以前からいくつか書評を寄せていた『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。 加藤哲郎 (一橋大学大学院社会学研究科教授)
ソ連が崩壊しEUが中東欧に広がった今では、東西冷戦も客観的に振り返られる。東のワルシャワ条約機構が核ミサイル189発で西側主要都市壊滅計画を立てていた文書も現れた。社会主義・共産主義というイデオロギーより、古典的な帝国主義論、地政学の方に説明能力がありそうだ。
佐藤優『国家の崩壊』(にんげん出版、1600円)は、聞き手の宮崎学の巧みな誘導もあり、ゴルバチョフの登場から91年ソ連解体に至る政治史の類書にないドラマチックな証言になっている。外務省のラスプーチンとか塀の中のお役人という眼鏡を外して虚心に読めば、著者がアナリストとしてのみらず、現代史の語り部としても希有な力量を持つことがわかる。
ソ連の人々にとって「停滞」と評されたブレジネフ時代が安全・安心の豊かな時代で、基層の民族・宗教問題は根深く、「世界革命」の大義名分の内実はヒモ付き軍事・財政援助によるソ連の安全保障だった。旧国家崩壊直後の「幸福な無政府状態」やスポーツとマフィアの繋がりの話も面白い。
そんなリアリズムを、重厚な分析と厳密な史資料批判で裏打ちし、太平洋戦争末期の国際政治に及ぼした長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社、3200円)に日本の史学はどう答えるか。アメリカの大学でロシア史を講じる日本人という著者の面目躍如で、日本敗戦をもたらした1945年の国際政治の力学を洗練された筆致で再現した。
トルーマンの真珠湾への報復と原爆使用の執念、スターリンの地政学的参戦・北海道占領計画が、天皇自身を含む日本指導部の「国体護持」をめぐる迷走中も冷酷に貫徹し対抗していた。脇役チャーチルや蒋介石の動きを含め、ヤルタ密約からポツダム宣言とその受諾、9月の降伏文書調印・米軍占領、ソ連の千島列島占拠まで、連合国内米ソ対立を追い、冷戦の起源を見る。
公式外交文書や戦後の回想録を裏の裏まで吟味し日本敗戦におけるソ連要因をクローズアップした本だが、地政学の論理は崩壊時にも再現した。暗闘=冷戦期の総体も見直すべきだろう。
(『エコノミスト』2006年7月4日号掲載)
同じ作品を扱って、こうまで歴史的評価が分かれるものか。どうも文学だけの問題ではなさそうである。
その作品とは20世紀社会派推理小説の巨匠松本清張のノンフィクション『日本の黒い霧』。帝銀事件から下山・三鷹・松川事件、レッドパージ、朝鮮戦争まで、占領下の謎の事件を米軍GHQの一連の謀略として描き、戦後庶民の現代史像に大きな影響を与えた。
かたや藤井忠俊『「黒い霧」は晴れたか――松本清張の歴史眼』(窓社、2200円)は、『季刊現代史』元編集長が清張史観を踏襲し、その後発見された米国公文書館資料や証言で補い、なお未解明の論点を整理する。『黒地の絵』の下敷きになった小倉の黒人兵集団脱走事件など「主権を失った状況」下の占領統治を暴く清張の調査・分析能力、史的想像力を高く評価し、清張ファンにはなるほどだろう。
こなた佐藤一『松本清張の陰謀――「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(草思社、1700円)の著者は、知る人ぞ知る松川事件の元被告、「諏訪メモ」でアリバイが証明され、最高裁で死刑から逆転無罪を勝ち取った当事者。無罪確定後は下山事件研究会事務局長を務め、後半生をえん罪事件被害者救済と人権擁護に捧げた。自分のえん罪のきっかけとなった1949年の労働現場体験と、下山事件研究会で松本清張及び周辺から体感した政治性から、「等身大の伊藤律」や白鳥事件をも検討に加え、『日本の黒い霧』では不問に付された当時の共産党のソ連崇拝・武装闘争方針や労働運動引回しの方に陰謀を見る。
