平井規之追悼文集刊行委員会『平井規之を語る 追悼文・遺文・エッセイ』(2002年8月)所収
平井さんには、一九八〇年に一橋大学着任以来、経済学と政治学と専門分野は違ったが、いろいろなかたちでお世話になった。故高須賀義博さんに連れられて一緒に飲んだり、拙著にいろいろコメントいただいたり、平井さん監修の米国経済白書を毎年いただいたり、公私ともに得がたい先輩だった。同じ時期に大学闘争を経験し、マルクス学の刷新を目指したため、全国的な場や研究会で一緒になることも多かった。
一九九四年に拙著『モスクワで粛清された日本人』(青木書店)をお送りしたさい、長文のファクスをいただいた。社会主義にあこがれて旧ソ連に入り、日本人であるというだけで「スパイ」と疑われ、粛清されていった人々への鎮魂歌である拙著の「エピローグ」を、『資本論』第一巻「価値増殖過程」の一節から引いて、「地獄への道は、無数の善意で敷き詰められていた」と題したのだが、平井さんは、じっくり終章まで読んでくれたらしく、「全く同感だ」としながらも、それをマルクスの言葉として締めくくることに疑問を呈した。その出自について、『聖書』からマルクスに使われるまでの経緯を逐一調べて、懇切丁寧にご教示いただいた。平井さんは、旧ソ連の悲劇がマルクスに内在するものではなく、人類史の普遍的問題に関わるものなのだ、といいたかったのだろう。
もう一つの事情が、あったのかもしれない。私は大学卒業後、石堂清倫さんらが基礎をつくった大月書店編集部に在籍し、マルクス、エンゲルスの翻訳にも従事していた。入社して最初の担当が、国民文庫版『資本論』全九冊で、初校・再校・三校と三回は全巻を読み通したことになる。ところが誤植探しの「労働」としての『資本論』通読はちっとも身につかず、今でも学生時代に「運動の必要」のために読んだ長谷部訳の方が、ずっと頭に残っている。一度酒席で高須賀さん・平井さんにこの話をし、「使用価値の復権」の文脈で、これは「価値と使用価値」の問題に関係するのではないか、とからんだことがあった。平井さんは当時、新日本出版社版『資本論』新訳に取り組んでおり、妙に真剣に受けとめてくれた。岩波書店の向坂逸郎訳はもとより、青木書店の長谷部文雄訳や大月書店の岡崎次郎訳も超える決定版を作る、と意気込んでいた。その新日本版には、「地獄への道……」の箇所に、「罪人の歩む道は平坦な石畳であるが、その行き着く先は陰府(よみ)の淵である(旧約聖書続編、シラ、二一-一〇)に由来し、のちにイギリス、ドイツの諺になった」と訳注が付されている。ちゃんと自分たちの訳は昔の約束を果たしているぞ、といいたかったのだろう。
義理堅い人だった。「天国への道は、懐疑で充たされている」とまではいわなかったが、「すべてを疑え」を座右に、個別から普遍を見るその精神は、病に冒され、好きなお酒を断たれても、変わらなかった。亡くなって数週間後に起こった九・一一テロ事件後のアメリカ社会について、辛辣な批評を聞きたかった。大切なときに惜しい人を喪った。
平井さん、安らかに。合掌!