ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
2006.12.15 本日、参議院で教育基本法改正が、自民・公明の賛成多数で採択されました。同時に防衛庁は防衛省に昇格しました。「いじめ」と「やらせ」は議論されましたが、教育の本質論レベルでの必要性は明らかにならないまま、最高法規憲法に次ぐ法の根幹=改正教育基本法は成立しました。暗澹たる政治の貧困です。小泉内閣の発足時に目玉となった「国民との対話」=民主主義の手法が、二つありました。安倍内閣にも引き継がれた「メールマガジン」と、今回次々に「やらせ」と無駄遣いが明らかになった「タウンミーティング」です。京都では入場者の抽選番号まで操作し、政府に好ましくない出席者を排除していたと言いますから、尋常ではありません。それを請け負った電通社員の日当は10万円だと言うから、あきれます。内閣支持率が軒並み5割を割ったのも当然です。落日の安倍内閣と言うより、その前の小泉内閣「劇場政治」とは、何だったのでしょうか。現在の衆議院を構成する議員は、昨年9・11郵政民営化選挙の当選者たちです。その政党構成が、新たな選挙もなく、突如11議席分変わったのですから、自民党支持層を含む世論の不信も当然です。「やらせ」は、「世論誘導」どころではありません。広告代理店をブレーンに「世論操作」が行われていました。朝日新聞の子会社朝日広告社も余禄にあずかっています。小泉内閣時代のマスコミの役割も、要再検証です。日本でも、ネチズンを記者としたウェブ新聞オーマイニュースが8月に立ち上がりましたが、記事への匿名コメントの扱いをめぐって揺れています。「タウンミーティング」開催に関わった心ある公務員・自治体職員もいるでしょう。オーマイニュースへの寄稿は実名が原則ですが、内部告発のニュースを匿名で寄せて、市民記者の取材を受け書いて貰うことは可能でしょう。政府の報告書ですべてとは、思われません。『エコノミスト』誌上で、「メールマガジン」の方の問題を論じてきた当ネチズンカレッジ宛てでもいいです。勇気ある告発を期待します。
2006年最後の更新です。この国のこの年のベストセラーは『国家の品格』とか。何とも品格のない、日本政治の師走です。でも、世界的に見れば、大きな動きがありました。「やらせ」の小泉首相と「死に体」のブレア英首相を番犬にしてきた、アメリカ合衆国ブッシュ大統領が、中間選挙で国民からはっきり「ノー」の審判を受け、イラクからの撤兵、世界戦略の再編を余儀なくされています。「裏庭」中南米の反米シフトをはじめ、レームダックのブッシュ政権に明るい材料はありません。「もう一つの世界は可能だ」の希望、世界社会フォーラムは、今年は地域毎のフォーラムで世界集会は開かれませんでしたが、2007年1月20ー25日のアフリカ・ケニアでのナイロビ・フォーラム=WSF2007開催が決まりました。日本からは予防注射が必要で、私は期末の時期で抜けられませんが、世界の「さまざまな運動の一つの運動」になるように期待します。ひょっとしたら相方のスイス・ダボスでの世界経済フォーラムWEFに、今年も石原慎太郎東京都知事が何かを持ち込むかもしれませんから。2007年は東京都知事選挙を含む統一地方選挙、参議院選挙の年です。
ちなみに世界経済フォーラムが今年発表した「世界経済競争力ランキング」で日本はシンガポールより下の7位、「世界男女格差ランキング」では、ほとんど格差のない1位のスウェーデンほかに遠く及ばない79位でした。「格差社会」こそ、今年の流行語大賞の隠れた候補でノミネートされていたのですが、「下層社会」「下流社会」「勝ち組・負け組」など類語が多すぎたためでしょうか、こちらも「イナバウアー」「品格」へと「世論操作」されトップテンに終わったようです。でも学校のいじめ、年金・税制問題、ホワイトカラー労働エグゼンプションの問題は、「来る年」にも引き継がれます。「流行語」としてではなく、「概念」として、現代日本をトータルに的確に捉えるコトバが、必要とされています。たとえば辺見庸さんの「恥辱の喪失」のように。「恥知らず」の典型は、政府税調会長の公務員宿舎スキャンダルと自民党税調の企業減税・庶民増税案。景気回復維持のために企業減税を続ければ、企業収益が労働者の賃金にまわり、消費も回復するという論理ですが、企業利益が賃上げにまわる保証は、全くありません。大企業は安泰、庶民は悲鳴をあげる「来る年」になりそうです。
今年はモンゴル、ロシア、ベトナム、ドイツとまわり、インプットも現状分析より歴史史資料が多かったものですから、多くの皆様から送って頂いたり、書評用に購入しながらタイミングを逸したり、読了が遅れた好著・良書がありました。ご恵贈いただいた方には、この場を借りて心より御礼申し上げます。知的刺激という意味では、松沢弘陽・植手通有編『丸山眞男回顧談』上下(岩波書店)と、ジョン・アーリ『社会を越える社会学 移動・環境・シチズンシップ』(法政大学出版会)、それに私自身も「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」を寄稿した岩波講座『「帝国」日本の学知』全8巻が印象的でした。『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」でとりあげた杉本信行『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP研究所)、有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社)、青沼陽一郎『帰還せずーー残留日本兵 60年目の証言』(新潮社)、ジェームズ・R・リリー『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社)、金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代 1930年代ソウル革命的労働運動』、大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)、三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)、小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)、大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)、佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)、長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)、藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)、佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)、立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)などの流れでは、アンドルー・ゴードン『日本の200年』上下(みすず書房)、鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創『日米帰還船』(新潮社)、山本武利編訳『延安レポート』(岩波書店)、原秀成『日本国憲法制定の系譜』、。(日本評論社)、『検証 戦争責任』氈A(読売新聞社)、粟屋憲太郎『東京裁判への道』上下(講談社)、水林彪『天皇制史論 本質・起源・展開』(岩波書店)、工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』(日本経済新聞社)、小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社現代新書)、T・A・ビッソン『敗戦と民主化 GHQ経済分析官の見た日本』(慶應義塾大学出版会)、西村郁子『時間意識の近代』(法政大学出版局)、福井憲彦編『アソシアシオンで読み解くフランス史』(山川出版社)、坂野徹『帝国日本と人類学者 1884-1952』(勁草書房)、北田暁大・野上元・水溜真由美編『カルチュラル・ポリティクス 1960/70』(せりか書房)、小林英夫・張志強『検閲された手紙が語る満州国の実態』(小学館)、太田尚樹『満州裏史』(講談社)、謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしたか』(草思社)、水谷尚子『「反日」以前』(文藝春秋)、鈴木正信・香取俊介『北京の檻』(文藝春秋)、中村祐悦『新版 白団 台湾軍をつくった日本軍将校たち』(芙蓉書房出版)、ステファヌ・クルトワ他『共産主義黒書 コミンテルン・アジア編』(恵雅堂出版)、大窪一志編『アナボル論争』(同時代社)、古川隆久『あるエリート官僚の昭和秘史』(芙蓉書房出版)、成田龍一『歴史学のポジショナリティ』(校倉書房)、成田龍一『「大菩薩峠」論』(青土社)、森村敏巳編『視覚表象と集合的記憶』(旬報社)、『永原慶二の歴史学』(吉川弘文館)、弘田瑠璃子『私の12,13歳の時の外国旅行日記』(偕出版)、長澤寛行『鎖国の精神』(ブイツーソリューション)、大内要三『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』(窓社)、神水理一郎『清冽の炎』1、2(花伝社)、安載成『京城トロイカ』(同時代社)など。それに英語では、Andrew E. Barshay, The Social Sciences in Modern Japan: The Marxian and Modernist Traditions, University of California Press, とLaurel Leff, Buried by The Times: The Holocaust and America's Most Important Newspaper, Cambridge UP.
格差社会と労働・福祉の変容について、橘木俊詔『格差社会 何が問題なのか』(岩波書店)、神野直彦・宮本太郎編『脱「格差社会」への戦略』(岩波書店)、橋本健二『階級社会 現代日本の格差を問う』(講談社)、『論争 格差社会』(文春新書)、中野麻美『労働ダンピング』(岩波新書)、宮本太郎編『比較福祉政治』(早稲田大学出版部)、孫暁冬『中国型ワークフェアの形成と展開』(昭和堂)、西村可明編著『移行経済国の年金改革』(ミネルヴァ書房)、後藤道夫『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)、竹内章郎ほか『平等主義が福祉を救う』(青木書店)など。政治学に近いところで、田口富久治『丸山真男とマルクスのはざまで』(日本経済評論社)、刈部直『丸山真男』(岩波新書)、川原彰『現代市民社会論の新地平 アレント的モメントの再発見』(有信堂)、マイケル・ウォルツアー『アメリカ人であるとはどういうことか』(ミネルヴァ書房)、山口二郎・宮本太郎・小川有美編『市民社会民主主義への挑戦』(日本経済評論社)、坪郷実編『参加ガバナンス』(日本評論社)、永井務『アメリカ知識人論』(創風社)、小松敏広『現代世界と民主的変革の政治学 ラスキ・マクファースン・ミリバンド』(昭和堂)、河合恒生『新しい世界政治の探求』(民衆社)、ジェームズ・ライゼン『戦争と大統領』(毎日新聞社)、船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン 朝鮮戦争第二次核危機』(朝日新聞社)、手嶋龍一『ウルトラ・ダラー』(新潮社)、重村智計『外交敗北』(講談社)、栗原幸夫『未来形の過去から 無党の運動論に向かって』(インパクト出版会)、牧野雅彦『学者の職分 マックス・ウェーバー『職業としての学問』を読む』(慧文社)、田中浩『思想学事始め』(未来社)、羽場久美子・小森田秋夫・田中素香編『ヨーロッパの東方拡大』(岩波書店)、高橋進・坪郷実編『ヨーロッパ・デモクラシーの新世紀』(早稲田大学出版部)、寺西俊一監修『環境共同体としての日中韓』(集英社新書)、金子勝『戦後の終わり』(筑摩書房)、『金子勝の仕事道』(岩波書店)、水島朝穂『憲法「私」論』(小学館)、五十嵐仁『活憲 「特上の国」づくりをめざして』(山吹書店)、渡辺治『構造改革政治の時代 小泉政権論』(花伝社)、宮崎学『安倍晋三の敬愛する祖父岸信介』(同時代社)、春原剛『ジャパン・ハンド』(文春新書)、菊池信輝『財界とは何か』(平凡社)、『コルナイ・ヤーノシュ自伝』(日本評論社)、片桐薫『グラムシ「獄中ノート」解読』(こぶし書房)、黒沢惟昭『人間の疎外と市民社会のヘゲモニー 生涯学習原理論の研究』(大月書店)、柄谷行人『世界共和国へ』(岩波新書)、小坂修平『思想としての全共闘世代』(ちくま新書)、ニコラス・ロイル『ジャック・デリダ』(青土社)、ジャンセン=ドラファン『破壊される世界の森林』(明石書店)、川合慧『情報』(東京大学出版会)、谷藤悦史『現代メディアと政治』(一藝社)、外岡秀俊『情報のさばき方』(朝日新書)、手嶋龍一・佐藤優『インテリジェンス 武器なき戦争』(冬幻舎新書)、加藤秀一『ジェンダー入門』(朝日新聞社)など。そして、同世代の友人の遺作となった小池民男『時の墓碑銘』(朝日新聞社)、米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋)、米原さんには、私の本も数冊取り上げていただいていたことを、遺著の索引で知りました。心から、ご冥福をお祈り致します。
先月のドイツ旅行記は、これまでの「ベルリン便り」に追加しました。「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>探索」は、「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」と同様に別ファイルにして、特別研究室「2006年の尋ね人」と、英語版Global Netizen Collegeで公開情報収集中。逐次、バージョンアップして行きます。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、書物そのものではなく、草稿から図表等を削除したウェブ版です。『月刊社会教育』第612号(2006年10月)の巻頭言「インフォアーツのススメ」もあります。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に出て、旅行記の方は『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。
図書館に恒例『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」は、11月28日号の、杉本信行『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP研究所)、有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社)を「テレビの誕生にも日中関係にもアメリカ情報戦の影」と題してアップ。10月31日号の松沢弘陽・植手通有編『丸山眞男回顧談』上下(岩波書店)と青沼陽一郎『帰還せずーー残留日本兵 60年目の証言』(新潮社)は、「オーラルヒストリーで読み解く「生活の真理」」として収録済み。10月3日号の「善意のおしつけは歴史観を曇らせる」と題したジェームズ・R・リリー『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社)と金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代 1930年代ソウル革命的労働運動』、9月5日号の大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)と三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)は、「歴史論争の視点、日本とドイツ」として入っています。『週刊読書人』9月8日号のアン・アプルボーム『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』(白水社)もあり、これは8月の健物貞一ご遺族と一緒のロシア訪問印象記を兼ねています。「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」及び『朝日新聞』報道「歴史の荒波を越え 3指導者の遺児ら対面」と一緒にどうぞ。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。
