歴史学研究会『歴史学研究』第769号(2002年11月)特集「『対テロ戦争』と歴史認識」掲載
(これ実は、学術論文上にふんだんにURLを注記して分析し、インターネット空間を学術的対象にするための試みでした)
2001年9月11日、私は韓国ソウル市にいた。政治学ゼミナールの学生たちと共に翌日板門店を視察し、夜のソウル大学生との交流会に備えることになっていた。しかしニューヨークの出来事で歴史は暗転し、板門店行は中止された。日本の学生たちは、韓国の学生たちの多くが「やったあ」というのに驚いた。私は幾度か訪れた世界貿易センタービルの瓦解に衝撃を受け、「テロでも報復でもなく正義を」の運動に加わった。デモや集会の組織化ではない。「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある」という丸山真男の言葉を受けての、インターネットによる情報戦だった(1) 。
当時すでに20万人以上のアクセスを記録していた個人ホームページ「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」に、9月17日から「イマジン IMAGINE!」という特設コーナーを設けた。当初はマスコミに載らないアメリカ国内の平和の声を主に紹介したが、やがて多くの日本のサイトと提携して平和の声や運動、アフガニスタン民衆の実情を伝え、今でも毎日数百人が訪れるポータルサイト(インターネット上の窓口)となった。本体の「ネチズン・カレッジ」も、累計30万ヒットを越えた(2) 。これらの経験については、2001年11月の「日韓平和文化ネットワーク形成」シンポジウム、年末の「公共哲学ネットワーク」シンポジウム等で報告され、いくつかの論文として発表されている(3) 。
しかし、この「戦争」は終わっていない。世界的に認知された名称さえない。戦争目的も「和平」の基準も不明確だからである。アメリカの「対テロ戦争」は、イラク侵攻を準備し、職員17万の「国土安全保障省」を新設して「テロリストの観点からテロ攻撃の計画を立案し、弱点を洗い出して対策を練る」方向にエスカレートしている。小論は、上記の経験を踏まえ、主としてインターネット上での日本民衆の「平和」意識の現在を探る中間報告である。
マスコミの世論調査では、9.11直後に日本社会を広くおおった気分は「不安」であった。ウェブ上にデータベースとして残されているテレビ朝日ニュース・ステーション調査では、9.11直後から11月中旬に日本の世論の顕著な変化が起こった。アメリカ主導のアフガン報復攻撃と日本の自衛隊派遣の双方で、当初の支持から不支持へと世論が逆転した(4) 。
9月22/23日の最初の調査時点では、アメリカの報復攻撃支持48%対不支持38%、小泉内閣の自衛隊派遣にも賛成52%対反対37%であった。小泉内閣は、内閣支持率70%を背景に、テロ対策特別措置法・自衛隊法改正に向かった。しかし、世論にはさまざまなためらい、留保や亀裂があった。「日本政府がアメリカの報復攻撃を支持すると、日本でもテロが起こる」という不安が90%を占めた。そこから報復戦争や自衛隊派遣を容認しても、いくつもの留保が付されていた。「アメリカは報復攻撃の根拠となる証拠を示すべき」が85%、「日本がアメリカの報復攻撃を支援するためには、アメリカの報復攻撃を認める国連決議が必要」も73%に達した。「日本が自衛隊を派遣する際、アメリカ軍の作戦に注文をつける権利を持つべきだ」は65%だった。「イラクなどにもアメリカが報復攻撃をする場合」には「支持しない」が58%で、武力行使容認は、「証拠を示し」「注文をつける」条件付きであったことがわかる。
当初の世論の亀裂は、特に「自衛隊派遣」をめぐる、顕著な男女差であった。全体では賛成52%対反対37%だが、男性の賛成67%対反対27%に対し、女性は40%対45%と反対が多かった。この点は、朝日新聞の9月28/29日調査でも、「自衛隊派遣」賛成42%対反対46%の内訳は男性54 %対37%に比して女性30%対54%、「自衛隊員の武器使用の基準緩和」でも男性の反対40%に対し女性61%で、大きな差が出た。同様な初発での性差は、私の「イマジン」に入れた大学生意識調査でもみられた。朝日新聞調査で「米国の報復行動への日本の参加で、テロが日本で起きる危険性が高まる」と思う人77%で、特に大都市居住者で高く、かつて「地下鉄サリン事件」を経験した東京では85%にのぼった。
アメリカのアフガニスタン報復攻撃直後、テレビ朝日の10月13/14日調査では、報復攻撃支持51%対不支持37%、自衛隊派遣支持55%対不支持35%と、現状追認がやや増えた。自衛隊派遣については男性69%対26%、女性43%対44%で、やはり性差がみられた。ところが11月17/18日調査では、「米英の軍事攻撃」支持40%対不支持47%と逆転し、「日本艦隊のインド洋派遣」も支持38%対不支持53%へと反転した。これは、「軍事攻撃のテロ組織撲滅への効果」について「ある」45%対「ない」40%という、事態の泥沼化による「有効性感覚」減価にもよるが、同時に、ほぼ10月中旬を境にして、当初の不安・留保から非戦・反戦の方向に動いたことを示している。いったい、何があったのだろうか?
