以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。 加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)
モンゴルというといまや日本の国技大相撲を支える親しみやすい国だが、20世紀のモンゴル族は、ロシア革命と日本の大陸侵略、中国革命の狭間で、大国間の思惑に翻弄された。
細川呉港『草原のラーゲリ』(文藝春秋、2476円)は、旧満州国ハルピン学院で学んだモンゴル人ソヨルジャブの数奇な人生を通して、遊牧民族モンゴルの自立の希望と挫折を描く。日本軍の傀儡国家満州国に生まれた知識人ソヨルジャブは、日本の敗戦直後にモンゴル統一の希望を担って、ソ連に従属する外モンゴルに留学した。ウランバートルの党幹部養成学校ではハルピン学院で学んだロシア語が役立ったが、卒業時に外モンゴルの内モンゴル人差別・虐待を率直に訴えると「反革命分子」「日本のスパイ」の烙印を押され25年のラーゲリ(強制収容所)懲役刑。7年後に内モンゴルに移送されるが、そこにはさらに厳しい新中国の管理監獄、辺境での労働改造が待っていた。内モンゴル自治区とは名ばかりで、文化大革命期の漢人大量移住で「民族主義者」ソヨルジャブの居場所はなかった。「名誉回復」は1981年、22歳から56歳の青春が過ぎていた。
暗くて重いテーマの聞き書き記録だが、なぜか読後感はさわやか。故郷に帰還後のソヨルジャブの日本語学校開設、ハルピン学院同窓生である日本人との再会・交遊、外モンゴル民主化とウランバートルでの日本語教育・日蒙交流への献身で結ばれているからか。
ソヨルジャブは戦争・戦後処理をめぐる大国間の暗闘に翻弄されたが、その期の日本を英国公文書館記録で追ったのが徳本栄一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』(新潮社、1400円)。昭和天皇、弟秩父宮、吉田茂、白州次郎らを日本の「親英派」と見立て、軍部の暴走へのチェックを期待したイギリス「親日派」外交官がいた。機密報告が日付だけでやや学術的価値を減じるが、米国グルー駐日大使に比すべき英国クレーギー大使の記録が現れ、ルーズベルトとチャーチルの対日観の違いと英米の確執がわかるのは貴重。
朝清龍や白鵬の活躍の陰に、国際関係頂点でも民衆レベルでも、知られざるもう一つの東アジア史があった。
(『エコノミスト』2007年6月26日号掲載)
ヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』で「礼拝的価値から展示的価値へ」「アウラの凋落」を導くさい、現実を切り取り再現する写真と大衆の登場を関連づけた。
柴岡信一郎『報道写真と対外宣伝 15年戦争期の写真界』(日本経済評論社、2800円)は、戦時グラフ誌『FRONT』や『NIPPON』との関わりで論じられてきた写真家たちの戦争協力・対外宣伝を、日本における報道写真の形成と展開、職業としての写真家成立の通過点として淡々と描く。
鉄道省国際観光局の外国人観光客誘致の写真利用と、外務省管轄国際文化振興会のKBSファトライブラリーによる日本文化宣伝に注目し、戦意発揚の軍事的協力の前に国情・国力紹介という生活誌の宣伝があったという。そこにモダニズムをくぐった名取洋之助、木村伊兵衛、渡辺義雄、土門拳らが登用され、報道写真がジャンルとして確立して軍への協力に帰結する顛末を、芸術至上主義にも戦犯告発調にも陥らず、資料と写真に語らせる。
「帝国」日本の国策に採用された写真モダニズムはドイツの影響が濃かったが、「写される側」「見る側」には、「アメリカへの欲望」がすでに孕まれていた。日米開戦までの日本の観光宣伝の主たるターゲットはアメリカで、シカゴ、ニューヨーク、サンフランシスコ万博に写真家が動員された。
吉見俊哉『親米と反米 戦後日本の政治的無意識』(岩波新書、780円)は、幕末維新期と大正・昭和初期の「アメリカへの欲望」を下敷きに、敗戦・占領期にアメリカ文化・生活様式が受容され、今日まで続く「アメリカへのまなざし」が内面化し定着した流れを鮮やかに描く。厚木に写真斑を引き連れ降り立ったマッカーサーは、象徴天皇の地方巡幸が始まり安定すると後景に退く。検閲を伴う視覚的構図の全体が「日米抱擁」だった。六本木・湘南イメージもプロレスも家庭電化の夢も、米軍のカーキ色から発して内面化され脱色する。ロシア革命への熱狂とも基地への反発とさえ共存した「特異なまでに深く親米的な」消費文化に、アジアへの加害を忘れたナショナリズムでは対抗できないという論が説得的。