でも、この国の「民主主義」と「文化」は、そんなに誇れるものでしょうか。ヤラセのタウン・ミーティング発覚の発端は教育問題でしたが、いまや小泉内閣時代の全領域に広がって、税金の無駄遣いもあきれるほどの水準。英文記事では「サクラ」というスラングで 、government-sponsored town meetingsを説明しています。世界中の日本に関心ある人々が読むNews on JapanやJapan Todayの討論欄 でも、<subverting Democracy=破滅型民主主義>なんて論じられています。福島、和歌山、宮崎と相次ぐ地方政治の腐敗、夕張市のような破産都市の出現、北朝鮮を批判はできても、それほど誇れる「民主国家」でしょうか。「文化」の方は、上位法である日本国憲法に条文も判例もあります。第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と。その国で進められている生活保護は、国庫負担軽減の名目で大幅に削られようとしています。「文化的な国家」にふさわしい生活は、本当に保証されているのでしょうか。前回更新が遅れたので、ドイツから帰国後 に新聞をまとめて読んだ感想にとどめます。帰国後にも、木下順二さん、丸山昇さんが亡くなりました。「美しい国」からますます遠ざかり、中国語の「美国」=アメリカ合衆国の一州に近づいているようです。次回更新から、普通のテンポに戻します。皆様、風邪に気をつけて。
この旅の本来の目的は、本サイト日本語・英語版で公開情報収集中の、特別研究室「2006年の尋ね人」「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>」ほか戦時在独日本人の探求。1944年7月20日ベルリンの「ヒトラー暗殺未遂事件」と、1950年10月1日北京の「毛沢東暗殺未遂事件」という二つの大きな政治的事件の関連資料探求です。ボンの成人教育研究所で崎村茂樹のドイツ語論文「ナチス・ドイツにおける青年の職業教育」をコピーし、ハイデルベルグ大学とベルリン日独センター、ベルリン大学日本研究所付属森鴎外記念館では、周辺資料と研究交流を重ねてきました。特にハイデルベルグ大学の中国現代史研究者トーマス・カンペン教授は、私の英語版ホームページを見て事前に資料を集めてくれていて、1950年毛沢東暗殺未遂事件についての貴重な情報をもたらしてくれました。同事件のドイツ人被告Walter Genthnerが崎村茂樹と同じ禁固5年で、崎村が北京から日本に帰った1955年にドイツに帰国しているとのこと。ただしドイツではごくありふれた名前なので、出身地やその後の消息は特定できていないとのことで、今後の調査を約してくれました。崎村茂樹の1942年のドイツ語著書『日本経済の新編成』(1942)も現物を入手。分析はこれからですが、1943−44年にかけての崎村茂樹のスウェーデン滞在の謎に迫る基礎材料が揃いました。また、この12月には出版される、Herausgegeben in Zusammenarbeit mit dem Filmmuseum Berlin - Deutsche Kinemathek: Wolfgang Aurich (Hg.), Wolfgang Jacobsen (Hg.) Band 4, Karena Niehoff. Feuilletonistin und Kritikerinという本に、戦時ドイツのユダヤ人女性ジャーナリストで戦後の映画評論家Karena Niehoffの交際圏に、日本人崎村茂樹が出てくるとのことで、今から楽しみです。この成果は後日公開。
今回更新が遅れたのには、理由があります。一つはドイツでハンブルグ、ボン、ハイデルベルグ、ベルリンと移動しつつの調査で、ホテルのIT事情がいずれもダイヤルアップで遅く、特にpdf.ファイルが送られてくると数十分かかる情報環境にあったことですが、もう一つが、実はボンでの盗難被害。デジタルカメラと海外用携帯電話とiPodを、喫茶店でコートのポケットから抜き取られてしまいました。いずれも最新型の日本人好みのIT兵器ですが、今回の旅では、ハードではなくソフトこそがITの命なことを痛感。ボンのカフェで親友アハメッド博士と懇談中、椅子の背もたれにコートを掛けたのがまちがいのもとで、どうやらベートーベン・ハウスをデジカメでパチパチしていたあたりから狙っていた外国人狙いの若い男に、そっくり抜きとられたらしいのです。資料接写用の高級カメラだったのもありますが、ハンブルグの会議の模様も、出発直前のリヒアルト・ゾルゲ、尾崎秀実墓前祭のスナップも、夏のソ連・ベトナム旅行の写真も、すべて再生不能になりました。というのも、2GBの記憶装置をつけて次々に使ってきたのが、今思えば間違いの元。小さなメモリーでこまめにパソコンに取り込んでおいた方が良かったことになります。やむなく旅の後半は、使い捨てカメラ4台で我慢。これが性能が悪く、曇天のドイツはいっそう暗い感じ。現像・焼き増し代を考えると、現地で安いデジカメに乗り換えた方がよかったようです。携帯電話も、海外で使用可能なドコモのN900iGを持っていたのですが、ドイツでの友人たちの電話番号を事前に打ち込んでいたため、いざ鎌倉という際に、ハイデルベルグやベルリンの友人たちには到着の連絡できず。やむなくパソコンメールで何とか伝えて、ホテルに来て貰うことに。日本での日常使用の電話帳も全部チャラになり、日本の電話会社に使用停止の国際電話をかけなければならないのにその番号もわからず。やむなくこちらもメールで留守宅に頼み、時差の関係で2日後に停止。その間に泥棒に使われていた可能性があり、来月の請求書が憂鬱です。iPodの方にも、ドイツゆかりの曲を沢山入れていたのですが、こちらは幸いマックのパソコン経由で入れたので、パソコンの方に原曲はしっかり残されていました。ドイツでもiPodブームで、今ごろ闇市で高値取引されていることでしょう。パスポートや航空券はしっかり身につけていたのが、不幸中の幸い。帰国後の海外旅行保険申請書作成に、時差ボケの丸一日かかりました。というわけで、現地写真を連ねた定期更新は茫然自失で断念。その間にも、皆様にはアクセスいただき94万ヒットに達しましたが、毎日更新の畏友五十嵐仁さん「転成仁語」サイトは、あっさり本サイトに追いつき追い抜いていって、「日本一の政治学サイト」の栄誉を五十嵐さんに譲ることになりました。もっとも、あちらは時評サイトで、こちらは「国際歴史探偵」のデータベースサイトと割り切れば、「政治サイト」と「政治学サイト」の使い分けで、まあ定番サイトと誇ることもできます。
上記のネット事情で、日本の様子はほとんどGoogleニュース日本版のみが頼り。それでも教育基本法改正案が衆議院で強行採決されたニュースは、「愛国心」の説明で早速ハイデルベルグ大学での特別講義で使い、好評でした。日本国憲法改正は、国会で3分の2以上の賛成による発議なので、自民党は、むしろ民主党との合意による提案をめざすだろうという手続き論の中に嵌め込みました。むしろドイツの研究者・学生たちが驚いていたのは、「格差社会のどこが悪いか」という小泉前首相のような発言が出てくる基盤と、安倍新首相の「美しい国へ」という、何とも中身のない基本政策。英語で<beautiful country>が新首相の政策だと紹介すると、何が政策だという嘲笑と、やはり右翼ナショナリストだという警戒の眼。ドイツのメルケル大連立内閣も評判はよくないですが、自民=民主連立政権で「美しい国へ」の憲法改正なんていうことになると、日本の国際的孤立は、末期症状でしょう。教育基本法のみならず、労働時間規制緩和や国立大学の法人化、「非核3原則」再検討など、20世紀後半の「繁栄」を支えてきた日本の基本的骨格のゆらぎ=「国法の政治化」が憲法改正を待たずに進行していることを述べました。第二次世界大戦の同盟国ドイツにも同様の事情はあったとはいえ、ドイツの場合はEU設立と東西統一という「革命」を経ていますから、ドイツ語にもなった「Ijimeいじめ」に象徴される日本の内向きで陰湿な国家再編は不気味。だから一番質問が多かったのは、やはり中国問題。EUにとっても、今やアジアへの関心の中心は、中国とインドの動向です。アメリカと同様、大学での日本語クラスから中国語クラスへの再編も進んでいるようです。質問がでるかと冷や冷やしたのが、小泉内閣の「メールマガジン」と並ぶ「劇場政治」の目玉だった「タウン・ミーティング」のヤラセ質問問題。資料を持ってこなかったのと、日本的「やらせ」の訳語(made-up?)が面倒なのと、これで「民主主義国」とは恥ずかしくてとても紹介できない、驚くべき醜態です。日本通の研究者は知ってましたが、中国語ブームの中でもなお日本語と日本社会を学んでくれているドイツ人学生たちには、進んで説明したくない事態。パワーポイントを使った日本的「公共」概念、「官僚政治」一般の問題の説明で、お茶を濁してきました。
ベルリンは私にとって第二の故郷。30数年前の留学から数えると何回目になるか、特に「ベルリンの壁」崩壊後は、本サイト「ベルリン便り」にあるように、定点観測地点です。といっても久方ぶりで、まずは変貌が一番目に見えるベルリン中央駅からポツダム広場に直行。初めて見る「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための慰霊碑」は、予想外にいいものでした。というのも、実は、その慰霊碑の脇の新しくできた通りが、「ハンナ・アーレント通り」と名付けられているのを発見したから。すっかり気をよくして地下のホロコースト記念館の文献を、手当たり次第に買いあさってきました。ただし「ベルリンの壁」崩壊後17年という時間は、表面的には歴史を消し去ります。かつてブランデンブルグ門のまわりを埋め尽くしていた「壁」のかけらや旧ソ連の軍服・帽子・バッチ売りの類は姿が消え、旧東ドイツは、ペルガモン博物館の裏にある「DDR博物館」という小さな河畔のカフェに残された程度です。プラスチック製自動車「トラバント」の本物が入っているのはご愛敬ですが、旧東ドイツがヌーディスト・キャンプだらけだったかのような展示にはびっくり。映画『グッバイ・レーニン』のDVDも売られてましたから、いまや悲劇と言うより喜劇の対象になったようです。他方で、最新のIT化の進展にもびっくり。何しろハンブルグの学会も由緒あるハイデルベルグ大学の特別講義も英語でしたから、グローバル化=アメリカナイゼーションは日本もドイツも同じとは分かっていましたが、ポツダム広場周辺や変身したフリードリヒ・シュトラーセとウンター・デン・リンデンの交差点近くの商業文化は、ほとんどニューヨーク、ロンドン、東京と変わりません。かえって、旧西ベルリンの中心クーダム周辺の方が、ドイツっぽく感じられる程です。いつもビールを飲んでいたカフェはつぶれていて大きなホテルに変貌中、やけ酒代わりにクリスマスに飲まれるグリュー・ヴァインを置いた古い酒場をみつけてぐい飲み。想定外だったのは、かつて通ったドイツ国立図書館の電子化と利用方法の変化。7,8年前までは、外国人でも簡単に登録・入館でき、カードで調べて本を見つけるとその場でみつけて持ってきてくれたものですが、今や完全にIT化。一度登録証をもらうと、自宅からでもパソコンで文献を探して見たい本を注文でき、何時間後ないし翌日から見られるとインターネット上に答えがでてくる仕組み。帰国前日を国立図書館に宛てていたため、目当ての資料は、帰国便当日の朝から昼までコピーに専念という事態に相成りました。でも、コピー代も安く自分で取り放題、研究上はしごく便利で、東洋大学の和田博文さんらの研究グループの手に成る『言語都市・ベルリン 1861−1945』(藤原書店)が手頃な道案内になりました。私の国崎定洞研究や「在独日本人反帝グループ」研究では、今回国崎定洞遺児タツコさんと一緒にまわった地図が成果で、それは次回に。
「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>探索」は、「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」と同様に別ファイルにして、特別研究室「2006年の尋ね人」と、英語版Global Netizen Collegeで公開情報収集中。逐次、バージョンアップして行きます。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、書物そのものではなく、草稿から図表等を削除したウェブ版です。『月刊社会教育』第612号(2006年10月)の巻頭言「インフォアーツのススメ」もあります。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に出て、旅行記の方は『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。
図書館に恒例『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」は、10月31日号の松沢弘陽・植手通有編『丸山眞男回顧談』上下(岩波書店)と青沼陽一郎『帰還せずーー残留日本兵 60年目の証言』(新潮社)を、<オーラルヒストリーで読み解く「生活の真理」>と題してアップ。帰国したら、現在発売中の11月28日号に、杉本信行『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP研究所)と有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社)を扱った<テレビの誕生にも日中関係にもアメリカ情報戦の影>も出ていました。10月3日号の「善意のおしつけは歴史観を曇らせる」と題したジェームズ・R・リリー『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社)と金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代 1930年代ソウル革命的労働運動』、9月5日号の大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)と三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)は、「歴史論争の視点、日本とドイツ」として入っています。『週刊読書人』9月8日号のアン・アプルボーム『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』(白水社)もあり、これは8月の健物貞一ご遺族と一緒のロシア訪問印象記を兼ねています。「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」及び『朝日新聞』報道「歴史の荒波を越え 3指導者の遺児ら対面『エコノミスト』誌と一緒にどうぞ。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。
「無条件復帰」ってなんでしょう? 米国中央情報局CIAは、1997年に「北朝鮮は5年以内に崩壊」と予測していたそうですが、それはおそらく、旧ソ連・東欧諸国崩壊からの類推だったでしょう。中国やベトナムは、「ベルリンの壁」崩壊に学んで共産党主導での市場経済導入・自由化、資本主義へのソフト・ランディングを選んだのに対し、金正日の方は、ルーマニアのチャウシェスクのようにならないようにと、先軍側近政治・民衆奴隷化を採ってきました。「太陽政策」も「ビロード革命」も、効きそうにありません。おそらくヒトラー独裁末期のドイツが、一つの参考になるでしょう。かつて1943年頃、ナチス・ドイツが敗色濃厚になって世界から孤立、連合国側は、1月カサブランカ会談から11月カイロ・テヘラン会談へと、独日伊枢軸敗北後の戦後世界のあり方を検討し、ソ連の対日参戦や朝鮮の戦後独立は、カイロ=テヘラン会談で決まりました。そうした流れを方向付けたのが、カサブランカ会談での、米国ルーズベルト大統領の対独「無条件降伏(unconditional surrender)」提案でした。提案された英国チャーチル首相も、当時最前線で対独情報戦をたたかっていた戦略情報局(OSS)全欧局長アレン・ダレス(戦後CIA長官)も、びっくりしたとか。連合国側の軍事的カナメである米国の「無条件降伏」提案から、連合国=戦勝国のヘゲモニー争い、思惑の違いも出てきました。ソ連のスターリンは、「ヒトラー=ナチス党」とその侵略戦争に動員された「ドイツ国民・人民」を区別することで、モスクワに作ったコミュニストや亡命者らによる反ナチス「自由ドイツ委員会」を通じた、ソ連占領後のドイツ革命を構想しました。実際はドイツは東部でだけ実現しましたが、中国共産党の対日戦後政策や、日本共産党の丸山真男「戦争責任論の盲点」に対する批判は、この発想の延長上にあります。イギリスのチャーチルは、王制復古派を含む反ヒトラー保守派による戦後ドイツ再建を考え、ルーズベルトの「無条件降伏」に距離をおいたといわれます。対日政策でいえば、日本の宮中グループや吉田茂ら英米派に期待を寄せた、米国前駐日大使グルーらの立場と似てきます。それらに対して、ルーズベルトは、ドイツ国家の徹底的解体、完全武装解除を求めて「無条件降伏」政策を出したといいますが、この点は論争のある問題です(吉田一彦『無条件降伏は戦争をどう変えたか』(PHP新書)。「無条件降伏」には、対戦国が反発して徹底抗戦し、降伏・和平が遅れるという見通しが立つからです。実際には、連合国の「ポツダム宣言」という講和条件を呑むという「条件付き」ではないかという疑問は、当時からありました。今日では、当時のアメリカ戦略情報局(OSS)の1945年対日工作文書が、そのことをあからさまに認めています。故江藤淳がこれを生前に読んでいれば、さぞや喜んだことでしょう。彼の無条件降伏否定論は、まさにこのことの論証にあてられていたのですから。それでは長期的に見て、北朝鮮に対する「無条件降伏の条件」とは何でしょうか。ルーズベルト型なのか、チャーチル型なのか、スターリン型なのか。6か国協議では、いずれも地政学的思惑がからみます。さて日本にとっては、何が「無条件の条件」になるのでしょうか? 少なくとも北朝鮮の飢えた人々の救済、脱北難民受入れが入ってほしいものです。ちなみにアメリカは、ソ連の「自由ドイツ委員会」方式が東欧等で一時的にせよ成功したことに危機感を抱いて、東西冷戦に入ると「全米自由ヨーロッパ委員会」を作ってVOA放送とテレビ網による「自由」宣伝を始めます。「自由」の解釈権争奪、ショーウィンドー競争が始まります。このあたり、有馬哲夫さんの新著『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社)は、出色の出来で必読です。なにしろ、日本で初めての民間テレビ放送も、戦後の保守合同も、吉田茂から佐藤栄作にいたる自民党首相の選定も、こうした米国戦時地政学の情報戦争の延長上にあることが、第一級の第一次資料で実証されているのですから。
