/聖学院大学大学院総合研究所グローバリゼーション研究会第12回研究会報告講演記録

(これは、聖学院大学総合研究所『聖学院大学総合研究所紀要』第33号、2005年、の本文部分である。長時間の討論記録を含む完全版は、書物の方で)

 

 

グローバリゼーションと情報

 

加藤哲郎(一橋大学教授・政治学)

 

 

 


 はじめに――「ネチズン・カレッジ」主宰者として

 

 ご紹介いただきました、一橋大学の加藤です。このグローバリゼーション研究会のこれまでの流れを見ますと、グローバリゼーションとは何かについて、特に経済とか経営と関係する問題は皆さんご研究なさったということですが、「情報」はこれまでのテーマになかったようですので、取り上げたいと思います。

 政治学では、「情報」という概念は、これまであまり正面から扱われたことのない領域ですが、私は「情報政治学」を提唱しています。しかしまだ少数派で、学問的には認知されていません。ただし、私が日本一だと誇り得るものがございます。それは、私が持っているインターネット上の個人ホームページ「ネチズン・カレッジ」、要するに「インターネット市民の大学」ですが、これが今通算七五万ヒットになっており、日本の学術サイトとしては、屈指のものです。政治学では、一番大きなサイトになっております。

 その「ネチズン・カレッジ」の経験を含めまして、今日は「グローバリゼーションと情報」ということで、話をさせていただきます。

 全体は三つに分かれます。一つは、「グローバリゼーションの条件としての情報化」ということで、「グローバリゼーション」と「情報」をどう結びつけるかという問題です。

 第二に、インターネットを用いた私自身の情報政治学の経験をいくつかご紹介し、そこから「グローバリゼーションの推進力としての情報」の意味を見出したいと思います。

 最後に、それを「グローバリゼーションの帰結としての情報戦・情報政治」としてまとめます。

 

 一 グローバリゼーションの条件としての情報化

 

「モノ・カネ・ヒトの国際化」と情報――プラスワン?

 第一の「グローバリゼーションの条件としての情報化」は、情報の哲学的概念・歴史的意義、思想的なとらえ方と関係しますので、まず、その辺からお話ししたいと思います。

 よく言われるのは、情報と金融はグローバリゼーションの要(かなめ)、推進母体であり最先端である、という話です。「国際化」という言葉では、三段階の歩みが想定されました。第一が「モノの国際化」つまり、商品が国境を越え、貿易が始まりました。それから「カネの国際化」つまり貿易決済のために貨幣や信用の規格化・ルール化が進み、国際金融市場や通貨体制がつくられた。それに続いて、ついに労働力も国境を越えて移動し始め、第三の「ヒトの国際化」が進むようになりました。

 この「国際化」という言葉は、日本では一九七〇年代から八〇年代にかけて、よく使われるようになった。日本が高度経済成長で大国化し、石油危機でその基盤が世界中とのつながりであることが鮮明になった時代です。その後、「グローバル化」「グローバリゼーション」という言葉が使われるようになったときには、モノ・カネ・ヒトに加えて「情報の国際化」が言われるようになった。

 いわば、「モノ・カネ・ヒトの国際化」プラス第四段階が「情報の国際化」という形の位置づけ方です。情報までが国際化されたところで国際化は完成し、一つの地球(グローブ)、グローバリゼーションになった、という歴史的なとらえ方があります。この場合には、「情報」は、モノ・カネ・ヒトと並ぶもう一つの領域、第四の発展領域ということになります。これが「プラス・ワン」説です。二一世紀の最先端産業はIT領域だ、情報ベンチャー企業が経済活性化の推進力になる、といった場合に使われます。

 

 情報は、モノ・カネ・ヒトにつきまとう結節点

 ところが、もう一つの立場があります。私はその立場ですが、情報とは、モノ、カネ、ヒトのそれぞれに、本来つきまとっているのではないか、と捉えることもできます。例えば貿易とか、国際金融とか、あるいは労働力移動という場合には、お金が動いたり、商品が動いたり、人が動いたりするだけではなくて、情報も動いている。つまり情報という概念は、モノ、カネ、ヒトの動き全体を結びつける結節点の役割を果たしている、あるいは、モノにもカネにもヒトにも情報がつきまとっていることによって国際化は進んできたという、もうひとつのとらえ方がある。つまりモノ、カネ、ヒトとは別次元にある、それらに内在する結節点、上位概念として情報をとらえようというとらえ方です。そこから「プラスワンか、結節点なのか」と、問題を設定したわけです。

 私は、「情報=結節点」説といいますが、モノ、カネ、ヒトと同じ次元で並ぶものではなくて、情報があるからこそ国際化からグローバリゼーションへという変化も可能だった、というとらえ方をしています。

 

 情報の自然科学的概念――エントロピーを減らす秩序化

 しかし、このように混乱してくるのには、それなりの理由があります。今では『情報学事典』(弘文堂)も出ていますが、実は「情報」という概念には、定説がありません。情報とは何かについては、例えば生物学だったら遺伝情報があり、環境とのかかわりで個体が種として再生産されるときに伝えられる情報がクローズアップされます。

 今日お話しするグローバリゼーションとの関係でいいますと、問題になるのは自然科学的な意味での情報概念と社会科学的な意味での情報概念の違い、もう一つは、社会科学的な概念の中にも広い意味と狭い意味があるということです。

 まず、自然科学との関係でいいますと、自然科学の方では、いわゆる情報科学・情報工学という領域が、この問題を専門的に扱います。現代日本の高等学校教育では、昔の職業科課程がいまや情報科になっています。その教科書の多くは、情報工学的な観点で書かれています。コンピュータの原理は0と1の二進法でつくられて云々という技術的な説明から入ります。

 その際の情報の概念は、エントロピーの反対概念です。エントロピーというのはいわば無秩序、カオスで無用なのに対して、情報という概念は、秩序化を推し進めると位置づけられます。物質の概念も、エネルギー、エントロピー、情報とならぶ物理要素として相対的に定義されることが多い。自然科学上のあらゆる物質は情報により秩序をつくっていると位置づけるわけです。

 情報工学のパイオニアであるC・E・シャノンの情報の定義は、「ある体系が一定量の不確実性を持っているとき、この不確実性の量を減らす役割をするもの」でした。

 

  社会科学における情報概念の広義と狭義

 それに対して、社会科学や人文科学では、情報を記号体系ととらえます。しかし、ここからが大変です。記号体系といっても、一体何なんだということになります。例えばあるインターネット上のホームページでは、二三の定義が紹介されています。

 サイバネティクスのN・ウィナーは、「我々が外界に適応しようと行動し、またその調節行動の結果を外界から感知する際に外界と交換するもの、環境と交換するもの」といいます。梅棹忠夫さんは、「人間と人間の間で伝達される一切の記号系列」と言います。これは、要するに人間と人間の間で何かが行われているときには必ず情報を交換し合っているんだというとらえ方です。

 それに対して、例えば社会学のダニエル・ベルは、「特化された目的に応じたパターン認識」、あるいは今井賢一さんは、「システムの秩序度を与えるもの」という。これは、先ほど言った自然科学的な情報概念、つまり不確実性を減らす、秩序化を推し進めるという観点を社会科学に持ち込んで、「意味づけ」ないし「秩序化」という観点から、情報をとらえようとします。

