以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。2009年3月、しばらくメキシコ滞在の生活に入るため、4月7日号の原稿で終了し、5月から本欄の担当は、筒井清忠氏に交代してもらうこととなった。8年間のご愛読、ありがとうございました。
加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)
今日本の総人口の5%は明治・大正生れのお年寄りである。「後期」高齢者として医療・年金で疎まれ、いや戦後高度成長を支えた「高貴」だと敬意を払われる。そんな人々の中から、「大正生れ」という歌が1975年に作られ、2種類のレコードになり、その後も酒場や戦友会でうたわれ、最近は葬送の鎮魂歌になっている。
作詩作曲者でこの2月に逝った小林朗によると、原点は戦争体験だった。戦争の最大の犠牲者が「大正生れ」で、家族・友人への想いが戦後経済再建の原動力になった。
「大正生れの俺たちは/明治の親父に育てられ/忠君愛国そのままに/お国のために働いて/みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/覚悟は決めていた/なあお前」 「大正生れの青春は/すべて戦争のただなかで/戦い毎の尖兵は/みな大正の俺たちだ/終戦迎えたその時は/西に東に駆けまわり/苦しかったぞ/なあお前」----そんな体験と心情を、森田武『大正生れの歌 80年の軌跡』(さんこう社、非売品)は、自分と家族の戦後に重ね合わせ、「一身にして二生」だったと振り返る。作詩作曲者小林は晩年日中民間交流に尽力した。著者森田はその同窓の友人で、大手銀行役員まで上り詰めたクリスチャン、明治学院理事長を勤め引退した。
著者はこの自費出版の自伝を「孫達に伝える自分史」と銘打ち、「今の若い人と話していると外人と話しているような違和感を覚える」と述べる。
そんな断絶を架橋できたかどうかが、吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書、780円)では問われる。評者はかつて冷戦終焉時に岩波ブックレット昭和史シリーズ最終巻『戦後意識の変貌』を「大正生れの歌」から始め「喜びの欠如した富」でまとめたが、吉見は新書版近現代史シリーズ最終巻を「あさま山荘事件」から説き興し「日米同盟の変質」で締めくくる。
地域とアジアに目配りした巧みな筆致で社会変容を描き、世代の断絶根拠もよくわかる。ただし、現実と虚構、空間と時間を往復する重層的手法に、いわゆる通史を期待する読者は、戸惑うだろう。幾世代の読者を、すべて納得させる現代史記述は難しい。
(『エコノミスト』2009年4月7日号掲載)
オバマ新政権の駐日大使として、ソフト・パワー論の提唱者、ハーバード大学国際関係論のジョゼフ・ナイ教授が就任するという。
社会科学の世界では、かつて高度成長を支えた官庁経済学も日本的経営論も、ケインズ主義以後の市場原理主義の台頭と株主優先の派遣切りで、往事の面影はない。今日の日本の大学・学問は、戦前のヨーロッパ志向に比べ、いずれの分野でもアメリカの影響が大きい。それは、敗戦・占領下で教育改革が行われ新制大学が発足した歴史的経緯によるが、そればかりではない。
山本正編著『戦後日米関係とフィランソロピー』(ミネルヴァ書房、5000円)は、「民間財団が果たした役割 1945−1975年」と副題されているように、ロックフェラー、フォード、カーネギーなど米国民間財団と渋沢栄一のような篤志家が日米知的交流で果たした役割を、9人の論者が多角的に論じる。人道主義と国際主義に根ざした相互理解に多大の功績を果たし、日米同盟の触媒になったという。
だがその同じ歴史を、松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』(岩波書店、5800円)は、ナイ教授のソフト・パワー論を用いて、アメリカによる日本への「文化的ヘゲモニー」ではなかったかと論じる。占領改革そのものに「文化攻勢」が含まれ、翻訳や検閲を通じて「日本人を親米派に」する戦略的意図が孕まれていた。それが冷戦期の日米の非対称で従属的な「半永久的知的依存」を作り出したのではないかという重要な問題提起である。
評者自身も米国留学組なので言いにくいが、マクロに見れば山本本の「相互理解」よりも、松田本の「文化的ヘゲモニー」が実態だったろうと思う。例えば両書で共にキーパースンの一人とされるロックフェラー財団チャールズ・ファーズは、戦時中は米国戦略情報局(OSS)の日本担当で、対日心理作戦計画策定の中心人物だった。