でも、日本の高校生のなかには、どうやら、そんな20世紀の世界史はほとんど知らずに、大学に入るケースが多いようです。小林よしのりのマンガで「日本から見た世界史」を学ぶのは、まだマシな生徒たちのようです。「歴史」に関心を持ったのですから。安倍内閣の周辺は、大阪・神奈川衆院補選を「北朝鮮の脅威」「安全保障は自民党」で乗り切り、あわよくば次の沖縄も、というところで、ワイドショーの眼は国内へ移りました。学校でのこどもたちのいじめと自殺の頻発、高等学校の受験対策による必修単位履修不足問題の全国的発覚に、教育基本法の改正から、憲法改正へと導こうとする本末転倒が起こっています。北朝鮮のとばっちりで、安倍首相の「任期中に憲法改正」 という重大発言のニュースは、片隅になってますが。世界史も日本史も学ばずに「美しい国」を押しつけたら、どんな「日本人」がうまれるのでしょうか? 20世紀末期に日本の教育でもせっかく定着した「Think Globaly! Act Locally(グローバルに考え、ローカルに行動を)!」のスローガンが、肝心のグローバルに考える基礎もできないまま内向し、「自殺」という最も悲劇的な「行動」へ追いやっているのですから。現行教育基本法を、ちゃんとよんでみましょう。そこにはちゃんと「Think Globaly! Act Locally!」の精神が入っています。今日の学校の危機は、「学校評価」「教員評価」や「愛国心教育」などなくても、ちゃんと「真理と平和を希求する人間の育成」を実践していれば、起こらなかった問題だったのではないでしょうか。
実は次回更新が15日に出来るかどうかは、不確定です。しばらくまた日本を離れるからです。古巣のフィールド、ドイツに行ってきます。「ドイツ現代日本社会科学学会」で「日本の社会科学」について話をし、ハイデルベルグ大学で日本の憲法問題を特別講義するかたわら、前回更新で特別研究室「2006年の尋ね人」に入れた「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>」についての現地調査、資料収集をしてきます。この<崎村茂樹>探求、1944年7月20日ベルリンの「ヒトラー暗殺未遂事件」と、1950年10月1日北京の「毛沢東暗殺未遂事件」という二つの大きな政治的事件が背景にありそうで、今回は邦訳のないアレン・ダレスの英語本"German's Underground: The Anti-Nazi Resistance"(1947)を抱えて、ナチス・ドイツの地下抵抗運動とベルリン日本人コミュニティの関わりを探ってきます。そのための格好のガイドブックが、日本で出版されました。といっても観光ガイドではなく、東洋大学の和田博文さんら、この間パリ、上海と20世紀在外日本人社会の地政学的表象=「心象地図」を刺激的に探ってきた研究グループの手に成る『言語都市・ベルリン 1861−1945』(藤原書店)という分厚い研究書。私の国崎定洞研究や「在独日本人反帝グループ」研究も各所で使われていますが、その足を使って再現した「ベルリンの日本人関係地図」と、巻末の詳しい年表に脱帽。私がかつて一人で「ベルリン便り」にまとめ、英文論文Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930sにようやく書きかけた在独日本人社会の生態が、5人の共同研究と旺盛なフィールドワークで活き活きと描かれてます。ドイツ旅行中の座右の書になりそうです。そんなわけで、久しぶりでドイツのインターネット環境に入るため、メールは何とかなるでしょうが、ホームページ更新が可能かどうかは不分明。幸い、ちょうど同業の畏友五十嵐仁さん「転成仁語」が、毎日更新の政治評論で本サイトのアクセス数に追いつき追い抜きそうな勢いですし、80歳を越えて重病から回復した吉田悟郎さん「ブナ林便り」も<漫画は剣より愉し>を目玉にご健在ですし、有田芳生さん「酔醒漫録」も一端閉鎖・再開以来「単行本X」準備の過程で独自の職人芸を見せてくれています。今やテレビのワイドショーに欠かせない香辛料となった勝谷誠彦さんの辛口ブログ「××な日々」や、驚異的な情報解析で公明党批判から耐震偽造マンション問題の執拗な追究でジャーナリスト必見ブログとなった「さるさる日記、きっこの部屋」を覗けば、グーグルニュースでは見られない<日本>をも、外から感じることができるでしょう。更新できなかったら、これらサイトのリンクで、ご容赦下さい。
前回までの「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>探索」は、「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」と同様に別ファイルにして、特別研究室「2006年の尋ね人」と、英語版Global Netizen Collegeへ。逐次、バージョンアップして行きます。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、書物そのものではなく、草稿から図表等を削除したウェブ版です。『月刊社会教育』第612号(2006年10月)の巻頭言「インフォアーツのススメ」もあります。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に、旅行記の方は『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。
図書館に、恒例『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」の10月3日号の「善意のおしつけは歴史観を曇らせる」と題したジェームズ・R・リリー『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社)と金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代 1930年代ソウル革命的労働運動』に続いて、現在発売中の10月31日号には、松沢弘陽・植手通有編『丸山真男回顧談』(岩波書店)、青沼陽一郎『帰還せず――残留日本兵60年目の証言』(新潮社)を「オーラルヒストリーで読み解く20世紀日本」として書いてます。9月5日号の大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)と三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)は、「歴史論争の視点、日本とドイツ」として入っています。『週刊読書人』9月8日号のアン・アプルボーム『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』(白水社)もあり、これは8月の健物貞一ご遺族と一緒のロシア訪問印象記を兼ねています。「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」及び『朝日新聞』報道「歴史の荒波を越え 3指導者の遺児ら対面『エコノミスト』誌と一緒にどうぞ。『エコノミスト』8月1日号の小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)と大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)を「反日朝鮮貴族も音楽会の異端児も生んだ近代日本の貴族社会」、7月4日号 の佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をとりあげた「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」等と共にご笑覧を。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。新学期に入って、教育センターの一橋大学講義案内はすべて更新されています。
今回の北朝鮮の核実験を、その「核の闇市場」を介した技術的繋がりと規模から、1998年のパキスタンの核実験に学んで「核保有国」の既成事実化をめざした瀬戸際開き直り戦略と見る見方が支配的です。その側面は否定できませんし、1994年の核開発危機のさいに、クリントン政権との直接交渉で米朝枠組み合意を引きだした経験も、当然作用しています。しかし、朝鮮総連ホームページにある10月3日・11日の北朝鮮外務省声明は、「こんにち、朝鮮半島では日ごとに増大する米国による核戦争の脅威と極悪な制裁圧力策動により、わが国家の最高の利益と安全が由々しく侵害され、わが民族の生死存亡を決する厳しい情勢が生じている。 米国は最近、強盗さながらの国連安全保障理事会「決議」の採択でわれわれに事実上の「宣戦布告」をしたのに続き、朝鮮半島とその周辺で第2の朝鮮戦争挑発のための軍事演習と武力増強策動をよりいっそう狂ったように繰り広げている。 米国はこれと同時に、朝鮮を経済的に孤立、窒息させてわが人民が選択した社会主義制度を崩そうとする妄想のもと、あらゆる卑劣な手段と方法を総動員して朝鮮への制裁封鎖を国際化しようとあがいている」「われわれは、米国によって日ごとに増大する戦争の危険を防ぎ、国の自主権と生存権を守るためやむなく核兵器保有を実物で証明して見せざるをえなくなった」「朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮半島の非核化を実現し、世界的な核軍縮と最終的な核兵器撤廃を推進するため多方面にわたって努力する」とのべ、朝鮮中央通信は「全国の人民が社会主義強盛大国の建設で一大飛躍を創造している躍動する時期、わが国の科学研究部門では2006年10月9日、地下核実験を安全かつ成功裏に行った」と誇っています。この論理は、朝鮮戦争の延長上の冷戦型思考で、一枚岩だった国際共産主義運動から中ソ論争・対立が生まれ、中国が独自の核実験に踏み切った際の、毛沢東のソ連への対抗を意識した「社会主義の防衛的核」の延長上で見た方が、わかりやすいものです。ちなみに、中国核実験の前日の1964年10月15日、ソ連では、フルシチョフが解任され、ブルジネフ体制が生まれたばかりでした。2006年10月、北朝鮮の核実験の直前に中国共産党中央委員会が開かれていましたが、中国の胡錦涛国家主席は党内での地位を固め、安倍首相と久方ぶりの日中首脳会談を開いたばかりでした。「社会主義の防衛的核」は、二度目は茶番になるでしょう。金正日の道は、北朝鮮自滅への道です。
中国も、昔ソ連だったロシアも、金大中政権以来の「太陽政策」を続けてきた韓国盧武鉉政権も、米日主導の国連安保理経済制裁決議に賛成せざるを得なくなりました。世論調査7割で順調に出発し、発足直後に日中・日韓首脳会談で小泉内閣時代の負債の一部を清算した安倍内閣にとって、金正日の狂気の瀬戸際作戦は、またとないご祝儀となりました。国会答弁では歴史認識さえ修正させて、慎重運転でスタートした安倍内閣は、「臨検」への後方支援やミサイル配備など、所信表明で述べた集団的自衛権の解釈改憲に、早速踏み込もうとしています。得意分野での、まぐれ当たりの出題に酔って、長い「優」答案を書こうとしています。でも、酔っぱらい運転には要注意。北朝鮮の暴挙を奇貨として、改憲の方向に暴走しかねません。首相補佐官5人を配した官邸主導の危機管理は、助走段階でブレーキ。防衛庁長官に情報が伝わったのは1時間後で、「日本政府は右往左往」でした。中間選挙を控え、支持率33%まで下がった米国ブッシュ政権にとっては、どうやらご祝儀どころか、イランに続いて悩みのタネが倍加したようです。国内的には「対話と圧力」で進めてきた6か国協議の枠組みの外交的破綻を意味し、かといってイラク開戦の誤りが白日になったため、ネオコン得意の先制攻撃での強行突破は難しい局面です。当事国の一つである日本では、どうしても、北のミサイルが8分で飛んできたら地下街に避難できるかといったセンセーショナルなシミュレーションがメディアのトピックになりますが、国連や国際世論の動向が、いまほど重要な時はありません。
国連安全保障理事会の様子は、テレビや新聞でも報じられます。むしろ、インターネットならではの情報に注目しましょう。ロシアのウラジオストックでは、学生たちを中心に北朝鮮の核実験に反対する千人のデモがありました。「核実験は自分の家で行われたようなもの」と述べたと言いますから、これは画期的。かつてのソ連時代、ソ連の核実験に反対して「赤の広場」で抗議をした日本人学生は、直ちに逮捕されて国外追放になったのですから。チェルノヴィリ原発事故が、ソ連崩壊の引き金になった国だからこそ、重要な新世代の動きです。『朝鮮日報』に出た小さな記事「ベネズエラも北朝鮮の核実験を非難」も貴重です。曰く、 「南米諸国の左派政権も北朝鮮の核実験を公に非難した。 ベネズエラのマドゥロ外相は10日、国営放送を通じ「我々は地球環境と生命に甚大な被害を及ぼす核実験を非難する。北朝鮮の核実験が事実ならベネズエラは原則と人本主義の政策に立脚して反対する」と述べた。 この発言はチャべス大統領が北朝鮮のミサイル実験を擁護し、最近まで北朝鮮訪問の意思を明らかにするなど友好的な態度を示してきた点で注目される。これは中国・ロシアを含む国連安保理の15の理事国が一致して北朝鮮を非難した中、ベネズエラが16日の安保理非常任理事国進出の表決を前にして国際社会の信任を得ようとするものと見られる。 チャべス大統領は、その一方で、米国など国際社会との摩擦を引き起こしているイランのウラン濃縮については積極的に擁護している。 社会党のバチェレ大統領率いるチリ政府は外務省声明で「北朝鮮の核実験は地域と世界の平和と安定に対する脅威」と述べた」と。このような地球全体への目配りこそ、ジャーナリズムとして大切です。こういう視点が韓国の報道にはみられるからこそ、東アジア初となる次期国連事務総長も出せたのでしょう。他方、韓国国内にも注目。世論調査では、急速に危機感が増し、盧武鉉政権の「太陽政策」への批判が強まっている韓国で、「韓国も核武装を」が65%に達したことも見逃せません。 いや実は、国際社会では、「東アジア非核化」構想が一気に崩れて、アメリカでさえ「日本も核武装するのでは」という危惧が高まっています。北朝鮮自身の核武装ばかりでなく、北の核ビジネスと核ドミノによるテロリストの核保持さえ、現実の脅威として語られています。無論、「日本も核武装せよ」の悪のり組も出ています。
1945年のヒロシマ、ナガサキ以来、核兵器は数万個まで増大し、幾度も人類を絶滅しうるほどに増殖しましたが、唯一の慰めは、実際の戦争では一度も使用されず、「抑止力」としてのみ機能してきたことです。ただこの「使われない大量破壊兵器」が未だに地球上にあるのは、「抑止力」として有効だという認識が世界に広がり、「強国の勲章」として大国間で管理されているからです。国連安全保障理事会で拒否権を持つ常任理事国が、すべて核保有国であることは偶然ではありません。その均衡を破ったインドとパキスタンの責任も相応にありますが、ロシアや中国を含む核保有国の知識人や学生と話して痛感するのは、日本の平和運動の原点で推進力とされた「ヒロシマ、ナガサキ体験」が、実は世界的にはあまり継承されていないことです。これは軍国日本の侵略性と合わせ鏡ですが、「もしヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されなければ、日本はさらに抵抗を続け侵略を続けただろう」という歴史認識は、アメリカばかりでなく中国や韓国でもよく聞かれます。いわば核兵器出現の歴史的責任は、ナチス敗北後も「国体護持」に固執した当時の「世界の厄介者」天皇制日本にあるとされているのです。長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社) には、そうした世界史認識を産んだ、1945年夏の緊迫した国際政治が描かれています。核兵器がどのようにして産まれ、なぜ実際に使われ、今日の「核抑止競争」に至っているかを、またなぜアインシュタインら核兵器出現に寄与した科学者たちが、実際の使用に反対し、核廃絶を訴え続けたかを考える時です。核兵器の出現は、第二次世界大戦時の、独日・英米・ソ連の「新型兵器」開発競争に起源を持ち、日本でも実際に進められていました。戦後ドイツの反省と平和への意志を世界に訴え続けたヴァイツゼッカー元大統領の兄は、もともとナチス時代のドイツ核開発に携わった物理学者で、戦後は平和運動に加わる哲学者になりました。
