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『週刊 エコノミスト』リレー書評「歴史書の棚」(2006年下半期)

 以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。                        加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)



『エコノミスト』「歴史書の棚」

(現代史)書評
ナチス・ドイツにもあった欧州貴族社会と日本的世間

 

    マルタ・シャート『ヒトラーの女スパイ』(菅谷亜紀訳・上田浩二監修、小学館)    

和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田桂子『言語都市・ベルリン 1861−1945』(藤原書店)

 

 久しぶりのドイツ旅行に、バッグに入れて役立った2冊。かつてのベルリンの壁の跡地に「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための慰霊碑」が作られ、その脇の小道は「ハンナ・アレント通り」と名付けられていた。

 ユダヤ人をホロコーストに追い込んだヒトラーは、第二次世界大戦の同盟国日本をも、東洋の成金として軽蔑していた。だが西洋貴族社会にはコンプレックスを持っていた節があり、自分に近づく貴族やプリンセスがいれば、秘密外交にも情報戦にも使った。

 マルタ・シャート『ヒトラーの女スパイ』(菅谷亜紀訳・上田浩二監修、小学館、2100円)の主人公シュテファニー・フォン・ホーエンローエは、当時欧米の新聞を賑わしたユダヤ系でハンガリー国籍のオーストリア貴婦人。ナチスに使われたというより自ら進んでヒトラーに近づき、スキャンダラスな「広告塔」となった。その生涯を米国スタンフォード大学所蔵文書から復元したノンフィクションである。 

 イギリス上流階級との繋がりで英独和平の仲介を試みたが、ヒトラーの副官ヴィーデマンとの不倫で結局はヒトラーに疎まれ、米国に移住し逮捕され忘れ去られる。マタ・ハリ風スパイものというより、ナチス権力の多頭制、上流階級の男も女もヒトラーに靡いた退廃的時間の哀れな記録と読める。

 和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田桂子『言語都市・ベルリン 1861−1945』(藤原書店、4200円)は、都市空間のマッピングで在独日本人の生態を描く。すでにパリ、上海を言語空間として踏破してきた著者たちが、短期間のフィールドワークで森鴎外から山口青頓までこの街に魅了され惑わされた日本人の体験を、旅行記・小説、現地新聞・雑誌、建築・美術・演劇・音楽・写真・舞踊等を縦横に駆使して巧みに編んだ好著。

 そこに再現された戦前・戦時の在外日本人コミュニティは、貴族社会とは異なる成金中流文化人の閉鎖社会で、今日世界の大都市に散在する日本人社会と意外に似ている。日本食レストラン、日本語情報紙誌、日本人会の内紛と滞在国かぶれの孤高等、日本的「世間」の島宇宙が読みとれるのが哀しい。

 

(『エコノミスト』2006年12月26日号掲載)


テレビの誕生にも日中関係にも、アメリカ情報戦の影

 

杉本信行『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP研究所)

有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社)

 

 日本経済は「失われた十年」をようやく脱したようだが、その期に破竹の成長を遂げた中国にも「失われた十年」があった。1966年からの文化大革命で、杉本信行『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP研究所、1700円)は、外務省語学研修生としての文革体験から始まる。

 著者は末期ガンの中で本書を書き、刊行直後に逝った。最後は上海総領事だった外交官で、足で稼いだ農村見聞録は貴重。水不足と農業に中国の主要矛盾を見いだす。中国を愛するが故に苦言を呈する、そんな気概が伝わる。

 だが外務省チャイナスクール出身者の遺著は、日中二国間関係に絞られる。72年国交回復に直接関わらず、78年平和友好条約以後の勤務体験が中心なため、アメリカはあまりでてこない。田中内閣時の国交回復は米中接近の後追いで、北朝鮮核実験後の六者協議も米中秘密提携で再開されたのに。

 当事者能力を制限された日本外交は、敗戦・占領期に始まる。この期になぜか、戦前警察官僚、戦犯容疑者だった正力松太郎は復権し、日本プロ野球の父、テレビの父、原子力の父となる。読売新聞再建ばかりでなく、日本テレビの開局に奔走したが、その戦犯解除、テレビ進出のいきさつには、かねてから噂があった。安部首相の尊敬する祖父岸信介とよく似た、黒い噂が。

