以前からいくつか書評を寄せていた、『週刊 エコノミスト』誌が、2001年6月の大判化を機に、「歴史書の棚」というリレー書評欄を設けた。日本史・現代史・東洋史・西洋史の順番で、それぞれ月に2冊の歴史書紹介をするということで、私はその「現代史」を担当することになった。引き受けるさいの条件に、販売終了後に本HP書評欄に収録することをお願いし、編集部の了解を得た。
ウェブ上にはいま、現在進行のテロと報復戦争をデータベースとして残すサイトが氾濫している。世界中の新聞の9・11報道を収めたサイトもある。その日以来の政治家の言動を毎日克明に記録しているサイトもあって、次の総選挙では「落選運動」に使われるだろう。
そうしたインパクトを予感させるのが、すでに現代史となった昨年アメリカ大統領選挙を「インターネット選挙」として記録した横江公美『Eポリティックス』(文春新書)。1928年の「ラジオ選挙」、ケネディを当選させた60年「テレビ選挙」に続くメディア政治の第3段階を論じたもので、Eデモクラシー、電子政府の可能性と共に、Eポリティックス・ビジネスも生まれつつあることがわかる。
そんなメディアと政治の結びつきは、敗戦後の日本にもあった。山本武利『紙芝居』(吉川弘文館)は、GHQプレス検閲文書にkamishibai として登場する「街角のメディア」に注目し、紙芝居が映画のトーキー化によって失職した「活弁」を吸収した戦前の「ニューメディア」で、戦時中の国策紙芝居・大東亜工作紙芝居の教育効果は、戦後の街頭紙芝居に受け継がれ、1948年頃のピーク時には毎日170万人の子どもを動員する巨大メディアとなったという。左翼プロパガンダにまで利用され、GHQの検閲官を悩ませた。
それが力道山の「街頭テレビ」が登場するとたちまち衰退していくが、紙芝居は戦後メディアの原型としてテレビに受け継がれ、同時に日本アニメの世界制覇のルーツともなった。
漫画に夢中なサラリーマンの姿はすっかり定着した。日本のインターネットの「2チャンネル化」の原型は、紙芝居かもしれない。ひょっとすると茶の間の「ワイドショー政治」もそうで、私たちはなお、紙芝居の中でデモクラシーを学んでいるのだろうか。
(『エコノミスト』誌2001年12月11日号に発表)
今夏、サンフランシスコ日本街の書店でみつけたのが、小橋川ディック次郎『ひとめぼれ』(ひとめぼれ刊行会、九九年)。いかにも野暮ったいタイトルだが、それは西海岸日系移民の真面目を武骨に表現する。印刷は京都、副題に「日系アメリカ人・小橋川ファミリーの20世紀」とある。1914年アリゾナ生まれで沖縄で学校生活、31年アメリカに戻り、庭師として成功した夫婦の一代記である。
日系移民資料として手にしたが、読み出したらやめられない。沖縄からメキシコに渡った父の話から、戦争期の差別と収容所体験、戦後の日本旅行記まで、外務省文書にもあたり、日系人の苦難と家族の絆を浮き彫りにする。友人の序文に「学者となるべく生まれた沈着冷静な人」とあり、息子のベン氏はサンフランシスコ州立大学の移民史教授である。日本街の本屋に平積みされていた意味がわかった。一人の庭師の歩みでありながら、20世紀日系人社会の苦楽を背負っているのである。こんな本と出会うと、嬉しくなる。
だが、沖縄出身小橋川家のメキシコ・アメリカでの波瀾万丈は、当時の日本で朝鮮・中国出身の人々の抱えた問題と無縁であろうか? そんなことを考えさせるのが、森宣雄『台湾・日本──連鎖するコロニアリズム』(インパクト出版会)。
