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『週刊 エコノミスト』リレー書評「歴史書の棚」(2004年下半期)

 以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。                        加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)


原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社)

 

下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)

 

 原秀成『日本国憲法制定の系譜 氈@戦争終結まで』(日本評論社、8500円)は重厚な大著で全5巻の叢書第1巻。改憲・論憲高まる時期に誕生の秘密を探る志と執念に敬服。 

 類書との大きな違いは、憲法を「アメリカのおしつけ」「マッカーサーの贈りもの」と片づけず、米国公文書館の第一次史料を縦横に用い、策定に関わった人々の経歴を追って、日本国憲法に込められた想いの数々を俯瞰する「系譜学」の手法。第1条天皇、第9条戦争放棄のみならず全条項に目配りし、例えば米国ローズヴェルト大統領「4つの自由」や国連憲章がどのように46年憲法に流れるかを詳しく逐語的に解明した意義は大きい。

 ただし厳密を期してか、ルーズベルトならぬローズヴェルトのほか、天皇を意味するエンペラーを敢えて「皇帝」と訳すなど、やや衒学的で読みにくい。戦略情報局OSS文書を追う評者からすると、日本からの系譜が植原悦二郎、吉野作造=鈴木安蔵に限定され、米国内の流れは国務省・三省調整委員会文書に集中されたため、新渡戸稲造、朝河貫一、美濃部達吉を介した米国日本研究の流れや、コールグローブ=ファーズ、マッカーサー=フェラーズ等戦時他部局の検討が入りにくく、エマーソン=野坂参三はやや過大評価な印象。ワイマール憲法の「横からの入力」もとりあげてほしかった。

 下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、760円)は、薄くても中味が濃い。最新研究を駆使し、類書が米ソ関係から解く冷戦を、アジア戦後処理の未決、通常「東側」と一括される中ソ関係の展開、朝鮮半島・ベトナムの今日まで、練達の筆で描ききる。

 イデオロギー、地政学、核兵器の3つの視点から解剖されたアジア社会主義は、49年7月劉少奇・スターリン会談での支配圏分有以来、一枚岩どころか「偽りの同盟」で確執の連続。毛沢東の核戦争待望論や北朝鮮武力統一論の流れに戦慄し、加害者責任ならぬ「社会主義の核」を巡り分裂した日本の平和運動の非力に暗澹。新生モンゴルの非核地位化に一言ほしかったが、ソ連軸を加えてアジア現代史像を鮮やかに一新した刺激的な好著。

 

(『エコノミスト』2004年12月14日号掲載)


佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)

 

 加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書)

 

 

  新書にしては分厚い。普通の倍近い。内容も重い。

 佐藤卓己『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書、980円)は、丸山真男も大塚久雄も実は国民主義者だったという近頃流行の議論の逆を行く。悪名高き情報統制官が、実は知性溢れる真面目な教育者だった、と。

 なにしろ横浜事件の被害者たちが「小型ヒムラー」とよび、自由主義者清沢洌が「日本思想界の独裁者」と書き、何より石川達三『風にそよぐ葦』の「険悪な目つき」の言論弾圧官のモデルで映画化までされた人物である。著者も遺族から膨大な日記・手稿を見せてもらうまで、作られたイメージから離れがたかった。

ところが日記や周辺記録にあたると、別の顔が見えてきた。出版社の接待で料亭の宴に興じたはずが謹厳実直の真面目人間だった。反共左翼弾圧の権化が「ブルジョア的空気」と不平等を告発している。横浜事件の頃は満州の前線で、フレームアップに関わりようがない。苦学して士官学校に進み、夜学に通って八百頁の卒論をものした努力の人で、教育学者として十分通用する知性と文筆の徒は「悪代官」イメージにほど遠い。

 こんな謎解きがすこぶる面白く、読ませる。だがそこから「軍隊民主主義と社会主義の相補性」「デモクラシーとファシズムの間に断絶はない」と一般化されると、丸山真男国民主義論と同質の問題を感じる。「国内思想戦」は総力戦の一環だった。構造と機能が表裏で鈴木も情報戦の被害者なら、構造からの距離を問いたくなる。

