ここには、<What's New>で定期的にトップに現れた、本ホームページの作成過程、試行版への反響、更新の苦労話、メールへのご返事、ちょっといい話、外国旅行記・滞在記などが、日誌風につづられます。趣味的なリンクガイドも兼ねます。ま、くつろぎのエッセイ集であり、対話のページであり、独白録です。日付けは下の方が古いので、逆読みしてください。
2001.6.22 本HPは、18万ヒットを記録しました。ご愛顧ありがとうございます。もっとも「小泉内閣メールマガジン」の方は、第2号で180万部とか。創刊号に対して返信した、内閣広報室「メルマガ」費用1億円の明細開示を求めたメールへの返事はありません。官報代わりに垂れ流しするつもりでしょうか? その辺の問題は、発売中の『週刊 エコノミスト』(6月26日号)に「ネットデモクラシー」論として寄稿しましたので、ご笑覧を! 18万ヒット記念に、リンク集「ネチズンカレッジ情報処理センター」をマイナーチェンジ。ついでに図書館に、『週刊 エコノミスト』誌連載「歴史書の棚」のコーナーを設け、アンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』と網野善彦『歴史を考えるヒント』の書評をアップしました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
2001.6.15 前回とりあげた「小泉内閣メールマガジン」、昨14日配信の創刊号は、なんと130万人を超える登録があったとか。私は9日に登録したので、14日早朝に受けとりました。日本における本格的なインターネット政治の始まりとなる、潜在的可能性を秘めています。私も新聞インタビューにかり出され、毎日新聞紙上で、ちょっとしたコメント。曰く「政府が、茶の間や会社のデスク上のパソコンにメッセージを運んでくることについては識者の間にも賛否両論がある。
政治とインターネットの関係に詳しい加藤哲郎一橋大教授(政治学)は『高い支持率を背景に世論操作に利用される危険性は否定できないが、メルマガは双方向性だ。日本の「ネチズン(ネット市民の意味)」が政治的に成長する好機にするのが望ましい』と評価する。一方、桂敬一東京情報大教授(マスメディア産業論)は『首相の私的部分が多いなら、ワイマール末期、ヒトラーの時代のゲッペルスと同じだ』と首相、閣僚の個人PRに使うことには批判的だ。また、服部孝章立教大教授(メディア法)は『小泉氏の「1人の政治家」という面と、公職である「首相」という面が明確に区別されていないのが問題』と、疑問を示している」という文脈で、唯一の積極論者にまつりあげられました。もっともこの種のインタビューでは、話したことのごくごく一部が引かれるのが常識。このコメントも、前回本HP更新のさい、<小泉ポピュリスト政権に、「観客民主主義」を超えて、ネチズンはどう対処すべきでしょうか?>と皆さんに問いかけ、<「小泉メルマガ」に「私たちネチズンは、登録すべきでしょうか、無視すべきでしょうか? ……「拍手喝采」の新材料になるのは必至ですが、私は、登録した方がいいと考えます。……小泉首相本人が読むかどうかはともかく、インターネット世論にも敏感に反応する可能性があるからです。世論に敏感なポピュリズムの弱点は、世論の変化・支持率落ち込みです。それなら思い切って、ネチズン世論をつくりましょう>と述べていた、その結論部分のみが、要約して使われたものです。
もっとも電話をかけてきた首相官邸詰め記者は、「ネチズンというのは先生の造語ですか?」と聞いてきましたから、相当のIT音痴。確かにまだ『広辞苑』には入っていませんが、いうまでもなく"Netizen"とは"network citizen"の合成略語。英語版Yahooで検索すれば、"Netizens: On the History and Impact of the Net"というネットブック他27のサイトが出てきます。日本語版ヤフーで検索できるサイト名としては本HPだけですが、内容に立ち入ってInfoseekにかければ1181件も出てきて、『パソコン知ったか辞典』では「ネット上のシチズン(市民)という意味の造語。インターネットを使っていると、世界中の人の意見や情報が飛び交っていることを実感できる。同じ地域に住んでいるとか、同じ会社の仲間とか、同じ学校の友達といった枠を超えて、コンピューターネットワークの中に存在する自分とか、現実とは別のネット上の社会を理解できると思う。このように、インターネットに代表されるコンピューターネットワークの世界の住民を『ネチズン』といっている。そして、ネチズンが守るべきマナーとしてネチケットがある」とオーソドックスに解説され、市民権を得ています。『e-Word』なら、「『network citizen』(ネットワーク市民)を短縮した造語で、コンピュータネットワーク内に形成されるコミュニティに対して帰属意識を持ち、主体的に関わっていこうとする人々のこと。アメリカのコロンビア大学から起こったと言われている。コンピュータネットワークを『もう一つの社会』として好意的にとらえる文脈で用いられる言葉であり、国境や立場を超えたネットワーク上での人のつながりが強く意識される。同種の造語としては、ネットワーク上で守るべきマナーを意味する『ネチケット』などがある」と、コロンビア大学起源説まで出てきます。
要するに、首相官邸担当記者が「ネチズン」の語を知らなかったこと自体、日本におけるインターネット政治の遅れと、デジタル・ディバイドの進行を示すものです。福田官房長官は「『小泉メルマガ』百万部は世界一」なんて誇っているようですが、そもそも「メルマガ」そのものが、ブロードバンド導入が遅れて遅くて高価、画像や音声を十分に送れない日本のインターネット事情のもとでの、苦肉の奇形的産物です。ホームページで済むものを、文字中心のメーリングリストで代用しているものです。だから、国際比較はあまり意味がありません。むしろ、政府とネットワーク市民=ネチズンの実質的対話の場としてどのように機能するかこそ、「メルマガ」評価の基準です。6月9日土曜日から登録開始にしたのは、土日に登録する家庭パソコン使用者と平日に登録する会社メール使用者を区別するための世論調査だったという説もありますし、百万人分の登録メールアドレスが自民党に流れたり選挙運動に流用されないかという危惧もあります。内閣広報室はサーバー増強に1億円かけたといわれますが、まさか「官邸機密費」じゃないでしょうね? 私を含む登録ネチズンは、「メルマガ」を監視し、積極的に意見を寄せ、政策提言を含む「対話」を引き出す義務を負った、というべきでしょう。このさい大いに活用しましょう。「落選運動」を考案した韓国のネチズンに負けずに、日本のネチズンの技と心意気を、世界に示してみようではありませんか! この辺のことは、18日発売の『週刊 エコノミスト』(6月26日号)に、活字で「ネットデモクラシー」論として寄稿してあります。ぜひご笑覧を!
「小泉メルマガ」熱烈創刊の余波で、小泉純一郎公認の応援団サイトであった「変革の人」HPが閉鎖したのは、残念です。「小泉人気」の秘密を探る、格好のサンプル・サイトだったのですが。マッド・アマノさんのパロディ・サイト「間違いだらけの政治家選び 週刊蜃気楼」は、もともと森喜朗(=蜃気楼)批判のため開設されましたが、しっかり小泉批判でも健筆をふるっています。加藤紘一「改革の広場」や菅直人「活動日誌」は、「小泉人気」に毒気を抜かれて精彩がありませんが、ジェーナリスト牧太郎さんの「ニ代目日本魁新聞社」、有田芳生さんの「今夜もほろ酔い」と「憂国至情」掲示板、自民党を飛び出した白川勝彦さんのリベラル白川HP、早稲田大学水島朝穂さんの平和憲法のメッセージなどでは、「小泉ポピュリズム」の冷静な分析・批判がみられます。本HPは前回、小泉内閣をイギリス・サッチャー首相登場時の「権威主義的ポピュリズム」(S・ホール)になぞらえましたが、「小泉メルマガ」創刊号では、「官邸機密費」証言で国民を欺きながら、「なごみ癒し系/ 塩爺」とかととぼけて首がつながっている塩川財務相が、「小泉内閣の誕生は、1979年英国でのサッチャー首相出現と酷似した政治ドラマだと思っています。タブーにメスを入れたというのは、ほんまに一刻な小泉純一郎やなぁ、と思います」と開き直っています。それなら、もう少し遡りましょう。田中角栄の「今太閤」とよばれた時期でもいいですが、世論の8割支持に敬意を表して、日本の敗戦直後まで。ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(上下・岩波書店)は、今こそ、特に若い人々に読んでもらいたい、感動の歴史書です。その中に、敗戦直後の日本人の、マッカーサー元帥への手紙の話が出てきます。「あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、この最高司令官を受け容れ、ごく最近まで日本軍の指導者に示してきた敬意と服従を、GHQに向けるようになった」こと、「しかし実際には、人々が勝者を受け容れた理由はじつにさまざまであったし、きわめて個人的な理由によることも多かった」ことが。そして、マッカーサー自身の「改革」とは、絶対平和主義や国民主権・基本的人権とひきかえに、昭和天皇を立憲君主として残すことだったことも。その権力が大きく、その権力者への支持が圧倒的であればあるほど、そこには相矛盾するさまざまな期待と欲望がうごめき、やがて、その多くは裏切られていくことも。ピューリッツアー賞受賞作だからと、野次馬的興味でもいいですから、ぜひ手にとってみてください。
「ポピュリズム」とは、「大衆迎合主義」と解説する新聞記事もみかけますが、もっと能動的です。『広辞苑』に「ポピュリズム(populism) =1930年代以降に中南米で発展した、労働者を基盤とする改良的民族主義的政治運動。アルゼンチンのペロンなどが推進。ポプリスモ」とあるように、ラテン・アメリカ政治について使われる場合が多かったものです。これを1979年、先進国政治に適用して、イギリスにおけるマーガレット・サッチャー政権誕生を「権威主義的ポリュリズム」と特徴づけた理論家がいました。今日では「カルチュラル・スタディーズ」の教祖としてすっかり有名になった、社会学者スチュアート・ホールです。労働党政権下の福祉負担増による「イギリス病」を真正面から攻撃し、「国民の再生」「自由の復権」「個人の責任」「法と秩序」を唱えて政権に就いた「鉄のレディ」サッチャーのポピュリズム的性格を指摘し、その後のアメリカ・レーガン政権や日本の中曽根内閣にも通じる、「西側」先進国政治の構造変化を見通しました。いいかえれば、まだ自由民主主義体制が定着していない国々ではなく、民主主義の長い伝統を持つ国でも「ポピュリズム」がありうることを、メディアや情報文化の研究者であったホールが見いだしたのです。そのさいホールが注目したのは、労働党政権への「しのびよる集産主義」という批判や「自由市場・小さな政府」の新自由主義的言説ばかりではありませんでした。ナチスのゲッペルス風「宣伝」との違いで、「古典的ファシズムとは異なり、大部分の形式的代表制度を維持しながら、同時にまわりに能動的な民衆的合意an active popular consentをつくりあげる」その政治スタイルの新しさでした(加藤『国家論のルネサンス』青木書店、1986年)。サッチャーリズムの専門家、愛知学院大学梅川正美さんHPには、その過程を克明に分析した自著『サッチャーと英国政治』(成文堂)が紹介されています。マッド・アマノさんのパロディ「間違いだらけの政治家選び 週刊蜃気楼」は、マスコミのあおるポピュリズム的心性を脱構築する、ミニコミの反骨精神に溢れています。
梅川氏の研究によれば、サッチャーは、1975年に「寛容と対話」のヒースを破って保守党新党首=「影の内閣」首相に選ばれるにあたって、「信念の政治」を説き、その支持者は少数でも「ヒースを辞任させたい」党内世論に乗って勝利し、「党をハイジャックした」といわれました。「信念」を「改革」に、「国民の再生」を「日本再生」に置き換えれば、小泉純一郎そっくりですね。そういえば、サッチャー政権誕生もゴールデン・ウィーク中でした。「コイズミズム」は、すでに「労働者[や中間層]を基盤とする改良的な民族主義的政治運動」に、一歩を踏み出したのかもしれません。サッチャーのポリュリズムは、79年登場時にみられたばかりでなく、82年フォークランド紛争時に、むしろ頂点に達しました。「内部の敵」旧保守主義・労働党ばかりでなく、「外部の敵」アルゼンチンが現れた時の「愛国主義的決断」が、労働者を含む「国民」の拍手喝采を受けたのです。「観客民主主義」は、排外ナショナリズムと親和的です。「コイズミズム」には、その危険はないでしょうか?
