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『週刊 エコノミスト』リレー書評「歴史書の棚」(2008年上半期)

 以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。

                        加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)


『平凡』『明星』の時代を貫くトラウマと「消毒」

 

阪本博志『「平凡」の時代』(昭和堂)

五十嵐恵邦『敗戦の記憶 身体・文化・物語 1945−1970』(中央公論新社)

 

 時代を大衆文化から読み解く手法は、鶴見俊輔以来、現代史の一ジャンルとなっている。『平凡』『明星』と聞いて懐かしいというのは、昭和30年代生まれまでだろうか。

 阪本博志『「平凡」の時代』(昭和堂、2500円)の表紙は、「歌と映画の娯楽雑誌」と銘打つ『平凡』百万部突破記念特大号の天然色(!)写真で、デコちゃんこと高峰秀子が微笑む。セピア色を含む多数の映画スター、流行歌手の写真が満載され、 その時代を生きた人にはこたえられないだろう。

 月刊『平凡』は70年代に『明星』に追い越され87年まで続いたと言うが、同時代を生きた評者の記憶でも、副題にあるように「1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち」と表象される。テレビや週刊誌の普及でフェードアウトしていくが、戦後民主主義の一時代を代表する大衆文化だった。

 その実像に74年生まれの社会学者がメディア研究の手法で迫り、スターと読者を近づけ「夢と希望」を与えた「作り手」と、農村の中卒「働く若者」が多い「受け手」の双方から、高度成長前期の「ながめる雑誌」を復元する。戦前『キング』との比較、雪村いずみへのインタビュー、京大生の読者との文通による「平和運動」や読者組織「平凡友の会」の分析が面白い。

 だがこの時代の「夢と希望」は、戦争・占領の記憶との葛藤でもあった。『キング』から『平凡』への流れは明るく健康的だが、背後にあった暗闇と「アメリカの影」が見えてこない。

 五十嵐恵邦『敗戦の記憶 身体・文化・物語 1945−1970』(中央公論新社、2500円)は表紙に信州無言館の若き航空兵の肖像を掲げ、「健康的」戦後像に異議を申し立て、深層のトラウマ、日米関係のメロドラマを抉り出す。「支那の夜」から「君の名は」へ、ラジオ体操からゴジラや力道山へ、「肉体の門」から「火垂るの墓」「豊鏡の海」への分岐に、敗戦に刻印された「身体」の分裂症を診る。

 60年安保に岸首相への「人民裁判」、東京オリンピックに健康で衛生的な身体への「消毒」を見出すメスは鮮やか。巻末で示唆される「アジアの身体」を正面から論じる次作を期待したい。

(『エコノミスト』2008年6月17日号掲載)


厚生省は なぜ残留邦人を救えなかったのか

 

井手孫六『中国残留邦人――置き去られた六十余年』(岩波新書)

今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』(朝日新聞社)

 

        

 薬害肝炎、消えた年金、杜撰な後期高齢者医療。厚生行政に国民の怒りが集中している。1938年厚生省誕生そのものが身体と精神の戦時国家動員=棄民政策の端緒だった。

 そんな厚生省に、敗戦時の復員業務の延長で、残留者や抑留者の運命を委ねたのが間違いではなかったか。井手孫六『中国残留邦人――置き去られた六十余年』(岩波新書、740円)を読むと、つくづく考えさせられる。

 1945年8月敗戦時に、日本列島外に660万の日本人がいた。本書の前半は、著者の故郷である信州から満蒙開拓団で大陸に赴いた農民たちの悲劇。関東軍の後ろ盾で「泥坊みたいに」現地人の土地を取り上げ、「内地の分村」方式で荒野に送られた「運の悪い」人々の物語。すでにその後の苦難の伏線は敷かれていた。ソ連参戦からいわゆる残留孤児・残留婦人問題が生まれたが、陸海軍省解体で生まれた第一・第二復員省を引き継いだ厚生省引揚援護局は、「若い婦女子」が中国大陸に大量に残されたのを認識しながら、それを調査する姿勢さえ見せなかった。59年の未帰還者特別措置法も「戦時死亡宣告」を容易にしただけで、4万人といわれた未帰還者の中国政府への調査依頼さえできなくなった。

