『世界』2003年6月緊急増刊「NO WAR! 立ち上がった世界市民の記録」寄稿の、雑誌用に短縮前のオリジナルHP版


情報戦時代の世界平和運動──非戦のインフォアーツ 

    

加藤哲郎(一橋大学大学院教授・政治学)

 

 


 人類史上未曾有の反戦平和運動 

 一四九三万一九〇〇人──これは、二月一五日に、国際平和ネットワーク・アンスワー(Answer= Act Now to Stop War & End Racism)等のよびかけに答え、差し迫るアメリカのイラク武力侵攻に反対して街頭に出た人々の集計数である。当時の新聞報道は、せいぜい一千万人だったが、インターネット上で各国の報告が集計されたもので、端数が出ているのは、最大だったスペインの集計が主催者発表で五七都市六九三万九百人、マスコミ発表四八四万七千九百人、警察発表二六六万五千六百人であったためである。十万人以上のデモは、バルセロナ二百万人、マドリード百万人のほか、メルボルン、アテネ、ダマスカス、リスボン、ローマ三百万、ロンドン二百万、パリ、アムステルダム、ベルリン、ストックホルム、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ニューヨーク、モントリオール等で、日本は東京で二万五千人(一四日)、三千人(一五日)と集計されている(ATTAC、http://www.jca.apc.org/attac-jp/ATTACNewsletter/163.htm)。

 一四二か国六九〇六箇所──これは、三月一六日午後七時、時差を伴いつつ世界で一斉に行われた「Global Visil for Peace」=キャンドル平和集会の開催地である。アメリカに本拠をおくムーヴオンMove On:Democracy in Actionがよびかけたもので、各地で開かれたキャンドル・サービスの模様は、現在でもインターネット上のムーヴオン・サイト(http://www.moveon.org/vigil/)に写真付きで収められている。

 三月二〇日の米英軍によるイラク侵攻にいたる流れを、ポール・ヴィリリオは「第一次世界内戦」と名づけた(『フランクフルター・ルントシャオ』二月一日)。

「ニューヨークのテロ攻撃は、第三次大戦を勃発させることはなく、『第一次世界内戦』を引き起こした。これはグローバリゼーションの時代の世界内戦です。伝統的な戦争とは違い、構造がなく、封じ込めることのできない戦争です。わたしたちがいま直面しているのは、一九三〇年代のスペイン内戦や、最近のユーゴスラビア内戦のような局地的な内戦ではないことを強調したいと思います。世界で初めての地球規模の内戦であり、グローバリゼーションが引き起こした最初の世界的な内戦です。」(中山元「哲学クロニカル」第三六六号、http://nakayama.org/polylogos/chronique/index.html)。

 それが「内戦」であるのは、いまやグローバルな地球村の内部で、単独行動主義・先制攻撃主義をとる米国ブッシュ政権に対して、グローバルな非戦世論とそれに支えられたフランス、ドイツなどの国連安全保障理事会内での抵抗が巻き起こったからである。しかし米英は、国連決議なきイラク攻撃に入り、バグダッドを占領した。

 

 新しい二一世紀型平和運動──非戦・ネットワーク・多様性

 このグローバルな反戦・非戦の動きは、いくつかの点で、二〇世紀「反戦平和運動」と異なる特徴を示している。

 第一に、二〇〇二年一月のブッシュ政権による「悪の枢軸」宣言、九月の「ブッシュ・ドクトリン」の頃から、戦争勃発以前に地球的規模での反戦平和の声があがり、アンスワーの一五〇〇万人デモやムーブオンの一四二か国行動を産み出したことである。この点をノム・チョムスキーは、「宣戦布告前に、ここまで真剣なデモ・抗議行動が起きているのは始めてだ」と強調する。

 第二に、その行動は、第一次世界大戦前の第二インターナショナルや、第二次世界大戦前の第三インターナショナル(コミンテルン)とも、冷戦時代の社会主義国家・社会主義政党・労働組合を後ろ盾にした「国際統一戦線」としてではなく、世界に散在するNGO・NPOや平和団体のネットワーク型連携による「グローバルな共同行動」として行われたことである。その最大の武器となったのは、インターネットだった。