小泉政権が「内部の敵」法務・厚生官僚たちの反対を押し切って、熊本地裁判決への控訴を行わず、ハンセン病患者への率直な謝罪と名誉回復を述べたことには、私も拍手喝采します。内閣総理大臣談話の次の一節などは、ほとんど涙なしには読めません。
「名誉回復」なら、私の専門でもあります。つい先日も、旧ソ連粛清犠牲者である健物貞一の「名誉回復証明書」を「死亡通知書」と共に遺児アランさんから受けとって、岡山在住のご遺族にお送りしたばかりです。1931年にアメリカからソ連に渡って音信不通になってから70年、38年に「日本のスパイ」として不当逮捕され、42年に死亡してから60年後です。このように人権侵害が長期に渡った場合、政府や裁判所が「名誉回復」を決定しても、強制収容所に隔離されつつ生きていた人々には直接効果を持ちますが、それ以前に亡くなった犠牲者、その家族故に迫害・差別されてきた遺族には、「名誉回復」の事実そのものが伝わりません。「名誉回復決定書」が犠牲者の逮捕時・死亡時の住所に届けられても、犠牲者の家族も逮捕・粛清されていたり、一家が離散したりで、届かないケースが圧倒的です。旧ソ連の場合、それは、犠牲者家族が何度も政府に情報提供を求め、再審請求して、ようやく認定されるかたちになりました。日本人犠牲者遺児スドー・ミハイルさんの場合は、父の情報を政府に要求し続け正しい情報を得るのに40年、日本人親族の探索にさらに数年かかりました。今回のササキ・アランさんの場合も、孤児院で育って独力で大学を出、資料を請求して得た「名誉回復証明書」により、「ササキ」と信じていた亡き父の本名健物貞一の本籍地や家族名を初めて知ったのは1997年、ちょうど貞一の実弟松太郎さんが亡くなった頃でした。この教訓は、「名誉回復」は死者にも遡及されねばならず、「謝罪」は犠牲者遺族に確実に届くものでなければならない、ということです。
ところが、日本政府のハンセン病患者「名誉回復」案は、熊本地裁判決の原告ばかりでなく、裁判への参加・不参加を問わず約5500人の隔離患者全体に熊本地裁判決の慰謝料算定にしたがい補償すること、裁判中に亡くなった原告の遺族にも適用することは決まって画期的なのですが、判決確定以前に隔離され療養所で亡くなった約2万3千人の犠牲者及びその遺族には及ばないものです。すべての新聞・テレビが「政府は控訴後和解」と伝えていた頃、テレビである患者は、「私たちには家族会もないのです。薬害裁判や公害裁判では被害者の家族会ができましたが、ハンセン病患者は、家族とも縁を切られ、家族に迷惑をかけたと思いこんで自殺したり、父母の葬式にも出られず、名前を変えて、たたかってきました」と訴えていました。「名誉回復」とは、その「無縁」の重さを受けとめ、墓地まで隔離されてきた死者の魂を、父母の墓所へと「復縁」させることまで、含むべきではないでしょうか? 政府の「謝罪」を、「観客」としてではなく、わが身にひきつけてみる時、診断した医師、「村八分」を強いてきた地域社会、問題を見逃してきたマスコミ、政府の「不作為・非決定」を許してきた私たちには、「責任」は及ばないのでしょうか?
「コイズミズム」をその政策効果にまで立ち入って見ると、このように、「拍手喝采」だけでは済まない問題が出てきます。サッチャーが経済再建を理由に、労働組合との「たたかう政治」・福祉削減実行に乗り出した時、スチュアート・ホールらは「一つの国民」戦略から「二つの国民」戦略への転換を見いだし、社会的弱者やマイノリティを周辺に追いやり排除する危険を察知し、警告しました。しかも、その「国民」再区分・分断は、イギリス政治史上初めての女性首相によってなされました。田中外相以下5人の女性大臣を含む小泉内閣が、「構造改革」で不可避になる大量失業とともに、女性に再び家族介護を強いたり、「能力主義」の名で女性労働分極化をすすめる可能性も、否定できません。なによりも「外部の敵」が設定された時、首相公選制や集団的自衛権を含めて、一気に日本国憲法改正の「勇気ある決断」に出てくることもありえます。北朝鮮の「金正男」風男性の不法入国問題、大阪高裁関西水俣病判決については「不作為」でした。与党公明党さえ積極的だった外国人地方参政権問題では、党内保守派に妥協して「決断」を先送りしました。教科書問題や靖国参拝では、逆に「外に敵をつくる」決断・強行突破もありえます。ハンセン病患者にみせた涙が、本当に弱者・マイノリティへの同情・共感・謝罪であったのか、それとも、マスコミと世論を意識した劇場国家型パーフォーマンスであったのかは、これからの「決断」の方向を見きわめて、判断しなければなりません。
その小泉首相が、首相官邸ホームページに、6月9日から「小泉内閣メールマガジン」を創設し、インターネット政治に乗りだします。すでに立派な公認応援団サイト「変革の人」HPを持っている「変人」ですが、創刊準備号も出た「コイズミ・メルマガ」に、私たちネチズンは、登録すべきでしょうか、無視すべきでしょうか? アメリカ大リーグ・イチローへのオールスター戦ファン投票のように「拍手喝采」の新材料になるのは必至ですが、私は、登録した方がいいと考えます。「IT革命」を「イット」としか言えなかった前首相とはちがって、「コイズミズム」は、小泉首相本人が読むかどうかはともかく、インターネット世論にも敏感に反応する可能性があるからです。世論に敏感なポピュリズムの弱点は、世論の変化・支持率落ち込みです。それなら思い切って、ネチズン世論をつくりましょう。靖国に行く前に、ヒロシマで核廃絶を世界に訴え、沖縄で「平和の礎」にひざまずくべきだ、8月15日は丸山真男の命日だから、先の戦争と憲法に触れるのなら、ぜひ丸山の文章を使ってくれと、どんどんメールを送りましょう。その前に、7月29日投票の参議院選挙があります。「無党派の反乱」を恐れた前内閣が、盛夏にぶつけて若者の棄権による投票率低下を狙ったとささやかれる、曰くつきの選挙日程です。これが衆参ダブル選挙へと「決断」されるかどうかはともあれ、徹底的に「落選運動」を盛り上げましょう。なにしろ参院自民党には橋本派「族議員」が多いですから、その6年間の活動の通信簿を、しっかりつくりましょう。せっかく「劇場」に舞台はできているのですから、「観客」もみんな舞台にあがって大合唱を始めたら、その歌声は、"純ちゃん"の愛唱歌「影法師」「フォーエバー・ラブ」になるのか、アジア人も一緒の「北国の春」「昴」になるのか、団塊世代にはなつかしい「明日があるさ」「インターナショナル」になるのか、沖縄「ちゅらさん」風に「花」ででもいくか、「観客」が大声を出しましょう。喜納昌吉&チャンプラーズ風に、「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争よりも祭りを、すべての人の心に花を!」となれば、最高なんですが……。
本カレッジ名誉客員教授ロブ・スティーヴン博士の追悼ミサが、6月5日、シドニーのニューサウスウェルズ大学構内で開かれます。ヴァネッサ夫人とも連絡がつきお悔やみしましたが、残念ながら出席できません。「図書館」内の追悼文、及びロブの遺稿となった"Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism,"を捧げて、深く静かに、故人の業績を偲びたいと思います。法政大学大原社研HPの『大原社会問題研究所雑誌』Web公開に収録された拙稿「新たに発見された『沖縄・奄美非合法共産党文書』について」(上・下)が、5月20日の共同通信配信ニュースになって、『沖縄タイムス』『琉球新報』などの紙面を、大きくかざりました。野坂参三の1928年検事調書発見、健物貞一ご遺族発見に続いての、新聞ネタです。『毎日新聞』5月29日の和田春樹さんによる野坂参三の山本懸蔵「密告」1年半前にコミンテルン東洋部のミフが山懸を告発していた文書発見記事と共に、この種の「現代史の謎解き」は、まだまだニュースバリューがあるようです。「2001年の尋ね人」サーカス芸人「ヤマサキ・キヨシ」についての情報提供があれば、これもちょっとしたニュースになるんですが。本HPは、出版メディア、雑誌・新聞メディア、映像メディア、マスコミともミニコミとも、共存共栄で行きたいと思います。
旧ソ連粛清犠牲者についても、本HP開設以前に、共同研究者藤井一行教授や新聞記者の皆さんのご協力で、須藤政尾・勝野金政・小石濱蔵・安保由五郎・永濱さよ・箱守平造らのご遺族と連絡がつき、HP上での「テルコ・ビリチ=松田照子」探索は大きな反響を呼んで、伊藤政之助や照屋忠盛・又吉淳・宮城與三郎・山城次郎・島袋正栄ら沖縄出身「アメリカ亡命(アメ亡)組」の資料を発掘してきました。現在も「2001年の尋ね人」として、1937年旧ソ連で粛清されたサーカス芸人「ヤマサキ・キヨシ」についての情報を、大島幹雄さんの「月刊 デラシネ通信」とタイアップして探しているほか、1937レニングラードで行方不明になった舞台監督「服部」、1932年ウラジオストックで行方不明となった「徹武彦」らについての情報を求めています。大島さんの「月刊 デラシネ通信」5月号には、「ヤマサキ・キヨシ」の遺児「アレクセイの回想」が掲載されています。父が「日本のスパイ」として突然逮捕・粛清されたのは3歳の時、以後孤児院に送られ、しかも敵国日本人の顔かたちをしていたために、さまざまな差別を受けてきた過去が、切々と述べられています。同じく須藤政尾の遺児スドー・ミハイルの数奇な運命についても、最近刊行された長縄光男・沢田和彦編『異郷に生きる──来日ロシア人の足跡』(成文社)に、安井亮平教授の訳で、ミハイル・スドー手記「私はモスクワで銃殺された──『日本国酔夢譚』」が発表されています。スターリン時代のソ連で父親が日本人であったがために粛清され、それゆえに私たち日本列島に住む者とは違った道を歩んだ人々の、涙なしでは読めない「瞼の父」探しの物語です。