まずはよく知られた事例を見てみよう。2001年9月末から10月中旬、アメリカがアフガニスタン空爆を開始した頃、電子メールに乗って一つのネットロア(インターネット上のフォークロア)が日本中を駆けめぐった。それは、10月27日の朝日新聞「天声人語」で取りあげられ、12月中旬のタリバン政権崩壊の頃に、編集・改訳されて池田香代子=ダグラス・ラミス『世界がもし100人の村だったら』という書物となり、半年で120万部の大ベストセラーとなった。私の手元に届き IMAGINE GALLERYに収録された電子メールの前半は、以下のようなものだった。
よくできた「いま」のスケッチである。末尾の一節はパソコンで読む大学生に衝撃を与える。講義で朗読すると強い反応があった。池田=ラミスのベストセラー本は、これらの数字を最新統計で修正している。だがインターネットで流れたメールは、まだまだ続く。当時さまざまな論議を呼び、池田=ラミス本では大幅に書き換えられた、後半である。
「天声人語」で紹介される2週間以上前に、このメールをめぐる様々な討論の輪が生まれていた。一つは不安・恐怖・自分探しの告白や共感・感銘・決意の表明であり、もう一つはメールの出典をたどり、作者を捜し、それを情報として共有しあう歴史探偵である。インターネット上の各国語サイトが検索されて、作者の方はすぐに見つかった。現代エコロジー運動に多大な影響を与えたローマ・クラブ報告『成長の限界』(1972年)の作者の一人ドネラ・メドウズで、9.11の半年前に亡くなっていた。日本語初訳者も、世界銀行に勤務していた中野裕弓と特定され、そのメールが「あのメッセージの英文がわたしのEメールに届いたのが今年の3月上旬です。……ここに来てまさにタイムリーなメッセージとなったような気がします。そこに書かれていたことは、わたしが帰国して以来伝えたいと思っていることと、とてもよく似ています──今必要なのは(1)相手をあるがままに受け入れること、(2)自分と違う人を理解すること、そして(3)世界は多様性に満ちているということを知るための教育、まさにそうだと思います」とネット上で流された。
つまり、このメールは、英語圏では早くから出まわっていた。英語でも、詩人David Taubのように、出典を探った人々がいた。1990年のメドウズのオリジナル「村の現状報告」は「1000人の地球村」だった(The Global Citizen, May 31, 1990)。92年のブラジル地球環境サミットのさい、米人David Copelandがメドウズの許可を得て5万部のポスターを作った。それは地球環境に関わるデータを「1000人の地球村」で示した厳密なものだったが、数年後には「100人」に縮小された「顔の見える村」になり、環境NGOなどを介して世界に流れていた。
中野裕弓による日本語訳メールは、作者メドウズの死の直後、2001年3月から流布し始めたが、爆発的に広がったのは9.11がきっかけだった。最初の発信は、教育関係者のメーリングリスト(ML)だった。9月24日、倉敷市の教育家が初夏にみつけた中野訳をMLに流した。これが鹿児島の教師からより大きい教育MLに流れた。それを受けた千葉県市原市の中学教諭が、25日の父兄・生徒向けML「学級通信」に掲げた。その父兄の一人の酒屋さんが、29日に全国800店の酒屋さんMLに転送し、それを受けた香川の酒屋店主が多数の環境ボランティアMLに「ある学級通信」として流した。それが燎原の火のように広がって、10月8日のアメリカ空爆開始の前後には、日本中のMLやホームページ(HP)で飛び交うネットロアになっていた。
タリバン政権が崩壊し12月中旬に書物になった頃には、「100人の地球村」を研究・討論するいくつかのHP・掲示板ができていた。書物はベストセラーになり、「100人の日本村」「100年の地球村」など便乗出版物を生みだし、2002年には韓国・台湾・中国・フランスで翻訳出版されるにいたった(5) 。
