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牧原憲夫編『山代巴獄中手記書簡集──模索の軌跡』(平凡社)

 

                                                              加藤哲郎(一橋大学教員・政治学)

 


 篠田正浩監督の大作『スパイ・ゾルゲ』が一般公開された。本書を片手に見に行った。映画には、山代巴が一九四四年に和歌山刑務所で会ったゾルゲ事件関係者北林トモも久津見房子も登場しないが、アグネス・スメドレー役に敢えて東洋系女優を配した演出の中に、篠田監督の「女革命家」イメージが投影されている。男勝りで好奇心旺盛、美しく奔放な戦前女性共産主義者像である。九〇歳をこえてなお凛としているという、山代巴の場合はどうであったのか? そんな関心で、六百頁近い大著に目を通した。一九三七年、夫山代吉宗と一緒の新婚写真は美しい。口絵は、それ自体が貴重な現代史の記録である。

 収録されているのは、第一部に四三年三次刑務所で書かれた獄中手記=上申書、第二部に四一ム四五年に山代吉宗・巴が獄中から家族に宛てた書簡一九一通、第三部に山代巴の仮出獄証票など官憲資料と『アカハタ』四七年一月掲載の巴の吉宗追悼文草稿、それに関連する栗原佑宛て手紙、第四部に七一年発表の巴「山代吉宗のこと」である。ゾルゲ事件検挙の一年前、一九四〇年にいわゆる「京浜地方日本共産党再建グループ」として治安維持法で検挙された、山代吉宗・巴夫妻の獄中闘争記録として編まれている。

 第一部は上申書、つまり鶴見俊輔・藤田省三らの「転向」研究の重要な素材となった政治犯の刑務所長宛獄中手記である。一九〇一年生まれの山代吉宗は二八年頃、一二年生まれの巴は三二年に、日本共産党に入党していた。だから中央指導部壊滅後の三七年結婚時に党再建の志を持っていたとしても不思議ではないが、手記は自覚的入党を否定している。四〇年に逮捕された二人は生き別れになり、吉宗は終戦直前の四五年一月獄死する。

 戦後の一時期共産党を支配した「非転向」を絶対正義とする史観からは、第一部の巴の手記に「転向=権力によって強制された思想変化」の痕跡を詮索する読み方もありうる。ちょうど特高警察が山代夫妻らの読書会に「人民戦線=党再建」を嗅ぎ取った裏返しで。だが、つとに藤田省三が述べたように、革命運動「からの転向」の「昭和八年前後」とは異なり、「昭和一五年前後」は総力戦「への転向」の時代である。巴自身「左翼運動華やかなりし時代の運動とは全く趣を異にし、飽迄自己独自の定見に基づき」と言うように、素直に読めば、絵が好きな少女が、美と芸術に目覚め、女工達への同情の延長上で資本主義への疑問が芽生えての活動で、内面の軌跡を辿って家族と郷土への絆を確かめる文章である。ゾルゲのような「祖国」はドイツかソ連かの葛藤も、党か家族かの相克もない。

 編者牧原憲夫は本書を、転向でも非転向でもなく「模索の軌跡」と副題した。四・一六事件で検挙された吉宗が「三五年に出獄すると、『労働者の質問に答える』という形の運動のあり方を模索し、同志の紹介で巴と結婚した」とさりげなく記し、吉宗の「模索」の延長上で巴の上申書を読むよう示唆している。もっともそれなら、石堂清倫の遺言『二〇世紀の意味』(平凡社)のように「転向」そのものをも論じて欲しかったが、それは資料集としての本書の課題を越える。編者が同時期に編集した『<私>にとっての国民国家論ムム歴史研究者の井戸端会議』(日本経済評論社)を併せ読むと、山代手記のなかに国民国家の呪縛から逃れる「非国民化の回路」を探った「模索」の所産とも読める。

 だから、第二部に、宮本顕治・百合子『十二年の手紙』風の「非転向」闘争、獄中の夫を気遣う健気な文学者の妻を期待する向きは、肩すかしを喰う。なにしろ夫妻とも獄中、リンチ殺人事件ではなく「党」解体後の読書会が戦争準備に巻き込まれての、予防的危機管理による社会と家庭からの隔離である。書簡は家族宛を含め時系列で編集されているが、夫妻がそれぞれ刑務所で検閲されつつ交わした三〇通近い手紙を、まとめて読むと面白い。吉宗は「科学」に、巴は「家族」に、獄中で生き抜く拠り所を見ている。

 編者の心意気は、第三部にうかがわれる。四七年広島県知事選挙に社会党公認で立候補・惜敗した中井正一は、かの『世界文化』グループの美学者で、後の国会図書館副館長である。農民組合で活動を始めた巴は、中井を党派的に独占しようとした共産党への不満を、栗原佑にぶちまける。編者によれば、敗戦直後に巴は「転向者」どころか「スパイ」扱いまでされたそうで、「挫折」と「模索」は、戦後も続いたことを示唆する。

 第四部の「山代吉宗のこと」は、七一年に活字になった文章の再録で、本書全体の解説的意味を与えられている。しかしそれなら、山代グループのK氏(加藤四海)を警視庁に売ったのは「五〇年代になって正体を暴露した、スパイ伊藤律」という巴の記述には、注釈を付すべきだったろう。ゾルゲ事件研究の方では「伊藤律スパイ説=発覚端緒説」はほぼ崩壊し、伊藤律と同郷の篠田監督『スパイ・ゾルゲ』も、それを暗示している。

 評者としては、第一ム三部の手書き原稿は、苦労して解読・活字化するよりも、最先端技術でデジタル・リプリントしてくれた方が、資料的価値は大きかったと思う。異なる筆跡を無理して解読したために、例えば飯島喜美(キミ)が「飯島キシ」として活字になっている。編者を責めるのではない。評者もかつて土方與志供述を誤植した活字資料(『演出者の道』未来社)で旧ソ連粛清犠牲者松田照子探求を回り道した経験を持つので、こうした第一次資料は、可能ならスキャナーで残し、後世に解読を委ねるべきではないかと考えるからである。すでに国会図書館は戦前書籍の全面デジタル化に取り組み、いま氾濫する膨大な新刊書の紙の山も、やがてはデジタル保存の運命にあるのだから。

 ちょうど「転向」研究の先駆者藤田省三が没した。彼が「戦後の議論の前提」(『精神史的考察』平凡社ライブラリー)に残した言明こそ、山代巴というオンリーワンの個性のたたかいを評するにふさわしく思われた。戦争に対しても「党」に対しても、「本当の精神的勇気とは、それが精神である以上、組織的戦闘行為に加わって人一倍の勇敢さを示す場合よりも、むしろ団体権力の圧迫と衆を恃んだ便乗的非難とに抗して敢えてそこから離脱する決心をする場合にこそしばしば現れ出るものである」と。

(『図書新聞』2003年7月26日号掲載) 



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