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 田口富久治『戦後日本政治学史』

(東京大学出版会)

 

 本書は、田口氏の『日本政治学史の源流──小野塚喜平次の政治学』(未来社、一九八五年)、『日本政治学史の展開──今中政治学の形成と展開』(同九〇年)に続く戦後編で、この三著により、著者による二〇世紀日本の政治学史概観は、完成したことになる。索引収録の政治学者は内外五百人近く、扱われる文献数千点、主要な学者には略歴・業績も付されていて、まずは政治学ハンドブック、データベースとして役立つ。

 とはいえ、第一章 戦後日本政治学の方向づけと制度化(丸山真男、蝋山政道、日本政治学会創立)、第二章 戦後政治学史への諸アプローチ(石田雄、藪野祐三、大嶽秀夫らのサーベイ)、第三章 戦後政治学と丸山真男・辻清明、第四章 戦後政治学の百花斉放氛氛汕鼡纉〇年代世代の登場(福田歓一、京極純一、福島新吾、岡義達、永井陽之助、石田雄)、第五章 同(神島二郎、升味準之輔、篠原一、足立忠夫)、第六章 戦後政治学の新展開(松下圭一、藤田省三、高畠通敏)、第七章 戦後政治学の変貌と『レヴァイアサン』の登場(村松岐夫、大嶽秀夫、猪口孝ら、それを批判する阿部斉、小林正弥ら)という構成と、扱われる政治学者の顔触れに、本書の方法的立場と特徴が、よく現れている。

 日本政治学会に属する若い研究者なら、この顔触れは東大法学部出身者に偏しており、京大系や早稲田・慶應系列、外国留学組はどうなんだ、と疑問をもつかもしれない。著者もそれは自覚していて、分析対象者の一人である松下圭一からその点を注意されたことを述べている。そして、現在の政治学会で支配的な日本型多元主義から新制度論の流れ、端的にいえば雑誌『レヴァイアサン』のグループは、本書では批判的に扱われる。

 評者と同じ団塊の世代の読者ならば、著者の田口氏は、もともと「近代政治学」に対抗する「マルクス主義政治学」の旗手であったはずなのに、本書ではその流れがほとんど扱われないのはなぜか、と考えるだろう。その答えは巻末に用意されており、著者自身の思想的軌跡と関わる本書のこの側面については、評者は別稿「田口富久治『戦後日本政治学史』を読む──私的断想」(『葦牙』第二七号)に記しておいた。かつて著者自身が代表者であったマルクス主義政治学の流れは、日本政治学史のなかに見るべき成果を残すことなく崩壊してしまった。本書の行間には、それを顧みる「自己内対話」も滲み出ている。

 著者と同世代の、日本政治学会の創立から丸山真男の活躍時を知る人々にとってはどうだろうか? 本書の中心対象は、丸山「科学としての政治学」に発する「戦後政治学」であり、丸山真男に対する二つの方向からの批判──価値観が入って「科学としての政治学」にバイアスをもたらしたのではないかとする行動論政治学・多元主義者からの批判、その価値観が日本のナショナリズムに刻印されアジアに対する軽視があったのではないかとするポスト・モダン派からの批判──に答え、丸山らの「戦後民主主義の政治学」の学問的擁護が基調となる。そしてその擁護は、基本的に成功している。丸山の思想的同盟者・後継者と目される辻清明・福田歓一・石田雄・篠原一・藤田省三・松下圭一・高畠通敏らの丹念な読み込みはもちろんであるが、京極純一や足立忠夫の仕事にも「戦後民主主義」の息吹を見出す手法は、鮮やかである。しかも、その叙述のはしばしに、著者自身が見聞したエピソードが散りばめられ、「百花斉放の英雄時代」の多元的な学問的熱気が伝わってくる。

 そうした時代経験によってか、最近の政治学の支配的潮流への著者の批判は手厳しい。マルクス主義という方法論的対抗軸を失い、価値中立という名で存在被拘束性をも忘れたアメリカ直輸入の学会動向に対しては、「公共哲学の復権」を訴える。本書は、初心に帰り学問の有意味性を取り戻せと警告する、日本の政治学への「復初の説」なのである。

(加藤哲郎・かとうてつろう・一橋大学教授・政治学)

<『週刊読書人』2001年5月4日号に掲載>


田口富久治『戦後日本政治学史』を読む──私的断想

 

加藤 哲郎

 

 

