくなってきました。合宿では「ホームページの作り方」の特別講義をしたのですが、「われこそは」という助っ人は現れるでしょうか? 初めてデジカメでとった写真は、近く寝室に入ります。

 一度『朝日新聞』のインタビューに応じたら、読売、テレ朝、……と共産党大会関係の取材が相次ぐ。どうして私のところに、もっと広くいろいろな意見を聞いたら、と記者たちにいうと、それならどなたか紹介してください、とくる。どうやら、共産党について談話をとるのは大変らしい。ちょっとした批判的発言でも『赤旗』で大々的に「反共・反動攻撃」などとたたかれるので、だんまりが一番という人が多いためとか。北朝鮮では党トップの世襲が本決まり、さて宮本さんはどう決断なさることやら……。

 今回の更新は、前回の「過労死とサービス残業の政治経済学」を補足するため、かつて『エコノミスト』や英字誌『Look Japan』に発表した「日本人の勤勉神話ができるまで」の英和折衷草稿と若干の書評の追加。気分転換にアイコンを取り替えてみました。見栄えはいかが?


9/15  秋葉原のソフマップ・コンピュータ・クリニックから、MEDIA CONVERTされたPC98時代のなつかしいファイルが届きました。5インチフロッピーに入れたテクノメートの英語ファイルはほぼ全滅でしたが、一太郎で書いた日本語ファイルは95%、マック用に変換されました。フロッピーが傷ついて部分的によみとれないものもありましたが、この間ほぼ毎年出してきた著書、未発表の論文やミニコミに書いたエッセイ、それに書評の山も大部分無事でした。それにしても2HD35枚の私の血と汗の結晶が、全部を100MB ZIP DRIVE1枚に入れてほんの20メガバイトです。最近のHarddiskやRemovable Media の超高速の<進歩>は、どうやら画像や音声用のようです。それでも本HPの充実には貴重なデータベースです。一挙に入れるとまた重くなりますから「90年代プレイバック」鑑賞室を新設し、数本ずつhtml化することにしました
 しかし絶版になっていない著書をそのまま公開したり、出たばかりの雑誌論文をそのまま掲載するのは、著作権上も出版社に対しても問題です。そこで一応の基準を、(1)発売中の個人著書の論稿は収録しない。ただし「はしがき」「あとがき」など著書の紹介・要約になる文章は掲載することもある。(2)3か月以内に刊行された雑誌論文・研究論文などは掲載しない。ただしその論文の草稿が編集上の理由などで短縮されたり加除されたりした場合には、オリジナルの草稿を積極的に収録する。(3)短いエッセイや書評・インタビュー、マイナーな雑誌や論文集・高価本に掲載されたもので容易に入手しがたいもの、未発表のもので著書収録の予定のないもの、などは積極的にインターネット上に公開し発表する、(4)HP収録時に執筆時期・執筆理由について短いコメントを付し、いったん「90年代プレイバック」鑑賞室に入れた文書は更新のさいに適宜「書斎」や「倉庫」に保管する、といった原則を設けました。さしあたり、予告していた「過労死の政治経済学」日本語版などを入れました。著書にもない膨大な関連文献目録をつけましたよ。エッセイや書評も入れてみました。寝室に出入りできるゼミの学生・卒業生用には、なつかしい(いまわしい?)卒業論文と同窓会のコーナーを設けました。
 といっても膨大な量ですし、新学期も間近です。これまでのYoo Editのみによるhtml作成では定期更新が大変ですから、やむなくHP編集ソフト「クラリスホームページ」のお世話になることにしました。既存の論文・エッセイをhtml化するには、確かに便利で効率的ですね。でもhtml文法を学ばずに最初から編集ソフトで作っていったら、技術的には限界があるし、達成感も小さいだろうなあ、という率直な印象。業者に作らせた企業や自治体のホームページのようなものです。実は先般季節外れの「革新自治体」に仲間入りした私の住まい国分寺市のホームページがその典型、見た目はきれいですが業者作成のオツにすましたアリバイHPで、ひとあたり見て地図だけダウンロードし、その後は入っていません。新市長の山崎さんを知らないわけでもないので、ちょっと苦言を呈しておきましょうか?
 『朝日新聞』9月6日付掲載の「私の共産党倍増論」というインタビューに応じたら、HPを経由した(?)メールがたくさんきました。サーフィンガイドで紹介した日本共産党と「民主集中制」を論じるユニークな個人サイト宮地健一さんのホームページには、佐高信さんと私のインタビューが再録されるそうです。右翼の人らしい変な手紙もきましたけど、やっぱりまだ全国紙の方が影響力は大きいようですね。何人かのメールでの要望に応えて、「90年代プレイバック」鑑賞室第1弾に、1994年に執筆したが発表しなかった『日本共産党の70年』を批評した一文を入れました。一緒にuploadした「国境を越える夢と逆夢」で論じた1938年正月の女優岡田嘉子・演出家杉本良吉の樺太からソ連への「恋の越境」をめぐって、宮本顕治現共産党議長の関与の有無を「公開質問状」にしようとしたものですが、最終的に公開しなかったものです。
 ただしこれで「反共攻撃」しようとか日本共産党大会の「撹乱」を狙ったわけではありませんから、誤解のないように。『朝日』でも述べたように、私は現在の日本共産党の人たちの「護民官」としての役割は評価しています。マザー・テレサを追悼するのもいいことです。むしろ宮本顕治氏個人の回答・回想をなんらかのかたちで得て、本HPの「今月の尋ね人」「現代史の暗室」の謎を解くためのものです。20世紀の日本の歴史は、まだまだ未解明の謎のベールでおおわれているのです。
 今までCOLOR QCAMとALPS MD4000で代用していたデジカメと平型スキャナーが、ようやく入ります。でも画像で勝負するHPにはしません。あくまで内容を読んでくれる方々とメールで対話しながら、最低月に1度の更新をキープしたいと思います。1500ヒットももうすぐ。ご意見・ご要望をお寄せ下さい!