(『エコノミスト』2007年5月29日号掲載)
海外の若者の日本イメージは、宮崎駿のアニメや村上春樹の小説でかたちづくられる。対日外交に携わる政治エリートや日本企業の交渉相手となるビジネスエリートの日本イメージは、どう構築されるのだろうか。
アンドルー・ゴードン(森谷文昭訳)『日本の200年 徳川時代から現代まで』上下(みすず書房、各2800円)は、ハーバード大学歴史学部長の執筆した日本近現代史教科書である。原書はオクスフォード大学出版会から出て、米国のみならず世界中で日本に関心を持つ学生たちの必読書になった。かつてのライシャワー『ザ・ジャパニーズ』のように世界の知的エリートの日本像形成に重要な意味を持つ。
外国人の書いた日本史だからとあなどってはならない。南京大虐殺も従軍慰安婦も、戦時米国の日系人強制収容も占領下の検閲も、豊富な事例と生活文化に目配りして描かれる。世界史の中に巧みにバランスよく日本を嵌め込み、通常1945年で区切る日本人のあまたの通史より読みやすい。
ゴードン教授の日露戦争からサンフランシスコ講和までを「帝国」とし、1952年以降を「現代」とする時期区分の方法論的基礎まで探りたければ、同世代のアンドリュー・E・バーシェイ(山田鋭夫訳)『近代日本の社会科学 丸山眞男と宇野弘蔵の射程』(NTT出版、4200円)を併読しよう。世界の社会科学がどんな研究を日本人に期待するかが、洗練された叙述で語られる。カリフォルニア大学バークレイ校バーシェイ教授が20世紀の日本の学問を総括して見いだした2大成果は、日本社会の特殊性に根ざし内在しながら、普遍に開かれた独創性を持つ、宇野弘蔵のマルクス経済学と丸山眞男の政治思想史だった。豊富な日本語文献に緻密に目配りした上で、今日の日本では忘れられ無視されがちな「戦後民主主義」の知的伝統が、アメリカの最先端研究者に注目され甦った。
英文日本学のスタンダードであるゴードンやバーシェイを学んだ外国人に、南京大虐殺の幻や東京裁判の不当性を説いても無力である。自分の知性の貧困を証し軽蔑されるだけである。知的遺産の共有こそ対話の出発点である。
(『エコノミスト』2007年4月24日号掲載)
安部首相の「美しい国へ」がTowards a Beautiful Country という英語の本に翻訳される。伊吹文部大臣は小学校からの英語必修は不要で「美しい日本語」教育が必要だという。
そんな議論の前に、安田敏朗『「国語」の近代史 帝国日本と国語学者たち』(中公新書、880円)をぜひ。国語と日本語は同じでない。 近代国家語としての国語は、国民統合のために各地の方言を抑圧して作られた。「美しい」歴史と伝統は考案された後知恵だ。上田万年らが「大和民族の精神的血液」にまつり上げ、ついには植民地台湾・朝鮮、中国へと「東洋全体の共通語」に拡延され、「帝国語」になった。
だが国語を押しつけられた側にとっては「日本語」で、土着の言葉との軋轢は避けられない。本書は、日本語が朝鮮や「満州国」に国語として侵入したさいの問題群を、自分の言葉を奪われた詩人の内面的葛藤から、国語を制度的に支えた学問、大学、研究団体まで、鮮やかに描きだす。伊波普猷の琉球語研究、金田一京助のアイヌ語収集さえ、上田の「日本帝国大学言語学」構想の「醜い」末端だった。
だから伝統や文化が「国語」「標準語」に吸収されると、植民地ばかりでなく、方言で交信し生活してきた人々にもストレスがたまる。沖縄の「方言札」はよく知られているが、岩手の南部弁も、抑圧され蔑視された側だった。
太田愛人『「武士道」を読む 新渡戸稲造と「敗者」の精神史』(平凡社新書、780円)に『武士道』の愛国的解説を期待すると面食らう。すぐれてローカルなのだ。冒頭に盛岡城趾に新渡戸の石碑「願はくはわれ太平洋の橋とならん」が石川啄木歌碑と並んだ情景。維新の賊軍南部藩士の「敗者の精神」が、もともと米国人妻への日本文化の紹介として英語で口述筆記された新渡戸『武士道』に流れたと説かれる。原敬、後藤新平、米内光政らも同郷で、ローカルな南部弁でも十分世界に交信可能なのだと、郷土愛から暗示される。
そういえば、アイヌ語研究の金田一京助も岩手出身、かくいう評者も石川啄木や宮沢賢治の後輩。本当に「美しい国」ならば、押しつけ「国語」などいらないという謎解きだろうか。
(『エコノミスト』2007年3月27日号掲載)
昨年出た重厚な好著だが、うまくマッチングできずに、本コーナー用に積んだ ままだった2冊。
