「自己責任」と「反日分子」 二〇〇四年三ー五月、自衛隊の入ったイラクで「ファルージャの虐殺」が進行し、日本人五人を含む二〇か国四〇人以上が反占領武装勢力の「人質」になって、「自己責任」が政府首脳や大マスコミで声高に語られている時、東京国立近代美術館では、「国吉康雄展――アメリカと日本、ふたつの世界のあいだで」が開かれていた。
国吉康雄(一八八九ー一九五三年)は、アメリカの大きな美術館で鑑賞することのできる、数少ない日本人画家である。岡山出身、苦学して画学校に学び、日米戦争期にアメリカへの忠誠と日本の軍国主義に反対するアピールを発表し、抗日中国救済基金にも協力した。それでも「敵性外国人」として扱われ、夜間外出禁止と、ニューヨーク市外に出るさいの許可証取得を強いられた。この頃の国吉の描く女性像には、一九二〇年代の大きな眼とユーモアが消えて、「祖国」を引き裂かれた苦悩、憂鬱とけだるさが漂う。
ニューヨーク・ユニオン・スクウェアー近くで、国吉康雄の住むビルの隣のアパートに住んでいた画家石垣栄太郎・綾子夫妻は、アメリカ共産党系の左翼運動に、より強くコミットしていた。西海岸の日本人が強制収容所に送られた戦時中、「アメリカへの忠誠」を行動で示す、いっそうのふるまいを要請された。国吉に誘われて、石垣夫妻も米軍戦時情報局(OWI)に協力し、対日宣伝戦に加わる。しかし、戦後冷戦・マーカーシズムの時代になると、今度は、友人のジャーナリスト、アグネス・スメドレーとの関わりで過去の「非米活動」を追求され、「自由の国」から追われて、日本に帰国せざるをえなかった。
「非米」とか「反日」の言説が飛び交うのは、「冷戦」を含む国家と国家の戦争の世界である。その「敵性」国籍ゆえに、そこに巻き込まれたものは、徴兵制がなくても、否応なく「従軍」を迫られる。そして、ある国家が、個人ないし集団に起因する「テロに対する戦争」を宣言した時、「敵国」がみえないだけ、「テロリスト」と目された個人や集団の国籍・出身地域に近い人々は無論のこと、それに反対ないし同調しない個人・集団のすべてを「仮想敵」とみなしがちである。自国の中にも、世界中にも、「敵性」は拡散する。
二〇〇四年四月に、ボランティアの民衆支援や戦争報道のためにイラクに入り、「人質」とされた、五人の日本国籍の若者がいた。帰国すると、政府や政治家・マスコミからの「自己責任」キャンペーンにさらされ、はては「自業自得」「自作自演」とまでバッシングされた。海外のメディアがこぞってその異常性を報じたこの日本人の物語は、グローバルな資本主義の時代に、日本政府が国連さえ無視した米英軍のイラク戦争に加担し、「専守防衛」をうたった自衛隊が「国際貢献」「人道支援」の名目で戦地に赴いたことで、日本列島に住む一億二千万人の全体が「従軍」状態・「戦時」体制に入ったことを、示すものとなった。東京では、自衛官宿舎の郵便受けに反戦ビラを入れた若者たちが検挙された。
この時の自由民主党柏村武昭参議院議員の発言は、記録に残すに値する。それは、四月二六日の、参院決算委員会でなされたものである(その議事録はまだ未公開なので、一市民がインターネット中継の発言記録を忠実に起こし再現したものを用いる)。この議員が、原爆の人類史的表象の地、ヒロシマ選挙区選出であることも、記憶に値する。
「非国民」をチェックする「戦時」言論狩り 柏村議員はここで、第一に、マスコミでクローズアップされた「反政府・反日的分子」のみならず、「反日活動家の一時出国制限」と、二度までも「反日」を、国権の最高機関たる国会の場で、公的に説いている。つまり、口が滑った程度の軽い発言ではなく、心底から信じて繰り返した確信犯である。事実、発言は撤回せず、自己のホームページでは、メールの反響を「激励が大体七割から八割」で「僕の考えが解って下さる人がいっぱいいらっしゃるんだなァと、本当に心を強くした次第です」と開き直っている。