 9/10  日本の学術的HPのパイオニア、愛媛大学の赤間さんから、私のHPは極端に重く遅い、という再度のご指摘。ベテラン赤間さんのお話では、どうもIIJ4Uそのものが遅いようです。自宅でISDN、大学でLANの環境のため、自分では実感できなかったのですが、手元のPower Book520 と14400のMODEMを使ってアナログから入ってみると、たしかに深刻な問題です。
そこで、定額制のIIJ4Uに入って以来、ほとんど使っていなかった地元国分寺のプロヴァイダーInfotrans にもHPをおけることを思いだし、ミラーサイトを設けました。ミラーといっても、こちらも早いとは限りませんから、EARTH & FISH のシンボルマークと小さく軽いgif icon は残しつつも、原則としてすべての写真と大きなアイコンを全部削った軽量TEXT VERSIONの別宅にしてみました。内容は全く同じです。遅くてイライラしている方は、実験してみてください。皆さんの反応次第で、2つのサイトを研究室と教学関係とに使い分けることも考えてみます。一橋大学公式HP内の「社会学部ホームページ」にもリンクは依頼しましたが、更新がfetchやtelnetではできず、いちいち庶務課にフロッピーでもっていかなければならないとのことなので、大学にHPをおくのは現実的でないようですので。
 もう1200ヒットですが、記念すべき第1000ヒットは、一橋大学大学院商学研究科の宮崎晋生さんだったそうです。学部時代は社会学部加藤ゼミで「1968年の比較政治学」がテーマ、ほかならぬ私のゼミの卒論に「団塊の世代の保守化」をものした硬骨漢。でもなかなかのできばえで、商学部経営学の大学院に進み、日本の企業組織に「団塊の世代」がなにをもたらしたかを経営史として研究しています。大学紛争世代・全共闘世代などとカッコいいこといっても、結局日本的経営に組み込まれ、進んでモーレツ社員・サービス残業・過労死に突っ走ったではないか、といわれると思い当たる人も多いでしょう。
そういえば、日本で「専業主婦」が本格的に成立したのは、「団塊の世代」が家庭を持ってからなそうです。前の世代はまだ農業人口が多く「専業主婦」は一部都市上層の高嶺の花、後の世代は女性の高学歴化・社会参入・パート労働増で「専業主婦」は少数派。思い起こせば、あの68ー69年のキャンパスでは、女性たちはアジビラのガリ版切り、投石用石運び、おにぎり炊出し部隊と「銃後」に動員され、私を含む男たちは、そのことをちっとも不思議に思っていなかったようです。大塚英志のいう「意味を失う運命にあった男たちの『新左翼』のことばと、時代の変容に忠実に反応しつつあった女たちの消費社会的なことば」の埋めがたいギャップ(『「彼女たち」の連合赤軍』)?。そんな時代がありました(中島みゆき?)。
一つの偉大な生命が、地球から失われました。ダイアナではありません。その師でもあるマザー・テレサです。昨年のクリスマスイブ、私はカルカッタにいました。マザー・テレサの教会は質素なものでした。彼女の寝室の隣の礼拝室まで案内されて、尼僧と一緒に祈りをささげました。翌朝同じ教会の前を通ると、朝の一杯のスープを求めて、いろいろな肌と宗教と言葉をもつ老若男女でいっぱいでした。そこは西ベンガル、長期に共産党が州政府の政権党です。私がマザー・テレサのそばで祈った1週間後、カルカッタ中心街から庶民の乗り物リクシャ(いうまでもなく日本語の人力車が起源)が消えました。インド共産党中心の州政府が、世界銀行の融資で開発を進めようと、バングラデシュ難民出身の運転手も多いリクシャを郊外に追い出して、融資基準を満たすための「街の浄化」に乗り出したのです。正月に数千人が職を失いました。想像を絶する貧困とカースト制度のもとで、マザー・テレサの仕事が減ることは決してありません。今日からインドについて執筆開始(「市民のための丸山真男ホームページ」さん、もう少しお待ち下さい)。合掌!
懸案だったNEC-PC98時代に一太郎で書いた5インチFDファイルのMac3・5インチ用転換が、ついに実現しました。何人かの方に懇切丁寧なメールをいただいたのですが、オーソドクスな一太郎ファイルを3・5インチ2DDに落としてMacのPC-Exchangeで読みとる方法は、断念しました。私の古いPC98環境では、一度MS-DOS ver.2.11をver.5.0a以上にし、Harddiskを使って3・5FDDに読みとらなければならないのですが、先日3年ぶりでほこりだらけのPC98を立ちあげたら、MS-DOS ver.5のシステムが壊れていて、Harddiskそのものが立ち上がりません。そのMS-DOS ver.5ソフトは、いまやマイクロソフトに席巻されたDOS-Vの世界では、秋葉原の中古ショップでも入手できないのです。3年前は、たしか最新versionだったのに。
 そこで考えたのが、メディア転換をやってくれる業者探し。これは大変でした。そんなビジネスは公式にはないのです。あんなにDOS-MAC互換についての本が出ているんだから、悩んでいる人も多いはずなのに。行きつけのMAC屋にそんな店ないですよとあっさり断られ、秋葉原を軒並みまわってダメと言われ、OAリサイクルショップでもそんな商売聞いたことないといわれたうえ、最後にゆきついたのが秋葉原の裏通りの「Sofmapコンピュータクリニックセンター」、つまり病院です。ダメモトと思って頼んだら、なんとあっさりOK、同病者もいるらしく、5インチフロッピー1枚1000円と一応の価格も決まっています。翌日、1989ー95年の私の汗の結晶である一太郎の5インチフロッピー40枚とマックの新品3・5インチ2HDフロッピー50枚をもちこんで、あっさり1週間ですべてを解決できることになりました。4万円なら新しいDOS-VのHarddisk買って自分で転換すればいいのに、というのはDOS派の浅はかな考え方。MACの魔力にはまると、もうWindowsの世界との接触を断ちたくなるのです。でも結局、これもビル・ゲーツの手の平の上か? ともあれ一件落着。近くこのHPの英文ページ及び「書斎」「倉庫」が飛躍的に充実します。乞う、ご期待!