 有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社、1500円)は、その噂を学問の王道から実証した好著。確かに推理小説以上に奇々怪々で、日本のテレビ誕生の陰で米国情報機関、国務省、軍部、政治家が暗躍し、冷戦軍事戦略と心理戦略が重なる。親日外交官上がりの「ジャパン・ロビー」ドゥマンは、戦後日本の反共スキームを象徴天皇制、財閥復権、強力な保守政党、メディア・コントロールにおいた。関係者の自慢話に惑わされず、著者が機密解除公文書とドル資金の流れから筋立てた戦後電波通信網誕生の深層は説得力がある。

 正力松太郎=CIAスパイ「ポダム」を突き止めた噂の実証も画期的だが、確実な史料と抑制された筆致で再現された、経済復興、自衛隊発足、保守合同の「逆コース」を貫く情報戦に戦慄。

 

(『エコノミスト』2006年11月28日号掲載)


オーラルヒストリーで読み解く「生活の真理」

 

    松沢弘陽・植手通有編『丸山眞男回顧談』上下(岩波書店)           青沼陽一郎『帰還せずーー残留日本兵 60年目の証言』(新潮社)

 

 団塊世代以上の読書好きなら、面白くてたまらないだろう。松沢弘陽・植手通有編『丸山眞男回顧談』上下(岩波書店、各2500円)は、20世紀日本を代表する思想家の知の秘密と、古き良き時代の学府の姿が、余すところなく語られる。絶対お買い得だ。

 1988年から7年間の聞き取りというから、丸山晩年の記録である。聞き手が資料を準備したとはいえ、驚異の記憶力だ。中学・高校・大学の一つ一つの授業の品評が出てくる。ノートを読むだけ、脱線が多いと辛辣な批評もあれば、講義でのたとえ話をそっくり覚えていたりする。大正教養主義後の世代なのに、スポーツ、文学、映画から得意の音楽まで、いつどんな作品をどう見たか、好きな小説の構成から女優の演技まで生き生きと再現する。

 無論、マルクス主義への距離からナチズムの評価まで、丸山政治学の秘密も明かされる。丸山にとって8月15日は、広島での被爆体験のみならず、母の立ち会えぬ命日だった。それが「復初」の原点で、自らの生涯を終える日となる意味も、痛切に読み取れる。

 だが丸山の生きた時代のそうした感性は、安倍晋三首相を含む戦無世代に継承できるだろうか。村上春樹の小説を読んで、丸山眞男の著作に正面から向き合う若者は出てくるだろうか。

 そんな問いに、青沼陽一郎『帰還せずーー残留日本兵 60年目の証言』(新潮社、1700円)は、一つの希望を与える。率直に言って読みやすくはない。1968年生まれの著者が、「大東亜戦争」敗戦後もタイ、インドネシア、ベトナム、ミャンマーに残り、そこで家族を持ち生涯を終えようとする「祖国を棄てた」14人を訪ね歩くオーラルヒストリーで、戦場の悲惨や飢えのリアルな描写には限界がある。

 だが「なぜ日本に帰らなかったか」の疑問を残留日本人に率直にぶつける著者のひたむきは、次第に老人たちの心を開く。理由は故郷の貧しさ、脱走、現地女性との出会い、家族・戦友との人間関係や生計手段等々と様々だが、彼らが国家を裏切ったのではなく、日本こそ彼らを裏切ったという若き著者の「発見」は、「美しい国」を唱える政治家の言説より、はるかに重く深い。

(『エコノミスト』2006年10月31日号掲載)


善意のおしつけは歴史観を曇らせる

 

  ジェームズ・R・リリー『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社)

金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代  1930年代ソウル革命的労働運動』(同時代社)

 

 ある国の歴史を他の国から見ると、逆様に見えたり歪んで見えたりする。コロンブスが「発見」したアメリカ大陸は、原住民からすれば「侵略・征服」だった。日本の「敗戦」は中国・朝鮮民衆にとって「解放」だった。20世紀の証人にも、こうした問題に無頓着な人々がいる。「善意」こそが「正義」で自分たちの他国での行動は現地の人々に役立ったと信じて疑わない。

 『チャイナハンズ 元駐中米国大使の回想 1916−1991』(草思社、2500円)の原著者ジェームズ・R・リリーが「善意」の人であることは疑いない。スタンダード石油に勤める父の赴任地青島で生まれ、纏足の乳母に育てられた。「父の収入は米国の一般水準と比べればつつましいものだったが、私たちは王侯貴族のような生活を送ることができた」と正直だ。