第二に、その文脈からして、明らかに「自衛隊イラク派遣に公然と反対するものは、日本国民であっても反政府・反日分子」という認識である。これまで公的に「反日分子」が語られることはあっても、それはおおむね、アジアの他国での戦前日本の侵略に起因する敵対感情や抗議運動を指す場合がほとんどだった。柏村議員は、自衛隊イラク派兵に反対する日本国内の人々を敢えて「反日分子」と呼び、それに加えて、政府に「反日活動家の一時出国制限」を要求している。イラク戦争に限らず、時の政府の政策執行に反対するものは、移動の自由も思想・言論の自由も制限されて当然だという、治安維持法・国防保安法的発想を持っている。無論そこには、「事件の解決のためには、官邸以下、日本政府の人的物的双方の資源が集中的に投入されました。ただでさえ忙しい国会開会中に、政府の機能、官邸の機能が妨害寸断された」という「有事」認識、つまり五人は「戦時後方攪乱」という認識を、あわせ持っている。「非国民」「敵性分子」といいたいのだ。
このような言説が公共圏に現れたことが、今日の日本の「従軍」状態を、逆照射している。「非国民」が出現するのは、ある種の同質的で同調的な「国民」イメージがあるからである。それを統括する「国民国家」が、想像の共同体として生きているからである。今日の日本にも世界にも、「従軍」を強制する「イデオロギー装置としての国家」は、強固に現存している。「グローバル化」とか「帝国」とよばれる時代になり、ヨーロッパの二五か国がリージョナルな共通市場や通貨で結ばれるようになっても、いやそうであればこそ、グローバリズムやコスモポリタリズムに反発し、旧来のナショナルやローカルなアイデンディティに執着しようとする傾向が強まる。
九・一一以後の世界とは、グローバルな資本主義に下支えされた、アメリカ合衆国主導の地球社会化に対する、差異に満ちた諸個人の適応と挫折、同調と反発・抵抗、制度化と状況化の織りなすモザイクであり、希望と絶望のアマルガムである。
冷戦崩壊後のアメリカ一極支配 二一世紀の世界は、「戦争と革命の世紀」とよばれた二〇世紀の「資本主義と社会主義の対立」イメージの否定のうえに構築された。植民地争奪をめぐる帝国主義国家間戦争とロシア革命、ナチスと日本軍国主義に対する「反ファシズム民主主義」の「正義の戦争」、ソ連を中心とした東側社会主義諸国とアメリカを中心とした西側資本主義諸国の長い「冷戦」、そして中国、朝鮮、ベトナムなどアジアの内戦と熱戦、ラテンアメリカからアジア・アフリカに広がった民族解放・脱植民地化の抵抗があった。「冷戦」も、半世紀近く続くと制度化し、ある種の「長い平和」とさえ受け止められた。
そうした均衡が、一九八九年の東欧諸国からソ連に広がったフォーラム型市民革命で崩れたとき、フランシス・フクヤマ「歴史の終焉」の言説が、一時的に流行した。「残存社会主義」中国・ベトナムやインドが世界市場に参入し、資本主義と自由民主主義一色でおおわれるという見通しは、ある程度当たっていた。
しかし第一次湾岸戦争は、宗教・エスニシティや文明・文化の差異による、新たな戦争を予感させた。旧ソ連の少数民族の反乱、ユーゴスラヴィアの解体に伴うコソヴォの悲劇、イスラエルとパレスチナの引き続く衝突は、冷戦崩壊・湾岸戦争以後を「文明の衝突」と見なす、サミュエル・ハンチントン風の新たな対立図式を浮上させた。