そのリストから、新たな「尋ね人」が出てきました。この連休中に、1938年にモスクワで逮捕・粛清された「サダイチ・ケンモツ」の息子と名乗るロシア在住アラン・ササキさんから、須藤政尾の遺児ミハイルさん(現在モスクワ国際エコロジー政治学大学教授)に父の係累探しの依頼があり、その依頼状が、電子メールで、私のところにまわってきました。「サダイチ・ケンモツ」とは、以前から私の「旧ソ連日本人粛清犠牲者名簿」に入っている「アメ亡」組のリーダー「健物貞一」にほぼ間違いなく、私が昨年アメリカ・カリフォーニア大学(UCLA)図書館で収集した資料『労働新聞』中には、1931年末の右の写真も入っていました。日本側資料では「岡山県都窪郡早嶋町」という本籍地までわかっています。遺児アランさんが入手した旧KGB「名誉回復」ファイルには、父コウタロー・母チエ・兄弟姉妹の名前も入っています。私の方からは、岡山県早島町役場HPほかに「健物貞一」のご親族の消息探しにご協力いただくよう、依頼しましたが、ここに、本HPからも広く皆様にご協力を訴えます。現在66歳の遺児アランさんは、3歳の時に孤児院に送られて以降、父について何も知らずに育ちました。そのアランさんに、かつてアメリカでは「第二の片山潜」(片山も岡山出身)といわれたという日本人の父「健物貞一」についての情報をお伝えできるよう、皆様のご協力をお願い申し上げます。私自身がこれまで集めた健物貞一についての詳しい情報は、別ファイルにあります。どんなささいな手がかりでも、E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp にお寄せ下さい。。
ポピュリズム的高支持率で出発した小泉内閣については、まずはお手並み拝見。本カレッジの基本的立場は、トップのとロゴの復活で、明らかにしておきます。殺伐とした社会状況のもとで、ハンセン病国家賠償裁判での原告側完全勝訴が清涼剤、立法府の怠慢=非決定を審判したのは画期的。松本清張『砂の器』を久しぶりに読みました。去る4月18日に永眠された本カレッジ名誉客員教授ロブ・スティーヴン博士の追悼文は、「国際交流センター」および「図書館」内に収めました。法政大学大原社会問題研究所ホームページの『大原社会問題研究所雑誌』Web公開で、私の最新論文「新たに発見された『沖縄・奄美非合法共産党文書』について」が、4月号(上)に続いて5月号(下)も、さらに2000年5月号の「非常時共産党の真実──1931年のコミンテルン宛報告書」も、PDFファイルになりました。ダウンロードしてお読みください。最近雑誌・書物・新聞に発表された「20世紀日本における人民概念の獲得と喪失」、「情報の森を抜けて、交響の丘へ!──インターネットとマルクス主義」、「戦後日本とアメリカの影──いのちとくらしのナショナル・デモクラシー」、野坂参三1928検事調書発見、田口富久治『戦後日本政治学史』書評も、HP版に。情報処理センターのリンク改訂は好評で、新たにリンクさせていただいた皆様からは、おおむね快諾のご返事をいただきました。ありがとうございました。
そのロブから「末期癌が見つかった」というショッキングな電子メールが届いたのは、2月の初めでした。ちょうど私は、4月のレギュラシオン理論の「東アジアの経済発展」国際会議に招待されて、かつての『国際論争』の十年後の総括の準備に入ったところでした。そこから二人三脚の報告づくりが始まりました。ロブは「あと4週間しかない」といいながら、最期の力をふりしぼって、彼の遺言ともいうべき草稿"Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism"を送ってきました。私は、直ちにこれを本カレッジ「国際交流センター」に掲載して、世界からのコメントを求めると同時に、ロブの問題提起を含めた自分自身の草稿"Japanese Regulation and Governance in Restructuring: Ten Years after the 'Post-fordist Japan' Debate"を、他の全ての仕事を一時中断して書き上げ、電送しました。車椅子生活に入り、パソコンも片腕でしか打てなくなったロブは、「自分の生涯で一番感激した論文だ」と書いてくれましたが、もはや私の英文チェックまでできる余力はありませんでした。私は、かつての『国際論争』のコメンテーターの一人で、たまたま一橋大学に滞在中の友人ジョン・クランプ教授(イギリス・スターリング大学)に事情を話し、ロブと私の論文を英語で仕上げてもらいました。それにお見舞いの花を添えて再び送ったのは3月末、ロブからは「ありがとう。僕の病気のことはみんなに話してもいいよ」という、短い覚悟の返事がありました。
当初の「余命あと4週間」が8週間以上持ったので、ひょっとしたら夏休みまで生き延びてくれるのではという希望を抱いて、4月中旬の台湾の会議に出かけました。台湾では、李登輝ビザ問題の真っ最中で現地の研究者から多くの質問を受け、韓国の学者たちには教科書問題の説明をしなければなりませんでしたが、日本国憲法を日本的レギュラシオンの制度的焦点として扱った私のペーパーは概ね好評で、特に、一緒に日本について報告したR・ボワイエ教授からは、「自分の日本経済分析をよく補ってくれた」と握手を求められました。私が報告中で、ロブ・スティーヴンの余命いくばくもない病気に言及したときは、もう一人の本カレッジ客員教授ボブ・ジェソップはじめ世界からの参加者が息をのみ、心から同情してくれました。実はこの時、ロブは、すでに前日に、息を引き取っていました。そのことを知ったのは、帰国後の4月22日、共通の教え子であるUNSW院生ロウィーナ・ウォードさんからの、悲しいメールによってでした。葬儀は23日で、もはや間に合いませんでした。連休中に花を捧げるだけのシドニー往復を追求しましたが、切符がとれず断念しました。ヴァネッサ夫人にお悔やみを述べ、いずれ英語の書物となる私のペーパーは、故ロブ・スティーヴンに捧げることを約しました。お墓参りは、夏休みまで待たなければなりません。残念無念です。心から哀悼の意を表し、本学名誉客員教授として、今後も業績を本HPに収録していきます。合掌!
その服喪中に、日本政治では、大きな変化がおこりました。新発足した小泉純一郎内閣の世論調査支持率は、読売87%、共同86%、毎日85%、日経80%と、軒並み史上空前。朝日でも78%で、共産・社民支持層でも過半数が支持、自民党支持率も急上昇です。派閥推薦名簿を拒否しての組閣、5人の女性閣僚、若手・民間からの登用は、確かに新鮮です。首相官邸ホームページも早速衣替えして、小泉純一郎の座右の銘「無信不立(信なくば立たず)」、尊敬する人 「ウインストン・チャーチル」といったプロフィールが紹介されています。「労働者の祭典」メーデーに出席して、「内閣として最大多数の最大幸福を図り、お互いが支えあって日本国の発展のため全力を尽くすことができるような体制を作っていくことが大きな使命」と述べたとか。挙国一致型ポピュリズムをめざすのでしょう。でも、気になるのは、憲法改正や靖国公式参拝、有事立法への態度。古本屋の十冊百円棚でみつけた小泉『官僚王国解体論』(光文社、1996年)を読むと、「首相公選制の導入こそ政治改革の第一歩」と、かつての中曽根康弘ばりの構想が述べられています。首相就任記者会見では、首相公選のみに限定した憲法改正で「改正の手続も鮮明になる」と述べています。私の英文ペーパーの分類では、ネオ・ナショナリストです。YKKの盟友山崎自民党幹事長は「陸海空軍の保持」「国を守る義務」を明記した改憲試案を発表したばかりで、「改正するなら9条も一緒に」とエール。もっとも「派閥離脱」といっても、小泉首相は、つい先日まで森喜朗を支えた派閥の長でした。内閣構成は、自公保連立のままです。構造改革といっても時間がかかり、経済政策に特効薬はありません。5月3日は憲法記念日です。もう一度じっくり、日本国憲法を読みましょう。世論調査の勢いで、参院選でも流れを変え憲法改正へと突っ走るのか、7月までに綻びを見せて、かつての「今太閤」田中角栄のように支持率6割から不支持率6割へと転落するのか、本カレッジは、注意深く見守っていきます。
4月には、HPに先行収録し立命館大学『政策科学』8年3号に掲載された「20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失」のほかに、「情報の森を抜けて、交響の丘へ!──インターネットとマルクス主義」(『季刊 アソシエ』第6号、2000年4月)と「戦後日本と「アメリカ」の影──「いのち」と「くらし」のナショナル・デモクラシー」(歴史学研究会編『二〇世紀のアメリカ体験』青木書店、2001年)が、相次いで活字になりました。情報学研究室専門課程に収録した前者は、本カレッジ創設の精神を示したもので、後者は、もともと現代史研究室所収の1998年歴史学研究会大会報告をもとにした最新版です。本カレッジ図書館所蔵の、『エコノミスト』掲載川勝平太『海洋連邦論──地球をガーデンアイランズに』に続く『週刊読書人』掲載田口富久治『戦後日本政治学史』書評とあわせて、ご笑覧下さい。4月以降、官庁サイトが大幅にURLを変更し、個人HPでも転勤等で動いたサイトがみられますので、情報処理センターのリンクを改訂し、あわせてトップのカレッジ日誌で紹介してきたサイトを中心に、リンクを追加し充実させました。こちらの方もご愛顧を!