 時は流れ、日中国交回復で「残留孤児」探しが始まる頃には、現地の「棄民」日本人は言葉も記憶も失いかけていた。中国側はいつでも応答する用意ができていたのに厚生省は無為無策、帰国促進・自立支援も後手後手で、今日の国家賠償請求裁判に至る。わずかに山本慈昭師を先駆とした民間支援と政策形成訴訟の歴史が救いだが。

 日本の敗戦を「一億総懺悔」で乗り切ろうとした東久邇内閣の実態は緒方竹虎=朝日新聞内閣で、「総懺悔」自体情報局総裁緒方の表現だったことは、今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』(朝日新聞社、1400円)に詳しい。その後の戦争責任をめぐる新聞社の内紛・争議がレッドパージ・朝鮮戦争まで仔細に描かれるが、やはり戦時の新聞報道こそ責任論の核心。朝日連載「戦争と新聞」の総括と単行本化が待たれる。

(『エコノミスト』2008年5月20日号掲載)


今さらマルクス? 今こそマルクス?

 

     佐藤優『私のマルクス』(文藝春秋)      

寺出道雄『山田盛太郎 マルクス主義者の知られざる世界』(日本経済評論社)

 

 休職中外交官佐藤優は、最近の論壇を一手に引き受け、かきまわしている。その知的生産の量ばかりでなく、扱うテーマの多彩さにも驚かされる。佐藤優『私のマルクス』(文藝春秋、1619円)は佐藤工房の秘密を知る格好の素材で、とにかく面白い。

 今さらマルクスと食わず嫌いになるなかれ、その読み方・学び方が参考になる。佐藤のマルクスとの出会いは書物からではない。1975年浦和高校在学中にハンガリー・ソ連を回る旅に出て、ブタペシュトのペンフレンドとでかけた野外ディスコで巨大なマルクス像に遭う。佐藤はそのマルクスを「やぶにらみ」と評する。プラハの春挫折後の東欧社会主義の屈折と、内ゲバ・連合赤軍事件で自滅に向かう日本の左翼運動がオーバーラップしている。

 佐藤が2度目にマルクスと会ったという同志社大学「アザーワールド」は、ほとんどドストエフスキーの世界。共通一次試験が始まり偏差値が跋扈するようになる頃、大学均質化に最も遠い神学部で、佐藤は聖書の神学的解釈と宇野弘蔵3段階論を介した『資本論』との世界観的対決を迫られる。それも黒籏を掲げる学生運動の小宇宙での必要に迫られた学習で「行動の規範はあくまでもイエス・キリスト」と言い切る。その延長上に、10年後のモスクワでマルクスの資本主義切開の論理が外交官としてのソ連崩壊の解析に応用できた3度目の出会いが暗示される。現代史の断面を鋭く切り取る絵巻物。

 佐藤が宗教とマルクスを重ねたように、シリーズ「日本の経済思想」第1回配本、寺出道雄『山田盛太郎 マルクス主義者の知られざる世界』(日本経済評論社、2500円)は、山田『日本資本主義分析』にロシア・アヴァンギャルド芸術が刻印された最先端モダニズムのアーキテクチュアを見出す。コミュニズムが非合法だった故にマルキシズムが現実的意味を持ちえたという宗教改革風解釈は説得力がある。

 格差から貧困へと現代日本の論点も転回してきた。定職無き若者も会社人生を顧みる団塊世代も『資本論』に挑戦してみては。いや実は世界競争と収益悪化に苦闘する日本の経営者こそマルクスを自家薬籠のものとすべきだろう。

(『エコノミスト』2008年4月15日号掲載)


旧満州の記憶をめぐる、日・中・韓国人の落差

 