 記号体系という場合には、全く無秩序でもいい、人と人が何か交換すればいいんですが、何らかの意味づけをそこに加えようとする狭い定義が、もう一つあるのです。

 これらを総合したのが、社会学の吉田民人さんの情報の定義になります。

 「広い意味では――つまり広義と狭義に分けたわけです──物質・エネルギーの時間的・空間的、定性的・定量的なパターンのこと」。

 それに対して、「狭い意味では、有意味的なシンボルの集合である」と位置づけます。

 

 政治学における情報概念の不在

 実は、政治学では、情報概念を本格的に扱ったものは、ほとんどありません。

 一九五四年に、丸山真男さんたちが編集した『政治学事典』が平凡社から出ていますが、そこには「情報」という項目はありません。「情報活動」と「情報機関」の二つは項目になっていますが、「情報活動」は「情報機関を見よ」となっており、その「情報機関」で、内閣情報局やナチス・ドイツの国民啓蒙宣伝省、アメリカCIAなどが扱われました。関連項目は「→諜報活動、宣伝、言論統制」――明らかに、第二次世界大戦と東西冷戦開始期の問題設定を色濃く反映していました。ちなみに、「情報機関」の執筆者は、若き新聞学者の内川芳美さんでした。

 一九七八年の阿部斉・内田満編『現代政治学小辞典』(有斐閣)の段階になると、一応独立項目になります。「情報――受け手になんらかの形で伝達されるメッセージの内容。受け手の意思決定(人間の場合、態度・評価・感情の形成を含めて)に有用な度合(将来の可能性を含めて)に応じて価値が高まる。人間が受け手の場合、言語の形式で伝達されることが多いが、高級品の所持をステイタス・シンボルとして誇示するなど言語以外の形式で伝えられることも少なくない。情報の観念は、情報工学や通信工学の発展に伴って、これら諸科学の発想や概念を援用して論じられることが多い」となっています。つりあいのとれた記述ですが、情報概念の政治学的規定はなく、関連項目も「情報化社会」のみで、後の政治学テキストである松下圭一『現代政治の基礎理論』(東京大学出版会、一九九五年)などに頻出する「情報公開」のような項目はありません。

 理論的には、日本政治学会の「年報政治学」(岩波書店)一九七九年版特集『政治学の基礎概念』で、猪口孝さんが、「情報」を正面から扱っています。情報科学の「不確定度を取り去るか減少させるもの」という定義を前提しつつ、政治学の文脈で扱うために、通信を媒介とした送信者→受信者のコミュニケーション過程のなかに情報を措定し、「情報は政治目標をもつ政治主体に対して、政治環境についての不確定度を減少させ、政治目標の達成をより容易にする確率を高める。いいかえると、政治目標の達成のための政治環境の操作を成功させる度合を高めうる要素のひとつとして考えられる」と定義しました。

 猪口さんのは、「環境について、不確定度を減少させ、目標の達成をより容易にする」もの、つまり「秩序化に向けて意味づけが可能になるようなものを情報と呼ぶ」というとらえ方です。これはさきほど紹介した自然科学的な概念を加味しながら、茫漠とした記号体系の中の有意味なもの、秩序化し得るものだけを情報として取り上げようという狭義の方になります。

 

 情報は不確実性を減らすか、雑音や虚報も含むのか?

 この狭義の情報概念の場合には、「ノイズ(noise)」という概念が、「インフォメーション」の対立概念になります。noiseは通常「雑音」と訳されますけれども、要するに情報=informationインフォメーションというのは「意味のあるもの」「役に立つもの」、ノイズはいわば「秩序を撹乱するもの」「役に立たないもの」という位置づけになっています。そのほかにディスインフォメーションという概念も英語にはあって、こちらは「虚報」と訳されます。

 また、経営学のH・A・サイモンのように、「データ」と「インフォメーション(情報)」と「インテリジェンス(諜報)」の三層に分けて、「データ」と「インフォメーション」は「ノリジ(knowledge事実知識)」のレベルに属するが、「インテリジェンス」は「コンセプト(concept 理解、解釈)」で、それだけ有意味性が増すというとらえ方もあります。この場合は、「情報」は「有意味なデータ」だが「解釈は含まないもの」となります。

 先ほどの吉田民人さんの「広い意味」との関係でいいますと、端的に言えば、ウソも虚報もノイズも生データも「情報」ではないかというとらえ方と、いや、ノイズやディスインフォメーションと区別される有意味なもの、秩序化し得るものだけが「情報」だという、この二つのとらえ方の違いが、政治の世界にもあるのです。

 これは、今日(こんにち)のグローバリゼーションの問題を、このどちらでとらえるかで大きく違ってくることになります。端的に言えば、例えばインターネット上にある情報は無限ですけれども、その中で、役に立つ情報、秩序化し得る情報を見つけるのは大変です。そうして苦労した成果が情報だととらえてしまうと、有意味なデータだけを情報として抽出するという考え方になる。

 それに対して、いや、世の中に流れている情報には、うわさも虚報も、あるいは首相の演技とかライブドアの社長がテレビに出て発するメッセージとか、そういうものが無数に入っていると考えることもできます。それに意味を付与し仕分けるのは、むしろ、受け手の側です。「情報リテラシー」といいますが、あらゆる情報を処理する能力が問題になる。世界中が情報にあふれている、有意味なものだけではなく無意味なもの、あるいは撹乱するもの、ノイズもすべて情報概念に含まれるという広い意味の情報が問題になる。

 

 「人間とは情報の束である」(アルベルト・メルッチ)

 私は、後者の立場に立っています。情報学とか情報研究というのは、雑音やノイズまで含めて研究しなければならないと思います。事実、人々が情報として受け止めているものの中にも、そのような無意味なもの、無用なデータが無数に含まれているというとらえ方をします。

 こういう考え方に私がなった一つの理由は、アルベルト・メルッチという有名な社会学者がいますが、彼が亡くなる一年ぐらい前に一橋大学に来たときの対話です。メルッチに、「あなたの見方からすると、人間というのは一体何なんですか」と聞いたわけです。彼は、「人間とは情報の束である(a bundle of information)」という答え方をしました。

 私の方は、カール・マルクスの「人間とは社会的諸関係のアンサンブルである」、つまり、人間と人間とのさまざまな関係が個人の身体にまとまって凝集しているという『ドイツ・イデオロギー』の中に書いてある言葉を想定してメルッチに聞きましたが、メルッチは「いや、人間とは情報の束である」という言い方をしたのです。

 メルッチはそういう観点から、人類史の中でnomad――「遊牧民」と訳されます――が、つまり定住地を持たないけれども空間を移動しながら、さまざまな知らせ、情報を世界中に伝えて歩くような人たちが、人類史の中で重要な役割を果たしてきたと述べました。他方で接合理論、articulation theoryといいますが、我々がある意味を了解するとき、あるものを認識するときには、情報をさまざまに分節化することが可能で、それらのつながり方、組み合わせ方を認識する、articulateの仕方を認識することによって、我々はあるものは真であり、あるものは偽であり、あるものは自分にとって意味があり、あるものは意味がないという風に考えるといいます。人間の思考のあり方の中には、常にこのarticulation(接合のほか、節合、分節節合などと訳されます)が入り込んでいるという観点を出しました。

 これは、言語学や身体論などの世界でも同じです。言語学でいうと、分節化とは、例えばインフォメーションであればin-for-ma-tionとなるわけですが、さまざまな言葉の中のそれぞれに意味がありながら、それらのくっつき方によって違った意味が出てくるという話になる。あるいは言葉、単語も前後の言葉・単語とのつながり方で理解する、テキストを孤立して読むのではなく、コンテキスト(文脈)、センテンス(文節)のなかで解釈するという風に考えます。