とはいえ、「マツリゴトの構造」(丸山真男)を基底にもつこの国の政治風土は、未だに20世紀(いやもっと古い?)です。KSD疑獄も外務省・官邸機密費問題も、結局政治の力ではトカゲの尻尾切りまで。自民党内選挙では、争点にもなりません。森首相の国民向け退陣表明もないままに、公示前から大臣や党役員ポストをめぐってのかけひきや合従連衡とか。4人立候補の総裁レースは、料亭密室裁定よりはましですが、化粧直しばかりではなく、構造変化の度合いでチェックしましょう。こうなると野党は蚊帳の外、ニュース報道もめっきり減りました。もっとも宮地健一さんサイトで4月22日投票の名古屋市長選の動きを見ると、私が「20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失」で指摘した通り、野党の政党政治と市民政治のギャップも、前世紀から積み残しのようです。4月3日の共同通信配信記事やJapan Timesで、私が2年前の本HP「尋ね人」で「テルコ・ビリチ=松田照子」を探求したさい、外務省外交史料館でみつけた副産物、故野坂参三1928年検事調書の「発見」が、大きく報道されています。20世紀日本の共産主義運動の「顔」であった野坂参三が、いわゆる3・15事件検挙直後に自分は共産党の「君主制廃止」方針に反対だと供述していたという内容。詳しくは、発売されたばかりの井上敏夫編『野坂参三予審訊問調書──ある政治的人間の闘争と妥協の記録』(五月書房)参照。「2001年の尋ね人=ヤマサキ・キヨシ」については、大島幹雄さんの「月刊 デラシネ通信」がKGB秘密文書「ヤマサキ・ファイル」を全訳公開し、遺児アレクセイの感動的手紙もウェブ掲載したのに、いまだに手がかりがありません。もっともこれも副産物というべきでしょうか、大島さんの「デラシネ通信」では、ソ連アヴァンギャルド演劇の代表者メイエルホルド粛清の秘話が紹介されたり、日本で最初にパスポートを持ったサーカス芸人たちの歴史が次々に発掘されています。過ぎ去ったばかりの20世紀には、まだまだ「記憶」に残すべき無数の史実が、うごめいています。
前回トップを「サイタ、サイタ、サクラガサイタ。サクラハサイタガ総理はマダカ。ススメ、ススメ、無党派ススメ」と書いたのは、いうまでもなく戦前国定教科書小学国語読本「サイタ、サイタ、サクラガサイタ。ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」のパロディ。教科書図書館「東書文庫」や北海道教育大学図書館「教科書の歴史」を見ると、教科書問題の現時点が見えてきます。俵義文さんの「俵のホームページ」は、自由主義史観研究会や「新しい歴史教科書をつくる会」に対抗して豊富な情報が得られますが、小林よしのり『台湾論』への本格的批判は、どこかにないでしょうか? これも台湾に入ったら、現地でまず聞かれそうですが、私の台湾政治ウォッチの定番東京外語大小笠原欣幸さんHPでもまだのようですので、どなたかご教示を! 国立大学独立法人化問題の定番サイト「全大協近畿」が、本「ネチズンカレッジ」とほぼ同時に16万ヒットを記録しました。同じく独法化に反対する一人としてご同慶の至りですが、気になったのは、そこでの「このアクセス数はアクセスカウンタのある労働組合のホームページでは全国一です」という断り書き。前回「インターネット時代の集権と分権」で地方自治体サイトのWeb対応の立ち遅れを指摘しましたが、16万ヒットで労働組合サイト日本一というのは、小林よしのり系「日本ちゃちゃちゃクラブ」115万や、個人でも有田芳生さん22万や私の16万アクセスがあるんですから、日本の労働組合サイトの弱さ・狭さを示す数字ではないでしょうか? 労働組合運動にも、地方自治体における花巻市役所HPや葛飾区役所HPのような工夫と努力が求められているのではないでしょうか? 次回更新はメーデー、果たして日本の「労働者階級」は、自民党新内閣発足に、どのように存在意義を示し、対抗できるのでしょうか?
2001.3.29 エイプリル・フールにならないように、一足早い更新です。今年はサクラも早い。東京・国立駅前・大学通りは満開です。でも、明るい春とはいいがたいご時世。案の定、すでに辞任が決まったレームダック首相の外交は、アメリカでは「不良債権処理半年以内」を国際公約され、ロシアでは「二島しか返さないよ」と釘をさされただけ。イルクーツクでは国民の税金=「機密費」を使って父親の墓参り、東京に戻って国賓レセプションをさぼって寿司屋へ。それなのに、後継の決まらない自民党は、いっそ参院選まで森首相で負け続けようかとばかりの料亭密室政局。野党の追及もイマイチ迫力不足。となると政党不信はますます増えて、これも案の定か、千葉県知事選挙は、長野・栃木に続いて無党派勝手連候補の勝利。ついに3人目の女性知事登場で、地方と女性は元気印です。先日お会いした宮崎学さんは、闇のドン野中広務の落選運動として、次の衆院選京都での無所属立候補を考慮中とか。どうせここまで堕ちたのなら、都議選も参院選も徹底的な「落選運動型選挙」にして、国会内にも「無党派」を増やしましょう!
4月は日本では新学期の季節。入学・進学・就職と、なんとなく気分がリフレッシュするはずですが、景気も政局もこれでは、盛り上がりに欠けます。本HPで「インターネットで消費者運動」の実例とした「マック・パワーブック修理顛末記」も、4月対面修理再開は決まりましたが、その内容は不確定。「PB2400と心中するしかない会」HPでは、600人以上が切実な意見と共に「Power Bookの対面修理体制の復活を求める署名」に加わり、100人近くが具体的なサービスや価格上限の提案を行っています。でもアップル社の方は、相変わらずのイライラさせる対応。署名者の一人で、3週間あずけても液晶故障を直してもらえなかった「今夜もほろ酔い」の有田芳生さんは、3月27日の日記で三下り半をつきつけました。新年度のマーケット更新で、マック・ユーザーはますます肩身が狭くなるのでしょうか? そんな興亡激しい業界の裏側を、ネット犯罪ばかりでなく、インターネット技術にひそむ様々な罠をも具体的に語る、東京新聞経済部編『IT革命の現実』(学生社)。辛口です。私も、東京自治体問題研究所『月刊東京』3月15日号巻頭言に、「インターネット時代の集権と分権」を発表、これ「情報学研究」の教養課程に入れましたが、ホンネは東京都や地方自治体のホームページについての辛口批評。もっとも例外はあります。たとえば岩手県花巻市役所HP、宮沢賢治の「イーハトーブ」で基調を統一して、yahooつき定番宮沢賢治コーナーを運営し、住民人口以下のアクセスがほとんどの行政サイトにしては珍しく、人口の5倍近い17万ヒットです。東京ならたとえば葛飾区役所HP、業者に委託した小綺麗な窓口案内のみのサイトが多い中で、著作権の関係で「フーテンの寅さん」は使えないようですが、寅さん風手作りの素朴な味があり、なにより毎日更新の「建築確認申請審査状況」など、きめの細かい情報公開とメールでの住民相談が、親しみを持てます。
16万アクセス、ありがとうございます。本ネチズンカレッジは、いつでもだれでも入学・卒業可ですが、ネット上では分校にあたる私の一橋大学研究室は、卒業・入学シーズンです。教育センターの講義内容一新と同時に、昨春開始した加藤ゼミ学生の卒業論文一般公開は2年目に。文部省は、国立大学を独立法人化し外部評価導入なんて言ってますが、もともと行政改革がらみの姑息な定員削減をしなくても、教員の努力次第で、大学と社会の架け橋はできるのです。むしろ全国大学を光ファイバーで結んで学生のとりたい講義に単位互換、なんて構想なら、「デジタル・カレッジの夢」に近づいて面白いのですが。ついでに16万ヒット記念で、4月に台湾で行われるレギュラシオン理論の国際会議用報告草稿'Japanese Regulation and Governance in Restructuring: Ten Years after the 'Post-fordist Japan' Debate,'を、報告前に国際交流センターにアップ。ただし、'Draft Only'で引用不可、世界からコメントを求めるためのものです。活字では、立命館大学『政策科学』2001年3月号(田口富久治教授退任記念号)に、一足先にHP版を公開した拙稿「20世紀日本における「人民」概念の獲得と喪失」が発表され、法政大学『大原社会問題研究所雑誌』2001年4月号には、拙稿「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について」の連載が始まりました。今度は旧ソ連秘密資料探索の副産物である、日本の戦後秘史資料です。
常連さんなら、気がついているでしょう。本年1月1日、本HPのネチズンカレッジへの拡充改組にあたって、本トップページ最下部に、ヘンな広告付きアクセスカウンターが入ったことを。目障りなら無視してよろしいのですが、別に商業サイトに移行したわけではありません。この米国NBCiカウンター 、時々ダウンするのが難点ですが、アクセス分析がおそろしくきめ細かく、自分のHPの特性が詳しく自己評価できるのです。もともと相互リンクした東大武川正吾教授研究室から拾ってきたものですが、たとえば私のネチズンカレッジについていうと、OSはWin85%・MAC15%、ブラウザはIE8割・ネスケ2割、毎日平均的に150ー200人がアクセスしますが、なぜか土日より平日、夜中より午後・夕方の方が、多く利用されています。この日本語トップは、日本から9割ですが、外国からも1割、もちろんアメリカが圧倒的に多いですが、イギリス・ドイツ・カナダも相当な数、以下オーストラリア、ロシア、モンゴール、スウェーデン、台湾、フランス、ニュージーランド、スペイン、香港、アイルランド、オーストリアなどの順で、30か国以上からアクセスの形跡。どうやら在外邦人や海外の日本研究者に利用されているらしい、と見当がつきます。そうすれば、ユーザーに見合った内容充実・更新を考えられますから、まさに双方向コミュニケーション、HPを持っている方に、オススメです。もう一つ、これも相互リンクしている同僚矢沢修次郎教授HP内に、「社会科学における国際交流のページ」がオープン、国内で開かれる各種国際会議・ワークショップの案内が、書き込み式の掲示板になっており、便利で重宝しています。国立大学独立法人化問題については、首都圏ネットワークや全大協近畿が定番情報サイトですが、富山大学人文学部社会学コース、北海道大学社会学宮内ゼミ、本カレッジなどの学生卒業論文公開の試みや、東大田中明彦さん、樺島郁夫さんらのデータベースづくり、矢澤教授の国際交流案内のような内発的発展の動きにも、目配りしたいものですね。次回更新も、海外渡航のため、早まります。