戦後の日本で、アメリカと中華人民共和国のはざまで宙づりにされた台湾は、植民地主義を告発する左派知識人からも見放された。在日台湾独立運動を担った人々の言説に真摯に耳を傾けると、独立・民主化の挫折から日本の保守人脈に近づき、小林よしのりを担いでようやく自己主張の場を得た金美齢らの屈折した歩みは、己れに跳ね返る。変節・転向と済ますわけにはいかない。
植民地主義の時間的・空間的連鎖を剔出する若い著者のみずみずしい感性は、私たちの内なる傲慢と知的怠慢に突き刺さる。
(『エコノミスト』誌2001年11月13日号に発表)
今川英子編『林芙美子 巴里の恋』(中央公論新社)は、歴史と文学の狭間をつないでくれる。芙美子の『巴里日記』は、1931〜32年の「洋行」の文学的形象で、『放浪記』の印税を元手にしたセンチメンタルジャーニーを綴った。夫を日本に残した一人旅の心象風景に登場する恋人「S氏」をめぐっては、画家外山五郎、考古学者森本六爾、建築家坂倉準三、果ては仏文学者渡辺一夫までがモデルに擬されて、あれこれ論じられてきた。
そこに、フィクションではなく、実際にパリで書かれた「小遣ひ帳」と日記の発見である。答えは簡単に出た。「S氏」は建築家白井晟一であった。その眼で白井の建築をみると「浮雲」と題する作品があったりする。「小遣ひ帳」から当時のパリの物価を知るだけでも面白い。ロンドンで藤森成吉に紹介された「山西と云ふ人」は、戦後のトロツキー研究家山西英一だろう。歌手佐藤美子は、後に画家佐藤敬の妻となる。芙美子と美子の交錯、鈴木東民の『ベルリン通信』を引き継いだ白井晟一──二人の恋の周辺には、藤森・鈴木・佐藤ら当時の在欧日本人左翼ネットワークが見え隠れしている。
同じ問題を異国の側から照射するのは、長縄光男・沢田和彦編『異郷に生きる 来日ロシア人の軌跡』(成文社)。谷崎潤一郎の白系ロシア人とのつながりが『痴人の愛』の女性描写に影を落とし、サハリンの毛皮交易がロシアと日本を結ぶ。関東大震災によるニコライ堂の倒壊と再建は、セルゲイ主教の個人史と重なる。圧巻は、旧ソ連で粛清された須藤政尾の遺児ミハイルの回想記。日本人の父政尾を愛し結ばれた、ただそれだけの理由で逮捕され強制収容所に送られたロシア人の母への鎮魂歌を、石川啄木の歌に重ね合わせる。
「事実は小説より奇なり」というが、20世紀の数奇な歴史は、新世紀の文学に、豊富な素材を提供している。
(『エコノミスト』誌2001年10月16日号に発表)
暑い夏で身体をこわしている人もいるのでは? でも身体って何だろう? 私たちはなぜ健康を気にするのか? こんな疑問に答える好著が、北澤一利『「健康」の日本史』(平凡社新書)。気楽な気分で手にしたが、刺激的な思想書の趣き。高野長英・緒方洪庵がいかにhealthの日本語訳として「丈夫」「健やか」ではなく「健康」を見出し広めたかを詳しく考証し、福澤諭吉がなぜ「精神」とピントはずれの翻訳をしたかに蘊蓄を傾け、「一身独立」論から国家的な「体格体力向上」、「体育」教育へと転換する経緯を追う。
徴兵制による農民出身兵育成の必要が「体操」を生み出したといい、野球、運動会からラジオ体操までこの視点で概観、主観的「身」と異なる解剖学的「身体」の成立を説き、それが国家や軍隊の管理の対象とされた流れを詳述。武士の「養生術」から庶民の「健康法」への変化は、「発育発達」をめざす「身体検査」を伴い、「身体の序列化」と「思想善導」をもたらしたという。
健康ノーハウを狙うと肩すかしだが、頭脳の健康には最適である。
