日本平和学会編『世界政府の展望』(『平和研究』28号、早稲田大学出版局、2003年)所収のインターネット短縮版(注省略)
20世紀は「戦争と革命の世紀」と呼ばれた。そこには「21世紀は平和の世紀に」という願いも込められていた。しかし現実は、希望を裏切った。テロルと報復というかたちの「新しい戦争」、圧倒的軍事力を持つアメリカ軍によるアフガニスタン侵攻で幕を空け、国連をも無視したイラク戦争で、その状態はなお続いている。このような現実に直面して、2001年9月以降もっぱらインターネット上で発言してきた筆者にとって 、個人ホームページ「ネチズン・カレッジ」に掲げ続けている、丸山真男の言葉以上の指針はない。
実際、米英軍の対イラク戦争は、「少数の人間のボタン」で生起した。しかしそれは、なぜ生じたのか? いかなる意味で「新しい戦争」なのか? 冷戦時代から平和研究が蓄積してきた「構造的暴力」「低強度紛争」「民衆の安全保障」等の概念や、冷戦後のグローバリゼーションに即して国際政治学で論議されてきた「軍縮レジーム」「グローバル・ガバナンス」等が、丸山の言う「平和の道徳的優越性」への手がかりになることは疑いない。
しかし、今求められているのは、「無数の人間の辛抱強い努力」に働きかける、新しい「戦争と平和」のイマジネーションではないだろうか? 「世界政府」や「グローバル市民社会」が成立しうるとすれば、現に進行する眼前の戦争の洞察と実践をくぐってのものでなければ、説得力をもたないのではないか? こうした観点から、以下では、9・11以降の戦争と平和に関わる限りで、筆者なりの「世界政府」への視点を整理してみよう。
冷戦崩壊・ソ連邦解体から10年が過ぎた2001年9月11日、アメリカで起こった同時多発テロに、世界は大きな衝撃を受けた。21世紀の幕開けの「戦争」の意味をめぐって、世界の知性の反応はさまざまだった。インターネット上の中山元「哲学クロニカル」には、そうした発言の記録と推移が、日本語訳も含めデータベース化されている 。
「被害者」とされたアメリカ合衆国の大統領ジョージ・ブッシュ・ジュニアの即自的応答「これは新しい戦争だ」を敷衍したのは、ホワイトハウスのネオコン(新保守主義者)グループ指揮官、ラムズフェルド国防長官だった。以下の言明は、その後の対アフガニスタン攻撃、対イラク戦争で、現実のものとなる。
9・11当時の世界の論調をふり返ると、このラムズフェルド風報復戦争・予防的先制攻撃路線に正面から向き合い、論理的にかみあうかたちで応えていたのは、すでに『速度と政治』以来新しい戦争と政治のあり方を探ってきた、ポール・ヴィリリオであった。
両者の「新しい戦争」への立場は鋭く対立するが、その「新らしさ」をめぐる論点は交差する。第1に、その情報戦としての性格。第2に、地球的規模での国家間関係の再編。
ラムズフェルドとヴィリリオの「新しい戦争」論が交差する第1の論点は、その「情報戦」としての性格である。無論、その兆候は湾岸戦争から見られたし、「戦争広告代理店」の重要な役割も注目されてきた。筆者はそれを、9・11直前に執筆した拙著『20世紀を超えて』(花伝社、2001年)で、アントニオ・グラムシとヴァルター・ベンヤミン、丸山真男と石堂清倫に学びながら、グラムシのいう「機動戦から陣地戦へ」に照応した「陣地戦から情報戦へ」の歴史的変容として論じた。
そのさい注意すべきは、グラムシ政治論における「機動戦から陣地戦へ」は、「軍事技術の政治術への読みかえ」、即ち戦争のあり方の変化に照応する政治舞台の変容として、抽出されていることである。それは、「異なる手段での政治の継続」に戦争を見たクラウゼヴィッツを逆転し、「戦争の継続としての政治」を説いたものであった。つまり、マルクス主義の流れに属するグラムシは、政治を階級闘争ととらえ、階級闘争を当時の戦争から読みかえて、戦争のあり方の変化から変革的政治のあり方を論じたのである。