しかし、英語版が環境NGOなどで長く使われてきたにもかかわらず、日本語訳はなぜ9.11直後から爆発的に流布したのだろうか? そこには「100人の地球村」が、ほかならぬ日本の市民に訴える何らかのメッセージがあったのではないか? そうした分析も、インターネット上で行われてきた。私のHP「イマジン IMAGINE!」でも、高校教諭目良誠二郎の分析「『100人の地球村』の誕生」を収め、私の作成したデータベース「日本における『100人の地球村』の広がり方」で「CHANCE!平和を創るネットワーク」MLでの10月5日以降の討論を紹介し、「爆発的広がりのキーワードは、『女性』『幸せ』『統計』のようです」とコメントした。
実際この広がりには、女性たちのMLや発言が大きな役割を果たした。それは当時の世論調査での大きな性差を反映していた。「とても、わかりやすくて、ぐっと来る文章ですね。泣いちゃいました」といった反応がすぐに現れた。ただし途中で、特に後半の(原作者メドウズには責任のない)「幸せ」論議が、MLや掲示板チャットの俎上にのぼった。
そこから、さまざまな感想が飛び交った。「統計」と格差構造の読み方が焦点になる。
こうした広がり方の中に、特に後半の「経済統計的には恵まれている側の人へのメッセージ」の中に、「共感」「反発」のみならず、日本的「癒し」を読みとることもできる。私のゼミナールでの学生たちの討論のまとめには、「『地球村』の癒しとしての効能?=@否定的(経済的弱者などと自分を比べることで)に実存性を肯定している。A人に自分を分析してほしい<自分探し>。自分の今置かれている状況、環境を下を見ることによって肯定したい。Bターゲット層(母親、教師)が抱える不安。経済的な逼迫感、子供とのコミュニケーションのねじれ=現代日本が抱えるさまざまな不安」とある。
このように「100人の地球村」は、9.11以後の日本社会に生じた不安や不満、厭戦気分も反戦平和も非戦の決意をも包み込む、ある種の受容コードの役割を果たした。原作の1000人を100人に縮小したために、地球と文化の多様性が捨象され、単純化されたことは否めない。歴史学の立場からすれば、なによりも時間の流れが切り取られ、空間で輪切りされることで、歴史的変化が見えにくい難点を衝くこともたやすい。にもかかわらず、「100人の地球村」ブームは、かつての「宇宙船地球号」に近いイメージで、異質な他者との相互理解や、日米関係を相対化する認識に作用を及ぼし、現代日本の「平和」を典型的に表象するマトリクス(母型)となった。そこで論じられた問題は、「グローバリゼーション」のもとでの「テロル」と「イスラム」「アフガニスタン」「難民」という重い認識対象を、個々人の現在と生活実感に引きつけて考える契機となった。
事実、その広がり方は、「テロでも報復でもなく正義と援助を」の9.11以後のインターネット平和運動の爆発的広がりとオーバーラップし、世論の動きにも連動していた。上に紹介した「CHANCE!」掲示板討論の参加者は、9月下旬からわずか2週間で1250万円の募金をネット上で達成し、アメリカのNGOと提携して10月9日の『ニューヨーク・タイムズ』に意見広告を出した「GLOBAL PEACE CAMPAIGN」の担い手たちであった。
別稿で詳しく論じたように、9.11以降の日本のインターネット平和運動は、2000年韓国「落選運動」並みの本格的情報戦段階に達した。6月に始まった「小泉内閣メールマガジン」200万部の影響力をも凌駕する、社会内部の様々な声(voice)を、インターネットのサイバースペース上にネットワーク化する、いくつもの結節点を生みだした。もちろん、無数のナショナリスティックな言説や、雑音(noise)、偽情報(disinformation)をも伴って。
ニューヨーク在住のアーティスト坂本龍一のHPには「debris of prayer(祈りの瓦礫)」という投稿コーナーが設けられた。トップの「Non-Violence(非暴力)」の標語と白いリボンをクリックすると「CALL FOR PEACE & JUSTICE!」の署名コーナーにリンクする。世界中から無数の有名無名の英語・日本語の投稿がレンガ状に積み重ねられ、レンガの人名をクリックするとその投稿が読める構成で、12月の坂本龍一監修『非戦』出版にいたる「戦争が答えではない」「非暴力こそが真の勇気」の運動の拠点となった (6)。タイトルの『非戦』について坂本は、「テロリストに敵対するか味方するかといった二者択一ばかりでなく、もっと別の立場もあるじゃないか、との意味をこめて、あえて『反戦』ではなく『非戦』と題した」「ちょっと待ってくれ、戦わないで、まずは考えようという思いを込めた」という。