実際は、「歴史の終焉」でも「文明の衝突」でもなかった。資本主義と自由民主主義に内在するさまざまな矛盾が、さまざまな地域で吹き上げたものだった。それは、国家間関係レベルでいえば、国民国家の差異自体においてではなく、資本主義の深化の度合い、国民国家と資本主義の結合の仕方、国家の民主主義的編成のあり方の差異がもたらす格差の構造として露わになった。国家とエスニシティの関係では、「民族自決」や「内政不干渉」のもとで、国民形成以前に国家形成を行った諸国・地域における、強権的統合・同化や国家的分離・隔離政策の矛盾が露わになった。さらには「文化」の名による宗教・ジェンダーやマイノリテティ、周辺者への差別や抑圧が明るみに出て、一時的・局地的紛争として噴出した。それらはもともと、「東西冷戦」の陰に隠されていたものだった。
その時代を主導したのは、資本主義と国家の編成についての一九八〇年代以降の新しい考え方、新自由主義とよばれるイデオロギーであった。またその帰結は、グローバル化の進行とともに露わになった、アメリカ合衆国の隔絶した一極支配、とりわけ核兵器を中心とした軍事力と、情報通信技術を用いた経済力による、世界制覇であった。そのアメリカ合衆国の独占的優位が、「帝国」アメリカの表象を喚起した。かつての一九世紀末「帝国主義」列強が植民地を求めて領土を拡大したように、アメリカは、マクドナルドやハリウッド映画を武器に、ソ連崩壊後の世界に土足で侵入した。北と南の格差は、かつてなく広がり、自由貿易圏の中でもアメリカが隔絶して「強力なライバル」がいなくなったという意味で、古代ローマ風の「帝国」になった。「一人勝ちアメリカ」のイメージである。
ネグリ=ハート『帝国』の世界 アントニオ・ネグリ=マイケル・ハートの描く「帝国」は、これとは相当異なる(水嶋一憲他訳『帝国』以文社、二〇〇三年)。彼らは、現代世界の主権の所在を、国民国家レベルを超えた「世界市場の政治的形態」である「帝国」に現存するとした。「帝国」は、確かに国際関係ではアメリカ合衆国を頂点とした構造をもつが、主権自体は「脱領域的・脱中心的」な「グローバルな政治的主体」のレベルにあり、身体からコミュニケーションにいたる人間的自然の直接的・全体的支配=生権力のシステムを構築した。その権力は、差異に満ちた民衆=「マルチチュード」の創造性・協働性・情動性を資本に組み込み、柔軟で偶発的で機動的に構成される。「差異の政治」として人種・民族やジェンダーの違いにも個別的に対応し、資本のグローバリゼーションに組み込んでいく。工場の中での産業労働ばかりでなく、コミュニケーション・相互活動・情動操作の「非物質的労働」をも搾取し、IT技術の中に積極的に組み入れる。アメリカ合衆国の共和制立憲原理(constitution)を世界に拡延し、フォード主義時代のニューディールの実験を経て、第二次大戦後にグローバルに広がったものである。ただしアメリカは、「帝国」の一部でしかなく、アメリカ軍は「帝国の警察」としてグローバル支配の中枢を担う。それは、国民国家の延長上の「帝国主義」ではなく、古代ローマに似た地球的「帝国」だ、と。
ネグリ=ハートは、湾岸戦争時の父ジョージ・ブッシュの「世界新秩序」とその後のグローバリゼーションの展開から、「国民国家の終焉」を伴う「帝国」概念を引きだした。そこから抽出された「帝国」に対峙する主体が、「国民」でも「人民」でも「民族」でも「労働者階級」でもない、スピノザ起源の「マルチチュード」だった。
ネグリ=ハートは、「帝国」の支配について、ローマ帝国が政体の違いを越えて安定した長期支配=「パクス・ロマーナ」を維持した点に注目し、ポリュビオスの政体論を援用する。国民国家型の超越的・一元的「主権国家=法の支配」よりも、現代の「帝国」には、異種混交的で問題領域毎に使い分ける、重層的・偶発的階層支配がふさわしい、と。
