2008.11.15 私の占領期沖縄・奄美社会運動史研究の「同志」であり、かけがえのない証言者であり、『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻(不二出版)の共編著者であった国場幸太郎さんのご逝去については、沖縄タイムス10月25日付けの訃報27日の琉球新報コラム「金口木舌」、同日琉球新報の新崎盛暉さん追悼文、30日沖縄タイムスの新川明さん追悼文がありますが、本サイト独自の国場幸太郎さん追悼文を、昨年1月に亡くなった金澤幸雄さん追悼と併せて、図書館戦後初期沖縄解放運動資料集』解説ページに入れました。下に、金澤幸雄さんと国場幸太郎さんの協働の産物である、不二出版から出版された「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻の内容見本を掲げ、お二人のご冥福を祈ります。

 

金澤幸雄さんと国場幸太郎さんを偲ぶ  

 

 

加藤哲郎

 


<2007年2月 金澤幸雄さん逝く>

 

皆様へ、悲しいお知らせです。

 私たちが大変お世話になった福島県須賀川の金澤幸雄さんが、2007年1月28日、須賀川のご自宅で、息をひきとられました。故人の遺志で、今日までご家族外には出さず、ご遺族が葉書にて連絡してきました。誠に誠に残念で、心からご冥福をお祈りいたします。

 はじめはまさかと疑い、金澤さんの親友だった元共同通信横堀洋一さんに連絡しましたがつかまらず、失礼かとは思いましたが、須賀川のお宅に直接電話したところ、助手の岡春美さんがいつものように出て、本当だと知らされました。つい2か月前にドイツ旅行の結果をご報告し、暖かくなったら、現在私が探求中の元東大経済学部講師崎村茂樹の謎との関係で、戦時日本陸軍華北で活動した日高富明機関について詳しいお話しをうかがう予定だったのですが、かなわぬものとなりました。かえすがえすも残念です。

 もともと私は、同じく旧東独社会主義を体験したものとして、ワイマール期在独日本人についても詳しい元赤旗ベルリン特派員の金澤幸雄さんにお話しをうかがいました。ちょうど岡田桑三の伝記を書いていた原田健一さん、川崎賢子さんともご一緒しました。とにかく博学で、戦前・戦後の社会運動史の生き字引・生き証人で、野坂問題から毛沢東まで、何でもご存じでした。川崎さんから送られたご労作を読むのを、楽しみにしていらっしゃいました。日本共産党の戦後の綱領問題についても、もっと詳しく聞いておくべきだったと悔やまれます。

 須賀川の金澤幸雄さんのお宅で、国場幸太郎さんの検挙記録を含む非合法沖縄共産党の第一次資料を見せていただいたのがきっかけで、その後、国場さん、森宣雄さん、鳥山淳さんと一緒に、福島まで泊まりがけで出かけ、金澤さん提供資料を柱に、不二出版の『戦後初期沖縄解放運動史資料集』全三巻を、刊行することになりました。第一巻刊行が、ちょうど金澤さんの奥さんが亡くなった時で、私たちの前書きに追悼の一言を入れたら、金澤さんはことのほかそれを大変喜んでいらっしゃいました。その奥さんを喪ってから、金澤さんご自身のお身体も、急速に弱っていったようでした。

 それでも2006年、ユン・チアン、ジョン・ハリディの問題作『マオ 誰も知らなかった毛沢東』の書評を書くにあたって、ハリディのインタビュー・リストに金澤さんの名前を見つけて、大部の邦訳上下本に英語原書まで読んでもらい、『マオ』の長文の批判を書いておられた矢吹晋さんと3人で、飯田橋の鰻屋で、長時間議論しました。たまたま矢吹さんも福島県のご近所のご出身で、お二人で共通の友人のことなど、楽しく話していらっしゃいました。矢吹さんからは、もう一度金澤さんと中国革命放談の場を設けるよう頼まれていましたが、それもできなくなりました。

 実は、この間私が追いかけている「崎村茂樹」が、1950年国慶節の毛沢東暗殺未遂事件の日本人関係者であったことから、暖かくなって、日高機関の戦後と、山口隆一が死刑、崎村茂樹が禁固5年になった毛沢東暗殺未遂事件について金澤さんからお話しをうかがう時には、また矢吹さんに同席して頂くことになっていました。