したがって、グラムシに即していえば、彼の知り得た第1次世界大戦までの戦争のあり方が、第2次世界大戦、東西「冷戦」、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして9・11以降の「対テロ戦争」へと大きな変化があるならば、政治のあり方も、当然に読みかえられなければならない。グラムシの生きた時代には、「産業的および文明にもっとも発達した諸国家間の戦争において、機動戦は戦略的機能よりも戦術的機能に格下げ」され、「同様の格下げは、少なくとも『市民社会』がきわめて複雑で(恐慌や不況など)直接の経済的要素の破局的な『急襲』に耐える構造となっているもっとも発達した諸国家に関して、政治術および政治学のなかで生じるにちがいない。市民社会の諸々の上部構造は、現代の戦争における塹壕体系のようなものである」。この変化は、グラムシにより、「陣地戦」=ヘーゲル的「市民社会」内での長期のヘゲモニー闘争、「受動的革命」と把握された。
しかし、こうした「陣地戦」的状況も、1980年代には、新たな局面を迎えた。ヨーロッパの社会民主主義的福祉国家が多くの国々で経済危機、財政破綻を経験し、「イギリス病」や「スウェーデン病」の声高なきめつけのなかから、21世紀に受け継がれる支配のイデオロギー=新自由主義が勃興した。しかもそれは、「機動戦」段階での左翼政党や労働組合活動への直接的抑圧によってではなく、むしろ選挙と議会を通じて「国民合意」をとりつける「陣地戦」的手法で、支配的なものとなった。イギリスのサッチャーリズムがその先駆で典型であったが、アメリカのレーガノミクス、日本の中曽根内閣、西ドイツのコール首相も、同じ時期に同じ方向へと歩み始めた。
同時にテレビを中心にしたメディア政治が、組織と利益集団を基盤とした政党政治と併行し、それを補完するかたちで現れた。やがてグラムシに学んだスチュアート・ホールが、サッチャー首相登場を「権威主義的ポリュリズム」として注目し、最大資本主義国アメリカ合衆国の大統領選挙キャンペーンは、政治信条・政策を訴える理念的政治から、イメージやシンボル操作で有権者を掌握する感覚的政治へと変貌していった。政治のアリーナ、政治スタイルが大きく変化し、その延長上で湾岸戦争やコソボ戦争が、直接的軍事的な「機動戦」を残しながらも、国家間同盟・外交交渉や国連・国際法にいたる「陣地戦」、そして、国内世論はもとよりグローバル世論も関与する「情報戦」が重層する姿で現れた。
しかも第2次世界大戦で航空機による都市絨毯爆撃やヒロシマ・ナガサキの原子爆弾を体験し、「冷戦」型核開発競争やベトナム戦争で武器と暴力をエスカレートし、湾岸戦争のような電子情報機器を駆使した塹壕攻撃を可能にする過程で、犠牲者の圧倒的多数は文民になった。機動戦・陣地戦自体が「情報戦」の様相を帯びて、一人の兵士の戦闘死にも国民への説明責任を果たさなければならなくなった。戦争が人類絶滅、政治の死滅に直結する水準に達することによって、クラウゼヴィッツの「政治の継続としての戦争」も、グラムシの「軍事技術の政治術への読み替え」も、むきだしのかたちでは不可能になった。
この「情報戦」段階においては、「平和の道徳的優越性」が、それ自体として政治と戦争の帰趨を決する。しかもそれは、「戦争の正統性」をめぐる民意の争奪戦として、機動戦・陣地戦終了後も絶えず問い直される。9・11以後の戦争は、「終わりなき戦争」となる。筆者自身は、こうした時代の「平和の政治」を、「情報戦」が続く限りでの対抗的反戦運動に、戦争と政治のメタファーを超えた非戦の原理=「仮想敵をもたない非暴力・寛容・自己統治の政治」がオーバーラップして、重層化するものとした 。
「新しい戦争」についてのラムズフェルドとヴィリリオの争点は、もうひとつあった。ラムズフェルド国防長官は、「変動し、発展し続ける浮動的な連合」によるテロリストとの「期限のない持続的な闘い」を説いた。それは、2003年のイラク戦争において、国連決議を無視した米英軍の武力行使、日本ほか支持国を「第2国連」として誇るような言動に帰結した。対するヴィリリオは、9・11にクラウゼヴィッツ風戦争観を超えた「『実体のない』戦争の時代」「国際的な内戦」を見出した。その後のアフガン戦争からイラク戦争への進展を見据えたヴィリリオは、これを「第1次世界内戦の始まり」と位置づけた。