そこで具体的に示されるのは、グローバル政体システムの三層構造である。第一階層の中心にはアメリカ合衆国とG7・サミット構成大国、WTO・IMF・世界銀行などのエリート指導者が「君主制」的に君臨する。第二階層の多国籍企業や中小国民国家は、国連等国際組織や日米欧委員会、世界経済フォーラム(ダボス会議)等で「貴族制」的に秩序を維持し、第三階層では、各種社会団体、宗教団体、NGOにも「民会」風に発言権を与えて耳を傾け、この「民主制」を末端毛細管支配に組み入れて、最底辺の「マルチチュード」にも「参加」の回路を開いている。
フーコー風「規律・訓練」からドゥルーズ風「管理・統制」へと拡大・深化した支配手段も、「爆弾」=核兵器体系はアメリカ中心の「君主制」型だが、経済的支配の「貨幣」は米欧日多国籍企業や中小国家に「貴族制」的に配分され、「エーテル」=情報・情動・文化は「マルチチュード」の欲望・想像力を駆り立てつつ、多様なメディア、社会団体、宗教団体、労働組合等を広く「民主制」的にネットワーク化し、アクセス可能にしている。
ネグリ=ハートの手にかかると、しばしば「民主制」下で民衆の希望が寄せられるNGOも、かつての聖ドミニコ会・イエズス会修道士になぞらえて、「帝国」権力の柔軟で差異的な慈善活動の担い手とされる。
九・一一は「帝国」の「帝国主義」的退行? もっともネグリ=ハート『帝国』の叙述は、現実の歴史的展開となると、説得力を弱める。なるほど国民国家も多国籍企業もNGOまでを含む、使い分け支配の議論は面白いが、それならば、現に国際機関やNGOは数多く活動しているのだから、その具体的活動・機能を分析して「生権力」構造を抽出すべきだったろう。グローバリゼーションがらみのそうした分析は、WTO・多国籍企業批判の国際NGO=ATTAC(市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)ばかりでなく、国際投機を実際に操ってきたジョージ・ソレス『グローバル資本主義の危機』(日本経済新聞社、一九九九年)や世界銀行チーフ・エコノミストだったジョセフ・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店、二〇〇二年)のような、内側からの分析もある。ところがネグリ=ハートは、「権力」が身体・情動に達した「生政治」だとして「帝国」システムを鳥瞰するのみで、「グローバル・ガバナンス」はわずかに触れられるが、国際組織論・国際レジーム論等は無視され、国際法・国際連合の矛盾的機能(主権国家承認と主権の超国家的制限)から、単数形のグローバル・レヴァイアサン=「帝国」へと飛躍する。
だからネグリは、「帝国は平和を秩序化する」「マーケットは戦争を望まない」と理論的に前提していたため、九・一一からアフガン戦争・イラク戦争、アメリカ・ネオコン主導による単独行動主義・先制攻撃主義の展開に、やや戸惑ったようである。ちょうど、サミュエル・ハンチントンが、九・一一の悲惨にたじろぎ、「文明の衝突ではない、少なくともまだ……」と弁明したように(『ツァイト』二〇〇一年六六号)。
ネグリの九・一一から一周年のインタビュー、「『帝国』について」は語る。
しかし、「帝国」が「帝国主義」に退行・逆行したからといって、多国籍企業の「マーケットは戦争を望んでいない」に希望を託すのでは、実際に米英軍の砲火で破壊され殺伐された、アフガニスタンやイラクの民衆は浮かばれない。
ヴィリリオの「第一次世界内戦」 この点では、同じ「内戦」認識でも、ポール・ヴィリリオの「第一次世界内戦」の方が、説得力を持つ。ヴィリリオは、九・一一直後にいち早く、同時テロと報復戦争の「情報戦」的性格に注目した。
そして、アフガン戦争からイラク戦争への転回を見たヴィリリオは、これを「第一次世界内戦の始まり」と位置づけた。
グラムシの「機動戦から陣地戦へ」 ネグリ=ハートの「帝国」に、ヴィリリオ風「内戦」の視角を加味すると、グローバル化のもとにある<私たち>は、永続的な「従軍」状態にある。
