おことわり: この文章は、『世界』2004年7月号に掲載された論文のインターネット版で、活字になったものとは若干異なります。引用等の場合は、雑誌の方からお願いします。


 

大義の摩滅した戦争、平和の道徳的攻勢

 ――「アブグレイブの拷問」をめぐる情報戦――

 

加藤 哲郎

 

 


「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある」――丸山真男『自己内対話』の一節である(みすず書房、一九九八年、九〇頁)。

 二〇〇一年九月一一日に始まった憎しみと報復の連鎖は、主舞台がアフガニスタンからイラクに移っても、止まる気配はない。それどころか、パレスチナでスペインでチェチンで、連鎖は拡大し深まっているかに見える。しかし現代の戦争は、情報戦である。情報戦は、世論と正統性の争奪戦である。「平和の道徳的優越性」は、いまや攻勢に転じた。

 

 「虐待」写真公開の衝撃

 

 それは、数枚の写真から始まった。イラク戦争終結宣言一周年を目前にした四月二八日、米国三大ネットワークの一つCBSテレビは、人気番組『六〇ミニッツ』のなかで、イラク人捕虜の「虐待」場面を撮影した映像を放映した。問題の写真は、イラク駐留アメリカ兵らが、身柄を拘束したイラク人男性を全裸にして立たせ笑ってポーズをとるシーンなど、明らかに「虐待」を示すものだった。CBSは、これら写真の存在を一月に知り、三月には軍の内部報告書と共に入手して、二週間前に放映する予定だった。

 そこに、アメリカ軍トップのマイヤーズ統合参謀本部議長が、放送しないよう圧力をかけてきた。CBSのプロデューサーによると、「軍、そして国防総省から放送を止めるよう強い圧力がかかりました。そのときイラクで捕虜になっていた人たちがいたのです。アメリカ人だけではなく、日本人の捕虜もいました」「放送すれば人質の身に危険が及ぶ、それが軍の主張でした」「我々は一度も放送を止めようと思ったことはありません。ですが人道的見地から見合わせることにした」と語る。結局CBSは、二週間後に放送に踏み切った。国防総省やホワイトハウスには、抗議の電話・ファクス・メールが殺到した。

 放映した写真は、あっという間に世界を駆け巡った。四月三〇日には、英国BBCやアラビア語衛星テレビのアルジャジーラ、アルアラビアでも流された。アラブ連盟の広報担当は「国際法に違反するイラクでの虐待と侮辱行為を強く非難する」と声明した。

 米国ブッシュ大統領は、「イラク人囚人の扱われ方に強い不快感を持っている」とコメントし関係者の処罰を認めたが、それは、皮肉なことに、「われわれはフセインを排除するという任務を達成しました。その結果、イラクから拷問部屋やレイプ部屋、大量虐殺がなくなったのです」と胸を張った直後のことだった。イラク駐留米軍キミット准将は、「かかわっているのはごく少数で二〇人以下の兵士に過ぎない」と火消しにまわった。

 すでに国連を無視してまで米英軍が開戦に踏み切る理由とした「イラクの大量破壊兵器」が幻だったことは、明らかになっていた。ブッシュ大統領とチェイニー副大統領らネオコン・グループは、「サダム・フセイン政権の打倒」を戦争・占領正統化の最大の根拠にしていた。イラク侵攻が九・一一直後からネオコンの戦略目標だったことは、議会で繰り返し問題にされ、元政府高官らの暴露本も相次いでいた。六月末に設定した主権委譲プロセスを、国際世論に押されて国連主導に切り換えたものの、イスラム教スンニ派・シーア派を問わぬイラク民衆の抗米闘争の広がりのなかで、見通しは不透明だった。

