書評のページ


『週刊 エコノミスト』リレー書評「歴史書の棚」(2005年上半期)

 以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。                        加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)


大田昌秀『沖縄戦下の米日心理作戦』(岩波書店)

多川精一『焼跡のグラフィズム――「フロント」から「週刊サンニュース」へ』(平凡社新書)

 

 60年前の6月、米軍が上陸した沖縄は、軍民24万の命を絶つ戦場だった。「国体護持」に固執した日本軍は、沖縄を本土の「捨て石」にした。

 沖縄戦の悲惨を、1925年沖縄生まれで摩文仁の丘にこもって戦った青年が、60年後に歴史として再構成する視角は、心理戦・情報戦だった。 

 大田昌秀『沖縄戦下の米日心理作戦』(岩波書店、3900円)は、琉球大学教授・沖縄県知事を経て現参議院議員の著者が、60年間の省察をまとめた渾身の作である。本土には「玉音放送」による終戦があったが、沖縄には玉砕しかなかった。住民の三分の一を失った沖縄戦で生死を分けたのは、米軍の投降宣伝ビラや拡声器のよびかけにどう応じたかだった。自分の生と友の死を分けた体験を米日心理戦争として客観化し、その意味を探る。

 沖縄人全体を「潜在的スパイ」と見なし、方言を禁止して集団自決を強いた日本軍の内向き言論統制と、人類学者・地理学者が助言し、本土の沖縄差別を利用して八百万枚のビラを降らせた米軍心理作戦の対照。正確な戦況・事実を伝え、敵兵を殺すより捕虜にし、沖縄弁で投降を呼びかけさせれば味方の犠牲も減る一石二鳥と計算した米軍の冷徹な合理性と圧倒的な物量作戦。勝負は、始めからついていた。

 学問的叙述の間に、マラリヤ病地帯に強制移住させられた波照間島民の無念、ハワイから沖縄の人々を救うため手作り宣伝ビラを米軍機に撒かせた「コナの変人」賀数箸次の話を入れて、平和への想いを託す。戦時日米情報戦体制の分析は、今日では史資料的に物足りないが、多忙な議員活動の合間に学術書を仕上げた著者に敬意を表し、後の世代への宿題と受け止めよう。

 大田本に出てくる日本陸軍の心理戦を、23年生まれの多川精一『焼跡のグラフィズム――「フロント」から「週刊サンニュース」へ』(平凡社新書、720円)で描く。東方社の岡田桑三・林達夫・木村伊兵衛らは、無責任な軍官僚の目を盗み、旧左翼を集めた。戦後のグラフ雑誌に軍宣伝誌『フロント』の紙やインクと技術が使われ、出版・映画界に花開く。沖縄とは大分違う。本土ならではの明るさか。

(『エコノミスト』2005年6月14日号掲載)


有田芳生『私の家は山の向こう──テレサ・テン 十年目の真実』(文藝春秋)

横堀洋一編『ゲバラ──青春と革命』(作品社)

 

 ヴァルター・ベンヤミンが再生可能な複製芸術登場から伝統芸術の「オーラ(霊気)の凋落」と「大衆の登場」を述べた時、活字文化の変容とはせいぜい写真入りグラフ雑誌だった。

 有田芳生『私の家は山の向こう──テレサ・テン 十年目の真実』(文藝春秋、1857円)と横堀洋一編『ゲバラ──青春と革命』(作品社、一八〇〇円)。一見無関係な2冊は、ベンヤミンの眼で見ると、現代史を記録する実験を孕む。秘蔵写真と共に、主人公の肉声CDが付録についている。

 有田の『私の家は山の向こう』は、アジアの歌姫テレサ・テンを追いながら、パリで始まり、香港で終わる。「台湾の美空ひばり」は、中国大陸から逃れてきた一家の経済を、幼時から支えた。日本デビュー時の宣伝用コピーは「香港の赤いバラ」だった。デビュー曲は売れなかったが演歌調に切替えヒット、ビキニの水着は拒否しワンピースで押し通した。父の生まれた大陸では、文化大革命の嵐の時期である。

 文革終焉で「何日君再来」が大陸にも流れ大ヒット、中国からすれば「精神汚染」だが、テレサの名声はアジア全域に、足場はアメリカ、シンガポール、イギリスへと広がる。一度夢見た北京の百万人コンサートは断念し、89年5月天安門前の学生に連帯して香港30万人集会へ飛び入り絶唱。そこで初めて歌った望郷と抵抗の歌が本のタイトルで、付録CDに復元された。元歌は中国民衆の抗日抵抗歌だった。

 パリに移って民主化運動を助け、謎の死はタイ――テレサの生き様は、気高く厳しい。日本人が安易に語る「東アジア共同体」に警鐘を鳴らす。

 横堀編『ゲバラ』もまた、故郷を喪失した放浪の革命家の39年を、15人の記憶と記録で再生する。アルゼンチンの医学生ゲバラが、なぜキューバの革命に加わり、ボリビアで虐殺されたのか。学生時代の南米大陸横断バイク旅行に秘密がありそうだ。女性同志タニアの生涯と詩、CDに入った歌うようなゲバラの演説が、ゲリラ戦士の決意と心情を哀しく浮き彫りにする。