前回更新でご遺族提供の写真を掲げて進行中の「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>探索」は、どうやら第二次世界大戦中の「新型兵器」・原爆開発競争の問題まで、立ち入らなければいけなくなってきました。別に確かな文献的証拠をみつけたわけではありません。戦時友好国ドイツの在独日本大使館で戦時経済分析の嘱託を勤めていた東大講師の経済学者崎村茂樹が、なぜ1943年末に中立国スウェーデンに「亡命」し、連合国アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』や『タイム』誌の取材を受けて「初めて連合軍に加わろうとした日本人」「枢軸国の敗北を初めて公言した日本人」とまで報道されたのに、44年5月にはストックホルムから再びドイツに戻り、ナチスのゲシュタボにも狂信的ヒットラー主義者の日本大使大島浩からも処罰された形跡がなく、その後45年5月のベルリン陥落までドイツに留まり得たのか、を考えてのことです。しかも、崎村はドイツ敗北後も日本に帰国せず、ソ連経由で内戦期の中国に入り、在北京のアメリカ領事館嘱託として調査活動に従事し、49年新中国成立後も台湾に脱出せず、50年夏に毛沢東暗殺未遂事件に連座して捕まるのかという謎も、どうも崎村がベルリンで従事していた調査活動に遠因がありそうです。いくつかの文書資料から浮かび上がったのは、崎村はベルリン日本大使館嘱託であっても、日常的勤務先は、日本鉄鋼統制会ベルリン事務所だったことです。この事務所は、戦時中の日本側軍需のドイツからの買い付けと共に、どうやらドイツ軍事産業と組んで、新兵器の日独共同技術開発にも関わっていたようです。
ところがドイツ側は、同盟国日本にも隠して「新型兵器」を開発していた形跡があります。よく知られているように、アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」は、ナチス・ドイツの核武装を恐れた亡命ドイツ人・ユダヤ人科学者を秘密裏に動員して1942年6月(私の発見したOSS「日本計画」と同じ頃)に始まりました。アインシュタインやシラードは、ドイツに核技術を渡さないためにアメリカに協力したのです。それは、ドイツにもハイゼンベルグらのすぐれた核科学者がいて、ドイツ占領下のデンマークにボーアがいて、ナチスにも原爆開発能力があることを知っていたからです。ただし1944年初頭には、アメリカはドイツの原爆完成はありえないという情報をえていたといいます。その頃崎村茂樹が「亡命」したスウェーデンは、スイスと共に、「新型兵器」開発の情報戦争の中心地でした。「核・原子力関連年表」に崎村の43−44年前半のストックホルム滞在を重ね合わせると、本当に「亡命」だったのかと疑われます。当時のナチス軍需相シュペールの回想『ナチス 狂気の内幕』を読むと、ヒットラーはロケット開発には熱心で事実成功させたが、原爆開発についてはあまり関心を示さず、42年秋には原爆をあきらめた、ただしクルップ社がサイクロトロンを完成し、原子力潜水艦のために44年夏に核分裂実験を行った、と述べている。崎村の勤務した日本鉄鋼統制会が、ドイツで最も頼りにしていたのがクルップ社でした。そして1944年7月20日、ドイツ軍高官たちのヒットラー暗殺計画が発覚し、5000人以上が捕まり処刑されます。その戦時ドイツ内のヒトラー打倒事件の中心人物の一人が、「鉄の歴史」の著者ベック博士の子ベック将軍で、その暗殺計画は、ベルリン大学教授ら「水曜会」メンバーにより企てられたと述べているのは、戦前日本製鉄に勤めていた中澤護人、歴史学者故網野善彦の義兄であり、宗教学者中澤新一の叔父で、横浜事件の犠牲者です。そして、ドイツの日本鉄鋼統制会事務所長が、日本製鉄派遣の島村哲夫であり、崎村茂樹の無二の親友で後見人でした。崎村が、反ヒトラーの側にいたことはまちがいないようですが、それ以上のことはまだ不明です。崎村茂樹の探求は、ナチス・ドイツでの「鉄の歴史」を読み解き、ドイツから日本へと標的=実験対象が変えられた原爆開発の世界競争を学び、そこでのドイツ、日本、アメリカ、ソ連、スウェーデン、スイスの関係を解明しなければならないようです。旅は、まだまだ続きそうです。
というわけで、「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>探索」は、「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」と同様に別ファイルにして、特別研究室「2006年の尋ね人」へ。逐次、バージョンアップして行きます。今回のアップは、英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s 、ただし書物そのものではなく、草稿から図表等を削除したウェブ版です。『月刊社会教育』第612号(2006年10月)の巻頭言として、「インフォアーツのススメ」という短文を書いたので、収録。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に、旅行記の方は『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。
図書館に、恒例『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」の10月3日号の「善意のおしつけは歴史観を曇らせる」と題したジェームズ・R・リリー『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社)と金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代 1930年代ソウル革命的労働運動』を、アップ。9月5日号の大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)と三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)は、「歴史論争の視点、日本とドイツ」として入っています。『週刊読書人』9月8日号のアン・アプルボーム『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』(白水社)もあり、これは8月の健物貞一ご遺族と一緒のロシア訪問印象記を兼ねています。「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」及び『朝日新聞』報道「歴史の荒波を越え 3指導者の遺児ら対面『エコノミスト』誌と一緒にどうぞ。『エコノミスト』8月1日号の小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)と大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)を「反日朝鮮貴族も音楽会の異端児も生んだ近代日本の貴族社会」、7月4日号 の佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をとりあげた「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」等と共にご笑覧を。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。新学期に入って、教育センターの一橋大学講義案内はすべて更新されています。
新内閣の帰趨は、来年夏の参議院議員選挙結果にかかっていると言われ、独自の勢力である参院自民党は、「選挙の顔」として安倍晋三を選んだことになります。同時に、参院選前になる来年春の統一地方選挙も重要です。任期6年、3年ごと半分改選の参議院議員と任期4年の地方自治体首長・議員選挙は、12年に一度重なります。来年はその統一地方選挙 と参院選の重なる年です。6年前の2001年参院選で、自民党は過半数を獲得し「勝ちすぎ」といわれ、次の2004年参院選では、民主党が自民党を上回り「お灸を据えた」といわれました。来年の2007年選挙は、その「勝ちすぎ」組の改選で、現状維持ができればまずまずといわれ、「自民惨敗」がありうる選挙です。おまけに統一地方選で財力も体力も使い果たし再選した地方議員たちが、果たして参院選でもう一度がんばれるかどうかが悩みのタネ。この間の市町村合併で統一選挙合流自治体数は減ったとはいえ、政党にとって地方組織ぐるみの総力戦は、まずは4月の統一地方選になります。参院選候補者たちは、自派の地方議員の応援で必死になるでしょう。その前に10月10日告示の神奈川・大阪衆院補選があり、11月19日投票の沖縄知事選挙、安倍内閣支持率7割の勢いが試されます。ところがその地方が、福島県や岐阜県では、古典的でダーティな保守政治の矛盾露呈です。これって、氷山の一角では……。若さと新鮮さで挙党一致風に見える安倍首相の周辺には、首相自身の後援会「安晋会」をはじめ、安心できない集金・集票装置が利権とつながっています。果たして野党は、どこまで追及できるでしょうか。
夏から続く「崎村茂樹」探索の旅は、いよいよ深みにはまりそうです。これまでの本サイトでの探索の経過をまとめて、「日独同盟に風穴をあけた日本人<崎村茂樹>探索記」を別ファイルにしました。1950-55年に革命直後の中国で「毛沢東暗殺事件」と関わった嫌疑で幽閉されていたのは、どうやら本当のようです。ところがこの事件を詳しく述べた唯一の日本語著書、畠山清行『キャノン機関』(徳間書店、1971)には、崎村茂樹については一言も出てきません。代わりに1970年に「自分は松川事件の実行犯だ」と名乗り出て国会でも物議をかもした中島辰次郎をはじめ、日本陸軍華北特務機関長から中国国民党顧問に乗り換え、キャノン機関にも協力した日高富明など、日本敗戦後の黒い人脈が続々と出てきます。「崎村」の名が出てくるのは、1951年8月21日の毎日新聞記事だけです。それも「草野文男」という、後に矢部貞治学長のもとで1956年から拓殖大学で崎村茂樹の同僚となる「中国通」の談話中で、「崎村某(元アメリカ総領事館嘱託で昨年8月逮捕)」もグループとしてつかまったのではないか、と出てくるだけです。しかもこの毎日新聞記事は、すぐに占領軍GHQに検閲されて、「崎村某」についての説明は、後の版では消えています。ご遺族は、この毎日新聞記事と帰国後の崎村茂樹自身の話から、崎村茂樹は毛沢東暗殺事件に連座し、その経済学の知見を中国共産党に利用されたといっています。こちらの話は闇のままで、確かな情報がありません。ご存じの方はぜひお知らせ下さい。
探索の出発点だった英語版『タイム』誌1944年6月5日号記事、その前の『ニューヨーク・タイムズ』1944年5月1日付けの「崎村茂樹」についての記事、つまり1943年末から1944年5月の崎村茂樹のスウェーデン亡命(?)については、ご遺族から貴重な写真が提供されました。1961年頃なそうですが、1941-45年にベルリンに滞在した崎村茂樹と、その親友で当時日本製鉄ベルリン駐在員で崎村茂樹と一緒に下宿した戦後八幡製鉄・新日鐵常務島村哲夫が、かつて日本鉄鋼統制会ベルリン事務所で働いていたというドイツ人女性を日本に招いたのか、来日したのか、一緒に写っています。ご遺族の記憶では「ジェンヌさん」といったとか。どうやらこのドイツ人女性が、崎村茂樹のベルリン時代を、したがって『ニューヨーク・タイムズ』1944年5月1日付けや英語版『タイム』誌1944年6月5日号の謎をも、知っているらしいのです。さしあたりは第二次世界大戦中日本鉄鋼統制会ベルリン事務所で働いていた「ジェンヌさん」という以外に手がかりはありませんが、崎村家ご遺族提供の写真を掲げておきます。写真の前列の女性が「ジェンヌさん」(左から二人目)、その右が島村哲夫(前列右から2人目)、後列の「ジェンヌさん」と島村哲夫の間が61年当時拓殖大学教授の崎村茂樹(後列右)、残りの3人も、戦時中ナチス・ドイツに滞在した日本人のようですが、身元はわかりません。どなたか何か気付いた方、ご存じの方は、ぜひ katote@ff.iij4u.or.jp にご一報を。
9月30日(土)午後、夏のロシア訪問の成果を20世紀メディア研究会で報告することになって、その報告用に「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」をバージョンアップして入れました。「旧ソ連秘密資料の読み方――早大建設者同盟出身健物貞一の日英露語資料」という報告で、結構反響がありました。『月刊社会教育』第612号(2006年10月)の巻頭言として、「インフォアーツのススメ」という短文を書いたので、収録。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に、旅行記の方は『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになる予定です。
2006.9.239月30日(土)午後、夏のロシア訪問の成果を20世紀メディア研究会で急遽報告をすることになったため、その報告用に「健物貞一探索・遺児アラン訪問記」をバージョンアップして入れました。
●20世紀メディア研究所:第33回研究会のご案内●
大学の夏休みも終わりに近づき、今年の国際歴史探偵の収穫も、そろそろ刈り入れなければなりません。この夏、本「ネチズン・カレッジ」の目玉となった「崎村茂樹」探索は、またしても読者の皆さんのご協力で、成功裏に進んでいます。今回の収穫は、前回更新で情報提供を訴えた『ニューヨーク・タイムズ』1944年5月1日付けの「崎村茂樹」についての記事がみつかったこと。たまたまニューヨークに滞在中の同業者、立命館大学現代日本政治論の堀雅晴教授が、pdfファイルで送ってくれました。そしてそこには、7月にやはり読者の方から教えられた、英語版『タイム』誌1944年6月5日号記事よりも決定的な、第二次世界大戦時在独日本人「崎村茂樹」の、ニューヨーク・タイムズ・ストックホルム特派員ジョージ・アクセルソンによる署名インタビュー記事が、掲載されていました。このGeorge Axelsson記者、戦時・戦後『ニューヨーク・タイムズ』ベルリン・パリ・ストックホルム特派員で活躍した敏腕記者ですが、最近ではホロコーストを隠蔽したとして告発されているようです。
その内容は「日本人がベルリンの大使館から逃げ出した」というもので、1943年暮れにベルリンからストックホルムに入った日本大使館勤務の東大講師崎村茂樹が、日本の右翼黒龍会とドイツのゲシュタボを恐れて、ストックホルム大学トルステン・ゴルトルンド教授の庇護の元、スウェーデンに亡命してきた。ベルリン日本大使館の狂信的ヒットラー支持者大島大使の専横を嫌い、鉄鋼分析官としての学者の眼で独日枢軸の敗北を予測し、連合軍に庇護を求めてきた、しかし日本側はベルリンに戻るよう強く働きかけており、大戦中に冷静なドイツ経済分析から「初めて連合軍に加わろうとした日本人」「枢軸国の敗北を初めて公言した日本人」として、秘かにストックホルムの病院でインタビューに応じた、というものです。実はこの点は、先日見つけた米国国立公文書館OSS資料中にも明記されており、『タイム』誌のセンセーショナルな戦時宣伝風記事よりも、信憑性があります。ただし崎村茂樹がこのインタビュー公表から1か月足らずの1944年5月中にはドイツに戻り、45年5月のドイツ敗戦まで他の在独日本人と行動を共にしたことが、ご遺族や当時の親友島村哲夫(日本鉄鋼統制会ベルリン支部長、戦後の八幡製鉄・新日本製鐵常務)の証言で確認されていますから、45年日本敗戦時のスウェーデンの小野寺少将、スイス・ベルンの藤村中佐らの和平工作とは、直接関係ありません。見方によっては、戦時体制下日本で連合国の一翼ソ連のために諜報活動を行ったリヒアルト・ゾルゲや尾崎秀実、中国で国共合作中国軍の抗日活動を助けた野坂参三、鹿地亘、青山和夫、長谷川テルら、アメリカで独日ファシズムとたたかうため進んで米軍に志願した在米日本人・日系人などと同じように、自らの考えで反ファシズム連合国に協力した希有な日本人、ということになります。イマドキの右派の人々なら「非国民」とか「売国奴」と非難するところでしょう。とにかくこの『ニューヨーク・タイムズ』1944年5月1日付記事で、本サイトで当初に想定した「第二次世界大戦末期ドイツに在住し、スウェーデンで連合軍との終戦工作にもある役割を果たした日本人」という「崎村茂樹」像が、大きくは間違いないことがわかりました。堀雅晴さん、ありがとうございました!