9日に速報したように、本HP「パワーブック修理顛末記」を含むマック・ユーザーの声が、「PB2400と心中するしかない会」HPの「Power Bookの対面修理体制の復活を求める署名」に対する公式回答として、アップル社の4月対面修理再開決定をひきだしました。ささやかな消費者運動ですが、確実なネチズンの勝利です。このような双方向性・脱国境性・即応性こそが、生活者にとっての「IT革命」なはずですが、「永田町の常識は世界の非常識」で、政治の世界のネット応答性は、日本ではまだまだです。宮崎学さんの「電脳突破党」や白川勝彦さんの「白川新党」は、そこに風穴を開けようとしていますが、加藤紘一の苦い前例がありますから、そうたやすくはないでしょう。自民党東京都議団の党大会会場ビラまき・捻り鉢巻き抗議のようなパーフォーマンスの方が、現実政治ではアピールします。本HPが訴えてきた首相官邸に「やめろメール」を集中するやり方も、最近ホワイトハウスが始めたそうですが、auto reply が設定されて、森レームダック首相の「メールありがとう、あなたの御意見は参考にします」なんて猫なで声のボイス・テープが流れるようになる場面を想像すると、ぞっとします。韓国の民衆が「落選運動」を始めた時のように、日本の政治風土にインパクトを与えるような、オリジナルな「IT政治革命」は、何かないものでしょうか? ネチズンの知恵、アイディアを募集します。
2001.3.9嬉しい速報です。「マック・パワーブック修理顛末記」に詳しく記しましたが、「PB2400と心中するしかない会」HPの「Power
Bookの対面修理体制の復活を求める署名」が570名を突破したところで、ついにアップル社が、「
ユーザーからの反響や期待に応えて」4月から対面修理再開を決定しました。ウェブ上のネチズン運動の成果です。これでこの件も一段落。署名の音頭をとった「PB2400と心中するしかない会」の小林さん、共同行動を組んだ「今夜もほろ酔い」の有田芳生さんをはじめ、皆様のこの間のご支援に、厚く御礼申し上げます。でも貴重な経験ですから、情報学研究の「応用情報学」に「インターネットと消費者運動」として入れて、本カレッジでも記録を残すことにします。ところで、森首相退陣の方の速報は、いつ流すことができるのでしょうか?
2001.3.1
日本政治史上空前の出来事です。森内閣の各種世論調査支持率は軒並みヒト桁、不支持率は8割以上、それでもこの脳天気なバカボン氏は、自分から降りようとはしません。シンキロウは、普通消えてしまうものですが。最新ニュースに強いフレッシュアイで検索すると、日本テレビ調査の支持率5%という記録まで出てきます。こういう状況を永田町用語で「政局」というのですが、「次」の候補が「五人組」の野中広務とか、森首相を支えてきた小泉純一郎とかでは、興醒めです。選挙向けに扇保守党首なんて名も出てますから、いっそのこと神崎公明党代表にしてみたら。「自公連立」の意味がクリアーになるし、白川新党との違いも明確になって、すっきりしますから。でも、景気対策の「森降ろし」に気をとられて、KSD疑獄、外務省機密費、ニュー・パールハーバー事件や沖縄問題を、忘れてはいけません。額賀政倫審弁明にしろ村上証人喚問にしろ、政治の自浄能力喪失による「トカゲの尻尾切り」ですから。ネチズンは、正攻法で攻めましょう。森首相は激励されてると思っているらしいですから、首相官邸に「やめろメール」を集中し、都議選・参院選での落選運動対象者を絞り込み、解散・総選挙ではっきり民意を問え、と訴えましょう。
しばらく活字文化を紹介しなかったので、久しぶりで読書日記。といっても、私たちの職業では一番忙しい試験シーズンのため、若い世代が丸山真男に取り組み小気味良い切れ味の小林正弥『政治的恩顧主義論──日本政治研究序説』(東大出版会)や、円熟した丸山読みの宮村治雄『丸山真男「日本の思想」精読』(岩波現代文庫)は斜め読みのみでとっておき、一押しは、V・A・アルハンゲリスキー『プリンス近衛殺人事件』(新潮社)。これまで私自身「約60万」と書いてきた日本人シベリア抑留者の数が百万以上であったとする旧ソ連秘密文書解読と、抑留者の一人であった近衛文麿長男文隆の運命の謎解きが読ませます。ドキュメンタリータッチをもう二冊。話題の書ですが、ロバート・ホワイティング『東京アンダーグラウンド』(角川書店)と魚住昭『渡辺恒雄 メディアと権力』(講談社)。力道山から長島茂雄まで、戦後日本のプロ・スポーツが、いかにオモテ・ウラの権力と関わってきたかを、考えさせられます。じっくり読みたいなら、A・G・フランク『リオリエント』(藤原書店)、多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』(岩波文庫)、太田哲男編『暗き時代の抵抗者たち』(同時代社)、高島直之『中井正一とその時代』(青弓社)、藤原帰一『戦争を記憶する』(講談社現代新書)。いずれも、「何か」を得られる書物です。図書館の書評欄に、『エコノミスト』2月27日号に寄せた川勝平太『海洋連邦論』(PHP研究所)の辛口書評をアップ。大新聞社系で、こんな批判的レビューを載せてくれるのは、珍しいですね。
ところが私が没頭しているのは、なぜか白井晟一(しらい・せいいち、1905-83)という建築家の生涯。「本をさがす」から「日本の古本屋」、「インターネット古書店案内」などを駆使して、手当たり次第に文献を集めています。建築関係の書物は高価なのが悩みのタネで、今までノーマークでしたが、情報収集センターで探索中の「在独日本人反帝グループ」に関わるキーパースンの一人として浮かび上がったため。発端は、ある編集者からのメール。本HP現代史研究所収の論文「ベルリン反帝グループと新明正道日記」では、林芙美子の1931ー32年パリ滞在時の『巴里日記』に出てくる恋人「S氏」を、海野弘説に従いパリ・ガスプに属する「坂倉準三」としたのですが、最近林芙美子の当時の『自筆日記』が出てきて、「S氏=白井晟一」と判明したという情報。建築学界ではよく知られていたそうですが、文芸評論の世界では画期的な発見で、これを論じた昭和学院短期大学今川英子さんの論文も、送っていただきました。すると驚いたことに、「林芙美子の恋人S氏=白井晟一」が完璧に論証されているだけでなく、芙美子とパリで別れた白井晟一が、ベルリン大学に通い「鈴木東民のあとを受け、邦人相手の左翼新聞『ベルリン通信』を市川清敏とともに編集発行」、その後香川重信と共に「モスクワに渡り一年間滞在、この時帰化しようとしたがかなわず、1933年、シベリア経由でウラジオストックから敦賀に帰港」という話まで出てきました。ここに出てくる『ベルリン通信』とは、本HP「2001年の尋ね人」で『ベルリン週報』として探しているものと、同一でしょう。あわててベルリンで調べた当時のベルリン大学在籍日本人名簿をチェックしたところ、白井晟一は1931/32年冬学期、32年夏学期に確かに在籍しており、本HPで長く探求してきた竹久夢二のユダヤ人救出活動に関わったと思われる井上角太郎、在独日本人反帝グループの有力メンバー八木誠三、同じく有力メンバーで存命中の喜多村浩らと、同級生であることがわかりました。新たなエキサイティングな謎が加わって、「現代史の謎解き」は、いよいよ混沌です。「月刊 デラシネ通信」で大島幹雄さんが粛清秘密資料を全面公開した旧ソ連のサーカス芸人ヤマサキ・キヨシと共に、皆さんの情報提供を求めます。
前々回探求した、元福島高商教授・戦後法務省法務図書館長の「松山貞夫」の件、満鉄調査部で一緒で面識のあった石堂清倫さんに各種写真を見ていただいて、結局有澤広巳送別記念写真13人の在独日本人中でただ一人不明だったYも、蜷川虎三アルバム中で土屋喬雄と一緒のXも、右の単独写真も同一人物で「X=Y=松山貞夫」とほぼ確定できました。写真の富士額が決め手。こちらの探求は、一段落です。大反響の「マック・パワーブック修理顛末記」は、私や有田芳生さんも協力した「PB2400と心中するしかない会」HPの「Power Bookの対面修理体制の復活を求める署名」が、あっという間に500名突破! ちょっとした消費者運動の様相を呈してきて、これでアップル社も目覚めてくれればいいのですが……。国際交流センターに載せた、オーストラリア・ニュー・サウスウェールズ大学の親友ロブ・スティーヴンの草稿 "Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism"をもとに、10年前に彼と組織した「日本=ポスト・フォード主義国際論争」の続編を英語で執筆中。その理由は……、いつか明らかにします。