 藤田省三『精神史的考察』(平凡社、一九八二年)中に、「市村弘正『都市の周縁』をめぐって」という絶品がある。『伝統と現代』七八年一一月号に掲載された市村弘正の論文をレビューしながら、「読む」という行為の意味と、そこでの思想的緊張を教えて、味わい深い。たとえば引用の仕方。江戸末期の「裏店」を描くに際して、市村が引用したのは武陽隠士『世事見聞録』と寺門静軒『江戸繁盛記』の二冊のみだった。だが藤田はいう。

 「私たちは、市村氏がこの二冊だけしか読んでいないなどという表面的な判断を下してはならない。総読書目録を全ゆる場合に開陳していい気になる風習を持つアカデミシャンは、とかく鈍感にもそういう軽率な即断をしやすいものであるが、……もし行文の一行一行の中に包み込まれている含意の程を読み取るなら、この論文のこの章の中には、引用されている二冊の代表的な書物の他に、戦前の江戸社会の研究家を始め最近の専門史学者に至るまでの諸調査がちゃんと取捨選択されているのである。その上で化政・天保当時の代表的な二冊の著書からの引用が叙述を生々と同時代的に支えるものとして採用されている。その抑制を無知と取り違える者がいたとしたら、それは救い難い『読み方知らず』と言わなければならないだろう。引用の仕方というものはそのぐらい大事な意味を包含するものであり、引用の取捨に際して働く、『知識の店開き』に対する抑制こそが叙述の象徴的要約性を保証するものなのである。」

 田口富久治氏から、新著『戦後日本政治学史』を送っていただいた。総計四七〇頁、ずっしりと重い。私はちょうど、国際会議用の英語原稿をかかえ呻吟していた。いくつかの論攷は初出で読んでいる。とりあえずの御礼とホームページ上での宣伝のみにして、後でじっくり味わってみようと思っていたところに、『葦牙』同人山根献氏から電子メール。次号に入れたいので二週間で書評を書け、という。英語論文の締切と重なりいったんお断りしたが、メール入稿なら遅れてかまわないから是非書けという。引き受けていったん読み出したら止まらない、面白いのである。政治学者にとっては、博引強記の百科全書であり、文献データベースであり、学会ハンドブックになる。丸山真男論として読むのが本筋だろうが、日本政治の構造論としても面白い。私の英語原稿は、中断してしまった。

 戦後日本の政治学は、丸山真男「科学としての政治学」(一九四七年)から出発した。「スタート台」「知的共有財産」としての丸山と辻清明から、福田歓一、京極純一、福島新吾、岡義達、永井陽之助、石田雄、神島二郎、升味準之輔、篠原一、足立忠夫らによる「戦後政治学のルネッサンス」「百花斉放」へと読み進み、「戦後政治学の新展開」を松下圭一から高畠通敏へとつなぐ藤田省三のところで、詰まってしまった。藤田の「経験」概念の実践的・論理的・認識論的含意を森有正のそれと比較対照する知の課題を提示された上に、冒頭に引いた藤田「市村弘正『都市の周縁』をめぐって」に「書評の名手として知られる著者がものした書評の白眉の一つ」と注釈がつけられ、「書評とはこのように書きたいものである」とある。深読みすれば、本書のありうべき書評への著者田口氏の注文であり、鈍感で軽率なアカデミシャンへの伏線である。なにしろ本書索引に登場する日本人研究者は三百人余、さらに外国人が百数十人。主題的に論じられるのは、著者自身が梁山泊の一員であった新制東大法学部政治学研究室の丸山から高畠への多元的流れと、「新しい流れ」としての「戦後政治学の変貌と『レヴァイアサン』の登場」とはいえ、参照著作・論文は数千に及び、それは数万の中から「ちゃんと取捨選択されている」。

 そのうえ本誌『葦牙』は、「文学と思想の雑誌」である。概要を紹介して一言という新聞書評風では済まない。学会的論点を抽出し専門的コメントを付すという同業組合的レビューもふさわしくない。いや、藤田省三水準の書評を所望されたら、紹介とコメントの双方を昇華したうえで、「思想的彫りの深さと鋭さ、およびリリックで的確な表現」(田口氏の藤田評)を求められる。そんな「文学的」レビューは、もちろん私の手に余る。