 テレサとゲバラの軌跡は地図上では交叉しない。だが自由を求める歌声と演説は共鳴し、強く長く残響する。

 

(『エコノミスト』2005年5月17日号掲載) 


エレノア・M・ハドレー『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社)

『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』(和歌山大学歴史学・海津一朗研究室)

 

 戦後60年ともなれば、戦争の記憶を持つ人は少ない。本誌の読者でもGHQの財閥解体・独占禁止法制定の立役者だった経済学者エレノア・M・ハドレーをどれだけ覚えているか。

 そのハドレー女史が存命で、協力者を得て『財閥解体 GHQエコノミストの回想』(R・A・フェルドマン監訳、東洋経済新報社、2200円)を著した。名著『日本財閥の解体と再編成』前後の記憶を、淡々と語った。

 学生時代に日米学生会議代表として来日し、2・26事件後の日本社会を体験、ラドクリフの大学院でシュンペーターら黄金時代のハーバード経済学を聴講、開戦と共にOSS(戦略情報局)と国務省で日本の産業分析を担当した。

 そこで国務省の「ジャパンデスク」と、彼女の属した新設経済局で、戦後日本の財閥の扱いで対立する話が面白い。外交官たちは、旧知の財界人を見逃そうとした。若き経済アナリストたちは、統制経済で軍部に協力し利益を得た財閥を民主化・自由化の障害と考えた。

 対立は敗戦・占領下の東京に持ち込まれた。今度はGHQ内ケーディスの民政局(GS)対ウィロビーの悪名高きG2。美貌のニューディーラーとして名を馳せたハドレーは無論GS、日本国憲法に男女平等を書き込んだベアーテ・シロタと親友だった話に納得。

 しかし、女性解放と財閥解体は違った。ハドレーは、帰国後ウイロビーに「非米」と密告され、マッカーシズムで17年間公務に就けず。その名誉を回復して復活する話が、もう一つのドラマ。

 戦争に翻弄された女性は、日本にも無数にいた。そんな一人、ゾルゲ事件の最初の逮捕者北林トモの人生が、和歌山大の学生たちの聞き書きで甦った。『粉河での日々――北林トモ<反戦平和の信念を貫いた女性>資料集』は昨年春の展示会記録集で新証言満載(和歌山大海津一朗研究室、1000円)。

 ゾルゲや尾崎秀実のような使命感も情報分析力もないアメリカ帰りの「普通のおばさん」が、旧知の宮城与徳に日常些事を伝えただけで「スパイ」視され、拷問され、獄中発病死した悲劇。   

 横浜事件の再審がようやく認められた。治安維持法もマッカーシズムも、今一度全体が裁かるべきではないか。

 

(『エコノミスト』2005年4月12日号掲載)


エリック・ホブズボーム『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂)

 

中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)

 

 歴史家も歴史の中に生きる。その生き様は、書かれた歴史に忍び込む。

 エリック・ホブズボームといえば、イギリスのみならず20世紀世界を代表する歴史家の一人。1917年ロシア革命と共に生まれ、冷戦崩壊・ソ連解体で「短い20世紀は終わった」と一早く宣言した。「長い19世紀」に比して20世紀は「極端の時代」だったと鳥瞰図を示し、彼の属した左派陣営のみならず、多くの読者を得た。

 そのホブズボームが『わが20世紀・面白い時代』(河合秀和訳、三省堂、4400円)と題し自らの軌跡を振り返ったのだから、読まない手はない。実際読んでのお楽しみ、すこぶる面白い。帯の「驚異の私史」は言い過ぎにしても、著書の秘密を発見できる。

イギリス国籍はその通りだが、生まれはエジプト、育ちはウィーン、父はボクサー上がりで母は作家、15歳で共産党に入るのはヒットラー政権直前のベルリンだった。つまりはドイッチャーと同じ「非ユダヤ系ユダヤ人」で故郷なきディアスポラ。同じくロシア革命を評価しても、外交官紳士E・H・カーと一味違うのに合点がいく。

 ある意味でホブズボーム以上にラディカルに、20世紀の日本史像を刷新したのは網野善彦。こちらも晩年に内面の記録と記憶を遺したが、中沢新一という書き手を得た『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書、660円)とくれば、これも絶対見逃せない。

 父の妹が嫁いだ夫についての語りだが、その思想的絆は「同志」という言葉がふさわしい。超越論と訳されるトランセンデンタルな宗教的求道が、網野・中沢のみならず、甲州中沢家に脈々と受け継がれてきた。新一の父の弟中沢護人が、とりわけ興味深い。キリスト者で共産党に無関係なのに横浜事件で捕まり拷問されたため、戦後は共産党に入党した。志賀義雄秘書まで勤めて失望、再びキリスト教に戻り、戦後翻訳界の金字塔ベック『鉄の歴史』全17巻を仕上げた。そんな濃密な絆が、いかに網野史学に入り込んだかの検証は、後世史家のなすべき仕事。