 加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか──性道徳と優性思想の百年間』(ちくま新書、720円)は、恋愛・結婚・家族という世界で、近代「国内思想戦」の展開を描く。

明治以来の言説を丁寧にたどり、「良妻賢母」はもとより「一夫一婦制」「廃娼論」の背後に偽善を見る。そこまでは定番だが、著者はさらに「家庭の幸福」と優生学・遺伝学の連接を見出す。著者の発掘した戸塚松子の恋愛教育論は、鈴木庫三の教育国防国家に近接する。

 歴史学に風穴を空けてきたジェンダー研究が、進化論批判を介して国民国家論の本丸に迫ったと予感させる佳作。

 

(『エコノミスト』2004年11月16日号掲載)


立花隆『シベリア鎮魂歌──香月泰男の世界』(文藝春秋)

 

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー──オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(御茶の水書房)

 

 

 文字になじまないものを文字にする難題を歴史学は引き受けてきた。神話や伝承や仏像のイメージを文字に移し替え、「先史」時代から現代まで、文字記述の歴史が支配してきた。だが例えば絵画や音楽を文字に置き換え、失われたものはなかったか?

 立花隆『シベリア鎮魂歌──香月泰男の世界』(文藝春秋、2667円)は、マルチ評論家がマルチ・メディアを駆使して、一人の画家の魂を浮き彫りにした記録。

 といっても実は、香月と立花は30年以上前からつながっていた。『立花隆のすべて』にもでてこないゴーストライター時代の本『私のシベリア』が香月の語りであり、立花の処女作だった。絵画を画集にし、絵を文字で語る際のリスクが繰り返し語られる。シベリア抑留の絵画的記憶を黒を基調に表現した香月なら、なおさらのことだ。

 そこに被害者体験の「黒い屍体」と加害を表象する「赤い屍体」の区別を見出し、零下40度のツンドラの風や「ダモイ」=帰国の希望を読みとるのは至難の業だ。だが立花は、敢えてそれを引き請け「鎮魂、そして救済」の物語にした。小学生の香月が渇望して得た12色のクレヨンの匂いは、「聴き手」立花がいなければ歴史に残らなかった。

 個性的画家と現代史の伝導者の、幸福な合作である。

 文字化の困難は絵画や音楽ばかりではない。保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー──オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(御茶の水書房、2200円)は、先住民長老の語る「ケネディ大統領がアボリジニの村に来た」という話を荒唐無稽とするのではなく、彼らの「大地の声を聴く」姿に共感しコミュニケートすることから出発して、多元的主体が多様に語る歴史を「対話のプロセス」に置き換えた。

 叙述自体が重層的で斬新、野性的魅力に溢れている。残念ながら著者は33歳で早逝し遺作となったが、テッサ・モーリス=スズキと清水透の解説を含め「知を内破する」爆発力を備えている。

 「歴史とは、身体が知覚し、記憶を呼び戻し、表現する何かである」という声が永く残響する好著だ。

 

(『エコノミスト』2004年10月19日号掲載)


脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件――戦後史の空白を埋める』(明石書店)

 

西村秀樹『大阪で闘った朝鮮戦争――吹田枚方事件の青春群像』(岩波書店)

 

 戦後の日本に「参戦」はなかったという神話がある。東西冷戦は終わった。「対岸の火事」ベトナム戦争も遠い過去。だが自衛隊がイラクに派遣されて振り返ると、実は曖昧にしたままの「従軍」がある。朝鮮戦争である。

 それは北の金日成が始めたか、南の李承晩・米軍の侵略かが長く争点だった。今では旧ソ連や中国の史資料から北の奇襲で始まったのは明確だ。だが日本の「参戦」は曖昧なままだ。警察予備隊が募られ自衛隊につながった。米軍特需・武器輸出が経済成長の起爆剤になった。南北両軍に日本人が入っていた。海上保安庁掃海艇で戦死した人もいた。ただし公式記録はない。