確かに<私たち>の身体は、地震や洪水のような自然災害から地下鉄サリン、交通事故・通り魔殺人、薬害・遺伝子食品・医療過誤にいたる「危険」や「事故」の不安に取り巻かれている。「危険社会」で生きるには、「安全(safety)」では十分ではない。リスクを軽減し管理する「安全保障=セキュリティ(seculity)」が必要とされる。最初は政府の手で、ついで資本主義市場を介して。住民基本台帳や街頭カメラ、地球一望監視型盗聴装置エシュロンからインターネット検索エンジンにいたる「管理・統制」装置が増殖し、生活のすみずみに行き渡る。「反日分子」「敵性思想」は事前にチャックされ。予防的に管理される。
だが、<私たち>が、恒常的に「内戦」にまきこまれ、永続的「従軍」にあるということを、一九世紀的な「機動戦」的戦闘状態にあるという意味にも、二〇世紀的な「陣地戦・塹壕戦」的国民動員・銃後生活にあるという風にも、理解してはならない。イラクの自衛官やバグダッドの記者たちは、確かに「機動戦」に従軍している。日本政府・外務省や政党・巨大マスコミは、有事立法や憲法改正の「陣地戦」で「戦時体制」におこうとしている。しかし日本で日常的に生活している<私たち>が、すでに動員され参戦している主戦場は、二一世紀の「情報戦」である。
イタリア・ファシズム期の思想家アントニオ・グラムシは、『獄中ノート』で、「機動戦から陣地戦へ」の戦争形態の変化と政治の変容を解いた。
「機動戦(war of manoeuver)」とは、「戦争において敵軍要塞への突破口、すなわち自軍が奇襲して(戦略上)決定的な勝利もしくは少なくとも戦略方針において重要な成功を収めるのに十分な突破口を切り開く」ような、武装蜂起や奇襲であった(デイヴィド・フォーガチ編『グラムシ・リーダー』東京グラムシ研究会監訳、御茶の水書房、一九九五年、二七〇頁)。彼はここから、「軍事技術の政治術への読みかえ」、即ち「総力戦」「国民動員戦争」であった第一次世界戦争以後の戦争のあり方の変化に照応する政治の変容として、変革戦略の「機動戦から陣地戦へ」と応用した。グラムシの生きた時代に、この変化は、「市民社会」内での長期のヘゲモニー闘争、「受動的革命」と把握された。
かくして「産業的および文明にもっとも発達した諸国家間の戦争において、機動戦は戦略的機能よりも戦術的機能に格下げ」され、「同様の格下げは、少なくとも『市民社会』がきわめて複雑で(恐慌や不況など)直接の経済的要素の破局的な『急襲』に耐える構造となっているもっとも発達した諸国家に関して、政治術および政治学のなかで生じるにちがいない。市民社会の諸々の上部構造は、現代の戦争における塹壕体系のようなものである」(二七二頁)。――ここにはまだ戦車も航空機も登場しないが、これを政治的に読み替えると、「国家=政治社会プラス市民社会、つまり強制の鎧をつけたヘゲモニー」という、かのグラムシ的国家概念の定式にいたる。同じ問題を、同時代のヴァルター・ベンヤミンは、写真入り新聞や週刊ニュース映画の登場、「複製芸術」による「展示的価値」の台頭=「大衆の登場」と「アウラの凋落」のなかに見いだした。戦後のルイ・アルチュセール風に言えば、国家の「抑圧装置」に平行する「国家のイデオロギー装置」台頭である。
二一世紀の「陣地戦から情報戦へ」 しかし、こうした「陣地戦」的状況も、一九八〇年代には、新たな局面を迎えた。政治的「陣地戦」の民衆的果実であるヨーロッパ社会民主主義の福祉国家が、多くの国々で経済危機、財政破綻を経験し、「イギリス病」や「スウェーデン病」の声高なきめつけのなかから、二一世紀に受け継がれる支配のイデオロギー=新自由主義が勃興した。しかもそれは、「機動戦」段階の左翼政党や労働組合活動への直接的抑圧によってではなく、むしろ選挙と議会を通じて「国民合意」をとりつける「陣地戦」的手法で、支配的なものとなった。イギリスのサッチャーリズムがその先駆で典型であったが、アメリカのレーガノミクス、日本の中曽根内閣、西ドイツのコール首相も、同じ時期に同じ方向へと歩み始めた。