 「ベトナム戦争時には反戦運動が勢いを増すまでに何年もかかったのに対し、何十万という人々が[一月]一八日、これから起こり得る対イラク戦争に抗議するため、米国各地で集会に参加した。中でも規模が大きかったのは、サンフランシスコと首都ワシントンで開かれた集会だ。参加者の数は、政府の見積もりで両都市合わせて一〇万人、主催者側の見積もりで八五万人以上と食い違いがあるものの、とにかく一九六〇年代のベトナム反戦集会以来最大の規模と言って差し支えないだろう。集会には、学生の運動家から年配の共和党員に至るまで、さまざまな人が参加した。多くの宗教団体の姿も見られた(ある横断幕には「イエスは誰かを爆撃するだろうか?」と書かれていた)。他にも労働組合やさまざまな政治団体が参加し、多くの一般市民がこれに加わった。参加者の多様性は、この反戦運動が大衆の活動になっていることの表われだと分析する人もいる。そしてこれは、メディアのおかげではなく、反戦をうたう多数のウェブサイトやメーリングリストのおかげだという。『人類の歴史上、反戦運動がこれほど急速に成長し、広がったことはなかった』。歴史家でコラムニストでもあるルース・ローゼン氏は『サンフランシスコ・クロニクル』紙にこのように書いている。戦争がまだ始まっていないことを考えれば、これはいっそう注目に値する。サイバースペースの至るところで呼びかけられることで、反戦運動は、一部の党派のみが行なうものというルーツに別れを告げ、主流の文化となった」(Leander Kahney「インターネットで世界に広がる『対イラク戦争反対の声』http://www.hotwired.co.jp/news/news/20030123204.html」。

 第三に、行動形態の多様性、表現形態の創意性である。すなわち「国際反戦デー」風の集会・デモンストレーションばかりでなく、インターネット上の「世界同時反戦デモは多様」(矢部裕子、http://www.janjan.jp/world/0302261701/1.php)が語るように、きわめて多種多様な手段・表現形態で行われた。二月一五日の特徴的な事例をあげれば、

(1)裸の女性の人文字(一人の米女性アーティストの発想から始まった、女性が裸でPEACE(平和)などの人文字を海岸、野球場などで画き平和を呼びかけるパーフォーマンス)、
(2)コード・ピンク(Code Pink、ブッシュ政権のコード・レッドに対抗して設立された米女性を中心とした反戦活動、派手なピンクの衣装を纏ったミーティング)、
(3)白いリボンの平和キャンペーン (白いリボンで反戦姿勢を示しながら、ブレア英首相とストロウ外務大臣を国際刑事裁判所に起訴するための募金活動)、
(4)バーチャルデモ(ホワイトハウス、上院議事堂などに二四時間、電話、FAX、メール攻めで“Don’t Attack Iraq”を訴え、デモの進行をネット上で公開。どんなに辺鄙な所からも電話、ファックス機かパソコンで参加可能)、(5)新聞意見広告 (日本人が中心で、米紙に二ページ広告を出した)、
(6)水曜日に白を着よう!キャンペーン(イラク戦争の可能性がゼロになるまで毎週水曜日に頭のてっぺんからつま先まで白に身を包む運動)、
(7)四〇日間ハンガーストライキ (ブッシュ政権に軍事費を減らし医療・福祉への財源委譲を求めるために長期ハンスト)、
(8)ダイ・イン(ベトナム戦争時のシット・イン=座り込み抗議の代わりに、血糊まみれの大学生が街中死体となり戦争の犠牲になるイラク市民を再現)、
(9)基地侵入 (グリーン・ピースメンバーが反戦抗議のためイギリス最大の海軍基地に侵入、戦車に座り込み)、
(10)ベッドシーツ・プロテスター(ピーク・ディストリクト国立公園の有名な崖から八〇メートルのシーツの垂れ幕を作り戦争反対をアピール)、
(11)非暴力ボイコット(クラフト、エッソ、ペプシコなどブッシュ政権成立に貢献した企業の製品・食品の不買運動)、
(12)人間の盾(バクダッド発電所を守るためヒューマン・シールドで爆弾投下に備える)、
(13)「女の平和プロジェクト(Lysistrata Project 古代ギリシャのアリストファレスの喜劇「女の平和」を四二カ国で朗読会。反戦運動の一環として詩人などが参加)、

がみられた。

 

 日本でも始まった情報戦型社会運動

 このような特徴は、九・一一以後の日本でもみられる。「反戦」ならぬ「非戦」としての平和意識の特色は、別稿で論じた(「現代日本社会における『平和』」『歴史学研究』七六九号、二〇〇二年一一月)。一月一八日七千人、三月八日四万人、二一日五万人の東京の運動をよびかけたワールド・ピースナウ(http://www.worldpeacenow.jp/)には、インターネットと携帯電話が行動の重要な媒体となり、女性や高校生を含む若者が多数参加している。かつての「進歩的知識人」に代わり、オノ・ヨーコのニューヨークタイムズ広告のほかミュージシャン坂本龍一、喜納昌吉、サッカーの中田英寿、歌手宇多田ヒカルらの発言が九・一一直後から若者を引きつけたが、今回は、女優藤原紀香、ヤンキース松井秀喜、グレイのTAKURO、西村知美、窪塚洋介、加藤雅也らの発言がインターネットを通じて流布した。