こうしたヴィリリオの「世界内戦」把握に、わが国で最近翻訳の出たアントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『帝国』の現代世界像を見出すのはたやすい。すでに欧米で無数の書評が現れ、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書、2002年)などで言及された。以下では、ネグリ=ハート『帝国』に即して、「新しい戦争」の意味を考えてみよう 。
『帝国』は、刺激的な書物である。その理論的衝撃力は、周知のように、現代世界の主権の所在を、国民国家レベルを超えた「世界市場の政治的形態」である「帝国」に現存するとした点にある。アメリカ合衆国を頂点とした構造をもつが、主権自体は「脱領域的・脱中心的」な「グローバルな政治的主体」で、身体からコミュニケーションにいたる人間的自然の直接的・全体的支配=「生権力(bio-power)」のシステムである。その権力は「マルチチュード」の創造性・協働性・情動性を資本に組み込み、柔軟で偶発的で機動的に構成される。「差異の政治」として人種・民族やジェンダーの違いにも個別的に対応し、資本のグローバリゼーションに組み込んでいく。工場の中での産業労働ばかりでなく、コミュニケーション・相互活動・情動操作の「非物質的労働」をも搾取し、IT技術の中に積極的に組み入れる。アメリカ合衆国の共和制立憲原理(constitution)を世界に拡延し、ニューディールの実験を経てグローバルに広がったものではあるが、アメリカは「帝国」の一部でしかなく、アメリカ軍は「帝国の警察」としてグローバル支配の中枢を担う 。それは国民国家の延長上の「帝国主義」ではなく、古代ローマに似た「帝国」だ、と。
したがって、政治学や国際政治学、平和研究との交点も無数に存在するが、9・11以降の戦争と平和を問題にする小論では、3つの論点を吟味すれば十分だろう。第1に、ネグリ=ハートが湾岸戦争時の父ジョージ・ブッシュ「世界新秩序」の言説とその後のグローバリゼーションの展開から引きだした「帝国」概念と国民国家との関係、第2に、「アメリカ帝国主義」とは規定せず、あくまで脱中心的・脱領域的な「帝国」出現を問題にする世界秩序像、そして第3に、「帝国」に対峙する主体像、「国民」でも「人民」でも「民族」でも「労働者階級」でもない、スピノザ起源の「マルチチュード」である。
第1の、国民国家を超えた「帝国」の概念を、経験的レベルで反証するのはたやすい。ネグリ自身、共著『帝国』では「比喩ではなくすでに実在」する「非・場」であるとしながら、9・11以後のアメリカのアフガン報復戦争、イラク戦争については、「帝国」の原理には反した「退行現象」で、むしろ「帝国主義的」と語っている。その論理が興味深い。『マニフェスト』2002年9月14日のインタビュー「『帝国』について」である 。
ネグリによれば、この「帝国」原理に反するアメリカの「帝国主義」的退行行動ゆえに、ヨーロッパは反発しており、「世界市場は戦争を望まない」とまで述べる。
この「マーケットは戦争を望んでいない」こそ、『帝国』の論理を読み解く一つの鍵である。つまり、ネグリ=ハート「帝国」においては、第2次世界大戦後に列強「帝国主義」が領土的支配でなく「新植民地主義」による世界市場組み入れ・多国籍企業投資を主たる手段とした頃から、経済的支配と政治的支配の境界がなくなり、「外部」が「内部化」された。経済的搾取が身体・情動に及ぶ「非物質的労働」を組み込み、サービス・情報中心のポスト・フォード主義に移行=深化したため、あらゆる支配と抵抗が経済・政治・社会・文化の内部で断片化・差異化しながら融合し、「政治の自律性」は喪失した、と。
したがって、ネグリ=ハート『帝国』の政治学・国際政治学への学問的衝撃は、かつてイマニュエル・ウォーラーステインが、経済学に単一の「資本主義世界システム」を持ち込み、その中心・半周辺・周辺構造やインター・ステートシステムのヘゲモニーの循環を提示した前例に譬えられる 。すでに国民国家から地球大へと主権と支配がネットワーク化し、自己組織的システムに移行したのだから、分析単位は単一の「帝国」=グローバルでなければならない。