同時にテレビを中心にしたメディア政治が、組織と利益集団を基盤とした政党政治と併行し、それを補完するかたちで現れた。やがてグラムシに学んだスチュアート・ホールが、サッチャー首相登場を「権威主義的ポリュリズム」と注目したように、メディアや世論に訴えての政治が支配的なものとなった。高度資本主義国アメリカ合衆国の大統領選挙キャンペーンは、政治信条・政策を訴える理念的政治から、イメージやシンボル操作で有権者を掌握する感覚的政治へと変貌した。政治のアリーナ、政治スタイルが大きく変化し、その延長上での湾岸戦争やコソボ戦争は、直接軍事的な「機動戦」を残しながらも、国家間同盟・外交交渉や国連・国際法にいたる「陣地戦」、そして、国内世論はもとよりグローバル世論も関与する「情報戦(War of information」が、重層する姿で現れた。
しかも、第二次世界大戦で航空機による都市絨毯爆撃やヒロシマ・ナガサキの原子爆弾を体験し、「冷戦」型核開発競争やベトナム戦争で武器と暴力をエスカレートした。国際法上の「平和に対する罪」や残虐兵器禁止が進み、湾岸戦争では電子情報機器を駆使したピンポイント攻撃も現れた。機動戦・陣地戦自体が「情報戦」の様相を帯びて、文民攻撃は「誤射」とされ、一人の兵士の死にも国民への説明責任を果たさねばならなくなった。
<私たち>が「従軍」しているのは、このような歴史的段階の、地球的規模でも国民国家内でもヘゲモニー争奪の「内戦」をはらんだ「情報戦」である。テロや自爆行為が「貧者の核兵器」とよばれるのは「機動戦」局面での問題で、ニューヨーク世界貿易センタービルやペンタゴン(米国国防総省)ビルを破壊してある程度「陣地戦」的打撃を与えたとしても、その民衆的意味と効果は、むしろ「情報戦」の象徴的レベで決せられる。正統化できないテロや暴力は、「戦時体制」強化の格好の口実となる。
同様に、米英軍が圧倒的なハイテク兵器でバグダッドを陥落させ、サダム・フセインを逮捕しても、それは「機動戦」レベルの「勝利」にすぎず、その後の占領・復興統治の「陣地戦」で絶えず正統性が再審される。「情報戦」では、「テロ支援国家への戦争」が「イラクの大量破壊兵器」に、そこで開戦して大量破壊兵器がないとわかると「サダム・フセインの圧政打倒」から「中東民主化」へと、正統化根拠が変容する。「捕虜虐待」がスクープされるとそれも色褪せて、文字通りの警察官風「治安維持」に専念するしかなくなった「イラクのベトナム化」は、「大義なき戦争」の末路を示している。
主戦場での「平和の道徳的優越性」 おそらくこの局面で「平和」を語るには、丸山真男『自己内対話』の以下の一節が、もっともふさわしいだろう。
ただしこれも、機動戦・陣地戦の局面を「戦術的」に残し、そこで多くの犠牲者を生み「戦争ビジネス」さえ跋扈させるという意味では、なお戦争であることに変わりがない。
丸山真男は、一九六〇年安保闘争直後に述べていた。
<私たち>が従軍した戦場が、ここにある。この「情報戦」段階においては、「平和の道徳的優越性」が、それ自体として、戦争の政治の帰趨を決する。しかもそれは、「戦争の正統性」をめぐる民意の争奪戦として、機動戦・陣地戦終了後も、絶えず問い直される。九・一一以後の戦争は、「終わりなき戦争」となる。
