石堂さんなら、9.11以後の世界に、どう語りかけただろうか?

 

加藤 哲郎(一橋大学、政治学)

                           

 

 9月1日、フィンランドの森に滞在中に、日本経済新聞の毛糠記者から、電子メールが届いた。石堂清倫さんの訃報だった。享年97歳。つい先日、『20世紀の意味』(平凡社)を送っていただき、書評を書いたばかりであった(『エコノミスト』8月14日号)。その「返歌」を、『20世紀を超えて──再審される社会主義』(花伝社)という、久しぶりの拙著でお届けする矢先だった。残念である。心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りしたい。以下の一文は、個人ホームページ「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」トップに掲げたものに、加筆したものである(http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml)。

 夏休みの世界一周は、去る4月に亡くなったシドニーの友人ロブ・スティーヴンの墓参りもあったが。主たる目的は、石堂さんから激励され、助言を受けつつ進めてきた、「現代史の謎解き」の補充調査だった。飛行機の中で読んだ新刊『林芙美子 巴里の恋』(今川英子編、中央公論新社)で、ドイツ・ナチズム台頭の直前、パリで林芙美子が恋した相手が、建築家白井晟一と特定できた。その白井が、1932年ベルリン大学に入学して、鈴木東民が始めたワイマール末期在独日本人向け日本語新聞「ベルリン週報」(または「ベルリン通信」)の後継編集者となり、その後野坂参三・国崎定洞のいるモスクワに留学していることから、「在独日本人反帝グループ関係者名簿」に新たな一頁を加えるべく、「生き証人」である石堂さんにお尋ねするはずだった。アメリカでは、日系移民労働運動指導者健物貞一について、当時を知るサンフランシスコの小橋川次郎さんらから話しを聞くことができ、英文『日系アメリカ人歴史百科』の記述などいくつかの資料をみつけ、ロシアに住む遺児アランさん、岡山の健物家に届ける材料を収集することができた。石堂さんは、私のこうした「国際歴史探偵」の成果を喜び、いつも的確な証言で、資料の意味を解説してくれた。それらはすべて、今やかなわぬ夢となった。とりあえず弔電を打ったが、戦前社会運動史研究の方は、もう独力で切り開いていくしかない。

 その10日後に、今度は一旦帰国後の韓国滞在中に、アメリカでの同時多発テロの衝撃的映像を見ることになった。ただちに考えた。石堂さんならどう考えるだろうかと。1月に病院でお会いした際の最期の話は、満州事変と石原完爾の誤算だった。その内容は、遺著『20世紀の意味』の最終章にある。「聖戦」の無意味を説くと共に、それが「直接間接に国民の支持」を得て行われたことを問題にしている。「『転向』再論」における日本の共産主義者の「転向」と中国共産党の「反共啓事」登録との対比も、戦争とナショナリズムにどう有効に対抗しえたかを、歴史的基準にしていた。メーデー歌「聞け万国の労働者」の本歌が、一高寮歌「アムール河の流血や」であり、戦時中には「日本陸軍の歌」になった話も、強く印象に残った。

 9月末に刊行された拙著『20世紀を超えて──再審される社会主義』は、石堂さんの遺言となった「転換を果たせなかった世紀」「永続革命から市民的ヘゲモニーへ」を、強く意識して書いた。20世紀を「戦争と革命の時代」とホブスボーム風に総括すると、その戦争自体が、グラムシの「軍事技術の政治術への読み替え」である「機動戦」「陣地戦」から「情報戦」へと、グローバルに移行してきた。それに対する抵抗も、メディアやインターネットを駆使したネットワーク型になってきた。「政治の延長としての戦争」が「戦争の延長としての政治」を産みだし、政治のアリーナも大きく変貌した。しかし、21世紀の課題は、「戦争」そのものを超えて、紛争の非暴力的解決、信頼と寛容の政治を復元することではないか? そのための原理的考察を、石堂さんの遺言を引きつつ、グラムシ、ベンヤミンから丸山真男・インド憲法まで動員して書き下ろした。新著を石堂さんの霊前に捧げるとりあえずの追記は、責了直前に間に合った。石堂さんが亡くなった10日後に、新たな「戦争」が勃発したのでは、遺言に答えたことにはならない。新著では石堂さんと丸山真男を多用したが、「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ平和の道徳的優越性がある。革命もまた戦争よりは平和に近い。革命を短期決戦の相においてだけ見るものは、『戦争』の言葉で『革命』を語るものであり、それは革命の道徳的権威を戦争なみに引下げることである」という丸山の言葉を受けて、「市民的ヘゲモニー」の活動を始めた。「イマジン」という「テロにも報復戦争にも日本の戦争支援にも反対」の特別ホームページをたちあげ、チョムスキー、ダライ・ラマから宇多田ヒカル・中田英寿までつないだ、世界の平和を願う人々とのネットワークをつくった(http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/imagine.html)。そこに毎日、数百人の人が訪れる。だから私の中では、石堂清倫さんは10日後に蘇った。そして毎日、ヘゲモニーを創造している。


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