「Io (イオ)」という人権問題のHPを開いていた二人の女性(伊藤美好・井上ひろこ)は、「アメリカはテロ事件に対し、報復のために軍事行動をしようとしており、日本も小泉首相が協力を申し出ました。このまま戦争に巻き込まれていってしまうのでしょうか? インターネットでは、マスコミとは違う情報や意見がたくさんかわされています。そして国境を越えて人と人とのつながりが生まれてきています。でも、子どもやお母さんの声、戦争を体験された方の声はあまり聞こえてきません」として、「それぞれの思いを伝えあいませんか」と呼びかけ、「ちいさな声」というサイトを設けた。電子メール、郵送、ファクスに公園等で配ったメッセージカードからも「声」を集め、ホームページに掲載した。
「ちいさな声」は、9月27日から10月末で230通の投稿を集め、小冊子にして国会議員や各国大使館・報道機関に届けた。11月13日の朝日新聞「天声人語」、同17日NHK「おはよう日本」などでも取り上げられた。その後11月から翌年2月の110通も小冊子になり、現在もHP上で「声」を伝え続けている。その中から、特に「平和=非戦」認識に注目して、特徴的な流れを追ってみよう。ここでは敢えて、今様「戦争の記憶」を文脈・語り口から理解するため、紙幅の許す限り長文で引用する(7) 。
当初の感覚は「不安・恐怖・祈り」で、事態を身近にひきつけ受けとめるための「なぜ」であった。
10月に入って、過去の戦争体験が語られるようになった。ベトナム戦争や湾岸戦争ではない。圧倒的に60年前のアジア太平洋戦争である。年号で語られることは少ない。「昔」「あの頃」「当時」である。今日残る戦争体験者は高齢化し、多くは幼小児体験で、記憶は断片的である。ただ「死に直面し、生きのびた」記憶の強烈さが語りを可能にしている。
政治不信・マスコミ不信も強かった。「失うもの」があるからこそ、戦争に反対する。そこに孕まれた「平和」意識は、どんなものだったのだろうか?
11月にちょっとした「平和ボケ」論議があった。
そして翌2002年2月、ブッシュ大統領訪日の頃になると、「9.11から何を学んだか」が話題になる。
かつて政治学者石田雄は、近代日本の「平和」観を日清・日露戦争期までさかのぼり、国家の説く「平和のための戦争=正義の戦争」と個人原理に立つ「絶対非戦の平和主義」の両極間の振幅を見いだし、60年安保闘争以降の「『平和な家庭』志向の両義性」を論じた。冷戦崩壊後に憲法学の和田進と歴史学の安田浩は、「戦後民主主義」を支えた「平和」意識に内在した@アジアへの戦争責任・加害者認識の欠如と共に、当初は「生活の論理」として反基地・反安保闘争の原動力であったが、やがて「豊かさのための平和」として経済成長に従属したA「紛争巻き込まれ拒否意識」のもろさを析出した(8) 。私自身も、これらにB沖縄の忘却、C現存社会主義への「平和勢力」幻想を加え、「生活保守主義」「経済大国ナショナリズム」の延長上での受動的「平和」観を「アメリカの影」の一部として論じたことがある(9) 。
それは、9.11以降の「平和」意識にも連続しているように見える。「ちいさな声」にはいくつか中国侵略・朝鮮植民地化を反省する記憶も見られたが、@戦争の記憶の多くは「ひもじさ」「貧しさ」や「ヒロシマ」の被害体験だった。「平和」を語る際にはA「生活者の論理」が優先され、「守るべきもの」がある。B沖縄への想いは「沖縄は戦争にまきこまれる可能性が高いから、観光客は行かないのです。……もし沖縄に基地がなかったら、平和憲法を持つ国日本として、戦争に撒きこまれる危険はほとんどなくなるでしょう」と表出したが、冷戦崩壊後に急速に進んだ日本の軍事化や改憲ムードを重視する、私自身を含む「護憲・反戦」派の側からすれば、A「紛争巻き込まれ拒否意識」の楽観論と映る。
だが、いくつかの点で、重要な断絶がある。
