LIVING ROOM 5 (JULY-OCT.10 1998)

ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。


1998/10/10  学びの秋です。10月2−4日京都で開かれた日本政治学会、今年は創立50周年で、来し方の回顧が目立ちました。「科学としての政治学」がドイツ国家学の呪縛からの自立をめざしたことはよく知られていますが、その営為は、戦後丸山真男の1回きりではありません。さまざまな流れの、さまざまな試みがありました。でもそれを整理するのは、結構大変な仕事です。会員は1500人に増えました。内部は細分化しています。学の再生産機構は東大だけではありません。毎年全国大学の「政治学」の答案数をつみあげればどこまで高くなるやら。ひょっとしたら「再科学化・再編」というよりも、「脱科学化・脱領域化」が21世紀の課題かもしれません。私自身の「政治学」のこの10年の軌跡は、明らかに「ボーダー」を超える方向です。でもまだ「政治学者」と一応名乗っておきます。丸山真男のひそみにならえば、「知」は人類史の蓄積のうえにしかないのですから。三木亘の新刊『世界史の第二ラウンドは可能か』(平凡社)は刺激的な本です。そこから一度古典に戻りましょう。自分の「知」を枠づけてきた古典が、実はすでに脱領域を試みていたことを見いだすでしょう。古典は新しいのです。「知」のリフレッシュを。

 まもなくまたドイツに出発です。難行苦行です。ベルリンからのメールでは、もう初雪も降ったとか。でも寒さではありません。そう、実は本HPのマスターは、知る人ぞ知るヘビースモーカー、国際線完全禁煙に耐えねばならないのです。えっ、この機会に禁煙? まあ考えておきます。今回のベルリンは、前回入れた『人間 国崎定洞』増補改訂分「『山本正美裁判関係記録・論文集』の刊行に寄せて」(図書新聞10月17日付)の延長上の調査が目的。「97年の尋ね人」井上角太郎ら、ナチス支配下のドイツにも、軍国日本に生まれた当時の国際派日本人たちのなかにもいたらしい「シンドラーのリスト」たちも調査対象。竹久夢二のユダヤ人救出活動と共に、無名の在独日本人青年たちの反ナチ・反戦活動を発掘してこようと思います。下記のテルコ・ビリチ情報は、残念ながらその後もありません。引き続き情報を求めます。いよいよ次回から「ベルリン便り」連載。乞う、ご期待。


1998/9/27  クリントンについてのスター報告書は、日本語訳もできました。ホワイトハウスの反論とセットで、これが毎日新聞版です。皆さん、ダウンロードしましたか? それにひきかえ、防衛庁疑獄のなかから漏れ出たバッジシステム情報流出事件は、なんと10数年前の話。この国の資本主義の基底には、古典的な産軍複合体があったようです。かつてライト・ミルズは、1950年代アメリカの産軍学複合体を「パワー・エリート」として告発しました。この国の「学」の世界は、なにやら一周遅れでそれに近づこうとしているようです。ゴールデン・エイジのアメリカの構造を、構造不況のなかの日本で、再生できるのでしょうか? そこから、どんな「文化」が生まれるのでしょうか?

  不況は、出版界でも深刻です。マンガやムック雑誌は相変わらずですが、若い研究者の博士論文など大部で地味な研究を書物にするのは難しくなり、ようやく活字になった学術書も、すぐに店頭から消えていきます。店頭でみかけたら買う、広告をみたら注文すると習慣づけないと、読むべき本を逃してしまうこともあります。ドイツに調査に行く矢先で、私が味わった苦い体験。川上武医師と私の共著『人間 国崎定洞』(勁草書房、1995年)が、もう絶版なそうです。著者である私が、ドイツの友人に持っていく分がなくなり、困っています。もともとこの本は、同じ出版社の『国崎定洞』(1970年)、『流離の革命家』(1976年)の増補改訂第3版です。旧ソ連崩壊で現れた新資料を補ってつくった、国崎定洞伝決定版でした。1995年11月刊行ですから、まだ3年もたっていません。しかし書肆の経営方針が変わり、在庫スペース確保が難しくなり、売行き不振書は絶版のみならず、在庫を断裁して処分したのだそうです。たしかアメリカから帰ってロシアに旅立つ前に、絶版の話は通知がありましたが、著者自身が注文しても1冊も入手できなくなるとは……。可愛い息子を失った悲しみです。

