2001・12・1 「辻内鏡人さんをしのぶ会」

 送る言葉    

 

  田崎研究科長が出張中のため、一橋大学社会学研究科・社会学部の同僚を代表して、辻内鏡人さんを偲ぶ一言を、衣子さんをはじめご家族・ご親族、ご列席の皆様に、お送りしたいと思います。

 辻内鏡人さん、あなたが私たちの前から突然いなくなって、もう1年もたつんですね。あの12月4日の不慮の出来事を、あなたも、私たちも、全く予期できませんでしたから、その後の真相解明のための駅頭でのビラまき、八王子での裁判、遺稿集・追悼集の準備をくぐっても、あなたを喪失した実感が伴わず、いまだにあなたがどこか海外に留学中で、また戻ってくるような、錯覚にとらわれます。

 同時に、あなたの喪失を最も悲しんでいた1人である本田創造先生までを相次いで失い、9月11日からは、あなたの愛していたアメリカが、いままでとは別の顔をみせはじめて、あなたの批判的知性と構想力が最も求められる時に、あなたの声を聞けないことで、喪失の深さを、思い知らされています。

 辻内さん、あなたは学生たちに愛され、よく学びよく遊び、兄貴のように慕われる、すばらしい教師でした。あなたの構築したアメリカン・スタディーズ・ホームページの中には、いまでも昨年夏学期の「アメリカ社会史特論」の講義要綱がかかげられています。そこには、「国境を越える人間や文化・情報・財貨が増大するにつれて、国籍や民族性のもつ意味は、一般的には低下する傾向にあるかもしれないが、そのような普遍化作用は、直線的な展開を遂げるわけではない。従来の認識の規範的な枠組みが解体しようとするとき、それに対する抵抗も、また高まらざるを得ない。多文化時代ともいわれるこんにち、経済面でのボーダーレス化が進行する反面、文化や人間の差異に基づく摩擦が高まっている現状のもとで、多様な認識がもとめられる」とあります。

 こんな講義を、いまどれほど切実に、学生たちが求めていることでしょうか。私たちは、それぞれの専門分野で努力を重ねていますが、歴史的考察を踏まえて「多人種社会における国民統合」「アメリカ人にならないアメリカ人」の問題まで提起していたあなたに代わって、答えることは、出来ません。しかもあなたは、それを「社会的な弱者や少数者、被抑圧者についての正当な認識と対応のあり方が、考察の対象となる」として、黒人差別からときほぐし、文化闘争へと論を進めます。今アメリカでは、あなたの力説する「多様な認識」が失われています。アラブ系と言うだけで危険視され、反戦の意思を示した高校生がいやがらせをうけて退学を余儀なくされ、大統領の認識と政策に異を唱える研究者に、40もの大学で、圧力が加えられています。あなたなら、このアメリカをどのように読みとり、どのように学生たちに伝えたのか、残念ながら、あなたの声は、もう聞こえません。

 辻内さん、あなたもよくご存じのように、いま日本の国立大学は、有史以来というべき転換期にあります。社会学研究科も、大学院重点化から独立法人化問題の対処へと急旋回し、中期・長期の計画をたてて取り組まざるをえない課題が、山積しています。こんな時、あなたのあのさわやかな笑顔から発せられる、時には鋭い批判をともなった発言が、教授会や委員会には不可欠だったのですが、あの存在感のある舌鋒は、もはや聞くことができません。1年たって私たちは、あなたの喪失の重みを、思い知らされています。

 しかし、辻内さん、あなたは、ペンの力、言説の力で、活動してきました。深い思索と、発言する勇気を、さまざまな記憶や想い出と共に、私たちに残してくれました。

 本田創造先生や松井坦君にまつわる個人的な想いは、1年前に公表し、今度の追悼集にも書きましたので、もう繰り返しません。しかし一つだけ追加して、あなたにご報告することを、お許しください。

 先日、津田塾大学のキング牧師にあてた手紙のコンテストで、あなたの分身である千織さんが、最優秀賞をとりました。早速私も津田塾大学のホームページにアクセスし、読ませて頂きました。暴力を排し、正義を愛し、差別や偏見を許さない心を受け継いだ、すばらしいエッセイでした。衣子さんの許しを得て、私が9月11日以降開設したホームページにも入れました。「イマジン」という、平和を愛する音楽や写真や詩やエッセイを収録する、特設コーナーです。そこには「高校生平和ニュース」もあって、日本中の高校生・大学生や、多くの先生方が、読んでくれています。そんな人たちのあいだでよく使われる教材は、メドウズの「100人の地球村」や、バニヤッカの「ホピー族の平和宣言」です。その精神を伝えるために、先生方が、こどもたちに薦める一番の参考書は、チョムスキーでも、サイードでもありません。あなたの遺した『キング牧師』と、マハトマ・ガンジーのものなそうです。中野聡さんをはじめ、社会学研究科の同僚たちは、あなたの研究・教育の姿勢に深く学びながら、あなたのペンの力を受け継ごうと、決意しています。

 辻内さん、あなたは亡くなる直前に、「打ち上げ花火ではなく、地道な改革をしないと、大学は本当にだめになる。株式相場のようにめまぐるしく変わる市場の原理を、学問・教育の論理に何の疑いもなく当てはめると、大学は窒息死する」と言い遺しています。執行部の一員としては頭のいたいところですが、遺された私たちは、あなたの遺言を肝に銘じて、地道な改革に、踏みだそうとしています。

 辻内さん。刑事裁判もまもなく決着し、一つの区切りがやってくることは、避けられません。しかし、私たち同僚は、たぶん本田先生がそうしたかったであろうことと確信しながら、あなたが最も大切にしていたご家族をしっかりと見守って、必要な援助を惜しまない覚悟です。

 辻内鏡人さん、あなたの、ちょっと含羞を含んだあの笑顔を、決して忘れません。

どうぞ今度こそ、安らかに、平和の海に、身を委ねてください。 さようなら。  

                                 

                      2000年12月2日  加藤哲郎

 


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