 身体論なら、さまざまな部分が関節でつながって、一つの身体になる。グローバリゼーションというのは、そういう意味では、地球上でのさまざまなモノやカネやヒトに付随する情報が世界に広がって、世界の人々が無限に情報化してくる。諸個人の中に情報が蓄積されたり、あるいは取捨選択されたりして、次の新しい情報につながっていったり捨てられたりという動きになります。グローバリゼーションを、雑音も虚報も含む情報の動きの巨大化としてとらえる見方になります。

 

 冷戦崩壊を導いた情報革命と「マクドナルド化」

 ただ、政治学で「情報」を語る場合に、もっとポピュラーなのは、例えば一九八九年に東欧でベルリンの壁が崩壊したときには、圧制の下にあった東ドイツの市民が西ドイツから流れてくるテレビの画面を見て、資本主義は腐敗して社会主義は勝っているという政府の宣伝はウソだと見抜いたとか、あるいは、例えばチェコスロバキアで「ビロードの革命」が行われたときに、反体制派の人たちの情報が口コミ情報ネットワークでつながり可能になったケースがクローズアップされます。八九年当時、東欧ではコピーが禁止されていて、インターネットはなかった。それでも電話やファクスを通じて連帯が広がったという意味で、情報革命といわれました。

 つまり、東西冷戦を崩壊させたのは情報化であり情報革命だという観点です。それが、その後の湾岸戦争での情報機器を用いた戦争とか、CIAを用いたアメリカの情報操作といった論点で、グローバリゼーションと情報政治が語られる。

 もちろんグローバリゼーションそのものの中にも、例えば「マクドナルド化」という問題があります。マクドナルドのハンバーガーの定型化された調理情報が、世界中にある種の定型化されたパターンで入っていった。しかもマクドナルドがインドに入るときには、例えばビーフバーガーだと宗教的な理由で食べてもらえないので、チキンバーガーで似たような味になるようにうまくつくって、宗教や文化との接合も採り入れていった。だからグローバル化とはアメリカ化、米国の「帝国」化だという議論があります。

 つまり、情報がグローバリゼーションに乗って広がる際には、受け手の問題、グローバリゼーションで新たな商品や外国人が入ってくることに対して起こる反発や文化摩擦も考慮する必要がある。ここで情報を「有意味性」「秩序化」の狭い意味で用いる場合には、グローバリゼーションが情報の差異や格差を解消していく作用が注目される。

 その場合、日本ではIT革命、インフォメーション・テクノロジーのレボリューションと言われますが、欧米の文献ではICT(Information & Communication・Technology)というふうに、C(コミュニケーション)を入れることが多いのです。もともと日本に入ってきた時はICT革命だったのです。それは、これから申し上げることと関係しますが、グローバリゼーションと情報という問題を考えるときには、インフォメーションのあり方がコミュニケーションの様式を変えていったという問題と密接に関係するからです。

 

 NGO・NPO活動の基盤としてのインターネット=ボランティア革命

 もう一つだけ、グローバリゼーションとの直接の関係で、情報が問題になる局面を申し上げますと、日本でいえば一九九五年の阪神大震災、オウム真理教事件があった時ですが、あそこが日本におけるボランティア活動の出発点、「ボランティア元年」になりました。

 そこで非常に重要だったのが、被災地での情報の欠如と混乱でした。九五年は、ちょうどインターネットが大学や情報科学者の狭いサークルから市民レベルに広がり、eメールのシステム等が入り始めた頃でした。そこから、市民たちの自発的な社会活動の中で情報ネットワークが生かされる局面が生まれてきた。端的にはNon Governmental Organization(NGO)、あるいはNon Profitable Organization(NPO)、そういう非政府機関とか非営利機関がどんどん大きくなってくるのと、グローバリゼーションが一致するわけです。その基盤になったのが、情報とコミュニケーションの広がりでした。

 例えば今、国連のホームページにアクセスしますと、そこにすぐにGlobal Civil Societyと出てきます。そこで、政府も企業も、そしてNGOやNPOも一緒になって、世界をまとめ上げていきましょうと呼びかけられている。情報が広がることによって、例えば従来のgovernment(政府)の概念とか、あるいはcivil society(市民社会)という概念にglobalという形容詞がつけられることになった。後に述べるglobal governanceという、今日国際政治学などで焦点になっている概念も、その流れの中でつくられました。

 

 二.グローバリゼーションの推進力としての情報――インターネットを中心に

 

 情報=メディア・プラス・メッセージ

 先ほどの、情報をディスインフォメーションやノイズも含むものとして位置づけようという広義の社会科学的見方に立ちますと、「情報」概念は、二つの要素から成ります。一つはメディア、情報の媒体です。情報手段といってもいいでしょう。もう一つはメッセージ、情報の内容です。二つのMと言われます。I=M+Mと覚えていただければいいのですが、インフォメーション=メディア+メッセージとなります。これが、信号体系としての、広い情報概念になります。

 この場合、メディアというのは、例えばラジオとかテレビ、あるいは個々の商品もそうですし、コマーシャルや商品の写真が印刷された物品とか包み紙等々も含めて、メディアになる。送り手と受け手の間を媒介する何らかのものです。もちろん演説とかファクスとか手紙も、この意味ではメディアです。

 それに対してメッセージというのは、メディアを通じて送り手と受け手の間で取引される意味内容です。コンテンツ=内容といってもいいでしょう。要するに、メディアを通じてメッセージを交換し合うのが情報だという考え方です。

 ところが現代において著しく発達したのは、とりわけ二十世紀の後半ですが、この中のメディアの部分です。つまり、カメラや映画から始まりまして、ラジオ、テレビ、携帯電話、ファクス、インターネット、あるいは複写機等々というさまざまな情報機器が発達することによって、そのメッセージ、つまりそこで送られるメッセージの量も飛躍的に大きくなった。

 その様相を、ヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』で、人類の知覚における「大衆の登場」と「アウラ(Aura霊性)の凋落」と評しました。写真や映画が現れたことで一回限りというオリジナルの真正性と権威を揺るがし、芸術文化の時間と空間の存在様式を変えた。伝統的芸術作品の「アウラの凋落」を導き、秘教的な「礼拝的価値」を「展示的価値」に置き換えた。要するに、情報を民衆のものにし、受け手を大衆的なものにした。

 メディアの発達がメッセージを極めて膨大なものにして、受け手の側がそれをうまくコントロールして受容することができない問題、さまざまなコンフリクトを起こすような時代に入ってきたのです。

 

 メッセージの巨大化と若者文化

 先日ある本を読んでいましたら、私の学生時代は一九六〇年代末で、いわゆる団塊の世代になりますが、このころの出版物は、雑誌を含めても年にせいぜい数千種類だったらしいです。これが、その後倍々ゲームで進んで、今、日本語の書物は年数万点出ている。テレビやインターネットがあるのに、古いメディアである出版情報も巨大化している。

 いまどきの学者は大変です。この巨大化したメッセージをどうやって消化するかで手いっぱいになる。古典や歴史の問題なら限られますが、今日的な何かの問題をやろうとすれば、もう大変な時間をかけて情報収集し、それを取捨選択して判断をしなくてはいけなくなった。

 いま「ゆとり」教育で子供たちの学力が問題になっています。例えば小学生の算数の教科書を調べた人がいます。一九六〇年代ぐらいの算数の教科書だと、小学校三年生では、分数は整数の五分の三とか八分の七とかというのを覚えておけばよかったらしいのですが、今の子供たちは、とにかく覚えなくてはいけない知識量が二十世紀後半に飛躍的に大きくなったものですから、小学校三年生の分数は四桁・五桁の分母・分子が入ったものをやらなければいけなくなった、こういう状況です。