ネグリ=ハートの「帝国」とは、いわば裏返しの「世界政府」である。つまり、カントやケルゼンの夢想した「世界政府」「世界連邦」とは似て非なるものだが、民衆の恒久平和への欲望をも組み込んだ、領土なきグローバル・レヴァイアサンである。平和学が試みてきたような学際的研究・政策提言は、資本の方はとっくに支配装置に組み入れ、柔軟に「規律・訓練」し「管理・統制」している。もはや啓蒙的「分析」は意味を持たず、実践的「抵抗」につながらなければならない、と。確かに学術研究など知的活動も、政治家のゴシップ同様に商品化されているから、彼らの言い分ももっともに見える。かつて冷戦崩壊期に「国民国家のたそがれ」や「ゆらぎ」が語られたが、ネグリ=ハートは、そうした「近代性=モダーニティ」の延長での発想・言説の限界を指摘し、「近代の終焉=国民国家の終焉」の地平で、主権や政治を語っているのである。
だが、第2の問題、現実の「帝国」支配構造に近づくと、EU(ヨーロッパ連合)やNAFTA、APECの分析も、アジアにおける「世界の工場化」の分析も手薄なまま、古代ローマの政体循環論に導かれる。政治学者の眼でネグリ=ハートを読むと、その卓抜した面白さも弱さも凝集しているのが、「君主制・貴族制・民主制の混合支配」論である。
ネグリ=ハートは、「帝国」の支配について、ローマ帝国が政体の違いを越えて安定した長期支配=「パクス・ロマーナ」を維持した点に注目し、ポリュビオスの政体論を援用する。国民国家型の超越的・一元的「主権国家=法の支配」よりも、現代の「帝国」には、異種混交的で問題領域毎に使い分ける重層的・偶発的階層支配がふさわしい、と。
そこで実際に示されるのは、グローバル政体システムの三層構造である。第一階層の中心にはアメリカ合衆国とサミット構成大国、WTO・IMF・世界銀行などの指導者が「君主制」的に君臨するが、第二階層の多国籍企業や中小国民国家は国連等国際組織や日米欧委員会、世界経済フォーラム(ダボス会議)等で「貴族制」的に秩序を維持し、第三階層では各種社会団体、宗教団体、NGOにも「民会」風に発言権を与えて耳を傾け、この「民主制」を末端毛細管支配に組み入れ、最底辺の「マルチチュード」に回路を開いている。
フーコー風「規律・訓練」からドゥルーズ風「管理・統制」へと拡大・深化した支配手段も、「爆弾」=核兵器体系はアメリカ中心の「君主制」型だが、「貨幣」は米欧日多国籍企業や中小国家に「貴族制」的に配分され、「エーテル」=情報・情動・文化は「マルチチュード」の欲望・想像力を駆り立てつつ、多様なメディア、社会団体、宗教団体、労働組合等を広く「民主制」的にネットワーク化し、アクセス可能にしている。ここでは、しばしば「民主制」下で民衆の希望が寄せられるNGOも、かつての聖ドミニコ会・イエズス会修道士になぞらえて、「帝国」権力の柔軟で差異的な慈善活動の担い手とされる。
なるほど、国民国家も多国籍企業も、NGOまでも含む使い分け支配の議論は面白いが、それならば、現に国際機関やNGOは数多く活動しているのだから、その具体的活動・機能を分析して「生権力」構造を抽出すべきだろう。グローバリゼーションがらみのそうした分析は、WTO・多国籍企業批判の国際NGO=ATTAC(市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)ばかりでなく、国際投機を実際に操ってきたジョージ・ソレス『グローバル資本主義の危機』(日本経済新聞社、1999年)や世界銀行チーフ・エコノミストのジョセフ・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店、2002年)のような内側からの分析もある 。ところがネグリ=ハートは、「権力」が身体・情動に達した「生政治」だとして「帝国」システムを鳥瞰するだけで、具体的分析に進まない。「グローバル・ガバナンス」はわずかに触れられるが、国際組織論・国際レジーム論等の学問的成果は無視され、国際法・国際連合の矛盾的機能(主権国家承認と主権の超国家的制限)から単数形の怪物「帝国」へと飛躍する。