 だからここでは、田口氏の厳しい学問的篩いをくぐって、私自身もポジティヴに言及されえた唯一の領域、インターネットを駆使する手法もとれない。国会図書館が一九四八年以降今日まで受理した約二百万件の文献中で、「政治学」のタイトル名で検索できるのは一〇〇二件、「丸山真男」は六六件、著者名なら「田口富久治」は「丸山真男」六二件と全く同数で、まだ本書は登録されていないから、本書で田口氏の著訳書数は丸山を越える、といった書誌学的計量分析はやめておこう。『葦牙』読者にとってもレレバントな、したがって専門外の人々にとっても意味あるいくつかの断片を、私的に切り取ることにした。

 戦後日本政治学史について論じた書物は、田口氏の本書が初めてではない。本書第二章「戦後政治学史への諸アプローチ」で論じられるように、図書新聞編『日本の学問』(一九六七年)の福島新吾・升味準之輔に田口氏自身の加わる座談会から、私が昨年大学院ゼミで用いた大嶽秀夫『戦後政治と政治学』『高度成長期の政治学』(東大出版会、一九九四・九九年)まで、いくつかの試みがある。こうしたサーベイは大学院生や留学生にとって有益で、私自身はこれまで、三宅一郎・山口定・村松岐夫・進藤栄一『日本政治の座標』(有斐閣、一九八五年)と大嶽秀夫の併読を勧めてきた。本書は、田口氏の前著『日本政治学史の源流』(未来社、一九八五年)、『日本政治学史の展開』(同九〇年)に続く戦後編で、三著により二〇世紀日本の政治学の概観が完成し、華麗な鳥瞰図が得られることになった。

 本書に登場する主要な政治学者には、略歴と著作目録が付されている。頻繁に登場するのは『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社、一九九〇年)の記述である。実はこの『事典』の田口氏の項は、私が書いた。「たぐち・ふくじ 政治学者。秋田県生まれ。一九五三年東大政治学科卒。東大法学部助手、明大政経学部助教授・教授を経て、七五年より名大法学部教授。戦後日本の代表的なマルクス主義政治学者として知られ、国家論、現代政治分析、比較政治、行政学、日本政治学史など多方面で活躍。自民党・高級官僚・財界の『三角同盟』論や、国会・地方自治体・労働運動の『階級闘争の三つの舞台』等を問題提起した。『社会集団の政治機能』(六九年)、『マルクス主義政治の基本問題』(七一年)、『先進国革命と多元的社会主義』(七八年)、『現代資本主義国家』(八二年)など著訳書多数」と。書名に誤りがある。本書のように使われるのなら、違った書き方がありえたと反省させられる。こうした短文でこそ「叙述の象徴的要約性」が問われるのだから。

 私たちの世代の読者ならば、本書には直接出てこない田口氏の著作・論文で、サーベイを目にした人も多いだろう。私の場合でいえば、『事典』に誤記した『マルクス主義政治理論の基本問題』(青木書店、七一年)と『現代政治学の諸潮流』(未来社、七三年)であり、より広く読まれた共著『政治の科学』(あゆみ出版、七二年、青木書店、七四年)や編著『講座 マルクス主義研究入門 2 政治学』(青木書店、七四年)であった。そこでは「戦後日本の政治学」の対立軸が「近代政治学とマルクス主義政治学」と設定されており、田口氏は、後者「マルクス主義政治学」の自他共に認める旗手であり、リーダーだった。学生時代の私が田口氏と初めて会ったのは、おそらく『現代政治学の諸潮流』巻頭に掲げられた「現代の日本と政治学の課題」のもとになった小研究会の場で、「マルクス主義政治学」の参考文献の第一に、当時愛読していた芝田進午『人間性と人格の理論』(青木書店、六一年)が挙げられていたのが、印象的だった。そんな未完の発展途上領域なら、学生運動に没頭して、丸山真男以外はマルクス、レーニン、グラムシ、野呂榮太郎でばっさり切ってきた私のような者でも近づけるかな、と生意気にも思ったものだった。

 その芝田進午氏の「予研裁判」途上での訃報に接してこの書評を書き始めたのも、なにやら因縁めくが、一九七〇年頃の田口氏が、批判対象たる「近代政治学」中に位置づけていた非マルクス主義政治学が、本書では「戦後政治学」として論述の骨格をなし、その「批判精神」「普遍的原理」の抽出・擁護・継承が、ポスト・モダン派の丸山真男批判(山之内靖・酒井直樹・姜尚中ら)やアメリカ留学帰りが多い『レヴァイアサン』グループ(猪口孝・大嶽秀夫・村松岐夫ら)との対比で、本書の基調となる。これは、どうしたことか? 