 二〇〇四年四月は、ブッシュ大統領とラムズフェルド国防長官にとって、最悪だった。米軍による「ファルージャの虐殺」等で、女性・こども三〇〇人を含むイラク人一三〇〇人以上の生命が奪われた。米軍犠牲者も一四〇人を越え、開戦以来の最高となった。ファルージャは、結局旧フセイン軍に治安を任せざるをえなかった。そこに、自国大手メディアによる「虐殺」写真の公表である。米英軍イラク占領の「大義」は、崩壊しはじめた。

 

 情報戦のミスは「イラクのベトナム化」へ

 

 それは、「イラクのベトナム化」という、米国ブッシュ政権の最も恐れる悪夢への第一歩となった。ベトナム戦争でも、米兵がベトナム人の耳を切り取った残酷な写真が発表され、厭戦・反戦へとつながった。イラクのそれは、ベトナム以上に下品で残酷だった。

 イラク統治評議会からも「人権の尊重をうたってきた国の兵士が、このような他人に屈辱を与える行為をしたとは情けない。犯罪者は訴追されなければならない。米国が真摯な対応をとらなければ、イラク国民に対する重大な侮辱に当たる」と批判が出た。はじめは及び腰だったアメリカ・マスコミも、『ニューヨーカー』電子版が米国防総省の詳細な内部報告書を発表して以後、スクープ合戦になった。それらはたちまちインターネットで世界中からアクセス・保存され、平和の道義を唱える反戦勢力のデータベースとなった。

 米陸軍少将がまとめたバグダッド西方アブグレイブ刑務所の調査報告書は、数カ所のウェブサイトに公開され、第三七二憲兵隊の兵士が、昨年一〇月から一二月にかけて、収容者に対して組織的に違法な扱いをしたと指摘していた。五月三日の米紙『ロスアンゼルス・タイムズ』の整理によると、以下のような、おぞましい事例が含まれていた。

 一、男性と女性の裸をビデオと写真で撮影する。

 一、卑猥な姿勢を取らせ、写真撮影する。

 一、裸にし、数日間放置する。

 一、殴打し、ける。素足に飛び乗る。

 一、裸の男性に女性の下着着用を強制する。

 一、軍用犬をけしかける。拘留者が重傷を負った例も。

 一、男性のグループに自慰行為を強制し、写真撮影する。

 一、男性の指やつま先、性器に電線を取り付け、電気ショックの脅しをかける。

 一、裸の男性の足に、一五歳の別の拘留者を強姦したとの告白の落書きをする。

 一、犬の首輪を着けた男性の前で女性米兵が写真撮影する。

 一、男性憲兵が女性拘留者と性行為をする。

 一、電球を壊し、電球内の有毒物リンを拘留者に振り掛ける。

 一、拳銃で威嚇する。

 一、いすやほうきで殴打する。

 一、裸の拘留者に冷水を浴びせる。

 一、(医師ではない)憲兵が壁に打ち付けられ負傷した拘留者の傷口を縫合する。

 一、肛門に蛍光スティックやほうきを挿入する。

 

 「神に対する罪」「道徳の欠如」

 

 米軍報告書では、「虐待」現場を得意げに指さす女性兵士の写真も、証拠として押収されていた。陸軍は、女性を含む六兵士を拘束、軍法会議開廷のための審理を始めたほか、刑務所の責任者だった女性准将(予備役)を停職処分にした。告発された兵士たちは、軍の調べに対し、「刑務所内にはCIA(中央情報局)や民間の尋問専門家を含む情報活動員がおり、テロ情報入手などのためにこうした組織の指示に従った」と証言した。

 米軍報告書によっても、ピーク時四万人に及んだ刑務所に収容され「虐待」を受けたイラク人の多くは、「検問所や民家から手当たり次第に連れてこられた一般市民」で、六〇%以上が「反米武装勢力とは何のかかわりもなかった」と結論づけられていた。

 「虐待」は、戦時捕虜の扱いを定めたジュネーブ協定に違反する。『ニューヨーカー』誌は「男同士でも他人の前で裸になることや、同性同士の性的接触はイスラム教義に反する」と指摘した。イスラム教徒の多い中東諸国の人々は、駐留米軍の女性兵士の存在にも複雑な感情を抱いてきた。放映は、中東全域で、反米感情をかき立てた。