 名門イェール大学を出た著者は、朝鮮戦争時に進んでCIAに入り、ベトナム戦争の秘密作戦にも加わる。その諜報・謀略作戦の証言は貴重で、アメリカの国益のみならずアジア民衆のためにもなると信じているから、悪びれたところはない。チャイナハンズ=中国専門家として米中接近、改革開放の波に乗ったリリーは、CIAの情報殊勲賞を授与され、ソウル・オリンピック時に駐韓大使、89年には駐中大使として天安門事件を目撃した。

 確かに著者は率直で、証言の歴史的価値は高い。「民主化」支援の活動には感動的な場面もある。だが彼は、本当にアジアを理解できたのだろうか?

 金ギョンイル『李載裕(イ・ジェユ)とその時代  1930年代ソウル革命的労働運動』(同時代社、4200円)には、植民地朝鮮で抗日運動を密かに助け、34年に検挙され職を追われた京城帝大教授三宅鹿之助が出てくる。三宅は最も優秀な学生たちに教えられ、植民地統治に疑問を持った。無論こうした「善意」は徹底的に弾圧された。三宅は戦後も静かに学究生活を送り、ほとんど過去を語らなかった。「民主化」を経た朝鮮人歴史家の手で、没後にその足跡が発掘され、甦った。 

 「善意」にもリリー型と三宅型がある。「東アジア共同体」の流行も、「善意のおしつけ」では意味がない。

(『エコノミスト』2006年10月3日号掲載) 


集合的記憶の再構築、日本とドイツの場合

 

    大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社)        

三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書)

 

 歴史とは過去と現在の対話と述べたのはE・H・カーだった。大門正克編著『昭和史論争を問う 歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社、3800円)には、こんな手法もあるかと感心した。いわゆる史学史のジャンルに入るが、1950年代「昭和史論争」を30年代「日本資本主義論争」と90年代「歴史認識論争」の間に置き、経済・政治・文化の支配的構造と階級・社会集団・個人の主体性・共同性の対抗の叙述を整序し再検証した。とりわけ若い執筆者たちが「社会構成体史」から「歴史構築主義」への方法論的変容を示唆する。

 戦後のある時期まで、日本の人文社会科学でアメリカ風論理実証主義に対抗したのは、マルクス主義だった。その唯物史観が崩壊したマージナルな隙間を、ポスト・モダンをくぐった構成主義・構築主義が埋め合わせた。日本現代史もそうした波をくぐり、集合的記憶・表象の構築史として再構成されつつある。ジェンダー史やメディア史・情報史、文学・美術・音楽史と歴史学の対話・交流が不可避になる。

 とはいえ日本の場合は「戦後史」と並んで「昭和史」という語りが生き残り、ナショナルな記憶の継承が可能だった。しかしドイツの場合は、ナチスの時代は世界史への犯罪にほかならず、その償い方も東西に分裂した国家の対立と関わった。脱構築の厳しさが、構築主義のあり方をも規定した。

 三島憲一『現代ドイツ――統一後の知的軌跡』(岩波新書、780円)は、「ベルリンの壁」崩壊後のドイツの知性の苦闘を論争史風に説く。過去が常に現在の問題とされ、「昭和史」ならぬ「歴史家論争」とならざるをえなかったドイツの今を浮き彫りにする。

 東独崩壊・併合からネオナチ台頭、EU統合・海外派兵の激動の中で、ネイションへの態度が知識人の試金石とされ、シュミット的決断とカント的理想の狭間で揺れ動く。高度な歴史論争に政治家が登場し、ハーバーマスのモダンとデリダのポスト・モダンがイラク反戦では結びつく。ワールドカップ3位の背景にこんな知的資産を見出すと、やはり日本の「昭和史」は中途半端でツケを遺したと思わざるをえない。

(『エコノミスト』2006年9月5日号掲載) 


反日朝鮮貴族も音楽界の異端児も生んだ男系男子華族社会

        

小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)

大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社)

 

 女性・女系天皇についての議論は、小泉内閣が終わっても続きそうだ。憲法・皇室典範からの検討も重要だが、近代日本には皇室・皇族の周りに分厚い「華族」という身分があり、家督相続は男系男子に限られていた。