9/5  カウンター設置3週間、本格立ちあげ1週間で、もともと年内目標だった1000ヒットをあっさり突破! 皆様のご愛顧に感謝いたします。でもこれは、前回説明したように「ホーム」のヒット数です。法大大原社研の五十嵐さんは半日かけて詳しく見てくださったそうで、それは10以上にカウントされたでしょう。関西学院の岡本さん、愛媛大学の赤間さん京大の八木さんらからは、画像が多くて重すぎるというご意見もいただきました。わが政治学の恩師である立命館の田口さんからもHPを見てのご祝辞をいただきましたので、そろそろ友人・知人・教え子関係のご祝儀ヒットはおちついたとみて、思いきって「ホーム」の写真やデコレーションの化粧を落とし、シンプルにしました。少しは早くなったでしょうか?
 同時に「カウンター」を分離しカバーページにして、SFC安藤さん秘伝のテクニックで、7秒で自動的に「ホーム」に移行するよう設定しました。皆さんのブックマークやヤフーに登録したURLを変えないようにしたため、結構ややこしいHTMLの書き換えになりましたが、これでヒット数はカバーのみになり、訪問者数と原則的に一致します。夏休みも終わりに近づき、原稿締切はどんどん迫り(悲鳴!)、サーフィンや更新の時間がとりにくくなってきました。皆さんも、学びの秋へ。
このHP設立の隠れた最大の狙いである「今月の尋ね人」特別室を立ちあげて5日、相変わらずヒットは多いのですが、残念ながら関係情報の提供はありません。なにしろ60年以上前の異国での日本人の消息ですから、インターネットを使う若い世代では、情報収集は無理かもしれません。おじいちゃん・おばあちゃんにでも、当時の話をきいてみてください。
 9月4日に不思議な事件がおこりました。私のHPの一橋大学関係のページに入れてある兼松講堂の写真が、大学から自分で覗いたら、別の何の変哲もないアイコンに入れ替わっているのです。急遽Fetchを発動して元に戻しましたが、これが噂に聞くハッカーの仕業でしょうか? それとも学生のいたずら? パスワードが盗まれた? よくわかりませんが不気味です。これもデコレーションを落とした理由のひとつ。しっかりsecurity の方法を勉強しなければ。
ちょっとだけ政治学の話。ソウルの世界政治学会で印象的だった一つは、「市民社会」論の台頭。でもかつての「国家と市民社会」ではありません。ひとつはアジアにおける「市民社会」の可能性。中国や韓国で議論になっているようです。もう一つは西欧の論者に多いのですが、「市民社会」を支える市民倫理・道徳の問題。ロールズ風「正義」やリバターリアンvsコミュニターリアンばかりでなく、オッフェらのTrustとかAuthorityとか、「市民社会」がSocietyであるためのCivic Virtueが問われているようです。私がインドで仕入れてきた一つが、実はガンジーのTrustyの思想でした。そんな眼で見ると、日本の行政改革も自民党総裁選も共産党大会も、……暗然。


