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米谷匡史篇『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』(平凡社、東洋文庫)

 

 

評者 加藤哲郎(一橋大学・政治学)

 


 戦間期のゾルゲ事件や野坂参三の足跡を追っていくと、国際的視野で日本の行方を見通した、スケールの大きな日本人につきあたる。共に「第二バイオリン」とされてきた、尾崎秀実とジョー小出(鵜飼信道)である。最近入手したジョー小出の米国戦略情報局(OSS)宛英文報告書では、野坂をしのぐ小出の独自の日本論・天皇制論が展開されている。

 ゾルゲ事件でも同じである。本書は、尾崎秀実の一九三六年西安事件から四一年検挙にいたる時期の代表的評論を集めたものである。もっぱら「ゾルゲ諜報団」の片腕、ないし『愛情はふる星のごとく』の悲劇の家長とされてきた尾崎が、「第二バイオリン」としてではなく、日中戦争期の独自の理論家・思想家として「東洋文庫」に入った。ゾルゲについても『二つの危機と政治』(御茶の水書房)や『ゾルゲの見た日本』(みすず書房)で、同時代のすぐれた批評家としての意義が認められつつあるが、尾崎秀実の中国論も、モスクワ宛電文のフィルター抜きで、歴史的「古典」として、読めるようになった。

 もちろん本書に収録された論文は、既発表の『尾崎秀実著作集』(勁草書房、全五巻)から、若き編者米谷匡史が選び編纂したもので、『現代史資料 ゾルゲ事件』(みすず書房、全四巻)の供述とも重なる。『愛情はふる星のごとく』『ゾルゲ事件上申書』の岩波文庫収録と同じく、篠田正浩監督の映画『スパイ・ゾルゲ』に便乗したものと、いえなくもない。

 しかし尾崎秀実の全貌は、没後六〇年の最近になって、ようやく明らかになってきた。インターネット上の松田義男氏作成データベース「尾崎秀実著作目録」には、今井清一作成『著作集』目録、『開戦前夜の近衛内閣』(青木書店)等に未収録のものを含め、新聞・雑誌掲載三四四篇・座談会三三篇が収められている。本書収録論文と同じ三六・三七年は各年約五〇本、検挙直前の四一年九月だけで五本の評論がある。すさまじく旺盛な時局への発言で、「スパイ」の陰湿なイメージとは両立しがたい、オープンな情報戦である。

 本書の「支那論の貧困と事変の認識」に、「日本に於いて今日憂ふべきは、支那研究の不足ではない。……真に問題とすべき点は、支那論における方法論の欠如といふ点にある」とある。そこで批判されるのは、アジア的停滞に傾く東洋的支那論、日本主導を前提した日支経済提携論、帝国主義的な東亜共同体論、等々である。その上で尾崎は「世界的共産主義大同社会」の一環としての「東亜新秩序社会」を対置したのだが、近衛首相のブレーンをつとめながら日中連帯をコミンテルン型世界革命に架橋するこうした綱渡りの言説は、当然にも「偽装転向」説を含む論争点となる。編者米谷は、それをインターナショナリズムでもナショナリズムでもない、総力戦体制下の「トランスナショナル」と読む。尾崎の「東亜新秩序」にも、当時のマルクス主義に内在するコロニアルな知の権力性を見出す。

 尾崎が希求した「国共合作」は、その後六〇年で中国共産党の私有財産承認、台湾独立論の台頭へと帰結した。朝鮮半島は尾崎の射程外にある。今日尾崎をどう読むかにも、九・一一以後に生きる読者自身の立場が投影される。彼の綱渡りの延長上で「東アジア共同の家」に踏み込むか、「東亜」に距離をおいてグローカルな「もうひとつの世界」を構想するかは、「新しい戦前」を迎えつつある今日、護憲・論憲・改憲の分岐と似た切実さを持つのである。

(『週刊読書人』2004年4月23日号掲載) 



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