藤井本は「占領が解除されたら……奇怪な事件が嘘のようになくなった」という清張の言葉を引くが、朝鮮戦争前後の共産党には、平事件、中核自衛隊・山村工作隊、血のメーデー、吹田・大須事件、人民艦隊・トラック部隊、北京機関と伊藤律幽閉など、未解明の「奇怪な事件」が多数残っている。こちらの霧も晴らさないと左右の「陰謀史観」跋扈の余地は払拭されない。
清張は公安警察文書を多用したが、今は米軍諜報機関文書も旧ソ連秘密文書も参照できる。文学ではなく史学、しがらみのない若い世代の出番だ。
(『エコノミスト』2006年6月6日号掲載)
本誌の読者なら梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書、777円)を読んだだろう。そこに「シリコンバレー史」と出てきて考えさせられた。
正規の地名でもないカリフォルニアの一隅の10年単位の歴史が、確かに世界を変えている。第二次世界大戦時の軍需産業から、60年代半導体、70年代パソコン、80年代ソフト開発、90年代インターネットと「進化」し、ビジネスと知の世界を席巻してきた。
最先端ウェブ検索企業グーグル社を扱う本書に、ITに疎い経営者や政治家は戸惑うだろう。偽メール問題での民主党の無惨な迷走は記憶に新しい。だがウェブ上での本書の評価は意外に冷静だ。ムーアの法則によるチープ革命やアマゾンで検証されたロングテールの話はブログで長く論じられてきた。グーグルに始まるアドセンスやWeb2.0が「知の革命」をもたらすか否かは、オープンソース方式の「総表現社会」の成否にかかっている。
これが実は、A・ネグリ=M・ハート『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』上下(NHKブックス、各1260円)の議論と奇妙に重なる。硬派の世界的ベストセラー『帝国』では曖昧だった、人民でもプロレタリアートでもないマルチチュードの生態が、9・11後の世界に照らしてグローバルに示される。グーグルとよく似た脱中心的ネットワーク型組織が世界に広がり、多種多様な陳情や異議申し立てで<帝国>に対抗するようになると、地球規模の民主主義が可能になるという。キーワードは、公でも私でもない<共(コモン)>。戦争が恒常化し警察的セキュリティが広がり、イメージや情動を生産する非物質的労働が支配的になった世界で、マルチチュードは国境・民族・宗教を越え、指揮者のいないオーケストラのように交響できるという。丸山真男「民主主義の永久革命」を想起させる遠大な構想は、確かに「知の革命」に通じる。
この主張が、公私を越えた<共>どころか、官でも民でもない<公>が切実な格差社会日本でどれだけ受容されるか。農民の潜在力や経済学の死亡宣告、暴力に抗する愛の復権等、刺激的な歴史像を伴う民主主義論なのだが。
(『エコノミスト』2006年5月2日号掲載)
正月に大作『マオ』をとりあげたので、新学期に立花隆『天皇と東大 大日本帝国の生と死』上下(文藝春秋、各2667円)。2冊で1550頁と『マオ』以上、インターネット上に膨大な関連資料があるのも似ている。
毛沢東の生涯を単色で描いた『マオ』には毀誉褒貶があり厳しい批判も現れているが、現代情報戦の巨匠の描いた本書は、サービス精神旺盛で幾重もの伏線と仕掛けがあり、一筋縄では行かない。「東大という覗き窓」から見た戦前天皇制・帝国史であり、大学の自治と言論思想史、左右の体制変革運動史、帝大教授の生態学、侵略戦争と科学技術の関係史等々、どんな関心からでも面白く読め、含蓄がある。
第1章が「東大は勝海舟が作った」で終章は「天皇に達した東大7教授の終戦工作」、加藤弘之から南原繁・丸山真男まで、近代日本を設計したインテリたちの国家観・天皇観が、政治家・官僚・軍人・貴族・民間との繋がりで縦横に論じられる。和魂洋才の「洋才」を担った東大は、一木喜徳郎、美濃部達吉の天皇機関説や吉野作造の民本主義で立憲君主制を正統化できた時代までは「国家須要の人材」育成と「大学の自治」のバランスでやっていけた。