この日米文化交流の評価の分かれは、共に新自由主義改革を担った「親米派」エコノミスト竹中平蔵氏と、最近対米依存を自己批判した中谷巌氏の構造改革評価の分岐に、なぜか似ている。
(『エコノミスト』2009年3月10日号掲載)
また一人、巨星が逝った。昨年末に89歳で亡くなった加藤周一は、20世紀日本の貴重な目撃者・証言者・批評家で、大知識人だった。
07年の『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2300円)は、過去を水に流し、明日は明日の風が吹く「今=ここ」の時空感覚に日本文化を貫く特質を見出した。医師にして評論家、世界各国の教壇に立ち、古今東西の文学・絵画から映画・演劇・舞踊まで縦横に論じる知力は、晩年も健在だった。
初めて読む人には、05年の『20世紀の自画像』(ちくま新書、780円)が取っつきやすいだろう。成田龍一のインタビューに答え、かの「雑種文化」をボルシチにたとえ、敗戦・68年体験から世代論を熱っぽく語る。韓国『中央日報』訃報は「反戦平和運動家の死」としたが、憲法第9条こそ世界に発すべき日本のメッセージとする信念を貫き通した。後半の成田による解説は、戦後日本精神史の巧みなスケッチ。
第二次世界大戦を思考の出発点とした加藤の雑種文化論は詩歌に、もう一人の巨星丸山眞男の雑居文化論は音楽に、刺激されていた。二人が体験した1929年恐慌に似た世界恐慌のとば口にあるわれわれは、いかなる内容と形式で「今=ここ」を切り取り、考察すべきか。鋭い批評から紡ぎ出され遺された、後生への宿題は深くて重い。
いや文学でも音楽でもなく、現実をコピーする画像・映像こそ21世紀の表現形式、と割り切るのは早すぎる。画像・映像の切り取り方、撮る者・見る者のまなざしこそ、加藤も丸山も問題にした日本文化の様式だった。
草森紳一『不許可写真』(文春新書、900円)は、そんな手がかりをふんだんに提供する。戦時新聞紙上に現れた報道写真は、軍部による「検閲済」宣伝写真ばかりだったが、「不許可」や「保留」の非掲載写真も、新聞社の資料室に残されていた。やらせも自主規制も、従軍カメラマンの癒しもあった。従軍慰安婦の絶望も、敵捕虜虐待の見せしめも、味方の戦死屍体も入っていた。
20世紀に撮られた画像・映像は膨大だろう。日本文化を考える素材は、まだまだ残され、21世紀のまなざしでの発掘・切開を待っている。
(『エコノミスト』2009年2月10日号掲載)
中国の米国国債保有高が日本を追い越し世界一になった。中国経済の行方は、2008年世界金融危機からの脱出の一つの焦点になる。
戦前日本の中国観を大きく規定し今日なお残されている見方に「アジア的停滞・東洋的専制」という西欧中心史観がある。マルクス、ウェーバーの東洋観からドイツのマルクス主義者カール・ウィットフォーゲルが「アジア的生産様式」として定式化し、脱亜入欧の日本に輸入された。米国に亡命したウィットフォーゲルが反共マッカーシズムの証言者となると、日本の学問世界からは忘れ去られた。ただし文化大革命や天安門事件を文明史的に論じる際にはこっそり密輸入された。
そのウィットフォーゲルの膨大な未公刊遺稿と米国で格闘した石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社、2800円)は読み応えがある。毛沢東独裁も北朝鮮も彼の「水力社会」の眼で見直すと「社会主義」の基底に根付いた「アジア的復古」が学問的に説明できる。
アジア社会をめぐる欧米社会科学の苦闘の歴史をくぐると、話題の書ティム・ワイナー『CIA秘録 その誕生から今日まで』上下(文藝春秋、各1857円)が徹底的に暴き出す戦後米国情報機関の失敗も納得できる。ワイナーによれば、今日米国を苦しめるイラク戦争泥沼化のきっかけを作った大量破壊兵器の誤報は、朝鮮戦争期からのCIAの業病、客観的分析の欠如とホワイトハウス、ペンタゴンによる政治的情報操作の帰結だった。
CIAの情報分析には、単純な米国的価値の世界化、近代化論の想定があった。ウィットフォーゲルが生涯を賭けて挑んだ非西欧社会の探求、学問的良心と政治的志向の狭間の葛藤がなかった。前身組織OSSの専門家を失い、経験主義とフレームアップで国家予算を食いつぶす謀略機関がCIAだった。ワイナーが典拠を明記し新公開機密資料を駆使した論述は、ジャーナリストの域を越えて本格的。
第12章「自民党への秘密献金」と第46章「日米自動車交渉」は戦後政治史の内幕暴露で、日米同盟を根本的に考え直す格好の読み物になっている。
(『エコノミスト』2009年1月13日号掲載)