第1に、「反戦」ではなく「非戦」の積極的主張が現れ、広く共感を得たことである。9.11が国家間の戦争としてではなく、超大国アメリカに対するテロというかたちで始まったことが、旧来の「護憲・反戦」型運動とは異なるかたちでの平和運動をもたらした。冷戦構造下の日本国憲法と日米安保条約の併存の中で生まれた「護憲・反戦」型運動は、「キリスト教徒などがその人道主義的立場から戦争を否認する場合非戦といい、社会主義者がその階級闘争的立場から戦争に反対する場合反戦という」(加藤陽子)といわれるように、しばしば政治的イデオロギーと結びついていた。しかし今日では、C「社会主義国家」中国、ベトナムや非同盟諸国会議に「平和勢力」を期待する声はない。
赤澤史朗は、戦後「わだつみ会」の歩みを辿って、「『非戦』の立場とは、戦争一般への嫌悪や反発を基礎とした戦後日本の平和主義の一つの流れ」で、「侵略戦争への反対行動に立ち上がる『反戦』が、なんらかの政治イデオロギーに立脚して不正義の戦争を批判するのに対し、『非戦』は政治イデオロギーとは無縁な地点」にあり、「『反戦』から見ると『非戦』の立場はしばしば曖昧な『遅れた』意識にすぎないようにもみなされるが、『非戦』は『反戦』とは異なり、究極的にはあらゆる戦争を否定する絶対平和主義に近接する」、「『非戦』の思想は、受動的に戦争に関与した民衆から自生的に発生する契機をもっており、動員する国家に対して圧倒的に無力な個人の視点から、戦争の実態を見ようとする」ので「世界的な普遍性を持つ」という(10) 。坂本龍一らの書物は、赤澤のいう「非戦」の集大成で、ネット上では歌手宇多田ヒカルやサッカー中田英寿の「非戦」メッセージが、若年層に大きな影響を与えた。
確かに冷戦崩壊と湾岸戦争が重なった90年代には「過剰な国連中心主義」(安田浩)の他力本願が見られたが、9.11以降はむしろ、国際刑事裁判所によるテロ取締が制度的に構想され、コスタリカのような非武装国家が注目された (11)。アメリカの報復戦争への反発は、国際刑事裁判所条約や京都議定書に対するアメリカの身勝手な対応への批判と表裏であった。環境教育が行き渡り、20世紀の戦争の生態系破壊の側面が浮き彫りにされて、守るべき「豊かさ」そのものに「自然との共生」が組み込まれ、「宇宙船地球号」「100人の地球村」の中で考えられるようになった。戦争は、ヒューマニズムに加えて、エコロジーの観点からも拒否され、「非戦」の普遍的・人類的意味が浮き彫りにされた。
第2に、「100人の地球村」風視点は、平和学が「構造的暴力」と名づけた南北問題や地球的格差構造と「日本の豊かさ」の関係性を、見やすいものにした。「平和な経済大国」日本を「普通の国」にし武力で守る国家主義的ナショナリズムの方向にばかりでなく、「平和ボケは大切」だからこそ、アフガンの人々のために何かをしたい、行動できるという、地球的連帯の方向にもベクトルが向かいはじめた。
もともと石田雄の「『平和な家庭』志向の両義性」が示唆していたように、80年代「生活保守主義」は、60年代「私生活主義」の革新性(生活革新主義)が石油危機・高度成長終焉で換骨奪胎され保身化したものであった。それがポスト冷戦のグローバリゼーションと物質主義的成長の天井が見えた「失われた10年」をくぐって、アジアのみならず世界の大多数の人々に比しての「豊かさ」を構造的「加害者性」の帰結としてとらえる「後ろめたさ」が浸透してきた。それは、石田がいう「加害者としての自己意識」をくぐった「個人の絶対非戦平和主義」として自覚され成熟したわけではない。しかし、ニューヨーク高層ビルの崩壊とアフガン難民の映像の対比の中で、自分の生活を世界史的に鳥瞰し内省する契機となった。食卓から衣料まで外国製品に囲まれ、海外旅行・在外生活が日常化し、テレビからインターネット・携帯電話まで無数の地球情報が「生活」に定着すると、「いまのくらし・幸せ」を守ろうとする「紛争巻き込まれ拒否意識」自体が、アメリカほか大国と一緒に「対テロ戦争」に加わる回路にばかりではなく、「日本の平和を地球村へ」の方向にも向かい始める。それは、戦前の石橋湛山風「小国家主義」とも、しばしば「一国平和主義」と批判された「戦後民主主義」とも異なり、いわば「万国平和主義」「地球平和主義」をめざす。「護憲・反戦」派の中でも、「一国平和」が日本国憲法に制度的に依存してきたことを自覚し、「日本国憲法を地球憲法に」「憲法第9条にノーベル平和賞を」という「別の国際貢献」への積極的主張を生みだした。