 もう一つの曖昧さは朝鮮戦争が誘発した国内の内戦、権力と左翼の暴力的衝突である。前史の下山・三鷹・松川事件は謎のままだ。パージされた日本共産党は武力闘争に入ったが、同党は「中核自衛隊」や「山村工作隊」を徳田球一ら一部の誤りとして歴史から抹殺、「なかったこと」にしている。

 脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件――戦後史の空白を埋める』(明石書店、4800円)は、「工作」当事者が自分の記憶と客観的史資料・証言を照合・検証し再構成した労作。共産党はどうあれ、自ら体験・検挙され生涯つきまとった「敗北した革命」を「なかったこと」にはできない。当時17歳の自分をつき動かしたのは何だったのか、どんな意味があったかにこだわり探求する気迫が、全八百頁に滲みでる。歴史家が当事者の心情を代弁する時代は終わった。現代史は当事者の記憶と記録で満ちている。それを「人民の抵抗権・武装権」として学術的に昇華した伊藤晃の解説が見事で必読。

 期せずして同時に刊行されたのが、西村秀樹『大阪で闘った朝鮮戦争――吹田枚方事件の青春群像』(岩波書店、2200円)。多数の在日朝鮮人が両事件に関わっていた。背景を調べると朝鮮戦争は南北合わせ126万の死者、日本人戦死者も56人にのぼる。伊藤が解説した当時の朝鮮人活動家の「本気」を、西村らジャーナリストが時間をかけて聞き出す。重い口が開かれると、再び「参戦」気配が漂う今日に重なり、「本気」は生々しく甦る。

(『エコノミスト』2004年9月21日号掲載)


坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)

リチャード・オルドリッチ著・会田弘継訳『日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争』(光文社)

 

 七月参院選で「小泉改革」も色あせ、冷戦崩壊後も続いた自民党支配の地殻変動を予感させる。そんな夏に坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書、700円)で頭の体操。

 ポイントは、1936年2月総選挙から2・26事件、翌37年1月の宇垣一成内閣流産、7月日中戦争開始にいたる局面での「戦争と平和」「ファシズムか立憲主義か」の政治的分岐と「日本版人民戦線内閣」の可能性の問題。随所に「戦後歴史学」の通説への挑戦・挑発がちりばめられている。

 当時のスペインやフランスとは違い共産党は蚊帳の外だが、巷はなお「言論の自由」の雰囲気があった。資本の多数派政友会は野党で青年将校らと共に天皇機関説を攻撃、陸軍統制派・新官僚と結んだ少数与党民政党に近い内閣は機能不全、選挙では合法左翼社会大衆党が台風の目で、麻生久・亀井貫一郎らは親軍・反資本主義の「広義国防」を掲げ躍進、「平和」一筋の加藤勘十ら人民戦線派を圧していた。

 平和と民主主義は単純に結びつかず、反資本主義は戦争に直結しえた。そこでの「日本版人民戦線」とは「軍部独裁」に対抗する政友・民政「協力内閣」で、宇垣の「平和と資本主義」路線だったはずだ――著者のメッセージは明快で、今日的である。賛否は分かれるだろうが、中身は濃く重い。

 日中戦争以後のアジアも、見直しが必要なようだ。昨夏の出版だがリチャード・オルドリッチ著・会田弘継訳『日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争』(光文社、2300円)は、「ファシズム対民主主義」とされた戦争の背後に、錯綜する情報戦を見出す。

 抗日連合軍に孕まれた「資本主義対社会主義」の米ソ対立、「社会主義対民族主義」のスターリン・蒋介石・毛沢東の三角関係は常識。本書は植民地帝国存続にこだわるチャーチルと、国連信託統治を軸にポスト植民地主義の新型帝国を探るルーズベルトの対立を描く。英米は開戦直後から日本敗北後の「帝国」のあり方を情報で競い、精神主義の日本を圧倒した。その態様も地域毎で異なり柔軟、インドやタイをめぐる英米の高度情報戦から、イラク戦争の今日が透けてくる。