 どうやら二村一夫さんのインターネット『著作集』の試みは、先見の明があったようです。ひょっとしたら書物の形で残すよりも、HP上のライブラリーに入れた方が、永続性があるのかもしれません。可愛い息子を蘇らせるために、『人間 国崎定洞』の私の執筆した増補改訂3章分、資料紹介・年譜・参考文献一覧等、復元できる分は、すべて新たに本HPの書庫に入れました。出版社の方が絶版にしたのですから、著作権云々と仁義を切る必要もないでしょう。今や幻の書物となった『人間 国崎定洞』は、初版本・再版本は時々古本屋に出ていますから、それに本HPを加えて、皆さんで編集して下さい。この国の「文化水準」を象徴する、わびしい話ですが。ついでに資料を歴史に残すために1冊4万円で何とか本にした「『山本正美裁判関係記録・論文集』の刊行に寄せて」(図書新聞寄稿)を、書評の倉庫に入れました。こういう出版に意義を見いだしてくれる、小さくても良心的な出版社があるのが救いです。もう一つ、この国の文化の希望は、地方にあるのかもしれません。日本人ラーゲリ体験者勝野金政のパリ時代の親友で、34年帰国後の生活・活動を支えた井上房一郎の生涯を表現する「パトロンと芸術家」が、11月3日まで群馬県立近代美術館で開かれています。ユニークで面白い展示でした。その井上房一郎の創設した高崎哲学堂のHPは、企画も講演内容も充実していて、新しい地域文化の可能性を示しています。ぜひ御覧ください。

 ドイツの総選挙はSPDの勝利で、ヨーロッパ諸国の社会民主主義再生は完結、しかも「赤緑連合」になりそう。もっともその内実は、戦後冷戦期とはずいぶん違っていますが。下記のテルコ・ビリチ情報は、残念ながらその後もありません。でも「97年の尋ね人」井上角太郎探索の方は、ついにアメリカ在住の実娘エヴァさんと、国際電話で話すところまでいきました。エヴァさんの方から「チウネ・スギハラのことを知っていますか」と問いかけられました。ナチス支配下のドイツにも、軍国日本に生まれた当時の国際派日本人たちのなかにも、どうやら相当数の「シンドラーのリスト」が存在したようです。ベルリンでは竹久夢二のユダヤ人救出活動と共に、無名の在独日本人青年たちの反ナチ・反戦活動を発掘してこようと思います。乞うご期待。


1998/9/14  日本に帰国したとたんに、忙しい毎日。皆さんクリントンの不倫レポートはダウンロードしましたか? いいですねえ。うらやましいですねえ。いえ内容ではありません、誤解のないように。そう、政府情報をここまで公開するアメリカン・デモクラシーのことです。その市民と政府の距離のことです。この間旧ソ連秘密文書を閲覧してきた経験からすれば、東西冷戦期の情報戦・諜報戦において、現存した社会主義は、市民との情報の共有において、資本主義に完敗していたのです。日本の防衛庁調達疑惑や長銀の不良債権額、はたしてどこまで公開されるやら。デモクラシーの原理は自由な討論と多数決・少数意見尊重とされていますが、その根底にシチズンシップと情報公開があることを、忘れないようにしましょう。

 世界一の発行部数を誇る読売新聞で大きく報じていただいたのに、下の特集のテルコ・ビリチの情報は、残念ながら新聞社にも私や藤井教授のところにも届いていません。きっと、関係者の方々にも名乗り出られない事情があるのでしょう。さしあたりは、間接的にせよ、ご遺族に命日・埋葬地・名誉回復の事実を伝え得たことで、良しとしましょう。でも、心当たりの方は、どうぞ情報をお寄せ下さい。その後の本HPや新聞での取り扱いは、ご遺族の意向にそうかたちにしますから。 