ただし崎村茂樹の思想的バックボーンは、『タイム』誌の書いた学生時代にかじったマルクス主義の信念ではなく、戦時東大経済学部で国家主義経済を説いた恩師荒木光太郎とのつながりと、ベルリンで知り合った日本製鉄の島村哲夫との交友であったようです。右の東大経済学部助手時代の崎村茂樹の顔写真も、荒木光太郎教授追悼文集『おもいで』から。したがってドイツ敗戦時のソ連軍占領下ベルリンからソ連への入国も、野坂参三風のコミンテルンへの忠誠ではなく、むしろ中国に渡るための経由地だったようです。当時の在独日本人数百人もモスクワ経由で満州に入り日本に帰国するのですが、ご遺族によると、崎村茂樹は1945年9月には旧満州の長春で中華民国紅十字会の嘱託になり、翌46年には在中アメリカ総領事館に勤務しています。問題は、49年には毛沢東の共産党が勝利し、蒋介石の中華民国は台湾に逃れアメリカ総領事使館も閉鎖されたのに、崎村茂樹は革命後も北京に留まったことです。日本で行方もわからず待ち続ける妻子には連絡することなく。そして、朝鮮戦争さなかの1950年8月、突如中華人民共和国政府に逮捕され、以後55年3月釈放まで、新中国に監禁されました。ご家族にとっては55年に帰国し翌年拓殖大学教授になるまで、行方不明のままでした。そこで前回更新から情報を求めている「1950年毛沢東暗殺未遂事件」との関わりが、新たな大きな謎となりました。実は、この事件について「崎村」の名が出てくるのは、1951年8月21日の毎日新聞記事だけです。それも「草野文男」という後に矢部貞治学長のもとで1956年から拓殖大学で崎村茂樹の同僚となる「中国通」の談話中で、「崎村某(元アメリカ総領事館嘱託で昨年8月逮捕)」もグループとしてつかまったのではないか、と出てくるだけです。しかもこの毎日新聞記事は、すぐに占領軍GHQに検閲されて、「崎村某」についての説明は、後の版では消えています。ご遺族は、この毎日新聞記事と帰国後の崎村茂樹自身の話から、崎村茂樹は毛沢東暗殺事件に連座し、その経済学の知見を中国共産党に利用されたといっています。その他の報道・解説では、当時の英文『タイム』誌1951年5月27日の「Old Hands, Beware!」という記事から今日にいたるまで、この事件に関わった日本人は、死刑になった「山口隆一」のみとされています。学術研究はないようで、「山口隆一」を友人だという「中島辰次郎」及び陸軍日高富明の特務機関「日高機関」との関わりで、畠山清明『キャノン機関』(徳間書房、1981)がある程度のようです。例えばインターネットにも出ている、次の「毛沢東暗殺計画で日本人銃殺さる」という記事が、これまでの情報です。
2004年7月に、中国政府は改めて「山口隆一」は「もともと日本の特務(スパイ)で、 46年に米特務機関である戦略情報部門[=OSS?]の情報員になった」と公文書を発表したため、インターネット上には、日本語・中国語・朝鮮語・イタリア語などでいくつかの報道・論説が出ています。この「山口隆一」と「崎村茂樹」の関係は不明ですが、どなたかこの、日本人も死刑になった「1950年毛沢東暗殺未遂事件」についてご存じないでしょうか。情報をお寄せ下さい。
『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に、旅行記の方は、『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになる予定です。
図書館に、3冊の新しい書評をアップ。ひとつは恒例『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」で、9月5日号では、大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)と三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)を「歴史論争の視点、日本とドイツ」として扱ったものですが、もう一つは『週刊読書人』9月8日号のアン・アプルボーム『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』(白水社)で、これは8月の健物貞一ご遺族と一緒のロシア訪問印象記を兼ねています。『朝日新聞』報道「歴史の荒波を越え 3指導者の遺児ら対面『エコノミスト』誌と一緒にどうぞ。『エコノミスト』8月1日号の小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)と大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)を「反日朝鮮貴族も音楽会の異端児も生んだ近代日本の貴族社会」、7月4日号 の佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をとりあげた「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、等と共にご笑覧を。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。
2006.9.1 日本の総務庁は、画期的なシステムを開発するそうです。曰く、「ネット情報ウソ発見器」。記録に残しておく価値がある、トンデモ情報です。
真偽が見極め難いさまざまな情報が乱れ飛ぶインターネット。その中で、ウソや間違いらしい情報を自動的に洗い出し、ネットの利便性を高めるシステムの開発に総務省が乗り出す。ネット上にある関連深い別の情報を探し出し、比較参照することで、情報の「デマ率」などを示す。研究機関と協力し、2010年までの開発を目指す。07年度予算では、まず3億円を要求する。
ネット上の情報は、何人もの目で事前に校閲された出版物などに比べ、誤った内容が少なくない。信頼性を確かめるには、利用者が他の情報と付き合わせるなどの作業を行うしか手がない。 総務省が構築を目指すシステムは、この選別をコンピューターで自動的にやらせるものだ。ネット情報のウソや間違いの「発見器」といえる。 完成すれば、ある情報のデマ率を調べたり、ネットで検索するときに信頼性のある順番に表示したりできるという。「この情報はデマ率95%ですが表示しますか」などという注意表示もできるようになる。
扱う対象は、株式情報から国際情勢の解説、商品情報などさまざま。「この企業分析は適切か」「レバノン内政のこの記述は自然か」「オークションに出品されているこの外国電化製品の性能表示は本当か」などの疑問に答えられるようにするのが目標。 開発の焦点は、インターネットのなかから信頼できる関連情報を見つけ出せるかどうかだ。そのために、知識を関連づけて書かれた内容の意味を正確に判定する技術や高度な自動翻訳技術などを編み出す必要がある。
ここでの「真偽」とは何でしょう? こんな実験は、とっくにウェブ上では進められています。「ネット上にある関連深い別の情報を探し出し、比較参照すること」なら、もちろんGoogleがありますし、言わずとしれたインターネット百科事典Wikipediaもあります。本サイトでは、7月20日の90万ヒット記念でコメントしたばかりです。再録しておきます。地球上の知的参加者が増えれば増えるほど「真」に近づくことができますが、「真偽」を判断するのは、あくまで読者です。
ウェブの世界もweb.2.0の登場で、様変わりしつつあります。私たちの学術世界では、インターネット百科事典Wikipediaの急成長と急速な普及です。先日大学の講義で「民主主義」の概念をめぐるレポート課題を出し、出典の明示を求めたら、昔なら広辞苑や岩波新書、政治学事典で語られた項目が、なんと7割近くの学生が、Wikipediaを挙げました。ようやく23万語の日本語版にはまだまだ問題がありますが、100万語を越えた英語版には、読み応えのあるものが多いです。なによりOSのリナックス(Linax)に学んだ、みんなで自由に作るオープンコンテンツ、著作権なし無料のコピーレフトの精神が、本「ネチズン・カレッジ」の主旨とも合致し、歓迎できるところです。中国語版やモンゴル語版が充実してくれば、文字通り人類の知の百科事典となり、知の革命をもたらすでしょう。本サイトの得意な「国際歴史探偵」の世界でも、先日、第二次世界大戦末期ドイツに在住した日本人で、スウェーデンで連合軍との終戦工作にもある役割を果たした「崎村茂樹」という人物について、グーグルで検索したら、「ベルリン日本人会と欧州戦争」という重厚な研究を収めた「日瑞関係のページ」という素晴らしい現代史サイトに出会いました。会社員の方が足で史資料を集めた日独瑞関係史研究が収められており、本カレッジの学術論文データベースの精神にぴったりです。まだまだ宝物は見つかるでしょう。「崎村茂樹」については、これから本格的に探索を始めます。何かご存じの方は、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てご一報を! 人類史の流れで見れば、ブッシュや小泉の政治は一瞬、インターネットの世界は、悠久の宇宙への入り口です。
国政でも、似たような動きが強まっています。9月は自民党総裁選挙で次期総理が決まるはずですが、全然緊張感なく、すでにレースは終わって、小泉純一郎から安倍晋三へのバトンタッチが既成事実。だから国内向けは圧勝だからと、ホームページでは英語でも知名度上げようと懸命です。でも、これも英語版wikipediaが出来ていて、最新情報は「On 4 August 2006, the Japanese media reported that Shinzo Abe had visited the Yasukuni shrine in April. Abe claimed the visit was of a personal and non-official nature, as Koizumi has in the past. The Chinese and South Korean governments expressed concern over the visit.」つまり4月靖国参拝問題です。国内で喝采受けても、対外的にはダメージが必至。総務庁が考えているのは、こんな情報を漏らさないことでしょうか。でも、加藤紘一議員に対する放火テロによる言論弾圧だって、小泉首相がずいぶん遅れてようやくコメントし、犯人が逮捕され供述する以前から、ネット上では所属右翼団体も氏名も判明していました。大本営発表型情報管理は、インターネット上では無理です。日本の新聞はもとより、週刊誌さえ報じない「Princess Masako」情報も、英語版wikipediaでは「International media coverage of Masako's difficulties has tended to frame her as a symbol of challenges faced by Japanese women in a patriarchial society. 」つまり、「マサコ」は、家父長制日本に挑戦する日本女性の象徴とされています。誰か皇太子一家についてのオランダ語版グーグル・ニュースを訳してみては。靖国派新首相の誕生と皇位継承問題の再燃、「ネット情報ウソ発見器」なんか出来る前に、9月は海外サイトから日本政治を眺めましょう。
前回臨時更新したように、本サイトが90万ヒット記念で始めた「崎村茂樹」探索は、ほぼ生涯の全貌が見えてきて、国際歴史探偵としては大成功。貴重な史資料も集まってきました。その中で、英語版『タイム』誌1944年6月5日号記事から入った「崎村茂樹」の足跡は、思わぬ展開を示していました。1943-44年にドイツ滞在中の日本外務省嘱託・東大講師の経済学者崎村茂樹(1909-82)がスウェーデンに入って「反日独枢軸・親連合国の日本人」として扱われたのはその通りで、56年の拓殖大学教授、63年から東京理科大学教授、八幡製鉄・新日本製鉄顧問と経歴もわかってきましたが、その真相解明は続けます。ご遺族から話を聞いて出てきた戦時中の崎村茂樹の実像は、『タイム』誌報道とは、大分違った姿でした。当初予想した敗戦時スウェーデンの小野寺少将、スイスでの藤村中佐らの和平工作とはつながりませんでした。ベルリンで小島秀雄少将や朝日の笠信太郎とは親しかったようですが、詳細はわかりません。下宿の同居人、日本製鉄派遣の鉄鋼統制会ベルリン支部代表「島村哲夫」(戦後の八幡製鉄常務で新日本製鉄復活の仕掛け人)と共に、世界の鉄鋼産業を調査するために、戦時ヨーロッパをまわっていたようです。その謎を解く鍵となりそうなのが、『ニューヨーク・タイムズ』1944年5月1日付けの「崎村茂樹」についての記事のようですが、戦時中の敵国アメリカの新聞のため、私の勤務先の図書館では欠号で、どこかで見られないか探しています。どなたか詳しい方、マイクロフィルムででも見られる所を教えてください。それより驚いたのが、戦後1945-55年の動き。45年5月のドイツの敗戦と共に、当時在独した日本人のほとんどは、ソ連軍占領のもと、モスクワ経由で満州に入り日本に帰国するのですが、崎村茂樹は途中で行方不明になり、モスクワ経由で中国に入っていました。連合国の支援と国共合作で日本に勝利した中国で、崎村茂樹は、内戦が始まっても国民党側、というより正確には、米ソ冷戦開始で蒋介石国民党政府の後ろ盾になった、北京のアメリカ大使館で働いていた様子です。ところが49年には毛沢東の共産党が勝利し、国民党政府は台湾へ敗走し、アメリカ大使館も閉鎖されたのに、革命後も北京に留まりました。そして、朝鮮戦争さなかの1950年8月、突如中華人民共和国政府に逮捕され、以後55年3月釈放まで、新中国に監禁されていました。ご家族にとっては55年に帰国し翌年拓殖大学教授になるまで、行方不明のままでした。崎村茂樹の中国時代の謎を解く鍵は、実は、もうひとつの英文『タイム』誌1951年5月27日の「Old Hands, Beware!」という記事。なんと、1950年10月1日の新中国建国記念日=第1回国慶節を前に、米軍バロット大佐が黒幕となった毛沢東暗殺計画が発覚し、中国政府はイタリア人、ドイツ人、日本人、中国人から成る暗殺団を逮捕、内イタリア人貿易商Antonio Rivaと日本人書籍商Ruichi Yamaguchi=「山口隆一」を死刑とし、カソリック神父Tarcisio Martinaらを懲役刑にしたというもの。朝鮮戦争さなかの1951年8月に発表されたため、冷戦さなかの情報戦とみなされあまり注目されなかったようですが、ご家族によれば、なんと崎村茂樹は、この毛沢東暗殺事件に連座し、50-55年中国で監禁生活を送ったというのです。2004年7月に、中国政府は、改めて「山口隆一」は「もともと日本の特務(スパイ)で、 46年に米特務機関である戦略情報部門[=OSS?]の情報員になった」と公文書を発表したため、インターネット上には、日本語・中国語・朝鮮語・イタリア語などでいくつかの報道・論説が出ています。この「山口隆一」と「崎村茂樹」の関係は不明ですが、どなたかこの、日本人も死刑になった「1950年毛沢東暗殺未遂事件」についてご存じないでしょうか。情報をお寄せ下さい。
この夏休み、洋画家の鳥居敏文さん、佐久病院の若月俊一さんと、貴重な先達を喪いました。どちらも私の国崎定洞研究の古くからの協力者で、幾度かインタビューさせていただきました。ご冥福をお祈りします。これを機会に、「在独日本人反帝グループ関係者名簿」を近く全面更改します。ベトナム紀行は、またいつか。有田芳生さんが6月に「今夜はほろ酔い」をいったん停止し、8月から日誌「有田芳生の『酔醒漫録』」をブログで再開したように、大手術を終えた吉田悟郎さん「ブナ林だより」も、臨時ですが再開しました。平和への執念に頭が下がります。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に、旅行記の方は、『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになります。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、8月1日号の小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)と大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)を「反日朝鮮貴族も音楽会の異端児も生んだ近代日本の貴族社会」が最新。現在発売中の9月5日号では、大門正克編著『昭和史論争を問うーー歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)と三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)を、「歴史論争の視点、日本とドイツ」として取り上げています。次回アップ。7月4日号 の佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をとりあげた「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、等と共にご笑覧を。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。