ただしそれは、2002年2月NHKの10年ぶりの憲法意識調査で、92年の憲法改正必要35%対不要42%が今回改憲必要58%対不要23%と逆転したように、「護憲・反戦」運動を支えるほどに強くはない。しかしその改憲必要理由の8割を占める「時代が変わり対応できない」には、自分たちで憲法をより積極的なかたちに組み替えたいという素朴な願いも含まれている。国民投票制度を8割、首相公選制採用を61%が支持し、第9条改正には賛成30%対反対52%であった (12)。憲法問題においても、「非戦」派は、いまや少数派となった「護憲・反戦」派にとって不可欠の可能的同盟者となり、「紛争巻き込まれ拒否意識」は、現に有事法制や言論3法に反対する運動の有力な基盤になっている。
第3に、石田雄が「平和主義」の原理的拠点とした個人主義は、生活点から成熟して「非暴力の絶対非戦」に連なる可能性を孕んだ。9.11以後にネット上でしばしばとりあげられた20世紀の平和思想は、レーニン、ウィルソンの民族自決でも、ネルー=チトー型バンドン精神・非同盟主義でもなく、ガンジー、キング牧師の非武装・非暴力抵抗であった。
前節でみた小冊子『ちいさな声』の表紙には、「あらそいのたねをまかずに はなのたねをまこう そうすればほら へいわのはながさくよ」とある。沖縄から世界に発信してきた「喜納昌吉&チャンプラーズ」HPトップには、「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、すべての人の心に花を、戦争よりも祭を!」が掲げられ、これは「武器をなくそう」という批判にとどまるものではなく、「楽器に持ち替えよう!」「それに変わる良いものを創造していこう!」というクリエイティブなメッセージである、と注釈されている(13) 。自然性への回帰をイメージさせる「花」のメタファーに託された平和運動を象徴したのが、中村哲医師を中心としたNGO「ペシャワールの会」の活動であった。8000人のボランティア会員が、「誰も行かない所に行く 他人がやりたがらないことをやる」を合言葉に、2001年10月19日から02年3月31日に5万3725件7億6037万円の「いのちの基金」を集め、アフガニスタン27万人に小麦粉・食料油を届けたほか、「緑の大地」という農村復興計画に取り組んでいる。この運動もインターネットで広まったもので、中村医師の全国行脚の講演会と組み合わせて、基金の収支・使途が日々募金者に知らされ、日本からアフガニスタンが「見える」新しい連帯を定着させた (14)。
第4に、こうした運動は、ブッシュ大統領の報復戦争や小泉首相の自衛隊派遣には反対しながらも、必ずしも「反米」でも「反政府」でもなかった。旧来の「護憲・反戦」型運動との対比で言えば、日米安保条約の廃棄よりも市民の連帯を基礎にした日米平和条約締結を望み、反政府運動というよりも、アフガン復興会議へのNGO出席問題に敏感に反応したように、自分たちの社会的ボイスの参加で政府の政策を変えようとする。つまり、国民国家による国際関係的秩序に満足せず、地球的平和を諸個人・地域社会・国民社会からボトムアップに構築する「グローバル・ガバナンス」の方向性をもっている。
第5に、これらの「平和」の運動は、インターネットを通じて情報を共有し、時に集会やデモを一緒に行うことはあっても、基本的には個人・ML・HP単位でそれぞれ得意な領域での個性的スタイルを保持し、ゆるやかなネットワーク型連帯で進められた。
ネット上でいえば、私の「イマジン IMAGINE!」のほか、「アメリカ同時多発テロへの武力報復に反対するホームページリンク集」「CHANCE!平和を創るネットワーク」「PREMA21ネット」「Peace Weblog」「反戦・平和アクション」「ANTI-WAR」などいくつもの個性的ポータルサイトが、それぞれにリンクしあって結節点になり、だれもが運動全体を見渡しながら、それぞれに活動する広がりだった。石田雄がかつて「ベトナムに平和を! 市民連合(ベ平連)」の結成に「個人原理の非戦」を見出したひそみにならえば、9.11は、無数の「ベ平連」型ネットを生みだし、アメーバ状に広がり、様々にうごめいた。平和運動においても、機動戦風「民主集中制」でも陣地戦風「組織動員型」でもない、情報戦時代の「ネットワーク型」組織の有効性が示されたのである(15) 。