 実は先日の読売報道で、大きな副産物があったのです。8月20日の社会面トップで本HPの「今年の尋ね人」欄を写真入りで報じてもらったおかげで、この一年、モスクワの伊藤政之助と共に「尋ね人」としてきた、元ベルリン大学学生・戦後期朝日新聞ニューヨーク通信員「井上角太郎」氏のご親族から、本HPを見た上でご連絡をいただき、井上氏の生涯について、基本的事実を知ることができました。竹久夢二の活動との直接的つながりは確認できなかったものの、やはりナチスに反対して在独ユダヤ人の救出運動に関わっていた模様です。シンドラーのリストや杉原千畝よりずっと早い時期から。したがって「現代史の謎解き」欄の履歴を訂正した上で、「今年の尋ね人」欄からは削除させていただきます。ご協力ありがとうございました。

 前回「私の旅の読書の定番は堀田善衛」と書いた途端に、世界のクロサワと共に、堀田善衛も亡くなりました。その認識でも、言動でも、地球市民の先駆者でした。合掌。堀田にならって、次号から「ベルリンで考えたこと」を不定期連載します。


1998/9/1  今回は、ベルリンからの更新です。先週も本HPを覗いた人はお気づきでしょう。そう、私の先日のスペイン便りの写真と、本日入れたフランクフルト(削除)の服装のちがいに。そう、イタリア、スペインは30度でも、イギリスもドイツも秋模様・冬支度なのです。ロシアまで目を転じると、そこは経済の冬、そのくしゃみで日本まで風をひいた模様が、こちらでは大々的に報じられています。それにしても、改めて感じました。冷戦時代の経済成長の優等生といわれたドイツと日本の、ポスト冷戦期におけるその蓄積成果の国民生活への定着の度合いのちがいに。こちらの豊かさと、そちらの「豊かさ」の落差に。いまこちらは選挙戦の真最中、SPDが勝っても、コールがなんとかしのいでも、「ドイツの奇跡」の民衆的成果は安泰です。それにひきかえ日本は、こちら風にいえばロシア的に見えます。あの「日本こそ社会主義の優等生だった」という説は、ひょっとしたらホントかも? 実りある充実した旅です。

旅に出て気がついた推薦書2冊。私の旅の読書の定番は堀田善衛で、今回も『スペイン断章』(岩波新書)はしみじみと味わえましたが、ベルリンへの旅にと携行した小中陽太郎『青春の夢──風葉と喬太郎』(平原社)が抜群の面白さ。もともとベルリン反帝グループの一人小栗喬太郎の資料として読むつもりだったのが、前半の小栗風葉の小説『青春』をめぐる文芸批評風の物語にひきつけられました。もう一つは実践的な『旅先通信』(Softbank)という本。海外でのインターネット接続マニュアルとして、実にかゆいところに手の届く、ゆきとどいたガイドです。留学や出張で海外に出るネチズンには絶対オススメ。

 ついでに海外モバイルで気がついた、ネチズン心得を二つ。HPを開いている人は、ぜひとも英語版を充実すべきです。今回ボンのドイツ人の友人が、時々覗いて面白いのはダウンロードしている、と私の英語版「過労死」論文とチャットパディア探索メモを見せてくれたのには、感激しました。もう一つはNiftyserveの再評価。日本ではアドレスをもちながらトンとごぶさただったNiftyserveが、こちらでは大活躍です。というのも、ローミングサービス提携をしているGRIC COMMUNICATIONSのアクセスポイントが実に豊富で、ヨーロッパの中都市以上なら、ほとんど市内通話でメールもインターネットも可能です。その設定方法のマニュアルも、よくできています。ほかならぬ今回の更新も、ベルリンからGRIC-Nifty経由でIIJに入ってのものです。おかげでどのメールアドレスへの手紙にも即日応答できてます。

 そんなドイツからの更新中に、ちょっと嬉しく恥ずかしい話。本HPが、WWW上の学術サイトを紹介するメールマガジン<"Academic Resource Guide"第3号「Guide & Review」で、学術研究に有用な「定番」サイトに選ばれました。曰く、

一橋大学教員の加藤哲郎さんのサイト。政治学者のサイトとして、その充実度は群を抜いています。主なコンテンツは論文・エッセイ等を収録した「研究の書斎」や学術誌掲載の書評や週刊読書人のアンケートへの回答等を集めた「書評の倉庫」など。また「現代史の謎解き」や「今年の尋ね人」といったWWWの特性を生かしたコーナーも充実しています。
 