 つまり、最新の人類の知識の総量と最高の到達点を基準に基礎的な事柄を全部勉強しようと思ったら、微分積分や行列式はどうしても高校で必要だということになる。

 知識量の問題もありますが、とにかくメッセージが氾濫することによって、さまざまな社会問題が生まれています。新しいタイプの犯罪まで起こすようになっていますし、自殺の仕方まで容易に手に入る。変化が早くて、古い世代はついていけない問題が出てくる。

 

 子供たちの情報環境こそ教育を考える条件

 最近の教育学・青年論でいいますと、子供たちの世界は、かつては学校と家庭と地域という三つを見ていけば、大体子供社会はわかるということになっていた。ところが最近は、この中の地域社会・近隣関係がまず崩壊しています。それから家族も、子供部屋の普及とか塾の勉強とかで親子の対話がなくなってきています。そして、学校がこれまた大変で、先生方は、子どもたちを掌握し管理するのに精いっぱいで、一人一人に行き届いた教育、尊敬と信頼にもとづく教師と生徒の関係などとても作れない。

 その中で、何が一番子供たちの精神形成に重要な役割を果たしているかというと、実はここでいう広い意味の情報、つまり若者文化の世界です。例えば携帯電話の新しい機種がどうなったかとか、週刊誌のコミックで主人公がどうなったか、それを一番最初にだれが知ったかといった問題が、子供たちのコミュニケーションの入り口になっている。

 そうすると、伝統社会の子供たちは家族+学校+地域で生きるということより、むしろ、子供たちを囲んでいる情報環境がどうであるかという観点から、子供たちの成長とか教育を考えなくてはいけない。まさにアルベルト・メルッチが言った「人間とは情報の束である」という観点で見ないと、子供たちの世界はわからない時代になりつつあります。

 

 中国でもインドでも携帯電話とインターネット

 しかも、グローバリゼーションがどんな風に作用するかといいますと、例えば中国でもインドでも、いまや携帯電話の時代です。ケーブル電話線が通る前に、携帯電話が普及してしまいました。インターネットも同じで、中国とインドを足すと地球上の人口の三分の一ですが、そこに急速に普及し入り込んでいる。中国のインターネット人口は、あっというまに日本を追い越し、一億人を越えました。インドは世界のコンピュータ・ソフト開発の最前線です。

 先ほど言ったメディア、つまり情報手段は、もともと先進国で生まれ、長期間に段階的に発達し、伝統文化に溶け込むかたちで展開されてきました。それが途上国に流れて普及するさいには、開発段階を飛び越え、最新ヴァージョンが入ります。若者たちが急速に携帯電話を持ち、インターネットにはまったりしている。経済史でガーシェンクロンが述べた「後発効果」「後発利益」が、鮮やかに現れている。

 この意味では、画一化・規格化が世界的規模で広がります。グローバリゼーションは、先ほどの話でいうと、日本の子供たちが学校の教科書で、それでも少しずつ整数の分数から複雑な分数になってきた進歩を、ものすごい勢いで、数年間で経験しようとしている。

 

 セーフティからセキュリティーへ

 それによって起こる、さまざまなフリクション、コンフリクトがあります。典型的には、二〇〇一年九・一一のテロです。ニューヨークの超高層ビルやワシントンの政府の建物に、超高速の航空機が飛び込み数千人が犠牲になる。しかもそれが、国家間の戦争ではなく、多国籍のテロリスト集団が、インターネットで情報を交換しあっておこしたらしい。

 情報政治学の側から見ると、テロル計画者のネットワークや、事前に情報があったにもかかわらず雑音として処理してきた米国情報体制も問題ですが、何といっても、その情報的効果が重要です。ニューヨークの貿易センタービルというグローバリズムの象徴と、米国国防総省ペンタゴンという米国軍事力の心臓部を、朝方、同時に、全世界でテレビで見られるかたちで攻撃した。その象徴的意味、メッセージは、あるゆるメディア媒体を通じて今日なお報じられ、アフガニスタン、イラクという二つの国家の政権を倒す世界的な戦争の導火線になったのです。

 これまでのセーフティ、「安全」という考え方から、セキュリティ、つまり安全を確保し保障するためにはどういう条件が必要かということまで全部シミュレーションしておかないと安心できない、セーフな気分にならないという時代がきました。

 「セーフティからセキュリティへ」と我々は言っていますが、「安全から安全保障へ」、あるいはドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの言葉でいえば「危険社会」、つまりリスク・ソサエティ、あらゆるところに危険(リスク)があって、それに対して人々が常に不安を感じ、安全安心を求めるためにセキュリティを確保しなくてはという強迫観念を生みだす社会が生まれている。これが、グローバリゼーションの現局面になります。

 

 「大正生れの歌」男性編の反響

 そこで、情報を究める意味について、いくつかの経験をお話します。皆さんにお配りしました資料に「大正生れの歌」というのがございます。私が岩波書店のブックレットで一九八九年に『戦後意識の変貌』というのを書いたことがあります。そのときイントロとして使ったのが「大正生れ」という歌です。歌詞は、次のとおりです。

 

(1番) 大正生れの俺(おれ)たちは/明治の親父(おやじ)に育てられ/
忠君愛国そのままに/お国のために働いて/
みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/
覚悟は決めていた/なあお前
(2番) 大正生れの青春は/すべて戦争(いくさ)のただなかで/
戦い毎(ごと)の尖兵(せんぺい)は/みな大正の俺たちだ/
終戦迎えたその時は/西に東に駆けまわり/
苦しかったぞ/なあお前  
(3番) 大正生れの俺たちにゃ/再建日本の大仕事/
政治経済教育と/ただがむしゃらに40年/
泣きも笑いも出つくして/やっとふりむきゃ乱れ足/
まだまだやらなきゃ/なあお前
(4番) 大正生れの俺たちは/五十、六十のよい男/
子供もいまではパパになり/可愛いい孫も育ってる/
それでもまだまだ若造だ/やらねばならぬことがある/
休んじゃならぬぞなあお前/しっかりやろうぜ/なあお前

 

 歌詞を見ただけでもイメージがわくと思いますが、軍歌調で書かれています。八九年に私が岩波ブックレットで紹介しましたが、これが去年急にリバイバルして、問い合わせが殺到しました。

 理由は、二つあります。一つは、私のブックレットが増刷され、再刊されたことです。でもこれは通常の売れ行きでした。

 もう一つは、『朝日新聞』のコラムで、論説委員の早野透さんが、カネボウ社長だった永田正夫さんのお別れの会に行ったら、永田さんの同級生だった人たちがこの歌を替え歌にしてお葬式で歌ったらしいんです。それで、これはおもしろいというので、早野さんが私のブックレットを引用して『朝日』で紹介した。そしたら、ぜひ全体の歌詞を知りたい、メロディはどうなってると、九州の老人ホームのお年寄りや、カルフォルニアの二世の老人などから、次々に問い合わせがありました。その新聞を見ての問い合わせの中に、どうも歌詞は「大正生れ」の男たちの歌になっているが、女性たちだって苦労したし、女性の歌もあるはずだ、というのがありました。

 