2006.8.22 本HPの新しい成果。この3週間よびかけてきた「崎村茂樹」情報、読者からのメールを手がかりに、ついに関係者と連絡がつきました。元東大助手・講師崎村茂樹は、1909年生まれで、戦後は拓殖大学教授・東京理科大学教授を勤め、1982年に亡くなっていました。手がかりになったのは、最初に読者から寄せられた英語版『タイム』誌1944年6月5日号記事と共に、別の読者から寄せられた、『ドイツと日本、体験的ドイツ論』(三修社、1978)の著者「崎村茂久」さんが「崎村茂樹」の近親者ではないかという情報。著作権名簿、紳士録等にあたって、やはりご子息であった崎村茂久さんと、直接連絡がつきました。ただし、『タイム』誌報道については、どうも当時の連合国・枢軸国の情報戦が深く関わっており、精査する必要がありそうです。ドイツで崎村茂樹は、『日本経済の新編成』(1942)という書物を出していました。これから詳しく検討します。皆様のご協力に、心から感謝致します。
2006.8.19
本19日付け『朝日新聞』夕刊の「ぴーぷる」欄に、モスクワでの須藤政尾遺児ミハイル須藤さん、山本正美遺児ヴィクトリア山本さんと、ロシアを訪れた健物貞一姪小長庸子さんの出会いが、「歴史の荒波を越え 3指導者の遺児ら対面」と大きな写真入りの記事になりました。私も含めた写真はこちらで、翌日、スドーさんと私たちは、数万人の名もなき粛清犠牲者が眠るモスクワ郊外の旧NKVD射撃場跡「ブトヴォの森」(ポーランドの「カチンの森」のモスクワ版です)を訪れ、須藤政尾、健物貞一ら、非業の死を遂げた旧ソ連日本人粛清犠牲者の冥福を祈ってきました。かつて「テルコ・ビリチこと松田照子探索記」に入れた1998年時点の「ブトヴォの森」の写真と比べると、慰霊碑もずいぶん整備されています。ロシアの歴史学者らの作ったボランティア組織「メモリアル協会」「サハロフ基金センター」等の活動の成果です。日本にも、靖国神社ばかりでなく、民間の「真相究明委員会」(A.ネグリ)ベースで、グローバルな平和運動活動家の慰霊ができる空間があるといいのですが。"Academic
Resource Guide"の岡本真さんが、『これからホームページをつくる研究者のために ウェブから学術情報を発信する実践ガイド』(築地書館)を出され、本「ネチズン・カレッジ」もとりあげていただきました。「テルコ・ビリチ探索記」の試みを評価して頂きましたので、今度の「崎村茂樹探索」も、うまくいくといいのですが。雑誌『創』9・10月号に、前一水会代表鈴木邦男さんが、「言論の覚悟 久々の『左右激突』」と題して、去る7月7日に慶應大学経済学部「現代社会史」特別講義で行った、鈴木さんと私の「天皇制と民主主義」についての討論について書いています。私の『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)と鈴木邦男さんの『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書
)をぶつけて天皇制の是非を学生に判断させようという企画でしたが、話してみると日本国憲法評価や教育問題については意外に一致点が多く、鈴木さんも書いている通り、異なる立場の相互理解の面白い実験でした。それに対して、8月15日の自民党元幹事長加藤紘一さん(同じく「現代社会史」講師)実家への放火事件(?)は、暴力による言論の自由への挑戦。マスコミは、もっと危機感を持つべきでしょう。
2006.8.15 この日は、丸山真男の没後10周年です。同時に、61回目の「終戦」記念日であり、本サイト開設の9周年です。そして、早朝に小泉純一郎首相が靖国神社に参拝し、近隣諸国との摩擦をいっそう強めた日です。「もう61年か、まだ61年か」は、歴史を考える射程の問題。「もう61年」だから中国や韓国が戦争や靖国をあれこれいうのは内政干渉、というのは日本側の勝手な言い分、「まだ61年」という記憶から日本の自衛隊海外派兵や改憲を危惧する近隣諸国民の視角を、「反日教育のせい」と片づけるわけにはいきません。こんな時は、丸山真男を想起しましょう。丸山はこれを、「日本の思考における自然的時間の優位」とまとめています。
「自然的時間と歴史的時間。後者の前者への解消の傾向が日本の『事実主義・感覚主義』の伝統のなかには根強くある。自然的時間は『機械的』に進行する。一時間、一年、百年の長さはかわらない。歴史的時間は『意味』を与えられた時間だから、昔の百年は現代の一年に、あるいは一週間に相当することがありうる。(世代のちぢまりを見よ!)『時代区分』というのは、自然的時間に内在する区分ではなくて、われわれが自然的時間に意味賦与することによって設定した区分だ。歴史記述が現代からの歴史であり、また歴史が時代とともに書きかえられるということは、まさに人間による新たな意味賦与を前提としてはじめて理解される。『歴史は繰返す』という命題も、もし、歴史がたんなる自然的時間の過去を意味するならばナンセンスであろう。歴史からわれわれが『学』びうるのは、現代から過去の出来事に意味賦与をして、歴史的状況や人物を一定の『典型』にまで抽象化することを通じてである」(丸山『自己内対話』みすず書房、1998年、118頁)。
この丸山的「歴史的時間」からすると、1945年以降の「61年」は、日本側と近隣諸国が、共に「8/15」に新たな意味を賦与してきた過程でした。2006年8月15日の小泉首相による靖国神社参拝は、過去の戦争という歴史的時間に新たな重要な意味を賦与し、日本政府の歴史認識が改めて問われる行為となります。つい最近の日本経済新聞のスクープ、昭和天皇の「靖国メモ」でA級戦犯合祀が改めてクローズアップされたり、自民党総裁選挙で安倍官房長官が独走態勢に入ったことも、その意味に加重されます。もっと大きなかたちでは、8月13日/15日の読売新聞は、一年間にわたって連載した戦争責任の追究を締めくくるにあたって、これまで「太平洋戦争」「日中戦争」「アジア・太平洋戦争」「15年戦争」などとよばれてきた日本の戦争を「昭和戦争」と名付けようと提唱しました。連載の全体もそうでしたが、読売新聞社が、満州事変から原爆・ソ連参戦まで軍・政治の具体的指導者名まで挙げて、今日の時点で自主的に昭和期の戦争を真摯に総括し戦争責任を問おうという姿勢は評価できます。しかしこれを「昭和戦争」と「時代区分」することによって、昭和天皇の戦争責任を曖昧にしたり、1945年以前の歴史と戦後の高度成長・経済大国化を一続きのものとして「意味賦与」することには、疑問を持ちます。何より戦争は、日本の対外政策・侵略に関わるものでした。最近岩波講座全8巻の呼称ともなった「アジア・太平洋戦争」には、「大東亜戦争」という戦時呼称を排すると共に、「太平洋戦争」に孕まれる「日米戦争」中心史観を排して日本のアジア侵略を反省する姿勢が「意味賦与」されていましたが、「昭和戦争」の場合は、そうしたニュアンスが含まれず、元号にもとづく「ナショナルな時間」を「歴史的時間」に持ち込むことによって、「61年間」の国内外での歴史的省察の成果を白紙に戻し、外国語に翻訳不可能な戦争呼称になるのではないかと危惧されます。もっとも近隣諸国民衆は、私たちが「昭和戦争」と呼ぶことによって、昭和天皇の戦争責任と日本の天皇制の問題を、改めて提起するかもしれませんが。
日本の「戦後61年」に比べれば、ロシアの「ソ連崩壊15年」、ベトナムの「解放31年」は、「まだ○○年」に属するでしょう。この2週間は、ロシアとベトナムを旅してきました。前回更新で述べたように、国際歴史探偵の延長でのボランティア活動で、本サイト現代史研究の中にある、元アメリカ西海岸日本人移民労働運動指導者でスターリン粛清の日本人犠牲者「ササキことケンモツ=健物貞一」のロシア残留遺児アラン・ササキさんを、健物家ご遺族と共に訪ねる旅でした。アランさん一家と会ったニジニ・ノヴゴルドは、ロシア第4の大都市とはいえ、モスクワから鉄道で5時間かかります。作家マキシム・ゴーリキーの生まれ故郷で、旧ソ連の1932ー90年は「ゴーリキー市」という名前で、外国人立入禁止の秘密都市でした。またソ連水爆の父だったサファロフ博士が、民主平和活動家に転じて後、モスクワでの活動を禁じられて「島流し」にされていた町です。ニジニ・ノヴゴルドには、モスクワでは15年前に引きづり下ろされたレーニン像が健在で、「ソ連」の雰囲気もあちこちに残っていました。旅に持っていった2004年ピューリッツアー賞受賞作の邦訳、アン・アプルボーム『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』(白水社)には、晩年のゴーリキーがスターリン粛清合理化宣伝隊に動員された記録が出てきます。しかしニジニ・ノヴゴルドのゴーリキーは、「どん底」の舞台となったクレムリン=要塞城壁下の貧民街を描いたヒューマンな作家でした。何よりアランさんと健物家ご遺族の再会(写真)が感動的でした。日本人の顔をもちながら日本語がわからないアランさんと、ロシア語のわからないご遺族とを、日本から一緒に行ったロシア研究者と現地で日本語を学ぶ若い通訳が懸命に引き合わせました。健物貞一のもう一人の遺児、アランさんの妹ジェニーが、健物貞一の1938年4月逮捕後すぐに両親と生き別れになり死亡したこと、健物貞一の妻だった朝鮮人革命家リ・ボヒャさんは健物逮捕時ウクライナの原野に追放され、苦難の人生を送ったことも分かりました。モスクワでは、アランさんと健物家の出会いのきっかけを作った須藤政尾遺児ミハイル須藤さんと、同じような苦難を味わった山本正美遺児ヴィクトリア山本さんと、健物貞一ご遺族・アラン家の、在露日本人残留遺児3家族の出会いの場もありました。須藤政尾が処刑されたブトヴォの森を再訪し、すっかり綺麗になった正教会の司教に歓迎され、1998年の前回訪問後、須藤政尾以外に8人の日本人がブトヴォで処刑されたらしいのでその足跡を調べてほしいと、大部のロシア語資料(受刑者リスト)を受けとりました。これらの解析が、新たな仕事になります。ミハイル須藤さんは、地質学者のかたわら、その後も日本語の勉強と民間の日本語学校を続け、ちょうど「子供のための日本語」というロシア語の本を出したばかりでした。現地の日本人ジャーナリストとも交流し、新興石油大国ロシアの最新事情も仕入れることができました。かつての常宿、クレムリン前のインツーリスト・ホテルが解体され、ホテル・モスクワもホテル・ロシアも建て直されていたのが寂しく、日本食ブームと物価が高くなったのには驚きましたが。
「解放31年」のベトナムと、ホーチミンから帰国時の成田空港厳戒態勢については、次回また書きましょう。「ホンダ」が普通名詞になったホーチミン市のバイクの喧噪と、低賃金若年労働の豊富なベトナムに、日系・韓国系企業が中国から生産拠点を移しつつあるのが印象的でした。1943-44年期のドイツ留学中に連合軍と連絡を取っていたという日本人経済学者「崎村茂樹」については、前回紹介した英語版『タイム』誌1944年6月5日号記事を入手し、ある程度分かってきましたが、まだまだ情報が足りません。第二次世界大戦中ベルリンにおいて鉄鋼の研究をしていた崎村茂樹は、『タイム』誌によると、(1)崎村茂樹は30歳で東大講師になるほどの優秀且つ努力家のマルクス主義系の経済学者だった、(2)ドイツの重要産業をくまなく調査しているうちに、ドイツ経済はナチスが言うほど、また、日本が信じているほど強くない事を信ずるようになった、(3)オランダ人女性と結婚、結婚生活は幸福であったが、妻を親元に帰し、自分は1943年にスエーデンに亡命、スエーデン学者亡命基金より援助を受けて生活していた。これを英紙がすっぱ抜いた。英国の新聞に毎日目を通していたポルトガルの陸軍武官室は、1944年5月2日、ベルリンの武官室に打電した。「英国紙によるとドイツの鉄鋼統制官崎村は、ストックホルムで敵に走った」。(4)ナチスに近い大島駐独大使は、ドイツの秘密警察に対し、崎村のベルリンへの連れ戻しを依頼した。ドイツ政府は、1944年に彼の友人25人を人質として抑留、ストックホルムには10名の友人を送り帰国するよう説得させた。また、妻にも圧力をかけ、日本人の役人4名がストックホルムに出かけ彼を拘束、1944年5月23日にベルリンに連れ戻した。戦後はモスクワ経由で日本に帰国し、東大農学部に戻ったらしい。著作としては、東大『経済学論集』第8巻4号(1938年4月)にフリッツ・ノイマルク『經濟政策の新しきイデオロギー』の紹介を書いたり、自由主義者ハイエクに早くから注目して「ハイエ−クの景気理論と利子説――最近の新学説(1)(2)(3)」( 『 ダイヤモンド』VoL.25No.11,1937-4-11日号、Vol.25No.12,1937-4-21日号)を書き、 崎村茂樹, 京野正樹, 神谷慶治著 「農村人口移動の階級性とその社會經濟的諸要因 : 福井縣下農村調査中間報告 (『農業經濟研究 』第13 巻第4號 、1937.12)、「北支農村経済の諸問題」(国際経済学会編『北支経済開発の根本問題』刀江書院、1938)、「北満における小作形態の考察」(近藤康男他編『佐藤寛治博士還暦記念農業経済学論集』日本評論社、1940)、等の論文、ヨハネス・ラウレス・崎村茂樹訳『スコラ学派の貨幣論』(有斐閣、1937)という訳書もあるようです。1940-44年の在独時代については、桑木努『大戦下の欧州留学生活』(中公新書、1981)の66頁に、1941年3月の第3回日独学徒会議に「崎村茂樹(経済学者)」と一緒に参加したという記述があり、崎村は「満州国建設と五族共和」という報告をしたようです。ただし同書の43-45年期には崎村はでてきません。そして、現在国会図書館データベースに出てくるのは、フリードリッヒス・ゴーセンス著・崎村茂樹訳『アメリカにおける利潤分配の実際、西ドイツの訪米視察団報告書』(日本生産性本部、1957)のみ。1945-56年期と1957年以降のことがよくわかりません。1956年4月から1962年3月まで拓殖大学に勤務したらしく、『拓殖大学論集』に、「通貨交換性と貿易自由化」(12号、1956/12)、「経営パートナーシャフトについて」(15号、1957/12)、「特許ライセンス研究序説、アメリカの反トラスト法との関連において」(25号、1960/10)を書いています。何かご存じの方は、 katote@ff.iij4u.or.jp にぜひご一報を。
『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。このモンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」が、『 労働運動研究』復刊第14号(2006年8月)に、旅行記の方は、『情況』8月号に転載されています。書物になる際に全面改稿する予定の草稿ですから、どしどしご意見を。論文集の新論文は私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売中です。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその簡易版。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになります。
有田芳生さんは、6月に「今夜はほろ酔い」をいったん停止しましたが、8月から日誌「有田芳生の『酔醒漫録』」を、ブログで再開したようです。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録してひとまず完結しましたが、宮内さんからは別稿の投稿もあり、現在審査中です。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は、リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共に。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、エッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップしてあります。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、8月1日号の小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)と大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)を、「反日朝鮮貴族も音楽会の異端児も生んだ近代日本の貴族社会」としてアップしました。7月4日号 の、佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をとりあげた「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、等と共にご笑覧を。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介されました。