その行きついた先を詳論したのが、藤野豊『強制された健康』(吉川弘文館)。北澤本は文部省中心であるが、こちらは1938年厚生省設置が出発点。「国民体力の向上」が戦争遂行の緊急課題とされて、国家の身体管理は「健康報国」「厚生運動」から「建国体操」「健民運動」へとエスカレートする。モデルとされたのは、ファシズムのドーポ・ラヴォーロ、ナチズムのクラフト・ドルヒ・フロイデ、「健民」の身体が人的資源として戦争に動員されると、見捨てられたのは「非国民」だった。精神障害者・知的障害者・ハンセン病患者は、「国民優生法」の管轄・隔離下に、断種手術まで強制された。その悲劇がつい最近まで続いたことを、多くの「国民」が知ったのは、本書の刊行後のことであった。
折から男女共世界一の長寿国と報じられた。これは国家の身体管理の賜物? それとも戦後民主主義の成果?「健康」問題の奥行きは、ミシェル・フーコーを引かずとも、底知れず深い。
(『エコノミスト』誌2001年9月18日号に発表)
革命家石堂にとっての二〇世紀は、「転換を果たせなかった世紀」である。果たすべき転換とは、当初はロシア型共産主義革命であった。だがやがて「短期決戦的な行動によってつくられる制度は、生活の外からつくられるものであって、生活の中から生まれてくるものと性格が違う」ことに気づく。晩年のレーニンから「機動戦」の限界を学び、スターリン批判期にアントニオ・グラムシに先駆的に注目して「機動戦から陣地戦への移行」を確認する。石堂はいまや「グラムシの『獄中ノート』の大半は、ソヴィエト共産主義に対する理論および政策上の批判だった」という。親友中野重治を素材に、この視点で戦前共産主義運動を論じた「『転向』再論」は、日本思想史に長く残る共有財産となるだろう。石堂はこの思索で、「裏切り者」「脱落者」として切り捨てられた何千何万のかつての仲間の魂を救済した。それは、戦後共産党の「顔」であった野坂参三の晩年と正反対の深い自己批判=自己変革で、同じく九〇歳を越えた宮本顕治に歴史の審判を下すものである。
石堂の「革命の世紀を生きて」の結論は、「『永続革命』から『市民的ヘゲモニー』へ」であった。内田義雄『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版)は、ヘゲモニーのあり方を、裏側から教えてくれる。旧ソ連強制収容所の起源を最北端白海のロシア正教修道院に求め、イワン雷帝時代からの修道院=流刑地の歩みをたどる。「反革命」政治囚の「矯正・教育」が「強制労働」に転換されるメカニズムをあばき、そこに生きた人々・家族の「傷」を定点観測する。「心のなかのラーゲリ」からの解放をめざして記録と記憶を残す「メモリアルの会」の活動を淡々と記し、「歴史は巻き戻すことはできない。学ぶことが出来るだけである」と結ぶ。歴史の長い旅では、「憎しみ」ではなく「寛容」こそ道義的に生き残るのである。
(『エコノミスト』誌2001年8月14日号に発表)
権威主義的心性を残したまま、かくもすばやく天皇からマッカーサーへとのりかえた敗戦への一里塚は、一九三九年のノモンハン事件=ハルハ河戦争であった。司馬遼太郎がついに書けなかった問題を、ソ連崩壊で公開された新資料から再構成したのが鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』(NHK出版)。テレビ放映が反響をよんだが、読みやすい本になった。関東軍の無謀もさることながら、モンゴルのゲンデン首相以下二万六千人が「日本のスパイ」として粛清された話に驚かされる。ソ連と日本の戦争に見えながら、両国の兵士とモンゴル民衆こそ犠牲者だったのだ。研究者としては、旧ソ連もアメリカも後世自国に不利になる史資料をもしっかり保存していた伝統がうらやましく、ほろ苦い。
(『エコノミスト』誌2001年7月17日号に発表)