KSD疑獄に外務省機密費と、国会論戦が白熱してきたところに、またしても。愛媛県立宇和島水産高校の実習船がハワイ沖で米原潜グリーンビルの緊急浮上で沈没、今なお高校生を含む9人が行方不明です。アメリカ原潜事故による日本の高校生の公教育中の行方不明ですから、有事立法と教育基本法改正を目玉にしようとする森内閣にとっては腕のみせどころだったはずですが、脳天気な首相は、なぜか前日自分から誘って会社社長らとのゴルフに夢中。持論の「危機管理」どころか、ニュースを知っても3ラウンド続けたのは、4千万円の会員権贈与への義理人情のつもりか。首相官邸ホームページによれば「滅私奉公」が座右の銘なそうですが、クラブハウスにかけつけた新聞記者には「ここはプライベートだ」と怒ったとか。さすがに与党公明党からも、自民党内・閣僚内からさえも、理非曲直をわきまえるべきだと批判の声が出ていますが、この脳天気な首相には、馬耳東風。「じたばたしてもしょうがない」とは行雲流水のつもりでしょうが、すぐにでもブッシュ大統領にホットラインで抗議すれば、米海軍の救援活動のあり方も違ったでしょう。「危機管理ではなく事故」という感覚は、国民の側からすれば言語道断、中学生の女の子が「こんな首相をもって恥ずかしい」と述べていました。グリーンビルの操舵席に民間人がいたことが明るみにでても、沖縄県知事が米軍司令官に侮辱されても、米兵に民家が放火されても、ひたすら「思いやり」一辺倒のこの人は、そもそも「外交」などできないようです。こんなトップをいただいた国民は、徹頭徹尾不幸です。外務省機密費疑惑では、首相随行時の職員ホテル代は公定費用の10倍が請求され、外務省幹部の飲食費は国家公務員倫理法対象外で、すべて松尾室長のカードで補填されていたとか。個人の横領どころか、外務省・官邸ぐるみの税金泥棒です。KSD疑獄の方からは、村上正邦自民党前参議院議員会長の集めた9万人分の党費なるものが、KSDトップからそっくり肩代わりされていたことが明るみに。忘れてはなりません。この村上正邦氏こそ、小渕首相脳卒中による「権力の空白」時に、「次は森でいいじゃないか」と談合した例の密室5人組の一人であったことを。自民党は3月党大会で改憲の方向を明示するそうですが、村上氏は、「昭和の日」制定を小山孝雄らと推進し、改憲急先鋒の参議院憲法調査会のボスであったことを。
ついに自民党を離れて新党宣言を発した白川勝彦HPによると、いまの自民党は「不自由非民主党」だとか。白川氏によれば、2月6日の自民党役員連絡会で、野中広務氏が「果たして白川の離党届をすんなり受けていいものか」と発言したそうです。13日には「最近テレビ出演して言いたい放題言っているわが党の若手議員がいる」とTV出演事前連絡の言論統制を始めたとか。「自民党には離党の自由もないのですか。ヤクザか暴力団みたいですね」と仲間にいわれた白川氏は、「加藤紘一氏に対する仕打ちは暴力団やヤクザのなぶり殺しに似たリンチですよね。自民党はもう不自由非民主党なんてものよりもっとヒドイものになってしまった」と嘆いています。もっとも、野党の側にも、似たような問題があります。党首討論での迫力不足だけではありません。そう、JCPWatch掲示板には、「共産党はついに私を排除した」とか「私は除籍されました」という手記が載っています。日本共産党が、昨年秋の第22回党大会時にインターネット上で指導部を批判した、「さざ波通信」や「JCPW」への党内異論投稿者に対して、ついに「魔女狩り」を始めたようです。本HPは、昨年秋、「『私はあなたの主張に反対である、しかしあなたの主張を抑圧しようとするものに対しては断固としてたたかう』──これが、言論の自由の原点です。私は『さざ波通信』とは時代認識も政治的意見も異にし、むしろ批判的な立場ですが、そうしたネット上の自由を抑圧しようとする試みに対しては、断固として反対します」と述べておきましたが、マスコミ報道もなくなり、大会時の討論のほとぼりがさめてきたところで、ひそかに投稿者を調べ呼びだし「査問」する陰湿な手法は、20世紀のコミンテルン的体質そのものです。「インターネットは民主集中制を超えた」事実を、事実として認めることができないんですね、きっと。ネチズン・デモクラシーにとっては、深刻な問題です。こんな機会ですから、まだインターネットのなかった10年以上前の私の提言、有田芳生さん編集のベストセラー『日本共産党への手紙』中の「科学的真理の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に」を、これまで簡略版でしたが完全版にして政治学研究にアップ。ちょうど私たちの世界は、各種試験の採点期。今回の更新、Web上で拾った四文字熟語集を使ってみたのですが、中野重治『甲乙丙丁』をなぞって言えば、アップルも森首相も外務官僚も共産党も「甲乙」ならぬ「丙丁」つけがたし。いずれも落第です。当HPも15万ヒットになりました。石堂清倫さん提供の写真を、在独ベルリン社会科学研究会による1928年5月21日の有澤広巳送別旅行と推定した前回更新、13人の身元が、ほぼ判明しました。皆様のご協力に、あらためて感謝いたします。オーストラリア・シドニーのニュー・サウスウェールズ大学政治学部長ロブ・スティーヴン教授を本ネチズン・カレッジ客員教授に任命し、彼の草稿 "Competing Capitalisms and Contrasting Crises: Japanese and Anglo-Capitalism"へのコメントを、広く日本資本主義に関心を持つ世界の人々から集めることにしました。詳しくは国際交流センターへ。
2001.2.3 2月1日に下に掲げた石堂清倫さん提供写真(重くなりますが解像度を上げました)の人物捜し、さっそく立命館大学田口富久治教授、及び蜷川虎三ご遺族からの通報で、大体わかってきました。したがって、最初の推定を修正して、現時点での推理を試みます。田口教授の指摘は、私が当初「堀江邑一」と推定した有澤広巳の右の丸顔の男性が、1927年12月にフランクフルト大学に留学した平野義太郎(当時東大法助教授)ではないか、というもの。追悼集『平野義太郎 人と学問』(大月書店、1981年)所収の平野の助教授就任時の写真を見ると、なるほど晩年親しくつきあった平野のやせたイメージとは異なり、恰幅のいい丸顔で、よく似ています。決定的なヒントは、蜷川虎三ご遺族からのメールで、私も原文コピーを持つ1928年5月22日付け虎三から妻律子宛ての絵葉書に、「昨日は、近日東大の有沢君が日本へかへるので、送別の意味で雨の中をポツダムのサンスウシイの宮殿のある処に出かけました。京都の連中は谷口、八木、堀江君(高松の)、僕など、東大の平野氏、有沢君、土屋君其他合せて13人、中には築地小劇場にゐる若い俳優の人[=千田是也]もおり、此の写真の階段を登りつめた処でフリードリッヒ大王の真似をしたりしました」とあったこと。この葉書自体は、細野武男・吉村康『蜷川虎三の生涯』(三省堂,1982年,pp.46-47)に紹介されており、私も「ワイマール期在独日本人のベルリン社会科学研究会」(『大原社会問題研究所雑誌』455号)で使ったことがあるのですが、ご教示いただいた蜷川虎三のご遺族は、下の写真に写っているのが12人で撮影者を入れると13人であること、堀江律子が雨傘を持っていること、蜷川虎三の別のベルリン時代の写真と左端の人物の着ているコートのデザインがそっくりであること、に気づきました。他に蜷川と土屋喬雄の写真、八木芳之助の当時の写真も、蜷川家のアルバムからスキャナーして送ってきました。そうすると、石堂さんに言われて、東大ボート部にしてはちょっと小さいが国崎定洞とばかり思いこんでいた中央の人物が、国崎ではなく土屋喬雄と考えると、蜷川絵葉書の記述とぴったりします。「灯台下暗し」で、拙著『人間 国崎定洞』(勁草書房、1995年)の口絵に、1927年5月高野岩三郎のベルリン訪問時に高野・有沢・国崎らがキール大学を訪れた写真を入れたことを思い出し、背の高さや顔かたち・眼鏡等を照らし合わせると、やっぱり下の写真の中央は、国崎ではなく土屋と考える方がよさそうで、有澤広巳・山田勝次郎・舟橋諄一・谷口吉彦は、両方の写真に写っていると推定できました。また千田是也『もうひとつの新劇史』(筑摩書房、1975年)には千田・鈴木東民・岡上守道が一緒に写った写真があり、この下の写真にはどうやら東大・京大の学者グループと千田のみが入っていて、国崎・鈴木・岡上は入っていないようだ、と見当がつきました。これらを総合すると、下の12人の写真は、左から蜷川虎三(当時京大経・蜷川家が認定)、舟橋諄一(九大法)、八木芳之助(京大経)、有澤広巳(東大経)、平野義太郎(東大法)、土屋喬雄(東大経)、Y=不明?、堀江律子(高松高商・邑一夫人)、山田勝次郎(京大農)、山田とく(勝次郎夫人)、千田是也(築地小劇場)、右端が谷口吉彦(京大経、または菊池勇夫・九大法)と、Y一人を除き、ほぼ全員が解読できます。時は1928年5月21日で、雨まじりのベルリンの気候なら、コートにハット姿も合点がいきます。上のキール大学訪問時記念写真にも有澤・国崎と一緒だったはずの堀江邑一が写っておらず、私が平野と混同した堀江は、13人目=カメラマンの可能性大です。まだY氏が不明のまま残り、下記の「X=松山貞夫?」「X=Y=松山貞夫?」の謎は残りますが、取りあえず、下記の2月1日付け推定を訂正しておきます。
2001.2.1 ホッとしました。96歳で奥様に先立たれて入院、ベッドの上で21世紀を迎え、1月9日に退院してご自宅に戻られた石堂清倫さんから、お手紙をいただきました。短いものですが、いつものしっかりした筆致で書かれ、お元気なご様子です。宮地健一さんHPにあるように、島田高志さんが中心になって石堂基金をつくり、ボランティアの力で石堂さんのこれからの生活を支えようとしています。皆さんの善意に期待します。その石堂さんから、「鈴木東民夫人がフリーダさんからもらってきた写真類、まずお手許に届けます」と記して送られてきた国崎定洞関係資料の中に、本HPの目玉「現代史の謎解き」にリストアップされている在独日本人反帝グループ
が、1927年か28年初め頃に一同に会した写真がありました。前列中央が、まだ東大医学部助教授だった国崎定洞、その左が有澤広巳(当時東大経助教授)、国崎の右の女性が堀江邑一(高松高商教授)夫人律子、もう一人の女性が山田勝次郎夫人とく、二人の女性の間の後列男性が山田勝次郎(京大農助教授)、という石堂さんの解説つきです。ところがこの貴重な写真の、残りの人物がわかりません。写真の持ち主だった鈴木東民(電通特派員)・堀江邑一のほか、国崎・有澤・堀江と共に「ベルリン社会科学研究会」で左翼文献を読んでいた谷口吉彦(京大経)・八木芳之助(京大経)・舟橋諄一(九大法)・菊池勇夫(九大法)・岡上守道(黒田礼二・朝日新聞特派員)らがいると思われますが、特定できません。私でも確認できる千田是也(演劇)は、後列右端(山田とくの右後ろ)でしょうか? 蝋山政道(東大法)・土屋喬雄(東大経)・蜷川虎三(京大経)・平野義太郎(東大法)は入っていないようですが、横田喜三郎(東大法)や黒田覚(京大法)は入っている可能性があります。心当たりのある方に、ぜひご教示いただきたいものです。