城戸久枝『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』(情報センター出版局)

梁世勲『ある韓国外交官の戦後史 旧満州「新京」からオスロまで』(すずさわ書店)

 

多くの書評やブログで評判の城戸久枝『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』(情報センター出版局、1600円)は、圧倒的感動を呼ぶ迫真のドキュメント。

 日本の敗戦時に旧満州国にはソ連軍が入った。中国東北部の人々からすれば侵略・傀儡国家からの「解放」で、「日本鬼子」の敗走は自業自得だった。その地獄からの脱出時に両親と生き別れた幼い日本人は、1980年代から「残留孤児」として浮上した。

 著者の父城戸幹は幼時に牡丹江の農家にひきとられ、中国人孫玉福として育つ。成績優秀で北京大学にも合格しかけたが、入学願書に「中国籍・日本民族」と書き進学の夢を絶たれた。そこからどうして1970年に帰国できたかは、涙なしには読めない。国交回復前、文化大革命さなかだから、想像を絶する苦労と努力があったろう。

 本書のもうひとつの魅力は、「残留孤児」の父と帰国後に結ばれた母のあいだに生まれた娘が、大学生になって父の「故郷」長春吉林大学に留学し、父の養家の親族・親友に暖かく迎えられ、父の前半生の記憶と真実を現地で発掘し蘇生する家族愛の物語である。

 だが感動の日中友好秘話には出てこない、もうひとつの真実にも目を向けたい。梁世勲『ある韓国外交官の戦後史 旧満州「新京」からオスロまで』(すずさわ書店、2000円)は、同じく新京(長春)で「日本人」として敗戦を迎えた朝鮮人の自伝。日本の植民地支配から「解放」されても、中国では「鬼子」として扱われた。日本人と変わらぬ苦難で鴨緑江を越え李承晩政権崩壊時に韓国で公務員に。朴正熈・全斗煥政権下の練達外交官でノルウェー大使まで勤めた。その満州体験の記述は淡々とし、対日外交最前線での貴重な証言とは無関係かに読める。だが巻末で著者は長春を再訪し、神父として残った兄がスパイの汚名で獄死したと知る。訳者の梁秀智は日本の大学で教える実娘。幼時の引揚げ体験が平易な日本語に昇華され、重く甦る。

 日中韓「東アジア共同体」を言うのはたやすい。だがかつて旧満州国で何があったかを知らずに唱えても、再版「五族協和」としか映らないだろう。

(『エコノミスト』2008年3月18日号掲載)


今こそ真剣に向き合うべき、世界大戦期日本外交

 

袖井林二郎『アーサー・シイク 義憤のユダヤ絵師』(社会評論社)

三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日新聞社)

        

 風刺画というジャンルがある。20年前にジャパン・アズ・ナンバーワンまで上りつめた日本は、カメラと日章旗を持ってマンハッタンの高層ビルを買い占める眼鏡男として描かれた。ピークを過ぎて衰退期に入り、アニメやコミックは数少ないグローバル商品となったが、風刺画は伝統として残らず、わずかにネット上のマッド・アマノのパロディに痕跡を残す。

 そんな国だから、かつて太平洋戦争期に日本が風刺画でどう描かれたかは、アメリカのジョン・ダワー『人種偏見』で「黄色い猿」と教えられ、桃太郎の鬼退治では勝てなかったと納得した程度で「美しい国」の自己陶酔が甦った。だが風刺画は、映画やラジオと並ぶ戦時情報戦の強力な武器だった。

 日米関係史研究の先達袖井林二郎の『アーサー・シイク 義憤のユダヤ絵師』(社会評論社、2500円)は、忘れられた第2次世界大戦期連合国側の対日風刺画を収集し正面から向き合う。ポーランド出身のユダヤ人画家が、亡命先の英米で細密画芸術から風刺画へ移ったのは、ナチスのホロコースト告発のためだった。ヒトラー、ムッソリーニと並んで日本の昭和天皇や軍人がどう描かれたかをカラー・モノクロ百枚以上の漫画を発掘し強烈に示す。