第1回は、フランク『リオリエント』と網野善彦『歴史を考えるヒント』をとりあげたが、サラリーマン向けということで、最初の原稿を一度やさしく書き直したのだが、どういうわけか、最初のアカデミックな一文の方が活字になった。それで今回は、その活字になった一文と、やさしく書き直した予備原稿とを、あわせて掲載する。
初回であるから、思いっきりマクロな歴史書の世界に入ってみよう。
アンドレ・ガンダー・フランク『リオリエント──アジア時代のグローバル・エコノミー』(山下範久訳、藤原書店、2000年)は、これ以上広がりようのない、文字通りの世界史=地球史を対象とする。かつて「低開発の発展」テーゼで従属理論の旗手だった著者が、世界経済システムを一五世紀以前に遡らせ、一八〇〇年頃の「西洋の勃興」以前の世界経済では、オリエント=非西欧こそが世界経済の中心であった、と論じる。無論「トンデモ本」ではなく、ヘロドトスからアダム・スミスにいたる「辺境」西欧の東洋へのあこがれの歴史を概観し、それが実在的根拠をもつことを、古今東西の文献・統計・事例をあげて論じる分厚い真面目な研究書である。表題の「リオリエント」は、副題にあるように、21世紀以降に再び「西洋の没落」と「アジアの時代」を見通すからである。具体的に扱うのは18世紀までだが、その視野は5千年前から未来へと広がる。そこで日本は、再興する「オリエント」に入っているのかどうか? それは読んでのお楽しみに。
『リオリエント』のフランクが、日本についての記述で依拠したのは、もっぱらステファン・サンダーソン、浜下武志、池田哲らの英語になった史論であったが、そこにもしも網野善彦の「日本」論が入っていれば、フランク理論を補強する強力な助っ人となっただろう。七世紀末に始まる「日本」は地域的に多様で、川と海で閉鎖的島国を超えてアジアと交わり、江戸時代の「百姓」も農民ばかりでなくさまざまな生業を含んでいたと主張して、じわじわと支配的な「国史」「戦後歴史学」を脱構築してきた。講談社「日本の歴史」シリーズ第0巻『日本とは何か』は重すぎるという向きには、その後に出た『歴史を考えるヒント』(新潮選書)がオススメ。網野史学のエッセンスが味わえて、ブローデル、ウォーラーステイン、フランクらの世界史像再構築とつないでいく食欲をそそる。
歴史の面白さは、資料や史実の発掘にもとづく発見と、既存の認識枠組・常識の反省的洞察にある。フランク世界史も網野日本史も後者の系譜で、21世紀というよりミレニアムのスケールでの知的刺激となる。(『エコノミスト』誌2001年6月19日号に発表)
『リオリエント』のフランクが日本について依拠したのは、もっぱらS・サンダーソン、浜下武志らの英語文献だった。そこにもしも網野善彦の「日本」論が入っていれば、強力な助っ人となっただろう。「日本」の国号は「天皇」と共に七世紀末から始まる。海に囲まれ川が多いのは、閉鎖的島国ではなく、多様な地域がさまざまに交流し、アジアに広がることを意味する。江戸時代の「百姓」も農民ばかりでなくさまざまな生業を含んでいたと主張して、支配的な「国史」や「戦後歴史学」の常識をくつがえしてきた。講談社の『「日本」とは何か』は厚くて重すぎるという向きには、その後に出た新著『歴史を考えるヒント』(新潮選書)が手軽で刺激的。網野史学のエッセンスが平易に説かれ、ブローデル、ウォーラーステイン、フランクらの世界史とつなぐと、地球が新鮮に見えてくる。
歴史の面白さは、資料や史実にもとづく発見と、常識のリフレッシュにあるが、フランク世界史も網野日本史も後者の系譜で、二一世紀が面白くなる。(同予備稿)