しかし上杉慎吉・平泉澄・土方成美ら学内の国家主義的潮流が在野の狂信右翼や「和魂」の学生団体・軍部と結びつき、マルクス主義や自由主義の撲滅運動に乗り出すと、抵抗できずに戦争・学徒動員へ邁進する。国家主義学生運動の活動家群像、河合栄治郎、田中耕太郎の人物評が印象的だ。
だが歌田明弘『科学大国は原爆投下によって生まれた 巨大プロジェクトで国を変えた男』(平凡社、2800円)で描かれたMIT工学部長・副学長V・ブッシュの米国戦時科学技術体制作りと比べると、平賀譲工学部長・総長下の戦時東大は、いかにもスケールが小さく貧しい。米国は、天皇なしでも最高の頭脳を世界中から集め、科学者の自由への希求とナチへの憎しみから自発的戦争協力を調達できた。
昨今の大学は目標・計画作り、評価・改善の書類作りに追われている。立花の歴史的診断は、日本の学問を再活性化する貴重な外部評価と言えそうだ
(『エコノミスト』2006年4月4日号掲載)
タイトルにひかれ思わず手に取ったのが、鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書、720円)。団塊世代の評者は、物心ついた時からなぜか鶏肉が嫌いだ。唐揚げはもちろん焼き鳥もダメだ。幼時に家で可愛がっていた鶏がカレーライスに化けてから食べられなくなった。友人の中にも同類がいて、心理学者の話では「戦後」のトラウマが原因だという。
「敗戦のレシピ」に鶏肉の話はないかと買ったのだが、残念ながら肉が出回る前の焼け跡・闇市の代用食品しか出てこない。すいとんや大根めしは知っていたが、代用醤油や乾燥卵は初めて知った。銭湯の風呂敷の効用、闇市の品揃え・値段の話は収穫。帝銀事件・下山事件時のお天気と気温、美空ひばりが素人のど自慢でカネ一つの話もあり、当時の世相がよくわかる。
だが「1億2000万人必読の『歴史教科書』」という宣伝は誇大広告、1935年生まれでテレビドラマを演出してきた著者が認める通り、「生き延びた者の罪悪感」をもとに自分の周辺の記憶を記録した本。むしろ「戦後」体験の多面性・多様性を21世紀に語り継ごうというよびかけだろう。
それは、もはや「戦後民主主義」を体感できない世代が多数派になった時代の、思想と文化の継承に関わる。竹内洋『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書、860円)は、20世紀日本を代表する「戦後」派知識人丸山真男を、丁寧に、しかし距離をおいて知識社会学風に論じる。「復初の説」、8・15に遡れと説いた丸山の原点を、1938年9月帝大粛正学術講演会での蓑田胸喜の日本版マッカーシズム演説に臨席した所から解き明かす手法は成功している。
著者は東大ではなく京大出身で、丸山への愛憎が入りがちな東大系丸山論に距離をとり、時代の流れの中に丸山をおいて「戦後民主主義」の功罪を次世代の判断に委ねようとしている。
確かに丸山に反旗をひるがえした「大衆インテリ」さえ、キャンパスにはみられなくなった。「インテリ」や「知識人」の輝いていた時代の雰囲気を記録に残すのも、ポスト丸山世代の重要な仕事になったのだと納得。
(『エコノミスト』2006年3月7日号掲載)
米軍兵が小学生をひき逃げし現行犯逮捕されたが、基地の業務中で身柄は米軍に引き渡された。そんな日米地位協定の非合理が半世紀も繰り返されると「治外法権」といいたくなる。
ジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期日米関係』(空井護訳、みすず書房、3600円)は、そんな日米関係は敗戦・日米安保条約のためだけではない、ペリー来航以来の文化摩擦も作用している、と示唆してくれる。