「脱領域化・脱中心化」をいうなら、15か国から25か国へと拡大するEUこそ格好の素材なはずだが、そこに立ち入ることはない。ましてや日本は「ポスト・フォード主義」の文脈でトヨタのジャスト・イン・タイム生産が挙げられる程度で、ほとんど言及されない。現代版『資本論』、「世界システム論」政治学版とするには、実証研究・経験的史実との接点が弱く、政治思想史的・哲学的面白さに比して、学びうるものは少ない。むしろ、「帝国」の発想でアフガン、イラクの戦争を「世界内戦」の視角から検証すること、「生政治」の視角で身体・生活レベルからローカル、ナショナル、リージョナル、グローバルな権力構造を重層的に分析する視角への刺激を与えることが、平和研究にとっての『帝国』の示唆となるだろう 。「帝国は平和を秩序化する」「マーケットは戦争を望まない」と診断されても、新自由主義下の世界市場では、無数のナショナリストがフリーライダーとなって、うごめいている。
恒久平和や「世界政府」を構想するさい、より重要なのは、第3の「マルチチュードMultitude」概念であろう。スピノザ起源で、マルクスの「プロレタリアート」やグラムシ「サバルタン」のイメージには通じるが、フランス革命期の「国民」「人民」や、マルクス主義の「産業労働者階級」とは厳密に区別される。筆者は、「マルチチュード」から、戸坂潤「科学の大衆性」に出てくる「多衆=烏合の衆」のイメージを想起した 。
「マルチチュード」は「帝国」を喚起し生成せしめた応答的主体で、資本に搾取され従属させられた具体的で多種多様な多数民であり(脱超越性・脱神秘性)、「国民」「人民」「労働者」「市民」等と一元的に規定しえない自然的身体である(脱代表性)。もちろん「民族」でも「第3世界」でもなく、「帝国」システムに内部化された潜在的・構成的な主体である。それはすでに資本の自己組織系の管理統制下にあり、「生権力」の剰余を奪われているが、その自然的身体の欲望・感情は無限に多種多様で「抵抗は不滅」である。「マルチチュード」は、自己価値化のなかで無垢・素朴さの喜びを見出し、コミュニケーション・協働・情動を働かせてネットワーク化しうる。その「抵抗」の形態としてネグリ=ハートが述べるのは、「国家権力奪取」や「大きな政府」ではなく、労働・搾取とあらゆる権威の拒否、「ノマド(遊牧民)的移動」と「脱走・脱出(エクソダス)」である。それを「代表」せずに「構成」する能動的・構築的・創造的な「闘士militant」たちが媒介するが、さしあたりのプロジェクトは「グローバル市民権」「社会賃金」「生産と知の再領有」であり、「抵抗を対抗権力化」し「いかなる権力にも統制されない革命」へ向かうことである。
このような「マルチチュード」観からは、9・11以後の世界でも、出口は同じである。
ネグリがスピノザとイタリア「アウトノミア」運動の体験から引き出した「マルチチュード」概念を、現実に存在するあれこれの社会運動にあてはめることは、彼らの論理構成──潜在的「力能」から可能的・現実的「力」への構成──からしても、無意味であろう。「国民」ばかりでなく「人民」を主権者に措定した場合でも生起する超越論的一元化・実体化の危険、「民族」や「第3世界」を主体に想定した際におこる多様で現実的な差異・亀裂の隠蔽、「産業労働者階級」を一国主義的に措定し「国家権力の奪取」や「党」に代位させた苦い歴史的経験と理論的陥穽の主張は、傾聴に値する。
だが、『帝国』で具体的に語られる「抵抗」の道筋、「移民」と「脱走」については、平和論の立場からも批判を加えるべきだろう。たしかにグローバリゼーションが進行して移民・難民・外国人労働者が急増し、労働力市場の国民国家的垣根は低くなってきた。だがある国民国家を逃れて他の国民国家に「脱走」できたとしても、それは未完の「帝国」内の内部移動で「国民国家の壁」に必ず突き当たる 。『帝国』の大胆な理論的想定にもかかわらず、「ボーダーレス・エコノミー」は直ちに「ボーダーレス・ポリティクス」をもたらすわけではなく、むしろ「ボーダーフル・ポリティクス」に覆われている。「国民国家の終焉」の論理的可能性はあっても、せいぜい「ゆらぎ」段階で、「たそがれ」は見えてこない。このせめぎあいを直視することこそ、具体的現実的に存在する「マルチチュード」の情動=「抵抗」の出発点ではないか? 20世紀国際法・国際組織の発展の流れは、古くからあるカント風「世界政府」「世界連邦」を彼岸に欲望しつつも、そこにいたる回路をつくりだす運動の所産ではなかったか? EUが「世界政府の実験」として注目されたのも、それが「戦争のない世界」への希望を与えると共に、そこにいたる困難やバックラッシュをも歴史的に示してきたからではないか? 「帝国対マルチチュード」のポストモダンの構図は、こうした現実的営為と理論的格闘を水に流してしまいかねない。