「陣地戦から情報戦へ」への新しい展開のなかでは、人権・自由・公正・連帯・民主主義・正義・平和・環境といった、普遍的価値へのコミットメントを迫られる。だから情報戦は、他者を安易に「仮想敵」と設定したり、指導者を「ヒーロー」に仕立て上げても、たえず権力は拡散し、正統性がゆらぎ、「大衆の世論」に監視され、包囲される。塹壕やトーチカそのものが溶解・拡散・浮遊し、言説にさらされ、再審される。
こうした時代の「平和の政治」とは、「情報戦」が続く限りでの対抗的反戦運動であるとともに、「戦争と政治の読み替え」自体を超えた非戦の原理=「仮想敵をもたない非暴力・寛容・自己統治の政治」がオーバーラップし、重層化するものとなる(詳しくは、加藤『二〇世紀を超えて』花伝社、二〇〇一年、序章、及び拙稿「グローバル情報戦時代の戦争と平和」日本平和学会『世界政府の展望』、二〇〇三年、所収、なお、本稿二・三章はこれらの要約であり、重複する部分があることをお断りしておく)。
情報戦は国境を超える 「帝国」の時代にあっても、国民国家は、なお重要な意味を持っている。自治体・企業・NGO・NPO・市民運動をもアクターとする「グローバル市民社会」「グローバル・ガバナンス」も生まれつつあるが、さしあたりは国家のヴィザやパスポートなしでは、自由な行き来はできない。<私たち>はなお、ローカル・ナショナルのくびきから解放されてはおらず、「ガバメント=政府」の法のフィルターを通して結びつく。
だから「従軍」は、いまなお国民国家の支配下にあり、国家間関係の「規律」に拘束されている。たとえ「帝国」の「君主」で「警察官」であるアメリカ・ネオコンによる横暴――「テロとの戦争」の単独行動主義、先制攻撃主義――に、「貴族」国家日本が率先して加わったものであっても、「自衛隊」という軍隊とその派兵による占領支配に責任をもつのは、ひとまず日本国籍をもつ<私たち>である。だからこそ、国境を超えて活動しようとした五人の日本人は、占領支配に対して抵抗しようとするイラク武装勢力に拘束され、この国では「自己責任」を問われ、その対極に「反日分子」発言が飛び出したのである。
ネグリ=ハートが単数形の「帝国」の対極に設定した「マルチチュード」は、「帝国」を喚起し生成せしめた応答的主体で、資本に搾取され従属させられた具体的で多種多様な多数民であった(脱超越性・脱神秘性)。「国民」「人民」「労働者」「市民」等と一元的に規定しえない自然的身体であった(脱代表性)。もちろん「民族」でも「第三世界」でもなく、「帝国」システムに内部化された潜在的・構成的な主体で、すでに資本の自己組織系の管理統制下にあり、「生権力」の剰余を奪われているが、その自然的身体の欲望・感情は無限に多種多様で、「抵抗は不滅」であるとされていた。
もっともその「抵抗」の形態として、ネグリ=ハートが述べるのは、「国家権力の奪取」や「大きな政府」ではなく、労働・搾取とあらゆる権威の拒否、「ノマド(遊牧民)的移動」と「脱走・脱出(エクソダス)」である。それを「代表」せずに「構成」する能動的・構築的・創造的な「闘士militant」たちが媒介するが、さしあたりのプロジェクトは「グローバル市民権」「社会賃金」「生産と知の再領有」であり、「抵抗を対抗権力化」し「いかなる権力にも統制されない革命」へ向かうと理論的に想定された。
だが、現実のマルチチュードは、容易には国境を超えられない。一つの国境を越えても別の国境が現れる。国籍・パスポートのスタンプ付きで、移民・難民・外国人労働者として「帝国」内を彷徨し、それぞれの国民国家の差別・格差構造のなかに組み込まれる。機動戦の中では、ガザのパレスチナ人やファルージャのイラク人のように、空爆・虐殺、拷問・虐待の地獄さえ待ち受けている。だからこそ機動戦では、自爆テロやハイジャックの絶望的戦術に訴える者が現れる。陣地戦では、選挙による政権交代、福祉政策や労働組合による賃上げ・労働条件改善がありえても、国民国家の規模を越えることはほとんどなく、IMF・WTOや多国籍企業による搾取・収奪・危機管理に対抗できない。時に世界的な統一行動や地域的連帯行動が組まれても、おおむね一過性の出会いと交流に留まる。
