これは、『週刊金曜日』2000年6月23日発売号掲載の拙稿である。本HPの活字論文掲載原則にしたがえば、本来3か月後に収録すべきものであるが、6月25日投票の総選挙向け特集論文なので、『週刊金曜日』誌の特別の許可を得て、インターネット上にも同時に公開する。同誌編集部のご配慮に、感謝したい。ただし、見出し・レイアウト等は、雑誌掲載のものとは若干異なり、本HP上には、オリジナル草稿の方を掲載する。(2000年6月23日)
6月13日の総選挙公示日、南北朝鮮首脳会談が半世紀ぶりで実現した。世紀の変わり目を実感させる、世界史的事件である。世紀末の今年は、アメリカ大統領選挙をはじめ、世界各国で重要な選挙があり、「国の顔」の交代がある。ロシアではエリツィンからプーチンへの世代交代があり、韓国国会選挙では市民の「落選運動」が大きな役割を果たした。ペルーの大統領選挙では日系フジモリ大統領が三選を果たしたが、国内に新たな対立の火種を残した。6月25日の日本の総選挙投票日の翌週、7月2日にはメキシコ大統領選挙がある。野党の急追で、70年以上も続く制度的革命党政権が維持できるかどうか、内外で注目されている。「21世紀への顔」選びが、世界で進んでいる。
世紀末の世界各国がどのような「顔かたち」をしているか、どこで選挙が行われ何が問題となっているかを知るには、かつては百科事典や専門書をひもといて、いちいち調べなければならなかった。しかし、第三ミレニアムに入った今日では、世界の政治情報はインターネットで入手できる。例えばカルフォルニア大学サンディエゴ校の「レイプハルト選挙アーカイフ」に入れば、日本なら1958年以降の全選挙区別データ、メキシコなら前回大統領選挙データのほか憲法や選挙法全文も、たちどころに手に入る。
アメリカの「アメリカ中央情報局(CIA)ホームページ」には、CIAから見た各国政治経済の最新概観データが公開されている。「日本」に入ってみると、「政府のタイプ」が「立憲君主制」で「エスニック・グループ」が「ジャパニーズ99.4パーセント、その他0.6パーセント(大部分コリアン)」とされているのはともかく、「宗教」は「神道と仏教が84パーセント、その他16パーセント(キリスト教0.7パーセントを含む)」とあり、「独立」は「紀元前660年(伝説では神武天皇による建国)」、「ナショナル・ホリデー」は「天皇誕生日、12月23日」のみ、「元首(chief of state)」は「天皇アキヒト」と明記されている。まるで、「天皇中心の神の国」である。
国際化の進んだ今日、日本の政治を知ろうと思えば、日本の外に住む人々は、まずは「首相官邸ホームページ」にアクセスする。ちょうど私たちが「アメリカの顔」を知りたい時、ホワイトハウス公式サイトに直行するように。日本政府の「首相官邸ホームページ」には、最新情報が英語版と日本語版で公開されており、「日本の顔」が概観できるようになっている。3月までは「過労死」寸前の小渕恵三氏の笑顔がトップページにあったが、今は森喜朗氏が、世界に微笑んでいる。無論、公式演説集や「首相のプロフィール」もある。
英語ページで見る限り、4月に就任した森首相は、モダンな国際人に見える。「日本新生」をめざし「IT革命」を推進するため、7月九州・沖縄サミットを主宰する意欲を語っている。学校時代に良き師にめぐまれ、「礼儀正しさ、独立心、責任感」を学んだという。ラグビーを得意とするスポーツマンで、文相・通産相・建設相、自民党要職を歴任したという。ホワイトハウス風に、家族の名前までが公開されている。
ところが日本語ソフトを持ち日本語を読める外国人ならば、この英語版「プロフィール」がずいぶん省略され、外国人向けに編集されていることを知る。例えば、首相自身が就任時に座右の銘として披露した「滅私奉公」は、日本語版では祖父と父から学んだモットーとして二度もでてくるが、英語版では訳しにくかったのか、一切出てこない。日本語版では、かの「神の国」発言で5月26日に記者会見し、「先般の神道政治連盟国会議員懇談会におきます私の発言につきまして、十分に意を尽くさない表現によりまして、多くの方々に誤解を与えたことを深く反省をいたしておりまして、国民の皆様方に心からおわびを申し上げる次第でございます。内閣総理大臣として、日本国憲法に定める国民主権、信教の自由を尊重・遵守することは当然なことでございまして、戦前のような天皇主権の下で国家神道を復活するというようなことなどは、私自信の個人的な信条としても、全く考えたこともございません」と弁明した記録が、質疑応答を含めて読めるが、英語版には、なぜか入っていない。アメリカCIAは「神道と仏教の国」とみなしているのであるから、「神道政治連盟国会議員懇談会におきます私の発言」は充分国際的意味を持つはずなのに。やはり英語では、公開をはばかる内容だったのだろうか? 無論、かつて石原慎太郎・現東京都知事らと共に「青嵐会」の血判状に名を連らね、リクルート疑獄等で名前の出たダーティな過去は、英語版・日本語版のいずれにおいても、注意深く隠されている。