最後に、9.11事件の性格そのものからして、そこでの「平和」は、日本一国にとどまることはできなかった。「GLOBAL PEACE CAMPAIGN」や「ペシャワールの会」のみならず、個人単位で国境を超える、数多くの連帯が生まれた。私の個人HPにさえ、欧米諸国からばかりでなく、韓国・メキシコ・インド・オーストラリア等から声が寄せられた。アメリカ合衆国内平和サイトZ NET・Alter Netなどから情報が日常的に地球をかけめぐり、この7月にはアメリカのメディア「帝国」CNNに対抗する民衆的地球情報メディアZNNが発足した (16)。
もはや紙数は尽きたので、アントニオ・グラムシ「機動戦から陣地戦へ」の延長上での「陣地戦から情報戦へ」という私の時代認識、政治と戦争のアナロジーを超えた「仮想敵を持たない非暴力・寛容・自己統治の政治」の構想については、拙著『20世紀を超えて』を参照して頂きたい。
冒頭の丸山真男の言葉を改めて引けば、情報戦時代の「平和」とは、地球的規模での「平和の道徳的優位性」構築にほかならない。それは、ヘゲモニーをめぐる分子的変化のネットワークづくりであり、ベンヤミン風にいえば、「平和」を国民国家間パワーゲームの「礼拝的価値」から、無数の市民が内面化し行動する「展示的価値」に組み替えて、「平和に生きる権利」にする運動にほかならない。
それは、知的世界では、チョムスキー、サイードらのアピールに呼応し、丸山真男・坂本義和らの平和論をひきつぎ発展させた、小林正弥「黙示録的世界の『戦争』を超えて」という未完の大作を生みだした。それは、「公共哲学ネットワーク」HPに連載されて、1950年代「平和問題談話会」を現代的に継承し、平和論を開放ネットワーク型で構築する、いわば「アカデミック・リナックス」となった (17)。
そして、世界的には、戦争と平和をめぐるマトリクスの総体が個人単位の情報・言論戦にいったん解体され、「世界経済フォーラムか世界社会フォーラムか」という、わかりやすい対抗になった。2002年1月末にニューヨークで開かれた先進国首脳・多国籍企業エリートの「世界経済フォーラム(WEF、通称ダボス会議)」は、「反テロ戦争」と「グローバリゼーション」を掲げ、アメリカ中心の世界秩序の維持・強化を図った。それに対抗して、ブラジル・ポルトアレグレで開かれた市民・NGO・自治体・議員の「世界社会フォーラム(WSF)」は、「もうひとつの地球」「暴力の構造的連鎖とたたかう」を合言葉に、150か国8万人を集めた (18)。
「文明間の対話」や「人間の安全保障」の時代に入って、東西冷戦時代の「資本主義対社会主義」に強く規定され、日本国憲法第9条に制度的に依存し育まれてきたわが国の「平和」も、その世界史的対抗軸の転移に応じた変容を迫られ、9.11を契機に、新たな分子的変化を凝集する段階に入ったのである。
(2) 「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」内「イマジン IMAGINE!」http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/imagine.html、特設サイト「イマジン IMAGINE!」は膨張を続け、世界の戦争と平和のニュース・論説をほぼ毎日リンクする本サイトのほかに、すべての記録を時系列でデータベース化する「イマジン反戦日誌」、重要な論文・論説を集めた「IMAGINE DATABASE 2001」、祈り・癒しの詩・エッセイ・音楽・映像・漫画等を収めた「♪IMAGINE GALLERY」、若者の声と活動・意識調査を収めた「大学生平和ニュース」「高校生平和ニュース」等に分割されている。
(3) 加藤「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク 」『日韓教育フォーラム』2001年11月号、同「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?」『データパル2002』小学館、2002年、同「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」『エコノミスト』2002年7月2日号、など。