情報戦においてはじめて、<私たち>は、国境を越えた民衆的連帯を恒常的に創りだし、各国政府や多国籍企業をも動かしうるネットワークを、組むことができる。電話・ファクス・インターネットの網の目を通じて、衛星テレビの映像やDVDの音楽・芸術作品の流れを通して、互いに結びつくことができる。
世界社会フォーラムの希望 希望は、ないわけではない。二〇〇一年一月に生まれた世界社会フォーラム(World Social Forum, WSF)である。WSFは、今日進行する資本のグローバリゼーションに「もうひとつの世界は可能だ」を対置し、九・一一以後の世界の平和運動を結ぶ連接環となっている。大国政治家・官僚、多国籍企業経営者の「世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)」に対抗して、毎年一月末に世界のNGO・社会団体・宗教者・知識人が集まり、民衆的政策提言を練り上げている 。
それは「帝国」に対抗して「もうひとつの世界」を求める潜在力である。ただし、ネグリ=ハートのいう「帝国」が未完成であるように、あくまで可能性のレベルで。一〇万人を集めた世界社会フォーラム二〇〇三年一月総会で話題をよんだのは、ノーム・チョムスキーの講演「帝国に抗して」であった。それに応えて二月一五日には、世界で一五〇〇万人が、開戦前のイラク戦争反対行動にたちあがった。しかし、チョムスキーの含意は、ネグリ風「帝国」よりも、対イラク戦争を急ぐ「帝国アメリカ」であった。多種多様な個人・団体が集まったが、その主力は、ネグリ=ハートが「資本への包摂」を理論的に危惧したNGO・NPOであり、各国各種議員を集めた「国際議員フォーラム」が、ようやく軌道に乗った。彼らが超越論的だと批判する「人民」「市民」「市民社会」はWSFの主役であり、「グローバル市民社会」の構成が、当面の課題とされている。
だから、二〇〇四年一月、初めてポルトアレグレを離れてインドのムンバイに集ったマルチチュードたちは、会場で記念論集『帝国に挑戦する』を公刊したが、その英語原題はChallenging Empiresと「帝国」を複数形で語っていた。ネグリ=ハート風「帝国」の兆候は、あらゆる領域に現れてはいるが、それは軍事・経済・政治・社会・文化の領域毎に不均衡で、オーバーラップしあい、どこでも完結してはいない。要するに、国民国家も議会制民主主義も政党政治も、終焉してはいない。日本ならさしあたり、サマワの自衛隊派兵と憲法問題が、陣地戦と情報戦の重層した、主舞台になる。
世界社会フォーラムは、そうした「古い政治」と「新しい政治」の狭間に介入しながら、「帝国」ICT技術の所産であるインターネットを駆使して、各国単位の運動をネットワーク風に組織し、時にマルチチュードを街頭に駆り立てる。しかし民衆は、自分の生活圏、足元からしかグローバル化しえない。まずは「従軍」を強いる国家と対峙すること、情報戦のグローバルなネットワークに参戦し従軍すること、そこから、平和への道筋が見えてくるだろう。
そして、「平和の道徳的優越性」は、マイケル・ムーア監督作品「華氏九一九」のカンヌ映画祭パルムドール受賞のような仕方でも、喜納昌吉&チャンプラーズがインターネット上で訴えるこんな言葉によっても、創造することができるのである。――「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争よりも祭りを、すべての人の心に花を!」