 インターネットを用いて「大正生れの歌」女性編を発見

 そこで、私が何をやったかというと、先ほど言いましたように、私のホームページ「ネチズン・カレッジ」は、通算七五万ヒットで、月に一万人のリピーターの人々が覗きに来ます。そこで、私が紹介した「大正生れの歌」は男の歌になっていますが、どうもこの歌には女性編もあるらしい、ついては女性編の歌詞をご存じの方はいませんかとインターネットのホームページのトップでよびかけたのです。

 三日目に、電子メールで、最初の反応がありました。「もともとこの『大正生れの歌』はあなたの本で初めて紹介されたように『朝日』では書いていたけれども、これは既に一九八〇年ごろに西村晃さんというテレビで水戸黄門役をした俳優がレコードに吹き込んだことがある」という内容でした。西村晃さん自身が大正生まれです。

 別の情報では、もともとは和歌山中学出身の小林朗さんという軍隊経験のある人が、歌詞をつくったそうです。レコードになる時に、当時のドーナツ版レコードにはA面とB面があって、A面に「大正生れの歌」を入れたら、裏に何か入れなくてはいけない。それでそのときに女性編が作詞され、B面には玉城百合子さんが歌った女性編が入っている、ということでした。

 それで、このニュースを再びインターネットで速報し、筑波山の麓に住む八〇歳を越えてインターネットを使いこなす元気なおじいちゃんが見つけてくれましたのが、次の「大正生れの歌(女性編)」の歌詞です。

 
(1番) 大正生まれの私たち/明治の母に育てられ/
勤労奉仕は当たり前/国防婦人の襷掛け/
皆の為にと頑張った/これぞ大和撫子と/
覚悟を決めていた/ねぇあなた
(2番) 大正生まれの私たち/すべて戦争の青春で/
恋も自由もないままに/銃後の守りを任された/
終戦迎えたその時は/頼みの伴侶は帰らずに/
淋しかったわ/ねぇあなた
(3番) 大正生まれの私たち/再建日本の女房役/
姑に仕える子育てと/ただがむしゃらに三十年/
泣きも笑いも出尽くして/やっと振り向きゃ白い髪/
それでもやらなきゃ/ねぇあなた
(4番) 大正生まれの私たち/五十、六十の良い女/
子供も良いパパママになり/可愛い孫のお守り役/
今では嫁も強くなり/それでも引かれぬ事もある/
休んじゃならない/ねぇあなた/しっかりやりましょ/ねぇあなた

 

 つまり予想通り、「なあお前」に対して「ねぇあなた」と応える女性編があったのです。

 

 「大正生れ」は戦争の最大犠牲者

 さらに作詞作曲の小林朗さんが大阪で健在で、ついにこの歌の誕生の秘密まで、聞き取り調査ができました。小林さんによると、作ったのは高度成長の終焉した七五年とのことです。石油危機でトイレット・ペーパーのパニック騒ぎがあったあの頃です。その頃小林さんは、「ただがむしゃらに三十年」のサラリーマン生活の末に、病気で入院していたのだそうです。その時病床で、大学卒業直後に動員され戦死した友人達を想い、その後の生き様を振りかえって作った歌なそうです。太平洋戦争の犠牲者で一番多いのが「大正生れ」だったと、しみじみと語っておられました。

 その歌詞が、テレビ局勤務の友人の眼に泊まり、それに「恋さんのラブコール」などフランク永井や松尾和子の作曲をしていた大野正夫さんが曲をつけたのだそうです。七五年に藤木良さんという歌手がレコードに吹き込み、カラオケで普及し、さらに七九年に西村晃さんがぜひ歌いたいといってきてレコードにしたさい、女性編がつくられたそうです。

 こうなふうに、ある情報、有意味な情報が欲しいと思ったときに、私の場合でしたら、インターネットのホームページを通じて、こういう情報を探していますということを私から発信します。そうすると、受け手の中にそれに関心を持っている人がいれば、そこから新しい情報が入ってきます。そこで、「大正生れの歌」には男性編と女性編があって、その男性編に込められている意味と女性編に込められている意味が、今風にいえばジェンダー的にどうだということを探求できるわけです。

 

 ドイツに残された晩年の竹久夢二の絵

 これはもう、ほとんど趣味の世界です。同じように、私は、竹久夢二の「ベルリンの公園」というよく似た二枚の絵をインターネット上に公開し、情報を求めています。

 竹久夢二は一九三四年に亡くなりますが、その直前の三三年夏までドイツに「外遊」していました。ナチスが政権をとった時に彼はベルリンにいて、日記には「ユダヤ人がかわいそうだ」とか同情の言葉を書いています。

 ドイツ時代の竹久夢二については、美術史の竹久夢二研究ではほとんど触れられません。わたしは、竹久夢二がナチスが政権をとり社会民主党も共産党も禁止される時期のドイツでどんな絵を描いたかに関心があって、二〇〇二年にNHK「新日曜美術館」で夢二特集をやったときにも協力しました。

 夢二は一九三二年秋にアメリカからドイツに入って、三三年一月のナチスの政権掌握を目撃しました。約一年滞在して帰国し、翌三四年には病死します。そこで晩年に夢二がドイツで描いた絵を捜してきました。これは、NHKの協力もあり、チューリッヒに住んでいる夢二のドイツでの絵の先生だったヨハネス・イッテンのご遺族とつながりました。残念ながら油絵の大きい絵は見つかりませんでしたが、夢二が水墨絵風にかいたデッサン十数点を見つけることができました。こういうことが、インターネットで可能になっているのです。

 そこで現在は、「ベルリンの公園」というよく似た構図の夢二の二枚の絵がどのようにして日本に入ってきたかを探求しています。一枚は、当時ベルリン大学学生で戦後長く昭和天皇の侍従長を勤めた徳川義寛が持ち帰ったことがわかっています。もう一枚の日本への入り方を、今もインターネットでよびかけ探求しています。

 割とよく知られているのは、モスクワに行って旧ソ連のスターリン粛清で殺された日本人の研究を、私がやってきたことです。そうした人たちの情報を、新聞社の協力も得まして、インターネットで、モスクワではこんな名前の日本人が殺されたことがわかりました、どなたかご存じありませんかというのを出しました。これは発表後三日ぐらいで確実に情報が集まり、それまで肉親がソ連に入って行方不明だったご遺族に連絡がつきました。今まで十人近くの方々のご遺族に、殺された理由と処刑された場所・命日をお知らせし、遺品がある場合には遺品を届けるボランティア活動をやっています。

 こういうさまざまな領域で情報を得る、あるいはこれまでの情報に新たな情報を加えて新しい問題を解いていくことが可能になったというのが、一つの経験です。

 

 環境NGOから始まった『百人の地球村』

 こうした手法を、政治の世界で使った一つの重要な事例が、『世界がもし百人の村だったら』という有名な本です(マガジンハウス社)。これは、池田香代子さんとダグラス・ラミスさんが訳して本にしましたが、百五十万部売れています。九・一一の直後に大ベストセラーになった書物です。この広がり方が、グローバリゼーション時代の情報の流れの一つの典型です。

 この『世界がもし百人の村だったら』という話の内容は、私は「イマジン」というホームページサイトを個人的に開いておりまして、こちらでは平和運動をやっているんですが、そこで紹介しています。

 

  「現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
   全世界を百人の村に縮小するとどうなるでしょう。
  その村には、五十七人のアジア人、二十一人のヨーロッパ人、十四人の南北アメリカ人、八人のアフリカ人がいます。
  五十二人が女性です。四十八人が男性です。
  七十人が有色人種で、三十人が白人です。
  七十人がキリスト教以外の人で、三十人がキリスト教徒です。
  八十九人が異性愛者で、十一人が同性愛者です。
  六人が全世界の富の五九%を所有しており、その六人ともがアメリカ国籍です。
  八十人は標準以下の居住環境に住み、七十人は文字が読めません。
  五十人は栄養失調に苦しみ、一人が瀕死の状態にあり、一人は今生まれようとしています。
  百人のうちの一人は、そう、たった一人だけは大学の教育を受け、
  そしてたった一人だけがコンピュータを持っています」。