ですって。ありがたくまた光栄なことで、今後も「定番」の名に恥じないよう、充実・更新に励みます。どなた様もよろしく。


1998/8/25 スペインからイギリスに飛び、Bob Jessop, Sum Ngai-Ling夫妻とランカスターの自然をたっぷり楽しんでいる間に、2万ヒットになりました。御礼多謝です。でも残念ながらイギリスでは電話の接続方式が複雑でネットにつながらず、本日ドイツに入ってボンから接続に成功しました。もうひとつ残念ながら、世界一の読者数を持つ読売新聞の社会面トップで扱ってもらったのに、「テルコ」の情報はまだ寄せられていないようです。破れかぶれでもう一人尋ね人、というのは冗談で、右の写真(削除)の怪しい男は、どうやらこのHPのWebmasterのようです。2万アクセスの顧客の皆様、くれぐれも「テルコ・ビリチ」情報をよろしくお願いします。


 1998/8/21  バルセロナからの臨時ニュースです。私、いまヨーロッパ旅行中です。新採用の愛機Power Book G3とモデムの設定に悪戦苦闘の末、ついに海外からのネット接続・HP更新の実験に成功しました。そしたら一番に飛び込んできたメールが、読売新聞社会部保井記者からの、出発直前に取材を受けた本HPの「テルコ捜索」を記事にして8月20日付朝刊社会面トップで大きく報道した、という嬉しいニュース。時差の関係で残念ながら、私が覗いたインターネットの読売新聞ニュースは翌日版でしたが、スペインのホテル宛ファクスで内容を確認することができました。これで「テルコ」の手がかりが、なんとか見つかればいいのですが。皆様のいっそうのご協力と情報提供を、はるかなる地より、心からお願い申し上げます。


1998/8/15  本日は、1945年が日本のアジア・太平洋戦争敗北の日、1996年は戦後日本を代表する知識人丸山真男の命日、そして昨1997年は本HP新築オープンの日、つまり1周年記念日です。お祝いに、本HPの特性を象徴する3つの特集をもうけました。キーワードは「シリアス」「リフレッシュ」「ユーモア」です。

シリアス編=1938年モスクワで銃殺された日本人女子学生テルコ・ビリチさんの身元を探して下さい!

 6月ロシア訪問時に、旧ソ連共産党やKGBのアルヒーフのほかに、サハロフ博士記念人権センターを訪問したことは、本HPリビングルームで紹介しました。ソ連水爆の父でありながら、後半生を世界平和と人権擁護に捧げた原子物理学者サハロフ博士は、ノーベル平和賞を基金に、旧ソ連時代から駆け込み寺=人権センターを創りました。

 センターでは現在、旧ソ連で罪なく銃殺されたり強制収容所に入れられた膨大な犠牲者たちの経歴の、気の遠くなるようなデータベース化を進めています。そのデータベースはまだHP上では公開されていませんが、そのなかの日本人12人分のデータを、私と共同研究者藤井一行教授が訪問し、もらってきました。藤井教授がそれを翻訳し、サハロフ・センターの許可を得て、藤井教授のHP本HPの「今年の尋ね人」及び「旧ソ連粛清日本人犠牲者リスト」に、それを公開することにしました

 本HPからは藤井一行教授HPへのリンクとしますが、12人の記録のなかには、私たちがすでに詳しい情報を持つ須藤政尾・山本懸蔵・杉本良吉・小石濱蔵・箱守平造、島袋正栄のほかに、未知の名前がいくつか入っていました。本HPの目玉「今年の尋ね人」の一人である伊藤政之助=タケウチについては、1936年11月25日逮捕、37年9月14日銃殺刑、90年8月名誉回復の新事実がわかりました。

 中でも気になるのが、当時25歳の日本人女子学生「テルコ・ビリチ」のことです。これは、私の「旧ソ連粛清日本人犠牲者リスト」中に、「チルコ・ビリーイッチ。当時ブハーリン派として粛清された在日ソ連大使館下級外交官A・ビリチの妻。日本側警察資料では、当三五歳位、東京生れ、陸軍中佐の娘。ビリチが1937年に粛清された後、チルコも行方不明となった。当時在モスクワの演出家土方与志・梅子夫妻は、ビリチ夫妻と親しくしていた(『特高月報』昭和16年7月、内務省警保局『社会運動の状況・昭和16年』「土方与志の活動状況」、『土方與志演劇論集・演出家の道』未来社、『土方梅子自伝』早川書房)」とある当の人物と思われます。「チルコ」は特高資料を『演出家の道』に転記するさいの編集者のミスのようです。詳しい情報は、藤井一行教授HP及び本HP「今年の尋ね人」のページのページへ。