9/1 みちのくの旅から帰京。MODEMの調子が悪く3日間覗けなかった間に、750ヒット突破、更新は週末だけにしたいのですが、責任を感じてしまいます。NHK経済部の根本さんは「豪邸」と評してくれましたが、現実が「兎小屋」であるからこそ、バーチャル・マイホームは大邸宅になりがちなのでしょう。でも、豪華にしようとすると重くなるのが悩みのタネ。そういえば、インドの電波事情のもとでは、1時間かけてその日の朝日新聞のトップ・ニュースを読むのがせいいっぱいでした。
500ヒット目はわかりませんが、600ヒットは日経新聞大阪社会部の前村さんでした。新婚早々ながら鋭い記者の眼で、HP内で「ホーム」に戻ると再カウントされるのはおかしい、というご指摘。その通りです。実はカウンターをとりつけた時は長いhtml文書1枚だったのですが、重いという意見に答えて文書を分割し「ホーム」で中央管理にしたら、そうなったのです。ですから750ヒットは750人ではなく上げ底、丁寧に全室を廻れば一人で軽く10以上ヒットしちゃいます。正確にするには、カウンター頁を独立させて「ホーム」の前におけばいいのですが、そうすると低速モデムからはさらに入りにくくなります。なんだかサービス残業をカウントしない労働省の公式労働時間統計の逆で、バブルですが、英語版はカバー頁を別に設けて「ホーム」でカウントされずに入れるようにしましたし、お好みのドアをブックマークして直接入れば、それはカウントされませんから、まあ相殺ということにしておきましょう。
現代日本のインターネット人口200万、ホームページ20万といわれます。でもアダルトものやゲームものは栄えても、学術・資料ページ利用人口はどのくらいでしょう? サラリーマン層にファンの多い立花隆の電脳広場は講談社のHP内でカウンターがないのでわかりませんが、野口悠紀雄さんがHPをたちあげ2カ月で2万ヒットなそうですから、まあ推して知るべしです。やはりこちらは、エルゴロジーと地球市民の専門店でいきます。Yahoo Japanの「社会科学/政治学」に登録してみました。先日予告したように、「今月の尋ね人」という「暗室」の特別室を設けました。
私が政治学関係のリンクで一押ししている「市民のための丸山真男ホームページ」さんが、私のHP立ち上げを祝して、「アカデミーに対する情報リテラシーの刺激という観点からみても画期的」と過分な評価をしてくださいました。同時に「加藤哲郎先生への手紙」と題する堂々たる論文で、私の「書斎」に収録した「永続民主主義革命の理論・その後」中での丸山真男・平田清明評価について、鋭く本質的な社会科学上での疑問と問題を提起しています。こういう反応こそ、私の待ち望んでいたものです。心から御礼すると共に、当HP上で近くお答えしたいと思います。9月締切原稿が手つかずですので、何時までとは確約できませんが。そのほかNEC-PC98からMACへの乗り換えについて、体験者の小笠原さん、前村さん、柳沢さんらから貴重な助言をいただきました。ありがとうございます。
みちのくの旅で拾った、ちょっといい話。青森県八戸市の戦後民主主義を支えた長老が、このHP開設の頃、亡くなりました。その人が中心になって招いた松川事件についての演劇上演の日、自白を強要された若い赤間被告に扮した役者が偽りの供述書に拇印を押す場面になると、満員の八戸市民が一斉に「押すな!」と叫んだそうです。町のリーダーも市民も、演出家も俳優も観客も「正義」を共有した一時代がありました。日本史のなかで、1950年代をどのように評価すべきか、考えさせられました。