この写真の後列、国崎定洞と堀江律子の間に、気になる人物=Y?がいます。堀江邑一は戦後亡くなるまで懇意にしましたが、写真では国崎と有澤の間の丸顔だと思われます。後列その右の人物が、ひょっとしたらこの間私が追求している「松山貞夫」ではないかというのが、この古い写真を敢えて本HPに掲載した理由の一つです。最近入手した、もう2枚の写真があります。これは、蜷川虎三の1928-30年のヨーロッパ留学時代のアルバムに入っていたもので、二人で写っている右側は土屋喬雄です。ところが左側の大柄の人物=Xがわかりません。X単独の写真( 左)、蜷川と土屋の写真も一緒にありましたから、この3人が、ベルリン留学中特に親しかったことは、まちがいありません。蜷川虎三留学期資料中にあった手紙や日記・住所録と照らし合わせると、Xの最有力候補が、私の「在独日本人反帝グループ・リスト」にも載っている当時福島高商(現福島大学経済学部)教授で、帰国後1933年に全協(共産党系の労働組合)に資金カンパをしたとして大学を追われた「松山貞夫」ではないか、と思われます。ところがこの「松山貞夫」について、経歴は「1895年頃福井県生まれ、1920年東大法卒、23年福島高商教授、26-28年頃ドイツ留学、33年全協事件で検挙され免職、東大時代の友人我妻栄の紹介で岩波書店『法律学小辞典』 編集、38年満鉄調査部で華中商事慣行調査、戦後は1948年から67年まで法務省法務図書館長、68年死去」とわかっているのですが(有澤広巳『学問と思想と人間と』p.101、井村哲郎『満鉄調査部』p.758)、著書等がないために、人物像が不明です。福島大学の友人や岩波書店編集部でも調べてもらいましたが、経歴以上のことはわかりません。蜷川虎三とのつながりも、蜷川の住所録に名前があり手紙が残されていてわかったのですが、これまでノーマークでした。土屋喬雄の方からも調べましたが、出てきません。先日「松山貞夫」が戦後長く館長をつとめた法務省法務図書館に写真か論文でもないかと訪れたのですが、手がかりはありませんでした。そこに、石堂さんの上記写真で、「X=松山貞夫?」とちょっと似た人物が現れた次第です。もっとも写真も不鮮明ですから、前列一番左の大柄な人物かもしれません。あるいは上記写真には入っていないかもしれません。とにかく上記写真ないし「松山貞夫」について、何かお気づきの方は、ぜひメールで情報をお寄せてください。サーカス研究家大島幹雄さんの「月刊 デラシネ通信」と提携して、「2001年の尋ね人」に1937年旧ソ連で粛清されたサーカス団員「ヤマサキ・キヨシ」を入れましたが、残念ながらまだ情報はありません。大島さんは「ドキュメント・レポート:粛清されたサーカス芸人−ヤマサキ・キヨシの尋問調書」の連載を開始しました。この「ヤマサキ・ファイル」は、旧ソ連内務省(KGB)の粛清秘密資料ですから、無論、本邦初公開です。こちらの方も、ぜひよろしく。
「松山貞夫」の手がかりを求めて、法務省法務図書館を訪れた時のこと、その官僚的対応に驚きました。省庁再編で官庁URLもマイナーチェンジしましたが、老舗の法務省はそのまま、そこに法務史料展示室のコーナーがあって、その管轄が法務図書館で、見学案内までありますから、簡単に利用できるのだろうと思ってアポなしで行ったのですが、大違いでした。まずは正門で守衛に、訪問先・所属等を詳しく聞かれます(尋問!)。いかめしい建物の入口で再チェック。バッジをつけて入れるのは一般公開された史料展示室のみで、他のフロア・部屋には行かないように、と念をおされます。それでようやく展示室に入り、図書館を利用したいというと、「どちらの省ですか」「法曹関係の方ですか」とのこと。原則非公開の官庁図書館というわけです。名刺を出して目的を告げても「法学部ですか」と疑わしい目つき、ようやく「法学博士」を確認して「ちょっと聞いてみます」と上司へ。なんとか閲覧室に案内されても、当の図書館の元館長のことなのに、「人事記録はおみせできません。公刊された人事録で調べてください」の一点張り。『満鉄調査部』の「松山貞夫」の項を見せると、ようやくパソコンで文献データを調べてくれましたが、出てきたのは「松山貞夫」が省内資料として作ったドイツ法案内の論文一つ。そのコピーを頼むと、目の前に複写機があるのに、「一般の方は地下の売店でおとり下さい、バッジをつけるように」と1枚20円。けっきょく往復5時間の旅で、成果はこの論文一つでした。法務省図書館は、どうやら「国民のための図書館」ではなく「官のための図書館」で、「官官利用」のみが認められているようです。「官官接待」や「機密費」に通じる、あの官僚的体質です。世界のデモクラシーの趨勢、「情報公開」とは正反対です。
世紀末省庁再編の直後に表面化した、KSD疑獄・外務省機密費汚職・有明海の赤潮被害。この国の政治と行政は、20世紀の体質を、ずるずるべったりに引きずったようです。森首相施政方針演説の「希望・人間・信頼・地球の世紀」は、うつろにひびきます。上記写真のワイマール期在独留学生たちは、写真の直後に世界恐慌とナチス台頭に直面し、日本に帰国すると満州事変からアジア・太平洋戦争への道を体験しました。その中で、ソ連に亡命した国崎定洞や佐野碩らはスターリン粛清に遭遇し、日本に帰国した有澤広巳や平野義太郎らは、特高警察・軍部に弾圧され、多かれ少なかれ戦争協力を強いられました。その転換期にも、景気後退・失業増・国民生活逼迫の閉塞状況のもとで、政財官癒着への不満が鬱積し、社会不安が広がっていました。発足半年で本HPのアクセス数を追い越す勢いの有田芳生さんHP「今夜もほろ酔い」中の掲示板「憂国至情」には、庶民の真摯な怒りと叫びが溢れています。そこに紹介されていた「中高年パソコン普及会」の警句は、今日の世相を言い当てています。曰く、「金亡者、権力亡者が横行する日本の社会」「民間企業にまで横行する無責任さ」「崇拝される錬金術師達」「弱いものがさらに弱いものに対して」「税金をピンハネする国会議員」「そして、より弱いものに対する凶悪事件の連続多発」、云々。1930年代初頭には、既成政党政治への不満を背景に、右翼ナショナリズムの台頭と、左翼反天皇制運動が現れました。前者のテロリズムは軍部専制に道をひらき、後者の極左行動は徹底的に弾圧されて「転向のなだれ現象」を産みました。今日、右派のナショナリズムは、再び強まっています。しかし「左翼」は「サヨク」となり、旧国鉄労働組合の長期闘争は、機動隊包囲の中で、うやむやの「手打ち」が行われたようです。VIDEO PRESSで予告編が見られる「人らしく生きよう──国労冬物語」と、駅員のいないJR新大久保駅ホームで転落した乗客を助けようとした関根史郎さん・李秀賢さんの死とを結びつける想像力を、いったいどれだけの人々がもちえたでしょうか? 世界のLabour Netと結んだ「レイバーネット日本」も発足しましたが、階級闘争とかプロレタリア独裁とかと片意地を張らずに、どれだけ社会的弱者の国際連帯を産み出せるでしょうか? フィリピンでは再現されたデモクラシーのピープルズ・パワーは、日本における「人民」概念の喪失と一緒に、死んでしまったのでしょうか? あるいは、ローカルな地域社会やインターネット上で、形を変えてパワーを蓄え発揮されているのでしょうか? 政治家や公務員に必要なのは、庶民の痛みを痛みとして受けとめ、中高年パソコン普及会の警句を自らの問題と感じとる、感受性のようです。モバイル用Power Book G3の電源が入らなくなり修理に出したら、アップル社の修理システムが本社一元管理のピックアップ&デリバリー方式に変わったとかで、販売店は対応できず。何十回も電話してようやくつながったアップルケアの応対もいい加減で、いったいいくらで何週間かかるものやら。「民間企業にまで横行する無責任」がマックにまで伝染しているようで要注意。この件、同時進行で「PB修理顛末記」を報告し、次回更新で詳しくとりあげます。
2001.1.15 21世紀の開始にあたり「ネチズン・カレッジ」へと衣替えしたところで、英語版「国際交流センター」に、奇跡的な朗報。30年前に今は亡き東独で一緒にドイツ語を学んだ私のライプツィヒ 時代のクラスメート、古都ドレスデン在住のロシア人ニーナ・コペヘルさんから、本HPからのよびかけ"TO OUR CLASSMATES OF THE OCTOBER 1972 GERMAN LANGUAGE CLASS OF THE HERDER INSTITUTE LEIPZIG !"をみつけて、メールが届きました。早速ボン在住の共同よびかけ人ヤシム・アハメッド君に連絡して電話をかけてもらい、30年ぶりの対話。この夏には、疾風怒濤時代を経ての同窓会になりそうです。同じく英語版で、本カレッジ客員教授ボブ・ジェソップが再来日したところで研究室をチェックしたら、「国際交流センター」所収のボブの論文"L'Economia Integrale, Fordism, and Post-Fordism"等がすでに世界中の学術サイトでリンクされており、新世紀の本HP再編で倉庫を移したためつながらなくなったことが判明、一緒に来日したシャンタル・ムフ女史も含めてしばしインターネット論議のうえ、ジェソップの英文論文を元のURLに戻して、引き続き世界の読者に読んでもらえるようにしました。再来日したボブのおみやげは、フロッピー一枚。しかしそこに、最新の彼の理論的労作が、いっぱいつまっていました。今回の来日は短期で十分打ち合わせ時間がとれませんでしたが、メールで交渉して、いくつかは本HPにも収録できるようにする予定です。こんな具合に、「国際交流センター」は、Special Joke Lecture "World Ideologies Explained by Cows"のバージョン・アップ(ver.10)に留まらない、幸先良いスタートです。