 1930年代にソ連の外交官と結婚した日本人女性は珍しいでしょうし、今回彼女が1912年生まれと分かり、当時25歳の美しい写真(サハロフセンター提供)までみつかりましたから、日本のご遺族について、手がかりが出てくるのではと期待しています。そうすれば、1938年3月14日の命日や、ブトヴォの墓地に埋葬されていること、1957年に無実として名誉回復されたことも、お伝えできます。どなたか情報をお持ちの方、ぜひメールをお寄せ下さい。マスコミ方面の方の連絡・報道も歓迎いたします。 

リフレッシュ編=ネットサーフィン・リンクを大幅改定しました。時節柄、ちょっぴり政治づきました。

ユーモア編=英語ページでなぜか一番人気のポリティカル・ジョーク「World Ideologies Explained By Cowsに、ちょうど米国オレゴン州から充実した投稿がありましたから、version upして、おしゃれでユニークな談話室にしました。おくつろぎください。

 来週からしばらく、ヨーロッパにでかけます。9月上旬にいったん帰国しますから、そこで更新します。その後10月中旬から12月まで、ベルリンに滞在します。一つのテーマはもちろん、本HPの目玉のひとつ「ワイマール期在独日本人反ナチ・グループの研究」ですが、もう一つのテーマは「情報社会のグローバル化」です。本年秋は、カルフォルニア在住のジェンダー研究の定番加藤秀一さんHPのように、ドイツのベルリン・フンボルト大学ゲストハウスから本HPを更新し、日本に発信する実験を試みようと思います。第2年度も、皆様よろしくお願い申し上げます。乞うご期待!


 1998/8/2  ようやく東京も梅雨明け宣言。でも、政界はじめじめ湿ってますね。小渕内閣で宮沢蔵相ですって。宮沢氏は本HPで参院選直後に述べたように、なぜか日経新聞だけがポスト橋本の候補としていち早く挙げた人。「平成の高橋是清」に擬されているようですが、状況の類似性と担い手の類似性は違います。年齢と元総理の肩書きが同じでも、育ちも環境も違います。是清のような老骨を貫けるかどうか。いうまでもなく是清は、軍部ににらまれ2・26の凶刃に倒れるのです。そんな役回りを、あのおじいさんが引き受けられますかねえ。矢作俊彦の偽日本史=戯戦後史『あ・じゃぱん』(新潮社)を面白く読んでるんですが、角栄・中曽根なら小説にもなりますが、ワシントン以外ではやっぱりミヤザワ・フー?ですよね。まあ、お手並み拝見。

 首班指名で面白かったのは、不破共産党と小沢自由党が衆参両院で第1回投票から菅民主党首に投票したこと。これは共産党にとっては画期的で、私の『朝日新聞』の談話通りの変化ですね。でも存在感が増すとマスコミから注目され、いろいろ疑問が出されるのが、歴史的弱みをかかえた共産党の常、これまではそれを「反共攻撃」としていましたが、もはやそうばかりも言ってられないでしょう。近日発売の月刊誌『文藝春秋』『現代』もとりあげるようで、私も取材を受けました。共産党さん、ちゃんと答えていらっしゃるでしょうか?

 8月15日は、敗戦記念日であり、丸山真男の命日であり、本ホームページ開設1周年記念日です。1万7千ヒットを超え、その後にヨーロッパ調査旅行もあるので、ちょっとした衣替えとバージョン・アップを計画中です。乞うご期待!