8/27 驚くべきことに、昨日新築祝いの100ヒットが加わり、こんな硬いHPが10日で500ヒット突破! まだYahooにもinfoseekにも登録していないのに? 400人目は一橋大学社会学部加藤ゼミ4年荒木貴史君だったそうですが、500人目はどなた? メールをください、何も賞品は出ませんが。電子メールも多く、このままでは夏休みがHP介護で終わってしまいそう(編集者の皆さん、ごめんなさい)。明日から雲隠れし、田舎の温泉でこっそり自分のHPを見つめ直します。Power Book 520の白黒画面、自宅のISDNではなくインドで買った遅いMODEMを通すと何が見えてくるかを。
現在の悩みは、皆さんの相反する要請に応えること。オーストラリアのRob Steven,Rowena Wardやメキシコの田中道子さんからは日本語ソフトがないから英語だけで入れるようにという要望、同じ外国でもバークレーの加藤さんやタイの三重野夫妻はソフトは心配ないからもっと日本語情報をという声。学内LANを使う学生や会社のパソコン(重くても電話代・接続料心配なし!)で入るゼミOBは写真をもっと使ってビジュアルにという声、同業者の大石さんや岡本さんからは論文をもっと入れてできればTextのみの軽いHPを、という具合。あちら立てればこちら立たずですが、私の思想・信条に従って、社会的弱者・地球システム的弱者・インターネット周辺(ペリフェリ)、ISDNより低速MODEMの声を優先します。
 今夜はリンク追加・ジェソップ紹介更新・学部ゼミ合宿予定表など、ほんのマイナーチェンジ。私のHP開設の隠れた最大の目的である現代史の謎解き=「暗室」情報収集機能を充実させるため、近く「今月の尋ね人(Wanted!)」のコーナーをつくります。月に一度といわず毎週末にでもお立ち寄りください。500人の見えない友人たち、ありがとう!


8/26 9月に立ちあげる予定でしたが、昨晩ついに400ヒットを突破しました! もう仮住まいではすまされません。まだデジカメもスキャナーも持っていないのですが、敢えてPower Mac 7600の力を信じて、予定より1週間繰り上げ、棟上げ式を挙行いたします。仙台で拾った花火はやめて、宇宙のライトブルーと地球のグリーンで着飾りました。
 装いも新たに、ついに本宅を新築完成! 試行版ではなく本格版です。この間の皆様のご意見・ご助言をできるだけ採り入れ、軽量だが中身のあるホームにしようと設計しました。ではさっそく、ご案内いたします。
新宅を立ちあげるにあたって、いま一番の難問は、私がマッキントッシュ=アップル・マニアに<転向>する以前の95年まで、国産NEC-PC98の5インチ・フロッピーに一太郎で書き込んだ大量の日本語・英語論文を、3・5インチフロッピーにおとし、さらにそれをアップル用に変換すること。これがうまくできず、この邸宅の「書斎」「倉庫」を充実させることができません。どなたかMACにもDOS-Vにも詳しい近場の人、助けてくれませんか?