一つは鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創『日米交換船』(新潮社、2400 円)。日米開戦半年後の1942年6月18日、ニューヨークからスウェーデ ン国籍のグリップスホルム号という大型客船が船出し、東アフリカのロレンソ ・マルケス港に向かった。北米に滞在していた日本人外交官、ビジネスマン、 研究者・留学生約千人が乗った。「敵性外国人」の帰国船で、途中ブラジルで 中南米日系人400人も乗船、ロレンソ・マルケスで、日本から帰国する米国 人らを乗せて到着した浅間丸、コン テ・ヴェルデ号と乗客を取り替え、よう やく8月20日に横浜に着く。いわゆる第一次日米交換船である。
そこに乗船していた鶴見から、加藤・黒川が「封印された記憶」を聞き出す 仕掛けで、鶴見の語りは冴える。船内部屋割りは、駐米大使から密入国追放者 まで6階級に分けられた。留学組の鶴見俊輔・和子、都留重人、武田清子らは 船底4人部屋で、閉じられた空間での開かれた議論が、戦後『思想の科学』や べ平連運動の隠れた源泉となる。遣唐使から岩倉使節団の伝統を戦時帰国船が 引き継ぐ逆説、鶴見との会話から透ける加藤典洋「敗戦後論」の原点、特に後 半の黒川創による行き届いた史料分析・解説が貴重だ。
もう一つは、すでに書評も多く出た『コルナイ・ヤーノシュ自伝』(盛田常 夫訳、日本評論社、4700円)。ナチス支配下で育ったユダヤ系ハンガリー 人経済学者。戦後社会主義下で「反均衡」「不足の経済学」から体制変革の理 論的基礎を拓いた異端の軌跡で、理路整然で明晰、数学的な乾いた記述だ。
だが博士の数式でも文学になる。数理経済学や政策科学の実用的読み方も可 能だが、一度は社会主義・共産主義にあこがれた経験をもつ人々には、格好の 内省の機会を与える。著者の「現実が理論と乖離していることが分かれば、理 論を修正しなければならない」という一節にある種の葛藤を感じとれば、呪縛 からの解放の程度がわかる。
鶴見もコルナイも知のノマド=遊牧民で、真の愛国者でもある。
(『エコノミスト』2007年2月27日号掲載)
年が明けても北朝鮮問題の糸口は見えない。日本にとっては拉致問題が懸案だが、国際的には核保有問題が加わり、いっそう難解になっている。
『海峡のアリア』(小学館、1500円)の著者チョン・ウォルソン(田月仙)は在日コリアンのオペラ歌手、兄4人はいわゆる帰還事業で北朝鮮に渡った。1985年に北朝鮮の芸術祝典で、94年に韓国のオペラハウスで、2002年ワールドカップ日韓共催時には当時の小泉首相と金大中大統領の前で歌った。その半生は哀切の物語だ。
東京・立川の在日朝鮮人活動家の家に生まれ、朝鮮学校で日本語も朝鮮語も学んだ。大好きな音楽に才能を発揮し、ピアノと西洋音楽に魅せられた音大志望の少女は、高校時代に父の会社が倒産し試練に立つ。弾き語りのアルバイトで勉強を続けたが、朝鮮高校卒には資格なしと受験を拒否され、唯一認められた桐朋学園へ。二期会からプロの声楽家としてデビュー、そこに朝鮮総連からピョンヤン音楽祭への招待で、兄たちと四半世紀ぶりに再会。だが北に渡った兄たちは、想像を絶する悲惨な境遇にあった。持歌「高麗山河わが愛」「イムジン河」のDVDを聞きながら読むと、いっそう心に響く。
こうした悲劇は、在日コリアンの多くも韓国・日本等の拉致被害者家族も共有するが、北朝鮮にとっての「戦争」は60年も続いている。国際関係のジグゾーパズルから6者協議の枠組が設定されたが、拉致被害者の慟哭や脱北者の悲惨は議題にするのも難しい。
そんな複雑なパズルを解きほぐすのが、船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスション 朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞社、2500円)。750ページにぎっしりと6者協議当事国の政策決定の裏面とメカニズムがつまっている。日朝共同宣言の陰の当事者ミスターXから米国ネオコン・アジア専門家、露中韓の要人・実務担当者に至る一人一人の思惑が個性的に描かれる。
米朝2者から10者まで数あるプランの中で6者協議に落ち着くパワーゲーム分析は圧巻。巻末インタビュー・リストで情報の精度がわかる。日本でもようやく生まれた、ジャーナリストによるハルバースタムばりの同時代史。
(『エコノミスト』2007年1月30日号掲載)