 五月六日付『ワシントン・ポスト』は、二一歳の女性上等兵が、床に横たわる裸の男性の首に付いたひもを持った写真を、一面に掲載した。同紙は、写真は千枚以上と報じた。

 スイス・ジュネーブに本部のある赤十字国際委員会(ICRC)は、七日、イラク人虐待問題について、一年以上前から米国に警告していたことを明らかにした。ICRCが米国に提出した報告書は『ウォールストリート・ジャーナル』紙でスクープされ、米軍に拘束されたイラク人に対して広範に「虐待」が行われていたと報じられた。ブラウンリー米陸軍長官代理も、七日の上院軍事委員会公聴会で、刑務所以外の場所で、一般市民に対する四二件の「虐待」事件が起きていた可能性があり、調査を進めていることを明らかにした。刑務所の中ばかりでなく、米軍占領の振る舞い全体に、問題は広がった。

 バチカンのローマ法王庁ラヨロ外務局長(外相に相当)は七日、イタリア国営放送RAIのインタビューに答え、米兵によるイラク人収容者「虐待」事件を「神に対する罪」「道徳心の欠如」と強く非難した。「最も基本的な人権やキリスト教徒の道徳観の対極に位置するもの」と指摘して、キリスト教徒が事件に関与したことに、深い遺憾の念を述べた。

 五月一一日、イラクの武装勢力が拘束した米国民間人男性の頭部を切り落とす場面を収めたビデオ映像が、アルカイダと関連するとされたイスラム系ウェブサイトで流された。殺害された米民間人犠牲者の父親は、一三日、地元ラジオ局に対し、「息子は、ジョージ・ブッシュ(大統領)とラムズフェルド(国防長官)の罪のせいで死んだ」と述べ、ブッシュ政権への怒りをあらわにした。自宅の庭には、反戦プラカードを立て掛けた。

 

 組織的「拷問」では

 

 ブッシュ米大統領は、五月五日、アラブ向けのテレビインタビューで、「虐待」関与者を「公正な裁きにかける」と語ったが、そこに謝罪の言葉はなかった。初めて謝意を表したのは翌六日、アラブ穏健派ヨルダン国王との会見においてであった。会見で大統領は、問題の写真がテレビで放映されるまで報告がなかったことで国防長官を叱責したことを認めた。ただし、国防長官の引責辞任や解任を求める声に対しては、長官を擁護し続けた。

 批判の矢面に立たされたラムズフェルド国防長官は、七日の議会公聴会で「アメリカ軍によって虐待されたイラクの人々に対して、深く謝罪」した。被害者に対して補償を行い、調査委員会を設置して四五日以内に報告書を公表すると約束した。写真のほかにビデオテープも存在することを明らかにしたが、「虐待は少数の仕業」と逃げて、内外で強まる辞任要求を拒否した。

 この公聴会の日、『ワシントン・ポスト』電子版では、訴追された米軍女性兵士の一人が電子メールで同紙の質問に答え、「私たち憲兵の仕事は、イラク人たちを眠らせず、刑務所を地獄にして彼らに供述させることだった」と述べ、上官の指示だったと訴えた。

 九日付『ワシントン・ポスト』は、国際テロ組織アルカイダのメンバーらが拘束されているキューバのグアンタナモ米軍基地で拘束者を取り調べる際、昨年四月国防総省が、睡眠を取らせないなど約二〇項目にわたる「尋問テクニックの指針」を作成・承認していたと報じた。米軍による組織的「拷問」の可能性が強まり、ラムズフェルド国防長官は、いっそう苦しい立場に追い込まれた。これを受けて『ニューヨーカー』電子版は、一五日、ラムズフェルド長官がイラクでの情報収集強化のため、従来の制限を逸脱した尋問を承認し、それが最終的にイラク人「虐待」につながったと報じた。この尋問方法は、すでにアフガニスタンで実行されていた。「テロとの闘い」で重要人物を逃がさないため、殺害や逮捕、尋問を事前承認する極秘作戦の一環で、過酷な条件下の尋問も認めていた。