 

 実はこの本は、インターネットの世界であっという間に広がったものを本にしたら、さらに百五十万部売れたという有名なものです。

 どういう形で広がったのかですが、アメリカの世界銀行に勤めておられた女性の方が、もともと環境NGOの世界で英語で広がっていた詩を、こういう形で日本語に訳した。

 それを、二〇〇一年春といいますから、いわゆる九・一一事件の半年前にインターネット上に発表しました。そういう意味では、九・一一とは直接の関係はありません。

 しかし、日本では、春からインターネット上のある環境NGOのサイトに巻頭詩として挙げられていたものが、九・一一同時テロ事件の後に、わずか一カ月間で、ものすごい勢いで広がりました。おそらく数百万人にあっという間に伝えられました。

 

 原作者は『成長の限界』の執筆者メドウズ夫人

 これは、NHKが一度テレビ番組にもしていますが、もともとこの詩は、一九七二年に資源枯渇・地球環境・生態系危機の警鐘を鳴らした有名な報告書『成長の限界』が出た時にローマクラブの事務局にいた環境学者メドウズさん(事務局長の奥さんだった人で、『成長の限界』の執筆者の一人です)が、一九九〇年に「千人の地球村」という学術論文を書いたんです。地球の環境問題は深刻だということを、統計を使って、もし地球が千人で成り立っているとすれば、今森林はどのぐらい破壊されている、オゾン層はどういうふうになっている、砂漠化がこんなに進んでいるという状況を、学術的に論じたものでした。

 それを、一九九二年のブラジル地球環境サミットのときに、あるNGO団体が、原作者メドウズから承諾を得て、千人ではわかりにくいから百人でいこうと、百人に縮小し単純化して、百人のうち何人が白人で、何人が黒人で、何人がキリスト教でという縮図にした詩につくり変えた。そしてそれを、その団体の地球環境サミット用ポスターに載せたんです。これは、もちろん英語です。

それが、世界中の環境団体、NGO等々の中で、なかなかこれはわかりやすいということで流れていたものを、世界銀行勤務の中野裕弓さんという日本人女性が日本語に訳した。それを二〇〇一年三月ごろといいますから、あの九・一一の半年ぐらい前にネット上に発表しまして、それが日本の環境NPOのサイトに載ったんです。

 

  九・一一後の日本における『百人の地球村』の広がり方

 ところがこれが広がったのは、NHKの調査でわかったんですが、九月二四日からということです。九月二四日、倉敷市のある先生が、初夏に一度見ていたこの「百人の地球村」という詩を、自分たちのメーリングリスト(ML)に流した。それは、九・一一で始まった世界貿易センタービルの破壊とか、ペンタゴンへのジェット機の突入とかを理解する上で、直接には役に立たないけれども、今なぜこんな問題が起こるのかという背景を理解する上で、「百人の地球村」は子供たちにもわかりやすい。学校の先生が、これを先生方の通信ネットに載せたのです。

 そしたら、ネットでその詩を拾った千葉県市原市の中学の先生が、九・一一の二週間後の九月二五日に、それを自分の学級の生徒たちの親に宛てた「学級通信」というインターネット上のメーリングリストに載せた。父兄に毎週、皆さんの子供たちは今どうなっていますというニュースを送っていたらしいんですが、そのニュースに、この詩を載せました。その詩を受け取った千葉県市原市の酒屋さんが、この詩はすばらしいということで、全国の酒屋さんのネットワークのメーリングリストに、こんなのが流れてきましたというコメントを添えて、全国の同業者に流した。

そしたら、これが全国酒屋さん組合のネットワークによって全国に流れ、ああこれはいいということで、全国のいろいろな環境ボランティアとか、学校の先生方とか、あるいは業界団体の人たちまで含めて、これを友達に流すようになった。それがたちまち広がって、これが本になったのが二〇〇一年末ですが、その二カ月前、九・一一の一カ月後には、インターネット上で二十幾つものインターネット・サイトに大きく出て、だれもがアクセスできるし、みんなが知っているものになっていたという状況です。

 

 「イマジン」と共通する『百人の地球村』のメッセージ

 ちょうど同じ頃、ジョン・レノンの奥さんだったオノ・ヨーコさんが、『ニューヨーク・タイムズ』の一ページ全面を使って「IMAGINE」という白地に八文字だけの意見広告を載せた。これを見て、『ニューヨーク・タイムズ』の意見広告は大体五百万円必要なんですが、「百人の地球村」を広めた先ほどのインターネット上の環境グループは、九・一一の後、「百人の地球村」が広がってきたところで、『ニューヨーク・タイムズ』に日本人の平和の声を意見広告で載せたい、みんなでお金を出しあおうと、インターネット上でよびかけました。そのよびかけ文を、銀行口座名を入れて流したところ、二週間で一千五百万円集まりました。そのために、『ニューヨーク・タイムズ』に二回掲載、それでも余ってアラビア語やイタリア語の新聞にも意見広告を載せることができたのです。

 これは、日本の政治や平和運動では、革命的なできごとでした。なぜなら、日本ではその一年半前、小泉純一郎さんが首相になるときに、自民党支持者の中に小泉純一郎を支援する草の根勝手連ができました。自民党内では少数派で、特に国会議員の中では少数派だけれどもぜひ総裁になってほしいという小泉を推す党員グループが、ネット上で一カ月かけて百万円集めたのが、それまでの記録とされていた。それがこの二〇〇一年一〇月段階では、簡単に二週間で一千五百万円集まるようになっていました。ちょうど韓国でも、「落選運動」というインターネットを通じた汚職腐敗議員追放選挙が成功し、話題になっていました。

 私自身も、その翌二〇〇二年冬ですが、北朝鮮による拉致問題で『ニューヨーク・タイムズ』に日本人拉致問題を世界に訴える意見広告の呼びかけ人の一人になりましたが、このときもインターネットだけで、二週間で二千万円集まりました。

 アメリカの大統領選挙は、皆さんもよくご存じだと思いますが、資金集めも票集めもインターネットが主流になってきました。「e(電子)デモクラシー」といわれています。そういうふうに、インターネット上で何らかの政治的アクションを起こそうとするときに、かつての署名とか、集会とか、あるいはホテルでパーティを開いて金集めというふうなスタイルから、こういう形での新しい動員、あるいは市民参加の仕方が可能になってきているというのが、もう一つの経験です。

 

 「2ちゃんねる」を用いたオンデマンド実験講義

 別のタイプの経験ですが、「2ちゃんねる」という、悪名高いインターネット・サイトがあります。私は大学の講義でこれをとりあげて、実験授業をしました。一カ月に一回しか教室には行かないで授業をやった経験があります。ちょうど学期中に海外の国際会議に行くときですが。

 これはどうするかといいますと、「情報政治学」のための特別のホームページとメーリングリストを設けまして、そこに参考になるサイトの紹介と宿題を出します。そしてレポートを電子メールで送らせコメントして返信する、学生同士にはメーリングリストで議論させるというかたちをとると、アメリカにいても、インドにいても、授業ができます。これは、早稲田大学文学部とか慶應大学の藤沢で実際にやっているオンデマンド講義にならったものです。学生も、大学まで行かなくても授業に参加できるというので喜びます。その代わり、それなりに勉強させようと思いまして、一度「2ちゃんねる」の分析を、学生たちにやらせました。

