小林多喜二も属した日本共産党の不幸は、この二人の大物スパイの正体を見究めることができないまま、それより格下の大泉兼蔵と、スパイであったかどうかも疑わしい小畑達夫を査問・リンチし、小畑を死に至らしめたことであった。しかも、その査問を直接担当した宮本顕治・袴田里見を戦後の指導者として「鉄の規律=民主集中制」「無謬の党史」を維持したため、参院選で惨敗する今日にいたるまで、暗いイメージをひきずらざるをえなかった。今日振り返ると、個々の党員の諜報=スパイ行為による検挙や、拷問による「転向」よりも、疑心暗鬼の心理的暗闘を党組織頂点にまでつくりだし自滅させたことが、毛利基の共産主義運動対策の到達点だったといえよう。
スパイM=松村は、大森銀行ギャング事件まで演出して一九三〇ー三一年の党最高指導部を壊滅に追いやったが、共産青年同盟に潜り込んだ三舩留吉の場合は、初発の上海ヌーラン事件誘発で、日本共産党のみならず、世界共産党=コミンテルンのアジア工作を大きく変更させた。この点の解明は、評者もようやくとりかかったばかりであるが、スパイ三舩がいなかったら、野坂参三のアメリカでの活動も、ゾルゲ事件から企画院事件・満鉄調査部事件・横浜事件への波及も、モスクワでの日本人大量粛清の様相も、ずいぶんちがっていた可能性があり、後世に残したインパクトは、スパイM以上だったかもしれない。
かつて評者は、モスクワの旧コミンテルン史料館で、一九三一年三月日本共産党中央委員浜田事紺野与次郎が上海のコミンテルン極東ビューローに運びモスクワに届けられた報告書を発見し、発表したことがある(「『非常時』共産党の真実──一九三一年の日本共産党報告書」『大原社会問題研究所雑誌』四九八号、二〇〇〇年五月)。驚いたのは、当時の党員東京四四名等々の詳細な党勢報告と、モスクワのコミンテルン本部への中央委員手当一人百円総計月二千円の活動資金請求などが、率直に述べられていたことだった。それでスパイM=松村が実質的に動かしていた中央委員会の活動は詳細にわかったが、三舩留吉の関わった共産青年同盟関係の記述は少なかった。別のモスクワ資料には「スパイは殺してもいい」とあった。本書は、松本清張・立花隆・小林峻一・鈴木隆一らの先行研究を詳しく吟味したうえで、日本側資料でモスクワ秘密報告を補う研究となっている。
無論、タイトルに掲げられたプロレタリア作家小林多喜二の拷問死解明や、紺野与次郎・宮川寅雄・源五郎丸芳晴・岸勝ら当時の共青指導部と三舩の「スパイ」発覚をめぐる諜報戦も有益だが、本書の圧巻は、忽然と消えた三舩のその後を、生地秋田県の戸籍から追いかけ、戦後名を変え富山で事業家として成功しているところまで突きとめた故しまね・きよしの遺稿と、志半ばで病魔に倒れたしまねの遺志を受け継ぎ、三舩留吉の生涯を詳しい年譜にまでしあげ完成した、著者くらせ・みきおの執念の探求記である。
それは、個人的恨みや復讐でも、無論戦後公安警察まで続く「反共」活動のポスト共産主義風謳歌でもなく、「人間としてのスパイ」への関心から発している。故しまね・きよしは、本書の原型というべき『日本共産党スパイ史』(新人物往来社、一九八三年)で「完全無欠な理想的なスパイというのは、そのスパイとしての足跡をまったく残さない存在」であるが、「強烈な自我を介して、自己を対象化することによって、自己の内面と外部の行為とを切りはなし、偽装をともなう危険な二重の操作を続けていかなければならない」ため、「スパイがスパイとして自滅していく過程は、その自我の崩壊過程と重なりあっている」と述べていた。本書の著者くらせも、俗流唯物論とは一線を画して「人間」の本質に迫ろうとした。スパイMの遺稿「空間論」の理論的考察を手がかりに、「三舩もまたスパイMと同じように、過去の特高スパイとしての事績によって、戦後、苦楽を分かち合い信頼を寄せていた存在・愛人にさえ公言できないという懊悩を個人の心底では抱えてきた」という。
「鋼鉄の心臓をもつ人間」などありえないという結論は、かつて日本の純真な青年たちを共産主義運動へと魅了した「鋼鉄はいかに鍛えられたか」=コルチャーギン的人間像への批判も含まれているのだろう。
本書のもう一人の主人公毛利基以下、宮下弘・山県為三・中川成夫らの履歴をデータベース化した第三部「特高警察官列伝――戦前社会運動の弾圧者たち」は、独自の研究史的意義を持つ。現代史研究の玄人筋にとっては、待望の、実に中身の濃い書物である。 (かとう・てつろう、一橋大学教員、政治学)