 米軍の「虐待」写真は、以後もマスコミに報じられ、世界をかけめぐった。男性収容者の首に革ひもを巻きつけて犬のように引く姿を撮った写真で訴追された当の女性上等兵は、一一日、CBSテレビのインタビューに応じ、昨年一〇月ごろ「上官たちから、そこに立ってひもを持つように指示された。そして彼らが写真を撮った」「彼ら(上官たち)は『うまいぞ。その調子だ』と言った」「私たちは言われたことをした」と告白した。公開された写真よりひどい虐待があったかどうかとの問いにも「イエス」と答えた。世界に衝撃を 

与えた被写体は、その裏にあるもの、カメラの側にいた者たちを告発し始めた。

 五月一七日発売の米誌『ニューズウィーク』世論調査によると、アブグレイブ刑務所「虐待」問題を受けて、ブッシュ大統領支持率は四二%と、就任以来最低を記録した。前回四月上旬調査から七ポイント落ちていた。不支持率は、初めて過半数の五二%に達した。 ブッシュ再選を望むという回答は四一%、望まないとの回答が五一%だった。

 

「地獄」というメタファー

 

 米国防総省は一二日、「虐待」の様子を撮影した新たな写真やビデオ計約一六〇〇点を、非公開で上下両院議員にのみ開示した。イラク人男性が同性愛や自慰行為を強制されているシーンや、イラク人女性が胸をはだけさせられたシーン、さらに遺体の前でポーズを取る米兵や、米兵同士の性行為などが撮影されていた。議員たちは一斉に「想像を絶する忌まわしい行為」などと非難した。リチャード・ダービン上院議員(民主党)は、「地獄図だった。上の方の了承なしに、こんなことが起きたとは、信じられない」とコメントした。

 「地獄(Hell)」というメタファーは、イラク戦争の初発からつきまとってきた。インターネットのグーグルで「イラク 地獄」と検索すると、日本語で三万件、英語では一〇万件以上が、たちどころに現れる。当初はサダム・フセインの圧政が「地獄」と表象され、イラク民衆の「地獄からの解放」がネオコン戦略の口実になっていた。それに対して、批評コラムや非戦・反戦運動の側は、戦争そのものの悲惨、破壊され占領されるものの側から「イラクの地獄化」を語っていた。

 それが、二〇〇四年四月以降は、アブグレイブの写真映像を媒介に、現実のものとして語られ、受容された。非公開写真・ビデオを見た上院議員が「地獄」と表現したのは、ネオコンにとっては、作戦の順調な進行をも意味し得た。写真に登場した兵士自身が、上官から与えられた任務は「刑務所を地獄にすることだった」と告白したのであるから。

 だが「地獄」のメタファーは、キリスト教世界だけのものではなかった。イスラム教でも、アラーに背いたものは、地獄に堕ちる。イラクに住む人々にとって、アブグレイブだけが地獄ではなかった。ファルージャの街全体が破壊し尽くされ、地獄になっていた。

 ラウール・マハジャンは、四月七日ZNetに寄せた「地獄の扉を開く――バグダッドからの報告」で、米英軍のイラク侵攻前、アラブ連盟の会議でアムル・ムーサ事務局長が米国の対イラク戦争は「地獄の扉を開くだろう」と述べていたことに注意を促し、イラクでは「地獄の扉はかつてないほど広く口をあけつつある。少なくとも、米国とそれに協力する諸国にとっては」と、スンニ派・シーア派双方が抗米闘争に転じた局面を論じた。