6月25日投票の衆議院議員選挙は、おそらく20世紀最後の総選挙となり、21世紀「日本の顔」選びの意味を持つ。選挙とは、「多人数の中から投票などにより適任者をえらびだすこと」「選挙権を有する者が全国または一定区域において、一体として一定数の議員・都道府県知事・市町村長のような公職につく者を投票によって選定する行為」である(『広辞苑』第5版)。選挙区にしろ比例区にしろ、そこで選ばれるのは「公職」である。マックス・ウェーバーを引くまでもなく、政治家の行為・発言は公的意味を持ち、説明責任(accountability)・応答責任(responsibility )を伴う。
森首相は、「滅私奉公」を政治的モットーとして登場し、「教育勅語にもいいところがある」と述べた。「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民の皆さんにしっかり承知していただく」と公言して弁明記者会見を余儀なくされ、その舌の根の乾かぬうちに、「(共産党は)綱領は変えないと言っている。天皇制を認めないだろうし、自衛隊は解散でしょう。日米安保も容認しない。そういう政党とどうやって日本の国体を守ることができるんだろうか」と発言した。党内からも言説の軽さを非難され、街頭演説もできずに地元選挙区に入ると、今度は後援会員に「前線でたたかう」から「銃後を守ってくれ」という。これら首相の肉声で語られた一連の政治的語彙は、一貫性があり、秩序だっている。「滅私奉公」の「公」とは、日本国憲法の国民主権・基本的人権・戦争放棄ではないらしい。「天皇を中心とする神の国」の「国体護持」と解しうる。
森首相は、「私は八歳の時に終戦を迎えておりますので、自分の人生のほとんどは戦後の日本国憲法の下で教育を受けて育った私にとりましては、天皇とは、正に日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇であります」と5月26日記者会見で弁明する前に、「教育勅語には日本の伝統文化の継承などが含まれていたが、連合国軍総司令部(GHQ)が駄目だといって消した。本当にそういうことでよかったのか」と述べていた(『東京新聞』4月21日)。首相が「いいところもある」という「教育勅語」とは、いかなるものであったか? それは、1890年に発布された。しかし、GHQにより「消された」ものではない。1948年に、国会両院で排除・失効確認が決議されたものである。
この「勅語」、今日国民の八割を占める戦後生まれの世代には、読解不可能であろう。かくいう筆者も、正確には読めない。だが、森首相のいう「いいところ」とは、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」「博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ」あたりであろうことは、一応読みとれる。そしてこれらすべてが、「皇祖皇宗國ヲ肇ムル」「神の国」の「國軆ノ精華」を守るため、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ」る「朕カ忠良ノ臣民」をつくるためのものであることは、文脈から明らかである。
だからこそ、1948年6月19日に、衆参両院が自主的に行った決議は、次のように宣言した。
そして、「教育勅語」にも出てくる「国体」とは、戦前日本の国家主義イデオロギーの核心である。1925年年治安維持法第一条で「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス」と記され、共産主義者ばかりでなく自由主義者・宗教者の自由を奪い弾圧した。7万人以上が検挙され、朝鮮の民族解放運動にも適用された。美濃部達吉の天皇機関説は、軍部の「国体明徴」運動で排撃され、37年文部省刊行「国体の本義」は、太平洋戦争に道を拓いた。「国体護持」にしばられた支配層は、沖縄戦敗北後も無為な犠牲を重ね、ヒロシマ・ナガサキ被爆、ソ連参戦後の「遅すぎた聖断」まで、戦争を継続した。