 

(『エコノミスト』2004年8月24日号掲載)


小泉和子『洋裁の時代――日本人の衣服革命』(農文協)

 

法政大学大原社会問題研究所編、梅田俊英・高橋彦博・横関至著『協調会の研究』(柏書房)

 

 

 80歳前後のお年寄りに長く歌い継がれている歌がある。タイトルはズバリ「大正生れの歌」。「大正生れの俺たちは/明治の親父に育てられ/忠君愛国そのままに/お国のために働いて/みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/覚悟は決めていた/なあお前」と軍歌調で、以下敗戦から高度成長まで男性の眼で回顧する。

 この歌に女性編があると知ってホームページで呼びかけたら、数日後に歌詞が判明した。「大正生れの私たち/明治の母に育てられ/勤労奉仕は当たり前/国防婦人の襷掛け/皆の為にと頑張った/これぞ大和撫子と/覚悟を決めていた/ねぇあなた」だった。

 この「ねぇあなた」世代の体験をビジュアルに追試するのが、小泉和子『洋裁の時代――日本人の衣服革命』(農文協、2800円)。和装から洋装への転換を、近代化や機能性で片づけず、女性の社会進出と生活意識の変化、戦争による衣料統制と活動衣・作業衣の普及、戦後の洋裁学校と家庭ミシン流行で説き、わかりやすい。やはり洋装は「文化」だったのだ。

 同じ時代の「なあお前」の世界に、協調会という半官半民組織があった。社会運動史では触れられること少なく、戦時産業報国会の生みの親、労使協調の先駆けと否定的に評価されてきた。

 法政大学大原社会問題研究所編、梅田俊英・高橋彦博・横関至著『協調会の研究』(柏書房、5200円)は、そんな「負のイメージ」の刷新をはかる。「社会政策の調査研究機関」「教育機関」で「産業報国会に対しても必ずしも無批判ではなかった」と、膨大な資料を駆使して詳細に実像を描く。

 確かに役員・職員一人一人の生涯・思想まで踏み込んだ分析が圧巻で、右翼も左翼も学者も政治家も含み、学閥・地縁のネットワークでつながっている。革新官僚にも市場経済派も計画経済論者もいて、全体が調査と教育に熱心だった。実証は手堅く学術的価値は高い。だが気になる点もある。女性がほとんど出てこない。戦後協調会解散時に財産・資料は中央労働学園に引き継がれ「男の約束」で「継承関係を公にしない」と申し合わせた。やはり戦争は、男たちの仕事だったのだ。

 

(『エコノミスト』2004年7月20日号掲載)


大島幹雄『虚業成れり――「呼び屋」神彰の生涯』(岩波書店)

 

大井浩一『メディアは知識人をどう使ったか――戦後「論壇」の出発』(勁草書房)

 

 

 「呼び屋」という商売がある。今風にはイベント屋かプロモーター。タレントや芸術・スポーツ団を日本に呼んで、成功すれば一攫千金、客入りが悪いと莫大な借金の興行師。虚業ゆえに、どうしてもマスコミや実業家のスポンサーが必要になる。 

 そんな世界の戦後の草分け、「赤い呼び屋」といわれた男の波瀾万丈を辿った大島幹雄『虚業成れり――「呼び屋」神彰の生涯』(岩波書店、2800円)。呼んだ公演がすごい。「芸術交流師」としてドン・コサック合唱団、ボリショイバレー、レニングラード・フイル、ロストロポーヴィッチを旧ソ連から。ウィーン合唱団、イベット・ジロー、ピカソ展、北京曲技団と絢爛。若くしてはったりをかまし、作家有吉佐和子との結婚・離婚が事業の盛衰に重なる。個性的な脇役社員たちの話も面白い。ボリショイバレー公演成功を元手に、国立ソ連邦サーカス団を日本向けに「ボリショイサーカス」と改名させたというから驚く。 