 四月三〇日『ガーディアン』に掲載されたルーク・ハーディングのファルージャ・ルポは、アフマッド一家の悲惨な生活を追いながら、「地獄だ…。みんな壊される(It's hell…everything will be destroyed)」と題していた。

 日本語サイトでは、ベトナム戦争を描いたフランシス・コッポラ監督「地獄の黙示録」(原題「現代黙示録」)と重ね合わせて、「イラクのベトナム化」がイメージされた。

 

 市民の情報戦は「地獄図」の裏を読む

 

 本誌昨年六月緊急増刊の拙稿「情報戦時代の世界平和運動」で述べたように、米英軍のイラク戦争は、開戦前から市民のネットワークに包囲されていた。昨年二月一五日の世界一斉反戦行動のような「多様な運動体によるひとつの運動」ばかりでなく、情報を収集・解析・討論し、問題解決の筋道を示す「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」も、二〇〇一年一月世界社会フォーラム(WSF)創立以来の、平和の情報戦だった。

 人権NGOの老舗アムネスティ・インターナショナルは、写真の発覚した四月三〇日に「イラク――拷問は例外的に行なわれたのではない、独立した調査が不可欠」を発表し、それは「虐待」ではなく「拷問」であると、いちはやく喝破した。五月七日の「米国――残虐で残酷な行為のパターン、アブグレイブで行なわれた戦争犯罪」では 、イラク・アフガニスタンも含めて過去二年間に米国機関による被拘禁者に対する「虐待」が継続的に申し立てられていると指摘した。特に、キューバの米軍グアンタナモ空軍基地での尋問方法と酷似しているとして、「現在イラクで目撃されていることは、人権や戦争に関する法を打ち捨てて『テロとの闘い』を執拗なまでに追求した当然の結果である」と告発した。

 日本でも、市民たちのネットワークは、「地獄」の秘密に近づいていた。情報戦の常として、英紙『ミラー』や『ボストン・グローブ』のねつ造・誤報写真も流れたが、その多くは、本稿と同じ様にウェブ上で情報を集め、多様な情報を論理的に解析していた。

 五月七日の益岡賢「拷問について」は、「言葉を変えたからといって起きたこと/起きていることが変わるわけではない、けれども、見方はしばしば大きく変わる」として、アブグレイブの事態は、国際法上ジュネーブ条約の「虐待(ill-treatment)」であるばかりではなく、国際刑事裁判所(ICC)規程七条二項や拷問禁止条約第一条の「拷問(torture)」にあたることを明確に指摘した。しかもそれは、「米軍やCIAあるいはそれらに訓練を受けた各国の軍隊は、体系的に拷問の手法を教え込まれていること」に起因し、CIAの「KUBARK対ゲリラ尋問マニュアル」(一九六三年)や「人材開発訓練マニュアル」(一九八三年)にある「身柄拘束、拘留、感覚刺激の剥奪、脅迫と恐怖の植えつけ、肉体的衰弱促進、苦痛、暗示効果/催眠、ドラッグ」そのままであると論じた。

 五月一一日の田中宇による国際ニュース解説「イラク虐待写真をめぐる権力闘争」は、米軍の構造上の問題に踏み込んだ。すでにワシントン発八日共同電は、「虐待関与、大半は予備役 米軍の構造的問題浮上」と題し「米軍によるイラク人虐待事件で、虐待に加わった憲兵の大半が捕虜取り扱いの経験に乏しい予備役や州兵だった」としていたが、田中は、これに加えて、ネオコン主導の「戦争市場」における民間企業の「尋問請負人」が、軍情報部やCIAに雇われ、重要な役割を果たしていると指摘した。「尋問にたずさわっていたのは、国防総省の諜報担当者、CIAの担当者、国防総省と契約した傭兵企業の尋問の専門家たち、イスラエルから派遣された諜報要員などだとされる。傭兵企業の専門家は、大半が国防総省の諜報担当者を辞めた人だが、辞職は表向きだけで、軍籍を抜けることで人権条約やアメリカの公務員としての縛りから解放されて振る舞える仕組みになっている。」その現場指揮官は、リチャード・パールらネオコンが仕切る国防長官の諮問機関国防政策委員会の傘下にあり、国際法が適用されにくいグレーゾーンのキューバ・グアンタナモ基地からアブグレイブに呼ばれ赴任したミラー少将である、と。