 2006年12月中旬に、私がドイツから帰国し、1943年に在独日本大使館嘱託からスウェーデンに「亡命」して連合国側についた崎村茂樹についての調査結果を報告した際、金澤幸雄さんは、病床でしたが声はまだお元気で、1945−55年の崎村茂樹の中国時代については「矢吹君も入れて話そう」とおっしゃっていました。かえすがえすも残念です。

 私がこの間、ゾルゲ事件や象徴天皇制、米国の戦後アジア戦略と日本占領政策について、金澤さんに資料をお借りし、須賀川や東京でお会いしたさい、金澤さんが強く勧めてくれたのは、近衛文麿を徹底的に研究すること、『矢部貞治日記』全4巻を年表と照らし合わせてじっくり読むこと、でした。ようやく『矢部日記』の2巻目に入ったところで、金澤さんは、奥さんのそばに逝ってしまいました。これから宿題を果たさなければなりません。それが、金澤幸雄さんの、私たちに対する期待でした。心からご冥福をお祈りし、合掌します。


<2008年10月 国場幸太郎さん逝去の報に接して>

 

突然の、思いがけない悲しい知らせが届きました。私にとっては、占領期沖縄・奄美社会運動史研究の「同志」であり、かけがえのない証言者であり、『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻(不二出版)の共編著者であった国場幸太郎さんが、8月23日にひっそりと亡くなっていたという訃報です。残念です。無念です。沖縄タイムス10月25日付けの訃報を以下に掲げて、心からご冥福をお祈りいたします。10月27日には琉球新報に新崎盛暉さんの、30日には沖縄タイムスに新川明さんの追悼文が掲載されました。27日の琉球新報コラム「金口木舌」でも、とりあげられています。合掌!

元沖縄人民党幹部で、沖縄戦後史研究者の国場幸太郎(こくば・こうたろう)氏が多臓器不全のため宮崎県都城市の病院で死去していたことが24日、分かった。81歳。亡くなったのは8月23日。那覇市出身。自宅は宮崎県都城市祝吉三ノ一三ノ一三。告別式は8月25日に済ませた。喪主は妻・圭子(けいこ)さん。国場氏は1953年の宜野湾村(当時)伊佐浜土地接収の際、農民の抵抗を支援して弾圧されたことで知られる。60年に上京、62年に「沖縄の復帰運動と革新政党」を雑誌「思想」に発表し、論争となった。

 去る10月24日に、国場幸太郎さんのお嬢様と電話で話したという上里佑子さんから連絡をいただき、すぐに沖縄在住の鳥山淳さん、京都の森宣雄さんにも連絡したのですが、すでに8月23日に息を引き取られたとのことで、あまりに多くの学恩を受けながら、何もできずに国場さんを喪ったことを無念に想い、心よりお悔やみ申し上げます。

 ちょうどこの8月、ワシントンの米国国立公文書館に通って、戦前・戦後の日米関係資料にあたっており、たまたま瀬長亀次郎氏と国場幸太郎さんの米軍監視記録をみつけたものですから、ちょうど国場さんの逝った23日頃にコピーして、9月に日本に持ち帰りました。その後その記録は、沖縄県公文書館にもあるとわかりましたが、国場さんの東大時代の写真等は入っていないとのことで、つい先日、上京した鳥山淳君に託して、国場さんにお届けする手だてを整えたばかりでした。それはかなわぬものとなりましたが、近く鳥山君を通じて、御霊前にお届けします。

 国場幸太郎さんとは、20世紀末の出会いでした。たまたま私が、福島県須賀川市在住の故金澤幸雄さん宅にドイツ関係の資料探しでうかがったさいに、国場さんご自身の沖縄での活動記録を含む沖縄非合法共産党資料を金澤さんが保存していたのを知り、すでに国場さんの聞き取りを始めていた若手沖縄研究者の森宣雄さん、私のもとで大学院で学んでいた鳥山淳君に伝え、国場さんご自身にも上京していただいて、私の車に簡易複写機を積み込み、4人で福島まで見に行った夏の思い出が、つい昨日のように甦ります。

 泊まり込みの福島資料調査は、実りあるものでした。戦後沖縄解放運動史の貴重資料発掘もさることながら、同時代人で東京で活動した金澤幸雄さんと、沖縄で第一線にあった国場さんの対話が、われわれ戦後生まれにはなによりも刺激的で、共産党文書の暗号文や登場人物を次々と解き明かしていくお二人に、体験に裏付けられた知性の重みを思い知らされました。