 説得力があるのは、著者自身がサーカス・プロモーターの「呼び屋」で、同時に『サーカスと革命』等でしられる学究であるから。評者とは実はメル友で、互いにホームページをリンクし古きよき時代の歴史を追っている。

 「呼び屋」がいれば「仕掛け人」もいた。大マスコミの戦後「知識人」売り込みの仕掛けを明かす大井浩一『メディアは知識人をどう使ったか――戦後「論壇」の出発』(勁草書房、2400円)。「使う」側の毎日新聞論壇担当記者による、過去への参与観察。ただし露悪趣味のエピソードや守秘義務違反の裏話を期待する向きは肩すかし。オーソドクスな歴史的手法で、「軍国主義時代の受難は戦後社会では大勲章」だった敗戦直後のメディアによる「知識人の利用」を手堅く描く。

 新聞論調への「補強材料」効果を賀川豊彦、林悟堂、美濃部達吉、大内兵衛らで解析。大学教授や評論家といった肩書きも、実は「権威づけ」狙いと知ると、本誌で自由に書かせてもらっているつもりの自分は、と気になる。時には「逆効果」もあるそうだから、気をひきしめて「読み物」効果、「特ダネ」効果で勝負しなければ。

(『エコノミスト』2004年6月22日号掲載)


クラウス・レゲヴィー著、斉藤寿雄訳『ナチスからの「回心」――ある大学学長の欺瞞の人生』(現代書館)

 

桜井哲夫『戦間期の思想家たち――レヴィ=ストロース・ブルトン・バタイユ』(平凡社新書)

 

 

 タイトルに惹かれ手に取る本もある。クラウス・レゲヴィー著、斉藤寿雄訳『ナチスからの「回心」――ある大学学長の欺瞞の人生』(現代書館、3000円)は、国立大学法人化で学長権限が強化される中、日本現代史の「転向」との連想で、ドイツの「回心」が気になった。拾いものだった。

 すさまじい物語である。ドイツ語原題は「シュナイダーからシュヴェーアテへ」。ナチス親衛隊将校ハンス・シュナイダーが、1945年に35年の前半生を抹殺して西独左翼リベラルの教育者ハンス・シュヴェーアテに改名・変身、同じ女性と再婚してライン=ヴェストファーレン工科大学学長まで登りつめたが、95年に褐色の過去を暴かれ失脚した事件の顛末である。日本なら、さしずめ野坂参三か。

 その精神史のすべてが重いが、国が変わったから名前を変えただけだという開き直りに虚をつかれる。翻って平和国家日本も大学のあり方も大きく変わった。同じ名前で出ているこちらこそ「転向」かもしれないと戦慄。

 ナチスに協力した知識人もいれば、ナチスを逃れ亡命したユダヤ人もいた。1930年代のパリは、知識人がアメリカ大陸に逃れる経由地だった。桜井哲夫『戦間期の思想家たち――レヴィ=ストロース・ブルトン・バタイユ』(平凡社新書、820円)に出てくる、亡命ハンガリー哲学者コジェーヴのパリ大学ヘーゲル講義に集った顔触れの壮観。ドイツから亡命したハンナ・アレントからレイモン・アロン、ジャック・ラカン、メルロ・ポンティ、ロジェ・カイヨワ、ジョルジュ・バタイユら。きら星の如き20世紀の知性が織りなす色欲がらみの公共圏で、シモーヌ・ヴェイユの生真面目が光る。

 アンドレ・マルローのアンコール遺跡盗掘、クロード・レヴィ=ストロースの左翼体験、アンドレ・ブルトンの共産党時代、バタイユの稀覯論文等を発掘しながら描かれる知のネットワークは、評者が追跡する当時の在外日本人知識人・芸術家ネットや新宿中村屋の文化サロンの景観と、驚くほど似ている。若き日にシュールレアリズムや実存主義・構造主義にはまった人なら、大脳再活性化の格好のクスリになる。

 

(『エコノミスト』2004年5月25日号掲載)



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