森首相が、8歳までにこれを血肉化したのか、それともその後の「教育」の中で学習し「文教族のドン」として語彙に加えたかは定かでないが、彼の一連の肉声が「勅語」の延長上にあることは、容易にみてとれる。そこから、自衛隊を軍隊として認知させ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ」る臣民型「愛国心」教育を構想していること、「GHQのおしつけ」を口実にした日本国憲法改正をも信条としていることも、推定できる。典型的な、ネオ・ナショナリズムである。首相は、これら発言を公式に撤回していない。外国に対しては、弁明もしていない。さすがにこうした時代錯誤の「失言」は、世論の反発を招き、内閣支持率を急降下させたため、自民党内からも「選挙がたたかえない」と苦情が出ているが。
無論、森首相の肉声に時に表面化する復古主義的心情は、原稿を読み上げる施政方針演説や「首相官邸ホームページ」の公式発言からは「消されて」いる。政府の「公式の顔」は、「安心して夢を持って暮らせる国家」「心の豊かな美しい国家」「世界から信頼される国家」という美辞麗句につつまれた「日本新生」であり、今年1月小渕前首相に提出された「21世紀日本の構想」委員会報告書「日本のフロンティアは日本の中にある――自立と協治で築く新世紀」に典型的な、ネオ・グローバリズムの路線である。だからこそ、野中広務幹事長ら自民党首脳も、選挙戦で森首相を「前線」に出すことをためらい、景気対策や政権構想に争点を移そうとしている。
この間、新ガイドライン法から日の丸・君が代法制化、盗聴法等を通過させた力は、公明党の自民党へのサポートであった。かつて治安維持法犠牲者を出した創価学会も、公明党の政権参加で「神の国」発言を黙認した。自公保連立内閣の存続も、総選挙での自民党と野党の消長にかかっている。
その背後にあるのは、すでに両院憲法調査会で論議の始まった、憲法問題である。「神の国・国体護持」争点化が「21世紀への顔」選びであるとすれば、選挙結果による政党・議席配置は「この国のかたち」選びの意味を持つ。選挙戦では必ずしも争点になっていないが、自民党は選挙公約に「21世紀にふさわしい国民のための憲法制定への取組み」をかかげた。1955年の結党時以来のことである。「与党三党のめざす基本政策」には入らなかったが、森首相が公明党との連立を「十年単位で考える」と述べたのが、意味深長である。ネオ・ナショナリズムの「改憲」とネオ・グローバリズムの「論憲」は、自公連立を軸に合流する。保守党・自由党は容易にその土俵にのる。「民の国」を掲げる民主党も、憲法と関わる「首相公選制の導入検討」を「15の挑戦」の一つとしており、「改憲」派候補者を3割抱えている(『朝日新聞』6月11日)。『読売新聞』世論調査で改憲賛成が 多数派に転じたのみならず、筆者らが昨年秋から今年初めに行った「全国8大学学生政治意識調査」でも、「天皇に対する尊敬」はわずかで「何とも感じない」が圧倒的であったが、「今の憲法は改正する方がよい」とする学生が半数に達した(「加藤哲郎の研究室」http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml)。憲法問題は、21世紀初頭の日本で、最大の政治的争点となるにちがいない。今回の総選挙は、その前哨戦の意味を持つ。
総選挙の投票日は、朝鮮戦争勃発50周年の6月25日である。もともと政府・自民党首脳は、小渕恵三首相の過労死を奇貨とした「弔い合戦」を夢見ていた。1980年ダブル選挙で、大平正芳首相が選挙中に過労死し、自民党が大勝した前例にならったものである。小渕前首相が倒れた「空白の22時間」と「密室の5人・プラス・ワン(=公明党)」により森喜朗が後継総裁=首相に決まった段階から、新政権には胡散臭さがつきまとってきたが、なお自公連立の「数の力」があり、総選挙日程もそのようにデザインされた。
ところが森首相の相次ぐ「失言」で、当初のシナリオは狂い、89年参院選挙の様相に近づいてきた。リクルート疑獄と消費税導入で竹下登内閣が崩壊し、自民党の派閥力学により宇野宗佑首相が選ばれたものの、女性スキャンダルで「首相の資質」が問われ、東京都議会選挙・参院選と自民党が惨敗して、2か月余で退陣したケースである。
この2000年総選挙が、80年ダブル選自民党大勝型になるか、89年参院選与野党逆転型になるのか──それは、有権者である市民の選択であると共に、世界に対する国民の責任である。世界へのメッセージとして、21世紀日本の「顔かたち」をつくることになるのであるから。