 五月一二日の浅井久仁臣「国際情勢ジャーナル――私の視点」は、「イラクのアブグレイブ刑務所における米軍の虐待は、悪名高いイスラエル軍の虐待・拷問を思い起こさせます。イスラエルは一九四八年の建国宣言以後五六年間、パレスチナ人住民やゲリラを拘束し、尋問を行なってきました。その尋問方法は、ユダヤ人自らがナチスドイツにやられた方法が基盤になったと言われ、パレスチナ人に恐れられてきました。収監中に精神障害を起こしたり、肉体的障害をこうむることは稀ではなく、冷たくなって戻ってきた拘束者も数多くいます。また、釈放後に自死したパレスチナ人もたくさんいます」と、旧日本赤軍メンバー岡本公三の場合を例に挙げて、ホロコーストに発する手口の詳細を論じた。

 

 多様なネットワークによるひとつのネットワーク

 

 こうした論評は、この間インターネット上に構築された、市民の情報収集ネットワークを基礎として展開され、またそれを通じてネチズンたちに流布し、共有された。アルジャジーラなどアラビア語圏を含む世界・日本のメディア情報はもちろんであるが、「アメリカ同時多発テロへの武力報復に反対するホームページリンク集」「とめよう戦争への道!百万人署名運動」「WORLD PEACE NOW」「CHANCE! 平和を創るネット」「ANTI WAR」「反戦・平和アクション」「レイバーネット」「ATTAC JAPAN」「日刊ベリタ」「神浦元彰の最新軍事情報解説」「パレスチナ短信」「ナブルス通信」「反戦運動インフォメ掲示板」「Peace Weblog」などが、連日世界の情報をホームページ上で収集・紹介・解析し、非戦・反戦の運動に結びつけた。筆者の「ネチズンカレッジ」「イマジン」もその一環であり、なだいなだ「老人党掲示板」、吉田悟郎「ブナ林便り」、伊豆利彦「日々通信」のような戦争体験世代サイトも活発だった。

 「インディメディア・ジャパン」「TUP」「暗いニュースリンク」「反戦翻訳団」「もう一つの世界へ」などが新たに加わり、各国情報を翻訳・紹介する専門サイトも現れた。村上龍のJMM連載冷泉彰彦「from911 USAレポート」やTBSワシントン特派員金平茂紀「ホワイトハウスから徒歩五分(東京万華鏡)」などが、米国の状況を刻々伝えた。広河隆一、綿井健陽、久保田弘信らはイラク現地からカメラ・リポートを寄せた。

 本誌前号コリン・コバヤシ「世界市民は何をなしえたか」が語るように、四月のイラク武装勢力による日本人五人の拘束から解放にいたる過程でも、その後の政府・マスコミによる「自己責任」キャンペーンに対する批判・反論の運動でも、九・一一以来飛躍的に発展した市民たちのネットワークが、決定的役割を果たした。それはホームページ上のみならず、さまざまなメーリングリスト、掲示板を通じた討論によっても、情報の多角的交換・分析、具体的行動の組織化で、人々を結ぶ動脈・毛細血管となった。そこではサマワの状況と自衛隊の動きも、スペイン、イタリア、オランダ・韓国等での撤兵要求の動きも、米英軍の足下での反戦平和の声もキャッチされ、世界社会フォーラムやアンスワーがよびかけるグローバルな統一行動や国際署名に応える運動に、恒常的にコミットしている。

 

 連接環としての世界社会フォーラム

 