8/23 韓国から帰国して早速このページを見てびっくり。なんと試行版1週間で250人以上のアクセス! 覗いてくれた皆様に心から感謝! メールも50通いただきました! いろいろご助言・ご注文があり勉強になりますが、今日はとりあえずの微調整にとどめ、写真を変えてサーフィンページを見易くし、リンクアドレスや卒業生ネットのみを更新しました。
 韓国の世界政治学会見聞録や、かの地で考えた本格版立ち上げ構想は、9月のお楽しみに。岡山大学の稲葉振一郎君は、自分のホームページでインターネット上でのテキスト発表のあり方について独自の哲学を披露していますが、私は私なりに考えて、書評欄とリンクを充実させていこうと考えています。ちょっと重いというご批判にも応えますので、乞うご期待。


8/15 アクセスカウンターをぜひという声に応えて、いろいろ調べてプロバイダーにあたったところ、このトップページのURLアドレス拡張子を変更しなければならなくなりました。やっぱりまだまだ試行版ですね。明日から世界政治学会出席のため韓国旅行、しばらく更新はありません。カウンターが楽しみです。
サーフィンリンクを張った皆さんに通知を出したら、さすがにベテランぞろい、「市民のための丸山真男ホームページ」さんらから、写真やアイコンの著作権のことや技術的テクニックを含め、いろいろご注意・ご教示をいただきました。NEWは新しい方が上、というのもその一つ。早速採用。
学部ゼミの教え子安藤伸彌君は、慶応大学SFC大学院に華麗なホームページを持つこの世界の大先輩、htmlの書き方をこまごまとご助言いただきました。そのほかご教示・ご連絡いただいた皆さん、本当にいろいろありがとうございます。


8/14  政治学ネットサーフィン案内、暫定版を作ってみました。いいサイトあったら、どしどし教えて下さい。卒業生ネットのリストは、大幅に更新され追加されました。


8/13  さっそく皆様から暖かい励まし・コメントや、入力ミス・アドレス訂正が相次ぎました。ミスは訂正しました。コメントの最大公約数は、初めてにしてはよくやっているが見栄えがしない、というものなので、早速昨日買ってきた素材集と、自民党本部等からこっそり借用したアイコンで、せめて入り口だけでもと、このさいけばけばしく、しかしちょっぴり知的に夏っぽく、飾ってみました。今度は芸術的観点からの批判や非難がくるでしょうから、今週末からの韓国旅行から帰国してから再挑戦し、9月には本格版を立ちあげる予定です。コメントくれた皆さん、ありがとう! 今後もよろしく!


8/11  1997年の夏休みに、よくできたホームページ作りの入門書をみつけました。ネットワーク研究会編『これなら誰でもつくれる! 超簡単ホームページ』(かんき出版、1996年)という本です。全くのビギナーが、特別のソフトも使わずに、YooEditとNetscapeだけで、わずか3時間でとりあえずのホームページができました。やってみるものですね。これは、そのありがたい本や富山大学藤井一行教授らインターネットの先輩たちに導かれて、私自身の手で作成された、初めての公開ホームページです。
 なにしろビギナーですから、まだ写真やイラストの入れ方もよくわかりません。しかし、タネ本のほかに下敷きがあります。たとえばこのトップは、私が労働時間や労働運動の情報を得るために重宝して使っている横浜市立大学吉田誠さんのサイトのトップをSourceでダウンロードし、書き換えながらアレンジしたものです。吉田さんはかつて私の大学院ゼミナールのメンバーでしたから、教師が学生に教わるというインターネットの世界の典型的パターンです。これからも、世界のさまざまなサイトからいっぱい学んで、充実させていこうと考えています。よろしく!(試行版1997年8月6日初出、8月11日第一次改訂)。


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