1998/7/22 「御礼、16,000hits!」は止めると宣言したので、破れかぶれのトップ・スローガン。ニュースステーションの世論調査によると、民主党支持率が自民党を抜き、都市部では3倍とか。10月解散・総選挙を求める声も5割。せっかく国民の眼が政治に向いたのですから、ぜひこの風を、台風シーズンからクリスマスまで持続したいですね。南には、沖縄も、フィリピンも、インドネシアもあります。

 また参院選結果と日中共産党会談がらみで、マスコミのインタビュー。どうして共産党というと、私のところなんでしょう。もちろんコミンテルン研究はありますが、もっと大きい理由は、普通の評論家や政治学者は、共産党についてコメントすると何倍もの反論、時には人格的批判が返ってくるのをよく知っていて、断わるからなのです。なにしろあの丸山真男が、1956年に書いた数行の文章のために、晩年まで「ブルジョア政治学」として批判され続けたのですから。1976年の立花隆『日本共産党の研究』には、75万部もの紙爆弾が投じられたのですから。私の1990年の「科学的社会主義の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に」という応援団風提言にさえ、志位さんとかいう人が長い反論を書き、丸山真男と共に私も名指しで『日本共産党の70年』という公式党史で批判される光栄にあずかりました。そんなわけで、こちらも開き直り、遠慮せずにズバズバ言ってきたので、今回も『朝日新聞』に談話を出す羽目になりました。

 私が今回談話を引き受けたのは、「インターネットは民主集中制を超える」という新テーゼを発見した(?)から。日本の政党で一番立派な共産党HPや、それに対抗しうる重厚な宮地健一さんHPの存在ばかりではありません。なつかしいインターナショナルの歌を各国語版で楽しめる現代版コミンテルンHPや、いろんな共産党ファンが面白い議論をしている「JCPWatch!」「今日のしんぶん赤旗」さんのサイトに学んだから。まさにこのインターネット上では、民主集中制の忌み嫌う「水平的交通」が、日常化しているからです。ウソだと思ったら、サーチエンジンで「共産党」と入力してサーフィンしてごらんなさい。こちらの政治も、自民党総裁選なみに面白いですよ。

 15,000 hits 記念本HP書評欄の恒例『週刊 読書人』のアンケート「1998年上半期の収穫」は、7月24日号に掲載されました。私も挙げた丸山真男『自己内対話』(みすず書房)は、近藤和彦さんと重複したぐらいで、意外に静か。全体に拡散してますが、上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)、菅原和孝『語る身体の民族誌』(京都大学学術出版会)、山本ひろ子『異神』(平凡社)あたりが票を集めています。身体、ジェンダー、コミュニケーションの世界が関心を集めているのがわかります。そういえば、鈴木規夫さんの『日本人にとってイースラムとは何か』(ちくま新書)、成田龍一さんの『「故郷」という物語』(吉川弘文館)、中西新太郎さんの『情報消費型社会と知の構造』(労働旬報社)などにも、共通して流れるものがありますね。


1998/7/13  参院選の結果が出ました。投票率が上がって58.84%、自民党が大敗=橋本退陣、無党派票を集めた民主党・共産党が躍進、最大野党アメリカからも「日本にも民主主義があったか」と見直す声、結構な結果です。比例区得票数に注目してください。「菅民格差」と言われましたが民主党1200万は選挙区より300万多く、自民党1400万は逆ですね。20世紀末に「共産党」と書いた人が800万人、これは前回の倍で、すごいことですよ、比較政治学的には。

 でも、基本的には経済状況を反映した自民党批判です。冷戦構造・55年体制が崩壊したこと、制度疲労=システム転換の再確認ですね。長い眼でみると、いろいろ問題は残ります。例えば午後6時までの投票率は、前回とほとんど同じです。不在者投票条件緩和と2時間延長分が、プロの読みを狂わせた計算。週刊誌や新聞の直前予想を、見直してごらんなさい。わが同業者を含めていい加減ですよ。あと10%投票者が増えて投票率70%台になったらどうなったか? オーストラリアやイタリア風に投票義務制だったらどうなったか? 投票日をフィリピン風に数日間にしたらどうなったか? 在外日本人・在日外国人参政権があったらどうなったか? グローバルスタンダードの18歳参政権を認めたらどうなったか? 女性議会や大都市議会があったらどうなったか? そんなシミュレーションもほしいですね。先のカナダ総選挙を思い出します。 