 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書、940円)は、戦前華族社会を包括的に描く。公侯伯子男の華族は、明治維新から78年間で1011家あった。資産家・金利生活者で貴族院議員になれる身分を保持・相続するため、華族内での政略結婚・養子縁組が盛んに行われた。天皇・皇族はその中心にあった。日清・日露で軍人の叙爵が増え、岩崎・三井家など財閥も爵位を得る。入江たか子ら華族の令嬢・映画俳優は、今ならセレブで婦人雑誌のグラビアを飾った。

 だが小田部の描く華族社会には、今では忘れられた琉球王家、朝鮮王公族や「赤い貴族」もいる。親日高級両班あがりの朝鮮貴族76家から反日独立運動の闘士も輩出、岩倉具視の孫は治安維持法で捕まり自殺、新劇の土方与志はソ連に渡って爵位を剥奪された。

 薩長土肥の志士・藩閥政治家も華族に成り上がったが、公卿から政治の中心に入った双璧は西園寺公望と近衛文麿。近衛は五摂家の筆頭で、文麿が日中戦争期に首相になったため、一族全体が数奇な運命に巻き込まれる。

 文麿長男近衛文隆のシベリア抑留と日ソ国交回復直前の客死はミュージカルにもなったが、文麿の弟秀麿・直麿の日本音楽史に果たした役割と意味も、近衛家の光と陰を浮き彫りにする。

 大野芳『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社、1900円)は、指揮者近衛秀麿のドイツでの親友カール・レーマン宅に遺された膨大な手紙を用いて、山田耕筰との確執や華麗な女性遍歴で語られてきた秀麿の音楽人生に、近衛家の影の政治工作、血統のみで音楽性を評価されたくない秀麿の葛藤を見出す。第一次大戦後マルク暴落時に秀麿が買い漁った楽譜が日本の交響楽の礎を築き秀麿の楽名を支えたが、ドイツでのユダヤ人救出話は裏付けが弱い。醜聞報道の数々から、華族に生まれた男も女も本当に幸せだったのかと考えさせられる。

(『エコノミスト』2006年8月1日号掲載) 


地政学国家ソ連の自壊と日本敗戦時に始まる冷戦

 

佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版)

長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)

 

 ソ連が崩壊しEUが中東欧に広がった今では、東西冷戦も客観的に振り返られる。東のワルシャワ条約機構が核ミサイル189発で西側主要都市壊滅計画を立てていた文書も現れた。社会主義・共産主義というイデオロギーより、古典的な帝国主義論、地政学の方に説明能力がありそうだ。

 佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版、1600円)は、聞き手の宮崎学の巧みな誘導もあり、ゴルバチョフの登場から91年ソ連解体に至る政治史の類書にないドラマチックな証言になっている。外務省のラスプーチンとか塀の中のお役人という眼鏡を外して虚心に読めば、著者がアナリストとしてのみらず、現代史の語り部としても希有な力量を持つことがわかる。

 ソ連の人々にとって「停滞」と評されたブレジネフ時代が安全・安心の豊かな時代で、基層の民族・宗教問題は根深く、「世界革命」の大義名分の内実はヒモ付き軍事・財政援助によるソ連の安全保障だった。旧国家崩壊直後の「幸福な無政府状態」やスポーツとマフィアの繋がりの話も面白い。

 そんなリアリズムを、重厚な分析と厳密な史資料批判で裏打ちし、太平洋戦争末期の国際政治に及ぼした長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社、3200円)に日本の史学はどう答えるか。アメリカの大学でロシア史を講じる日本人という著者の面目躍如で、日本敗戦をもたらした1945年の国際政治の力学を洗練された筆致で再現した。

トルーマンの真珠湾への報復と原爆使用の執念、スターリンの地政学的参戦・北海道占領計画が、天皇自身を含む日本指導部の「国体護持」をめぐる迷走中も冷酷に貫徹し対抗していた。脇役チャーチルや蒋介石の動きを含め、ヤルタ密約からポツダム宣言とその受諾、9月の降伏文書調印・米軍占領、ソ連の千島列島占拠まで、連合国内米ソ対立を追い、冷戦の起源を見る。

 公式外交文書や戦後の回想録を裏の裏まで吟味し日本敗戦におけるソ連要因をクローズアップした本だが、地政学の論理は崩壊時にも再現した。暗闘=冷戦期の総体も見直すべきだろう。

  

(『エコノミスト』2006年7月4日号掲載) 

 


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