本書を手にして、同じ表題の岩波新書を思い出した。アメリカの経済学者ケネス・ボールディングが、1964四年に書いた『20世紀の意味──偉大なる転換』は、1967年に、清水幾太郎訳が出ている。
ボールディングは、約五千年前に始まる「文明前社会」から「文明社会」への「第一の大転換期」を経て、20世紀を「文明後社会」への「第二の大転換期」とした。随所にみられる「日本の発展の成功」をはじめ、当時の楽観的トーンは否定できないが、彼は同時に、「四つの落とし穴」を指摘していた。第一に戦争、第二に途上国の経済的離陸の困難、第三に人口増加、第四にエントロピー、つまり資源・エネルギーの枯渇──60年安保闘争の指導的知識人であった訳者の清水は、この頃から国家主義的ナショナリズムに傾き、日本の核武装まで説いて没するが、原著者のボールディングは、むしろ「四つの落とし穴」の理論的解明に向かい、「宇宙船地球号」の提唱者となり、クェーカー教徒の夫人と共に、地球環境問題の理解者・教育者、平和学の創設者となった。
社会主義者石堂清倫の『20世紀の意味』は、これを直接意識したものではないが、清水幾太郎の道に警鐘を鳴らし、ボールディングの道と共鳴したことは、まちがいない。
氈u20世紀の意味──『永続革命』から『市民的ヘゲモニー』へ」、「転換を果たせなかった世紀」、「「ヘゲモニー思想と変革への道──革命の世紀を生きて」に見られるように、アントニオ・グラムシのヘゲモニー概念と「機動戦から陣地戦へ」のテーゼを深めながら、西欧ではパリ・コミューン以降、レーニンでは1921年以後、ソ連の新経済政策とコミンテルンの統一戦線戦術採用が不可避となった陣地戦の時代に、スターリンやコミンテルン=日本共産党の革命構想は対応できなかった、とする。石堂は本書で、女性運動・環境運動など日常生活の中での分子的変革の必要を内省し、ガンジーの非暴力抵抗に注目して、マルクス主義を捨てずにボールディングに近づく。」「日本の軍部」でアジア・太平洋戦争を回顧し、清水幾太郎的国家主義と鋭く対立する。同時に、なぜ民衆が軍部の満州事変・中国侵略に従ったのか、共産党の打倒対象とした天皇制の統合力がいかに強固であったかという「転換を果たせなかった」反省の中に、変革勢力のヘゲモニーの問題が見いだす。
清水幾太郎的歩みとボールディング的歩みの分岐点で問題になるのが、。「『転向』再論──中野重治の場合」である。初出時から大きな反響をよび、鶴見俊輔・鈴木正・いいだももの同題の書物が編まれた(平凡社、2001年)。
評者も、本書刊行直後の『エコノミスト』誌2001年8月14日号の短評で、「親友中野重治を素材に、戦前共産主義運動を論じた『「転向」再論』は、日本思想史に長く残る共有財産となるだろう。石堂はこの思索で、『裏切り者』『脱落者』として切り捨てられた何千何万のかつての仲間の魂を救済した。それは、戦後共産党の『顔』であった野坂参三の晩年と正反対の深い自己批判=自己変革で、同じく90歳を越えた宮本顕治に歴史の審判を下すものである」と評した。
実は、この短評を著書に送って、夏休みの海外調査に発ち、帰国後本人の意見を聞こうと思っていたところに、フィンランドで電子メールの訃報を受け、『社会主義理論学会会報』に追悼文を書いた。その喪失の意味については、鶴見俊輔、澤地久枝、田畑稔、木村英亮らがそれぞれに述べているので、ここでは触れない。
むしろ、本書の遺言を受けて、残されたものがいかに思考すべきかという観点から、再論しておきたい。一つには評者なりに遺言を受けて、『20世紀を超えて──再審される社会主義』(花伝社、2001年)という書物を公けにしたからであり、いまひとつは、最近『わが友 中野重治』(平凡社)が刊行されて、著者の晩年の中野重治との交友がまとめられ、遺言の意味がいっそう明らかになったからである。
著者が中野重治に引きつけて「転向」を再考する契機は、いくつかある。そもそも「転向」が日本共産党では佐野学・鍋山貞親という最高幹部から始まったこと、その組織がコミンテルン信仰と「鉄の規律」で縛られ指導部にさからえない構造だったこと、当時の方針が天皇制打倒という国民から遊離した自殺戦術であったこと、「転向」の語自体官憲が案出した宣伝用語だったこと、同時代に中国共産党は劉少奇の指示でたとえ「反共啓事」に署名してでも獄中につながれ続けるよりは獄外の戦線に復帰すべきだとする戦術を採っていたこと、等々ムムこの間旧ソ連秘密文書から戦前日本共産党の自壊というべき無惨な記録を発掘し、著者石堂に考証してもらってきた評者は、これに深く共感する。同時に、「非転向」がなぜ共産党内のみならず戦後知識人の「悔恨共同体」で大きな「権威」を持ち得たのか、「獄中十何年」の「権威」が中野重治や山本正美の「後ろめたさ」を昂進した構造の総体が、再審さるべきだと考える。
ヘゲモニーの観点からいえば、著者がグラムシから得た「機動戦から陣地戦へ」の中で、20世紀に社会民主主義的福祉国家の果たした役割を、正当に再評価すべきだろう。著者も本書では、西独「社会国家」に注目している。ただしグラムシの発想が、当時の軍事戦略・戦術と階級闘争のアナロジーで構成されていた以上、戦争のあり方そのものが「陣地戦から情報戦へ」と変貌した21世紀には、戦争とのアナロジーから離れたガンジー的「非暴力・寛容・自己統治の政治」を考えることも必要だろう。
アメリカのミリアム・シルバーバーグが中野重治をベンヤミンと比して論じたように、石堂清倫を「日本のグラムシ」になぞらえたい誘惑にもかられるが、グラムシの二倍以上を生きて、ソ連崩壊まで見届けた石堂には、本意ではあるまい。むしろ、20世紀日本のかけがえのない個性、希有な革命家・思索家・歴史の語り部として、膨大な書簡や座談会記録等、残された遺産の更なる公刊を期待したい。
(平凡社、2001年7月、2500円) (かとう・てつろう)
(『歴史評論』第630号、2002年10月号書評のネット版オリジナル)