 シイクの風刺画の一枚に「1941年の地政学」というカルカチュアがある。日独伊3国同盟にソ連を加えた4国を、ポーランド分割を進めた元凶として醜く描き出す。ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ高い頬骨に出っ歯で目をつり上げた小柄な日本軍人を、同席したスターリンは後ろに拳銃を隠し持ち腹黒く睨みつけている。

 日独伊にソ連を加えた4国枢軸構想は、松岡洋右、海軍関連で語られてきたが、日独関係史の碩学三宅正樹の『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日新聞社、1400円)は、新発見の独ソ資料を用いて綿密に検証し真相を暴く。1940年11月モロトフ訪独時の4国条約案が頂点で、日本は独ソに翻弄される無知の脇役だった。

 国際政治の力学に脳天気な日本の指導者と膨大な犠牲にコスト。落日の日本経済、片想いの日米同盟の中で、今こそ真剣に向き合うべき過去である。

(『エコノミスト』2008年2月18日号掲載)


イメージが作る歴史の虚像と実像

 

ピーター・バーク『時代の目撃者』(諸川春樹訳、中央公論美術出版)

   松村高夫・矢野久編著『大量虐殺の社会史 戦慄の20世紀』(ミネルヴァ書房)  

    

 ピーター・バーク『時代の目撃者』(諸川春樹訳、中央公論美術出版、3600円)は、副題に「資料としての視覚イメージを利用した歴史研究」とある話題の書。ケンブリッジ大学社会史の碩学が、「芸術作品というよりもイメージ」という観点から、画像・映像資料の歴史と向き合う。

 写真・映画・テレビ画像が人々の歴史イメージに影響するのは20世紀である。ベンヤミンの複製芸術論は「礼拝的価値から展示的価値へ」「アウラの凋落」を見事に論じた。だが著者は芸術作品にこだわらず、イメージを問題にする。絵画の構図に、背景の小道具や情景に目配りし、ポスターや広告につながる画像も問題にする。それを受け入れる大衆の欲望や羨望のまなざし、宗教や人種の差異による送り手・受け手のイメージギャップが、史料としてイメージを扱うさいの留意点だという。そのために周到に準備された素材は、イコンから戦争画まで十分に楽しめる。オーラルヒストリーでの記憶の扱いにも応用できる史資料批判入門。

 だが映像の時代を体験したことで、感性が麻痺し鈍らされることもある。生命が簡単に抹殺される戦争映画や殺人ドラマを見慣れてしまうと、一人一人のいのちと顔が見えなくなる。「戦争と革命の時代」と総括される20世紀になると、ホロコーストもスターリン粛清も犠牲者数と殺人技法に目が移る。記憶の再現も、悲惨さ、残酷さを強調したもののみが残り、普通の人々の生の記録の中断が珍しくもなくなる。

 松村高夫・矢野久編著『大量虐殺の社会史 戦慄の20世紀』(ミネルヴァ書房、4500円)は、丹念な史資料収集・批判的解読でオーラルや映像の記録と記憶を吟味し、20 世紀を「大量虐殺=マスキリング」で特徴づける。なるほどちょっと挙げても世界で30数件、日本軍によっても南京や731部隊など10件以上が出てくる。本書はそのうち第一次世界大戦期のトルコによるアルメニア人虐殺から1997年メキシコ・アクテアルの虐殺まで、10 件を掘り下げ、国家暴力による犯罪としての戦争と虐殺を暴き出す。虐殺には必ず「虐殺幻論」が出てくるという指摘が新鮮。そこから記憶と記録の関係を問い直し歴史学の任務を解く。

 記憶や言説に過剰に入れ込むポストモダン歴史学も峠を越えたかと思われる、歴史学の内省が両書から伺える。

 

(『エコノミスト』2008年1月21日号掲載)



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