 それは、グローバルに見れば、フィッシャー=ポーニア編『もうひとつの世界は可能だ』(加藤監修、日本経済評論社、二〇〇三年)が世界社会フォーラムを特徴づけた、「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」「多様な運動体によるひとつの運動」の今日的展開である。マスメディアの写真公開から出発しながら、その「地獄」の深層を暴き、ローマ法王から「道徳」発言をひきだして、自民党安倍幹事長にさえ「こうしたことはあってはならない。何のために政権を倒したのか分からない」といわしめた。深部に作用しているのは、あらゆる情報は、政府や巨大マスコミ、マイクロソフトの専有ではなく、民衆に開放され、公論に付されるべきであるという信念の広がりである。そこでの情報戦とは、戦争の大義にも平和の道徳的優越性にも等しく作用しうる政治アリーナの創出である。

 それは、歴史的に見れば、二つの点から注目される。

 その第一は、ファシズム期にイタリアのアントニオ・グラムシが「機動戦から陣地戦へ」と特徴づけた、二〇世紀の戦争と戦略・戦術の変化、および「戦争の延長としての政治」が、二一世紀に入って「陣地戦から情報戦へ」と、新たな段階に入ったことの証左である。機動戦が武器技術・軍事力で、陣地戦が経済力・組織力で決せられたとすれば、情報戦は、情報ネットワークと言説の道義・正統性でたたかわれる。軍事力による直接的戦闘、経済力・組織力による政府や企業の「人道援助」「人道的介入」でさえも、メディアや世論に媒介され、言説的正統性・道徳的優位が、常に問われる。しかもそれは、開戦の決定や軍事的決着の局面にとどまらず、占領や復興局面でも永続的に再審される。ブッシュやラムズフェルドの一言の失言、些細な政治的ミスが、ベトナム戦争の記憶や表象と結びつき、イラクの戦争と復興の帰趨を決することさえありうるのである。

 第二に、冒頭に引いた丸山真男『自己内対話』の一節――「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある」――は、「革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、『戦争』の言葉で『革命』を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである」と続いていた。つまり「政治における道徳の復位」は、「革命か改良か」「一国革命か世界革命か」という、一九世紀以来の国際主義(インターナショナリズム)のあり方と連接する。

 今日の平和運動を主導する、世界社会フォーラムを連接環としたグローバルなネットワークは、二〇世紀の第二インターナショナル=社会民主主義、第三インターナショナル=共産主義の伝統からはみだし、かつての社会運動の対立を包摂し、止揚する。本年一月ムンバイ第四回世界社会フォーラムにあわせて発売されたWSF論集『帝国に挑戦する(Challenging Empires)』で、ジャズや絵画、オープン・スペースに喩えられ、「アリーナかアクターか」「反グローバリズムかもうひとつの世界か」と論じられているように、思想的・政治的一体性を前提とせず、様々な異質の思想・運動・構想が共存し、「差異の増殖」が奨励される。それはむしろ、政治組織も労働組合も個人加入も認められた国際主義の初発の経験、ヴァルター・ベンヤミンが万国博覧会になぞらえた、一九世紀半ばの第一インターナショナル(国際労働者協会)の経験に似ている。「平和の道徳」の構築にあたっても、筆者が一九八九年東欧フォーラム型市民革命や二一世紀初発の世界社会フォーラム結成に即して論じてきたように、多様性は貫かれる。その情報戦は、「多様なネットワークによるひとつのネットワーク」「多様な運動体によるひとつの運動」で、「差異の解放・増殖」を伴うグローカルな「つながり」のアソシアシオンであり、祝祭である。

 与えられた紙数は尽きた。「アブグレイブの拷問」をめぐる情報戦にみられた戦争の大義と平和の道徳的優位をめぐる言説の闘争は、いまや日本政治の基本問題に浮上した「護憲・活憲・論憲・加憲・創憲・改憲」の布置状況にも作用するだろう。数枚の写真から始まったボディーブローが米国大統領選にどう響くかを、注意深く見守ることにしよう。


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