 「2ちゃんねる」については、ご存じの方もいるかもしれませんが、インターネット上にあるすさまじい、先ほど言ったノイズとディスインフォメーション、雑音と虚報の巨大な山みたいなところです。ある人は現代版「便所の落書き」とか「情報のごみため」などと評します。そこから何らかの有意味な情報についての理論を引き出してこいというのを宿題に出しましたら、学生たちがノリにノリまして、一生懸命それを分析することになりました。下手に毎週講義するよりも、はるかに教育的効果はあったのと思える反応でした。次項でのべるグローバル時代のインターネット情報の特徴というのは、その時学生たちと一緒に見出したものです。

 

 米国OSS資料の象徴天皇論もデジタル情報で入手

 もう一つ、資料でお配りしました「天皇を平和の象徴に」という新聞記事です。これはインターネットを使って、ワシントンのアメリカ国立公文書館の資料の山の中から、第二次世界大戦中の米国対日政策について新発見をした記録です。

 OSSという第二次世界大戦時の米国戦略情報局(戦後のCIAの前身)の文書が、二〇〇一年、クリントン政権の終わりの頃に全面公開になりました。その資料を当たっていたら、一九四二年六月「日本計画(ジャパン・プラン)」という、真珠湾攻撃直後につくられた対日戦略プランが出てきました。それを見たら、「天皇というのは平和のシンボルとして利用できるし、憲法の改正権も天皇にしかないから、日本に勝つためには、天皇と軍部の間に楔(くさび)を打ち込んで天皇を利用しなくてはいけない」という資料が出てきた。そして、戦後はそのとおりになって、天皇は憲法第一条で「象徴(シンボル)」になったのです。詳しくは、雑誌『世界』二〇〇四年一二月号に発表した論文がありますので、それを見てください(二〇〇五年七月に『象徴天皇制の起源』という平凡社新書になりました)。

 これが情報とどうかかわるかということですが、この資料をどういうふうに私が入手したかといいますと、まずは日本から米国国立公文書館(NARA)の英語ホームページにアクセスします。そこに膨大な資料リストがありますから、例えば「OSS」と「ジャパン」を組み合わせて索引ページで打ち込みますと、OSSの日本関係資料の所在がわかる。つぎにそれを用いて、例えば一九四二年のこんな資料は入っていないかと、MARAの専門調査員にメールします。そういう問い合わせのための特別の窓口が、ホームページ上にあります。すると親切に、これこれこういう資料があり、その問題はアーキヴィストの誰それと相談するようにという返事が来ます。現物だけはインターネット上では読めないので、ここまで絞り込んだうえで、ワシントンに行きます。すると一週間も滞在すれば、大体必要資料のほとんどをコピーできます。パソコンもデジカメもスキャナーも持ち込み自由です。それで、これまで知られていなかった画期的史実も発見できるのです。

 さらに、裏技があります。資料ナンバーさえ分かれば、私の場合なら、ゼミの教え子の何人かがワシントンに新聞特派員等で滞在しています。彼らにメリーランドの国立公文書館に行ってもらって、その番号の資料をデジタルカメラで撮影してもらいます。あとは圧縮画像ファイルにして電子メールで送ってもらえば、日本にいながらにして、ワシントンの公文書館資料を入手できるのです。この新聞記事の資料の一部は、その成果です。

 要するに、教育や研究にも、インターネットによる情報化、グローバル化の効用が使えるようになった経験です。

 

 三 グローバリゼーションの帰結としての情報戦・情報政治

 

 グローバリゼーション下の情報化の特徴

 では、以上に述べたインターネットを中心とした情報のグローバリゼーションの特徴を、整理してみましょう。先ほど紹介した「2ちゃんねる」を用いて行った実験授業「情報政治学」講義のまとめです。

 一つは、「脱国境性」、簡単に国境を越えられることです。今、中国政府は、外国から変な情報が入ってこないようにと、ものすごい労力とカネを使って、敵対的な情報――中国共産党にとっての雑音=ノイズ――を何とか規制し排除しようとしています。しかし、インターネット人口も一億人に達して、事実上それは成功していません。いろいろな形で、例えば奥地山間部の農民の反乱みたいな情報も、すぐにインターネットで入ってくるようになっています。

 第二は、「脱中心性」です。情報世界、特にインターネットの世界は、例えばそれまでのラジオやテレビのメディアだったら、一方的にアナウンサーからニュースが報道され、受け手はそれを受け取るだけでした。極端なかたちが、戦時中の大本営発表です。そういう意味での、どこかにセンターがあって、それがピラミッド型に情報を一方的に垂れ流すというシステムではありません。至るところに中心があり、至るところに周辺があるという、こういう関係になっているわけです。「ネットワーク」とは、そういう意味です。

 第三は、「開放性」です。私は著作権=コピーライトに対して、コピーレフトと言ってますが、情報は、基本的に人類全体が共有できる、独占されないかたちが可能です。コピーレフトとは、別に著作権の左翼という意味ではなく、著作権放棄、著作権を手放し情報を共有するという意味です。要するにインターネット上にいったん流してしまえば、どんなに「極秘」とか「マル秘」なんてつけていても、どこでどう使われているかわからない世界が、実際に生まれているわけです。それのいいところを使っているのが、いわゆるリナックス・システムです。マイクロソフトのウィンドウズOSに対抗して、無償のオープンソース・ソフトウエアをネットワーク上で開発した。つまりOSそのものを無料にし、その代わり世界じゅうの知恵を集めてよくしていこうという運動になります。そういう意味での「開放性」です。最も逆に、個人情報や犯罪情報、核兵器の作り方から自殺の仕方までありますから、政府や企業、個人にとっては、情報セキュリティが深刻な問題になるのです。

 そして、第四は、「双方向性」です。インターネット上でのチャットその他で、議論が極論化し悪罵や差別用語が飛び交うこともありますが、インターネット上でのコミュニケーションの最大のメリットは、携帯電話もそうですが、簡単に対話ができることです。先に述べたICT革命のC=コミュニケーションです。ライブドアの堀江さんが一生懸命フジテレビの社長に対して説いていることですが、まさにインターネットだったら、テレビと違ってすぐに視聴者との対話ができる、反応を知ることができる、という関係です。

 第五は、犯罪なんかとの関係でしばしば問題になる、「匿名性」です。匿名だから雑音や虚報も流せる。「名無しさん」の議論がエスカレートして誹謗中傷・悪罵になる、という面が、確かにあります。私なんかは本名で全部オープンにしてやっているので、やたらコマーシャル・メールやスパム・メールがいっぱい来て困っています。

しかし、基本的には、インターネット上での情報コミュニケーションは、名前を出さなくてもできる。だから企業の内部告発や、政治家の汚職腐敗の監視もできるのです。最近では、国会議員のみならずあらゆるレベルの政党・政治家・議員がホームページを持ち、そこに市民との対話の窓口を設けています。それらが膨大なネットワークによってつながっているのが、この世界の特徴になります。

 

 情報化が招いたアジア金融危機とエシュロンによる情報監視体制

 同時に、グローバリゼーションの副産物として、アジア金融危機とか、あるいは九・一一テロルとかが世界中に波及し、局地的な紛争問題が、たちどころに世界化します。

アメリカの国家安全保障局は、「エシュロン」という、基本的には世界中の電話、ファクス、インターネットを全部検閲できるシステムを持っています。日本の三沢基地にも大きなアンテナがあり、二四時間世界中の情報の動きを監視しています。