(4) 「ニュースステーション世論調査」http://www.tv-asahi.co.jp/nstation/research/researchs.html
(5) 池田香代子=ダグラス・ラミス『世界がもし100人の村だったら』マガジンハウス、2001年、池田香代子『世界がもし100人の村だったら 2』マガジンハウス、2002年。
目良誠二郎の分析「『100人の地球村』の誕生」http://members.jcom.home.ne.jp/katori/mera.html、
「CHANCE!平和を創る人々のネットワークhttp://give-peace-a-chance.jp/index.shtml、
森岡正博「生命学ホームページ」http://www.lifestudies.org/jp/tero08.htm、
オウム系サイト半跏思惟「100人の村メールの真相」http://deva.aleph.to/documents/index.html#100village。NHK・ETV2002「『100人の地球村』からのメッセージ」(6月17日)は、その歴史的流れと日本的受容を特集番組にした。
(6) 坂本龍一監修『非戦』幻冬社、2001年。「sitesakamoto」http://www.sitesakamoto.com/WTC911/debrisofprayer/index.html
(7) 『ちいさな声 2001年9-10月』『ちいさな声2 2001年11月-2002年2月』。この小冊子には、「声」を受け取った各党国会議員の名簿も掲載されている。http://www.itoh.org/io/message.html。
(8) 石田雄『日本の政治と言葉・下・「平和」と「国家」』東京大学出版会、1989年、和田進『戦後日本の平和意識』青木書店、1997年。安田浩「戦後平和運動の特質と当面する課題」渡辺・後藤編『現代日本』第2巻、大月書店、1997年。安田は「米ソ対立を平和の危機の主要な源泉とみなし、この紛争への『巻き込まれ拒否意識』を主要基盤とするような平和意識は崩壊する」としたが(248頁)、本稿はむしろ、冷戦崩壊で紛争要因の認識が多次元化し再編されたものと見る。
(9) 加藤哲郎『戦後意識の変貌』岩波ブックレット、1990年、同『現代日本のリズムとストレス』花伝社、1996年、同「戦後日本と『アメリカ』の影」歴史学研究会編『二〇世紀のアメリカ体験』青木書店、2001年、参照。
(10) 加藤陽子「反戦思想と徴兵忌避思想の系譜」御厨貴他編『岩波講座 日本文化論10 戦争と軍隊』岩波書店、1999年(http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/evasionofconscription.htmlから引用)。赤澤史朗「『戦争体験』と平和運動」『年報 現代史研究』第8号、2002年、19・31頁。
(11) 安田前掲論文、289頁。「国際刑事裁判所日本ネットワーク」http://member.nifty.ne.jp/uwfj/icc/
(12) NHK世論調査「憲法改正すべき58%」
http://www4.vcnet.ne.jp/~kenpou/paper/kaiken51.html
(13) 「すべての武器を楽器に!」http://www.champloose.co.jp/
(14)「ペシャワールの会」http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
(15) このことを多国籍資本の側も自覚し対応し始めた事例を紹介し、ネット上で討論する
NHKスペシャル「変革の世紀」http://www.NHK.or.jp/henkaku/home.html、参照。
(16) 「ZNN」http://www.zmag.org/znn.htm
(17) 小林正弥「黙示録的世界の『戦争』を超えて─地球的共和世界への道標」
http://homepage2.nifty.com/public-philosophy/network.htm
(18) 「イマジン IMAGINE!」及びチョムスキー「戦争のない世界」参照
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/chomwsf2.html