日本語版にも、大きな反響。目玉の「現代史の謎解き」にサーカス研究家大島幹雄さんの「月刊 デラシネ通信」と提携し、特別研究室「2001年の尋ね人」として、1937年旧ソ連で粛清されたサーカス団員「ヤマサキ・キヨシ」を入れましたが、大島さんはこれに呼応して、「月刊 デラシネ通信」誌上に「ドキュメント・レポート:粛清されたサーカス芸人−ヤマサキ・キヨシの尋問調書」の連載を開始しました。私の提供した旧ソ連秘密文書「ヤマサキ・ファイル」を、ロシアに詳しいサーカス専門家の眼で、じっくり翻訳・解読してくれます。さらに、ワイマール期「在独日本人反帝グループ関係者名簿」中の数人のご遺族からメールでの連絡と資料提供があり、こちらの研究も、新たな成果を得られそうです。カリキュラムの現代史研究の専門課程にアップした「20世紀日本における『人民』概念の獲得と喪失」も、早速宮地健一さんHPがリンクしてくれて、2週間で200人近い方々が閲覧、宮地さんHP内の「石堂基金=石堂清倫さんに生活支援カンパを!」とタイアップできれば、一石二鳥です。もっとも、これまでの論文を「カリキュラム」に、書評欄を「図書館」に、一橋大学講義・ゼミ・辻内鏡人教授事件関係を「教育センター」に一括して移したため、ブックマークで直行していただいていた常連の皆様には、ご迷惑をかけたようです。改めて、ブックマークの変更を、お願いいたします。
日本の21世紀は、殺人事件に幼児誘拐・株価低迷・脳天気な首相のアフリカ(観光?)旅行中の「支那事変・大東亜戦争」発言という、グレーなかたちで開けました。読売新聞世論調査によれば、「21世紀と聞いて思い浮かべる言葉」は、「IT・情報社会」「景気回復・好景気」「希望・夢」「明るい・明るい未来」の順、とはいえ、すぐに「暗い・先行き不安」「高齢化社会・少子化」が続きます。「21世紀の日本はどのような国であってほしいか」には、「自然や地球環境を大切にする国」61%、「福祉の充実に力を入れる国」58%、「平和の大切さを世界にアピールする国」39%が圧倒的で、「経済的な豊かさを追求する国」37%、「科学技術の振興に力を入れる国」16%などを大きく引き離しました(1月11日付)。しかし、この希望を正面から受けとめる政治には、まだまだ距離がありそうです。朝日新聞昨年12月12日で政治広報センター宮川隆義さんが「電子投票制を導入しよう」と呼びかけましたが、1月5日付同紙「日本の予感」は、これを受けてか「市民が発信、政治が動く」「ネット政治、政党淘汰」と、2005年には7670万人に達するというインターネットによる政治参加のシナリオを描きました。元旦の同紙の世論調査でも、現在の世相は「混迷」「身勝手」「不公平」で自分の将来は「不安」だが、十年後のニュースの入手先ではインターネットが新聞を上回り、デジタルディバイドが広がる……という見通し。そんな中で、Web academicsではおなじみの信州大学立岩真也さんが1月11日付朝日新聞論壇に「つよくなくてもやっていける」を書き、私の提唱するエルゴロジーとも響きあい、キラリと光りました。曰く、「刺激しないと消費が増えないなら、あるいは刺激しても増えないなら、その部分は足りていると考えたらどうか。またものはあるのに失業があるということは、少ない人数で多くを生産できるということであり、それ自体は大変けっこうなことだと考えてみたらどうか」と。本カレッジとしては、開学にあたって述べた「情報の森を抜けて、交響の広場へ」をモットーとしつつ、「情報処理センター」などでインターネットに接し始めた方がweb academicsに近づく入口作りをめざし、同時に、中高年世代の「余生・老後」を「譽生・熟年」に変身させる「なごみ系コース」をも、考えていきたいと思います。まだ産声をあげたばかりですが、今後も御贔屓に!
2001.1.1 21世紀の開始にあたって、本HPは「研究室」から「ネチズン・カレッジ」へと衣替えしました。直接のきっかけは、倉庫として使っていたNifty HPの容量オーバーですが(これに伴いNIfty 危機管理サイトは世紀末で閉鎖、宣伝なしで7478ヒットでした)、これを機会に全体を再整理し、ケーブルテレビ加入で獲得した50MBの容量をフルに使って、2年前に「デジタル・カレッジの夢と逆夢」で夢見た初夢の方を、バーチャルに実現してみました。学長や理事長はなし、教授陣も1月に再来日する客員ボブ・ジェソップと二人だけですが、世紀末の90年代に色んな分野に手を広げてきたおかげで、どうやら3コースから成るカリキュラムも並べることができました。とはいっても、目玉は「現代史の謎解き」「国際歴史探偵」であることに変わりません。大幅更新のリンク集を「情報処理センター」としゃれこみ、特別研究室「2001年の尋ね人」を「情報収集センター」に入れて、ここでは新規にリンクしたサーカス研究家大島幹雄さんの「月刊 デラシネ通信」と提携して、1937年旧ソ連で粛清されたサーカス団員「ヤマサキ・キヨシ」の出自を探ってみることにしました。大島さんのユニークな研究で明らかにされているように、日本で最初にパスポートをもらったのはサーカス芸人たちで、安岡章太郎も描いた近代日本の国際化の先達です。ついに二世紀にまたがりましたが、20世紀を波瀾万丈に生きて不遇のうちに世を去った無名の日本人たちの魂を蘇生させるため、今世紀もよろしくお願い申し上げます。
例年ならここで 、恒例Web 年賀状を公開して皆様にご挨拶するところですが、どうも気が進みません。"Merry Christmas and A Happy New Century from Tokyo! " と勇ましく世界に発したクリスマス・メールに、欧米の友人たちが「えっ、もう21世紀始まってるんじゃないの?」と返答してきて肩すかしをくったこともありますが、 昨年後半に何人かの友人を失い、12月には同僚辻内鏡人さんの不慮の死に、大量の「喪中につき年賀遠慮いたします」葉書が重なりました。そして、次々に舞い込むメロディーつき電子クリスマスカード・年賀メール。省庁再編で郵政省が消えても総務省なる巨大官庁ができて、あの「ヘッドライト・テールライト」の中島みゆきまで動員してあおり立てる「年賀状」が、時代錯誤でむなしくみえるのです。どう考えても第3ミレニアム的ではありません。したがって日本政府御用達「年賀状」は、本年から返事のみとし、あとは簡単なニューイアーメールで済ませることにしました。もう出してしまった皆様、悪しからず。
でも「研究室」を「カレッジ」に格上げ(?)するんですから、せめてものご祝儀にと、カリキュラムの現代史研究の専門課程にアップしたのが、近く立命館大学『政策科学』誌に発表される「20世紀日本における『人民』概念の獲得と喪失」と題する論文、ルソーとリンカーンの精神が自由民権運動に引き継がれながら、おおむね1930年代に「無産大衆」や「労農階級」に代わる左翼用語に転化し、戦後から1970年頃まで華々しく使われて社会科学・歴史学の牽引概念にまでされていた「人民」が、なぜか世紀末には消えてしまった軌跡を追いかけたものです。この論文、政治学の田口富久治さんの立命館大学退職記念論文集に寄稿し、編集委員会にHP事前公開の了承をえたものですが、ベッドの上で96歳の新世紀を迎えられた石堂清倫さんにも、ぜひ御意見をうかがいたかった新稿です。皆様の御意見・御批判を期待します。政治学研究の教養課程には、「戦後日本の政治」という中央アジア旅行に持参した講演草稿をアップ、21世紀日本政治の最初の十年は、憲法改正をめぐって展開するでしょう。英語ページを充実させるため「国際交流センター」に拡充・改組し、データベース的機能は図書館に統合しました。一橋大学関係の情報は「教育センター」に一括してあります。もっとも「国際交流センター」のご祝儀が恒例 "Special Joke Lecture,"World Ideologies Explained by Cows"のバージョン・アップ(ver.10)だけでは前途多難、今年もできるだけ海外に出て、この面を充実させたいものです。
リンク集の「情報処理センター」への改組にあたって痛感したのが、インターネット宇宙の幾何級数的膨張と、その中から意味ある情報を見分け批判的に解読する<眼>の重要性。ネチズンシップの醸成以前に、こどもたちにまで広がったジャンク情報の洪水の中で、ハンナ・アレントやハーバーマスが前世紀に夢見た「公共圏」=交響の広場を、いかにして構築していくか? そんな課題をみすえて、本ネチズン・カレッジでは「情報学」を必修としました。思想史的にはこれは、20世紀に確立された民主主義の諸価値の中で、「自由」と「平和」をどのようにおりあわせていくかという問題と関わります。日本の「戦後民主主義」が、日本国憲法を土台とした「平和と民主主義」として展開されたため、この国ではあまり自覚されませんが、欧米ネチズンの価値意識の中では、「民主主義」と「平和」は一体ではありません。フランス革命の「自由・平等・友愛」以来、むしろ「自由のために銃をとる」のが、民主主義思想の伝統です。西欧国民国家の憲法には、「国民として他国の人間を殺す義務」が書かれている場合が多いのです。12月にEUニース会議で採択された「EU基本権憲章」の諸価値も、「尊厳、自由、平等、連帯、市民権、司法」と構成されています。ここに、どのように「平和」を基本的価値として組み込んでいくのか? つきつめれば、前世紀の「戦争」の意味を問い、マハトマ・ガンジーに行き着く問題です。ですから本ネチズン・カレッジは、「自由」と「平和」が両立しうる公共圏を模索し、インターネットの双方向性と脱国家性に、21世紀的コミュニケーションの希望を見出していきたいと思います。「公共=交響の広場」とは、10年前に「ベルリンの壁」を崩壊させた、ふつうの市民たちの広場=「フォーラム」を想起してのもの。第3ミレニアムも、本HPを、よろしくご指導・ご鞭撻ください。