性急で軽率な読者ならば、これを著者の政治的・方法的立場の変更ないし「転向」と見るだろう。しかし注意深く読めば、七二年の「戦後日本の政治学」でも、諸潮流を統一戦線に対する政治的志向の軸と史的唯物論に対する方法論の軸を交差して四つのグループに分け、田口氏自身の属する「マルクス主義・統一戦線派」の第一任務は、「統一戦線を志向する非マルクス主義政治学との政治的協力と学問的相互批判」に措定されていた。本書で主要に論じられるのは、いわゆる「行動論政治学」でも「現実主義者」でもなく、かつての「非マルクス主義・統一戦線派」の系譜であり、叙述のはしばしで、その「政治的協力と学問的相互批判」のエピソードが語られる。藤田省三や高畠通敏の「転向」研究は、それ自体「戦後政治学」の成果として高く評価され、「転向」概念そのものが歴史的に扱われる。藤田の「日本の共産党等の中でスターリン主義的傾向が『運動』を実質的に動かしたのは、皮肉にも戦後の解放後である」という指摘に注目し、高畠の「運動の政治学」の生成根拠を述べる文脈に、著者自身の現時点での「転向」観を読みとることができる。

 いや「行文の一行一行の中に包み込まれている含意の程」をとるならば、丸山から高畠にいたる「戦後政治学」の担い手たちは、その理論・方法と政治的志向の歴史的展開が精査されながら、その個性と思想的一貫性が確認され、尊重されている。たとえば松下圭一の理論的営為の内に、その大衆社会論からシビル・ミニマム論、政策的思考論への軌跡にラスキの影響を、その一貫したバックボーンとしてロックを見出す。肝心なのは、その理論展開の思想的根拠であり、それを定立する哲学である、と読める。田口氏自身にあっては、おそらくそのバックボーンは、イズムと化した「マルクス主義」ではなく、生身のマルクスであり、ウェーバーであり、丸山真男であって、その点では見事に一貫している。

 田口氏は、自称「マルクス主義政治学」や『レヴァイアサン』グループには、そうした思想的意味を見出し得なかったのだろう。むしろそれを、「行動論政治学」の先駆者に擬された京極純一や、地味な行政学者と目される足立忠夫の丹念な読み込みによって発掘する。京極の「自然村における権力の権威への移行」の論理とマルクス『資本制生産に先行する諸形態』が相補的に対照され、足立の「市民の生活領域」九区分にハーバーマス的公共性や松下シビル・ミニマム論を補強する「受忍のシビル・マキシマム」を読みとる。石田雄の「組織の各成員の間で共同の組織目的が抽出される過程」の論理に疑問を呈した上で、「反体制組織や運動の側においても、特殊な形での組織への同一化・忠誠が強く要請される状況においては、象徴の情動的機能も広汎に動員しなければならず、規律の自己目的化の危険もまた生れてくること、マルクス主義における『理論と実践との統一』という原則が、現代社会においては情動的機能による同調性強化を合理化する手段とされる危険性の大きいことに十分注目しなければならない」という創見を評価する。あざやかである。

 本書では、論じる対象が著者田口氏の恩師・先輩・友人が大部分であるが故に、本文中にも「私」がたびたび登場し、専門外の読書にもなじみやすいものにしている。「戦後政治学」を論じながら、実は田口氏自身の思想的軌跡と格闘が、行間ににじみでている。つまり本書は、師である丸山真男から同期の高畠通敏の歩みまでを鏡とした「田口政治学」の自己省察であり「自己内対話」なのだ。「自己内対話」には痛みを伴う。「魂なき学問」からは省察は生まれない。結びで「戦後政治学」系譜の最新刊である小林正弥『政治的恩顧主義論』(東大出版会)を引きながら、「実践的・規範的政治哲学ないし公共哲学の樹立」を今日の緊急な課題とするのは、「戦後政治学」とは丸山を出発点とした「民主主義の政治学」であったことを再確認した、田口氏の到達点なのだろう。本書の手法を借りていえば、本書と同時に刊行された立命館大学『政策科学』八巻三号(田口教授退任記念論文集)に収録された最終講義が、「二一世紀における社会主義と日本国憲法の命運」であることも、それを傍証する。「現存した社会主義」とは異なる「思想としての社会主義」は、彼岸にではなく、丸山真男の「民主主義の永久革命」の圏内に孕まれ、脈打っていたのである。