 今日の朝刊で、各紙が次期首班候補に小渕・梶山を挙げるのに対し、日経がもう一人、宮沢再登板説を載せていました。インターネット上での検索ですが。いずれにせよ民意と議会構成がこれだけ離れたのですから、衆議院解散・総選挙が必要です。ポスト宮本の変身共産党と硬派小沢自由党が菅直人首班を推して、自民党若手にも反乱がおきて、全野党連立で消費税3%戻しの選挙管理内閣、なんてシナリオを考えるのも面白いですね。でも日本の政治家(政治屋?)は、本質的に政治の好きなナショナリストでないとやってゆけない職業のようです。挙国一致・救国革新の声が強まりそうです。「いつかきた道」にならなければいいのですが……。


1998/7/9 1万5千ヒットですので、マイナーチャンジ。前回この欄で書いたロシア旅行記中、ノーベル賞受賞者「サハロフ」博士の名前が「サファロフ」になっていました。サファロフというのは、1922年1月極東民族大会で日本問題を報告したコミンテルン東洋部の理論家です。その関係の重要資料をモスクワでいくつか入手してきたので、ついまちがえました。盟友藤井一行教授のご教示で、サハロフ人権センターは、ロシアでは珍しいことですが、立派な英文ホームページももっています。もうLivingに入れましたが、ここに謹んで訂正とおわびをします。

 おわびを兼ねた、15,000 hits 記念ご祝儀。本HP書評欄の恒例、『週刊 読書人』のアンケートの最新「1998年上半期の収穫」、まだ活字になってなくて、自分でつくったルールに違反するけど、どうせ原稿はもう送ったから、たたき売りバーゲンで本日収録。8月15日は、本HP開設1周年です。夏休みに入るし、あっと驚く更新を考えてますから、お楽しみに。 


1998/7/5  前回更新で藤岡信勝教授率いる「自由主義史観研究会ホームページ」のアクセス数を抜きましたので、積年のターゲットを失い、無気力放心状態。そういえば、もう投票日1週間前なのに、参院選、燃えてませんね。そんなら政治学者らしく景気づけの標語、皆さん、12日は投票に行きましょう! あなたが棄権しても、政治のアウトプットはあなたに確実に作用するのです、と。

 そういえばロシアで見ていたCNNやBBCは、世界経済の最も弱い環はいまや日本とロシアだ、日本の円安が中国の通貨切下げまで波及すればアジアに発する世界恐慌だ、とすごい報道でした。あとで新聞をまとめて読むと、当の日本では、もっぱらワールドカップだけが大きく報じられていたようですが。

そのワールドカップの報道も、やはり日本的。なんだかアルゼンチンに善戦なんてことらしいですけど、向こうでは本当に小さい報道で、アルゼンチンの手抜きを叱ってました。その代わり、入場券詐欺事件の方はシーリアスで、レポーターがグローバル・スポーツビジネスに鋭く切り込んでいたのが印象的。やはりこの国は、世界市場のお人好しにまで、なりさがったのでしょうか。  


5月の歴史学研究会大会(5月23・24日、中央大学)で、なぜか雑誌購読のみの周辺会員である私が、全体会報告をすることになりました。ただし、本HPの目玉「現代史の謎解き」ではありません。そっちならロシアでみつけた野坂参三や河上肇の未発表書簡とか、いろいろ特ダネがあるのですが。今年のテーマは「20世紀における<アメリカ>体験」。フィリピン史研究の中野聡さん、イラン現代史の吉村慎太郎さんと一緒で、私はその戦後日本に関連する報告という役どころです。発売中の『歴史学研究』5月号に「報告要旨」が掲載されており、当日は完成原稿をもとに口頭報告、その後の大会特集号に論文掲載とのこと。「いのち」と「くらし」と「ふれあい」という「世間」風3題話で「戦後日本と『アメリカ』の影」を論じる予定で、雑誌掲載2か月前に「報告要旨」をuploadしましたが、アメリカの畏友アンドリュー・ゴードン、歴科協というより「歴史学関係リンク集」の鵜飼さんとつながっただけの4月に第一草稿を公開、マイナーチェンジして5月の第二草稿ができました。大会特集号の原稿も提出してあとは特集号に掲載とのことですが、枚数制限が厳しくだいぶ省略しましたので、論文としてはこのHP上のものを本論とします。本HPには、報告の前提となった私の戦後史認識「戦後日本半世紀の軌跡」「戦後冷戦と日米安保のエルゴロジー」ほかも、多数掲載されています。

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