幕末から日露戦後期に来日・滞日したアメリカ人の観察記録を、今日のアメリカの歴史学者が発掘整理し、「人種のヒエラルキー」の中で反省的に解読した。宣教師と学者・芸術家の記録が多いが、キリスト教徒でない日本人がなぜ「文明へ進化」しえたかをめぐり、アメリカ人同士の論争があった。
ガリヴァー旅行記のリリパット人が日本イメージの原型で、「堕落した」日本女性を「女らしさ」の観点からどうするかが「文明の母」アメリカの「こどもの国」へのまなざしだった。
日露戦後の「黄禍論」に対し、「中国より文明化」した「アジアで最も黄色人種らしからぬ人々」を理解しようとしたアイヌ人論争が、面白くおぞましい。白人とインディアンの関係が日本人とアイヌの関係に投影され、日本人「名誉白人」説まででてくる。20世紀日本の「五族共和論」「日朝同祖論」とそっくりである。著者の解読自体はポスト・コロニアリズムのなじみの手法だが、アメリカ人学者が日米関係史に適用したのが新鮮で刺激的だ。
とすると、新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店、780円)の描く米国、日本本土、沖縄60年の関係には、「人種のヒエラルキー」の二重のまなざしが宿っているのかも知れない。
悲願の日本復帰は実現しても米軍基地をおしつけられ、「治外法権」が日常的にまかり通る基地社会沖縄への想いが、著者をして5度目の新書の書き換えを余儀なくさせた。新版で加えられた「時代状況と民衆世論」の項が悲しい。「本土の人は沖縄の人を理解しているか」への沖縄県民の絶望的受け止め方こそ、日本人自身の手で解かるべき未決の課題で再出発点である。
(『エコノミスト』2006年2月7日号掲載)
正月にくつろいで読むには重いテーマで分厚すぎるかもしれない。日本語訳で1100頁ある。だが推理小説のつもりで隣国中国の出生の秘密に迫れば損はない。ユン・チアン、ジョン・ハリディ『マオ 誰も知らなかった毛沢東』上下(土屋京子訳、講談社)はそんなお奨め本。
著者ユンは、あの『ワイルド・スワン』で文化大革命を描いた女性、世界で1千万部売れた印税を新著の取材と史資料収集につぎ込んだ。10年以上の雌伏の成果は十分盛り込まれた。
今回の主人公は毛沢東、栄光と汚辱にまみれた現代中国生みの親である。
すさまじい権力欲と仲間への疑心暗鬼、ヒトラー、スターリン以上の人命無視で7千万人を死に追いやった。核兵器に取り憑かれた唯武器論者で陰謀家、周恩来を下僕にニクソン、キッシンジャーも手玉に取った。農民想いで抗日戦争の英雄とは真っ赤な嘘、蒋介石から権力を奪うため日本軍と裏取引し、革命で農村を奴隷工場に変えた。革命聖地延安は阿片密売で維持しながら、農民兵士を戦地に送り、自分は女漁りの風雅な別荘暮らし、ソ連のスターリンに満州・華北を売り渡した。
どうやら著者は、中国四千年の王朝史の流れにマオを置いた。そのためにロシア、アメリカなど世界中の文書館を漁り、毛沢東と実際に会った数百人にインタビューした。日本で取材した協力者リストに驚く。三笠宮から有末精三、宮本顕治まで出てくる。
共著者で夫の歴史家ハリディこそゴーストライターで仕掛け人か。英語版への反響をインターネットで拾えば、英国左翼のアジア社会主義観がわかる。お堅い研究者は要注意。典拠が杜撰と早とちりしそうだが、ハリディ渾身の注解や文献は特別ウェブサイトからダウンロードという出版界の新機軸だ。
インタビューから新資料が現れての歴史の書き換えなら、青木冨喜子『731』(新潮社)も画期的。成田空港近くの旧家の聞き取りから、満州細菌戦七三一部隊長石井四郎の直筆終戦ノート2冊がみつかり、人体実験がなぜ免責されたかの真相を語る。こちらも推理小説タッチで読めるので、初夢後の枕辺にぜひ。
(『エコノミスト』2006年1月3日号掲載)