 ホブスボームといい網野といい、20世紀こそ「共産主義の妖怪」の時代だったと、改めて思い知らされる。

 

(『エコノミスト』2005年3月15日号掲載)


黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社)

 

 

山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書)

 

 東北生まれの評者には、日本史で重要だがわかりにくい領域がある。いわゆる部落問題である。黒川みどり『つくりかえられる徴(しるし)――日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社、2400円)は、明治解放令以後130年の社会変容に即した流れを、わかりやすく読み解く。

 四民平等も文明開化も「新平民」への差別をなくすものではなかった。むしろ人種主義や進化論で被差別部落朝鮮人起源説のような階層的序列固定化をもたらした。米騒動・水平社に始まる部落住民自身の「誇り」の運動も、戦争が始まると「国民」へと同化するエネルギーに吸収された。戦後の解放運動・同和教育・対策事業でようやく前進を示すが、それは在日朝鮮人、沖縄・アイヌ、女性差別へと「人間みな兄弟」の視野が広がる過程だった。

 三重県をフィールドに「文明」「衛生」「民度」といった近代国民国家形成に伴う「徴」が新たな差別を産み出すメカニズムの分析が説得的だ。

 山下力『被差別部落のわが半生』(平凡社新書、740円)は、戦後の解放運動の歩みを内側から物語る貴重な証言。かつて「糾弾屋」と呼ばれた著者が、率直な語りで運動の功罪を振り返る。現職県議で奈良の解放運動を牽引してきた著者は「解放されるとは、部落民であるという劣等感や後ろめたさをなくすこと」「部落の内にも外にもいいヒトも悪いヒトもいる」という。

 野球グローブやスパイクを作る低賃金の職人技が、アメリカ黒人・プエルトリコ人との国際競争でも部落の家内工業を安定させていた。やがて韓国・台湾が参入すると、失業・就職差別が重くのしかかり「糾弾活動」先鋭化のバネとなった。その体験を著者は、障害者や女性・ユダヤ人を含む普遍的な人権闘争へとつなぐ。大化の改新に遡る肉食タブー史の見直しも刺激的だ。

 破天荒な生き様を時に軽妙に語り、映画化すれば面白そうだ。だが背負った歴史はずっしり重い。ひるがえって「差別した側」が「堂々と普通に」問題に向き合う展望は心許ない。「徴」とは象徴である。部落の対極にあった天皇制の問題を含めて、ボールは「差別してきた側」に投げられている。

 

(『エコノミスト』2005年2月15日号掲載)


平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)

 

 

ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版)

 

 

 昨年の思想史学の話題作は、平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書、720円)。新聞記事にもなったが、なぜか本格的書評は少なく、インターネット上で活発に議論されている。

 なにしろ対象は一万円札の福沢諭吉。現行定本である岩波書店版「全集」中に福沢の著作とはいえない『時事新報』無署名論説が多数含まれていて、これまでの福沢論、それも争点の「脱亜論」や天皇論が、弟子の石河幹明が編纂した大正版「全集」に恣意的に収録された石河自身の論説と伝記を典拠に論じられてきた。満州事変後の国家主義的風潮のもとで、そのまま昭和版「続全集」に踏襲され、時局にあわせた国権主義者福沢像が作られ受容された。このカラクリを、福沢書簡での弟子たちの評価、個々の論説の成立事情、文体比較、「全集」各版編集過程に立ち入り論証した謎解きは圧巻。

 説得力を増すのは、ではなぜ民権論者福沢がアジア蔑視の拡張主義者にされたかを、戦後の服部之総・遠山茂樹らマルクス主義史学による「ブルジョア的」福沢批判と福沢を評価する「近代主義者」丸山真男批判の重合、竹内好による虚像増幅の経緯にまで目配りし示したこと。ただし福沢が批判者のいうアジア蔑視や天皇崇拝でないことはわかるが、「真実の福沢」の方は紙数不足。ともあれ福沢評価の土俵をリセットした意義は大きく画期的。知識人論としても、すこぶる面白い。

 テキスト・クリティークの重要性を痛感したところで、ホットな北朝鮮問題のクールな読み方。長く黙殺され埋もれていた記録がようやく翻訳され甦った。ミネソタ弁護士会国際人権委員会・アジアウォッチ編(小川晴久・川人博訳)『北朝鮮の人権――世界人権宣言に照らして』(連合出版、2800円)の原書は1988年刊。「世界人権宣言」各条項から北朝鮮を詳しく解剖し、手記・証言を集め、拉致問題発覚以前に人権抑圧の全領域を網羅し仔細に記録していた。

 訳者がその後の研究・記録や脱北者証言で詳しい補注を加え、歴史的な「北朝鮮黒書」に仕上げた。拉致問題に十分取り組んでこなかった日本現代史学の反省の鏡にもなる、地味だが鑑識眼が光る良書。

 

(『エコノミスト』2005年1月18日号掲載)


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