 したがって、かつては「近代政治学」の彼岸に構想された「マルクス主義政治学」は、本書では末尾の「小括」における「間奏曲」としてのみ、明示的に語られる。「ここで間奏曲風に、戦後日本政治学におけるマルクス主義的潮流の命運について一言しておく必要があろう」として、一九五〇年『年報政治学』創刊号座談会で「史的唯物論と近代政治学の対決」が語られた時期から、「一九五四年頃から一九六二年頃までの学会出席者の大雑把には三分の一がいわゆる『マルクス主義的傾向』の左翼」であったピーク期を経て、七〇年代後半から「『マルクス主義政治学(者)』を自称する学会員は少なくなり、八〇年代には、皆無に近くなり、いわゆる学会政治における影響力も、おそらく完全になくなっている」、コミンテルン型共産主義運動の崩壊と九三・九四年の日本共産党の丸山真男批判により「『マルクス主義政治学派』が再建される可能性はかぎりなくゼロに近い」と率直に吐露される。そこではさらりと触れられるのみだが、その没落への転換点が、実は著者自身を一方の当事者とする「八〇年頃の『不破・田口論争』の経験」にあったことは、私たちには周知の事実である。その頃田口氏に勧められて「マルクス主義政治学派」の末端に入り、数周遅れのランナーの一人になった私にとっても、「身につまされる話」である。

 しかもこの間奏曲は、最終楽章で独奏されるにしても、本書の全体にわたって、執拗低音としてリフレインされる。『葦牙』読者ならば、学問的に禁欲した叙述の行間に流れるそうした調べに、深い感銘を受けるであろう。「経験」を共有した者のみが感得しうる重みと同感をもって。もっとも田口氏が述べる「マルクス主義」の窮状は、政治学に限ったものではない。前出『講座 マルクス主義研究入門』には、田口編政治学のほかに、芝田進午編哲学、金子ハルオ編経済学、永原慶二編歴史学が入っていたが、いずれの学会でも「マルクス主義」を自称する者はゲットーに追いやられ、学会ナショナルセンターレベルでの再建可能性は「かぎりなくゼロに近い」。七〇年代に私たち「団塊の世代」を知的に魅了した『現代と思想』誌が本書に一度も登場しないのは、そうした「食い逃げ世代」(金子勝)の思想的責任を問う、暗黙のメッセージとも読める。つらいところである。

 だとすれば、私たち「遅れてきた世代」のなすべきことは、その「敗北」の根拠をさぐる作業となる。そうした作業は、「戦後政治学の英雄時代」の一翼にあり、自らの政治学体系から学史・行政学・民族論にいたる各論までものされた田口氏とは、同じ課題設定ではありえない。田口氏の立命館大学退任と一緒に、やや若く法政大学の定年を迎えた高橋彦博氏も、『戦間期日本の社会研究センター』(柏書房)と題する重厚な著作を公刊されたが、そうした先学に学びつつ、再び藤田省三の華麗な筆致を借りれば、「現実から取り出された断片の並べ方次第で断片の生まれ変わりと新たな全体像の誕生がもたらされるのは、人間社会に固有な歴史的考察の特質に他ならない」のだから、「今の日本の圧倒的な超実利主義的空気の中で、『現実には絶えず敗れながら』、その敗北という重要な経験を経験することを通して一つの世界を切り開いていく『劣者の劣位性』の可能性と世界形成性」に着床してゆくことだろう。

 田口氏は本書を、本書の前史である『日本政治学史の源流──小野塚嘉平次の政治学』に続いて、「ゼミ生の私が少しづつ『左傾』しつつあることを察知されながら、同僚教授のクレームに抗されて、私を助手に採用して下さった」故堀豊彦教授に再び捧げている。異例のことである。だがそのような師弟関係も、「政治学」という学問が「成長産業」でありえた二〇世紀日本という特異な時間・空間の産物であるのかもしれない。だから、いまだに「政治学者」と名乗るのにためらいを持ち、主題に「政治学」と銘打つ単著を一度も書けずにいる不肖の弟子としては、『現代日本人物事典』二一世紀版には本書を真っ先に挙げることを約すのみで、本格的な「田口政治学」の論評は、他日を期す以外にない。 

(かとうてつろう・一橋大学)

<『葦牙』第27号、2001年6月に寄稿> 



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