 しかし九・一一の時に明らかになったのは、あまりにも情報が膨大過ぎて、何が重要であるかを検索できないことです。後でそれらしい情報も入っていたというのがわかるという状態です。

 エシュロンがどういうシステムかといいますと、「テロ」とか「クライム」とか検索するキーワードが幾つかあって、それにひっかかったものだけが分析されるシステムです。キーワードがないと絞り込めない、かといってキーワードを増やすと、チェックすべき情報は無限に広がり、とてもこなしきれない。

 つまり、米国政府でも把捉できない情報が無数にある無政府状態ということになります。

 

 二一世紀の戦争は情報戦

 最後に、いくつか結論を述べて、私の話を終えます。

 私は、最近の著書や論文で、現代は情報戦の時代だと言っています。「一九世紀の戦争は武力と兵士を主体とした機動戦、街頭戦だった。二〇世紀の戦争は、経済力と国民動員を柱にした陣地戦、組織戦だった。二一世紀の戦争は、メディアと言説を駆使して、グローバルな世界で正統性を競い合う情報戦、言説戦になる」と考えています。

 実際にも、この間のイラク・アブグレイブ刑務所の虐待事件などが典型ですけれども、情報によって軍事戦の意味や帰趨が大きく変わる時代に入っています。

 これは、ハーバード大学のヨゼフ・ナイの言う「ソフトパワー」とか、東大の国際政治学者田中明彦さんの言う「言力政治」と、共通するとらえ方が含まれています。

要するに、政治でも経済でも、情報の意味、情報の果たす役割・機能が圧倒的に大きくなったのがグローバリゼーションの時代だ、という結論になります。

 

 世界経済フォーラム(WEF)と世界社会フォーラム(WSF)の定点観測

 さらにあと二つだけ言っておきますと、こういうグローバルな情報の流れが一体どうなっているか、これからどうなるかを見るのに一番手っ取り早いのは、毎年一月末に開かれる、二つのグローバルな国際会議を、定点観測することです。

 一つは、スイスのダボスで開催される「世界経済フォーラム(World Economic Forum)」、WEFです。こちらは、世界の経済・政治・言論界のVIPが集まって行われる有名な会議です。その年の世界経済・政治の基本的方向を論議し、国際機関や各国政府への提言も行います。

 それに対抗する形で、二〇〇一年からブラジルのポルトアレグレで、二〇〇四年はインドのムンバイに一度会場を移して、「世界社会フォーラム(World Social Forum)」が開催されています。世界中から十万人以上の人たちが一同に集まって、市民、労働運動、環境運動、女性運動、途上国支援のNGO・NPO等が国際会議を開いています。WSFの合言葉は「もうひとつの世界は可能だAnother world is possible」、あるいは「代替的グローバリゼーションalternative globalization」といいます。よく「反グローバリゼーション」と言われますが、確かにIMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機構)、世界銀行のあり方を問題にしていますが、むしろ国際法や国際機構を途上国、グローバル弱者の立場から組み替えようという運動です。ブラジルのルナ大統領とか、ヨーロッパの社会民主主義政党の活動家とか、世界銀行の実務も経験しノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツらも加わっています。

 つまり毎年一月末に、グローバル化がどうなるかについて、世界のエリートたちと民衆代表たちが、それぞれ大きな会議を開きます。WEF対WSFの世界的対抗です。

 今年二〇〇五年のWEF=世界経済フォーラムで貧困問題が中心問題になったのは、実は、その前の年のインド・ムンバイでのWSF=世界社会フォーラムで、それが大問題になったからです。ノーベル経済学賞のスティグリッツが参加し、世界銀行にとっても今一番重要な問題は貧困の解決だ、特にアフリカの問題を訴えた。いわばグローバルに両方で反応し合うような関係ができてきました。

 

 グローバル・ガヴァナンスの必要性

 最後に言っておきたいのが、冒頭でも触れた、「グローバル・ガバナンス」という問題です。ノイズやディスインフォメーションまで含めた無秩序な情報が世界中にあふれたところで九・一一、アフガン、イラク戦争が起こり、一体二一世紀の世界秩序はどうなるのかと不安になりますが、それに対する対応策として出されているのが、「グローバル・ガバナンス(global governance)」という概念です。

 これには、二つほど意味があります。一つは、情報化が進んだグローバリゼーションの時代には、一国規模ではどうにもならない問題がでてくる。ある国の問題がすぐに他国に波及する。関税による貿易制限とか出入国管理で労働力移動を制限することはできても、情報が国境を越えることをコントロールできない時代に入ったという認識があります。したがって、国民国家ないしは一国単位での政治経済社会秩序を考えるのではなく、グローバルな世界秩序を、何らかの形で考えなくてはいけない。

 もう一つは、その際の主体は、これまでの国際関係international relationでは主権国家だったのですが、もう国家、政府だけでは限界があることです。要するに、グローバリゼーションの時代は、政府はまだ大きな役割を果たし、国連や国際機関もそれなりの機能は果たしていますが、それだけでは足りない。多国籍企業やNGO、NPO、あるいは社会集団や個々の市民でさえも、グローバルな政治のアクターになりうる。例えば私だって、英語版のホームページを通じて、世界中の人たちと日常的につながっています。そういうことが可能になっているという認識です。

したがって、ガヴァメントではなくてガヴァナンス。政府だけではなくて、さまざまな社会団体や個人が世界秩序を担う。ガヴァナンスというのは日本語に訳すのが難しくて、日本政府の文書では「協治」と訳されています。しかし私は、「コーポレイト・ガバナンス(企業統治)」という言葉も定着しましたから、片仮名でいいと思います。

いずれにしても、グローバルなガバナンスが必要であり、グローバルなガバナンスは、政府のみによってではなく、政府以外のさまざまなアクターも加わり織りなす情報の束、つまりは社会関係の結節点で、「さまざまなネットワークをつなぐネットワーク」が必要になる。

 逆に言えば、かつてカントやケルゼンが想定した「世界政府」のような一つのセンターをつくることが問題なのではなく、情報が世界中に瞬時に行き渡るということを前提にして、さまざまなのセンターといろいろなレベルでの秩序を、政府、企業、市民団体、諸個人が一緒になってつくっていくような時代に入ったことです。ヨーロッパの欧州連合(EU)などはその最先端の実験場ですが、この辺は、多分これまでの皆さんの研究会でもとりあげたと思いますので省略いたします。グローバルな情報秩序のためにもグローバル・ガヴァナンスが必要になっているということをまとめとして、私の話ということにさせていただきます。(拍手)

 

(参考)

加藤哲郎のネチズン・カレッジ http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
非戦平和サイト「イマジン」  http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/imagine.html
加藤『20世紀を超えて』(花伝社、2001年)、
加藤『国境を越えるユートピア』(平凡社、2002)
加藤『象徴天皇制の起源』(平凡社、2005)
加藤「大義の摩滅した戦争、平和の道徳的攻勢」(『世界』2004年7月号)ほか
野村一夫『インフォアーツ論 ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書、2003)
D・ヘルド『グローバル化とは何か』(法律文化社、2002)、
『デモクラシーと世界秩序』(NTT出版、2002)、
『グローバル化と反グローバル化』(日本経済評論社、2003)、
『グローバル社会民主政の展望』(日本経済評論社、2004)
ほか、イギリスOpen Universityのグローバリゼーション・シリーズ、参照

 



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