しかし、ネグリ=ハートの妖怪「帝国」であれ、よりリアルな「帝国アメリカ」であれ、恒久平和へのディスユートピアであることに変わりはない。またそれは、平和学や平和を願う運動が、ネグリ=ハートの問題提起を無視すべきだということでもない。むしろその卓抜した発想、認識論的切断を、9・11以後の世界でどのように生かすべきかである。
そのような視点から、最後に、「世界社会フォーラム(WSF)」の運動に注目しておこう。2001年1月末に産声をあげたWSFは、今日進行する資本のグローバリゼーションに「もう一つの世界は可能だ」を対置し、9・11以後の世界の平和運動を実際に担っている。大国政治家・官僚、多国籍企業経営者の「世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)」に対抗して、毎年1月末に世界のNGO・社会団体・宗教者・知識人が集まり、民衆的政策提言を練り上げている 。
ネグリ=ハート自身、「世界社会フォーラム」の英文政策提言集『もう一つの世界は可能だ』に連名で序文を寄せ、「ポルトアレグレの世界社会フォーラムは、すでに一つの神話、われわれの政治的羅針盤を定義づける積極的神話となった。それは、新しい民主主義的コスモポリタリズムであり、新しい国境を越えた反資本主義であり、新しい知的ノマド(遊牧民)主義であり、マルチチュードの偉大な運動である」と述べている 。
たしかに10万人を集めた世界社会フォーラム2003年1月総会で話題をよんだのは、ノーム・チョムスキーの講演「帝国に抗して」であった。しかしその含意は、ネグリ風『帝国』よりも、対イラク戦争を急ぐ「帝国アメリカ」であった。「マグニチュード」に比すべき多種多様な個人・団体が集まったが、その主力はネグリ=ハートが「資本への包摂」を理論的に危惧するNGO・NPOであり、各国各種議会「代表」を集めた「国際議員フォーラム」がようやく軌道に乗った。彼らが超越論的だとする「人民」「市民」「市民社会」はWSFの主役であり、「グローバル市民社会」の構成が、当面の課題とされている。この3年間会場を提供したブラジルのポルトアレグレは、市長が労働党で市議会でも多数を占める都市であり、ダボス会議へ出発する直前に「スイスに行って、もうひとつの世界は可能であることを証明してくる」と挨拶して喝采を浴びたブラジルのルラ新大統領も労働党である。国連アナン事務総長は、WEFダボス会議にもWSFにも、双方にメッセージを寄せている。フランスや途上国の政府、ドイツSPD等も双方に顔を出す。
要するに、国民国家も議会制民主主義も政党政治も終焉してはいない。「帝国」の論理的可能性、「帝国」への現実的動きはグローバリゼーションとして加速しているが、それはなお完成してはいないし、多くの障害に直面している。「世界社会フォーラム」は、そうした「古い政治」と「新しい政治」の狭間に介入しながら、2月15日の国際反戦共同行動をよびかけ、「帝国」の所産であるインターネットを駆使して各国単位の運動をネットワーク風に組織し、全世界で1500万人近くの「マルチチュード」を街頭に駆り立てた。それが人類史上未曾有の宣戦布告前の反戦運動で「偉大な運動」なのは事実だが、それは、民衆がなお国民国家と苦闘し呻吟しているからこそ現実的「力」となった 。
2004年1月第4回世界社会フォーラムは、ポルトアレグレからインドに会場を移して開かれる。インドのNGO・NPOにとっては、まずは1949年インド憲法に明記されたカースト差別撤廃、すべてのこどもたちの教育と文盲一掃、女性への家父長制支配・抑圧反対と地位向上が切実な願いである。かつての「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」も今では資本に組み込まれ、「グローカル経営戦略」という美名で差異化されている。しかし民衆は、ネグリ=ハートにどのようによばれようと、自分の生活圏、足元からしか、グローバル化しえない。「グローバル市民社会」や「世界政府」の希望が見えてくるのは、そうした平和運動・社会運動の現実をくぐってではなかろうか。