 外向的で東ドイツ・モスクワ・中国体験を持つジャーナリスト金澤さんと、戦後沖縄体験に即して一語一語を大切にされる国場さんは、一見対照的に見えましたが、内に秘めた闘志とアメリカ世界支配に前線で抵抗してきた共通体験でお二人は意気投合し、昨2007年1月28日の金澤幸雄さんのご永眠まで、交流を続けておられました。

 その間に、私と鳥山淳君・森宣雄君は、国場さんと一緒に収集資料を解読・編集し世に出す仕事にたずさわることができ、国場さんとの共同の成果である『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻(不二出版)は、幸い沖縄に留まらない大きな反響を呼び、国内外の沖縄研究者に基本資料として迎えられました。

 そこにも国場幸太郎さんの聞き取り記録や当時の雑誌・新聞論文は収録することが出来ましたが、私たちとしては、国場さんご自身の手になる沖縄戦後史と現代への発言を書物にしたいと望み、執筆をお願いしていました。そのことが、国場さんのお身体に無理を強いたのではないかと、後悔の念に駆られます。

 金澤幸雄さんの分まで、もっと生きながらえていただきたかったというのが率直な気持ちで、悔しく残念無念です。今はただ、国場幸太郎さんのご冥福を、心より祈念しています。合掌。



以下が、金澤幸雄さんと国場幸太郎さんの協働の産物である、不二出版から出版された「戦後初期沖縄解放運動資料集」全3巻の内容見本です。やや高価ですが、ぜひ図書館等にご購入下さい。

『戦後初期沖縄解放運動資料集』全3巻 

刊行の言葉

 

 本資料集は、第二次世界戦争終了後の沖縄における解放運動の基礎資料を、原資料のかたちで提供しようとするものである。

 時期的には、戦後初期の米軍軍政資料中での沖縄民衆の自生的社会運動・解放運動・政党結成の動きの監視記録から、運動が日本「復帰」の方向をとり、「島ぐるみ闘争」から瀬長亀次郎那覇市長当選を実現する一九五七年頃までを主たる収集・選択範囲とし、その運動の総括や評価をめぐる一連の論争・回想・インタビューをも視野に収め、関連新聞記事や参考文献の目録と共に収録することとした。そのすべてについて、運動の中心的組織者の一人であった国場幸太郎が資料・解説に目を通し、戦後生まれの他の編者たちによる史資料の選択、真偽の判定、執筆時期の確定・推定、変名・暗号の解読、収録の歴史的意味づけ等に、助言を与えた。

 本資料集は、第一巻「米軍政下沖縄の人民党と社会運動(一九四七ム五七年)」、第二巻「沖縄の非合法共産党資料(一九五三ム五七年)」、第三巻「沖縄非合法共産党と奄美・日本(一九四四ム六三年)」の全三巻から成るが、このようなかたちで資料集に編むにいたった直接の契機は、編者四名が、編者の一人である加藤哲郎の得た情報をもとに、二〇〇〇年夏に福島県の金澤幸雄氏宅を訪問し、同氏所蔵の膨大な沖縄非合法共産党関係資料(本資料集第二巻第一部所収)を閲覧し、複写する機会を得たことであった。

 それらは、もともと戦後の日本共産党中央で長く沖縄解放運動の指導にあたった故高安重正氏の遺品であったが、その後、これら資料の解読のために、もともと戦後初期沖縄の政治史を探究してきた森宣雄・鳥山淳が周辺資料を集め、運動当事者であった国場幸太郎の保存資料と記憶をもとに、奄美の解放運動を長く探求してきた松田清氏、奄美と沖縄の解放運動を結びつけた林義巳氏らにインタビューを重ね、当時の沖縄の活動家であった渡慶次正一氏、大峰林一氏らからも資料と情報の提供を受けて、本資料集のようなかたちにまで拡充し、系統立てることができた。また、当時を知る多くの活動家・関係者とご家族・ご遺族、公文書館・図書館関係者、研究者・ジャーナリストの方々のご協力を得た。これらの方々の資料・情報提供と編集へのご協力に、編者一同、心から謝意を表する。  



図書館に戻る

ホームページに戻る