2006.7.30 いつもより早めの更新ですが、今日はこれから成田空港で、ロシア、ベトナムをまわってきます。公務ではありません。国際歴史探偵の延長でのボランティア活動。本サイト現代史研究の中にある、元アメリカ西海岸日本人移民労働運動指導者でスターリン粛清の日本人犠牲者「ササキことケンモツ=健物貞一」のロシア残留遺児アランさんに、健物家ご遺族と共に、お会いする旅です。モスクワでもサンクトペテルブルグでもなく、ニジニ・ノヴゴルドという、モスクワからシベリア鉄道で6時間以上かかる町に向かいます。作家マキシム・ゴーリキーの生まれ故郷で、旧ソ連の1932ー90年は「ゴーリキー市」という名前で、外国人立入禁止の秘密都市だったとか。2歳の時に父健物貞一も朝鮮人革命家の母リ・ボビャさんも「スパイ」の名目で逮捕さえ、孤児院に送られたアランさんが、「ササキ」という父の名前が健物貞一の党名であることを65年間分からぬまま育った町です。2002年にアランさんは来日して、日本のご親族と対面しましたが、今度は、ご親族がロシアのアランさんを訪ねる旅。おみやげになるかもしれないと、国立公文書館のアジア歴史資料センターで「健物貞一」を検索したら、なんと、今まで見ていなかった外務省文書が2点出てきました。昭和6年1月17日付けの「在米邦人共産主義者送還裁判ニ関スル件」という堀田欧米局長名の文書で、アランさんにとっては、かけがえのない亡父についての情報です。モスクワでは、アランさんと同じ様な境遇で育った在露日本人残留遺児、ミハイル須藤さん、ヴィクトリア山本さんとも、久しぶりで再会する予定です。そういえば、日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』のモスクワ支局は閉鎖されるとか。一つの時代の終わりです。
とはいっても、今年は東京ではまだ梅雨があけない異常気象、全国で記録的豪雨があり、多くの水害被害が出ました。異常は地球的規模です。かつて健物貞一の活躍したアメリカ・カリフォルニアは、連日40度以上の猛暑、熱波で141人死亡とか。フランス、スペイン等南欧も猛暑で、地球全体が何か病んでいる夏です。逆の異常もあります。モスクワからさっき届いたメールでは、どうやら8月上旬は、日中でも15度という寒さとか。避暑どころではありません。あわてて上着を持っていくことにしました。日本も豪雨だけではありません。大菩薩峠の高山植物の全滅や、八重山の砂浜の浸食も、報告されています。そんななかで、LOHAS=ロハス(Lifestyle Of Health and Sustainability)というライフスタイルが流行るのは、近代工業化の中で「健康」「清潔」観念が生まれて関連商品が市場になり、「ダイエット」や「ジョギング」が流行ってサプリメント食品や靴の多品種少量化が進んだ延長の「超近代=ハイパー・モダン」でしょうか、それともナチュラルな「多様性」「差異」に生きがいを見出した「ポスト・モダン」の身体化でしょうか。もっとも、ロハスなど先進国中間階級の贅沢といわれてみれば、それまでです。夏休みは、地球的・日本的格差構造を観察する、絶好の機会です。
先の90万ヒット御礼の臨時更新のさい、「崎村茂樹」についての情報提供を求めたところ、早速読者の方から連絡がありました。かつて『タイム』誌で記事になったことがある、というもの。早速調べるとその通りで、「国際歴史探偵」におけるインターネットの威力を、改めて納得。もともと「健物貞一」のご遺族も、本サイトでよびかけ、アランさんと65年ぶりで結びついたもので、今回の旅にとっては、格別の感慨です。「日瑞関係のページ」によって、これまでの「崎村茂樹」情報を改めてまとめると、第二次世界大戦中、元東京帝国大学農学部講師でベルリンにおいて鉄鋼の研究をしていた崎村茂樹は、中立国スエーデンで自ら連合国側と接触した。英国の新聞に毎日目を通していたポルトガルの陸軍武官室は、1944年5月2日、ベルリンの武官室に打電した。「英国紙によるとドイツの鉄鋼統制官崎村は、ストックホルムで敵に走った。関係する書類に対して、早急で徹底した対応をとられたし。」ナチスに近い大島駐独大使は、ドイツの秘密警察に対し、崎村のベルリンへの連れ戻しを依頼した。早速効果が現れた。5月24日、今度はスエーデンの駐在陸軍武官がポルトガルに向け「崎村とゲシュタポと(日本)外務省の間で合意に達した。崎村の過去は問わず、再び鉄鋼統制官に戻ることとなった。5月23日にベルリンに戻った。崎村の性格からしてそちらからもかれを励ます手紙を書くことは良い考えでしょう」と書き送った、とのこと。
経済学者としての崎村茂樹は、東大『経済学論集』第8巻4号(1938年4月)に、フリッツ・ノイマルク『經濟政策の新しきイデオロギー』の紹介を書いたり、自由主義者ハイエクに早くから注目し、「ハイエ−クの景気理論と利子説――最近の新学説(1)(2)(3)」( 『 ダイヤモンド』VoL.25No.11,1937-4-11日号、Vol.25No.12,1937-4-21日号)を書いていました。「農村人口移動の階級性とその社會經濟的諸要因 : 福井縣下農村調査中間報告 / 崎村茂樹, 京野正樹, 神谷慶治著 『農業經濟研究 』第13 巻第4號 (1937.12)という論文もあるようです。今回寄せられた読者からの情報、英語版『タイム』誌1944年6月5日号に 「Foreign News Way of a Rebel Monday, Jun 5, 1944 Shigeki Sakimura was one of the submerged, and now forgotten, intellectuals of Japan. As a student he explored the social sciences, brooded over his country's oligarchic economy, dallied with Marxism. At 30, the hardworking, high-strung scholar became a full professor. Two years later, in 1941, his Government sent him to Berlin as Embassy attach, to study German heavy industry. Slight, bespectacled Professor Sakimura poked around the Reich, peered critically into factories pumping out iron, steel, light metals, chemicals and other vitals of war. 」とあり、マルクス主義の洗礼を受けたというのは、おそらく本当でしょう。
ちなみに最近は、ウェブ上の翻訳辞書も、多少は性能が向上し、機械的とはいえ「考える」ようになってきました。上の英文を、excite翻訳辞書に投入すると、たちどころに和訳がでてきました。
nifty翻訳では、
Google翻訳ツールでは、
いずれもこのままではとても使えませんが、なんとなく日本語になってきましたね。上記履歴との関係では、「dallied with Marxism=マルクス主義と戯れた」がどう訳されているかで、exciteの「マルキシズムでふざけました」、niftyの「マルクス主義でぐずぐずしました」は、まあぎりぎりの及第点か。全体ではniftyがましで、Googleが落第です。
「崎村茂樹」については、ドイツ語Franz Mockrauer(1889-1962)文書の中に、1944年頃の「ナチス・ドイツにおける青年の職業教育」という7頁の手稿があるようです。しかし、崎村の戦後についての情報が皆目ありません。何かご存じの方は、 katote@ff.iij4u.or.jp にぜひご一報を。『情況』6月号掲載の論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、8月号が出ましたので、今回アップ。これ実は、つい今週出た最新刊論文集、加藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史――語られざる深層』(白順社、2006)に寄稿した「『党創立記念日』という神話」の続編です。本編の方もぜひどうぞ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。この旅行記が、『情況』8月号に転載されています。モンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」は、近く『労働運動研究』誌にも掲載されますが、書物になる際改稿する草稿ですから、どしどしご意見を。単行本論文集の新論文はもうひとつ、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売されました。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共に、ご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその日本編。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになります。
図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録して、ひとまず完結しました。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は、リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共に。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、エッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップしてあります。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、現在発売中の8月1日号に、小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)と大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)が、「反日朝鮮貴族も音楽会の異端児も生んだ近代日本の貴族社会」として載っています。7月4日号 の、佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をとりあげた「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」等と共にご笑覧を。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介されましたが、教育センターに収めた3月卒業学部ゼミ学生たちの2005年度卒業学士論文に早速反響がありました。
一つはグローバリゼーションとアメリカの関係。イラク戦争ばかりでなく、石油戦略、中南米戦略、京都議定書や国際刑事裁判所を無視するネオコン=ブッシュの単独行動主義が、21世紀の世界秩序に暗雲を投げかけています。ネオコン=ブッシュ型の今日のアメリカを、アメリカ自由主義・民主主義の長い歴史的流れの中で例外とみなすのか、モンロー主義放棄後の帝国主義世界戦略の必然的展開とみなすのかが、一つの争点です。もっともグローバルに見れば、アメリカが孤立主義を採っているのではなく、それなりの同盟国を従えて「世界の警察官」になっていることは明らかです。その最有力パートナーが、イギリスのブレアと日本の小泉純一郎だったことは、周知の事実です。米英日=新三国同盟支配という見方さえあります。それに対して、世界約200か国の基本的流れは、<グローバル・ガバナンス>にはほど遠いにしても、EU25か国をはじめとして、地域統合・国際協調と国際機関・国際法を重視する方向に進んでいます。この観点からすれば、21世紀世界の基本的方向は、ブラジル・ロシア・インド・中国など新興大国の経済発展(経済のブリックス BRICs)をバックに、EU型の経済的・政治的地域統合がアジア・アフリカでもラテンアメリカでも進み、世界及び各地域で覇権国家としてふるまおうとする<アメリカ、イギリス、日本の新三国同盟>を包囲していく構図になります。より正確には、アメリカによるイギリスを通じてのEU・アフリカ攪乱、日本を通じてのアジア介入・支配を、<拡大EU=BRICs=AALA連合>が拒否していくシナリオです。日本にとっては、ありがたくないシミュレーションです。いまひとつ、EU憲法批准の挫折にみられるように、国際組織は規模と権限が大きくなればなるほど調整が難しくなり、結局は国民国家が国益中心の行動に出て、新たな合従連衡の組み合わせが21世紀も続くという見方もあります。この場合、日米同盟も当然永遠ではなく、日本も独自の軍事力や外交姿勢を持つ「普通の国」になるというシナリオです。政治における文化や宗教の役割を重視し、アメリカ一極支配を好ましく思わないアジアやヨーロッパの政治学者には、結構そんな見通しがあるように思われました。日本国憲法第9条の存在は日本研究者以外では知られていませんし、自衛隊が「軍隊でない」などと思っている学者もほとんどいません。当然現在の日本は親米イラク派兵国と見られています。皮肉なことに、世界の協調的平和を求める勢力の方から、日本の核開発の可能性や独自の安全保障構想について聞かれることも、少なくありません。
そんななかで、かすかな希望は、今年の世界政治学会ではジェンダー関係の分科会が多数設けられ、日本ではまだ珍しい女性の政治学者たちが世界中から集まって討論し、特にNGOや環境政治などの分科会で主導的役割を果たしていたことです。NGOの政治的役割についての分科会を覗いたら、現存NGOの利益集団化や官僚主義的運営についての批判と共に、世界社会フォーラム(WSF)の意義や地球市民のネットワーク型連合の可能性についての議論も行われていました。参加者の過半数は、発展途上国の女性政治学者たちでした。残念なことに、日本人の出席者は私と武者小路公秀さんくらいで、日本の女性政治学者の代表は「小泉チュルドレン」の猪口邦子少子化・男女共同参画担当大臣ということにされていましたが。この第3のシナリオ、地球市民的平和へのアメリカや日本の市民の合流の道は、まだまだ険しいようです。情報政治関係の分科会も多かったのですが、私は第32回全国政治研究会の仕事もあり、あまり参加できませんでした。そんな中で、あるアメリカ人政治学者の、「ハードニュースからソフトニュースへ」という報告が、気になりました。メディアの基本的任務であるニュース報道において、アメリカでは、政治的事実を端的に伝える「ハードニュース」よりも、キャスターやコメンテーターにより加工され単純化された「ソフトニュース」の政治的役割が大きくなってきた、それは国内政治ばかりでなく、ベトナム戦争から湾岸戦争、9/11以後のアフガン・イラク戦争と増幅されてきた、という調査報告です。日本の「ワイドショー政治」「小泉劇場」でも見られる流れですから、対岸の火事ではありません。いうまでもなく「ソフトニュース」の方が、詳しい報道・解説ができる新聞よりもテレビのワイドショーの方が、情報操作されやすいのです。インターネット上の本ネチズンカレッジや、五十嵐仁さん「転成仁語」、勝谷誠彦さんの「××な日々」、ライブドア事件以来脚光を浴びるブログ「きっこの日記」も「ソフトニュース」の新ジャンルでしょう。「ハードニュース」の復権のために、一言しておきましょう。「戦後60年」を迎えて大手新聞社の進めている見開き2ページの現代史特集記事には、なかなか読ませるものが多いです。読売・朝日・毎日各社とも、取材に時間と労力をかけて、記者の署名入りで丁寧に歴史を検証しています。惜しむらくは、ネット上の新聞サイトでは、これら特集記事がデータベース化されず、後に書物のかたちでまとめられるケースが多いことです。インターネット上での新聞ニュース報道=「ハードニュース」は、どんな特ダネでも、どうせグーグルニュースやヤフーニュースからアクセスされ、各社比較されてつまみぐいされるのですから、自社の特色を出したいなら、むしろ取材力を示す特集ニュース報道こそ、インターネット上に掲げるべきではないでしょうか。前回述べたように、有田芳生さんの「今夜はほろ酔い」『酔醒漫録』は予告通り凍結されましたが、ネット上の「老人パワー」の代表だった吉田悟郎さん「ブナ林便り」が、6月20日の入院通知以後更新されていないのが気になります。一日も早いご回復・復帰を願っています。
モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にしてあります。7月7日七夕の夜に「平和への結集をめざす市民の風」等がよびかけた「今こそ市民の風を! 2007年参院選・平和の共同候補を求めて」というシンポジウムは、950人の参加で盛会でした。モンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」は、近く『労働運動研究』誌にも掲載されますが、書物になる際改稿する草稿ですから、どしどしご意見を。『情況』6月号論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、雑誌次号発売後にアップ。単行本論文集の新論文がまた一つ、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売されました。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共にご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその日本編。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになります。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を収録して、ひとまず完結しました。別の方から新規投稿があり、現在審査中です。皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は、リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共に。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、エッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップしてあります。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、現在発売中の7月4日号 の、佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)を、「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」と題して発表、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」等と共にご笑覧を。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介されましたが、教育センターに収めた3月卒業学部ゼミ学生たちの2005年度卒業学士論文に早速反響がありました。
今からちょうど40年前の1966年6月29日に、日本社会に一つの台風が吹き荒れました。高度経済成長後期に入った日本への、ビートルズ旋風の襲来です。当時の指導層にとって、ビートルズは「日本文化」の敵、いや、64年東京オリンピックでようやく実感できた「ジャパメリカ文化」の攪乱者でした。「ビートルズ来日」と、Googleに入れると20万件、「ビートルズ来日のウラ舞台」という面白い記録が出てきます。ビートルズへのギャラ. 54,000,000. 入場料収入. 100,300,000. 航空券. 5,500,000. プログラム販売利益. 8,600,000. ホテル代. 3,600,000. テレビ放映権料. 4,000,000. ガードマン・アルバイト. 6,200,000. 保険料. 2,000,000. 会場使用料(武道館)12,700,000、超過手荷物運賃3,000,000、入場税10,300,000、公演チケット5万枚という当時の損益計算書も面白いが、5月24日、当時読売新聞社主で日本武道館館長でもあった正力松太郎が、「ペートルなんとかというのは一体何者だ? そんな連中に武道館を使わせてたまるか」と発言。読売新聞は紙面で公演日程を告知、武道館借用、チケットやポスター印刷もすでに終了していた。読売新聞社は主催者でありながら、社主は日本武道の聖地がビートルズ音楽で「汚される」のを忌諱したらしい。「日本の武道の伝統を損なうとして、日本武道館のコンサート使用について散々もめた」。6月19日、警視庁少年課は「大阪から家出してきた少年2人を、東京駅で保護した。彼らは日本公演の切符は手に入らなかったが、東京に行けば顔だけでも見られると思い、家出してきたという」。同日、警視庁は「ビートルズ対策会議を開き、来日公演に際し機動隊を含めたのべ3万5千人を動員することを決めた」。同23日、「警視庁は、暴走ファンの早期補導を主目的に少年補導を行い、非行少年683人を補導」、翌24日「佐藤栄作首相は内閣支持率が低迷していることを受けて、『ビートルズの警備で頭が痛』」と閣僚発言し、はぐらかす。同28日「大分地区高校指導連合会は『ビートルズ公演見物は教育効果なし』という理由から、生徒に公演を見に行かせない方針を決め、公演期間中、欠席した生徒に対して欠席理由を調べることにした」。事実、ビートルズにあこがれる長髪の若者は「不良」とみなされ、多くの高校生がビートルズ公演に出かけて「停学処分」を受けた。すでにベトナム戦争は始まっていた。29日の来日記者会見でジョン・レノンは答えた。「関心はもっている。戦争はいけないことだ。しかし我々はこれに反対しても、なにもすることが出来ないのである。」と答えたという。本当だろうか? 9・11後の非戦歌「イマジン」が作られるのは、その5年後でした。6月30日第一回公演、7月1日第二・三回公演。前日の公演を見た作家北杜夫氏の感想が東京中日新聞に掲載された。「ビートルズの姿が現れるや、悲鳴に似た絶叫が館内を満たした。それは鼓膜をつんざくばかりの鋭い騒音で、私はいかなる精神病院の中でもこのような声を聞いたことがない」同日昼の第二回公演は日本テレビで放映、視聴率60%。夜の第3回公演の様子は、「街頭テレビで放映された。新橋で200人、上野で80人が集まった」。7月3日離日、来日期間103時間中に「動員された警官は述べ8370人。また補導された青少年は6520人。」当時の「大事件」、団塊世代の青春の原点だった。
ビートルズの出現は、革命的でした。それ以前の日本に流れていたのは、エルビス・プレスリーの甘い歌声、少年小泉純一郎の青春の原点です。「GIブルース」とか「ブルーハワイ」とか、世界に配備されたアメリカ軍を舞台にしたラブソング、ジーアイ(GI)とはgoverment issue(官給品)の略。アメリカ軍兵士の俗称で、いまなら「癒し系」の、ピカピカのアメリカン・モードでした。ビートルズは、プレスリーのロックンロールに学んでプレスリーを乗り越え、甘い蜜月ムードを爆発的に脱構築して、世界の若者を魅了したのです。20年前にアメリカの酒場で、南部出身の知識人とベトナム戦争の意味を激論した時、和解の糸口になったのがビートルズでした。10年前のインド滞在中に、下宿先のラジさんと意気投合したのも、ビートルズでした。ビートルズは、昔も今も世界共通語です。対するプレスリーは、Voice of Americaでした。今ならGoogle日本語サイトで、ビートルズ259万件対プレスリー77万件、40年後の歴史的評価ははっきりしています。ところが日本の小泉首相の最後のアメリカ詣での行き先は、ジョン・レノンがテロ の凶刃に倒れたニューヨークのダコダ・ハウスではなく、メンフィスのグレースランド、ピンクのキャデラックを愛用したプレスリーの聖地でした。それも、21世紀の金ピカ・アメリカン、ブッシュ・ジュニア大統領と専用機エアフォースワンに乗っての「ラブミーテンダー」詣で、日米首脳会談では「地球規模の日米同盟」を歌い上げ、沖縄も岩国も拉致問題も持ち出さずに中国批判、牛肉輸入を再開したうえで締めは「ハウンド・ドッグ」。これ実は、プレスリーの歌った「女たらし」の俗語であると共に、その歌にちなんだ米軍大型空対地ミサイル AGM-28 Hound Dogの名前です。陸上自衛隊撤退はようやく決まりましたが、航空自衛隊は米空軍にいっそう強く結びつき、危険地バグダッドへの空輸に加わります。9.11以後の日本は、ビートルズとジョン・レノンの拓いた新時代の流れに乗り遅れ、靖国神社に参拝しながらプレスリーを口ずさむ奇人・変人に引っ張られて<DEN=ドル+円>とグローバル米軍再編の中核に迷い込み、GI=VOA国家化しました。もっともGIは、いかに星条旗に忠誠を誓っても、所詮はアメリカの世界戦略で動くコマにすぎませんが。EUやBRICsの台頭する世界に5年分乗り遅れ、横田めぐみさんの運命も定かでないまま、第二幕を迎えようとしています。その奇人GI=VOA首相の信頼厚かった福井日銀総裁のマネーゲームも、「村上ファンド」への1000万円で1473万円の利益のうえに、外貨預金12万ドル(1400万円)。ドミニカ移民の「身捨つるほどの祖国はありや 」の叫びは門前払いしながら、この国は141万人の「億万長者」=世界富裕層と、その他大勢の「下流社会」へと、分裂を深めています。あのライブドア・サイトで、自分の「下流社会度」チェックを!
政治学関係の皆様には、7月世界政治学会(IPSA)福岡大会、日本政治学会(JPSA)に合わせて開かれる、7月12日(水)午後、第32回全国政治研究会(九州大学法学部)の案内をアップ。モンゴルでの国際会議「ノモンハン事件とゾルゲ事件」の模様と私の報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」への反響は、新進メディア・ネット「ちきゅう座」サイトに、<モンゴルで「小国」の自立の知恵を考える>という旅行記にして寄稿しました。そこにも出ていますが、7月7日七夕の夜に、東京の日本教育会館で、ささやかな護憲・活憲・知憲派市民たちの集いについて再掲。「平和への結集をめざす市民の風」という、私も441人のよびかけ・賛同人の一人になっている市民ネットワークの、「今こそ市民の風を! 2007年参院選・平和の共同候補を求めて」というシンポジウムです。今日の「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」を考えれば、来年の国政選挙では、何とか議席の3分の1を改憲反対派で占めなければならないのに、共産党・社民党・新社会党のような「小さきもの」たちは、独力では改憲阻止はおろか、議席確保にもほど遠い状態です。でも、モンゴル国が自立の模索の中で「非核地位」を世界に認めさせたように、沖縄の糸数慶子さんが2004年参院選で全野党共闘で当選できたように、「従来のようにバラバラに選挙に挑むならば、改憲の流れを堰き止めることはできませ ん。この危機的な状況を何としても乗り越える知恵と方法の結集が求められます。今、各界やメディアでも、9条改憲反対の平和の共同・選挙協力を求める声が高まっています。政党の事情や、様々な問題があることは承知しておりますが、平和憲法を守りぬくことをあらゆることに優先させてこの難関を切り抜けましょう。今こそ、平 和を愛する広範な人々が手をつなぐべきではないでしょうか」という、しごくもっともな問題を話し合い、実現させようという会です。第1部:「平和共同候補実現のために何が必要か」――上原公子、川田悦子、斉藤貴男、佐高信、湯川れい子、第2部:講談『井戸掘り五平』――神田香織、政党関係参加者紹介、第3部:「平和への結集のために――地域からの発言など」と、すでにプログラムも発表されています。よびかけ人には、さまざまな分野のさまざまな人々が名を連ねていますが、インターネットで、だれでも簡単に、賛同・入会フォームから入会できます。
モンゴル国際シンポジウム報告「国際情報戦の中のゾルゲ=尾崎秀実グループ」は、近く『労働運動研究』誌にも掲載されますが、書物になる際改稿する草稿ですから、どしどしご意見を。『情況』6月号論文「国家権力と情報戦――『党創立記念日』の神話学」は、雑誌次号発売後にアップ。単行本論文集の新論文がまた一つ、私なりの「短い20世紀」世界史の総括である「戦争と革命ーーロシア、中国、ベトナムの革命と日本」が『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第8巻『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』に収録され、発売されました。姉妹論文「体制変革と情報戦――社会民主党宣言から象徴天皇制まで」(岩波講座『「帝国」日本の学知』第4巻『メディアのなかの「帝国」』岩波書店、2006年)と共にご笑覧を。講演原稿「社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ」(『葦牙』第31号、2005年7月)はその日本編。日韓シンポ報告「21世紀に日韓現代史を考える若干の問題――1942年の米国OSSから2004年の東アジアOSSへ」が『第7回日韓歴史共同研究シンポジウム報告』の内容を下敷きに『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書)の延長上で史資料的に実証密度を高め、20世紀日本社会運動史全体の抜本的見直しを問題提起したものです。英語のRoutledge社の"Japanese-German Relations, 1895-1945 War, Diplomacy and Public Opinion" (Edited by: Christian W. Spang, Rolf-Harald Wippich )という最新論文集に寄稿した、Kato Tetsuro (Hitotsubashi University/ Tokyo):Personal Contacts in German--Japanese Cultural Relations during the 1920s and Early 1930s は、秋には日本語でもっと詳しい論文のかたちで読めるようになります。図書館内「ネチズンカレッジ:学術論文データベース」には、新年第1弾の周初「台湾における市民社会の形成と民主化」(日本語版監修・淵邊朋広)と私の解説論文「日本における『市民社会』概念の受容と展開」の後、社会人の宮内広利さんの寄稿が長大論文シリーズで入っており、宮内広利「マルクス<学>の解体」、宮内広利「アジアから吹く風とレーニン」、宮内広利「革命の遊牧民 トロツキー」に、宮内広利「地上の天国に一番近づいたとき――パリ・コミューン考」、宮内広利「世界史としてのフランス革命」と続いてきました。その宮内広利さんの寄稿は、これら長大論文を書く契機になった宮内さんの「記憶の社会史〜全共闘運動とは何だったのか」を今回収録して、ひとまず完結です! ご寄稿、ありがとうございました。 皆様もご寄稿ありましたら、katote@ff.iij4u.or.jp 宛てWord Fileかpdfファイルでお送り下さい。日本民主法律家協会『法と民主主義』1月号特集に寄せた「護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性」という短文は、リンク集「護憲・活憲・知憲・論憲・加憲・創憲・改憲」と共に。勤務先の一橋大学広報誌『HQ』第10号(2006年2月)に、アントニオ・ネグリにならって、エッセイ「群れるマルチチュード」を書いたので、図書館「特別室2」に、エッセイ「中国・韓国頼みでは憲法は守れない(2005.12) 」と並べてアップしてあります。
図書館の『エコノミスト』誌連載書評「歴史書の棚」には、現在発売中の7月4日号に、佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)と長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)をパックし、「地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦」と題して発表、6月6日特大号の藤井忠俊『黒い霧は晴れたか』(窓社)と佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)を並べた「松本清張『日本の黒い霧』をめぐる現代史像の攻防」、5月2日号の梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)とA・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス)の「グーグル型民主主義はマルチチュードへの道」、4月4日特大号の立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋)および歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社)の「天皇制も大学・学問も本当に変わったのか?」、3月7日号の鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書)と竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)を扱った「闇市も戦後民主主義も語り部が必要になった」等と共にご笑覧を。朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに入る』で、一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学」のゼミ単位東日本代表に選ばれ「堅実・純粋な感性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナールとして紹介されましたが、教育センターに収めた3月卒業学部ゼミ学生たちの2005年度卒業学士論文に早速反響がありました。