 ジョン・レノン「イマジン」は世界的な反戦歌になったが、日本ではSMAP「世界にたったひとつの花」が、平和を願う集会や行進の愛唱歌となった。「デモ」は「ピース・ウォーク」「パレード」に置き換えられた。団体旗や組合旗は流行らない。一致点は非戦・非暴力、個性的なプラカードや衣装での自己表現がアピールになる。ウォークであるから沿道の市民と垣根はない。誰でもいつでも合流でき、勝手に離れることができる。

 このことをピースポートの若いスタッフ木瀬貴吉は、デモ参加者の主催者発表と警察発表の違いに触れて述べる。

 「沿道で平和を願って太鼓をたたいた人。たまたまデモを見かけて途中から歩き出した人。道路が渋滞しているにもかかわらず、車内から手を振った運転手さん。仕事の手をとめてデモ隊にピースサインを送った美容師さん。こうした人々は参加者数に含まれないのだろうか。これまでのデモ隊は警察によって「ガード」され、参加する人と参加しない人とが分断されてきた。そして、警官に挟まれた人の数の多寡が議論されてきた。しかし、今回は違う。」(『朝日新聞』三月二九日)。

 インターネット上には、非戦の想いを語り合うメーリングリスト、掲示板、詩、絵、写真、音楽、漫画、パロディが溢れている。そして、かつての戦後民主主義型「平和運動」は、そうした新しい感性に適応できる組織と、適応できない旧型運動に分岐してきている。

 これらは、この戦争そのものの新しい性格を反映している。

 第一に、アントニオ・グラムシが第一次世界大戦に見出した「機動戦から陣地戦へ」に即して言えば、ベトナム戦争以後の戦争には「陣地戦から情報戦へ」の移行が刻印されている。9.11以後の世界では、それがマスメディアにインターネットや携帯電話が加わった「情報戦」の様相が濃厚なのである。アメリカのリベラルな人々が自国の政府とマスコミの情報操作を恐れて、ヨーロッパののニュースサイトへのアクセスが急増しているように、戦況を知ること自体が「情報戦」の一環なのである。

 第二にアントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『帝国』(以文社)やヴィリリオの上述「第一次世界内戦」論のように、今日の戦争の構図は、国家対国家の軍事的「外戦」にとどまらず、国境横断的な、政治・経済・社会・文化を貫く重層的・重合的対抗を持つ。国内世論のみならずグローバルな世界世論をも情報戦の対象としなければならず、その力が国連安全保障理事会での決議なしの武力侵攻を余儀なくさせた。

 

 世界社会フォーラムに支えられた情報戦は続く

 こうした深部の対抗のわかりやすい図式は、二一世紀に入って毎年一月に、「世界経済フォーラム」(WEF、ダボス会議)対「世界社会フォーラム」(WSF)というかたちで見られるようになった。そして世界の大国政治家・ビジネス経営者のフォーラムであるダボス会議に対し、「もう一つの世界は可能だ」をかかげる反グローバリゼーション運動として始まった世界社会フォーラムが、アンスワーやムーブオンを含む世界の平和運動の接着剤の役割を果たし、同時に環境運動や女性運動が非戦平和に加わる回路を作りだしている。

 九.一一以後の世界の平和運動は、一面では「世界社会フォーラム」の成功の延長上にあり、事実前年一一月のフィレンツエの百万人デモは、「ヨーロッパ社会フォーラム」の組織したものであったし、一月にブラジル・ポルトアレグレで一〇万人が加わった世界社会フォーラムが、二月・三月の国際的非戦運動の先陣の役割を果たした。その世界社会フォーラムは、来年はインドのハイデラバードで開かれる。イスラム教徒の多いインドネシアやマレーシアに留まらない、アジア各地での二・一五、三・八、三・一六の運動を誘発した。ブッシュ大統領とアメリカ・ネオコンは、自ら見える「帝国」になることで、平和運動の二一世紀的地平をも誘引している。

 インターネット社会学の達人「ソキウス」主宰の野村一夫氏は、近著で情報技術学的「インフォテック」に対抗する「インフォアーツ」を提唱している。イラク戦争反対の動きの中で胎動しているのは、まさにこの「インフォアーツ」型の社会運動である。統一地方選挙での「マニフェスト」市民運動にも、共通する特徴が見られる。この面では日本の21世紀も、決して暗くはないのである。

 機動戦は敵の物理的殲滅で終わる。陣地戦は国土の実効的支配を収めれば足りる。しかし情報戦の勝敗は。グローバルな正統性に関わる。たとえ首都を制覇し暫定政権を作っても、世界の世論に認証されるまでは、ブッシュと小泉政権の苦戦は続くであろう。

 


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